友情でツンデレなアニメ映画ランキング 4

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72.0 1 友情でツンデレなアニメランキング1位
空の境界 第六章 忘却録音[ボウキャクロクオン](アニメ映画)

2008年12月20日
★★★★☆ 4.0 (653)
3973人が棚に入れました
1999年1月、魔術師見習いである黒桐鮮花は、師である蒼崎橙子にある事件の調査を命じられる。それは鮮花の母校である礼園女学院で、生徒の記憶が妖精に奪われているというものだった。妖精を視る事ができる両儀式を連れて学院に戻った鮮花は調査を開始する。

声優・キャラクター
坂本真綾、鈴村健一、本田貴子、藤村歩、水樹奈々、置鮎龍太郎
ネタバレ

入杵(イリキ) さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

スピンオフや箸休めとは思わないで欲しい。考察に意外に骨が折れた物語

「空の境界」は奈須きのこによる、同人誌に掲載された長編伝奇小説である。全7章で構成され、本作は第六章「忘却録音」が映像化された。「そらのきょうかい」でも「くうのきょうかい」でもなく、「からのきょうかい」なのでお間違えの無い様に。
略称は「らっきょ」。

「空の境界」は奈須きのこの小説だが、奈須きのこと武内崇の所属する同人サークル(現在は有限会社Noteのブランド)「TYPE MOON」の作品に「月姫」、「Fateシリーズ」などがあり、「空の境界」と世界観を共有している。奈須氏によると「微妙にズレた平行世界」とのこと。


劇場版「空の境界」は圧倒的な映像美、迫力満点の戦闘シーンと、難解且つ素晴らしい世界観を、原作小説を忠実に再現し映像化したufotableの力作である。
本作のメインテーマは「境界」である。相反する二つのものに関するメッセージが緻密に組み込まれている。
その各々に対する矛盾もまたテーマの一つだ。
奈須氏の命の重さ、禁忌を主題とした本作の完成度には脱帽するばかりである。
「生」と「死」、「殺人」と「殺戮」などについて考察するわけだが、テーマがこれであるから必然的にグロテスクな描写がある(しかも美しかったり)。
また、難解な言葉(辞書的意味では用いない)や、時系列のシャッフルにより、物語の理解はやや困難である。
しかし、この時系列シャッフルこそが「ミステリ」における叙述トッリクとして作用しているのである。
決して時系列の通りに見てはいけない(2度目からはご自由に)他にも、原作にはなかった「色分け」が行われている点も魅力的だ。式の服の色や、月の色なども見てみると楽しい。
全7章に渡って展開される両義式と黒桐幹也の関係も素晴らしい。
設定はここで説明するとつまらないので、作品を視聴することをお勧めしたい(丸投げであるが(笑))
副題のThe Garden of sinnersは直訳すると「罪人の庭」と言う意味。sinには(宗教・道徳上の)罪という意味があり、guiltの(法律上の)罪とは区別される。
Theの次のGardenが大文字であることから、これはギリシアの人生の目的を心の平静(アタラクシア)に見出した精神快楽主義のエピクロス学派を意味する。よってThe Garden of sinnersは快楽主義に溺れた道徳的罪人という意訳が適切ではないか。

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第六章の本作は「空の境界」の時系列で、全7章のうち6番目にあたる作品だ。本作の視聴により、前々から登場していた黒桐鮮花について、黒桐幹也の本質について知ることが出来る。作品群全体から見れば、箸休め的印象を受けるかもしれないが、2年前の1996年の冬に起こった事件についての記憶を式が詳細に思い出すという意味で重要な章である。
また、本章は原作との乖離が甚だしく、これは尋常ではない。原作の頁と比較した映画の上映時間が全七章+終章中最も短く、カットが多い。これでは話の骨子も瓦解しているのではないかと疑うほどだが、なんとか体裁は保てている。しかし、やはり本章に限っては、原作乃至、傲慢ながらこのレビューのような考察・纏めを読んで補完することが必須である。
映画では主に鮮花の活躍に焦点が当てられているが、原作では他にも、幹也の起源、玄霧皐月の生涯と目的など、多角的にストーリーが構成されている。

副題のfairy taleは妖精の物語という意味。

考察←観る前に見ない様に。

{netabare}
時系列:6/8
1999年1月
両儀式:18歳 職業:高校生
黒桐幹也:19歳 職業:大学中退 伽藍の堂に勤務

原作との相違:大
原作との尺の比 274P:59min=1:0.31(1分当たり4.64P)
(一番原作との尺の長さの比が合致していると判断される2章の比を基準:1とする)
(原作の頁数は講談社文庫を用いる)


・「礼園女学院」について
礼園女学院は全寮制女学校であり、ミッション系(キリスト教の伝道局によって設立されたキリスト教主義、中高大一貫教育、自由な校風、外国語教育、礼拝堂附設などが特徴的な私立学校)のお嬢様学校である。小中高一貫校であり、イギリスの神学校(現在は廃校)の姉妹校であり(カトリックか国教会かは分からない)、学長はマザー=リーズバイフェ。
高等部には黒桐鮮花、浅上藤乃がおり、蒼崎橙子はイギリス留学から帰国後に卒業したOGである。今回の事件もマザーが橙子に依頼した。
月姫に登場する中高大一貫教育の全寮制学校の「浅上女学院」は当校をモデルに藤乃の父親が経営している。礼園女学院の寄付金の3割は彼が負担している。


・「黒桐幹也」について
彼は「どこまでも普通で、誰よりも人を傷つけない」という起源を持っている。
所謂「普通の人間」は存在しない。何故ならば、彼らは特別を目指し、特別に成り損ねた人間であり、「普通の人間」とは、彼らの平均でしかない。しかし、黒桐は最初から「普通」であろうとする。それは例えるならば、テストで80点を取る積もりで勉強して、平均点きっかりの62点を取るのと、最初から平均点を取る積もりで勉強して、62点を取るくらいの違いがある。
彼は「普通」を目指すあまり、誰に対しても「特別」な行動を採ったり、感情を抱いたりする事を避ける。それは誰かの「特別」になることを拒否する姿勢である。誰にでも普遍的に接し、差別をしない。3章で式に一般論を期待されたのもこの為である。

―それは誰とでも解りあえるかわりに得た、誰にも気付いてもらえない空っぽの孤独。

しかし、「普通」の権化となることは「普通でない=異常である」ということであり、鮮花の特別な人となった。また、彼は特別になることしか出来なかった人(例えば式や霧絵や藤乃や橙子や鮮花や巴)から羨望されることが多く、「傍に置いておきたい」「拠り所としたい」という執着を知らず知らずの内に周りに持たせてしまう。


・「黒桐鮮花」について
幼少期にある理由から兄の幹也を恋愛対象として好きになった。小学校中学年の頃から才色兼備で精神年齢が他人より高かった所為か、打算で身体が弱いと偽って、田舎の叔父の下に引っ越した。それは兄・幹也の下から遠ざかり、妹としてではなく、女性として彼に、惚れさせる為である。しかし、自身が幹也の元を離れている間に、両儀式が登場。正月に久々に再開すると、兄は同級生の両儀式を家に連れ込んでいた。その後の式の事故による昏睡に安堵していたが、彼女の再起を確認すると、直ぐに都心で名門の礼園女学院へ編入した。
(空の境界の舞台である観布子市が東京都にある為に、上京を前倒しにした。時々伽藍の堂などに出入りしている(矛盾螺旋の中盤など))
叔父の家で橙子が事件を解決したことをきっかけに彼女に弟子入りし、魔術使い見習いとなった。魔術回路は無いものの、先天的な属性として発火現象を持っていたため、発動・抑制の為の火付けの魔術を習っている。未熟なので戦闘時には橙子にもらった火蜥蜴の皮手袋をはめる。式に対抗する為の魔術なので汎用性が無いことや魔術回路が無いことは気にしていない。
起源は「禁忌」で、実の兄を慕うのも此処に起因する。また、本人は隠している積もりだが、式や橙子には、幹也に恋愛感情を抱いていることは筒抜けである。(式は、織が鮮花に初めて会った時に気付いた記憶を引き継いでいる。) しかし、当の幹也は鈍感で、全く気付いていない。
鮮花が月姫の遠野秋葉やFateの遠坂凛に似ているのは、全員モデルが蒼崎青子であるからである(起源も皆一緒の「禁忌」である)。

彼女は幼い頃から特別なものになりたかった。手に入れた知識で周りの人間を遠ざけて、孤独でいることを好んだ。いつも損得無しに彼女を迎えに来る兄・幹也を、孤独な時間を邪魔し、更に年相応の少年らしさが無いことから、内心軽蔑していた。
ある日、隣の温かくて優しかったが、痴呆が進んでおり、幹也が親身にしていた老人が亡くなった。臨終を迎えた老人を発見したのは幹也だったが、彼は―泣きたくても、泣けないんだ。それは特別なことだからね―と、他人へ特別な感情を抱くことをしない。
―人一倍誰かに同情して、人一倍泣いてしまいそうなのに、絶対に泣けない―という事は、
博愛主義である為に、特定の個人を愛する(儒教の別愛(by墨家))ことが出来なくなってしまったのだ。だから彼は誰の特別にもならない。彼女はこの幹也の態度に恋の発端があったことを脳裏に蘇らせた。


・「アカシックレコード」について
アカシックレコードは別名、アカシャ年代記とも呼ばれる人類の魂の活動の記録の概念である。誰が何時何処で何をするのかの記録、輪廻の記録が全て銘記されており、宇宙、人類の運命のデータバンクでありシナリオである。此れは、アーカーシャ(インドの五大の一つで、虚空(天を除いて、地と対を成し、世界を二分する領域))に映る業(カルマ)の投影とされる。
これにアクセスすることが出来れば、自身や人類や地球の運命も手に取るように分かる(しかし、具体的な細かい事象は分からず、曖昧な回答しか得られないという説が趨勢)。
「空の境界」の世界では、根源の渦『 』の一部として紹介されていて、
空の境界の世界観での根源は、五章矛盾螺旋で述べた通り、易の太極である。
支那民族信仰に於ける万物の根源が太極であるなら、印度民族信仰に於ける万物の根源がアーカーシャなのだろう。アーカーシャは虚空蔵と呼ばれ、仏教では虚空蔵菩薩という、無限の智恵と慈悲を持った菩薩になっている(因みに虚空蔵菩薩は大日如来の一部に過ぎないので、本当の意味での万物の根源を司っている者(と云うか万物)は大日如来である)。
よって「根源」を表す上では、両者は似通っていると言えよう。


・「妖精」について
妖精は悪魔などと違って、モノの想念が集まってカタチをなした実像幻想ではなく、れっきとした生物の系統樹に連なるもので、他愛無い悪戯を好んでする。妖精の悪戯に損得勘定は無く、目的意識も存在しない。よって幻想的な妖精(例えば少女に翅の生えた小動物)は魔術師が作り出した使い魔と考えるのが妥当。
使い魔には、魔術師が自らの肉体の一部を提供してつくりあげた分身としてのものと、ほかの生物を前身にして作りかえる、手足としての使い魔の二種存在する。
西欧での妖精は子供のすり替えなどを行った。妖精の正体は村落社会に馴染めなかった部外者であるとされている。彼らは村の中心に住むことができずに、山や森に居住し、収穫期に村に下りて仕事を手伝い、親睦を深めた。当時は良い家柄の子供程、神に祝福されたもの達という考えがあり、貧しい家の者は、祝福された子供欲しさに自分の子供とすり替えを行ったらしい。


・「玄霧皐月」について
礼園女学院で英語を教えている英国人の教諭で、独逸語と仏蘭西語の教員免許も持っている。
他にも多数の言語をマスターしていることから、生徒から言語オタクと陰で呼ばれているらしい。ウェールズの片田舎に生まれ、幼少期は神童と呼ばれていたが、十歳頃、妖精によって攫われて、その際に無意識の内に妖精を皆殺しにして、統一言語を習得する。目で見た映像を再認出来ず、一時は白痴レベルの障害児となった。
彼は両親に気味悪がられて養子に出され、日本人に引き取られて玄霧姓となり、同時に名前も皐月に改名。
養子に出されてからは、自身の記憶が喪失したのではなく破損したことに気付き、記憶方法を替えて神童として復活し、14歳にして大学に入学。言語学の博士号まで取得してイギリスの学校を転々とする。

彼の世界は映像では無く言葉による情報に置き換えられ、記憶の再認も、目で見た対象の特徴と記録した情報を見比べて、より合致するものを、記憶していた対象と認識するという手法を採っている。
記憶には「知識記憶」と「経験記憶」がある。前者は例えば数学の公式や漢字、英単語など学校の授業で習うような記憶だ。後者は例えば「今朝の朝食はパンにバターを塗って食べて、それは上手かった」だの、「昨日誰と麻雀して会話が弾んで楽しかった」だの、自身の経験に基づく記憶だ。
彼の場合は経験記憶が全て言葉による情報に置き換えられる。「知識記憶」も「経験記憶」も、全て「知識記憶」になってしまい、あまつさえ記憶を視覚から直接確認することが出来ないのだ。(視認→特徴を言語化→言語化した特徴に合致する情報(記憶)を調査→言語化した特徴に最も当て嵌まる情報(記憶)を決定→視認した対象と、最も当て嵌まる記憶を同一と認定)

皐月とはMayのことで、メイデーを意味する。メイデーはハロウィーンと夏至祭の夜に並ぶ妖精に出会いやすい日であり、彼はそこで停止している。
統一言語という神代に全てのモノが共通して話していた言語が話せる唯一の人物で、現存する全ての人種・部族の言語の生まれた背景、信仰、原理から思想の全てを理解している。
統一言語師(マスター・オブ・バベル)、偽神の書(ゴドーワード)、ゴドーワード・メイデイと呼ばれており、統一言語を解することは「 」へ至る門であるから、根源に至ることが可能であるが、彼には魔術師として根源に至るという目的は無かった。彼はアカシックレコードを通して、世界が記録する自身の記憶を探したが、観測者は自身を観測することが出来ないから、他人の記憶の中にある自身の断片を採集して、記憶を取り戻そうとするようになった。何時しか、根源に沈殿した他人の記憶を採集して本人に還すことを生業とするようになり、他人の記憶を採集し、他人の無意識の記憶想起欲求に答える形で記憶を返還するようになった。
彼は、脳内情報保持を、
記憶・・・主観的な情報保持。観測者の印象(理性)に左右される不安定な方法。永遠でなく不変でない。
記録・・・客観的な情報保持。観測者の印象(理性)に左右されない安定な方法。永遠で不変。
という二つの記憶方法に分け、後者を永遠と呼び尊んだ。自己が重ねてきた歴史だけが自己を示す証であるなら、それは不変。観測者そのものが観測される対象になるならば、観測するモノも不変、観測される対象も不変。
彼が外界を理解するには、他人の記録を採集するのが、一番効率の良い方法である。彼は過去しか見えず、永遠の過去に囚われている。
しかし、後に、彼は自身の記憶喪失は忘却による喪失ではなく、破壊による喪失であることに、つまり認識出来なくなってしまったものだったことに気付く。記憶が出来ないということは、記憶に基づく自身の感情を発露することが出来ないということである。記録として言語化された情報からは感情は生まれず、必然的に受動的な人間になってしまう。
思い出が無い彼は自己を形成し得ない。彼にとって過去の記録は外界に対応するための単なる情報に過ぎず、それは自身のものとして吸収されることは永遠にないのである。
人間が人間であるために一番重要な自我・自己は意思に起因する。記憶が出来ない人間は悲観的になり、感情性に乏しく、意志を形成出来辛い。よって他を受け入れる受動的行為は出来ても、自己を主張する能動的行為は上手く出来ないのだ。これは浅上藤乃とは別の意味で「生の実感」を得ることが難しい状態と言える。
彼は「自身の記憶取り戻す」という目的が無くなった後も意志を、自己を失くすこと、人間で無くなることを恐れて、自己の意思を示す為に、他人の忘却した記憶を録音することを趣味とした。また、自分の記憶法としての言葉を絶対視している。
彼の統一言語は精神に直接訴えるものなのだが、劇場版ではどうも作用が異なるようで、片耳にイヤフォンを装着するだけで、回避可能となっている。
荒耶宗蓮に式を殺害する為に用意された駒の最後の一人である。

永遠について言及すると、「何時何処で何が発生したか」という事実の情報は永遠である。
それが永遠でないと感じるのは、事実の解釈が変わるからに過ぎない。また、忘却された記憶も理性による解釈改悪の手から逃れることにより永遠と定義することも出来る。
自己が無い玄霧はそれに気付いたか否かは分からないが、それを認めず言葉による永遠を欲したのだろう。式は「言葉にできる永遠なんて、それこそ何の価値もないっていうのに」と評価している。永遠とはカタチを持つ必要はなかったのだ。忘却した記憶を録音することが永遠であって、写真やビデオや書物による記録は劣化するから永遠ではないというのは詭弁である。色褪せた記憶を再生することで、私たちの印象が同一のものであるとは限らない。バークリーは「存在するとは知覚されること」と言ったが、永遠であるモノが知覚されるのではなく、モノが永遠であることが知覚されれば、何処にでも永遠は存在するのだ。詰まるところ、唯識の思想染みているが、人間は主観的な見方しか出来ず、客観は主観が客観に漸近したものに過ぎないということだ。
また、鮮花は幹也と彼が似ているように見えて、全然似ていないという結論に至ったが、それは、幹也は誰に対しても「無害」であることに対し、玄霧は「無害」ではなく、存在意義の無い者であることに気付いたからである。
劇場版では本章の本質である彼の独白などは殆ど割愛(省略かもしれない)されている。


・「黄路美沙夜」について
黄路美沙夜は黄路家の次女(養子)であり、礼園で生徒会長として権勢を振っていた。正義感があり、校則を破る生徒に容赦がないが、規則を守っている生徒には面倒見の良い先輩だ。
要領が悪く損な役回りを演じてばかりいたが信仰に厚い橘佳織を、妹のように可愛がっており、彼女を自殺に追いやった(キリスト教では自殺すると地獄に落ちる)葉山と1年4組の生徒全員に復讐する為に、玄霧に魔術を習い、妖精を使役して他人の記憶を蒐集していた。
彼女が使役する妖精は前述の使い魔の内の後者で、葉山英雄等は使い魔として彼女に使役されていた。
玄霧のことを実の兄と認識しながら、恋愛対象として見ており、鮮花を同類と看做していた(劇場版ではこの設定は出てこない)。これには近親愛における鮮花との対比が見られる。
鮮花の愛が幹也への畏敬や憧れに似たものであり、実の兄弟であることに対し、美沙夜の愛は玄霧への恋慕の気持ちから独占欲が生まれ、彼の妹だと思い込むことに依って満足しているというものだった。彼女達の愛し方には、決してカタチにしてはいけないという共通点がある。

1年4組の事件で葉山を問い詰めた彼女は、彼に暴力を振るわれて、押しのけた際に殺してしまった。父にも学長にも相談出来なかった彼女は兼ねてから慕っていた玄霧に相談し、全ての苦悩から一時的に解放された。


・一連の事件について(劇場版)
葉山英雄は理事長の出来の悪い弟で、多額の借金から、兄弟のよしみで教諭として礼園で働かせてもらい、1年4組の担任をしていた。橘佳織は葉山が麻薬を扱っている所を目撃し口封じに薬漬けにされてしまう。クラスメイトは葉山に目を付けられないように、薬漬けに苦悩していた彼女を避けた。彼女は、葉山が1年4組の学生寮に放火した後に逃げずに留まり、苦悩から解放される為に自殺を図った。黄路美沙夜は、葉山に事情を問い詰める際に誤って殺害してしまい、玄霧の助言により魔術を獲得し、彼を妖精として使役した。
妹のように慕っていた後輩を自殺に追い込んでおきながら、のうのうと生活する1年4組の生徒に復讐を誓い、殺しては確実に地獄に落とすことが出来ないので、妖精を使役して生徒の記憶を略奪し、互いに疑心暗鬼にさせて、1年4組の生徒を全員自殺に追い込むことにした。事件の早期解決を阻止する為に、妖精を使って鮮花の記憶を掠奪して懐柔しようとするが、失敗して彼女と対決するものの、妖精が暴走し意識を失う。鮮花は妖精を退治して、事件は解決した。橘佳織は自殺未遂の後、救助され事件後意識を取り戻した。


・一連の事件について(原作)
葉山英雄は理事長の出来の悪い弟で、多額の借金から、兄弟のよしみで教諭として礼園で働かせてもらい、1年4組の担任をしていた。1年4組は殆どが高校から編入してきた生徒で問題児が多く、全寮制で外出がままならない生活に痺れを切らしていた。葉山はそんな生徒の憂鬱に漬け込み、彼女達を学外に連れ出し、援助交際をさせていた。橘佳織は最後まで抵抗したが、最後には葉山に連れ出され、望まない性行為を強要され、妊娠してしまう。十六歳の少女が強姦の上妊娠をする等、最大の自身の穢れであるが、堕胎することは良心の呵責と信仰上の理由から出来なかった。
クラスの秘密が露見することを恐れた葉山とクラスメイトによって彼女は迫害され、葉山が1年4組の学生寮に放火した後も逃げずに留まり、一人地獄に落ちることでクラスメイトの罪を購う為に自殺した。黄路美沙夜は、妹のように慕っていた後輩の死を悼み、彼女の死後ものうのうと生活する1年4組の生徒に復讐を誓った。妖精を使役して生徒の記憶を略奪し、互いに疑心暗鬼にさせて、1年4組の生徒を全員自殺に追い込むことにした。事件の早期解決を阻止する為に、妖精を使って鮮花の記憶を掠奪して懐柔しようとするが、失敗し彼女と対決し敗北する(戦闘よりも問答の方が多い)。


・両儀式が再起した記憶について
式は玄霧皐月と戦うことにより失われた記憶を取り戻す。
それは織と幹也の掛け替えの無い過去と、事件当夜の記憶である。
前述の永遠の記述の通り、理性の手から逃れることにより記憶は永遠となる。織は幹也と過ごした大切な記憶を永遠にする為にこの記憶を眠らせたのだ。

・原作との相違点
1.本章のメインヒロインは無論、黒桐鮮花であるが、タイトルが「忘却録音」である通り、玄霧皐月の物語としての側面もある(矛盾螺旋の巴と荒耶の関係に似通っている)。
しかし、本編での彼の独白や黄路美沙夜に刺殺されるという重要な終末が殆どカットされ、鮮花中心の物語となっている。
2.橘佳織の自殺原因とその後の生死が原作と非常に異なる。
3.黄路美沙夜が玄霧を兄だと認識している設定が無くなっている。鮮花との対比が消滅。
4.玄霧の統一言語能力が原作と異なり、イヤフォンを片耳に刺すだけで回避可能となっている。
5.鮮花がエンディング後に幹也と食事に行くのだが、原作では「夕食は豪華な和食となりました」とあり、七章で式がそれに対して幹也に文句を言うのだが、本章では坂の下のレストランで済まされており、矛盾している。


・「Fairytale」について
Fairyは英語で妖精taleは英語で物語という意味の名詞
原作小説の忘却録音の序文を引用し、奈須きのこ監修の下、梶浦由記によって作詞・作曲された。歌詞から玄霧が妖精に攫われた事を題材にしていると考えられる。


・「忘却録音」という作品について
黒桐鮮花は幼い頃にとある理由から兄の幹也に対して恋愛感情を抱いていた。兄に好かれる為に叔父の家に引っ越したのだが、留守の間に両儀式が最愛の兄に接近し危機感を覚え、蒼崎橙子を師として式に対抗する為に魔術を勉強し、また上京して礼園女学院に入学した。
礼園の1年4組で2人の幼なじみの女生徒の双方に、本人すら忘れている子供の頃の秘密が書かれた手紙が送られてきて、それが元で口論になり共にカッターで切りつけるという傷害事件が発生し、それが妖精の仕業であるとしてマザーからOGである橙子に相談があった。彼女はこの事件を弟子の鮮花に担当させ、妖精を見る目として両儀式を派遣した。
鮮花と式は玄霧や1年4組の生徒に聞き込みをしたり、校舎の妖精を探索したりしたが、鮮花はそこで妖精に記憶を採られてしまう。鮮花は黄路美沙夜が事件の首謀者であることを突き止める。懐柔しようとする彼女を跳ね返し戦うが、返り討ちにあってしまった。
黄路は後輩の橘佳織を自殺に追いやった1年4組の生徒を地獄に落とすべく、校舎に火を放とうとするが、鮮花と戦い、暴走する巨大な妖精を操れなくなり気絶してしまい敗北した。美沙夜に魔術を教えたのは玄霧であり、彼女の望みを叶えたのは彼だった。記憶に障害があり、統一言語者であることから、他人の失われた記憶を本人の望み通りに返却することを趣味とし、それによって自我を保っていた。
式と戦闘し破れるも、彼女に4年前の失われた記憶を返却する。


・名言(原作より抜粋)

式「ひどいな。今回の犠牲者は間違いなくオレだぜ、きっと」

黄路「貴女――とても良くてよ」

玄霧「永遠は還さないといけない。その嘆きを再生する。たとえ君が忘れ却ろうとも、記憶は、たしかに君に録音されているのだから」

式「この、ヘンタイ」
鮮花「なによ、異常者」

玄霧「さあ――君の嘆きを再生しよう。安心したまえ。たとえ君が忘れ却ろうとも、記録は、たしかに君に録音されているのだから」

玄霧「つまるところ、自分さえ生まれなければ、世界(ワタシ)はこんなにも平和だった」

荒耶「そうだ。君はすでに常識に不在している。常識という世界において、異常者は罪には囚われない。異常者が異常を行うのは当然であり、そこに常識で言う善悪の秤はないからだ」

荒耶「魔術師――荒耶宗蓮」

荒耶「りお――おしいな。一文字違えば、君は獅子だったのに」


感想
原作との相違は不満足ながら、本作の魅力の七割方は表現出来たと思う。「忘却」や「永遠」など、複雑なテーマであったが、原作の購読と考察によってなんとか自分なりに纏めることができた。本作は鮮花の学校での事件ということもあって、彼女が大活躍する。ツンデレな彼女には妹萌えが堪能出来た。また、式の修道服姿も素晴らしい。
{/netabare}
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この六章は、五章矛盾螺旋と七章殺人考察(後)という本作の要である章を繋ぐ重大な役割を担う章だ。鮮花をメインに荒耶の置き土産1号と式・鮮花の戦いを描く。

本作は考察のし甲斐があり、非常に面白い。また現代人への処方箋のような役割を果たし、私達にカタルシスを与える。

私は全章視聴後原作を購読したが、読み応えがあって大変面白い。アニメを観た人は補足の為にも、お勧めしたい。
未視聴の方は、是非挑戦していただきたい作品である。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 34
ネタバレ

てけ さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

失われた記憶から呼び覚まされる感情

原作未読。
全8章からなる物語の6章目。約59分。

「空の境界」全章に共通する項目は、第1章のレビューをご覧ください。
→ http://www.anikore.jp/review/450724/

時系列でいくと5章の後です。

見所は、メンバー唯一の良心……ではないですが、たぶん癒しキャラの黒桐鮮花(こくとうあざか)の活躍!
「妖精」が出てくる話でもあるので、他の章に比べずいぶん楽しげな回です。
「えへっ☆」に胸キュンです。

……といっても、空の境界。
どこか歪んでいますし、死人も出ます。

戦闘シーンは、相変わらずスタイリッシュ!
今回は、鮮花が修道女のような格好で激しく動き回ります、はしたない(*ノノ)

EDテーマは「fairy tale」。
これはそのまま「妖精物語」ですね。
しかし、空の境界は、本当にハズレ曲がないですね。
内容に深くリンクした歌詞と、切ないメロディーの曲です。

【6章「忘却録音」の考察】
{netabare}
「記憶」を奪う「妖精」の話。

鮮花は、実の兄である幹也に恋をしています。
しかし、好きになった「きっかけである記憶」を奪われてしまいました。
それなのに好きという気持ちは消えない。

また、両儀式は鮮花の恋心に気付いていましたが、それは「織」のほう。
「織」は消滅したはずなのに、「式」はそのことをなぜか知っている。

……ところが、黄路美沙夜(おうじみさや)先輩の場合は違います。
記憶が残っていればそこにあったはずなのは、佳織を救えなかったという「自責の念」。
しかし、記憶を失うことで、本来なら生まれなかったはずの「復讐心」が発生しています。

この違いはどこから生まれるのか。
ヒントは玄霧皐月(くろぎりさつき)先生の言葉にあると思います。

玄霧「たとえ忘れようと、記憶は確かに君に録音されているのだから」
玄霧は言葉で人の「認識」を操る魔術師です。

ここで「きっかけの記憶」をスピーカーに例えてみます。

スピーカーから、ある音が発生します。
これが、ある感情の「きっかけである記憶」です。
ここでスピーカーを取り除いても、一度発生した「音」は「音波」として広がっていきます。
もしその「音波」を1箇所に「かき集める」ことができたなら、元のスピーカーという音源がなくなっても、情報は失われません。

では、どうやってかき集めるのか?

鮮花も式も、「きっかけの記憶」を失いながらも、その後に幹也に会って「認識」しています。
しかし、黄路先輩は「きっかけの記憶」を失った後、認めたくない感情から目をそらし、生徒たちの噂だけを頼りに「記憶を見たつもりになっている」だけで、葉山秀男にも立花佳織にも会っておらず「認識」をしていません。
その結果、ありもしない「復讐心」という感情が生まれています。
つまり、「認識」という「感情を認める行為」が「かき集める」ことに相当するのだと思われます。

「認識」という形で、音のように広がった「記憶」をかき集め「夢」という形で「再生」される。
これが「忘却録音」の正体だと思われます。

なお、
玄霧「君の忘却はその類だ」
とも言っています。
かき集めることができるかそうではないかは、記憶の種類によるのでしょう。

「恋心」は忘却録音が可能なわけですね。


【全て見終わった人へ】
{netabare}
さて、最後にエグイシーンが出てきますが、「弱い人は嫌いです」の声は、両儀式の声です。
そして、荒耶宗蓮が出てきますが、「おしいな。一文字違えば、君は獅子だったのに」の言葉。

スタッフロールをよく見ると、白純里緒(しらずみりお)と名前が出ています。
「リオ」が一文字違えば、百獣の王「レオ=獅子」だったのにという意味ですね。

白純里緒の起源をたどっていけば、肉食獣が多く出てきます。
しかし、白純里緒を使っても根源へとはたどり着けず、不完全に終わってしまいます。
「おしいな」というのはそのことも意味していたのでしょうが、結局はダジャレ。

荒耶宗蓮もかわいいことを言いますねw
{/netabare}

{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 36
ネタバレ

disaruto さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

確かな感情と不完全な記憶。他章と違った独特のメルヘン感

制作はufotableで原作は奈須きのこ氏の小説です。
ジャンルは伝記ファンタジーです。
全8巻あるうち六巻目が「忘却録音」になります。
今回はグロシーンがなかったです。
箸休め的な感じでしょうか。
内容も派手さはあまりなく、結構落ち着いたものです。
今までと比べて多少肩の力を抜いて見れるかと。
時系列では六番目になります。

作画については文句なし。
細かいところまで手が行き届いています。
音楽は今までに比べると内容と同じくメルヘンで軽快なBGMが多かったです。
戦闘シーンは別の話ですがね。
今回の戦闘シーンは鮮花が中心でしたが、やはりド迫力に変わりはなかったです。

この章では黒桐幹也の妹である鮮花を中心に描かれる。
忍び込んだ式と一緒に学園内のトラブルシューティングをしていくことになる。


以下考察。
{netabare}黒桐鮮花は兄である幹也のことを愛しています。
しかしそのきっかけとなる出来事について忘れてしまっている。
彼女は本編ラストでそれを思い出している。

黄路美沙夜は妹のように慕っていた橘佳織が汚名を着せられたまま自殺したことをほかのものから消すため、妖精を使役し記憶を消し、最後に生徒自身も消そうとします。
彼女の行動原理は佳織のためですが、彼女の言動はいろいろと矛盾している。
彼女の復讐は体のいい空想であったわけです。

「その嘆きを再生する。たとえ忘れ去ろうとも、記憶は確かに君に録音されているのだから。」
玄霧先生の言葉です。
すなわち「あったことはあった、なかったことはなかった」ということ。
事実を歪曲して忘却した美沙夜は、復讐に縛られた鬼になってしまったのです。

そういえば、再生された式の記憶とはいったいなんだったのか。
次章にお預けですかね。

また幹也についても描写されていました。
「どこまでも普通で、誰よりも人を傷つけない、誰とでも分かり合えるのに、誰にも気づいてもらえない、空っぽの孤独。」
誰にとっても無害であるがゆえに誰にとっても特別な存在になりえない。
そんな彼を、鮮花は特別な存在と認識したわけです。{/netabare}


今回の話は第7章につながっていくストーリーだったのでしょう。
第7章は「殺人考察(後)」ということで、前編の伏線を回収してくれるはずです。
もう一度第2章を見てから第7章を視聴してみようと思います。
2時間なので骨が折れそうです。

どうでもいいですが、鮮花はフリスクみたいでいいですねw


[全て視聴し終わって]
{netabare}この章は第7章の式の記憶に直結しています。
この章を経て、4年前の事件が重みを増してきます。{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 29

68.2 2 友情でツンデレなアニメランキング2位
きんいろモザイク Pretty Days(アニメ映画)

2016年11月12日
★★★★☆ 3.9 (155)
684人が棚に入れました
イギリスからやってきた高校生、アリス・カータレット! 大親友・大宮忍の家にホームステイしています。アリスに忍、凸凹コンビの小路綾と猪熊陽子、アリスを追いかけてきたもう一人のイギリス人留学生・九条カレンたち仲良し5人組は高校2年生の秋を迎えます! アリスと忍、二人一緒に玄関をくぐれば朝日に照れされてキラキラ輝く通学路。通い慣れた道を小走りに駆けていって、いつもの駅前でいつものメンバーと待ち合わせて。綾に陽子、そしてカレンが笑顔でアリスたちを迎えます。どこにでもあるようで、世界に一つしかない彼女たちだけの大切な日常――プリティ*デイズ! 二度目の学校祭が近づいてきたこの頃、忍の様子がちょっとおかしい!? 「このところ、なんだか朝が眠くて……」いつものんびりしている忍ですが、クラスの演劇で脚本&衣装リーダーを任され、頑張りすぎているみたいです。違うクラスのアリスと陽子も、その様子は気にかけているけれど……果たして忍たちの劇は無事成功するのか、どうなる学校祭当日!?

声優・キャラクター
西明日香、田中真奈美、種田梨沙、内山夕実、東山奈央

Ka-ZZ(★) さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

世界に一つしかない彼女たちだけの大切な日常…プリティ・デイズ!

この作品は2013年の夏アニメ、2015年の春アニメとしてテレビで2期分放送されている上、この劇場版は2016年の11月に封切りしています。
これまでテレビ放送はリアルタイムで視聴してきましたが、劇場版まで手が回らず封切りから2年…ようやく今回視聴することができました。

自分の視聴履歴を振り返ってみると、テレビ放送の視聴が主体になっています。
最近、テレビ放送の続編がは劇場で…のパターンが決して少なくないなか、この作品を含めて結構視聴できていない作品が多い事に気付きました。

現在の視聴スタイルは今後も維持したいと思っていますが、時間を作って劇場版の視聴も進めなきゃと本作を見て痛感しました。

この作品では、大きく2つの時間軸における物語が描かれています。
一つは現在進行形でテレビ放送後の一幕…
そしてもう一つは、5人組になったいきさつ…アリスとカレンは高校からの留学生である事は周知の事実なのですが、これまであまり触れられなかった「しの、あや、陽子」が親友になったきっかけが描かれているんです。
そしてこれが…テレビ版視聴済の方にとっては堪らない作品に仕上がっていたんです。

監督は天衝監督…アニメーション制作もStudio五組とテレビ版のスタッフが踏襲されており、クオリティは折り紙付きです。

となると、気になるのは物語の展開…になる訳ですが、個人的には「しの、あや、陽子」が親友になったきっかけの物語が胸に響きました。

この物語の視点…種ちゃん演じるあや目線で描かれているんです。
5人の中で一番真面目な性格の持ち主である彼女は、普段みんなから一歩引いた場所が彼女の立ち位置…
5人の輪の中における立ち位置は、自然に…だけど全員納得の上で決まっているとばかり思っていました。
けれど、性格が真面目な上、少し引っ込み思案だけどツンデレ成分を含んだ彼女は、仲間の中で一歩踏み出すタイミングが遅かったり機を逸したり…
もちろん、仲間思いの優しい良い子なんですけどね…

でも…「しの、あや、陽子」は初めから3人組では無かったんです。
しのと陽子は小学校からの幼馴染で、二人の通う中学にあやが転校してきて接点が生まれたんです。

大切なのは一緒に過ごした時間の長さじゃない…
どれだけ濃密な時間を一緒に過ごしたか、の方が時として大切なこともあるんです。
年を重ねて振り返ってみると、その当時頑張っていたことが今では良い思い出になっていますから…

3人には目標がありました。
目標は別々…だけど必ず通らなければいけない通過点です。
「どの様にクリアするか」と「どれだけ本気で取り組んだか」の2点が大切なこの通過点…
「しの、あや、陽子」はどの様な軌跡を描いたのでしょうか。
感じられるのは成就させたい願いに込められた努力と沢山の優しさ…
やっぱりこの作品はあったかいなぁ…と心の底から思いました。

そして物語は現在進行形と結び付きながら怒涛のフィナーレを迎える事になるのですが、何ともこの作品らしい展開が待ってくれています。
こんなに面白いならもっと早くに見ておくべきだった…と本気で思えた作品でした。

オープニングテーマは、「Happy★Pretty★Clover」
エンディングテーマは、「Shining Star」と「Shining Star」
3曲ともRhodanthe*の皆さんが歌っています。

上映時間50分の作品です。
私の様にテレビ視聴済みで劇場版未読の方には、是非お勧めしたい作品です。
5人組のみんながこれまで以上に輝いて見えると思うので…

投稿 : 2024/06/01
♥ : 16
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

受験生の皆さんにこのトーテムポールの歌を贈りたい。

原作コミックは五巻まで購読中。

短編アニメ映画一本のために、
わざわざ映画館に遠出するのもどうか?とも思いましたが、
冬の寒さが厳しくなっていく、ここ北陸でも、
一月遅れで映画館で難民向けに期間限定で金髪パワー配給が実施される
ということで行ってきました♪


短さ以上に、日常系だから、ふわふわしているだけで
上映時間が終わってしまうのではw
との懸念もありましたが、
それなりにストーリーもあって難民として
一定の満腹感はありました。


本作の実質的な主役は{netabare}小路綾でしょうか。

要は些細なことで仲間内での自らの存在意義を見失い、
クヨクヨしてしまう、あややの十八番(苦笑)
……あややが悩み出したら、映画一本くらい軽くできますねw


本作はそこから中学時代のあややとシノ、陽子、
三人の進路、高校受験のエピソードから、
あややの存在意義の再確認が行われる壮大な?展開にw

ある意味、『きんモザ』最大の?ミステリーである、
学力壊滅なシノと陽子が、偏差値に大差があると思われるあややと
何故、同じ高校に通っているのか?
という謎も解き明かされます。


この受験奮闘記を鑑賞していて、
ふと、受験と友情についての回顧から、
受験に友情は必要か?という問答が私の頭で回り出しました。

私の現役時代、教師の中には、
勉強は自分一人でやるもの。受験は孤独。進路は自己都合。
みんなでお勉強会なんて馴れ合い。
とお説教なさる方がいらっしゃいました。

確かに、一人で集中して学力を高め、合格を勝ち取ることができるなら理想的です。

ただ世の中、それを貫ける人は少数。
孤独に負けそうになったり、自分だけの視野狭窄に陥り空回りする人の方が多いと思います。

そういう時、進路や勉強について相談できる仲間がいれば心強い。
私も情報交換の中で勉学についても、ふと気付かされた視点が多々ありました。

自分一人で集中する時間も、仲間との情報交換も、
両方あって初めて受験を乗り切れたと私は思います。

だから、もうすぐ受験という大戦に挑む方の中で、
もし一人で煮詰まっている人がいらっしゃったら、
是非、周りとコミュニケーションを図って欲しいと思います。

残された時間はそう多くはありませんが、
アプローチの転換ひとつで一変するのが若者のポテンシャル。

恥を捨てて、周りやあややにしがみつけば、
トーテムポールみたいにニョキニョキ!っと
合格ラインまで偏差値が伸びるかもしれませんよ。{/netabare}


……とゆるふわ日常系で、無駄に熱弁してしまいましたがw
本作はTVアニメ1期の第一話くらいのストーリー内容はある作品。
難民の方なら、一見する価値がある作品だと思います。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 23
ネタバレ

ジャスティン さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

綾視点で送るいつもの日常物語

[きっかけ]
AT_Xで放送はされていたものの、きんモザについては2期を視聴してからが良かったので、少し遅れていましたが、期待しながら視聴を致しました。
[感想]
{netabare}
今回まさかのキャラクターの視点というのがあり、
指定されたのが私が一番大好きな綾ちゃんでした。

これは俺得すぎるんだけど、
綾ちゃんばかり出てきてくれるから素晴らしいかった。

綾ちゃんは、軽いスランプというか悩みを抱えてしまったけど、
私にとっては綾ちゃんがいないと陽子が大変になるから
絶対に必要なメンバーなんだよ。と伝えたい。

今回の話は過去編が中心でみんなが疑問に思っていた忍がどうやってもえぎ高校(忍たちが通っている学校)に入れたのか?
という疑問からストーリーが中心に始まって行きます。

というかもえぎ高校と言うんですね。(WIKIによればここで学校名が決定されたのこと)。

忍は確かにアニメの中でも断念で赤点ラインっぽい描写が多くあり、本当にどうやって受かったのか不思議な点でした。

学校見学はしっかりとやっていたんですね。
烏丸先生は相変わらずぶれない先生ですね。

忍がここまで行きたい学校というか見学を初めてしてからここにしたいと思ったのでしょうか?

雰囲気が良いというのも分かるけど、実際に行きたい高校がなかったから好印象に思ったのかな?と思っていました。

勉強会が開始。綾ちゃんはまさか違う学校を選んでいたなんて...でももえぎ高校に入っているということは、やっぱりその第1志望の高校に落ちたからここに来たのかな?

何故だろうと思いながら続けていくと受験当日。
まずは綾ちゃんからなんと合格。お嬢様学校に入れるなんて綾ちゃん入っていたら確かにそんな気がするような感じはする。

絶対に不合格になると思っていた。なんか落ちそうな予感しかしてなかった。

忍たちの受験当日はなんと綾も一緒に受験することに。ここも受験していたのはまさに日常系のいいところ。

そしてみんな合格したけど、綾だけが...離れることになるのか?
と思った...
入学式当日忍たちが学校に来ると、なんと綾ちゃんまでこっちに来ていた展開に。

まさか選んでここに来たという神展開(もう知ってたことなんだけど)でも、こうしなかったら陽子との関係も悪化していたかもしれないから
これで正解だよ綾ちゃん。
{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 7

68.0 3 友情でツンデレなアニメランキング3位
劇場版 図書館戦争 革命のつばさ(アニメ映画)

2012年6月16日
★★★★☆ 3.8 (467)
2435人が棚に入れました
日本を揺るがすテロ事件が勃発する中、デートの最中だった笠原郁と堂上篤に緊急招集がかかった。新たな任務は、小説家・当麻蔵人の身辺警護。テロの手口に小説の内容が酷似しているとして、メディア良化委員会は作家狩りを始めたのだ。法廷闘争が始まる中、郁たち図書特殊部隊は判決まで当麻を守りきらなければならない。図書隊と良化隊の衝突が激化する中、重傷を負ってしまう堂上。動揺する郁に、堂上は任務の遂行を託す。郁は、当麻を守り、表現の自由を守ることが出来るのか!? ――そして郁と堂上とのもどかしい恋の結末は!?

声優・キャラクター
井上麻里奈、前野智昭、イッセー尾形、石田彰、鈴木達央、沢城みゆき、鈴森勘司、潘めぐみ

けみかけ さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

“今度こそ”スタートラインに立てた図書館戦争

前作のテレビシリーズは2008年の春アニメとしてノイタミナ枠で放送されましたが、肝心の『メディア良化法』と呼ばれる架空の法律から表現の自由を訴えかけるという内容もソコソコに、ラブコメ要素がメインのトレンディドラマ風味の作品になってしまっていました;


仕舞いには原作でも重要視される【中澤毬江にまつわるエピソード】が放送局の自主規制によりオミットされるという自体に陥り、【表現の自由を問う作品が表現規制された】ということに原作者は肩を落とし、多くの原作ファンが憤慨するという賛否両論を巻き起こした問題作になったわけです
(上記のエピソードはちゃんとアニメ化され、セル版DVD3巻、もしくはBD-BOXには収録されております)


今作を鑑賞した劇場で今年のアニメ映画の中では初めての出来事だったのですが、来場者の年齢層がかなり高いことに驚き
有川作品ファンの幅広さとアニメ版図書館戦争の知名度を思い知ることとなりました











さて、今作ではやっとこさ肝心要の『メディア良化法』に対して図書隊が踏み込んでいき、表現の自由を訴えかけるという待望の展開が描かれます!


早速冒頭からテロリストがヘリで原発に自爆テロを図って建屋に穴を開ける・・・
という衝撃ニュースが飛び交い“見慣れたあの光景”がテレビから映し出されるというショッキングな幕開け


そしてこのテロ組織の犯行の手口が、原発テロを題材にしたエンターティメント小説の内容に酷似しているものとみなし、図書隊の宿敵であるメディア良化委員会は小説の著者である当麻蔵人を拘束しようとする


これを許しておけば事態を皮切りに良化委員会は『作家狩り』をはじめるであろう、と判断した図書隊の面々
すぐさま当麻蔵人を保護し、法廷で正々堂々と良化委員会、延いてはメディア良化法の在り方そのものに踏み込んで戦うことを決意し、彼の身辺警護を始める


初めのうちは事件に巻き込まれたことを他人事のように疎ましく思っていた当麻蔵人
良化隊が行う『検閲』にも、上手く逃れながら作家業を続けることがプロの仕事であると考えていた彼を通して、これまで読み手側の都合がメインに描かれていたメディア良化法が、初めて書き手側の目線で語られます


彼もまた稲嶺元司令の過去(通称:日野の悪夢)を語り聞かされ、これまで自分が無視し続けてきた検閲の非道極まりない実態を知ります
さらに図書隊の面々と触れ合っていくうち、自分の本を命懸けで守る若者たちがいた、という事実にもやがて心を動かしていくのでした・・・











当初から破天荒な世界観が物議を醸し出していた作品ではありますが、今作はやたらロケハンに凝っていて、、、
JR立川駅前
都営新宿線市ヶ谷駅
中央道諏訪湖SA
大阪御堂筋
大阪北区
そして新宿三丁目の紀伊国屋書店(新宿本店がそのまま紀伊国屋として登場)
とまあ、この辺の背景描写があまりにも丁寧すぎて映画を観終わって劇場を後にすると、ソコにはさっきまで映画の中に広がっていた景色がある・・・という強烈なデジャヴを感じました(´q`)
最近流行の【ご当地アニメ】もこういった架空の設定が前提の作品ではちょっと考えものですよね・・・


あとアニメ版で柴崎と手塚ってあんなに仲良かったっけ・・・?
いつの間に進展してたの?w
(これについては記憶違いかもしれませんので観直して来ます^^;ようつべで公式にオンエア版全話が配信中ですよー)


あとこれはこまけぇことかもしれませんが、夕食を食べてる当麻蔵人先生
どう見ても小食っぽいインドアタイプなのにご飯を「おかわり」発言ェ・・・
だって“おかずの揚物に手が付いてないよ・・・”
ご飯だけめっさを早く食べたのか?wまさかのおかず2週目なのか?w
真相は闇の中へwww


天ぷら屋でキスが揚がってくる「キスでございます」のくだりもまさかのダジャレかよ!とw
一瞬凍りつくかと思ったぜwww


音楽はテレビシリーズに引き続きオイラの大好きな菅野祐悟さんだったのですが唯一に一点だけ!どうしても気に食わないのがOPアニメーションで流れてくるかなりキャッチーで激しいロック調のインストナンバーが図書館戦争の雰囲気とまるで合っていない・・・;
そこは高橋瞳を連れてくるトコだろぉがーっ!


作画の面はとにかく笠原に注目したいですね(笑)
喜怒哀楽の激しい彼女のコミカルな表情
そして後半では、もはや一介の成人女子とは思えないジャッキー・チェンばりのアクションを繰り広げてくれますw
ホント、名実共に笠原から目が離せない作品となってますよ^q^
オイラの勝手な憶測ですけど、たぶん『わすれなぐも』でロトスコをやってた新人さんが、もしかして来てる???


いやはや、それはさておき
実弾が飛び交う世界なのに相変わらずな【絶対に死人が出なさそうな中途半端な緊張感】がこのシリーズのイチバン残念なところ;
予告編からして『堂上教官がまるで死にそうにない』のが薫り伝ってくるのは流石に問題視すべきw
あと露骨なラブコメ路線から多少シリアスな路線に回帰したことで、ラブコメとの両立が上手くいってないのも解るのがちょっとぉ・・・











んでもまあ日野の悪夢、笠原と堂上の出会いといったテレビシリーズのダイジェスト的な組み込みを説明臭くなく自然に潜り込ませたのには拍手
極めつけは劇中で一瞬ではありますが中澤毬江ちゃんが映るかつてのスタッフの罪滅ぼし的なシークエンスもあるんで多少大目にみてこのぐらいが妥当な評価
何より大事なことは、この作品を観たアナタが【表現の自由】とはどうあるべきなのか?をこの物語から汲み取って、少しでも考えるキッカケになってくれることであるはず・・・なのでは?

投稿 : 2024/06/01
♥ : 29

ガムンダ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.2

背伸びしないでラブコメ書いてれば良いのに

TVシリーズの続編。
有害図書の検閲とそれに対抗した武装図書館の戦争のお話。

これだけ観ても大体わかりますが、状況設定が荒唐無稽なので先にTVシリーズで馴らしたほうが良いかも知れません。
詳しくはそちらのレビューをご一読願います。

概要を説明すると荒唐無稽の(悪い意味での)バカ設定そのままに映画版らしく活劇要素とラブコメを増量しました。

まずフィクションのIF設定は一つにすべきで、それがセオリーです。
IFにIFを重ねるともはや収集がつかなくなります。
「有害図書」が検閲の対象とされるというIFを設定したらその上でリアルなシミュレーションを構築する事がSFです。
この物語の場合更に「図書館が(合法的に)武装する」と言うIFを乗っけて戦闘を描きますが、まず何処から突っ込んで良いのかもわかりません。
順不同でざっと列挙すると

1.
図書館や書店にした所で、地下で営業するならともかく、斯様な状況で呑々と営業していて検閲隊の突入を許しています。
また検閲隊の側も普段はのんのんと出版を看過し、お日様の下で販売する事を看過すると言う、検閲する側もされる側も馬鹿ばっかりです。

2.
図書隊は行政機関なの?私兵集団なの?
もし私兵集団ならその財源は何なのか。まさか本の売り上げで賄っているわけでもないでしょうに、どこかにパトロンが居る筈ですがその説明も一切なしです。

3.
戦闘の武器が豆鉄砲のみ。
1で述べたようにまず肝要なのは諜報です。
劇中行われる大概の戦闘は間諜によって回避可能ですし決着がつきます。
交戦が開始されたとしてもその後の戦術もバカの極みです。
図書館側もUH60などの軍用ヘリを所有しているようですが、双方ロケット推進弾、対戦車ミサイルやガトリング砲、携行対空ミサイル等で一網打尽にすれば良い物を、ダラダラと撃ち合う事が目的化しています。
それもお役所仕事って事でしょうか。

4.
小説家トウマは狙う価値も守る価値もない雑魚です。
原発テロの模倣元となった小説を書いた小説家を検閲隊が狙い、図書隊が守るのがこの映画の大枠なんですが、トウマは特に反骨心があるわけでもなく、表現の自由に信念を持っているわけでもありません。
もしこんな世の中になっていたらもっと過激な論壇はウジャうじゃ居るはずです。
それともそれらは一通り片付いた後なんでしょうか?
だとしたらもう負け確です。今更トウマをながらえさせても無駄です。


また外国からメディア良化法に非難が出たりしますが、それは内政干渉というものです。
他にも告訴と提訴の違いを理解していなかったり、暗号が暗号のていを成していないのに至って作者は悪意のないただのアレだと確信しましたが。

表現の自由が何故必要なのか。
害があったとしても簡単に規制が出来ないのは何故なのか。
それは権力が自由を規制し民主主義が崩壊する事を防ぐためです。
国家権力の暴走による、より大きな害を恐れるからです。

しかしながらこの物語の世界ではもはやその防衛線は突破されています。
とっくにアノミーを呈し内戦状態となっていますから、事はもはや表現の自由を守ると言う次元の戦いではなくなっています。
全身癌が転移している時に虫歯の心配するようなものです。

原作者は自衛隊賛美小説も書いているようですが、事ほど左様に民主主義の構造と作動原理を理解していない者がそういう物を書く所に戦慄を覚えます。
単純に「表現の自由」と言えば絶対正義で万人の共感を得られると思ったのでしょう。
言葉を覚えた小学校4年生並の発想で小説書いてます。
そんなに銃撃戦が好きなら銃を買ってシリアにでも行けば良い。
「表現の自由」の向こうにある本当の意味を理解するでしょう。
命と引き換えに。


ただラブコメパートは小4では書けないですね。
ご立派なラブコメ作家です。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 11
ネタバレ

noira さんの感想・評価

★★★★☆ 3.3

図書館恋愛 革命のつばさ

本映画はテレビ版のその後を描いた作品であり、図書館戦争という物語は本作を含めて視聴することで綺麗に完結する物語です。
本作のみでも視聴に耐えることはできると思われますが、物語を深く理解し、楽しむ為にもテレビ版を先に視聴することを強く勧めます。

物語としては、2つの大きな柱で成り立っています。
とある事件の切っ掛けになったという疑いを掛けられた作家「当麻蔵人」を巡る図書隊と良化隊の争い、そして笠原と堂上の恋愛模様です。
尚、テレビ版とは異なり、恋愛要素よりもメディア良化法を含む思想観に関する争いの方が比重が大きい気がしました。

両隊の争いに関しては、映画ということだけあり随所で派手なアクションが展開され、とても興奮する映像でした。
又、テレビ版では本の読者が検閲の被害者として描かれていましたが、本作では本を作る側である作家を被害者として描いており、テレビ版と異なる視点での考え方や感情、それらの変化等が表現されていた為、視聴していて興味深い内容となっていました。

そして、笠原、堂上の関係についても綺麗に描かれていたと思いました。
{netabare}
笠原のライバル?も新たに登場することで良いスパイスになっていましたし、堂上と何かある度に恥ずかしがる笠原の姿は普通の女の子で、とても可愛く思えました。
笠原から堂上、堂上から笠原へのキスシーンは大変盛り上がりました。

恋愛と言えば、柴崎と手塚のストーリーも良かったです。
柴崎の乙女心、大人の恋愛にドキドキでした。
そして忘れてはいけない「キスでございます」笑
個人的には笠原の恋愛より柴崎の恋愛の方が気になりました。
…ちなみに、最後まで視聴したにも関わらず、柴崎の本心を未だ無駄に勘ぐってしまいます…汗
{/netabare}

総括すると、序盤は静かに話が進むこともあり、盛り上がりに欠けましたが、逆に丁寧に描かれているという印象も持ちました。
中盤から終盤では、視聴していてテンションも大いに上がる展開となっていました。
{netabare}
特に最後に車で突っ込む場面、そして絶対絶命のタイミングで黒塗りの車が現れる場面。
堂上から笠原への返事となるキスをする場面。
メディア弾圧を行っている日本の変化と未来を語る場面。
結婚して堂上姓となった笠原が教官となって新しい隊員達を指導する場面。
思い出すだけでテンションが鰻上りです。
{/netabare}

主要人物である当麻の演技やOP、ED、相変わらずなベタ展開には若干の不満は残ります。
しかし、それを差し引いたとしても、テレビ版を視聴した方には是非オススメしたい作品です。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 7

64.0 4 友情でツンデレなアニメランキング4位
ねらわれた学園(アニメ映画)

2012年11月10日
★★★★☆ 3.7 (297)
1477人が棚に入れました
本作は眉村卓の同名小説を、監督の中村亮介自ら脚本を執筆。(※内藤裕子との共著)
時代を現代の中学校に置き換え、新しい解釈によるアニメ映画化が実現。
制作はサンライズ第8スタジオ(「境界線上のホライゾン」「アクセル・ワールド」)が担当し、思春期の心象風景を淡くも鮮烈に描き出す話題作。
キャストにはナツキ役にAKB48の渡辺麻友が劇場版アニメ映画で初主演声優を務める。ナツキの幼なじみで相手役となる関(せき)ケンジ役を、 『SUPER8』(11)、「エウレカセブンAO」(12)の主役を演じた声優・本城雄太郎。ナツキ・ケンジが通う中学に”転校生“として現れる京極に、 『涼宮ハルヒの憂鬱』の古泉一樹、『黒執事』のセバスチャン・ミカエリスなど数々のアニメで主役を演じる小野大輔。ナツキ・ケンジの同級生のカホリ役に 「海月姫」の倉下月海役や、「こばと。」の花戸小鳩役などで主役を演じ、歌手としても人気の花澤香菜、と人気・実力ともに豪華なキャスティングが実現。
主題歌「サヨナラの橋」はナツキの声を演じる渡辺麻友が担当し、作品に彩りを加え、オープニングテーマ「銀色飛行船」はアニメファンにも定評の高いsupercellが担当。こちらも豪華な顔ぶれで本作を盛り上げる。

声優・キャラクター
渡辺麻友、本城雄太郎、小野大輔、花澤香菜
ネタバレ

剣道部 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

時をかける少年

[文量→特盛り・内容→考察系]

【総括】
アニメ映画です。ジャンルは、SF・恋愛。

1973年に書かれた小説を原作に、1981年に公開された、実写映画が有名な作品。薬師丸ひろ子さんが主演だそうですが、、、私、生まれてませんね(笑)

実写映画では、SF・サスペンス色が濃いらしいのですが、アニメでは、思春期の少年、少女の恋愛・友情が主なテーマになっています。

かなり考えさせられる作品。手描きの良さにこだわって作ったという作画も良い感じです。

古い作品ですが、しっかりと腰を据えて観て欲しい作品です。私のレビューは、かなり時間をかけて、頑張って考察しました(笑) あにこれ参加初期に書いたやつなんで、気合いが空回りしていますが、良ければ読んで下さい♪

《以下ネタバレ》

【視聴終了(レビュー)】
{netabare}
「携帯」「月の光(ドビュッシー)」「夏の夜の夢(シェイクスピア)」と、あからさまにモチーフになりそうなものが、序盤からたくさん出てきましたね。

携帯電話のくだりは、基本として賛成。「サイせん」の言う「携帯がないと不便なんじゃくて、携帯がないと不安なだけ」だというのは、完全に共感。

作家の江國香織さんは、「一緒にいることで不安になる友人をたくさん作るより、一人でいても不安にならない何かを見つける方が大切だと思う」と述べていますが、ホントにその通りで、小中学生(あるいはこの作品で、携帯に躍起になる登場人物達に)に知ってもらいたい言葉です。

ケンジがナツキの部屋にドングリを飛ばすシーンでは、純和風のケンジの家と西洋風のナツキの家との対比が見られます。

これは、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の有名な窓辺のシーン(身分違いの恋=叶わぬ恋)を暗示したものでしょうか?(また、作品後半でカホリを家まで送り届けるシーンも別れ際はベランダであり、カホリの家はボロいアパートでした。ここにも対比が)

ナツキとケンジの微妙な関係性を表すのに、ブランコは上手い比喩だと思います。隣り合う二つのブランコは、いつも側にいて、共に楽しむことはできるけど、二つのブランコの距離は、縮まることも離れることもない。そして、揺れ方だって微妙にずれていく。秀逸な比喩です。

ナツキとカホリの橋の上のシーンの「好きになるのに理屈なんてないじゃん」というナツキの言葉。

「月の光」を作曲したドビュッシーは、「印象派」と呼ばれ、「理屈」よりも「感覚」や「感情」を優先し、響きの美しさにこだわりました。そんなドビュッシーの音楽と重なるところも。

そういえば、同時期に活躍した画家で、同じく「印象派」と呼ばれたモネ(睡蓮などか有名)の絵画を思わせるような作画も多くありましたね。(モネは光の画家とも言われますが、確かに光の描写を大切にしている作品だと思います。これは、こじつけくさいけどw)

もっとも、「月の光」は、確かドビュッシーが初恋相手(人妻w )に贈るために作曲したものだったので、「人妻=報われぬ恋?」を隠喩したかったのかもしれませんね。

ところで、リョウイチの狙いは、ニュータイプの革新とか人類補完計画とか、そういうこと(笑)? 

たまたま「Gのレコンギスタ」を観た直後の視聴だから、不思議な既視感を覚えましまw まあそこは、サンライズが作ってるんだから、許しましょう(笑)  リョウイチはニュータイプの革新を、完全に「善」ととらえてましたから、未来の月では上手くいっているってことかな?

ただ、ゆりこ達、新たに「超能力者」になった生徒が満足している姿に違和感を覚えました。「ココロコネクト」では、テレパシーのリアルがとても上手く描かれていましたが、思ったことが全部伝わると、やはり人間関係壊れちゃうと思います。もっとも、生まれた時から全員がテレパシーもちの社会なら、それが普通なのだから、うまくいくのかもしれませんが。

というか、リョウイチのやりたいことがよくわかりません。「超能力」を増やすことが、なぜ世界改編につながるのか。人類は多分、大規模な戦争かなにかで地球を破壊するのでしょう。だから、(学園を皮切りにねずみ算式に超能力者を増やしていって)テレパシーが使えれば人は分かりあえるから争い事はなくなる、という、リョウイチの考え自体はわかります。でも、作品の最後でカホリに対し、「僕(リョウイチ)が未来へ帰れば全て忘れる」と述べ、実際に未来へ帰った後、ナツキとカホリの様子を観ている限り、ゆりこ達に超能力が残っているようには見えません。

じゃあ、何のためにリョウイチは超能力者を増やしたのでしょうか? リョウイチが、消えれば、「いた間のことが無になる」のか、「いた間のことも人々の中にはなんらかの形で残る」のか、という矛盾が、どうしても分かりませんでした。いっそ、第2案の「連れ帰る」だけにしぼっても良かったような。

ナツキとケンジのキスシーンは、「俺修羅」を思い出しました。やはり、元気幼馴染みは最強ですね! 幼馴染みは報われることは少ないので、本作のラストには満足満足♪

リョウイチが、「自分のようだ」と言った、「夏の夜の夢」のパックとは、「妖精パック」のことで、惚れ薬を使って、愛する恋人同士に仲違いさせる役割を担っています。ちなみに、「夏の夜の夢」の終幕の台詞はパックだったはず。

「さあ皆さん、夢から覚めて下さい」。

そんな感じ。てことは、リョウイチがパックというより、ケンジがパックでは?

この作品には、様々な哲学的要素もありましたね。

例えば、【存在】
「認知されなければ存在できないか」は、有名な哲学テーマのひとつ(素朴独我論や素朴実在論)ですが、認知(知覚)できなくとも存在できる、というのが一般論でしょうね。もっとも、最終的に、ケンジはリョウイチの手を握り、存在を知覚したことで彼を救いました。正直、「シンフォギアかい」って思いましたがw

また、【言葉】
日本の哲学者の 故 池田晶子さんは、「言葉の力」の中で、「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神だった」という聖書の一節を引用しながら、「人間が言葉を話しているのではない。言葉が人間によって話されているのだ」「言葉を信じていない人は自分も信じていない」などとおっしゃっています(詳しくは全文を。このへん(言葉のもつ力)、作品と被る部分もありました。

前述した江國さんは、「だって、人を好きになるというシンプルな感情を分類して、不倫とか遊びとか本気とか、いちいち名前を付けるなんていうこと、どうしたってナンセンスでしょう?」という言葉は、この作品を観る上でキーになると思います。

色々書いてきましたが、様々なモチーフを出しながら、多分その一つ一つがそこまで大事なのではなく、

「どうしようもなく人を好きになる気持ちは、時空を越える」

という辺りを、シンプルに描きたかったのではないでしょうか。(携帯、月の光、夏の夜の夢に共通するのは、恋や本心だから)

ただ、終盤はあまりに説明不足で、よくわからんままに無理矢理まとめた感が出てました。いわゆる、投げっぱなしエンド。

特に、作品の核たる恋愛模様の部分で、ナツキ→ケンジ、ケンジ→ナツキ、ケンジ→カホリ、カホリ→リョウイチ を好きな気持ちは丁寧に描写されていましたが、リョウイチ→ナツキを好き気持ちはほとんど描写がなく、海辺の別れのシーンで「ん?いつの間にそんな(リョウイチがカホリに惚れてる)ことに?」と違和感を覚えました。そこが残念。

リョウイチは魅力的な人物です。カホリも魅力的な人物です。なのに、ナツキとケンジに力を入れすぎ、この二人が少しないがしろにされてた感も。

例えば、カホリの家庭環境に深くつっこみ、リョウイチが自分の家庭環境に重ねてシンパシーを覚えるとか、カホリの告白をもう少し前にもってくるとかして、もっとリョウイチの「使命と恋心」に揺れる気持ちが描ければ、ラストは更に盛り上がったかも。実際のラストは、「使命と友情(ケンジとの)」に流れてしまい、恋愛要素の強い作品には合わなかったように思います。

もっとも、どうやら作品自体が原作の後日談らしく、原作を読むと色々補完できるようです。が、やはり映画なのだから、それはそれで一つの作品として確立させてほしかった(その辺は、「時をかける少女」の方が優秀)。

まあ、映像は綺麗だったし、ナツキは魅力的だった(AKBも、そこまで完全に捨てたもんではないかもしれないw)し、全体を通して、良いアニメ映画だったと思いますよ。
{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 18
ネタバレ

るぅるぅ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

曖昧とも持ち味とも解釈できるSF要素と恋愛。

監督:中村亮介
ブランド:サンライズ
ジャンル:SF恋愛/本編:106分
テーマ:コミュニケーション。
誰かに伝えたい・知りたいと想う忘れてはいけない気持ち。

簡単な粗筋
春の訪れ江ノ島の中学校に転校生してきた京極リョウイチと関ケンジ、鈴浦ナツキ、春河カホリが過ごすひと夏の甘酸っぱい青春恋模様。とある事件で携帯禁止となった環境で新たな事件に巻き込まれてゆく人の心にあるものとは何か。

テーマを恋模様として描き分かりやすいですが、SF要素のバランスが悪く最低限の説明描写で自己解釈に委ねている所が大きく一捻り欲しかったです。

キャラ設定は、幼馴染・一目惚れと片想い関係と王道です。特筆して個性が強い訳ではなく、行動面で植え付けている印象付けです。心情描写は上辺の関係ではない掘り下げた部分もありますが、少し物足りなかったです。{netabare} 京極がカホリに好意を抱いていると所々でわかりますが、告白を受け入れる行動が後付ではないが希薄に感じた。もう少し2人の日常シーンを挟むべきです。 未来人と打ち明けるシーンだけでは過程が物足りないです。{/netabare}

SF要素を含んだ世界観は、携帯電話・ネットで繋がる集団と個人において消失する人の孤独・安らぎとさえなっている社会の心理をあてはめています。そこに片想い関係を主軸に人が失ってはいけない気持ちを表現していますがSF描写が不足しています。端的な説明が目立ちます。

作画は、江ノ島が舞台だけあって他のアニメを彷彿させましたが全体的に綺麗です。街並・江ノ電・海・太陽の陽射と、どれも力が注がれています。また、幻想的な絵は手間が掛かっていると素人ながら感じました。特にキャラ表情の目元が細かく好きです。

声優はAKB48渡辺麻友の起用が疑問でしたが、差ほど作風のイメージを壊す違和感は無かったです。
それよりも個人的に主題歌「サヨナラの橋」をラストシーンに挿入歌として流されてはクライマックスの余韻が一瞬で消えます。懐メロをアレンジした曲調で大人の事情だと解釈していますw 

ねらわれた学園は過去にも何作か制作されておりアニメは初とのことです。私はアニメしか観ていないので作品本来のコンセプトが何かはわかりません。
過去作品を知っている人には、また評価が左右されるのではないかと想います。

SF要素を深く考えず恋愛作品として観ると楽しめるかもです。

個人的な解釈etc{netabare}
冒頭ケンジのナレーション「僕が京極と出会った日2つの事件が起こった」より観終わった後に過去の出来事であり、ナツキの夢を過去とも解釈できる演出によりパラレルワールドが含まれていると仮定する。また、京極・父の視点からでは、地球によって滅ぶ抗えないタイムパラドックスとしての一面もある。

■2つの事件について。
1つ目は山際ゆりこが周りから阻害された、もしくは虐められた事件によって携帯禁止となる。親を安心させる処置をとり一段落している。京極によって彼女が自殺に追い込まれた心情として、皆の心の中がわからない怯え不安に病んでいたと察することができる。知りたいという強い想いが欲求に負け嘘のない世界に導かれ、心の共有としてテレパシー能力を持つ人材であった。後は石へ吸収された心を使い利用される。

2つ目は京極事件の目的
京極リョウイチは未来人であって使い魔を連れ過去にジャンプして来た。その目的は、京極の父によるとケンジの力を使わせ未来を変える災悪を避けることであるが、無理なケースとしてテレパシー能力を持つ人の思念を持ち帰ることだった。父は、過去の記録には意味が無い大事なのは未来だけという豪語する心情は、母を過去に帰すことが出来なかった自分への苛立ちによるものと解釈できる。

■京極・父と耕児の関係。
京極・父は元々テレパシー能力者で耕児も元々反テレパシー能力者(ケンジと同じ能力)であると仮定して進める。2人は古くから知り合いで、京極・母(以下Aと記す)を奪い合った仲だったのではと考える。 ケンジ等のキャラ設定が片想いと描かれている点を考慮し、また耕児はAに憧れていたと話す素振りより。

ケンジと同じ能力を持つ耕児が地球を滅ぼすと仮定でき、そのまま一隻の宇宙船に乗っていた京極・父だけ助かったが耕児・Aは月へ来る前に死んだ(いつかは不明)。それを嘆いた父は過去に戻りAを救う為にジャンプする。そしてAを身体ごと未来へ連れて帰りイチャイチャしてリョウイチを産む。
この時に耕児を殺せば地球の安定・Aも全て手に入れていたのかもしれない。後味悪いけどね; だが、タイムパラドックスとして耕児の存在が地球が滅びる因果論によって、逃げる形で未来へ戻ったとする方が自然。リョウイチが言葉にしていた「復讐」も納得できる。
Aは信念が強い女性であった為、テレパシーは発現せず孤独に死んだ(リョウイチの言葉より推測)。
そして父は、Aを過去へ戻すことができないことも理解していた。(1回の移動が心臓に負担をかける制約より)この設定説明は不足である。

父はジャンプできない為にリョウイチに託すことになった。その建前として、少しでも未来で生きる望みを託し1000年単位で地球が住める時まで何とかしてやりたいと息子の為でもあったのかもしれないと感じる。

そして地球の滅びを回避する耕治への復讐だったが、京極・父の時代から少し時間軸が進んだ世界であった。これは耕児がAと結ばれ既に死んだ世界(墓石はリョウイチの母であり、母の存在を知っていたので花を添えた耕児はリョウイチの顔を観て驚いた)。 京極・父がAを未来へ連れて帰らなかった時間軸とも解釈できる。

耕児は能力を犬に施しケンジに与え時間軸を一定に保つようにしている。その為、京極・父の思惑とズレが生じたがケンジを凌げばいいという考えになっている。 ラストシーンを除き、どこまで京極・父は把握できていたのか分からないw また、耕児も年老いて仕方なく携帯を持つ習慣からケンジに託すしかなかったと解釈できる。

■ナツキ
ナツキの夢は別の世界の出来事でナツキ自身は理解していない過去。ケンジの死ぬ間際を助けるが、これはナツキの能力でケンジが生き返った世界であって、最後に幼いナツキと手を取り合うケンジの心が繋がった想いとして別の側面から描いたのではないだろうか。そして石に止められていた時間が綻状し2人を繋いでいた糸電話が振って来た。

■カホリ
カホリは父が死んだ海で想いを寄せるが、別の世界で既に使われていたのかもしれない。情報が少なすぎるw だが、ラストシーンでケンジが戻って来て使い魔を観て驚いていた姿はリョウイチを思い出したと私は解釈する。
携帯電話はナツキだけに記憶が戻る作用としかなっていない為、ケンジを観て驚くのはおかしい。

■ケンジ
生まれつきの能力者。耕児と同じで卓越した力を持っている。言葉が無くとも伝わるナツキとの幼馴染との関係はわかりやすく、恋は穏やかに結ばれることはないとも象徴している。ケンジとナツキ視点が多くもう少しカホリとの本音が聞きたかった所もあるがリョウイチと描く友情関係は巧かった。

■京極リョウイチ
キーパーソンとなる主人公とも呼べる立ち回り。
カホリの告白にも正面から答え、母と同じように孤独させたくないと真っ直ぐな優しさ。半分この時代の血を引き生きれる可能性よりも母の想いを育み生まれた時代で生きる幸せと決断する気持ちとテレパシーが無くても心を届ける術を無意識に理解していたのではないと気まぐれな性格と行動のズレが持ち味になっていた。{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 21
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

恋愛に着目すると面白い。SFとテーマは味付け。追記 原作読みました。

 この作品、多分昔駄作認定をした記憶があるのですが、今見たら面白かったです。
 なお、原作も何かの実写も見ている気がしますが、記憶にほとんど残っていません。本作よりももっと敵味方がはっきりしてた気もします。

 以前見たときに、何が悪かったかというと、SF的な事がよくわからないとか、キャラの過剰な演技がウザいとか、そんなことばかり目についた気がします。

 また、テーマとして恋愛、携帯、演劇の話そして超能力と、気持ちを伝えるとは?というテーマでくくられていることに気が付きます。サブの中では主要なユリコという少女のケータイにまつわる事件から話が展開して行きます。
 そして、生徒会を巻き込んでこのケータイが話の中心になります。なので、テーマ的にコミュニケーションが重要なファクターになるの?と思いきや、あれ???となります。
 途中から生徒会どこいったの?とポッカーンですね。この点語っている割に肩透かしでした。超能力者増やす理由はどこへ?


 ただ、今回再視聴して印象に残ったのが、ケンジのカオリへの憧れを見せられた後に、カオリが京極にメス顔をします。このメス顔がなんだかすごくエロいというか、もう完全に堕ちている顔でした。このNTR感というかBSS感が凄かったです。
 本作は、初めにケンジに焦点が当たって話が始まるので、ケンジに自動的に感情移入しています。このカオリの京極へのメス顔が完全にNTRで、好きな娘がイケメンにあんな表情していたらショックで立ち直れなくなるでしょう。ものすごく胸に来ました。で、自然と視点が恋愛関係に誘導されるわけです。

 で、幼馴染(ナツキ)→主人公(ケンジ)→共通の女の子の友人(カホリ)→色男(京極)という関係性がたまらないですね。この傷つきやすい関係性の構図が話の中心になっていました。
 微エロというかなんかちょっとエッチなラッキースケベ的な演出が多いのも、多分思春期の少年のマインドになれる感じでした。

 そうして、人物に注目していると不思議と以前ややこしかったSF部分も見えてきました。SF的な意味は、なぜ、ジジイと赤んぼがかなり過剰にクローズアップされるかを考えればわかると思います。

 ただ、不思議なのはそこまで未来で何が起こっていたのかを、説明しないで暗示でとどめとく意味あったのかなあ?やっぱり、なんらかのSF的仕掛けもやりたかったんでしょうか。
{netabare}  それと京極が最後自分が消滅しようとしたと考えると一応生徒会云々は父親=あのペットみたいなやつに対する偽装だったのかなあという気はしました。{/netabare}ただ、SF的な説明をはっきりしないので京極の覚悟は頭を使って考えなくてはならず、しかも正解と言う確信が持てないので、感動と言う点では詳細を隠したことが裏目だったかな、と思います。しかも、映画館でこれを初見でみたら、ちょっと見ている方は理解が出来ない人が多かったのでは?
 原作どうでしたっけ?部屋のどこかに原作が転がっていたら、読んでみたい気もします。

 つまり、この作品の面白さはSFに注目するとよくわからないまま終わってしまいますので、結果的には4人の一方通行の恋愛がどう整理されるか、に着目した方が素直に楽しめる気がします。

 背景美術は非常に綺麗です。「君の名は。」以前のアニメでもやはり10年代にはいって、美術的な技術は上がっていたのがわかります。空と雲に頼らない美しさは、かえって今では新鮮です。
 アニメの作画・美術は前半の方が丁寧だった気がします。後半の方がちょっと簡素な感じがしました。ただ、エフェクトと色彩が過剰なアニメですので、実は後半の方が見やすかった気もします。
 

 ということで、ストーリーは恋愛部分が良かったですが、深さもSF要素も物足りないので、3.5。キャラは良かったです。4.5。作画は4、音楽3.5ですね。声優さんは演技が過剰ですがそれほど悪くないので、4とします。

 評価点よりは、主観的にはかなり面白く感じました。76点/100点くらいかな?



追記 原作読みました。

 原作よみましたが、{netabare} 一応続き物という形態をとったんですね。孫の世代という設定でしょうか。ただ、それにも関わらず不思議なことに話の内容そのものは、原作にかなり近いです…結末の方以外は。{/netabare}

 原作は1976年で共産化つまり安保闘争についての総括のような話でした。ただ、共産だけかというとファシズム化の要素も入っています。要するに思想の統制問題です。
 ジュブナイルということで話に重層性はない単純な話ですが、結末を曖昧にして社会のシステム…多数決主義などに対する問いかけになっていたのは素晴らしかったです。
 思想の部分に反共産的な偏りがあるにせよ、しっかりと中学生程度の少年少女に対するメッセージになっていました。

 としたときに、本作の結末がなんとなく物足りなくなってしまいました。少なくとも人類補完計画もシリアルエクスペリメントレインもあるわけで、もうちょっとアップデートした問題提起はできなかったのか?主人公の能力が何を象徴しているのか?などの作り込みは欲しかった気がします。
 アニメ映画の「時をかける少女」のようなタイムリープに対するアンチテーゼのような新しい提案は無かったです。なら原作通りでいいんじゃね?と思います。

 そういうことで、これがジュブナイル…うーん、文章そのものは今のラノベの方が大人でも読めますが、内容はやっぱり70年代の方が大人だったんですねえ…。

 ちょっと評価点を落とします。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 7
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