悲劇おすすめアニメランキング 6

あにこれの全ユーザーがおすすめアニメの悲劇成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年03月19日の時点で一番の悲劇おすすめアニメは何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

85.3 1 悲劇アニメランキング1位
劇場版 メイドインアビス -深き魂の黎明-(アニメ映画)

2020年1月17日
★★★★★ 4.2 (520)
2240人が棚に入れました
隅々まで探索されつくした世界に、唯一残された秘境の大穴『アビス』。どこまで続くとも知れない深く巨大なその縦穴には、奇妙奇怪な生物たちが生息し、今の人類では作りえない貴重な遺物が眠っている。「アビス」の不可思議に満ちた姿は人々を魅了し、冒険へと駆り立てた。そうして幾度も大穴に挑戦する冒険者たちは、次第に『探窟家』と呼ばれるようになっていった。アビスの縁に築かれた街『オース』に暮らす孤児のリコは、いつか母のような偉大な探窟家になり、アビスの謎を解き明かすことを夢見ていた。ある日、母・ライザの白笛が発見されたことをきっかけに、アビスの奥深くへ潜ることを決意するリコ。リコに拾われた記憶喪失のロボット・レグも自分の記憶を探しに一緒に行くことを決意する。深界四層でタマウガチの毒に苦しむリコ。リコを救ったのは成れ果てのナナチだった。ナナチを仲間に加え、ボンドルドの待つ深界五層へと三人は冒険を進める。そこで、プルシュカと名乗る女の子に出会い…

声優・キャラクター
富田美憂、伊瀬茉莉也、井澤詩織、森川智之、水瀬いのり

takato さんの感想・評価

★★★★★ 4.6

「喜びしか知らぬ者に真の祈りは産まれません」。夢と祈り、その果てにあるものは…。

幕張でほぼ満員の中で鑑賞。流石は劇場版!なスーパークオリティーのかなり原作に忠実な映像化。故に原作の良いところも悪いとこも出てる。


原作の時点で思ったが、一番美味しいトロなエピソードになりそうだったのに、この幕切れは少々勿体無い。プルシュカの件もだが、単行本ならもう一冊、映画ならもう30分くらい尺が必要だったかな。


しかし、全体的にはやはり最高にサイコー!。特に戦闘シーンは、ちゃんと燃えるセットアップが出来てるからこそ超絶作画で上がる。


特典でミニカレンダーがもらえるとは豪華やし、EDはなんと表現していいか水墨画がヌルヌル動いてるような凄まじい出来映えで、これどうやって作ったのか撮影したかもよくわからぬ逸品だ。


原作ファンなら当然見に行くとして、アニメのみの人はまぁ言わなくてもわかってるだろうが覚悟して見るべし。


ボンドルドは、あたしの好きな「ガンソード」の鉤爪の男くらい好きな悪役なので、イッちゃってる悪役好きには見逃せない。


それにしても、結局ボンドルドの真意は明らかにならずで、その辺が後々きいてきそう。


次の2000年、祈手、お祈り骸骨、「喜びしか知らぬ者に真の祈りはうまれません」、祈る手の形な白笛、たぶんこれらはみんな繋がってるだろう。


さらに、ボンドルドのオブセッションが祈りなのは明らかだ。これらのことから彼は単なるマッドサイエンティストなんじゃなくて、大きな目的があってやってるうちにあんなことになっちゃったんじゃないかな?。大いなる絶望の果に、あんな存在になっちゃった…だったらより好きになっちゃう。


原作でたぶんその辺も今後明らかになって、ボンドルド倒しちゃったことに後悔、あるいは彼に対する気持ちがより複雑になりそう。


オススメ動画「カートリッジの作り方」、ワクワクさんとゴロリの有名動画のパロディー。ナナチ「こんなの作りたくないよ!だ」。


「メタルインアビス」、クソ映画界の雄メタルマンの博士とボンドルドの夢のマッドサイエンティストコラボ。「本当に申し訳ない」。

投稿 : 2024/03/16
♥ : 49
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

冒険と探求を続けるための凄惨な儀式

【物語 4.0点】
R-15。地獄でなぜ悪い。“宿敵”ボンドルドとの対話と対立を軸に、
アビスの深層のヤバさと、冒険に深入りし過ぎた人間のヤバさが、さらに深化。
常識を越えた“探窟家”の価値観から受ける負荷に
精神が押し潰されそうになる試練の100分間。


【作画 4.5点】
R-15。グロくてなぜ悪い。出血、部位欠損だけじゃない。
排泄や、生物の体内組織漏出など、
見たくない物を見せ付けてくる作画は健在。

怖じ気づいた鑑賞者を引き止めるように披露される圧巻の自然背景描写。
だから冒険はやめられない。ズルいよ。


【声優 4.5点】
本作のキーとなるボンドルド役・森川 智之さんが
沈着冷静に優しい声色から滲む狂気を好演。

もう一人のキー、プルシュカ役は水瀬いのりさん。
主人公リコ役の富田 未優さんが原作読んでいる際、
いのりんボイスでプルシュカのシーンを
脳内再生していたという“意中”のキャストで相性良好。


【音楽 4.5点】
劇伴は引き続きケビン・ペンキン氏が
フィルムスコアリング(映像合わせて作曲する)による新規書き下ろしにより、
人知を越えた体験と価値観に直面した登場人物の割り切れない感情に、
弦楽や高音ボイスを駆使した繊細で複雑な旋律で肉薄。BGMもいよいよ深層突入。

ED主題歌のMYTH&ROID起用も本作やペンキン氏による劇伴の作風にマッチした適材適所。


【キャラ 4.5点】
ついにメインストーリーのド真ん中に躍り出た黎明卿ことボンドルド。
某“白笛”による“筋金入りのろくでなし”
との評判に違わぬキチガイぶりでスクリーンを制圧。{netabare}「愛です、愛ですよ」{/netabare}

彼に挑むリコ陣営。脚本のシリアス化を中和するように、
ナナチのモフモフに宿る和みパワーにすがるパターンが定着。


【感想】
引き続き原作未読のまま挑みましたが、私にとっては予想通り、
本作は正義の主人公が悪のボンドルド卿をやっつける話ではなく、
リコの冒険心とボンドルドの探究心、
どちらがより強いのか、見方によっては、どちらがよりイカれているか、
さらなる深淵に挑む権利をかけた、ある種の儀式にも見えました。

泣ける展開もありましたが、私はTVアニメ最終話ほどは泣けませんでした。
TVアニメの時は探窟家に人生を無茶苦茶にされた人間の哀しみが伝わって来ましたが、
本劇場版に至っては、どーせ探窟家ってそうなんでしょ?
って感じで諦観。涙も涸れ果ててしまった感じでした。

決して主人公リコに全面的に共感して感情移入する物語じゃない。
作品傾向もさらに鮮明になって来たので、
私は一番人間らしさを残していると目している
ナナチのモフモフにしがみ付いて惨劇を眺めていました。

ただそのナナチですら確執や罪を越えて、冒険熱が再燃しつつある……。


そして発表されたシリーズ続編制作決定の報せ。

ええぃ、ここまで奥深くまで付いてきてしまったなら、もうヤケクソじゃ。
者共、地獄の底まで参りましょうぞ。

投稿 : 2024/03/16
♥ : 42
ネタバレ

ねごしエイタ さんの感想・評価

★★★★★ 4.6

この恐ろしくも残酷な真実

 2020年最初に見た劇場アニメは、『劇場版メイドインアビス 深き魂の黎明』だぁ‼です。
 TVシリーズの続き、細かく言えば、最後に出てきたボンボルドの娘、新キャラ、プルシュカ登場この前年公開された「劇場版 総集編メイドインアビス 【後編】放浪する黄昏」の続きとなるのです。

{netabare}  前座アニメ、『マルルクちゃんの日常1』もなんだか和んだです。{/netabare}

 ナナチを加えて、次の旅へのリコとレグ、この先に待ち受けるのは、深界第五層、ナナチ、ミーティの宿敵となるボンボルドの本拠地なのです。
 第六層に進むには、そこにしかない侵入口、避けられないボンボルドの遭遇はいかにです。

 その前に出てくる美しい花畑にも、残酷?!な場面もあるので、キャラが可愛いのとは対象的な正にメイドインアビスだったです。これだけでは驚けないのが、この先なのです。

 意外な展開からのプルシュカとの出会い、ボンボルドとの遭遇、何かありそうだったです。
 思ったとおりになるです。ボンボルドの狙い、レグどうなっちゃうの?危ない!でしたです。
 プルシュカは純真な子供で、リコたちと仲良くなれるけど、この先の展開に私の頭の中は、超サイヤ人化したです。

 ボンボルドの非人道的な、善悪のかけらのない狂人性、「今日を生きる資格がない!」という憤りを感じたです。
 レグとボンボルドのバトルシーンは、正に大迫力必死だったです。

 明かされる白笛の謎、第六層に行くということ、ボンボルドという存在、プルシュカの運命、あまりにも残酷な真実を突きつけられ、この光景は目を背きたくなるほど、子供に見せられない内容だったです。
 白笛は、{netabare}ハガレンに例えると「賢者の石」に近いかもしれないです。終盤、新しい白笛ができたシーンあったですが、{/netabare}衝撃だった印象です。{netabare}(これは無残で、酷いと思えたです。){/netabare}(

 それらを乗り越えたとき、深海第六層の道が開けるのだろうか?要注目です。

 リコ、レグ、ナナチ、ボンボルド、プルシュカ各々、キャラとしての個性が強く出ていたお話だったと思うです。{netabare} 「to be continued」{/netabare}最後に出てきたこの文字、「私、気になります!」だったです。 

投稿 : 2024/03/16
♥ : 11

67.2 2 悲劇アニメランキング2位
ロミオ×ジュリエット(TVアニメ動画)

2007年春アニメ
★★★★☆ 3.8 (315)
1841人が棚に入れました
舞台は空中浮遊大陸ネオ・ヴェローナ。14年前のモンタギューの反乱によってキャピュレット一族は虐殺された。唯一の生き残りジュリエットはキャピュレット家の親衛隊隊長のコンラッドの手によって助けられ、ウィリアムの劇場で男として育てられる。それから14年後。ジュリエットは「赤い旋風(かぜ)」と呼ばれる剣士の姿でモンタギューの圧制に立ち向かうが、憲兵隊に追われている所を親の仇である太閤モンタギューの息子である、ロミオに助けられる。その後2人は、偶然にもネオヴェローナで開かれた舞踏会で再会し、恋に落ちる……。

声優・キャラクター
水島大宙、水沢史絵、鳥海浩輔、野島裕史、松来未祐、広橋涼、大原さやか、石井康嗣、置鮎龍太郎、川澄綾子、立花慎之介、柿原徹也、久川綾、藤原啓治、井上和彦
ネタバレ

yuugetu さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

面白かったし好きだけれど、惜しい点がいくつか・・・

2007年4月~2007年10月放送のTVアニメ。
もともとタイトルやあらすじからはあまり興味が湧かなかったのですが、家族が某動画サイトでタイムシフト予約していたものを一緒に視聴しました。

シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」をオマージュしたオリジナルアニメです。全体的にクオリティは高いほうだと思います。
テーマはズバリ「愛」ですね!
好きな部分が意外と多くて、全体としては良かったです。でも勿体無いと思う部分も同じくらいありました。

あと馬。馬かわいい!!
竜馬のデザインがカッコよくて、しかも動きや飛び方が凄く凝っていて好きですね。2000年代後半でこんなに動物に凝ってるアニメはあまりない印象(思い込みかもですがw)なので感激しました。

他の方のレビューでも書かれていますが、音楽が素晴らしく、使い方も違和感が全くなくてとてもよかったです。
声優さんの演技や配役も良かったですし、若手とベテランのバランスも良くて落ち着いて聞いていられました。

作画で意外だったのがバトルシーンに力を入れていた事ですね。ラブストーリーメインだと思っていたので少し驚きましたw
心理描写や仕草も細かくて、見ているだけで本当に楽しかったです。シンプルで特徴のわかりやすい良いキャラクターデザインで、シンプルだからこそ良く動かせているのかもしれませんね。
ロミオとジュリエットはもう少し華やかな印象の方が良かったかも。少なくともジュリエットは男装とドレス姿で顔の雰囲気を変えた方が…化粧はしているでしょうから。

キャラクターは地味ですが良い個性を持っていて、しっかりと作られていたと思います。小さな台詞などから背景を考えるのも楽しかったですね。

物語は全体の流れとしては割と自然でした。好きな所も多かったです。
ただファンタジー要素がちょっと邪魔というか、しっかり組み込めてないというか…(汗)
私の感じた良かった点と問題点は下にまとめますので、興味があれば開いてください。


【良かった点】
{netabare}
原作に持っている私のイメージは「家や身分を捨て、死んで結ばれる」という感じなんですが、本作では「互いへの愛を原動力に、それぞれが家や身分を受け入れた上で乗り越える」という、一歩踏み込んだ内容になっていた印象です。
これはすごく好きな部分でした。

ロミオはモンタギューの子息である事を受け入れ、その責任として父親を殺そうとしましたし、父が死んだ時点でキャピュレット家に大公の座を返上しています。
ジュリエットはキャピュレット家の当主としての責任を果たしましたし、その後は市民にネオ・ヴェローナを託すのだろうとはっきり感じられる描写でした。幼い義侠心で始めた「赤い旋風」も、最終的に市民をまとめる旗印にまで昇華させています。
市民にとってはそれが本物でも偽者でも構わなくて、そういう存在がいる事が重要だったわけですし、身代わりに死んだランスロットもここでしっかり報われているのですよね。

それから農村の教会でロミオとジュリエットが再会したとき、ジュリエットが「薔薇がいいわ」と言ったことに感動しました。
薔薇はモンタギュー家の紋章のモチーフですから、モンタギュー家を含めロミオのすべてを愛するという心のあらわれとして、直接的ではないけれども明確でわかりやすい意思表明になっていたと思います。

物語後半の演劇による情報戦という発想も面白いですし、とても良いなと思いました。旗印としての「赤い旋風」への流れも自然になり、ウィリアムもメタ要素に終わりませんでした。
{/netabare}


【気になった点】
{netabare}
中盤の二人の逃避行が未熟さの現れであることは良いのですが、何が未熟でどう成長するかが明確に描写されていないのが勿体無いです。メンタルとフィジカルの成長ははっきり見られましたが、心理の変化などでもう少し踏み込んだほうがよかったのでは?
特にジュリエットは、逃避行の後はなし崩し的にキャピュレット家の当主に戻ってしまい、どうしてその決断に至ったのかがよくわからなかったです。

ジュリエットに比べロミオに活躍が少ないのも勿体無かったですね。そればかりか、存在感ではティボルトに食われてしまった印象もあります。
ティボルトとの人間関係が物語のキーになるかな?とか、鉱山や農村での行動がエスカラスに絡んでくるかな?とか思っていたが、そんなことはなかったぜ!

それから一番大きな問題点だと思ったのが、「エスカラスが滅べば世界が滅ぶ」「二つの家の愛と確執、市民の革命」というストーリーラインが2つあり、しっかり絡んでいなかったことです。

上で述べたように、「自分に課されたものを全て受け入れた上で、それを背負うか捨てるか、自分の意志で選択した上で結ばれる」という方向性をラスト前まで私は感じていました。
なのにラストで急にエスカラスの件が出てきて、これではロミオの死によってエスカラスに命を捧げることをジュリエットは「結果的に」受け入れただけではないかと…
「ロミオとともに生きること」と「大切な人達を守るために自分の命を捧げること」のどちらを選ぶかという点では、自分で選択したわけではないですよね。
要はロミオが死ななかったらジュリエットは同じ選択はしなかっただろうと思うんですよ。

ハッピーエンドが良かったとかバッドエンドが良くないとかいうことではなくて、そこまでせっかく積み上げてきたものがぼやけてしまったことが私には勿体無くてしかたないという;;{/netabare}

私としては本作は面白かったですし好きですが、勿体無いの一言に尽きますw
ボーイミーツガールや恋物語が好きな方、映像と音楽が作り出す雰囲気を楽しみたい方は視聴しても良いかもしれませんね。(2016.4.27)

投稿 : 2024/03/16
♥ : 9

◇fumi◆ さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

理由も無く1話で切ったのがずっと引っ掛かっている作品

2007年放送のテレビアニメ 全24話

原作 ウイリアム・シェイクスピア 監督 追崎史敏 構成 吉田玲子
制作 GONZO

フリーランスのアニメーターだった追崎史敏さんの初監督作品。
佐藤順一氏なども関わった期待された作品。

ところが1話で切ったのですが、実は特に理由は無かったのです。
1話は面白かったんです。
「巌窟王」(モンテクリスト伯)に続く歴史的名作のアニメ化です。
もちろん原作は複数回読んでいます。

空中浮遊大陸ネオ・ヴェローナを舞台としたファンタジー作品。

モンタギュー家の独裁に立ち向かうリボンの騎士風剣士のジュリエットと、
モンタギューの息子ロミオが恋に落ちる物語。

ジュリエット・フィアンマータ・アース・キャピュレット CV水沢史絵
ロミオ・カンドーレ・ヴァン・ド・モンタギュー CV水島大宙

なんだか面白そうですね。

ただ、シェイクスピアが書きたくなかったという変なラストシーン(笑)が、
ファンタジー調で再現されていて、不評の原因らしいです。
吉田玲子さんがどう料理していたのかは非常に気になります。

OP「祈り~You Raise Me Up」の作曲家Rolf Lovlandはノルウェーの作曲家。

GONZOのテレビアニメ32作目ですが、よくもまあこんなに作ったというか・・・
ヒット作は「最終兵器彼女」と「カレイドスター」くらいでは。
良作は沢山あるんですが。

なぜか観終わった「巌窟王」よりこっちのレビューが書きたくなったんです。
来年、正月あたりに観たい作品です。
と言うことで「途中断念」から「観たい」に変えておきます。

投稿 : 2024/03/16
♥ : 15

めじな さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

感想(希望・祈りは時を超える)

全24話。恋愛・ファンタジー・アクション・感動もの。

原作は名シーンのセリフ以外知りません。

まず、この作品はOP曲が最高に良いです!
世界的な名曲「You Raise Me Up」のカバー曲。
この作品にメッチャ合ってて、聴いているだけで涙が出そうになります。
映像もこの作品の雰囲気が良く出てると思います。
BGMもかなり良かった。

次に世界観も良い。
中世ヨーロッパのような世界にファンタジー要素をうまく取り入れています。

作画もなかなか良かったと思います。

あらすじ
14年前のモンタギューの反乱により、キャピュレット王家は失墜した。唯一生き延びたジュリエットはモンタギューと戦うことを決意する。

ストーリーは前半はハラハラ・ドキドキの展開でかなり良く、観ていて引き込まれました。
演劇を観てるようなカンジの演出でホントに素晴らしかった。
それにジュリエットがカッコいい。

次に、ロミオとジュリエットの二人の出会いは胸がキュンキュンしますw
これを観ると恋愛ものを観てるんだな~という気持ちにさせてくれます。
二人の出会いから始まる純愛良いですよ~。
7話は特に良いですね。最高でした。

中盤は前半とは異なりテンポもゆっくり。
この展開はSAOのキリトとアスナそっくりだな~と思うエピソードもありました。
ここは個人的にこの作品にはいらないと思います。
このあとは、恋愛と呼ぶにはあまりに過酷で切ない展開が待ち受けています。
また、前半から途中に色々なところに名セリフがあります。
このセリフ知ってる、ここでそれか~とよく独り言いってましたw
次に、途中色々なキャラが出てくるのですが、情のあるキャラが多くて心にジワリときます。

後半はラストに向けてストーリーにファンタジー要素が強くなり、話が急展開します。
このあたりはギャップがありました。
それに、泣ける名シーンがあります。ラストも切ないです。。
でも、良いカンジに締めくくられていると思います。
心が温かくなりました。

こういう純粋な恋愛もの結構好きです。
原作を知ってたらまた違った見方になると思うのですが、
私はこの作品の二人の禁断の切ない純愛ストーリー良かったです。

投稿 : 2024/03/16
♥ : 19

77.3 3 悲劇アニメランキング3位
平家物語(TVアニメ動画)

2022年冬アニメ
★★★★☆ 3.9 (340)
1060人が棚に入れました
《祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり 娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす》
平安末期。平家一門は、権力・武力・財力あらゆる面で栄華を極めようとしていた。
亡者が見える目を持つ男・平重盛は、未来(さき)が見える目を持つ琵琶法師の少女・びわに出会い、「お前たちはじき滅びる」と予言される。
貴族社会から武家社会へ―― 日本が歴史的転換を果たす、激動の15年が幕を開ける。
ネタバレ

素塔 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

平家幻想記

この極めて特異な創作物を受容する際に、私たちはごく自然に
二つある出発点のいずれかを選んでいるはずだ。
原典たる『平家物語』か、あるいは京アニの至宝、山田尚子監督か。
別の言い方をすれば、テキストと演出、そのどちらに軸足を置くか。

アニメ作品として鑑賞する場合は、後者の方が正しいのだろう。
山田監督のリリカルで繊細な演出による再現を味わい、さらに踏み込んで、
物語が最後に到達する、"祈りを込めて語り継ぐ"という究極の境地に
監督自らが体験した悲劇を重ねあわせる深い理解のかたちを
他の方のレビューによって教えて頂いた。

おそらく監督は、この一大古典をめぐる目の眩むような経験の堆積を
まずは括弧に入れ、まっさらな気持ちでテキストに向かったことだろう。
だから今、テキスト派の急先鋒である自分もまた、敢えてこの名前を括弧に括り、
純粋にドラマツルギーの観点から、この創造の真価を問うていきたいと思う。


Ⅰ 序・物語の亡霊
{netabare}
本作の原典が豊かにはらむ、叙事詩的な物語の雄大なうねり。
自分は多分、それを無意識に追い求めてしまっているのだろう。
現代風なアレンジの妙味や作家性の観点での評価ができない。
つまり本稿は、アプローチの出発点を原典においている。

原典との対峙によって生み出されるべき、物語のダイナミズム。
そこを捉えることにしか興味が向かわない自分は、そのための作業として
印象を整理し、抽出したシェマティックな解読格子を用いて
全体のフェーズの転換を巨視的に把握しようと試みた。

自分は原作の側に立ち、このアニメにどんな創意が見出せるか、
それが古典を素体とした作品創造としてどれほどの域に達しているかを
吟味しようとするのだが、この評価の尺度自体が全くの主観に過ぎない。
そんな空想めいた我流の着眼を憚ることなく推し進めた本稿は
きわめて個人的な「幻想(妄想?)」であることを予めお断りしておきたい。
要するに、本人以外には意味不明だろう、ということです。

              *

古典とは歴史の亡霊である。
とりわけ伝承文学は、消えていった無数の声によって形づくられ、
物語の中の人物には焼印のようにその痕が刻まれている。

我々とは根本的に組成が異なる彼らの行為、彼らの運命を
つかさどるものはすでに、心情や一般的な法則ではなく、
物語をとおして表出される歴史の情念(パトス)なのである。
眼の眩むような時の堆積を引き受ける覚悟をもって
相当骨太に描かなければ、その存在感は引き出せないものなのだ。

「平家物語」という素体の特異な性質上、
史実と物語との関係やバランスは特に熟考されていなければならず、
(物語内部の人物と実在の人間が異質な存在である点も含めて)
「物語」のもつ強烈なオーラを流し込むための創造的な方法がないまま、
ただ普通に現代的な心情を持ち込んで、人間ドラマに仕立てるのであれば、
結果としてプロットだけが平家の、単なる史実寄りのドラマ化でしかなく、
中身はごく月並な人情劇になってしまうだろう。

古典とは本来、我々にとっては理解困難な異物のようなものであるはずで、
そこに現代との回路を開くものはただ創造的な飛躍あるのみ。
その意味で本作の、異形性、異界との親近性の設定は必須だったと言える。

びわ。平重盛。
呪われた眼をもつ少女と、呪われた一族の後継者。

重盛の死を転機に、この着想の潜在力は発揮され始める。
疑似父娘関係を解消し、怨霊をも見る眼を備え、平家物語の、
あるいはすべての「もの‐がたり」のデモーニッシュな闇を掬い取る
選ばれし語り手となっていく成り行きが是非観たいと思う。

単なる予知能力というよりは、破滅の運命を予言することにおいて、
彼女にはギリシャ悲劇で神託を伝える巫女の面影がある。
童形であるのは神性が女性的なものに勝っている暗示だろうか。
折々挿入される成長したびわの弾き語りも、まだ強い印象を残さないが、
彼女が今後、大化けしなければこの作品は不発に終わるとさえ自分は思っている。
{/netabare}

Ⅱ 夏椿と揚羽蝶―びわ
{netabare}
激しく琵琶をかき鳴らし、熱っぽく橋合戦の段を語るびわの
おそらく作中では初めて、真正面から捉えられた顔を見てハッとなった。
亡父の眼を受け継いだかのように、彼女の両眼は灰青色に濁り、
盲目の琵琶弾きとなった姿がはっきりと認められたのだ。

何時、どのような経緯でびわが失明したのか、まだ明かされていない。
この変容を今まで何となく見過ごして来たおのれの迂闊さに驚くとともに、
自分の主観はそこに、時代を超越した物語生成の秘密と、
一人の少女の人生とが複眼的に捉えられた、本作の核心部を見たのである。

この直観はまず、全編の幕開けを告げる冒頭の、あの映像への回帰を促した。

無心に虚空を舞う、アゲハ蝶。
合間に挿入されるカットは、例の「沙羅双樹」の花らしい。
要するに「平家」の有名な導入をもとに、映像によって無常観を表現した
ありふれた手法だと当初は受け流していたのだが、やはり気にはなっていた。

バグのように明滅する光の滲み。この効果は何を伝えようとしているのか?
何となく、誰かの視像のような気配があると感じてはいた。
そして、漸く確信できた。・・・凝視しているの多分、びわなのだ。
それも、失明する前に見た記憶の中の光景が、揺らぎを帯びながら
いま、立ち現れているかのようだ。・・・おそらくこれは、
彼女の内部に閉じられて消え残った「世界」の残像なのだろう、と。

・・・まぼろしのように咲く、沙羅双樹の花。
日本にあるのは本種ではなく、分類上は異種であるナツツバキなのだそうだ。
沙羅双樹よりも飾らない、この名の方がむしろ似つかわしい。というのも、
実はこの花、重盛の屋敷の庭前に咲いているさまが作中に描かれているのだ。
つまりこれは、仏教的無常観に基づいた大仰な文学的修辞をなぞったものではなく、
びわの記憶の中の花、一人の少女が過ごした懐かしい日々の思い出が重ねられた
現実の花として描かれているのである。

そして、はかなげに飛翔するアゲハ蝶について。
考察勢はとっくにネタにしているだろうが、遅れて自分も思い当たった。
平氏の家紋は「揚羽蝶」であり、従ってこのイメージの象徴性は明白なのである。
仮に、それを見つめている眼差しがびわのものであるとすれば、
すべてが終わった現在、ないしは無時間的な場所でまさぐられている、
哀惜と情愛のこもった心象ということになるだろう。

すなわちこの冒頭は、盲いたびわの心象世界を表現した
エンディングアニメーションと呼応しており、その要約と見なせるものだ。
流れる雲と波、海鳥、水底の泡沫など、海のイメージに置き代わっているが、
その中には夏椿の花もあって、象徴するものはアゲハ蝶と同じである。
それは、儚く滅び去った懐かしい人々にまつわる遠い日の光景、
心の中に果てしなく去来する、失われた「世界」の記憶だ。

エンディングに関してもう一つ、付け加えておきたいことがある。
彼女が灯火を吹き消すシーン、これを自分は以下のように解釈したい。

「Ⅰ」で言及した突飛な連想の繰り返しになるが、
ギリシャ悲劇「オイディプス王」の始まりと終わりを画す、
運命を予言する者(巫女)と、運命の果てに盲目となる者(オイディプス)、
この両者がびわの中に共存していることに気づき、自分は衝撃を受けた。

彼女に備わった禍々しい明視。失明はその呪われた力の帰結なのかも知れない。
もしそれが彼女自身の固有の運命であり、その成就であったとすれば、
彼女こそは滅びゆく者たちの真の同伴者だったと言えるのではないだろうか?
「平家」でも特に有名な、「見るべき程の事をば見つ」という台詞がある。
入水する知盛が最期に遺したこの言葉はそのまま、悲劇の観察者であった
びわの言葉にもなり得ただろう。自ら灯りを吹き消すエンディングの動作には、
運命の果てに彼女が到達した心境が表明されているように思われてならない。

真理を見た者はその代償に、世界から乖離し、孤立した存在になる。
だがその時、認識は表現へと転位し、「物語」がそこに出現するだろう。
芸術創造の秘儀をめぐる、ある普遍的な真実がここには潜んでいる。
本作がきわめて独創的な「平家物語」誕生譚ともなり得る契機が
ここに予示されたと考えるのは、妄想に過ぎないだろうか…。
{/netabare}

Ⅲ 落日の母性―徳子
{netabare}
びわ。―この機能性に富んだオリジナルキャラクターの創案が
本作の最大の独創であることは言うまでもない。
さらにびわと一対にするかたちで、清盛の娘にして安徳帝の母たる徳子を
本作の主人公として設定した着想もまた、特筆すべきではないだろうか?

勿論、彼女が主人公の要件を満たしているかには異論もあるだろう。
確かに、現代的な自我を感じさせる言動で、作中では例外的な存在だと言えるが、
そのポジションからして、主体性と能動性が示される機会がないために、
その言葉がどこか内実を伴わずに浮いてしまっているきらいがあった。
静的な形であっても、彼女個人の主体性をどのように描き、現出させるか、
そこが難題となっていたと思われる。


第八話に至り、ついに瞠目すべきシーンに出会った。
都が源氏の手に落ちようとしている状勢を嘆く弟の資盛に対し、
徳子はしずかに、決然として言い放つ、

「いいえ。帝がいらっしゃるところが都よ。」

たった一言。だが、これまでのモヤモヤを晴らすのに十分だった。
これまでも彼女の心の想いが吐露される機会はいくつかあり、
懐剣を手に清盛に反抗する激しいシーンなどもあった。が、
心底、揺さぶられたのはこのセリフが初めてだった。

未来の見通せない、大きな危機に直面する現状において、幼い帝の母という、
自らの置かれた現実を真っ直ぐに見据え、その中で発せられたこの言葉は
自らの当為への能動的なベクトルを孕んだ、揺るぎない信念と覚悟の表明に他ならない。

このセリフの感銘をさらに深める背景がある。
第七話で彼女は後白河院にこのように語っていた、

「望まぬ運命が不幸とは限りませぬ。
 望みすぎて不幸になった者たちを多く見てまいりました。
 得たものの代わりに何を失ったかもわからず、ずっと欲に振り回され…。
 わたくしは泥の中でも咲く花になりとうございます。」

「望まぬ運命が不幸とは限りませぬ」。
彼女はすでにこの時、自らの運命の主体となる望みを表明していた。
その願望が今や、現実のものとなったのである。
彼女が言った、「帝がいらっしゃるところが都よ。」という言葉はまさしく、
運命がもたらした自らの現実を、無条件に肯定する言葉なのである。すなわち、
「いま自分のいる場所が、自分が本当に生きるべき場所なのよ。」
このような意味合いがそこには込められているのだ。

他人に強いられた道であろうと、それを自らの道として受け容れ、
母であることを自らの運命として選び取り、彼女は自分自身になっていった。
つまりこの言葉に、徳子の人間像が最終的に定位していると感じられたのだ。
この時、彼女は真に本作の主人公になったのだと思う。

自分の見る限り、本作で自らの信念を生きる人物は清盛と徳子の二人である。
動と静の極端な違いはあるが、やはり彼女は清盛の娘なのだ。
清盛の死により父性の軛から解放され、自立が実現された時、
その内面の強さが表れ、輝きを増してゆくのは自然である。

そしてここに、物語のフェーズの巨視的な転換が認められるだろう。
父性的なフェーズの中に埋没していた「母性」の位相がせり上がる。
主人公となった徳子の母性が物語の軸を形成し、悲劇の核心となる。
父性の物語から母性の物語へと、作品の本質が顕現したのである。

我が子との平穏な生活だけを一途に願う徳子の心境が語られるにつれ、
作中に徐々に浸透してくる母性。それはまた、こじつけのようだが、
自らの道を歩み始めたびわの、母探しの旅にも及んでいるのかも知れない。
びわが抱く母への憧憬と、徳子が母として抱く憧憬、この二つの心情が遠く呼応しあう。
徳子がかつてびわに語った、世界の苦悩の源となる一切への「赦し」。
この言葉の思想的な深みはおそらく、母性の文脈でしか開示できないものだ。
すなわち、本作の最終的なテーマはこの線上に求められるのだろう。


この転換に同期して、作品内部にも変化が生じたように感じられた。
今回の第八話に至って、心情の新しい地平がひらかれたように思われるのだ。

絶対的な支柱であった「父」を喪うことにより、一門の者たちは不可避的に
「残された者」という共通の存在規定を一律に受け容れることになる。
その結果、それぞれが「喪失」と向き合い、覚悟であれ、逃避であれ、
自身の選択を迫られることにより、当てがわれた役回りを超えた「個」がそこに現れる。
維盛を筆頭に資盛、さらには宗盛に至るまで、人物に陰翳と深みが加わってくるようだ。
逸脱を承知で、これを実存的契機の発現と呼びたい衝動に駆られる。

中世のテキストに現代風の心理模様を導入するための方策として
敢えてドメスティックな関係性の中に限定した心理表出を用いることで、
いわば古典の中にホームドラマを組み込む形で、現代との折衷を試みている。
こんな推測を自分はしてみたのだが、この見方に即して言えばついに今回、
ホームドラマから本格的な群像劇へと、脱皮が遂げられたと言えるように思う。

それは終局に待つ"滅び"へと向かう、心のドラマの始まりである。
作品の表層を漂いつつ、しずかに高まる哀感は来るべき悲劇を準備する予兆のようだ。
{/netabare}

Ⅳ 物語の定位―びわと徳子
{netabare}
本作終盤の張り詰めた、悲壮な高揚感は見事というほかない。
第八話に引き続き、この第九話も実に感銘が深かった。
率直な感想が不得手で、ついまた理屈に走ってしまうのだが…。

「定位」という語を用いて説明してみたいと思う。
平たく言えばものの位置が定まることだが、
本来の orientation に引きつけた「方向づけ」の意味に
自己流のニュアンスを加え、作品解釈のツールとしているものだ。
その場合、方向を指し示すかたちで位置が確定すること、
さらに、作品内部の多様な運動が最終的に一つの方向に収斂し、
帰結点を示す段階に達したこと、といった事態を言い表している。

その意味で、第八話にははっきりと定位の瞬間が捉えられた。
「Ⅲ」に記述したとおり、徳子の主人公としての位置が明確に定まり、
結末に向かう道筋が示される。そこに開示される「母性」こそが
悲劇を超克する原理となることが予感されるのである。

「父性/母性」のシェーマは読解のために仮に抽出したものだが、
大筋としては、ドラマの深層部の力学的な発現を次のように捉えることができる。
序盤。清盛の強大な「家父性」に対比される重盛の「慈父性」、
これら対称的な二つの父性の対立と拮抗により、物語は膠着する。
中盤。重盛の死により、清盛の父性の暴虐が極まるが、清盛も死ぬ。
「父性」の完全な退場。そして、母性の物語へとフェーズの転換が生じ、
「Ⅲ」で言及したとおり、物語の焦点は徳子に絞られてゆく。

図式的な整理のようだが、内容の深化にも対応している。
徳子の姿勢が、受動的な在り方から能動的なそれへと変化するのは
父性の支配からの母性の脱却に即した、つまりは、
「清盛の娘」から「安徳帝の母」への、彼女の本質規定の転換であり、
この転換を軸に、物語の位相そのものが転回したと見ることができる。

そして、第九話。ここにまた、一つの定位が認められた。
前話が徳子による主題面での定位だったのに対し、
今回はびわを介しての、作品の構造面での定位が果されたと言えるだろう。

彼女はこう宣言する、

 平家の行く末を見届けようと思う。
 見届けて、祈りを込めて琵琶を弾く。
 そなたらのこと、必ずや語り継ごうぞ・・・

見届けて、祈りをこめ、語り継ぐこと。
この決意がびわのキャラクターを最終的に決定することは言うまでもない。
もともと彼女にはいくつもの機能が付託されており、
ストーリー展開における視聴者視点の導入という表層面に加え、
深層面でも上記の、重盛の「慈父性」を発現させる役割を担っている。

もっとも、ここに構造面での定位を捉えるのは、
原典に軸足を置いている自分ばかりの見方になるのかも知れない。
自分の目には本作が出発点から二重性を孕んでいるように見えていた。
中世と現代。古典のテキストと現代風ドラマ。乖離する危険を帯びた
この異なった二つの位相の調和ないし融合が本作には求められるはずで、
その処理法の一つが、折々挿入されるびわの弾き語りだったわけだ。

今話のびわの開眼はこの問題への根本的な解答となるものだ。
「語り継ぐ」者の誕生、それはすなわち「平家物語」誕生の瞬間であり、
「平家」のテキストが最終的にアニメ側のドラマに統合されたことを意味する。
それにより、物語の発生を語るドラマとして本作の定位が果たされ、
いわばオリジナルな「平家物語」創生譚としての本質が明らかになったのである。

「作者」としてのびわにその存在意義が収斂する時、
創造行為というものへのひそやかな眼差しがそこに垣間見えそうな気もする。
通常の現実観察の限定的、断片的な記録の域にとどまらずに、
全てを見る能力によって、語るべき物語は彼女の内部ですでに完成している。
自らが語るその物語の中には、かつての自分もまた息づいている。
この自己言及的な、再帰的な完結性こそは「見者」の呪われた宿命であり、
表現こそがその使命となる。・・・といった、芸術発生の秘儀をめぐる
「Ⅱ」の個人的妄想を想起して、少し感慨深かった。

祈り。語り継ぐこと。そして、赦し。
いずれも現実に対して直接作用しない、無力な営為に思われるだろう。
だが、決してそうではないのだ。それらはしずかに周囲に働きかけ、
眼に見えないかたちで世界を存続させている「魂の行為」なのである。
本作は、それらが究極的に二人の女性に具現されることにより、完結を迎える。
自分はここに、この「平家物語」の到達点を見出したように思う。

「父性」に対する超克の地平としての「母性」。それは
悲劇の彼方に、それと向かい合うための「救済」の力として要請されるものだ。
徳子の「赦し」は世界の苦悩の源となる一切に及び、それを包もうとする。
また、びわの「祈り」は、見るだけで何もできなかった自らの苦悩を
救済する道でもあったことに注意したい。ここに表れている心情は
現代の我々の感性にも訴えかけてくるものではないだろうか。
{/netabare}

Ⅴ ドラマツルギー覚書
{netabare}
最終二話についての所感はついにまとめ切れなかったが、
取り敢えず、頭の中に残った想念を覚書風に書きとめておく。

まず、作品全体から受ける印象として言えるのは、
感覚的な愉悦が主であり、精神的な充足感が意外に希薄であることだ。
勿論、一個人の感じ方だと言われればそれまでだが、自分はここに
ドラマツルギーの方向性に関する根本的な問題が認められるような気がする。

「ドラマツルギー(作劇法)」については、
参照したコトバンクの解説に、以下のような二つの傾向が指摘されていた。

 ① 一つは論理的な筋の展開を重んじ、知的、構築的、求心的である。
 ② 他方は音楽性や視覚性を採用して、感覚的、絵画的、遠心的である。

演劇とアニメの違いはあるが、本作が②のタイプに合致することは確実だろう。
卓越した美的センスと繊細な感性に裏打ちされた演出が最大の見どころとなる。
それだけに、原典にまつわる「滅びの美学」といった固定したイメージを
ただ美しく上書きするだけの作品に終わるのではないかという危惧もあった。

因みに自分はすでに削除したレビューの中でこんな難癖をつけている。

 今話は冒頭から冬椿の赤い落花が執拗に反復されていた。
 ポトリと花の落ちる様は斬首と死、その色には流される血や戦火、
 さらに平家の赤旗に絡めて、一門のたどる運命が暗示されているわけだ。
 「Ⅱ」で触れたナツツバキ-沙羅双樹の清浄な白との対比が鮮やかだ。

 ただ、こうした演出の効果が十分に発揮されているかはかなり疑問である。
 記号的な布置が有効に機能するためには、相関する心情と呼応し、
 共鳴が生じなければ、張り詰めた意味の磁場は形成されず、説明的な技巧に終わる。
 小手先とまで言ったのはちょっとひどかったが、あまり利いていない印象はある。

ふたたび上の解説に戻ると、次のように続く、

「どちらも作品としての統一性や全体性を意識し、リズムを考えるが、
 前者は戯曲そのものに示される知的内容の緊張と解放のリズムに、
 後者は演者が加わって始動する上演のリズムに重きを置く傾向がある。」

要するに、ストーリーと舞台効果の、いずれに主眼をおくかということだが、
言語の論理を介さず、感覚に直接訴えかける表現という具合に後者を拡張すれば、
本作の特徴を言い当てていると言えるだろう。反面、どこか緊張感に乏しく、
ストーリー展開がしばしば停滞し、弛緩する傾向もあったように思う。

さてそれでは、今ここに①のタイプ、即ち
「知的、構築的、求心的」なドラマへの志向が極端に強い人がいて、
本作を視聴しながらレビューを書こうとしていると仮定しよう。
おそらく彼は、自分の志向性に即して物語の構造を読み解きつつ、
あるべき展開を推論し、そこに有機的に連関したテーマを措定することだろう。
そして図らずもその実例となるのが、上の四編のレビューなのである。

・・・そう、それは私です!
もうお分かりだろう。もっともらしいことを述べているようだが、
意図するところは実は、自分がレビューした内容に関する釈明なのである。
本来②のタイプである作品の本質を見誤り、見当違いの解釈をしていたという訳だ。

「平家幻想記」と称する上の文章の「Ⅲ」と「Ⅳ」において、
徳子に具現される普遍的な「母性」による救済がテーマ的な収斂点になると考え、
最終話にその集約となる場面があるはずだと予想していたのだが、
原典どおりの「大原御幸」が淡々と描かれるばかりで、見事に空振りに終わってしまった。
とは言え、すべて的外れだったかというと必ずしもそうではない。
びわが内包する「表現者」の運命への直観にもとづいた「Ⅱ」の読解が
ほぼ正しかったことは、壇ノ浦のラストシーンで証明されたように思う。

徳子の場合もびわの場合も、推論のプロセスは同じである。
即ち、モチーフと設定が孕む潜在的な劇性を最大限に引き出すこと、ただそれだけだ。
それこそが理論以前のドラマツルギーの大前提であり、根源的な要請だとする
ナイーブな信念によって、自分のこれまでのレビューはすべて書かれている。
今回、一方が正解で、他方が無茶振りに終わった理由を考えると、
本作には最初から思想方面の志向がなかったという結論になるのではないか。

象徴的なのは、全編を締めくくるラストシーンである。
多くの人々の想いが縒り合わされて、一筋の祈りの糸となり、
「祇園精舎」の冒頭句が連禱のように唱和され、その声は響き交わし
すべてが祈りへと昇華されてゆく、息を呑むような荘厳さの中で物語が結ばれる。

テーマ的な収斂点であるはずの「祈り」はこのように、実に感覚的に表現される。
②の「音楽性や視覚性」の採用は最後まで徹底しているわけである。
その内容も徳子自身の来世と一門の冥福に向けられた限定的なものであり、
前に示唆された「赦し」の普遍的な抱擁性からも逸脱してしまっている。
テーマ面での不徹底さが逆に露呈している部分だと思う。

最後に、上で引用した一節はこう締めくくられている、

「どちらかといえば、西洋の演劇は前者の、
 東洋の演劇は後者の傾向が強いといえよう。」

「平家物語」を扱うのなら、西洋的な論理性よりも
東洋風の感性的アプローチこそが自然であり、最良であることに異論はない。
若い時分に外国の文学と格闘し、西洋式な見方がこびりついている自分は
やはり偏向しており、本作を十分に味わい得なかったことを率直に認めよう。
思想性云々はさておき、本作が比類なく美しいアニメであることに間違いはない。

以上を踏まえて本作を次のように総括したい。
確かに「山田尚子の平家物語」としては、一定の評価を得るだろう。だが、
自分が期待していたような、現代的な視角を導入して古典に生命を吹き込む、
我々のための真に新たな「物語」の創造には至らなかったようである。
{/netabare}


主観的なイメージを虚しく追い求め、結果的に座礁したこれらの雑文は
削除して然るべきものだが、考えようによっては一種の思考実験とも言えそうだ。
身贔屓のようでも、当面はこのままにしておきたいと思う。

タイトルの「幻想」の含意も変化している。以前は単に、
誘発された想念を好き勝手に書きつける、といった程度の意味合いだったが、
今は少し違う。これらの記述は、あるいは別の世界線に存在したかも知れない(笑)、
もう一つの「平家物語」をめぐる、ささやかな幻想の記録なのである。


(2022.2.3、初投稿。6.20、修正完了。)

投稿 : 2024/03/16
♥ : 29

takato さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

京アニとは全然違う美しき絵巻物。ニコニコで見るとより楽しめた。

 確かパクさんこと高畑さんも映像化を考えていた「平家物語」を京アニの至宝「山田尚子監督」が外部のサイエンスサルに出てて制作というだけで興味深かったが、実に美しく見易いものになっている。


 声優陣が豪華なのは当然として、オリジナルキャラである悠木碧ネキ演じる未来視ができる琵琶に置くことで、悲劇の結末に向かう物語という視聴者の視点を作品内に持ち込むことに成功している。なにより今や声優当代一といっても言い悠木ネキの演技が流石の領域。


 平家は悪役にされがちだが、少なくてもそれは上の一部の男どものせいであって、少なくても女性や子どもたちには罪はなく、彼らは彼らなりの幸せをただ送っていただけだった…。その切なさが物語の推進力にちゃんとなっている。opでみんなが笑い、踊り、楽しんでいるのが余計にその想いを増す。



 そして、本作の一番のポイントだと思うのはビジュアルの美しさである。京アニやユーフォ的な書き込まれた端正な絵柄とは正反対のシンプル過ぎるほどにシンプルな絵柄、それでいながらその少ない線だけで可愛さも複雑な表情も表現できる作画力、そして題材にあった背景力、全てが合わさって他とは全然違う美に到達している。なにより引き算の演出と、線の軽やかさが見事。



 まだ全話見てないので途中レビューですが、少し見ただけで必見の作品として確定の出来栄えですなコレは!。



(追記)


 全話視聴。後半の「平家物語」のメインともいえる平家の都落ちからの滅亡というクライマックスが少々はしょり過ぎな感じと、主役の琵琶がそこから外れてしまったのが少々勿体ないが見事な良作でした。やはり1クールでは厳しかったかな。どうせならnhk枠でやって欲しかった。


 早見さんの演じる透き通るような美しい女性ってタイプは色々見てきたが、本作の徳子は思わぬ凄いハマり役だった。この物語は、男性は欲に囚われて現世の状況によって右往左往し「思い通りの人生」になんとかしようと必死に足掻いているが、女性はそういうった修羅界から外れて切なる祈りと赦しの世界へと解脱する存在として対になっているように思える。


 女性キャラの代表である琵琶は、結末を知っていても何もできない少女だが、自分が共にあった人々のことを語り継ぐということで祈りとなす。もう一人の代表である徳子は母という大いなる赦しの象徴になって、単なる綺麗な女性キャラを超えた大きさに到達している。「思い通り」にならない人生を恨むのではなく、そのことを赦した人だけが得られる道がある。

投稿 : 2024/03/16
♥ : 40
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

平家と女性。花は枯れるが種を残す。諸行無常はまた新たな命につながる。

2回目を視聴しました。というか1話、2話、9話をじっくり見直しました。

 平家という集団の末端ではカブロが恐怖政治を担っていました。その犠牲者としてビワの父は死にました。が、平家の内部には個々の人間がそれぞれの生活をし、そこに喜怒哀楽もあれば家族もいました。

 OPの歌詞です。花は種から咲いて枯れて種を落とす。つまり人間はその時代を生きて子孫を残す。その営みにすぎません。
 白拍子とか女の部分ですね。祇王、仏御前、巴御前、ビワの母、そして静御前を描いていました。まさに平安の花ですよね。子孫を次代につなぐのは女の役割です。徳子も同じです。

 ただ、この中で次代に子供を残せたのはビワの母だけ、ですかね。ビワがどうなったのかはわかりませんが、子孫を残せなかった女たちを描いたところに意味があるのかないのか。静御前と徳子も子供は作りましたけど…

 また、平家の栄華は華ですね。これもまた枯れてしまいましたが、源氏へと時代が移り変わりましたが、確かにそこにはいた、ということでしょう。最終回が決まっていても…というのは、すべてに終わりがあるという意味なのか、あるいはメタ的に今リメイクする意味なんでしょうか。

 平家と女の華を重ねて、確かに次を産み出した。だけどいつかは枯れる。その無常だけでなく、歴史の中の役割を言いたかったのでしょうか。そして、女の役割は子供を作ることもありますが、子をなさなくても時代を作る役割もあるんだということでしょうか。

 ビワの名前、浅葱とは目の色の事だったんでしょうか。父が名前で呼ばない、つまり目の力を認めないということですね。

 ビワと言う存在はやはり平家の過去と未来、つまり重盛と徳子という平家物語の中心だった人物を象徴し、確かにそこに平家があって、平家の中にもいろんな人がいた。善悪だけではない人間の営みがあったと、未来に伝える役割だったんでしょう。
 義経、義仲をクローズアップしたのは、平家を倒した彼らもまた倒されます。

 今この時代に諸行無常…平家物語に触れる機会があったことが良かったと思います。諸行無常の言葉通り永遠はありませんが、人は営み時代がそこにあり、そして、いずれも次の担い手がいます。

 ポピュリズム=個人の権利や損得しか興味が無くなった時代に「次」を考えられたと思います。ちょっと「海賊王女」を見たくなりました。あれも女と時代をテーマにしていたとしか思えないのですがじっくり見ていないので。





1話  重盛か宗盛か…ヒューマンドラマか合戦か。楽しみです。

{netabare}  配信サイトの関係でいまさら1話です。平家物語というアニメーションを作るということ自体がまず素晴らしいです。幅広い選択肢がアニメには必要だと思いますので、数十本のうち1つくらいはこういう取り組みをお願いしたいところです。

 平家物語というのは歴史の分野では苦手なカテゴリなので、祇園精舎の鐘の声、壇之浦の合戦と那須与一、一ノ谷の逆落とし、あとは清盛、重盛、宗盛のつなぎとかしか覚えていません。厳島神社が関係ありましたね。

 むしろ手塚治虫の「火の鳥、乱世編」の印象の方が強いです。本作も傍観者としてあの少女を登場させたところなど「火の鳥、乱世編」との類似性は感じました。ただ、平家物語は重盛が途中退場して宗盛にバトンタッチしますので、傍観者を置かないと感情移入の視点が変わってしまいアニメにならないのでしょう。

 絵柄は芸術性をねらいすぎて作り込みが追い付いていない気もしますが、見ているうちに違和感がないし時代の雰囲気も感じられるので成功していると思います。

 さて、未来が見える設定や椿がボトリと首が落ちるように散ってゆく演出を語るまでもなく、平家物語は安徳天皇の入水となるわけですが、そこに至るまでのドラマですね。重盛中心か宗盛中心か。ヒューマンドラマなら重盛なんでしょうけど、宗盛の没落する様子が中心になるんでしょうか。盛り上がる一ノ谷と壇ノ浦は宗盛ですからね。
 ただ、本作の重盛の設定、扱いから言って合戦は最後の方にサラリとやる感じでも面白いかもしれませんね。

 このプロセスをあの琵琶の少女が語るのでしょうね。ということで800年の時を超えた一大物語です。楽しみです。{/netabare}

2話 うーん、このキャラデザが話を分からなくしている?

{netabare}  白拍子…祇王と仏御前…2話の最後のほうの出家後の話って説明なしに分かるものなんでしょうか?要するに祇王が出家した後に祇王寺と呼ばれる寺に、やはり清盛に捨てられた仏御前が来たという話です。
 祇王の母娘はまあ説明があったのでわかりますが、後から来たのが仏御前ってわかります?眉毛と下睫毛で書き分けてはいるんでしょうけど…どうなんでしょう?

 本作の前半でやった部分は、清盛に寵愛を受けていた祇王が飽きられて仏御前がその地位を奪うわけですが、その仏御前が元気がないので祇王に舞を舞ってくれ、という話です。ここはまあ理解できなくはないですが、そもそも祇王と仏御前が出会った場面で仏御前ってわかりました?

 しかも当時の白拍子というのはまあ遊女ですよね。若干それっぽいニュアンスの説明がありました。この仏御前は清盛の子を妊娠していて…と話が続くのですが、最後、琵琶が見ていた椿が2つポトリと落ちる場面の意味…うーん。これ、読み取れますか?

 それと祇王のやさしさもあまり表現しきれてませんでしたし…つまり、話がセリフで進行している感じです。そもそも清盛って間接的ですけど父親の仇らしいですね。(父は橘時長という人で、保元の乱で戦死だそうです)

 高倉天皇(憲仁)、後白河上皇、清盛、重盛の関係なども説明抜きで理解できるものなんでしょうか。それとも今後説明があるんでしょうかね。まあ、最後のクレジットのキャラをWIKIで調べるか平家物語を読んだほうが早そうですね。ただ、平家物語…長いんですよね。だからアニメに期待したんですけど本末転倒だなあ。

 話がゴチャゴチャして来るんでしょうか。キャラデザがアダになって人物の整理がつかない気がしてきました。徳子は一番わかりやすいし、後の建礼門院ですからね。実際に一番平家の行く末を見届ける女性なので彼女視点でもいい気がしますが…。

 平家物語の概要が理解できるようなエピソード外の回を入れるなり、人物名をテロップで入れるなり、進撃の巨人みたいに情報をCM前後に挟んでもいいし、声優さんの特番でもいいので何かやらないとまずい気がします。私も若干しか記憶にないのでいろいろ調べながら見ています。

 私の読解力の無さに加えて無教養なのでそう思うだけかもしれませんが、脱落組が結構でるんじゃないかなあ…と危惧します。{/netabare}

3話 女性…に注目でしょうか。2話と別モノかと思うくらい凄い回でした。

{netabare} 前回はキャラがごちゃごちゃしていてわかりづらかったですが、今回は人間関係も因果関係も良くわかりました。テンポが異常に早いですが、焦点が絞りたい部分があるのでしょう。

 2話の祇王の話はサイドエピソードですが監督の山田尚子さんも脚本の吉田玲子さんもキャラデザの高野文子さんも女性ですから、女の人生について入れたかったんでしょうね。第3話の徳子の扱いも含めて「女」の人生について表現したかったのかもしれません。インタビューは本作を見終わってから見るつもりなのでどうコメントされているのか知りませんが。

 子供が生まれないほうがいい…というセリフは多分アニメオリジナルだと思いますがあえてそのセリフを入れてきましたね。この先、この女性視点の部分は注目ポイントな気がします。

 それと2話は、清盛のおごりと非人間性が今回の話につながるという事だったのでしょう。今回の展開にうまくつながってきました。

 で、とにかくカット…展開が迫力がありました。光と陰の使い方もうまかったと思います。陰謀の場面、非常に良かったです。それと重盛の瞳の演技も良かったですね。

 第3話。徳子と重盛を中心に人物がよく描けていました。平家のそれぞれの人間のスタンス、平家に対する貴族の立ち位置や考え方が凝縮されていました。23分があっという間でした。 {/netabare}


4話 時間の経過が早いけど、少数の主要人物が理解できると面白い。

{netabare}  あっという間に時間が過ぎてゆきます。思ったより早い山場ですね。平家そのものの落日については主要なテーマではない感じ?いや、テーマではあるけれど、平家の構成員としてそれぞれのキャラのヒューマンドラマになってきました。そのヒューマンドラマを通じて諸行無常を描くのでしょう。

 そのヒューマンドラマですが、1、2話の展開でポカーンでしたが3話くらいから主要な登場人物が整理されて感情移入もできますので、非常に面白くなってきて、この4話…ターニングポイントですね。彼…といえば見た人はわかるでしょうが、彼の思いをどうくみ取るかでしょうね。

 それにしても琵琶って…育ってる?時の流れから浮いた存在ということ…なんでしょうか?いやちょっと大きくなってますかね?

 古典だし原作に忠実みたいですが、この辺りからは独自解釈…というよりドラマを楽しむ感じになるのでしょう。

 とにかく最後まで見ずにはいられない展開です。継続視聴はもちろんです。気が付いたのは、本作アニメとしての「平家物語」のストーリーを1回目に理解したら、2回目以降で人物や言動に注目するとより面白く見られそうな気がします。

 ですので、レビューについては2回目を見終わったら改めて書きたいですね。以降、気が付いたことがあれば書くかもしれませんが、総評は2回見終わった後にします。{/netabare}


6話 ちょっと言いたい事が分からなくなってきました。

{netabare}  次は見終わってからレビューする気でしたが、ちょっとオヤッ?と思ったので。

 重盛がいなくなって視点が定まらないですね。彼は合理的でかつ心の機微がわかる人格者として描かれていました。徳子と合わせて、現代にこれをやることの意義…登場人物の価値感を現代にアップデートして再評価するために平家物語をリメイクしたのかと思っていました。

 ですが5,6話…うーん…落ちぶれる平家の栄枯盛衰を見せられてもそれは従来の平家物語でしかありません。清盛はもう次回予告にある通りですので退場します。徳子がもう少し女…現代の価値観から妻と母を表現するかと思いましたが、一般的な権力闘争の犠牲者的な部分をちょっと表現していただけでしたね。
 となると琵琶ですよね。彼女が何を見るのか…今のところ傍観者…あるいは予言者(預言でなく)でしかありません。重盛の目を得たことで彼女が何を見るか、でしょうね。

 どうなんでしょう?アニメという人気媒体で面白い演出と脚本とちょっと芸術性のある絵柄で平家物語を紹介するだけ?に終わるのでしょうか。それはそれで試みとしては面白いでしょうけど…例えばベルサイユの薔薇みたいなアニメ史的なコンテンツになれるかと言えば厳しいですよね。あれはフィクションですけど、フランス革命のエッセンスを非常にうまくくみ取りながらもエンタメとして最高でした。

 平家物語は時間というフィルターを経て評価された名作ですから誰がリメイクしてもそこそこ面白くなるはずです。無常観、悲劇性はわかっていることです、そこを演出と作画とセリフで勝負するだけ?琵琶は単なる伏線…とも言えない悲劇の予感のためだけにいる?それとも誰のせいでもないとか、禅的な結論を語ってしまう?

 5,6話は話は面白いですが、深みという点でアレッ?という感じでした…と言ってしまうと1~6話で面白かったのは3、4話だけだなあ…正直言えば雰囲気倒れの気がしてきました。{/netabare}



8話 琵琶は何のためにいるのでしょうか?

{netabare}  7話は徳子と清盛がクローズアップされて、おや、ちょっと持ち直した?と思いましたが…8話がなあ…

 8話は特にそうでしたが琵琶が視点にすらなっていません。ここにきて客観の物語を見せられても、重盛と琵琶の関係に感情を置いていたせいなのか、圧縮版でわかりづらい平家物語を見せられているだけになっています。

 特に8話は演出と音楽が過剰でした。平家の静あるいは貴族的な雰囲気にに対する源氏の動、武士的なのかを表現したかったのかもしれませんが、いや凡庸すぎるでしょう。ストーリーを展開させるのに演出に逃げるのは良くなかったですね。

 というか特に義仲のキャラを過剰にしすぎていて演出しすぎで見苦しかったです。義仲を野性的を通り越して粗野で奇抜に見せて、キャラの説明をしたのかもしれませんが、武人としての迫力が全くありませんし。

 戦の場面をほぼカットしているのはヒューマンドラマを見せたいからかもしれませんが、ヒューマンドラマになっていません。平家という一族の落日の儚さ描けていません。

 祇王と仏御前をいまさら名前だけだしてみたり、琵琶の出自を仄めかしたり…この後すべてが繋がって何かがあるのでしょうか?{/netabare}


9話 なるほど祈りをびわに重ねましたか…

{netabare}  祈りって今は曖昧に使っていますが、もともとは平和とか他人の安寧のための願いですね。自分の願望を願う事ではありません。「祈るしかできない」とびわは言いました。祈りって重い言葉だと思うんです。特に源平の戦いは本当に悲惨で人の欲望丸出しですから。

 その祈りを諸行無常と重ねました…天皇の大きな役割が祈ることです。国家鎮護というと仏教用語ですのでちょっとズレるかもしれませんが、天皇が国家の安寧を祈ることを忘れたからビワが変わりに?ということはびわの血筋ってそういうこと?無情に散っていった平家の魂が浮かばれる的な鎮魂みたいな軽い意味ならがっかりですけど。

 祈りを見出したびわをどう扱うかが今後焦点になりそうですね。制作された時期的には昨今の世界情勢を考えて、ということではないと思いますが、今、必要なのは確かに祈りなのかもしれません。

 ところでクレジットの静御前、月、あかり、という3人があの白拍子たちでしょうか。静御前って義経の愛人じゃなかったでしたっけ?そうそう確か…静御前って母子のエピソードありましたね。徳子の描写と合わせると、女性側の諸行無常の表現もをしている感じでしょうか。ただ、今のところあまりうまく機能してない気がします。
 忙しい尺の中で、祇王や静御前なんかを省略しないで登場させた意味やびわの母が登場した意味を咀嚼しないとなんともいえませんけど。

 清経のシーンはエピソード的には良いですけど、ちょっと感情過多になっていないかは?ですね。びわの内面を表すにはいいシーンだとは思いますけど。

 それと敦盛ですね。織田信長の関係で調べたことがありますが、ちょっと違うというか省略した感じでしたね。意味合いがちょっと変わっちゃった気もしますが、私も史実に忠実である必要はないと思います。
 でも、だったらもっともっとオリジナルな山田尚子さんとしての平家物語を見せてもらいたかったなあ。

 ただ、8話でどうなっちゃうのか心配でしたけど、9話は持ち直しましたね。あと2話だそうですね。びわの祈りと徳子それと義経が描かれるんでしょうか。残りに期待しましょう。 {/netabare}


11話 徳子はなぜ生き残ったか…ビワはそういう役割でしたね。

{netabare} 平家物語そのもので感情が一番動く場面ですからね。ここで感動するのは当たり前ですが、10、11話はビワの使い方素晴らしかったと思います。途中2話、5~8話はかなり評価を下げていましたが遡って見れば意味があるかもしれません。

 なるほど…なぜビワが必要だったか。建礼門院、徳子だけがなぜ生き残ったか。その意味がビワの目だったと。平家を見届け祈れ、と。だからでしょうか。最後はビワの目が光を失っているように見えました。ビワは平家を見るために特別な目を持った。重盛からもその子供たちからも愛された…だから、平家を見届けた後は語るだけの存在になりました。髪が白くなるとは老婆になったのか、あるいは人としての存在ではなくなったのか…
 建礼門院もまた最後まで平家のために祈りました。ビワは徳子の別の形だったのかもしれません。そういえば重盛の目ももっていましたね。

 鎮魂…というと私はちょっと浅い気がしていましたが、なるほど…そうくるとちょっと話が違いますね。祈るとはつまり歌の中に平家の人々が語られることでした。平家物語は800年後にも残っています。つまり、ビワと共に過ごした人々はまだビワの歌の中に生きているということでしょう。これで諸行無常の意味に一つの視点の転換をあらわしました。

 考えてみれば平家は椿の花のように儚く散っては行きました。諸行無常の理の中で歴史から消えていったその悪役の平家が今現在なぜうたわれているか…それは悪役の平家も中に入れば様々な人々が懸命に生きていました。気が小さい人も芸術を愛した人もいました。平家ファミリー…という穏やかで幸せな感じの絵が出ていましたね。

 初めにビワの父が殺された意味がここで考えるべき問題になりますね。悪とは何ぞや…と。確かに平家の支配下でひどい死にかたをしましたが、平家もまた人として憎めない人々でした。うーん、言葉にするのは難しいですね。あとでいい考えがまとまったらまた書くかもしれません。

 平家を撃った義経…そして静御前が出てきたのも意味がありそうですね。義経は有名ですが、静御前と義経の子供のエピソードがあります。平家を滅ぼした義経。その先は…

 驕る平家に何かを仮託しているのかどうかもちょっと考えたいところです。

 全体としては徳子周り、重盛とその子供たちの話は全体としてよかったかったですね。もっとああすれば、とかあそこがなあ、という感想はありますが、結果的に11話が描けたので、良かったと思います。

 ちょっと見終えたばかりで支離滅裂ですね。総評はまた2回目を見た後にするかもしれません。古典のリメイクなので評価は低めにしていますが、ビワその他について発見があればあげる可能性があります。 {/netabare}

投稿 : 2024/03/16
♥ : 41

73.4 4 悲劇アニメランキング4位
ベルサイユのばら(TVアニメ動画)

1979年秋アニメ
★★★★☆ 3.9 (134)
622人が棚に入れました
18世紀のフランスで、男として育てられた14歳の貴族オスカルは新たに皇太子妃となるマリー・アントワネットを護衛する近衛隊長に任じられた。心優しい彼女を守って数々の修羅場を戦い抜くオスカルだが、贅沢三昧の王侯貴族と貧しい庶民の溝は日々深まっていき、やがて血で血を洗うフランス革命が勃発する…。

声優・キャラクター
田島令子、志垣太郎、上田みゆき、野沢那智、吉田理保子、三景啓司、市川治、キートン山田、内海賢二、京田尚子、安原義人、森功至

えたんだーる さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

オスカルは「餌」(笑)。(連載開始45周年らしい)

原作は少女漫画『ベルサイユのばら』(池田理代子作)。

実際にあったフランス革命近辺の時代を、架空のキャラクターオスカルの視点からを中心に描く歴史大河ロマン作品。

作中で歴史は20年近く経つ、今の感覚からすると長い感じの作品です。

池田先生は当初マリー・アントワネットを主人公にした作品を構想して、編集部に却下されたらしいです(笑)。オスカルを立てても、少女漫画誌で歴史物を連載すること自体に難色を示されたらしい。

当初の構想の影響か、オスカルの青春だけでなくマリー・アントワネットの奔放さみたいな辺りの描写にも時間が割かれています。

他にアンドレは有名だと思いますが、フェルゼン伯爵辺りも重要キャラですね。

オスカル中心に観るだけでなく、是非マリー・アントワネットやフランス革命にフォーカスして観ていただきたい作品です!

OP/EDも劇伴音楽もかなり良いと思うので、想い出補正はあるかもしれませんが、音楽評価は5です(笑)。

2017.4.21追記:
1972年に原作マンガのマーガレットでの連載が始まったらしく、今年2017年は連載開始45周年、池田理代子先生はデビュー50周年らしいです。これを記念して復刊ドットコムから豪華版(全7巻: 復刊ではない)が刊行されることになりました。

投稿 : 2024/03/16
♥ : 27

イカちゃん☆休止中 さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

☆不朽の名作

18世紀のフランス革命前を舞台に男装の麗人オスカルと
王妃マリー・アントワネットらが激動の時代を生きていく物語。

「マーガレット」の人気コミックで宝塚の舞台と共に
一大ブームになりました。(^o^).:*:・'°☆

監督が1話-13話が「巨人の星」の長浜忠夫先生で

19話-40話が出崎統先生でそれぞれ特徴の違う巨匠の演出が
楽しめます♪

愛と陰謀、スペクタクルと歴史ロマンのクオリティ高い名作です~☆


軽くフランス革命の勉強にもなると思います♪♪♪~



原作/池田理代子

アニメーション制作/東京ムービー新社(現:トムスエンタティメント)


1979年10月10日-1980年9月3日 日本テレビ(全40話)

投稿 : 2024/03/16
♥ : 8

mikura さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

はじめて最後まで見たアニメ。

 1979年のアニメ。言わずと知れた歴史ロマンの大傑作。
 私が小学生から中学生のころ、夕方に何度も再放送されていて、衝撃的で官能的なオープニングに毎回胸をときめかせながら視聴していました。

 女性でありながら父親に軍人になるよう育てられたオスカルとその従者アンドレ、王妃マリーアントワネットとその愛人でスウェーデンの貴族フェルゼンを中心に、革命前のフランスを舞台にした歴史フィクション。

 オーストリアの女帝、マリア・テレジアの娘アントワネットが、政略結婚のためフランスのルイ16世に嫁いでくるところから始まります。このとき近衛連隊の隊員として、オスカルは国境付近まで迎えにくる。
 
 その後、当時の国王ルイ15世の愛妾デュ・バリー夫人とアントワネットとの確執、ルイ15世の崩御、フェルゼンとの出会い、社交界での数々の出来事や陰謀、そして有名な首飾り事件やヴァレンヌ逃亡事件、バスティーユ監獄の襲撃など、ほぼ史実にそった物語が主にオスカルの視点で描かれていきます。
 オスカルやアンドレはフィクションの人物ですが、これらの事件に密接に関わっていく形になっています。

 オスカルは近衛連隊長でアントワネットとも親しいため、当然王家側で、陰に陽にアントワネットを支えていくのですが、貧困にあえぐパリ市民や市民活動家たちとの交流を通じ、次第に気持ちが揺らぎ、葛藤を抱えていくのでした。
 
 何度見ても面白い。歴史の事実をもとにした物語なので、とてもリアリティがあります。高校で世界史を学び、当時の時代背景や周辺諸国の動向がわかってから見ると、またより深く楽しめました。

投稿 : 2024/03/16
♥ : 7

63.1 5 悲劇アニメランキング5位
オルタンシア・サーガ(TVアニメ動画)

2021年冬アニメ
★★★★☆ 3.1 (163)
375人が棚に入れました
イエペタス半島に700年の歴史を誇る大国――オルタンシア王国。その豊穣な土地を狙う周辺国によって幾度となく侵略の脅威に晒され続けるも、王国に仕える二大公国――オリヴィエ公国とカメリア公国が剣と盾となり、長きに渡って戦禍を免れてきた。しかし、聖王暦767年12月5日。オルタンシア王国に対し、カメリア公国が突如反旗を翻す。カメリア公国の反逆、そして反乱と時を同じくして現れるようになった魔物によって、オルタンシア王国に混迷の時代が訪れようとしていた……戦乱の世で、様々な運命に翻弄されていく騎士たち。悲劇から始まった宿命の継承と戦いが、動き出す。

声優・キャラクター
細谷佳正、堀江由衣、津田健次郎、上田麗奈、内田彩、梅原裕一郎、小林ゆう、柿原徹也、子安武人、乃村健次、江口拓也、大坪由佳、堀江一眞、池田秀一

ninin さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5

オーソドックスなファンタジー作品

原作未プレイ 全12話

オルタンシア王国の王宮で突然王が人狼に襲われ死亡、周りの騎士たちが人狼に立ち向かう間、王女は落ち延び主人公の領地に逃げこみ見習い騎士と偽り暮らしていました。それから数年後、王国で起こる様々な出来事を描いた作品です。

中世ヨーロッパ時代のような世界、剣や弓などを武器としたオーソドックスな戦い、段々と真実が分かり終わったと思いましたが、お話は続くようですね。

お話はそれほど盛り上がらず、特に特筆すべきところはありませんでした。

興味があれば1話観て判断されるといいかもしれません。

OPはMY FIRST STORYさん、EDはまふまふさんが歌っています。

最後に、配役は?がつきますが、ゲーム原作とあって声優陣は豪華でした。

投稿 : 2024/03/16
♥ : 15

scandalsho さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

キモチいいくらい王道のRPG作品

キモチいいくらい王道のRPG作品。
しかも、こういう作品が嫌いじゃないからついつい見ちゃう。
だけど、間違いなく数年後にはストーリーを忘れているだろうなぁって、自信がある(笑)。
そのくらい、テンプレな作品。

第8話。次々と現れる仲間たちに感動する回。
ここが一番の見所。





って思っていたら、最終話のラストで『ええっ!!』ってなる。
ここにきてこのオチか!!って。

しかも、ここで終わりだから始末が悪い。
この後どうなるの!?ってなっちゃう。

なんて作品だ(笑)

投稿 : 2024/03/16
♥ : 13

hidehide さんの感想・評価

★★☆☆☆ 2.0

OPでそれはダメでは…

なんだ、コレは…と…
ゲームなんですね…というか…

これまた、細谷さんの声だから、
凄く立派な領主に拍車がかかる上に、
サポ側近が津田さんなので厚みが増す。
で、彼、後に姫になる訳ですが、
この人、
あの日、あの時、自身の正体がバレなければ、
いつまで
『メンズ』として生きるつもりだったのでしょうか?
バレたらバレたで『私なんか…』と急にネガに…
…と思うなら、もっと早く素性を明かし、
挙兵し聖教会を潰しに行けば、彼もああならずに
済んだのでは、と。
8話、弟に責められるシーン。
『あ、まさしくその通り!!』と共感しましたから。
ま、内容はホントにくだらなく、作画もチープ。
何より、OPのラスト1秒の壮絶なフリ!!!
アレには驚嘆ですね…
え?彼、そうなるの?なっちゃうの?
…のフリを見事に回収する最終話。
昨今のアニメ業界ってサルばかりなのか…と。
何故、OPでネタバラシするのですかね?

これからこの人、仲間になります的なOP、
これからこの人、ライバルになります的なOP、
これからこの人、死ぬかも的なOP、
それを初回のOPから垂れ流す…
で、話数を重ねてご本人登場…と。
『いや、知ってましたけどね!最初から!』とか
ツッコミたいですが。
ドラゴンボールに至っては、修行前から
金だったり青だったりのOPでしたし…

ま、もはや何でもイイですけどね…

本来、★などない作品なのですが、
CVにお金を掛け、好きな声優さんが多かったので
★2にさせて頂きました。

投稿 : 2024/03/16
♥ : 1

計測不能 6 悲劇アニメランキング6位
森の伝説PART-1(アニメ映画)

1987年12月18日
★★★★☆ 3.3 (2)
14人が棚に入れました
手塚治虫最後の作品となったファンタジー・アニメ。第42回毎日映画コンクール、第25回大藤信郎賞などを受賞している。チャイコフスキーの「交響曲第四番」に乗せて、音楽と映像のみで“自然の大切さ"“生命の尊さ"を描いた実験作。本来は4つのエピソードが作られるはずだったが、第1楽章と第4楽章の部分が完成した時点で、手塚治虫氏が亡くなってしまったため、未完の作となった。全エピソードが完成すると、ディズニー以前のアニメから、ディズニー時代を経て、ディズニー以後のテレビアニメの時代へと至るアニメーションの歴史そのものを綴った大作になるはずだった。第1楽章は、幼くして巣から落ちたムササビが大きなクスノキに助けられながら、過酷な運命に立ち向かっていく物語。手塚治虫の『モモンガのムサ』が原作になっている。第4楽章は、森を切り開き都市を建設しようとする人間たちに対して、動物たちが交渉をもちかけるお話。
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