移住で家族なおすすめアニメランキング 4

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ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年05月07日の時点で一番の移住で家族なおすすめアニメは何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

84.9 1 移住で家族なアニメランキング1位
おおかみこどもの雨と雪(アニメ映画)

2012年7月1日
★★★★☆ 3.9 (1825)
9953人が棚に入れました
いまや全世界が待望する、細田守監督の最新作は「母と子の物語」。おとぎ話のような不思議な恋をした女性・花は、おおかみこどもの姉弟、"雪"と"雨"を育てることになる。「親と子」という普遍的なテーマを、人間とおおかみの二つの顔をもつ ≪おおかみこども≫ というファンタジックなモチーフで描く。いまだかつて誰も見たことがない傑作が誕生する。

声優・キャラクター
宮﨑あおい、大沢たかお、黒木華、西井幸人、大野百花、加部亜門、林原めぐみ、中村正、大木民夫、片岡富枝、平岡拓真、染谷将太、谷村美月、麻生久美子、菅原文太
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

細田監督の良さがふんだんに!(補足追記)

あらすじは他の方のレビュー等をご参照ください。

 2回目でした。2時間くらいの現代ファンタジー。
 1回目は、ながら見だったせいもあってか、あまりよくない印象を持っていたと記憶しています。今回きちんと見て、この作品の魅力にやっと気付けました。好きかどうかは意見が分かれる可能性がありますが、表現が非常に細かく、圧倒的な情報量が込められた傑作だと思います。私は非常に楽しめました。(補足を追記しました)


伝聞形式:{netabare}
 この作品は、オープニングでもエンディングでも、語っていたのはユキでしたよね。つまり、この物語は、語り手のユキの視点で描かれたものだったと言えます。この作品を、第三者の視点で描かれた家族の「ドキュメンタリー」として見てはいけませんでした。あくまでも、ハナから伝え聞いた話にユキ自身の体験を盛り込んだ、ユキの「思い出」のストーリーとして見る必要がありました。
 この辺を誤解するとやや説明不足に感じるかもしれませんね。この作品の世界が、ユキの中で再構成されたものであることを理解した上で視聴する必要がありました。

 オオカミ男がどのような生活をしていたのか、なぜ受講していたのか、なぜ死んでしまったのか。これらが不明なのは、第三者による俯瞰の視点がないからです。
 アメについてももちろん同様です。アメの単独シーンではセリフがありませんでした。すぐ話せるところにハナやユキがいないとアメのセリフは分からない、ということです。
 ニラサキのおじいさんの隠された思いも、嵐の日になぜユキとソウヘイだけが置いて行かれたのかも、ハナやユキがいないから不明である、というだけでした。

 ユキとハナの二人が知らない事柄や、ユキがハナから聞いていない事柄は、ユキの「思い出」の中では語りようもなかった、ということですね。説明に不足しているのではなく、伝聞形式を採用しているために説明ができなかったのです。
{/netabare}

ハナとユキの母親像:{netabare}
 まず、ハナにとっての母親とは何なのかを探ってみます。
 ハナが父親と写っている写真が出てきますが、その写真にハナの母親は写っていませんよね。写真のハナはかなり幼いですから、物心がつく前に母親を亡くしている(又は離婚している)可能性が高いです。社会から隔離されたオオカミ男と両親を失った孤独なハナが恋に落ち、家族(子供)を求めたのは何ら不思議なことではありませんでした。
 ハナはオオカミの育て方について「知らない」と言っていますが、母親による人間の子供の育て方も把握していなかったのです。親はみんな子育ての素人だという概念以前の問題で、母親という存在を知らないんです。

 では、ユキにとっての母親像とは何なのか。
 ハナは「辛い時でも笑っていれば乗り越えられる」を信条としています。また、ユキの誕生に際して「辛い思いをしないで元気に育ってほしい」と願っています。
 このことから、ハナはユキに対して、自分の辛さを一切伝えずに、笑顔であったことを伝え続けたのだと思われます。これがユキにとっての母親像を「強く優しい笑顔の母」に固定化しているというのは否定できないところでしょう。ただ、それが悪い方へ傾いているのではなく、ハナとユキの間にある愛情についての表現だったと言えます。ユキがそこに疑いを持たないために、あたかも理想像のように見えるのです。

 母親を知らないハナと母親を理想的に見るユキですから、この作品には現実的な母親と言うのは事実上存在しないことが分かります。そして、私たちはユキの「思い出」に影響され、ハナに対しては「強く優しい笑顔の母」というイメージを持ってしまいます。ただし、実際にハナがそのように描かれているかというと必ずしもそうでもありませんよね。

 例えば、子育て中のアパートでは、部屋は汚れ、ポストは郵便物であふれています。本に頼る姿も頻繁に出てきますが、結局のところ、ハナを救っていたのは本ではなく、周りの人々です。子供の親離れにも気付いていませんでした。ハナのイメージは「強く優しい笑顔の母」なのですが、周辺の描写を踏まえると一般的な母親と同様に弱さを見せていました。
 子育てに苦労するシーンでは、ツバメやクマが子連れで登場しています。動物との対比でも苦労を垣間見ることができました。本に頼る描写は後半ではありませんし、理想像のように見えるハナ自身も成長していたのです。

 ちなみに、花はハナの精神状態のバロメーターでもあったようです。分かりやすいのは花瓶で、オオカミ男が亡くなった直後やアパートでの育児中は、部屋に飾る花瓶の花は減っていました。花壇が充実している描写もかなり後半にならないと出てきません。
 笑顔以外のハナを知るには、周囲の描写に注視する必要がありました。
{/netabare}

ユキと二面性:{netabare}
 ユキとアメは、人間とオオカミの選択という作品のメインテーマを背負っています。家の前の分かれ道も、小児科と動物病院も、左が人間で右がオオカミとして描かれていました。ユキとアメが並んで立つシーンも、ハナによる手書きのユキとアメも、左がユキで右がアメと統一されていたようです。常に左側が人間で右側がオオカミだという、方向性の統一が描かれ続けていました。

 ユキを知るためには、この左右の選択に、鏡を加えなければなりません。どこかのレビューで書いたのですが、鏡や水面などの姿が写るものは、二面性の象徴として使われます。

 ソウヘイとのトラブルの前、鏡の前で口論が行われます。
 この時のユキは、現実のユキと鏡に写ったユキの両方が描かれています。そして、左側の階段を下りて、一旦右に振れるも、すぐさま左にはけて行きます。人間とオオカミ(左と右)に揺れているユキが、人間(左)側に行きたいという描写です。二面性を象徴する鏡と、左右のどちらからでも降りられる階段という舞台、そしてハナから聞いた人間でいるためのおまじないを使って、人間とオオカミに揺れるユキの心情と人間側への希望を強く描いていました。
 その時のソウヘイは階段の右側を下りますが、下りきることはありません。その後に「一匹狼」を自称するとしても、下りきれないのは当然のことです。

 一方で、嵐の夜の鏡の前では、ユキは鏡に映った姿しか描かれていません。アメとのケンカに負けた後ですし、それ以外でオオカミの姿にはなっていませんので、鏡の前だとしても二面性を描く必要がなくなっていたのです。人間であることへの強い意志を感じ取ることができます。
 このときのユキのセリフは「大人になりたい」です。このセリフは思春期に入った子供の特典のようなものです。オオカミの成長スピードならこの段階で大人になることも考えられますが、人間であることが確定したユキがこの段階で大人になることはあり得ませんので、あくまでも人間の思春期の真っ只中として描かれていました。なお、思春期への入りの描写は「匂い」(※)でした。

 なお、最後に二面性が描かれる人物は、ユキでもアメでもなく、ハナでした。アメを見送った後の水たまりに写る二人のハナです。かなりくっきりと写っています。人間とオオカミを独り立ちさせたというハナだけのエンディングです。最後に「大丈夫」と言われるのも、ユキやアメではなく、ハナでした。
{/netabare}

 上記以外にも、重要なシーンに合わせるような瞳の揺らぎや光の描写、動物の姿など画面の隅までまで見どころがたくさんありました。家の修繕を進めていくうちに、細部の美しさに気付いていく描写は、家の柱を介して子育てにリンクされるなど、素敵な表現だったと思います。時をかける少女やサマーウォーズと同様に、人間を肯定的に捉える細田監督の特徴は出ていたと思います。

対象年齢等:
 10代くらいから見ても大丈夫だと思います。性に関する描写も10代なら問題ない程度のものです。宮崎駿作品のように、見るたびに理解を深めていける作品だと思いますので、長い期間を通じて楽しんでいきたいですね。


(※)「匂い」の補足{netabare}
 ソウヘイはユキに「獣臭い」と言っています。なぜこの「匂い」がユキの思春期入りの描写になるのかについて、補足を入れておきます。

 このセリフは、表面的には「オオカミ臭い」という意味を持っています。これがユキの受け止め方であり、その後のストーリー展開に直接的な影響を及ぼします。ただ、描写的には、全く別の意味を持つことが分かるようになっていました。

 単に「オオカミ臭い」ことを表現するのならば、この「匂い」は、オオカミが気付かずに人間が気付くものでなければなりません。すなわち、ユキ以外の生徒たち全員が気付く「種族の匂い」のはずです。しかし、ソウヘイ以外の女子生徒たちは、その「獣臭い」には気付いておらず、気付いていたのはソウヘイだけでした。

 つまり、実際の「獣臭い」は、人間かオオカミかを判別する「種族の匂い」ではなかったということです。女子生徒が気付かずにソウヘイだけが気付くという、女性と男性を判別する「性別の匂い」だったのです。端的に言うと、「生理の匂い」「血の匂い」という意味でした。これをソウヘイは「獣臭い」と表現していたのです。

 初見時には、ソウヘイの臭覚や感性が他の人より鋭くて、「種族の匂い」に気付けたのでは?と思ってしまったのですが、そう言い切ることはできませんよね。ソウヘイに関して、そのような描写・エピソードは用意されていませんから。その結論を出してしまうと、先入観や思い込みで解釈をしていることになってしまいます。
 このシーンでは、ユキに女子生徒と男子生徒を絡ませることで、<オオカミのユキ⇔人間の女子生徒&ソウヘイ>という対比に基づいた「種族の匂い」ではなく、<女性のユキ&女子生徒⇔男性のソウヘイ>という対比に基づいた「性別の匂い」を演出していたということしか見えてきませんでした。

 したがって、このときのユキは、ユニセックスな子供時代を終え、男性が意識する女性へと変わっていたということになります。それゆえに、「匂い」でユキの思春期入りが描かれていた、と言えるのです。ユキの内面からではなく、他者の視点からこれを見せていました。ユキは、オオカミの血にコンプレックスを持っていますから、過敏に反応し過ぎて誤解をしてしまった、とも言えますね。ユキの内面的な思春期は、そのあとの描写で描かれていました。
{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 21
ネタバレ

ギータ さんの感想・評価

★★★★★ 4.9

短い時間でたくさんのことを考えさせられた映画

見どころが半端ないくらい多いです。

{netabare}
子育ての大変さ、我が子への母親の愛とそれによる頑張り、近所の人の助け、子どもの成長による心境の変化、親への感謝、人生の自己決定、我が子と離れる寂しさ、子育てに終わりはない
{/netabare}

正直、挙げだすとキリがないですが、これだけのことを2時間くらいの映画で取り上げるのは本当にすごいです。
子どもが成長していくだけでも構成はかなり難しいのに、伝えたいこともしっかり入っていて、言いすぎかもしれませんが、clannadを2時間にまとめたレベルの作品だと思います。

パンフレットに書いてあった細田監督のインタビューで「おおかみ子どもは私たち自身である」また、脚本の奥寺さんの「セリフがないところが名場面になる」という言葉があまりにもこの映画をとらえているため、読んでいて鳥肌がたちました。


「おおかみこどもは私たち自身である」
{netabare}
作中では、雨がおおかみとして、雪が人間としてそれぞれが自分で生き方を決め、歩んでいきます。でも、それは人間である私たちも同じことで、自分の生きる道は自分で選んでいかなければいけません。後悔しないようにかつ、責任を持った選択を迫られます。映画の最後で雨が別れるシーン、雨はすごい、言葉に表せないような心境だったと思います。これまで母親にべったりで、すごくお世話になって、母親から「まだ何もしてあげられてない」なんて言葉をかけられて。自分がそんなことを言われたら絶対泣いてしまうし、雨も心はかなり揺れ動いていたと思います。それでも雨は別れておおかみとして生きていくことを決意したのです。感謝の気持ち、寂しさ、すべての感情を背負って別れることにした雨の選択は本当にすばらしいものであり、自分もそんな選択ができる強い人になりたいと感じました。
人の生き方には無限の選択肢があると思います。でも、その選択には大きな決断が伴うこともあるのです。それは今回の映画のようにおおかみとして生きるか、人間として生きるかということと同じであり、「おおかみこどもは私たち自身である」という言葉は、そんな思いから発せられた言葉なのでしょう。
{/netabare}

「セリフがないところが名場面になる」
脚本の奥寺さんは「この映画は映像でなければ伝わらないところもある」というようにおっしゃっています。
{netabare}
まずは映画中盤、雪の中で遊ぶシーン。あのシーンはセリフなしで、音楽とアニメーションの二つによって、自然の雄大さ、花たち家族の楽しさ、疾走感が伝わってくる場面です。記憶が正しければ、笑い声すらなかったように思います。しかし、すごい伝わってくるものがあるのです。思わずすごいと思ってしまうシーンであり、短い映画の中でも、毎日楽しく過ごしてきたんだなと、映画の中の時間に入りこんだ気持ちになりました。
そして、映画終盤、またも雨の別れのシーン。やはりたくさんの見どころはあるものの、このシーンの力の入れ具合から、一番伝えたいのはこの場面なのかなと思います。このシーン、雨は何も話しません。そして、花もいくつかセリフを言った後、しばらく何もセリフがないシーンになります。雨が何も言わないのはおおかみとして生きていく覚悟の表れかなと思います。セリフがないこのシーンは、私はいろんなことを考えました。花の気持ちや雨の気持ち、そしてこの人に考えさせるのがねらいなのかなとも思いました。単に受け身として映画をみるのではなく、自分で想像を働かせ、今花たちは何を思っているのかなと考えさせるなど。あえてセリフをつけないことによって、より感情移入させようとしているのかなとも思いました。だからこそ、その後の雨の遠吠えにより感動を覚えたのかなとも思います。
→追記で
雨の別れのシーンは思ったよりもセリフなしのシーン短かったですね。それでも雨が何も話さないものの表情で揺れ動いていると分かる描写はとても印象的でした。

{/netabare}

奥寺さんの言い分とは少し違うかもしれませんが、想像力を働かせるというのは、小説などの文字媒体に比べ、受け身になりやすいアニメや漫画にとって大切なことだと思います。それに関連して私の中で印象に残っているものが2つあります。
違う作品の紹介になるのであえて隠します。読みたい人だけ開いてください
{netabare}
1つはスラムダンクのラスト1プレー、もう1つはもののけ姫のエンディングです。
スラムダンクは、漫画でありながら、そのラストシーンは全くセリフがありません。しかしそのシーンは、私が読んだ漫画のシーンで№1だと思います。もののけ姫のエンディングは主題歌と音楽を流し、画面は真っ黒のスタッフロールのみです。しかし、私はこのエンディングこそ今まで見てきたどのエンディングよりもすばらしいと思うのです。この2つはここでは言及しませんが、言いたいことは、このおおかみこどもの考察とだいたい同じようなことです。もののけ姫は、また少し違うのですが。
{/netabare}
BDの発売が待ち遠しいです。早く見たいし、みなさんも見てない人は一度、見た人ももう一度視聴されることをおすすめします。


追記:BD届きました!
間違いなく一回目より二回目の方が来るものがあります。次にどんな場面になるか、どんなセリフが来るか分かっている方がつらいものがあったり、泣きそうになるものがあります。
改めてみても、本当に見どころ伝えたいこと満載で、二回目も感動しました。
一つだけ追加の考察を

前から思っていましたがジブリ作品と共通するところがあると思います。私がジブリ作品に魅力を感じたのは、小さい頃に見た時と高校、大学で見た時、同じ作品を見ているのに違う感想を抱いたこと、つまり自分の成長と考えの変化を実感できたことが挙げられます。
おおかみこどももおそらくこのような感想を抱くような作品であると思います。まぁ去年の映画であるため、本当にそうなるかはあと何年かたってからでなければ証明はできませんが。
この考察をさらに続けるとこの作品にはジブリと違う点があり、そしてそれがジブリを越えるものではないかと思うのです。
ジブリ映画は視点がほぼ主人公かヒロインです。私たちはその主人公の成長や感情の動きを感じ取り、そしてそれは見る年齢によって感想が違ったりしています。
おおかみこどもの視点は花と雪と雨の三人であり、しかもそれぞれ年齢が違い、子ども、親というように全く違う視点から見ることができます。さらに付け加えると、作中でみんな歳をとり、成長しているため、もっと多くの視点で見ることとなります。
私も子どもの頃は雪や雨のようなやんちゃな時があったり、分からなくて悩んだときがあったり、あのときこんな感じだったなぁと懐かしみ、二人の行動、そして過去の自分を受け入れました。もしかしたら、私が小学生でこの作品を見たらそうは思わなかったかもしれません。
それ故に花の行動はすごいと思っても、自分はそういう行動をとれるのかなと疑問を感じさえしてしまうのです。これは大人に、そして親になった時に今より分かるようになるかなと思います。
以上から、この作品は自分の年齢、立場から感想がかなり違うものになると私は思います。そして、歳を重ねればジブリよりも直接的に違うことを感じる作品にこれからなっていくと思います。
願わくは、小さいころからこの作品を見る人が増え、成長していくたびにこの作品からいろんなことを感じ取り、より感動出来ればなと思います。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 20
ネタバレ

nico81 さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.9

劣等感と自己肯定の物語

考察を繰り返した結果、断言しても良い。
これは子育て奮闘記でもなければ母子の絆の話でもない。
細田守監督自身のコンプレックスの投影と自己肯定という、極めて個人的な内容だ。

さも母が中心かのような広告を打ったのは、そのほうが売れると踏んだからかもしれない。
しかし、母の物語だとすると各要素の必然性が全くなく、あまりにもお粗末な作りだ。
子育てや生活そのものについての批判が多くあり実際その通りだが、おそらくそれらはすべて見当違いだ。

この物語の主軸はあくまでもタイトルにある通り「雨と雪」という2人の子供たちであり、彼らが自分たちの運命(異形であること=劣等感の具現化)と対峙し葛藤することである。
母の存在は物語上の手段として必要だっただけに過ぎない。第一にはコンプレックスの象徴としての狼人間をこの世に産み出すために。第二にコンプレックスを抱えた子供らと監督自身を「(異形のものと承知で)産み、育て、愛し、許す」=「肯定する」ための"聖母"のような役割として。彼女の言動やとりまく環境や出来事は全て聖母として存在させるためであり、そのための宮﨑あおいである。つまり制作側の意図以外には何もない。
そう考えると色々合点がいく。矛盾があろうがなかろうがどっちだって良いのだ。


そして、聖母の救済を必要としたのは {netabare} 弟の雨だ。
彼こそが監督の自己投影の対象だろう。
―母の理想にはなれなかった。母のもとにも居られない。それでもそんな自分をあるがまま受け止め、認めてほしい。それで良いのだと背中を押してもらいたい―
そんな深層心理の表れだと考えるのは深読みのしすぎだろうか?
人でもなく狼でもない中途半端な存在としての劣等感。周囲となじめずに深まる孤独感。母の求める理想に近づけない後ろめたさ。そうして殻に閉じこもり、アイデンティティを求めてもがきさまよう。
やがて、母の属す社会の外側に居場所を見つけてひとり旅立つ。そんな彼を母は泣き笑いで受け入れる。そのままで良いのだと、無言のうちに肯定してやるのだ。彼は希望と許しを同時に手にして、自由へと駆け出していく。
鏡のように対比された姉の選択によって別の可能性も示されるが、彼女もやはり他者からの許し(秘密の共有)を必要とする。

一見、彼らの自己肯定と再出発は成功したかに見える。
しかし、姉の決意には諦念が見え隠れするし、弟は傍目には逃避という言わば後ろ向きの選択だ。しかも全て強引な自己完結で、アイデンティティを獲得したのではなく捨てたようにしか見えない。根本的解決をしていないにも関わらず、それを他者に認めさせることで得た自己肯定は独りよがりに映る。
もっと言えば、そもそも聖母であるべき母こそが狼人間という異形(=劣等感)を生み出すというパラドックスに陥っているわけで、実はこの時点で監督の自己肯定は既に失敗している。
{/netabare}


どこまでが意識的なのか無意識なのかは分からないが、各エピソードの生々しさは高木正勝の聞き心地良いミニマルミュージックによってオブラートに包み、アン・サリーの歌で母性を強調し、姉の独白で視点をずらし、狼人間の姿形を借りて非現実を可視化することで何とかファンタジーの形態を保っているような……つまり計算づくで、ちょっとあざとい。

引き画の多用についても監督は「客観性を保つため」と語っているが、対象が曖昧にぼかされて主題も散漫になっている印象のほうが強い。第一、どうしたって感動系にしかならないプロットにわざわざ客観性を組みこむ必要があったのか。実際、ここ引き画にしちゃったら観客は感情移入しにくいんじゃないかと思う場面が多々ある。劣等感にフォーカスされて物語が過剰にセンチメンタルに転ぶことを嫌ったからでは? もしくは自分の隠された本心を暴かれることを恐れているのでは? などと斜めな見方もできる。

いずれにしても、この「ひどく個人的な心理を覆い隠して普遍的テーマの体裁を取り繕った感じ」にどうしても違和感が拭えず共感も感動もできない。(がしかし、私の同族嫌悪も多分に含んでいる)


サマーウォーズも面白かったけど何かもやもやと違和感があって、それもこの考え方でいけば納得できる。体裁だけはファンタジーなのにどうしても舞台やエピソードが現実的なのは、監督自身が生きる場所であって解決すべき問題ともがきがそこにある(しかも解決していない)から。
だとすると、この人にジブリのような異世界での冒険譚は多分描けない。

しかし、このままではいくつ作品を作っても形を変えて繰り返すだけじゃないのかなぁ…
他者に依存し続ける限り他者を言い訳に使うことも可能で、いつか行き詰る。他者の助けは必要だけど、本当の意味で「自分という人間を受け入れ、自分の人生を請け負う」覚悟をするとき、許しを与えるのは自分自身以外にないのだから。


※だいぶ以前にUP済みだったが、推敲と加筆・訂正を繰り返していまに至る。ここまでの考察は滅多にしないし長文も避けているのだが、どうしても無視できずに自分のために書いた。
自分と似通った業を抱える監督への歯がゆさと、ここまでしてもその業から解放されていない様への苛立ちと落胆を覚えている。きっと「バケモノの子」でも繰り返しているだろうと容易に想像できるのだが、いずれ見届けなければなぁとぼんやり考えている。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 14

72.1 2 移住で家族なアニメランキング2位
機動戦士ガンダム F91(アニメ映画)

1991年3月16日
★★★★☆ 3.8 (462)
2544人が棚に入れました
宇宙世紀0123年、シャアの反乱から約30年が経った時代。大きな戦乱も無く平和な世界の中、人類はその大半が地球から月までの軌道に設置されたスペースコロニーに移住し、地球連邦政府という国家の枠組みを超えた全地球規模の組織に統治されていた。しかし、地球連邦政府の疲弊・腐敗から、秘密裏にコスモ貴族主義を掲げる軍事組織クロスボーン・バンガードが設立され、スペースコロニー「フロンティアIV」を急襲する。その最中、民間人の少年 シーブック・アノーは襲撃から避難するために、友人達とともにコロニーを脱出するが、同行していた内の一人 セシリーが連れ去られてしまう。近隣のコロニー「フロンティアI」に辿り着いた一行は、地球連邦軍の宇宙練習艦スペース・アークに保護される。艦内にはF91と名付けられた整備中の新型MS(モビルスーツ)があった。混乱の中成り行きでF91で出撃することになったシーブックが戦場で対峙したのは、クロスボーン・バンガード軍のMSビギナ・ギナに搭乗していたセシリーだった…。

さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

是非ともリメイクされて欲しい不遇の名作

まず最初にお伝えしたいのは、この作品が「劇場版のガンダム作品」として屈指の名作でありながら、とにかく時勢に恵まれず、内容に見合った扱いを受けられずにきた不遇の名作であるという点です。
この作品の魅力については他のレビュワーの方々が語ってくれていますので、私はまず、この作品がなぜ不遇の名作となってしまっているかについて私見を交えて書かせてもらいたいと思います。

この「機動戦士ガンダムF91」という作品は、ガンダム劇場版10周年を記念する作品というふれこみで製作されたものですが、当時はガンダムシリーズの展開が行き詰まりを迎えつつある冬の時代だったようで、そういった状況の打開を図るべく、過去作の反省も踏まえて「分かりやすいTVガンダム」を作ろうという構想の基で企画が生まれ、現在でも第一線で活躍している名だたるクリエイター達が結集し、それまでのシリーズ作にはない挑戦的な作りこみがなされながら製作されてゆきました。(企画が生まれる要因となった過去作の反省については後述させてもらいます)

そのためこの作品は、初代ガンダムから始まった「宇宙世紀」と同じ時間軸の下で物語が描かれているにも関わらず、良くも悪くも他のガンダム作品とは一線を画した仕上がりになり、公開当時はシリーズファンの間でも評価が割れた作品となりました。

評価が割れた大きな要因として、それまでの歴代ガンダム作品の魅力の一つとなっていた「過去作の登場人粒や設定」が時を経て最新作品に登場してくるオマージュ的展開がこの作品では殆ど用いられておらず、それと同様にそれまでの歴代作品が膨大に積み上げてきていた敵勢力側のモビルスーツ(ロボット兵器)の系譜も排除され、全く新しいアーキテクチャーによるロボットデザインがいきなり導入されたりしている点が挙げられます。
故に熱烈なガンダムシリーズファンの方々にとってこの作品は、初代ガンダムに連なる歴代の「宇宙世紀系ガンダム作品群」の一つとして受け入れられ難い側面を持っており、色んな意味で一線を画した作品として捉えられることが多いようです。

この作品は元々、当時の歴代TVガンダムが描いてきていた「人類の戦争」という子供向けTVアニメで扱うには重く難解すぎるテーマを、それまでより分かり易く描くことを目標に1クール分のTVアニメ番組として企画されたものだったらしく、この企画が生まれた背景には、TV版第2作の「Zガンダム」が作品自体の出来は良かったものの「難解で複雑な内容」故に子供市場へのウケが良くなく、製作側とスポンサーが期待した程に商業成果をあげられなかったことと、連続して製作されたTV第3作「ガンダムZZ」がZガンダムの反省を踏まえすぎて迷走し、番組途中で路線変更を余儀なくされた上に、結局Zガンダムを下回る商業結果を残しそうだと判断され、そこから商業的巻き返しを図るために第3作「ガンダムZZ」の放送期間中に急遽物語ラストの核となるプロットを丸々抜き出して「逆襲のシャア」という劇場版作品を作る羽目に陥った製作側の苦い経験があったようです。(逆襲のシャアは大ヒットし名作となりました)

しかし子供市場にも受け入れてもらえる「分かりやすい新ガンダム」を実力派クリエイターを集めて作ろうとしたものの、戦争という「題材」を使って魅力的なアニメ作品を作ると、結局子供向け作品としてベビーすぎる内容になってしまい、当時のTV局の自主規制的縛りやTVスポンサーとの折り合いなどがつけられなかったのではないかと言われています。
逆にいえば、実力あるクリエイター達が作品を面白くしようとするこだわりが、「TV版F91」製作の足枷になってしまったといえなくも無いかもしれません。
様々な背景事情が入り乱れ製作状況を二転三転させる羽目になったサンライズは、最終的に「機動戦士ガンダムF91」という作品を劇場用の120分映画に濃縮する形で製作・公開することにせざるをえなかったようです。

そうした製作環境の変動は少なからず作品の品質にも弊害を与えていったようで、この作品では、本来なら時間をかけて描かれるべき繊細な場面が、尺の都合などで止むを得ず端折られたり削られたりしている所が幾つか存在しています。この点もまた、この作品についてファン達に物議を醸させ、作品への評価を割れさせる一因となったようです。

しかし尺の都合で削られてる所があって唐突に場面が飛んでしまうことがあるにしても、本作は全体的に話の流れがとてもスムーズでテンポも良いので、私個人としては観ていてどんどん惹きこまれ120分間があっという間に終わってしまった感じでした。そして「端折られた箇所への違和感」は私的にギリギリ許容できる範囲ではありました。(気になる人はとことん気になるかもしれません)
この作品に高い評価と共にレビューコメントをつけていらっしゃる方々の多くが、この作品のそういった部分を「展開を急ぎすぎている」「話が駆け足しすぎてて勿体無い」と仰っていて、劇場版でなくTVシリーズとして相応の話数と尺を使って描かれたこの作品を観てみたいという願望を持っていらっしゃるようですが、私も全くの同感です。

(ここからはこの作品の魅力について具体的に書かせていただきます。)


視聴して頂ければ納得していただけると思いますが、この作品にはガンダム世界のエッセンスが作品公開当時にサンライズが費やせる最高のクオリティで詰め込まれており、公開から25年余りが過ぎた現段階においても、その内容が殆ど色あせておらず、劇場用のガンダム作品としては屈指の名作であると言い切れる出来栄えになっています。

この作品の具体的な時代設定は宇宙世紀0123年で、これは初代ガンダムの一年戦争時代(宇宙世紀0080)から40年後、ZガンダムとガンダムZZのグリプス戦役と第一次ネオジオン戦争時代からは34年後、逆襲のシャアの第二次ネオジオン戦争からは30年後、ガンダムUCのラプラス戦争時代からは27年後にあたる設定になっています。
F91では、この時代に起こった紛争の中で必死に生き抜こうする人々の「出会い・裏切り・葛藤・成長・愛憎・決別・和合」といった様々な人間ドラマが、宇宙戦艦やモビルスーツ(ロボット兵器)を主兵器とした戦争を通じ繰り広げられてゆきます。

この作品のロボットアニメとしての戦闘シーンは、今の時代でもこの作品を凌げるものに中々お目にかかれない程に魅せ方を心得た好演出が多く、そういった観点からも時折無性に観たくなる程の魅力を備えています。
ただ、佳境を迎えたラストバトルの最後の最後のシーンはとても素晴らしい演出がなされているのですが、私は個人的にあともう一つ「決め手」となる演出が加えられていて欲しかったなとも感じました。(ここは人によって意見が分かれる部分だと思います。)
そしてそこからエンディングにゆくのですが、森口博子さんが歌っていらっしゃるEDテーマがこれまた非常に素晴らしく、ラストの感動を否がおうに盛り上げてくれます。私は初観直後にクライマックス~エンディングの流れを3回ほど観直して余韻に浸りまくっていました。そしてこの曲はガンダムのテーマソングとしては初の「NHK紅白歌合戦」出場を果たしたヒット曲でもあります。

この作品は当時の名だたる実力派クリエイター達が結集して作られたため、作品全体に凄まじいほどに秀逸な演出が惜しむことなく散りばめられており、物語の土台となる世界観を徹底して「肌で感じられる」描写で描きまくってあります。(昔の勘違い高品質アニメにありがちだった無駄に細かい描写などでは決してありません。作品の魅力をきっちり引き立てている好演出ばかりなのです。)

それによってこの作品は、主人公が活躍する戦闘シーンだけでなく「戦争によって人々の日常が破壊されてゆく」ガンダムシリーズでは通例となっている場面や、紛争の中で人々があがいてゆく「非日常の日常」の場面などがガンダムシリーズ中随一の出来となっており、そこは必見の価値があると思います。
物語中に流れる価値的描写も、様々な価値感を持った登場人物達がそれぞれの存在意義と生き方に根ざした行動をとってゆき、それらがきめ細やかに絡められてゆく形で描写がなされており、「戦争に絶対の正義無し」されど「人の道は如何や?」というガンダムの真髄ともいえるスピリッツがあますことなく表現されています。

少し穿った言い方をしてしまうと、通り一編のテンプレ的な行動しか登場人物達に許容できない子供的感性の人からみると、この作品のキャラクター達の行動は矛盾だらけで中途半端で意味不明なものに映ってしまうかもしれません。が、そこがこの作品の人間ドラマとして実に味わい深い部分だったりします。これは年齢を重ねないと見えてこない「大人の特権」的な味わいかもしれませんね。
この作品が企画されたきっかけは「子供にも分かりやすいTVガンダムを作ろう」でしたが、良くも悪くも随分と大人が愉しめる「味わい深い作品」になってくれたものだと思います。

しかしこの作品に更なる+@の魅力を与えている何より要因は、「命の儚さ」や「人間の厭らしさ」といった「戦争や人のネガティブな側面」を様々な人間の価値感を織り交ぜながらがっぷり描きつつ、その泥沼の先に「光明」を見出せる「人間の持つ可能性」をポジティブに描けている所なのではないでしょうか。



「機動戦士ガンダムF91」という作品は、時間と尺をかけてじっくり描かれた作品として世に出るはずが、当時の作品の受け手である市場が未成熟だったために、尺に限界のある劇場用作品として世に出ざるをえなかった「不遇の名作」だと思います。
もし可能であればこの作品をOVAやTVアニメとして、是非ともリメイクしていただきたいと思います。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 5

ラスコーリニコフ さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

ガンダムだ・・ 俺がガンダムだ。

えーとですね、
知ってる人は知ってるでしょうけど、例の彼の素敵台詞です。
この作品を語るにあたりこれ以上の言葉が見つからない。

彼はこの点において後に意味不明な挫折をし、更なる笑いを
視聴者に与えてくれますが、挫折するのは至極当然です。

何故なら、【この作品と、これを観た俺こそがガンダムだ】


私はF91は昔2回程見てますが、その時はガンダムになれなかった。

で、今これを読んでいる貴方がガンダムになれるかどうかは、
これまで見たガンダム作品の総数と、それ+αの数によりますね。

・・あー、いつもの病気なんで。


作品は基本的には
「ガンダムを用いた単純でありふれたラブロマンス(薄味)」

これは人気が無くて当然、キャラが異様に薄いんだもの。

肝心の富野もトゲの無い毒のない富野、故に印象に残りにくい富野、
よって笑いどころも無い富野、ただの富野、てか富野不調


まー、短いんでガンダムになる自信があるなら見てみると良いです。
ガンダムになれない場合はすぐ忘れるような微妙な作品かと。

とりあえず短いので見るなら通して見ろよって事で

検索 機動戦士ガンダムF91 - Eternal Wind For F91 -

ネタバレ満載の素敵MAD置いておきます。観終わってから見る用ね


■逆シャアから30年後の話

あらすじに書いてますね。地球連邦政府の疲弊・腐敗から、秘密裏に
コスモ貴族主義を掲げる軍事組織クロスボーン・バンガードが設立(ry

どっかで聞いたような設定ですけど、同じよーな事が起こる訳です。

 初代→Z→ZZ→逆シャア→F91(富野監督作品としてはこの流れ)

■富野不調

セシリーもシーブックも個人的には好きなんですが、
というかセシリーなんて名前と顔と設定だけでご飯が食べれそーなんです
けど、言ってしまえばキャラが薄い。

ニュータイプってぶっちゃけ性格破綻者達なんで、
彼等は全然ニュータイプっぽくない。センスの良さそうな色男と、貴族の
美形のお嬢様。単に富野臭のある台詞を喋るだけの機械。

二人以外にも毒物奇人変人が出てこない、一定以上の毒が出てこないんで
なーんか普通だな、退屈だな、セシリー日の当たる場所と当たらない場所で
髪の色全然違うなー他出てくる子供から大人全てが富野台詞を喋る機械。

Vで富野さんついにぶち壊れてニュータイプ化する訳なんですけど、嵐の前の
静寂なのかあり得ないほどに一般人で、社会性あり過ぎだった。


この原因はですね、クリエイティブな仕事にありがちなスランプ的なものと
「家族論」とか「解りやすさ」とか明らかニュータイプと逆方向の主題にして
しまった事で、まあそれ自体がもうスランプの兆候と言えるんですが。

彼立ち直った後は、F91とVを闇に葬り去ろうとしてますが、F91は不調過ぎで
Vは逆に絶好調過ぎた。つまりはそういう事です。

■総集編としての役割

まず、古いタイプの演劇風のアニメなのは最初の方で分かるかと。

この作品逆シャアまでの歴史を振り返る「総集編」としての役割もあるんで、
ほとんどのキャラが、癖の無い声で、はっきりと、置いたような台詞を、喋る
大声でもあっさり味で感情が感じられず、故に(血)生臭さも感じられない。

だから感情移入するような人にとっては印象に残りにくい微妙な出来で、
自分みたいに主に客観的にしか見ないタイプにとっては好ましい仕上がり。

富野不調のせいもあって自分の感情を逆撫でするクソガキやクソ男も出てこず、
そのせいでネタにはしにくいものの、1人の大人として向き合える作品だった。


総集編については、セシリーがじい様からウザそうに昔話を聞かされるシーンが
あるんですけど、それまでの作品を見てないとよく理解できない。

他にも専門的な用語がいくつか出てきて、ここだと多分予備知識無しで一回で
理解できそうなのはみみかき教授くらいなもので、我々凡人にとっては国会中継
あーもーいーよそんな話、さっさとセシリー入浴させろ内容。

そのウザ話のほか、作品全体がもう今までの作品と似たような事をやるんで、
あーアレもこんな感じの話だったな。とノスタルジーに浸れる系になってます。


で、この総集編としての役割があるんで、展開がかなり速い。
他レビューにて いったん分からなくなるともうおしまい って話してる方が
いますけど実際そうです。

一回脱落するともうセシリー眺めながら「質量のある~」の素敵シーンを待つ
だけの作品なんで、割と気合入れて見る必要があります。

本筋はありがちなラブストーリー要素含みの単純化されたいつものガンダム話で
そこだけは救い。過去の作品を見ていれば多少台詞を聞き逃しても話は繋がる。

■この後の作品の原因、及び総集編としての役割

カテジナさん他の素敵ビッチ大暴走のVはともかく、W、X、SEED&SEED D、00他
ガンダムと名の付かないアニメでも、設定や世界観をパクったり富野臭のある台詞が
出て来る物は大量にあり、つまりそういう作品の原因、または総集編でもある訳です。

W、X、SEED&SEED D、00に出てきた「あの発想」は既にこの頃にあった、
あの作品のあのシーン、あのシチュ、あの台詞は古ガンダム作品の影響なのか・
をはっきりと感じれる、そういう作品。


ガンダム風の話、ガンダム風の台詞、ガンダム風のキャラ、ガンダム風ロボット

ガンダムは富野の世界であると同時に、それまでガンダムを見てきた人間の世界
「ガンダムに関わった人間全てに共通する世界」なんですよ。

富野はこの作品でキャラを性格を含めて一新した訳ですが、これが大きい
つまりは富野以外が「ガンダム成分を引き継いで」というのもアリな訳です。


富野をガンダムの成分の一つと考えると

 富野 MS ガンダム風のキャラ 定番設定シチュ 富野台詞 ガンダム話

この作品で富野は

 不調富野 MS 非ガンダム風キャラ 定番設定シチュ 富野台詞 ガンダム話

をやった、ってかやってしまったんですけど、なら

 富野以外 MS ガンダム風のキャラ 定番設定シチュ 富野台詞 ガンダム話


こーゆーのもガンダムとして肯定できるんじゃ、と自分の中でそう考えが変わった。

∀は見てないのですが、富野が監督をやめたV以降のガンダム作品はただのパクりと
F91を最近また見るまではそう見てたんですが、そう思うのはもうやめたよ。

富野以外が監督をした0083はキャラや名場面が強烈過ぎた為に、
その事に気が付かなかったんですけど、この作品が薄味であるが故に、富野が不調で
あるが故に、台詞やシチュ&設定ばかりに目が行き気が付いてしまった。


■無個性キャラ、富野台詞、定番シチュ&設定のガンダム話&話の高速展開

こーゆー事をされると、大量のガンダム他を見てきた人間にはどういう現象が起こるか、
ガンダム成分を含む色々な作品の色々なキャラがダブって見えるんですよ。

一応富野の作品なのでパクりだな・・にはならず、魅せる系の富野台詞の一つ一つに
色々なキャラがダブって見える。初代、Z、ZZ、W、X、SEED&SEED D、00他、最近また
見たギアスのキャラもダブって見えて、もう夢想転生くらったラオウ状態

こ・・これはレイの拳! こ・・この動きは ト・・トキ! のあれ。


設定やシチュも結構色々なものとダブるけど、主に富野台詞でのダブりが頻繁
シーブック他無個性キャラが背負ってるのは「悲しみ」じゃなく「ガンダムそのもの」

台詞回しや作品に漂う洒落たムードに酔うだけなら、俺も好きだけどC.B.ビバップでも
見てりゃ良いし、あれと違って【魅せる台詞の一つ一つに意味がある】

というより多くのガンダム作品他パクり作品が世に出て、それを見る事、歴史を重ねる
事で【魅せる台詞、富野台詞が大きな意味を持ってしまった】


話の展開も速いから、もう色々なものとダブり過ぎて本来あっさり味の作品のはずが、
色々思い出し過ぎてずっしりと来る。見て来たものの数だけダブるんだよこれ。


■それ故に俺がガンダムだ

この作品、ガンダムになれる人間にとっては

「自分の見たガンダムに関わる様々な記憶を呼び起こし、
 無個性で無難キャラをスクリーンとし、そこに高速で記憶を次々に投射させられ
 自分の中のガンダムをはっきりと認識させられる作品」


■「質量のある残像」

例の素敵台詞&シーンの
バイオコンピューターがパイロットの~とか、装甲表面の塗装や金属が剥離~とか
の設定的な話の事ではなくて、「ダブって見えるキャラの話ね」


そいつは自分が色々なガンダムを見て来た歴史、自分の中のガンダムそのもの

今まで自分は結構数見てきたから異様に重い。まさに質量のある残像だった。






・・思い付きで書いてた割に、随分上手くまとまったな。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 12

月夜の猫 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5

やっぱり家族愛?家庭の問題だから!

1991年3月に劇場公開されたガンダムシリーズのアニメ映画。

元々はテレビシリーズの企画であり、『機動戦士ガンダム』
の劇場公開10周年に合わせて、そのテレビシリーズ用の構想
の1クール分にあたるストーリーを劇場用に映像化したもの。
※3対4の上下カットではなくビスタサイズで作られている。

「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」で一応区切りがつき・・
以降映像化作品は作られていなかった久しぶりの映像化?
富野由悠季自身と『ガンダム』の象徴的存在とも言える?
安彦良和、大河原邦男が関わっている作品。
※SDガンダム等のピークの時期らしい。


時代設定は『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の30年後。
一年戦争から40年以上、経った宇宙世紀0123年が舞台である。

大きな戦乱も無く平和な世界、人類はその大半が地球から月
までの軌道に設置されたスペースコロニーに移住し、地球連邦
政府という全地球規模の組織に統治されていた。

長引く平和の間に地球連邦政府は再び腐敗しており、これに
対して「コスモ貴族主義」を掲げる勢力が、貴族主義社会の実現
の為に地球連邦政府の打倒を目論む・・

そんな中で終にコロニー襲撃という形で再び戦乱が拡大する
最中に巻き込まれた民間人の少年 "シーブック・アノー" は
退避先の地球連邦軍の宇宙練習艦スペース・アークの艦内に
あった"F91"と名付けられた整備中のMSのパイロットになる。

一方・・襲撃されたコロニーで脱出の時に同行していた一人
C・Vに連れ去られた"セシリー・フェアチャイルド"はコスモ
貴族主義実現の為の国家「コスモ・バビロニア」の建国が宣言
と共に「国家の象徴」として祭り上げられていた。

F91に乗るシーブックと、専用MSビギナ・ギナを与えられた
セシリーは、戦場で対峙する事になる・・。 という物語。

テーマ曲「ETERNAL WIND〜ほほえみは光る風の中〜」
唄 - 森口博子
イメージ曲「君を見つめて -The time I'm seeing you-」
唄 - 森口博子

博物館にザクやガンタンクR-44らしき兵器がでるが、基本
ガンダムらしいデザインのものは序盤出てこない。
タイトルが無ければ別アニメ風。若干ジムの流れらしい?
ロボットも出てくる。

コロニー襲撃の映像が可也長い。中盤手前でF91登場・・
軍服その他やはりガンダムかな・・あと敵MSも基本造形が
ガンダムシリーズ共通の進化?の流れを感じたりはする。

色んな人が随所で「何やってんの!」と発現する。

色々ガンダムを彷彿とする描写もあるけど初めて視る人も
普通に宇宙モノSFでロボ系戦争アニメとして見れるかも?

政治や軍の腐敗対高潔な理念・・だけど結局武力で・・
後は貴族的な良さと悪さをの両面描いているかな・・

「ニュータイプは大概個人的には不幸だったんだよな」・・

シリーズ通して繊細で鋭敏な感受性を持った上で何らかの
抑圧を受けて育った少年などの思春期に戦争に巻き込まれた
主人公を描いているので当然の結果か・・
歴代でも家庭や出生の秘話が濃い程最強のヒーローになる。

戦争に巻込まれる年端もいかない子供がでるのも1作目同様
※幼児や小学生位の民間人非戦闘民。

単純に面白いかどうか?派手な戦闘の割に地味な作品。
泥臭いというものでもなく・・普通の戦争物特化ガンダム。

ニュータイプ云々愛もエッセンス程度。
淡々と戦争の酷さ理不尽さを描写し派手な戦闘を繰り返す。

お子さん以外の者が死ぬのは構わないのですか?等言葉も。

最終的に人類そのものを粛清しようとする人間がでるのも
1作目以降の流れと共通の略プロットのような感じです。

最終的には違った形の親子の絆に翻弄される二人・・
私なら好きな人と二人で逃避行の旅にでるが・・密林とか
人の居ない場所で自給自足の愛の生活の一択だ!



シーブック・アノー(声-辻谷耕史)
コロニー「フロンティアIV」の総合学園工業学科の高校生。
優れた素養を持つニュータイプで所謂感受性が鋭い少年。

セシリー・フェアチャイルド(ベラ・ロナ)(声-冬馬由美)
フロンティア総合学園普通科に通う17歳の少女。
貴族主義を掲げるマイッツァーの孫でカロッゾの娘。

リィズ・アノー (声 - 池本小百合)シーブックの妹
レズリー・アノー (声 - 寺島幹夫)シーブックの父
モニカ・アノー (声 - 荘司美代子)シーブックの母

カロッゾ・ロナ※鉄仮面(声 - 前田昌明)
クロスボーン・バンガードの軍事部門の指導者。
総帥マイッツァー・ロナの娘婿であり、ベラ・ロナの父親

マイッツァー・ロナ(声 - 高杉哲平)ロナ家当主。
連邦の「絶対民主制」に疑問を呈し、コスモ貴族主義提唱者。
理想国家「コスモ・バビロニア」の建国の為にCVを創設する。

ナディア・ロナ(声-坪井章子)マイッツァー・ロナの娘
夫カロッゾに幻滅しシオと共に娘のセシリーを連れ出奔。

ドレル・ロナ (声 - 草尾毅)カロッゾ・ロナの長男。
クロスボーン・バンガードのMSパイロットで階級は大尉。

シオ・フェアチャイルド(声-大木民夫)ナディアの再婚相手

ジレ・クリューガー大佐(声-小林清志)カロッゾの腹心。

ザビーネ・シャル (声 - 梁田清之)

コズモ・エーゲス(コズミック) (声 - 渡部猛)
バルド中尉 (声 - 若本規夫)
ドワイト・カムリ (声 - 子安武人)
サム・エルグ (声 - 高戸靖広)
ジョージ・アズマ (声 - 西村智博)
アーサー・ユング (声 - 松野太紀)
ドロシー・ムーア (声 - 折笠愛)
ベルトー・ロドリゲス (声 - 伊倉一恵)
リア・マリーバ (声 - 小林優子)
コチュン・ハイン (声 - 吉田古奈美)
ミンミ・エディット (声 - 千原江理子)
エルム夫人 (声 - 峰あつ子)
ロイ・ユング (声 - 大木民夫)
レアリー・エドベリ艦長代行 (声 - 横尾まり)
マヌエラ・パノパ (声 - 鈴木みえ)
ケーン・ソン (声 - 佐藤浩之)
ジェシカ・ングロ (声 - 天野由梨)
ナント・ルース (声 - 大友龍三郎)
グルス・エラス (声 - 竹村拓)
ビルギット・ピリヨ (声 - 塩屋翼)
アンナマリー・ブルージュ (声 - 神代知衣)
クリス (声 - 遠藤章史)
ローバー (声 - 田口昂)
ナーイ (声 - 上村典子)
ボブルス (声 - 稲葉実)
ストアスト長官 (声 - 池田勝)

投稿 : 2024/05/04
♥ : 4

68.6 3 移住で家族なアニメランキング3位
家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ(TVアニメ動画)

1981年冬アニメ
★★★★☆ 3.7 (49)
266人が棚に入れました
世界名作劇場第七作。厳しい無人島のサバイバル生活を、家族揃って楽しげに切り抜けていく物語が人気を呼ぶ。スイスに住むエルンスト医師とその家族は、医者が不足しているという未開の地オーストラリアに出向くことに。しかし旅の途中乗っていた船が沈没。命からがら近くの孤島へ逃げのびた一家はそこで自給自足の暮らしを始める。長女フローネはそんな境遇にもめげず、元気に美しい自然と戯れるが…。

声優・キャラクター
松尾佳子、古谷徹、高坂真琴、平井道子、小林勝彦、小林修
ネタバレ

ユニバーサルスタイル さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

人間として、家族として理想的な在り方。

世界名作劇場シリーズは登場人物が苦境に立たされるものが多いと思いますが、フローネの境遇も中々のものです。


あらすじ
{netabare}
ロビンソン一家は、居住地であったスイスから転勤のため家族総出でオーストラリアに移住することになる。
移住を決める際一悶着あったが、なんとか全員でオーストラリア行の船に乗り込んだ。

しかし一家はその航海の途中で大嵐に巻き込まれ船は座礁してしまう。父エルンストの機転で急ごしらえのイカダを作り一家は船からなんとか脱出。

イカダが偶然たどり着いた陸地はなんと無人島。その日から一家の無人島生活が始まる・・・・・・。
{/netabare}


それまで裕福な暮らしをしていた医者の家族が、一転して無人島でのサバイバルを強いられることになる。過酷な物語です。

今思うと、当時イギリスの植民地であったオーストラリア自体あまり治安の良い場所でなかったと聞いたので、どちらにしろサバイバルなのでは・・・とも思いました(笑)


いきなり無人島に放り出されたことによる絶望や、島で待ち受ける様々な苦難の連続に、一家は打ちのめされます。

しかし、フローネはじめロビンソン一家の人々はお互いに助け合い励まし合い、この苦難に逞しく立ち向かっていくのです。


では、そのロビンソン一家の紹介です。
{netabare}
まず一家の大黒柱であり父親のエルンスト。

彼は世界中どこを探し回っても見つからない位に頼もしい父親です。

医者として彼より腕の立つ人間はいても、彼より精神力が強くこのような過酷な場所で生き抜いていける人間は存在しないでしょう。

彼の判断力と行動力、そして家族を支えぬく家主としての責任感の強さは驚嘆に値します。


次は子供達の支えである母親のアンナ。

最初こそ現実を悲観して頼りないものでしたが、次第に元来持つ芯の強さが表れはじめ肝っ玉母さんとして活躍していきます。

子供達のため・家族のためを思うと無類の強さを発揮する、頼もしい女性だと思います。

気品に満ちた人柄で、どんな環境でも身辺の整理や子供達の教育そして自尊心道徳心を忘れない、大人の鏡です。


そしてしっかり者で一家を助ける長男のフランツ。

母のアンナと同じく最初は挫けそうなほど気弱だった彼は、何度も挫折を繰り返すことで頼もしく成長していきます。

島での生活の中で長男として、また男手としての自覚を持ち一家を支えていきました。

下の姉弟の面倒見もよく、両親に強く信頼されていたことと思います。


主人公であり元気いっぱいに笑顔を振りまく次女のフローネ。

彼女はタイトルでも主題歌でも強調され、あたかも彼女を中心に物語が進むのかと思えば意外とそうでもありません。

彼女の天真爛漫さが一家を絶望の淵から救った、そういう意味での主人公であると言えます。

なんだか美少女じゃないとやたら喧伝されていますが、彼女が常に頭に挿している赤いハイビスカスの花言葉は「繊細な美」。そういった奥ゆかしい美しさを彼女は持っていると思います。


最後に純真無垢な三男のジャック。

彼はまだ幼く他の家族に比べ現実を直視できていない面もあると思いますが、それ故に彼の無邪気な行動は癒しを与えてくれます。

幼いため島での生活への順応も早く、愚図ったりして家族を困らせるようなことも少なかったと思います。

マイペースで時々家族をハッとさせるような行動を見せる彼のこれからの成長が楽しみです。
{/netabare}



こんな一家の生活は、残酷な現実に反して非常に生き生きしています。
ただ毎日を生き抜いていくばかりか、チェスや音楽を楽しみ、島中を探検し、まるで自然と戯れているようです。

だから見ていてとても胸が温かくなります。サバイバルだからといって殺伐とした雰囲気ではなく、常に人情味あふれる優しさに包まれているよう。ある種非日常的な空間での日常を描いた作品といってもいいでしょう。

長男のフランツと長女のフローネの年齢設定が絶妙です。(フランツ:15歳 フローネ:10歳) これフランツとフローネの年齢が逆だともっと複雑になってしまいますね。お年頃の女の子が主人公だと色々大変ですし・・・これで良かったのだと思います。

フローネが些細なことで傷ついてしまったときはフランツが兄らしく落ち着いたフォローを、逆にフランツが繊細さゆえに塞ぎこんでしまったときはフローネが元気一杯励まします。

この二人がとても兄妹らしい関係で微笑ましく、たとえ非情な出来事が起こっても、一家で力を合わせて乗り越えていく強い絆がそこにはあります。


そういった過酷な環境を生きる人間達の強い姿や、今や失われた家族の共同体としての形がこのアニメには息づいていると感じました。



作画、特に人物や小物の作画に関しては今見るには厳しいかもしれません。

対して背景・風景の作画は淡い水彩画のようなタッチで、美しい出来栄えです。
だから人・物における作画の粗を考慮してもこれ以上の低評価は付けられません。


また作中の音楽は主題歌をはじめとして、今なおクオリティの高さを感じられるほど完成されています。
南国系とでも言えばいいのか・・・明るさと静けさが同居した不思議な感じです。アニメのサントラの域を超えた普遍的な音楽だと思えます。

総じて風景画および楽曲の美しさは芸術的とさえ思えるものでした。


そして感じたのは、1話1話の起承転結の展開の巧みさと、登場人物の交わす台詞一つ一つの人情深さ。
特に後者は、制作者が相当に気を使って言葉を選んでいたんだろうと想像できます。世界名作劇場の名に恥じない丁寧さ。
台詞から温かみを感じたことで、聞き入るだけでなんだか心が満たされます。


全50話という尺の長さ、人物作画の粗さ等を許容できる人には是非オススメしたい名作アニメです。




あとは個人的名エピソードのメモです。
{netabare}
まず第12話「おかあさんの活躍」。
ロビンソン一家が住んでいた住処が野犬に襲われ、母のアンナが一晩の間死力を尽くして守り抜くという壮絶な回。

この回は今までの回とは毛色が異なり、本気の恐怖を突き付けてきました。アンナの強さに感服です。


次に第13話「フランツの目」。
フランツが虫が放った毒を目に浴び、危うく失明しかける話。

二週連続で息がつまるような回が続き、こっちまで参ってしまいそうでした。


あと第21話「亀の赤ちゃん」。
ある日浜辺で海亀を見かけたロビンソン一家。その海亀が産卵期であることを知り、産卵の様子を見届ける回。

親子揃って生命が誕生する瞬間を見ることは現実滅多に叶わないと思います。そうした貴重な体験を通じて、親子の絆が深まる感動的なエピソードです。


最も好きな回が第27話「無人島の音楽会」。
父エルンストと母アンナの結婚20周年を子供達が祝福する回。

別荘を作って夫婦を二人きりにしてあげたり、そこでささやかな音楽会を開いてお祝いする子供達の愛は素晴らしいものでした。

そうした子供の成長を喜んで涙する母の姿も感動的でした。


続いて第28話「ジャックの病気」。
ジャックがマラリアのような病気に罹り高熱を出して寝込んでしまう回。

生死をさまようジャックを救うために、家族で必死に助け合う姿に心打たれます。


そして第31話「わたしはのけもの?」。
フローネの11歳の誕生日を祝うために、フローネに内緒でプレゼントを用意するべく奮闘する回。

ちょっとフローネちゃんが可哀想ですが、それだけに最後の真心の籠ったパーティーとプレゼントの感動はひとしお。


ラストにかけた第45話「死なないでロバさん」第46話「ヤギをすてないで」第47話「続ヤギをすてないで」第48話「さようなら無人島」。
島自身と、今まで関わってきた生物への別れを体験する回。

長い生活の中で愛着が湧いてきたものたちへの別れの感情を強く体現した名エピソードの数々。

ここまで見てきた感慨深さもありますが、親しい者との別れの辛さがフローネを通して感じられる、名作と呼ぶにふさわしい幕引きです。(まだちょっと続きますが)
{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 12
ネタバレ

とまときんぎょ さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

大人になって見てもおもしろかった

子供の頃見たけど、ほとんど覚えておらず大人になってまた見ました。

漂流前の一家は長男の進路についてなどガヤガヤしており、こんなヤワそうな一家が漂流して大丈夫なのかと心配に。

ややあって島についてしまうわけですが、このややある部分もとても丁寧です。船が完全に沈むまで段階が踏まれており、まず何を持って行くべきかを一家は選択する。この提案と話し合い、折り合いをつける作業がいい。自ら考えて感じて選び、決めることをここから徹底して体験して行きます。

野犬との攻防、ヤシの実とり、森林探索と家作り、植物からロウソクを作る、こんなとこでも兄妹喧嘩、小さな友達との出会い、田畑作りの苦戦、やはり苦戦の船作り、自分の手に出来る美しいものでプレゼントを作る兄妹、植物で編みもの、生存者との遭遇…無人島での日常が創意工夫を凝らして描かれます。

心理的葛藤を受け持つ兄さんの成長や、それを受け止め希望を失わない父さん、基本インドア派なのに危機の際には勇気と知恵を振り絞った母さん。そして楽観担当フローネ。

{netabare}
この子はソコソコかわいいんだけど凡庸で、うつくしかったり萌えキャラだったりでなくてよかった。(戦時ドラマなのに色艶のいい身綺麗な俳優とか…)

島を去る際の日常感がまたよかった。
もう来ることもない畑の草むしりを、ついしてしまう母さん。
つい、家の補修をしてしまう父さん。
非日常が日常に馴染んでしまった姿が微笑ましかった。
{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 7

ねねねねの さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

父親SSR母親SR・モートンSSR

スイス医者一家がオーストラリア移住を決意し
船出するも途中嵐にあい難破、無人島漂流するというお話。

無人島サバイバルアニメ好きにはいいぞ!

タイトル通り、まず医者の父親がSSRな人物過ぎる。
母親も序盤は頼りなくも狼と対時してからは頼もしくもあり農業知識豊富なSR人物に進化する。
モートン氏の登場は物語後半だが、まあベテラン水夫SSR。

能力の高い人物に囲まれた安心感
ご都合展開やとんでも展開もありますが、最後まで観るとなかなかに楽しめた作品でした。

ただ、ただフローネが序盤問題児過ぎてストレスマッハでしたので
いい年齢の方でいま観る方はわりとイライラするんじゃないだろうかw
ガキんちょフローネはエピソード30までの我慢です。

それ以降のフローネは成長し元来の明るさが良い方向へ働いているので安心。
そこにモートンというおっさんが登場するのだけど良いキャラ過ぎて。控えめに言って好き。
タムタムも良いよな~。

他の方もあったがエピローグ欲しいね~尺あと十五分でも欲しかった。

言うのもあれですが、名作劇場でもキャラ作画は終わってる方。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 0

66.1 4 移住で家族なアニメランキング4位
南の虹のルーシー(TVアニメ動画)

1982年冬アニメ
★★★★☆ 3.7 (23)
103人が棚に入れました
「世界名作劇場」第8弾。まだ未邦訳のオーストラリアの小説をアニメ化したのが特色で、テレビ放映と同時に翻訳が雑誌に同時連載された。新天地の耕作場を求めてオーストラリアに移住したポップル一家。8歳の三女ルーシー・メイを含む7人はこれからの生活に夢を抱くが、待っていたのは入手しかけた耕作地の契約を反故にされるなどの苦難の日々だった。それでも強い絆で支え合う一同だが、ある日、ルーシーが記憶を失ってしまう。

声優・キャラクター
松島みのり、吉田理保子、堀勝之祐、谷育子、玉川砂記子、松田辰也

R子 さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

ルーシーの『リトル~!』が頭から離れない!

世界名作劇場の一作品。
とってもかわいいアニメだった。

自分の農場を持つことを夢見て一家を引き連れてイギリスからオーストラリアへやってきたアーサー・ポップル。
物語の主人公であるポップル家の三女ルーシーは、慣れない土地で出会う動物たちに興味津々で新しい動物を見ては「飼いたい!」と家族を困らせる。

アニメの最初の数話は特に重大な事件も起こらずに退屈さを感じたが、ストーリーは犬に似た野生の動物「ディンゴ」を見つけたところから動き始める。
「リトル」と名付けられたディンゴの子は、ルーシーの言いつけを良く守ってかしこく成長していく。
この「リトル」とルーシーの絆が、このアニメの見どころの一つである。凶暴で恐れられるディンゴを守ろうとする幼いルーシーが健気で本当にかわいい。ルーシーの声もとてもかわいく、「リトル!」と呼ぶその声が頭から離れない。泣くときのルーシーの涙や、声優さんの演技も光っていて、思わず涙してしまった。

途中、様々な苦難に見舞われるが、家族の深い絆で乗り越えていくところも魅力だ。
世界名作劇場には珍しく、誰かが死んで悲しい涙を流すことがなかった。これからもルーシーの声を聴きたくて観ることがあると思う。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 7

luna さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

ルーシーメイの成長と希望の国の物語

物語の初め
希望に満ち溢れた新しい土地に到着した頃
姉ケイトの方が明らかに魅力的で主人公してます

それから
苦難の物語
終盤にかけて
妹ルーシーメイの成長を
心理描写を上手く取り入れて
丁寧に描くことで
いつのまにか主役の交代

そのポイントは
あるふさわしくない場面で
ルーシーメイが思わず
「きれい」
と呟いてしまうシーンではないかと思いました

感性豊かなルーシーは
リアリストのケイトより
自分の置かれた環境に
頭ではなく
心で反応しているみたい

途中で学校のシーンも出てくるのですが
子供向けに作られた教育要素も強そうな作品なのに
学校が全く魅力的に見えない描かれ方をされているのも
印象的でした

後半、ルーシーメイに関して
少しファンタジックな展開があるのですが
決して違和感なく
起こってもおかしくない?って思えるし
きれいで魅力的なエピソードだったと思います

シンプルでかわいいエンディング曲の描写も
作品の雰囲気にとても合っていて
物語が少し重く展開しても
上手く中和してくれるのもよかった

投稿 : 2024/05/04
♥ : 4
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