回想で異世界なTVアニメ動画ランキング 2

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早速見ていきましょう!

88.4 1 回想で異世界なアニメランキング1位
蟲師(TVアニメ動画)

2005年秋アニメ
★★★★★ 4.1 (1961)
10507人が棚に入れました
「蟲」(むし)は作者の創作であり、我々が一般的に知っている「虫」いわゆる「昆虫」ではない。「蟲」とは、我々の世界でいえば幽霊や妖怪のような存在がそれにあたり、霊能力者を「蟲師」(むしし)という「蟲」専門の医者、かつ研究者、退治者としている。
時代設定については「鎖国を続けた日本」、もしくは「江戸期と明治期の間にある架空の時代」といった所との事。ゆえに作中においては、登場人物は主人公を除いて全員和装をしており、登場する風景も日本の原風景を思い起こさせるようなノスタルジックなものとなっている。
本作は、「蟲師」である主人公ギンコが「蟲」により引き起こされる様々な謎を解き明かしていく物語であり、基本的に一話完結で物語が構成されている。

声優・キャラクター
中野裕斗、うえだゆうじ、土井美加
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

独特の世界観って何さ?

あらすじは他の方のレビュー等をご参照ください。

 おもしろいですよね、『蟲師』。成分タグに「独特の世界観」というのが付いていました。私も同感ですね。色彩とかだけじゃなくて、世界観が独特なんですよね。

 『蟲師』を見るたびに思い出すことがあります。我が家にホームステイしていた、アメリカ人の大学生のこと。
 彼は『蟲師』を題材にレポートを書いていました。彼に頼まれて、そのレポートの日本語チェックをしてあげたんですが、文法以上にいろいろ気になったんです。私たちが感覚的に分かっている『蟲師』の世界観を把握できていないように感じました。彼も『蟲師』が「独特の世界観」であると主張していました。
 果たして私(たち)と同じ意味で使っているのか…。これがこのレビューの主題です。

↓畳んでるけど、ネタバレはないよ。

<彼の世界と私の世界>{netabare}
 彼は、とある一神教の教徒です。比較的敬虔な。まぁそれはいいのですが、「まず神様がいて、神様に模して造られた人間がいて、その他」みたいな序列を、傾向として持っている。そのせいかどうかは分かりませんが、彼は勝敗やランクを付けるのがとても好き。支配と管理と序列の世界。これが「彼の世界」です。

 一方、私は神様が何かなんて気にもしない。あえて言うなら、コントロールの出来ない不可侵なもの。つまり、よく分からないもの。環境みたいなものです。世界を「神様→人間→自然」という序列じゃなくって「人間と人間を取り囲む環境」という比較的フラットな関係で見れる。これが「私の世界」です。
{/netabare}

<蟲師の世界>{netabare}
 「蟲師の世界」には、2種類の人間います。一部の例外を除けば、蟲師である蟲が見える人間と、一般人である蟲が見えない人間に分けられます。「蟲師の世界」を考えるには、特別な存在である蟲師の視点で見てはいけませんよね。まずは作中の一般人の視点で見る必要があります。主人公のギンコが蟲師であったり、私たち視聴者にも蟲が見えていたりするために、ややもすると忘れがちですが、「蟲の見えない世界」が基本にあるんです。

 『蟲師』の各エピソードを見たときに、蟲が全く見えないことを想像してみてください。何が起こっているか分からなくて、ちょっと怖い。でも、ただそれを受け入れるしかないですよね。これが作中の一般人が見ている「蟲師の世界」です。つまり、蟲が神様だとは言えないまでも、「コントロールの出来ない不可侵なもの」という人間を囲む環境として描かれているってことです。これは「私の世界」に酷似していますよね。

 『蟲師』を見たときに感じる日本っぽさというのは、着物を着ているから、というのではなくて、その題材となっている迷信を含めて、精神世界が私(たち)になじみやすいからのような気がします。
{/netabare}

<独特の世界観①>{netabare}
 『蟲師』は「私の世界」と近いものであるはずなのに、「独特の世界観」を感じてしまう。この感覚はどこから来るのでしょうか。

 見えないはずのものが見えてしまう、というのは理由にならないでしょう。
 このような作品は、たくさんあります。例えば「妖怪もの」がそうですよね。妖怪も本来は見えないため、一般人にとっては「環境」みたいなものです。つまり、「妖怪もの」も「私の世界」が根底にあるわけで、「蟲師の世界」と基本構造は同じと言えます。でも、「妖怪もの」に「独特の世界観」があるって言われることって、あまりないですよね。見えないはずのものが見えてしまうことは、重要ではないように思われます。

 蟲が特殊でしょうか? そう思っていたのですが、これは誤解のようです。
 蟲も妖怪も、自然現象・生物・病など様々な概念を持っています。つまり、概念的には違いがない。姿かたちが特殊だというのなら、いびつな妖怪が出てくる作品には全てに「独特の世界観」タグが付くことになってしまいます。でも、これは少し乱暴ですよね。
 仮にですが、蟲は妖怪ですって作中で説明されていたとしても、『蟲師』に「独特の世界観」タグはついていたと思うんです。つまり、蟲っていう存在が「独特の世界観」を作っているわけではなさそうなんです。


 『蟲師』を「独特の世界観」にしている原因は、おそらくギンコです。ギンコという主人公が特殊なんです。
 「妖怪もの」では、主人公が妖怪を「環境」として見るのではなく、まず友人や敵として相対します。意思疎通ができなかったとしても、妖怪との対話が前提としてあるんです。そういう世界観が作品としての魅力になっている。
 でも、『蟲師』では蟲との対話をせずに、蟲という環境を介して、人間と相対することが主題となっているんです。

 もし仮に、ギンコが蟲とバトルを始めたら、これはもう「妖怪もの」ですよね。つまり、「私の世界」を起点に「妖怪もの」ではなくて「独特の世界観」にしているのは、蟲ではなくてギンコなんです。ギンコが蟲という異形のものに見せる態度が「独特の世界感」を作っているんです。
{/netabare}

<独特の世界観②>{netabare}
 『蟲師』にも、「彼の世界」の住人がいます。環境である蟲をコントロールしようとする人々です。彼らは、基本的には不幸になっちゃいますよね。作者はこっちじゃないよって言っている。
 「私の世界」の住人は、一般人ですね。蟲という環境に翻弄され、耐えるだけです。現実世界の私たちと同じで、目に見えないものを環境として受け入れることしかできません。
 「独特の世界観」の住人は、ギンコとギンコというフィルターを通したときの私たち視聴者です。

 ギンコは、蟲と対話をしません。話しかけることはありますが、あれは独り言みたいなもので、対話が成立しているわけではありませんよね。でも彼は、意思疎通のできない蟲に対してとことんやさしいわけです。どんな悲劇が蟲によって引き起こされても、絶対に蟲を責めたりしません。蟲っていうのはバトルの相手じゃなくって、環境だから。人の業を嘆くことはあっても、蟲に怒りをぶつけたりしないんです。

 視聴者も同じです。『蟲師』の各エピソードは、人の業に蟲の影響が絡んで、嬉しかったり、悲しかったり、切なかったりするわけですが、蟲が起こすことだから、そういう世界だから、視聴者は「しょうがない」と割り切っちゃえるんですね。何人かのレビューを拝見しましたが、誰も蟲を責めてはいませんでした。ギンコと同様に蟲を環境として受け入れているから、蟲に対してやさしくなろうしなくても、無自覚にやさしいレビューが書けるんだと思います。

 これって実はすごいことですよね。もし現実世界で蟲みたいな存在が目に見えていたら、私はそれを受け入れられる自信はありません。実際、虫の一匹にもあたふたしているわけですから。そんな蟲を無条件で受け入れられるギンコは、とても異常な存在なんです。
 でも、視聴者はギンコを介して蟲を見ることで、その世界に自身を投影し、蟲を受け入れてしまっているのです。ギンコにも視聴者にも、異形な「環境」が見えている。見えているのに、バトルの相手にせずに、なお環境のまま「しょうがない」と受け入れている。この異形のものを受け入れる姿勢が「独特の世界観」の正体なのだと思います。
{/netabare}

<独特の世界観③>{netabare}
 意外かもしれませんが、この「しょうがない」って感覚、留学生にはなかなか伝わらないんですよ。「it can't be helped」や「i have no choice」なんていったら「あきらめるな!」なんて返されたりもする。「that's life」や「whatever will be will be」もなんか違う。英語にぴったりの訳語がないんです。

 私たちが「しょうがない」って思うとき、あきらめと同時に受け入れていると思うんですよ。あきらめなきゃいけない状況で、怒るでも耐えるでもなくて、許容してる。この「環境を許容する」「許す」って感覚が英語には入っていないんです。

 ギンコっていうのは、蟲という存在を「許し」てしまっているんです。まさに究極の「しょうがない」の体現者であるわけです。蟲が起こす全ての結果を受け入れる度量がある。だから人にも気遣えるし、やさしくもできるんです。それが私たちの琴線を揺さぶるんだと思います。

 これは『蟲師』の面白さに関連していると思います。この作品てどこが面白いの、と聞かれても答えるのはなかなか難しい。私は、一つの話が完了したタイミングで「面白い」と感じています。面白いシーンがあるのではなくて、一つの話が全体として面白い。ギンコが蟲を受け入れて、私がその世界を受け入れる。その調和する一点が、この作品に感動を生んでいるように思えます。
{/netabare}

<まとめ>{netabare}
 彼にとっては、この辺を整理するのがとても難しい。
 彼も『蟲師』は面白いって言っていました。この辺の感覚は私と大差ないと思います。純粋に人間の物語を楽しめている。でも世界観を説明するとなると難しいんですね。不都合な蟲を屈服したくなってしまう。私が無視してしまう蟲の定義とかにもこだわってしまう。感想文ではなく、レポートを書こうとすると瓦解してしまうわけです。

 私が言う「独特の世界観」っていうのは、ひねられた世界です。「私の世界」を「妖怪もの」とは別方向にひねっただけで、根本は変わらないんです。「蟲って何?」って聞かれたら「よく分からないもの」って答えておけば、もう「私の世界」に入れることが出来るんです。その上で「蟲だからしょうがないね」って言っておけば、ギンコが作る「独特の世界観」を充足することができるんです。

 でも、彼が言う「独特の世界観」というのは、「彼の世界」とは別世界って意味なんです。「彼の世界」をひねっただけでは到達できない世界なんです。一度「彼の世界」から乖離して「私の世界」に到達しなければいけない。その上で「しょうがない」って感覚を学ばなければいけないんですね。

 おそらくですが、彼が蟲師を理解するためには、『もののけ姫』をきちんと解釈できるレベルが必要になると思われます。
 『もののけ姫』というのは、人間が自然に対抗しようという対立から始まります。そして、両者が共存へと導かれる物語です。ここでの話に合わせるなら、「彼の世界」から始まり、「私の世界」に至る物語です。
 一方で、『蟲師』というのは、自然や環境との対立を必要とせずに、初めから受け入れ、その上でどうやって折り合いをつけて行こうかって物語なんです。『もののけ姫』の先にある、「私の世界」だけを舞台とした物語です。
{/netabare}

<おわりに>
 多文化主義ってよく言われますけど、言葉でいうほど簡単じゃないですよね。毎年留学生が来る頃になるといつも思います。表面的な感情の部分は共感できても、根の深いところで価値観の違いを感じます。

 もちろん彼に「私の世界」について考える素養がない、というのではありません。「彼の世界」と「私の世界」について考えるときに、10-0でどちらに振れるか、ではなくて、7-3とか6-4とかのバランスの話です。個人的なものなのか、社会的なものなのか、宗教的なものなのか、それは分かりませんが、人の持つ思考のクセみたいなものがどちらに向いているのか、という話です。
 これはもちろん私にも当てはまることです。私も海外の映画とかを見ても、宗教的な象徴物になんてなかなか気付けないですからね。それでも楽しいと言ってしまう。まぁ理解できないのはお互い様ってことです。

 ちなみにですが、日本人とアメリカ人とか、東洋と西洋とか、そんな大層なことをいうつもりはないですからね。あくまでも私と彼の個人的な「独特の世界観」に関する話です。みなさんが考えている「独特の世界観」とも違うかもしれませんしね。あしからず。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 23
ネタバレ

小歌 さんの感想・評価

★★★★★ 4.6

幻想的な和風奇譚

 全26話 ※原作未読
世界観、エピソード、声優、作画や背景美術、音楽…
全てが素晴らしかった。
どこを切り取っても高クオリティで感嘆する。
1話完結型なので、毎話、短編映画を観たかのような余韻に浸れます。
日本の民間伝承や民俗学的な雰囲気が好きな人には本当オススメ。
私的に特に魅せられたのは音響効果。
山に棲む動物の鳴き声、雨風、葉擦れ、衣擦れ、木床の軋み、
土や雪を踏む音など…ヒーリング効果がハンパない。
あと、中野さんの淡々とした演じ方が
ギンコが醸し出す異質さと合ってて、とてもクセになります。
お気に入りの話は「柔らかい角」と「筆の海」。

 * * *

 ■第1~10話■
{netabare}第1話 緑の座
 {netabare} 動植物よりも生命そのものに近い存在・蟲。蟲師のギンコは、描いたものが具現化する“神の筆(ひだりて)”を持つ少年・しんらを訪ねる。そして彼の家にいる、元は人間だった蟲の少女・廉子(れんず)。彼女の正体は、蟲の宴で光酒(こうき)を飲み蟲になった、しんらの祖母だった。実に日本的な、自然と人が調和した世界観。良いねぇ。 {/netabare}

第2話 瞼の光
 {netabare} 光に当たると目が痛む病に罹った少女・スイと、彼女を倉に預かり世話をする少年・ビキ。彼女の瞼に棲まう蟲を取り除いたギンコは、闇を見過ぎて使い物にならなくなった彼女の左目に自身の義眼を与える。スイに見えていた、1話でも登場した光酒が流れる川・光脈(こうみゃく)は、シシ神様的な存在意義があるのかな。 {/netabare}

第3話 柔らかい角
 {netabare} 静かな冬の人里で片耳が聞こえなくなる症状が相次ぐと、村長の白沢から依頼を受けたギンコ。原因は蟲の“吽(うん)”によって音を食われていたためだった。しかし白沢の孫・真火(まほ)だけは、蟲“阿(あ)”によって額から生えてきた角から聞こえてくる大量の音に悩まされていた。音響効果が素晴らしい仕事をしていた。 {/netabare}

第4話 枕小路
 {netabare} 予知夢を見るという男・ジンに夢を見なくなる薬を渡したギンコ。1年も経たぬうちに再び訪れたその村は荒れ果てていた。ジンに棲みついていたのは予知夢を見せる蟲ではなく、見た夢を現実にする蟲“夢野間(いめののあわい)”であった…。ギンコも判断を見誤ることがあるんだなぁ。初めて平和的な結末じゃなかったね。 {/netabare}

第5話 旅をする沼
 {netabare} 透明な水のような蟲“水蠱(すいこ)”は、死に場所を求めて海へ向かうため“生き沼”となる。そんな生き沼と旅する緑髪の少女・いお。海に辿り着けば沼もろとも彼女も溶けて消えてしまう…ギンコはいおを救うため、海辺の街医者で収集家でもある知人・化野(あだしの)の手を借りる。旅費は蟲関連の珍品売って稼いでたのね。 {/netabare}

第6話 露を吸う群れ
 {netabare} 昼顔の花のように1日だけの命を毎日繰り返す少女・あこやは、“生き神”として島の住人に崇められていた。彼女を救うため、幼馴染の少年・ナギに呼び寄せられたギンコは、昼顔を巣とする蟲を発見する。生き物によって寿命は違っても、生涯脈打つ回数は同じ…ほへー。人生観について考えさせられる話。 {/netabare}

第7話 雨がくる虹がたつ
 {netabare} ギンコは虹を捕まえるため旅をする男・虹郎(こうろう)と出会い、しばしその旅に付き合うことに。前回が命の時間について考えさせられる話なら、今回は生き方について考えさせられる話ってとこか。蟲“虹蛇(こうだ)”に魅せられた虹郎の父が、病床で詫びながら彼に新しい名前をあげようとする回想場面で泣きそうになった。 {/netabare}

第8話 海境より
 {netabare} 海蛇のような群れに舟を囲まれ靄の向こうに消えた妻を、浜辺で2年半ものあいだ待ち続けていたシロウ。ギンコの言葉をきっかけに新たな自分の人生を歩み始めたが、再びあの時のような靄があらわれ…。なんだろう、前向きな結末なんだけど、なんかモヤッとするのは。奥さんだけが浮かばれないからかな。 {/netabare}

第9話 重い実
 {netabare} 天災の年に豊作となる代わりに、1番弱い者が贄として死ぬという村を訪れたギンコ。犠牲となる人間に生えてくる“瑞歯(みずは)”が、豊穣をもたらす次の“ナラズの実”になることを村で唯一知る祭主は、自らが犠牲になることでこの連鎖を断ち切ろうとしていた。ギンコが不老不死を解決策としたのは意外だった。 {/netabare}

第10話 硯に棲む白
 {netabare} 化野が所蔵していた硯を使った子供たちが、体温が下がり続けるという症状に見舞われる。解決策を探るため、ギンコはその硯を作った職人・たがねのもとを訪ねる。化野先生、再登場。硯から蟲を追い出せば霰が降ることは分かってたんだったら、もっと場所考えた方が良かったんじゃ…と思ってしまった。 {/netabare}{/netabare}

 ■第11~20話■
{netabare}第11話 やまねむる
 {netabare} とある霊峰近くの村人達からの尊敬を集める蟲師・ムジカは、人でありながらその山の主(ヌシ)を務めている。しかし密かにクチナワを呼び寄せ、自分の命と引き替えに主の座を明け渡そうとしていた…。今までで1番ジブリっぽかったな。旧山の主の大猪とか特に。ムジカが主になった経緯はある意味悲劇だと思う。 {/netabare}

第12話 眇の魚
 {netabare} 土砂崩れに巻き込まれ母親を亡くした少年・ヨキは、白髪隻眼の女蟲師・ぬいの世話になる。近くの沼には“トコヤミ”という闇の姿をした蟲と、その中で光を放つ蟲“銀蠱(ぎんこ)”がいた。ギンコの過去話キタ。彼の特殊な容姿の謎などが明らかに。ギンコにはもうぬいとの記憶がないんだと思うと、切なさが増す。 {/netabare}

第13話 一夜橋
 {netabare} ゼンと駆け落ちの途中で橋板が崩れ、谷底へ落ちたにも関わらず生還したが精神は抜け殻なハナ。彼女には蟲“ニセカズラ”が憑いているため、今も生きた状態なのだった。蟲が離れて彼女は死に、ゼンはギンコと共にニセカズラの群れによる“一夜橋(ひとよばし)”を渡り村を出ようとするが…。ハッピーエンドも観たい… {/netabare}

第14話 籠のなか
 {netabare} ギンコが出会ったのは竹林から抜け出せないという男・キスケ。真っ白な竹の姿をした蟲“間借り竹(まがりだけ)”と人間の間に生まれた子・セツと夫婦になり子をもうけ竹林の中で暮らす彼だが、家族で里に戻りたいと言う。安堵はしたけど少し異様にも感じるラストだった。蟲と人間のハーフは“鬼子(おにこ)”と呼ぶそうな。 {/netabare}

第15話 春と嘯く
 {netabare} すずとミハルの姉弟に、雪の夜に世話になったギンコ。弟のミハルは蟲が見え、冬のある日を境に春まで目覚めないという。しかし1年後に再びギンコが訪れた時も未だにミハルは眠り続けており…。冬仕様ギンコの色っぽさよ。彼が土地を早く離れたがるのは蟲のせいだけじゃないんだろうと思うと切ない。 {/netabare}

第16話 暁の蛇
 {netabare} 渡し守の少年カジから、母のさよが日毎に記憶を失くし、夜も眠らずにいるという相談を受けたギンコ。彼女は“影魂(かげだま)”という蟲に記憶を食われていた。食い尽されないために記憶を増やすようギンコから助言を受けた親子は、行商から戻らぬ夫を探しに旅へ出るが…。傍目から見て幸せなのか気の毒なのか…。 {/netabare}

第17話 虚繭取り
 {netabare} 蟲師が伝達に使用しているのは蟲“虚(むろ)”を閉じ込めた1対の虚繭(むろまゆ)。片方は蟲師が持ち、もう片方を管理し文を虚繭に送る役目を担うのは綺(あや)という少女。彼女は5年前に虚穴(むろあな)に飲み込まれた双子の姉・緒(いと)の帰りを待ち続けていた。蟲師の伝達手段が明らかに。ギンコの予想に反して綺の願いが報われて良かった。 {/netabare}

第18話 山抱く衣
 {netabare} 絵師を志して里山を出た塊(かい)。姉が持たせた着物の羽裏に故郷の山を描いたことをきっかけに頭角を現し、10年後には有名絵師として名を馳せる。そうして里帰りした塊を待っていたのは…。とても希望のある終わり方。故郷は大切にしなきゃね。ギンコが蟲ついてない着物を化野に売りつけてるのには笑った。 {/netabare}

第19話 天辺の糸
 {netabare} 人と蟲の境にいる状態の娘・吹(ふき)を保護したギンコ。彼女は蟲“天辺草(てんぺんぐさ)”に触れたため蟲寄りの存在になり普通の人には見えないでいたが、ギンコの介抱によりほぼ回復する。まだ不安定な状態の吹を人として繋ぎとめておくよう、恋人の清志朗(せいじろう)へ注意を促すが…。愛の力だねぇ。穏やかな話が続くと反動が怖い。 {/netabare}

第20話 筆の海
 {netabare} 禁種の蟲を体内に宿して生まれてくる者がある狩房(かりぶさ)家。蟲がいる右足には墨色の痣があり、その蟲を封じるため蟲師から伝え聞いた“蟲を屠(ほふ)った”話を書き記す“筆記者”となる。四代目筆記者・淡幽(たんゆう)は、蟲に侵されながら蟲を愛し、文字の海に溺れるように生きていた。淡幽さん素敵。ギンコとの関係も良い。 {/netabare}{/netabare}

 ■第21~最終話■
{netabare}第21話 綿胞子
 {netabare} 奇病に侵された我が子を助けてほしいと依頼されたギンコ。ワタヒコというその子や他の兄弟は実は人ではなく、蟲“綿吐(わたはき)”の一部であった。衰弱しているのは寿命がきたからで、胞子を飛ばす前に殺さなくてはならない。長男の時はその対処に同意した夫婦だが…。今までで1番物騒で不気味な絵面だったな。 {/netabare}

第22話 沖つ宮
 {netabare} 死にかけた者を“竜宮”と呼ばれる海淵に沈めると、同じ姿で再び生を受ける…“生みなおし”という現象が起こる島を訪ねたギンコ。そこで世話になった澪という女性も自身の母を生みなおし、娘として育てていた。死生観を問われる内容。でも「露を吸う群れ」ほどの暗欝さはなく、前向きな感じで良いね。 {/netabare}

第23話 錆の鳴く聲
 {netabare} 住民を含めあらゆるモノが赤い錆に覆われた村。この症状の原因は、しげという少女が発する声に含まれる特殊な層の音に魅かれて来た蟲“野錆(やさび)”であった。周囲から病の元と敬遠され、声を出さぬよう暮らすしげに、ギンコは解決策があると告げ…。真面目なシーンで男女の機微に茶々入れるギンコに笑った。 {/netabare}

第24話 篝野行
 {netabare} 蟲師・野萩(やはぎ)が暮らす里の付近で、謎の草が大量に生えてくる。作物に影響が出るのを恐れた野萩たち住民は草を根絶するため、ギンコの制止に構わず山を焼く。しかしその焼け跡から蟲“ヒダネ”が陰火(かげび)となって放出され、却って住民たちは危険に晒されることに…。自業自得というか、ビターな展開だった。 {/netabare}

第25話 眼福眼禍
 {netabare} 蟲を弾き語る琵琶師・周(あまね)。生まれつき盲目だった彼女は、蟲師の父が持ち帰った蟲“眼福(がんぷく)”を目に宿したことで視力を得た。しかし次第に見えないはずのものまで見える千里眼となったその両目を、周は葬ろうと決めていた。目玉が抜け落ちるシーンは4話を思い起こさせる。真綾さんの語りは耳心地が良いね。 {/netabare}

第26話(最終話) 草を踏む音
 {netabare} 沢(たく)の家は光脈筋にある山一帯を代々守ってきた。その山に梅雨の時期だけ滞在する不思議な一団“ワタリ”は、光脈筋を辿って移動し、蟲の情報を蟲師に売るのを生業としていた。その中で年頃の近い少年イサザと、沢は交流を持つようになる。ちびギンコ再登場。淡々としつつ穏やかで良い終わり方だと思う。 {/netabare}{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 12

シェリー さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

生きる苦しみ、辛さ、哀しさ

陰から生まれ、陰と陽を行き来するもの、蟲。
話すことも思考することもない、彼らと人との関わりを描いた作品。

場所はおそらく日本で、時代はけっこうむかしのこと。
まだ人々の生活が農業を主体とした、ほとんどその日暮らしのような生活をし、藁葺の家に貧しく住んでいた頃だ。
周りで聞いたことも見たこともない奇妙で奇怪なことが起こるところに不思議と彼はやってくる。
やや長めの真っ白な髪に細身で長身。大きな木箱を猫背に背負い、煙草を飲みながら歩き回る。
片目はその白髪に隠れて、もう片方の目は緑色ににぶく光る。見るからに怪しい男。
口を開くと意外にも話のできる者だった。
だが、一度気になることに食いつくとその口調は幾分鋭くなり、物事のまたは人のこころの核心を軽々と突く。
そいつの名はギンコといった。忘れもしないさ。生業は、そう、蟲師だ。


 独自の世界観を持つ本作。それは日本的で、というよりむしろ日本人でないとなかなか理解できないよう内容が多い。
 物語は1話完結で淡々と進んでいく。話の雰囲気は基本落ち着いている。登場人物たちの動きや話す言葉はとてもゆっくりで、バックにかかる音楽もその静寂とした空気を包みこむ。よく聴いていると、彼らの動きと話す言葉のテンポは一定に保たれており、水平的リズムが重んじられていることに気がつく。間であり、空白である部分は―それは絵においても―作品の細部でありながら、根幹にもなっている。それらが幾重にも重なり、一本の大樹となるのように細部が集まることで1話が成っている。
 話の構成はほとんど変わらない。脚本家によって多少の差異はあってもこの作品の構造上、あまり変えようがないのでプロットもほぼ似たようなものである。
 この作品が、「唯一無二の独特な雰囲気を持った、人を惹き込む高度な仕掛けのされた作品」なのか、「内容とテーマに即して無駄を一切省いたことで表すことができた、侘・寂に自然と惹かれる作品」なのか。それとも「無駄とできるだけのことを削ぎ落として作られただけの作品」か。僕にはその判断はできない。しかし音楽や絵、それらを上手く回した演出の良いもの、数ある話数の中でもとりわけ出来の良い話では、内容と完全に同化するところまでいっているので流石である。となると、その面白さは内容に左右されるのかもしれない。そうなるともう好みの問題だから他人の立ち入るところではない。これは示唆だ。

 全体がテンポの良い進行ではあるが、それぞれの話は違う。蟲の影響を受けた人々をギンコが助けていくという単純な話に落ち着かないのが本作の醍醐味である。話の終わりはハッピーエンドもあれば、手の施しようがなくやるせないままに終わることも少なくない。それぞれの、いわば短編の中で感じられることは実にさまざまであり、どこの誰の行動、言葉に感動するのかも人それぞれだ。また、ひとつの話の解釈も人それぞれなのかもしれない。なぜならば、1話1話から受け取ることのできるものは、そこに表面化していること以上にあるからだ。筆者は話の「答え」を書いていない。ただ、小説を書くように仮説を積み上げて終わっている。正義を語るものがいる訳でもなければ、きちんとした「正しさ」もない。そこでは登場人物たちの様々なエゴや、モラル、価値観などが、ほとんど手放しの状態である。共同体はあっても体制のない割と自由な環境であるために彼らの採る決断の幅は広い。だからこそ、この「哀しみを含んだショートショート」は自由な解釈ができ、僕らはそこに人の持つ本来の温かさと、ある瞬間に人が向けるものすごく冷たい残酷さを感じることができる。そして、必ずそこには哀しみが死霊のように付きまとう。


 『蟲師』が描こうとしたものが一体何であったのか。さっきも言ったように受け取り方は人それぞれなので、その一例として聞いてほしい。
 改めて言うとこの話は、ある昔の、おそらく日本という時間も場所も不特定なかたちで描かれ、蟲という異形なモノを登場させて語られている。話の主人公はギンコというこれまた異形な男である。彼の異形性はおそらく、人と蟲の中間的存在であることのメタファーであると僕は思う。そしてそれが示すもの、または彼の役割というのは、「なにも憎まない」「すべてはあるがままに」である。人も蟲もただ生きているだけであって、何か影響を及ぼしてしまったとしてもそこに意志がなければ悪意もない。ベトナム戦争や地下鉄サリン事件のような、見るに絶えない人の醜さ、悪、悲しみはそこにはない。互いはそこに存在しているだけであるということをギンコは主張し、彼もまたそれを受け入れている。それはニュートラルな彼が言うからこそ、説得力が増す大事なことである。「なにも憎まない」「すべてはあるがままに」
 ちなみに、ここだけでなくそれぞれの話に色んなメタファーを見ることもできるかもしれないが、僕はそんなに深く潜る必要もないのではないかと思う。話の事実だけでも僕らにとって、それらは新しい感触のものであり、教訓や誰かに深く共感し感じ取れるものがたくさんあるからである。僕はそれだけでお腹いっぱいです。だからメタファーの話はこれでおしまい。
 本題は蟲のこと。蟲というもの登場させて何をしたか。
 ひとつには、謎です。ミステリー。話の中になんだかよくわからないものを登場させることで観る人の気を引きます。それが非現実的で神秘的なものほど興味を注がれることで、探究心に近いものが生まれます。視聴者が、その存在との距離をもっと近づけるべくそれについて自然と考えるようになれば、作品としては喜ばれることであり、人気の証であり、世界観の創造に成功したことになります。実際に惹かれますよね、蟲って。
 そして、蟲を話の中に登場させることにより、作者が最も描きたかったものは何か。それは「人が生きること」。
 この作品を観て、単なる蟲の話ではないことが多くの人にも伝わったように、蟲の奇怪さ、不思議さを描く一方で、それぞれの話に出てくる様々なものの考え方を持った人達がいて、異なった環境に住む人々が主人公となる。主題はこちらにある。彼らは1人として同じ人ではいない。だから身の回りで起こった理解できない不思議なことの原因が蟲だと知らされてからの反応もさまざまである。受け入れる人、拒む人、喜ぶ人、嘆く人、利用する人、求める人。ただでさえ生きるのに必死な時代であって僕らの生活から比べれば、もし何かが起きて、”どうにかできること”というのはまったく少ないはず。そこにさえ蟲の影響が地の底から手を伸ばしてくる。理不尽な運命が日常を暴力的に奪っていく。まるで天災か何かのように。まさにそのとき、世界の縁に立たされた自分はどうすればいいのだろうと考える。本作の言いたいことというのはここにあると僕は思う。外から防ぎようのない力が自分または愛するものにその矛先を向けたとき、たくさんのことを考える。それは実際的なことであり、形而上の愛や倫理についてである。そして決断し、行動に移る。このプロセスで思い悩む人間の姿こそが、この作品の表現として秀でているところであり、「蟲」を通すことでよりドラマチックに、また悲劇的に描かれるのである。


とても好きな作品です。
まだ見たことない人であれば、どこでもいいので試しに1話観てみれば好き嫌いが分かると思います。
もし気に入ったのであれば、ぜひ心ゆくまでお楽しみあれ。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 28

83.0 2 回想で異世界なアニメランキング2位
Re:ゼロから始める異世界生活(第2期)(TVアニメ動画)

2020年夏アニメ
★★★★☆ 3.8 (690)
3176人が棚に入れました
コンビニからの帰り道、突如として異世界へと召喚されてしまった少年、菜月昴。頼れるものなど何一つない異世界で、無力な少年が手にした唯一の力……それは死して時間を巻き戻す《死に戻り》の力だった。大切な人たちを守るため、そして確かにあったかけがえのない時間を取り戻すため、少年は絶望に抗い、過酷な運命に立ち向かっていく。​

声優・キャラクター
小林裕介、高橋李依、内山夕実、水瀬いのり、村川梨衣、新井里美、子安武人、赤﨑千夏、中村悠一、井口裕香、堀江由衣、堀内賢雄、植田佳奈、江口拓也、田村ゆかり、藤原啓治、能登麻美子、松岡禎丞、天﨑滉平
ネタバレ

pister さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

「観終わった」でいいのか?

4話までの感想{netabare}
これ面白い?
1期の王都編、特に王候補を相手にした1度目の交渉が失敗に終わったのは、スバルが自分のことばかりで周囲に無関心だったせいだと解釈してるのだが。
それを反省して周囲に気を配るようになって「成長したなぁ」ってのが1期の話だと思ったら、今期3話エキドナ相手に再び無関心な対応をして「あれ?」。
そして4話、とっくに吹っ切れたことだと思ったらまだそんなところなの?とビックリ。
元の世界に帰りたいとか今まで一言も言ってないのにこんなん見せられてもちょっと…。
同期の“ムヒョとロージー二期”と似たような展開・成長したと思ったら前に戻っちゃった感じの展開で正直困惑。
主人公がクズなのは構わないんだ、“鉄のラインバレル”や“リヴィジョンズ”だって平気で観れる。
けど、成長したと思わせて成長してないのはどうにも…。{/netabare}

5話感想{netabare}
目的って何だっけ?
エミリアを王様にする?魔女教を撃退する?グゼのトモガラに存在を食われた(“灼眼のシャナ”ネタ)レムを取り戻す?
「聖域からの脱出」がこれらのどれにも繋がってない感じ、ゲームでいえば寄り道イベントみたい、どうでもいいことにグダグダ時間を割いてるだけのような…。
そのうちどうせ繋がるんだろうけど、意図して勝ち得たのではなく偶然舞い込んできただけにしかならなそうでなんか全然ワクワクしない。
まぁ死亡ルートをどう回避するかがこの作品のウリだろうし、現段階は死亡ルートの説明シーンってことなのかな?{/netabare}

6話感想{netabare}
えええ、そんなん?
死に戻りがウリの作品だし5話までは一周目の話で2周目以降違った側面を見せるのだろう、ということで気にしてなかったんだけど…あれ?
具体的には4話のスバルが両親と対面する話。
1周目は薄ら寒い「よかった話」の体だったけど、2周目以降はガラっと態度が変わってスバルは知りたくもない両親の真実を叩きつけられるんだろう、と思ってたんだけど…。
セーブポイントがそれより後ろになってやんのw
あっれー?
さ、作者やスタッフはあれをよかった話だと思ってるってこと?
まぁ、うん、確かSAO2期のマザーズロザリオ編だかその前になるんだか、アスナが母親と和解するシーンも「それでいいの?」と思ったモンで、そういうものなんですかね。{/netabare}

9話までの感想{netabare}
多分私が見方を把握してないんだと思うけど…。
今後「解決編」があるんだろうという前提で、解決編が始まれば面白いんじゃね?と耐えてる状態。
現段階はは解決編に向けての前フリ・ヒント出しなのだろう、と思って見ていて、「早く解決編始まらないかなぁ」って気持ちが先走ってあんまり面白くない。

ロードマップが見えないというか、主人公がなにがしたいのか分からない。
問題Aがあってそれを解決しようと行動すると別の問題Bが発生して、じゃあ問題Bを解決しようと行動すると問題Cが発生して、じゃあ問題Cを解決しようとすると…というのが繰り返され、そもそも問題Aはどうなったん?がおざなりになってる印象。
途中の問題が何も解決してないのがこれまた辛い。
桶屋を儲けさせようと思ったらネズミが居ない、ネズミを増やそうと思ったらネコが邪魔、ネコを狩る三味線屋を増やそうと思ったら風が吹かない、よし風を吹かそう、みたいな。
「で、桶屋はどうなったん?」とか「桶屋がネズミ対策するんじゃね?」とか「目を患った人が増えた段階でネコを繁殖する業者が現れるんじゃね?(減るどころか増えるんじゃね?)」とか、色々気になって物語に入っていけない。
また、次から次に「問題」が発生するせいで試せることが多すぎる、そのせいで行き詰まり感・手詰まり感が無い。
「やれることは全てやった、なのに解決できない、一体どうしたら…」ってトコまで追い込まれたところで「たった一つの冴えたやり方」を閃く系の話ではない?
そうでなくてはならないとは言わないが、やっぱり盛り上がりに欠ける様な?
あと個々の問題ごとの因果関係も希薄で、問題解決に向けたカズマの行動も目先のことばかり。
顕著なのはキーパーソンに対する質問の内容で「え、今そこ?もっと聞くことあるんじゃ?」というのばかり。
具体的にはロズワールへの質問にはベアトリスのことだけ、エキドナを通して折角会えたダフネへの質問は大兎のことだけで、本来の目的って何だっけ?と話の筋を忘れかける。
ぶっちゃけウサギが発生するのは絶対確実なの?まずそこから分からないw

まぁ解決編では個々の問題が一本の線に繋がってピタゴラスイッチ的にポンポンと片付くんだろう、きっとそう。
但しそれでもイヤ~な予感がして…ガーフをどうやって味方につけるのか?は「解決すべき問題」だと思ったら、最新話で都合よく協力することに「なってくれた」。
あくまで魔女(ないし魔女教)を嫌ってるだけでソイツとは敵対関係であると示せばいいってのは理屈では分かるけど、結局それは都合よく魔女が現れてくれたお陰なだけでカズマの閃きや行動の結果ではない。
向こうから答えを摺り合せて来てくれたというか棚ボタというか…世界が勝手に正解を用意してくれた感じ。
これが続くようだとちとキツいかも。

一方で、前回オットーが死んだ時点で「くそう、また死に戻りしなきゃなんねーじゃねーか」と怒ればいいのにそうではなく、ウサギに食われてギャーギャー。
見せるトコロ違うんじゃね?そんなにヒッチコックの“鳥”が好きなの?と思ったら、最新話で残機数を気にしてる描写があって納得、そういや前期も死に戻りの回数気にしてたっけか。
後付け臭いけどねー、それでもいいのでこんな感じで納得のできる顛末にして欲しいトコロ、頼むよマジで…。


それはそうとキャラデザに坂Q使ったのかよ~く分かる最新話でした。
前からソレっぽい気は感じてたけど、3人中2人ねぇ…ふーん。
因みにこの作品を面白くない人はなにが面白いのか教えて欲しいという意見があったので、同じ坂Q繋がりで“ゾイドジェネシス”なんてどうでしょ?
意地悪とか腹が立ったとかじゃなくてね。
主人公に一番果たしたい目的があって、それとは別の目的が発生して、さぁどうしよう?と逡巡する話とかあるよ。
但しそれ見るんだったらその前に“機甲界ガリアン”を見ておくともっと面白いんだけど…ハードル高いかな?{/netabare}

11話までの感想{netabare}
ネームドキャラの誰かが死ぬたび「あーハイハイ死に戻り確定ね」と思ってしまうし、レムの件からセーブポイントが変わったらヤバいので「早く死なないとアカンちゃうん?」と主人公のモタモタっぷりに違和感。
更にはいちいち激高するのがウザいなぁと思ってたら11話でロズから「驚きはある、義憤はある。けど悲しみは無い」って…いや、そこが描けてないなぁって思ってたのだけど…。
セリフで「そういうこと」だと強引に説き伏せようとしてるみたいで、う~ん。
ってか数話前までは「死に戻りの回数を気にしてた」として納得してたのに「エキドナに残機数無限だと教えてもらった」ことから何も変わってない。
死ぬ時いつも酷い目に遭わせることで「時の歌奏でるのとは訳が違うんだぜ、死に戻りも楽じゃないんだぜ」というのを強調してるキライは感じるが、如何せんウザい。
ってかこれ続けられると「痛い思いをして死ぬのはこりごりでゴザルよニンニン」ってことで怒ってるみたい。
ってかそれこそ主人公に言わせればいいじゃない、「あーまた戻んなきゃいけなくなった、面倒くせぇ」とかさ。
なんか…描写が押し付けがましい。{/netabare}

評価は後半へ持ち越し{netabare}
一応ここまでの感想としては、何ができて何ができなくて、何が解決すべき問題なのか分からない。
全体が「わからない」ものを何処が分からないのか説明するのって難しいのだけど、例えば大ウサギは退治する必要性はあるの?それともいつの間にか解決してる?それすら分からない、そんな感じ。
よく「絶望が絶望が」と聞くけど、やれることがまだ沢山あって(可能性がありすぎて「○○すればいいじゃん」とさえ言えない)手詰まりを感じないので絶望を感じない。
もし絶望感があるとすればサレンダーできないになるけど、そのためには「エミリアなんてどうでもいい」って心境に至らなければならず、果たしてそれは選択できるかね??作者が。
これ言うと自己啓発本みたいでアレなんだけど、壮大な目標あったとしてもそれに向かう実現しやすい小目標を立てて一歩一歩達成をしてくようにしないと途中で挫ける。
前進した感じがしない、と言ってもいいだろう。
これは正にそれ、いやぁ参ったね。
更に危惧するのは目標に含まれてなかったのに、他の目標を達成してるウチに都合よく解決できちゃう「瓢箪から駒」系。
それ自体は上手く描けば“はめふら”みたいに面白くなるけど、「都合の良さ加減」は一歩間違えるとご都合主義がキツくなるので塩梅が難しい。
なんかこれにはそれを踏み外してしまいような危なっかしさを感じる、実際どうなるかは続きをやってくれないことにはナンともだけど。
とりあえず魔女のお茶会?あれは“イセスマ”の神様の茶の間と同じであんまやらん方がいいと思う。{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 13
ネタバレ

レオン博士 さんの感想・評価

★★★★★ 4.6

残機99のバルスと七人の魔女。

スバルが少しずつ手がかりを集めながらああでもないこうでもないと試行錯誤するところは相変わらず。

ラムもレムも好きだけど、エミリア推し
パックとレムがいないとこの作品の癒し成分がだいぶ失われますね。

分割2クールの前半が終わっただけなので、まだまだこれから
回を追うごとに真相が解明されるどころか、謎がどんどん増えていくばかりで前半を見終えても謎だらけのままだけどとても面白かった

{netabare}
まるでアドベンチャーゲームだ
ゲームオーバーになったから違う選択肢を選んでみたら
今度は新たな事実の判明とともに新たな脅威が発覚する。
その新たな事実を頼りに違う行動を起こしたらまた違う問題が判明する。
こうやって視聴者はスバルの目を通して、実は一歩間違えばいつでもゲームオーバーになるような火薬庫の中に放り込まれているということに気づく
一期から続く面白いポイントだと思う。

1クールつかってフラグ埋めだけ進んで実は何も解決していない、
実際には何も進んでいなくても、確実に解決には向かっているのだとは思いますが
登場人物も七つの大罪の魔女が一気に出てきてそれぞれ思惑が違って、頭ぐちゃぐちゃ
それぞれのキャラクターには隠し持った力とか事情とか色々あって、それがスバルを通して断片的に、少しずつしか開示されていかないから疑問点はどんどん増えていく。
それを面白いととらえるか、モヤモヤしてストレスととらえるかで評価分かれそう。

スバルは今までの事件を解決する過程で、自分が死ぬことを前提とした動きをすることが何度かありました。
しかし、エキドナに会い、死に戻りの回数制限が恐らくないことを知ったスバルはその傾向がさらに顕著になりました。
そんなスバルに対し、スバルが死んだあとも世界は続く。
残された人たちがスバルの死をどう思うのか考えてという色欲の魔女からのメッセージはマンネリ打破という意味でもいいスパイスになったと思う。

ロズワールはスバルの様子を見て「ラムが死んだのにそんなに悲しんでいないように見える」というコメント。
スバルはやり直し前提でも仲間の死を避けようと奮闘していますが、やはりどこかに「どうせやり直すのだから」という気持ちがあるのでしょうね。
後半では恐らく「死に戻り前提からの脱却」が一つの鍵になると思われます。

よくウザいウザい言われるスバルですが、確かにウザいところは結構ありますね。
大事な人を助けるために一生懸命なのは好感が持てますが、スバルの悪いところは、大事な人を助けることに一生懸命になりだすと、周りが見えなくなるところ。
結構無関係な人にも当たり散らすので、そこがスバルの残念なところです。

「うるさいバルス、少し黙ってろよ」って私なら絶対そう言って喧嘩になるだろうな
でもラムが私のかわりにバルスを罵倒してくれるのでかなりスカッとします。
いいぞ、もっとやれ!
※私は別にスバルが嫌いなわけではありません

{/netabare}

重要そうなことの自分用メモ、まとめ
※2期は新キャラ多すぎて後半戦が始まる頃に忘れていそうなので、自分用のまとめと勝手に印象や考察を書いてます。

{netabare}
ベアトリス エキドナによって作られた精霊。書庫を守っている。開放されたい。もしくは殺してくれる人を待っている。待ち人が誰なのかは定められてない?
ガーフィール 死に戻りするたびにスバルへの友好度や行動が大きく変化する沸点低い獣人。フレデリカの弟。
スバルの指摘通り、何か怒るには条件があるのでしょうね。

スバルが聖域の開放のために積極的に動いている時は敵対的になり、聖域の開放がうまくいってない状況では友好的なようです。
それ以外にもあるかもしれませんが。
ということは、聖域を開放させようとしているのはフェイクで、実は開放を阻止したいという事です。
外に出たいというのは嘘ということでしょうか?
中に留まりたい理由があるのか、それとも外に出るのが嫌なのか。
外に出るつもりがないのなら、どうして聖域の開放をさせようとするフリをする必要があるのでしょうか?
そのへんは後半で明らかになるのでしょう

ロズワール 死に戻りのことを知ってる。スバルを覚醒させるため?エルザに屋敷を襲撃するよう依頼。こちらは自分がこの世界線で犠牲になろうが、別の世界線の自分が野望を果たせれば良いというかなりイカレた思想を持っていることが判明。
どうせやり直すなら終わった世界線は捨て駒のような動きをするスバルとはある意味似たもの同士。
この立ち位置はいかにも最終的に対立するポジションだけど、どうなることやら。

リューズ 大量にクローンがいる。なんかの魔女と関係がある(詳細忘れた)スバルの命令にも従う。
クローン最初の4体は特別な存在だと思われます。
「明日以降に同じ質問をもう一度わしにしてくれ」というリューズのセリフの意味するところは、
たぶん、自分ではない別の最初の4体のうちの誰かに同じ質問をすれば何か重要な手がかりが得られるという暗示。
ということは、その4体はそれぞれ別の自我を持っているということになるのではないでしょうか?
たぶん、この聖域編の特別な鍵の一つなんでしょう

魔女因子 ベテルギウスを殺したことでスバルに怠惰の魔女因子が移動?そもそも魔女因子ってなに? たぶん最重要ワード

クルシュとレム 記憶喪失状態。 レムはさらにスバル以外の全員から存在を忘れられている。スバルにだけきかない理由は魔女因子のせいかな?

ペトラ 新人メイド。たぶんこの先も何度も何度も犠牲になりそうなかわいそうなポジションの子。

フレデリカ 先輩メイド。ガーフィールの姉。一人で味方守るために戦いそうなイメージのキャラ

パック 何故か聖域に来る前から姿を消す。貴重な癒し枠。早く戻ってきて。

魔女の皆さん。
とりあえず現時点では人知を超えた存在なので戦うとかなさそうだけど
シリーズが続けばいずれ戦うこともあるのでしょうか?

嫉妬の魔女サテラ 魔女教徒が信奉している魔女とは彼女のこと。他の魔女たちを滅ぼした。エミリアに外見が似てる?スバルに死に戻りの能力を与えた?なんかやばい影をばら撒く。スバルを溺愛している?
エミリアとなんらかの関係はあるとおもう

強欲の魔女エキドナ 知識欲の権化。白髪で黒ずくめの美少女。
ベアトリスの生みの親。 ロズワールはエキドナと深い関係があるみたい
知識欲を満たすためにはどんな犠牲でもいとわない。嘘はつかないけど、あえて言わずに隠す。
たぶんスバルを何かと利用してくるだろうけど、敵対はしなさそう。

憤怒の魔女ミネルヴァ 金髪サイドポニテ 癒しの力を持ち、傷ついた人を見つけると治療する。争いや痛みをなくしたい。
何をそんなにイライラしているのか不明。ツンデレ?
暴走して失敗した後、優しくされて味方になっちゃう感じのキャラ

暴食の魔女ダフネ アイアンメイデンのような状態になってるかなりヤバそうな魔女。 常に猛烈な飢餓状態であり、食欲を満たすため??、白鯨や多兎?や黒蛇の三大魔獣を生み出す。スバルには一応協力的?
エキドナは、触れるな、拘束を解くな、目を見るなと警告していた。
どうみてもそのうち誰かが拘束を解いてえらいことになるフラグが立ってる。

傲慢の魔女テュフォン ロリ。純粋無垢な少女だけど、悪人を断罪することがすべてで、良心の呵責とかなさそう。こういうのが一番ヤバいやつ。
悪人だと痛みを感じる。罪の意識があると身体をバラバラにされる。
こういう人は大抵ラスボスのちょっと前に出てくる四天王。
敵に回るフラグが立ちまくってますね

怠惰の魔女セクメト いつもけだるげに寝転がっている人。ペテルギウスは彼女の魔女因子を持っていた? 
こういう人は、不真面目そうに見えて実はまとも。
スバルの協力者になるかも。暴走とかしなさそう。

色欲の魔女カーミラ ピンクの髪で純白の巫女様のような衣装。
彼女の姿は相手が見たいと思っている者の姿に見える能力がある。
さらに、見とれると呼吸も忘れて死んでしまうのだとか。
いかにも魔女って感じの能力。スバルも一回くらい死ぬパターンあるかも。

{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 35
ネタバレ

ヘラチオ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

前半は話がほんとに進まない

魔女たち(主にエキドナ)やガーフィールとその姉フレデリカが登場して、エミリアやスバルが聖域で試練をしている間に策略がっていうのをずっと繰り返しているだけでちっとも話が進まない。

凄くモヤモヤして続きが気になる終わり方をしたのみ。

{netabare}ロズワールは本当に胸糞悪い奴っていうとだけはわかる。死んだと思われていたけど、死んでいなかったエルザを屋敷に送り込む。次どう対処していくのか。そして、ベアトリスが実は死にたがり。{/netabare}


OP
Realize 鈴木このみ
ED
Memento nonoc

今期も鈴木このみのOPでテンション爆上げ。


以下はアマゾンプライムから引用のあらすじ。
第26話 それぞれの誓い
幾多の死を繰り返しながら、ついに白鯨の討伐を成功に導き、暗躍する魔女教大罪司教「怠惰」担当ペテルギウス・ロマネコンティを打ち破ったスバル。辛い決別を乗り越え、ようやく最愛の少女・エミリアとの再会を果たしたのも束の間、スバルはこの世界からレムの存在が消え去ってしまっていることを知る。死のループの中で白鯨に襲われたときに起きた《存在の消失》。白鯨を倒した今、起こり得るはずのない事態がスバルたちを襲う。

第27話 次なる場所
クルシュとの話し合いを終え、ロズワールに事態の報告と相談を行うため、アーラム村へと帰ってきたスバルたち。しかし、アーラム村に人影はなく、どうやら魔女教徒の襲撃に備えて、ラムと共に「聖域」へと避難した村人たちがまだ戻ってきていないらしい。「聖域」の情報を集めるため、ロズワールの屋敷にやってきたスバルたちを出迎えたのは、過去にロズワールの屋敷でメイドとして働いていたフレデリカという女性だった。

第28話 待ちかねた再会
「聖域」へと向かう途中、意図せずして魔女の茶会に招かれてしまったスバルは、自らを「強欲の魔女」と名乗る少女・エキドナと出会う。警戒するスバルに対して、エキドナはお茶が冷める前に早く席について欲しいと告げる。エキドナとの会話を終え、どうにか外に出ることができたスバルが目にしたものは、ぼろぼろになって地面に倒れているオットーの姿だった。事態を飲み込む暇もなく、スバルは何者かの襲撃を受ける。

第29話 親子
それは見慣れたはずのいつもの部屋のはずだった。しかし、ずっと暮らしてきたはずの自室にも関わらず、どこかつきまとう違和感。言いようのない焦燥感に駆られるスバルだったが、そんな不安は父親である菜月賢一の腕挫十字固めによって吹き飛ばれてしまう。悶絶するスバルだったが、負けじと反撃し、プロレス技の応酬が繰り返される中、母親の菜月菜穂子がそろそろお腹が空いたから、朝ご飯が食べたいとやって来る。

第30話 踏み出した一歩
もう戻ることのできない場所。どれだけたくさんのものを与えられていたのかを改めて知ったスバルだったが、もう何も返すことはできない。やらなければならないことを全て思い出したスバルは、賢一、そして菜穂子と別れ、学校へと向かう。意を決して教室の扉を開けると、そこには制服姿のエキドナがスバルを待っていた。思ったよりずいぶんと早く着いたと話すエキドナに対して、スバルは制服姿がよく似合っていると返す。

第31話 少女の福音
ロズワールの屋敷でスバルを襲ったエルザの凶刃。命を奪われてしまったスバルは墓所の中で目を覚ます。過去と向き合うという一つ目の試練を突破した直後へと戻ったスバルは、最初に目覚めたときと同じように横たわるエミリアを抱き起こし、リューズたちの元へ戻る。そこでスバルは自分が試練を突破したことを話し、エミリアの代わって残りの試練に挑んではどうかと提案するが、その提案はガーフィールによって反対されてしまう。

第32話 ユージン
例え終わる世界であってもレムだけは傷つけさせないとドアに手をかけたスバル。しかし目の前に広がったのはベアトリスがいる禁書庫だった。エルザの襲撃に対して沈黙を貫いていたベアトリスに間一髪というところで命を救われたスバル。しかしスバルはベアトリスになぜ皆が殺されてしまう前に助けてくれなかったのかと叫ぶ。口論しながら揉み合いになるスバルとベアトリス。そんな中、見覚えのある一冊の本がスバルの視界に入る。

第33話 命の価値
ガーフィールに捕まり、監禁されていたスバルを救い出したオットー。エミリアが試練に挑んでいる間、ガーフィールは墓所を離れることができない。今こそ結界の外に逃げるチャンスだと言うオットーに対して否定的なスバル。しかし、ラムが協力者として力を貸してくれることを知り、さらにラムのスバルへの手助けがロズワールからの指示だったことを聞かされたスバルは、逃げることを一旦止めて、ロズワールの元へ向かう。

第34話 らぶらぶらぶらぶらぶらぶゆー
兎の姿をした得体の知れない何かの群れに食い殺されてしまったスバル。半狂乱で目を覚まし、横たわるエミリアの傍で硬い石の床に額を何度も打ちつけるうちに、スバルは再び魔女の茶会へと招かれる。そこでスバルはエキドナに今まで口にしたくとも決して話すことの出来なかった死に戻りの能力を語る。スバルの話を聞き終えたエキドナは、スバルに力を与え、苦難を歩ませた存在である嫉妬の魔女について話し始める。

第35話 地獄なら知っている
墓所から外に出たスバルが目にしたものは、辺り一面を覆い尽くす黒い影だった。突如として現れた嫉妬の魔女によって、何もかもが黒く飲み込まれていく。スバルは駆けつけたガーフィールによってどうにか難を逃れるが、嫉妬の魔女は執拗にスバルたちの後を追う。自らを囮に使えと言うスバルを遮って、追いかけてきた嫉妬の魔女を迎え撃つガーフィール。しかし、嫉妬の魔女が相手では為す術もなく、黒い影は全てを飲み込んでしまう。

第36話 死の味
ロズワールの屋敷でいったい何が起きているのか。事態を見極め、対処法を見つけるため、ロズワールの屋敷へと戻ったスバル。エルザの襲撃に備えて、フレデリカたちをアーラム村に避難させたスバルは、ベアトリスのいる禁書庫へ向かう。スバルはベアトリスを禁書庫から連れ出そうとするが、ベアトリスの願いはスバルの思惑とは別にところにあり、会話は平行線を辿る。そして入れるはずのない禁書庫にエルザが姿を現す。

第37話 魔女たちの茶会
墓所で目を覚ましたスバルは横たわるエミリアを見て、エミリアだけでなく、聖域やロズワールの屋敷を襲う脅威の全てを退け、誰も彼も皆を救ってみせると決意を新たにする。ロズワールは、自らの目的を果たすためなら、スバルの力を使って無理やりにでもやり直しをする覚悟を持って行動している。果たして何がロズワールにそこまでさせるのか。様々な謎への答えを求めて、スバルは再びエキドナの元へと向かう。

第38話 泣きたくなる音
二つ目の試練の中で様々な出来事を垣間見たスバル。擦り切れてしまいそうになったスバルを動かしたのは、スバルのことを誰よりも愛してくれて、そして誰よりも厳しい人だった。目を覚ましたスバルは、力を貸そうと手を差し伸べるエキドナに、その手を取ることはないと告げる。そのとき闇のヴェールを纏った嫉妬の魔女が姿を現し、彼女もまたスバルに手を差し伸べる。その手を拒絶したスバルは誰の手も借りず自らの力だけで全てを解決すると叫ぶ。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 7
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