心理描写で美しいなアニメ映画ランキング 2

あにこれの全ユーザーがアニメ映画の心理描写で美しいな成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年05月04日の時点で一番の心理描写で美しいなアニメ映画は何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

85.8 1 心理描写で美しいなアニメランキング1位
言の葉の庭(アニメ映画)

2013年5月31日
★★★★★ 4.1 (1994)
9502人が棚に入れました
靴職人を目指す高校生・タカオは、雨の朝は学校をさぼり、日本庭園で靴のスケッチを描いている。そこで出会った、謎めいた年上の女性・ユキノ。やがて二人は約束もないまま雨の日だけの逢瀬を重ねるようになり、心を通わせていくが、梅雨は明けようとしていた­…。

声優・キャラクター
入野自由、花澤香菜

ラ ム ネ さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

ふたりの号泣は"魔法"なのだ。

 この世界には文字という考えができる前、話し言葉という概念があった。文字を持たなかった時代の日本語は「大和言葉」とも呼ばれ、万葉の時代に日本人は、大陸から渡った漢字を自分達の言葉である大和言葉の発音に当てはめていった。例えば「春」は「波流」と綴り「菫」は「須美礼」としていた。「雨」は「阿米」で、「心」は「許己呂」としていた。現在の「春」「菫」「雨」「心」と文字が固定される以前は、活き活きとした絵画性とも言える情景がその表記に宿っていたのだ。  そして万葉期に「恋愛」という概念は存在しなかった。先の時代に西洋から輸入された言葉である為であり、曾ての日本人は「恋愛」と呼べるほどの相手を愛する自由はなく、相手を想う悲しさを強調したものであった。そこにあるものは「恋」ともつかず、唯「孤悲」であり、孤独な悲しさ、孤独に誰かを”希求”するしかない感情が、遠い祖先の時代に存在したのだ。
 時に、丁寧に大切な言葉を遣うそのとき、私は一本の樹木になった気分になる。枝葉がのびて空の領域を狭め、葉の靄が立ち込め、太陽は遠く葉っぱの縁を煌めかせ、風に唆されて、言葉が舞い降り、心のどこかに落ちる。それがやがて堆積してゆき、時にあふれ、時にこぼれ、時になだれ、時にしゃくられ、時にまかれて、時につたったり、時にうおうさおうしたりして、時に積もったまま下の方から記憶に枯れる。言葉が旅をする。思えば、言葉は「言の葉」と書く。その庭では、匿名のひととひととが交互に木ノ葉を交換している。互いに何かを打ち明けて、後にその何かは互いの”希求”していたものとなる。その何かが、透明な手を差し出して片方の歩く手伝いをしてくれる。そんな「言の葉」のゆき交う「庭」。
 それが新海誠監督のアニメーション映画「言の葉の庭」の惹句、「”愛”よりも昔、”孤悲”の物語」という言葉から思ったことだった。

 六月。「子どもの頃、空はもっと、ずっと近かった。だから空の匂いを連れてきてくれる雨は好きで、雨の朝はよく、地下鉄には乗り換えずに改札を出る」雨音が跳ねる朝。そんな日には午前中だけ高校の授業を休み、秋月孝雄は雨雲の下に身を置いて、都内の自然公園に靴のスケッチを書きに行く。雨の日の公園は人影はなく、一人になるには丁度よかった。その日、いつもそこでスケッチを書く日本庭園のある東屋へ行くと、そこで一人の女性・ユキノと出逢う。彼女の手には文庫本が、傍らにはビールとチョコレートが置いてある。ジャンルが掴めない。孝雄はそう思う。「(朝からビールって)・・」 しかし孝雄はそのどことなく神秘的なユキノの顔に見覚えがあった。「あの、どこかで逢いました?」問うと彼女は一度、いいえと言葉を返して、その後”何か”に気づいて、逢ってるかもと言い、そのままの別れ際に、一篇の短歌を孝雄につぶやいて去っていった。 やがて、ふたりは約束もないまま雨の日の朝の東屋で逢瀬を重ねるようになり、次第に心を通わせていく。居場所を見失ってしまったというユキノに、彼女がもっと歩きたくなるような靴を作ろうと願う孝雄。 六月の梅雨空のように物憂げに、揺れうごく互いの想いをよそに梅雨は明けようとしている。

 「天気が悪い」と私たちは雨雲に言葉を投掛ける。しかし秋月孝雄は、或いは雪野由香里はそう想わない。夜、眠る前、朝、瞼を開く瞬間、気がつけば雨を祈っている。外気を隔てたガラス戸の向こうで雨音が聞こえると、「雨だ」と言葉と微笑を零して布団を剥いだ。ふたりは降下する雨雲の下に身を任せるのだ。
 芸術作品である。上映開始とともに、私は客席から身を乗り出してしまった。「デジタル時代の映像文学」とはよく謳ったものだ。どこかで私にアニメの一種の真価というものを定義させたのだ。
 繊細のタッチの細密画がスクリーンから客席へと溢れんばかりに、瞬間的な映像で流れ続けている感覚。鮮烈なビジュアル表現と、独自の感性と選ばれた言葉たちによってあたかも小説を読んでいるような物語に、むきだした心が雨に打たれた。高音のピアニズムが背景にとけこんでゆく。何にしてもスクリーンで絵画が動いているのだから。そしてその絵画の額縁の中には、寂しさや切なさも歓喜の瞬間までもが抽出されている。湿度まで感じるかのような雨は背景と化さずに、地雨、霧雨、夕立、土砂降り、通り雨、と曾てから言い表しも表情も変わってきたそれらが、エピソードとして物語り、例えばふたりを東屋に閉じ込める。煙のように立ちこめる新緑の色彩までもが、人物の陰影を映している。梅雨の色彩が景情や心情を匂い立たせる。その峻烈な光の描写は観る者を取り込んで迷わせる魅力があった。その光を映画館でもう一度、叶うかも分からない小明な夢を言わせる。
 身近にあるものほど、時折、その美しさに人は感嘆する。売店で購入したパンフレットはもはや美しい画集だった。思えば劇中、どの場面を一時停止をしても、それは全て技巧を凝らした絵となっていた。「自然は豊かにして複雑なもので、だからこそ魅力的で美しい」と新海誠は語る。人は誰でも自然観を魅力的に捉える瞳を持っているが、彼の目は一段飛ばして感受の力に満ちている。 ”詩で唄うバラの美しさは、本物のバラの美しさに劣る”そんな言葉がある。風景画家はその風景を美しいと思うから絵を描くのだ。そして描かれた絵は、実際の風景の美しさに劣る。詩ではバラの香りは感じれなく、重さを計ることも、唇の先に置く事もできず、文字の上のバラは私に何かを説くだけである。絵も、実際にその時の風や音や光を身に刻むことはできず、限りなく似せて私に空想をもたらすだけである。「言の葉の庭」は新海監督の目に映る世界を、最新の映像技術の技巧的な表現によって捉えることができる。しかも視聴者からすれば、アニメが美しいのか現実が美しいのか曖昧になって一瞬分らなくなる。
 だからか、作中の品物が異様に欲しくなったりする。鉛筆、マグカップ、トンカチ、アイロン、スプーン、蛇口、ドアノブと鍵、そんな数え切れない些細な品物が欲しくてたまらなくなる。しかし、ホームセンターにそんな美しい蛇口なんて売ってない。「もっと輝くはずだ・・」そう言って自宅の蛇口を磨いてみたりしたが、どうやら蛇口には限度があるらしい。パンフレットで同じことを言っていた加藤新太が語るように、それは理想郷の蛇口なのだ。額縁の中にしか発見できない蛇口なのだ。加えて「言の葉の庭」というタイトルの本を書店で見かけたならば、棚から抜き出して読み始めていただろう。蛇口にもタイトルにもそれだけ惹かれる魅力がある。

 絵画性に富んだ映像に対して、言葉も丁寧に彩られている。梅雨に買った一冊の小説から、翼の骨格のように空想され、翼の羽毛のように連想されたかの物語は、あたかも抒情詩を唄っているかのようで、限りなく美しみを憶える。言葉が物語を展開するなど当たり前だが、その当たり前に深い表現をうみだしている。過去の同監督作「秒速5センチメートル」も同じく抒情的な美しいモノローグであり、タカキがアカリを、アカリがタカキを、強く理解していたからこそ、心の場所を知り、ふたりは事情から距離を置いて別れ、やがて喪失へ向かう――相手の心を知り、それからの――物語だが、「言の葉の庭」の場合、出逢ってから続く、それからの――相手の心を知るまでの時間の――物語なのだ。孝雄には「まるで世界の秘密そのものみたいに見える」どことなく神秘的な雪野がいる。どれだけ近くにいてもその人の世界は、相手に踏み込まないことには――互いに向き合いその関わった時間の中でしか、知ることができない。そんなふたりが、雨の庭という限定された場所で言葉を交えて、孝雄は「世界の秘密」を知らなくてはならなく(雪野は自分のことを話さずに、傘の下で自分の世界を孝雄に隠している)、雪野は一途に靴職人を目指す孝雄を知り、負のサイクルから外れて、歩きだす選択をしなくてはいけない。
 梅雨の雨の朝。晴れの日を囲むふたりの何かが雨によって遮られ、雨の庭にふたりの逢瀬は重なり、同時に言葉も折り重なる。やがてふたりは、「夜、眠る前、朝、瞼を開ける瞬間。気づけば雨を願っている」

~未試聴の方は以下の文がネタバレとなるのでご注意ください~

 雪野由香里が秋月孝雄と出逢った時に呟く短歌。万葉集。飛鳥時代の歌集の二篇。
「雷神の 少し響みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ」
稲妻が空気を引き裂き、遠い雷鳴に、地面を揺らし、黒く重い雲が垂れ篭め、雨も降りなさい。あなたがうちに泊めるように。 最後の一句まで自然表現で畳み掛けられて、最後に種を明かし、恋歌だという事がわかり、そこまでの情念の迫力に圧倒される。雷神は鳴神と呼称し、元訳では「少し響みて…」は「光とよみて…雨さ降れや…君は留らむ」であった。「とよみて」は「響く」という意味であり、ここで「光が響く」とし、遠い雷鳴と稲妻が想起される。教師と生徒というふたりの立場に雪野が気づき、自分が古典の教師だと感づかせる為の、遊び心が籠る咄嗟の短歌の謎掛けに雪野の知性が垣間見える。恋心の想いを詠い合う相聞歌の短歌なのだが、時間が経つにつれ意味が浸透していくことになる。
 雪野が呟く遠景で、短歌と同じように光が大気を切り裂いて、遠い雷鳴が谺する。孝雄には神秘的に見える。
やがて梅雨の空模様は表情を見せなくなり、雨の庭のふたりの逢瀬はなくなった。”孤悲”が現れる。孝雄は梅雨が明けてから、バイトに忙しくして心を通わせていた場所に行けない。孤独にモノローグに抒情的に相手を希求する想いが、交えない。そんなある時、孝雄は雪野からの謎掛けの短歌の意味を教科書で発見する。恋心を謡い合う相聞歌。雪野が呟いた短歌から生まれる物語には続きがある。それはふたりの続きを示唆する。
「雷神の 少し響みて 降らずとも われは留らむ 妹し留めば」
稲妻が空気を引き裂き、遠い雷鳴に、地面を揺らし、雨が降らなくても、貴女が引き留めるなら、私はここに留まろう。 女性の短歌に対するこの男性の返し歌は、中途まで同じく続け、例え雨が降らなく私が去って行けても、あなたが言えば私は傍にいよう、と綺麗に言葉を返している。 雨でなくとも彼女はそこにいる。モノローグがダイアローグへと移り変わる――。

 秋月孝雄は一五歳にして人間性が大人びて見えるのは何故か。彼は幼い頃に家庭から父親が離れ、兄と共に母子家庭で育った。母親は仕事やら恋人やらで家を留守にすることが多く、いい加減な人なので、彼は家事をこなし年上の女性から可愛がられる性格となった。そして彼は靴職人を目指している。靴を家族団欒の思い出がインサートされていたことから、彼にとって「靴」とは「家族の幸せ」の象徴であるが故、靴職人を目標にする節があった。人は夢を持つと、見えなかった自分の道順が明瞭となってまた一段成長が早くなる。靴職人のバイトを(料理ができるから中華料理店なのか)始めて、大人と会話を交える事で、口調が大人びる。  様々な人生を知ることで、人間性が鋭くなっていく。 こんな所だろうか。ありえる話だ。加えて言うと、人の年齢で大人か子どもかなど判断はできない。社会人でも学生気分で身勝手に混乱を招く人もいるし、小3で既に中学生の勉強を始め哲学的な本に関心を得ている人もいるのですから。「一五歳でこんな奴いない」そう言う人はいるでしょう。恐らく殆どの人が男性と推測(笑)人は経験で成長します。秋月孝雄は経験を早く積んだからこその精神年齢の高さ(恋愛経験除く)だと思います。例えば、overな話で、戦時下の苦労を伴う環境に育った子どもの成長は精神的に早く成長するという。それは脳を発達させないといけない状況下に存在する為で、生物における潜在的な対応意識の本能と言える。戦時中でなくとも、人の成長は状況や経験によって案外簡単に変わるのです。
 脱線して、なぜ恐らく殆どの人を男性と推測したか。例えて、一本道を映しただけの写真集があるとする。霧の獣道、熱帯雨林の途切れた道、砂漠の轍、地平線まで一直線の舗装路。男性は評価する。「このアングルが良い」「この光の差し込む感じが良い」女性は人生と繋ぐ。「この道、私の人生みたいだわ」「こんな道に憧れる」 も一つ例えて、悲しい意味深な終幕の西洋映画がある。男性は関心する。「なるほど、そんなオチか」「納得。良作だ」女性は涙を伝える。男性は物事を思い、考えて、受け取る。女性は物事を思い、そのまま、受け取る。男性は考えて”しまう”節がある。「靴職人を志す一五歳?現実味がない」「ありえない」女性は受け入れる節がある。「・・・」。男性はとある幸福を前に、一度で肯定しちゃったりする節がある。女性はとある幸福を前に、幾度もその幸福を確かめようとする節がある。味のないガムのような日々を、呑み込んで終わりか、吐き出して始めからか。 まあ例外も多数。女みたいな男もいるし、男みたいな女もいる。しかしそれでも、根本的なところでそんな何かが違うのだ。
「バカ野郎、あんな一五歳みたことないぜ。それに雪野が孝雄の高校の教師だったって展開も」「いいじゃないそれぐらい」そんな会話が聞こえてくる・・(笑)  はい脱線終了ぉー。殆ど推敲せずに思った事そのまま書いてるんですみませんね。あっちなみにどうでもいいかもしれないけど俺、男なんではいぃ(笑)
 (アニメーションの見方が変わる作品の一つだ。現代アニメを知らない人は感覚が変わるだろう。「アニメはジブリ」「アニメはヲタク」「アニメは子ども」「いまさら大人がみるもんじゃない」アニメ好きの私達からすれば、それは偏見だぁ!!・・そんな人へどうでしょう(笑) 偏見が固っ苦しい人は、まあ川にでも流しておいてですね^^;)

 秋月孝雄は雨の日、午前1限目の授業を休み学校へ遅刻する。「おまえ何時だと思ってんだよ」遅れて席に着いた途端、馬鹿にした口調でクラスの同級生が孝雄の肩を叩く。「呼び出された理由は分かってるな」職員質で伊藤が生徒の規律を守る目的で告げる。その同級生は孝雄を理解不能と断定する。”何を思って学校を休むのか” ”学校への通学は普通だろ” “高校生活をなめすぎなんだよ”或いはそうとう嫌悪な奴なら”学校を休む奴は社会のクズだ”と、でも思っている(笑)。靴職人は高校でなれません。「晴れの日は酷く子ども地味た場所にいる気がして、ただ焦る」孝雄が、社会人で自立した雪野へ少しでも早く近づこうと、「自分がただの一五のガキであるということ」を認識しつつ、そこから抜け出したい焦る気持ちが分かる。彼は自分が向きたい方角に向いているだけなのだ。高校に求めるものが少ないのである。


 断片的に叙述すれば、この物語は、「秒速5センチメートル」の出逢いから始まり、惹かれ合い、孤独に悲しみ、喜び、歪み、なだれる言葉に号泣して、未完結する。
・・――思わぬ再会を経て、返し歌の短歌を告げて、心で歓喜し、「今が一番幸せかもしれない」とふたりのモノローグが交わって、ふたりは物語の主人公になる。しかし、雪野は、「俺、ユキノさんのことが好きみたいです」と言った十二歳年下の孝雄を、大人として突き放さなくてはならない。同じ言葉を潜めていたであろう彼女。単純に彼の人生を願って。「あの東屋で、ひとりで歩く練習をしていたの。靴がなくても」突き放す言葉には十分だった。「あれから私、嘘ばっかり」ここでまた彼女は嘘をつく。孝雄に自分のことを黙ってはいたけれど、嘘を吐くのは初めてなのか。雪野は来週、四国へ仕事場を移す。孝雄が一生去っていく。自分の言葉に歪む。 結局、嘘は突き通せなかった。
  “この世に魔法があるなら、それはきっと、誰かを理解し、何かを共有しようとする努力の中にある”「ビフォア・サンライズ」という会話劇を思わせる恋愛映画にそんな言葉がある。ラストシーンのふたりの涙は”魔法”なのだ。ふたりの孤独な抒情詩はその人生の大切な断片として物語を彩る。
 そして未完結する。人生の断片の彩りを描写して、続きはハッピーエンドもバットエンドも描かれない。人の空想の思うままに漂わせる。四国に行った雪野と孝雄は文通を交え、途絶えるかもしれない。物理的な距離は心の距離を遠ざけ、電話を途切れさせ手紙がポストに入らなくなるというのは、人間関係に付き物だ。雪野は「梅雨が終わってほしくなかった」「幸せかもしれない」「救われていた」と言っているが、今後、孝雄にはっきり「好き」と言うかはわからない。「もっと遠くまで歩けるようになったら、会いに行こう」と孝雄は言うが、それも分らない。恋人とはならないかも知れない。逆もあるかもしれない。ハッピー&バットなんて存在しない結末を辿ることもある。魔法も薄れやがてカボチャになるように、喪失するならそれでいいのだ。人生に彩りを与える思い出として心に残しておいてもかまわないだろう。ふたりはそれぞれの人生を生きる。そして何かの偶然で出会ったなら、話し始めればいい。どちらかが幸せを持っているなら、「秒速5センチメートル」になるだけだ。言葉は、時に積もったまま下の方から記憶に枯れるが、ふたりが約束のない雨の庭で交わした言葉は記憶に根付いて生涯を共にするはずだ。美しい記憶は人生を温める。それも結果的には美しいのだ。

 4.11に発売される「小説・言の葉の庭」。想像に任せていた話しが楽しみなところもあり、文章化せず不明瞭のままでもよかったのにと思うところもあります。それでも孝雄と同年の私は、経験薄からか、物語の行方に一縷の望みがあってしまうのです。そしてまた同年であるからこそ、主観的ながら、手が届くかもわからない彼の想いに惹かれ、共感を経て、評価が高ぶったことは否めないのです。


第一段落、公式ホームページ参考、加筆。
あらすじ、空白後 公式のあらすじ文、引用。
2013.8.4「デジタル時代の映像文学って本当共感」レビュー投稿。
2014.3.4「ふたりの号泣は”魔法”なのだ。」レビュー更新。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 35
ネタバレ

Yulily さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

【新海監督の新作予告を観たら、行きたくなってしまいました…聖地訪問の日記追加】

雨が降る日には、空を眺めながら....
ふと、思い出すことがあるの....
二人は逢えているのかな?
なんてね...
それくらい強くわたしの心に残る作品だったということなのでしょうか...

雨の日の庭園での二人の男女のしのび逢い。輝かしい青春のひととき...

まだ何も知らない
仕事も歳も抱えた悩みも
名前さえも....
それなのに、どうしようもなく惹かれてしまう・・

そんな経験、私にもあるかもしれません

都会の喧騒から少しだけ離れ、穏やかに流れる時間を肌で感じられる自然にあふれた場所

こんな青々とした緑の中で深呼吸したらどんなに気持良いことでしょう!!試してみたくはなりませんか?
ここは、二人の秘密の場所 ...

雨降る午前。約束を交わさずともこの場所で逢い、心を通わせていく。

限りある時を惜しむかのよう
いけないと分かっていてもそれに心惹かれてしまう

二人の間にそんな少し危険な大人の恋、そんな香りを感じて

言葉のどんな力であっても、とても語りきれない部分で結びつく
人と人は、どうしてそれほどまでに惹かれ合うのでしょう...

いつのまにか想っていて
理由というのはいつも事後の話、人間だからこそ湧き出るこの気持ちは言葉では表現できません。

記憶に焼き付いた「雨」
1つ1つの描写が繊細に描かれています。
雨に濡れた新緑がしっとりした景観を生み出し、雨雫も相まってこの緑が美しい。
雨音はもちろん
葉に落ちる雨の音がとても心地良い
その全てが画面の中で調和して様々な趣きを醸し出しています。
「言の葉の庭」
恋愛や人生を感じさせ感動が胸に押し寄せる50分でした。

※ネタバレは一切ありませんが聖地訪問のため閉じます。
【2015年6月14日(日) 新宿御苑】
{netabare}
こだわりを感じる映像美に誘われ舞台を訪れました。
この日は雨ではなく曇り時々晴れ

新宿門を潜り木々に囲まれた園内の道を歩く
木漏れ日を浴びながらの散策。
そこはまさに映像で見た言の葉の庭が広がる...

二人がいた場所から水のある庭を望む。
まぶしいくらいの緑。床にも緑色が映っているくらいに。
アニメーションで見た景色が現実と重なった瞬間の高揚感がわたしを包む...感動です♡

そして世界観を演出するあのピアノが聴こえてきそうな...
揺れる二人の心模様を表現する素敵な音がね♪

園内で特に目を引いたのは華やかな紫陽花(あじさい)早朝に少しだけ降った雨に濡れた花がとてもきれい。

もし雨が降っていたのなら緑がめぐみの雨を喜んでいるかのようにもっとキラキラと輝いて見えたのかなぁ?

沢山歩いた後の食事は新宿門を出てすぐにある『礼華(らいか)』。(予約していました)
テラス席は笹のグリーンカーテン
心地よい風を感じながら美味しい食事に楽しい会話をして・・・私、こういう過ごし方が大好きです♡

今度は雨が降った時かな。。季節によって様々な顔を見せてくれる新宿御苑。また訪れたいです。{/netabare}

【2016年3月2日(水) 新宿御苑】
{netabare}
あたたかく、やわらかな春の包み込むような陽射しがとても心地よい午後…
うららかな春の陽気に誘われて

仕事の空き時間を利用してなのですが
言の葉の庭の聖地 新宿御苑にお散歩へ来ちゃいました♪

新宿門を潜り、入園券をかざし「ピッ」という音とともにゲートが開き、 言の葉の庭へと足を踏み入れました。
こんな気持ちよい天気だと、考えることは皆さん同じ…でしょ?
園内は沢山のヒトが訪れていました。

春の訪れを告げるように 白、やさしいピンク、濃いピンクなど さまざまな色のウメが咲き、はっとするようなキレイな春色に胸が弾みます。

そして嬉しいサプライズも・・
寒桜という種類のサクラが1~2分咲き程度ですが咲いていたのです。
やっぱりサクラって特別なんです♡

作品の中にも出てくる橋を渡っていると、キラキラ輝く水面を気持ちよさそうにスーッと泳ぐ鴨、鯉も口をパクパク(かわいい~♪)
こんな、心ほぐれる水辺の風景に出会います。

ほどなくして二人がいた秘密のあのベンチの場所に到着。
ベンチから後ろを振り返ると大木があり「染井吉野」の札が付いていました。
もう少しすると、この場所は満開の桜で彩られるのでしょうか…
季節を変えて訪れるたび違った魅力に気づける言の葉の庭は素敵な場所です。

散歩の最中に思わず寄り道したくなる
「サクラクレープ季節限定」の看板
サクラの誘惑には、、勝てませんでした*^^*♪
皆に、桜クーヘンとサクラこんぺいとうも買って…
春のスイーツをおすそわけです♡

季節の花を眺めながらお散歩すると 心があたたかく満たされます。写真におさめたくなる春もいっぱい**
散歩したからこそ感じられた この幸せ…
つい、みなさんに春色との出会いを報告したくなってしまいました

最後に…
ここまで読んでくれたヒト…いつもでっかいありがとうです…♡

・・END
{/netabare}

【2016年4月7日(木) 新宿御苑】
{netabare}
雨の日が舞台となった「新宿御苑」

都心とは思えない広大な庭園、豊かな緑と花を眺めながら清々しい空気を目一杯浴びることが出来る場所

そしてあの二人の笑いや、涙、そんな想いを心で感じることが出来てしまうような…
私は言の葉の庭と呼んでいます。

前回訪問から約1ヶ月がたちました。
映像美に誘われ舞台を訪れるのは3度目となります。
そして雨の日に足を踏み入れるのは今回が初めて…
「どんな景色に出会えるのかな?」と少しだけ心が高鳴ります。

お気に入りの傘とともに散策はスタート♪

お花見もラストシーズンのせい?…なのでしょうか
雨がシトシトと降る中でも傘を差しながら多くの人が訪れていました。

入り口でいただいた園内マップがカラフルで思わず友達が見ているのを覗きこんでしまいました・・・

「マップがね…春色なんです♪」

前回のものとは異なる春バージョン。春を彩るお花の紹介の写真がホントにとっても鮮やかで心が踊ります。
それに夢中になっておしゃべり、ふと気が付くと
目の前にはピンク色に包まれた庭園が広がっていたのです。
枝一杯に咲き誇る花に目を奪われてしまいました…

あの橋からの眺めはまるで絵画を見ているみたいで
春の色彩が水辺を華やかに彩っていました。

そしてようやくたどり着いた秘密のベンチのあの場所
そこには嬉しいビックリが・・

木々の緑の中で、たった一本だけの可憐なピンクの染井吉野
まるで目印のように「ここだよ~♪」と言わんばかりです♡

この場所を覆い しなるように咲いている様…それはまるで桜のカーテン**

桜のカーテン越しに見た言の葉の庭
吹きぬける風に、桜が香ります
花びらが乱れ散り、水面がいっぱいになって揺れていました…
幻想的で神々しく
ため息がこぼれてしまうような美しさ

雨の日の言の葉の庭
木々の隙間からこぼれ落ちてくるしずくさえもなんだか嬉しく思えてしまって…
雨に濡れた緑の美しさ、しずくを沢山に含んだ植物はいつもより彩り鮮やかにそしてきらきらと輝いて心を癒すのです。

「来年は晴れた日に来たいよね…?」

桜の下の芝生で、お弁当を広げたら楽しそうーー♪
売店のお弁当を見ながらそんな会話をしました。

美しく咲き誇る桜のトンネルを歩きながら帰り道へと向かいます

出口の向かいの入り口では警備員さんの手荷物検査

ふと下に目をやると、透明なコンテナに没収されたアルコールの瓶や缶が(あの銘柄かな?)!!…
もしかして言の葉の庭のファンなのかな?
ここは、アルコール類の持ち込みは禁止なのでご注意下さい♪

春の雨を心地よく感じられた、美しい言の葉の庭の中での休日でした♪
覗いてくれた方…ありがとうでした♡
{/netabare}

【新宿御苑がピカチュウの森に…聖地訪問の日記追加】
{netabare}
本日より東京は梅雨明けしましたね!
本格的な夏の到来です。

約4ヶ月ぶりに訪れた新宿御苑の言の葉の庭

私が訪れた時はまだ梅雨明けしていませんでした。

お昼前から少し雨がポツリポツリと降りだしていて

『空の匂いを連れてきてくれる雨は好きだ』
そんな劇中のタカオの言葉をピアノの音と共に思い出していました

新宿門を潜り抜け 言の葉の庭へと足を踏み入れました!

って、それにしても平日なのに この異常な人の多さは..?
実は御苑に訪れていた皆さんの多くのお目当てはポケモンGO。
どうやらここが「ピカチュウの森」 になっている様なのです。
(私はゲーム分からないヒトです)

たまに、ヒトの携帯画面をチラ~見

園内を散策しながら「ピカチュウゲットだぜ~♡?」をしていました♪

雨でも楽しい観光をしたい欲張りさんにはこのスポットオススメですね!

言の葉の庭の聖地を巡れて、おまけにピカチュウまで手に入れることが出来ちゃうのですから…♪

春色から(前回来場)夏バージョンへと変わった園内マップを手にして

緑豊かな園内を気持ちの赴くままに散策

春に訪れたときよりも木々が生い茂り

並木の緑のトンネルが気持ちいいー

「あれ?」
どうやら傘をささなくても ここにいるときは雨粒は落ちてこないみたい♪

都会の真ん中なのに あたりに人工的な音は全くなくて

セミが鳴く声と木々のさざめきに包まれて心地よいのです。

そうですね、
別の世界に迷いこんだ…みたい

そこへ、人懐こいスズメさんが、、
「チュン チュン…」近いーー

どうやらスズメさんの夫婦みたい?
見ているとホントに仲が良さそうで
微笑ましいのです♡
(隠し撮りして…ごめんね)

そして池の前には劇中で何度か映しだされた緑のモミジを発見!

これまでは紅葉したモミジにしか目がいかなかったのですが

雨の雫をいっぱいに含んだ青々としたモミジをこの庭園で見つけた時はそれは嬉しくて
・・心が踊りました


そして到着。
二人の秘密の場所は
相変わらず人気スポットで

常に誰かが あのベンチを狙っているようなので
着席することは諦めました。

ベンチの場所から水面に雨が描き出す輪
ぶつかり合う波紋
「あっ、こんな映像あったなぁ…」なんて思い出していました。

爽やかな風を感じながら散策
その途中にまた気になったのは
「内藤とうがらしクレープ」の看板
売店にて270円(中身はアイス)

春に訪れた時は「桜クレープ」でした

ここでしか味わえない限定にはつい惹かれてしまいます。
最近あにこれのポロムちゃんと変わったアイスのお話で盛り上がっていたので
とうがらし だなんて私、気になります(笑)

迷わず購入!
座れる場所を探して歩いていると
庭園の中央にある3本の巨木に惹かれます。
「ユリノキ」と札がありました。
この庭園でひときわ目を引く存在感。
生命力溢れるその姿は神秘的でパワーをもらえちゃいます。
この木の下のベンチに座って

友人と半分ずつ。
私「んっ、ちょいピリリ…甘~♪」
友人「癖になるかも?」

雨でひんやりとした庭園
涼やかな景色がそこかしこに広がります。

食べたり、休んだり、散歩したりそんな心ほぐれる散策

ゆっくりとした時間の流れで癒してくれます。

いつもと違った時間を過ごせて
何度来ても
また来たくなる場所でした。

~大切な思い出を刻む写真も沢山撮れましたよ~

楽しい1日♪

今回も、覗いてくれた方…
いつもありがとうです…♡
{/netabare}

新【2019年6月22日(土)新宿御苑】
{netabare}
新海監督の新作『天気の子』予告観ました!
美しく繊細な色彩で描かれた空、雲、雨
彩り鮮やかにそしてきらきらと輝く新海ワールド

それを見たら思わず行きたくなってしまったんです…

私が向かったのは、この作品の舞台にもなった新宿御苑。
作中の季節と同じ初夏です。
朝から降り注いだ雨は特有の霞がかったような
空気を作っていました。

雨に濡れた新緑はさらに緑が映えて幻想的
色に深みがました瑞々しい緑の葉
雫をいっぱいに含んだ緑はやっぱり美しい。

ふと目の前の巨木に触れてみた、
森と木の息づかいを肌に感じながら
木と自分の呼吸を合わせる。

心が穏やかになるように感じるの


今日の東京は突然強いザーっと雨が降りましたね。
あちこちに大きな水たまりができてしまうし、
横殴りの雨に行く手を阻まれながらあの場所に
向かうのが本当に大変でした。

そう、そこは二人の秘密の場所、東屋。

言の葉の庭の一番メインの場所なので、
いつも沢山の人で賑わっているのですが、
今日は誰もいないのです。

この特別な空間を独り占めするのは初めてなんです。

主人公たちと同じベンチに座ってみると
特別な気持ちになって心がワクワクしてしまいました♪


その後、園内のあちこちを散策していたら、
水色、紫色、桃色など色とりどりの
かわいらしい紫陽花に出会いました。

咲き始めなのかな…やさしい水色の初々しい花びら。
雨粒の雫がついていてとっても綺麗なんです。

途中にカフェスペースがある
中央休憩所に立ち寄りました。

併設している売店に自然の竹で作ったしおりが並んでいて、
その中に東屋が挿絵になっているしおりを発見しちゃいました
これがなんと『言の葉』のしおりと
名付けられていてとっても嬉しくなりました!

『どうしよう、ちょと欲しいなあ…』なんて


ここのテラスは緑に囲まれた癒しの空間

やさしいママさんの挽きたてのコーヒーが
とても美味しくてホッとあたたまりました♪

季節ならではの花々を楽しめたし、
時々足を運んでしまう理由がいっぱい!
また訪れようと思います。

見て触れて楽しんだ1日の日記ですが
読んでくれた方…ありがとう♡

最後になりますが新海監督の描く新作『天気の子』
息をのむほどに美しい映像に期待が膨らむばかりです。
{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 183
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

あちらを立てれば、こちらが立たず

あらすじは他の方のレビュー等をご参照ください。

 初見でした。45分ほどのショートフィルムです。
 新海監督作品は、秒速・星を追う子ども・ほしのこえに続く4作目になります。
 相変わらず背景はきれいなのですが、私の採点基準では、背景は物語評価に影響を与えないので、とりあえず、横に置いておきます。
 結論から言うと、良いところと悪いところが混濁してました。採点してみたら視聴後の印象以上に減点箇所が多い。短編ゆえに、悪いところも目立ってしまいました。

<総論編>

エンディングその後:{netabare}
 エンディングは、やや期待を込めて描かれていましたが、二つの観点からこの恋は実らないのではないのかなぁと思っています。

 一つ目は、未熟さ。
 まずはタカオの未熟さ。高校生という以前に、とても未熟な人物として描かれていたように思います。未熟だからダメということはもちろんないのですが、タカオではこの恋を実らせることが出来ないように思えました。やや感覚的ですかね。人物像は後述にて補完します。
 ユキノの未熟さっていうのも原因に挙がるんですが、こちらも後述。
 未熟な二人だから失恋確定、と言い切るのも少し乱暴ですかね。個人的には結構大きなウエイトを占めているんですけど。まぁ私の感想ということで。

 二つ目は、「行人」。ユキノが読んでいた本ですね。上はおまけでこっちが本命です。ユキノが本をプレゼントするシーンもありますし、、わけもなくこの本を写したと考える方が異常ですので、ちょっとだけその意図を読み取ってみます。で、行人からどのシーンを選ぶかというと、やっぱり雨の描写があるところだと思います。実際に読んでいたシーンは分かりませんけどね。
 「行人」では、主人公のお兄さんが自分のお嫁さんと弟(主人公)の不倫を疑っているわけです。弟は反発しますが、お兄さんはこの二人を、お嫁さんの本音を探るための日帰り旅行に行かせます。その旅行中に突然「嵐」が起こってしまい、仕方なく二人は一泊して帰ることにしました。その後の話は皆さんにお任せします。
 旅行の日に注目すると、「雨」が降って「雨宿り」、そしてそこで起こる「一夜のドラマ」があるわけです。弟と義理のお姉さんの間で恋愛感情はなかったはずですが、義理のお姉さんが心情を吐露するその夜の描写は、悩ましげだったように記憶しています。
 「言の葉の庭」に投影してみると、弟と義理のお姉さんの関係は、タカオとユキノの年齢差や生徒と教師という関係に転換できるように思えるのです。一夜ではなく、ワンシーズンでしたけどね。大雨の日だけをピックアップするなら、「雨宿り」としてユキノの家に行きますし、結構重なります。「行人」と同じように心情を吐露するのだけれど、やっぱり恋愛には至らないのかな、と思いました。

 アイテムを使ったエンディングの示唆というのは、良かったと思います。もう1冊本が出てくるのですが、こちらは確認できずでした。何かあるのかもしれませんが、確認できないレベルなので重要度は下がると思います。{/netabare}

タカオ:{netabare}
 母親が家に居着いていないせいか、母親に執着しているんですよね。靴職人の夢も母親が発端ですし、少年期から引きずっているというのはなかなか際どい感じがあります。母親に関するセリフからは親離れしてそうですが、行動は執着している、と言動に不一致が見られるわけです。そしてそれが無自覚だというのもなかなか…。

 この執着が恋愛に形を変えて母親からユキノに移るわけですが、タカオはユキノに神秘性を見ていたと思うのですよ。謎めいた女性、ミステリアスなどと言ってもいいです。それに輪をかけているのが万葉の歌ですね。分からないものを知りたくなる感覚は、お兄さんとの会話からも窺えます

 バイトや靴作りを通して夢に打ち込む姿も描かれていますが、これは母親とユキノに執着した上での現実逃避に見えました。成績が悪かったり、ケンカしたり。短歌のことをお兄さんには聞けるけど、学校の先生には聞けなかったり。夢に打ち込みたいなら学校を辞めれば済むだけなのに、無駄と言いながら通い続ける。

 マザコンとまで言い切るつもりもないですけど、十分な社会性や行動力はないですね。高校生っぽいと言えばそうなんですが、年上の社会人女性を捕まえられるほどのバイタリティは感じられません。未熟な人だと思います。お兄さんに靴をあげていたら印象も少しは変わったんですけどね。{/netabare}

ユキノ:{netabare}
 未熟な夢追い人タカオに対して、こちらは現実的な未熟な人といった感じです。なんだか良い人に描かれているようにも見えるのですが、描写を拾っていくと必ずしもそうとも思えませんよね。

 ユキノが元彼に電話をしていたタイミングは夜でした。元彼でも同僚なら、緊急でない業務連絡は普通昼間に入れると思うんですよ。それなのにユキノは夜に電話している。別の女性の存在を知らなかったとしても、わざわざ夜に業務連絡をしている時点で、精神的な甘えがあったと思います。つまり、他人への依存度が高い人というイメージ。高校生のタカオにも依存が見えます。

 ユキノに起こった学校でのトラブルっていうのは、虚言によるものなので、確かに非はないんですけどね。教員間の恋愛発覚が騒がれていたなら、つまり、自分が直接的な当事者だったら、非がなくとも被害者面はしていられなかったと思います。彼女の逃避はいくつか描かれていますが、社会性としては薄氷を踏むものだと感じました。精神的なショックを受けるなというのも酷な話なので、そうは言いませんが、一般的な社会人と比べるに、彼女は十分に未熟だと思います。そもそも彼女に十分な社会性が備わっていたら、自分の学校の生徒に思わせぶりな態度を取ることなく、恋愛には発展しなかったわけですし。というわけで、ユキノはタカオよりは社会に生きているけど、まだまだ未熟な人だなと思いました。未熟だからこそかわいく見えるのかもしれませんけどね。

 ちょっと話は変わりますが、食事はユキノの心理状態を表すアイテムとして上手く機能していたと思います。タカオが家を出る前のシーンでは、コーヒーを飲んで伏し目になっていました。。他の映画なら「一息ついて」と形容したくなるところですが、味覚障害を踏まえると「味がしなくて」ということなのでしょうね。{/netabare}


<各論編>
 良かったところも悪かったところも適当に書いていきます。

タカオとユキノの出会い:{netabare}
 出会いのシーンは良かったです。二人とも動きが止まるんですが、動き出しのタイミングがほぼ一致していました。この二人の親和性が、これからドラマが始まるな、という期待感を増してくれました。ほんとはピッタリ一致してると良かったんですけどね。でも、わざとずらしたのかもしれないとも思っています。バッドエンドの布石としてですね。{/netabare}

ユキノの元彼の部屋にいた人:{netabare}
 最有力は、元彼の部屋にいた人が結婚相手で、ユキノが不倫していたというパターン。こちらは結構妥当性があります。飲酒禁止の看板が出てきますが、ユキノはビールを飲んでいます。これはルールの枠の外にいる人物という表現で、不倫と一致するんですね。
 次点で、結婚相手ではなく新恋人のパターン。現実的には自然ですし、行人を踏まえても不倫はなかったと考えることが出来ます。ただ、こちらだと飲酒禁止の看板が何の意味があったか分からなくなりますよね。味覚障害はそもそもビールとチョコレートの組み合わせが必須というわけではないですし、禁止されているところでビールを飲んでいる理由にはなりません。つまり、飲酒禁止とビールという二つのアイテムが浮いてしまうんです。

 いずれにしろ、前者か後者かで描写力への評価が180度変わります。前者なら良いで後者は悪い。
 看板が出てくるのは、オープニングと、ケンカの後のオープニングをなぞったシーンです。つまり、物語の節目となる重要なシーンで2回です。この看板がユキノの人物描写に影響しないとなると、ただあったからそのまま描いただけとなってしまい、描写力としては疑問が残ります。元彼はともかく、その相手というのは、テーマにも世界観にも大した影響を与えませんから、含みを持たせる意味なんて皆無です。味覚障害に関連するビールの方がよほど重要ですよね。元彼に結婚指輪の有無を描いておけば解決する程度の問題なのに、それを描かなかった。
 解釈に幅を持たせたというよりは、描き忘れたような印象を持ってしまいました。結論は分かりませんが、不満だけが残りました。{/netabare}

違和感のある描写:{netabare}
 気持ち悪い描写がいくつかありますよね。
 一つ目は、靴を脱いで素足をさらすところ。夏の?雨の日に?靴を脱いで?他人に触らせる???まったく意味が分かりませんね。触らせる方も触る方も気持ち悪いです。この作品における性的な表現ですからなおさら気を使って欲しかったです。

 二つ目は、ユキノの家のシーン。制服が濡れてしまったタカオは私服を着てますよね。誰の?他人の?まさか元彼の???意味不明です。着る方も着せる方もどうかしてます。
 それとも、ユキノの服のサイズがたまたま合った?ズボンも?あの雨でシャツだけ濡れてズボンは濡れていなかった?好きな人の服を着れて幸せ…?もう何が何やら。

 三つ目は、気持ち悪いのじゃなくて謎の描写。料理ができないユキノが、難易度の高い男性用シャツのアイロンがけをしていました。家事に対する一貫性のない描写がリサーチ不足を感じました。アイロンかけたけど下手でしたって描写も欲しかったかな。乾いてないはこれの表現じゃないしね。
 ストーリーに直接影響はしないかもしれませんが、観察力には欠けていましたね。{/netabare}

<総評>

 独白から始まって、主体が移っていったタイミングで、「まさか秒速と同じ構成?」と不安になりましたが、結果論から言えばその心配は不要でした。きちんと構成はアレンジしてきています。ただ、細部の描写力に不満が残るのは相変わらずでした。テーマも歩き始める人を描くのに靴職人ですからね。正直安易すぎて驚きを隠せません。

 全体的には分かるんだけど、細部に不満という意味では、ほしのこえと同じです。でも、ほしのこえとは大きく違うところがあります。ほしのこえは、ごっそりそぎ落とされたメッセージがあって、それが物語に厚みを加えていました。言の葉では、結構説明しているためにその辺の厚みはなくなったように思います。つまり、全体観が弱まっている。万葉の歌とか行人とか、一部のアイテムは機能していますが、機能していないアイテムや謎の描写も結構多い。雨の技術力は上昇していたと思いましたが、表現力としては減退していたように思えました。

 独白にも困りました。独白で解説するのではなく、映像で表現してほしいですね。このレビューでは人物像に触れていますが、セリフではなく、描写から拾っても十分解釈できるレベルにあると思います。新海監督の人物描写は以前より良くなっていました。でも、そこに過去の作品と同じ独白が入るから蛇足っぽく見えるんですね。人物描写の精度が上がってきているのならば、独白は捨ててもいいのではないでしょうか。心情を描く作品で、独白による心情垂れ流しというのはあまり評価できません。

 ただ、独白を機能させる方向性というのも確かにあるんです。タカオの独白、つまりタカオが見るユキノ像と現実のユキノのギャップを見せている可能性ですね。かわいいユキノに反して、ユキノの部屋は汚かったですしね。ただ、この作品はユキノの説明は厚いんです。汚い部屋もユキノの人物像そのものではなく、精神疾患につながります。消したメッセージを探すための対比の片割れが見えてこない。そのせいで独白の機能が中途半端になって、ちぐはぐ感が出ていました。

 山場はちょっと笑ってしまいました。私の好きな描き方ではないですが、好みに合わないというだけで表現として否定するものではないですね。減点はしていません。

 星を追う子どものレビューで、他の監督作品をオマージュするほどの力量はないというようなことを書いたと思います。この作品では、人物描写は向上してましたが、一つの作品の完成度としてみるとまだまだだったかなと思います。そもそも短編にもかかわらず、突っ込みどころのあるシーンが多すぎました。

対象年齢等:
 思春期以上ですかね。心情部分で気に入る人は多いかもしれません。感情で作品が見れる人は楽しめると思います。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 24

84.7 2 心理描写で美しいなアニメランキング2位
劇場版 鬼滅の刃 無限列車編(アニメ映画)

2020年10月16日
★★★★★ 4.1 (565)
2418人が棚に入れました
蝶屋敷での修業を終えた炭治郎たちは、次なる任務の地、《無限列車》に到着する。そこでは、短期間のうちに四十人以上もの人が行方不明になっているという。禰豆子を連れた炭治郎と善逸、伊之助の一行は、鬼殺隊最強の剣士である《柱》のひとり、炎柱の煉獄杏寿郎と合流し、闇を往く《無限列車》の中で、鬼と立ち向かうのだった。

声優・キャラクター
花江夏樹、鬼頭明里、下野紘、松岡禎丞、日野聡、平川大輔
ネタバレ

ぺー さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

列車と流行は乗るものです

長いものには自ら巻かれにいきます。プライドはありません。


全23巻で完結するだろう原作漫画の7巻ぐらいまでを2クール26話でアニメ化。この劇場版は8巻の内容に相当、TV本編からの続編を意味します。

2期やるならゴールデンタイム放送も荒唐無稽な話ではなく。
しっかりバンダイさんが日輪刀を発売してますし、物販で円盤以外の武器があることは強み。原作が完結しているとはいえ暫く商売にはなりそうです。
そしてこの劇場版。老若男女巻き込んで記録的ヒット中なわけですがなんか様子がおかしい。初見の方が楽しんでるのです。「続編だからTV版観といてね」というわけでもなさそう。整理します。

1.原作を読んでいる。読んでない。
2.アニメを観ている。観てない。
3.観た人はリアタイの頃?それとも最近?

一見さんお断りというわけではないのでそれぞれ立ち位置だけ確認。
自分は原作未読でアニメ視聴済み。かつ公開直前の部分一挙放送でおさらい済み。もしも準備したいなら第21話以降最後までをおさえておくとよいかもしれません。
{netabare}※劇場版メインキャラ:煉獄杏寿郎(CV日野聡)と魘夢(CV平川大輔)が顔出しするのと、無限列車編に向けた先出し情報がけっこう含まれてます。{/netabare}


【社会現象】
様々な角度から分析されてるでしょうから細かくやらんけど、もたらされた興収で一服つけた映画館が数多くあったと聞きます。上映作品の弾数少なくスクリーンに空きができたコロナ禍の特殊事情なんてのを数年後に思い返すことでしょうね。流行り病を鬼の仕業とみなす伝承になぞらえ、経済循環の一翼を担うことで現実世界でも鬼退治してるようなもんに思えました。


そして本編。
冒頭の1カット。え!?実写ですか?というところから始まります。TV版の第1話は、え!?劇場版ですか?という入りだったのでなんとなく既視感みたいなのを感じますね。
美術はTV放映での神回と呼ばれる第19話の気合が最初から最後まで続くと思っていただいてよし。
117分の上映時間のうち一部を除いて列車の中での出来事です。殺陣や空間を使った演出など狭い列車空間ではスケールダウンするかもという不安は杞憂となってます。梶浦由記さんの劇伴も物語を盛り上げ、作画/音楽の良さは太鼓判を押せましょう。まさに劇場で鑑賞すべき作品ですね。

ストーリーはいかんせん途上なのでなんとも言えじ。全体でどうこうはひとまず置いといて1エピソードとしてみるなら申し分なしではないでしょうか。家族愛との結びつきで“強くなれる理由”を知った本編なら、その強さを何のために使うのか志(こころざし)の領域、メインキャラ煉獄さんを通して“闘う理由”が劇場版でははっきりしてきます。感動するとしたらここ。個人的にはむしろ家族愛に囚われちゃうと見落としかねないとすら思ってます。

キャラはもちろん炎柱の煉獄さんがごっそり持ってくんですけどTV本編からの進展もある。炭治郎の同期、特に伊之助との絡みにそれは顕著でした。TV本編では兄と妹の絆に焦点あてていて友情プレイは控えめ。「努力」「友情」「勝利」の「友情」部分が希薄だったと言えましょう。そのため「友情」の中核たる善逸や伊之助についてキャラ立ちの良さを認めつつも別角度から見れば三人いることの相乗効果は感じられず、またギャグテイストな二人は一歩間違うとガヤ扱いでうるさい。炭治郎の“やさしさ”で繋ぎとめている関係に見えなくもなく、このへんが子供向けと断じてしまう要因だったように思えます。それが劇場版では幾分緩和されてました。段階が一段上がったとも言えるかも。
そして余力あるか2回目でもいいですけど“煉獄さん”“炭治郎”“善逸”“伊之助”“禰豆子”誰が欠けてもラストステージには届かないという細い糸を手繰り寄せるような作業を各々がしていたことを見逃さないでほしいです。

公開中なら映画館の迫力映像&音響を楽しめるのはもちろんのこと、例え機を逸して自宅鑑賞となったとしても、ストーリーやキャラの関係性がTV本編に上乗せされてるので見応えはあります。
それに事ここに至ってはなんだかんだ鑑賞のきっかけをはかるレビューの意義をあまり感じないのが本音。これだけメディアの露出がある作品ですのでお祭りに参加する感覚でよろしいのでは? 

ちなみに泣こう泣こうと思ってもそうはならないと思います。感動したーのインタビュー映像は一切無視。期待値のコントロールは各自しっかりして、無駄にハードルを上げ過ぎないようにしましょう。





※ネタバレ所感

■これはデカい!共通言語を獲得

「それにしても素人使うのはちょっと…」
劇場版が公開される度につぶやかれてきた常套句ですね。プロモ兼ねて世間認知度の高い俳優さんを起用するいつものアレ。ふとしたことで気づきます。このメガヒット作にその不満が一切ないことを。
このことはアニメファンにとって二重の意味で幸せなことだと思います。一つは文字通り棒演技を我慢することからの開放。二つめは共通言語の獲得。

 普段アニメを観ない人と声優さんの話ができる!{netabare}…かもしれない{/netabare}

「あー○○さんね。鬼滅で△△の役やってた人だよ」というテンプレがこの度誕生した衝撃はもの凄いものがあります。

「あー○○さんね。××で△△の役やってた人だよ」の××の選択肢がほぼジブリ/ディズニー/他夕方ご長寿アニメ独占状態だったところに近年『君の名は。』がやっと追加された今日この頃。
鬼滅はキャストが脇役含めて深夜アニメオールスターと言ってよく、TV本編を視聴してる層も一定数いることも考慮すると△△に入る人たちがめっちゃ多い。
竈門家だけでも父:三木眞一郎、母:桑島法子、子供たち:大地葉、本渡楓、古賀葵、小原好美とかいう水準。皆なにかしら代表作持ってる方々なのに一般の人からみれば誰も知られてない。
それが此度の一件で「鬼滅の煉獄さん役の人が主役はってるオーバーロードってのが…」みたいな発展が容易にできちゃう世界になってしまいました。
応用パターンも。スラダン世代だったら鱗瀧さん役の芳忠さんは仙道やってて、炭治郎が初めて遭遇するお堂の鬼役緑川光さんは流川楓だぜー!みたいなツカミもできるわけです。


実力のある制作会社。本職がもたらす声の演技の凄み。作品に寄り添って製作された主題歌の余韻。
よくよく考えると深夜アニメ王道を行くタイプの作品としてこれだけのメガヒットは史上初では?
訓練されたアニオタには常識でも一般人には未知なるフロンティア。今回初めて“深夜アニメ”に触れた多くの方々が泣いたり笑ったり楽しんでいるこの状況が喜ばしいのです。
あらためて思います。日本のアニメは素晴らしい。


■「家族愛」と言うけれど…

“覚悟”と“責任”のお話ですね。だから人々の琴線に触れるのだと思います。
“家族愛”があまりにもプッシュされてるんですけど少しばかり疑義が有る。行動や考え方の根っこに家族の存在は根付いてるけれども登場人物たちはその想いを大切にしながらそれより先。志を持ち責任を全うする覚悟を携えている。いわば未来を見据えております。むしろ鬼側の諸事情が家族止まりという対比にもなってますね。
愛郷心とでも言うべきでしょうか。家族より広範囲な+αの共同体を守らんとする物語となってます。

{netabare}TVの第2話で鱗瀧さんが炭治郎に覚悟を迫り禰豆子が人を襲った時に自害すると即答できなかったことを詰問するところから始まり、柱門会議の御前において禰豆子が人を襲えば腹を斬る主旨の書面をしたためていた鱗瀧さんと富岡義勇の凄みがまさにそれかと。三人とも実際の家族ではないのです。{/netabare}

{netabare}煉獄さんが守ったのは200名の乗客の生命。それと己の生き様でした。

劇中で炭治郎が叫んだ「勝利」の定義を受け入れられるかどうかは作品の評価に直結します。
野暮と承知しつつ、引き換えにしたものと天秤にかけて敢えて損得勘定したとしても、後進(炭治郎、善逸、伊之助)の心に炎を灯したことでお釣りが充分とれたよねと私は思ってます。
これが唯物論的に捉えるとまったく景色が変わってくると思います。物理的な勝利ではなく「え!?これでなんで感動するの?犬死じゃん」となっちゃうかも。{/netabare}








※マジで無駄話…しかも長くてゴメン

■つまりこういうことね

鑑賞済みの方向け。そのわりには全く踏み込んでないただの妄想のため閉じとく。

{netabare}国際関係に少しばかり踏み込むネタなため不快にさせちゃうかもしれません。たいした話ではありませんが念のための注意喚起。ブラウザバック推奨です。
ちなみに弊社は彼の当該国に事業所があり取引先も存在し、同僚もそこそこ多国籍でわりと喧々諤々楽しくやってます。そのため実地をそれなりに把握してると自負しつつ放言しますのでご容赦を。{/netabare}

{netabare}鬼 「鬼にならんか?14億の市場で儲けさせてやる!」
人 「一度鬼になれば利益の再投資は鬼界に限定され人間界には戻ってこれない」
鬼 「人口減少や低水準待遇の人間界に未来はない。鬼はいいぞ!バスに乗り遅れるな!」
人 「弱い鬼たちを浄化してふんぞり返るなんて俺とは考え方が違うということだ。断る!」

という既視感。{/netabare}

{netabare}代々蓄積されてきた肌感覚なんですよ。
菅原道真公がなんで大宰府に流されたかって遣唐使廃止で利権をごっそり潰したことへの報復でしょう。左遷先の大宰府で客死しそのあと都で人死にが続く。祟り扱いされたのは飛ばした連中に後ろめたさがあったからでしょうね。

となるとそんなリスク背負ってまで遣唐使廃止する必要なかったのになんで?となるのが普通の感覚です。そこで出てくるのがマルコ・ポーロの『東方見聞録』、玄奘三蔵の『大唐西域記』と並ぶ世界三大旅行記とされながら現代日本人にとってはドがつくマイナー書『入唐求法巡礼行記』(円仁)。刊行年は遣唐使廃止の50年くらい前。大陸の人肉食習慣その他悪習がこれでもかと書かれていて国内の東洋史学会ではウケない内容っすね。なお書店で販売されてるのは肝心な唐での体験部分がごっそり抜けたもの。

そもそも遣唐使は行って戻ればアホみたいに儲かる。交易あらば交流あり。文化は良し悪し関係なく流入してくるのは当たり前ですよね。巷では悪習が入り込んですこぶる庶民には評判が悪かったという土台があって、それを唐が滅亡する13年前に鎖国を断行。悪習の流入阻止ばかりではなく大国滅亡の混乱に巻き込まれることをも防ぐファインプレー。

そんなこんなで道真公は神社of神社ともいえる『天満宮』の御祭神であらせられますからね。亰で頻発する祟りを鎮めるために大宰府の庶民が詣でますかって話です。神童でならし出世が早かったなんて人は他にもたくさんいるでしょう。

 きっぱり関係を絶ったからです

そして別にこの時も後の江戸時代だって彼の国と敵対してたわけじゃないんですよ。付く時期と離れる時期の見極めは歴史に学んで良いと思います。隣り近所なんてそんなもんなんですから。
そもそも人食ってるところに利益ぶら下げられたからってホイホイついていくか?ってのが問われているのです。ズブズブになって「生殺与奪の権を他人に握らせる」前に道真公は撤退したのですよ。おそらく自分の身にふりかかる災難を見越した上でです。
そんな菅原道真公を祀って顕彰し続け御社に足を運ぶ1000年前の日本人の感覚と“煉獄さん拝みに劇場に足を運ぶ”僕らの感覚とでそんなには変わらんのだろうよと勝手に妄想している私です。大ヒット神社と大ヒット映画!うーん…このへんで止めとかないと罰が当たりそうなのでお終い。

{netabare}そういえばいつのまにか聖地化してた竈門神社も大宰府でしたね…{/netabare}


作品に戻って“正しく生きること”を考えさせられます。煉獄さんの母はこう言いました。

 「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です」

これはお侍さんの基本的な考え方だったかと思います。
思えば伊之助が乗客省みず猪突猛進しかけた時も乗客の安全を確保してからだったし、
火の呼吸は知らんので話はお仕舞だとぶった切ったと思いきや、煉獄家のヒントを指し示したり、
後輩の話を聞き流してんじゃなくて留めて心を砕いてくれてたんだなということがわかります。

そして正しいことをやるためには強くならないとね。子供に見せたいという声があるのも分かる気がします。子供に見せる名目で大人が見るのももちろんご随意に(笑)

{netabare}大事小事関係なく、私たちは常に「鬼にならないか」と誘われる日々を過ごしているといえます。人と鬼双方に事情があることは作中で示されており巷でも作品の魅力によく挙げられてますよね。そんなんで鬼にも同情すべき点があるなぁと呑気に構えていたら、この劇場版で煉獄さんに「鬼の倫理」と「人の倫理」は明確に違うことを突きつけられたわけです。{/netabare}

映像と音楽が突出して良くて、あとは良くも悪くも少年JUMP的作品。これはTV本編の私の評価です。その基本的な考えは変わってないのだけれどもちょっとだけTV本編よりも評価高めどす。{/netabare}



視聴時期:2020年10月 劇場にて 

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2020.11.15 追記

別に予言でもなかったのだがさっそくの教訓。

「お前も鬼にならないか?」 ⇒ 「はあいよろこんで~」

を地でいくNEWSが飛び込んできた。炭治郎の耳飾りのデザインを変更して某半島で配給するとのこと。長くなるので止めとく。



2020.11.01 初稿
2020.11.15 追記
2021.08.11 修正

投稿 : 2024/05/04
♥ : 65

剣道部 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

これは劇場版のレビューではなく、鬼滅の刃のヒットの要因を考えるレビューであり、劇場版のネタバレは一切含みません!

[文量→特盛り・内容→考察系]

じゃあ、テレビアニメの方に書けやという話なのですが、元々のテレビアニメのレビューに追記したら「字数オーバー」で消えてしまったので、こちらに失礼します(笑)

以前、ZIPで特集されてて、なるほどと思った。

まず、街頭インタビューに出てくる人がほとんど女性。やはり、女性にウケないと、真のヒット作品(社会現象)にはならないんだなと。

んで、ある女性が「心理描写がしっかりしている」ことを本作の魅力に挙げた。これは、正直意外だった。

というのは、本作の心理描写は悪いという意味ではなく、そもそも、「自分(男)としては、バトルアニメにそれ(心理描写)を求めてない」。

私は、バトルアニメ(漫画)が好きで、子供の頃からたくさん観てきたが、結局、バトルそのものが好きなんだと思う。

つまりは、「ドラゴンボール」に見る、「強さへの単純な憧れ」か「HUNTER×HUNTER」に見る、「高い戦術性への感嘆」かだ。

「ドラゴンボール」に、細かな心理描写なんてないし、いらない。むしろ邪魔(これは、ONE PIECEやFAIRY TAIL、TOUGHなんかもそう)。

「HUNTER×HUNTER」には細かな心理描写があるけれど、それは「心」というよりは「思考」であり、あくまで戦術を魅せるための前提条件に過ぎない(これは、NARUTOや喧嘩稼業、ワールドトリガーなんかに近い)。

私はテレビシリーズを☆4と高評価しているが、それは作画に対する評価が大半であり、物語やキャラクターに対する評価は(低くはないけど)高くない。

本作の「魅力」である(らしい)心理描写に関しては、「バトルのテンポを悪くしている」と酷評していたくらいだ(この辺はテレビシリーズのレビューに)。

だから正直、「つまんないアニメではないけど、ここまでヒットするのはなぜだろう?」という疑問を持っていた。原作も読んだけれど、バトル漫画としては中の上。正直、これより面白い漫画は、過去現在数多ある。

これは、批判をしているのではなく、不思議だっただけ。

そもそも、(私以外の)多くの人に受け入れられているということは、私に見る目がないか、私の好みに合わないかのどちらかだから。

心理描写、というキーワードにも関係するのだけれど、「鬼滅」にあるのが、「キャラの可愛さ」と「愛を打ち出す設定」。

「鬼滅」のキャラクター(炭治郎、善逸、伊之助)には、少し、「隙」がある。「脆さ」とか「弱さ」と表現しても良い。

多分それが、女性目線で観たときの「愛されポイント」であり、「可愛さ」に繋がる。男性目線で見るなら、「女々しさにイラッとするところ」だ(実際、悟空とか全然可愛くないじゃん。べジータとかクリリンはちょっと可愛いけどw)。

ちなみに、余談の余談だけど、「可愛い」の語源は、「かわゆし」という古語で、「不憫だ」「気の毒だ」といった意味を表す。つまり、今の「可哀想」と「可愛い」は元々同じ言葉から分岐したものである。よって、「可愛い」には、「守ってあげたい」という「庇護欲」が含まれるのだ。赤ちゃんや動物を「可愛い」と感じるのはこの点だし、ゆるキャラやお爺ちゃんを「可愛い」と表現する理由でもある。強い者は不憫ではないから可愛くない。炭治郎やべジータが可愛いのは、「不憫だ」というのがあると思う。

閑話休題。

と、これだけ可愛いキャラなのに、「決めるところは決める」「格好良さ」を持ち併せていて、しかもそれを神作画によって何倍にも増やしているので、人気が出る(この辺は特に、子供ウケするところかなと思う)。

しかも、その動機が、「愛」に起因している。

同じくZIPで、前述とは違う女性が、炭治郎の「家族(妹)愛」に触れていた。

男はきっと、「禰󠄀豆子、可愛い」になるけど、女性は多分、「禰󠄀豆子を必死に守る炭治郎、可愛い」になるんじゃないかと。つまり、炭治郎の「家族(兄妹)愛」に、女性は萌えるのだ。

話は変わるが、「劇場版コナン」には多くの大人の女性が足を運ぶことは知られている。この「劇場版コナン」にも、「キャラの可愛さ」「コナン×ランや、服部×和葉の恋愛」「神作画によるアクション」がある。個人的には、推理モノにはトリックや推理の質を求めたいのだけど、世の中(女性)的には、そこのクオリティはそこまで求めてないのかな。

ここまで、「女性」に絞って論じてきたが、「子供」について考えた時、「鬼 対 人」という設定が生きてくる。鬼も、実質人間のような側面があるから、葛藤や深みを描けるが、あくまで「鬼」であるので、子供が好きな(そして親が子供に見せるのが好きな)「勧善懲悪」の要素が入る。つまり、「おいしいどこ取り」。これが「人 対 人」なら、もっと生々しくなるし、グロいシーンも、教育の観点で大人から忌避されるかもしれない。

てかまあ、子供なんて子供騙しで騙せるから。それが子供。あのエキセントリックな容姿や特徴的で分かりやすい服装は、子供にウケると思う(子供が見分けやすいの大事)。

あと、メディアへの露出で考えると、でかかったのが、LiSAさんの「紅蓮華」。

個人的に好きなアニソンランキングを作れば、多分、ベスト50にも入れないと思う(他にもっと好きな曲はある)けど、これ以上、メディア向きの曲は、パッとは思いつかない。

「どうしたって~ありがとう悲しみよ」までで約15秒。サビの長さやパワフルさ、キャッチーなメロディは、情報番組で、アニメの映像を10~15秒程度引用する時に流す曲として、バッチリなんだよね。紅白で、全世代的に、耳馴染みになっただろうし。

紅蓮華がなければ、ここまでメディアは取り上げなかったかもしれない。

以上、本作は、「ヒットすべくしてヒットした」作品=秀作、だと思う。

重ねていうが、私たちのような、「腐るほど少年漫画や深夜アニメを観てきたオッサンオタク」にハマったところで、社会現象にはならない。

アニメや漫画に疎い「にわか」をどれだけ熱狂さそられるかが、「ヒット」の要因になるのだ。それは否定できない。

あと、これは狙ったわけじゃないだろうけど、映画に関しては公開時期が絶妙。コロナで外出自粛が続き、色々フラストレーションが溜まった時期。しかも、ややコロナが小康状態で、外出もなんとなくOKな雰囲気に。しかも、映画館が「客半数を止めた」直後というタイミング。まだ旅行とかは控えても、映画くらいだったらみたいな気持ちになるのも、理解は出来る。

そりゃ、ヒットするわな(勿論、映画自体の単純なクオリティの高さは大前提として)。

と、やや「バクマン」の「秀人」のような視点になってしまったが、ヒットの要因を自分的に考えてみた。

劇場版は、観たいけど、コロナ流行ってるから悩む。もし観たら、短めに感想を追記したい。

ところで、アニメ二期楽しみなのだが、こんだけ映画がヒットしたら、テレビアニメ二期を作るメリットあるのかな? ここからずっと映画展開にしていく方が、収益でかいのでは? と思ってしまう。

あとどうでも良いけど、最近、節操のないコラボ商品多すぎて、やや辟易。悪い印象&飽きがあり、長い目でみた時、このコラボ多可は失敗だと思う。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 47
ネタバレ

ようす さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

辛くても惨めでも、託された未来へ向かって生き続けるしかない。心に炎を灯して…。

鬼滅の刃、劇場版。

TVシリーズからの続きとなっていますので、
TVシリーズを見てからの視聴をおすすめします。

これまでのあらすじなどの説明や振り返りは一切ありません。
TVシリーズのラストシーンから物語はスタートです。

映画、ものすごい人気ですね。

自分が観る前に煉獄さんの大事なところをネタバレされちゃったので、
(職場で大声で話してるのが聞えてしまった(´;ω;`))

これ以上ネタバレを喰らったらやだなーと
びくびくしながら過ごすのが嫌になったので、私も映画館で見てきました。笑

職場から近い映画館が私にはどうも合わなくて、
あまり作品に入り込めなかったのですが…。
(最近忙しくて、別の映画館まで出かける余裕もなく^^;)

たくさんの時間帯で上映されてて、
私は平日の夜7時台の上映を見たのですが、
席は6~7割ほど埋まってました。

時間帯的に大人が多かったです。
年齢層は幅広かったなあ。

120分ほどの作品です。


● ストーリー
鬼殺隊(きさつたい)に所属する竈門炭治郎(かまど たんじろう)達は、
次なる任務のために無限列車(むげんれっしゃ)に乗り込んだ。

そこにいた炎柱・煉獄杏寿郎(れんごく きょうじゅろう)と共に、
無限列車に関わる鬼を倒すことが次の任務だった。

無限列車で事件を起こしていたのは、
下弦の壱・魘夢(えんむ)。

彼は、ターゲットを眠らせて夢を見せるという術の使い手。

魘夢の術にかかって眠ってしまい、
夢を見る炭治郎たち。

迫りくる魘夢の魔の手から、
乗客を守り抜くことができるのか…?


TVシリーズの続編として制作するには尺が足りないからと、
劇場版で制作されることになった無限列車編。

劇場版で一気にストーリーを楽しむことができたのは、
よかったです^^

泣けるぞ泣けるぞと言われて、
いつ来るのかいつ来るのか、タオルを握りしめながら観てましたが(笑)、

どかんと派手な一発が来るわけではなく、
流れを追っているうちに気が付けば涙がこぼれていたという感じ。

静かに流れる涙でした。(タオル未使用)

{netabare} 死に際の笑顔は無条件で泣ける説。 {/netabare}

観終わった後は、
世間で騒がれるほどの満足度は私にはないかな…と思ってたけど、

こうしてレビューを書きながら振り返ってみると、
見てよかったなと思います。

ネタバレされてなければもっと楽しめたかなー。

結末を知っていたからか、
「こうなるんでしょ?」とどこか冷めてしまってたところがありました。

憎しネタバレ(´;ω;`)


● キャラクター
炭治郎たち主要キャラは今回も安定。

善逸(ぜんいつ)は変わらずギャーギャーうるさいし、
伊之助(いのすけ)は我が道行き過ぎだし。笑

でもやっぱり頼りになるやつらで、
いると心強いし、雰囲気も明るくなりますね。

今回はシリアスな展開が多い中、
二人は笑わせるパートを多く担ってくれていました^^

禰󠄀豆子(ねずこ)の出番は少なかったですが、
炭治郎との絡みが可愛かったです(*´ω`*)


そして、この映画の主役と言ってもいいほどの活躍を見せたのが、
炎柱の煉獄さん。

いやー、煉獄さんマジかっこよい。
この映画を見て惚れる人が続出するのも納得です。

cv.日野聡さんというのが、
またよかったです^^

炭治郎たちの技はTVシリーズであらかた観ましたので、
煉獄さんの技が新鮮でかっこよくて…!

煉獄さんちょっと変なところが面白くて、
優しくて強くて。

煉獄さんの戦うシーンの作画や演出は、
何度でも繰り返し見たくなるかっこよさでした。

この作品、
水の表現もよいけど、炎もかっこよかった。


今回の敵の魘夢(cv.平川大輔)。

ネットで魘夢のタスクを視覚化した考察が話題になっていて、
笑っちゃいましたw

これだけの計画と仕事をしたのに、炭治郎たちに邪魔されて、
魘夢目線で見ると、確かに悪夢だなと同情しますw

1人ひとりに合わせて、その人が見たい夢を見せてくれるなんて、
どれだけ力注いでるんだ…サービスすごい。

まあ、目的はそこから絶望に叩き落して殺すのを楽しむためだから、
いい人とは言えないけれど。笑

炭治郎と煉獄さんの見た夢は、
願いが込められててジーンと来るんだけど、

伊之助と善逸の夢は己の欲望丸出しで、
なんて幸せなやつらなんだと笑っちゃったよ。笑


もう一人の鬼・猗窩座(あかざ)(cv.石田彰)は、
声が石田彰さんというだけで興奮してましたw

なんで石田さんが演じるだけで、
強敵感隠せなくなるんだろう…。笑

登場して石田さんの声聞いた瞬間に
「絶対強い奴やん。」って確信したw

この鬼の存在は公開が始まってしばらくしてから告知されるようになりましたが、
私も知らない状態で見たかったなー。

予告編では一切触れなかったの、
正解だったと思います。

知らなかったら絶対驚いて興奮してたと思う。
魘夢の他にも強いやつがいるのか!って。


● 音楽
【 主題歌「炎」/ LiSA 】

映画を観る前から耳にしていた曲。

だけどやっぱり映画を観る前と見た後では、
この歌を聴いて感じることが全然違いますね。

これは映画を見ないと真の魅力は伝わって来ない曲。
曲を聴くだけで映画のクライマックスでの感情が蘇ってくる。

梶浦由記さん、
作品に合わせた曲を作る天才です。

もちろん、それを歌い上げるのが
LiSAさんだからという魅力もあります^^


BGMもここぞというところでより盛り上げてくれて、
よかったです♪


● まとめ
絶対続編のある終わり方だったので、
炭治郎たちの次なる任務や成長を楽しみにします。

私は鬼滅ファンというわけではありませんが、
作画や演出はやっぱりすごいなと感じました。

劇場で見たからか、効果音(列車の音、切符を切る音、刀の音など)が、
ものすごく丁寧に感じました。

キャラも安定していて、
やっぱりいいですね^^

他の柱たちの活躍も楽しみになりました。

アニメとしての鬼滅の刃、
続編も楽しみに待ちます♪

投稿 : 2024/05/04
♥ : 25
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