文化庁メディア芸術祭大賞でマッドハウスなおすすめアニメランキング 2

あにこれの全ユーザーがおすすめアニメの文化庁メディア芸術祭大賞でマッドハウスな成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年05月08日の時点で一番の文化庁メディア芸術祭大賞でマッドハウスなおすすめアニメは何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

88.7 1 文化庁メディア芸術祭大賞でマッドハウスなアニメランキング1位
四畳半神話大系(TVアニメ動画)

2010年春アニメ
★★★★☆ 4.0 (2932)
13590人が棚に入れました
『四畳半神話大系』(よじょうはんしんわたいけい)は、森見登美彦の小説。冴えない生活を送る京都大学3回生の「私」は、期待していたバラ色のキャンパスライフを求めてもう一度ピカピカの1回生に戻ってやり直したいと願う。本当はあったかもしれない学園生活が、4つの平行世界で繰り広げられる。

声優・キャラクター
浅沼晋太郎、坂本真綾、吉野裕行、藤原啓治、諏訪部順一、甲斐田裕子
ネタバレ

N0TT0N さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

薔薇と桃。

5年ほど前でしょうか。
この作品がレンタルショップに並んで間もない頃、1話だけ視聴したことがありました。その日はたまたま気分的にボーッと視聴したいモードだったのもあって独特のハイテンポのナレーションが頭に入ってこず、「アジカンいいなぁ♪」という印象だけを残しずっと保留してたという同僚のN氏が遅刻した理由(稀にみる赤信号率の高さ)くらいどうでもいい経緯があるのですが、どなたかのピンポンレビューにこの名前を発見し、腰を据えて、集中力の準備をして再トライすることにしました。

で、結論から言うとジョニーもスタンディングオベーション!満場一致でお気に入り直行認定でしたw
あまり、監督で視る作品を決めるタイプではないのですが、本日をもって、目出度く湯浅監督信者と言われても否定できないレベルに到達したように思います。ありがとうございます。

しかし、
ピンポンといいこの作品といい、演出・構成ほかいろんな異質な要素のハマり具合の絶妙さはどうでしょう?言ってみれば独走しない独創性とでもいうんでしょうか、常人の理解を超えないギリギリの独創性とそのバランス感覚が見事と言うほかありません。
思わず心のベレー帽を脱いでしまいます。脱帽です。

正直、キャラは全員異常なまでに立ってたんではないでしょうか。
明石さんの可愛さは言うまでもなく、ひねくれ一般人代表「わたし」も中村氏(イラストレーター)繋がりのせいなのかどことなくアジカンの後藤氏を彷彿とさせる感じ。使い捨てと思われたキャラもどんどん立っていき、樋口、小津に至っては反論の余地なしの完成度である。
小津ではないが、樋口の顎だけで飯3杯は軽くいける。正に顎界の風雲児、世界顎遺産認定である。

「可愛い」という意味でいうとopの樋口のスマイルは間違いなく可愛いいし、作中顎ジェスチャーをする羽貫さんもえらく可愛い。小津の首バンダナ?もいいし、樋口の着物&マフラーコーデは今更ながら真似したくなってしまう。
この分じゃわたし、レイヤーデビューもそう遠くないかもしれない。
そしてどんだけ顎フェチなのか?!

ed作画の間取りデザインも曲の入り方もセンス抜群。
そして京都という独特の土地柄。京都に対する先入観を巧く利用されてしまってる感は否めない。だが悪い気はしない。むしろ望むところである。むしろおかわりはよ!である。

この充実したディテールにあの見事なストーリー。
面白くならない方がおかしい。


【内容】

正直テーマは地味だと思う。それ故の仕掛けと工夫と言い回しのセンスで、結末は想像に近い着地を見せるが、予想を超えて感動してしまった。一切感動の予感などしなかったのにである。自問自答だらけの展開でここまで引き込まれた作品は過去に無かった。正に青天の霹靂。
あえてこのレビューは内容に触れないレビューにしておきたい。
その方がいい気がする。タイトルの薔薇と桃はどうした?!
責任者はどこか!

それはごもっとも。

申し訳ない。内容はあなたの目で確かめていただきたい。
わたしなりに視聴欲を刺激する要素を書いたつもりではいるが、ストーリーについては白紙の状態でいて欲しいのです。

まあ、どちらにしても信者の言うことは話半分で聞くのが鉄則ですしね。

そして、勢い"である"口調になってしまったわたしをお許しください。m(_ _)m

※以下ネタバレ&独演会。

{netabare}

パラレルワールドであるw
もはや検証の類も出尽くしているでしょうから、ざっと言うと、いろんな可能性を"わたし"がやり直している話‥ではなく、いろんなバージョンの"わたし"を視聴者だけに見せてくれている話だったんではと思います。

占いの金額の部分なんかで記憶が繋がっているようなミスリードはあるものの、幾つものやり直しは実際はやり直している訳ではなく、私達視聴者が別のパターンの"わたし"を見直しているにすぎないだけ。という構造だったと受け取りました。

ただ一カ所、最後の無限四畳半だけは"わたし"が視聴者と同じ視点に来るわけです。個人的にはその部分を指して神話というタイトルになったのかなと。正に神の悪戯みたいなものですからね。

そのことによって"わたし"はまるで視聴者のように自分の可能性を俯瞰することになり、無い物ねだりを止めることができたという流れなのでしょう。

「登場人物に共感する」という、物語において重要なファクターがありますが、これに限っては「登場人物が視聴者のような視点になる」つまり、「登場人物が視聴者の感覚に近付く」という状態になっていて、妙な逆転現象と変な一体感が生まれ一緒にクライマックスに突入したような感覚を覚えました。

某シュタゲの某マッドサイエンティストも、視聴者と観測者目線を共有するかたちなのは共通していると思いますが、あちらは現地に赴く観測者であり、当事者でもある。というのが孤独の元凶になっているのに対し、"わたし"は自分自身の別の可能性を局地的に覗いただけ。自分と自分を取り巻くもの達の気配に気付いただけ。という違いがあって、孤独という神の悪戯を経験しただけでした。一時的にだけど作中に流れている世界の当事者でなくなるという部分が、より視聴者的だったと言えると思います。勿論、どっちが良い悪いという話ではありません。

ただこの部分、かなり都合よく出来ていて、今までと違って無限四畳半での経験が最終的な"わたし"に残っているわけです。神目線を残したまま、クライマックスに突入するわけです。
そのせいで、気配は感じても実際には会ったことのない小津や樋口の存在を身近に感じるほどになっていて、「ポジティブになった心境」と「初対面なのに初対面じゃない感じ。という精神的アドバンテージ」を同時に獲得できてしまっているのです。
このオプションが"わたし"への大きな追い風になっていたのは間違いないでしょう。完全に四畳半の神様のサービスだと思います。

冷静に考えればちょっとズルくない?という見方もできるけど全然そんな気が起きないんですよ。
しょうがないですよね。"わたし"と視聴者は同じ既視感を共有していて、言ってみれば同罪にあたるわけですから。

ただ、時間の流れ的にはかなり長いこと学校にも行かず引きこもっていたように思えるのだけど、大学の籍大丈夫か?なんて無粋なことも考えてしまいまったり、「目の前の好機」なんて言われると、

「いやいや旦那、目の前には災厄や不運だってぶら下がってますぜグヘヘ。」

なんて月の裏側の住人のような発想で機会の均等を主張したい衝動にも駆られますが、5年ほど前に手放したかに思えたこの四畳半神話大系という好機を掴めたことが、

思いのほか嬉しい今日この頃なのです。



(申し訳ない‥結局長くなりました^^;)
{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 31
ネタバレ

ぺー さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

小津は魔法使い

貧乏学生の気分を味わいたくて大学生活最後の半年を四畳半のボロ間で過ごしました。
学生にとってモラトリアムの象徴みたいな環境から見えてくる世界ってあったと思うんですよね。
そんな親元離れて下宿暮らしを始めた主人公“私”が幸せを見つけたい全11話。周囲の評価は上々です。

ただ評価が高いこと即ち前のめりとはいかず。自分に合わなさそうなので放置してました。
蓋開けたら手のひら返せたので、私と似たような苦手意識お持ちの方でもよろしければどうぞ!
そんな食わず嫌いの理由をご参考までに共有しておきます。あらすじは省略。

■腰が重い方へ
ひとつは経験則からくる苦手意識。当方あにこれ平均を下回る評価を下すことは稀なのに当該の湯浅作品はこんな感じ↓
(※左があにこれ / 右が自分の評点)
 3.8 3.5 『映像研には手を出すな!』 
 3.8 3.3 『夜は短し歩けよ乙女』 
 3.7 3.9 『夜明け告げるルーのうた』
 3.6 3.9 『きみと、波にのれたら』 
映像研も乙女もわりと好評だったでしょ?ただお肌に合わないのよね。

ふたつめはいわゆる『オタク特有の早口』的なもの。セリフ(情報)量が多く視聴するに集中を強いられる。そして情報量に見合う果実が得られない。モノローグまでが許容範囲で会話となるともう駄目。話者の脳内で完結したものを出してるだけで対手を必要としないコミュニケーションと化してるのが大半だからです。
たぶん『物語シリーズ』に踏み切れないのもここらへんが理由です。

代表作で駄目なら心底相性が合わないのだろう、と諦めもつくなぁくらいの感じでスタートです。どうやら映画やるみたいで地上波でやってました。


それでは本題。

■観終わった方へ(※ネタバレ無し)
好意的に見たポイント3点ほどありました。

(1)お手軽
 全11話です。デフォルト全12話、むしろ第1話や最終話を特別仕様で時間延長して尺不足を補う昨今、メッセージを絞り計3時間ちょっとの尺でまとめられてます。

  {netabare}「好機は何時でもあなたの目の前にぶら下がって御座います」{/netabare}

 選択と集中。絞って繰り返されたのはシンプルかつ普遍的なメッセージ。シンプルだからと冗長にならず、巡り巡りての境地にも辿り着く良きバランス。短い11話に理由のあったことが好感です。

(2)“私”視点
 一人称ってごまかしが効きません。そのため手を出さないか手を出してコケるかなので物自体が希少です。結果は周りの評価をそのまま受け取ってよいでしょう。文学的なかほりが一気に増してちょい重厚な感じがしてきます。台詞回しは台本に負いますのでここは原作の力なんだと思います。 

(3)圧倒的大学生感
 真面目に研究してたり教職とってたりしてた方々には申し訳ない!と言い訳して以下↓

  有り余る時間をいかに真面目に浪費するか?

 クラス単位・部活単位と共通の体験を共有できてそれなりに規格に収まってた高校生とは違い、360度どの方向へも自由に伸ばすことができる大学生の物語なのです。
 それでもって真面目に浪費する目的とは今となってはみんな一緒だったのではないかと思います。

  {netabare}楽しいキャンパスライフ (キリッ){/netabare}

 ふわっとしてて、曖昧で、それ目的で血道をあげるもんでもなくて、と基準がないのが厄介。そんなもやっとした感覚を視覚化したらこんなんできました!って作品だと思います。


作品からなんかしらのメッセージが伝わってくると嬉しくなりますよね。本作がまさにこれ。
その伝え方だって、小難しくて意識高くしてみました!でもなく、暗喩オンパレードのついて来れるやつだけ来いや!でもなく、“繰り返し言葉に出して”ど真ん中に直球投げ込んでくるようなもんでした。
あまりにも素直過ぎる直球なので照れ隠しで周りの装飾(映像表現)を尖らせたように思えなくもない。




※ネタバレ所感

■楽しいキャンパスライフ
{netabare}軽々に言うのも忍びないですが、現在進行形で大学生活を送ってる皆さま(特に今般2022年の3年生)。この後の人生で帳尻が合うことをお祈りします。{/netabare}


■“私”は 私
戻りたいあの頃とは大別すると『インシデントが起こる前』『新たな社会に飛び込んだ時』の二つ。本作は後者です。
{netabare}入学してからの二年間を手を変え品を変えリープしていくのが絶妙ですね。{/netabare}
{netabare}二年経過して三年生(三回生)になると思いますもん。『やべっ、もう就職活動まで一年きってるわ』と。現代はインターンやら学生起業やら早期化してるんでなおさらかもしれません。三年になった時にジワる焦燥感って共感得られませんかね?{/netabare}


■小津 は“私”
いまさらなんで多くは語らず。そういうもんですよ、きっと。
{netabare}・「およそ褒めることはない」と“私”の認識は合わせ鏡
・非モテに引きずり下ろす小津ではなく、ハナから望んでない“私”なのかも
・だいたい最初のテニサーで結託して死ね死ね団やってたじゃん
・最後“私”の顔が小津になってたしね

関係ないけど
・『オズの魔法使い』はカンザスの家(日常)に帰ることができてホッとする話{/netabare}


振り返って
“楽しいキャンパスライフ”も“猫ラーメン”も得体が知れないからいくらでも脳内で補完しインフレするわけでした。そしてインフレには歯止めが効きません。
それは理想とはちょっと違いますね。あくまで果てない妄想。妄想ゆえにたどり着くことはなくただ焦がれてしまうなにか。だからこそ「その味は無類である」ってことなんでしょう。



視聴時期:2022年4月~2022年6月 地上波再放送

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2022.06.18 初稿

投稿 : 2024/05/04
♥ : 33
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

きっと何者にもなれない…それが分かるのはいつなんでしょうか。

 ぱっと見、絶望先生っぽくてシャフトかと思いました。実写パートもありますし。実際はマッドハウスですけど。ノイタミナですね。

 今まで本作は文庫の表紙とかキービジュアルが文学臭やテンプレの考察もの、ノイタミナ的なものをあまりに強調している感じで、避けていました。

 面白いです。もっと早く見れば良かったと思う反面、テーマ性については想像した域を越えなかったと思います。全体の世界観は最後の2話でかなり明確に説明があります。「ぼくたちのリメイク」(アニメ版しか知らないです)と発想は一緒です。つまり類例はいくらでもあります。

 四畳半と神話がなぜ結び付くかは、最終的には分かります。要するに実際の主人公の内面である四畳半の世界がIF=神話として並列して存在するいうことでしょう。だから大系ですよね。

 あらすじがほとんどネタバレですね。説明するとその通りです。ただ、あらすじに記載がある4つの並行世界という説明がちょっと違う?(映画、ソフトボール、英会話、自転車、たわし、秘密組織…等々10パターンくらいあると思うのですけど…4つにまとめられるんでしょうか。だとするとかなりパズルですけど…多分間違いでしょう。あとで確認するかも)

 あらすじを読む限り並行宇宙が公式のようですけど、インナースペースやタイムリープと捉えたってかまいません。一部記憶が残っているところがありますし。

{netabare} 4畳半の並行宇宙の表現がちょっと映画CUBE的ではありますが、あれは現実の装置ですからね。本作は4次元的…3次元の後の4つめの次元が時間ではなく、空間を拡張したようなイメージになっていました。SF的ではありますが思考実験としてはあまり珍しいものではありません。ねじ曲がって連続した空間というのはよくある話です。

 ただ、そういうSF的な設定はさておいて、むしろ、そちらよりもそれぞれの部屋でIFを発見してゆくプロセスが話として面白かったです。

 9話の後半でテーマについての解説があります。「可能性に望みを託すこと」「バラ色の未来」についてですね。「きっと何者にもなれない」…それが分かるのはいつなんでしょうか、という話です。

「何者にもなれない」はネガティブな言葉ではないですよね。NO1ではなくONLY1になれなどという2002年の無茶ぶりの呪いの言葉から解放してくれる言葉です。本作の舞台が多分ですけど京大?なんだとしたら、より本作の意味が深くなると思います。「何者かになる」は優等生にありがちな部分ですからね。

 最終話に至るまでの何を語りたいかの構成が非常に面白かったですね。それぞれの世界の見せ方もキャラの登場のさせ方もうまかったし。

 主人公のキャラ作りが上手いのに加えて、明石さん、羽貫さん(はじめ歯抜きかと思いました)、小津、先輩達などが、大学生時代の知人との類似性で妙に既視感があるようなキャラで非常にうまかったですね。
 主人公の性的に臆病な部分や、痛い行動など自分の若いころを思い出して、ちょっと胸に何かがよぎったりもします。

 なお、私は羽貫さんが良かったなあ…逆に言えば明石さんの魅力が描き切れてなかったかなあ。まあ、羽貫さんはさっぱりして豪快なようで、人情がある感じで、女性が好むキャラですよね。女性作家だなあという感じです。

 ストーリーは、SFあるいはファンタジーっぽい第1話の導入で話に引き込まれます。見せ方がうまいです。

 各エピソードにおいて中身は違っても無駄な2年間という見せ方をしますが、結果的にその2年間が無駄だったわけでなく、友人がいて先輩がいて失敗や苦悩も悪意もありました。そして出会いと可能性がありました。その必ずしも上手くいっていない主人公の大学生活の後で、その思い出がない人生のIFを後から考えさせられるという構造ですね。

 つまり、無為無駄挫折に見える時間も、決して無駄ではなかったということです。何かをやって過ごした時間は大学生活においては宝物になるということでしょう。

 そして友人ですよね。友人に完璧を求める人なんていません。ただ、関わるだけです。それでも友人は友人ですからね。最後は必ずしも道徳的ではない小津に優しくしていました。{/netabare}

 ということでテーマも世界観も説明すると凡庸かもしれませんが、ストーリー全体の構成やキャラ作り、エピソードの積み重ね方が上手くて、非常に面白かったです。もうちょっと難解かと思っていましたが、そうではないですね。私が見落とした行間の部分があるかもしれませんけど。

 ロゴの四畳半の四の字のデザインが素晴らしかったですね。ちょっと畳の並びが不自然ですけど、このロゴのセンスが抜群でした。これって類似例はあるんでしょうか。

 本作って原作は文章で表現してたんですよね?結構話の展開がアニメ的にはいいですけど、文章で理解できるんですかね?10回IFが並ぶ感じ?試しに読んでみようかなあと思います。

 なお、もうちょっとアダルト版ならBSS的NTRが描かれていたでしょうね。そうならなくてよかった半面、それがあったほうが大学生としてはリアルだったかも。
(BSS=僕の方が先に好きになったのにの略。告白する前に誰かの彼女になってしまう。大抵アダルトなのでセックス問題とからんで精神的ダメージが大きいNTR分野です)

 ネタバレ警告を頂戴したので、一部折りたたみます。あらすじがほとんどネタバレなので大丈夫かと思ってました。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 15

89.6 2 文化庁メディア芸術祭大賞でマッドハウスなアニメランキング2位
時をかける少女(アニメ映画)

2006年7月15日
★★★★☆ 4.0 (4031)
21140人が棚に入れました
東京の下町にある高校に通う女子高生・紺野真琴は、ある日踏切事故にあったのをきっかけに、時間を過去に遡ってやり直せるタイムリープ(時間跳躍)能力に目覚めてしまう。最初は戸惑いつつも、遅刻を回避したり、テスト問題を事前に知って満点を取ったりと、奔放に自分の能力を使う真琴。そんなある日、仲の良い2人の男友達との関係に、微妙な変化が訪れていく。

声優・キャラクター
仲里依紗、石田卓也、板倉光隆、原沙知絵、谷村美月、垣内彩未、関戸優希
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

驚きの完成度でした

あらすじは他の方のレビュー等をご参照ください。

 「バケモノの子」の公開記念として、2度目の視聴をしました。前回のレビューに追記して終わろうかと思っていたのですが、なんだかごちゃごちゃした感じになりそうだったので全改訂しました。内容自体は以前のレビューと大して変わらないものになっているはずです。純粋な追記箇所は「キャッチボール」と「カメラワーク」のところです。他のところは、話の流れに合うように少しいじった程度です。

 「噂通りの名作だ」というのが初見時の率直な感想です。もちろん今でもそう思っていますが、「おおかみこども」を見た後だと、若干粗さを感じました。作品の質としては、「おおかみこども」の方が上だと思います。
 「おおかみこども」のレビューで、「左右の選択が重要な要素となっている」というようなことを書いたのですが、この「時かけ」でも同じような「方向に対する意識付け」が結構出てきます。でも、「おおかみこども」ほど中心に据えている感じではなくて、おまけ的な印象が強いですかね。その辺を交えながら雑多に述べていきます。


キャッチボール:{netabare}
 キャッチボールのシーンは複数回出てきますが、このシーンが持つ意味の中心は「コミュニケーション」です。

 中盤、マコトがチアキの告白をなかったことにしたあとに、チアキとコウスケのキャッチボールのシーンがあります。ここで、「投げろよ!」というコウスケに対して、チアキは「考えながら投げらんねぇ!」と返していました。彼らにとってのキャッチボールというのは、「会話のキャッチボール」であり、また、「心のキャッチボール」でもある、ということの説明がされています。キャッチボールをすること自体が、コミュニケーションをすることである、ってことですね。チアキとの接触を避けているマコトは、ここでのキャッチボール自体に参加していませんでした。
 また、エンディングではコウスケの彼女候補もキャッチボールに加わることになりますが、キャッチボール自体に四苦八苦しています。まだコミュニケーションが上手く取れていない、ということですね。

 で、このキャッチボールに、「方向に対する意識付け」が付与されているシーンがあります。序盤のマコト・チアキ・コウスケの三人がキャッチボールをしているシーンです。
 三人は当初、時計回りでキャッチボールをしながら、夏休みの計画を話しています。そして、コウスケが「図書館で勉強する」と言いながらチアキにボールを投げた後、チアキがそれを否定しながら、反時計回りでボールを返します。夏休みの計画から、将来の話に会話が移ったタイミングでキャッチボールの向きが変わっています。
 その後、反時計回りでキャッチボールが続きますが、コウスケがマコトに「お前はどうするんだよ?」とボールを投げた後に、マコトが「ホテル王」と返しながら、時計回りにボールを投げます。実現可能な将来の話が実現不可能な将来の話に変わったタイミングで、キャッチボールの向きも再度変わっています。

 会話をしている者同士がボールを投げ合っている、ということでもあるのですが、会話の中身が変わるたびにキャッチボールの方向が変わる、ということでもあるのだと思います。
{/netabare}

ここから(標識):{netabare}
 このシーンは方向の意味が分かりやすいですよね。中盤のチアキの告白にまつわるシーンです。ここでは、マコトとチアキが絡む右奥の道路と左奥の道路、そして、コウスケだけが影響する左手前の道路があります。

 マコトとチアキの将来に影響を与えないコウスケは、常に左手前の道路にはけて行きます。そして、告白に対して葛藤のあるマコトとチアキが右奥と左奥の選択を幾度かチャレンジしています。

 で、このシーンは直接的にその後の展開に影響しています。
 常に一人で左手前にはけて行くコウスケに対しては、チアキは別れを告げませんでした。道路の演出と同じように、コウスケの将来というのは他にに影響を与えないし、他から影響を与えられることもない、ということなのでしょう。
 マコトとチアキは、右奥の選択から左奥の選択へと変わります。左奥選択後では、チアキの告白はキャンセルされるのですが、このシーンは用意されていません。マコトと魔女おばさんの会話でのみ、それが明らかになります。ですが、ここが描かれなかったことがフラグとなってエンディングを導いています。チアキを避けて左奥を選択していたマコトが、チアキを追いかける展開へと変わりました。

 キャラクターたちの進む方向とストーリー展開との連動が表現されていました。
{/netabare}

前方回転・後方回転:{netabare}
 タイムリープ中のマコト(デジタル時計と歯車のシーン)の身体の回転方向も、重要な演出になっていました。これが一番分かりやすいですかね。分かりやす過ぎて書くほどのことでもないかもしれませんが、ちょっとだけ。

 下らないことにタイムリープを使っているときは、マコトは背中側に後方回転しています。
 そして、最後のタイムリープ。ここでも背中側から始まりますが、マコトはくるっとターンして前方に向き、前方回転に変えています。ここで描かれている、後方回転であったものが前方回転に変わること、これがマコトの成長ですね。自分の思いに向き合えるようになり、前向き・主体的な決断をするようになったということです。
 私のお気に入りのシーンです。
{/netabare}

 前述した「粗さ」というのは、このあたりのことですね。時計回りと反時計回り、右奥と左奥と左手前、前方回転と後方回転、と様々な「方向に対する意識付け」がなされているのですが、やや統一感に欠けている感じがするんです。初見時にはあまり気にしませんでしたが、「おおかみこども」を見た後だとちょっと気になります。「おおかみこども」では、常に「右か左か」という選択しかありませんでしたから、このスマートさに比して粗く感じるところがある、ということです。

 ただ、ここを批判する気はないですけどね。こういうことをやれない監督も多いですし、「やれた上で」ということですから、贅沢な文句のような気がします。また、同じことを繰り返す統一感よりも、いろいろな演出を用いる幅の広さを評価する人もいるでしょうから、単に私の好みの問題かもしれないな、とも思います。

 ここから先は、更に雑多なことです。

最後のカメラワーク:{netabare}
 最後のタイムリープ後、マコトがチアキに会うために左に向かって走っているシーンです。カメラが一定のスピードでマコトを追いかけていて、追いつけなくなったマコトが画面右にフレームアウト、その後追いついて画面中央に、追い越して画面左にフレームアウトします。

 ここでの一定のスピードで進むカメラというのは、一定のスピードで進む時間を表現したものだと思います。カメラワークで「time waits for no one」を演出しているのでしょう。マコトの動きは、時間を超えるタイムリープの演出でもあるのでしょうが、その直後にあるシーンに係っているんだと思います。チアキの「未来で待ってる」に対する答えとしての「すぐ行く、走っていく」というセリフの実践ということですね。
 ここもお気に入りのシーンです。

 なお、この一定の感覚で進むカメラワークを時間として表現する演出は、クレヨンしんちゃんの「オトナ帝国の逆襲」でも使われています。こちらも時間をテーマにした作品ですね。
 時間もの映画の定番演出、と言った方がいいのかもしれません。
{/netabare}

マコトと魔女おばさん:{netabare}
 魔女おばさん。
 タイムリープに理解があること、過去のものを未来に残す仕事をしていること、男性二人の間に写る写真。これらは、魔女おばさんがマコトと同じ背景を持っていることの説明ですね。これらから、魔女おばさんも未来人と関わりのあった人物なのだと推測できます。過去、タイムリープを経験している方なのでしょう。

 で、マコト。
 マコトも将来魔女おばさんと同じ仕事に就くことが明らかになっています。マコトも魔女おばさんみたいになるってことですね。タイムリープに悩む少女をマコトが導いてあげるときが来るのかな?
{/netabare}

チアキ:{netabare}
 ほぼ確実に…死刑ですね。

 この作品て、最初から最後まで怪我するシーンが多いんですよ。そして、どんどん怪我の程度が悪化していく。
 マコトのタイムリープには自傷(痛み)が絡んでいますが、あからさまな怪我は負ってはいませんでした。ところが、タイムリープが出来なくなった後には、全身に擦り傷を負い、視線の先には自転車に乗った二人の死が描かれます。タイムリープの先にある死の暗示ですから、おそらくはチアキは…ですね。

 ラストシーンにおける「未来で待っている」というセリフとキスをしないところに、チアキの中にある期待と優しさの狭間を垣間見るようで何とも言えない気分になります。待っていることは出来ないけれど待っていたいという願望と、待っていられないのだからマコトには忘れて欲しいという思いやり。

 マコトが魔女おばさんと同じ境遇になる、というのは、マコトがチアキと会えないことの暗示でもありますからね。そもそも時代が違いすぎますし。マコトとチアキの思いが通じ合ったことを認めつつも、マコトの魔女化とチアキの死を推察してしまう視聴者側の「なんとかしてよ」という叶わぬ希望も混ざり合って、複雑な感情が生まれてしまいます。
 ハッピーエンドとは一体…?
{/netabare}

細田守監督:{netabare}
 個人的な見解ですが、アニメ映画の監督では、この人が一番てっぺんに近い監督だと思いますよ。宮崎駿監督は引退してしまいましたし、今敏監督は鬼籍に入ってしまいましたからね。

 このレビューで述べて来たように、細田監督はセリフに頼らずに演出で語ることができる方です。また、「演出に気付いてよ!」というスタンスではなく、気付けなくても楽しめるように作っています。
 例えば、前方回転・後方回転を気付かなくても何の問題もありませんよね。マコトの前向きな姿勢というのは、将来の夢を定めたことから十分に分かります。

 このレビューでは触れていませんが、ストーリー展開や人物描写も非常に上手いですよね。人間自体を肯定的に捉えるところにも好感が持てますし、それだけでなく人間の負の部分もきちんと描こうとしています。どこをとっても高レベルにまとまった正統派の映画監督だ、というのが私の細田監督に対する評価です。

 私は自分が視聴するまで情報をカットしてしまうので、「バケモノの子」がどんな内容なのかはCM以上のことは分かりませんが…。もし、「おおかみこども」レベルの作品であったなら、その地位は盤石なものになると思います。私の中で、という枕詞が付かないことを願うばかりですね。
{/netabare}

対象年齢等:
 対象年齢は中学生以上かな。現役の学生にも、過去学生だった人にもお勧めできる作品です。
 作中で表現されているように、未来から見れば過去は美しいんです。大人になって思い返すと、高校生活はやっぱり輝いていますよ。今学生生活を送っている人にはぜひともキラキラした毎日を過ごして欲しいものです。走り回れるのも学生のうちだけですしね。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 17

ラ ム ネ さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

その時への色のある思索。

 琴線ふれて、涙腺導き、手に汗握りしめ、心奥から数々多様な感慨回線らを心意の外側へと誘起させ、「時をかける少女」はそれらを巧みに手繰り寄せてみせる。本作を映画第一作と言い答える細田守監督は、真っ白な空間に感無量の物語と、多彩なドラマツルギーを炙り出し、加筆しアレンジを加え、圧縮し構成させ、記憶に深く根付くような多元の浸透作品を生み出して、魅せる。抜群これに長けている。

この始まりはマッドハウス取締役社長の丸山正雄が、監督細田が演出を一部務めていたとあるテレビアニメを観て、細田の演出に「可能性」を見出した事が結果「スタジオ地図」創設に至った原点だと言ってもいい。丸山正雄は細田守に、小松左京、星新一と肩を並べ「SF御三家」とも謳われた日本を代表するSF文章表現家、筒井康隆の代表作品でもある「時をかける少女」を原作としたアニメ映画製作を持ち掛けた事がきっかけだ。
 そして細田守は制作に繰り出した。スタッフには、後に角田光代原作の「八日目の蟬」で日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞し、本作が初めてアニメ映画脚本に関わることとなる奥寺佐渡子や、キャラクターデザインに漫画版「新世紀エヴァンゲリオン」を筆する貞本義行を始めとする有名な表現家たちが加わり、映画の出来栄えは一層高まっていく。
その結果アニメ映画「時をかける少女」が、全国各地に知れ渡ったのは2006年夏。僅か14本程度のフィルム数の当初は静かな小規模上映から、好評の口コミ効果などにより映画館は連日立ち見が起こる程観客で溢れかえり、配給会社はすぐさま上映館を全国各地に飛び火させたのだ。観客を震撼させた本作は「古典的な予感」を収め大成功となった。

東京の下町のとある高校に通う女子生徒・紺野真琴は、友人の間宮千昭、津田功介と共に日常を過ごしていた。いつもと何も変わらないある日、不運から踏切事故に遭遇し一度は死は訪れたものだと悟ったが、気が付くと彼女は数分前の時系列上に逆戻りし舞い戻って、死の危機を脱していた。これをきっかけに時間を過去に遡りやり直せるタイムリープ能力(時間跳躍能力)を自分が可能であることを悟る。戸惑いつつも、遅刻を回避し、テストで満点を取ったり、カラオケに10時間以上居座ってみたり、夕食に鍋が食べたいが故に一昨日の食事まで戻ったりと、奔放に能力使いまくる真琴。しかし、時間を戻す度に周りの人間の当初の行動が変わり始め、友人2人との関係にも微妙な変化が訪れることになり、その誤差が真琴の運命を辿っていく…。

アニメ「時かけ」の時代設定は、作品の上映開始当時の2006年となっている。原作、及び第一回劇場版は(1980年以降四回劇場映画化され、1つの原作から4回劇場映画化されたことは他に例を見ない)、1986年の設定だ。アニメ化については原作から内容を大きく変更されている。アニメ化での舞台は原作の20年後となり、未来の位置付けになっていて、原作の主人公である芳山和子も36歳になり、劇中「魔女おばさん」と真琴に呼ばれるかたちで登場している。原作に沿ったストーリーは数える程で、本作はオリジナルであると言っても過言とはならないだろう。昭和の物語に取って代わり、平成学生の日常風景が転写され、次世代の人物が繰り広げる物語を描いた、いわば原作の続編という位置付けを成しているのだ。
 原作では深町一夫なるケン・ソゴルが開発段階の時間跳躍の薬を使い過去へ遡り、本作では間宮千昭が幾数回チャージ可能なドングリほどの大きさの時間跳躍装置で時を遡っている。原作での未来と本作との未来は同じ時空間上に存在せず、ケン・ソゴルは原作の限りだと時間跳躍薬の開発者(ここでは薬となり、その状態は茶色い液体が白い湯気を立てている)、間宮千昭は時間跳躍装置(液体から跳躍回数をチャージ出来るドングリ型になる)の使用者となっており、ここから間宮の未来はケン・ソゴルの未来よりも幾年幾十年先の時間跳躍が発展した未来と予想できる。ケンの時代は、社会の技術に人間の知能が間に合わず勉学を半世紀をも積まないと就職出来なく、睡眠療法により幼少期から知識を脳にすり入れて社会の向上を目指していた。少子化は進み、月及び火星への移住民も普通になりつつあったが、貧困民は移住する金がなく飢えた地球でさらに飢え続けている、そんな未来であった。そんな時代からまたさらに幾十年経ち、地球での人類の状況はさらに苦しくなっている時代が、おそらく間宮千昭の未来なのだろう。そんな頃に比べれば、2006年の地球がどれほどの美しさを秘めているか、考えようもない。無限の時の突端に始まった一つの大きな主張を見間違えた先の人類が、今の風景を振り返ればそれはきっと絶景だったのだ。
 原作の「時かけ」にある「SF」「恋愛」「青春」の内から、細田監督は「青春」を選び本作を想像した。描かれているところには、イジメもあり、受験戦争もあり、嫌な教師もいる。しかし、この時代に生きる高校生はかけがえのない美しさの中に生きている。70、80年前のその年代は工場で戦闘機の部品やら銃弾やらを作っていた人もいる。過去にも未来にも酷な状況は残る。細田監督が描いたものの中には、日々日常の煌々しい瞬きや、高い声が響く学生生活の素晴らしさを再発見することができる物語のカケラが忍んでいる。

深町一夫=ケン・ソゴルが、開発した時間跳躍の薬の実験で1986年に7世紀を遡りタイムリープしてやってきた彼は、その時代で芳山和子と恋をした。「きっと会いにくるよ。でも、その時はもう、深町一夫としてじゃなく、きみにとっては、新しい、まったく別の人間として・・」彼はそう言って、「いいえ、わたしにはわかるわ・・きっと。それが、あなただということが・・」彼女はそう言った。彼は未来にへ帰ってゆき、16歳の少女は歩み始め、20年が過ぎ、それでも彼女は待っている。
 間宮千昭は、遠い昔の混沌とする戦乱の時期に幸福をもって描かれた一つの”絵画”を見ようと、その絵がこの時にしか所在が分からないと知り、2006年に未来からタイムリープしてやってきた彼は、その時代で紺野真琴と恋をした。「未来で待ってる」と彼は言って「うん、すぐ行く。走っていく!」彼女はそう答えた。彼は未来に帰ってゆき、16歳の少女は走りだした。
 同じ境遇に立たされた主人公たちは、二人共に同じ方向へは行かなかった。浮世離れした雰囲気からの「魔女おばさん」なる芳山和子は、自分の若い頃と紺野真琴を照らし合わせ、タイムリープの事で悩む真琴に助言のような、また適当に調子を合わせていることを語り、最後には自分と真琴は違うと気づかせ、真琴はそれに背中を押され最後のタイムリープへ向かうこととなる。和子は国立美術館で絵画の修復をしながら未来に帰ったままのひとを待ち続けるが、劇中の和子が言うように真琴は友人2人とは別のひとと結婚をするだろう。二人は同じ運命を背負わない。
川が地面を流れているところを初めて見た。自転車に初めて乗った。空がこんなに広いところを初めて見た。なにより、こんなに人がたくさんいるところを初めて見た。間宮千昭はそう言った。数学が優秀で、漢字が読めなかった。俺この時代が好きだ。野球もあるし。彼女はその理由に自分が入っていることをわかっていた筈だ。その未来はもしかしたら、科学の発達が及ぼした地底都市で故に空は小さく、川の水はパイプ管を行き来して、自転車など必要しないほど活動圏は狭く移動は簡単で、世界規模で少子化が進んだ、「宇宙戦艦ヤマト」や「火の鳥(未来編)」のような人類末期の腐敗した地球なのかもしれない。そんな時代で彼はその”絵画”を知り、酷く荒れた飢饉貧困の時にどうしてこんな幸福な絵が描けたのだろうかという疑問を抱いて、時を遡ったのだ。そしてその時代の美しさ故に定住し、紺野真琴や津田功介と出会い、広すぎる青空に野球ボールを打ちはじめた。帰らなきゃいけなかったんだけど、いつの間にか夏になった。お前らと一緒にいるのがあんまり楽しくてさ。そう記憶に耽って千昭は言った。タイムリープにより誤差が生じたことで千昭は最終的に”絵”を見ることが叶わなかった。しかし彼はそれを見上げない感動を得ていた筈だ。 
 「未来で待ってる」「うん、すぐ行く。走っていく!」この言葉の解釈には色がある。千昭が見れなかった絵を未来に残すこと、であったり。彼のこの言葉は未来へ帰る直前の為に台詞をぼかした告白であって、彼女の言葉は対する応答、であったり。これは未来への思索であり観客に対する大いなる主張、であったり。彼は唯優しくあり、彼女の人生を一生明るく温かめるの思い出の言葉となった、であったり。そしてその言葉のシーンで千昭は真琴にキスをしない。ここに千昭が真琴に対する最後の優しさをみてしまう。「Time waits for no one」とは日本の慣用句で「光陰矢の如し」。直訳は「時は誰も待たない」。この言葉とまた、、”その大切な思い”を黙然と示唆しているかのように理科室の黒板に殴り書かれている。津田功介の「真琴!前見て走れ!」という言葉もまた。「かける」という様々な意味が煌々しい。
真琴はまず自分のために時をかけた。そして誰かのために時をかけた。やがて真琴は未来のために時をかける。最後にやっとタグライトの意味が提起される。「待ってられない未来がある」と。

第二段落、Wiki情報参考。
2013.7.17「原作より断然良い(‐_‐)bグッ!」レビュー投稿。
2014.2.18「その時への色のある思索。」レビュー更新。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 24
ネタバレ

かしろん さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

ここまで良いとは

【プロフェッショナル 仕事の流儀 を追加】
評判の良さは、勿論、知っていたんだが、
 サマーウォーズ
 おおかみこどもの雨と雪
を先に見てしまったせいもあり、
「ホントにそこまで面白いもんなの?」
と思ってた。
もっと、
ラブラブグダグダな三角関係に悩むぜ青春!跳べ!三ツ矢サイダー!
みたいな話だと思ってたのだ。

【ここまで良いとは思ってなかった】
{netabare}感想の結論言うと、
良い!素晴らしい!!
である。
一少女の、成長、恋への目覚め、を見事に描き切っている。
タイムリープものとして「ん?」と思う部分が無いでもないが、
んなこた、どーでもいいのだっ!

ルパンは別れ際におでこにキスをするけれど、千昭は真琴にキスはしない。
それでも、好きな相手に、自分という人間を残したい。
人に自分の本当の気持ちを伝えることが苦手な千昭。
そんな彼の精一杯が「待ってる」。
待ってる将来が何年後なのかは知らないが、もう、2度と、会えないことを分かっている。
真琴も、千昭に伝えられた未来像から、千昭とは、もう、2度と、会えないことを分かっている。
それでも、今までタイムリープで避け続けた、千昭の心を受け止めることが出来た。
心を盗んだのは、真琴なのか、千昭なのか。

飛行機の音と共に消えた千昭が、留学という名目で去っていく。
 そいえば、真琴がタイムリープしだした当初、進路について
 「留学でもしようかな」
 とか言ってたね
みたいな、伏線の張り方も実に綺麗。

「千昭の為に絵を残そう」
と将来を決めた真琴。
いずれ、魔女おばさんの後釜になるんだろう。
そして、いつか、魔女おばさんになった真琴のもとに姪っ子がやってきて
「こんな不思議なことがあったの」
と話す日が来るのだろう。
本編で、細やかなタイムリープ、ループを描きつつ、
物語として、大きなループを感じさせる。

入道雲。ぶつかる人混み、ぶつからない人混み。道路標識。
様々な演出手法で描かれる心情。
”ここから”の二分岐道路標識アップはやり過ぎだと思うけどね。


細田守監督の話から勝手に想像
有名なエピソードがある。
”スタジオジブリ ハウルの動く城 監督降板”。
スタッフかき集めてみたものの、製作が頓挫。
”ジブリ新作、細田守監督”として公開ラインナップ披露されながらポシャったのだ。
そりゃ、
「あの時、ああしておけば」「あの時、こうしておけば」
とか、沢山の後悔をしただろう。
それでも、前を向いた結果として、おジャ魔女どれみや劇場版ワンピースを世に送り出せた。
そういう思いや経験が、作品にギュッと積まって感じるんだよね。
過去を振り返り、やり直せばやり直すほどに状況が悪化してく
ってのは、タイムリープもののお約束なんだけど、そんなお約束すらも、東映アニメーションを退社してフリーとなった細田監督第一作目としての覚悟に感じる。

また、劇中のキーアイテムとなる画「白梅ニ椿菊図」。
作者も何も分からないけど、心に来る画。
監督が目指すものなんじゃないかな。
「監督が誰とか、見てる側にとってはどうでもいいことだ。
 名を残したいんじゃない。
 見てる人が、ただ純粋に、いいな、と思える作品を世に残したい。」


色んな事を経験した監督が、ただ前を向き、心に残る作品を作りたい。
将来、夢、希望、理想
が、大きく、高く、モクモクと膨らんでいく。
真っ青な夏の空に浮かぶ真っ白な入道雲のように、

最初から、最後まで、お見事でした。{/netabare}

【ループもののお約束】
{netabare}ループものは、
ループを繰り返す程状況が悪化していき、
段々と身動きが取れなくなっていく
ってのがお約束としてある。
本作は基本的に爽やか青春モノなので、流石にそこまでギスギスしたことはやってないが、ある部分でちゃんと則ってやっている。
それは、ループで被害を受ける人と内容。
被害を受ける人が、段々と真琴の身近な人になり、その内容も悪化していくのだ。

最初は、買い物おばさん。眼が前に付いているのは前に進むためだ、と本作のキモを話すひと。
 真琴の自転車とぶつかる。
次に、高瀬くん。
 真琴の失敗を全て被ることになり、いじめの対象となる。
次に、早川さん。
 高瀬が投げた消火器がぶつかり怪我をする。
そして、功介と後輩ちゃん。
 壊れた真琴の自転車に乗り、電車に轢かれる。

お約束やベタを綺麗にやる、ってのは難しい。
本作では、しっかりと、それをやれている。{/netabare}

【勝手に想像 ヤボだけど、演出や暗喩読み】
{netabare}合ってる間違ってるとかは知らない。
勝手に、そう思いました、読みました、受け取りました、って話。
内容が良いと、こういうのを読みたくなるよね。

河原ジャンプ前の部活ワッショイ
 真琴の心の戸惑いやざわめき。ただし、前向き。

河原で高笑い後のSEがヒグラシとカラス
 ループしまくりで調子に乗った真琴の状況が悪い方に向いていく。

分岐道路標識と「ここから」
 そのまま。シナリオとして大きな分岐点となる。

千昭告白時、3台の自転車が追い抜いていく
 今まで通りの3人では進んでいけない。

早川が千昭と話しているのを見かけた真琴を、騒ぎながら通り過ぎて行く大勢の生徒
 焦燥感。自分だけ置いてけぼり。

後輩ちゃんが功介のことを語る時の入道雲
 膨らんでいく功介に対する想像と恋心。

時間停止中の交差点で千昭と別れたら赤信号
 点滅信号のブザーは真琴の状況把握に要する時間。
 千昭と会えなくなることを完全に理解して赤信号。
 車の騒音は心のざわめき。

河原での千昭別れ時、2人乗りの自転車が追い抜いていく
 千昭と2人では進んでいけない。
 千昭告白時とのリンク。

河原での千昭別れ時の飛行機雲
 千昭が手の届かないところに行ってしまった。
 けれど、それは真っ直ぐに遠くまで伸びている。自分の将来への決意。

ラストに真琴が見上げる入道雲
 大きく、高く膨らんでいく、将来、夢、希望、理想。

白梅ニ椿菊図
 誰が書いたとか関係なく、見た人の心に残る作品を作りたい、
 という監督の希望。
 と、同時に、
 一人でもいいから、自分の作品を見た人の人生を狂わせてみたい、
 という監督の野望。
 シブリとか、宮崎とか、そんな看板どうでもいいんだよ!
 中身だろっ!
 と、までは言い過ぎか。
 時かけ以降のプロモーションが
 「○○、○○の細田守監督作品」
 とされてるのは、監督にとってはある種の皮肉?{/netabare}

【プロフェッショナル 仕事の流儀】
{netabare}”プロフェッショナル 仕事の流儀”
で細田監督が取り上げられた。
バケモノの子制作、密着300日。
「絵を描くアニメーションは自由に思われるかもしれないが、正解は1つしかない。
 そのたった1つの正解を求めて模索していく。」
12時間ぶっ通しで絵コンテを切る監督はそんなことを語っていた。
非常に興味深く、楽しい番組だった。

私は、細田監督のプライベートについて、1つ疑問に思っていることがあった。
それは、子供がいるのかどうか。
この番組中、自宅で子供に絵本を読み聞かせる細田監督が映っていた。
それを見て、
あぁ、なるほどね。
と、勝手に合点がいった。
細田監督の作品制作における姿勢が垣間見えた気がしたのだ。


時をかける少女
 様々な失敗をしても前を向いて進む姿勢と、フリーとなり制作作品にかける思いや決意

サマーウォーズ
 結婚と結婚において生まれた人との絆

おおかみこどもの雨と雪
 結婚生活で見えてきた子供を育てるという現実と母親の姿

バケモノの子(本編未見なので番組の内容解説より)
 子育ての中で見えてきた父親になるということと自分の父親への思い


こう見ると、監督自身の置かれた立場や状況が、素直に、作品に影響してる。

となると、次作が非常に難しそう。
作品制作への思いは、時かけで語っちゃった。
家族ネタは、サマウォで家族、雨雪で母子、バケモノで父子とやってきた。

俺、こんなに成功しちゃってるぜイエーイ!は作品にしにくい。番組中でも語ってた。
自分が描いてた理想と自分が置かれてしまった現状のギャップとその苦悩、みたいなものを描くと、内容が小難しくなり、万人向けエンターテイメントたり得なくなる。
それに、ジブリ宮崎の長編新作が無き今、小難しい内容は日テレ他が許さないだろう。
でも、ここらで一発、そんなん無視して、監督が抱えるドロドロをぶちまけちゃうような作品やって欲しいなぁ。

だけど、なんか、手堅く、原作アリで、感動的な恋愛モノをやりそうな予感、とか?{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 14
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