「火垂るの墓(アニメ映画)」

総合得点
80.0
感想・評価
840
棚に入れた
5514
ランキング
465
★★★★☆ 3.8 (840)
物語
4.0
作画
3.8
声優
3.7
音楽
3.6
キャラ
3.7

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ネタバレ

fuushin さんの感想・評価

★★★★★ 4.7
物語 : 4.5 作画 : 4.5 声優 : 5.0 音楽 : 4.5 キャラ : 5.0 状態:観終わった

圧が・・・とてつもなく、高い !!!

作品を評価するのは、正直、難しい。

ただただ、圧が・・・途轍(とてつ)もなく、高い!!!

どんなジャンルのアニメを観ても、この作品と同じ気持ちにはなりえない、かな・・。

あんな時代があったんだねとか、かわいそうねとか、お馬鹿さんねとか、そんな感想で受け止めて終わりですむような作品じゃあないし、これほどの作品に触れて、差しさわりのない感想だけで終わってしまうのはあまりにも空疎でさみしいし・・。

29年も前に見た作品なのですが、今でも鮮明に覚えています。
エンドロールが終わった後、息苦しさを覚え、しばらくは声、出せませんでした。なんとも言えぬ暗澹(あんたん)たる気持ちになっちゃて。
映画館を出てから、お天気よかったんですが、酷(ひど)い閉塞感と虚脱感がまとわりついていて、例えようもなく、施すすべのない無力感に苛(さいな)まれていました。空気が重く感じられて辛かったです。

何なんでしょうか。何という胸の疼き、心の騒めきなんでしょうか。
”トトロ” を観たあとの ”火垂るの墓”・・。伝わってくるものの違いがあまりにも大きすぎて、足元がグラグラ揺れていました。

大切な人たちを失ってしまった人間と、失わずにすんだ人間。
家屋田畑を持っている人と、持っていない人間。
信じきっていた価値観が全否定された兄の孤独と、いきなり世の中から放り出された妹の不安。
二人の生きにくさが、あからさまにリアリティーすぎて、あまりにもインパクトが強すぎて、トラウマ級のショックを受けてしまいました。(翌年、キキとジジを観るまで辛かったです・・。)

しかし、これも戦争の実態の一つなのだと受け止めざるを得ないですね。

戦争孤児。親を失った子ども。
子どもの世界を失ってしまった子ども。
寄り添ってくれる大人のいない子ども。
お父さん、お母さんが、突然いなくなってしまうことは、子どものアイデンティティー(自己同一性、自分が自分らしくあること、望ましい自分であること、)を、これでもか、これでもかと削っていく。打ちのめしていく。
そうして良心も道徳もモラルも削( そ )がれ、希望が侵され、メンタルが傷つけられ、食い繋ぐやり方さえもわからないままに、ついには命さえも奪われてしまう兄と妹。

二人は、わがままかもしれない。頑(かたく)ななのかもしれない。知恵もなく、頭を下げることも折れることもできず、あまりにも不器用なのかもしれない。
大人の私なら、当然、そう考えるし、2人の選択はマズイだろ?と思います。

だがしかし、問題は確かにあの時代にありました。
「神国日本」は負けるわけがないと教え込まれてきた時代。
「欲しがりません。勝つまでは」と、忍耐と我慢を重ねるのが当たり前だった時代。
(「進め一億火の玉だ」というスローガンがあったし、歌もあった。歌詞では 国民の憤激、戦闘意欲高揚などを歌っている。(ウィキペディアより))

命も、身も心も、お国に捧げるものであって、それを海軍の父の姿から強く影響を受けていたし、母との暮らしからも身につけてきた兄と妹。

目に見える世界こそが、兄と妹の世界だった。日本が戦争に勝つことを疑わず、信じ切ることが心の安寧につながる時代だった。
そういう時代の背景があったことを見逃してはならないと思います。

空襲・母の死、敗戦・父の死が、すべてを変えてしまった。

どうして?何で?と声を掛けることすら憚(はばか)られる二人の生きていた時代・世相。
両親や親戚などの保護者をなくし、国外からの引き揚げた孤児も含めて社会問題化されていた戦争終結後・・。

当時の責任省庁である厚生省は、
1945年9月20日に戦災孤児等保護対策要綱
1945年12月15日に閣議決定された生活困窮者緊急生活援護要綱
1946年4月15日に浮浪児その他の児童保護等の応急措置実施に関する件
1946年9月19日に主要地方浮浪児等保護要綱
を発表。
これらの施策は、浮浪児の用語が表すようにともかく保護施設への収容を目的とした政策でした。しかし実効性に乏しく、
1946年10月にはGHQから戦災孤児、混血児問題などについて福祉的政策をとるようにとの指示が出され、
1947年には厚生省内に児童局が設置され、福祉の観点からの対策に取り組むこととなった。これが「児童福祉法(じどうふくしほう、昭和22年12月12日法律第164号)」です。
(データはウィキペディアより)

そういう時代が確かにあった。清太が衰弱死したのは、1945年(昭和20年)9月21日。・・兄と妹は、セーフティーネットから漏れた、無数の戦争犠牲者の、語らずに死んでいった多くの語り部たちの一人。

この作品から伝わってくる重い世界観。苛烈さ、やるせなさ、有り余る不条理さ。・・感情的に受け入れることは、本当に難しい。

でも、それでよいと思います。

好きとか嫌いとか、楽しいとか不愉快とか、面白いとか鬱アニメとか、感動するとか二度と観ないとか、受け止めは様々あってもよいと思います。

それが民主主義の基本、個人の自由。とてもとても、大事なこと。

作品に対しての感受性は様々あるだろうけど、本当に肝要なことは、この作品を観たということ、感じたということ、あにこれでレビューをしたということ。それを読み、共有し、いくらかでも考えたということ。

”価値観の違いや考え方の多様性がある” ということに気づき、それを大事にしながらみんなが一緒に生きている、これからも生きていくということが何よりも大事なこと。

でも・・でもね、同じくらい大事なことがあります。それは「戦争の放棄」です。

戦争。どのような理屈をつけても、今の時代、許されることではありません。いいえ、未来に向けてなら尚更、決してあってはならないこと。

戦争は、勝つか負けるかです。殺すか殺されるかです。
それが、手段です。方法です。やり方です。

そのために作られたプロパガンダ(宣伝)によっても、当事国双方が異質なもの、相いれないもの、理解でしあえないもの、排除するべきもの、殲滅するべきものになってしまった。
日本は、アメリカ、イギリスのことを鬼畜米英(鬼と畜生。転じて、残酷で、無慈悲な行いをする者。デジタル大辞泉より)と呼んでさげすんだし、連合国は、日本軍のことをバンザイ・アタック(「天皇陛下万歳」などの雄叫びを上げて突撃する事。ウィキペディアより)と呼んで恐れた。

このプロパガンダをつくったのは、権力者。
政府であり軍隊でありました。

力に対抗するに力をもって成せば、最も被害を受けるのは、庶民であることは間違いありません。歴史が証明しています。
そうして、戦災孤児、傷痍軍人、家族離散、障がい児・障がい者を生み出したのです。この兄と妹の生きざま・死にざまもそうだったのです。
持たざる者、失いし者、弱き者には、回復不可能な、凄まじいばかりのダメージを与えます。

戦争とはどういうものか、負け戦の結果はどうなるのか、私たちは、70余年かけて、歴史を学んできましたし、知っています。
それが東京大空襲、沖縄戦、原子爆弾の投下。そして国内各地にも戦争の爪痕がたくさん、たくさん残っています。

高畑監督は、この作品によって、その爪痕の一部を、新たに詳(つまび)らかにしました。そして、すさまじいばかりの圧力をもって、問いかけてきます。

この作品を観る人は、兄と妹の生きかた・死にざまを通じて、また、ふたりの周辺にいた人たちの言葉や態度を通じて、名もなき戦争犠牲者、名もなき戦争被災者のことを、どんなふうに受け止め、言葉にするのか、そしてどんなふうに行動をしていくのか。

未来は明るくないかもしれない、平和が台無しになっているかもしれない。努力が水の泡になるかもしれない。
それでも、今を生きる私たちは、平和を創る義務、戦争の放棄を声にする義務があると思います。

事実を知るだけでは、あの戦争の災禍から”教訓を得たとは言えない”からです。

私たちが「普通にくらしている今」は、昨日今日作られたものではないし、事実、焦土と化した祖国を、もう一度再生し発展させてきたのは、あの戦争をくぐってきた世代の人たちが一生懸命に尽力されてきたからこそだと思っています。私は限りないリスペクトを表したいと思います。

と同時に、今のこの時代を一生懸命に生きている人たち、そして、これから生まれてくる子どもたちにも、やはり敬意を払いたい。

戦争をテーマにする作品を観るとき、平和を意識せざるを得ません。
平和を意識するとき、政治を意識せざるを得ません。

原爆死没者慰霊碑に、「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」と刻まれているのは、大方の人が知っていると思います。戦争によって命を落とされた多くの人たちへの祈りであり、生き残った人たちの誓いでもあります。
もしも再び、過ちが繰り返されるようなことが起きたら、どれだけ多くの不幸が生み出されるか、容易に想像できます。
リトルボーイ(広島に投下された高濃縮ウランを用いたガンバレル型)、ファットマン(長崎に投下されたプルトニウムを利用したインプロージョン型)。
原子爆弾、水素爆弾、中性子爆弾、生物兵器などなど、殺戮の方法は数えきれません。わずか1発でも投下されてしまったら甚大な被害が出ることは間違いありません。

今日、世界各地に見られる危うさは、薄氷を踏むような国際政治によって漸く維持できています。
小さな小さな日本の国で、高畑監督が示されたこの作品に触れ、私たちは何に祈りを捧げ、選択し、基本的人権たる権利を、平和に生きたいとする生存権を、どのリーダーに付託すればいいのでしょうか。

「貧すれば 鈍する」という諺があります。(貧しいと、生活苦に煩わされることが多くなり、才気や高潔さが失われてしまうものである。ウェブリオより。)そうなる前に、いえ、そうならないように、主体的に生きていきたいものです。

この作品が、みんなに愛されますように。

投稿 : 2017/11/18
閲覧 : 316
サンキュー:

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