悲哀で災害なおすすめアニメランキング 2

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早速見ていきましょう!

86.3 1 悲哀で災害なアニメランキング1位
東京マグニチュード8.0(TVアニメ動画)

2009年夏アニメ
★★★★☆ 3.8 (2691)
13810人が棚に入れました
中学1年生の小野沢未来は弟の悠貴のお守りとして一緒に東京のお台場へロボット展を見に来ていた。その最中、東京にM8.0の海溝型大地震が発生、連絡橋は崩壊し、東京タワーが倒壊するなど、東京は大きな被害を受ける。
未来と悠貴はお台場で出会ったバイク便ライダー日下部真理の力を借りて世田谷の自宅へ帰ろうとする。

声優・キャラクター
花村怜美、小林由美子、甲斐田裕子、喜多村英梨、豊崎愛生、高平成美、遠藤綾、沢城みゆき、野中藍、中博史、井上喜久子、滝川クリステル
ネタバレ

fuushin さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

長尺の目と、fuushinの妄想、もう、よそう。2018.12.5 追記。

本作のレビューからズレてしまうことをお許しください。

{netabare}
先日の大阪の地震は、愛知県では震度4でした。
私は職場にいて、「あ、ついに来た!」と身構えました。
熊本地震、東日本大震災、阪神淡路大震災の実情。
桜島、霧島連山、御嶽山、草津白根山などの噴火の記憶も生々しい。

しかし、私の知識はほぼほぼ中学生レベルで止まっています。
高校で、地学を取りましたが記憶するばっかりで、実学には結びついていません。

本作では、地震学者から見ると、待望の啓蒙作品でもあるし、危機管理と対策の教本的なものなのかもしれません。

マグニチュードという言葉を調べていて、ちょっと理解が進んだのですが、先日の大阪の地震はM6.1でした。震源地は地下13㎞です。

これは、広島に投下された原爆(20キロトン)の放出エネルギーと同じです。地下13㎞のエネルギーは、地表ではあの爆発規模になるのですね。

ちなみに、東日本大震災(M9.0)は、関東大震災の約50倍、阪神・淡路大震災の約1400倍です。

(ここまでは、「日本の地下で何が起きているのか」(鎌田浩毅氏著。岩波科学ライブラリー。2017.10.18)より一部引用。)

さて、私はザックを担いで鈴鹿、比叡、伊吹山などから琵琶湖を眺めるのが好きで、その大きさに感銘を受けるのですが、同じように、北、中央、南アルプスを縦走するのも好きです。雄大な山並みや巨大な山塊には地球のパワーに圧倒されます。
体力的には2泊3日が限界ですので、そうそう長い距離は歩けませんが、見るだけなら、160㎞くらいは(富士山から槍ヶ岳)。思いを馳せるだけなら、九州・北海道の山も・・見て見たい。

それで、南海トラフの距離は、東西約700㎞と、全く私の想像を超えます。ここが動くかも・・・ということですね。


ここから先は、fuushinの虚妄です。はい。

本作を観た後のレビューとして適切ではないかもしれません。
いつものようにちょっぴり、スピリチャルっぽく書いていますので、お好みでない方はスルーしてくださいね。
 
私は、「君の名は。」や「かぐや姫の物語」などで、いささか異質なレビューを書いていますが、その視点は、縁の不思議さや魂の錬磨といったたぐいのものです。そして、そのアプローチには、言霊、数霊、シンクロニシティといったたぐいの概念を使っています。

前振りした地震についての妄想なのですが、今、こう思います。

ひとつは、ジュセリーノ・ダ・ルース氏の「予言」です。ネットでは「怪情報」としての扱いです。まあ、そうでしょう。

2018年6月21日。(夏至ですね。陽の極点です)

明日ですが、東海地震の発生を「予言」しています。本当かどうかは分かりませんが、この人の予言は結構な確率で「的中」させているので、個人的には全否定はしていません。もちろん当たらないことを祈りますが。

マグニチュードは、10.6。 東日本大震災が9.0でしたから、放出されるエネルギーは、数100倍(詳しくないのでごめんなさい)。

日本地震学会では、「中央防災会議での「現状では東海地震の確度の高い予測は困難」との議論もあり、より範囲の広い南海トラフ地震の想定震源域全体(駿河湾〜宮崎沖)を対象とした「南海トラフ地震に関連する情報」の運用が平成29年11月1日から始まりました。」と述べ、ホームページの「東海地震に関する項目」はすべて「改定中」になっています。つまり、学会としては見解を出してはいません。

これを受け、気象庁は「当面の間、気象庁は「南海トラフ地震に関連する情報」を発表することとしました。この情報は、平成29年11月1日から運用を開始しました。」としています。

ちまたの官民合わせた情報においても、「いつ起きても不思議ではない」となっています。そういういろんな科学的な知見、防災予防、啓蒙に機運がかつてなく高まってきてはいます。そう思うと、私は、ジュセリーノ氏の予言もあながち間違いではなく、当たらなければいいわけで、当たれば困る・・・ということです。


それで、fuushinの思いとしてはこうです。

日本を、龍体と見立てたとき、琵琶湖は「子宮」、淀川は「産道」になります。震源地はその付近でした。それは陣痛?何かが生みだされる?それは何?

琵琶湖には、竹生島があり、都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ、竹生島神社)が坐しています。
主祭神は、市杵島姫命(イチキシマヒメ)。
天照大神の子で、皇孫(こうそん)邇邇芸命(ににぎのみこと)が降臨に際し、養育係として付き添い、邇邇芸命を立派に生育させたことから、子守の神さま、子供の守護神として、崇敬されている」との謂れがあります。
女性の人格を持った神様ですね。
仏教(4次元界)になると、弁財天です。日本最古・最初の弁財天で、日本三大弁財天とも言われています。江島神社(神奈川県 江の島)・厳島神社(広島県 厳島)

女性・子宝・生産の象意をもつ神仏の働きを予感させます。

また、『近江国風土記』には、夷服岳(伊吹山)の多多美比古命が姪にあたる浅井岳(金糞岳)の浅井姫命と高さ比べをし、負けた多多美比古命が怒って浅井姫命の首を斬ったところ、湖に落ちた首が竹生島になったという記述があって、ここにも"夷"の文字がありました。
(今季、春アニメには、この"夷"に纏わる作品がちっくと多いような・・・。ちなみに、夷→エビス→外国人→外来の知見(特に農業生産技術)→尊敬・崇敬→神社の主祭神という流れがあります。また、夷=戎≒十戒=モーセの十戒ですね。伊吹山の隠された主祭神はどなたかしら、なんてね。)



プールの壁が崩れたのは、"寿栄小学校"。
被害にあわれたのは9歳の女の子。

この小学校の校章は"六芒星"を彷彿とさせます。(一般的にも校章に6角形を取り入れたデザインは多いのですが)
六芒星は、伊勢神宮、元伊勢とも呼ばれる籠神社(京都府宮津市)の隠された印章です。一説には「ダビデマーク」とも言われています。
ダビデは、約3000年前にイスラエル王国の王となり、12部族をまとめたと言われています(旧約聖書)。

寿栄という言葉は、歴史的には地元の寿町と栄町の両方の名前を使ったものなので、それだけをみると深い意味はありません。しかし、非常に印象的な言霊の響き(ことほぎ、さかえる)です。

9は数霊では「尊いもの・人間」を意味します。
女の子は「社会的な弱者」の暗喩になるでしょう。
壁は、「重い何かが覆いかぶさっている」「出るに出られない状態=どうにかして間もなく出てくる」という意味かもしれません。

これらを、シンクロニシティしてみると、日本で、あるいは世界情勢に、なにか大きくて尊いものが現れる前兆、狼煙(のろし)のような、加えて、南海トラフ地震への直前の警鐘のようにも感じるのです。



・・・はい、そうです。ただの妄想です。もちろん大きな地震は起こらないにこしたことはありません。ただ、科学的には「いつ起きても、明日起きても不思議ではない」という評価もあるので、ちょっと気になっただけなんです。

それをどう捉え、どう乗りこえるのか。
魂をどう磨くのか。どう守るのか。
自助、共助、公助にどんな知恵を働かすのか。
当面のポイントはここのような気がしています。

不快な気持ちにさせてしまったら、本当にごめんなさい。
{/netabare}

本作を鑑賞して、ふと、要らないことを書いてしまいました。

2018.6.22追記。
{netabare}
今日から、予言は予言でなくなりました。ただ、ホッとしていいのかどうかは一概には言えなくて、これで安心して眠れるという訳にもいきません。まんじりともしない気分です。
例えれば、今日から"毎日が8月31日"のような気分です。ごめんなさい、告白します。学校なんてなくなっちゃえばいいって、何度も思ってました。懺悔します。本作の主人公と同じです。
 
ものの本によると、"正しく怖がりましょう"と書いてありました。
地域ごとで言い伝えられている伝承とか史跡とかは、激甚災害から生き延びてきた先人たちのしたたかな知の財産ですし、最新の科学(プレートテクトニクス理論からプルームテクトニクス理論へ)もまた、未来につなげられる知の財産のひとつだと思います。

プレートが4つもひしめき合っている地域は、日本、インドネシアとその周辺、コロンビアとその周辺くらいです。
この地域は、文学的に言えば、地球規模の"ムスビとすれ違い"のもっとも激しい場所。
大地と海洋の感情と情動を、敏感に感じ取って生きている地球人の一人として、こうした国々とネットワークを組み、世界一の災害強国としての知性と見識、行動と体制作りなどを共有して70億人の人々に還元できるようになるといいですね。

長尺の目で、100年、500年、1000年、1万年というスパンで、自分と周りの人たちの命も同様に、慈愛で視る目を持ち、率先避難者(逃げるが勝ち)になろうと思います。
そうして何があっても、生き延びねばと思います。サッカーならいいけど、戦争や紛争なんてしている場合じゃないな。

そういう意味でも、本作の魅力を発信し続けていくことは大事ですね。先輩レビュアーさんの感想を読んでそう思いました。感謝しかありません。
{/netabare}

2018.12.5 追記。
{netabare}
またぞろ、こんなことを書いて不謹慎なこととは重々承知しています。
おバカな fuushinの妄想かと笑い飛ばしていただければと思います。

ジュセリーノ氏ほか、直近の地震の予言をなさっています。
12月7日、9日です。9日が本震で、マグニチュードが8.5と言う人もいるようです。
書籍、ネットにも記されています。関心のある方はご覧になってみてください。
ないにこしたことはありませんが、準備だけはしっかりとしておきたいと思います。
{/netabare}

長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

本作が、みなに愛されますように。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 28
ネタバレ

disaruto さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

後悔、先に立たず。

制作はボンズ×キネマシトラスのオリジナルアニメです。
ジャンルはリアル地震シミュレーション・ヒューマンドラマです。
ノイタミナ作品になります。


中学一年生の少女・小野沢未来を主人公とし、M8.0の直下地震に襲われた東京を舞台に描かれる作品。
未来は弟の悠貴とともに、お台場のロボット展へと来ていた。
名門私立に通う彼女はどこか厭世観を持っており、鬱屈とした感情を抱えていた。
それを晴らすためか「こんな世界、壊れちゃえばいいのに。」とインターネットに描き込んだ、その時…。


東日本大震災の発生で一際注目され、文化庁メディア芸術祭アニメーション部門において優秀賞を受賞している作品。
ノイタミナ作品の中でも、かなりの社会派に分類されます。
こういった題材の作品ですので、いつになく真剣に書きます。


前半は地震に対する恐怖と三助(自助・共助・公助)・それにまつわる人間ドラマについて描き、後半は未来が{netabare}PTSDとなって悠貴の存在の大切さに気づき、心理的に{/netabare}成長する姿を描きます。
流石に地震のみを題材に作品を作ると重すぎるし、尺も取れないから人間ドラマを主体にした構成としたのでしょう。
全11話ですが、正直8話くらいでも上手くまとめられた内容かとは思いますがね。


本作における“リアリティ”は“地震”という現象の捉え方や初動時の対応、一般人の描き方にあるかと思います。
この面における過剰描写はほぼなく、すっと物語に入り込めました。
建物崩壊の描写は、多分見たらゾッとすると思いますよ。
やたら性悪な人物とかが出てくると冷めてしまいますけど、そこの塩梅も上手かったですね。
もちろんフィクションなので扇動的な描写もありますけど、許容範囲かと。


逆に主要人物たちの心情描写は雑に感じる場面も多かったです。
主人公の未来は捻くれた性格という設定ですが、それを引っ張りすぎている感はあります。
最終的に改心させて、視聴者を泣かせる意図が最初から透けて見えてしまったのは少々残念なところ。
また、姉弟とともに行動した日下部真理。
正直、なぜ姉弟と一緒に行動したのか終始分からず。
劇中で触れられていますが、幼い娘がいるならばそちらを優先すると思いますが…。

また、どの建物もほぼ半壊以上というのはやりすぎではないかとも思いました。
世田谷区は密集住宅地ですのでまだ分かるのですが、都心三区の一つである港区はそこまで軟な耐震基準じゃないはず。
地震描写に関しては、ここだけ納得できなかったです。




以下ではネタバレありで、細かい部分について詳しく書きます。

○終盤における“あの演出”
{netabare}見た人の中で多分最も賛否両論となるのが、“実は終盤の悠貴が幽霊だった”という事でしょう。
最初に書きますが、私自身この設定には否定的です。

本作は“リアル地震シミュレーション”という触れ込みで制作されています。
リアリティを重視しているはずなのにファンタジーを入れてしまったら、それはもう何だか分からないシロモノになってしまいます。
人間ドラマを主眼とし、終盤の盛り上がりのための設定だと思いますが、もう少し上手く出来なかったかなと。
後述しますが、幽霊で通すならば細かいところまで描写してほしかったですね。

でも最終回は上手く泣かせに来ていますね。
幽霊だから、ちょっと「あの花」と被りましたけど、こっちの方が上手かったような気もします。
まあ “質の良い涙”ではないですから、何とも。{/netabare}



○“影”について(「妄想代理人」の第8話、「明るい家族計画」のネタバレも含みます)
{netabare}細かいところだと思いますが、私は“影”が気になりました。
正直、8話時点で悠貴が死んでいるのは読めましたので、類似していた「妄想代理人」を思い出して“影”を見ていました。
8話から10話までは実は普通に影がありますが、11話だけ悠貴自身の影がないです。
「妄想代理人」では死んでから自身の影は完全に消していたので、ここは是非とも統一してほしかったところ。
8話から10話は演出次第で上手く誤魔化せると思いますしね。

同じような論点ですけど、悠貴が物体に触れていない点は良かったと思います。
彼は幽霊として出てきてからは何も触れていませんから。{/netabare}



○ “性格”と“思慮分別”
{netabare}ここについては思う人も多いのではないでしょうか?

まず主人公の性格。
キツくて、合わない視聴者も多いのでは。
ここに関しては合う合わないの問題なので追及はしませんが、前述の通り、体の良い主人公像に見えてしまう部分もあります。
設定自体はそれでも構わないですが、経過の部分をもっと大切に描いてほしかったかな。

続いて“思慮分別”。
ロボットオタクの少年が出てきますが、彼は別に登場させる必要がなかったと思うのですが…。
ロボットを救うために自分が崩壊しそうな場所に立ち入るっていうのは、いくら中一だからって“危なすぎる行為”だと分かりそうですけど。
彼の登場が以降のエピソードに影響しているわけでもないので、ここに関しては無駄と感じてしまいました。
悠貴がロボットを追うというのならば、まだ分かりますがね。{/netabare}



○9話の真理に関する演出
{netabare}具体的に言えば、真理が小学校で娘・義母?の遺体と対面する場面です。
布で顔が隠れているわけですけど、同じ地域に、同じ年齢構成の、同じ髪型の女性二人が生活し、それが死亡する確率はいったいどれだけのものでしょう?
気が動転していて勘違いしていたでは済まされない部分だと私は感じてしまいました。
この後、娘・義母ともに生きていることが分かるわけですけど、ちょっと無理がある演出だと思います。
感動の気持ちがサーっと引いてしまった。{/netabare}



総括して、確かに悲しくて泣ける作品です。
防災に対する啓蒙作品としても優れています。
私自身、心情的には惹かれる部分も多々ありましたが、論理的には納得のできない部分も同様にありました。

でも本作を駄作・凡作とは露ほども思いませんし、「一度は見ておいてよかった」とも思います。
地震について考えてみたい方は、一度ご覧になってはいかがでしょうか?
家族で見れば、防災について考える良いきっかけにもなるかと。

点数の割に酷評気味な書き方ですが、いろいろ思うところがあったからです。
本作自体に興味がなかったら、こんなに長文を書きませんからね。
それでは、長文失礼しました。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 51
ネタバレ

ようす さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

東京で大きな地震が発生。そして家族のかけがえのなさに気が付いた…。

この作品は、観るかどうかとても迷いました。

震災の恐ろしさや悲しさ…
そんなやるせなさの中に自ら飛び込む勇気が持てなかったからです。

自分たちの身にもいつか…
なんてことを考えてもどうしようもないし、

もしもの時のために備えをしても、
どれだけ覚悟をしたとしても、

「よし、これでいつ大きな地震が来ても大丈夫!」
なんて言える日は絶対に来ない。


幼い頃、阪神淡路大震災を体験しました。

あらゆる記憶がはっきりとしていないほど幼かったのですが、
それでも地震発生時の事は今でもはっきりと、鮮明に覚えています。

体験したことのない激しい揺れ。
横並びで寝ていた私と妹の上に覆いかぶさりながら、何かを叫んでいる母。
起き上がることも何もできず、
ただ揺れが収まることを待つことしかできなかった時間。

そして揺れが収まった後に見た、家の中の有様。
高速道路の下敷きになって死んだ近所の人の話。
水道が復旧するまで、地下水を汲みに行くのは私の仕事だったこと。

幸いにも大きな被害のない地域でしたが、
あの時感じた揺れと恐怖、非日常な日々は、はっきりと私の中に残っています。

その記憶で十分…
今さら、わざわざ怖いものを観なくても…。
そんな迷いがありました。

だけど観終わった今、
この作品を観てよかったと思っています。

そして、たくさんの人に知ってもらいたい作品だと思いました。

全11話です。


● ストーリー
未来の事なんてわからない。

共働きで忙しくしていて、
口を開けば小言ばかりの両親。

家族、自己中心的な人たち…
いろんなことにイライラが募る日々。

夏休み、弟の悠貴(ゆうき)に付き添って、
お台場のロボット展にやってきた小野沢未来(おのざわ みらい)。

「いっそのこと、こんな世界、壊れちゃえばいいのに。」
何気なくそうつぶやいた瞬間、その地震はやってきた。


東京を襲ったマグニチュード8.0の地震。

これは、
大きな震災を体験したことがない人ほど見てほしい作品です。

そしてこんな現実に、
いつか直面するかもしれないイメージを持っておくべきだと思います。

この作品で描かれていることは、
決して大げさなことではないから。

むしろ現実はもっとひどいと思うから。


主人公の未来が常にイライラしていて、

元気づけようとしてくれる悠貴にさえ当たり散らすのは、
観ていて気分がよくありませんが、

そこに目をつぶることができれば、
ストーリーの構成は素晴らしい。

地震発生、
お台場から世田谷の自宅へ歩いて戻る道中、
家族の安否に募る不安、
そして自宅に到着…。

こういうアニメを、本気で作ろうとする意欲が素晴らしい。
国家認定のアニメにするべきだ!

11話 {netabare} 家族との再会と、悠貴の死と、悲しさを乗り越えようとする未来の姿 {/netabare}には大泣きでした(´;ω;`)


● キャラクター
中学1年生の女の子、未来。

いろんなことに不安が募って、
毎日がイライラ。

それは等身大な中学生の姿だと思います。

だけど、ちょっと性格が歪んているのが難点。笑

弟の悠貴(小学3年生)は、
とてもいい子なのにな…。

だけど、この震災を通して、
一番心が成長するのは彼女です。

観ていてイライラする子ではありますが、
この作品の主人公としてはふさわしい子だとも思います。


偶然未来と悠貴と知り合い、
途中まで一緒に帰ることになった、マリさん。

自分の娘と母の事も心配でたまらないはずなのに、
2人の事を放っておけず、あれこれ面倒を見てくれるなんとも優しい人です。

自分がマリさんの立場だったら、
ここまでできる自信が私にはない…(;´Д`)

マリさんと出会えたことが、
2人にとって最大の幸運だったと言えるでしょう。


● 音楽
【 OP「キミノウタ」/ abingdon boys school 】

abingdon boys schoolは、
西川貴教さんがボーカルを務めるバンド。

曲もかっこいいですが、
何よりも私が衝撃を受けたのは、映像ですね。

OPで流れるのは、震災後、倒壊した東京各地の様子。

写真やテレビで見たことある有名な観光地も、
震災にあうとこうなるのかも…

というリアルな映像が、
とても衝撃的でした。

いつもOPもEDも必ず観ますが、

あまりにもOPの映像がリアルで怖くて、
とばしたくなってしまったほどです。

この映像だけでも観る価値ありですね。


【 ED「M/elody」/ 辻詩音 】

この曲単体でも、
十分いい曲です。

この作品を最終話まで観たなら、
より魅力が増します。

明るい曲調には、
未来を信じて、というメッセージが込められているような気が…。


● まとめ
「もしも大きな地震が起こったら」というテーマを、
見事に描き切ったと思います。

恐怖、不安、不便さ、心配、我慢、
家族への想い、辛い別れ、辛い想いを抱える人々…。

今ある当たり前の生活は、簡単に壊れてしまうかもしれないこと。
今ある当たり前の生活が、とても幸せで恵まれたものであること。

それを忘れてはいけないですね。
傍にいる人の大切さに気づけなかった後悔が生まれないように。

もっと多くの人に観てもらいたいと思う作品でした。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 35

71.7 2 悲哀で災害なアニメランキング2位
風立ちぬ(アニメ映画)

2013年7月20日
★★★★☆ 3.8 (812)
4277人が棚に入れました
かつて、日本で戦争があった。大正から昭和へ、1920年代の日本は、不景気と貧乏、病気、そして大震災と、まことに生きるのに辛い時代だった。そして、日本は戦争へ突入していった。当時の若者たちは、そんな時代をどう生きたのか?イタリアのカプローニへの時空を超えた尊敬と友情、後に神話と化した零戦の誕生、薄幸の少女菜穂子との出会いと別れ。この映画は、実在の人物、堀越二郎の半生を描く──。堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて。生きねば。

声優・キャラクター
庵野秀明、瀧本美織、西島秀俊、西村雅彦、スティーブン・アルパート、風間杜夫、竹下景子、志田未来、國村隼、大竹しのぶ、野村萬斎
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

賛否両論は仕方ない。。。(補足追記)

あらすじは他の方のレビュー等をご参照ください。

 二度目の視聴後のレビューになります。
 この作品は、良質な文学作品のように非常に緻密に構成されています。表面的なストーリーを追うよりは、各シーンから二郎と菜穂子の人物像を読み解いていく作業に集中すると、より楽しめると思います。
 なお、過去のジブリ作品における経験をこの作品に持ち込むと、大抵の場合は期待外れになるような気がします。期待外れがプラスに働くかマイナスに働くかは見る人次第ですが、物語を感情的に捉える人にはマイナスに、構造的に捉える人にはプラスに働くのではないでしょうか。
 もちろんこれは視聴方法の好みであって、優劣の問題ではありませんけどね。今作のように構造に寄った作品は今までの宮崎駿作品にはなかったように思います。私は、宮崎駿作品に限らず、他の全ての作品と一線を画す傑作に仕上がっていると思っています。(追記しました)


テーマ・ジャンル:
 テーマやジャンルを特定するのは難しいですが、いわゆる私小説的な作品ですね。二郎の幼少期から菜穂子との別離までを描いたものです。幻想の世界というファンタジー要素も含んでいますが、震災や戦争はテーマではありません。時代が人に影響を与えることは避けられませんので、時代背景としては不可欠なものですが、殊更構えて見るべきではないと思います。

人物像:
 二郎と菜穂子の人物像を語ることで物語の考察の大半が終了します。端的に述べますと、二郎は「夢見るくそったれ」で、菜穂子は「したたかでかわいい女性」となるでしょう。上手い表現が見つからずに心苦しいのですが、遠からずといった表現にはなっていると思います。過去の宮崎作品の主人公像を、絶対に持ち込んではいけません。
 以下ではその裏付けとなるエピソードについて記述していきます。

1.二郎
①初恋{netabare}
 二郎が最初に恋をしたのは、菜穂子ではなくお絹です。菜穂子に恋をするのが当然と思い視聴してしまうのですが、震災時の描写で最初の違和感が現れます。
 避難先の境内において、二郎が水を運んでくる描写があるのですが、菜穂子ではなくお絹に水を飲ませています。菜穂子はおこぼれに預かるのみで、顔を拭うことしか出来ませんでした。怪我人に気を使うのは当然として、小さな体で荷物を持ってくれた菜穂子にも当然気遣うべきところです。しかし、二郎にそんなそぶりは全くありません。
 確信するのは後日荷物を届けてもらうシーンです。頭に浮かぶのはお絹の姿だけです。菜穂子ではなく、菜穂子とお絹でもありませんでした。
{/netabare}

②女性{netabare}
 二郎はいわゆる女好きではありませんが、かなり女性に興味を持っています。
 初出勤時、上司となる黒川に案内され廊下を歩くシーンでは、二郎の視線が左右に振れています。目線の先には女性・女性・飛行機(※)です。また、夢の中ではまるでアイドルかのように女性から黄色い声を向けられています。全て若い女性です。二郎にとっては飛行機・サバの骨に並列する美しいものとして若い女性があるのは間違いありません。菜穂子に目が向くようになるのはさらに先の話です。
{/netabare}
★追記内容は、ここの(※)の補足です★


③菜穂子{netabare}
 二郎は菜穂子に2通の手紙を送っています。どちらの手紙も2行目までは菜穂子を気遣っているのですが、3行目からは仕事の話しか書いていないようです。つまり、二郎にとっての美しいものとは、飛行機・サバの骨・若い女性なのですが、「目の前にある」という限定が付くのです。目の前にいない菜穂子は、二郎にとって興味の対象にはなり得ませんでした。結局、菜穂子は山を下りるしかありませんでした。
 会っている最中、二郎が菜穂子を褒めるのは「きれい」な部分だけでした。ひたすら「きれい」を繰り返し、その優しさなどの内面には最後まで言及することはありません。二郎が菜穂子を理解しようとすらしない中で、菜穂子は二郎のことをよく理解していました。この描写は菜穂子が二郎の眼鏡を外すシーンに表れています。菜穂子は二郎の眼鏡を外し、素顔(内面)を確認します。二郎は寝ていたため、最後まで裸眼で菜穂子に接することは出来ませんでした。
 そして、美しさを維持できず、二郎の興味を引けないと悟った菜穂子は山に帰ります。「美しいところだけ」を見てもらったという黒川夫人のセリフは、とても残酷な響きを持っています。実際は見せなかったのではなく、二郎がきれいな部分だけしか評価をしなかったために、見せられないだけでした。おそらく二人で年を取っていくことは夢物語です。老いた菜穂子を二郎を見ないでしょう。病気の有無によらず、二人に「時間がない」ことは必然だったと思われます。
{/netabare}

④加代{netabare}
 加代も二郎の素顔を見たことのある理解者です。2度二郎を訪問してきますが、2度とも二郎に待たされています。加代はあの時代で女医になるのですから、相当優秀なのでしょう。しかし、二郎にとっての美しいものではないからか、二郎は彼女に興味を向けません。2度目の来訪時には視線すら合わせずに休んでしまします。加代は、視聴者と菜穂子の思いを代弁して、二郎が「薄情」であると繰り返します。
{/netabare}

⑤ピラミッド{netabare}
 カプローニとの会話の中で、「ピラミッド」という単語が出てきます。イタリア人と日本人の設計士がエジプトのピラミッドについて語り合う、というのはおかしいので、何らかのメッセージが込められているとみていいでしょう。
 ピラミッドから想像されるのは、「造形美」と「ピラミッド構造」だと思います。ピラミッドの造形美とは、職人が一人で作る作品とは異なり、多大な労力を費やさねば成立し得ないものです。ピラミッド構造とは、上位の者が下位の者を支配する構造です。二郎は飛行機を作るためにピラミッドのある世界を肯定します。つまり、美しいものを追及するためには、他の犠牲は厭わないと宣言しているのです。
 二郎は当時のエリートに該当します。人々が取り付け騒ぎで混乱しようとも、車中から他人事のように眺めています。電車や車を日常的に使っているために、人々が歩いている理由すら分かりません。弱者である子供(しかも複数)を前に、施しすらしようとするのです。しかも自分が置かれている恵まれた環境を、本庄に批判されるまで気付かないのです。施しは「やさしさ」ではなく、「エゴイズム」から来たものでした。
 同じような境遇にいながらも、その業を理解している本庄の方がよっぽど人間的な感性を持ち合わせています。
{/netabare}

⑥二郎の人物像{netabare}
 以上を鑑みると、二郎は一般的な「いい人」とはかけ離れた存在と言えるでしょう。人並みの心がある人物ではありません。「やさしい人」など以ての外です。したがって、心情表現なるものは不要なのです。プロの声優や役者を充てなかったのではなく、充てられなかったというべきだと思います。二郎は、美しいものだけに興味を向け、夢を叶えるために全てを犠牲にする覚悟を持っている、そういう人物です。
{/netabare}

2.菜穂子
①再会時{netabare}
 菜穂子は二郎に気付きますが、二郎は菜穂子に気付きません。菜穂子が二郎に気付いてもらおうとする仕掛けが幼少期の出会いのシーンと対比されて表現されています。
 出会いのシーンでは、二郎の帽子が飛ばされ、掴んだ菜穂子が「セーフ」、二郎の「ナイスプレイ」と続きます。再会時は、菜穂子のパラソルが飛ばされ、掴んだ二郎に菜穂子が「ナイスキャッチ」と言いますが、二郎から菜穂子宛ての発言はありませんでした。初対面時と同じ英語・野球の表現で思い出してもらおうとしますが、残念ながら二郎から野球と絡めた返答を得られず、叶いませんでした。
{/netabare}

②森の小道{netabare}
 菜穂子は新たな仕掛けを用意します。
 絵はかなり描き進んでいますので、再会時と同じ絵の続きを描いているはずです。にもかかわらず、丘の上から木陰へと移動しています。絵の続きを描いているのに移動する理由はありませんから、二郎を袋小路へと誘い込むためのものであると思われます。菜穂子が袋小路の先にいることに気付いてもらうために、わざとパラソルを目立つように開いた上で寝かせてあるのです。結果、二郎は袋小路に足を踏み入れ、再会時と異なり通過することも出来ずに、足を止めます。そして、菜穂子は女の武器「涙」を見せるのです。
{/netabare}

③雨{netabare}
 第三の仕掛けがあります。
 二郎が袋小路に誘い込まれたのち、雨が降ったことで二人は同じパラソルに入ることになります。二郎は逃げ場を完全に失います。その上で菜穂子は、二郎の初恋の人のお絹が、荷物を届けた二日後に結婚したことを伝えます。二郎は話をそらそうとしますが、畳み掛けるように先日二人目の子供を産んだと伝えます。二郎は、心理的にも袋小路に追い込まれ、その後の菜穂子への興味へと移っていくことになります。菜穂子の仕掛けが成就すると図ったかのように雨が止みます。もちろん菜穂子の意図ではなく、監督の意図です。
{/netabare}

④二郎との生活
 二郎の項目の③菜穂子を参照してください。

⑤菜穂子の人物像{netabare}
 以上から、菜穂子は、自分の思いを遂げるためには、手段を尽くす女性であることが窺えます。この点に限定すれば、二郎の価値観と酷似するのです。では、なぜ視聴者は菜穂子にだけは好感を持ってしまうのでしょうか。それは犠牲の範囲が異なるからです。菜穂子にとっての犠牲は、自分の身体のみです。自身の寿命を削ることはあっても、誰かを不幸にすることはありません。だからこそ、したたかで賢いにもかかわらず、「献身的でかわいい」と思えるのです。
{/netabare}

3.エンディング{netabare}
 エンディングは、菜穂子から二郎への「許容(許し)」が描かれています。気を付けなければいけないのは、幻想の世界であることです(現実世界では、菜穂子は初夜のシーンで既に二郎を受け入れていますが、最後の別れの前に二郎への許しは表現されませんでした)。幻想の世界は、常に二郎を肯定するために存在する世界です。つまり、菜穂子が二郎を許すのは、当然の帰着のように思います。解釈が分かれるところかもしれませんが、私は二郎が「自己弁明」をしているようにも見えました。宮崎駿監督の自己弁明とも言えます。
{/netabare}


総評:
 「好きか嫌いか」と「良い作品か悪い作品か」というのは別のベクトルです。この作品の良さを認めつつも、嫌いと評価することを否定はしません。私は二郎というキャラクターは嫌いです。しかし、この作品は好きです。風の表現など、ここでは述べなかった見どころはまだまだあります。ですが、人の生き様を描いた作品ですので、人物から目をそらしては欲しくないというのが本音です。
 物作り・スポーツ・勉強・仕事、何かに打ち込んでいる人は、二郎を理解してしまうところはあるでしょう。ですが、過剰に共感してはいけないようにも思えます。私は少し反省しました。。

対象年齢:
 大人を推奨します。細かな描写まで拾える力が必要となりますので、高校生くらいだと厳しいかもしれません。
 一度見ておいて、面白くなかったら「将来の宿題にしておこう」程度に気軽に捉えてみてはどうでしょうか。子供には見せないほうが良いかもしれません。この作品の良さを知る前に嫌いになる可能性があります。


★★追記ここから★★
(※)初出勤時のシーンについての補足{netabare}
 「二郎の人物像が最も描かれたシーンはどこか?」と聞かれたら、私はこの初出勤時のシーンを挙げると思います。取付騒ぎのあと、時間でいうと30分過ぎくらいのところです。ストーリー上の重要シーンではありませんし、非常に短い時間ですが、こと二郎の人物像に関してはエッセンスの詰め込まれたシーンだと思います。
 このシーンでは、表面の描写と裏面の描写、その双方で二郎の人物像を描いていました。

 二郎は、黒川に「初出勤の日にちが遅い」と叱責されながら、廊下を通って仕事場へ向かっています。
 表面的には、怒られているのにケロッとしている二郎が描かれています。普通なら肩をすくめてもおかしくないところですから、二郎の「飛行機作り以外は気にしない人」というのが分かりやすく伝わってきます。

 ただ、二郎の視線からは別の側面が見えてきます。注目すべきは視線のみで表現された裏面の描写です。
 このシーンにおいて、二郎の進行方向に対して何が出てくるかを確認してみます。①左に女性、②右に女性、③左に「男性」、④右に飛行機、です。
 このときの二郎の視線は、①を見て、②を見て、③を「見ず」に、④を見る、です。
 左右から出てくる人に対して、左・右と視線を振って挨拶しているわけですから、その後に左から人が来れば視線が左に振れるはずだ、と予想すると思います。ですが、二郎は左の男性を無視して、右の飛行機に視線を移します。

 この場面で一番大事な登場(人)物は③の男性です。③が無かったら、二郎は、出てきたもの全てに視線を送る人物、となります。出てくるもの全てに興味を向けるわけですから、「好奇心が旺盛な人」という描写になります。視線を向けたときに行っているのは挨拶ですから、「礼儀正しい人」にも映ります。
 仮に、このときの首の振り方がせわしない動きをしていたのならば「落ち着きのない人」とも描けるでしょう。

 わざわざ③の男性を描いているのに、あえてそれを見ないように表現しているから、二郎は「好奇心が旺盛な人」ではなく、「選んで見ている人」「好きなものだけ見る人」だと分かります。
 一般的な人ならば、挨拶をしてから好きなものを見ると思います。自分の「興味」よりも他者への「礼儀」を重視するはずです。少なくとも私はそうです。ですが、二郎は他人への「礼儀」よりも自分の「興味」を優先しているのだと表現されているのです。

 このシーンから二郎の好きの度合いも分かります。二郎は女性をチラッと見ます。飛行機は首をひねるほどにジーッと見ます。飛行機>>>>>女性ですね。男性はもちろん論外、となります。

 怒られているシーンでどうに対応するか、というのがこのシーンの中心です。ですが、その裏面では二郎の別の部分を掘り下げていたわけです。主題である「飛行機好き」に、既に描いている「女性も美しいものの範疇であること」を絡ませることで、それぞれの好きの度合いを表現していました。そして、新たに男性を絡ませることで、好奇心が狭小であることと一般的な価値観とは乖離していることを表現していました。
 この作品では、このような「細かい表現」が結構多いです。漫然と見ずに、「なぜそのような描写になっているのか」「何を表現したいのか」の解明していくことで、二郎を含む登場人物の人物像により近づけていくのだと思います。

 宮崎駿監督に対して、「人物描写が上手い」「描写が丁寧」などと指摘しているレビューや評論を見かけることって、結構多いですよね。ただ、その理由まではあまり説明してくれません。ですが、この指摘は「私にとっては」正しいものだと思っています。
 上記のような表と裏を使った密度の高い描写が多いから、宮崎駿監督は「人物描写が上手い」んです。
 また、「目(視線)を見ろ」という指示も「女性好き」も、「飛行機好き」と同くオープニングで描かれてます。説明に厚いから「描写が丁寧」なんだとも思えるのです。{/netabare}
★★追記ここまで★★

投稿 : 2024/05/04
♥ : 8
ネタバレ

fuushin さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

動いていた、時代が。 動かそう、夢を。

映画館で視聴しました。

ジブリ作品の魅力は様々ですが、この作品もなかなかいいと思います。

いろいろな評価もあって、というか、いろいろな評価を引き出すことが目的のような作品です。
宮崎監督からの問いかけのように思えます。
私は、そこが一番面白く感じます。

宮崎氏、「もう引退するよ」って宣言していましたが、今後、映画つくりができなくなってしまうと評価も評判も生まれてこなくなりますよね。
それは、淋しいですよ。
なんで、あれだけの数の作品を世に生み出し、供給し続けてきた人が、この作品で打ち止めにできますかね。

およそ、モノづくりに携わる人(特にクリエイターといわれる人たち)は、自分の作品が、まずは自分に納得ができるかという関心があります。
 では、納得ができたら、それで次の作品を手掛けようかって思わないかといえば、それは素人でもわかることです。きっと思わないです。

自分のやりたいことがあって、それがやれてきていて、それなりに(というかハイレベルな)足跡を残せて、これからもやれる環境や条件があって、まだ、体力も残っている・・。
となれば、あとは、宮崎氏の創作意欲だけです。
きっと、またぞろよろしく宮崎氏の無限の宝庫から、新しい作品のエッセンスが湧き出してくるはずです。(現にそうなっていますが)

映像技術がどんどん進化・拡大し、それを引き継ぐ若い技術者集団も育ってきている。視聴者側の目も肥えてきている。
インターネットという技術によって、世界はどんどん狭くなり、文化は国境を越えやすくなってきている。
クリエイターが、自分自身を発露できる機会も場所も増えてきている。

現に、昨年大ヒットをはたした新海誠氏の初期作品「ほしのこえ」のような個人製作作品が、このタイミングで世に出てきたことも、その証明になっていると思います。


さて・・前振りはこの程度にして、この作品について述べてみたいと思います。

まず、多くの方が指摘されているように、私も、宮崎氏のクリエイターとしての長年の生きざまがこの作品に込められていると思います。ですから、当然、この作品は、宮崎氏のフィクションです。
宮崎氏の生きざまを、「堀越二郎という人となり」にかぶせて表現するのが、宮崎氏の感性に一番近かった。そう思います。

堀越二郎は、たまたま、あの時代の人だった。
でも、宮崎氏は、反戦の立場も持っていらっしゃるので、その立場をアピールするにも都合よかったのではないかと思います。

宮崎氏のメッセージは、

1、好きなこと(自分を活かす道)を見つけること。
2、好きなことを後押ししてくれるのは「夢」。
3、それが、手に届くと信じて、すべてに優先して、突き進むことが最上。
4、その価値は、生きる喜びを与え、分かち合うことにある。

そう、感じます。

そういう視点で、この作品を観ると面白いんじゃないかな。

ただ、さすがに最後の作品ということで、入れ込みようは半端ないと思います。今までのどの作品の水準の「上の上」を狙っています。
特に、絵コンテの書き込みようが圧巻です。もちろんトータルに凄いです。
何度でも、微に入り細に入り、観てほしいです。

そうですね、例えて言えば・・。

鍼灸師さんの技っていうのかな。
熟練した鍼灸師さんは、鍼を身体に打つ時に、物理的には1ミリなんですが、そのたった1ミリを1000ミリに引き伸ばして、患者さんに一番効果のあがるポイントに止めることができるといいます。(神技ですね。)

この作品にもそんな感じで、ちょっと深めに観て、感じて、受け止めてもらえると、とっても面白く観られると思います。

そういうわけで、観る側の人に、そういった審美眼が必要です。知覚力って言ってもいいし、観賞眼っていってもいいしね。
それくらい、映像美が練り込まれている作品だと思います。本当に作画が半端ないです。


さて、堀越が追及してやまないのは、「彼の眼に能う飛行機」です。
たまたま時代が求めたのは「戦闘機」でしたが、その戦闘機の中にも、堀越は「美しさ」を求めました。
堀越にとって「美しさ」は、「速さ」であり、「軽さ」であり、「強さ」であり、「丈夫さ」であり、何よりも、「理屈にかなった最上の造形美」であったと思います。

堀越の技術者魂は、すべてが「美しさ」に昇華し、結実されなければならなかったはずです。
堀越の夢は、それを具体化するアイディア、アイディアを具現化する設計と製造技術、そしてパイロットの腕がそろって叶います。

堀越は、「美と技術」の結晶が、その目的が戦闘に使われ、そして、人の生き死にに直接関与するだろうことがわかっていたとしても、その領域に触れることは、堀越の「夢の範疇の外」だったと思います。
スクリーンからは、彼の悲しみは伝わってはこないのですが、その感情を押し殺していたのではないかと想像できます。
堀越は、自分のやるべきことを、ただひたすらに追い求めた。そうすることしかできなかった。そう思います。

また、菜穂子も、そのことを十分に理解したうえで、みずからの美しさを精一杯堀越に示していました。
自分の命の限りが近づいていることは、わかっていたはずです。
だから、今できることのすべてが菜穂子の生き方だったと思います。
それは、スクリーンで確かめることができます。

先に旅立つうえで、最も美しい自分を堀越に見せることは、菜穂子の儚くとも最大限の乙女心なのでしょう。
また、堀越の愛を一身に受け止めたいと思う心情も、きっと、堀越の「美の領域」のスキマにも入れないであろうことも覚悟したうえでの思いであったと思います。

菜穂子の最後の言葉は、 {netabare}「生きて。」 {/netabare}でした。

世の中も、自分自身も、「死」に向かう世相の中で、堀越の夢である美しい飛行機作りが、やがては「生」きることの喜びを産み出してほしいという彼女の願望と、やがてはたくさんの人々の幸せにつなげていきたいという堀越の夢を知っていたからでしょう。

そうはいっても、菜穂子の存在と生き様が、堀越の夢の下支えになっている背景があることが表現されていることで、彼の人物像に様々な評価が与えられることは、避けることはできないことでしょう。(とくに、女性目線からですが。)


ただ、私が感じるのは、もしも、堀越があの時代に生きていなければ、そして、まったく別の世界に生まれていれば、と考える時、「美と技術」のすべてを打ち込み作り上げた作品の一つに「メーヴェ」があったと思うのです。

叶うなことなら、戦争という時代の必然から生み出される飛行機ではなく、平和な世界で、ひとびとの幸せに寄与していく飛行機を作ることができていれば、もしそうであれば、彼の生きざまはもっと違うものになっていたかもしれません。


宮崎氏が、反戦を基としていながら、しかし、戦争に加担するかの如くの立場の堀越を用いる作品に、自分の生きざまを投影するのは、一見、矛盾しているかのようにも見えます。
でも、宮崎氏の示すこの矛盾こそが、この作品の狙いであると思います。
そういう矛盾のある世界は、宮崎氏の作品の通奏低音でもあるからです。

多くのジブリ作品が、幼児、女児、少女、そして大人の女性から老女(失礼!)、異形の者まで登場させてきたのは、彼らが、さまざまな社会と歴史の中で、その身において、最も多くの矛盾を抱えさせられてきているからだと思います。
そして、今なお現在においても、弱者を巡る環境はそれほど変わってはいません。
ただ、彼らの周りには、お父さん、お母さんがいました。お婆ちゃん、お爺ちゃんがいました。友人、知人、近所のおじさん、おばさんがいました。
彼らは孤独ではありませんでした。そこに安心と救いがありました。

ところが、この作品は、菜穂子は途中で退席、加代はあまり関与しません。
そこは、新しいアプローチのように感じます。
しかし、宮崎氏にとって、切るに切れない存在、この世で最も美しいに値するのは、女性であることは間違いようのないことなのです。
でも、この作品の主人公が堀越である以上、美への追及は、宮崎氏のこだわる女性で進めることはできません。そこで、「美しい飛行機づくり」というモチーフに置き換えられたのだと思います。

男は、せいぜい、美しくある造形物を呻吟しながら作り出すしか能がないのです。
どんなに頑張っても、命というこの世に唯一無二のものは産み出せないのです。(医療技術で、少しお手伝いできるところまでは来ましたが。)


そこで、一つ考えてみました。
男性、女性という枠を外した時、そこに見出だされるのは、ただの人間です。
 人間、おおかたの運命は避けられません。受け入れるしかないことも多々あります。
 女であり男であること、日本人であること、この親の子どもであること、この子どもの親であること、この年齢であること、この身長であること、
まぁ、8割がたは変えようはないですね。

でも、あと2割ほどは変えられます。

住む場所、仕事先、生活様式、体重・・・はぁ、あんまりなさそうですねぇ。

しかし、この作品から感じ取るべき「変えられるエッセンス」は、そういった外見ではなくて、内面を変えることです。

「こころざし=志」です。

志は、自由に変えることができます。 
夢、と言い換えてもいいかもしれません。
目標、といってもあながちはずれてはいないでしょう。

なんなん、そんなこと? 何言ってるのぉこのヒト、阿保?って思われても仕方ありません。汗。

ただ、宮崎氏が堀越の生き方に重ねてアピールしているのは、人生は一度きりで、何をおいても、その命を、時間を、お金を、労力を、好きなことにとことんかけてみることはどうですか?っていうことだと思うのです。



私は、個人的に思うことは、好きなことにチャレンジするとき、けっこう障壁になるのが、親の考え方だと思います。

親は、親の思考の範囲でしか判断できませんから、子が好きなことに進むときに、最初に不安が立つのが自然です。

子どもは、普通は親よりは世間を知りません。ここがミソです。親よりはってこと。
でも、親よりも知識があり、実績があって、人脈があって、影響力のある社会人もまた、世の中にはゴマンといます。
そういった人たちとつながるためには、親の影響力から脱すべきタイミングは考えておくことも大事なんじゃないかなって思います。

それは、直接は、家から出ることだと思ってもらってもいいです。
が、根本的には、親から知らず知らずに受け継いできた「概念」からの脱却です。もちろん、全部捨てる必要はありません。温故知新ですね。

言い方を変えれば、「因縁」からの脱却ともいえるかもしれません。良い因縁も、悪い因縁も、一旦はひっくるめて横において、自分の生き方とその選択、そして覚悟をとことん見つめることだと思います。

宮崎氏も、堀越も、言ってみれば「超然」とした存在です。換言すれば「本物」です。
その宮崎氏が、堀越という人物を通じて「私はこういう生き方をしてきました。こういう生き方はどうですか?この作品を通じてあなたは何を感じ、どう思いましたか?」と問うているのが、私は、正しい受け止め方だと思っています。


「千里の馬も伯楽に逢わず」という故事があります。

意味はつぎのようです。

一日に千里を走るような名馬はたくさんいるが、その才能を見抜き充分に能力を発揮させる伯楽のような人は、いつもいるとは限らないこと。

転じて、
いつの時代にも有能な人はいるものだが、その才能を見抜き、発揮させてくれる人と出会えることは滅多にないということのたとえになります。

「伯楽」とは、今の中国の春秋時代の名馬を見分ける鑑定名人。
(故事ことわざ辞典より抜粋しました。)

この作品では、伯楽は、宮崎氏と堀越二郎になります。

夢は持つもの。叶えるもの。

日本には、それを実践してきた伯楽がいる。それを今、実践している伯楽があまたいる国です。

そういう時代にいる私たち。
さぁ、手を伸ばそう。チャレンジしない手はないだろう?

そう、語りかけてくる作品のような気がします。



長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。

この作品が、皆に愛されますように。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 20

けみかけ さんの感想・評価

★★★★★ 4.9

この映画には大正ロマンがある、昭和モダンがある、美しいメカがあって、薄幸の美少女がいて、正義と恋と挑戦と、挫折と人情と幸せに満ちている。そして宮さんは僕の期待を裏切らない

まずネタバレを気にしている方はこのレビューどころか【予告編を観てはいけない】
あれはほとんど全部を端的に晒してしまっていますからね(笑)










そもそもの出発点は宮さんが模型誌に連載させた【妄想爆発気味】の漫画
零戦の設計者として著名な天才設計士、堀越二郎を主人公のモデルとし
さらに薄幸の美少女との恋物語を描いた堀辰雄の同名小説に着想を得ている【完全なフィクション】


だから間違ってはいけないポイントなのがほとんどの部分が宮さんの妄想であり、そもそも里見菜穂子なるヒロインの存在やイタリアのカプローニが堀越二郎に影響を与えたというのも宮さんの壮大な妄想に過ぎません
だからプロジェクトXどころではなく、かわぐちかいじ辺りを読んでるつもりで心して掛からないとついつい「堀越二郎はこーゆー人なんや」と伝記や再現ドラマでも観ているかのような誤解に引き込まれてしまうわけっす
これには気をつけたい


それと具体的な恋愛描写や航空機技術を延々と語るシークエンスがあるため、子供やメカニックトークに全く興味のない人には【残念ながらオススメすることが出来ません】
予めご了承ください


物語は真面目で正義感が強い秀才として育った青年の堀越二郎が、夢の中で出会ったイタリアのカプローニと飛行機設計士になる夢を語らいながら上京、就職し
その後の様々な困難や挫折を経ても一切挫けず、ひた向きに夢へと前進していく半生を映し出します


大学在学中に関東大震災に見舞われ、偶然にも良家のお嬢様を助けたことが縁となってその後に再会した彼女と結ばれる
しかし彼女の体は結核に蝕まれており、周囲の反対を押しのけての婚約や激務に追われながらの新婚生活では宮さん作品らしからぬ濃厚なラブシーンが描かれます
【深窓の令嬢萌え】を描きたがる72歳、それが宮さん


舞台となる1920年代は震災、世界恐慌、貧困、そして戦争という現代の話題と重なる部分も多々見られながらも兎にも角にも生きるのに苦しい時代であると示唆
宮さんなりに「生きろ」や「生きねば」の問い掛けに答えを出しているのかと思いつつ
その一方で主人公の周辺人物達はその時代では一部の富裕層だけに許されていた贅沢を堪能しており、辛い時代とかキャッチコピーを打った割には矛盾している
しかしこの大正ロマンや昭和初期のレトロモダンといった当時で言うところの華やかなで優雅な暮らしが現代のオイラ達のノスタルジーと憧れを奮い起こします
この辺は時代背景こそ異なるものの『コクリコ坂から』の魅力にも通じるものがある


さらに堀越二郎を取り囲む人々の人情味あふれるキャラクター的魅力も忘れてはいけない
特に同期生(であるとされていますが実在人物は無関係)の本庄くんとのライバル関係とも取れる互いを切磋琢磨しあう近過ぎず遠過ぎない距離感の友情
この辺りはバディもの好きな、特にインテリ系男子に殺されがちな方にはヨダレものでしょう(いやw真面目にw)


そして何より堀越の才能をいち早く見抜き、あえて千尋の谷に落とすかのような難題を突き付けつつも、公私に跨って堀越をフォローし続けた堅物の上司、黒川
菜穂子の健気さに心打たれ、愛する二人の仲人となる役を買って出る黒川夫人
この二人を演じる西村雅彦と大竹しのぶの芝居はもはやアカデミー賞ものの味わい
ホントいい人、理想の上司と理想の妻の姿がここにあります


そして宮さんが渾身を込めて送り出す最終兵器【妹キャラ】、堀越加代
「にぃにぃさんはいつもこんなに遅いのですか?」
これはもうオイラの中で流行語大賞
よくやりましたわ、宮さん
そしてあ~、どっかで聞いた覚えのある声やと思い出せんかったがエンドロールで志田未来ちゃんだと気付くと全て納得であります
そぉよ皆々様方、「アリエッティですよ!」
ジブリ作品へのご帰還、オカエリナサイませですよ


メカヲタ、ミリヲタにとっては劇中でgdgdと語られる航空機技術は興奮モノ
たぶん普通の人にとっては今作の最もツマラン部分になることは必至です(笑)
興味深いのが劇中でも「創造的人生は10年」言われている通り、堀越が戦前に試作した七試艦上戦闘機
そしてインバーターガルウイングが美しい九試単座戦闘機のエピソードのみがピックアップされています
だから肝心要の『ゼロ』を初めとする戦中、戦後のエピソードは一切なし
兵器を描いても戦争は描かないってのは『紅の豚』と一緒で、ミリヲタの癖に戦争反対を訴えている宮さんらしいポインツ
実在の堀越氏が兵器としての飛行機に興味が無かったのかは定かでは無い


本来ならばけたたましい轟音を発する航空機エンジンの騒音も、例の人間が口から発する音だけで作ったという効果音のお蔭でだいぶデフォルメ(というかこの場合は美化)されているのもそんなところからなのか


ちなみに劇中に出て来る枕頭鋲(ちんとうびょう)ってのはリベットのこと
あとインバーターガルウイングは見た目がカッコイイからやるんでなくてプロペラを大きくしたり主脚を短くしたりする工夫です
実名企業の三菱が出ていることや当時の三菱のヘボいエンジンを辞めて中島製エンジンを使用するよう打診した実際の堀越氏のエピソードは語られないため、戦前の三菱の技術力(日本のものづくり力)を賛美するかのようなうさん臭いお話っぽくなってしまっていますが、何度も言うように【宮さんの妄想】なので気にしたら負け


しかしまあw結婚式のくだりの辺りからオイラはニヤニヤがまるでとまらんかったw
72歳の偏屈なおじいさんが作った映画の主演を、53歳のこれまた偏屈なおじさんがやって
その映画のラブシーンで2828してしまう26歳のオイラ
さぞ隣の席のお客に迷惑を掛けたことでしょうw
こりゃ「妻には見られたくない」とアンノが言うわけです
2013年夏、【一番萌えられる映画は間違いなくコレ】


個人的には今までのジブリの中で一番好きな作品になるやもしれません
レトロモダンハァハァ的にも、メカヲタ的観点からも
『コクリコ坂から』のレビューにも同じようなことを書いてしまった気がしますがw


唯一悲しい偶然かな、今年のアカデミー賞で短編アニメーション部門を受賞したジョン・カース監督のディズニー作品『紙ひこうき』(シュガーラッシュと併映)と今作の馴れ初めが“丸被り”しているのには笑いましたがねw
興味ある方はこっちも是非チェックしてもらいたい


最後になりましたが劇中に出てくる『シベリア』なる謎のお菓子は羊羹をカステラで挟んだものですね
(発祥、創作者、名称由来など全てが謎でそもそも洋菓子なのか和菓子なのかすら怪しい)
映画の人気で一時的に復刻したお店もいくつか出ましたが・・・日常的に食べたいのでもっと作ってくれ(笑)

投稿 : 2024/05/04
♥ : 39
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