おすすめアニメ映画人気アニメランキング 3

あにこれの全ユーザーが人気アニメのアニメ映画成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2019年09月22日の時点で一番のアニメ映画アニメは何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

81.4 1 劇場版 響け!ユーフォニアム ~誓いのフィナーレ~(アニメ映画)

2019年4月19日
★★★★★ 4.4 (120)
632人が棚に入れました
昨年度の全日本吹奏楽コンクールに出場を果たした北宇治高校吹奏楽部。2年生の黄前久美子は3年生の加部友恵と、4月から新しく入った1年生の指導にあたることになる。全国大会出場校ともあって、多くの1年生が入部するなか、低音パートへやって来たのは4名。一見すると何の問題もなさそうな久石奏。周囲と馴染もうとしない鈴木美玲。そんな美玲と仲良くしたい鈴木さつき。自身のことを語ろうとしない月永求。サンライズフェスティバル、オーディション、そしてコンクール。「全国大会金賞」を目標に掲げる吹奏楽部だけど、問題が次々と勃発して……!?北宇治高校吹奏楽部、波乱の日々がスタート!

声優・キャラクター
黒沢ともよ、朝井彩加、豊田萌絵、安済知佳、石谷春貴、藤村鼓乃美、山岡ゆり、津田健次郎、小堀幸、雨宮天、七瀬彩夏、久野美咲、土屋神葉、寿美菜子、櫻井孝宏
ネタバレ

でこぽん

★★★★★ 4.7

ただただ感無量

いやー凄く良かったです。
黄前ちゃんをはじめとして、麗奈、葉月、緑輝、などの懐かしい人達に会えることができました。
この短い映画の時間で、よく一年間をまとめられたものだと、製作スタッフの方々に感謝します。

最初に 「響け!ユーフォニアム」が聞こえてきたとき、
胸がジワーとこみ上げてきました。
あの名曲は、あすか先輩から黄前ちゃんに、しっかり受け継がれていました。

この映画では、黄前ちゃんは2年生。彼女はいつも、巻き込まれキャラです。
今回は、一年生の悩みにいろいろと巻き込まれます。

誰も悪い人はいないのに、悩み、涙を流す一年生たち。
そう、みんな一生懸命生きているからこそ、悩むのです。
奏ちゃんやさっちゃん、みっちゃん、それに求。
一人一人の悩みは違います。でも本人にとっては真剣な問題です。

そんなとき、黄前ちゃんみたいに、気軽に相談できる人がいたら、安心します。
話しを聞いてくれるだけでいいのです。それだけで、安心するのです。
自分は一人じゃなかった。そう感じて安心するのです。

でも、黄前ちゃんは、話しを聞いてくれるだけじゃなく、納得できるまで追いかけてきます。決して手を抜きません。
そして、ときには厳しいことを言って叱ります。
一見、人畜無害そうに見える黄前ちゃんに叱られると、誰もが驚いてしまいます。
でも、それは、相手を思いやって叱っていることに、すぐに気付きます。
だから、みんなは黄前ちゃんを好きになります。

ところで、今回も立派だと思ったのは、中川夏紀の行動です。
一見怖そうに見える彼女は、本当に立派な副部長です。
自分に不利になると分かっているのに、あえてみんなのために頑張っている。
一年前も彼女はそうでした。彼女の心は、とても清らかです。

こんな人たちがいる吹部は、素敵ですね。

最後に、あすかのお父さんがつくったあの名曲を、後輩の奏ちゃんも受け継いでほしいと思いました。

{netabare}
 この前、妻と一緒に映画を見に行ったところ、
 「久美子&秀一」のコースターと、「麗奈&滝」のコースター をもらいました。
 以下の条件に該当する人で、ぜひとも欲しい人に先着1名様限定で差し上げます。
  <条件>
   病気などの理由で映画館に行けない人(忙しくて行けない人はダメ)
   または、地方に住んでいて、映画館まで遠く、行けない人
 欲しい人は、メッセ、またはメールで連絡してください。
{/netabare}

投稿 : 2019/09/21
♥ : 35
ネタバレ

101匹足利尊氏

★★★★★ 4.4

行列のできる!?黄前相談所

北宇治高校吹奏楽部二年 黄前 久美子。

前年度、下級生ながら、
心に思ったことが無意識に気だるげボイスとなって零れるマウスを武器に、
時に、よい子ちゃんの皮をペリペリ~っと剥がされる受難に遭いながらも、
数多の修羅場に寄り添い、難事件解決に助力してきた久美子。

新年度になっても、相変わらず複雑な人間関係が絡まり、
実に胃が痛い、面倒くさい、吹奏楽部の日常。

勇者・久美子の伝説が新一年生部員たちの間にも轟いているのだろうか?
それとも、一見、人畜無害と思しき顔立ちから醸し出される人徳なのだろうか?

彼女の元には後輩から様々な本音や相談が寄せられ、
部内では「黄前相談所」と評判になっていると言う。

だが、これも何やら妙な流れだ。
確かに久美子は厄介事にイチイチ首を突っ込んでいく巻き込まれ体質ではあるが、
トラブルや相談の方から積極的に寄ってくるほどの引力まではなかったはずだ。

これは何者かの陰謀?そう考えるのは勘ぐり過ぎだろうか?

大体、ドサクサに恋の悩みとか相談されたらどうするつもりなのだろう?

いや……でも、待てよ……。



TVアニメ2期終了後、原作未読組から既読組になった私。

昨秋、本作が今春へと公開延期と聞いた時、
私はやっぱりな……と思うと同時に、
これはさらに前後編に分割まであるかもしれないと懸念していました。

『リズと青い鳥』にみぞれと希美の懸案を隔離しても尚、
原作小説のシナリオ濃度は相当な物だったのです。

だから残りのエピソードを全て一本にまとめるのは不可能だと分っていましたし、
久美子とその周辺に脚本を絞ったのは正解だったとは思います。

それでも、特にこれは未読組が観ると、展開に納得できない面も出てくるのだろうな……とか、
所々挿入された、スマホ動画撮影で吹部の日常を切り取る演出には、
ダイジェスト感をなだめる苦肉の策?……とか、思ったりもしました。


ただ、そんな諸々を吹き飛ばすくらい演奏シーンが素晴らしかったです。

因みに、気になるコンクール演奏シーンの尺は、自由曲の、
{netabare} 「リズと青い鳥」のフル演奏でした。しかも回想シーン等がほぼ挟まらない。
演奏再現純度100%の直球勝負。
演奏中、意外と多い、自分は楽器を演奏していない部分で、次の出番に向けて、
気持ちを高める部員の描写なんかも多数あって、手に汗を握らされました。{/netabare}
演奏シーンだけで200カットを費やしたと言う、圧巻のコンクール映像でした。
通常、作画カロリー削減のために宛がわれる3D技術も、
本作では多彩なカメラアングルによる会場の臨場感アップに費やされ好感しました。

思えば、本作で初めて、原作小説とアニメのコンクール曲が同一となり、
『リズと青い鳥』では、楽曲内世界が、奏者たちの揺れ動く青春の心ともリンクしてきた今回の自由曲。
しかも原作はその演奏を{netabare}“会場から割れんばかりの拍手の音が降り注いだ”{/netabare}云々と絶賛している。

『ユーフォ』と言うコンテンツは自身に課したハードルで棒高跳びでもするつもりなのかw
笑っちゃうくらい高い要求をスタッフさんたちは良く飛び越えてくれたと感謝致します。

例え、シナリオ等に多少疑問が生じたとしても、この演奏シーンは劇場で体感する価値があると思います。


感謝と言えば、キャスト面。久石 奏のCVに雨宮 天さんを起用して頂きありがとうと言いたいです。
正直、つい最近まで私も、原作読んで内容知ってるし、
公開初日に突撃するのも、流石に前のめり過ぎるだろう。
と言った感じでしたが、奏のキャストを知った瞬間から、にわかに浮き足立ちましたw
天さんなら、優等生の外面に隠しきれない奏の不穏な腹の一物まで繊細に表現してくれるに違いない。
その期待は見事に応えられました。
上品な声に多数の棘が含まれた小悪魔ボイスの数々……どうも、ごちそうさまでした。


そして、何より、新部長&副部長コンビが、楽し過ぎるし、愛おし過ぎます。
この人事を企てた先輩Aはやっぱり特別です。
久美子周辺を重視する構成上、新三年生組については、
部長&副部長より、久美子の近くにいた加部ちゃん先輩に焦点が当たっていて、そちらも良かったけど、
もっと、部長&副部長を観たかった……と言う感想も抱きはしました。
それでも名コンビぶりを映像で満喫できて嬉しかったです。


※尚、今回は、京アニ映画で時々ある、本編前のフォトセッションはありません。
安心してケータイ・スマホの電源を切って、
特に原作未読組にはサプライズになるであろう、冒頭およびエンディング後の衝撃に備えましょう♪

投稿 : 2019/09/21
♥ : 28
ネタバレ

フィリップ

★★★★★ 4.3

想いはつながっていく

製作:京都アニメーション、監督:石原立也、
シリーズ構成:花田十輝、
作画監督:池田晶子、原作:武田綾乃

久美子が高校2年生に進級した
原作の2冊分をまとめた作品の映画化。
ただ、希美とみぞれの関係性を描いた部分は、
『リズと青い鳥』で映画化されたので、
それ以外の部分ということになる。

物語は黄前久美子と塚本秀一のシーンに始まり、
桜が舞い散る新入生入学時に
吹奏楽部員がパフィーの『これが私の生きる道』を
演奏して歓迎するところからから描かれる。

物語は最初から最後まで
久美子と新入生のユーフォニアム担当・
久石奏との関係性が軸になっている。
これはある意味、映画『届けたいメロディー』と
同じような構成だ。
ただ、今回はそれに加えて、久美子の脳裏には、
卒業生のあすかの姿がいつも思い浮かぶ。

2年生になった久美子は、
トランペットの加部ちゃん先輩とともに
1年生指導係となり、後輩たちの面倒を見ることなる。
低音パートには、チューバの鈴木美玲と
鈴木さつきのW鈴木とコントラバスの
月永求、ユーフォニアムの久石奏が
新たに加わり、波乱を巻き起こす。

部活において「頑張るとは何なのか?」と
いうのが、大きなテーマのひとつ。
効率良く技術を上達させていくことか、
それとも部内の皆と仲良くして
溶け込んでいくことなのか。
難しい問題だが、どちらも正解というのが
正しいのだろう。ほかにも正解はあるだろうし、
また、部内の状況によっても変化する。

純粋に正しいことと間違っていることだけで、
部活内は割り切れるものではない。
時には間違っていたと思えることでも、
人間関係によっては
正しいことになることもある。
無理をして何かを合わせなければ
いけないこともある。
久美子はそれらを踏まえた上で、
現在の北宇治において「頑張る」ことに
ついて、踏み込んだメッセージを奏に送る。

{netabare}奏は過去の経験から、部内の人間関係を鑑み、
自分自身の演奏を諦めることを決断した。
そんな奏を諭すために久美子たちが
連れ出した場所は、あすかを説得するときに
利用したのと同じ校舎裏のゴミ収集場だった。
かつて、あすかに跳ね返されたのと
同じ場所だったことは、その時の出来事と
関係性をしっかり対比させる制作陣の意図だろう。
(当時は、あすかも演奏を諦めていた)
1年前、久美子は同じ場所で自分の他者に対する
距離感をあすかから思い知らされることになるのだが、
今回は、距離感を詰めて雨中に飛び出した奏を追いかける。
「気になって近づくくせに、
傷つくのも傷つけるのも怖くて、
なあなあにして、安全な場所から見守る。
そんな人間に相手が本音を
見せてくれていると思うの?」と
あすかから言われた自分から脱却するために行動する。
「本音」が知りたいと久美子は奏にはっきりと問う。
そして自分の経験から本心で
「頑張ることは無駄ではない」ことや
「頑張っている奏のことを
自分たちは見ている」し、
「奏のことを守る」ことを伝える。

かつて麗奈から教えられたように
頑張ったからこそ、コンクールがダメ金で
「死ぬほど悔しい」と思うことができる。
結果が出なくて死ぬほど悔しいのは、
頑張ったことで得られる本物の気持ちなのだ。
あすかや麗奈から久美子に、
そして、久美子から奏、そのほかの部員へと
想いがつながっていく。
今回の物語で監督がこだわったのは、
そういう何かを受け継いでいくことなのだろう。

雨に濡れて、次第に久美子の天然パーマが
ストレートになっていく様や、
あすかに対したときのような熱のこもった
説得シーンには引き付けられた。
これは、奏への説得と同時に
1年前のあすかに対しての久美子の回答でもあった。
そしてコンクール当日にあすかが現れ、
名残惜しそうにする久美子に絵葉書を渡していく。
わざわざ映画で原作のこのシーンを入れたのは、
続編で回収するつもりだろうと考えたい。

時間を短くまとめるために、奏との関係性と
そこから垣間見えるあすかに対する想いを
強調したことで、久美子の成長を軸にした
1本の作品としてまとまっている。
初見のときは、観賞の直前に
また原作を読み返していたこともあって、
展開に無理があると感じていたが、
100分という時間制限を考慮すると、
最初から最後まで計算され尽くされている構成だと思う。

ただ、奏と夏紀の関係性についての描写が薄いため、
問題が起こって解決するまでの経緯が
今ひとつ腑に落ちない感覚に陥ってしまう。
また加部ちゃん先輩との関係性も
積み重ねられていないだけでなく、
先輩の努力などもあまり分からないため
その重大な決断が心に響かない。
時間がないので仕方のないことだが、
久美子が部長になる際の優子や夏紀との
やりとりや黄前相談所創設の説明も
全くなかったことは残念だった。
(黄前相談所創設は、久美子が後輩から
信頼を得て、スムーズに部長として活動できるよう
優子が1年前から計画して行ったことだった)

これらを考えると、本来は2期で入れるべきところを
敢えて無視した秀一との関係を無理して入れる
必要があったのだろうかと感じた。
しかも秀一と別れる理由が原作での
部長に指名されたからということなら分かるが、
映画では曖昧にした上に、
秀一が納得しているのも気になってしまう。
ただ、この関係性を描くことは
石原監督のこだわった部分だったようで、
しかも、秀一との会話を入れることで、
奏と夏紀の関係性や求についてのこと、
麗奈との友情の機微などを表現できているので、
物語全体に深みを持たせられたとは思う。
また進路に悩むということで、原作にはないのに
敢えて久美子が父と将来のことを話すシーンまで
入れている。そこには父の姉に対する
後悔の念も滲んでおり、父親も何かに迷う
ひとりの人間であることを示しているのが面白い。{/netabare}

初見のときは、原作との違いや描写不足から
細部に不満を感じたが、何度か観ると、
限られた時間内での完成度の高さが目に付く。
しかし、やはり描写不足が拭えないのも確かで、
できれば最終章はテレビ放映することを願う。
音楽は相変わらず聴かせてくれて、
部員それぞれの動きも迫力があった。
(2019年5月26日初投稿)

投稿 : 2019/09/21
♥ : 45

65.5 2 GODZILLA 星を喰う者(アニメ映画)

2018年11月9日
★★★★☆ 3.5 (29)
122人が棚に入れました
アニメーション映画『GODZILLA』(通称:アニゴジ)がついに最終章を迎える。

二万年後の地球で繰り広げられた、<ゴジラ>とそれに抗う人類の物語。最終章『星を喰う者』では、超科学が生み出した<メカゴジラシティ>をも焼き尽くし、地上の覇者となった究極の生命<ゴジラ・アース>と高次元怪獣<ギドラ>が相まみえる。

『アニゴジ』の誕生は2017年。これにより『ゴジラ』は新たな領域へ足を踏み入れた。同年11月公開の第一章『GODZILLA 怪獣惑星』はゴジラ映画史上初の3DCGアニメーション作品であり、その映像体験は大きな驚きと称賛をもって迎えられ、第二章『GODZILLA 決戦機動増殖都市』は、アニメーションならではの<メカゴジラ>の新解釈で観客を圧倒した。

そして最終章では、虚空の神<ギドラ>と破壊の王<ゴジラ>がついに激突。戦いの果てに待つのは、人類への啓示か。

監督は、昨年公開の劇場版『名探偵コナン から紅の恋歌(ラブレター)』で邦画年間興行収入ランキング1位を獲得し、確かな演出力を遺憾なく発揮する静野孔文と3DCGの第一線で培われた手腕を『シドニアの騎士 第九惑星戦役』、『亜人』、『BLAME!』で磨きあげ、余すことなくその魅力をフィルムに焼きつける瀬下寛之が務め、両者の最高のコンビネーションは最終章でも見事に発揮されている。ストーリー原案・脚本は、『魔法少女まどか☆マギカ』や『PSYCHO-PASS サイコパス』などで知られる虚淵玄が担当。観る者全てを出し抜く突破力抜群のアイデアに今作でも驚かされるのは間違いない。

制作は米国エミー賞最優秀賞(デイタイム・エミー賞アニメーション番組特別部門最優秀賞)を4度受賞を果たし、直近では「スター・ウォーズ」シリーズの最新アニメーション作品「Star Wars: Resistance」を手掛けるなど、国内外から高い評価を得ている3DCGスタジオ、ポリゴン・ピクチュアズ。


声優・キャラクター
宮野真守、櫻井孝宏、花澤香菜、杉田智和、梶裕貴、小野大輔、堀内賢雄、中井和哉、山路和弘、上田麗奈、小澤亜李、早見沙織、鈴村健一
ネタバレ

101匹足利尊氏

★★★★★ 4.3

『ゴジラ』が食い散らかしたテーマをSFとして総括した力作。

人類&ビルサルド&エクシフの三種族共同戦線が、
怪獣化した地球の奪還を目指してゴジラに戦いを挑む“アニゴジ”三部作の最終章。

昨今の世界における怪獣映画の再興については、
童心に戻って怪獣を楽しむ気持ち半分、斜に見る気持ち半分。
そんな捻くれた私にとっては、『ゴジラ』映画が繰り広げて来たお祭りの中で、
怪獣とは?怪獣退治とは?ゴジラに通用するのは科学か?伝承か?人類はどうあるべきか?
等々、整理されぬまま散乱したテーマを、硬派なSFの枠組みで、
角度を変えて諸要素を考察したりして、再構築を試みた本劇場版シリーズは、
有意義な思索に耽ることができた刺激的なSF映画鑑賞でした。

最終章はバトルそっちのけで時に心象世界も交えた
哲学的な問答が応酬される場面が特に多かったのですが、
私は食い入るように見入ってしまいました。


ただ、やはり明快な怪獣映画として観るのは全くオススメできません。
だって三部作通じて例えば……
{netabare}ビル群や名所を破壊するゴジラの勇姿が観たい。
都市じゃない二足歩行のメカゴジラが観たい。
この世界の物理法則に則った、首だけじゃなく、ちゃんと胴体もあるキングギドラが観たい。{/netabare}
こんな『ゴジラ』ファンとして求めて当たり前の権利すらSFに蹂躙されるw

第一部・人類の知恵と勇気、第二部・マッドな狂気を含んだ科学と
ゴジラに立て続けにぶつけて、
特に第三部に至っては、カルトな狂信を含んだ宗教が出張って来るわけです。

私としては、カルトじみた宗教の描き方にしても、
人類文明が説明できない現象をカルトと断じるのは、
人類がその現象を理解できるレベルにないからである。
さらに進歩した文明は神への信仰による奇跡をも数学的に説明できる。
などとキチンとSF設定として組み上げられており、
それらを骨組みにして具現化した脅威(即ち{netabare}ギドラ{/netabare})には、
背筋が凍る迫力を感じました。

けれどSFに興味ない方にとっては、怪獣プロレス見物に胸躍らせて劇場に足を運んだら、
怪しげな宗教勧誘ビデオを見せられたwといった感じでトラウマにすらなりかねないので、
鑑賞の際は、自らの視聴動機と本SF映画との
折り合いの目処を立てて行くのが必須だと思います。


本三部作を展開した時期も尚早だと感じました。
例えば、魔法少女が消費し尽くされ、ブームも底を打った所へ、
諸要素を逆さに見たり、SFも交えて再構築してみたりすれば、
それはブレークスルーになり得ます。

が、『ゴジラ』の場合は、2014年に二度目のハリウッドリメイクが成功し、
2016年に日本で『シン・ゴジラ』の大ヒットがあって、
2019年公開予定のハリウッド版続編『~キング・オブ・モンスターズ』と
再興した怪獣映画の収穫期へと向かう上り坂の途上。

そこでゴジラの周辺に転がった諸々のテーマをSFとして冷静に振り返っても、
ゴジラに熱狂していく人々にとっては水を差されかねないタイミング。
私も怪獣バトル要素が悉くお預けにされて、
これは興行的には上映前に予告編が打たれた『~キング・オブ・モンスターズ』が
全部持って行くパターンかな?と苦笑してみたりw


とは言え、再興した『ゴジラ』ブームもやがて踊り場に至り下り坂に向かうでしょう。
パーティーの後で、取り残された人々の耳元に、
実はこんな渋いSFゴジラもあるんですよ♪と囁いてみる。
本作はそう言うポジションの映画だと感じますw

だから私としては本作を良作SFとして評価し語り継ぎつつ、
来たるべき終焉の時を待ちたいと思いますw
(但し怪獣映画ファンの端くれとしては、ブームの終わりは勿論来て欲しくないので、複雑な心境ですw)


以下、一部、時事ネタや私見も交えたキワドい感想&考察長文。

{netabare}人類文明の過ちが怪獣を生んだのではない。
そもそも人類は怪獣を生み出すための前座に過ぎなかったのではないか?

冒頭から虚淵玄氏&ニトロプラスとその一味による
逆からテーマを再構築する伝統の捻り技に脳汁を分泌させられた最終章。

前作で提示された決して倒せないからこそ怪獣という視点も交えつつ、
加速するSF設定はやがて、文明とは興隆と栄華の果てに
怪獣を生み出し滅び去ると言う宇宙観に到達。
主人公は無敵のゴジラとの死闘に加え、
エクシフの信仰や宇宙観から滅びの運命を受け入れ、心地よい終焉を迎えるよう迫られ、
心身共に過酷な状況に追い込まれる。
次第に、主人公はゴジラ相手に単純な勝ち負けとは異なる道。
敗北する運命との向き合い方等を自問するようになり……。


世界にとって普遍的な文明論を投げかける一連の流れの中で、
私が異彩を感じたのは、主人公とエクシフの司教が心象世界で対峙する中で、
やがて破滅する運命にある文明のイメージとして、
“ヒロシマ”や“ナガサキ”を連想させる入り組んだ島国と思しき地形に炸裂する
原子爆弾のキノコ雲と言う、ローカルな題材が提示されたこと。

日本人にとっては“ヒロシマ”や“ナガサキ”は確かに進化し過ぎた文明がもたらす
悪夢や破滅の代表的なイメージです。
ところが世界にとっては、ある人は“ヒロシマ”や“ナガサキ”の悲劇の詳細なども知らなかったり、
原爆など大きな爆弾程度の認識だったり……。
さらに一部の戦勝国(と思っている方々も含む)にとっては、かのキノコ雲、
特に日本に上がったそれは勝利確定や解放の祝砲だったりもします。
先日も、キノコ雲に抱くイメージの相違に起因する騒動が持ち上がったばかり……。

さらに本作はエクシフの司教への抵抗として、
モスラがエノラ・ゲイと思しき重爆撃機を撃墜する、
一部米軍遺族等にとっては噴飯物?のイメージも展開。

そして葛藤の末、披露されたラストの、
美化された特攻映画の如き?ゴジラへの単機突撃。

こんなローカルな日本のネタや思考法で、
普遍的なテーマをNetflixを通じて世界へ発信しても、
一体どれ位の方が理解してくれるだろう?と訝しんでいた私ですが、
やがて『ゴジラ』は日本のローカルな土壌から生まれた作品だと、
スタッフは暗に主張したかったのでは?との仮説も芽生えて来ました。


そこで私が思い出すのは初代『ゴジラ』
水爆実験による第五福竜丸・被爆事故から着想を得たという製作エピソードの流布により、
進歩した人類科学文明による環境破壊への怒りを具現化した
反核怪獣映画とのイメージが一般化している初代『ゴジラ』

ですが私がもう一つ重視するのは昭和二十九年という製作・公開年代。
米軍の焼夷弾により東京が焼け野原と化してから間もなく十年。
東京の街を眺めると一見綺麗で、戦後復興も順調に進んでいるように見える。
けれど敗戦の記憶は未だ人々の心に燻り続けている。

どうにか心の荒廃をなだめて、取り繕った東京の街並みが、
ゴジラによって再び破壊され火の海となる惨劇。
展開される地獄絵図はまさに十年前の大空襲の再来!?

これはもう日本人は敗北や喪失に対して狂気するか、達観するか、墜ちるか。
もはや悟りでも開くしかない、いたたまれない心境。

この敗北感の二段重ねもある点こそが、
私が未だに『ゴジラ』映画は初代が原点にして頂点と信じる理由の一つ。

当時鑑賞した900万人超の日本人がゴジラに抱いた原点の絶望感を説明し切るには、
敗北を重ね、追い打ちをかけられたと言う、
二次大戦での敗戦経験も含めた日本人のローカルな心情の表現が欠かせないのではないか?

こうした視点に立った場合、
一度ゴジラに敗れて地球を追われた人類が再戦を挑んでは跳ね返される。
という敗北を重ねる基本設定の上に、
敗れ続ける人々の心境を日本人特有の?敗北感や死生観も交えて、
ラストに向けて最大化させていく構成は、
これも、ある意味、『ゴジラ』の原点をリスペクトして
世界に向けて誤解や白眼視も恐れず発信した、
勇気ある試みだったと私は受け止めています。{/netabare}

投稿 : 2019/09/21
♥ : 25
ネタバレ

ninin

★★★★☆ 3.7

原始に還れ

上映時間 90分 3部作の3作品目

地球に出現したゴジラたち怪獣に占拠され宇宙に逃れた人類が、異星人の力を借り再び地球を人類ものにするため地球へとゴジラを倒しに行くお話の最終作品です。

シアター内の重低音の反響、そして圧倒的な大迫力のゴジラを観たい方は、映画で観ることをオススメします。

他の怪獣が形を変えて出てきますね。今回ももちろん出てきました。

お話は、細かいところは難しかったのでその部分はあまり考えずに観ていましたが、会話が多くバトルが少なかったため、ちょっと拍子抜けしましたね。

私的にはバットエンドでした。{netabare}(結局ゴジラを倒せず、原住民や一部の人類生き残り、主人公・ヒロインは色々なことに関わりすぎたためゴジラに無理に突撃して死んでしまう。寂しい最後でした。){/netabare}

最後に、今回も友人2人で観に行きました。ちょうど観たい時間がなくて、結局22時上映(その前が16:50〜)の回を観ましたが次の日に響きましたw

投稿 : 2019/09/21
♥ : 17
ネタバレ

根越 詠汰

★★★★★ 4.4

勝つ事と負ける事、人の救いとは?

 前作でゴジラを倒す機会を目前に思いとどまったハルオ、これからどうなるのかなぁなお話です。

 これまであの手この手で、戦いを挑んだけどもうだめ状態、ハルオたちに広がる中、遂に行動を起こした最初からいたメトフィエスだったです。
 あからさまに怪しそうな振興で、言葉巧みに生き残った人たちを誘導する姿は、正に宗教ぽかったです。

 前作でメトフィエスがハルオにつぶやいたギドラ、どうやって出てくるのか?見どころです。黄金の終焉って???。{netabare}神の名は、ギドラ??。
 非科学的としか言いようのない、まるで召喚みたいだったです。さらにここまでくると何でもありな感じです。

 出てきたギドラ、胴体がなく異空間?宇宙から首だけ伸ばしてくるので、有名なキングギドラとは異なりすぎるです。それが三つも。全く新しい怪獣で更に実態をつかめないのだから、ゴジラ今度こそな状態だったです。ちょとしたギドラの全身の影はあったけど、ゴジラとの戦いの置いては出なかったです。{/netabare}

 メトフィエスがハルオに問いかけること、それぞれも刮目だったです。メトフィエスの言う救いをハルオが受け入れるのか?、自分自身に向き合い、いままでとこれからに気づくシーンはどのような光景をこの先もたらすのだろうか?です。

{netabare} ギドラが脅威過ぎて倒すはずのゴジラを応援したくなってしまう光景は、どうなってんのか?と思えたけど・・・・です。この戦いの行方は、見てのお楽しみです。

 エンドロール前のハルオの行動?ゴジラ倒せたのかなぁな?謎な感じだったです。

 一番最後を見ると、一応平和になったのかなぁだったけど、{/netabare}どこか謎の残ったアニメ版ゴジラに私は思えたです。

投稿 : 2019/09/21
♥ : 7

89.8 3 君の名は。(アニメ映画)

2016年8月26日
★★★★★ 4.2 (2095)
8676人が棚に入れました
新海誠監督による長編アニメーション。

千年ぶりとなる彗星の来訪を一ヶ月後に控えた日本。
山深い田舎町に暮らす女子高校生・三葉は憂鬱な毎日を過ごしていた。
町長である父の選挙運動に、家系の神社の古き風習。
小さく狭い街で、周囲の目が余計に気になる年頃だけに、都会へのあこがれを強くするばかり。

「来世は東京のイケメン男子にしてくださーい!!!」

そんなある日、自分が男の子になる夢を見る。
見覚えのない部屋、見知らぬ友人、目の前に広がるのは東京の町並み。
念願だった都会での生活を思いっきり満喫する三葉。

一方、東京で暮らす男子高校生、瀧も奇妙な夢を見た。
言ったこともない山奥の町で、自分が女子高校生になっているのだ。

繰り返される不思議な夢。そして、明らかに抜け落ちている、記憶と時間。
二人は気付く。

「私/俺たち、入れ替わってる!?」

いく度も入れ替わる身体とその生活に戸惑いながらも、現実を少しずつ受け止める瀧と三葉。
残されたお互いのメモを通して、時にケンカし、時に相手の人生を楽しみながら、状況を乗り切っていく。
しかし、気持ちが打ち解けてきた矢先、突然入れ替わりが途切れてしまう。
入れ替わりながら、同時に自分たちが特別に繋がっていたことに気付いた瀧は、三葉に会いに行こうと決心する。

「まだ会ったことのない君を、これから俺は探しに行く。」

辿り着いた先には、意外な真実が待ち受けていた…。

出会うことのない二人の出逢い。
運命の歯車が、いま動き出す

声優・キャラクター
神木隆之介、上白石萌音、長澤まさみ、市原悦子、悠木碧、島﨑信長、石川界人、成田凌、谷花音
ネタバレ

Progress

★★★★★ 5.0

夢の儚さを越えて二人は繋がる。

見終わった後、私は夢から覚めて、まどろんだ時ようなな気持ちになりました。

あのシーンの背景が良かったとか、あそこのスピード感が最高だったとか。
でも、その記憶は、強く「覚えていよう」と思い、まるでこれは面白い夢から覚めた時と同じじゃないかと。

でも、人の記憶は曖昧で、全ての良いシーンを覚えておこうと思っても、次第にディテールが失われていきます。
やがて夢の記憶は、「面白い夢をみた」に代わり、そして夢をみた事をも忘れていく。

時間に対して夢の中の記憶はあまりにも儚い。

この作品はそんな弱い繋がりで繋がった瀧君と三葉の物語です。



感想
{netabare}

【演出】
二人の入れ替わり生活が始まるときに曲が入り場面の切り替わりのスピード感は新海監督らしい演出。

二人の入れ替わり生活とは別に強く印象に残っているのは
時間が100倍速になった感じで都会の光や信号が光を放つシーン。
これは時間の経過を示しているのでしょうが
その綺麗さが強烈に印象付けられました。

また、夢の中の出来事という作品の設定のように
幻想的な美しさが視聴者を夢と現実の境界線に引き込んでくれます。

三葉の人生が瀧に見えたときのシーンもグッと来ました。何でだろう?
人の生き死にに涙もろいのかな。
あのシーンは母親との直接的な繋がり(へその緒)や親との別れ、家族の濃い「人と人の繋がり」を感じてしまったからでしょうかね。

【展開】
「瀧君、覚えてない…?」という三葉のシーンは本当に胸が痛くなりました。
3年後の瀧君にとってはずっと前から繋がっていた。三葉にとってはようやく繋がった。
だけど瀧君はこのときはまだ知らない、三葉は不審そうにこちらを警戒する瀧君に思いを伝えられない。
「二人が会えた」「繋がった」という嬉しさと同時に
勇気がでずに思いを伝えられない三葉の姿に自分を重ねてしまいました。



【キャラ考察】
瀧君がクレーターの上で君の名は!と涙ながらに叫んだ気持ちがわかってしまう。
大切な人に会いたいと、思いが募ると、苦しくて、吐き出したいなにかが心のなかにたまってきて、自然と涙が出てくるんですね。

三葉の境遇について
母親を幼い頃に亡くしていて、それをきっかけに父親が神職をやめて離ればなれとなっています。
離れて暮らしながらも、政治というなにかと目立つ仕事をしている父親のせいで
学校で本人の意思とは関係なく少し浮いてしまう三葉。
そんな狭い村社会に嫌気が差してどこかに逃げたい気持ちでいる時に起こる入れ替わり。
三葉にとって入れ替わりは逃避になり得た(まさに夢に逃げる)のですが
突然終わる入れ替わりは、夢の終わりであり、それは自分の逃げ場所がなくなったともいえます。
夢の続きが見たくて。そういう気持ち(逃避)、わかります。
東京にいるはずの瀧君に会いに行き、あの日々の続きがみたい。
でも、せっかく会いに行ったのに瀧君は三葉のことを知らなくて、繋がりの喪失を感じてしまった。
(ですか、ここで過去と未来を繋ぐ糸を渡したシーンの懸命さや、その糸が忘れかけた瀧君と三葉を繋げてくれた意味を持つアイテムであることの重要性が「繋がった!」と嬉しさを感じさせます)

その後の三葉の行為は、瀧君への思いをたちきりたくての髪を切る行為だったのでは。(切るということは思いや繋がりをたちきりたいための行為?)(夢の終わりが夏祭りの近くの日、つまり、一般的には夏の終わり近くです。夏の終わりの儚さと夢の終わりの儚さをかけているのではないでしょうか)

また、三葉が夏祭り前に暗い部屋で涙を流すシーンには、喪失感を感じ、失恋等のなにかを失う出来事を思わせました。


その後の彗星の衝突により、三葉は現実の問題と向き合い乗り越えることができました。
瀧君の残した「すきだ」が現実と向きあう最後の勇気をくれたのかもしれません。

そして、瀧くんにとっては、一生忘れられない体験であり
忘れられない繋がりだったのではないでしょうか。
それが記憶がなくなっても四年後も繋がりを求めていた理由かもしれません。
忘れたくないと思っても忘れてしまう、だけどどこかでおぼえているその繋がりのことを。
だから、これはなくなってほしくないという、繋がりの肯定なのではないかな。
【美術】
新海監督の作品は見たり見なかったりなのですが、背景の綺麗さは今作もすばらしかったです。
田舎のゆったりとした風景にはそこに溶け込めそうな気分にさせてくれました。まるで、その場所が自分の帰る場所のような。

都会の朝の風景はどこか孤独だけどエネルギーを感じます。
夕方の忙しそうな風景には少し寂しさがあって、早く帰りたいな、そんな気持ちにさせてくれます。

季節感も夏に始まり、春に終わるという、季節ごとの綺麗な風景を描いてましたね。

最後に桜さく路地の階段で二人が出会うシーンも、優しさと暖かさをリアルに感じてとてもよかったです。


【記憶が失われる設定について】
多くの人がここについて指摘してきました。
ですが、私はレビューの最初に書きました通り、夢だから、でストンと納得しています。
作中で夢をフォローしているシーンがあるのは覚えていますか?
三葉の祖母が三葉(瀧くん)に「三葉、お前、今夢を見ているな」と言う印象的なシーンです。
また、三葉も「夢の中で見たあの人の名前が思い出せない」と言い、友人を困惑させます。
それはそうでしょう。普通のひとはそんなことを非常時でも平常時でも口に出したりしません。
共通認識として「夢の中の内容は忘れやすい」ということがあるからです。
ですので、スマートフォンの中の日記が消えていくあの表現や、
二人が御神体のクレーターで出会うシーンが、
夢と現実の境界線が曖昧な時間や場所を表現していて
見た人間も、夢と現実の境界線にいるようなそういう作品だと思っています。

【朝、目が覚めるとなぜか泣いている】
印象的な導入のセリフです。
二人の繋がりを失ってしまったことを自分の中のどこかが泣いている。
そして、それにとりつかれているようになってしまっている。
私はそうやってどこかに繋がりを探すような感情を現す言葉は知りませんが
自分のどこかに、よく似た感情があると確信があります。
それが、私の心にズキズキとした胸騒ぎを起こしてくれます。

【総評】
色々書きましたが、瀧君と三葉のような10代の気持ちや考え方を上手く描いています。
君の名は。でとめていますが、これは相手への問ですよね。
相手の名前を知らないからこそ尋ねる(訪ねる)。
そして相手の事を知りたいからこそたずねる。
相手の事を知りたいという感情をエネルギーにして伝えてくる作品でした。

また、人と人の繋がりを感じる、もしくは、心の中のどこかにあるつながりを求める感情を肯定する物語だったとまとめさせていただきます。

【蛇足】
三年前の瀧君と三葉が東京でであったとき、二人の糸はどう繋がったのか、一瞬はまりかけました。
二人の糸は絡みあって大きなわっかを作った。そんな思いです。でも始まりはどこかよりも、今と未来の彼らが気になって(笑)

キービジュアルの瀧と三葉が東京の坂で振り返って見つめる絵って
ラストの5年後の二人を、であった頃の高校生の姿に置き換えているのかも?
これが「出会い」の絵なのか「再会」の絵なのかちょっと気になって面白い。

幻想的で儚さのある二人の奇跡の繋がりと、現実の繋がり。
ラストで二人の繋がりを現実の繋がりにすることで生まれる嬉しさ。
なぜだろうか?多分、二人が求めていたその繋がりは、人間が奇跡を信じたい気持ちの肯定だからでしょうか?

{/netabare}

ストーリー考察?(繋がりを軸にストーリーを考えてみました。)
{netabare}
三葉の祖母が、糸に例えて人と人の繋がりを話しました。繋がって、絡みあって、離れて、近づいて、また繋がっていく。その繋がることを結びという。

瀧と三葉の関係もまたそうでした。夢で繋がって、入れ替わりを繰り返して二人の糸は絡みあう。
入れ替わりは突然になくなる。突然糸が切れたように。
三葉のいる場所は時間を越えて遠く離れた場所だった。
真実を目にした時、三葉との思い出は一瞬で消えていき、崖から突き落とされたようなスピードで二人の距離は離れていく。(二人の距離が明確に離れていくことに儚さや悲しさを感じました)
でも、瀧は「そこにいかなくちゃいけない」という自分でもわからない使命感に押され御神体のある場所へ
三葉のいるかもしれない場所へ近づいて行く。(確信のない行動です。しかし、そこには記憶という曖昧な繋がりよりも、もっと深いところでの繋がりを感じます)

そしてまた入れ替わり、二人はお互いを自分の体で出会う。
今まで顔を合わせて話したかったことをいいあって、笑う。(ようやく、もがいてもがいた結果、出会えたという喜びを感じます)

互いの姿が見えなくなって、名前を忘れた瀧は叫ぶ。
「君の名前は!」忘れちゃいけない大切な人を思い出せない苦しさで一杯になる。(本気で相手の事を求めるシーン、記憶がなくなっても、もっと深いところからの欲求です)

名前は思い出せない。でも誰かが大切なことは覚えてて
誰かが思ってくれていることが「すきだ」という言葉からわかる。だから三葉はやりとおせた。

そして時が流れ、あの時間の記憶もなく、あるのはかすかな心残り。
どこかに大切な繋がりがあるような。

冬が終わり春が来る。
二人はまた近づく、自分の中の心残りの先にある繋がりを探して。
そして出会い、ずっと探し続けてきた繋がりだと信じて問いかける。「君の名前は」。
(最初のシーンと繋がる。どこかに特別な繋がりがあるという不思議な感覚。ラストはなんとなくわかるという感情の肯定が、とても心地いい)
{/netabare}


2018年1月3日 地上波放送を見て。
{netabare}
本当は追記する予定はありませんでした。
でも、見たら、自分の中に生まれた何かを書きたい衝動を抑えられなくて、
書こうと思いました。

今回の再視聴で感じたのは、
繋がりが消えることの悲しさでしょうか。
どこか身近に感じていた、繋がりの断絶。
私が繋がりの断絶を感じたのは、福島なんですが、
レビューを社会派にする気はないので詳細は伏せます。

それは、人間の営みの断絶であったり、人の関係の断絶。
繋がりが消えてしまうことへの悲しさ、つらさ。
そういったものが多分糸守町の消滅、三葉と瀧の入れ替わりの終わり、
そういった作品世界の出来事から、私はいつも感じていたこと、
繋がりの断絶を感じていました。

繋がりの断絶と同時に、繋がりを求める声も同時に感じました。

三葉が瀧に会いに東京に出た時も、瀧が三葉の名前を忘れて叫んだ時も、
繋がりを求めるその行動、その思いが、私には、
無くした繋がりを取り戻したい気持ちを感じて、
どうしようもなく、泣いてしまいました。
(すこし安っぽい表現ですが、実際少し泣いてます。
多分泣いた理由は、登場人物達と同じ理由で、
繋がりを求めたから、でしょうかね。
多分これが、共感何でしょうね。初めて実感出来たかも)

こんな瀧君のセリフがありました。
「今はもうない街の風景に、何故ここまで胸を締め付けられるのだろう」
心のどこかで糸守に繋がりを感じている瀧君。
私も、どこかで知らない街の知らない人の営みに、
繋がりは感じないまでも、営みの中にある繋がりを見て、
親近感を感じたりするのです。
それは人と人の繋がり、人と土地の繋がり、繋がりの中で生まれた営み、
そういったものを、私は求めているのだろうし、
大切にしたいし、失いたくないと思うのです。

だから、この作品を再視聴して、このレビューは、
完全に私の感想であるのですが、
私が求めていた繋がりを描いてくれているし、
私が恐れている繋がりの断絶も描いてくれている。

だから、私は、この作品が好きなんでしょうね。



{/netabare}

投稿 : 2019/09/21
♥ : 133
ネタバレ

shino73

★★★★★ 4.3

世界はきっと美しい

売り上げや動員数ばかり、
話題になりますが、
映像クリエイターからすれば、
青春期というものは創作の大きな源泉です。
初々しくも華やかな青春を、
美しい風景とともにまとめ上げた手腕は、
評価に値すると思います。
多くの大人達もどこか自分に合わせ、
追体験できたのが大きかったのでしょう。
大事な人、忘れたくない人、
僕たちにも想い出はあるのですから。

少年少女は生きる上で、
「喜怒哀楽」の純度が高い。
強く生きること深く愛すること。
その一瞬をフィルムに収める。
少女の全力疾走はいつだって感動しますね。

糸守町の歴史と組み紐の教え。
宮水神社に伝わる伝統儀礼。
{netabare}夢の中で入れ替わった2人は、
不思議な体験を通じ心の距離を近づける。{/netabare}
古来より継承されてきたものが出逢う引力となる。
素敵な出逢いが訪れますように。
これは星が降った日の奇跡の物語。

眼差しは低く、志は高く。
留めておくのが難しい美しい一瞬を、
美しいと感じれる自分がまだいて良かった。

投稿 : 2019/09/21
♥ : 136

scandalsho

★★★★☆ 3.8

作画はきれいだった。もの凄く!だけど・・・、

物語としては、『見終わった後に何も残らない作品』という印象。
個人的には『この世界の片隅に』、『聲の形』の圧勝だな~。やっぱり。

様々なSF要素の詰め合わせは、アニメ初心者には斬新に見えるでしょう。
だけど、私には目新しさよりむしろ、矛盾とご都合主義が気になってしまう。

普段アニメをあまり見ない人たちがこぞって見に行った結果が、空前の大ヒットなんでしょう・・・。
まあ、私のようなアニオタがこぞって見に行ったくらいでは、あそこまでの大ヒットにはならない。
『素人をいかに取り込むか!』
この部分に特化した作品ということなのでしょう。

最後に。
やっぱり声優はプロの声優さんに任せるべきだと思うんですよ!
誰とは言わないけど、ひどい人がいた!

投稿 : 2019/09/21
♥ : 105
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