ファンタジーで好奇心なアニメ映画ランキング 2

あにこれの全ユーザーがアニメ映画のファンタジーで好奇心な成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年06月01日の時点で一番のファンタジーで好奇心なアニメ映画は何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

69.7 1 ファンタジーで好奇心なアニメランキング1位
サカサマのパテマ(アニメ映画)

2013年11月9日
★★★★☆ 3.8 (661)
3139人が棚に入れました
どこまでも、どこまでも坑道が続く地下世界。狭く暗い空間であっても、人々は防護服を身にまとい、慎ましくも明るく楽しい日々を送っている。地下集落のお姫様であるパテマは、まだ見ぬ世界の先に想いを馳せて、今日も坑道を探検する。お気に入りの場所は、集落の「掟」で立ち入りが禁止されている『危険区域』。これまでに見たこともない広大な空間には、幻想的な光景が広がる。世話役のジィに怒られながらも、好奇心は抑えられない。いつものように『危険区域』に向かったパテマは、そこで、予期せぬ出来事に遭遇する。何が『危険』であるのか、誰も彼女に教えてはくれなかったから。隠された“秘密”に触れる時、物語は動き出す――

声優・キャラクター
藤井ゆきよ、岡本信彦、大畑伸太郎、ふくまつ進紗、加藤将之、安元洋貴、内田真礼、土師孝也
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

良いふわふわ感

あらすじは他の方のレビュー等をご参照ください。

 初見でした。100分くらいのSFファンタジー。

 演出のメインである重力感は、かなり上手く描けていたと思います。高所に立った時のぞくぞくする感じは、画面を通して見ている私にも感じられました。視聴後のスッキリ感も良く、結構面白い作品だったとは思います。
 ただ、作品の出来としては、まぁまぁくらいですかね。


世界の構造(ネタバレ注意):{netabare}
 オチが読みやすい分、分かりにくくはないと思うので簡単に。
 ボールの中にボールが入っている構造です。私たちが認識している地球が外側のボールだとすると、その中に内側のボールが入っていることになります。

 図解するとこんな感じです。外側ボールを”外)”、内側ボールを”内)”で表現します。
 < ←地球のコア  内)←偽物の空 ←アイガ|パテマ→ 外)私たち→ 本物の空→ >

 外側ボールの表面に、外側に向けて立っているのが私たちです。作中には一切出てきませんので、もし居たとしたらという話ですけどね。そして、私たちの足元の地下世界に、同じ向きで生活しているのがパテマたちです。
 外側ボールの裏面に、内側に向けて立っているのがアイガの人たち。この人たちが逆さまです。文字通り「ガイア」の逆ってことなんだと思います。

 内側ボールというのは、パテマたちの祖先が、アイガの人たちのために作った偽物の空です。光源でもあり熱源でもある人工物です。雲の描き方から察するに、雲の生産も行っているのだと思われます。地下深くに上空と同じ雲が再現できるとは思えませんから、雲状のガスというのが正しいのかもしれませんけどね。

 パテマが本物の空を目指さずに、偽物の空を目指していたのは、自分たちが逆さまだと思っていたからです。偽物の空だけを知っているため、本物の空の方を地下深くだと認識していました。
{/netabare}

吉浦康裕監督のこと:{netabare}
 吉浦作品は、「イヴの時間」と「アルモニ」を視聴済みです。今回で三作目ですね。
 特徴としては、かっちりとした作品を作る監督だと思います。世界観や設定を練り上げて、さらにフラグ管理も徹底することで、破綻のないストーリーを作る。世界観については、オリジナルというよりは、どこかで見たことのあるものが多いですから、独創性よりはアレンジャー気質を感じる監督です。

 「イヴの時間」では、このかっちり感がやや裏目に出てしまったような気がします。裏面のストーリーはもちろん、表面のストーリーでも、フラグが回収できてないことが分かってしまう。平たく言えば、未完であることがバレバレであるってことですね。もちろんこれは、完結ものとして評価しづらいだけで、作品として悪いという意味ではありません。

 かっちり感が良い方に転がったのが「アルモニ」です。二つの異なる世界を使って、かっちりしているのにわざと見せない部分を用意するという作りになっていました。これにより、答えを用意しながらも、その後どのように展開するのかを視聴者の想像に委ねることができていました。
 かっちりした作品というのは、破綻のない分、想像の余地や余韻が失われてしまうことが多いです。ですが、わざと穴をあけることで、破綻のなさと想像の余地を両立するかなりいい作品に仕上がっていました。


 時系列的には、「イヴの時間」と「アルモニ」の間に作らえたのが「サカサマのパテマ」です。作品の性質もこの二つの作品の中間に該当します。「イヴの時間」にあったフラグ未回収で中途半端な感じは消えているものの、「アルモニ」のような想像の余地は得られない。未完のせいで評価しづらい「イヴの時間」とも、かなりいい作品に仕上がっていた「アルモニ」とも違う、まぁまぁな作品。これが「サカサマのパテマ」です。
 そして、「サカサマのパテマ」のかっちり感がどこから来たかというと、「天空の城ラピュタ」です。
{/netabare}

サカサマのパテマのプロット:{netabare}
 サカサマのパテマの基本プロットは、「天空の城ラピュタ」と全く同じでした。
 女の子が落ちてきて、男の子と出会う。女の子がさらわれて助ける。上昇や下降の末に、新たなフィールドが用意されている。足場が崩れてエンディングに至る。お父さん役は同じ夢を追って死んでしまっている。敵はムスカのような分かりやすい悪役。

 「ラピュタ」を作りたかったのは理解しますが、さすがにここまで同じだと厳しいものがあると思います。パクリなのかオマージュなのかという話ではなくて、宮崎駿監督に正面から挑むとかラピュタ越えする作品を作るとかいうのが無理がある。ここまで同じプロットだとこちらも比較せざるを得ません。

 ラピュタというのは、冒険譚としての圧倒的な面白さに加え、宮崎駿監督の思想が出ているから傑作になっているんだと思います。面白さとメッセージ性が両立された稀有な作品です。
 ですが、この作品は表面をなぞるだけで終わってしまっています。人物像はどこかで見たものばかりで、掘り下げられてはいない。描かれている思想もありきたりな管理社会批判だけ。エンディング後に世界がどうなっていくのかの示唆も感じられない。
 重力感の描き方以外は、どれもこれも今一つなものばかりです。

 ラピュタのような名作と同じプロットで作品を作れば、失敗しないのは当たり前だと思います。ですが、ラピュタ越えする作品を作るというのは、宮崎駿監督本人にとっても非常に難しいと思います。
 結局、二番煎じにもかかわらず、新しい要素はほとんど見せられなかった。そんな意味でもこの作品は、「まぁまぁな作品」だと思います。
{/netabare}

演出関係:{netabare}
 静止後に画面をぐるっとひっくり返す演出が、複数回使われていました。個人的にはここまで露骨なのは最初の一回だけにして、あとはアレンジした演出を見せて欲しかったです。
 分かりにくくなるのを恐れたんだとは思いますが、分かりにくいことを分かりやすく表現することこそが演出力として必要なことなんだと思います。

 反面、パテマとエイジの人間関係の描き方は非常に良かったです。
 手と手でつながっていたものが、身体と身体でつながるようになる。反対を向いているという相容れない存在同士が、キスシーンのときだけ同じ向きを向いている。
 この辺の人間関係の進展の描き方は、この作品の設定と非常にマッチしていました。
{/netabare}

おわりに:{netabare}
 吉浦監督がどのような方向に行きたいのかはよく分かりませんが、いずれの作品も社会風刺の要素がありますから、今後もその傾向を持つんだと思います。ただ、かっちりな大枠を用意して作品をまとめ上げることを優先しすぎているせいか、そのメッセージ性自体は全く面白くありません。おまけで入れているようにすら感じます。そもそも風刺の内容に新しい視点があるわけではなく、既に語られてきたやや古いものばかりです。
 作品のプロットも、思想の中身も、二番煎じばかりという今の状況はなんとかした方が良いと思います。


 批判的に書いていますが、私個人としては、吉浦監督には結構期待しています。
 前述したとおり、「イヴ」「パテマ」「アルモニ」と、作品を追うごとにクオリティはどんどん上がってきています。しかも、ただ単にクオリティを上げているだけではなく、悪かったところは重点的に修正されています。

 特に、人間関係の描き方や掘り下げ方は、「イヴの時間」や「サカサマのパテマ」ではお世辞にも良い作品とは言えませんでしたが、「アルモニ」ではかなり上手くなっていました。
 また、作品の設定そのものにも改善が見られます。室内劇であったためにスケールが小さかった「イヴの時間」、大空を舞台としたスケールの大きい「サカサマのパテマ」、と来て、室内劇とファンタジーを組み合わせた折衷的な「アルモニ」が作られた。

 新しいことにチャレンジしながらハイペースで成長している監督ですから、個人的には今後が期待できる監督としてはかなり注目しています。

 今後は、プロットを引用しないオリジナルの長編に、ぜひチャレンジしてほしいと思います。「アルモニ」は短編でしたからね。もし次の作品で大失敗しても、切り捨てるようなことはしないと思います。
{/netabare}

対象年齢等:
 子供は十分に楽しめると思います。
 大人向けというのは厳しい気がしますが、大人が見ても損することはないと思います。「風に乗る」とか「風を切る」とかとは違う「ふわふわ感」を体験できるのは、この作品の特筆すべき特徴です。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 17
ネタバレ

ヲリノコトリ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

「物質に働く重力の向きが2種類ある」傑作SF

【あらすじ】
 「咎人は空に落ちる」。重力が反転した人々は地下に隠れ住んだ。そして月日は流れ、何も知らない少年と少女が出会う。その果てに待ち受ける真実も知らず……。

【成分表】
笑い★☆☆☆☆ ゆる★☆☆☆☆
恋愛★★★☆☆ 熱血★★☆☆☆
頭脳★★★★☆ 感動★★☆☆☆

【ジャンル】
SF、恋愛

【こういう人におすすめ】
SF好きな人。しっかり考えながら見るタイプの人。

【あにこれ評価(おおよそ)】
68.3点。いまいち。

【個人的評価】
舐めてたけど予想を超えてきた。スタジオ六花の可能性を感じた良作。

【他なんか書きたかったこと】
 地中に重力が逆向きの人々が住んでいて、ひょんなことから重力が逆の少年と少女が出会う。なんと少女は手を繋いでいないと空に落ちて行ってしまうのだ!そして始まる『天空の城ラピュタ』的な二人の冒険劇……。
 分かる。言いたいことは分かりますよ。一つのアイデアでゴリ押しする感じのありがちなストーリーに思えますよね。要するにご都合いちゃいちゃアニメじゃんハイハイご苦労さんって思ってるでしょう?
 少なくとも私はレンタル屋でパッケージを見たときにはそう思いました。
{netabare}
 でもこれ実はすごいですよ!「物質に働く重力の向きが2種類ある世界」というSFとして見ると、物理学的に全然間違ったところが無いです!
 そして、隠された謎も面白い!最後まで明言されない謎なので、ながら見するとストーリー構成の妙に取り残されますよ!

 むしろ頭を使ってアニメを見るタイプの人、緻密なストーリー構成が好きな人にこそおすすめしたいアニメ映画です。「重力が逆向きの二人のボーイミーツガール」というアイデアだけでも十分アニメ映画は作れたでしょうが、そこからさらに一歩テーマを突き詰めた良作SFです。
 映像的にも天地反転のカメラワークが面白くて「おー」ってなります。

↓以下、「一度みたけど何がすごかったん?まあラストあんま意味わかんなかったけど」という人だけ開いてください。これから観る人は絶対開けちゃダメ! 
{netabare}
 物語の始まりでは女の子サイドは地底人。男の子サイドは地上人として登場します。地上の都市の名前は「あいが」。この時点ではなんのことか分かりませんが、ちょっとスルーできない雰囲気を持つ都市名です。

 で、ボーイミーツガール。ここはまあ楽しんでください。
 でもこのあたりでの「都市の外のタブー」地域があとで効いてきます。

 で、女の子捕獲→救出。ここもまあ楽しんでください。
 しかしここで、「あいが」サイドが地底人に対してなんか無駄に敵対心があることが読み取れます。「罪人」という言葉も無駄に出てきます。これは単にジブリの悪役のマネしたいわけじゃなく、ちゃんと裏設定があるのです。”遥か昔”は、地底と地上で交流があったことも示唆されています。

 で、二人で空に落ちる!
 この展開、結構面白くないですか?本来は女の子のほうが軽かったので下向きの力の方が強くて地面にいたのですが、この時は女の子が足かせをしていたのでその重さの分だけ上向きの力が勝って空に落ちてしまったのです。なんか物理かじってるとこういうの楽しいです(笑)
 そして空へ浮いて浮いて行き着いた先が、都市!?
 ここまでちゃんと見てた人は大パニックになります。これはむかし空に飛んで行った人たちの都市なのか?いやいや、そうなると空の上にもう一つ地平があることになります。まさか地球をぐるっと囲むようにもう一つの地面の膜が作ってあるのか?
 NOです。
 最後までみると分かりますが、ここには人は住んでません。これは「気象発生+照明装置」です。……はい?って思いました?さあ先に行きましょう!
 
 ここでちょっといい話挿入。でもこれ、都市から気を逸らせるための罠です。にくいことしますね(笑)

 そして地下→ラスト。地下の一番底が抜けて、空が!
 わかりましたね。
 つまり地底人は男の子サイドのほうだったのです。女の子サイドは地下に住むだけの地上人。地底に「あいが」という巨大な空間があり、そのさらに最下層に無人の都市(に見える気象装置)があったのです。
 「あいが」=「さかさまのガイア(大地)」だったんですね。ま、これはチープっちゃチープですがさらっと面白いことしやがる。
 女の子サイドは「サカサマ事件」を起こした実験に関与していた人たちの末裔で地下都市アイガを監視する役目。男の子サイドは地下に追いやられたサカサマ人。アイガの人が地底人を恨んでいるのは当然ですね。しかしお互い長い年月の末、そのことを知るものがいなくなったようです。
 アイガの外のタブー地域はつまり、空間の終わり。つまり地下空間の壁がある場所なのです。
{/netabare}

↓「SFとして面白いこと!ちょっと間違ってること!」これも観てない人は開けちゃダメ!
{netabare} ・まず、アイガの男性陣は結構パテマを軽々片手で持ってますが、これはちょっと握力強すぎ。女の子が片手で懸垂してるのと同じ力が必要です。

・最初に二人で大ジャンプして追手をかわそうとしたシーン。あれはジャンプの瞬間にパテマ側も男の子を押すようにして二人の腕が曲がらないようにしないと成功しません。全体的にこいつら筋肉質だなあ。

・二人がアイガの塔から空に落ちるシーン。ちょっと初速が速すぎますね。もうちょっと風船くらいの速度で行かないと、無人の都市にぶち当たってヒキガエルですよ!

・しかし、無人の都市にぶち当たって死ぬことがない。これは空気抵抗で説明できます。二人の重力の差がごくわずかであればすぐに空気抵抗によって加速しなくなるので、「ゆっくり着地」はあり得ます。まあそうなるとゆっくり離陸するはずですけどね(笑)

・親が昔作った重力反転気球みたいなやつ。動力0で浮遊できる!ちょっとリスキーだけど魅力的な乗り物です!重りの落とし方ミスったら宇宙の果てですね。

・最後本当の地面が抜けた時、アイガ側におちる破片と、本当の空に落ちる破片の2種類がありましたね。芸が細かい!

・これ言ったらSFってジャンルはオシマイですが、地下につくられた空間デカすぎですね。地平線で見えなくなるところまで、認識できないほど地下深く掘られています。
{/netabare}

 さかさまな二人から子供生まれたらどうなるの?とか、ご飯食べたら浮くの?みたいな面白い考察をするレビューがありました。まさしく!そこらへん面白いです!分子レベル、量子レベルで重力が反転していると考えるのが自然なので、理論上「どっちの分子でできているか」によってどっち向きか決まると思います。
 ということはサカサマ人は地上の食べ物を食べ続けて正しい重力方向の炭素を摂り続けたら、地上で暮らせるようになるかも!反転する瞬間が怖いですが。あと、反転するまでは、排泄したう○こが上にすっ飛んで行きますね。
 ……やめとくかこの作戦は。
 あ、炭素など取らずとも数日正しい重力方向の「水」を飲めば重力反転は可能ですね!熱中症とかになって脱水症状がでたら宇宙まで飛んでいくかもですが。
 「生まれてきた子供」はほぼ母体の炭素から構成されるはずなので、パテマ側の重力になること間違いなしです。

↓私発案!正しい重力の戻し方!
{netabare}
1、地下の一室に閉じこもり、天井に磔にします
2、この状態で水だけを正しい重力方向のものと代えて、数日過ごします。その間、おしっこは浮くかもしれません。
3、何日かすると重力が反転します。
4、次にご飯も正しい重力のものに代えて数か月過ごします。この時期には頃合いを見て地上に出ることも可能です。
5、完成!もうサカサマ人じゃないよ!サイヤ人だよ!(髪の毛は逆立ちます)
{/netabare}
{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 40
ネタバレ

剣道部 さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

秀逸なワンアイディアによって展開する劇的なアニメである一方、そのアイディアに引っ張られ過ぎた感もある

[文量→特盛り・内容→考察系]

【総括】
文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞を受賞。王道のボーイミーツガールであり、冒険活劇。メッセージ性、芸術性、娯楽性、いずれの質も高い。大変出来の良いアニメ映画です。

《以下ネタバレ》

【視聴終了(レビュー)】
{netabare}
やはり、「重力が逆」「空に落ちる」というアイディアが秀逸。また、その効果により、カメラアングルがぐるっと上下逆転する映像は新しく、見処のひとつであり、パテマとエイジが手を取り合い空を(月面のように)駆ける様には緊張感と爽快感があった。

絵で魅せる、絵で伝える、というアニメの基本であり王道であり、奥義でもある魅力を堪能できるアニメ。カメラがグルグルと回り、天地が引っくり返ると同時に、自分の価値観や、これまで信じてきた事実の根底をグラグラと揺さぶられる妙な快感を味わえることでしょう。

それから、ヒロインのパテマがとても可愛らしかった。いかにも、宮崎駿さんが好きそうな女の子です(笑) 基本的には勝ち気だけど、少女らしい弱さもあって。映画という尺の中でも十分に魅力を表現できていたと思う。

ここまでは、絶賛w

ここからは、カライ評価。

(アニメをたくさん観てきた方なら)「実はパテマ達が通常の人類で、エイジ達が大罪人(逆さま人)だった」というオチは、正直早いうちから見当はついただろう(そうじゃないと、物語に決着がつかないしね。悪役が語る伝承は嘘であることが定番w)。

この作品は、監督に表現したいことが多過ぎたから、一生懸命にムダを削り、それでも尺からはみ出てしまい、泣く泣く描きたいシーンを削ってできた作品のように思う。監督にとってはツラい作業であったろうし、個人的には、そのぐらい思いの詰まった重い作品は、愛しく感じる。

とはいえ、やはり中途半端な感じは否めない。

この作品の致命的にマズイところは、ボーイミーツガールものなのに、主人公(エイジ)とヒロイン(パテマ)の心の交流、絆の深まりをじっくりと描ききれなかったことだと思う。

例えば、エイジとパテマが管理塔から空に落ち、エイイチの気球(的な乗り物)を見つけた場面。ハッキリとは描かれてないけど、エイジとパテマのキスシーンがあった。あれは感動的で良いシーンに成り得るんだけど、私は観ていて「いつの間にそんなことになったの?」と思ってしまった(出会ってからトータルで、2日も一緒にいないよね?)。なんか、「つり橋効果?」とか「ラゴスの死を知った後に優しくされたからほだされたのか?」とか、考えてしまった。言い方悪いが、パテマが尻軽に感じた。だから、最終的にフラレるポルタが可哀想で可哀想で。幼馴染みより、たった2日しか過ごしてない相手を選ぶってどうなのよ?

パテマとエイジが出会った後、治安警察に捕まるまでの間に、少し(2,3日程度)で良いから日常パートを差し込み、2人に「重力が違うからこそ成り立つラブコメ」をさせておけば、だいぶ違ったと思う(まあ、尺の関係で削ったのだろうけど)。

そこが、最大に残念なところかな。

あと、「折角考えた秀逸な設定を紹介したい」熱が凄すぎて(汗)

最もそれを感じたのは、やはり上記の「エイイチの気球を見付けた」場面。あの場所はおそらく、アイガ国民にとっての太陽なのだろう。大災害を経て地下に逃れた人類(逆さま人、後世のアイガ国民)は、自らの科学技術により、地価の大空間に空と星と太陽を作りあげた。それが、あの施設。その設定、世界観の作り込みは秀逸で、確かに紹介したい。気持ちは分かる。でも、あの少ないシーンでそこまで気付ける視聴者って多くない気がする(それに、エネルギー源とか、だれかコントロールしている人間がいるのかなど、不明な点もある。きっと裏設定はあるのだろうけど、視聴者には伝わらない)。

それよりも、例えば、アイガを「空中都市」にしちゃえば、話が早かったのでは?(ラピュタへ逆さまに立っている感じ)。それだと、父親の手帳を見つけるシーンと最後の本当の地球に辿り着くシーンが(ラストの)1発でいけるから、中盤にラブコメを入れられたと思う。

もちろん、2回にわたり世界を引っくり返すことで、世界観はより深まるから、あれはあれで価値は高いんだけど、何よりもパテマとエイジの心の交流を描くことが優先される、というのが私の意見だ(この作品がボーイミーツガールである以上)。

しかも、更に他にも、この作品には「異なる価値観を認める」というテーマも含まれている。

ベルトコンベアーのような道路で運ばれ、偏った思想教育を植え付けられ、(例えば空を飛ぶなど)おもいきった夢を持つことを禁じられた、無表情な学生達。まるで、大量生産される商品のようだった。それは多分、今の日本の教育や社会に対する(かなり大袈裟な)警告なのだろう。

「自分の価値観(世界)だけが正しいのか」「異なる価値観(逆さま人)とも手を繋ごう」というメッセージは、作中かなりたくさんあった。でも、結果が出てない。せいぜい、パテマとエイジが空の上から帰ってきた時に、学生達が明るい表情で空を見上げたことくらいだろうか。イザムラが死んだ後の世界で、彼らはどう生きるのだろうか? 本来ならCパートで、「その後」を見せるべき構成だろう。エイジの学校で学ぶパテマや、パテマの家で遊ぶカホ(エイジの同級生)とかね。まあ、これも尺の問題で無理だったのだろう。

と、色々と難癖はつけているが、確実にレベルの高い作品であったことは間違いない。記憶に残る一作になるだろう。実際、この映画にムダな部分はない。でも、足りない。つまり、アイディアと構想が良すぎただけだ。時には、思いきって「大衆化」する勇気も必要なのだと感じた作品だった。

イメージ的には、「鰻牛(うなぎゅう)ツユダクで生卵トッピング、あ、あと、カレーとチーズもかけて下さい」byすき家 って感じのアニメでしたねw どれもこれも美味いんだけど、バラバラでじっくり食べたかったな、と。
{/netabare}

【視聴終了(要約バージョン小盛りレビュー)】
{netabare}
「重力が逆」「空に落ちる」というアイディアが秀逸。絵で魅せる、絵で伝える、というアニメの基本であり王道であり、奥義でもある魅力を堪能できるアニメ。

ただ、主人公とヒロインの心の交流、絆の深まりをじっくりと描ききれなかったことがマイナス。また、監督が自らのアイディアを全部詰め込もうとして、やや空回っている感じもした。勿体ない作品だった。
{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 40

75.5 2 ファンタジーで好奇心なアニメランキング2位
ペンギン・ハイウェイ(アニメ映画)

2018年8月17日
★★★★☆ 3.8 (262)
1212人が棚に入れました
小学四年生の少年アオヤマ君は、一日一日、世界について学び、学んだことをノートに記録する。利口な上、毎日努力を怠らず勉強するので、大人になったときにどれほど偉くなっているか、見当もつかない。そんなアオヤマ君は、通っている歯科医院の“お姉さん”と仲がよく、“お姉さん”はオトナびた賢いアオヤマ君を、ちょっと生意気なところも含めかわいがっていた。ある日、アオヤマ君の住む郊外の街にペンギンが出現する。海のない住宅地に突如現れ、そして消えたペンギンたちは、いったいどこから来てどこへ行ったのか…。アオヤマ君はペンギンの謎を解くべく研究をはじめるのだった。そしてアオヤマ君は、“お姉さん”が投げたコーラの缶が、ペンギンに変身するのを目撃する。ポカンとするアオヤマ君に、笑顔のお姉さんが言った。「この謎を解いてごらん。どうだ、君にはできるか?」“お姉さん”とペンギンの関係とは? そしてこの謎は解けるのか?少し不思議で、一生忘れない、あの夏の物語。

声優・キャラクター
北香那、蒼井優、釘宮理恵、潘めぐみ、福井美樹、能登麻美子、久野美咲、西島秀俊、竹中直人
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

この小四男子が大人になるのが楽しみでなりません

原作SF小説は劇場鑑賞後に購読。

ボクは大人になったら保母さんと結婚するんだ。
或いは先生と、或いは看護婦さんとか……。

幼少期の園児、児童の中には、時折、
こうした未来を語るナマイキな小僧がおりますがw
あれは果たしてどういった心情なのでしょうか?

年上の女性に甘えているようで母性依存とは少し違う。
だからと言って恋愛のいろはを知っているわけでもない。
大人になってから初恋の相手は先生だったなどと吹かす人もいますが、
あれは恐らく初恋の域には達していなかったと見るのが妥当でしょう。

そして、思春期を経て、恋を知っていく中で
母性依存以上、初恋未満の経験は、いつの間にか霧散してしまう。
その時、少年の心や周囲に何が起こったのか?
についてはあまり語られることもありません。


本作はそんな幼少期から思春期に差し掛かる少年と年上お姉さんの青春を
生命進化史や宇宙観に絡めたジュブナイルSF作品。

歯科医院に勤務するお姉さんを結婚相手に決めている主人公少年。
彼がまた只者ではありません。

“人類代表”就任を企てる少年の野望は、
夢物語にとどまらず、形にすべく既に計画的に動き出している。

ノートに自身の課題と研究テーマを列記。
(しかもジャポニカ学習帳などのお子様向け文具ではない。
論理的思考やスケジューリングに最適な大人向けの外国製方眼ノート)
解決のためのPDCAサイクルを回して、
日々、着実に“エラく”なっている自負を得ているのです。

けれど、宇宙物理学の知見に触れたり、
一流のビジネスマン、研究者に匹敵する
メソッドを体現した天才児をもってしても、
ようやく知りつつある恋の甘酸っぱさについては、認識しきれない。

知識だけでは感じ切れない。
成長や性徴を経ねば分らない感情が確かにある。
少年の知的生活を強調することで
浮かび上がって来る青春という構図が誠にこそばゆいです。


鑑賞された方の中には、というより多くの方が、
こんなすました主人公少年なんているわけないだろうw
と思われたのではないでしょうか。

ただ、私の場合は、自分も幼少期、ろくに方程式も解けないクセに、
舌で乳歯をグラつかせつつ、
NHKでアインシュタインの業績を優しく解説する番組などを見て、
宇宙の真理を知った気になっていたナマイキなガキだったのでw
本作の主人公少年の言動には共感できる点も多々ありました。
(但し私も流石に、{netabare} 怒りの感情を和らげるために、おっぱいを妄想して幸せになる{/netabare}
などということはなかったと弁明はしておきますw)

SF展開も私好みで思索も捗り、久々に幼少期に戻った気分になりました。
嬉しさの余り……また、劇場版の説明だけでは納得できないこともあって、
鑑賞後、原作購入して延々と考察に耽っている内に、
この夏も終ろうとしていますがw後悔などは全くありません。
脳に清々しい汗をかくこともできた素敵な夏でした。


それにしても、この主人公少年は
これからまさに恋を知り、青春を知ることになるのでしょうが、
別次元とも言える思春期の純情を経た時、さらに大人になった時、
この夏の思い出はどう自己解釈されるでしょうか?
未熟だった自分にのたうちまわったりもするのでしょうか?
今から反応が楽しみでなりませんw


その他、主人公少年だけでなく、同級生の男子一名と女子一名もまた、
初めて知ってしまった恋の感覚に戸惑いながらも成長していく。
三者三様の青春も実にくすぐったかった。良作青春SF映画でした。


以下、ネタバレかつ超絶ロングな考察。

一応ノート形式を気取ってはいます。
眺めていても大した「エウレカ!」も来ない半端な代物ですがw
鑑賞後の思索等にお役立て頂ければ幸いです。

{netabare}
□ブラックホールとワームホール仮説と“世界の果て”

劇場版では、“世界の果て”は遠い宇宙の外ではなく、内側にあるかもしれない。
と示唆された程度でしたが、原作では、かなり多岐に亘る思索があります。

例えば、恒星が死を迎える際に重力で自壊するなどして
空間に穿たれるブラックホール。
光も音も時間や空間さえも飲み込まれ押し潰されると言うこの穴については、
その出口が別の宇宙へ通じているという仮説が提唱されています。

この場合“世界の果て”は外側の辺境ではなく、
内側のブラックホールに存在することになるのです。


□始まりと終わりを繰り返す万物

無から生じた宇宙の膨張と収縮。
混沌と秩序、生と死、進化と絶滅、眩しい朝昼と静寂とした夜、
輝かしい夏も四季が巡れば秋を経て、命が眠る寂れた冬を迎える。

全ては始まり、やがて終わり、また混沌とした始まりへと回帰していく。
本作では盛衰を繰り返す森羅万象という宇宙観が、
少年が知覚する周囲のあらゆる事物、体験にあてはめられます。


□宇宙と海の共通点

原作では海の神秘についても、さらなる言及があります。
深海に至っては並の探査船は圧壊する程の高水圧。まるでブラックホール。
そこにすら棲息する生命体は、宇宙のエイリアンを思わせるグロテクスクな外観。

光や音が地上と異なる性質を見せる水中においては、
さながら宇宙空間を想起させる不思議な非日常的な環境を与えてくれます。
宇宙飛行士も水中で訓練に励むのです。

劇場版では、さらりと流されたプールのシーン。
あのカットだけだと全裸で女子の前に浮上する
少年の奇行を強調するだけのネタシーンと化していますがw
原作だと、あの場面に宇宙と海をつなぎ合わせる感覚を読者と共有する、
貴重な水中体験の描写があります。

後で原作を読んでいて、一番これは映像化して欲しかったなと思ったシーンです。


□コーラと多元宇宙論

お姉さんが投じたコーラからペンギンが発生する。これも含蓄に富んだ表現です。

原始の海から発生した生命が鳥類まで到達する生命進化史の早回しとも解釈できますし、
私の場合は幼少の頃見た多次元宇宙論の泡宇宙のイメージ映像を思い浮かべました。

宇宙は単一ではなく、無数に存在していて、炭酸の泡の如く生まれては消えている……。
コーラの漆黒の液体に泡立つそれらがペンギンへと到達し、また元のコーラ缶に回帰していく……。
一連の描写は宇宙の性質も示唆しているように感じました。

いずれにせよ、ペンギンの発生と消滅もまた、万物の盛衰を暗示しているものと思われます。


□<海>とは何か?

ハマモトさんが発見した膨張と収縮を繰り返す不思議な浮遊球体<海>
この世界に開いた塞ぐべき“穴”との指摘からも、
また上記の考察からも、ブラックホール?と推測したい所ですが、
重力による星の潰滅に由来しないためか、万物を吸い込み圧壊する性質はない模様。

一方でワームホールの如き異次元空間への転移機能は有していて、
<海>の中では物理法則や時空も混沌としています。
劇場版でも“世界の果て”と形容された<海>
原作では加えて「カンブリア紀」の海とも再三強調されています。
多種多様な海洋生物が爆発的進化を遂げては消えていった……。
地球生命史でもっとも多くの可能性が繚乱した時期。

<海>はかの時代の如き混沌への回帰をもたらすのです。


□ペンギンの役割

ペンギンと言う鳥類はまさに生命進化史の天邪鬼。
海の生命が数億年かけて上陸を果たし、翼を獲得し、大空に羽ばたいた……。
その進化に逆行するようにペンギンは、空を飛ぶことをやめ、
翼をフリッパーに変え、生命の故郷である海に舞い戻り、生き生きと泳ぎ回る。
そのクセ、かつての陸棲から海の主と化したシロナガスクジラと異なり、
ペンギンは完全に海棲生物にはならない。
「ペンギン・ハイウェイ」と呼ばれるルートを通って
彼らは海から陸の浜辺へ帰って行くのです。

お姉さんが出すペンギンたちもまた、混沌たる<海>と呼応しながら、
完全に混沌に回帰することはない。
それどころか混沌を振りまく<海>を、
残された鳥類としてのアイデンティティたるくちばしで突いて消してしまうのです。

混沌に最接近しながら、秩序へ舞い戻って来る。
「ペンギン・ハイウェイ」は混沌に背を向ける者たちの進路でもあるのです。


□ジャバウォックの役割

……これには参りました。なにぶん『鏡の国のアリス』の記憶がないものでして……。
こんなキメラみたいな怪物いましたっけ?

で、結局、ウィキペディアなどを当てにする羽目になったわけですがw

その中で使えそうかな?と思ったのはジャバウォック退治が、
「言語の存立」を脅かす混沌を両断する比喩であるとの解釈。

陸に出張って来たクジラの如き風貌のそれは、
混沌から秩序を構築する営みを妨害する<海>からの使者。
混沌の穴を塞ぐペンギンにとっては
やはり天敵となる存在だと思われます。


□少年の成長に待ったをかける、混沌回帰の誘惑

少年はお姉さんを未来の結婚相手と決めている。
けれどそれは恋慕の感情を理解できていない、
母性依存以上、初恋未満の幼少期の未熟である。
少年が幼少期を脱し恋とは何かを知れば、
お姉さんとの関係は成立し得ない幼少期の夢想として霧散する運命にある。

生まれて成長していっても、人はやがては死に絶える。
万物はどーせ原始の混沌に戻っていくと言うのに、
遠くの海辺の街など目指す必要はあるのだろうか?

このまま成長もせず、恋も知らず、
将来お姉さんと結婚すると無邪気に思えていた頃の
甘い夢に溺れていても良いのではないか?

混沌への退行という誘惑は、
成長し恋を認識しつつある少年を惑わせ続けます。


□新興住宅街と子供のセカイとお姉さん&ペンギンの行動可能範囲

原作では、主人公たちが暮らす新興住宅地についても多くの言及があります。
少年が引っ越して来た時は、誕生直後の宇宙や原始の地球の如き静けさだった街が、
人口増加と共に活気を得ていく……。

星や銀河が繁栄した宇宙史や、多様な進化が花開いた生命史と重ね合わされた、
ビッグバンのようなエネルギーで膨張を続けるこの街には
お姉さんが出すペンギンの素材ともなり得る特別な力が宿っているのです。

さらに“世界の果て”は内側にあるかもしれないという論理は、
子供たちが行動し、探検できる範囲内に
“世界の果て”はあるという幼少期にありがちな夢想とリンクします。

海辺の街を目指すためにはこの住宅街を、子供のセカイを出て、
外に踏み出さねばならない。

そして奇しくも子供のセカイはお姉さんやペンギンたちが存在できるエリア。
ペンギン・エネルギーが届く範囲ともリンクするのです。



□それでも少年は海辺の街を目指す

混沌への退行という誘惑を振り切って、
少年は秩序を阻害する<海>を終らせる決断をします。

それは恋と知ってしまったお姉さんとの関係。
でも現状では叶わない子供と大人の関係。
それらを一度精算する辛い判断でもあります。

例え、万物がやがて無に帰すものであっても、
少年は進化を続ける存在として、成長を選択し、
内側の“世界の果て”に籠もるより、遠く外側にある“世界の果て”を目指すのです。
子供のセカイを出て、海辺の街へ……。

幼少期を脱して思春期へと、街の安泰と共に、
少年の成長は健全性を取り戻すのです。


□お姉さんの体調と<海>の膨張・収縮とハマモトさん

<海>の拡大と相関関係にあるお姉さんの体調。

加えて私には少年と同級の少女ハマモトさんとの関係も
関連しているように思えます。

ハマモトさんは少年に思春期の健全な恋を体験させるキーになる登場人物。
ハマモトさんと<海>の研究を開始する前は拡大期にあったと言う<海>。
お姉さんも割と元気でした。

この辺りにの関連性についてもデータを整理すれば面白いのでは?と感じています。


□お姉さんの正体と役割

結局、私にとっては、これが一番の謎として残りました。

物体からペンギンを生成する人知を越えた存在であったお姉さん。

世界が混沌に飲み込まれるのを防ぐため生まれた異次元人か?
はたまた、主人公少年がお姉さんと結婚するという夢想が、
夏の終わりに彼女の引っ越しにより霧散する……。
という現実がまずあって、
そこからSFファンタジー方面へ派生した幻想がペンギンを出すお姉さんだったのか?
なかなか明確な答えが見出せません。

ただ、一つ思うのは、お姉さんは素敵な女性であったということ。
幼児、児童の結婚願望を向けられて、
軽くあしらうでもなく、中途半端に悪ノリするわけでもなく、
論理的に思考し研究する少年の可能性にかけて、
自身の謎を課題として提示するという形で、
少年が自力で思春期への成長へ踏み出す契機を与えた。

私は彼女の言動を好意的に受け止めています。{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 36
ネタバレ

青龍 さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

『この謎を解いてごらん。どうだ、君にはできるか?』

アニメ化もされた『夜は短し歩けよ乙女』、『四畳半神話大系』などの森見登美彦による原作小説は、角川文庫(角川書店)で書籍化(原作未読)。第31回日本SF大賞受賞。
アニメ映画は、119分(2018年)。監督は、『陽なたのアオシグレ』、『雨を告げる漂流団地』などの石田祐康。制作は、同監督の作品の他に『泣きたい私は猫をかぶる』、『BURN THE WITCH』などのスタジオコロリド。
(2024.3.29初投稿、3.31一部推敲、「考察を踏まえた感想」を追記)

以前から気にはなっていたものの、感想が人によって結構違うし抽象的。こういう作品は、経験上、刺さる人にだけ刺さるものが多く、自分に刺さるかまで観る前にわからないので躊躇していた作品。が、某レビュアーさんの勧めもあって観始める。

観終わった直後の感想としては、確かに、これは感想が人によって結構違ってきそう。なぜなら、本作には、大きく分けると「現実の話」と「夢のような話」という柱が2つあると感じたからです。
(これを補強する劇中の要素としては、本作に登場する「ジャバウォック」がルイス・キャロル作『鏡の国のアリス』の中で語られる怪物であるということ。なので、本作は、意識的に『鏡の国のアリス』の「(アリスの)夢のような話」と「現実の話」がごちゃまぜになった感じを描いていると思われます。例えば、冒頭のシーンである近くに海のない閑静な住宅街に南極周辺にしか生息しないはずの愛らしいペンギンが群れているという景色も、そういう感じですよね。)

その柱の1つ目である「現実の話」の中心は、本作の主人公であるアオヤマ君の「ぐらつく乳歯」、「にがいブラックコーヒーを我慢して飲む」、「セクシーな年上のお姉さんに憧れる」といったアイコンが示す「大人になりかけの少年のちょっと背伸びした恋」。
おそらく、ここに関する感想が人によって大きく異なることはないでしょう。なぜなら、誰しもが多かれ少なかれ大人への通過儀礼として「現実」に通った「道」(一本道としての「ペンギン・ハイウェイ」)でしょうから。

問題は、もう1つのSF要素のある「夢のような話」の方。
「アオヤマ君は、“お姉さん”がふいに投げたコーラの缶がペンギンに変身するのを目撃する。ポカンとするアオヤマ君に、笑顔のお姉さんが言った。『この謎を解いてごらん。どうだ、君にはできるか?』」(公式のSTORYから引用)という問いが、アオヤマ君と同時に我々にも投げかけられている。

そして、その謎については、劇中で明確な答えらしきものが提示されておらず抽象的な表現にとどまっている。
したがって、その解釈についての具体的なイメージや、そのイメージをどう具体的に説明するかは、その人の個人的な経験などが色濃く反映されることになるため、人によって大きく異なってくる。また、抽象的なだけに色々な解釈の余地があるとも思いました。


とはいえ、考察好きとしては、綺麗なお姉さんに挑発されたんじゃ黙っていられないということで(笑)、これから「ネタバレ全開で考察」していこうと思います(以下、興味のある方のみ、お付き合いいだだければ幸いです。)。


【「お姉さん」とは?】
{netabare}そもそも「お姉さん」には名前がないので、抽象的な存在であることが匂わされています(※マンションの表札も見えない)。
したがって、それだけでも「お姉さんは具体的な存在を持った人間ではない」といえそうです。

これを「現実の話」の文脈で考えるなら、特定されていないので、男の子の憧れの存在として、みんなが想像する「お姉さん」のアイコンという意味も含まれているのでしょう。

そうなると、問題は、やはり「夢のような話」の文脈における「お姉さん」の存在理由(正体)でしょう。


【「海」と「ペンギン」と「ジャバウォック」と「お姉さん」との関係】
これを考えるには、まず「海」と「ペンギン」と「ジャバウォック」と「お姉さん」との関係を解明する必要がある。

結論からいえば、これらはすべて「海」から生まれた存在(もしくは、結局のところ「海」と同じもの)だと考えます。

「お姉さん」は、「ペンギン」と「ジャバウォック」を生み出すことができる。そして、「お姉さん」は「ペンギン」をたくさん生み出すと疲れることから、「ペンギン」は、「お姉さん」自身がエネルギーを消費して生み出したことになります。また、「ジャバウォック」は、「お姉さん」が「この世界に未練があった」ことから無意識に生み出された存在でした。

さらに、「海」から離れると、「ペンギン」も「お姉さん」も存在できなくなるという描写、「海」の膨張と収縮に「お姉さん」の元気が連動しているという描写から、「お姉さん」は、「お姉さん」が「ペンギン」を生み出したのと同じように、「海」から生み出されたものだという推測ができます(もしくは、結局のところ、目的に合わせて形を変えて生み出されただけであって、本質的にはすべて同じものなので連動しているとも考えられます。)。

加えて、2002年にスティーヴン・ソダーバーグ監督によって映画化された、ポーランドのスタニスワフ・レムによるSF小説『ソラリス』に「海」が出てくる(ここで『ソラリス』がいきなり出てきますが、劇中でアオヤマ君がスズキ君をからかうためについた嘘が「スタニスワフ症」でした。)。

この『ソラリス』、簡単にいうと、惑星ソラリスの衛星軌道上にあるソラリス・ステーションで、そこにいないはずの人間が現れるという奇妙な現象が起こり、その謎を主人公が解明していくというお話。そして、その謎の人間は、{netabare}そこにいた研究員の記憶をもとに「海」が生み出した人間のコピーでした{/netabare}。

という本作の元ネタから考えても、「お姉さん」は、「海」が生み出した存在だといえそうです。{/netabare}


【「海」ってなに?】
{netabare}じゃあ、「海」ってなに?って話になると思うわけですが、結論からいえば、元ネタの『ソラリス』から考えても、「海」とは、我々では完全に知覚・認識できない「未知の存在」(高次元の存在、地球の意志、ライフストリーム(FF7)、神、宇宙人、オーバーロードなど)なのだと思います。


もっとも、「未知の存在」では説明になっていないので、もう少し考察を進めるなら、劇中で、アオヤマ君は、「海」について、時空を歪めるので、この世界に存在してはいけない「穴」みたいなものだと言っています。

また、物語の終盤に、お姉さんとアオヤマ君が「海」の中に入ると、そこには我々の世界と似てはいるものの違っているようにも見える異世界が広がっていました。

そうすると、この「穴」は、SFでは定番設定ともいえる「ワームホール」ということになりそうです(そんなものをアオヤマ君が生身で通過できるのかについては、真面目に考察しない方向で(笑))。


【「穴」の存在理由】
では、そんな「穴」がなんであるのかという話になってくる。

「穴」を修復するために「お姉さん」によって生み出された存在が「ペンギン」でした。だから、「ペンギン」は「海」を破壊しようとする。

もっとも、「お姉さん」が生み出した「ジャバウォック」は、「ペンギン」を食べる。これは、「お姉さん」がペンギンを生み出す理由と矛盾するのですが、「お姉さん」がこの世界に未練があり、修復が完了すると目的を果たして消えてしまうため、無意識に生み出されてしまった存在のようです。
(また、「お姉さん」が「ペンギン」や「ジャバウォック」を生み出せることは、「海」と同じ存在としての「生命の母」のメタファーということになりそうです。そうすると、いやらしい意味ではなく、母性のアイコンとして「お姉さんのおっぱい」を強調することにも意味が出てきます。)

じゃあ、「ペンギン」・「ジャバウォック」と「穴」はどういう関係なのか。

ヒントは「ジャバウォック」にありそうです。なぜなら、こいつは怪物なんですが、実は『鏡の国のアリス』では存在が語られるだけで実際に出てこない。だから、形が決まっていない。そこで、本作のジャバウォックをみると、異形ではあるものの、その原型は「クジラ」だと思われます(実際、一部の歯クジラはペンギンを捕食します。)。

そして、先程の「ペンギン」。実は、クジラとペンギン、この2種には共通点がある。

それは、進化の過程で、海から陸に上がって、再び海に戻ったというところ(劇中でも、終盤でそういった内容がイメージされるシーンがある)。また、ペンギンは海から餌をとり、クジラはペンギンを食べるという食物連鎖がある。
さらに、「海」のあった森は、円循環するように空間が歪められていました。あと、「海」にあたると人工物が自然に戻されるような描写がある。

そこで、これらは、あえていうなら「全ての生命はその母である海に戻る」、「円循環」、「万物の流転」のアイコンといえるでしょうか。

そうすると、上で書いたように、結局のところ、「海」と「ペンギン」と「ジャバウォック」は本質的に全部同じものだと考えられるので、これらは、「海」という1つの意志に従っていると考えられる。
そして、上で導いた「全ての生命はその母である海に戻る」が「海」の普遍的な意志なのだと推測できます(「海」に意志がないとみるなら、「相対性理論」のような普遍的な法則でしょうか。)。

したがって、「未知の存在」である「海」は、人類が円循環から外れそうなので、「穴」によって人類を「海」の普遍的な意志である「全ての生命はその母である海に戻る」を強制実行(人類にとっての、終末思想、地獄、最後の審判、終わり、死、世界の果てなど)しようとしていたと考えられます。


【「穴」と「お姉さん」との関係】
その強制実行に際して、「お姉さん」は、その「海」の意志を地球で実現するための「代行者」、「天使」、もしくは、その判断の正しさを担保するための「審判者」として「海」に用意された存在だったといえそうです(なぜなら、「海」を消滅させる能力、すなわち、強制実行を中止する能力を持っていた。)。

そうすると、「お姉さん」は、人類代表の賢いアオヤマ君が円循環の「道」(「ペンギン・ハイウェイ」)から外れることなく、破滅の道を選ばないと判断したことになりそうです。

もっとも、今後、アオヤマ君が努力を怠れば、再び「穴」があくかもしれないですし、ペンギン・ハイウェイの先にいるはずの「お姉さん」をどう解釈するかは、「海」を具体的にどう解釈するかによっても変わってきそうです(例えば、「海」を神と考えるのか、宇宙人と考えるのかなど)。

このあたりは、個人の宗教観なども関わってきそうですし、これが正しいなどと言うつもりもないので、参考までに見ていだければ幸いです。{/netabare}


【「お姉さん」の記憶は本物か?】
{netabare}あと触れておきたい謎としては、「お姉さん」がもっていた記憶の謎でしょうか。

まあ、「お姉さん」自体が人間ではないので、彼女自身が経験した本物の記憶ではないでしょうね。

もっとも、元ネタである『ソラリス』で「海」が他人の記憶をコピーして人もどきの存在を生み出していたことから考えると、別の誰かの実際の記憶のコピーである可能性が高い。例えば、かつて海に飲み込まれてしまった人の記憶などでしょうか。{/netabare}


【考察を踏まえた感想】
{netabare}劇中で、唐突にアオヤマ君の妹がお母さんが死んでしまうと泣いていたり、お父さんが「世界の果ては意外と近くにあるかもしれない」(つまり、「海」の存在の暗示)といっていたりするので、何か意味があるんだろうとは思ったんです。

しかし、抽象的な話なのでそもそも難しいとは思うのですが、他の劇中の要素をあわせても「穴」の存在理由を導くには、「未知の存在」に対する興味といった正の要素が強く恐怖といった負の要素が弱いと感じたので、ちょっと遠いかなあというのが率直な感想です。文字では気にならなかったであろう部分も、映像として解像度があがると、その分の情報量を足す必要が出てくる。

出しすぎるのも論争のもとになるのですが…、もう少し映画監督として色(自己流の解釈)を出しても良かったのかもしれませんね。{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 6
ネタバレ

四畳半愛好家 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

世界は研究すべき”不思議”で満ちている!

原作:「ペンギン・ハイウェイ」既読
 著:森見登美彦
  (代表作「夜は短し歩けよ乙女」「四畳半神話大系」「有頂天家族」等々)

『他人に負けるのは恥ずかしいことではないが、昨日の自分に負けるのは恥ずかしいことである。一日一日、ぼくは世界について学んで、昨日の自分よりもえらくなる。…今日計算してみたら、ぼくが二十歳になるまで、三千と八百八十八日かかることがわかった。そうするとぼくは三千と八百八十八日分えらくなるわけだ。…えらくなりすぎてタイヘンである。…結婚してほしいと言ってくる女の人もたくさんいるかもしれない。けれどもぼくはもう相手を決めてしまったので、結婚してあげるわけにはいかないのである。
 もうしわけないと思うけれども、こればかりはしょうがない。』(原作抜粋)

毎日学ぶことをモットーに、日々ノートを片手に世界に対する研究を重ねている優秀だけどちょっとスケベな愛すべき阿呆小学生の主人公と、謎多きお姉さんを中心に据えた、不思議なファンタジーSF作品。

森見作品にあるまじき優秀な小学生が主人公であるが、内在する阿呆さは”らしい”主人公でもある。美しい「お姉さん」の不思議な力に関する研究を進めていく中で生まれた謎が謎を呼ぶ作品であり、青春を感じさせる爽やかな作品でもあった。

途中冗長気味で、退屈に感じられる部分もあったが、総じて森見さんの描き難いオリジナリティーあふれる不思議な世界観を、精一杯うまく映像化していることに大変満足できた作品であり、面白さ、熱さ、美しさ、そして切なさが見事に融合された良作であったと思われる。
(ちなみに自分は泣きました。アオヤマくんは泣かないことにしているのに…。)

森見ファンはもちろん、ちょっと変わったアニメ映画が観たいなら、ぜひともチャレンジしてみてほしい作品である!

以下項目別ネタバレ付き感想
{netabare}
物語:4.5
 森見×上田誠は心配の必要なし。
 謎が謎のまま残ったことを残念に思う意見が散見されるし、その意見には大いに共感できるが、この不思議な世界を説明するのに十分な言葉はこの世に存在しないと思うし、誰もが納得する答えはきっとない。
 世界に空いた穴である<海>”広がる世界の果て”を埋めるためのペンギンであり、そのペンギンを生むお姉さんはきっと人間ではなかった。<海>がなくなれば<海>エネルギーで存在しているペンギンやお姉さんは消えてしまう…。主人公が立てた仮説はこんなところであろう。そして、主人公以上にお姉さんの真理に近づいた人間もまたこの世にはいない、とどまるところ現状人知では手には負えない問題なのである。
 これらは原作において”素敵な”父の言う「解決しないほうがいい問題」であり「理不尽なこと」であった。

 ただし、ぼくは決してあきらめていない。

『ぼくは世界の果てまでたいへん速く走るだろう。みんなびっくりして、とても追いつけないぐらいの速さで走るつもりだ。世界の果てに通じている道はペンギン・ハイウェイである。その道をたどっていけば、もう一度お姉さんに会うことができるとぼくは信じるものだ。これは仮説ではない。個人的な信念である。』

声優:3.5
主人公「アオヤマくん」を演じたのが北香那。演技がぶれずに想像以上にフィットしたキャスティングであった。
お姉さんは蒼井優。こちらは評価が分かれるかもしれない。演技力は流石であったが、アニメ声に毒された自分には、もう少し綺麗な声であててほしかった気がする…。
ウチダくんは釘宮であったこともあり、可愛すぎかよ!もしかしてヒロインよりも…なんて思ってしまったり。
その他お父さんを演じたのが西島秀俊…!棒演技ではあったものの、暖かい声はやはり素敵であった。

キャラ:4.0
アオヤマくんとお姉さんは安定として、脇を固めるキャラ達も素敵であった。ハマモトさんなんて可愛いじゃないか!
個人的には原作からお父さんがお気に入りだったりする。
いじめっ子のスズキくんと一緒に遊べるようになったのも良かった。

作画:4.5
素晴らしい。難しい世界観を見事に映像化しているし、演出も申し分なし。

音楽:4.5
主題歌は宇多田ヒカルの「Good Night」。最高にマッチしていて、エンディング中に席を立つ人が極端に少なかったように感じた。

最後にぼくとお姉さんに明るい未来があることを祈って、原作の最後の素敵すぎる文を引用したい。

『ぼくらは今度こそ電車に乗って海辺の街に行くだろう。
 電車の中でぼくはお姉さんにいろいろなことを教えてあげるつもりである。ぼくはどのようにしてペンギン・ハイウェイを走ったか。ぼくがこれからの人生で冒険する場所や、ぼくが出会う人たちのこと、ぼくがこの目で見るすべてのこと、ぼくが自分で考えるすべてのこと。つまりぼくがふたたびお姉さんに会うまでに、どれぐらい大人になったかということ。
 そして、ぼくがどれだけお姉さんを大好きだったかということ。
 どれだけ、もう一度会いたかったかということ。』

{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 17
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