グロテスクで東京なおすすめアニメランキング 4

あにこれの全ユーザーがおすすめアニメのグロテスクで東京な成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年05月07日の時点で一番のグロテスクで東京なおすすめアニメは何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

79.0 1 グロテスクで東京なアニメランキング1位
チェンソーマン(TVアニメ動画)

2022年秋アニメ
★★★★☆ 3.8 (637)
1846人が棚に入れました
『チェンソーの悪魔』ポチタと共にデビルハンターとして暮らす少年デンジ。親が遺した借金返済のため、ド底辺の日々を送る中、裏切りに遭合い殺されてしまう。薄れる意識の中、デンジはポチタと契約し、悪魔の心臓を持つもの『チェンソーマン』として蘇る──。
ネタバレ

アニメアンチの憂鬱 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4

死亡フラグにご用心

前評判がいい人気アニメ予備軍。
ジャンプ系アニメの特徴としてやはり作画は良いようであり、
ジャンプ系にしても作画系にしても、当方とは相性が悪いという法則は鉄板でありましたが
本作は案外大丈夫であった模様です。

※初回視聴の印象はスプラッターごり押しでくるような気がしましたが
意外にもごり押しと言うほどでもなく、設定もかなりしっかりしていることが判明したため
最終的に物語とキャラ評価を3.5に上方修正いたします。

●天使と悪魔の思想的シーソーゲーム
見逃そうかどうか迷った挙句、やはり{netabare}「天使の悪魔」に言及しないわけにはいかない
という結論に至り、この話をする次第にございます。

かくして芸能界の起源がヤクザにあったように、金融業の起源は【古代バビロン】にあり、
そして悪魔の起源は天使にあったわけです。

その詳しい事情については今回は割愛しますが、要は「天使」と「悪魔」の関係性を
把握すると色々と見えてくるものがあるという話であります。

①「Engage kiss」②「金装のヴェルメイユ」③「Angel Beats!」④「〇〇〇〇〇〇〇ム」
①と②はヒロインが悪魔という設定ですが、特に主人公にとっては「悪魔」どころか
むしろその真逆の「天使」のような存在として描かれています。

天使と悪魔とは相対的であり、そしてある時にはそれがひっくり返るというそういう相関関係があると示唆しているようにも思えるわけであります。

本作における「ポチ太」も主人公にとってはむしろ救いの存在でありました。
そうして悪魔のポチ太は主人公に心臓を提供することにより彼と融合するわけですが、
それは②の作品と同様の展開でもあり、①の作品では主人公は悪魔のヒロインと
同じ「記憶」を分かち合う関係となります。

③と④はタイトルの意味合いが同じもので、「心臓」や「命」更には生命の営みと
関係性があるものであると言えるのではないかと思います。

このような関連するであろう作品が暗示している「未来」と本作主人公の進むべき「未来」とは
リンクしており、主人公がこの先目指すであろう「天国」のような「楽園」の在り様や
そこに至るまでの【生存戦略!】を示唆するところ大いにあるように思えてきます。

「未来」や「融合」と言った {/netabare} 裏テーマが本作の続編でも重要な要素になり得るように思います。

●誰も知らない≪数字≫物語
狐先輩と両名はリベンジ達成を祝してのパーティーを開くため買出しに出かけます。
その途中で公園に立ち寄った時刻は{netabare}5時40分、時計の針は【5】と【8】を指します。
【5】+【8】=【13】

パーティーが始まった時刻は6時55分、時計の針は「7」と「11」を指します。
7+11=【18】

ビールを片手に持つ狐先輩を指差し相方Pが何か喋っている、その時刻は7時28分頃
時計の針は「7」と「5.5」付近を指します。
7+5+5 に 「1」本指の数を足し7+5+5+1=【18】

用意した食料を食べつくした時刻は19時57分
19+57=67 → 6+7=【13】

【18】は【666】でもある【土星】に由来する数字であります。

【8】【5】【13】は金星に由来する数字であります。
これら数字の意味するところは惑星の公転周期と関係しております。

「地球」が公転運動で【8】周回る間に金星は【13】周公転します。
その際に地球と金星が太陽に向かい一直線で重なる回数が【5】回ということであります。

周回運動の際の地球と金星が重なる点の5カ所を線で結んだ図形により
表されたものが【☆】=【五芒星】であります。

「星に願いを」という歌があるように「※願い」と言えば自然に【☆】が思い浮かび
だからこそ「※願い」と【☆】に関わる数字には必然的とも言えるほどの結びつきがあり
故に本作の様々なシーンにおいて【☆】に関する数字が示されていたものであると
考えられるわけであります。

【☆】はいたるところで見受けられます。
米国の星条旗や中国の国旗、特にベトナムの国旗は「【金星】紅旗」とも呼ばれていますが
名前の通り【金星】が由来ということになるのでありましょう。

「サッポロ☆ビール」の商品のロゴにもなっていますが、
同社の製品【ゴールドスター】もまさに【金星】由来であるわけであります。

【8芒星】は【金星】でもありますが、別の意味も持ち合わせています。

【金星】のことを【ヴィーナス】と呼ぶことがありますが、
【ヴィーナス】とは女神、美の女神を表す言葉であります。
ということで、【8芒星】には女神という意味合いも含まれているのであります。

以上のことを踏まえ考えてみますと
狐先輩の【金球】を【8】回蹴ったあの騒動には【8芒星】が示す「女神」の存在が
関係していたという予想が成り立つわけであります。

【☆】や【✡】に関する数字が何度も示され各シーンで機能していることと
米津氏が関わったOPソングにある「ビュティフォスター」という歌詞とは
完全にリンクしてることからしても、すべては偶然ではなく
意図的に仕組まれた必然であるという結論にいたるわけであります。

物語はいくつかの謎を残しつつ幕を閉じてしまいましたが
最後に裏設定的な【☆】に関わる数字を検証することにより
謎の解明につながるものが何かないか、確認していきたく思います。

狐先輩が契約した【未来】の悪魔には、他に契約した者が2名いるとのことであります。
未来の悪魔のいた部屋の番号は【108】ですから
【18】=【666】という数字に関係があるという予測が成り立ちます。

【666】は3人の契約者に関係する数字であるならば
それぞれは【6】によって示されるのではないかと考えられるわけであります。

狐先輩は【キツネサイン】で【6】を表していましたが
同じように【6】を表示していた人物を見つければいいということなのかもしれません。

コベニ後輩は「永遠の悪魔」の登場回でダブルピースのサインを表していました。
数字としては「4」で、あと「2」足りません。

そこで気になるのは彼女の赤い髪留めが相方Pの2本の角の形になんとなく似ていることであります。
ということで、4+2=【6】という計算式が成り立つという可能性も十分考えられます。

コベニ後輩の契約している悪魔について本編ではまだ明らかにされていないことも
気になるところでありますが、彼女は経済的な問題を抱えているらしく
よって拝金主義的な側面があると言えるのかもしれません。

拝金主義者は【666】のOKサインに一致する「銭ゲバサイン」と所縁が深く
よって【6】との結びつきはかなり強い有力候補であるということになるでしょう。

1つ気になることは、コベニ後輩には姉がいるという話でありまして
本編には登場していませんが、妹によく似ている例えば双子だったりするなら
実は姉が【6】の契約者であるということも考えられたりもします。

だとしても姉本命説の信憑性を確認しようにも現状では情報が全くないので
これについては続編を見ないことにはどうにもならない話であると言えます。

もう一人の【6】の候補はマキマであります。
彼女の執務室が【6】階にあるのにはやはり何かしらの意味合いがあるようであり
【土星】=【✡】を想起させる【リング】に関係する描写が多いことからしても
契約者の可能性はかなり高いように思います。

血の魔人(=相方P)は魔人故に悪魔と契約できないルールになっているとのことですが
彼女が魔人となる前に既に契約していたとか言う話ならば、
もしかしたら成り立つのかもしれません。

彼女もダブルピースと頭の2本の角で【6】を表していたシーンがありましたので
可能性は少ないながらも候補の一人と言えなくもないのかもしれません。

未来の悪魔との契約者以外にも、鼠の話ややたら「木」の描写が多いことなど
{/netabare}気になる点は色々ありますが詳しいことは続編に乞うご期待!というオチでございましょう。


☆学歴ないと言われても、「大【金星】」はたまにある
狐先輩のチャイニーズレストランでの回想シーンで、眼帯先輩は煙草を{netabare}「2」本の指で挟み差し出す
という【Vサイン】の様なハンドサインを示しました。
数字で考えると「2」になるかと思います。

狐先輩の行く手を阻む幽霊は、突如【5】本の指を開いて煙草を差し出します。
それは恐らく眼帯先輩の最後の「※願い」が幽霊に反映されたものでありましょう。
「ゴースト≪ハンド≫」の指の中の「1」本の煙草に「※願い」を込めたのであります。

数秘術を逆算的に考えるなら「※夢」や「※願い」は【5】か【8】に関係するだろう
という発想で行けば計算式は比較的容易に導き出せます。

幽霊を媒介とした眼帯先輩の「※願い」の数字の「公式」は
2+5+1=【8】となります。

次のコベニ後輩の「※願い」に関するシーンは「蛇使い女」との合わせ技であります。
何故か唐突に狐先輩は後輩に公安残留の理由を聞きます。
(彼女の「※願い」はボーナスであります)

刃物を持ったコベニ後輩の指は(眼帯先輩の煙草のシーンと同じく)「2」本の指を
立てた状態にあります。
そして「蛇使い女」は、①「蛇、丸呑み」②「蛇、尻尾」③「蛇、吐き出せ」の「3」回
の命令により爪が剥がれた指が「3」本という状態にありまして、
コベニ後輩の「2」本と蛇使い女の「3」本を合わせると指は【5】本になります。

【8】が出て次に【5】出たならその次はそれに関係する【13】が出るかもしれない
という見込みで今回も計算式を逆算的に導けばいいわけであります。

恐らくは死闘を繰り広げた成り行きの結果だと思われますが、
ゾンビの腕の部位がエレベーターの中の相方Pの腕にしがみついた状態で残留しております。
相方Pはそのゾンビの腕の「指」に対して「自分の指」を絡み合わせるような
(フィンガーtoフィンガー)形でゾンビの指をはがし腕を引き離し、これに齧りつきます。

肉欲的肉食行動は魔人である相方Pの潜在的「願望」の現れとも考えられますが
前述の合わせ技の発想で考えたらゾンビの腕の【5】本の指も関係
してくるような気がいたします。

相方Pは「7」階で降りて待ち受けるゾンビに猪突猛進していきます。
注目すべきはその際に「1」本指を立ていることでありまして
そして主人公に対して自分の雄姿を見せつけ
「PoweR最強伝説」を世に伝えるようにと声高に叫びます。

この行為には相方Pの「※望み」が現れておりまして
前に「侍剣士」の力に圧倒され敵前逃亡したのを主人公にディスられたことがありましたが
それの汚名返上のために、カッコいいところを見せようという意図が働いたものと推測できます。
ゾンビの指【5】+相方Pの指「1」+「7」階、すべて合わせて【13】になります。

方程式の「解」が【13】であることをまるで強調するかの如く
遂に主人公はラスボスが待ち受けるゴールの「階」にたどり着きます。

前回のエレベーターのシーンでは8階が最上階のように見えましたが
最上階まで行ける「当たり」のエレベーターは別にあったということなのかもしれません。

主人公とヤクザ孫が対峙するシーンでは、孫は主人公に謝罪を「望み」
両手を広げ5本×2の指を曝け出します。

その時ヤクザの子分2人の指はそれぞれ銃の引き金に
それに対して主人公はチェンソーのトリガーに指を掛けています。
広げた10本の指と3人の1本指、指の合計はやはり【13】であります。

ヤクザ孫が「望む」謝罪を突っぱねたことによりバトルが始まり
戦いの舞台は[急行 石井]の電車に移行します。

①急行=7+38+3+10+3=61 → 6+1=「7」(五十音図による数字変換)
②石井→1+4+1=「6」(「いしい」の発音を数字に語呂合わせ変換)

①+②=「7」+「6」=【13】

【13】という数字が「伏線」として機能しているならば
【8】+【5】の数式が意識されます。

勝敗が決した後、戦いの舞台であった電車はズームアウトするようにして
車両全体が映し出されます。全部で【8】両編成であります。

となると最後の仕上げは【5】でございます。

指あるいは「腕」が関係してくるのではないかという予想で
「腕」に注目するとそれぞれノコギリとソードがついているわけあります。

頭の装備を含めそれぞれ3本ずつで合計「6」本、
そして主人公は両手2本を切り落とされます。
6-2=4 ?計算が合わない??と思いきや
最後の切り札「1」本を脚に埋め込んで見事主人公は騙し討ちに成功というオチであります。
6-2+1=【5】

数秘術による伏線回収が完璧に決まりました。

そして最後には【13】日の【金】曜日が示すところの伏線回収で舞台に幕が下ります。
狐先輩の玉を【8】回蹴ったことが始まりであったなら
やはり【8】に戻るべきでありましょう。

主人公は玉蹴り大会の商品をハンドサインで表します。
【666】のOKサインは【18】でもあり【6】という風にも考えられます。

2人で1回ずつ蹴とばしたので【6】+「2」=【8】になるかと思います。

【8】とは何の数でしょうか?
それは【ゴールデンボール】の伏線が示す通り【金星】であります。
「ビュティフォ☆スター」とはこの☆のことを示していたというオチでございます。

そして物語の展開は【金玉】キック合戦の騒動の原因となったものに
収束していくのであろうという風に予想されるわけです。

【金星】{/netabare}に辿り着くまで予想外に手こずりましたがあともう少しで
ゴールに辿り着ける見込みであります。
もうしばらくお待ちください・・・


●その「目」、誰の「目」?
狐先輩と運命的出会いを果たした「【未来】{netabare}の悪魔」は【一つ目】小僧でもあり
【6】つの目を持つ存在でもあります。

【目】と言えば【土星】であり、【6】と言えば【土星】であります。
【土星】は「輪っか」を持つ天体ですが、「運命の輪」とは「現在・過去・未来」
を示すものでございます。

悪魔契約の条件は狐先輩の右目に住まう=巣くうということでありますが
狐先輩の右目を含む「目」の合計数は数は1+6+1=【8】となります。

「未来の悪魔」がいる部屋番号「【1】0【8】」即ち【18】とは
=【6+6+6】であり、つまり【666】を表すわけであります。
【666】というナンバーを厳密な意味で考えるとややこしいことになりますので
今はとりあえず一般的に認知されているところの「悪魔の数」であるということにしておきます。

アル中先生と主人公と相方Pの修行後のシーンに場面が切り替わりますが
先生はまたしても二人に「100」点をつけ、修行のペースを週一つまり「7」日に「1」回
でいいという風に言い渡します。
100+7+1=「【1】0【8】」

それに対して相方Pは地面に這いつくばりながらもダブルピースのハンドサインで喜びを表現しますが
ダブルピースの「4」と頭の「2」本の角を合わせた数は【6】であります。
「108」=【18】とは【6】からなる数だとここでも再び強調しているのが読み取れるわけです。

悪魔契約により狐先輩は「魔眼」の能力を身に着けますが、そもそもの【魔眼】のルーツとは
【土星】にあり、土星の第19衛星であるところの【プロメテウス】という名前
それが意味するのは「先見の明を持つもの」であります。

つまり「魔眼」とは【プロメテウスの目】であるわけです。
【プロメテウス】とは【ティターンズ】でありますがこの話については今回は割愛をいたします。

「未来の悪魔」の頭には「木の枝」のようなものが、他にも「つる」や
「根」のようなものが生えていますが、それらはOPで意味深に描かれていたことからして、
この悪魔はかなり重要な存在であると考えられるわけであります。

二人との修行後、場面はアル中先生とマキマとが密会をするための料亭的な所に移り変わりますが
その店の暖簾には「㊀」という文字が記されております。
「〇」の中に「一」の文字つまり「10」という数を示しているのだとしたら
その後に出てくる数は【8】であると容易に予想出来るわけであります。

案の定マキマは「4」課というワードを2回発し、合計でまたしても【18】という数が成立しますが
この時アル中先生の「右目」は盃に注いだ酒に映し出されるという形でクローズアップされます。

この「片目を強調する表現」はアニメに限らず至る所で繰り返されますが
「魔眼」即ち【プロメテウスの目】を表しているわけであります。
つまりここで【死亡フラグ】が「悪魔の数」と一緒に立ったということでございます。

そして「魔眼」は「先見の明」を表すわけですから、このシーンでアル中先生が「嘘つき」と
指さしたのも伏線であったという風に解釈できるわけであります。

次のシーンでは「侍剣士」と「蛇の女」が潜伏するビルの部屋の模様が映し出されますが
部屋の外には見張りが2名、部屋の中には例の2人と手下の6名、全部で10人
いるわけでありますからやはり【8】という数が意識されます。

ここでも予想通り、侍剣士が「4」課というワードに触れた後に
「蛇女」も「4」課というワードを口にします。

何が何でも【18】を作りに行ってる感が非常に強いような印象を受けます。

ということは、次の狐先輩と京都人の絡みのシーンでも【18】コンボを作りに行く
と考えられるわけですから車の搭乗者「3」名と関係するであろう数、
つまり「15」を探せばいいという話であります。

乗っていた車のナンバーは[東京 312 に 20-146]でありまして
「東京」を五十音図に従い数字変換しますと[20 3 7 40 3]
「に」は[22]になります。そしていつものお約束足し算であります。

[20+3+7+40+3]+312+[22]+20+146=573
→5+7+3=15
ここでも鮮やかに3+15=【18】の数字が示されるのであります。

次のマキマとヤクザ者のシーンはやや苦しいですが、一応やくざ者の総勢10名に
紙袋に入っていた「目」の数が約8個(実際は8個以上あったようですが)ほど
明示されていたということで概ね【18】的な感じでありました。

更にお次にはテロ実行犯が待ち受けている拠点のビルに対魔課のメンツが突入いたしますが
そのビルの階数は地下2階を含む8階建て、つまり全部で「10」階層ありますから
【8】を探せばいいということでありまして、狐先輩気の行く手を阻んだヤクザ者の総数が
6名、それに「蛇女」と吐き出した「幽霊」の合計で【8】コンボ達成ということでございます。

数字の話は特に計算式を導くプロセスがかなり面倒であまりに時間を消耗するのが
厄介であるため【18】の件はそろそろこの辺で差し控えようかと思いますが
京都からマキマが帰還した[4:45分]の時間にメッセージボードに表示されていた

(ひかり) 95(号) 17:55 広島(行き)
(停車駅)名古屋・京都・新大阪・岡山

これも数字転換して計算すると【18】になるという話でございます。

今回「数字解釈」の消耗戦に苦戦しつつも【プロメテウスの目】{/netabare}について言及できたのは
個人的には意義あるものと非常に自己満足しております。

●鬼教官アル中先生との「数字」遊戯
主人公と相方Pはアル中先生と出会い強くなるためジャンプお約束の過酷な修行が始まります。

アル中先生は2人に「3」つの質問をします。
質問の答えは2人×「3」つで合計6こになるはずですが
{netabare}1つは答えが同じなので答えの数は【5】ことなり
質問とその答えの合計数は3+【5】=【8】ことなります。
2人の答えを聞いた先生は≪素晴らしい「100」点だ≫と感激しますが
その数字が示すのは 8+100=【1】0【8】であります。

厳しい戦闘訓練により2人は負傷し出血を余儀なくされますが
アル中先生が持ってきた輸血用の血液充填により回復します。
その輸血用血液のパックに表示されていた文字は
[A 10-141-LR-2]であります。Lはアルファベット12番目、Rは18番目です。
よって数字変換すると
[A 10-141-1218-2]になりますがハイフォンで区切られているのでハイフォン内で足し算します。
[A 1+0/1+4+1/1+2+1+8/2]
[A 1/6/12/2]1桁の解を求めるためハイフォン内の数字中で2桁の「12」を更に足します。
[A 1/6/(1+2=)3/2]
[A 1-6-3-2]4つの数字を足して最後にアルファベット1番目のAも数字転換して足します。
[1+1+6+3+2]=[1+12]=【13】
足し算の解は【13】ですが[1+12]としたのは次のシーンとの関係性を示すためです。

日が沈み一帯は暗闇に包み込まれます。
過酷な戦闘訓練に消耗し横たわった主人公が突然発狂しだしますが、それを見た相方Pは
「また頭が故障しておる」と主人公の頭(もしくは顔面)を拳で何度も叩きつけます。

狐先輩と出会った時は「たま」を蹴りましたが、今度はあ「たま」を叩きました。
「たま」にしても、あ「たま」にしてもやり過ぎであまりに回数が多すぎるのです。
「たま」は【8】回、あ「たま」は「12」回?くらい叩きましたが
最後の1回は両手の拳で叩いていますので[12+1]回という風にも考えられます。

その後、主人公と相方Pのやり取りが続きますが、数字に関する言葉を抽出すると以下の通りです。
「『20』回以上じゃ」
「作戦『100』個思いついたぞ」
「『2』つの頭脳が合わさったら」
ということで数字を足し算します。
20+100+2=122=1+2+2=【5】これを[12+1]に足します。
5+12+1=【18】

日が明けて主人公の家を訪れたアル中先生でありましたが
待ち伏せをしていた二人による頭脳作戦の奇襲攻撃により戦闘は開始されます。
相方Pによる血の武器を使った攻撃回数は全部で1+7=【8】回
更に畳みかけるように主人公がとどめの1回を繰り出します。
それに対してアル中先生は血の武器を破壊するために1+6=7回
(その内1回は回し蹴りで血の武器を2本破壊しています)
主人公に対してカウンターの1回と油断した後に更にナイフで1回
全部で9回攻撃を行っています。
まとめると相方P=8、主人公=1、アル中先生=9
すべて足すと【18】になります。

これは更なる蛇足ですが、奇襲攻撃開始の時に主人公が口にした言葉は
「俺たちの日常を壊す奴は死(=『4』)だ」で
頭脳戦が失敗した後アル中先生が発した言葉は
「今回の敗因は『2』つ」であります。
4+2=【6】

【6】は京都の神社でマキマが術式のために身代として重犯罪者を2列に
【6】人ずつ(計12人)並べた数と一致します。

「【1】0【8】」の部屋には「未来の悪魔」が待ち受けています。
OPのボーリング場のシーンにいた隠れキャラと関係あるのでしょうか?
【リング】の貞子の目を彷彿とさせる【一つ目】小僧はやはり
【土星】との関係が強いように思います。

「※目は口程に物を言います。」
この悪魔と契約した者のうちの一人は両目を代償に差し出したようですが、
「デンジ君の目が見えなくなっても…覚えて…」{/netabare}というあの発言はこれと
繋がるのでありましょうか?

兎に角数字は「未来」を示し続けています。

(ひかり) 95(号) 17:55 広島(行き)
(停車駅)名古屋・京都・新大阪・岡山

ようやくここまでたどり着きましたが「数字」の話は時間がかかり過ぎて難航を極めております。
しかしこの話はまだまだ続きます。


●スマート機能搭載≪眼鏡キャラ≫の相方P、堂々伏線回収の巻
冒頭のTVのニュースで前回のテロ事件の一件が放送されていましたが
その時の時刻は、当然の如く{netabare} [7:10]分であります。

毎度毎度の話でありますが、「7」「1」「0」を足したら【8】になるというのは
もはやこのレビューの定例行事、お約束展開でございます。

そしてTVの横には狐先輩のお見舞いにと主人公が差し入れとして用意した【林檎】が
カゴの中に入った状態で置かれております。

我々が普段食べる【林檎】には当然、農薬や化学肥料が相応に使用され
それが体に悪くないかと言えば、まぁあまりいいとは言えませんが
それでもコンビニで売ってるパンとかに比べたら遥かにマシであると言えるでしょう。
それは兎も角、話を【林檎】に戻します。

カゴの中の【林檎】のうち1個は主人公が食べているらしく「ネット状の緩衝材」のカラが
残されているだけであり、(「ネット状の緩衝材」に包まれた)
中身のある【林檎】の数、映像で確認できるものについては全部で【5】個であります。

主人公が食べている分と残りを合わせると恐らく最初は【6】個あったようですが
少なくとも1個、もしくは更に2個目を食べて【林檎】の数は減り
つまみ食いをしている主人公に気が付いた相方Pは
大声をあげて怒りをあらわにします。

その時の相方Pが大声を発するシーンで病院の廊下の模様が映し出されますが
そこにいた人の合計人数は【5】人であります。
更に言うと廊下の天井付近に吊るされた案内板には
[← 【⑥】 救急受付]と表示されております。

偶然にしてはあまりに出来過ぎな【8】と【5】そして【6】の法則
今回も冒頭から完全コンプリート達成でおなか一杯感ありますが
「数字」の話はまだまだ終わりません。

次の展開で主人公と相方Pがつかみ合いの喧嘩を始めますが
その時に二人が座っていた椅子が供に「倒れ」ます。
椅子の足はそれぞれ「4」ですから4+4=【8】であります。

(「倒れた」椅子の後に)そして狐先輩が「4」課メンツの安否について聞くわけですが
「4」課が襲撃され生き残ったのは狐先輩、主人公、相方P、新人コベニと「眼鏡」の
【5】人ですが、「眼鏡」が辞めたので最終的には「4」人であり
4+4=8であります。

「4+4」については前回の話に遡ります。
・新幹線「4」号車での「死」(=4?)体の数「4」を足したら【8】
・「倒れた」椅子の数を足したら(「4+4」)【8】
・「4」課残存数「4」足したら(「4+4」)【8】

これはただの偶然ではなく狙ってやっているとしか思えませんよね???
(米津氏が関わったOPソングの歌詞に「4444」を意識したような表現があるのは偶然ですか?)

もしも本作において「4」という数が「死」を暗示する数だとしたら
狐先輩が「呪いの悪魔」にあと何年生きられるかと尋ねた答えの年数
即ち「2」年が関係するという解釈も成り立ち、これを足したら
4+2=【6】となるわけであります。

ただこの足し算よりも、その時描写されていたライターの火花と
そしてなによりその【炎】こそが重要な意味を持っていたものであると個人的には考えています。

その炎とは魂や命を象徴するものであり、狐先輩にとっての【灯火】を表しているのであります。

【灯火】とは「道」を「照らす明かり」でありますが
「希望」であり、「輝ける未来」であり、「望ましい理想」であったりします。
もしも米津氏だったら、別の表現でこれを表したかもしれません。


つまり「それ」をこう呼ぶわけです。「ビュティフォ☆【スター】」(=希望の【光】)と。
【灯火】は「希望の【光】」であります。

そのシーンでの狐先輩が一人涙する病室の床には漫画本が落ちております。
本のタイトルは「ゴンゴン」ですが、濁点が(中途半端に?)【☆】で表示されており
「表表紙」と「背表紙」にある【☆】の数を足すと(「2」+「2」=)「4」つになります。

「4」がもしも「死亡フラグ」を表すならば、主人公が回収できなかった「漫画本」が暗示する
結末の効力は【☆】に願う者の行く道に及ぶことを意味しているのかもしれません。

床に置き去りにされた漫画本の背景にはキャスター状のベッドの足が【5】本映し出されています。
【5】とは【☆】を示す数字であります。

ちなみに漫画本を回収しようと戻ってきた主人公が手に持っていたカゴにその時
入っていた【林檎】の数はなぜか【5】個であり、主人公が少なくとも2個食べて
狐先輩に1つあげたわけですから、最初にあったはずの【6】個から3個を引くならば
6-3=「3」となるはずでした。

しかしながら残った数【5】個が正しいとするとこれに「3」を足すことにより
最初にあった本当の数が判明するわけであります。
つまり【5】+3=【8】であります。
更に言うならば、その時カゴに【5】個入った【林檎】を持ちながら主人公は
4課のメンツが死んだようにマキマ死んだら自分は悲しむだろうかと自問自答しますが
「3」日後には立ち直っているだろうと自信満々に自分自身のポジティブさを確信する
シーンが描かれております。

「【5】+3」のリピートして強調する感じもなかなか凄いと言わざるを得ないわけであります。

そしていよいよその先にて、狐先輩、命がけの「※願い」を成就するために
彼が選ぶ「未来の道」はある数字によって暗示されるわけであります。
それは即ち「【1】0【8】」であります。

この数字が出てきたのは恐らく2度目?否、今回で2回出てきたので3度目になりますが
話は呪術使い☆マキマが京都からとんぼ返りを果たした[4:45]分の時のこと
新幹線の運行情報が示された案内板に遡ります。


●ファンタジー系の鉄板法則
ファンタジー系特にダークファンタジー作品において必ずと言っていい程作用する
法則は{netabare}「等価交換の原則」であります。
これは錬金術の法則であり、ベルセルクや烈日の黄金郷などありとあらゆる作品で確認できる
ある種の絶対的理論ということになるでしょう。

悪魔契約においてこの大原則が作用するのは周知の事実でありますが、更に重要なことは
「呪術」についてもこの大原則が当てはまることをシャーマニック・プリンセスであるところの
マキマ課長が見事に示したことは個人的には興味深く感じました。

そんな課長が京都から東京に戻ってきたのは、[4:45]分でありますが
4・4・5とは【8】と【5】という風にも考えられるわけであります。

そして、新幹線の運行表に示された数字などをまたしてもこれから足し算するのかと考えたら
いい加減やってる本人もウンザリしてきましたが、この足し算は要するに何なのかと言うと
「数秘術」というやつでありまして、例えば陰陽師や【✡】に関係する話であるわけです。

物語と連動しているであろう【☆】の話をする以上はこれを全く無視するわけにもいかないため
単調な話ですが、もう少しお付き合いしていただければ幸いに思います。{/netabare}


●呪術廻戦1話斬りの後悔・・・
謎の上司マキマは新幹線に乗り京都へと出張に赴くわけですが
ご覧の通り{netabare}銃撃テロを受けるのであります。

そして謎のチート能力を使い実行犯を返り討ちにしますが
乗っていた車両は「4」号車で、胸の辺りに穴が開いた実行犯の死体も「4」
4+4=【8】であります。

恐らくこの謎の上司には【8】と【6】が暗示する能力が備わっているものと推測できますが
詳しい描写がないために謎は深まるばかりであります。

ただ何故「京都」のシーンを描写する必要性があったのかということについては
恐らく【呪術】絡みの能力について示すことを意図していたからだというように感じました。

京都には所謂「パワースポット」と呼ばれる寺がありまして
「鞍馬寺」などがその代表例ですが、標高が高いという点においても
【☆】(厳密に言うと逆五芒星のペンタグラムでありますが)の領域で囲まれた
場所に位置するという点においても条件に一致します。

【☆】=五芒星=ペンタグラムとは「陰陽師」の術式で用いられるシンボルでありまして
陰陽師と言えば「【呪術】使い」の種族であります。

マキマが指定したのは「神社」であり「寺」ではないという突っ込みを受けそうですが
運営母体の違いはあれども、本質的には似たようなものであり
そもそも神道と道教とヒンズー教では同じ神や似たような神を祀っているのが実状であります。

かき集められた犯罪者、最後の晩餐がその辺のコンビニで買ってきたような
パンというのはなんとも残念過ぎるお話であります・・・
重犯罪者を【6】人づつを左右に身代として置き術式を発動させるその様は
まさに陰陽師を彷彿とさせますが、「呪術廻戦」を1話斬りしたような当方には
陰陽師や呪術に関しては理解しかねる要素が多分にあるというのが正直なところであります。

そして【呪術】の発動にはカラスが関係しているような描写があったことから
【八咫烏】を暗示しているように感じましたが、この
【八咫烏】も「【呪術】使い」の種族であります。{/netabare}


●シンメトリーの背後に浮かぶ影の正体
「シンメトリー」マニアと言えば「死神」の息子デス・ザ・キットでありますが
「死神」と{netabare}【土星】 {/netabare}には何かしらの関係性があるらしいです。

米津氏が関わったOPのボーリング場でのシーンで狐先輩がストライクを叩き出すと
モニターに≪PoweR≫という文字が表示されますが、{netabare}その文字の上の辺りに
隠れキャラのような存在が3体ほど映り込んでいます。

その正体はどうやら今回の戦いで狐先輩が切り札として使った「呪いの悪魔」?とかなんとか
いうものだったようです。

見た感じは「死神」のように見えないこともないような気がしました。

主人公をお持ち帰りした眼帯先輩の部屋にある照明器具の形が「八角形」だったのは
個人的には興味深いものを感じましたが、今は【6】について語るべきターンで
あるような気がいたしますので、【☆】よりも先に【✡】についての話をします。

【6】は【✡】でありますが、もしかしたら「チュッパチャップス」は【土星】を
暗示していたのかもしれません。

「正解するカド」にも登場した「ブラックキューブ」は、角を起点に直立させると
「【6】角形」に見えたりします。

この「6角形」、実は【土星】の北極に刻まれおり、ということで
【6】=【六芒星】は【土星】を意味していたというオチであります。

OPにも映っていた「貞子の井戸」は丸い「輪っか」状であり、
輪っかの中の貞子は「一つ目」小僧ですが、
実に【土星】も「輪っか」を持つ「一つ目」小僧なのであります。

【土星】には一般的にはあまり知られてない別名がありまして、その名も
【ロード・オブ・ザ・リング】と言います。

【土星】の中心には「台風の【目】」があり北極では6角形の中心にそれが位置し
南極では「台風の【目】」だけが不気味にギョロリとこちらを見ているような感じで
存在しています。

狐先輩が「キツネポーズ」で「輪っか」に「片目」を覗かせるのは【土星】の「一つ目」小僧を
表しているということになるのでしょう。

【ロード・オブ・ザ・リング】とは単純に「【リング】の主」という風にも考えられますが、
「ロード」には「統べるもの」という意味もあったりします。

今一度貞子との関係で考えると貞子の登場するホラー映画のタイトルは「リング」であり
「螺旋」でありますが、いつぞやのEDで【ブラックキューブ】が登場した時には
「螺旋」も一緒に描かれておりました。

「螺旋」とは【土星】の南極の「台風の【目】」を表しているような気がいたします。

そしてそしていかにも「サッポロ☆ビール」が好きそうなマキマが飲んでいたグラスには
見事なまでに「エンジェル【リング】」が残っていましたから、もしかしたら
【ロード・オブ・ザ・リング】を暗示する【土星】の力が発動されるターンが
やってきたのかもしれません。

【リング】を統べるものは、首につけた「輪っか」で人を操るだけにととまらず
あらゆるチート能力を兼ね備えているとも考えられます。

「輪っか」が「運命の輪」であるなら現在過去未来をあれしたり?
【土星】との関係から「時間」 {/netabare}をあれしたりする可能性もあるのかもしれません。


●チャイニーズ・レストラン・シンドローム
未だかつてここまで極端に設定をガチガチに固めてくる作品があったでしょうか?

ジャンプ系作品にしてはテンポが悪いような印象があった本作がついに急展開を迎えます。
結論はここにきて{netabare}「死亡フラグ」が機能しまくってきたということでありますが、
その死亡フラグとは何であったのか確認していこうかと思います。

まず京都に出張中のマキマは駅弁を購入しようということになりますが
今時の駅弁というのは食品添加物が確実に入っております。
駅弁にも色々の種類がありブランド牛や豚肉が入っているものもありますが
作ってから時間が経過しており、具材はすべて冷え切っております。

そんなわけですから、肉はもちろん野菜もご飯も美味いわけがありません。

ラーメン屋で昼食をとる主人公たちに、ヤクザの孫にあたる男が語りかけます。
「こんな惨い味のラーメンをよく食えるな?」と。

貧困層に属していた主人公の食生活の惨さについては、弁解の余地はありませんが
意外にも公安という勝ち組の職業に就き、経済的にはゆとりあるはずの
眼帯先輩と狐先輩の両名ともが、貧困層の主人公の味覚と大して変わらないというのは
とても皮肉な話のように思えてなりません。

そもそも人間というのは、生きるためにものを食べるはずであったのが
人体に有害な毒物入りの食べ物を習慣的に食べ、病となり死んでいく…
そしていつの間にか我々現代人は味の良し悪しもわからないバカ舌になっているのです。

現代日本人の食生活を見る限りにおいては、食生活の中に生はなく
むしろ緩やかな自殺を図っているようでもあり、生きることを放棄しているようでもあるため
「死亡フラグ」を快く受け入れ、死ぬべくして死んでいるという風に
見えて仕方ないのであります。

毎回の如く繰り広げられる本作の食レポ的な描写の意図するところ
それについては、ヤクザの孫が指摘したことで明確に記されたような気がいたします。

「チャイニーズ・フード」に次ぐ死亡フラグ2つ目は合わせ鏡です。
飲み会で酔っ払い主人公をお持ち帰りしてしまった眼帯先輩は
自宅の部屋にある三面鏡に自分の姿を映してしまいますが、ドッペルゲンガーを
暗示する合わせ鏡は死亡フラグである可能性が濃厚です。

死亡フラグその3は、朝食でサンドイッチを食べながら眼帯先輩と主人公が
同盟を結んだことであります。
将来の楽観的な出来事に関する約束はむしろ本人の意図しない結末を呼び寄せてしまうことが
往々にしてあり、そのような形でフラグが成就してしまったようであります。

しかしながら以上に挙げたフラグのどれよりも強力な死亡フラグは
【牛】と「ノーベル賞」であると個人的には見ています。

そして何と言っても鉄板の死亡フラグの法則は「悪魔との契約」でありますから
設定的にも裏設定的にも {/netabare}ガチガチなのは間違いないという結論であります。



●ビュティフォ☆ゲッチュ~
{netabare}書き忘れていた伏線について取り上げます。
1つ目は「ノーベル賞」に関するものですが、閉じ込められていた【8】階が突如傾き、従って【∞】になるわけでございます。

そして主人公は【∞】の悪魔に勝つための必勝法を閃くわけですが、その名も
【∞】に血を飲んで回復するという永久機関、本人曰くノーベル賞ものの
発明ということであります。

もう一つは、「ゲロチュ~」でありまして
デープキスの誘惑に翻弄されうっかっり異物を体内に取り込んでしまう主人公ですが
恐らくこのパターンは将来にも繰り返すであろうというものであります。 {/netabare}

●ビュティフォ☆OP
いよいよ米津氏が関わったOPに秘められた謎に迫って参ります。
個人的に一番重要だと思うのはボーリング場のシーンでありまして、その次が
映画館と最初の横断歩道のシーンでございます。
他にも恐らく伏線に関係するであろうと思われるものも何か所かあるようですが
すべてに言及するとキリがないので最初に示した3か所を中心に話を
進めていこうかと思います。

ボーリング場のシーンで球を磨く主人公がクローズアップされますが、その背後にあるレーン番号 {netabare}
と思われる数字は「24」と「26」、(なぜ「25」がないのかいささか不自然でありますが)
2桁の数字を足すと「24」は【6】、「26」は【8】になります。

そして6+8=14 これをまた足して 1+4=5
毎度毎度でありますが、【8】と【5】そして【6】のパターンです。

「24」と「26」以外に数字が出てきた箇所を探すと横断歩道のシーンで
車両通行止めの交通標識の上に[8-20]とあるのが見つかります。
8時から20時なので12時間を意味し、「12」という数字を「24」「26」に足します。
24+26+12=62 それをまた足せばやはり【8】になります。

これは蛇足みたいな話ですが、「62」に「9」を足すと「71」になりますが、
「71」もやはり【8】になります。
「9」とは何の数かと言いますと隠れキャラから導き出したものでありますが
それについては映画館のシーンの後に言及してみたいと思います。

ひとまずは、消えたレーン番号「25」の謎について解き明かしていこうかと思いますが
話の都合上、悪魔の女、相方Pについて触れていきます。

ボーリング場のシーンで相方Pは後ろの席に座って指をさしてゲラゲラ笑っているわけですが
誰のことを笑っているのかと言えば当然モニターに映し出される主人公であります。

このシーンは映画館のシーンから繋がっており、主人公が「一杯食わされた」挙句
ワンワン吠えてるような意味合いのあるものであると読み取れますが、
そのモニターにデカデカと映し出されたのは相方Pの「正式名称」
≪PoweR≫の文字であります。

よく見てみるとなにかおかしな表記になっていませんか?
もちろんそのようにしたのには理由がいくつかあるのでしょうが、今回は一番簡単な理由
についてのみ触れてみます。

≪PoweR≫という文字列にはシンメトリー=左右対称性があり、それが
ビュティフォであるという、そんな価値観が世の中にはありまして
例えば「ソールイーター」に登場する「デス・ザ・キット」も「左右対称性」に
極めて神経質なキャラでありますが、そんな彼は「死武専」校長である
「死神」の息子であります。
他にも「ブラック★スター」というキャラも登場しますが、
「死神」とは【土星】と密接な関係があり、実は「ブラック★スター」も
【土星】を暗示しているのではないかと個人的には考えています。

「シンメトリー」という視点を得た後なら消えたレーン番号「25」の謎が
解きやすくなりましたのでそれを見てみることにします。

【ゴールデンボール】が伏線であることについては多くの人が気付いている
ことだと思いますが、ボールに纏わる決定的なシーンはやはり何と言っても
狐先輩がボウリング場でボールを投げるシーンであります。

狐先輩が投げるボールと主人公が磨くボールと背後にあるボール
すべて合わせると「18」になります。

狐先輩がボールを投げ終えると1個減って全部で「17」だからそれを足せば【8】になる
と言いたいところですが、投げる瞬間には先輩の右腕に背後のボールが隠れてしまい
全部で「16」になってしまいます。

そこで発想を変えてひとまず消えたレーン番号「25」を探してみると同じシーンの背後に
天井に電球があり、数えてみると丁度「25」こあることが判明します。
更に重要なのが、狐先輩がボールを投げた辺りのところで右腕によって
背後の電球2こが隠れてしまうというものでございます。

ボールは18→16
電球☆は25→23

この数字の変化をどのように解釈しようか考えた時
強引と思われるかもしれませんが、「シンメトリー」的発想で解けるのでは
ないかということで斜めに2つの数字をそれぞれ足してみると
18+23=41
25+16=41

「41」の2つの数字を足すと毎度毎度の【5】になるわけであります。
このようなシンメトリックな解法と答えを見てビュティフォと思うのは
デス・ザ・キットと一部のマニアの人たちぐらいでありましょうが、
この【5】とは何であり【8】と【6】とは何であるのか?
それについては米津氏に聞いてみれば簡単にわかることなのかもしれません。

しかしながら話の都合それより先に映画館のシーンに軽く触れ「隠れキャラ」の存在について
明らかにしていきたいと思います。

映画館のシーンで4課のメンツが並んでいますが、何故か真ん中にいるのは
主人公ではなく狐先輩であります。

裏設定的な話になりますが、狐先輩の髪型には秘密があり髪型との関係において
あの位置でないとポジション的に巧くなかったということであります。

「アホ毛」キャラというのはよく見ますが、「チョンマゲ」キャラというのにも
隠された意味があります。
しかしながらいずれにしてもそれに触れると長くなりすぎるので今回は説明を割愛します。

一つだけ言うとすると背後にある「光」と「チョンマゲ」には関係性が
あるということであります。

そして映画館からボーリングのシーンに切り替わる直前に主人公がワンショットで
抜かれるわけですが、そこで「何を食わされた」のかはわからないものの
次の瞬間に謎の「隠れキャラ」が主人公の前を見切れていく姿が一瞬映し出されます。

あまりに一瞬のことで気づかない人も相応にいたのかもしれませんし、その一瞬で消えた
隠れキャラの正体を知るのは原作ファンだけなのかもしれませんが、個人的な見解では
その隠れキャラの形跡はボーリングのシーンでもはっきり残っていたため
それを数えてみたら「9」という数字が出てきたという話でございます。

それではいい加減この辺で【8】と【5】そして【6】について答えを示してまいります。
一番説明簡単なのは【5】次に簡単なのが【6】ですのでまずはその順番でいきますと
【5】=☆
【6】=✡
【8】=✴
☆は五芒星、✡は六芒星、✴は八芒星を表します。

米津氏がこのような裏設定についてどこまで知っていたのか定かではありませんが、
星にまつわる話はこれからが本質に迫るものであり、【8】と【5】そして【6】の法則も
ただの偶然では済まされない学術的な要素も絡んでくる類のものであると
確信するところでございます。

そして、ビュティフォな話はまだまだ続きます☆{/netabare}

●ビュティフォ☆パーリィ
現時点で「チャイニーズレストラン」が死{netabare}亡フラグなのかどうかは定かではありませんが、
何と言っても新人歓迎会の「居酒屋シーン」には刮目すべきでありましょう。

悪魔の女、相方Pは独占欲が強いため料理を独り占めしようとします。
基本的に刺身は体に良いものですが、から揚げは不健康な食べ物なので
悪魔以外の人には全くもってお勧めできません。

そしてやはりアルコール類は腸内環境を悪化させることもありますが
☆ビール(beer)は糖質が高いので、ストレス解消の効果はあるとしても
飲み過ぎには注意が必要であります。

ビールと言えばシュメール文明発祥の飲み物であり、その色は「黄【金】色」であります。
古代エジプト人もビールを好んで飲んだようですが、彼らがビールに酔いしれた理由は
味だけでなく、ビュティフォな「その☆色」にあったのかもしれません。

参考までに美味しい☆ビールを入れる方法について言及するならば
きめの細かい泡で旨味を封じ込めよということになるわけですが
そのようにして注がれたビールは{/netabare}飲み干した後のグラスに泡の跡が残ります。

それが恰も、何かの☆彡【リング】☆彡のように見えるというのは割と有名な話でございます。

飲み会という場には滅多に顔を見せないキャラであると思われる「マキマ」は
{netabare}かなりのビール好きなようで、ビールばかり飲んでいましたが
彼女の好きなビールの銘柄を推理するならば、恐らくは「サッポロ☆ビール」
ということになるような気がいたします。

上司がおごるタダ酒に酔いしれ{/netabare}気分は上々、場の空気が温まったところで
いよいよ繰り出されるのは「夢☆バトル」ならぬ「IQ☆バトル」であります。

毎度毎度の「計算」なので数字だけ抜粋して足します。
{netabare}
相方P「100」
女A 「100」
相方P「120」
100+100+120=320 → 3+2+0=5
やはり【5】という数字が出てきます。

男A 「134」
1+3+4=8
【8】は【5】と対になる数です。

相方P「500」
相方P「1000」
500+1000=1500 → 1+5+0+0=6
もう一つの数字は「キツネ∂サイン」の【6】であります。

前回の[8:18]のエンドレスシーンの補足になりますが
時計の針は「8時18分10秒」あたりで止まっておりました。
そして今回もお約束通り数字を足してみます。
8+18+10=36 → 3+6=9

「9」が答えのその止まった時間に出されたサインは「ダブルピース」でありますが
数字的には「4」ということになります。
「9」と「4」足せば【13】になるわけですが、「【13】日の【金】曜日」の
【13】とは【8】と【5】から構成される数字であるということにございます。

「8時18分10秒」もう一つの解釈は秒針が「2」の数字の辺りで止まっていたので
8+18+2=28 → 2+8=10 とするものでありますが
「10」にダブルピースの「4」足せば「14」
なので→1+4=5 やはり【5】という数字が出てくるわけあります。

【8】と【5】、そして【6】の数字が何を表すのか?
それについてより本質的に示されているのは米津氏が関わったOPでありますが
本丸に攻め込む前にまずは外堀から埋めていくことにいたします。

悪魔の女、相方Pの名前は「パワー」ということですが、実は厳密に言うと
「パワー」という表記は正確ではないということになるでしょう。

もしかしたら原作ファンでも知らないことかもしれませんが、
ユニクロが「UNIQLO」であり、かつ「ユニクロ」であり
ビールが「beer」であるように
「パワー」にも実は正しい表記があるのです。

そういう意味でも本作のOPには秘密がいくつも隠されているということになるでしょう。

最初に「ノーベル賞」について言及したのは悪魔の女、相方Pでありますが
彼女は血の悪魔であり、動物を殺し血を飲んでおりました。
その動物の中で特に印象的だったのが【牛】であります。

飲み会後に主人公をお持ち帰りしたのは【眼帯】先輩でありますが
ベッドの上で彼女の口から【牛】という言葉が出てきたのは只の偶然とも考えらます。

しかしその一方で某人気アニメに登場する「フォージャー家」の食卓に【牛】の置物が
さり気なく置かれていたことには、何かしらの関係性を感じずにはいられません。

【8】と【5】の法則、そして唐突に出てきた「ノーベル賞」と【牛】の関係性・・・
同じことは何度も繰り返され、やがて点と線はつながるでしょう。

さて、外堀固めはこの辺にしていよいよ本陣へ攻め込むターンが来たようであります。
恐らく【8】と【5】、そして【6】の{/netabare}話は、とても長くなりそうな気がいたします。


●悪魔の女
本作に限らずジャンプ系作品は設定がかなりガチガチに固められている傾向があるようです。
なので、ちょっとした些細なシーンでも注目が必要と言えるのかもしれません。

相方Pはノーベル賞 {netabare} を足掛かりに首相になると宣言していましたが
一見冗談のような話に聞こえても、ノーベル平和賞を受賞したアウンサンスーチー
その人はミャンマーの実質最高権力者の地位に見事に就任をするのであります。

ノーベル平和賞と言えばバラクオバマ元大統領も同じく受賞していましたが、
彼は近年で最も戦争に加担した大統領であり、平和のために行った実績など
皆無であると言ってもいいくらいのナマクラであります。

問題のアウンサンスーチー最高顧問とオバマ大統領は親交があり、なおかつ
WEFまたの名をダボス会議と呼ばれるグローバルエリートのメンバーが主催する
国際会議に招待されるような人物でありまして、人種こそミャンマー人でありますが
実際は英国人と結婚し、英国の名門大学を卒業した、英国に魂を売り渡したエージェント
であるというのが彼女の正体ということにございます。

血の悪魔である相方Pは嘘をつき人を騙すのが得意ですが「グローバルエリート」
と呼ばれる方々もそれに負けないくらい嘘がお上手で、例えば権威に弱い我らが
ニッポン人を「ノーベル賞」という名のフィクションで箔をつけ欺くことなど
朝飯前の人々であります。

相方Pのノーベル賞{/netabare}発言は単なる純粋なボケだったのか
皮肉を交えたブラックユーモアだったのか定かではありませんが、
悪魔の設定としては実に的確な表現であったことだけは間違いないように思います。

そして更にもう一つ興味深いシーンがありまして
【眼帯】先輩が殉職した{netabare}同僚の遺族からビンタを食らうというものでございます。
公安のエージェント対し一般人が怒りをぶつけるという対立軸が浮かび上がるわけですが
その場所がよりにもよって「薬局」の前というのは、意図的なものを感じます。

現代日本人の食生活は不健康故にかなりの高確率で生活習慣病を患い
病院にかかり薬を山ほど飲まされるという運命が確定してますが、
それによって患者に何かメリットがあるのでしょうか?

確かに薬を飲めば症状は一時的に緩和されますが、生活習慣病は生活習慣を
改善しない限り治ることはありません。

薬で騙し騙しやったところで行き着く先は病状悪化の最終局面、寝たきり状態
「リビングデッド」のオチであります。

公安ではありませんが、ある種のエージェントが現行の健康保険制度や医療制度を作り上げ
薬を気軽に消費しやすい体制ができたおかげで、病は治らずも薬の消費はうなぎ上り
製薬会社の株価もうなぎ上りであります。

日本経済のためにそんな粋な計らいを成した英雄たちが、仮に
患者の家族から仕返しの一撃を見舞われたとしても因果応報
というように見受けられました。

「薬局」の前で「チャイニーズレストランシンドローム」絡みの{/netabare}エージェント二人が
佇むシーンが映し出されたのなら、そういう解釈ももしかしたら成り立つ
と言えるのではないでしょうか?

●「サスティナブル☆デザイアー」のための行動目標
今回主人公の食事シーンこそなかったものの
明らかに体に悪い食べ物が当然のように出てくる「∞」ループを繰り返すのは
鉄板法則であるかのようにも思われます。

宿泊客が残した食料の中に{netabare}パッケージ化された「おにぎり」が見受けられましたが
コンビニ等でよく売っているこの商品には確実に食品添加物が入っております。

しかしながら資本主義経済で一攫千金を目指したい「ビュティフォ☆ドリーマー」のためなのか?
我が国の食品表示のルールには「キャリーオーバー」なる裏ワザがあり
例え食品添加物塗れの米でも「米」とだけ表示し他の原材料は省略できるという
欺瞞が当たり前のように通用するのですから、未来永劫ニッポン経済の回転率に
憂いはないと自信をもって断言できるでしょう。

食品添加物とよく似たもので我が国の外食やパッケージ化された食品によく入っている
ものとして「調味料アミノ酸等」がありますが、要するにこれは「グルタミン酸ナトリウム」
でありまして、これを摂ると「脳が☆彡スパーク☆彡」する神経毒にございます。

「ラーメン次郎」が提供する通称「豚の餌」がかつて一部でブームになりましたが、
「ジロリアン」と呼ばれるB級味覚のジャンキーどもがオプションで追加増量していたのが
「グルソー」と呼ばれるもので、脳が痺れる興奮性刺激作用をもたらし
その依存性故に病みつきとなるという究極の「麻薬」食材であります。

毎日ラーメン食べるのが日課だった某「ラーメン評論家」が
早すぎる生涯の幕引きを迎えたのも偶然ではなく必然であると考えるべきでしょう。

我が国の食品事情について言うなら、体が欲するよりも、「脳が喜ぶ」食品を
「美味しい」ものと定義しているかの如く、例え不健康でも脳が欲するまま
その欲望を満たしたいという衝動に身を委ねただただ追求するのが正義である
かのように思えてなりません。

「チャイニーズレストランシンドローム」(中華料理症候群)については諸説ありますが
それでもやはり「グルソー」の問題と、それに負けず劣らず重大なのが通称サラダ油と呼ばれる
植物性油脂というもので、この「オメガ6」系の油は採りすぎると体内に炎症を引き起こす
という要するに毒物であります。

「オメガ6」に比べて体に良い油は「オメガ3」と「オメガ9」でございますが、
「オメガ3」の魚から出る油にしても「オメガ9」のオリーブオイルにしても高温によって
成分が変化し酸化するならば「トランス脂肪酸」等の発がん性物質に変わってしまうという
問題が発生してしまいます。

よって揚げるにしても炒めるにしても高温調理によってできた食品は
体にはあまりよろしくないという話になり、そういう意味で「中華料理」には
相応のリスクが伴うのでたまに食べるなら兎も角、毎日のように食べる
べきではないというのが結論であります。

ニコチンも中華料理もストレスを発散するという意味では効能はありますが
そもそもストレスはどこから来るのかと言えば日常の生活にあるようにも思えます。

そういう意味ではこの「資本主義☆万歳」の社会にいる限りは、ストレスで病むか、
ニコチン中毒やグルソー中毒で病むかしか、我々庶民には選択肢がなく
そういう惨めな破滅の道を無邪気に突き進むのが{/netabare}
我らニッポン人のメビウスの運命であり、
我らニッポン人とは∞ループする運命の輪っかに未来永劫囚われた
囚人であるのかもしれません。

☆【8】時1【8】分の【∞】ループ
[8:18]のすべての数字を{netabare}足すと
8+1+8=17
1桁の数字の解を求めるために更に2つの数を足すと
1+7=8

答えはやはり【8】という【∞】ループの結果になりますが
更に興味深いことは【眼帯】の先輩が「赤い髪留め」の新人娘に
「ダブル【ピースサイン】で待て」と指示を出すというものであります。

この「ダブルピースサイン」を数字として見ると
2+2=4になりますが【8】にこの4を足すと12になります。

12は【6】+【6】に2分できますが、何故今回は「2分する」のかと言えば
「キツネサイン」を横から見たら「輪っか」のある【6】の形に見えたように(由緒正しい?)
【ピースサイン】の真の形は親指と薬指と小指で「輪っか」形成するものであり
従って横から見たら【6】の形を成さねばならないという裏設定があるようで
恐らく原作者は「由緒正しい」【ピースサイン】の形を熟知していたからこそ
「ダブル【ピースサイン】」のシーンを描いたように見えたため
ある意味こじ付け気味でも敢えて【6】を抽出したという話であります。

狐先輩に(大量消費の経済性をもたらす)喫煙の習慣を推奨したのは【眼帯】の先輩ですが
「チャイニーズレストラン」で【眼帯】の先輩が煙草を差し出した指の形も
同じような「輪っか」付きの【ハンドサイン】だったことは確信犯の証明であるように見えます。

【8】と【5】そして【6】に{/netabare}秘められた数字について語り出したらキリがありません。
確信めいた米津氏のOPに繋がる話までたどり着くにはもう少し時間がかかりそうであります。


●不思議の貞子が誘う秘密のうさぎの「入口」へ
今回のEDではついにあれが映し出されておりました。
裏設定的にはかなり重要な意味を持つあれであります。

それは{netabare}【ブラックキューブ】であります。
この【ブラックキューブ】は「正解するカド」にも登場しましたが
特に強調すべきは、斜めに傾き立方体のカドを起点に直立した形
そこにこそ本質的意味が隠されているという話であります。

【6】というナンバー、実は【ブラックキューブ】を示すものなのです。

今回お約束の【眼帯】キャラが満を持して登場し、秘密の能力発動しましたが
眼帯キャラの【目】にまつわるのルーツと狐先輩の「キツネサイン」の「輪っか」
を覗く 【目】のルーツは恐らく同一のものと推測できるでしょう。

「キツネサイン」の「輪っか」は【6】でもありますが
「【6】の部屋」のシーンで主人公の【左目】が、とある「輪っか」の中にあったのも
似たような意味合いがあったのだと言えるでしょう。

【ブラックキューブ】、「輪っか」他に注目すべきものは恐らく「絵画」{/netabare}であります。

裏設定の話はまだまだ尽きませんが、いよいよ米津氏が関わったOPに秘められた
謎に迫るワンダーランドの世界に参ることにいたしましょう。

●【大淫婦バビロン】は【獣】に乗ってやって来る
ジャンプアニメにはバトルシーンが付き物ですが、今回はバトルほぼ無しで
ミステリーの要素が強かったため、今まで一番興味をそそられる回でありました。

しかしながら主人公の朝食、パンではなくご飯に変わっただけマシにも思えますが
相変わらずベーコンにウィンナーなどの{netabare} 加工肉製品という悪魔の相方Pも喜んで食べるもの。
これには発がん性物質=亜硝酸ナトリウムなど有害食品添加物が入っており、
毎回毎回酷く不健康な食べ物という意味ではもはやお約束と言えましょう。

前回で狐先輩の「キツネサイン」に言及しましたが、このサインには色んな意味が含まれてます。
親指・中指・薬指で『輪っか』を形成しますが、これを横から見た時には【6】のシルエットが
浮かび上がるということを強調しておかなけばならないでしょう。

今回主人公は蝙蝠の悪魔を倒した際に発生した案件の始末書整理に追われますが
それが行われた場所はもしかしたら【6】階ではなかったかと推測します。

なぜならば狐先輩の【6】等分の【林檎】と「キツネサイン」の【6】、それと【6】階
(他にも米津氏のOPにもありますが)すべての【6】同じ意味で使われているように
見えるからであります。

そして今回のEDでは「それ」を示す「シンボル」がもろに描かれておりました。

そしてついにお約束の【眼帯】キャラが登場しますが、その彼女の【6】人目のバディが
狐先輩であり、今回先輩2人新人4人の計【6】人でチームを組んだのも
駄目押しと言わんばかりに【6】を強調したいからだと推測いたします。

相方Pの「76.1」=【5】を「3」モミーこなした後に【6】の数字が繰り返され
そして終盤においては【8】{/netabare}階の無限ループというオチであります。

しつこいくらいに繰り返される裏設定の話はまだまだ「☆ビュティフォ」に続きます。


●きつね「コント」?
敢えて見逃すべきかとも迷った末に、これを見逃したら突っ込む機会が
2度と来ないかもしないので敢えて言わせて頂きます。

蛭の悪魔をあと一歩のところまど追い詰めるも、しとめ切れずに力尽きる主人公
そこで救いにやってきた先輩が…{netabare}「コン」ですって!?

果たして狐先輩のあの動作、あのキツネポーズは必要だったのでしょうか?
5、6年前に「ベビーメタル」というアイドルユニットが「キツネ祭り」と称した
ライブ上でやってたキツネポーズ、そのまんまを公安の偉大なる大先輩が
恥じらいもなくやってしまっていいのでしょうか?

いえ、百歩譲って国内でそのポーズやるのはいいでしょう。
しかし海外の人に「コン」と鳴く「コント」みたいなキツネポーズは当然通用しません。
海外では別の意味の「ハンドサイン」になってしまいます。

その上狐先輩は片目をつぶってキツネの「輪っか」を覗いているではないですか?
「ブルーロック」でも似たようなことしてましたし、
海外のアーティスト {/netabare}もそんなポーズやってましたが?

それはつまり、また裏設定というオチですね??


●2度あることは「3」度ある
{netabare} 夢バトルの勝者となった主人公のもとに景品である相方Pがやってまいります。

悪魔は体に良い野菜が嫌いだったり、「血の悪魔」だから牛や熊などの血を好んで飲む
というような細かい設定については適切であるように思いますし
悪魔と吸血鬼とは厳密に言えば違うようでいて本質的には同じだということを示したことには
個人的には大いに評価したいところであります。

そして単に設定が細かいだけでなく裏設定もかなり細かいと言いますか
しつこいまでに繰り返されるわけでございます。

宗男揉む、それが主人公の「※願い」であり「夢」でありました。
当然すべての視聴者が見ているはずであり、見えているはずであります。
血の悪魔相方Pの胸の辺りを、彼女が来ている上着の胸の辺りを。
そこには何と書かれているでしょうか?

「76.1」←これが見えない「め●ら」はまさかいないはずですが
人間とは意味がわからないもの、あるいは概念がないものを認識できないという習性があり
「76.1」とあからさまに書いてあっても認識できない人は実際かなりいるものと推測されます。

要するに「蛭の悪魔」との夢バトルの時と全く同じなのであります。
相方Pは「3」度だけ宗男揉むことを許可しますが、何故「3」なのでしょうか?
もちろん「3」についての理由は説明されますが、丁度胸の辺りにある「76.1」はなんでしょうか?
と問われても多くの人が理解不能な事態に陥ることでしょう。

「76.1」の数字を全部足すと
7+6+1=14 一桁の数字の解を得るために更に2つの数字を足します。
1+4=5
「76.1」は【5】を暗示し【5】は「※願い」や「夢」を示す数字であります。

蛭の悪魔の夢語りのシーンでは制限速度「30」キロの標識が背景にありましたが
今回は「3モミー」という単位が提示されたわけです。

【5】+3=【8】
しつこいと言えばしつこいですが、【8】と【5】の法則
裏設定の{/netabare}話は本作でも他作品でもまだまだしつこいくらい続きます。

●ビュティフォ☆ドリーマー
{netabare}蝙蝠の悪魔志半ばで倒されるも相方である蛭の悪魔が登場し
「人間をすべて食べる」という崇高な夢について語り出せば
以て夢バトルの開幕であります。

その夢語りのシーンで背景にあったのは「制限速度{30}キロ」の道路標識ですが、
まず最初に突っ込むべきは何と言っても主人公の「食生活」でありましょう。

朝食にパンを食べ昼飯にカレーを食べる主人公の食生活があまりに惨過ぎて
怒り心頭、我慢の限界にございます。

もちろんスパイスを使った本格インド料理ならば有害どころか体に良いのでありますが
日本で市販されている「カレールゥ」とは小麦や砂糖類や乳製品、食品添加物に
発がん性物質など兎に角人体に有害なものだらけの毒物の集合体であり
食べれば食べるほど病のリスクは高まる一方ですので、日本のカレーには
注意すべきと言わざるを得ません。

カレーに比べたら主人公が病院?で食べていた【林檎】の方が健康的でありますが
兎に角本作で主人公が「食べるもの」には色んな意味で厳重警戒が必要であると考えるべきです。

先輩が【林檎】を「6等分」に切り、皮を剥いて「ウサギの形」にしていたのには
恐らく何かしらの意味があるものと予測しますが、【6】と言えば
マキマの執務室があったのも6階でしたから【6】というナンバーにも
やはり何かあるのだと思われます。

先輩が【狐】の悪魔と契約してること自体突っ込見所満載でありますが
先輩の言葉により「悪魔契約の本質」が明確に示されたからには
「エンキス」や「ヴェルメイユ」や「よふかしのうた」のようなラブコメ路線への退路は
大きく遠のき、シリアス路線に進むしか道がなくなります。
たとえ展開に意外性はなくとも一貫性があるという意味では良い傾向であるように思います。

シリアス路線が確定しているならばこそ裏設定の意味合いは強まり
それについての描写はしつこいくらいに何度も繰り返されるだろうと予測いたします。

結論から言えば「蛭の悪魔」が語る「夢」と蝙蝠の悪魔が語った「※願い事」とは
同じようなものであるということになるでしょう。
主人公と蛭の悪魔との夢バトルのシーンで列挙された夢は以下の通りです。

1.人間をすべて食べる
2.復讐を果たす
3.家族を守る
4.猫を救う
5.宗男揉む

「※願い」と同じく今回もカウントは【5】でありますが
「制限速度{30}キロ」の道路標識の「30」を【5】に足すと
5+30=35
3+5=8
このようにやはり【8】という数字に結びつくのには意図的なものを感じます。

更に言えば、蝙蝠の悪魔が潜んでいた家で主人公の大量の血痕が発見されたという経緯を
先輩がベッドの上の主人公に語り出した時の、その実況見分のシーンで映し出されていた
パトカーのバックナンバーは「69-526」であります。

ハイフォンの右辺は5+2+6=【5】+【8】=【13】
ハイフォンの左辺は6+9=15→1+5=【6】

【13】に意味があるのは【8】と【5】の関係から導かれるものですが
【6】という数字に {/netabare}意味があるというのはまた別の理由があるのだと思われます。

そのことについて「米津玄師」は知っていたかどうかは定かではありませんが、
裏設定の話はまだまだ続きます。

●ナンバーに込められた悪意
蝙蝠の悪魔との対決シーンで車が出て参りますが
{netabare}その車のナンバープレートに記されていたものを確認できたでしょうか?

西東京 457
お 793-35

このようにあまりにもあからさまにクローズアップされるにナンバーには
当然何かしらの意味が込められていると見るべきでありましょう。
前回の【金】的バトルでは【8】という数字が示されていましたので
恐らく今回もそれがあるのだろうという見込みでまずは【8】を探してみます。

するとハイフォンの後の「35」が見つかります。
3+5=8 です。

次に「457」の3つの数字を足してみます。
4+5+7=16 更に「16」の2つの数字を足します。
1+6=7 「7」という一桁の数字の解が得られます。

同じように「793」の3つの数字を足してみます。
7+9+3=19 同じように「19」の2つの数字を足します。
1+9=10 一桁の数字の解を得るために更に2つを足します。
1+0=1 「1」という一桁の数字の解が得られます。

ハイフォンで区切られた前の数字は繋がっているのではないかという見込みで
「7」と「1」を足せば【8】という数字が浮かび上がるわけであります。

更に「西東京」といういかにも怪しげな表記にはどのような意味が込められているのか
解いてまいりますが、「う」という表記がヒントになるのではないかというように思われます。

「あいうえお」の五十音図に照らし合わせると「う」は5番ですから
「う」=【5】であります。

同じように「西東京」をカナ転換して「にしとうきょう」それぞれのカナの番号を導き出します。

「に」=「22」
「し」=「12」
「と」=「20」
「う」=「3」
「き」=「7」
「よ」=「40」
「う」=「3」

それぞれの数字をすべて足します。
22+12+20+3+7+40+3=107 「107」の3つの数字を同じように足してみます。
1+0+7=8 やはりここでも【8】という数字が姿を表したようであります。

ナンバープレートに込められた【8】と【5】を足せば【13】になるというオチであります。

このような数字についてのミステリーもただの偶然やこじ付けと考えられそうではありますが、
【8】と【5】の法則は他作品でも確認できていることからして、逆にそんな偶然が
重なり過ぎている方がむしろ不自然ではないかと個人的には思う次第にございます。

最も大事なことはこのような数字に込められた「意味」でありますが
その意味こそがアニメの「謎」を解く鍵であると確信いたします。

「西東京」という表記を見てふと思い出したのは「バビロン」というマイナー作品にて
描かれた「新域」であります。

「新域」とは東京西部に新設された特区のようなものでありますが
もしも「バビロン」 {/netabare}を暗示しているのならすべては伏線ということになるでしょう。


●「脂肪」フラグにご用心?
ジュースが飲める生活が夢のようと言う主人公、そんな主人公が選んだ商品は
「ヨーグルウォーター」であります。(乳酸菌飲料?ですか・・・)

「うる星やつら」{netabare}の「ラム」みたいな相方の女と主人公の凸凹コンビが結成され
ドタバタ騒動は当然のように起こります。

相方の女は「魔人」という設定ですが、要するに悪魔の一種のようなものなのでしょう。
魔人の外見は人間と酷似しているようであり、悪魔と人間の中間的存在ということなら
主人公と同じような立ち位置になりますが、魔人化した人間はもはや人間の心を持ち合わせていない
らしく目的のためには手段を択ばない冷徹さが垣間見られ、人間の倫理観など
全く通用しないようであります。

自己主張が強い凸凹コンビの二人は当然の如く反発し合いますが{/netabare}
エロ心を満たしたいという「※願い」を抱く主人公と
{netabare}飼い猫を奪還したいという「※願い」を抱く相方の女とは、
悪魔退治という目的において利害が完全に一致するということで
ここで二人の取引は成立するのでございます。

しかしながら悪魔との取引、すなわち「悪魔との契約」は「死亡フラグ」でありますから
当然の成り行きの結果として、いつか見た「ヤクザの裏切り」のような
デッドエンド展開が待ち受けているというオチであります。

相方の女は理性が高いという特性があり、公安を裏切れば身の破滅を招くことを理解しているため
公安の犬として飼いならすこともできる反面、計算高く嘘も上手いという厄介な一面も持ち合わせ
ているため、純粋無垢なる煩悩エロ主人公をたぶらかすことも朝飯前のことでありました。 {/netabare}

ということで「嘘も裏切りも愛想のようなもんさ」とはまさに悪魔の囁きのような言葉であります。

{netabare}米国による悪魔の軍事利用という話などまるで「エンキス」のようでもあり
主人公が悪魔と仲良くなれると信じてる軽いノリとか「夜ふかしのうた」のようでもありますが
腐っても本作はラブコメ的な逃げ口上が通用しないシリアス路線を進むしか道がないからこそ
当然の如く「裏設定」は機能しまくるものと予測いたします。 {/netabare}

主人公が選んだ「ヨーグルウォーター」とは恐らく「乳酸菌飲料」だと思われますが、
{netabare}兎に角この主人公の食のセンスはあまりに惨いものがあります。
乳酸菌それ自体は腸内環境を改善する効果が期待されるという話ですが、
「乳酸菌飲料」となると話は全然違って、メリットよりもデメリットの方が遥かに多く
飲まないことに越したことはないと言えましょう。

砂糖・ぶどう糖果糖液糖、食品添加物などの有害物質にカゼインや乳糖など
アレルギー誘因物質により、腸内環境はむしろ悪化し習慣的に飲み続ければ
生活習慣病を患い「脂肪フラグ」は確定するというオチであります。

「腸内環境を改善する乳酸菌」という謳い文句で実質はむしろ病気になるような
成分てんこ盛りの清涼飲料水の類が怒涛のドブ洪水の如く溢れまくる我が国、
日本の資本主義経済とは恰も「嘘も裏切りも愛想のようなもんさ」と言わんばかりの
なんとも悪魔的なびゅてぃふぉスターでありましょうか。

そしてまた、相方の女は飼い猫に牛乳を飲ませてましたが
現在日本で一般に流通してる牛乳も腸内環境を悪化させ
乳ガン等の成人病リスクを高めるため習慣的に飲むことは避けるべきと思います。

問題は「高熱殺菌」処理によりカゼインが「変性カゼイン」化することのよって起こることが
大きいため、【牛】から搾りたての高温加熱処理がなされていない牛乳ならば有害リスクは
回避できるという話になります。
従いまして本作にあった通り相方の女が直で搾った牛乳ならば
かなりまともなものであるとは言えそうです 。

それにしましても猫のために【牛】一頭をわざわざ?敢えて?
登場させる飼い主と言いましょうか、原作者の意図とは何でありましょう??{/netabare}

●恒例の「カウント」シリーズ第二回目は {netabare} 「蝙蝠の悪魔」{/netabare}の「※願い事」です。
まず最初の願いは
{netabare}1.人間によって受けた傷を癒すための人間(の血)。
でしたが、その人間=主人公の血があまりに不味かったため
口直しの人間(の血)を欲し、更に以下のように「※願い事」を列挙します。

2.子供
3.生娘
4.肉付きがいい男
5.妊婦

全部で【5】。
前回のカウントで出てきた数は【8】です。
【8】と【5】を足すと【13】になりますが、
「チェーンソー」使いである「ジェイソン」が登場するタイトルが
「13日の金曜日」というのは偶然ではなく「裏設定」の仕込みであると確信するものでございます。{/netabare}

そして車のシーンでもさく裂しまくる裏設定の話はまだまだ続きます。




裏設定のネタばらしについてはもう少し先にしようかと思いましたが
この先アンチ故に四面楚歌状態にならないとも限りませんので触りだけでもご披露いたします。

戦いのゴングが鳴り響き男たちの死闘が繰り広げられるならば
ボクシングであれプロレスであれ「カウント」を取るべきでしょう!
その結果判明したのはカウント{netabare}【8】でした。

【8】つまり主人公が先輩の【●】玉蹴とばした回数が【8】でございます。
そして主人公は公安での初仕事、魔人狩りを終えてエロ本を回収しますが本の表紙あった数字は
「6」と「2」で、足したら【8】なります。
【金】的狙いにしてもエロ本にしても下ネタ絡みは【8】と結びつくというお話ですが
これかなり大掛かりな伏線の仕込みと捉えていいでしょう。

特に【金】的KOのシーンは「起承転結」の「結」であり「転承」と遡り「起」に繋がるという
逆算方式の伏線仕込みというのはかなり斬新であるかもしれません。

この伏線が回収される時には恐らく裏設定が発動しまくるような予感がいたします。 {/netabare}

{netabare}チェーンソーと言えば「ジェイソン」でありますが
ジェイソンと言えば【13】日の【●】曜日であります。
主人公のあの執拗な攻撃パターンの背景にはこのような意図があったというオチでございます。
そして裏設定 {/netabare}の話はまだまだ続きます。

まぁジャンプですから、基本若者ですよね。
若者が無意識的にエロ願望抱くのは自然と言えば自然ですが、
{netabare}いくら貧困層とは言え主人公の食い物が酷すぎであります。

うどん、パンという小麦製品にフランクフルトですかぁ・・・
パンにはジャムを塗りたくるという甘党感覚もある意味病的であります。
マーガリンよりはバターの方がまだマシなのかもしれませんが、
乳製品は発がん性のリスクがあるため、控え目にすべきでしょう。

ある意味悪魔的な食生活に満足する主人公がデビルハンターというのは皮肉な話であります。

公安のマキマなる上司に奴隷の象徴である「ネクタイ」を結ばれた主人公は
安い餌で飼いならされる犬に成り下がったということでありましょう。

そして相方の女?魔人は「ダーリンインザフランキス」のゼロツーみたな奴でありますが、
やはり「金装のヴェルメイユ」のパターンそのままでございます。

主人公のしつこいまでの「金的」攻撃などには裏設定みたいなものがありまして
兎に角ジャンプ系作品では裏設定の類が頻繁に繰り返されます。

マキマの名の由来が「デウスエクスマキナ」なのかは否かは現段階では定かではありませんが
マキマに関しての描写には裏設定が多いようなので、 {/netabare}ファンの皆さんはその辺の
細かい背景など是非とも見逃さないように心がけていただきたく思います。

時に「目」は口ほどにものを云いますので。



タイトルからもあまりに簡単に予想できた通り {netabare}スプラッター {/netabare}感満載の描写が
お約束のように繰り広げられますが、そこに芸術性でも感じろということなのでしょうか?

個人的に好感持てたシーンは主人公と{netabare}電のこ {/netabare}ペットの心温まる交流でしたが
主人公が覚醒した途端に全部吹っ飛んでどうでも良く思えてしまいました。

もしも本作最大の見せ場が{netabare}「スプラッターグロ展開」{/netabare}だとしたら、
この先見続けるのは至難の業のように思えます。

令和という今の時代にあって{netabare}「スプラッター」 {/netabare}がウケるとは謎すぎてついて行けません。
どう考えてもB級映画でしかない次元の世界をこれでもかと見せつけられて、
今更そこに何を感じろというのでありましょうか?

{netabare}主人公の {/netabare}死亡フラグは{netabare}悪魔と契約 {/netabare}したことにより成立しますが
これも鉄板法則で、「エンキス」「金装のベルメイユ」と同じ
{netabare}悪魔の心臓 {/netabare}も「金装のベルメイユ」と全く同じ再現であります。

結局のところダークファンタジー系の作品は鉄板法則に従うので展開を読むのは
意外と簡単なのかもしれません。

そしてもう一つの死亡フラグは {netabare}「パン」です。
何故パンが死亡フラグなのかと言いますと、パンには「グルテン」というものが含まれており
人体はこれを完全分解できません。
グルテンは腸や血管に炎症を引き起こし、腸壁に穴をあけ、開いた穴からフィルタリングされてない
有害物質が全身に巡り、体調不良や病(リーキーガット症候群)を引き起こします。

このことはパンに限らず小麦製品全般に言えることですが、特にアメリカ産やカナダ産の
輸入小麦は除草剤などの農薬が惨い状況にあり、毎日のように小麦製品食べてる人は
緩やかなる自殺を自ら試みていると言っても過言ではない程に
フラグを踏みに行っているようなものであります。

花粉症を患っている人は特に小麦製品には注意が必要です。

1日3食しっかり食べている人、朝食はパンに限るという人には死亡フラグが点灯してます。
現代日本の食品は農薬、化学肥料、食品添加物、生長ホルモン剤、遺伝子組み換え系等々
有害毒物だらけで体のデトックス機能が全く追いついておりません。
1日3食食べる人ほど毒物が体にたまりやすく生活習慣病にかかりやすいという孔明の計略、
死せる戦慄は五丈原を走らせます。

この世のすべては業者と株主のためにあり、例えがんなどの生活習慣病が日本で蔓延したとしても
製薬会社とその株主が儲かるなら経済は平穏無事に周り世の中は安泰です。

この世界の業者や株主の内面は本作以上に
「スプラッター」にまみれていると言えるのかもしれません。 {/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 8
ネタバレ

素塔 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

契約の悪魔

著名作品のアニメ化には賛否両論がつきものだが、
本作をめぐっては制作陣が志向する映画的・写実的な表現コンセプトが
主に原作ファンからの批判に曝されているようだ。本稿を書くにあたり、
自分もアニメがカバーしている範囲を一読してみて、成程、と思った。

個人的な印象に過ぎないのだが、アニメでの主人公デンジは
設定とバトルシーンのインパクト以外、存在感が希薄なのではないかと感じた。
主人公でありながら、深い部分で物語と同期できていないような気がして、
むしろ早川アキたち公安のデビルハンターの側に力点をおいて観ると
自然にストーリーに入っていかれる感覚があった。

デンジのキャラクターは多分、原作のユニークな作風と不可分なのだろう。
そのため、デンジの生きた躍動感がアニメではあまり感じられず、
映画風のリアリズムとも相性は良くないようだった。その一方で、
アキたち公安サイドのシリアスなドラマを描いた部分に関しては
それなりに見応えがあった。この主観的な見地が本稿の出発点になる。

本作の物語にはデンジとアキ、二つの対立する極が内在している。
それが作品深部の、人間と悪魔の対立の構図に対応しているわけだが、
自分の印象では、主人公デンジが中心から退いて"周縁化"する力学が
作品の構造自体に内包されているように思われた。それを確かめようとしたのが
以下の、限りなく独り言に近い作業である。参考にはなりません。



Ⅰ 夢と動機

{netabare}主人公デンジの初期設定は、インパクトが強烈なだけに注意が必要になる。

"持たざる者"である彼の唯一の拠り所であり、アイデンティティでもある
「夢」が、「貧困」によって規定されている状況、そんな風に要約できるだろうか。
彼が夢見たのは、食パンにジャムを塗り、毎日風呂に入れるようなごく普通の生活。
そんなささやか過ぎる夢を、彼の最底辺の生活と結びつけて受け取ることで、
何かを理解した気分にさせられてしまう、そこが危うい。

一生を通じて、ただ見るだけで満足して終わるはずだった彼の「夢」。
それが現実にもなり得ることを知ったとき、彼の内部では革命が起こった。
「見つけたぜ…俺の本気!俺のゴール!それは…!・・・胸だ!!」
胸を揉みたい―。ただその一心で地獄のような死闘を繰り広げてみせる
第4話の"夢バトル"に、彼の「夢」の本質が表れている。

目的と手段とのあまりの落差に、いじましさを感じてしまうのは自然だが、
その時点で、デンジ本人の尺度を見落としてしまうことになる。
彼は、自分の「夢」を低俗な欲求として見下す連中に向かって
これまで虐げられてきた怒りを爆発させるのみならず、そこには
自明とされた価値の序列を力任せに覆そうとする獰猛な破壊衝動が発現している。

デンジの「夢」は多分、「動機」や「目的」とは異質なものだろう。
この生活を続けるために戦う、とは言うが、それは動機や目的とは呼べない。
「夢」を邪魔するものはぶった斬る。煎じ詰めればただそれだけのことだ。
いわば「動機」にまつわる人間的で高尚な"ストーリー"を
剥き出しの本能的な欲求によって相対化し、無効にする凶暴な"力"。
それがデンジの「夢」の本質である。

バトルの最中、彼は狂気のようにおのれの力に酔い痴れる。
精神的ないし心情的な理由付けなどとは無縁の、直接的な力の行使として
夢とバトルは一体であり、夢とは、バトルなのである。
生温いヒューマンな"ストーリー"を拒絶し"解体"する者。それがチェンソーマンだ。
デンジというキャラクターの本質はここにあると自分は考える。

shinoさんが最近提唱された「ポストヒーロー」という刺戟的な言葉を、
自分はポストモダンの文脈に絡めてこう理解したいと思う。
"大きな物語"に終焉をもたらした何物かを、ある"力"として客体化した時に
個々人の"ストーリー"="小さな物語"をも解体するほどに凶暴な存在が出現した。
ポストヒーローとは多分、善悪その他の相対的な価値づけを無効にすることで、
「正義」という曖昧な"ストーリー"を解体する、そのような絶対的な"力"である。
新しいヒーローとは、凶暴で剝き出しの、純粋な"力"そのものだ。

そしてそれは、彼の貧しく悲惨な生い立ちをめぐる"ストーリー"にも及ぶ。
その種の残像に浸りがちな我々の夢想もまた、解体されるべきなのだろうか。
メタレベルで"夢バトル"を挑まれているのは、私たちなのかも知れない。


デンジの「夢」について注意したいのは、それが更新される局面である。
マキマの飼い犬になった結果、人並みの生活をする夢は叶ったのだが、
第5話のマキマとの「契約」によって、この初期設定は更新される。

「もしもデンジ君が銃の悪魔を殺せたら、私がキミの願い事なんでも一つ叶えてあげる」。

本作の主要な登場人物は全員、何らかの契約を結んでいるのだが、
優越的な立場を利用して有利な条件を呑ませる点にマキマの本質が覗いている。
ヒエラルヒーを想定すれば、頂点に位置するのはマキマに違いない。
彼女から漂う不穏な気配はあたかも、"契約の悪魔"の存在を予感させるようだ。

この局面で重要な点はさらにもう一つ。
デンジの「夢」の対極には、殺された家族の復讐というアキの「動機」があるが、
この両者が、銃の悪魔という同じ目標を結節点として交差することである。
「俺はもう夢にゴールしちまってるからなあ。あいつはまだ追いかけてんだ…」
デンジのこの言葉が予告していたとおり、ここでデンジの「夢」は前景から後退し、
代わってアキを中心とした公安のデビルハンターたちの"動機の物語"がせり上がってくる。

物語全体を俯瞰すると、二つのフェーズが重なり合っているように見える。
仮にそれらを「人間圏」、「悪魔圏」と呼んでおくとすると、
デンジのドラマは「悪魔圏」に属しおり、デンジとマキマの間で潜在的に進行する。
一方、本作は公安サイドを中心に、ほぼ「人間圏」の枠組みの中で展開している。
要するに、本当の物語はまだ始まっていないのである。{/netabare}


Ⅱ 悪魔と人間

{netabare}デンジとマキマが新たに契約を交わす第5話には、
「人間圏」のドラマの出発点となる場面も含まれている。
こちら側のメインキャラである姫野とアキとの最初の出会い、そして
岸辺が初登場するシーンが、姫野の回想のかたちで挿入されている。

そのシチュエーションはとりわけ注意を引く。
そこは無数の十字架が果てもなく大地を覆い尽くす、広大な墓地の中だ。
悪魔との際限のない戦い。犠牲になった人々。殉職した仲間たち・・・。
そうした濃密な"意味"を凝縮させた、一種の「トポス」とも言える場所であり、
それぞれの「動機」と結びついた、彼らの心象風景をそこに重ねることもできる。

ドラマは主に姫野の視点で切り取られ、アキとの関係を軸に進行する。
メインのプロットに並行してやや間接的に、控えめに語られるそのスタイルを、
自分は「ミニマムな群像劇」、そんな捉え方ができると感じた。
こうした手法が可能なのはおそらく、キャラクターに共通する何らかの条件が
先行して物語の"磁場"を形成しているからで、それが「契約」なのではないかと思う。
それは抑制された心情を浮かび上がらせる、一種のフィルターのように機能する。


デビルハンターたちは悪魔と契約して悪魔と戦う。
力で劣る人間が必要に迫られて選択した、合理的な対抗手段であり、
契約の対価も「魂」ではなく、身体の部位を差し出すという現実的なものである。

「力を借りる代わりに、体の一部を狐に食わせる契約だ。今回は皮膚を食わせた。」
「公安でこいつと契約している人は二人。一人は寿命半分、
 もう一人は両眼と味覚、嗅覚を差し出しています。・・・」

何気なく語られる「契約」の非情な代償。そして、その非情さに麻痺した心。
「契約」は彼らの重い軛であり、自らの命を侵食するものですらある。
常識的には全く引き合わない職務であって、余程の覚悟がなければ遂行できないだろう。
だからこそ、彼らの内部にあるモチベーションは葛藤を孕みながら強く迫ってくる。
それが作品全体を貫く、どこか沈鬱なトーンとなっているように感じられる。

「契約」のフィルターをとおして見えてくるもの、それは、
自らの「動機」と死への恐怖との狭間で葛藤する、"普通の"人間たちの苦悩である。
岸辺の人格の破綻も、頭のネジをストイックに緩め続けた結果であって、
デンジたちに情が移り、それを言ってしまうあたりに彼の人間性は覗いている。
姫野のはっちゃけぶりも、絶望から目を逸らすために演じられたキャラであることは
遺された手紙からごく普通の、心優しい女性像が窺えることからも明らかだ。
第7話の墓地の場面では抑え切れずに、血を吐くような悲痛な叫びが漏らされる。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ・・・。」

一見クールな雰囲気を装いつつ、内面に潜むこうした痛切なドラマを掬い取り、
表現する手法としては、映画的なリアリズムは有効だったように思われる。


姫野の最期は二重の意味でドラマのクライマックスと呼べるものだろう。
自らの身体の全てを契約の対価に差し出し、死体すら残らない壮絶な死にざまは、
「契約」の極限的な帰結以外の何物でもない。まさに"契約のドラマ"の極致だ。
その死はまた、"動機の物語"の完結をも意味している。
彼女の「動機」はいつしか、アキという存在の中に集約されていた。
次々に先立って行ったバディたちの死が心に重くのしかかる彼女にとって、
アキの"普通さ"は絶望の中の救いであると同時に不安の種でもあった。

「アキ君は死なないでね・・・私が死んだ時さ・・・泣いてほしいから・・・」

アキを死なせないこと。その一念を貫き、敢えて引き受けた悲惨な最期によって、
彼女の「動機」は貫徹されたのである。

これに続く最終盤のバトルが本来のクライマックスなのだろうが、
姫野の"復讐"が果され、アキの「動機」の一部が成し遂げられたという意味では
姫野の"動機の物語"の延長戦と見ることができる。その点でこのアニメの結末は、
公安サイドのドラマの結着となっていると言っていいだろう。

その戦いの最中にアキが死の危機に瀕するが、その直後、
彼の前にゴーストの手が差し伸べられる。開かれた手のひらの上には一本のタバコ。
このとき差し出された"右手"は確かに、姫野自身の右手だったのだろう。
「私の右目を食べさせた代わりに、ゴーストの右手を使えるってわけ。」
彼女の「契約」は最後に、彼女の「動機」を助けたわけである。

 Easy revenge!(気楽に復讐を!)

このメッセージの意味は、ここまでの文脈に即して
姫野がアキの「動機」を肯定し、背中を押したもの、そのように解したい。


「人間圏」のドラマの中でデンジが周縁化するメカニズムも、
同じフィルター越しに説明できるのではないかと思う。

初期設定のデンジは「契約」の犠牲者とも言うべき存在である。
「腎臓が120万、右目が30万。キンタマ片方売って、いくらで売れたっけ・・・」
その彼が悪魔になることで、起死回生の大逆転劇が生じる。
死んでも元通りに生き返るのであるから、もはや身体の欠損など問題にならない。
自力で悪魔と戦える彼は公安の人間たちに対して圧倒的に優位な勝ち組である。
逆説的ではあるが、この特権性のゆえに彼は「人間圏」の中心から外れ、周縁に退く。
初期設定が解消された後のデンジの捉えにくさは、ここに起因するようだ。

結局のところ、デンジのキャラクターについては複雑なのか単純なのか、
現段階ではそもそも判別がつかないことになっている。
例えば、仲間が死んだことに涙を流すアキを見て、自分は泣けないと感じ、
「心臓だけじゃなく、人の心までなくなっちまったのか…?」と自問するシーン。
並みの主人公ならば、この葛藤がストーリーへと展開されるところだが、彼いわく、
「ま、シリアスな事は考えなくていっか!
 楽しくねえ事考えても楽しくねえだけだからな!」・・・これがデンジだ。{/netabare}



デンジのキャラクターは現段階では未分化の状態にある。
・・・これが相応に時間を費やした挙句の、結論らしからぬ結論である。

ただし、直観に過ぎないものだが、付け加えておきたいことが一つ。
Ⅰ章で指摘したとおり、彼は価値の序列の破壊者であり、かつ、その存在が
善悪、あるいは悪魔と人間の境界で、両義性と媒介性を体現している点で、
そこには「トリックスター」の本質がベクトルとして認められるのではないか?

特に示唆的だと思われるのは、本作ラストの{netabare}"キン蹴り"{/netabare}のエピソードだ。
この悪ふざけが彼一流のリベンジであることによって、
アキのシリアスな"復讐"をコミカルに反転させた戯画になっている点が、
秩序を撹乱するいたずら者であるトリックスターの要件に合致するのではないか。
何にしても今後の展開によって、彼の正確な像が定位するのを待つしかないのだが。

あるいは本作の演出の意図も、作品が孕む二極性を踏まえた上で、
第1部「公安編」を文字通りに、公安のデビルハンターたちの物語と捉える
ややイレギュラーな視角から作品にアプローチした結果なのではないだろうか?
・・・などと想像してみたが、これはおそらく考え過ぎだろう。

ところで本稿の作業中、参考のためにWikiを開いたところ、
いきなり強烈なネタバレを食らってしまった。・・・くれぐれも注意されたい。
お蔭でマキマさんの正体も含め、衝撃的な展開がこれから待っていること、
このアニメはいわば前座に過ぎず、本当の物語はこの先にあることが確認できた。
二期が制作されないうちは、トータルな評価は時期尚早と言うべきだろうか。


2023.1.20 投稿  2.6 補完

投稿 : 2024/05/04
♥ : 24
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

作品の評価はするが冗長で飽きました。3分の2の尺でやれば…

10話 一旦断念です。原作通りすぎだし、更に間延びが凄いです。

 もともと藤本タツキ氏の作品にしては、短編と比べて密度が薄い作品です。「スタイリッシュバトルもの」みたいな呪術廻戦などと同じカテゴリにくくられてしまいました。そのせいで人気は出たのかもしれませんが、感想としては原作時点でも冗長でした。

 それでも本作原作も、普通のジャンプ系の作品に比し、メッセージ性テーマ性の密度は全然違います。
 リビドーとタナトス。名前とおっぱい。資本主義と貧困。社会の犬。恋愛の難しさ。欲望、生存、衣食足りて礼節を知る、友情…そういう要素をバトルマンガにした才能はさすがだと思います。
 銃の悪魔は社会の共同意識、印象による価値付けみたいなテーマはいいですけど、これはちょっとチープなメタファだったかなあ。うまく使えてない気がします。
 そして、全体的にストーリーの進展が余りに遅いです。氏は大胆な省略ができるのがいいところだったのに。

 衝動、悪魔性の表現、破壊者としての脅威、絶望感などでバトルは必要だと思いますが、しかし、場面が多すぎだし、長いです。興味があるのはデンジの生存欲求が満たされ、贅沢や人間関係を得ることと同時に悪魔性が強くなってゆく描写です。

 ジャンプ連載なので間延びは仕方がないし、氏のキャリア形成にもなったでしょう。そもそもマンガ家としてこういう要素もやりたかったのかもしれません。楽しんでやれるならそれが一番です。ただ、それでも11巻は長すぎです。更に続いていますし。7巻くらいにまとめたほうが、濃い作品になったと思います。デビルマンになりそこなった作品だなあ、という感じです。

 その冗長な作品を丁寧なアニメ化といえば聞こえはいいですが、正直薄味の11巻を2クールにしようと思うと、こういう間延びになるのでしょう。
 演出とか構図とか、バトルシーンの出来とか、そういう批判の前に、尺が長すぎです。半分とは言いませんが、5分の3、無理なら3分の2くらいでやればよかったと思います。
 アニメで見たら、原作の間延び感が薄まるかなあと楽しみにしてましたが、かえってひどくなった印象です。

 原作と全く同じだし、見ていて飽きてきますので、一旦断念です。あとで確認するかもしれませんけど。

 評価点は高いですが、主観では57点という感じでした。




以下 視聴時の感想です。


1話 アニメは最高の出来。普通にエロと金と友達が欲しい男の物語

{netabare} ということで、本作。もう時代の気分そのままです。普通でいいから飯食いたい。女とエッチなことしたい。働いた分なんとかしてくれ。全部ぶっこわしてー、資本主義や大衆は悪魔だ、ですね。
 子犬を助けるという古典的なマンガのスタート、ジェイソンで殺戮の象徴となったチェーンソー。すべてのアナロジーは大変わかりやすいですね。その中で主人公がどういう選択をしていくのか?というストーリーになるかと思います。
 氏の作品は、選択と選択のIFを表現している場面が非常に多いので、本作の注目ポイントは主人公の選択が非常に低レベルの欲望でありながら…ということでしょう。つまり「逆世界系」です。

 アニメの出来は、マンガよりも内容が頭に入ってくる印象です。逆に良く出来過ぎて引っ掛かりがありませんけど。ですので、やはり両方見る、が正解なんでしょうね。

 アナロジーでいえば、もちろんデビルマンは想起します。 {/netabare}

2話 「男はパンのみにて生きるに非ず。オッパイのために生きる」ですね。そして、今日も男は女に翻弄される。

{netabare} 欲望は一つ満たされると膨らみます。「衣食足りて礼節を知る」ではなく「衣食足りて欲望に目覚める」です。「隴を得て蜀を望む」とも言いますけど。
 デンジは女を夢見ることからはじまって、女に近づくことができ、抱き締められる、エロ本を得て、おっぱいを求めるようになりました。そして、マキマに面白いように操られます。

 デンジの行動原理は単純で、主義主張も思想もなく、常に欲望を満たすように動く。それが破壊の規模と全く等価ではないのが面白いです。デンジ=リビドー、チェーンソーマン=タナトスのバランスと言い換えてもいいかもしれません。

 今のところ彼にとっておっぱいにアイデンティティは求めてないですね。これが面白いところです。おっぱいであれば、誰でもいい状態です。
 彼が唯一代替の効かない個として認め合ったのが「犬」でした。

 それに、女にも2種類いますよね。欲望のままやりたい放題する女、そして自分の欲望を満たすために人を操る女。

 コミックと違って展開が遅いので、いろいろ考えてしまいますが、それもまた面白いですね。{/netabare}

追記 そういえばコミックにないマキマがデンジのネクタイ締めるシーンがありましたね。 {netabare} ~「犬になれ」と対応して首輪が付けられたということでしょうね。コミック4話の絵扉の代わりにいれたのかもしれませんが。やっぱりアニメ版はわかりやすくしていると思います。あるいは制服と合わせて「社会の奴隷になった」アナロジーでしょう。{/netabare}

3話 名前のないおっぱいはただのおっぱい。

{netabare} デンジにとってパワーちゃんはパワーちゃんでなく、ただの名前のないおっぱいですね。自分の欲望の対象でしかありません。おっぱいへの憧れであって、パワーちゃんである必要がない置換可能なおっぱいです。
 つまり性愛を知らない童貞マインドですね。日本人の貧困童貞の象徴がデンジです。

 一方でニャーコが殺せない理由はニャーコだから。ポチタが大事なのはポチタと名付けたからでしょう。名前が無い人間は人間ではなく経済価値=欲望を満たすための物でしかないということ。
 名前がある=代替が効かないものの喪失を経験したデンジとパワーちゃんは分かり合える=名前で呼び合えるのか?

 有用性は「いいね」の数か?他人をどうみるかという話もありました。名前問題の逆ですね。イメージがすなわち力である。

 デンジくんの正義=破壊のモチベーションはなんでしょう。今のところ他人の痛みです。

 第3話でテーマがどんどん出そろってきました。今週はマンガだとセリフばっかりでサラリと流してしまうところを良く描けたと思います。面白くなってきました。「破壊」と「ライトでおしゃれなセリフ回し」だけではないところを見せつけてくれたと思います。 {/netabare}

4話 デンジと早川とコウモリの悪魔、対するパワーとマキマとヒルの悪魔は、男性とそれを操る女性を表しているのでしょう。

{netabare} パワーちゃんはデンジにおっぱいを揉ませると嘘をつく、マキマさんが早川くんを薄っぺらい言葉で手玉にとっていまう。
 デンジを批判する早川くんもマキマさんの色香に迷ってますから、同列に見えるのが面白いところ。
 わざわざ、ネクタイを直すシーンを男女両方に入れたのは、マキマさんが早川くんの思考と行動を読み取りつくしているという表現でしょう。

 これがコウモリの悪魔とヒルの悪魔が男女関係だったことから、この男女の対比ですね。コウモリの悪魔という個体が好きだったわけでなく、相手が必要だったと言い切っています。だから乗り換え可能になります。
 ヒルの悪魔の女性の性的なキャラデザからいって、女性がセクシャリティを使って男を操縦することに対する強烈な皮肉を感じます。

 この第4話の部分は女性はこんなものだというミソジニー(女性嫌悪)が出ていました。男の夢の価値の有る無しを懸命に解いている早川くんもコウモリ悪魔も、女性から見たら変わらないという風にみえました。

 性欲の対象でないニャーコへの愛情との対比でもあります。あと、善意に解釈するとパワーちゃんはちょっとデンジに心を開きつつあるかなあ。

 前半のバトルシーンも後半の早川くんの性格描写と日常の平穏からの混乱も尺が長くてくどかったかなあ。もうちょっとテンポが良くてもいいかもしれません。

 なお、鬼滅とか呪術なんかと同じ系統の作品だと評価している人も多そうですけど、2重構造なんでしょう。表面上はそういったバトル作品としても派手に楽しむこともできると思います。世間の本作の評判を見る限り、今のアニメとかマンガがどういう消費をされているのか確認するのが面白いです。
 バトルとか作画と声優の事ばっかりで、しかもエロ表現が余計だというのが支配的なんでしょうか。その見方は私は想像もしてなかった見方なので面白いなあと思います。{/netabare}


5話 男の私小説?マキマさんのうさん臭いエロさとは?それにしても出来が良すぎて飽きるかも。

{netabare}  誰にでも経験というのはありますが、この作者の初モミは不幸なものだったのかなあと想像してしまいます。要するにこの辺りの描写って、自分の経験が常識と勘違いすることが多いですから。私小説?赤裸々すぎる欲望の独白はヰタセクスアリス的でもあります。

 いい風にとればパワーちゃんはバディとして友達…現段階だと遊び友達になったので、エロスを感じなくなったとも取れます。少なくともニャーコの件で妙な信頼はあります。

 ただ、私小説というだけでなく気持ちのこもらない「揉み」では、おっぱいは単なる脂肪の塊ですから、マキマさんのセックスエデュケーションと合わせて、一般的な若い男の欲望ともいえます。マキマさんのエロさすごかったですけど、一方で胡散臭いところが良く表れていました。

 一方でデンジはディープキスには反応してしまいますので、欲望のエスカレートと結局は女性たちに性欲で操作される悲しい男の性なのかもしれません。

 銃の悪魔は…テロリズムで狂いだした何かの象徴なんでしょうね。

 さて、アニメですが素晴らしい出来だと思います。セリフの一つ一つが原作通りで、かつよく動きますし。
 しかし、原作通りすぎて意外性がないのも事実です。作品の性質上ストーリーが変えられないのはわかりますけど、何か工夫しないと原作読み返せばいいになってしまう気がします。特に今回のように動きが少ない回だとなおさらです。

 原作者が介入すればそりゃあ原作通りになってしまうでしょうが、しかし、化物語という稀有な例もあります。演出を工夫するとかコミックで表現できなかった動きのあるエロスとバトル。その辺の売りの部分でいい動きというだけでなく、何か感動が欲しいです。
 その辺がないといい出来すぎて飽きてくる気配も感じます。 {/netabare}



7話 閉じ込められる=閉塞感 チェンソーマンって何?

抜け出せないというのは日本の閉塞感でしょうね。
分けられる食べ物は少ししかない。貧困の象徴でしょう。
頭がぶっ飛んだ人間しか生きて行けない。まともな奴は死んでゆく。
デビルハンターは制服でネクタイというのも大事でしょう。つまり搾取される労働者・学生でしょう。新入生歓迎もしてますし、会社辞めちゃう問題もありました。
彼を殺された人間が姫野をひっぱたく。的外れな感情のぶつけ方。
コベニちゃんは兄の大学のために「デビルハンターか風俗」
コベニちゃんがウザくて私のせいじゃないと言う。面倒ではっきりものが言えない。
コベニちゃんは迷わず、自分が良ければ人は殺していいという判断をする。
キスについては、ある種の女性にとって、自分の肉体は男を操る道具。
コベニちゃんと姫野の描き方…他の女性キャラもそうですけど、作者のミソジニーでしょうね。あるいは女性嫌悪と性欲の二律背反でしょう。
あるいは大衆・概念としての女性の肉体の「経済性」と、個人としての女性の「代替の無さ、愛情」みたいな視点。
結果としてコベニちゃんは身勝手な女性の象徴でもあり、女性の生きづらさの象徴にもなっている感じです。
タバコより「ノーベル賞」という意味のないもの、「消費税」とか悪いもの…もっと他に辞めるべきものがあるだろう?
人間の集合体が悪魔として襲ってくる。そして最後はもう殺してくださいという。
契約は絶対。

 
 ゲロチューはなぜ、姫野先輩とのチューはゲロの味だったのかは、前回のおっぱいの比較の繰り返しかなあ。まあ、上に列挙した女性との関係性の矛盾が現れたということだと思いますけど。

 チェンソーマンって、バトルマンガとして見るとアニメ化は失敗なんでしょうかね。生きづらさ、閉塞感をどうやってデンジがぶっ壊して行くのかという視点で見ると、アニメ化にあたってクローズアップするところは正しいと思います。
 特にこの6,7話はチェンソーマンとは?をわかりやすく表現されていたと思います。

 原作からいってこの作者にしては、ジャンプ向けにちゃんとわかりやすく、かみ砕いていると思います。それにエンディングテーマで丁寧に視点を教えてくれているので、そこを拾って行くと面白いですね。今回はゲロチューです。

 それにしても原作準拠すぎでしょう。もうちょっと何かないんでしょうか?もうEDとエロシーンだけ見ればいいのかな?

投稿 : 2024/05/04
♥ : 23

68.9 2 グロテスクで東京なアニメランキング2位
バビロン(TVアニメ動画)

2019年秋アニメ
★★★★☆ 3.3 (366)
1120人が棚に入れました
「その啓示は、静かにそっと訪れる―」東京地検特捜部検事・正崎善は、製薬会社の不正事件を追ううちに、一枚の奇妙な書面を発見する。そこに残されていたのは、毛や皮膚のまじった異様な血痕と、紙一面を埋め尽くすアルファベットの『F』の文字。捜査線上に浮かんだ参考人のもとを訪ねる正崎だが、そこには信じがたい光景が広がっていた。時を同じくして、東京都西部には『新域』と呼ばれる新たな独立自治体が誕生しようとしていた。正崎が事件の謎を追い求めるうちに、次第に巨大な陰謀が見え始め――?

声優・キャラクター
中村悠一、櫻井孝宏、小野賢章、M・A・O、堀内賢雄、興津和幸、宝亀克寿、置鮎龍太郎
ネタバレ

ossan_2014 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.1

萌えと怪事件

【2020/03/12 末尾に追記】


怪事件を巡り、架空の政治的特別区で、生と死や、正義と悪を揺るがす政治的/法的闘争が開始される。

といった展開を予期させる冒頭の数話だが、「重そうな」要素は、サスペンスの設定のために効果的にそう見せかけるための装置に見えるので、あまり本質的ではない「哲学」への拒絶感で視聴を遠ざけるのは筋が違う気がする。

政治特区や検察特捜部などの「道具立て」がリアリズム的な効果を期待されながら、現実の「特区」は首相や有力閣僚のお友達に利権を分配する装置になっているとか、現実のアメリカ大統領は知性や熟慮とは100パーセント無縁の人物であるといった、作中のリアリズムが「現実」に減殺されてしまうような事態は、本作のせいではないので少しばかり気の毒だ。
が、必ずしも作中の「フィクション」性と「現実」が分離しきれていないところが、同情だけしてはいられない視聴感をもたらす。(後述)


なぜ人を殺してはいけないのか、という難問が中二病的な空想の産物に過ぎないように、なぜ自殺はいけないのか、という問いも、現代の視聴者が感じるほどの「深さ」はない。

文明との接触が限定的な狩猟採集の伝統社会においては、嬰児殺し=子殺しが広く観察されていることはよく知られた事実だ。
が、入手可能な食料の総量と人口とのバランス調整の手段は、「子供を減らす」に限ったことではなく、「高齢者の自殺」という形でも行われている。
そうした社会では、老人が自主的に自殺していく、あるいは老人の自殺の幇助は、自然な決断や称賛されるべき名誉ある行為とされているらしい。

伝統社会で観察されるという事は、人類史において、広範な範囲にわたって「名誉ある自殺」(と幇助)が存在していたことが推察できる。
日本の「姥捨て山」のお話にしても、老母を「殺す」というよりも、老人の「自殺の幇助」という習慣であるとも見ることが可能だ。

状況によって評価が変わる行為が「深く」見えるのは、問い自体の「深さ」というよりも、語りの「レトリック」の問題だろう。
相対的に「評価」される行為を、絶対的な「善悪」の価値と結びつける「レトリック」は、もう一方では「絶対的」な価値を「相対的」に引きずり落とすレトリックでもある。



{netabare}世界には、「正義」も「悪」もない。すべては相対的なのだ。
とは、中学二年生が言いそうなセリフだが、いい年した大人でも、どうかすると口走る。

中二であれば、人生でこうした考えに一度は向き合うことも大切だと思えるが、大人で口にする者が、得てしてブラック経営するIT成金だったりするところに、どっちもどっち論の幼さや無根拠性が表れている。


たとえば、虹の7色と言われるが、実際の虹はスペクトルであって、境目のないアナログな連続体であることはよく知られている。

ためしに赤色から橙色へ変化を追うとき、境目を見出すことはできない。
特定の波長を設定して、それより長いものは「赤」、短いものは「橙」と「定義」することはできるし、そうされてもいるが、それは光や色について取り扱う利便のために設定された「方便」であって、境界線のすぐ両側の「色」を見比べても違いを指摘することは困難だ。

「設定」は恣意的なものであり、「赤」と「橙」を区別する絶対的な境界線はない。
が、だからと言って、「赤と橙には違いは無い」、さらには「色の区別は不可能」といったことにはならない。

「境界線」の両側では、確かに違いを識別できない。
しかし、誰でも、「明らかに〈赤〉としか見えない」色や、「どうしても〈橙〉にしか見えない」色があることは「疑えない」。

「これは明らかに〈赤〉だ/〈橙〉だ」という直観(直感、ではない)、両者の区別の根拠はこれだと現象学は主張する。
「赤」を見たときに感じられる「あの感じ」。「橙」とは異なる「あの感じ」が現れることが、「赤」という直観を支える本質だ。
本質洞察されたこの直観によって、「赤」と「橙」の両者は峻別されるし、この区別=違いが直観されて不可擬であるからこそ、事後的に「区別」できない領域という疑惑が生じる。
論理的に、最初に区別が「ある」という確信があるからこそ、区別は「無い」かもしれない=「ある」は誤りかもしれない、という懐疑が生じるのであって、逆はあり得ない。
「境界線」、「定義」、の発想自体が、「ある」の確信の上にしか生まれないのも明らかだろう。

境界線の付近ではどちらの色か決定が困難に、あるいは不可能になるが、それは「ここでは決定できない」という「明確な」判断が下されるのであって、区別の原理的な不可能や、ましてや一切の決定不可能性を意味するものではない。

「正義」と「悪」にも、まったく同じことが言える。上記の「赤」と「橙」に、正義と悪を代入すればいい。
「色」も含め、あらゆる知覚像が人間にはアナログなものとして現れることが、人間にとって世界がアナログとして存在する根拠であり、「正義」と「悪」もアナログなスペクトルとして現れ出る理由だ。
取扱いの「利便」のために「境界線」が引かれるが、境界の設定や曖昧性は、正義や悪という区分の存在の不可擬性を脅かすわけではないし、善と悪の区別が一切不可能であると証明するものでもない。

中二病の患者が主張するように、「正義」も「悪」も存在しないのではない。直観に対する懐疑と再確認が「世界」での人間の振る舞いの実質だが、中学二年生はその経験を重ねる途上にいるだけだ。
中二じみた言動をする大人は、いい年して直観と本質洞察に無自覚なだけか、自覚しているなら意図的に「ウソ」を吐いているという事で、どちらにせよ真に受ける必要がない。


ついでに、作中の「政治」要素についても記しておこう。

哲学や倫理といった根本原理が、物語る設定のために意図的に「法律」という「利便」のための道具に重ねわされているように、政治もまた、本作内では変形している。

「正義」が「法律」という「方便」と二重化されているように、作中では「政治」は「多数決」という「方便」と一体視されている。

作中の「日本」は民主主義の「政治」体制だが、選挙=多数決の「多い意見を集める」ことは、国民が国民自身を支配する民主主義「政治」を具体的に運営する「制度」=「道具」に過ぎない。
何らかの方法で何が「国民の意思」かを可視化しなければならないし、意思が複数存在するならどれかに決めなければならい。
が、それは「利便」の手段、あるいは運用上の「限界」=「制約」であって、本質である「国民による支配」そのものではない。

選挙の投票率が著しく低い、あるいは意見投票がしばしば「どちらでもない」が多数になることがあるように、多数決=選挙が、そもそも投票者=主権者の「意思」=本質を反映できていない事態は当たり前に存在する。
そもそも「選択肢」から選ぶという選挙=多数決は「デジタル」であって、「アナログ」の本質は原理的に再現できない。
少数意見を切り捨てずに議論するというのは、せめて「選択肢」を精緻化して少しでもアナログの再現度を向上させる「実利的」な方法論であって、綺麗事のタテマエ論ではないのだ。

民主「政治」が「多数決」と同一視されるのは、今のところ「本質」を具体化する「道具」がほかに考案されずにいるからに過ぎない。

本作内での「政治」が、「本質」から離れた「多数決」の言い換えなのは、言うまでもなくサスペンスドラマの設定がパワーゲームの要素を必要としているからだ。
本作内の「政治」は、本質的な意味での政治とはかかわりのない、「ゲーム」の「ルール」の一部をなしているだけに過ぎないし、それゆえ作中で「政治」を問うことは見せかけに過ぎない。

作中の「政治」という言葉は、全て「架空の数取りゲーム」と置換して構わない。


作中で主人公が追い求める「正義」が揺らぐように見えるのは、「法律」の本質がまさに「利便」のための「境界線」であって、「正義」の本質とは異なるという食い違いによる。
「正義」が揺らいでいるのは見せかけで、揺らぎは「正義」と「法」の、本質の範疇的な違いが生み出している。

「正義」と「法」の範疇が混淆するのは、主人公の職業意識が反映されているからであり、サスペンス性を主人公視点で演出するからだ。
だが、終幕に至って、所属組織を離れ、職業上の立場を離脱してもなお、主人公の思考と価値基準が変化しないことで、サスペンス性が急速に拡散してしまう。

「サスペンス」は、怪事件が「捜査」され「真相」を追うことで発生していた。
だが、終幕では、「捜査」は放棄され、主人公は「職場」を離れる。

職場=捜査を離れることで、サスペンスを発生させる支点=視点の特権的な「立場」が喪失されているにも拘らず、行動の核である「職業的」信念が変化しない主人公は、中二病の自問自答じみた空虚な詭弁の狂言回しのように迷走し、「サスペンス」は決定的に喪失される。



それにしても、原作は小説のようだが、事件のキーパーソンの曲世という女性の造形は、まるでアニメ化のために創られたかのようだ。

いっさいの作為なく、対面する男の性的な欲動を(強制的に)挑発する、とは所謂「萌え絵」(の概念)をキャラクター設定にしているとも云えるだろう。

「乳袋」に代表されるような、現実からは不自然な衣服の張り付きや、皺の強調。
殊更にまくり上げられたスカート、しかし下着を描かない「はいてない」。
あるいは身体のひねりや指の微妙な曲線、「乳揺れ」、などなどなど。

描かれている(女性)キャラには挑発する作為などないと見せかけるイイワケを担保しつつ、性的な印象を喚起する「萌え絵」の技法。
こうした技法の数々に支えられる「萌え絵」の概念が、そのまま彼女のキャラクター設定に重なる。
と同時に、アニメ化に際して、こうした「萌え絵」の技法をなぞった描写をすることによって、このキーパーソンの特異「能力」を、最小限の説明で視聴者に納得させることが可能になる。

「意図的に」この「異能」で事件を操作する曲世愛というキャラクターは、まさに「萌えキャラ」構造の可視化という事になるかもしれない。
作為は無いという暗黙のイイワケを投げ捨て、「キャラ」「自身」が「自覚的」に「萌え」るビジュアルを誇示してきたならば、男子オタクは能天気に「萌え」つづける事はできるのだろうか。
彼女に「犯された」という同級生男子たちの証言は示唆的だ。

こうしたところが、本作が「アニメらしくない」物語ではなく、アニメならではのものだと思わせる。


バタイユの有名なエロティシズム論では、エロティシズムは、禁止によって規定されている人間存在が、規定された「禁止」線を「侵犯」することで立ち現れるのだという。

正義と悪の境界線=「禁止」の境界線を揺さぶり、混乱させる「犯人」=曲世が、性的イメージを喚起する「萌え絵」の化身のようなキャラクターであるのは必然だろう。

だが、アニメやマンガに投げかけられる「エロい」が「エロティック」のカジュアルな短縮形であるように、「萌え絵」の「エロ」は、バタイユ流の「死にまで至る生の称揚」である「エロティック」に比べれば貧弱で弱々しく、言葉同様に内実もカジュアルに薄弱化しているようだ。

挑発はしていません、という「言い訳」で性的要素がないかのように見せかける「萌え絵」の概念。
大人の目を盗んで「怒られ」無いようコッソリと逸脱を楽しもうとする子供のような態度を思わせる「萌え絵」の「エロ」が、死にまで至る生命の燃焼を求めて「禁止」を正面から「侵犯」するバタイユの「エロティック」に到底及ばないのは当然かもしれない。

何かの拍子にたまたま「萌え絵」が公共の場に出て、批判的な意見に曝されたとき、まるで発狂したような勢いで批判者に罵言が集中して、なんとしても批判者の口を塞ごうとありとあらゆる屁理屈が並べ立てられるのは、どうしてでも「こっそり」侵犯している姑息な「仕掛け」を隠蔽したいからなのだろうか。

禁止線をめぐる「境界線」の問題を、表現や自由などの「絶対性」に結び付けて一切の批判を一挙に無効化させたいという自堕落な欲望は、まさしく正義や悪を持ち出して「境界線」を「絶対」化しようとする曲世=「萌え絵」キャラの欲望と共鳴している。

こうした騒動は主にネット上での「炎上」という形で現れ、様々な「論客」とやらが「議論」をかわしている、とみられているが、ネットの掲示板やSNSには、「議論」など無い。
掲示板の書き込みやSNSのつぶやきは、交互に書き込むことで「対話」や「議論」が行われているように見せかけられてはいるが、実質的には単に自分の「意見」を書きこんでいるだけに過ぎない。

現実に対面しているもの同士の会話では、おのずから「意味」が立ち上がり、交換され、それによって「議論」や「決着」も導かれる。
一方的に、相手の「意見」を無視して「議論」が成立することは、原理的にできない。

言語の「原理」とは、「意味」が発生していると相互に不可擬な間主観的信憑が発生する、という現象学の本質洞察であって、言語哲学者の「言語は定義できない」は転倒した錯誤に過ぎない。
だが、掲示板上では、間主観的な不可擬性の信憑がなくとも、一方的な書き込みで「議論」の形式を見かけ上捏造することができる。
論客とやらの「論破」「オレの勝ち」の勝利宣言は、要するに独り言の書き込みと本質的に変わりはない、端的に無意味だ。


アニメの感想にこんなことが浮かんでくるのは、本作のラスト数話で繰り広げられる「議論」や「思索」が感じさせる空虚感、空想性、空回り感が、まさにこうした「形式上」の形を整えただけの無意味感と同じ感触を感じさせてくるからだ。

日常的な会話では、「よい」は、「良い」「善い」「好い」「正義」「優れている」「悪くない」などなどの多様な意味の中から、その都度使用する人間たちの間主観的信憑において「意味」を相互了解しながら使われている。
「よい」という言葉を使っているという「形式」だけで、善悪という根源的審級における「よい」、法律上「よい」、政治的に「よい」、などなど、本質の異なる諸要素を同一平面において混淆してしまう形式主義の言葉遊びが、本作ラストの空虚さを支え、ネット「議論」を連想させる。

あるいは、意図的な「詐術」として形式化を利用しているのではなく、作者や製作者の中では「本気で」先入観のない幅広い思索を試みていると自覚されているのだろうか。
掲示板で「勝利宣言」する「論客」が、ともすれば自覚的に詭弁を弄しているのではなく、本気で「勝った」気になっているように見受けられるように。
だが、上述したような、正義についての本質洞察の確信を把握する普通の視聴者には、本作の「議論」も、ネット論客の「勝利宣言」のように、独り相撲のつぶやきにしか感じ取れないだろう。


作者や製作者が形式主義を自覚できず、詭弁の空論を「本気」で捉えているのかもしれないと疑ってしまうのは、掲示板やSNSのみならず、形式主義が現実に浸透しているような日常感覚があるからだ。

この数年、首相を始めとする有力政治家が、論理的には明らかに不法行為を行っていると推察されるのに、一向に追及が効力を発揮できない事態は、ネット同様に他者の意見や言葉の意味を一切受け止めることなく、一方的に妄言を並べたてる態度を、「議論」とみなしてしまう「形式主義」の呪縛にある。

「形式」上、議論であるかのような体裁があれば、本質を顧みることなく事実的な「議論」として取り扱ってしまう「形式主義」

昔話では、「王様は裸だ」と言えば下らない欺瞞は霧散した。
が、「奴は嘘つきだ」という単純な真実を言えなくする「形式主義」の呪縛が、際限なく空論を繰り返す下らない「議論」を無限生産する。

こうした「現実」が、ネット同様、本作のようなアニメにも浸透して、サスペンスが空論に落ち込む事態を招いたのかもしれない。
「性的な挑発はしていません」という「形式」主義の産物である「萌え絵」を体現したキャラの姿で幕を閉じるラストは、象徴的だ。



【追記】

萌え絵を愛好することは、別に悪いことではない。
いや、むしろ「萌え絵」の魅力は性的な要素があってこそなのだろうし、それを間接的な仕方で匂わせる処に「萌え絵」の技術性があるのだろうと考えている。

だが、「炎上」で不毛な「論争」が爆発するのは、擁護したい者が、自分は「エロいから」この絵が好きだ、という明らかな「事実」を否認=隠蔽したまま「擁護」しようとするために、「擁護」の立脚点が架空の「論点」の上に築かれざるを得ないからだ。
「架空」の土台上に重ねられる言葉に、間主観的な「意味」の共有が生じないのは当たり前で、再反論もどこまでも空論へ流されていくのは、これまた当然だ。

「萌え絵は性的な挑発をしている(だから好き)」と事実を認めるだけで、不毛な議論の大多数はたちどころに消滅するだろう。
「形式」的な「議論」(の体裁)にこだわって、どう見ても明らかな「事実」を無いことにする歪みが、不毛な言説の氾濫となって「炎上」は繰り返される。

本作では、「曲世愛」が、(作品内の「現実」では)「事実」として他者の思考や情動に影響を与える「能力」があることはどう見ても明らかであるのに、法律上の構成要件に該当するかどうかという「形式」にこだわり、危険な異能という「事実」性を基礎に置かないために実効的な対応が取れない。

終幕の「空論」の空転感を底で支えているのが、「事実」を見ないことにして「形式」上の体裁に縛られる形式主義であり、中心点である曲世愛が「萌え絵」(概念)を象徴するキャラであることは、やはり必然だと思う。

その意味では、時代と現実を反映していると云えるのかもしれないが、触発的に告発しているというよりも、単に時代に「取り込まれ」て呪縛されてしまっているだけという印象しかないのは、作者や製作者の自覚的な内省や能力の問題だろうか。{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 8

Ka-ZZ(★) さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

生きることは善いこと

この作品の原作は未読です。
ここのところ、ツインエンジンさん制作の作品は面白いのが多いので、視聴を楽しみにしていました。
「甲鉄上のカバネリ」にはじまり、「クズの本懐」「ゴールデンカムイ」「からくりサーカス」「どろろ」など。
直近放送された「ヴィンランド・サガ」もツインエンジンさん制作の作品です。
このラインナップを見たら期待せずにはいられません。

この作品は全部で3章構成になっています。


第1章「一滴の毒」
その啓示は、静かにそっと訪れる―
東京地検特捜部検事・正崎善は、製薬会社の不正事件を追ううちに、一枚の奇妙な書面を発見する。
そこに残されていたのは、毛や皮膚のまじった異様な血痕と、
紙一面を埋め尽くすアルファベットの『F』の文字。
捜査線上に浮かんだ参考人のもとを訪ねる正崎だが、そこには信じがたい光景が広がっていた。

時を同じくして、東京都西部には『新域』と呼ばれる新たな独立自治体が誕生しようとしていた。
正崎が事件の謎を追い求めるうちに、次第に巨大な陰謀が見え始め――?


第2章「選ばれた死」
人々に拡散し始める、死への誘惑─
新域域長・齋開化による『自殺法』宣言と、64人の同時飛び降り自殺。
日本を震撼させる事件の真相と、暴走する齋の行方を追うため、正崎は捜査に動き出す。
後任の検察事務官として瀬黒陽麻も加わり、法務省・検察庁・警視庁をまたいだ機密捜査班が組織される。
さらに、事件の鍵を握る女・曲世愛に関する調査も進める正崎だが、その先にはさらなる絶望が待っていた——


第3章「曲がる世界」
絶望の先に辿り着く、「悪とは何か」の答えとは――
公開討論の末に域議選挙が行われ、新域では自殺法の運用が本格的に始まろうとしていた。
齋拉致計画の一件で捜査班全員の死に直面した正崎は、依然として絶望の淵に立っていた。

憎むべき人間はただ一人。“最悪の女”曲世愛を正崎は再び追う。
正義、そして悪とは何かを、己に問い続けながら——


公式HPのINTRODUCTIONを引用させて頂きました。

レビューのタイトルでも触れていますが、本作品は人間の生死と善悪を結び付けて扱う作品です。
「善いこととは?」「悪いこととは?」「生きるとは?」「死ぬとは?」
キーワードはたったこの4つだけ…
でも、この4つのキーワードは如何様にも組み合わせることができるのが、物語をややこしくすると同時に、心の軋む元凶たり得るんです。

当たり前の様に生活を送っているので、普段こんなことは考えたりしないと思います。
だから真面目に考えてみると、答えを導き出すのが結構難しかったり…

でも完走して振り返ってみると、疑問点が二つばかり…
まず一つが登場人物の死について、こんなにも凄惨に描かなければいけなかったのか、という点です。
人に限らず、生物には必ず死が訪れます。
これは確実で不変的な事象で例外はありません。
そしてその生きている時間を決めるのは決して他の生物ではあってはならないと思います。

私はこれが世の中の一般常識だと思ってきました。
ですが、この作品ではその常識を根底から否定するんです。
しかも想定の範疇を軽々と凌駕する描写で視聴者に襲い掛かってくるのだから堪りません。

個人的には主人公の東京地検特捜部で検察官を務める「正崎 善」の部下として奔走していた彼女の死が一番痛ましく、視聴を続けるのが正直しんどかったかな…
よくもまぁ、そんな事が考えられると思ったと同時に、その愚行に及んだ犯人を心底憎いと思いました。
リアルでもそこまで憎いと思える人なんていないのに…

そしてもう一つが恐らく巷を騒がせているであろう最終回の展開です。
投げっ放しという感覚は無いのですが、あまりにも情報量が少なすぎるという印象です。
サミット会場の屋上では2発の弾丸が発砲されました。
ですが、その顛末が描かれているのがCパートのほんの一瞬で、そこには凡そ存在しないであろう人物が笑っていたのですから…
そしてその展開は最終回に相応しいとはとても思えなかったので、思わずネットをググっちゃいましたよ。
そしたら、原作は小説と漫画があるようですが、どちらも未だ続いていたんですね。
しかし、この消化不良感、何とかならないのかなぁ…
齋開化の件だって中途半端感が拭えませんし…
気になる方は是非本編でご確認頂ければと思います。

主題歌は各章ごとに使い分けられていました。
第1章が「Live and let die」
第2章が「イノチ食ム魂」
第3章が「The next new world that no one knows(blood stained ver.)」
あまり気付きませんでしたが、一応歌詞と歌はあったみたいです^^;

1クール全12話の物語でした。
本当に壮絶な戦いが繰り広げられるのは、寧ろこれからなのかもしれません。
でも、人間は勝てるのでしょうか…?
最終話で明かされた「善いこと」を貫くだけでは、きっと彼女には届かないと思います。
今は彼女に勝利するためのピースが欠けているのでしょう。
それが何なのかは分かりませんけれど…
だって、曲世 愛の能力が正崎 善に効いていないのか、或いは曲世は正崎に対して能力を発動させていないのか、それすら私たちは分からないのですから…
続編の制作が待ち遠しいところですが、それには原作のストックが足りないのかもしれません。
寝て待つことしかできないのかな…?

投稿 : 2024/05/04
♥ : 27
ネタバレ

pister さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.4

Fとか‥‥

5話までの感想{netabare}
やっぱりどうしても、“正解するカド”を知ってるとどうしても…ねぇ?
見る前から「この原作者の作品はクソだ」と決めて掛かることはないけど、警戒はしちゃいますw
栗T着た異方少女サラカちゃんが出てきやしないかヒヤヒヤ。
ヤンホモを殺すビデオレターが飛び出すんじゃないかヒヤヒヤ。

と思ってたらその片鱗らしきものが…。
曲瀬愛…一瞬で男を惑わす魔性の女…えええ、超常現象に頼っちゃう?そうしちゃう?
な、なんだろうな、しっかりした展開を望む気持ちとドッチラケで終わるのを期待する気持ちが混在してる自分に気付いた。
ある意味今後の展開に目が離せません、こんな楽しみ方で良いのか?{/netabare}

6話感想{netabare}
討論番組は“ダンスインザヴァンパイアバンド”の1話を彷彿とさせますね、あっちは作者本人がパネラー役やってたっけか。
少年の父親は「行方が分からない」と「誰だか分からない」とでは全然別だよね?
「父親とは連絡が取れておりませんが~」って、本当に存在するかどうかも不明なモノ(名前すら知らなかったんでしょ?)に勇み足が過ぎるなぁ、と。
まぁいいか。
野丸が少年を擁立させて当選を狙うって…元々齋開花を談合で当選させて傀儡にしようとしてたんだよね?
まんまと飼い犬に手を噛まれた形なのに、再び傀儡にしまっせオーラを隠そうともせずにぬけしゃあしゃあと懲りないねぇ…と思ってしまったので、親父の正体明かされても「ああやっぱり」って感じ。
まぁいいか。

「まぁいいか」として流しにくいのが、やっぱり誰にでも選挙権があるのが奇妙で…それこそ高校生総理大臣を笑えない。
とはいえ、それくらい現実離れした世界でないとこの作品のテーマが描けなかった…のかも?規制だなんだで。
但し、そうだったらそうでそれに見合ったリアリティはちと欲しい気が…感情論を語るなら、自分は子供に選挙権あるのはアカンと感情が動くぞw
自殺法の是非で討論番組開くなら、その前に子供の選挙権の是非で討論(※)してくれないとついていけない…前提から覆されて、そもそも論でちゃぶ台返しされた気分。


この作品でそれをやっても「自殺法を回避するために子供に選挙権は与えるべきではない」と循環論法になりそうではあるけどw{/netabare}

最終回までの感想(これだけ読めばいいかも){netabare}
人間の法律で裁けない化け物が超能力を使って人類を混乱させた──なんだい?パニックムービーになるのか?
繰り返し提起された善だー悪だーは、人間の間で考えるから人外は黙ってくれんかってノリで、本題になり切れなかった感じ。
そうさねぇ、マガセを人間だと捉えずに、見た目エイリアンやスピーシーズみたいなのに置き換えて考えれば通じるかな?自分はもうそうとしてしか見てなかった。
「どんな悪魔的な考えを持ってるヤツでも所詮は人間さ」とか「どんなに強力な化け物でも人間と共通の弱い部分を持っててそこを突かれて退治される」とかいった系ではない。
“ヴィンランドサガ”で実際に北欧の神サマが登場したら多分台無しになると思うのだけど、こっちではそれをやっちゃった感じ。
要はまぁ…マガセが万能すぎてそれ以外が茶番になってしまった。

一応まやかしのテーマ(善だー悪だーワオー)に沿って考えると…自殺法の是非より子供の参政権の方がよっぽど危なく感じて絵空事感が最後まで拭えなかった。
そして「よく考える」ってあーた…。
「良い」と「良く」は被ってる部分はあるものの意味としては別モノで、そこら辺混同させて煙に巻いただけ。
この手法、「少年の父親と連絡がとれない」を「行方が分からない」と「誰だか分からない」とで混同(バカには気付かれないようにそっと入れ替え)させたのと一緒で「またかよ」と。
殺人を敗北死だ救済(ポア)だと言い張るどっかのアレと同じで、そういう言葉遊びというか詐欺紛いの誤魔化しは止めてくれんかな。
と思ったら“正解するカド”も交渉官の主人公が最大の活躍をした交渉が性交渉というオチだったのを思い出した…そういうのが持ち味の作家なのん?落語家?
カドでは「ホモ死ね」、バビロンでは「生涯独身死ね」で一貫してるっちゃあしてるのかも知れんが、命を繋ぐを主軸に化け物が人類に干渉する作品なら“BEM”の方が数段上だったような…。
で、斎開花ってナンだったの?大統領夫人ってナンだったの?とかいう投げっ放しも持ち味として看過せにゃならんのかな?

最後のオチも…即座にマガセと対決しろやっつけろとまでは言わんが、正崎がマガセを追い詰めるのに「繋がる」ヒントやカギを何も残してないのってどうなんかね。
結局「続ける=継承する=繋げる」も放り出しちゃってブレッブレにしか思えなかった。{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 24

65.4 3 グロテスクで東京なアニメランキング3位
BLOOD THE LAST VAMPIRE -ブラッドザ・ラスト・ヴァンパイア(アニメ映画)

2000年11月18日
★★★★☆ 3.6 (185)
846人が棚に入れました
『BLOOD THE LAST VAMPIRE』(ブラッド ザ ラスト ヴァンパイア)は2000年から展開された、Production I.G制作のメディアミックス作品群。少女と怪物が繰り広げる戦いを描いたホラーアクション作品。
【ストーリー】1966年ヴェトナム戦争のさなか、日本の横田米軍基地内のアメリカン・スクールに、ひとりの日本人少女・小夜が転校してきた。彼女の正体は、闇に生き暗躍するヴァンパイア・キラーであった…。
ネタバレ

おなべ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

セーラー服を着た少女が日本刀で怪物どもを斬り殺します

少女、怪物、日本刀を題材として製作された上映時間48分の短編映画。製作会社はProduction I.Gで企画協力に押井守、キャラデザ寺田克也、脚本神山建治、作画監督黄瀬和哉、音楽池頼広、監督に北久保弘之って、油が乗りに乗った超豪華メンツで申し分ない。見る前からとてつもない期待をしてしまいます。


ベトナム戦争最中の横田基地内のアメリカンスクールに転校しに来たセーラー服を身にまとった謎の少女「小夜」が、謎の男達の監視下の中、怪物をぶっ殺すべく探索するというのがあらすじ。
また、舞台がベトナム戦争中の横田基地であることから、キャラクターがほぼアメリカ人で、作中は英会話が多めです。


パッケージの陰鬱さ具合から「一見さんお断り」なコアな雰囲気が漂っていますが、話は至ってシンプル。例え英会話の場面で字幕ナシで聞き取れなくても、話の支障は然程なく見れます。わかりやすい展開なので、今何がどうなっているか意味不明な状況には陥りません。その分物語やキャラクターに掘り下げは少なめなので、予想してたよりも味気なく感じてしまうかもしれません。


怪物を日本刀で斬る一瞬を、美しく格好よく映してあるのが本作の美点なので、これは物語を楽しむというより、レビューの題名の通り、日本刀を使って化物共をぶった切るセーラー服を纏った小夜さんの実験的映像作品及びプロモーションビデオとして捉えた方がいいでしょう。

BLOODシリーズは今や様々な作品がありますので、一応今作は初代BLOODと称させて頂きますが、初代の小夜さんはめっちゃくちゃ強いです。近頃の細腕のか弱いヒロインとは打って変わって、筋肉質でたくましい。アンジェリーナジョリー並の厚めの唇が個性的で、寺田克也氏の癖の強いキャラデザは好みが別れる所です。
私は最初は躊躇していましたが、勇ましい小夜さんを見ている内にすっかり虜にされましたね、ええ。戦う強い女性はやはり素晴らしいですね。cv工藤夕貴さんのクールボイスは文句ナシです。
{netabare} 劇場版BLOOD-Cの小夜はツンデレ具合がとても宜しかったですが、初代BLOODの小夜さんは常に不機嫌そうなんですよねえ…。口元をへの字のようにキュッとつむっているからかもしれませんが。驚いたのはセーラー服に「何だこの服は」と不満げな台詞を洩らす事。好きで着用していたわけではないようです。 {/netabare}


アクションシーンは今見ても全く劣らない動きの滑らかさです。特に序盤の地下鉄のシーンは不気味な音楽も合わさって、非常に緊張感があります。また、全体的に背景美術はもちろんキャラクターのデザインもリアルを目処にされています。陰鬱とした作風も素晴らしいです。
{netabare}「地下鉄=初代BLOOD」のイメージがある通り、地下鉄で斬り殺すシーンはホラー映画のように恐ろしい。後半デビットさんに「ソード!」と叫び、日本刀を投げ渡されてその刀で怪物を回し蹴りのようにスッパリ斬るシーンは痺れました。{/netabare}


話の物足りなさも残念な所ですが、もう一つ私が気になった所は、台詞が陳腐なこと。前述した通りこの作品は比較的リアルな世界覧を表現しているのに、キャラクターの喋る事がいかにもアニメらしいのです。リアルなキャラと台詞の粗雑さがイマイチ噛み合ってない。英語で台詞の簡略さをカバーしているようにも感じてしまいます。台詞回しには何らかの工夫が欲しかったですね。
{netabare} 特に序盤のデビットさんの「上からの指示だ」「本当に何も知らんよ!」はマシな言い方がないものかと。あまり裏組織の人間には見えないですね。
無愛想な小夜が神に対して嫌悪感丸出しにする描写は中々良かったです。小夜が吸血鬼であることを暗示させる描写は多めにあった方が、感情移入しやすかったかなあなんて思いました。
また、BLOODシリーズには巻き込まれ系キャラが大抵います。今作は保健医がそのポジションであるものの、小夜との交流が薄い。2人の関係は淡々として味気ないのもちょっぴり残念です。{/netabare}



映像面の表現法や構図には圧巻されるし、上映時間の少なさからいろいろストーリーは物足りない面もありますが、それもご愛嬌といったところ。セーラー服を着た少女が日本刀を使って怪物を倒すコンセプトの映像作品としては充分完成していると思います。この物語と小夜さんの続きを見たいです。
別作品の「BLOOD-C-the last dark-」は初代BLOODをリスペクトしたシーンがあるので見比べてみると面白いです。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 16

セメント さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

小夜

BLOODシリーズの原点にして、ProductionIGの初オリジナル作品です。
第4回文化庁アニメ芸術祭アニメーション部門大賞の他、色々な賞を受賞してます。


<物語>
アニメ映画史上最高水準にあると言っても過言ではないでしょう。
開始2分も見れば、この作品が秘めたポテンシャルを嫌でも痛感すると思います。
"怪物と戦う少女"というベタなジャンルでありながら、圧倒的なまでの展開力と重厚な作画で、至高の作品に昇華させています。
舞台がベトナム戦争中の横田基地周辺のアメリカンスクールということもあって、最初はほぼ英語で展開していくのも質感を増している要因でしょうか。
作品全体を包み込む雰囲気が何しろ尖っていて、始終圧巻されました。

<作画>
まず、この作品はIG内で発足した"押井塾"と呼ばれるチームで企画が誕生しました。
この"押井塾"は、押井守さんが新人クリエーターを集め、週一でテーマを決めて企画立案させて、それを押井さんが評価するという、内輪の倶楽部のようなものでした。
"押井塾"には神山健治さん、藤咲淳一さん、荒川真嗣さん、岡村天斎さんなどが在籍して、それはそれはタフネスな現場だった様子です。
元々内輪向けの作品で終わらせるはずが、IGが自社版権の作品を欲していたという事情もあり、長編映画として発表された経緯があります。
作画は当時にしても群を抜いていて、井上俊之さん、西尾鉄也さん、小池建さん、磯光雄さん、松本憲生さん、中村豊さん、吉成鋼さん、沖浦啓之さんなど豪華な顔ぶれで、一人一人の担当パートが多いことも特徴です。
作画への評価は正直天元突破しています、間違いなく本作一番の魅力でしょう。

<声優>
小夜を演じられたのは女優の方ですね、悪くなかったと思います。
英語で会話するシーンが多いという事で、外人声優を起用してたのが斬新でした。

<音楽>
主題歌のようなものはありません。BGMは申し分ないです。

<キャラ>
BLOODシリーズでは、キャラの名前は同じでも、それぞれの世界観は断片的で繋がりはありません。
本作の小夜は、達観したかのような超サバサバ系で、冷たく人間的な感じがしないですね。
そこが良いんだよと思われる方も多いかも。


テレビ版に比べてかなりマイナーな気がします、が化物のような迫力のアニメ映画です!
見られる機会があったら是非。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 4

ウェスタンガール さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

瞬間消灯とクリフカット、そして日本刀

非常に懐かしい。
その昔、地下鉄銀座線に乗ることが多かった。
駅近くになると、車内の明かりが壁の非常灯に切り替わった。

後で知ったのだが、線路横を走るサードレールから集電する方式で、その時まだ旧車両の走る銀座線では、設備上の都合でレールが途切れる区間に差し掛かると、いわゆる瞬間消灯していたのだ。
戦争映画が好きな種族にとっては、脳内でサブマリンバトルの妄想が始まる瞬間である。・・・、アホである。

冒頭、この説明をワンシーンで描き、先頭車両からバチバチと消灯してゆく刹那、一瞬にしてBLOODの世界に引き込まれる。

そして、福生の街を横田基地に向かう一台の車。
これがまた良い。
逆に傾斜したクォーターピラー、クリフカットが特徴のマツダ・キャロルではないか。
RR横置き水冷四気筒、モノコックボディ、小さな高級車と呼ばれた軽自動車である。

カットつながりの小道具を持ってきたセンスの良さ。

主人公である“小夜”のキャラデザがまた素晴らしいのだ。
相手を射すくめる鋭い目としっかり結ばれた厚い唇。
セーラー服のスカートは普通丈、スケバンロングでもパンチラショートでもないのだ。

少し前に、マーベルの“ブレイド”が映画化されてはいるが、断然こちらの方がカッコいいのだ。
ハリウッドに与えた影響も非常に大きいそうだ。
タランティーノの話は有名であるが、近年観た中で、バンパイア・ハンター物では出色の面白さであった、ギレルモ・デル・トロの“ストレイン”や、ゾンビ物の“ウォーキングデッド”のメインキャラ、日本刀使いの“ミショーン”あたりにも影響を与えていることは間違いなかろう。

内容についてはあまり触れずにおこう。
なにせ僅か40分余りの作品である。

それでも、強弱を付けたアクションの間合いに個性のある登場人物を配し、一気呵成にラストへなだれ込んでゆく展開が気持ち良い。
さらには横田基地の中での“命のやり取り”と、ベトナム戦争という“不条理な死”が対比され、全くもって心憎い演出となっている。

棒読み感のある英語での台詞回しには幾分不自然さを感じるのではあるが、海外作品で辟易させられる、チャイナ訛りの日本語よりは余程マシではある。

通産省も一枚噛んで、Production I.Gと押井塾の執念と遊び心がつまった作品である。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 11

66.5 4 グロテスクで東京なアニメランキング4位
KEY THE METAL IDOL(OVA)

1994年12月16日
★★★★☆ 3.7 (67)
324人が棚に入れました
 科学者の娘をモデルに作られたキィが人間になるためにアイドルを目指す長編OVA。「うる星やつら」をてがけたスタジオぴえろが制作に携わっている。ロボットであるキィは3万人のファンを得ると人間になれると聞く。東京で再会した親友の厨川さくらと共に同居していたが、彼女の不思議な力に宗教団体やプロデューサーなど多数の人が惹きつけられていく…。
ネタバレ

芝生まじりの丘 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

感想垂れ流し

【よそ向けの紹介】
説明や紹介は少し難しいアニメ。アイドル物であるがアイドル物と聞いて想像する作品とは少し趣が違う。
あらすじをいうなら、機械仕掛けで感情がない所謂電波系の少女キイが田舎から上京し、大勢の人の思いを一心に集めるアイドルを目指す話。舞台は現代だが、影で軍事用ロボットを研究する機関との抗争が絡みSFチックである。
アイドル物とは言っても明るい青春成長物語ではないし、主人公が歌やダンスの練習をするシーンなど一切出てこない。伝奇、サスペンス、といった要素が強く、話を一貫するトーンはやや重く、暗い。エヴァに近い時代の作品ということもあり、歌や"アイドル"という媒介を通してのセカイ系的な部分もある。
パーフェクトブルーやlainなどと比べるとどこか薄っぺらな部分がありB級エンターテイメントな感は否めないが、何か作り手の野心、エネルギーのようなものは感じる。

少し重めの90年代伝奇エンターテイメントを見たいのであればオススメする。
個人的には結構気に入った。

【総評】
最初の1,2話くらいでは30000人の友達を作るだとか、アイドルを目指すというような目標設定が目につき、面白くなるだろうとはあまり思えませんでした。というのも私には30000人の友達を作るなどというのは一般的な価値観から行ってあからさまに無意味でバカバカしいことに思えました。それに私は少しひねくれているので、アイドルをひた向きに目指す過程で機械仕掛けの感情のない少女が心を取り戻していく、というような純粋な話にはおそらくついていけないと感じました。
しかし3話以降これは"アイドルを目指す"とは言ったものの人間的成長なんてものはあまり考えておらず、伝奇やサスペンスなどの要素がより強い作品なのだと理解し、そういった要素と、"アイドル"の不思議な取り合わせから、作品が好きになっていきました。
物語の進行については論理的に脆弱な部分が多くあり、話に出てくる要素は、チンピラ、新興宗教や超能力、影で悪質な軍事研究をする大企業といったありきたりなもので、終盤明かされる設定も奇抜なものではなくB級作品に留まるとは思いますが、全体を漂う雰囲気や個々のキャラクタは割と好きでした。
特にツルギは私が好きなタイプのキチガイキャラで見ていて気持ちよかったですし、終盤のミホとのやりとりの場面はこの作品の白眉だと思います。ただし私にとってこの作品の最高潮はそこの場面で終わり、逆に14話後半以降の終盤は大して面白みを感じられませんでした。
{netabare} トモヨとタタキの長舌設定語りは、「人形を操る祭事の歓楽ための巫女」という設定だけは面白かったものの基本的には面白みがなく、その後のサクラ奪還をして失敗をする流れはとってつけたクライマックスのようで何の面白みも感じられませんでした。{/netabare}それでも最終話の最後{netabare}のライブ{/netabare}の場面は、{netabare}少し荒っぽいものの、パプリカのような現実と虚構の混濁、舞台演出と現実ドラマの混濁が心地よく、{/netabare}そこそこ良い余韻でした。{netabare}最後ミホの病室を訪れるシーンはパーフェクトブルーでミマが精神病院を訪ねるシーンが思い出されました。考えてみればこのアニメの完結が1997年6月、パーフェクトブルーの初公開が同年7月であり、両者は全く同時代の作品です。{/netabare}
この辺の時代のアニメは好きですが正直あまりたくさんの作品を知っている訳ではないのでもう少し色々見てみようかなと思いました。(今のアニメを追うのには少し疲れてしまいました。)



以下自省的内容
{netabare}
【時代の好みについて】
私は汚さ、醜さの中にあるある種の美しさというものが結構好きです。スプラッタのような鮮烈なグロテスクではなくてもっとぎこちなくて人肌の温度のグロテスクが好きです。ぎこちなくてしどろもどろで言葉数の少ない感情表現が好きです。押井守ほど恣意的でない限りは物語が停滞していくのも好きです。陰気なオタク界隈においてもなおさら陰気なものが好きです。特に陰気だけれど何か素直で素朴なものが好きです。
そういう点において19990年代から2000年代のアニメが僕は好きなんだと思います。アニメは時代に憑かれる生き物であの時代のアニメはあの時代にしかなく、今のアニメもまた今の時代にしかありません、それは少し寂しいです。自分はその時代をリアルタイムで追っていた人間ではないので少し羨ましくもあります。

【電波系少女】
電波系、という言葉はもう廃れてしまいましたね。それだけ電波もネットもありふれたものになりました。神秘的な女性、というモチーフ自体は大昔から物語では定番であったように思います。得体の知れない美女への憧憬、というのは例えば高野聖だとか、竹取物語なんかがそうですし、海外の小説でも気の触れた妖精に対する恋、というのは定番の一つでありました。
異性に対する未知がそういうフェチズムを産むのでしょうか。
奇妙な言動を白痴の愛嬌や愚鈍さの象徴としてではなくて、底の知れなさや得体の知れなさを表すものとして使うのは私は好きです。


【オカルトする科学】
オカルトや都市伝説、正体の見えない噂話、といったものも20世紀末を表すキーワードだと思います。
都会のネオンと科学の発展が多くを光の元に晒していく中で、残る闇の存在感はむしろ際立ちました。また、急速に進む科学の発展自体が怪物のように見えたのかも知れません。
そのような恐れも今はほとんど駆逐されました。
科学の中に潜む病魔は原子力の問題や環境問題といったふうに明確に形を持ちました。
人は科学や機械に慣れ、溶け込みいちいちそれをそれと認識することをしなくなりました。都会のギラギラしたネオンはもっと優しげで無垢な顔をした明かりに取り替えられました。

現在ではテクノロジーはよりスマートな形へと変容を続けていますが、この時代には科学の進歩はもっと巨大で大きな力を持ち未知でグロテスクなものと表現されていました。

肥大した機械・テクノロジーが血肉をまといグロテスクに行進する、というのはこの時代の一つの信仰だと思います。
有機的な人型ロボット兵器というものはあまりに使い古されてしまい食傷気味ですが。
ぎこちなく人形じみた滑稽な振る舞いをより強調するとより面白かったようにも思います。

【アイドルファンクラブ会長】
このアニメで不思議と感じた点の一つがアイドルファンクラブ会長のタタキのキャラクター造形です。彼は私のアイドルファンクラブの会長という肩書きから生じるイメージとはまるで違う健康的な好青年として描かれます。実際のアイドル界隈のことなどまるで知らないのでわからないけど、そういうキャラクタをここに持ってきたのは少し面白かったです。そもそも女性アイドルというもののイメージが世代的に自分だと橋本環奈とかAKBとかくらいしかないので、ここで描かれるクールビューティで貪欲に成長した逞しい大人のアーティスト、というアイドル像は私にとっては到底持ち得ないものであり不思議に思えました。


【メモがわりの箇条書き批評】
{netabare}
・好きな点
-戦闘用ロボットがフィーチャーされながら戦闘の要素を抑えている。
-ツルギとかいうキチガイ枠を用意しており、見ていて気持ちがいい。
-サクラとタタキの所謂1世代前のサッパリした青春像
-虚構と現実が入り混じるような描写を素朴にやっている
-キイが自身の体の機械仕掛けを反芻する時の演出などいくつかの演出
-明確な語り手を置かない群像劇よりのスタイル

・好きでない点
-最終話一歩手前での30分以上に及ぶ長丁場の解説には少し辟易した。3代にわたる家族の歴史が一挙に口頭で紐解かれるのだ。情報量が多すぎる。伝奇モノらしいといえばそうなのだが。別に全てを克明に知りたいとも思わなかったのでもっと断片的に明かして煙に巻くくらいで良かった。 {netabare}そもそも田舎の伝統文化とかで解決するのも食傷気味なので改めて長く語られるとうんざりする。{/netabare}
それはそれで伝奇モノらしい、といえばらしいのだろうか。
ただし本来は26話で終わるはずが15話(映像時間的には21話分くらい)で打ち切りされたらしいのでそういうところも大きいのかも知れない。
-{netabare}サクラとツルギがびっくりするくらい割とおざなりな感じで死ぬ。{/netabare}
{/netabare}
{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 1

ソーカー さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

友達3万人出来るかな?ひたすら不気味なロボットアイドルミステリー

主人公の巳真兎季子は、自身を祖父の武羅尾に作られたロボット「キィ」だと信じていた。
「本当にキィを思ってくれる友人を3万人集めれば、キィは人間に生まれ変われる」
という祖父の遺言を実行するべく、キィはアイドルを目指すのだが様々な奇怪な事件に遭遇する
展開が進むごとに深まる謎、事態は混沌していく・・・

OVA全15話、うち14話と15話は95分の超大作
ここまで力の入ったOVA作品ってなかなか無いですね

ジャンルとしてはSFミステリー?でしょうかね?
SFというには、ちょっと設定に甘さがあるので(かなり興味深くはあるが)
謎に満ちたミステリーとして見るのがいいでしょう。
ちょっとグロいシーンもあるし、終始不気味。
人を選ぶ作風なので、一話でダメだと思ったら素直に切りましょう。

この作品は序盤から設定や状況を十分に説明せず、ポンポン話が進んでいく
それでいて不気味で暗い雰囲気、謎だらけのまま13話まで続きます。
13話までに色々なヒントが隠されていて、13話までが出題編とも言えるでしょう
14話が解答編で15話で一気にラストへ突っ走る。
謎を謎のまま終わらせず、ちゃんと解答を用意しているところはいいですね。
こんな面倒なストーリー構成さえしなければ、もっと支持されたはずなのですが
敢えてそういう作りをしている作品みたいですw

ストーリー自体はかなり練り込まれていて、難解というわけでもないのですが
視聴者が積極的にのめり込んでいかなければ、なかなかついて行きづらい作品です
キャラも演出もストーリーも何もかもが異質。それゆえに、決して万人受けはしません。
謎の展開、不気味な雰囲気を噛みしめながら、
物語に入り込んでいける人でなければ楽しめません

この作品の出来が良いか悪いか・・・判断は難しい
種明かしもちょっと強引ですし、娯楽性に欠けると言わざるを得ない。
しかし、練り込まれたストーリー・独特の世界観・オリジナリティという面でみれば
突き抜けた魅力があって、よくぞここまで作りあげたなと・・・・賞賛したい。
深いテーマ性も潜んでいる作品で、色々と考えされられることもある。
他の作品には絶対にあり得ない魅力が詰め込まれています。

「KEY THE METAL IDOL」という作品は「KEY THE METAL IDOL」という作品を本当に愛している人に捧げる
そういった制作者の意図が明らかに感じられる作品で、はなから大衆受けを狙っていません
そういう意気込みで、これだけの大作を作り上げたというのは本当に凄いと思う

コアなアニオタのなかでも一際コアな人におすすめする作品です

投稿 : 2024/05/04
♥ : 12
ネタバレ

まみあな さんの感想・評価

★★★★★ 4.9

ロボットモードの巳真兎季子に惚れました

 実はこの作品をレンタルした時は、第一巻だけ観て、鑑賞するのを止めた。理由の一つは、「3万人の友達を集めることが必要」ということが、いかにもビデオを3万本売らなければ採算がとれない、という都合を露骨に表して視聴者に泣きついているように感じて腹が立ったからだ。
 しかしそのことよりも、ヒロインの兎季子(キィ){netabare}が本当に機械仕掛けのロボットと理解して、しかもそ{/netabare}のロボットが人間に変わるなんて、未来でない現代の技術水準では有り得ないバカバカしい設定だ、と感じたことのほうが大きい。キィが人間の自覚を持つ時には、ロボット構造が腸とかヒトの内臓と入れ替わるパターンが提示され、キィがロボットと生物体のヒトとを行き来していることを表現している。{netabare}このパターンはシンボルの積りのようだが、第5話辺りまで見続けなければ、「自分がロボットである」というキィの単なる思い込みという重要な設定を理解できない視聴者は多かったはずだ。{/netabare}その結果『バカバカしい』となって、多くの視聴者を逃がしてしまったに違いない。おそらく興業的には赤字で、アニメの脚本・演出としては『不出来』の極みだ。
 YOUTUBEで外国字幕のを無料で鑑賞できるようになり、ようやく全話観て、全ての登場人物の趣が理解できた。特にヒロイン巳真兎季子は私にとって最高のキャラですね。これだけで、この作品の不出来さが霞んだ。「あばたもえくぼ」という言葉があるが、本作についての私の物語評価は、作品全体の評価を上げるための大幅な贔屓です。
 「ゲル」がロボットの動力と制御の基となっている設定は、よく考えたと思う。
 新興宗教を描いたのは面白い発想だ。インパクトもある。しかしオウム真理教事件のせいでおそらくマイナス要素とされてしまっただろう。残念だ。
 音楽は申し分ない。特に、「キィのララバイ」は素晴らしい。岩男潤子さんの歌唱がいつまでも耳に残る。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 9
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