医者でマッドハウスなアニメ映画ランキング 3

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ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年06月03日の時点で一番の医者でマッドハウスなアニメ映画は何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

72.1 1 医者でマッドハウスなアニメランキング1位
パプリカ(アニメ映画)

2006年11月25日
★★★★☆ 4.0 (831)
3944人が棚に入れました
医療研究所が開発した他人と夢を共有できる画期的なテクノロジー“DCミニ”。だがそれが盗まれ、悪用して他人の夢に強制介入し、悪夢を見せ精神を崩壊させる事件が発生するように。一体、犯人の正体は? そして目的は何なのか?事件の解明に挑む美人セラピストの千葉敦子は、クライアントの夢の中へ容姿も性格もまったく違う夢探偵“パプリカ”となって入っていくが、そこには恐ろしい罠が待ち受けていたのだった…。

声優・キャラクター
林原めぐみ、江守徹、堀勝之祐、古谷徹、大塚明夫、山寺宏一
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

なるほど分からん(考察)

あらすじは他の方のレビュー等をご参照ください。

 初見でした。90分ほどの作品です。多くの方と同様だと思うのですが、夢の描写については「よく分からない」という印象を受けました。ただ、夢の世界は理解できないように作っているはずですので、この感想はおそらく正しいのだと思います。
 夢の世界とは対照的に、テーマを見つけること自体は難解ではないように思えます。面白いかどうか、どこまで解釈出来るかは、テーマを発見できたタイミングによると思われます。
 作品自体は、スピード感もありますし、退屈するようなことはないでしょう。完成度はかなり高い作品です。
 (追記)初回から2日ほど置いてから2度目の視聴をしました。1週目に聞き取れなかったセリフを拾うためのものだったのですが、かなり面白かったです。満足しました。2週目が本番かもしれません。


対象年齢等:
 子供に見せる必要がないという程度です。
 対象者に関しては特にないですね。この手の作品が好きな人は、読書好きでも映画好きでも、このアニメに辿り着くのだと思います。反対に、アニメ好きだからといって視聴できるものではないです。辿り着くべくして辿り着き、見るべくして見るという作品だと思います。アニメという枠から外れているのに、アニメでしか出来ないことをやっている。そういう作品です。

テーマ:
 夢です。考察に譲ります。

ジャンル:
 夢と現実がごっちゃになるやつです。精神的にどうだとか、夢の話が現実とリンクするだとか、そういうレベルの話ではなくて、物理的にごっちゃになるやつです。


考察:
①夢について{netabare}
 作中の夢は明らかにダブルミーニングですので、ここで分解して、定義を与えます。
  ユメ:寝ている間に見るもの、空想の世界
  ゆめ:将来に実現させたいこと
 以下の記載はこれに準拠しますので、気をつけてください。なお、「夢」と使った場合は、両方を含む場合またはどちらかに限定しない場合です。上記のテーマのところで「夢」と書きましたが、ここで「ゆめ」であると訂正しておきます。テーマは、ユメではなくゆめです。
 この作品の構造として、「夢と現実」という対比が重要なわけですが、注意してほしいのは「ユメと現実」も「ゆめと現実」も対比としては成立するということです。これがこの作品の主題を煙に巻いている原因だと思われます。また、作中のセリフで「夢」が出てきたときに「ユメ」だけでなく「ゆめ」に置き換えられるのかに注視する必要がありました。同じセリフを使っているのに、ユメとゆめという二つのストーリーを追わなければいけないという稀有な作品です。この構造に気付くことが、この作品を楽しめるかどうかにかかっていますので、子供には難易度が高いでしょう。ユメは場面を問わず使われるため、私たちの意識がそこに引っ張られてしまいます。すると、ゆめへの意識が希薄になってしまうんですね。これはゆめという主題を隠すために、意図的に計算されたものだと思います。
 少し乱暴ですが、ユメがただの演出であると断定して、作品から消し去ってしまうと、随分シンプルで分かりやすくなります。映像主体のこの作品にこんなことをいうのは変かもしれませんが、主題を理解するためには、ユメの映像を極力無視すべきなのかもしれません。
 (追記)映像は無視しても、セリフだけはきちんと拾っておきましょう。1週目では気づきませんでしたが、ヒムロのセリフ(人形がしゃべっているやつ)はかなりテーマに沿っていたようです。無視していいセリフは、混乱した人のものくらいです。{/netabare}

②エンディング(メインテーマ)-1{netabare}
 エンディングは「夢見る子供たち」という映画のチケットをコナカワが買うシーンです。あまりに普通すぎるタイトルでスルーしてしまうのですが、よくよく考えてみると、このタイトルは違和感の塊なんです。「夢見る子供たち」を私の定義に置き換えると「ゆめ見る子供たち」です。
 ですが、①で述べたように「ゆめ」についての説明は不親切なのです。登場人物のゆめがどこで述べられていたのかが、漠としているのです。ゆめの解明には、ユメの機械であるDCミニについて、それぞれの登場人物がどのように捉えているかを見る必要があります。
 更なる問題は「子供」の方で、作中ではほとんど出てきません。一見すると大人との対比が不成立に思えるのです。つまり、子どもの代弁者の大人を探す必要があります。

 子供の代弁者とは、子供のまま大人になったと形容されるトキタです。トキタのDCミニへの評価は「友達やチームと夢を共有することは素敵」です。これは「みんなで同じゆめを見る」ということです。突き詰めると「みんなのゆめが叶う」というのと同じようなもので、理想的ですがあまりに現実離れしていますから、大人が持つゆめとしては適当ではありません。そのため、チバに叱責されています。

 トキタを子供扱いしている人物が3名出てきます。チバとオサナイと理事長です。この3人は、子供ではなく、大人の立場でゆめを語ります。
 チバは、トキタを「子供」だと言っています。彼女は、DCミニの利点を「クライアントとの共感」にあるのだと説きます。対人関係の円滑化を述べたものですが、友達ではなく、クライアントに限定していることに注意しなくてはいけません。ゆめを自分の仕事に限定し、仕事が円滑に進んで欲しいという自分の願望や保身を軸として見ているということです。トキタのような全体的志向ではなく、あくまでも個人的志向です。
 オサナイは、トキタを「幼稚」だと言っています。彼は、DCミニを自己の性欲や独占欲のために用いています。こちらも個人的志向です。性的な視点を持っているからこそ、トキタを幼稚と表現したのだと思われます。
 理事長は、「無軌道な才能を善導するのが大人の責務」と言っています。また、DCミニを「夢を支配する」ものだと評しています。この支配欲はオサナイの持つ独占欲の上位概念であり、チバには「誇大妄想」だと言われていました。理事長は、児童向けアニメの悪役のようなシンプルな世界征服的欲求を実行しようとします。個人的なゆめを拡大解釈していくと全体的志向に戻り、大人を突き詰めていくとむしろ子供っぽくなるなど、非常におもしろいキャラクターでした。トキタを悪役として描いたものだと思われます。
 この3人は、DCミニの開発者ではなく利用者です。ユメについてもゆめについても同じです。子供が開発したゆめをスタートにしているのに、大人になるとこうまでかわってしまうという対比だったようです。{/netabare}

③エンディング(メインテーマ)-2{netabare}
 コナカワは非常に特異な存在です。コナカワは、思春期のエピソードである友達とのゆめを語っています。彼は、友達とのゆめを忘れていました。しかし、イマジナリーラインとパンフォーカスを正しく扱うことで、刑事になった経緯を思い出します。残念ながらコナカワは、友人とのゆめを叶えることが出来ませんでした。しかし、その過程において、自分だけのゆめを発見し、叶えることに成功していたのです。
 これは、コナカワが、子供を捨て、思春期を経て、大人になるという正しい道を選んだ存在だということです。トキタのゆめに乗るだけだった上記3名の大人とは明らかに異なった存在で、自らの選択が描かれていました。また、②の4人が、夢を叶えようとしている存在であるに対して、コナカワは既にゆめを叶えた存在でもありました。

 ゆめについて、②の4人が大人と子供という概念に縛られた点であるのに対し、コナカワは大人から思春期へのベクトルとして描かれています。実際の子供が登場しないこの作品において、過去へのベクトルを持ったコナカワだけが、子供のゆめを語る資格を持てたのかもしれません。
 「ゆめ見る子供たち」が何なのかはよく分かりません。「大人よ、ゆめを思い出せ」程度の意味しかないのかもしれません。ただ、コナカワが思春期の頃のゆめを思い出したことで、夢の映画がハッピーエンドになったのも事実です。彼は子供のころのゆめを思い出すことで現実におけるハッピーエンドに至るのかもしれません。{/netabare}

④終盤の解釈{netabare}
 ユメと現実が融合してからは怒涛の展開で、やや置いてけぼりを食らってしまいました。あのバトルで何が起こっていたかを知るために、各々の役割を探っていきます。

 まず、パプリカは何だったのかということです。彼女はチバの分身ですが、セックスシンボルとしての印象が強かったです。パプリカ曰く「女(チバ)に足りないスパイス」です。特徴的なのがオープニングです。赤い服を着ていたパプリカが、コナカワとベッドに座っているシーンだけはガウンになっています。夢の共有には肉体エネルギーが必要とも表現されていますから、性交渉かそれに近いイメージを持たざるを得ません(実際に行っていたかではなく)。

 一方でチバは、「最近夢を見ない」と言っています。これは2つの意味を持ちます。
 一つ目は、「ゆめを見ない」であり、トキタのゆめに乗り、自身のゆめを叶えていない彼女を表現したものです。②③と関連したものですので考察は省略します。
 二つ目は、「ユメを見ない」であり、パプリカと乖離していることを表現したものです。女性的な魅力の欠如またはセックスレスを想像させます。肉体的にどうかは分かりませんが、恋人のトキタとはうまくいっていないために、充実した女性像からは乖離しています。その後、「ユメを見る」ことでトキタを受け入れる土壌が整いました。

 そして、終盤です。倒れたトキタにチバだけが融合しても何も起こりませんでした。ここにパプリカが加わることで赤ん坊が生まれます。男性と女性が正しく融合することで誕生したのが赤ん坊です。この赤ん坊は、チバがベースとなって、トキタの暴食という特性を持ったものとして描かれていたようです。
 一方、理事長は、オサナイを取り込んで巨大化します。こちらは、男性と男性の融合という歪なものでした。理事長を象徴するものは木で、オサナイを象徴するものは蝶です。歩けない理事長(木)とその周りを飛ぶオサナイ(蝶)の対比です。そして、理事長はオサナイの足を掴んで融合し、足を得ます。
 対決シーンは、無垢な存在である赤ん坊が、大人の欲を取り込みながら成長していくという描写だったのではないでしょうか。子供は清濁混合しながら大人に成長するということを表現したのだと思います。

 成長した女性はチバでした。冒頭のエレベーターシーンで、トキタはチバに家に行こうとしていたと言っています。ただの同僚が、仕事の話とはいえ家に行くのはおかしいので、当初から恋人関係だったことは明らかです。ただ、チバの保守的な結婚観もあってか、あまり順調ではなかったようです。しかし、チバが素直になることで個人的志向から脱却し、他人を受け入れられるようになりました。このタイミングで、チバが成長する姿を描き、エンディングにて結婚という流れだったようです。{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 12
ネタバレ

ぺー さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

Don't think . Feel .  …でいってみよう

そういえば原作既読。内容はうろ覚え。


地上波でたまたま流れた『東京ゴッドファーザーズ』を皮切りに~の今敏監督アニメ映画視聴マラソンもこの『パプリカ』でひとまず完走。物理的にもこれ以上これ以外走り続けることはできません。

゛難解な作品” ゛人を選ぶ作品“ ゛芸術性の高い云々”

氏の作品には枕詞のようにこれらの修辞表現が付き纏います。うむ。確かにそんな面はあるかも。でも敢えて私はこうも思うのであります。

{netabare}いいんだよ。そのまんま感じればいーじゃん。テヘッ{/netabare}

絵画におけるレゾネやクラシック音楽の解釈やらもそう。一枚の心奪われる絵を目の前にした時、情感揺さぶる音に触れた時、言葉は蛇足となることがあります。
私のような素人目にもわかる映像表現。強烈なインパクトを残すキャラクター達。{netabare} そして現実世界でのハッピーエンド。{/netabare}
とかく難解だと敷居を上げなくても、娯楽作品として観たまんまで楽しめるアニメ映画だったと思います。凝ろうが凝らまいがあとは受け取る側の判断でしょう。面白いか?面白くないか?それが全てです。

なぜ?そんな当たり前のことを?

氏の作品の多くはどれも90分程度と視聴にあたってのどっこいしょ感がなく、とりあえず4作品鑑賞してどれも粒揃いだったので、できれば多くの方に触れてほしいですし、下手な先入観は持っていただきたくないなというのがその理由です。


さて本作『パプリカ』です。
゛虚構” と ”現実” が入り乱れる秀作を次々と輩出してきた監督の遺作です。今回は 《夢》 。
他人と夢を共有できる゛DCミニ”というデバイスがある。心理療法の次の一手であると臨床試験を重ねていた矢先、DCミニが研究所から盗まれて、という導入。研究所員であるサイコセラピスト千葉敦子/パプリカがヒロインです。
キャッチコピーは「私の夢が、犯されている―」「夢が犯されていく―」。新たな試みはメリットと同様に副作用が付き纏います。DCミニもご多分に漏れず欠陥がありまして、その隙をついてあれやこれやが巻き起こる物語です。

夢の言葉上の定義は

1 睡眠中に、あたかも現実の経験であるかのように感じる一連の観念や心像。
2 将来実現させたいと思っている事柄。
3 現実からはなれた空想や楽しい考え。
4 心の迷い。

と辞書にあります。 夢って何だろう?と突き詰めた形跡が見て取れます。

根幹となる部分はもちろん1。そこに2~4を想起させるキャラがもう一つもう二つとストーリーラインを重ねていくような物語でした。誰がどうかはネタバレ直結なので隠します。

2は{netabare}ヒロインの敦子さんが代表格。もっとも奥にしまってた感情に気づいたということですが。。{/netabare}

3は{netabare}乾精次郎理事長が代表格。現実から逃げ妄想に囚われました。{/netabare}

4は{netabare}粉川刑事。そしてストーリーのもう一つの柱。トラウマに向き合って克服します。{netabare}映画からは前向きなメッセージを受け取りました。{/netabare}{/netabare}
他の登場人物たちも多かれ少なかれこの類型に分類されるのかな~という見立てです。


処女作『PERFECT BLUE』では《劇中劇(虚構)》と《現実》
二本目『千年女優』では《劇中劇(虚構)》と《回想》と《現実》と場面が増えて入り乱れました。
三本目『東京ゴッドファーザーズ』は置いといて(笑)
本作『パプリカ』では《夢(虚構)》と《現実》に夢をモチーフにした登場人物たちが入り乱れました。

作品を重ねる毎に表現の幅を広げていき、本作で集大成、または集大成にならざるを得なかった良作でした。

概念的な話なのでどちらかというと視聴済みの方向けの私の見解となります。
新たに鑑賞される方は先述の通り、そのまんま観ていただければよろしいのかと思います。


そして、゛ならざるを得なかった” の理由。
それは本作のラストを見届けるとその思いが強くなります。


※ラストのネタバレ有
{netabare}映画ラストで監督の過去3作品が背景で流れて粉川刑事が映画館に入っていく。タイトルは『夢見る子供たち』です。

{netabare}なんかの予言だったのでしょうか?
《虚構》と《現実》行ったり来たり。そして溶け合う今敏監督がこれまで手掛けた作品をイメージさせて未来へと繋がるであろう to be continued。{/netabare}
{netabare}次の作品で夢うつつシリーズの完結を構想してたのかもしれませんね。これは私の妄想です。いわばホップステップジャンプのステップ段階で早世されたのかと。{/netabare}{/netabare}

最後の演出は、客観的に作品を楽しむ現実世界の観客を、虚構の世界にいざなう監督の最後の大仕掛け。といったら感傷的過ぎるでしょうか。

例えが妥当かは知りませんが、過去作を上手いこと継承しながらエンタメ作品として爆発的なヒットとなった2016年の映画のようなのが次回作品で来てたかもしれませんね。
それで「俺たちの○○はどこへ行ったんだ?」とオールドファンをやきもきさせたり、一方で新規のファンが出来てたり。
そして、作風をガラッと変えてまた新たな実験を試みたり、と。


夢にはもう一つ。5番目の意味があります。

5 はかないこと。たよりにならないこと。

冒頭でひとまず完走と述べましたが、気分としてはハーフマラソンを走り終えた感じでしょうか。まだ半分、もっとイケる。なんならウルトラマラソンでも構わないのに!

少し、クールダウンしてからいつの日か『妄想代理人』を堪能することにしようと思います。


■雑感
一周しかしてないので、もう一回観たら感想変わるかも



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2019.08.04追記

二周めいってみた!
たまに触れたくなるクセになる感じがありますわ。



2019.02.19 初稿
2019.08.04 追記修正

投稿 : 2024/06/01
♥ : 47
ネタバレ

takumi@ さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

誰かの夢に自分の夢が入り込んだら・・

原作である筒井康隆氏の同名長編小説を、
故 今敏監督が映画化した2006年の作品です。

まず、原作と違う点は多々あるようですが、元々かなりの長編ですし、
90分以内のシナリオに収めるというのは大変な作業だったと思います。

主人公であるパプリカというのは、
千葉敦子というサイコセラピストが使用する、
夢を共有する装置DCミニの中での呼び名なのです。
そのDCミニを発明したのは同僚である時田浩作という巨漢の男性で、
彼は凄まじい大食らい・・・というところが実はミソだったりします。

ある日、そのDCミニが研究所から盗まれてしまい、
それを悪用して他人の夢に強制介入し、
悪夢を見せて精神を崩壊させる事件が発生。
研究所内部の人間達が次々襲われていく中、犯人の正体と目的は何なのか?
また、この悪夢から抜け出す方法はあるのか? というお話です。

本来、夢というものは自分自身でさえ把握できないもので、
目覚めた後、記憶に残っている断片でさまざまな心理分析はできるものの、
他人の夢の中に入り込んで直接的に何らかの問題を治療する、というのは、
現実的にはまだ実験段階なのですよね。

でも、この作品ではそれをやってくれちゃう。
しかもその夢をあんなにも鮮やかに、映像化してしまった。
サーカスの空中ブランコからいきなりターザンになって、
ジャングルをすり抜けたと思ったら列車の中のギャングになってたり、
カップルを撮影するカメラマンになったと思ったら、どこかのホテルの廊下で。
場面と場面は鮮明なのに。繋ぎ目が定かじゃないところなんて
まさに実際の夢そのもので・・・もう、お見事としか言いようがありません。
今監督の映画はこれまでも、こういった手法を得意とされていたけれど、
この映画内容には特にピッタリでした。

数々の人形やぬいぐるみ、おもちゃのロボット、古びた冷蔵庫や招き猫、
家電製品から鎧を身に着けた武者人形やどこかの国のお土産品まで、
カラフルな紙ふぶきの舞う中、ゾロリゾロリと練り歩く、
奇妙でノスタルジックなパレードの光景も圧巻です。

また、いつもながらの数々の映画のパロディも健在。
さまざまな夢の中だけでなく、今回は、映画街のシーンでも、
今監督作品である『東京ゴッドファーザー』や『千年女優』
『パーフェクトブルー』などの看板をチラッと見ることができ、
思わずクスッと笑わせてくれます。

他にも、パプリカが孫悟空やピノキオ、人魚姫、
果てはピーターパンに登場する妖精ティンカーベルに扮したり、
研究所の同僚に監禁される蝶の標本だらけの部屋のシーンでは
ウィリアム・ワイラー監督の古い映画『コレクター』のパロディが・・
さらにポスターや雑誌の表紙、部屋の壁に貼ってある写真などにも
ビックリするくらい細かな演出がされており、
映画好きの自分は、これだけでもう嬉しくなってしまったほどでした。

さて・・・黒幕など後半のことはネタバレになるので
あまり詳しくは書けませんが、
黒幕が言う言葉も、ちょっと考えさせられました。
{netabare}
「夢たちは慄いている。科学によって安住の地が奪われてしまう。
 非人間的現実世界にあって、唯一人間的なものの隠れ家が夢だというのに」
{/netabare}

確かに、科学のめざましい進歩は喜ばしいことである反面、
どんどん人間の内面が暴かれていくという複雑な想い・・・
そこだけは、ちょっと共感できる部分でした。
{netabare}
さて、黒幕を倒すための最終手段ですが・・・
見ようによってはかなりお粗末にも感じてしまいますが、
あれはおそらく、パプリカと誰かさんの想いが合体し
夢=願いを共有したことで可能になったのかなと。
そして赤ちゃんが夢を食べながらみるみるうちに大人へと変貌していく
あの光景は、人間の夢そのものを感じさせてくれました。
{/netabare}

夢の中の、またその夢の誰かさんの夢の中を垣間見て、
パプリカである千葉敦子はきっと決心できたのかもです。
何を決心したのかは、しっかりラストで描かれているので、
観た人だけのお楽しみです。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 43

77.9 2 医者でマッドハウスなアニメランキング2位
東京ゴッドファーザーズ(アニメ映画)

2003年11月8日
★★★★☆ 4.0 (666)
3441人が棚に入れました
自称・元競輪選手のギンちゃん、元ドラァグ・クイーンのハナちゃん、家出少女のミユキ、三人は新宿の公園でホームレス生活を送っていた。クリスマスの晩、ハナちゃんの提案でゴミ捨て場にクリスマス・プレゼントを探しに出かけた三人は、赤ちゃんを拾ってしまう。赤ちゃんに「清子」と名付け、自分で育てると言い張るハナちゃんを説得し、三人は清子の実の親探しに出かけるが、行く先々で騒動が巻き起こる。

声優・キャラクター
江守徹、梅垣義明、岡本綾、飯塚昭三、加藤精三、石丸博也、槐柳二、屋良有作、寺瀬今日子、大塚明夫、小山力也、こおろぎさとみ、柴田理恵、矢原加奈子、犬山イヌコ、山寺宏一
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

さて第九でも聞きますか

あらすじは他の方のレビュー等をご参照ください。

 初見でした。90分のハートフルコメディ。
 今敏監督作品は、千年女優→パプリカ→パーフェクトブルーに続く4作目になります。
 今敏監督の特徴である厚いシナリオそのままに、笑いあり涙ありの正統派ハートフルコメディに仕上がっていました。シナリオ面に関しては今敏監督作品の中で最も良かったのではないでしょうか。

 今敏監督作品は、映像表現を使って主題を隠すのが非常にうまいという印象を持っていたのですが、この作品では映像表現ではなく、セリフとコメディを使っていたようです。重要なセリフでは、「誰かが誰かに」の「誰かに」の部分が別の人であるのが基本となっていますし、主題となる部分はシリアスにならないように、その後のコメディシーンであっという間に打ち消されたりしますからね。「パーフェクトブルー」も「千年女優」も「パプリカ」も、テーマは前向きなものだと思うのですが、描き方は斜に構えたものでした。クサいことを正面切って言えない監督の照れみたいなものが、この作品ではセリフとコメディに出ていたんだと思います。
 ホームレスを主人公に置いているのに、悲壮感みたいなものがあまりなく、むしろ力強さを感じたりもしますから、あえて言うならそこが映像表現として隠された部分なのかもしれません。

 シナリオの良さ、つまりフラグ回収の巧みさは見れば分かるものですので、細かい部分は省略して、私が注目した部分を少しだけ述べておきます。


オープニングと奇跡:{netabare}
 シナリオの一つの特徴として、徹底したご都合主義があると思います。いわゆる「奇跡」の連続でストーリーが進んでいくのですが、これを許容させる基礎はオープニングにありました。
 オープニングでは劇中劇を使って、奇跡を起こすことが宣言されています。視聴者は、監督が用意した舞台に上がってくることをある意味強要されるわけです。こういう監督側からの主張というのは、個人的には結構好きです。そもそもパーフェクトブルーも千年女優も、劇中劇からスタートしていますし、パプリカは夢の世界からスタートしています。一つのステップを用意してから実際のストーリーに入っていくという「視聴者に対する段階的な意識付け」は、監督自身が狙っているところなのかもしれません。

 こういうオープニングの作り方は、ファンタジーやSFに近いと思います。
 ファンタジー等では、架空設定を視聴者に説明する必要があります。例えば、ラピュタでは「石が浮く」ことをオープニングで説明しているから「城が浮く」ことを受け入れられるわけです。
 一方、時代劇や現代劇などリアルを前提とした作品は、架空設定の説明が不要なため、オープニングでは時代や舞台、キャラクターの紹介が中心となることが多いです。風立ちぬみたいな作品ですね。
 これらに対して現代ファンタジーは、現実の中にファンタジー要素を押し込めるのが基本です。日常の描写の中に魔法の存在を描いている魔女の宅急便などがこれに当たります。

 この作品は、現代劇であるにも関わらず、劇中劇から入っています。つまり、作り方としては、現代劇よりもファンタジーに寄っていて、現代ファンタジーの枠内に入るものだと思います。オープニングを見逃したり、現代劇への先入観が強すぎたりすると、ご都合主義が鼻につくかもしれませんが、オープニングの作り方からすれば、キキが「空を飛ぶ」のと同じ感覚で、「奇跡が起こる」ことを許容出来るようになっていたと思います。あくまでもオープニングの作り方の問題で、この作品がファンタジーだと言っているわけではないですよ。
{/netabare}

ハナと家族観:{netabare}
 ストーリー展開上の重要キャラクターは、間違いなくオカマのハナだったと思います。母親役である彼女(?)がなぜオカマでなければならなかったのかという理由については、消極よりも積極のが多いように感じました。

 まずは、コメディ要因として。オカマというキャラクター自体が非常にコメディ要素が強く、失礼な話かもしれませんが、「いるだけで笑える」という部分は少なからずありました。前2作と異なり、コメディを追及する上でオカマの特異性に白羽の矢が立ったのだと思います。

 次に、ステレオタイプ化です。男性の女性化というのは、大きく分けて二つの方向性があるように思えます。一つ目が、現実の女性に近づく方向で、いわゆるニューハーフのような「綺麗な」タイプです。二つ目が、ステレオタイプ化された女性に近づく方向で、いわゆるオカマのような「汚い(←失礼)」タイプです。この作品では二つ目が採用されていました。
 オカマというのは、誰が見ても女性を目指していることを認識するわけですが、現実の女性にこのようなタイプの人を見たことはないはずです。つまり、オカマというのは、女性を目指していて、かつ女性をイメージしているにも関わらず、現実の女性からは乖離していった存在なのだと思います。ある意味ステレオタイプ化された有り得ない女性像を持っているわけです。
 この作品では、家族というのが、ハナ・ギン・ミユキというキャラクターによって偽装されたものとして登場します。彼らを見ると誰もが家族だと認識するにもかかわらず、実際には家族たり得ないという構造を持っていました。これも家族のステレオタイプの活用であり、ハナの概念と一致します。ハナというステレオタイプ化された存在によって、ステレオタイプ化された家族を演出するという二重構造を作り出したのではないでしょうか。

 最後に、ギンとの関係です。ハナはギンへの恋愛感情を否定しています。実際にどういう感情を持っていたかは分かりませんが、作中では偽装化された家族でなければならなかったというしがらみが確かにあったはずです。つまり、男と女が並んだ際に、恋愛要素が前面に出てきてしまっては、不都合があったはずです。恋人ではなく、あくまでも偽装された家族であり続けるために、現実の家族ではありえない夫(男)と妻(男)という構図が必要だったのだと思われます。

 実際に監督がどういう意図をもってこのキャラクターを採用したのかは分かりませんが、私は好意的に受け止めました。近敏監督のキャラクターは現実感が強すぎるために、突出したキャラクターは存在していなかったように思います。没個性に基づく現実感と言い換えてもいいかもしれません。この作品で初めて突出したキャラクターであるハナが登場したわけですし、描けるキャラクターの幅の広さは確かに感じました。
{/netabare}

ただいまとエンディング①家族関係の成立:{netabare}
 「ただいま」という挨拶は、家族ものにおいては重要なキーワードだと思います。「おはよう」のように誰に対してでも使えるものではなく、家などの「自分の帰る場所」に帰った時のみに使える、家族を象徴する挨拶であると考えられます。
 そんなわけで結構注目していたのですが、この作品で「ただいま」が使われるシーンは、二か所しかありませんでした。一つ目は中盤で、赤ん坊(キヨコ)の自宅である「べき」場所に全員で到着した「廃墟への到着シーン」です。そして二つ目は終盤で、「偽の」母であるサチコの手にキヨコが戻った「疑似母子成立シーン」です。
 いずれにも言えることは、超重要シーンだったということです。どちらのシーンも、「本来であればエンディング」という節目のシーンです。一つ目は廃墟になっていたため、二つ目は、偽の母であったために、念願叶わずでしたが、仮のエンディングという役割を持っていました。

 で、どちらのシーンがより重要かと聞かれれば、迷うことなく一つ目だと答えます。後述しますが、どちらも仮のエンディングであって、重要なのは変わりません。ただし、一つ目のシーンだけは、もう一つの意味を持っていたと思われます。それは4人の「家族関係の成立」です。
 家族関係の成立が描かれたシーンは、この前にもありました。ミユキの夢です。この夢のシーンの前では、言葉の通じない女性を前に、父親を刺したというミユキの告白が入ります。女性はやさしい母親像を持っていますから、母親への懺悔に等しいのものです。ミユキは言葉が通じないからこそ本音を言える環境にいました。このときミユキが見た夢が4人の家庭ですから、ミユキの深層心理上は確かに家族関係が成立していたのだと思います。しかし、あくまでもこれはミユキ個人のものですし、現実における家族としての儀式が不成立であり、片手落ちという状況でした。

 廃墟への到着シーンを整理してみます。4人で廃墟に到着し、ギンだけが家を出て、改めて鍵を使って家に入り、「ただいま」という流れです。ドアが壊れるコメディシーンでぼかされていますが、父親が家に帰ってきて「ただいま」ですから、この時点で、実質的な家族関係の成立を見るべきだと思います。ホームレスが家を獲得しているというメタファーもあります。
 夢のシーンでは、ミユキの心理上の家族関係の成立に過ぎなかったものが、廃墟の到着シーンによって、実質的な家族関係へと昇華されたのだと思います。この後には、ミユキが自宅に電話するシーンが待っており、これは疑似家族からの離脱フラグの訪れです。つまり、このタイミング以外に家族関係の成立を描けるシーンはありませんでした。

 ここで、ミユキの重要性を述べておきます。ストーリー上の重要キャラクターはハナだと思いますが、テーマ上の重要キャラクターはミユキです。
 ギンとハナは、やや短期的にフラグ回収がされていきますが、ミユキのフラグ管理は長期的です。なかなかストーリーが進まない割に、進む時にはかなり前進するのが特徴です。また、帰宅のフラグ成立が最も早いのもミユキです。エンディングもミユキのためのものですし、間違いなくテーマを背負ったキャラクターです。東京ゴッドファーザーズというタイトルからも察することが出来ます。主要キャラクターにも関わらず、ファーザー要素が皆無なミユキは、意味を持ったキャラクターであったはずです。

 で、先に述べた廃墟への到着シーンというのは、ミユキのストーリーが大きく前進する手前、つまり、フラグ的には最も拡散した段階にありました。それゆえに、この時点で家族関係が成立し、あとは徐々に疑似家族が解消していくという流れになるわけです。
{/netabare}

ただいまとエンディング②ミユキのエンディング:{netabare}
 ここで、前述の二つのシーンで「ただいま」を言っているキャラクターに注目してみます。
 「廃墟への到着シーン」はギンです。妻と娘の元に戻りたいギンが、ハナとミユキ(とキヨコ)という妻と娘に対して言っています。
 「疑似母子成立シーン」はハナです。出生(母子)を知らないハナが、キヨコとサチコという母子の間に立って言っています。
 ギンとハナは、この「ただいま」のシーンを通じて、ある意味本懐を遂げていることが分かります。だからこそ、この二つの「ただいま」のシーンが仮のエンディングだと言えるのです。実際、ギンは娘に、ハナはバーのママに再会出来ています。
 唯一言っていないし、再会出来ていないのはミユキだけです。帰宅のフラグが一番早く、受入先が確実にあるミユキだけが「ただいま」を温存したまま、エンディングを迎えてしまいます。
 そして、エンディングで描かれるのは、ミユキと父の再会です。あの後にミユキがどんなセリフを言うのか、描かれていないとしても想像に難くありません。

 ちなみにですが、ミユキの帰宅が確定するのはエンディングではありません。その前の、ビルの階段を駆け上がるシーンです。
 このシーンでは、手すりにコートをひっかけたミユキがそのコートを脱ぎ捨てています。その後は帽子を自分で投げ捨てています。これは、急いでいるという描写でもあるのですが、それより重要なのは、「偶然にホームレスの衣がはがれ」その後「自らの意志でホームレスの衣を捨てた」ことにあります。
 ミユキは常に受動的でした。ハナに引きずられ、事件に巻き込まれ、父親との電車での再会も偶然の産物です。能動的に起こした行動は電話くらいのものですが、予定通りに実行できませんでした。
 このミユキが、階段のシーンでは、受動態から能動態へと一瞬で変貌し、その後母子を救うまでに行動力を見せています。
 つまり、この階段のシーンでは、ミユキの問題が既に解決されていることが再度遡及され、自ら解決のために行動を起こせることが明示されているのです。エンディングにおいてミユキは偶然父に再会していますが、自分からあのセリフを言うだろう、という予測が、階段のシーンから成り立つのです。
{/netabare}


 この作品は、フラグが次々に立ち、次々に回収されるという性質上、他の今敏監督作品に比較すると、エンディングにおけるカタルシスというのは、非常に弱くなっています。最後のミユキのセリフはあった方が良かったんじゃないかなぁとは思うんですが、やはり説明しすぎるのを好まない監督なのかもしれません。とはいえ、そんな私の感想などどうでもいいくらい完成度の高い作品だと思います。
 特に次々に回収されるフラグの中で、回収されないフラグのみでエンディングを作る構成力は、他のどの作品に比べても特筆すべきものだと思います。

 最後に。過去作品とのオープニングの類似性を前述しましたけど、エンディングも前2作と同じ病院エンドですからね。なんかあるんですかね?たまたまだとは思うんですけど。ちょっと驚きましたw


対象年齢等;
 家族ものですし、10代からでいいと思います。奇跡をご都合主義よりはやや柔軟に受け止められる姿勢があれば、確実に楽しめると思います。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 12
ネタバレ

ぺー さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

ドブネズミは美しかっただろうか?

劇場版オリジナル


それは年の暮れのこの物語と同様に全くの偶然でした。
・・・ともったいぶる必要はなく、年末に録り溜めてたものを観忘れていたのを思い出してついぞ最近観ましたというやつです。

私にとっての初“今敏”監督作品になります。
タイトルだけは記憶にあって、とはいえ氏の作品とは知らずにOPクレジットを見て気づいたくらい。
その氏についても早世したアニメ監督らしい、程度のニワカ全開、先入観なし状態で鑑賞突入です。

絵は独特。このタッチはけっこう好き。
ん?劇伴がたまに邪魔してセリフが聞き取りづらい。
声は職業声優さんではないのね。劇場版あるあるなのでそのへんはスルーしよう。


≪クリスマスの奇跡≫タイプの作品、と使い古されたモチーフながら、主人公がホームレスの三人という面白い組み合わせ。
ひょんなことから捨てられてた赤ん坊を拾った三人が、赤ん坊の親を探しにいく道中で、ハプニングが起こりすったもんだしながら、自身の過去にも向き合い、最後は≪クリスマスの奇跡≫タイプらしい、ちょっと心温まる終幕を迎えた良作でした。

おそらく監督も狙ってたのかもしれません。
多少のご都合主義は“クリスマスだしね”で私の場合納得しました。基本、ちょろいんです。
それで手に入れたのがテンポの良さ。92分あっという間です。すったもんだは一つや二つではありませんでしたが、ありえない都合の良さで見事に収束していきます。エンタメはこれくらいでいい。


そしてテンポの良さと相性がいいであろうドタバタコメディやアクションムービーといった方向にあまり舵を切らなかったのがこの監督のすごいところなのかもしれません。
ホームレス三人の主役たち。ギン(CV江守徹)、ハナ(CV梅垣義明)、ミユキ(CV岡本綾)の過去を掘り下げます。赤ん坊という家族の幸せの象徴みたいな存在を媒介にして、宿無しに身をやつした経緯とそれぞれの家族への思いが明かされていく中盤以降がなんとも心に沁みるのです。
本作とそれほど変わらない時期に公開されてる実写映画『ホテルビーナス』とも共鳴するような

{netabare}“社会の底辺から愛を叫ぶ”{/netabare}

心の繋がりを描いた物語でした。社会の繋がりの最小単位である“家族っていいよね”が根っこにあるので、クリスマス映画としての評価が高いのも頷けます。

{netabare}それぞれ三人に帰ることのできる場所を用意してあげたのもクリスマスらしくて良いですね。{/netabare}

なによりそれぞれの家族がいるのと同じいやそれ以上に、このギン、ハナ、ミユキの三人もひとつの家族でした。っていう家族愛をちょっと斜めから捉えた視点もけっこうお気に入り。

社会の最底辺から社会の最小単位を見つめた本作。
監督の他の作品にも興味をそそられますし、テーマや絵柄、そして先述のテンポの良さとクリスマスムービー的な立ち位置を鑑みると、非ヲタ一般人の敷居も低そうな作品です。



■この声あてなら不問
・その1 ハナちゃん
 梅ちゃんの起用は卑怯。そのまんまですやん。
 {netabare}「ろくでなし」熱唱。いつ鼻からピーナッツ飛ばすかワクワクしてたぞ!{/netabare}

・その2 ミユキ
 岡本綾さんがキャスト名に出てきてビックリ。
 当時めっちゃ好きでした。活動期間短かったのも「あの時期の人!」って感じがして懐かしさを誘う。


■日本のホームレス
諸外国と比較し恵まれてます。残飯にはありつけるしダンボールハウスを敷設できる材料や場所に事欠かず、共○党に頼めば党にほぼピンハネされますが生活保護にもありつけます。
ガチで底辺ではあるものの日本社会は優しいし、働けとは思いますが、それはそれでいいと思ってます。海外はそうはいきません。まぁ悲惨の一言です。
また、そういう環境からなのか文化の土壌の違いからなのか、私は後者の影響が強いと思うのですが、日本のホームレスは“良心”が残ってるほうでしょう。

この物語はホームレスが人として大事なものを失ってないよね、が土台となってる話になるので、そもそもその設定を受け入れられる背景がなければ成立しなかったんじゃないかなあ、と感じます。



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2019.08.03追記

視聴時期:2019年2月初頭
その後、今監督の作品を3作立て続けに観てどれも面白かったです。
そんな素敵な出会いのきっかけを与えてくれたのが本作でした。
ご都合主義なところはクリスマスが免罪符ってことで良いと思います。
今度は12月に観ることにしようかしら(^^)



2019.02.10 初稿
2019.08.03 追記

投稿 : 2024/06/01
♥ : 41
ネタバレ

さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

リアリティと奇跡

今敏監督ってこんな大衆的な作品も作られていたんですね

クリスマス、三人のホームレスがゴミ捨て場で赤ちゃんを拾ってから
正月、親元に戻すまでの壮絶な1週間がコミカルに描かれます。

日本の12月25日~1月1日と言う期間は、ホームレスにとっては厳しい寒さに堪える季節、一般の人も家族や親戚に会いに行こうかなと考える時期ですね。

人々の流れ、人々の動き、音楽の節々に日ごとの変化が読み取れ
ただの詰め込み過ぎとは違う濃厚な作品になっていたなと感じました。

どこをとってもホント最高の出来でどうにか表現できないかと思ったのですが、どんな言葉も薄っぺらいなと思ったので、

ざっくばらんにリアリティと奇跡という言葉を置いておきますね。

リアリティ(英訳reality)
説明するまでもありませんが、現実性、真実性、実在という意味ですね。
アニメですからもちろん演出として現実から離れた表現も行いますが、風景、背景、音楽、出来事どれをとっても現実的でありそうな範疇でありながらそれを突き詰めているのがこの作品のおもしろポイントです。
要はあるあるネタです。
あるあるネタは知っていた方が当然面白いですよ。
大衆的でありながら視聴者を試しているなんて挑戦的ですよね。

奇跡(英訳miracle / marvel / wonder)
この作品のテーマです。
ですが、この作品でホントにあり得ないことはちょっとした偶然が重なり続けたことと、最終局面{netabare}のビルから落ちて助かったこと{/netabare}だけなんじゃないかと思います。

起こったイベントを時系列でまとめてみました
{netabare}
25日
協会の配給を手に入れる
ゴミ捨て場にて赤ちゃんを拾う
ビルの屋上から落ちてきたペンキを回避する
交差点にて交通事故を回避する
赤ちゃんを清子と命名する

26日
母親を探す旅に出る。
母親が働いていたと思われるクラブの名詞と母親と思われる写真をを入手する
ミユキ、電車内で立ち往生中に別の電車に乗っていた父と遭遇し、逃げたところでミルクを落とす
墓場にてミルクとオムツを入手する
道で車に押しつぶされていたやくざのオッサンに出会う
母親と思われる写真の女性の名前が幸子と判明する
オッサンに連れてきてもらった結婚式場で発砲事件が発生、ミユキと清子が犯人に人質として連れ去られる
ハナとギンが喧嘩
発砲事件の犯人の奥さんが清子に母乳を与えてくれる
ギンが路上に倒れていたホームレスを介抱し手がかりを入手する
ギンがホームレス狩りに合う

27日
ハナがミユキを発見する
ギンが天使に助けられる
ハナが昔働いていた店でギンと再会する

28日
ファミレスで一夜を明かす

29日
泊まった空家が幸子の家の写真と一致する
現住所の手がかりが手に入る

30日
コンビニで酔っ払いのサラリーマンともめる
店を出たところで救急車が店に突っ込む
ハナが倒れる
運ばれた病院でギンと娘のキヨコが再開する

31日
幸子と清子が再開する
清子は幸子に連れ去られた子だと判明する

1日
初詣にてギンとハナ、ミユキが再開する
幸子の乗ったトラックが横転もけが人なし
幸子が清子を連れてビルの屋上から飛び降りようとする
落ちた清子を助けようとしたハナと、清子は風によってゆっくり降りてくる
ミユキが病院で父と再会する

クリスマス・大晦日・正月はちゃんとした描写があるので間違いないのですが、27日から30日は日が立つのが早かったのでもしかしたらずれがあるかも。

いかがでしょうか、銃撃と最後のトラック横転で死傷者が出なかったことと、ビルの屋上から落ちてハナさんが無傷だったことは、ちょっと盛りすぎたなと思いましたが、単体ならどれもあり得そうだとではありませんか。
{/netabare}


印象に残ったシーンは
{netabare}最初のミユキとギンのバトルロワイヤルシーン、連れ去られたミユキを取り戻すためにギンとハナが式場をかけるシーンです。{/netabare}地味なシーンなのに動きが良かったのでなおさら印象に残りました。
節々でも手を抜かない監督の力量を感じました。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 18

69.4 3 医者でマッドハウスなアニメランキング3位
MEMORIES(アニメ映画)

1995年12月23日
★★★★☆ 3.8 (217)
1030人が棚に入れました
大友克弘が製作総指揮と総監督を務めた、3話から成る劇場用オムニバス・アニメーション大作。遭難した宇宙船を舞台にした、大友の同名漫画を今敏が脚色したSFドラマ「彼女の想いで」。誤って実験用の薬を飲んだ男が巻き起こす一大パニックを描くブラック・コメディ「最臭兵器」。大砲を撃つための街に暮らす少年の日々を綴る大友監督作「大砲の街」。いずれもセンス・オブ・ワンダーに彩られた奇妙な味わいが特徴となっている。

声優・キャラクター
磯部勉、山寺宏一、高島雅羅、飯塚昭三、堀秀行、羽佐間道夫、大塚周夫、林勇、キートン山田、山本圭子、仲木隆司
ネタバレ

シェリー さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

独特な世界観

話の筋がまったく別々のお話が3話入っています。

第一話は未来のお話。
2092年、一仕事を終えた宇宙船がたまたま拾った救難信号。
それが発信された場所へ行ってみるや否やそこはみ見たこともない宇宙のゴミ溜めだった。
しかし救難信号があるということは、生存者の存在を意味することに他ならない。
仕方なく救出に向かうお調子者のミゲルと堅実なハインツ。
そこで彼らを待ち受けていたものは時間と共に凍りついたお城と1人の女性だった。

{netabare}

個人的にはあまり好きではない終わり方でした。
屈折した愛は永遠にまっすぐ飛び続けるということはなく
閾値を超えてしまうと天地がひっくり返るように
まったく別のものとして宇宙をさまよい続けることになる。
ミゲルは見事に夢の温かい泥の中に沈んでいき
ハインツは現実のサルベージを受けることができた。
でもなにも宇宙船で待っててくれた2人まで殺すことはないのにと思いましたね(笑)
結局、あの星にもミゲルにも救いが一切ありませんね。
残酷でした。
またそれとは逆にその星は非常に教訓的で象徴的なメタファーだとも感じました。
思い出は安易な幸福感と充実感のためではなく、
その人自身の原動力となり、生涯の糧となるような熱源であって欲しいですね。

現実的効用のあるストーリーだと僕は思います。


{/netabare}





第二話は笑いの要素を含んだお話。
薬品の研究に携わる研究員、田中信夫。
鈍感で、ちょっと抜けてる彼は風邪をひいてしまい
聞き覚えのあるデザインと同じ薬を飲んだら、あら大変という感じ。

個人的にはこういう話なら両さんの方が面白いと思いました(笑)


第三話は『大砲の街』。
大砲を打ち続ける街に住むある一家に目線を絞りその一日を描いた作品。
画も絵本チックで不思議な作品です。

{netabare}

いもしない敵に向かって大砲を放ち続ける姿は何かの儀式みたいでした。

あの大砲に意味はあるのでしょうか。
何かに怯えているのか。
権力のみせしめなのか。
大砲しかない街が大砲を失わないようにしているある種ひつようなことなのか。
はたまた軍事国家の悲惨さなのか。
無駄なことばかりしている政治の風刺なのか。

いろんなことを考えてしまいますね。

{/netabare}


全体的にこの映画はリアルです。
アニメではあるけれどなにか現実的なところに惹きつけられます。
それは画であったり、人の動きや会話であったりと。

こういった一味違った映画もいいものです。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 5
ネタバレ

四文字屋 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

1995年といったら攻殻劇場公開、エヴァTV放送と華々しく、ジャパニメーションなんて造語も流行ったときで

その同じ時期の作品にして、
当時、ジャパニメーションの御曹司のようにたてまつられ、また、「童夢」とか「AKIRA」とかでMANGAの旗手のようにも言われてた、大友克洋さん原作の3篇の短編からなるオムニバス作品で、大友さんが全体監修兼3作目の監督をつとめたのがこのアニメ。

このみっつの短編なんだけど、
妄想幻覚系SFホラー、SFミリタリー+サスペンスコメディ、セカイ系の元祖みたいな鬱ファンタジー、と、3作3様のアプローチで愉しませてくれる。
まあ全体のトーンは鬱に尽きるんですけども。そして、万人向きではないけれど。「グロは嫌だけど心理的に追い込まれる鬱系作品が好き」な人には、ぜひにとお勧めしたいアニメです。


{netabare}
最初が「彼女の想いで」。宇宙空間での、尻の浮くような不安定感がよく表現されていて、そんな中で、幻覚装置に取り込まれて夢の中を生きることになる宇宙船員と、宇宙に放り出されてしまってひとり漂流していく宇宙船員の、それぞれの孤独な末路が描かれる。
ガンダムでは表現できなかった、宇宙空間の怖さ・寂しさが秀逸。

2番目が「最臭兵器」。間違って飲み薬を飲んだだけで、意図せず無双の殺人兵器化しちゃった山梨の研究所の職員が上司の指示と誤解のために東京を目指す話。無双化というのが、「めちゃくちゃ臭い」というのがポイントで、人を殺すばかりでなく電子機器まで狂わせてしまう。この職員を殺す以外に東京を守るスベはない。ということになって最後は米軍まで繰り出して、という凄惨なはなしをサスペンス風味のコメディタッチで描く。オチが読めちゃうのが難点だけど、この無双化した職員の暴走が面白い。

出色なのが、三作目の「大砲の街」。エヴァの使徒迎撃用要塞都市みたいな、敵を砲撃するための大砲だらけ、砲手だらけの暗い街が舞台なんだけど、はなしの中では、攻撃する相手は一切明らかにされず、ただ大砲を撃って戦いつづける、という軍事に特化した異様な生活が淡々と描かれる。これは、大友監督作なんだけど、まるで押井作品のようでもあり、静かで、陰鬱なトーンが胃の腑にずん、とこたえる。
{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 8

Lickington さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

3作目が本番!

3部構成の作品

第1部
突然のSOSコールのために探索する宇宙船の話
内容からいうとあまり深いものではなかった
特に,種明かしが全くなくてこのままだとどうしようもないなという感じ
何が伝えたいのか,この物語の主張はなんであるかがまったくわからなかった
視聴者に対してどんな思想的深みを与えられるかに重きを置いた作品が素晴らしいと,私は思っているのでこの作品はあまり心に打たれるということはなかった
よくある展開といってしまってもいいと思う

第2作
風邪をこじらせてしまった主人公が体調を悪くなってしまったところからこの物語は始まる
最終部分でのオチは予想がついたし,前作同様制作が伝えたいところがわからなかった
シニカルな笑いのエンドはそれ以上でもそれ以下でもなかった

第3作
はじめは全く期待しないで見ていた
キャラデザもあまり気持ちがいいものではなかった
しかし結果的には今作は全く毛色の違いものであった
物語は軍事モノの様相を呈している
弾道学がでてきて,ちょっと興味がわいた
農薬がどうのとかいう話もあった

その国では大砲を何発も打つ
そこで少年は聞く
「僕たちはどこと戦争をしているの?」
父はくぼんだ目で一言
「それは大人になったらわかる」
このやりとりはとても心にしみるいい描写だったと思う
荒廃しきった社会で何と戦っているのか
その意味は何であるかを問いかける
(見ている人を疑心暗鬼にさせるだけかもしれないが...)

現代社会においては自分自身が戦いの標的であるということの隠喩であるのかもしれない
そして最後に警報がなってこの物語は終わる
これは俺たちの戦いはこれからだendと全く変わらないだろう
ちょっといい話に感じたが,よく考えると,どうしようもなくくだらない話なような気もする
だけどこれは疑問の答えも示しているかもしれない
不均衡な世界だとしても,人々が成長することで世界に何が起こっているかが理解できるようになる
解決するにはまずそれを十分知らなければならない
そんなこれからの希望が見えてくる作品であったかなという感じ
ぜひ3作目までは耐えて見て欲しい

投稿 : 2024/06/01
♥ : 0
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