姉弟でオリジナルアニメーションなおすすめアニメランキング 5

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90.5 1 姉弟でオリジナルアニメーションなアニメランキング1位
凪のあすから(TVアニメ動画)

2013年秋アニメ
★★★★★ 4.2 (6453)
25533人が棚に入れました
海と地上、そのどちらにも人が暮らす世界。中学が廃校になり、幼なじみと共に地上の学校へ通うことになった海村の少年・先島光が転校初日目撃したのは、大切に守ってきた少女まなかが、地上の少年と特別な出会いをした瞬間だった。

声優・キャラクター
花江夏樹、花澤香菜、茅野愛衣、逢坂良太、石川界人、小松未可子、石原夏織、名塚佳織、天田益男、間島淳司、清川元夢、鳥海浩輔
ネタバレ

ピピン林檎 さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

溢れ出る感情の波に幾度も心をかき乱されてしまう、感銘も感動も大きいが視聴に難儀する《名作》

(2019年3月) 制作情報等を追記

◆感情描写の濃度が桁外れに高い作品

私は、恋愛などの感情描写系アニメを視聴するときは、作品中に不意に差し込まれる微妙な心情変化を見逃さないようになるべく集中して視聴するようにしているのですが、本作の場合、多数の登場キャラたちのどんな目線の動きにも手足の仕草にも確りと意味が込められていて、そうした一つひとつの挙動に暗示される各キャラの感情推移を読み取るのに視聴中ずっと頭をフル回転させている状態が続きました。
そのため1話視聴する毎に物凄く疲れて、暫く頭を休ませてから次の話に行く、ということの繰り返しで、これまで本作を余裕を持って視聴できていなかったのですが、3周目を終えた時点で漸(ようや)く、そうした感情を読み取る作業を自分が納得いく程度に終えることができた感じを持てました。
そして念を入れて行った4周目の視聴で、やっと余裕をもって本作全体を楽しめ、かつ自然な感じで感動もできたように思ったので、それに合わせて本作の評価を ★ 4.3 → ★★ 4.7に大幅に引き上げました。
(※1~3周目も視聴中に感動はしていましたが、果たしてその自分の感動が辻褄の合った納得のいくものなのか確証がもてずに警戒しており、本作の総合評価を ★ 4.1~4.3と低めに据え置いていました)
だいぶ苦戦しましたが、頑張って繰り返し視聴して良かったと思いました。

◆起/承/転/結のはっきりしたシナリオ構成

本作は、純粋な日常系の恋愛作品ではなく、①ファンタジー設定と②セカイ系設定を上手く組み込んだ変則的な恋愛感情描写系作品ですが、よく見るとシナリオ構成の基本に忠実に、全26話を以下のように、【起】【承】【転】【結】に上手に振り分けていることが見て取れます(※詳しくは◆各話タイトル&評価へ)。

【起】第1~7話(計7話) {netabare}海村とウロコ様の存在というファンタジー設定が示される{/netabare}
【承】第8~13話(計6話){netabare}地上の異変と海村の冬眠・人の滅びの予告というセカイ系設定が示される{/netabare}
【転】第14~20話(計7話){netabare}5年後の世界に切り替わり海村の3人の冬眠からの目覚めが描かれる{/netabare}
【結】第21~26話(計6話){netabare}登場人物たちの錯綜した恋愛状況が世界の命運と連動しつつ収束していく{/netabare}

◆作品テーマ

ひとことでいえば、{netabare}恋愛感情をもつがゆえの苦悩とその最終的な肯定{/netabare}、を描き尽くすことにあると思います。
この作品テーマは、第5話(あのねウミウシ)での美海と光の会話によく現われます。
{netabare}
美海「もう、あんな悲しいお腹になるのは嫌だ。大好きにならなければ、あんなに苦しくならない。だから、だから美海・・・」
光「大好きにならなければ、好きにならなければ、辛くならない。確かに、そうかも知れねぇな。」
美海「え?」
光「なんか俺も人のこと言えねぇ。好きとか、なんないほうが、やっぱ楽なのかも知れねぇと、思う。だけどよ、誰かを好きになるの駄目だって、無駄だって思いたくねぇ。」{/netabare}

→この会話は最終話で見事に回収されます。

※なお、本作で最終的に肯定される「恋愛感情」とは具体的にどのようなものか?をさらに一歩踏み込んで考察すると本作を一層深く楽しめるようになるのではないか、と思います(※その点、◆本作品に描かれた恋心(恋愛心理)の整理へ)。


◆制作情報
{netabare}
原作         Project-118
監督         篠原俊哉
シリーズ構成     岡田麿里
脚本         岡田麿里(12)、横手美智子(4)、吉野弘幸(4)、和場明子(3)、根元歳三(2)、西村ジュンジ(1)
キャラクターデザイン ブリキ(原案)、石井百合子
音楽         出羽良彰
アニメーション制作  P.A.WORKS{/netabare}


◆各話タイトル&評価

★が多いほど個人的に高評価した回(最高で星3つ)
☆は並みの出来と感じた回
×は脚本に余り納得のいかなかった疑問回

======================= 凪のあすから(2013年10月-2014年3月) ====================

~~~~~~~~~~~~~~ OP「lull〜そして僕らは〜」、ED「アクアテラリウム」 ~~~~~~~~~~~~~~
     ※ まなか・ちさき・光・要・紡(中学2年)、美海・さゆ(小学3年)
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 【起】 第1~7話は、{netabare}海村の4人が陸村の中学に転入したことを切っ掛けとして、彼ら内部や彼らと陸村の人たちとの間に発生する心の揺れ動きを描出{/netabare}
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{netabare}第1話 海と大地のまんなかに ★ 海村の4人の転校初日、まなか・紡の出逢い
第2話 ひやっこい薄膜 ☆ 美海・光、さゆ・要の出逢い、あかりの恋愛事情
第3話 海のいいつたえ ☆ 海村の掟、あかりの男の事情、紡と海村の4人が打解ける
第4話 友達なんだから ★ お女子様の破損事件、さゆの要への思慕の始まり
第5話 あのねウミウシ ★★ ちさきの想いを知ってしまう紡・まなか、美海家出・光への思慕の始まり
第6話 巴日のむこう ★ 光・紡の水泳競争、ちさき・まなかの喧嘩~仲直り
第7話 おふねひきゆれて ☆ 海村と陸村の対立、あかり海村から離れ地上へ{/netabare}
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 【承】 第8~13話は、{netabare}地上の異変~海村の冬眠決定を契機とした海村の4人や陸村の人たちの決断・行動を描出{/netabare}
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{netabare}第8話 たゆたう想いのさき ☆ 美海・光・紡・まなか・ちさき町へ(プレゼント探し)
第9話 知らないぬくもり ★ 地上の異変、紡→ちさき「今のあんた嫌いじゃない」、廃校でハグ(光→まなか)
第10話 ぬくみ雪ふるふる ★★ 冬眠の準備、まなかの想いはウミウシへ、要の告白
第11話 変わりゆくとき ☆ お船引き決定~準備、あかりの決断(結婚・お女子様に)、ちさきの決断(光へ)
第12話 優しくなりたい ★★★ 廃校での告白(光→まなか、ちさき→光)、第1話のリフレイン(まなか・紡)
第13話 届かぬゆびさき ★★ 冬眠、お船引き、お女子様(あかり→まなか){/netabare}
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ OP「ebb and flow」、ED「三つ葉の結びめ」 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    ※ まなか・光・要・美海・さゆ(中学2年)、ちさき(看護学校1年)、紡(大学1年)
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 【転】 第14~20話は、{netabare}5年後の海村の3人の目覚め、彼らと地上に残された人たちの戸惑いを描出{/netabare}
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{netabare}第14話 約束の日 ★ 5年後の世界(主にちさき・美海の視点から)、光の目覚め
第15話 笑顔の守り人 ★ 光・ちさき再会、美海の光への思慕、紡→ちさきへの希望表明
第16話 遠い波のささやき ★★ 光とのデート(美海・さゆ喧嘩)、美海にエナ、要の目覚め
第17話 ビョーキなふたり ☆ 要・ちさと再会、さゆ・要再会、海村へ(美海・光・要) 
第18話 シオシシオ ☆ 冬眠中の海村の様子、まなか発見~救出
第19話 まいごの迷子の… ★ 大人になった事に気付くちさきと、紡・要の彼女への想い
第20話 ねむりひめ ★ まなかの目覚め(必死に手を尽くす光と揺れる美海の心){/netabare}
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 【結】 第21~26話は、{netabare}海神様とお女子様の伝承をリンクさせつつ、登場人物たちのそれぞれの想いの着地点を描出{/netabare}
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{netabare}第21話 水底よりの使い ☆ OP映像マイナー変更。まなかの異変、ちさきと光たちとの距離・紡との距離
第22話 失くしたもの ★ ウロコ様探し、まなかの失ったもの(人を好きになる心)
第23話 この気持ちは誰のもの ☆ ウミウシの石、紡・光の殴り合い、紡の想いがちさきに伝わる(紡にエナ、海村へ)
第24話 デトリタス ★★★ お船引き再び、ちさきの本心(要へ)、さゆ→要へ告白・完結
第25話 好きは、海と似ている。 ★★ まなかの本心(美海・紡へ)、紡・ちさき完結、美海失恋、お船ひき
第26話 海の色。大地の色。風の色。心の色。君の色。~Earth color of a calm~ ★ 美海の心を知る光・お女子様の心を知る海神様、光・まなか完結、ぬくみ雪やむ{/netabare}
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★★★(神回)2、★★(優秀回)5、★(良回)10、☆(並回)9、×(疑問回)0 ※個人評価 ★★ 4.7


※このように本作は前半のラスト2話(第12-13話)・後半のラスト3話(第24-26話)にそれぞれクライマックスが来るように巧みに構成されていますが、その他の回も万遍なく楽しめる平均点の高い作品となっています。
(前半が詰らなくて後半がグンと面白くなく『とらドラ!』とは好対照)


◆本作品に描かれた恋心(恋愛心理)の整理

私たちがラブストーリーを批評する場合、「きゅんきゅんする」「甘酸っぱい」「純情」というのは常套句ですが、そうした感覚的で曖昧な表現だけでは、恋心(恋愛心理)の分類としては舌足らずであり不明確だと思うし、また本作に描かれた恋を「青臭い」の一言で切り捨てるのはいかにも粗雑な感想だと思います(※もし「青臭い」と断言するならば、どこがどう青臭くて、それとの対比で「青臭くない」恋とはどんなものなのか?が具体的に示されないと説得力に欠けます)。

そこで、ここでは本作に描かれた恋愛模様をより具体的に考察するために、以下の分類を用います。

{netabare}<1> 出逢い方による分類

①幼馴染型 → 海村の4人の場合(光・要×まなか・ちさきの関係)
②ボーイ・ミーツ・ガール型 → 陸村と海村の出身者の間の場合(紡とまなか・ちさきの関係)
③年上への憧れ型 → 陸村の小学生と海村出身の中学生の場合(美海・さゆ×光・要の関係)

<2> 恋の回数による分類

①初恋 → この作品の大部分の恋
②2回目以降の恋 → 無意識のうちに進行してしまうちさきの紡への恋
③その他(既婚者との恋など) → あかりの美海の父への恋

<3> 恋愛感情の内容による分類

①趣味的恋愛感情(※相手の好意の獲得を目的とした駆引き的な恋であり、恋に恋して恋を自覚的に楽しんでいる状態)
②虚栄的恋愛感情(※ブランド品を見せびらかすように恋人を持ちたがること、また人の恋路に嫉妬して燃え上がる恋)
③肉体的恋愛感情
④情熱的恋愛感情(※説明が難しいが、本作で描かれるほぼ全ての恋愛感情はこれに当てはまる){/netabare}

このように本作は、都会から遠いファンタジックな小村(海村も陸村も)で生まれ育ち、世の波風にまだ汚されていない中学2年(13~14歳)の少年少女の初恋という設定に基づき、全26話を通して、①~③の要素をほぼ排除して、④情熱的恋愛感情の描出一本槍で突っ走るという、ラブストーリーとしては些(いささ)か稀な作品となっています。

また、本作で描かれる心理関係のほとんどが、幼馴染の間か、さもなくば年上への憧れとして発生していることも、彼らの④情熱的な恋愛感情に説得力を持たせています。

《一般的な恋愛作品との違い》

これがもし高校生以上の関係で、かつボーイ・ミーツ・ガール型の出逢いだったなら、いきなりの④情熱的恋愛感情の発生には余り説得力がなかったことでしょう。
例えば、あにこれでも高評価の恋愛アニメの代表格『とらドラ!』は、
{netabare}
(1)序盤から中盤にかけて、ヒロイン大河の北村君への恋のときめきや躊躇いを繰り返し描き出していますが、そうした大河の恋心は、実は「駆引きを通して相手の好意を獲得することを目的とする恋」つまり①趣味的な恋愛感情であって、
(2)第16話(すみれさん乱闘事件)を機に大河は自分の恋心の浅はかさを悟らざるを得ず、そして、
(3)第19話で、大河はとうとう自分の本当の恋心は北村君ではなく竜児にあることを自覚するに至り、なおかつ、この自らの恋の成就を目指すのではなく、これを秘匿し押し殺して竜児の恋の成就を密かに支援する側に廻ることを決意する、
{/netabare}
・・・という流れになっていますが、このように大河の恋心が、①趣味的な恋愛感情から、④情熱的な恋愛感情に移行してしまうストーリー展開の巧みさに『とらドラ!』の凄みがあって、それがこの作品が高評価を取っている本当の理由と私は考えています。

この『とらドラ!』の例のように、優れた恋愛作品というのは、アニメ・実写あるいは小説といった表現媒体に関係なく、

(1)①趣味的な恋愛感情、②虚栄的な恋愛感情、あるいは、専ら④肉体的な恋愛感情からスタートした心理的関係が、
(2)いつの間にか、④情熱的な恋愛感情に転換してしまい、本人の意思では簡単に逃れられなくなっている様

・・・を説得力をもって描き出している作品であるのが一般的だと思います。

※因みに、そのような説得力を持ったアニメ作品は、実は結構少ないと私は思っており、例えば、あにこれで「恋愛タグ」に高いポイントがついている作品であっても、その内容をよく見ると、①趣味的恋愛や②虚栄的恋愛の範囲内で終始していて、④情熱恋愛への転換を描くに至っていないものが幾つもあると思います(例えば、『CLANNAD』、『初恋限定』)。

《本作視聴の難儀さの理由と魅力》

そうした一般的な恋愛作品との比較から、本作はやはり、
{netabare}
(1)海村という閉鎖的な環境で自然に芽生えた幼馴染同士の恋という設定、また、
(2)小学3年生の少女の5歳年上の少年への憧れと、少年の5年間の冬眠状態~解除により、本来は恋愛が成立しないはずの関係が“成立し得る関係”に転換してしまう、という現実世界では在り得ない特殊設定
{/netabare}
を巧みに用いて、序盤から終盤まで一貫して、④情熱的な恋愛感情の進行過程の描出だけでストーリーを展開している点で、恋愛作品として特殊であって、

(1)その④情熱恋愛一本槍という特徴から、本作に独特の息詰まるようなナーバスさが発生し(※注釈)、
(2)その結果、私たちは毎話のように視聴に難儀してしまう羽目に陥るのですが、
(3)そのナーバスさ・難儀さは私たちにとって、懐かしくまた切ない感覚を伴ったものでもあって、
(4)結局のところ本作の最大の魅力は、そうした感覚を私たちに思いがけず(かつ繰り返し)惹起させてしまう点にある、

・・・と私は結論づけたいと思います。

(※注釈)もし本作に、①趣味的・②虚栄的・③肉体的な恋愛感情が一定量混在していれば、他作品によくあるように、それらが適度に陽気な冗談や下ネタやおふざけを作品中に呼び込んでいたはずです。

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◆(参考)過去に書いた感想・レビュー

※前述のとおり、私は3周目までは「自分が安易に感動させられてしまうこと」への警戒から本作に対して相当に身構えていて、本作から自分が受ける感動の性質を慎重に見究めようという批判先行の視聴姿勢を取っていました。
以下はその当時の感想・レビューの一部です。

2015.3.10 三回目視聴を完了。
各話評価を追記。総合評価を4.1→4.3に改訂。
1クールに上手く圧縮されていたなら私も本作を名作(総合評価4.5以上)と評価していたと思います。
ですが、2クールはちょっとやり過ぎ感あり(稀に見る美酒も味わい過ぎると食傷気味になってしまう感じ)。
そういう意味では、かなり残念な作品でした。

2014.7.19 二回目視聴を完了。
全体に遊びとかギャグ要素が非常に少なく、重く沈鬱な印象。
この作品は毎話毎話、ほんの一瞬のカットに感情の微妙な変化や発露を盛り込んでくるので、安直な気分で流し見するわけにはいかず、全26話を通しで視聴するのに今回もかなり時間がかかってしまいました。

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※以下は第1回目視聴直後の感想・レビューです。

《岡田シナリオのメタ分析》

{netabare}★岡田シナリオの基本パターン

このアニメのシナリオ構成・脚本を担当した岡田磨理という方のシナリオは、表面的には色々ヴァリエーションを取りながらも、大雑把にいえば、

==========
A子はB男が心底好きだ。
だがB男は、A子の親友のC子の方に恋をしており、A子にはそのことがよくわかる。
A子も親友のC子が大好きで、彼女の美点を沢山知っている。



A子は、自分がB男に恋しているのと同じように、B男もC子に恋をする権利があると考える。
A子は、B男の恋心を捕らえている親友のC子を羨ましく思い、そしてそのようにC子に嫉妬している自分の心に気づいて、自分を浅ましく醜いと思う。
A子は、B男のC子への恋が実ることが、自分が恋をしているB男にとって一番幸福なことだと思い込む。
こうしてA子は、自分の恋心を押し殺して、B男のC子への恋を実らせるために密かに行動を始める。



ところがC子は、ずっと以前から親友のA子がB男に激しく恋していることを知っており、A子のB男への恋を実らせるために、B男に対して無関心を装うどころか、B男ではなく全然関係ないD男に恋している振りまでして、B男の自分への恋心を挫こうとしている。
実はC子も本当はB男を恋しているのだが、親友A子の恋心を犠牲にしてB男の恋心を受け入れようと時折考える自分の心を醜く浅ましく思い、許せないでいる。



一方、B男は・・・
また、D男は・・・
==========

という複数の男女の恋心が錯綜しループして、それぞれの善意と誤解から軋みと混乱と和解とが繰り返され、こうしたカオス的状況の中から次第に着地点が現われてくる、というパターンを、凡そ踏襲しているように見える。

この「凪のあすから」という作品も、これでもかと畳み掛けるような感じで、こうしたパターンが集積して出来上がっているように見える。

さすがにここまでくると、ちょっと食傷気味で、私の個人的評価は低くしてしまいましたが、でも、やっぱり実際視聴してみたら、相変わらず面白いんだよね、これが。

逆に言うと、なぜ岡田磨理さん以外のシナリオライターが、こうしたワンパターンながら安定的に私たちの心を揺さぶるようなシナリオ・脚本を書けないのか?ということの方が疑問なくらいです。

★岡田シナリオとその他の人のシナリオの違いとは何か?

一言でいえば、登場人物たちが、根本的な部分で、自分の恋心の成就を望むか否か、の違いではないか。

上にも書いたとおり、岡田シナリオの登場人物たちは、

①自分は誰かに激しく恋しながらも、
②自分の恋の対象者は、自分と同じくらいの強さで別の誰かを恋する権利を持っており、あるいは、
③自分とは別の誰かも、自分と同じくらい自分の恋の対象者に強く恋する権利を持っている、

ということに何時も気づいて、結局

④自分の恋心を押し殺して、自分の恋の対象者の恋を成就させることが正しい、という結論に達し、
⑤そのために密かな行動に出て、かつその行動を決して誰かに悟られまいとする、

という行動パターンを踏襲する(しかも一方ではなくほぼ全員が)。

要するに、岡田シナリオの登場人物たちは、他の、言ってみれば趣味的な恋愛感情のやり取りをしている作品の登場人物とは全然違って、アニメ作品でありながら、かなりリアルな情熱恋愛的な行動パターンを取っている、ということになり、そこから岡田シナリオの独特の迫力が生まれるのではないかと考えます。
{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 161
ネタバレ

れんげ さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

全てにおいて丁寧に描かれた、恋愛アニメの傑作

2013年10月より放送。
全26話。


【前置き】

冒頭部分を見ていた時は、まさか今現在のような高評価を出せる作品に発展するとは思いもしませんでした。
本作は、恐らく視聴した誰もが仰るでしょうが、後半からが本番と言わんばかりの尻上がりの面白さを見せる、大器晩成型のシナリオでしたので。


アニメーション制作は、安定と信頼のP.A.WORKS。
「true tears」から始まり、「Angel Beats!」「花咲くいろは」「Another」「TARI TARI」「有頂天家族」等、今現在では、またオリジナルで「グラスリップ」も放送されていますね。
ただ、特にオリジナルの作品に関しては「true tears」以降、個人的にいつもホームランを打つような感じではなく、どこか惜しい佳作止まりな感じがしていました。

しかし、本作は違いました。
ファンタジーを織り交ぜながらも、ラブコメとは全く違うガチの恋愛作品として、人気作「true tears」を越えたかも…とさえ思わせてくれる出来でした。



【あらすじ】

舞台は、かつて全ての人間達が海の中で普通に呼吸し、生活を営んでいた世界。
ただ、ある時を境に陸に上がって生きる人達が現れはじめ、やがて人は海と陸に分かれ深く関わることを避け生活するようになっていました。

物語は、汐鹿生(しおししお)と呼ばれる海底の村に住む4人の少年少女達が、その村の中学校の廃校をきっかけに地上の小さな港町の中学校に転入するところから始まります。

ただ1つ、その汐鹿生の村には破ってはいけない掟がありました。
それは、海の人間と陸の人間とが…恋をして結ばれること……。



【前半は、後半への壮大な前振り】
{netabare}
あらすじだけ聞くと、よく聞く可愛らしいお伽話のようにも聞こえます。
実際、当初は海中にある村の世界観やオープニングの雰囲気からも、ファンタジー要素を全面に押し出した作品に思えました。

しかし蓋を開ければ、その世界観を丁寧に説明しつつも、7人の少年少女のいじらしい恋愛模様を生々しく描いた作品でした。

冒頭は、話数に余裕があるが故のその丁寧な解説が少々退屈に感じる節もありましたが、今思えばそれは壮大な後半へ繋がる前振り。
今思えば、存分に描いて下さって本当に良かったと思っています。

ただ、オリジナル作品故にどうしても先を予見出来ず、この冒頭で切ってしまった人も放送当時はやっぱり多かったようですね…。
「3話程度では本筋がまだ見えてこない」という点は、本作の難点でもあるでしょう。


私的に、視聴を継続出来た理由として、その丁寧に描かれたシナリオ以上に丁寧に彩られた、安定と信頼のP.A.WORKS(←何度でも言いたい。)の、作画の存在が大きかったですね。

中でも、海底にあるの村の汐鹿生は綺麗でした。
塩が粉雪のように降り積もり細かくキラキラと輝いた町並みは、とても幻想的でした。

水面では泡の一つ一つから、海面では船の揺らぎ方一つ見ても、海の演出は特に目を見張るシーンが多かったです。
作画だけでも見たくなる、安定と信頼のP.A.WORKS。(←はい、だから何度でも言います。)



本作の前半最後の山場。
海の村の人は、いつ覚めるか分からない冬眠に入ってしまいます。

仲違いしていた地上と海の関係が少しずつ緩和され始めていた中の、突然の冬眠勧告。
その冬眠を受け入れられる人もいれば、受け入れられない人もいました。

この冬眠は、いつ覚めるかも全く分からないようでしたので、実際不安に感じるのも当然でしょうね。
特に、自分だけ目が覚めるのが遅かったら…。。
周りだけ成長している中、自分だけ起きた時取り残されていたら…。。


この『冬眠』という要素が放つシナリオの盛り上がり方は、作中でも随一でした。
想像したら、やっぱり恐ろしいですしね。

大好きな人が自分の知らない間に成長していて、自分だけ眠り続け取り残されるかもしれない恐怖。
……いや、そもそも…、もしかしたら一生目覚めないかもしれない。


当初は互いに歩み寄り始めた地上と海の展開から、「これ2クールもして後何するの?」なんて思っていましたが、こういうことだったんですね。

シナリオ構成は、「true tears」「とらドラ!」「あの花」も担当された、岡田麿里さん。
この御方は、やっぱり見せ方が上手ですね。
{/netabare}



【時を進めた者と、そうでない者】
{netabare}
そして、その本番の2クール目。
前半とは打って変わり、かなり切なげな雰囲気のモノローグも入る新オープニングは、まさに本番開始という感じがしました。

5年の歳月が流れた同舞台で、海中で冬眠についた者、地上で5年の時を過ごし成長した者の物語。
主人公を始め、冬眠から目覚めた者が少しずつ地上に姿を表し、再び止まっていた恋愛模様が動き出します。


後半冒頭では、海の人間でありながら冬眠に入ることが出来なかった、「比良平ちさき」のエピソードには胸が苦しくなりましたね。

5年前の、中学生だった自分はもういない。
大好きな相手はその中学生のまま地上に戻ってきたのに、自分は大人になってしまっている。

それでも、やっぱり会えば好きな気持ちは蘇ってきてしまいます。

「あの…私……、変わっちゃってゴメン…。」

そういうちさきに対し、その大好きな人は、見た目にとらわれず

「オマエ、全然変わんなくて安心した!!」

と言ってくれるんですよね。
ちさきは、嬉しくて涙しながら

「アンタに言われたくないわよ!」

っと、くいかかっていましたね。
……うん、コレはごもっとも。

した人は勿論、端から見ている側さえも世界観を大きく変えてしまう「冬眠」の恐ろしさが描写される中で、ここは大好きなシーンでした。


そして、5年前に恋をしていながらも、年齢差があって想いを伝えられなかった、小学生の女の子2人組、「美海(みうな)」と「さゆ」。

彼女達の視点から言えば、当時大好きだった中学生の男の子が突然いなくなってしまったワケでしたが、自分達が同じ年齢の中学生になった今、当時の年齢のまま戻ってきたというワケですね。

前半は、ハッキリ言って

「この小学生達の恋愛模様、こんな念入りにいる?」

と思ってしまい、蛇足や尺稼ぎにすら思え、少々退屈だとさえ感じていました。
(いや勿論、小学生は最高だぜよ?)

しかし、こういうエピソードに発展する為の伏線だったんですね。
これまた上手いですね、やられました。


この後半は、毎回少しずつ冬眠から目覚めてくるキャラが出て恋愛模様が入り乱れていくので、全く退屈しないどころか非常に毎話盛り上がって楽しめました。
小出しにされる焦れったさは多少感じましたが、決して尺稼ぎ感はなく、それぞれ進展する恋愛模様を丁寧に描いてくれていました。
これもまた、全26話のという話数の強みですね。

小学生から中学生になった2人。
中学生から大学生になった2人。
そして、中学生のままの3人。

それぞれの視点から描かれる5年を経ての恋愛模様は、それぞれの昔のエピソードが序盤で丁寧に描かれていたからこそ、感情移入しちゃうんですよね。
正直な話、要所要所で私は泣かされっぱなしでした。
{/netabare}



【要君から見る、凪のあすから】
{netabare}
さてここからは、後半から個人的に一番好きになって注目していた、海の人間の中でも物静かで空気の読める大人っぽさが魅力の

『伊佐木 要(いさき かなめ)』

を通して、作中の魅力的なシーンを、熱く語っていきたいと思います。


当初から同じ海の人間の ちさきが大好きで、でも彼女の気持ちが自分に向いていないことに昔から勘付いているので、中学生ながら基本的に傍観者でいた男の子。

しかし冬眠前に、その先行きの不安もあり、ちさきの家族にも公表するカタチで堂々と、

『ボク、ちさきのことが好きなんだよね、かなり前から。』

と、いつもの笑顔で告白。
しかしちさきが地上に残ってしまった中…自分だけが冬眠に入ってしまい、目覚めたらその大好きな ちさきは大人になっていたワケですね。


世界が変わっても

「変わらないものもある。

 変わるわけ……ない。」

と、自身の ちさきへの想いを再確認する要。

ただ、これまでは同じ年齢同士なので、その達観した物言いや立ち振る舞いにも余裕があった(ように見えた)のですが、流石に本物の大人相手にはその余裕も通用しないんですよね。
しかもその恋敵は、ちさきと5年を共に過ごした…非の打ち所なしのこれまた超絶イケメン紡(つむぐ)なのですから。

「大人だね…、ちさきは…。」

そう言いながらも、精一杯に顔色を変えず立ち去り、「クソッ!」と襖越しに言うしかない要。

今までにない余裕の無さ、それ故の焦りがリアルに描写され人間味が出てきて、私は後半からグンと好感が湧いてきました。

「ちさきが光とうまくいかなくても、次は僕じゃなく紡だってわかってたから。」

と、昔からの友達とはいえ、大人を相手に精一杯達観して喋るその仕草は、もぅたまらないぐらい いじらしかったです。



結局、本人の言う通り勝ち目のない恋だったのかもしれません。

でも、そんな要のことをずっと好きでいてくれた…、自分と同じく5年経っても変わらない想いをブツけてくれた女の子、さゆがいたんですね。

前半では、小学生が憧れのお兄さんへ抱く淡い恋のように描かれていた、さゆの恋。
それが、遂に一つの形となり本人の元へ、『不器用ながらも』思いっきりブツけられたのでした。


『ずっと…ずっと見てたよ……。

 私、アンタのことずっと見てた、ずっと待ってたんだからっ!!

 アンタがいるから、だから頑張ろうって…。

 アンタに釣り合いが取れるように、アンタに子供扱いされないように、

 アンタにちゃんと…、女の子として見てもらえるようにっ!!

 アンタがいない間も、アンタはここ(心)にいた。
 
 ちゃんと…、この真ん中にいたっ!!!』


この告白で、これまでずっと大人ぶっていた要が、冬眠から覚めても家族がいなくて寂しかった本音を、初めて吐露しました。
誰も自分を待ってくれていなかったんじゃないか…、と。

ただ、ずっと想って待っていてくれた さゆの気持ちを知り、救われたかのような嬉し涙を見せるのでした。


要「これからちゃんと見てみる。ちっちゃな女の子じゃなくて、同じ年の一人の女の子として。」


さゆ「上から目線だよね。」


こういう憎まれ口も、さゆらしくて良いですね。
振り返れば、告白中も「アンタ」って7回も言ってるしww


「あの頃はさ、遠くから見てるだけだった。一緒にいるけど、すっごく遠くて……。」

5年前を振り返りそう言っていた さゆが、中学生になって見せた要への5年越しのド直球アタック。
ココは個人的に、作中でもクライマックス以上に大好きなシーンとなりました。



話はそれますが、さゆを演じた石原夏織さんは「あの夏で待ってる」の谷川柑菜や「変態王子と笑わない猫。」小豆梓などを始め、恋愛的に報われない負け確定ヒロインを演じることが多く、今回もそうなんだろうな…と勝手に思っていました。
いやはや思いの他、大健闘でしたね。

今作では、いつも以上に良い演技も見せてくれましたし。
上記のシーンの他にも、第22話で光とブツかった時の、あの可愛らしくもドスの利いた

「おいタコスケ!!、ゥルェディイ(レディー)を突き飛ばしといてそのままかよ!!!」

も、とても印象的でした…、あぁ…中学生ってコワイ…。。。
やっぱり、小学生は最k(ry

2014年は、あまりアニメ担当数はふるいませんが、好きな声なので今後の活躍に期待したいです。



最後は、全員が見事なカップリングとは行かずとも、良い着地点を見せてくれたかなと思います。
変に話をぼかしたり、続編を匂わす描写が無いのも良いですね。

ただ、7人というのは奇数なワケで……、やっぱりそういうことになりますからね…。
(ちょぉっとは救いの目も見えましたケド。)
最後にもう一捻り欲しかった気もしましたが、これは大好きな作品故の小さなクレームです。


エンディングでは、エンドテロップとともに最初のファンタジー色の強いオープニング「lull~そして僕らは~」の別バージョンを存分に流し、キャラクター達の最後が海と地上でぞれぞれ、最後まで丁寧に描かれておりました。
この世界観と主要キャラ皆に好感が湧いたからこそ、120%楽しめたエンディングでしたね。

見終えた時「とても良い作品を見たなぁ…。」と非常に後味も良かったので、今でもとても好感触な印象で記憶に残り続けているのでしょうね。
{/netabare}



【総評】

序盤で切ってしまうには非っ常に惜しい、是非とも後半の盛り上がりを見て判断して欲しい作品です。


短気ながらド直球な男らしさが光る、ひー君。

無邪気で屈託ない笑顔を見せてくれる、まなか。

団地妻のような妖艶な色気を見せる、ちさき。(昼下がりの、じゃないよ。)

大人びたクールガイながらイクところはイク、要。

「海」という一言で全てを伝えることが出来る水陸両用イケメン、紡。

一番女の子らしく いじらしい気持ちが描かれる、美海。

ちんちくりんだった小学生から一転し、最後は女を見せた。さゆ。


世界観も、このキャラクター達も、シナリオ展開も、そしてそれを彩る作画も含めて。
私は半年間(特に後半3ヶ月)、大いに楽しませてもらいました。

『海と大地のあいだで揺れる 青の御伽話(ファンタジー)』と題されていた本作。

それは、想像していたよりもずっと重く、そしてなにより全てが丁寧に描かれた傑作だと、私は感じました。

またひとつ、大好きな作品に出会えました。


長々と読んでいただき、ありがとうございました。


◆一番好きなキャラクター◆
『伊佐木 要』声 - 逢坂良太さん


◇一番可愛いキャラクター◇
『潮留 美海』声 - 小松未可子さん

※※※
以降は、視聴済の方向けに書かれた、ただの私の妄想なので〆ます。
{netabare}
さて、本作のように世界観や物語が魅力的な作品に出会うと誰しも、

「一度でいいから作品の中に入ってみたいっ!!」

と、妄想してしまいますよね?


………ねっ!!!


というわけで、もし

【「私」が、この世界の8人目として、同じ年齢で恋愛模様に加わっていた場合】

を想定して、この綺麗な物語の展開を、更に味付けしてみました。



■第0話■
ひー君達が後に転入するクラスの隅に、「私」登場。



■第1話■
ひー君達、汐鹿生の4人が転入。
「私」まなかの屈託の無い笑みを見て、「この子は俺に惚れている!!」と勘違いする。



■第9話■
クラス皆で、おじょし様を作っている際に「私」、小学生の美海を見かけ何かに目覚める。

以降、「俺には、まなか がいるのに…」という、不必要な葛藤が毎晩続く。



■第13話■
葛藤で睡眠不足ののまま迎えた、おふねひき当日。
「私」荒れた海の中、人知れず海に落ちる。
(当然、エナが発動することはない。)

汐鹿生の村人が冬眠に入る中、一人永眠に入る。



■第13話と第14話の間■
偶然にも、紡が海へ出していた定置網に、最早原型を留めていない「私」が引っかかる。

紡、顔色一つ変えず無言で、手荒に海に返す。



………というわけで。。


どう想像しても「私」は、後半に駒を進めることが出来ませんでした。

私がいれば、男4女4で綺麗に恋愛模様もまとまっていた(に違いない!!)でしょうに…。

ゴメンよ美海……。。。


こんな綺麗な世界に『どざえもん』を出してしまうことになり、誠に申し訳ありませんでした。
{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 76
ネタバレ

アリス★彡 さんの感想・評価

★★★★★ 4.6

懐かしい匂いがした

最初はただの絵本を手にする気分でした。
かなりファンタジーチックで最初は淡い恋愛感情を描く恋愛物だと思っており、そこまで期待はしてませんでした。
ですが、確かに絵本のようなおとぎ話だったものの、今まで読んできた絵本よりもとんでもなく素晴らしい絵本でした。

淡い恋愛物のふりをしたドロドロの恋愛物です。

人間が海の中に住んでいるというファンタジーな世界観。
この世界観を存分に活かした展開が本作品の魅力です。

キャラクターデザインは、
『僕は友達が少ない』や『電波女の青春男』の挿絵や表紙を手掛けたブリキさん。

シリーズ構成は、花咲いろはやとらドラの岡田麿里さん。

前半は淡い子供の恋愛物語、三角関係、海の人間と陸の人間の関係、などを中心にお話が進んでいきます。
ドロドロした人間関係を描いたお話で、とても岡田麿里さんらしいドラマチックな脚本でした。

前半は正直キャラクターの精神年齢が子供だったりするので、キャラクターに共感出来ずに、だるくてつまらない印象を受けるかもしれません。
暴言や喧嘩、恋愛の考え方もかなり子供っぽいです。
前半も良い感じのラブコメで楽しめたという人もいるので、前半は評価が分かれます。

この作品は前半で張った伏線を一気に回収する中盤から見所で、後半に進むにつれ一気に面白くなります。
また、大人が共感出来るようなシーン{netabare}(例えばちさとと紡が大人になったり) {/netabare}もあるため、ここから一気に大衆向けの作品に化けます。

また子供っぽいと思ったキャラクターも徐々に成長していき、大人になっていきます。
これが本作の魅力です。キャラクターの子供の時代を描くことにより成長した時、さらに感情移入が出来るようにしています。

この後半の展開は前半に張った伏線が無ければ、描写が足りずに感情移入が出来にくかったでしょう。
前半の甘いラブコメがあるからこそ、後半の壮大な世界観を描けるのです。

終盤になるにつれて、世界観の壮大さが強調されていきます。前半は、小さな恋愛物語を使って若年層の共感を呼び、そのあと徐々に前半に張った伏線を回収しながら設定を活かした壮大な話を描く。

本当に計算されている作品だと思います。
説明しなくても分かるシーンは、視覚のみ情報で理解できます。また陸と海との関係で、感情的になるところは、対立は中々終わらないということの、少し説得力が増えて良かったかなぁっと思いました。
ネタバレ有りのところでも書きますが、勢い任せの展開は、視聴者の感情を高揚させるためのテクニックであり、テクニックに現実世界のような心理を求めるのは、的外れもいいところです。この作品は、とてもそれに優れていて、とにかく感情を高ぶる良いシーンが多いです。
なので、私は視聴者の感情を高揚させることが本当に計算されているな、と感じました。(どういう風に感じたかはネタバレ有りのレビューで語ります)


深いテーマ性も物語を楽しむ上での醍醐味なので、ぜひぜひ考えてください。


↓以下ネタバレの長文。かなり書いてます。。。すいません。


{netabare}

■まなかが紡のことを好きだと思わせるミスリード
前半は、まなかが紡のことを好きだと思わせる徹底的なミスリードが行われています。
まなかが紡に釣り上げられるシーン、まなかが赤面して教室から出て行くシーンや、紡がまなかを助けるシーンなどなど。
例を上げればキリがありません。

1話目で、
紡「綺麗だ」
まなか「え、あ、なんだ魚のことか・・・」
紡「あんたも」

なんて台詞を入れているんですから、まなかは紡と結ばれるのかな、と思っちゃったりしました(笑)
完全に製作者の意図に騙されましたね(笑)

最終的にまなかは紡ではなくて光が好きだということは分かります。
その展開を視聴者に読ませないために、わざわざあんなフラグを作ったんですね。


■海の人間と陸の人間の対立
学校のシーンやおふねひきの件で揉める件で強調されています。

学校のシーンでは、通ってきた中学が廃校になったため転校してきた光たちに対して、陸の子供たちは、からかったり馬鹿にしたりしました。
海の人間と陸の人間の関係について数話を使って、上手く描写していたなと感じます。

また中盤のシーンでもその対立は描かれています。
おふねひきの件で、光のお父さんを含んだ海の人間と陸の人間が口論から喧嘩に発展するシーン。

結局、どちらが悪いのか分からないですけど、とりあえず凄く対立しているんだな、ということが分かりました。


その対立も、海の人たちが冬眠することで、陸の人たちが海の人たちに支えられていることに気づいて、また海の人たちも冬眠する前はなんだか寂しげな表情をしていました。

お互い憎んでいたけれど、お互い支えあっていたり、お互いいなければ分からないことがあったと気づきました。

■要
告白するというのは自分を納得させるため。
要は、冬眠の前に、ちさきに告白したり、光に、まなかに告白するように迫ったり、突然理解できないような行動を取ります。

しかし、全て告白するというのは自分を納得させるためだ、という要の自論に基づく行動なら納得がいきます。


相手に気持ちを伝えないということは、自分の気持ちに嘘をついたまま過ごすということ。
例え、相手の事を大好きでも、自分の気持ちに嘘ついてしまっては、なんだか心の仲が落ち着かない感じになってしまうかもしれません。
だから自分を満足させるために告白するんだ、というのが要の自論です。


その考えは告白すると人間関係にひびが入るかもしれないから嫌だ、というちさきやまなかに否定されてしまうのですが...

まぁこのあたりの価値観の押し付け合いは、子供っぽいなぁと思わせるシーンでした。

■変わらないもの

冬眠から覚めた光は、変わった街を目にして、変わらない自分と比較してなんだか途方に暮れます。

「自分はつい前まで、おふねひきをしていたのに、いきなり街が変わって、美海も大きくなって、もう何がなんだか分からない。
これ以上、変わったものを見てしまったら、俺は耐えられないかもしれない。
だからちさきには会いたくない。
もっと変わったものを見ちまったら、もうおかしくなりそうで見たくない。」

そう思っていた矢先にたまたま成長したちさきに会います。


「あぁなんだ
変わらないものもあるんだ」


5年間という空白は大きかった。
けど、5年間立っても変わらないものはある。
どれだけ変わろうとも、変わらないものは絶対存在するんだ。

そういうことを思わせるシーンでした。


■変わるもの

光達が冬眠している間に、ちさきと紡は二人で三人が目覚めるまでゆっくり時間を過ごします。

ちさきは、もしも光達が帰ってきたら、自分が光を好きでなければ、光達がなんだか遠い存在になるような気がするので、光のことを想い続けます。
自分が光の気持ちを無くしてしまえば、戻ってきたみんなは自分の変化に気づき、複雑な心境になるからでしょうね。


光達が戻ってきてから、ちさきは徐々に自分の好きという気持ちが紡に移っている事に気づきます。

分かっていてても認めたくないちさき。
そう、それを認めてしまったら、みんなを複雑な心境にさせてしまうかもしれない。

だから、認めたくない。


元々、ちさきは変わるのが嫌だから、告白して自分自身を満足させている要の考えには同調していませんでした。
今の関係が壊れるのが嫌だから、光に告白しませんでしたし、要が告白したほうが良いと勧めても、拒否しました。

そういった考えだから五年立っても人間関係が壊れるのが嫌で、光の事を想い続けたままでいます。



要はそんなちさきを見て、おふねひきの事を思い出します。

あの時、自分が紡を救わなければ、自分はちさきと一緒に入れたのではないか。
そうしていれば、ちさきが今好きな相手は紡ではなく自分だったのかもしれない。

でも、自分が紡を救わなかったら、確実に紡が死んでいた。


けど、最初からちさきは紡の事を気になっていた。
自分が紡を救わなくて、誰かが紡が救っていたとしても、結局、ちさきは紡の事を好きになっていただろう。


だって 人の気持ちは変わるものだから


どれだけ変わらない事があっても人間関係は何年もすれば変わるもの。
人の気持ちは移り変わるもの。



ちさきは紡の事を好きだって認めたくない。


けど、人の気持ちが変わるという事を知る。


だから気持ちが変わるという事を受け入れて、紡のことを受け入れる。



やっぱり時間が変われば人間関係が変化するんものなのだなぁっというのを感じたシーンでした。






■美海
今思い返すと、光と美海を5歳差にしていたり、美海が光に助けられたシーンを描いたりしたのは、全てはラストのためだったんだなぁ、と感じます。

まなかさんも好きだけど、自分も光が好きだから、まなかさんとは恋敵になってしまう。
そういう複雑な状況になり、精神的に追い詰められます。

さらに、光と同い年になった事で、いつも遠くから見ていた光と傍で一緒に学校に行けるという事に喜びます。

ですが、その考えも光の「これ以上、変わったものを見たくない」という発言を受け、「私馬鹿だった」と自らの考えを否定しています。

良いことがあった、と思ったら、すぐ嫌なことがある。
美海の人間関係は複雑で嫌な感じですね(笑)

そんな美海の出した答えとは?


■好きになってもいいんだよ
これを伝えたかったのかな?
これだけドロドロした恋愛物語を見せられてきて、「好きにならなければいい」、と一瞬でも思えるシーンがありました。
しかし、それらのシーンは全てこのテーマを伝えるためだったのですかね。

美海の出した答えでもあります。


製作者の主観的なメッセージ。
もしも、相手を好きになったら、それなりに苦しいことや辛いことが待っています。
場合によっては相手と結ばれるのは、難しい場合もあります。
けれど、好きという気持ちを無くしてしまえば、そもそも好きから生まれる味わい深い感情を得られないので、多少損していることになります。
そういう寂しい人生は嫌だな、そういう好きを感じない人生は嫌だな、という少し子供っぽくもとれるメッセージ。

それを14歳の美海を使って、最終話で伝えています。
誰かを好きになるというのは、海神様とおじょしさまのエピソードのようにとても素晴らしいことなんだよ。
好きにならなきゃこういう感情を味わえないんだよ。
だから私は嫌だな。
誰かを好きになった気持ちを忘れたくはないな。
例え叶わない恋でも、この感情がただの感情になるのは嫌だな。
だから、好きになっていいんだよ。
光も海神様も。
もっと素直になっていいんだよ。

ということを、主観的なメッセージであるもののしっかり伝えています。






子供っぽくても、子供っぽいからこそ、枯れた心には良いメッセージになりました。

好きという感情がどれだけ味わい深い感情かを再認識させてくれる。

とても良い作品でした。


あ、あともう一つだけ。
好きな気持ちは人間を変えてしまうことがあります。


例えば、作中の中で、
光はまなかを救うために、何回も海の中に潜りましたし、
美海は光を庇いましたし、
人間を突然本気にさせたり感情的にさせたりします。


光は美海を別のベクトルでしたが好きでしたが、ベクトルは違えど、最後のシーンで必死で助け出そうとしました。






どういうことかというと、


人の強い想いは時にとんでもない奇跡を起こすことがある。




これだと思うんですよね。


好きだということは相手を強く思うこと。
強く思うというのは人間のやる気が湧く要因になるということ。
やる気というのは、人間が行動するというためのエネルギーになる。

行動するというのは、時にその行動する量により周りに影響を与えることがある。
周りに影響を与えるということは、大いなる流れを変える可能性がある。



一つの大きな想いが、大きな行動を生み出して、大きな流れを変える可能性があるということです。


明治維新であれ、フランス革命であれ、大きな想いが無ければ大きな行動は生み出せませんでした。


何か大きな行動を起こそうと思うとそれなりのやる気が必要です。

やる気の源になるのは感情です。強く思う事です。


好きだと強く願えば、その好きのエネルギーが世界を変える原動力になるかもしれません。
その好きがやる気になって、世界を動かすやる気の一つになるかもしれません。


可能性が低くてもゼロではありません。


だから私は好きな気持ちは、時として人間を変えてしまうということがあり、その時に生まれた強い感情が世界を変えてしまうこともあるのだと考えます。


例え小さな変化だったとしても、その小さな変化が大きな流れを変えてしまうことがあるのだと考えます。








『海神様、まっこと面白いですなぁ人間と言うものは』


『傷ついて答えはなくても、それでもひたすら足掻き夢を見て』



『その想いが大いなる流れを変えるやもしれん』






『ぬくみ雪が止みましたな』


byうろこ様



{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 50

86.3 2 姉弟でオリジナルアニメーションなアニメランキング2位
東京マグニチュード8.0(TVアニメ動画)

2009年夏アニメ
★★★★☆ 3.8 (2691)
13810人が棚に入れました
中学1年生の小野沢未来は弟の悠貴のお守りとして一緒に東京のお台場へロボット展を見に来ていた。その最中、東京にM8.0の海溝型大地震が発生、連絡橋は崩壊し、東京タワーが倒壊するなど、東京は大きな被害を受ける。
未来と悠貴はお台場で出会ったバイク便ライダー日下部真理の力を借りて世田谷の自宅へ帰ろうとする。

声優・キャラクター
花村怜美、小林由美子、甲斐田裕子、喜多村英梨、豊崎愛生、高平成美、遠藤綾、沢城みゆき、野中藍、中博史、井上喜久子、滝川クリステル
ネタバレ

fuushin さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

長尺の目と、fuushinの妄想、もう、よそう。2018.12.5 追記。

本作のレビューからズレてしまうことをお許しください。

{netabare}
先日の大阪の地震は、愛知県では震度4でした。
私は職場にいて、「あ、ついに来た!」と身構えました。
熊本地震、東日本大震災、阪神淡路大震災の実情。
桜島、霧島連山、御嶽山、草津白根山などの噴火の記憶も生々しい。

しかし、私の知識はほぼほぼ中学生レベルで止まっています。
高校で、地学を取りましたが記憶するばっかりで、実学には結びついていません。

本作では、地震学者から見ると、待望の啓蒙作品でもあるし、危機管理と対策の教本的なものなのかもしれません。

マグニチュードという言葉を調べていて、ちょっと理解が進んだのですが、先日の大阪の地震はM6.1でした。震源地は地下13㎞です。

これは、広島に投下された原爆(20キロトン)の放出エネルギーと同じです。地下13㎞のエネルギーは、地表ではあの爆発規模になるのですね。

ちなみに、東日本大震災(M9.0)は、関東大震災の約50倍、阪神・淡路大震災の約1400倍です。

(ここまでは、「日本の地下で何が起きているのか」(鎌田浩毅氏著。岩波科学ライブラリー。2017.10.18)より一部引用。)

さて、私はザックを担いで鈴鹿、比叡、伊吹山などから琵琶湖を眺めるのが好きで、その大きさに感銘を受けるのですが、同じように、北、中央、南アルプスを縦走するのも好きです。雄大な山並みや巨大な山塊には地球のパワーに圧倒されます。
体力的には2泊3日が限界ですので、そうそう長い距離は歩けませんが、見るだけなら、160㎞くらいは(富士山から槍ヶ岳)。思いを馳せるだけなら、九州・北海道の山も・・見て見たい。

それで、南海トラフの距離は、東西約700㎞と、全く私の想像を超えます。ここが動くかも・・・ということですね。


ここから先は、fuushinの虚妄です。はい。

本作を観た後のレビューとして適切ではないかもしれません。
いつものようにちょっぴり、スピリチャルっぽく書いていますので、お好みでない方はスルーしてくださいね。
 
私は、「君の名は。」や「かぐや姫の物語」などで、いささか異質なレビューを書いていますが、その視点は、縁の不思議さや魂の錬磨といったたぐいのものです。そして、そのアプローチには、言霊、数霊、シンクロニシティといったたぐいの概念を使っています。

前振りした地震についての妄想なのですが、今、こう思います。

ひとつは、ジュセリーノ・ダ・ルース氏の「予言」です。ネットでは「怪情報」としての扱いです。まあ、そうでしょう。

2018年6月21日。(夏至ですね。陽の極点です)

明日ですが、東海地震の発生を「予言」しています。本当かどうかは分かりませんが、この人の予言は結構な確率で「的中」させているので、個人的には全否定はしていません。もちろん当たらないことを祈りますが。

マグニチュードは、10.6。 東日本大震災が9.0でしたから、放出されるエネルギーは、数100倍(詳しくないのでごめんなさい)。

日本地震学会では、「中央防災会議での「現状では東海地震の確度の高い予測は困難」との議論もあり、より範囲の広い南海トラフ地震の想定震源域全体(駿河湾〜宮崎沖)を対象とした「南海トラフ地震に関連する情報」の運用が平成29年11月1日から始まりました。」と述べ、ホームページの「東海地震に関する項目」はすべて「改定中」になっています。つまり、学会としては見解を出してはいません。

これを受け、気象庁は「当面の間、気象庁は「南海トラフ地震に関連する情報」を発表することとしました。この情報は、平成29年11月1日から運用を開始しました。」としています。

ちまたの官民合わせた情報においても、「いつ起きても不思議ではない」となっています。そういういろんな科学的な知見、防災予防、啓蒙に機運がかつてなく高まってきてはいます。そう思うと、私は、ジュセリーノ氏の予言もあながち間違いではなく、当たらなければいいわけで、当たれば困る・・・ということです。


それで、fuushinの思いとしてはこうです。

日本を、龍体と見立てたとき、琵琶湖は「子宮」、淀川は「産道」になります。震源地はその付近でした。それは陣痛?何かが生みだされる?それは何?

琵琶湖には、竹生島があり、都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ、竹生島神社)が坐しています。
主祭神は、市杵島姫命(イチキシマヒメ)。
天照大神の子で、皇孫(こうそん)邇邇芸命(ににぎのみこと)が降臨に際し、養育係として付き添い、邇邇芸命を立派に生育させたことから、子守の神さま、子供の守護神として、崇敬されている」との謂れがあります。
女性の人格を持った神様ですね。
仏教(4次元界)になると、弁財天です。日本最古・最初の弁財天で、日本三大弁財天とも言われています。江島神社(神奈川県 江の島)・厳島神社(広島県 厳島)

女性・子宝・生産の象意をもつ神仏の働きを予感させます。

また、『近江国風土記』には、夷服岳(伊吹山)の多多美比古命が姪にあたる浅井岳(金糞岳)の浅井姫命と高さ比べをし、負けた多多美比古命が怒って浅井姫命の首を斬ったところ、湖に落ちた首が竹生島になったという記述があって、ここにも"夷"の文字がありました。
(今季、春アニメには、この"夷"に纏わる作品がちっくと多いような・・・。ちなみに、夷→エビス→外国人→外来の知見(特に農業生産技術)→尊敬・崇敬→神社の主祭神という流れがあります。また、夷=戎≒十戒=モーセの十戒ですね。伊吹山の隠された主祭神はどなたかしら、なんてね。)



プールの壁が崩れたのは、"寿栄小学校"。
被害にあわれたのは9歳の女の子。

この小学校の校章は"六芒星"を彷彿とさせます。(一般的にも校章に6角形を取り入れたデザインは多いのですが)
六芒星は、伊勢神宮、元伊勢とも呼ばれる籠神社(京都府宮津市)の隠された印章です。一説には「ダビデマーク」とも言われています。
ダビデは、約3000年前にイスラエル王国の王となり、12部族をまとめたと言われています(旧約聖書)。

寿栄という言葉は、歴史的には地元の寿町と栄町の両方の名前を使ったものなので、それだけをみると深い意味はありません。しかし、非常に印象的な言霊の響き(ことほぎ、さかえる)です。

9は数霊では「尊いもの・人間」を意味します。
女の子は「社会的な弱者」の暗喩になるでしょう。
壁は、「重い何かが覆いかぶさっている」「出るに出られない状態=どうにかして間もなく出てくる」という意味かもしれません。

これらを、シンクロニシティしてみると、日本で、あるいは世界情勢に、なにか大きくて尊いものが現れる前兆、狼煙(のろし)のような、加えて、南海トラフ地震への直前の警鐘のようにも感じるのです。



・・・はい、そうです。ただの妄想です。もちろん大きな地震は起こらないにこしたことはありません。ただ、科学的には「いつ起きても、明日起きても不思議ではない」という評価もあるので、ちょっと気になっただけなんです。

それをどう捉え、どう乗りこえるのか。
魂をどう磨くのか。どう守るのか。
自助、共助、公助にどんな知恵を働かすのか。
当面のポイントはここのような気がしています。

不快な気持ちにさせてしまったら、本当にごめんなさい。
{/netabare}

本作を鑑賞して、ふと、要らないことを書いてしまいました。

2018.6.22追記。
{netabare}
今日から、予言は予言でなくなりました。ただ、ホッとしていいのかどうかは一概には言えなくて、これで安心して眠れるという訳にもいきません。まんじりともしない気分です。
例えれば、今日から"毎日が8月31日"のような気分です。ごめんなさい、告白します。学校なんてなくなっちゃえばいいって、何度も思ってました。懺悔します。本作の主人公と同じです。
 
ものの本によると、"正しく怖がりましょう"と書いてありました。
地域ごとで言い伝えられている伝承とか史跡とかは、激甚災害から生き延びてきた先人たちのしたたかな知の財産ですし、最新の科学(プレートテクトニクス理論からプルームテクトニクス理論へ)もまた、未来につなげられる知の財産のひとつだと思います。

プレートが4つもひしめき合っている地域は、日本、インドネシアとその周辺、コロンビアとその周辺くらいです。
この地域は、文学的に言えば、地球規模の"ムスビとすれ違い"のもっとも激しい場所。
大地と海洋の感情と情動を、敏感に感じ取って生きている地球人の一人として、こうした国々とネットワークを組み、世界一の災害強国としての知性と見識、行動と体制作りなどを共有して70億人の人々に還元できるようになるといいですね。

長尺の目で、100年、500年、1000年、1万年というスパンで、自分と周りの人たちの命も同様に、慈愛で視る目を持ち、率先避難者(逃げるが勝ち)になろうと思います。
そうして何があっても、生き延びねばと思います。サッカーならいいけど、戦争や紛争なんてしている場合じゃないな。

そういう意味でも、本作の魅力を発信し続けていくことは大事ですね。先輩レビュアーさんの感想を読んでそう思いました。感謝しかありません。
{/netabare}

2018.12.5 追記。
{netabare}
またぞろ、こんなことを書いて不謹慎なこととは重々承知しています。
おバカな fuushinの妄想かと笑い飛ばしていただければと思います。

ジュセリーノ氏ほか、直近の地震の予言をなさっています。
12月7日、9日です。9日が本震で、マグニチュードが8.5と言う人もいるようです。
書籍、ネットにも記されています。関心のある方はご覧になってみてください。
ないにこしたことはありませんが、準備だけはしっかりとしておきたいと思います。
{/netabare}

長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

本作が、みなに愛されますように。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 28
ネタバレ

disaruto さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

後悔、先に立たず。

制作はボンズ×キネマシトラスのオリジナルアニメです。
ジャンルはリアル地震シミュレーション・ヒューマンドラマです。
ノイタミナ作品になります。


中学一年生の少女・小野沢未来を主人公とし、M8.0の直下地震に襲われた東京を舞台に描かれる作品。
未来は弟の悠貴とともに、お台場のロボット展へと来ていた。
名門私立に通う彼女はどこか厭世観を持っており、鬱屈とした感情を抱えていた。
それを晴らすためか「こんな世界、壊れちゃえばいいのに。」とインターネットに描き込んだ、その時…。


東日本大震災の発生で一際注目され、文化庁メディア芸術祭アニメーション部門において優秀賞を受賞している作品。
ノイタミナ作品の中でも、かなりの社会派に分類されます。
こういった題材の作品ですので、いつになく真剣に書きます。


前半は地震に対する恐怖と三助(自助・共助・公助)・それにまつわる人間ドラマについて描き、後半は未来が{netabare}PTSDとなって悠貴の存在の大切さに気づき、心理的に{/netabare}成長する姿を描きます。
流石に地震のみを題材に作品を作ると重すぎるし、尺も取れないから人間ドラマを主体にした構成としたのでしょう。
全11話ですが、正直8話くらいでも上手くまとめられた内容かとは思いますがね。


本作における“リアリティ”は“地震”という現象の捉え方や初動時の対応、一般人の描き方にあるかと思います。
この面における過剰描写はほぼなく、すっと物語に入り込めました。
建物崩壊の描写は、多分見たらゾッとすると思いますよ。
やたら性悪な人物とかが出てくると冷めてしまいますけど、そこの塩梅も上手かったですね。
もちろんフィクションなので扇動的な描写もありますけど、許容範囲かと。


逆に主要人物たちの心情描写は雑に感じる場面も多かったです。
主人公の未来は捻くれた性格という設定ですが、それを引っ張りすぎている感はあります。
最終的に改心させて、視聴者を泣かせる意図が最初から透けて見えてしまったのは少々残念なところ。
また、姉弟とともに行動した日下部真理。
正直、なぜ姉弟と一緒に行動したのか終始分からず。
劇中で触れられていますが、幼い娘がいるならばそちらを優先すると思いますが…。

また、どの建物もほぼ半壊以上というのはやりすぎではないかとも思いました。
世田谷区は密集住宅地ですのでまだ分かるのですが、都心三区の一つである港区はそこまで軟な耐震基準じゃないはず。
地震描写に関しては、ここだけ納得できなかったです。




以下ではネタバレありで、細かい部分について詳しく書きます。

○終盤における“あの演出”
{netabare}見た人の中で多分最も賛否両論となるのが、“実は終盤の悠貴が幽霊だった”という事でしょう。
最初に書きますが、私自身この設定には否定的です。

本作は“リアル地震シミュレーション”という触れ込みで制作されています。
リアリティを重視しているはずなのにファンタジーを入れてしまったら、それはもう何だか分からないシロモノになってしまいます。
人間ドラマを主眼とし、終盤の盛り上がりのための設定だと思いますが、もう少し上手く出来なかったかなと。
後述しますが、幽霊で通すならば細かいところまで描写してほしかったですね。

でも最終回は上手く泣かせに来ていますね。
幽霊だから、ちょっと「あの花」と被りましたけど、こっちの方が上手かったような気もします。
まあ “質の良い涙”ではないですから、何とも。{/netabare}



○“影”について(「妄想代理人」の第8話、「明るい家族計画」のネタバレも含みます)
{netabare}細かいところだと思いますが、私は“影”が気になりました。
正直、8話時点で悠貴が死んでいるのは読めましたので、類似していた「妄想代理人」を思い出して“影”を見ていました。
8話から10話までは実は普通に影がありますが、11話だけ悠貴自身の影がないです。
「妄想代理人」では死んでから自身の影は完全に消していたので、ここは是非とも統一してほしかったところ。
8話から10話は演出次第で上手く誤魔化せると思いますしね。

同じような論点ですけど、悠貴が物体に触れていない点は良かったと思います。
彼は幽霊として出てきてからは何も触れていませんから。{/netabare}



○ “性格”と“思慮分別”
{netabare}ここについては思う人も多いのではないでしょうか?

まず主人公の性格。
キツくて、合わない視聴者も多いのでは。
ここに関しては合う合わないの問題なので追及はしませんが、前述の通り、体の良い主人公像に見えてしまう部分もあります。
設定自体はそれでも構わないですが、経過の部分をもっと大切に描いてほしかったかな。

続いて“思慮分別”。
ロボットオタクの少年が出てきますが、彼は別に登場させる必要がなかったと思うのですが…。
ロボットを救うために自分が崩壊しそうな場所に立ち入るっていうのは、いくら中一だからって“危なすぎる行為”だと分かりそうですけど。
彼の登場が以降のエピソードに影響しているわけでもないので、ここに関しては無駄と感じてしまいました。
悠貴がロボットを追うというのならば、まだ分かりますがね。{/netabare}



○9話の真理に関する演出
{netabare}具体的に言えば、真理が小学校で娘・義母?の遺体と対面する場面です。
布で顔が隠れているわけですけど、同じ地域に、同じ年齢構成の、同じ髪型の女性二人が生活し、それが死亡する確率はいったいどれだけのものでしょう?
気が動転していて勘違いしていたでは済まされない部分だと私は感じてしまいました。
この後、娘・義母ともに生きていることが分かるわけですけど、ちょっと無理がある演出だと思います。
感動の気持ちがサーっと引いてしまった。{/netabare}



総括して、確かに悲しくて泣ける作品です。
防災に対する啓蒙作品としても優れています。
私自身、心情的には惹かれる部分も多々ありましたが、論理的には納得のできない部分も同様にありました。

でも本作を駄作・凡作とは露ほども思いませんし、「一度は見ておいてよかった」とも思います。
地震について考えてみたい方は、一度ご覧になってはいかがでしょうか?
家族で見れば、防災について考える良いきっかけにもなるかと。

点数の割に酷評気味な書き方ですが、いろいろ思うところがあったからです。
本作自体に興味がなかったら、こんなに長文を書きませんからね。
それでは、長文失礼しました。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 51
ネタバレ

ようす さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

東京で大きな地震が発生。そして家族のかけがえのなさに気が付いた…。

この作品は、観るかどうかとても迷いました。

震災の恐ろしさや悲しさ…
そんなやるせなさの中に自ら飛び込む勇気が持てなかったからです。

自分たちの身にもいつか…
なんてことを考えてもどうしようもないし、

もしもの時のために備えをしても、
どれだけ覚悟をしたとしても、

「よし、これでいつ大きな地震が来ても大丈夫!」
なんて言える日は絶対に来ない。


幼い頃、阪神淡路大震災を体験しました。

あらゆる記憶がはっきりとしていないほど幼かったのですが、
それでも地震発生時の事は今でもはっきりと、鮮明に覚えています。

体験したことのない激しい揺れ。
横並びで寝ていた私と妹の上に覆いかぶさりながら、何かを叫んでいる母。
起き上がることも何もできず、
ただ揺れが収まることを待つことしかできなかった時間。

そして揺れが収まった後に見た、家の中の有様。
高速道路の下敷きになって死んだ近所の人の話。
水道が復旧するまで、地下水を汲みに行くのは私の仕事だったこと。

幸いにも大きな被害のない地域でしたが、
あの時感じた揺れと恐怖、非日常な日々は、はっきりと私の中に残っています。

その記憶で十分…
今さら、わざわざ怖いものを観なくても…。
そんな迷いがありました。

だけど観終わった今、
この作品を観てよかったと思っています。

そして、たくさんの人に知ってもらいたい作品だと思いました。

全11話です。


● ストーリー
未来の事なんてわからない。

共働きで忙しくしていて、
口を開けば小言ばかりの両親。

家族、自己中心的な人たち…
いろんなことにイライラが募る日々。

夏休み、弟の悠貴(ゆうき)に付き添って、
お台場のロボット展にやってきた小野沢未来(おのざわ みらい)。

「いっそのこと、こんな世界、壊れちゃえばいいのに。」
何気なくそうつぶやいた瞬間、その地震はやってきた。


東京を襲ったマグニチュード8.0の地震。

これは、
大きな震災を体験したことがない人ほど見てほしい作品です。

そしてこんな現実に、
いつか直面するかもしれないイメージを持っておくべきだと思います。

この作品で描かれていることは、
決して大げさなことではないから。

むしろ現実はもっとひどいと思うから。


主人公の未来が常にイライラしていて、

元気づけようとしてくれる悠貴にさえ当たり散らすのは、
観ていて気分がよくありませんが、

そこに目をつぶることができれば、
ストーリーの構成は素晴らしい。

地震発生、
お台場から世田谷の自宅へ歩いて戻る道中、
家族の安否に募る不安、
そして自宅に到着…。

こういうアニメを、本気で作ろうとする意欲が素晴らしい。
国家認定のアニメにするべきだ!

11話 {netabare} 家族との再会と、悠貴の死と、悲しさを乗り越えようとする未来の姿 {/netabare}には大泣きでした(´;ω;`)


● キャラクター
中学1年生の女の子、未来。

いろんなことに不安が募って、
毎日がイライラ。

それは等身大な中学生の姿だと思います。

だけど、ちょっと性格が歪んているのが難点。笑

弟の悠貴(小学3年生)は、
とてもいい子なのにな…。

だけど、この震災を通して、
一番心が成長するのは彼女です。

観ていてイライラする子ではありますが、
この作品の主人公としてはふさわしい子だとも思います。


偶然未来と悠貴と知り合い、
途中まで一緒に帰ることになった、マリさん。

自分の娘と母の事も心配でたまらないはずなのに、
2人の事を放っておけず、あれこれ面倒を見てくれるなんとも優しい人です。

自分がマリさんの立場だったら、
ここまでできる自信が私にはない…(;´Д`)

マリさんと出会えたことが、
2人にとって最大の幸運だったと言えるでしょう。


● 音楽
【 OP「キミノウタ」/ abingdon boys school 】

abingdon boys schoolは、
西川貴教さんがボーカルを務めるバンド。

曲もかっこいいですが、
何よりも私が衝撃を受けたのは、映像ですね。

OPで流れるのは、震災後、倒壊した東京各地の様子。

写真やテレビで見たことある有名な観光地も、
震災にあうとこうなるのかも…

というリアルな映像が、
とても衝撃的でした。

いつもOPもEDも必ず観ますが、

あまりにもOPの映像がリアルで怖くて、
とばしたくなってしまったほどです。

この映像だけでも観る価値ありですね。


【 ED「M/elody」/ 辻詩音 】

この曲単体でも、
十分いい曲です。

この作品を最終話まで観たなら、
より魅力が増します。

明るい曲調には、
未来を信じて、というメッセージが込められているような気が…。


● まとめ
「もしも大きな地震が起こったら」というテーマを、
見事に描き切ったと思います。

恐怖、不安、不便さ、心配、我慢、
家族への想い、辛い別れ、辛い想いを抱える人々…。

今ある当たり前の生活は、簡単に壊れてしまうかもしれないこと。
今ある当たり前の生活が、とても幸せで恵まれたものであること。

それを忘れてはいけないですね。
傍にいる人の大切さに気づけなかった後悔が生まれないように。

もっと多くの人に観てもらいたいと思う作品でした。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 35

88.3 3 姉弟でオリジナルアニメーションなアニメランキング3位
機動戦士ガンダムSEED[シード](TVアニメ動画)

2002年秋アニメ
★★★★☆ 3.9 (2001)
10217人が棚に入れました
コズミック・イラ(C.E.)70年に「血のバレンタイン」の悲劇によって引き起こされた、ナチュラルを代表する地球連合軍(O.M.N.I.Enforcer)とコーディネイターを代表するザフト軍(Z.A.F.T.)の緊張は頂点に達しやがてコーディネイターのみからなるスペースコロニー国家「プラント」は、ナチュラルの国家群からなる国際機関「地球連合」に対し独立を宣言し、戦争が始まる。\n中立国オーブのコロニーヘリオポリスで平和な学生生活を過ごす学生だったキラ・ヤマトは、ザフト軍の襲撃に際し秘密裏に製造されていたモビルスーツストライクガンダムに乗り込み、撃退する。軍の最重要機密に触れたという理由で拘束されるが、その優秀なパイロット能力などから、人員不足のアークエンジェルにおける主戦力として、ストライクのパイロットを務めることになり、激烈な戦火の中に身を投じていくこととなる…。

声優・キャラクター
保志総一朗、三石琴乃、桑島法子、子安武人、豊口めぐみ、高戸靖広、井上隆之、白鳥哲、鳥海勝美、渋谷茂、千葉一伸、大川透、宝亀克寿、石田彰、摩味、関智一、笹沼尭羅、関俊彦、川津泰彦、田中理恵、西川貴教、進藤尚美
ネタバレ

ピピン林檎 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

クソキャラの宝庫だが、展開のドラマチックさは高評価です。

シナリオをメインで書いているのが両澤千晶氏という女性の方で、その旦那様(福田己津央)が監督を務められた作品、ということで、本作は何といっても{netabare}別にメカに搭乗して戦うわけではない{/netabare}女性キャラ達の描かれ方の濃さが印象的でした。

戦闘シーンの作画の使い廻しが目立つ、後半に{netabare}安直な「実は双子の姉弟だった」ネタや「死者(と思われた人の)生き返り」ネタ{/netabare}が出てくる・・・などの理由から、私の個人的評価は余り高くなりませんでしたが、とにかく本作は多々ある『ガンダムシリーズ』の中でも、シナリオが一二を争うほどドラマチックで飽きが来ず観易いと思うので、これから同シリーズを見始めようという方には、そのファースト・チョイスとして薦めできる作品かも知れません。


◆視聴メモ
{netabare}
・第1話(PHASE-01)視聴終了時点
ガンダムシリーズ第1話恒例の極秘開発MS(新型ガンダム)強奪イベント回。
・第5話(PHASE-05)視聴終了時点
初の本格戦闘回でようやく身を乗り出して見れる展開に(それでも『ガンダム00』の神戦闘回には遠く及ばず)。
・第7話(PHASE-07)視聴終了時点
本作の正ヒロイン(ラクス)が初めて本格登場する回。
・第10話(PHASE-10)視聴終了時点
前回とこの回で裏ヒロイン(フレイ)がマジキレ笑。一方、サイ(メガネ君)って意外と良い奴なんだね。
・第13話(PHASE-13)視聴終了時点
ガンダム・シリーズ恒例の大気圏降下イベント
・第27話(PHASE-29)視聴終了時点
カガリの養父ウズミの口をとおして「完全平和主義」(ガンダムW参照)のようなことが語られる回
・第28話(PHASE-30)視聴終了時点
ガンダム2機が失われるバトル回だが、ただ単にパイロット達が感情的にイキリ立ってぶつかり合っているだけに見え、戦術・戦略ものとしての見どころがない点が残念。
・第29話(PHASE-31)視聴終了時点
なぜキラがオーブ近海から一気にラクス邸に運ばれたのか何の説明もない。全くのご都合主義にしか見えず流石にシナリオの適当さに白ける。
・第33話(PHASE-35)視聴終了時点
ようやく戦術・戦略面から幾らか見どころがあるバトル回に。
・第34話(PHASE-36)視聴終了時点
「真の敵は何か?」というラクス及び彼女に“感化”されたキラの問いかけが前面に出てくる回なのだが、「真の敵は裏で糸を引く軍産複合体である」とかいうひけらかしが何となく鼻についてちょっとなあ・・・
歌姫にして思想家の「聖女」ラクス←『マクロス』のミンメイとどうしても比較してしまう。
・第36話(PHASE-38)視聴終了時点
ガンダムシリーズ恒例の強化人間(人工異能者)&真におぞましい敵(ブルーコスモスの盟主ムルタ・アズラエル)登場回
・第39話(PHASE-42)視聴終了時点
キラ&カガリが双子って・・・安直すぎて白ける・・・
・第40話(PHASE-43)視聴終了時点
バルトフェルトが生きていました・・・でクソ・シナリオ確定(第20話(PHASE-21)であんな描写しといて「実は男の方だけ生きてました」は無謀)。
・第43話(PHASE-45)視聴終了時点
本作の仮面の男(クルーゼ)の抱える闇が暗過ぎてイマイチ。
・第45話(PHASE-47)視聴終了時点
これまたガンダムシリーズ最終盤恒例の巨大殲滅兵器登場回。{/netabare}


◆制作情報
{netabare}
原作          矢立肇、富野由悠季
監督          福田己津央
シリーズ構成      両澤千晶
脚本          両澤千晶、吉野弘幸、遠藤明範、こぐれ今日子、面出明美、森田繁、野村祐一
キャラクターデザイン  平井久司
メカニックデザイン   大河原邦男、山根公利
音楽          佐橋俊彦
アニメーション制作   サンライズ{/netabare}


◆パート別評価

(1) 第1~13話(PHASE-01~13) (13話) ★ 4.1
(2) 第14~26話(PHASE-15~28) (13話) ☆ 3.6
(3) 第27~38話(PHASE-29~40) (12話) ☆ 3.7
(4) 第39~48話(PHASE-41~50) (10話) ☆ 3.8
(5) TV未放送話(AFTER-PHASE)  (1話) ☆ 3.5
-----------------------------------------------
  総合   (計48話+未放送1話) ☆ 3.7


◆各話タイトル&評価

★が多いほど個人的に高評価した回(最高で星3つ)
☆は並みの出来と感じた回
×は脚本に余り納得できなかった疑問回

============= 機動戦士ガンダムSEED (2002年10月-2003年9月) =============

  - - OP「INVOKE -インヴォーク-」、ED「あんなに一緒だったのに~ReTrack」 - -
{netabare}
第1話(PHASE-01) 偽りの平和 ☆ 開戦11ヶ月目、ザフトのコロニー・ヘリオポリス(中立国オーブ所属)強襲・ガンダム強奪作戦、キラ&カガリの出遭い、キラ&アスラン再会
第2話(PHASE-02) その名はガンダム ☆ キラのストライクG初操縦・初戦闘(対ミゲル)、クルーゼ機来襲、母艦アークエンジェル(AE)発進
第3話(PHASE-03) 崩壊の大地 ★ ナチュラルとコーディネーター、ストライクG(キラ機)vs.イージスG(アスラン機)
第4話(PHASE-04) サイレントラン ☆ 破壊されたコロニー、フレイ救出、キラの逡巡と仲間の参戦
第5話(PHASE-05) フェイズシフトダウン ★★ 地球軍辺境要塞アルテミス前方の戦い(AEvs.ヴェサリウス)
第5話(PHASE-06) 消えるガンダム ★ アルテミス軍の取調べ、ザフトの強襲、アルテミス失陥
第7話(PHASE-07) 宇宙(そら)の傷跡 ★ ザラ国防司令(アスランの父)、デブリ帯での補給任務、ユニウス7追悼慰霊団代表ラクス救助
第8話(PHASE-08) 敵軍の歌姫 ★ キラとラクス・クライン(アスランの許婚)の出遭い、船内の波紋(フレイのラクスへの反感) 
第9話(PHASE-09) 消えていく光 ★ 大西洋連合の救援艦、フレイの父の死、人質ラクス
第10話(PHASE-10) 分かたれた道 ★★ キラ&ラクスのAE脱出、ラクス&アスラン再会、クルーゼの卑劣行為阻止(ラクス)
第11話(PHASE-11) 目覚める刃 ★ 第八艦隊との合流直前の敵襲、キラのSEED発動
第12話(PHASE-12) フレイの選択 ☆ アラスカ降下命令、フレイの軍務志願、キラのAE残留選択
第13話(PHASE-13) 宇宙(そら)に降る星 ★★ フレイの賭け、降下作戦開始、第八艦隊壊滅、脱出艇炎上{/netabare}

  - - - - - - - - - - OP「moment」、ED(変わらず) - - - - - - - - - - -
{netabare}
第14話(PHASE-15) それぞれの孤独 ☆ コーディネーターの説明、フレイのキラへの接近 ※使い回し多い点は×
第15話(PHASE-16) 燃える砂塵 ★ 地上、バルトフェルド隊(砂漠のトラ)の襲撃、フレイのキラ篭絡、キラSEED発動(2回目)、レジスタンス(明けの砂漠) ※フレイの行動にはやっぱり驚くな笑
第16話(PHASE-17) カガリ再び ☆ 北アフリカ戦線、キラとカガリの再会、キラとサイの亀裂
第17話(PHASE-18) ペイバック ★ タッシューの街(トラのお仕置き)、アフメドの死、砂漠の戦い(SEED3回目)
第18話(PHASE-19) 宿敵の牙 ☆ ヴァナディーア(トラの本拠地、AEの武器補給、ブルーコスモスの襲撃、バルトフェルドとキラ&カガリの接触)
第19話(PHASE-20) おだやかな日に ☆ アスランのラクス邸訪問、コーディネーターの進路、オペレーション・スピットブレイク可決
第20話(PHASE-21) 砂塵の果て ★ バルトフェルド隊vs.AE総力戦、カガリ出撃、バーサーカー(狂戦士、SEED4回目)、バルトフェルド戦死か?
第21話(PHASE-22) 紅に染まる海 ☆  カガリのキラ励まし、紅海の戦い、ニコル出陣
第22話(PHASE-23) 運命の出会い ☆ アスランの隊長任命、アラビア海の戦い、カガリvs.アスラン遭遇戦
第23話(PHASE-24) 二人だけの戦争 ★ 孤島の一夜、カガリ&アスランそれぞれの捜索
第24話(PHASE-25) 平和の国へ ★ オーブ連合首長国(中立国)近海の戦い、カガリの養父(ウズミ)、オノゴロ島接岸{/netabare}

  - - - - - - - - - - - - OP「Believe」、ED(変わらず) - - - - - - - - - -
{netabare}
第25話(PHASE-27) 果てなき輪舞(ロンド) × アスラン隊のオノコロ島潜入、ストライクの性能評価・キラへの協力要請(SEED命名) ※使い回し多い(半総集編)
第26話(PHASE-28) キラ ☆ ヤマト夫妻の秘密、トリーの飛翔先 ※シーン使い回し過多{/netabare}

  - - - - - - - - - - - - OP(変わらず)、ED「Distance」 - - - - - - - - - -
{netabare}
第27話(PHASE-29) さだめの楔 ★ AE出港(両親・カガリとの別れ)、オーブ領海外の待ち伏せ、ニコル戦死(ブリッツG喪失) ※演出いまいち×
第28話(PHASE-30) 閃光の刻 ★ アスラン隊の猛攻、ディアッカ投降(バスターG鹵獲)、トール戦死、キラ(SEED5回目)vs.アスラン(SEED1回目)、ストライクG&イージスG喪失
第29話(PHASE-31) 慟哭の空 ★ MIA(任務中行方不明者)認定、オーブ軍のアスラン救助、ラクス邸での目覚め
第30話(PHASE-32) 約束の地に ☆ AEアラスカ到着、マルキオ導師、SEEDを持つ者、AE医務室の騒動(ミリアリア&フレイの殺意)
第31話(PHASE-33) 闇の胎動 × 軍令部の査問、転属命令(ナタル、フラガ、フレイ)、アスラン特務隊昇進 ※使い回し多い(半総集編)
第32話(PHASE-34) まなざしの先 ★ オペレーション・スピットブレイク発動、クルーゼ隊来襲(アラスカ本部侵入、フレイ拿捕)、Nジャマーキャンセラー搭載最新鋭機フリーダム出撃(キラ)
第33話(PHASE-35) 舞い降りる剣 ★★ 捨て駒AEの地球連合軍本部防衛戦、サイクロプス起爆作戦、キラ到着(SEED6回目)・両軍撤退要請、アラスカ・ジョシュア本部基地壊滅
第34話(PHASE-36) 正義の名のもとに ★ ザラ議長の怒り、敵前逃亡艦AE、ラクスの問いかけ、ジャスティス出撃(アスラン)
第35話(PHASE-37) 神のいかずち ☆ AEの中立国オーブ再入港、パナマ失陥(地球連合軍のMS投入・失敗、虐殺)、フラガのストライク搭乗 
第36話(PHASE-38) 決意の砲火 ★ オーブへの最後通告、地球連合軍のオーブ侵攻(ムルタ・アズラエルの新型MS投入)、ディアッカ解放・参戦、アスラン到着・加勢 ※脚本の判り辛さは×
第37話(PHASE-39) アスラン ☆ 個人の意思による介入、連合軍一時撤退 ※生体CPU隊(ブーステッドマン)の設定が色々と安直×
第38話(PHASE-40) 暁の宇宙(そら)へ ★ 真の敵(ブルーコスモス盟主ムルタ)の物量攻撃、ウズミからカガリに託される思い、脱出艇クサナギ発進、オーブ壊滅 ※脚本粗雑な点は×、ED「暁の車 〜ReTracks」{/netabare}

  - - - - - - - - - - - OP「Realize」、ED(変わらず) - - - - - - - - -
{netabare}
第39話(PHASE-41) ゆれる世界 ☆ AEのクサナギ乗員接収、シーゲル・クライン殺害、宣伝戦開始(ラクスvs.ザラ議長)、双子のうちあけ、連合軍AE級2番艦ドミニオン(DM)艦長任命(ナタル)
第40話(PHASE-42) ラクス出撃 ★ アスラン宇宙要塞ヤキン・ドゥーエ(YD)帰投・父(ザラ議長)との対決、クライン派決起・核機動G母艦エターナル発進(バルトフェルト艦長、ラクス座乗)、キラ来援・合流
第41話(PHASE-43) 立ちはだかるもの ★ ムルタ・アズラエルDM乗艦、ナタルの降伏勧告、ラミアスの拒否、廃棄コロニー・メンデルの戦い(AEvs.DM)
第42話(PHASE-44) 螺旋の邂逅 ☆ 続き、クルーゼ&フラガ&キラの因縁の場所
第43話(PHASE-45) 開く扉 × 廃棄研究施設、コーディネーター創出の闇 ※キラとクルーゼの出生譚だが展開が伏線不足で飛躍し過ぎ
第44話(PHASE-46) たましいの場所 ☆ 戦争を終わらせる鍵(DMのフレイ回収)、ヴェサリウス轟沈、キラ&ラクスの心の接近 ※ED「FIND THE WAY」
第45話(PHASE-47) 悪夢は再び ★ 地球連合軍の核兵器使用(ボアズ壊滅)、クルーゼの目的、連合軍のプラント核攻撃、AE来援、ジェネシス発射
第46話(PHASE-48) 怒りの日 ★ アスラン&カガリの心の接近、その他登場キャラ達の感情関係の収束、最終決戦開始、ジェネシス再発射
第47話(PHASE-49) 終末の光 ★ 地球軍月面基地壊滅、プラント再核攻撃、フラガ戦死か?、DM轟沈・ナタル&アズラエル死亡 ※展開がゴチャゴチャし過ぎで大味は残念×
第48話(FINAL-PHASE) 終わらない明日へ ★ 憎悪の連鎖、フレイ死亡、キラvs.クルーゼ、ザラ議長死亡・ザフト軍崩壊、ジェネシス爆発・クルーゼ戦死、戦争終結へ ※同上× ※ED「FIND THE WAY」{/netabare}
--------------------------------------------------------------------------------------------
★★★(神回)0、★★(優秀回)4、★(良回)24、☆(並回)17、×(疑問回)3 ※個人評価 ☆ 3.7


AFTER-PHASE 星のはざまで(OVA) ☆ 3.5 {netabare}非武装平和を訴えた5分16秒の後日譚(※TV未放送、DVD13巻およびBlu-ray BOX第4巻に収録){/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 17

ラスコーリニコフ さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

キャラ用品としてのSEED

えーと、ついにSEEDレビューです。

自分が最初にガンダムと名の付くものを見たのはこの作品だが、
自分が最初に見たガンダムシリーズはZ。SEEDは似たロボットに乗った
別ジャンルのアニメという認識がついこの前までありました。

これは放送に当時見ていて、毎週見るって程では無く時間があった時に
眺める程度だったので、後に通して見るまではそれ程記憶に残らない作品。
ではあったもの、アニメが面白いという感覚がこの頃から芽生えて来て、
アニオタの友人達はこれが放送された頃に関わり始めた人が多いです。


最初、これのレビューを「ロボットに乗った昼ドラ」を主題に書いた
んですけど、F91を最近また見てるうちに、一応これもガンダムとして
認める事にしたので、私の中ではSEEDは暫定的にはガンダムです。


女性でもこの作品のファンの方は相当多いはずなので、自分としては
余計な敵を作らないよう、腐臭が、とか腐用品、とかうっかりいつもの調子
で口走らないよう、細心の注意で腐要素に触れないように頑張る次第です。

ガンダム作品のレビューは作品を見た直後で無ければ、レビューを書く前に
ウィキを見た上で名場面を見たり、一通り早送りしてもう一度見直したりして
記憶を補填してたんですけど、SEEDは見た回数の多さもあって人様のレビュー
を読んだだけでレビューを書ける程度の記憶は蘇りました。


この作品は主にナチュラルとコーディネーターの戦争を描いたものですが、
この戦いの裏でコーディネーター(この作品を評価する人々)VSニュータイプ
(こんなのガンダムじゃねーよ)の戦争も行われており、当時ガンダムが好き
だった友人の殆どはニュータイプ陣営でして、この作品への罵詈雑言を幾度と
なく聞かされたのですが、ここのレビューにもやはり生粋のニュータイプの方
はいらっしゃいますね。

新規の腐・・ではなく若い世代ファンを獲得すると共に、昔ながらのガンダム
ファンへの卑劣な裏切り、SEEDはそういう裏切りも明らかにテーマの一つにある
ので、そういう点も見所です。


■嫉妬、裏切り、憎悪、恐怖、金

旧ガンダムシリーズの場合、基本的に戦争の背景にあったのは「理想、信念、
主義主張、国民の為、愛」とかだった訳ですが、SEEDの戦いの背景にあるのは
「嫉妬、裏切り、憎悪、恐怖、金」と、所詮はシリーズ構成(脚本監督&脚本)
がメsb・・女性なので、おおっと昔の友人の発言がつい、、

あー、なんでもないですよ。別に戦争の理由とかはなんでも良いですよね。
綺麗事じゃ戦争はできないよね、アスハのお家芸だな、っと。

自分はドロドロした昼ドラもかなり好きなんで、見るのには特に抵抗が無かった。


■作画について

MSのデザインは昔ながらの大河原さんなんで、多少プラモ意識はあるにしても
許容範囲・・じゃない人もいましたけどw

キャラデザはスクライドにも書いたんですけど平井久司で、この人いのまたを
意識してて、更にSEEDはデザイン協力に「いのまたむつみ本人」がいるんで、
ほぼいのまた画。当時のテイルズシリーズのゲームをやっていると抵抗が無い。

で、まあいのまたの作画が・・については、

検索 「いのまたむつみ」について語るスレ
検索 なぜテイルズは腐女子の物になってしまったのか

とにかく昔のガンダム作画よりは万人受けしやすい。

作画の話じゃないですが、テイルズオブエターニアの主人公の声が石田、
メインキャラのもう1人の男が保志なんで、キラとアスランは逆にしただけ。
テイルズ系をやり込んだんせいで個人的には受け入れやすい作品だった。


■キャラ用品としてのガンダムSEED

客観的に書こうかとも思ったけど、ここは主観丸出しで書くことにする。
というか、客観的に言えばコードギアス並の規格外のキャラ用品作品なんで
それ以上はもう好き嫌いの話になる気がするんだ。

で、魔法使いの人のレビューからパクってきたキャラ&声優リストを元に、
個人的にいらないキャラを削除しつつ、★評価にしようかな
・・しかし、あの人あれだけ作品見てるのに声優を気にしないとは珍しい。


てか、このサイト声気にしない人多過ぎじゃないかな。
俺周りのアニオタの人に「お前は耳が腐ってる」ってよく言われてたけど、
その筋の人からすると自分の耳も声優知識も話にならん位の代物。

やっぱりここはアニメ好きはいてもアニオタは少ないサイトだと
つくづく思う。声優云々にしても他の知識方面にしても、俺が知ってる
ダメ人間、変態達とは明らかに人種が違う。・・まあいいや


なるべくネタばれしないようには書くけど、多分無理だから。ね

◆キラ 保志 ★★☆☆☆
声と最初のシーンや種割れ後の無双っぷりは良いけど、性格が気に食わん。
周囲に踊らされるある意味被害者だけど、最高の~って割にはお前その性格
全然ダメだろ。一体何のための遺伝子操作技術なんだよ
SEED Dの方では頑固で変な正義振りかざして無双するから割と好きだけど。
 
◆アスラン・ザラ 石田 ★★★★★
「クワトロ・バジーナ百式出る!」以来の「~出る」の個人的な大ヒット
なんだよあの出撃シーン、ありえん、ありえんわ。あんな恥ずかしい機体名
なのに、なんであんなにカッケーんだよw
声といい、台詞といい、性格といい、キラへの説教といい、こいつは良い男
SEED Dでの記憶も濃いけど、俺が腐なら間違いなくこいつ目的になるな

◆マリュー 三石 ★☆☆☆☆
月に代わっておしおきするかバリアントだけ打ってろ。★はバリアントの分

◆ムウ・ラ・子安 ★★★★☆
出てきた瞬間から、ある特定の目的、見せ場へと向かう事が約束された存在。
子安好きなんで色々な意味で期待を裏切らない男だった。

◆ナタル・バジルール 桑島 ★★★★☆
こいつは良い女だった。出番もうちょっと増やせよ、MSに乗せろよ勿体無い
製作側はなんであーゆ事にしたかな・・。
ショートでこの手の顔全く好みじゃねーのに、桑島の仕事に騙されたのかも

◆フレイ・アルスター 桑島 ★★★★★
ラクス派?カガリ派?何を言ってるんだ
SEEDのヒロインはフレイだろ。流石ビッチが脚本書いただけあって良いビッチ
に仕上がってる。カテジナさんも良いがフレイも良い女だわ。こーゆー女を・

◆カガリ・ユラ・アスハ 進藤尚美 ☆☆☆☆☆
隊長様には悪いけどこいつはイラン。なんでこんな女をアス・・は・
金髪好きでもこの女の良さは理解できない
あ、この声優の人は京都弁喋らせると、本場の人なんで素敵なキャラになる。
SEEDとは関係ないけど。

◆ラクス・クライン 田中理恵 ★☆☆☆☆
勝手に歌ってろ、★1個はカガリよりはマシって事と後半の一部シーンの分だ
むしろお前の歌とかどうでも良いから、さっさとストーリー進めろ

◆サイ・アーガイル 白鳥 哲 ★★★★☆
惨めで哀れで絵になる男。あのシーンは名シーンだった。もうホント頑張れよ

◆ミリアリア・ハウ 豊口 ★★★☆☆
この★3はただ一つのシーンの評価。ゲームだとふざけて使った記憶はある。
豊口の無駄遣い、でもあの一瞬の輝きは忘れない

◆イザーク・ジュール 関 智一 ★★★★★
名前を聞くだけで笑いがこみ上げてくる。関の仕事と良い、素晴らしい人材
もっと色々な奴と喧嘩しておけよ。お前の怒鳴り声は絵になるw

◆ディアッカ・エルスマン 笹沼 晃 ★★★☆☆
良い男だったけどイザーク程じゃない。イザークがいるから輝くんだぜお前

◆ミゲル・アイマン 西川 貴教 ★★★☆☆
もっと西川君に喋らせてやれよw 絶対もっと喋りたかっただろこいつww
なのに初っ端で・・ったくクソ製作が。
旧ガンダムシリーズを愛するこいつとかガクトとかは重鎮として丁重に扱え

◆クルーゼ 関 俊彦 ★★★☆☆
WINGのデュオの時はどうでも良かったけど、こっちじゃ良い仕事してくれた。
ゲームのTODのロニの声の人ね

◆アンドリュー・バルトフェルド 置鮎 ★★★★☆
この名前と置鮎の時点でハズれるはずがない。魔法使いの人アンディ・~って
書いてたけど、ダメだよ。「アンドリュー・バルトフェルド」と書かないと。
いや、知らんけど。こいつは旧ガンダムシリーズにいる格好良さだったなー。

◆アサギ、ジュリ、マユラ ★★☆☆☆
三下のMS雑魚女集団は伝統だけど、これは良い三下だった記憶がある

◆檜山・アズ(ry ★★★☆☆
というか、キャラ設定云々じゃなく檜山は檜山ってキャラなんで、ここ重要



省略したキャラはね、もう知らない

ストーリーは詳しいところはよく覚えてないし、SEEDはキャラ用品として
何度も見てたんで、一応ガンダムではあると認めつつも、やっぱりガンダム
では無いと思うかなー。

声優が豪華で、キャラも良いのが揃い、名言の質はともかく数は復活してる。
ドロドロした人間関係に抵抗が無いなら見て楽しいアニメだとは思うし、
起こる事件も旧ガンダムシリーズに近いもの、ってかそのままのが結構ある。

SEED Dになるとシャアの池田が加わるから、昔のファンでもそういう点では
楽しめる作品になってる。けど、昔の作品と比べた時の違和感は多分消えない


ま、SEED以降のは別ジャンルのアニメとして見るべきかな。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 12

こまたち さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

ロボットアニメ入門作品にどうぞ

2002年放送のアナザーガンダム
全50話

プロットはほぼファーストガンダムと同じだが、設定や細部の描き方はとても巧妙でした。(後術するが)特筆すべきは戦闘シーンと様々な”愛”をテーマに繰り広げられた人情劇でしょうか。前者に関しては、従来のロボットアニメにはなかったある種の”衝撃”とこれからのガンダムにおける戦闘シーンの”新たな可能性”を感じました。また歴代ガンダムシリーズの中では最もストーリー(とキャラの心情変化)が理解しやすく、旧来の難解で感覚的であるというシリーズイメージを払拭するものでした。ガンダム初心者に何を勧めるか?という議論に対してよく本作の名前が挙げられますが、私個人としてはガンダムとしてだけではなくロボットアニメの入門としても本作を推奨したい。以下、ポイントを分けてレビューしていきます。

【物語】
・アースノイド(地球人)とスペースノイド(宇宙移民)、力を持つものと持たざる者。その確執がもたらす悲劇と戦争を主題として扱う本作は妙なリアリティを持っています。現実と照らし合わせてもこういったことって十分起こりうるものじゃないですか?力あるものへの畏怖・恐怖、そこからもたらされる攻撃的精神-。こう文字にしてみると、私は史実におけるある悲劇を思い起こします。そういう意味では、本作で描く悲劇や戦争は意外と私たちのすぐ近くにあるのかもしれません。この親近性がシナリオに対する共感や感心を生み、現実のテーマに対する哲学的思考を促したものと感じました。

・シナリオの描き方が実にうまい。焦点をミクロから徐々にマクロへシフトさせる描き方はシナリオに対する深い共感を呼び起こされました。たとえば、ミクロの視点ではキラとその正体に対する身近な人々の反応はなかなかに面白かった。「友達が実は化け物でした」と言われて、それでも「俺はお前の友達だ」って簡単に割り切れる人ってなかなかいないですよね、たぶん。その心の葛藤に良くも悪くも人間味を感じました。フレイは嫌悪感丸出しにしていたが、それもそれで悪くない。そしてそれに対するキラの反応も非常に良い。前半パートはキラのメンタルがひたすらにズタボロにされる胸糞ストーリーでしたが、その慈悲のない徹底的なスタンスはむしろ称賛もの。作品の導入・つかみとしてはこれでもかというくらいバッチリでした。

【キャラ】
・敵・味方問わず濃い。とにかく濃い。芸人イザークさん、ヒール役のフレイ、二重人格の疑いがある頭お花畑の歌姫ラクスなどなど。というか、主にこの三人。またガンダムの恒例か、主人公の周りの大人がとにかく良い人。人格者。マリュー艦長、ナタル、ムウ、バルトフェルドetc…。こういった様々なキャラを楽しめるのも本作の魅力のひとつ。

・本作のサブテーマは”愛”であろうか。異なる種類の愛が垣間見えるのも本作の魅力です。それは大人の恋愛であろうか、はたまた傷を舐めあうだけの関係か。思春期の恋慕、運命論的な巡りあわせなど様々な様相を呈する。

・サブキャラの名シーンが非常に多い作品です。

【戦闘シーン】
・”戦場のシーンに合わせて機体のソフトを最適化しながら戦う”といった斬新なスタイルが個人的にはツボでした。ファーストガンダムを見たころは全く気にしていなかったが、いわれてみればそうだよねという感じ。地形の違い、重力の有無など、seed以前のロボットアニメってここらへんを無視したものが多かったような、、。普通に考えたら即対応なんて不可能なはずなんだけど、そんなこと考えもしなかったですね。

・本作において最も楽しませてもらったのは艦隊戦を主とした戦闘シーンです。これまでのシリーズにおいては飽くまで艦はわき役で、ガンダムをはじめとしたMSによる戦闘が中心に描かれていました。本作においては艦を死守することを第一目標と掲げていたことも幸いして、MSが艦の護衛として戦闘のわき役に徹していました。これの何が良いかって、戦術目標が明確化されることです。つまりは戦闘における勝ち負けを何をもって判定するかがはっきりとします。その結果として、戦闘における臨場感や高揚感、わくわく・どきどきといったものがより色濃く感じられるようになりました。MSが無双する戦闘シーンも好きですが、こういった一見すると地味だがすごくたぎってくる戦艦中心の戦闘シーンも非常に良いものです。…という理由もあって、本作では後継機のフリーダムより初期機体のストライクのほうが好みです。あとにもさきにも、後継機が下手に回るのは本作だけ。

【残念な点】
・実は生きていましたという展開はいらない。あったとしても説明が欲しい。本作においては2名が該当するが、いずれも演出的には絶対に死んでいる。あえて理由を挙げるなら、「コーディネーターは丈夫だから」だろうか。そんな理由だったらなんでもありのご都合主義まっしぐらなんだけどなぁ…。

・ラクスはサイコパスかもしれない。もしくは二重人格者。行動原理が不明だし、言動に一貫性を感じない。ただ単純に描写不足で済まされない汚点が残ってる。ストーリー進行の道具としてしか機能してないので、人間味も魅力も全く感じない。きわめて不快なキャラ。

以上

ロボットアニメ入門にぜひご視聴を!!

投稿 : 2024/05/04
♥ : 6

84.9 4 姉弟でオリジナルアニメーションなアニメランキング4位
おおかみこどもの雨と雪(アニメ映画)

2012年7月1日
★★★★☆ 3.9 (1826)
9953人が棚に入れました
いまや全世界が待望する、細田守監督の最新作は「母と子の物語」。おとぎ話のような不思議な恋をした女性・花は、おおかみこどもの姉弟、"雪"と"雨"を育てることになる。「親と子」という普遍的なテーマを、人間とおおかみの二つの顔をもつ ≪おおかみこども≫ というファンタジックなモチーフで描く。いまだかつて誰も見たことがない傑作が誕生する。

声優・キャラクター
宮﨑あおい、大沢たかお、黒木華、西井幸人、大野百花、加部亜門、林原めぐみ、中村正、大木民夫、片岡富枝、平岡拓真、染谷将太、谷村美月、麻生久美子、菅原文太
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

細田監督の良さがふんだんに!(補足追記)

あらすじは他の方のレビュー等をご参照ください。

 2回目でした。2時間くらいの現代ファンタジー。
 1回目は、ながら見だったせいもあってか、あまりよくない印象を持っていたと記憶しています。今回きちんと見て、この作品の魅力にやっと気付けました。好きかどうかは意見が分かれる可能性がありますが、表現が非常に細かく、圧倒的な情報量が込められた傑作だと思います。私は非常に楽しめました。(補足を追記しました)


伝聞形式:{netabare}
 この作品は、オープニングでもエンディングでも、語っていたのはユキでしたよね。つまり、この物語は、語り手のユキの視点で描かれたものだったと言えます。この作品を、第三者の視点で描かれた家族の「ドキュメンタリー」として見てはいけませんでした。あくまでも、ハナから伝え聞いた話にユキ自身の体験を盛り込んだ、ユキの「思い出」のストーリーとして見る必要がありました。
 この辺を誤解するとやや説明不足に感じるかもしれませんね。この作品の世界が、ユキの中で再構成されたものであることを理解した上で視聴する必要がありました。

 オオカミ男がどのような生活をしていたのか、なぜ受講していたのか、なぜ死んでしまったのか。これらが不明なのは、第三者による俯瞰の視点がないからです。
 アメについてももちろん同様です。アメの単独シーンではセリフがありませんでした。すぐ話せるところにハナやユキがいないとアメのセリフは分からない、ということです。
 ニラサキのおじいさんの隠された思いも、嵐の日になぜユキとソウヘイだけが置いて行かれたのかも、ハナやユキがいないから不明である、というだけでした。

 ユキとハナの二人が知らない事柄や、ユキがハナから聞いていない事柄は、ユキの「思い出」の中では語りようもなかった、ということですね。説明に不足しているのではなく、伝聞形式を採用しているために説明ができなかったのです。
{/netabare}

ハナとユキの母親像:{netabare}
 まず、ハナにとっての母親とは何なのかを探ってみます。
 ハナが父親と写っている写真が出てきますが、その写真にハナの母親は写っていませんよね。写真のハナはかなり幼いですから、物心がつく前に母親を亡くしている(又は離婚している)可能性が高いです。社会から隔離されたオオカミ男と両親を失った孤独なハナが恋に落ち、家族(子供)を求めたのは何ら不思議なことではありませんでした。
 ハナはオオカミの育て方について「知らない」と言っていますが、母親による人間の子供の育て方も把握していなかったのです。親はみんな子育ての素人だという概念以前の問題で、母親という存在を知らないんです。

 では、ユキにとっての母親像とは何なのか。
 ハナは「辛い時でも笑っていれば乗り越えられる」を信条としています。また、ユキの誕生に際して「辛い思いをしないで元気に育ってほしい」と願っています。
 このことから、ハナはユキに対して、自分の辛さを一切伝えずに、笑顔であったことを伝え続けたのだと思われます。これがユキにとっての母親像を「強く優しい笑顔の母」に固定化しているというのは否定できないところでしょう。ただ、それが悪い方へ傾いているのではなく、ハナとユキの間にある愛情についての表現だったと言えます。ユキがそこに疑いを持たないために、あたかも理想像のように見えるのです。

 母親を知らないハナと母親を理想的に見るユキですから、この作品には現実的な母親と言うのは事実上存在しないことが分かります。そして、私たちはユキの「思い出」に影響され、ハナに対しては「強く優しい笑顔の母」というイメージを持ってしまいます。ただし、実際にハナがそのように描かれているかというと必ずしもそうでもありませんよね。

 例えば、子育て中のアパートでは、部屋は汚れ、ポストは郵便物であふれています。本に頼る姿も頻繁に出てきますが、結局のところ、ハナを救っていたのは本ではなく、周りの人々です。子供の親離れにも気付いていませんでした。ハナのイメージは「強く優しい笑顔の母」なのですが、周辺の描写を踏まえると一般的な母親と同様に弱さを見せていました。
 子育てに苦労するシーンでは、ツバメやクマが子連れで登場しています。動物との対比でも苦労を垣間見ることができました。本に頼る描写は後半ではありませんし、理想像のように見えるハナ自身も成長していたのです。

 ちなみに、花はハナの精神状態のバロメーターでもあったようです。分かりやすいのは花瓶で、オオカミ男が亡くなった直後やアパートでの育児中は、部屋に飾る花瓶の花は減っていました。花壇が充実している描写もかなり後半にならないと出てきません。
 笑顔以外のハナを知るには、周囲の描写に注視する必要がありました。
{/netabare}

ユキと二面性:{netabare}
 ユキとアメは、人間とオオカミの選択という作品のメインテーマを背負っています。家の前の分かれ道も、小児科と動物病院も、左が人間で右がオオカミとして描かれていました。ユキとアメが並んで立つシーンも、ハナによる手書きのユキとアメも、左がユキで右がアメと統一されていたようです。常に左側が人間で右側がオオカミだという、方向性の統一が描かれ続けていました。

 ユキを知るためには、この左右の選択に、鏡を加えなければなりません。どこかのレビューで書いたのですが、鏡や水面などの姿が写るものは、二面性の象徴として使われます。

 ソウヘイとのトラブルの前、鏡の前で口論が行われます。
 この時のユキは、現実のユキと鏡に写ったユキの両方が描かれています。そして、左側の階段を下りて、一旦右に振れるも、すぐさま左にはけて行きます。人間とオオカミ(左と右)に揺れているユキが、人間(左)側に行きたいという描写です。二面性を象徴する鏡と、左右のどちらからでも降りられる階段という舞台、そしてハナから聞いた人間でいるためのおまじないを使って、人間とオオカミに揺れるユキの心情と人間側への希望を強く描いていました。
 その時のソウヘイは階段の右側を下りますが、下りきることはありません。その後に「一匹狼」を自称するとしても、下りきれないのは当然のことです。

 一方で、嵐の夜の鏡の前では、ユキは鏡に映った姿しか描かれていません。アメとのケンカに負けた後ですし、それ以外でオオカミの姿にはなっていませんので、鏡の前だとしても二面性を描く必要がなくなっていたのです。人間であることへの強い意志を感じ取ることができます。
 このときのユキのセリフは「大人になりたい」です。このセリフは思春期に入った子供の特典のようなものです。オオカミの成長スピードならこの段階で大人になることも考えられますが、人間であることが確定したユキがこの段階で大人になることはあり得ませんので、あくまでも人間の思春期の真っ只中として描かれていました。なお、思春期への入りの描写は「匂い」(※)でした。

 なお、最後に二面性が描かれる人物は、ユキでもアメでもなく、ハナでした。アメを見送った後の水たまりに写る二人のハナです。かなりくっきりと写っています。人間とオオカミを独り立ちさせたというハナだけのエンディングです。最後に「大丈夫」と言われるのも、ユキやアメではなく、ハナでした。
{/netabare}

 上記以外にも、重要なシーンに合わせるような瞳の揺らぎや光の描写、動物の姿など画面の隅までまで見どころがたくさんありました。家の修繕を進めていくうちに、細部の美しさに気付いていく描写は、家の柱を介して子育てにリンクされるなど、素敵な表現だったと思います。時をかける少女やサマーウォーズと同様に、人間を肯定的に捉える細田監督の特徴は出ていたと思います。

対象年齢等:
 10代くらいから見ても大丈夫だと思います。性に関する描写も10代なら問題ない程度のものです。宮崎駿作品のように、見るたびに理解を深めていける作品だと思いますので、長い期間を通じて楽しんでいきたいですね。


(※)「匂い」の補足{netabare}
 ソウヘイはユキに「獣臭い」と言っています。なぜこの「匂い」がユキの思春期入りの描写になるのかについて、補足を入れておきます。

 このセリフは、表面的には「オオカミ臭い」という意味を持っています。これがユキの受け止め方であり、その後のストーリー展開に直接的な影響を及ぼします。ただ、描写的には、全く別の意味を持つことが分かるようになっていました。

 単に「オオカミ臭い」ことを表現するのならば、この「匂い」は、オオカミが気付かずに人間が気付くものでなければなりません。すなわち、ユキ以外の生徒たち全員が気付く「種族の匂い」のはずです。しかし、ソウヘイ以外の女子生徒たちは、その「獣臭い」には気付いておらず、気付いていたのはソウヘイだけでした。

 つまり、実際の「獣臭い」は、人間かオオカミかを判別する「種族の匂い」ではなかったということです。女子生徒が気付かずにソウヘイだけが気付くという、女性と男性を判別する「性別の匂い」だったのです。端的に言うと、「生理の匂い」「血の匂い」という意味でした。これをソウヘイは「獣臭い」と表現していたのです。

 初見時には、ソウヘイの臭覚や感性が他の人より鋭くて、「種族の匂い」に気付けたのでは?と思ってしまったのですが、そう言い切ることはできませんよね。ソウヘイに関して、そのような描写・エピソードは用意されていませんから。その結論を出してしまうと、先入観や思い込みで解釈をしていることになってしまいます。
 このシーンでは、ユキに女子生徒と男子生徒を絡ませることで、<オオカミのユキ⇔人間の女子生徒&ソウヘイ>という対比に基づいた「種族の匂い」ではなく、<女性のユキ&女子生徒⇔男性のソウヘイ>という対比に基づいた「性別の匂い」を演出していたということしか見えてきませんでした。

 したがって、このときのユキは、ユニセックスな子供時代を終え、男性が意識する女性へと変わっていたということになります。それゆえに、「匂い」でユキの思春期入りが描かれていた、と言えるのです。ユキの内面からではなく、他者の視点からこれを見せていました。ユキは、オオカミの血にコンプレックスを持っていますから、過敏に反応し過ぎて誤解をしてしまった、とも言えますね。ユキの内面的な思春期は、そのあとの描写で描かれていました。
{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 21
ネタバレ

ギータ さんの感想・評価

★★★★★ 4.9

短い時間でたくさんのことを考えさせられた映画

見どころが半端ないくらい多いです。

{netabare}
子育ての大変さ、我が子への母親の愛とそれによる頑張り、近所の人の助け、子どもの成長による心境の変化、親への感謝、人生の自己決定、我が子と離れる寂しさ、子育てに終わりはない
{/netabare}

正直、挙げだすとキリがないですが、これだけのことを2時間くらいの映画で取り上げるのは本当にすごいです。
子どもが成長していくだけでも構成はかなり難しいのに、伝えたいこともしっかり入っていて、言いすぎかもしれませんが、clannadを2時間にまとめたレベルの作品だと思います。

パンフレットに書いてあった細田監督のインタビューで「おおかみ子どもは私たち自身である」また、脚本の奥寺さんの「セリフがないところが名場面になる」という言葉があまりにもこの映画をとらえているため、読んでいて鳥肌がたちました。


「おおかみこどもは私たち自身である」
{netabare}
作中では、雨がおおかみとして、雪が人間としてそれぞれが自分で生き方を決め、歩んでいきます。でも、それは人間である私たちも同じことで、自分の生きる道は自分で選んでいかなければいけません。後悔しないようにかつ、責任を持った選択を迫られます。映画の最後で雨が別れるシーン、雨はすごい、言葉に表せないような心境だったと思います。これまで母親にべったりで、すごくお世話になって、母親から「まだ何もしてあげられてない」なんて言葉をかけられて。自分がそんなことを言われたら絶対泣いてしまうし、雨も心はかなり揺れ動いていたと思います。それでも雨は別れておおかみとして生きていくことを決意したのです。感謝の気持ち、寂しさ、すべての感情を背負って別れることにした雨の選択は本当にすばらしいものであり、自分もそんな選択ができる強い人になりたいと感じました。
人の生き方には無限の選択肢があると思います。でも、その選択には大きな決断が伴うこともあるのです。それは今回の映画のようにおおかみとして生きるか、人間として生きるかということと同じであり、「おおかみこどもは私たち自身である」という言葉は、そんな思いから発せられた言葉なのでしょう。
{/netabare}

「セリフがないところが名場面になる」
脚本の奥寺さんは「この映画は映像でなければ伝わらないところもある」というようにおっしゃっています。
{netabare}
まずは映画中盤、雪の中で遊ぶシーン。あのシーンはセリフなしで、音楽とアニメーションの二つによって、自然の雄大さ、花たち家族の楽しさ、疾走感が伝わってくる場面です。記憶が正しければ、笑い声すらなかったように思います。しかし、すごい伝わってくるものがあるのです。思わずすごいと思ってしまうシーンであり、短い映画の中でも、毎日楽しく過ごしてきたんだなと、映画の中の時間に入りこんだ気持ちになりました。
そして、映画終盤、またも雨の別れのシーン。やはりたくさんの見どころはあるものの、このシーンの力の入れ具合から、一番伝えたいのはこの場面なのかなと思います。このシーン、雨は何も話しません。そして、花もいくつかセリフを言った後、しばらく何もセリフがないシーンになります。雨が何も言わないのはおおかみとして生きていく覚悟の表れかなと思います。セリフがないこのシーンは、私はいろんなことを考えました。花の気持ちや雨の気持ち、そしてこの人に考えさせるのがねらいなのかなとも思いました。単に受け身として映画をみるのではなく、自分で想像を働かせ、今花たちは何を思っているのかなと考えさせるなど。あえてセリフをつけないことによって、より感情移入させようとしているのかなとも思いました。だからこそ、その後の雨の遠吠えにより感動を覚えたのかなとも思います。
→追記で
雨の別れのシーンは思ったよりもセリフなしのシーン短かったですね。それでも雨が何も話さないものの表情で揺れ動いていると分かる描写はとても印象的でした。

{/netabare}

奥寺さんの言い分とは少し違うかもしれませんが、想像力を働かせるというのは、小説などの文字媒体に比べ、受け身になりやすいアニメや漫画にとって大切なことだと思います。それに関連して私の中で印象に残っているものが2つあります。
違う作品の紹介になるのであえて隠します。読みたい人だけ開いてください
{netabare}
1つはスラムダンクのラスト1プレー、もう1つはもののけ姫のエンディングです。
スラムダンクは、漫画でありながら、そのラストシーンは全くセリフがありません。しかしそのシーンは、私が読んだ漫画のシーンで№1だと思います。もののけ姫のエンディングは主題歌と音楽を流し、画面は真っ黒のスタッフロールのみです。しかし、私はこのエンディングこそ今まで見てきたどのエンディングよりもすばらしいと思うのです。この2つはここでは言及しませんが、言いたいことは、このおおかみこどもの考察とだいたい同じようなことです。もののけ姫は、また少し違うのですが。
{/netabare}
BDの発売が待ち遠しいです。早く見たいし、みなさんも見てない人は一度、見た人ももう一度視聴されることをおすすめします。


追記:BD届きました!
間違いなく一回目より二回目の方が来るものがあります。次にどんな場面になるか、どんなセリフが来るか分かっている方がつらいものがあったり、泣きそうになるものがあります。
改めてみても、本当に見どころ伝えたいこと満載で、二回目も感動しました。
一つだけ追加の考察を

前から思っていましたがジブリ作品と共通するところがあると思います。私がジブリ作品に魅力を感じたのは、小さい頃に見た時と高校、大学で見た時、同じ作品を見ているのに違う感想を抱いたこと、つまり自分の成長と考えの変化を実感できたことが挙げられます。
おおかみこどももおそらくこのような感想を抱くような作品であると思います。まぁ去年の映画であるため、本当にそうなるかはあと何年かたってからでなければ証明はできませんが。
この考察をさらに続けるとこの作品にはジブリと違う点があり、そしてそれがジブリを越えるものではないかと思うのです。
ジブリ映画は視点がほぼ主人公かヒロインです。私たちはその主人公の成長や感情の動きを感じ取り、そしてそれは見る年齢によって感想が違ったりしています。
おおかみこどもの視点は花と雪と雨の三人であり、しかもそれぞれ年齢が違い、子ども、親というように全く違う視点から見ることができます。さらに付け加えると、作中でみんな歳をとり、成長しているため、もっと多くの視点で見ることとなります。
私も子どもの頃は雪や雨のようなやんちゃな時があったり、分からなくて悩んだときがあったり、あのときこんな感じだったなぁと懐かしみ、二人の行動、そして過去の自分を受け入れました。もしかしたら、私が小学生でこの作品を見たらそうは思わなかったかもしれません。
それ故に花の行動はすごいと思っても、自分はそういう行動をとれるのかなと疑問を感じさえしてしまうのです。これは大人に、そして親になった時に今より分かるようになるかなと思います。
以上から、この作品は自分の年齢、立場から感想がかなり違うものになると私は思います。そして、歳を重ねればジブリよりも直接的に違うことを感じる作品にこれからなっていくと思います。
願わくは、小さいころからこの作品を見る人が増え、成長していくたびにこの作品からいろんなことを感じ取り、より感動出来ればなと思います。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 20
ネタバレ

nico81 さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.9

劣等感と自己肯定の物語

考察を繰り返した結果、断言しても良い。
これは子育て奮闘記でもなければ母子の絆の話でもない。
細田守監督自身のコンプレックスの投影と自己肯定という、極めて個人的な内容だ。

さも母が中心かのような広告を打ったのは、そのほうが売れると踏んだからかもしれない。
しかし、母の物語だとすると各要素の必然性が全くなく、あまりにもお粗末な作りだ。
子育てや生活そのものについての批判が多くあり実際その通りだが、おそらくそれらはすべて見当違いだ。

この物語の主軸はあくまでもタイトルにある通り「雨と雪」という2人の子供たちであり、彼らが自分たちの運命(異形であること=劣等感の具現化)と対峙し葛藤することである。
母の存在は物語上の手段として必要だっただけに過ぎない。第一にはコンプレックスの象徴としての狼人間をこの世に産み出すために。第二にコンプレックスを抱えた子供らと監督自身を「(異形のものと承知で)産み、育て、愛し、許す」=「肯定する」ための"聖母"のような役割として。彼女の言動やとりまく環境や出来事は全て聖母として存在させるためであり、そのための宮﨑あおいである。つまり制作側の意図以外には何もない。
そう考えると色々合点がいく。矛盾があろうがなかろうがどっちだって良いのだ。


そして、聖母の救済を必要としたのは {netabare} 弟の雨だ。
彼こそが監督の自己投影の対象だろう。
―母の理想にはなれなかった。母のもとにも居られない。それでもそんな自分をあるがまま受け止め、認めてほしい。それで良いのだと背中を押してもらいたい―
そんな深層心理の表れだと考えるのは深読みのしすぎだろうか?
人でもなく狼でもない中途半端な存在としての劣等感。周囲となじめずに深まる孤独感。母の求める理想に近づけない後ろめたさ。そうして殻に閉じこもり、アイデンティティを求めてもがきさまよう。
やがて、母の属す社会の外側に居場所を見つけてひとり旅立つ。そんな彼を母は泣き笑いで受け入れる。そのままで良いのだと、無言のうちに肯定してやるのだ。彼は希望と許しを同時に手にして、自由へと駆け出していく。
鏡のように対比された姉の選択によって別の可能性も示されるが、彼女もやはり他者からの許し(秘密の共有)を必要とする。

一見、彼らの自己肯定と再出発は成功したかに見える。
しかし、姉の決意には諦念が見え隠れするし、弟は傍目には逃避という言わば後ろ向きの選択だ。しかも全て強引な自己完結で、アイデンティティを獲得したのではなく捨てたようにしか見えない。根本的解決をしていないにも関わらず、それを他者に認めさせることで得た自己肯定は独りよがりに映る。
もっと言えば、そもそも聖母であるべき母こそが狼人間という異形(=劣等感)を生み出すというパラドックスに陥っているわけで、実はこの時点で監督の自己肯定は既に失敗している。
{/netabare}


どこまでが意識的なのか無意識なのかは分からないが、各エピソードの生々しさは高木正勝の聞き心地良いミニマルミュージックによってオブラートに包み、アン・サリーの歌で母性を強調し、姉の独白で視点をずらし、狼人間の姿形を借りて非現実を可視化することで何とかファンタジーの形態を保っているような……つまり計算づくで、ちょっとあざとい。

引き画の多用についても監督は「客観性を保つため」と語っているが、対象が曖昧にぼかされて主題も散漫になっている印象のほうが強い。第一、どうしたって感動系にしかならないプロットにわざわざ客観性を組みこむ必要があったのか。実際、ここ引き画にしちゃったら観客は感情移入しにくいんじゃないかと思う場面が多々ある。劣等感にフォーカスされて物語が過剰にセンチメンタルに転ぶことを嫌ったからでは? もしくは自分の隠された本心を暴かれることを恐れているのでは? などと斜めな見方もできる。

いずれにしても、この「ひどく個人的な心理を覆い隠して普遍的テーマの体裁を取り繕った感じ」にどうしても違和感が拭えず共感も感動もできない。(がしかし、私の同族嫌悪も多分に含んでいる)


サマーウォーズも面白かったけど何かもやもやと違和感があって、それもこの考え方でいけば納得できる。体裁だけはファンタジーなのにどうしても舞台やエピソードが現実的なのは、監督自身が生きる場所であって解決すべき問題ともがきがそこにある(しかも解決していない)から。
だとすると、この人にジブリのような異世界での冒険譚は多分描けない。

しかし、このままではいくつ作品を作っても形を変えて繰り返すだけじゃないのかなぁ…
他者に依存し続ける限り他者を言い訳に使うことも可能で、いつか行き詰る。他者の助けは必要だけど、本当の意味で「自分という人間を受け入れ、自分の人生を請け負う」覚悟をするとき、許しを与えるのは自分自身以外にないのだから。


※だいぶ以前にUP済みだったが、推敲と加筆・訂正を繰り返していまに至る。ここまでの考察は滅多にしないし長文も避けているのだが、どうしても無視できずに自分のために書いた。
自分と似通った業を抱える監督への歯がゆさと、ここまでしてもその業から解放されていない様への苛立ちと落胆を覚えている。きっと「バケモノの子」でも繰り返しているだろうと容易に想像できるのだが、いずれ見届けなければなぁとぼんやり考えている。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 14

62.6 5 姉弟でオリジナルアニメーションなアニメランキング5位
ハンドシェイカー(TVアニメ動画)

2017年冬アニメ
★★★★☆ 3.1 (266)
1227人が棚に入れました
ハンドシェイカー――
手を繋ぎ、深層心理から生まれた武器”ニムロデ”をもって互いに戦う者達。
己が「願い」を叶えるため、”神”にまみえ、
”神”を打ち破らんと数多のハンドシェイカー達がその頂点を目指し、競い争う。
その果てにあるものとは――。

声優・キャラクター
斉藤壮馬、諸星すみれ、茅野愛衣、村瀬歩、上坂すみれ、石川界人、小松未可子、杉田智和、福山潤、日笠陽子、森久保祥太郎、雨宮天、浅沼晋太郎、佐藤聡美、小林裕介、浪川大輔、加隈亜衣、津田健次郎、早見沙織
ネタバレ

HmFDB75691 さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

リリとコダマのダブルヒロインを主役にすれば、もう少し面白くなった

ゲームや映画にもなっていない完全なオリジナル作品だろう。オリジナルアニメは昨年も不作だったが、今年も期待できそうもない。テレビのオリジナルアニメは冬の時代がきているのかもしれない。

=キャスト=
コヨリ(cv:諸星すみれ)
リリ(cv:茅野愛衣)
チヅル(cv:上坂すみれ)
コダマ(cv:小松未可子)
バインド(cv:日笠陽子)
ムスブ(cv:雨宮 天)
マユミ(cv:加隈亜衣)
シグレ(cv:早見沙織)


第1話 アニメイト30周年記念作品にしないほうがいいかも
{netabare}
手をつなぐという設定を知った時点で、トイレと風呂シーンがあると思った。じっさい、次回は風呂シーンがあるようだ。
ずっと手をつないでいるのは軽く引くし、いくらなんでも無理がある。道具を使ったほうがよかったんじゃないか。手錠で男女がつながるのはよくあるけどさ。

股間を踏まれて悶えている巨乳キャラの声優さんは誰だろうって、ストーリーそっちのけで気になった。調べたら日笠陽子さんだったので、なるほどって納得した。「い、いきます」はさすがにまずいだろって思ったけど、個人的にはOK。

だけど、アニメイト30周年記念作品が放送中止になったらシャレにならんぞ。

作画はCGだからきれいに見えるがそれほどいいとは思わない。アングルがよくないのか、ゲームの3D酔いしそうになる。キャラのデザイン、というか巨乳の形がイマイチだった。

色々愚痴ったけど、キャストはけっこういいし、書きたいことも色々出てきそうなので最後まで見ると思う。
{/netabare}

このアニメがどうやったら面白くなるか考えてみた
{netabare}
序盤で断念する人が続出しそうなアニメになってきた。
ネットの感想を読むと酔うという人がけっこういた。商品としては欠陥があるので改善すべきだろう。

このアニメの視聴者が断念しないためには、序盤のクライマックスまでに以下の三つのことが必要だと思う。

1.謎は序盤で明らかにすべき
昨年のオリジナルは、やたらと謎を出してきて、解明なしで終わらせるのが目立った。解明の部分は作品の評価に大きく関係するので、ヒット作が生まれなかった原因の一つと言える。
謎(序盤)→伏線(序・中盤)→解明(終盤)が理想的なのだが、アニメの場合、謎(序盤)→解明(終盤)が多い。視聴者を驚かせる効果はあるが、深みがなくて感動させるのは難しい。
このアニメもすでにいくつか謎があるが、伏線がないなら早めに明らかにしたほうがいい。
先延ばしにすると視聴者が期待してしまう→期待に見合うだけの答えを出せない→作品の低評価につながる、といったいつものパターンになってしまうからだ。

2.目標をはっきりさせる
主人公の目標やラスボスをはっきりさせること。じつはあの人がラスボスだった、みたいなのはめったにうまくいかないからだ。

3.重要なのは主人公ではなく、サブキャラ
主人公に力を入れて描くのは当然だが、それと同じくらいサブキャラにも力を注いでほしい。サブキャラを主人公にしても面白い話ができるくらいにキャラを作るべきだろう。
{/netabare}

第2話 風呂シーンあるよ
{netabare}
予想通り、トイレと風呂があった。女の子の大事な日はどうするんだろ。しかし、こういうシーンさえあれば喜ぶと思われていると視聴者も自覚したほうがいいな。

少しなら手を離しても大丈夫とか、すげーうさんくさい。平行世界とか准教授が説明したけど、平行世界の存在をなぜ知っているのかという矛盾がすでに発生している。電子ロックのドアがひらいた時点であやしいと思っているけど。
舞台はリアルなので科学的にとまでは言わないまでも、平行世界についてそれなりに説得力のある説明がなければいけない。ヴァーチャル空間だったから戦った相手もケガ程度で済んだ、リアルならこのほうが説得力がある。

主人公も疑わしい。機械いじりが好きなら現実的なキャラといえる。鵜呑みにしてしまうのは、キャラの作りが甘いか、本人も知らない特別な理由があるか(主人公の周辺も疑っている)。機械いじりと平行世界なら量子コンピュータを出すべきだろう。アニメではほとんど見ないので調べてみたら「ゼーガペイン」しか引っかからなかった。難しいのもあるがチャレンジしてほしいものだ。

謎はあまり多くしないほうがいい。それだけリスクを負うことになるから。手をつなぐ理由くらいは序盤までにはっきりさせておくべきだろう。

日笠さん、もう出てこないのか。いい声優さん揃えたのに扱いが雑だなあ。妹役の雨宮さんもあれだけで終わりとは思えないんだけど。コヨリは主人公の妹となにか関係があり、妹もまたハンドシェイカーで、戦う相手のなかに妹を倒したやつがいる、といった設定くらいはあってほしい。
{/netabare}

第3話 予告以上の内容はなかった
{netabare}
前回の予告でチヅルと戦うのはわかっているのでチヅルたちがハンドシェイカーでも驚きはない。Aパートにあんなに尺をとる必要があったのだろうか。おかげでバトルも途中までになってしまっている。

今回気づいたことを書いておく。
まず、握る手は右でも左でもいいようだ。それから、視聴者のだれもが気になる点、15分くらいなら手を離せるとか、どうやって着替えているとか、の説明があった。

主人公はいいとしても、社会人が願い事が叶うと言われて信じているのはどうかと思う。まず、疑うだろう。それか、願い事を叶えた人を見るなりしていないとおかしい。

社会人のチヅルたちが出てきたことで、コヨリが平行世界に連れて行っている可能性が低くなった。コヨリが特殊というのはまだあるが、平行世界に移動するのはハンドシェイカーとは関係ないところで行われている可能性が高い。
{/netabare}

ヒロインたちはケガや病気を抱えているのか?
{netabare}
チヅルのロリ体形を社員たちが馬鹿にするシーンがある。アニメにおいてロリの大人は珍しくないのだからとても不自然。馬鹿にするのが自然な行動なら、リアル感を出していることになる。つまり、チヅルはなんらかしらの病気で成長が止まったキャラでなければ整合性がとれない。
コヨリの体にも傷跡があるし、バインドの身悶えも病気なら納得…しないか。
{/netabare}

第4話 音楽と大阪城はよかった
{netabare}
ぬるいバトルに何か意味があるのだろうか。決着のつけかたもわからないし、勝ち続けるのが目的なのか、ハンドシェイカーを全員倒すのが目的なのか、よくわからない。願い事はブラフとしか思えない。キャラクターたちが願い事を信じている設定自体、かなり無理があると思う。

バトル中に流れる音楽はよかった。切ない感じを受けるんだけど、命がけのバトルではないので合っていない。大阪城もよかった。バトルなしで背景として見せてくれるだけでよかった。

ハンドシェイカーが出会うと平行世界に行くような説明があったけど、行ける根拠は”ハンドシェイカー”だけ。これで納得できるのか。設定としてひどすぎるだろ。だから、ハンドシェイカーとは関係ないと考えている。

ここまで説明ばかり。巨大コンピューターとか平行世界の入り口が出てきたわけではない。ハンドシェイカーが平行世界のような場所に移動して、武器のような物が出て、ぬるいバトルをしているだけ。裏がなければさらに評価は下がるだろう。

第9話がいいらしいけど、昨年のワーストアニメでまったく同じことを言っていたことを思い出す。第8話までは自信がないとしか思えない。
{/netabare}

第5話 某カードバトルのアニメと設定がよく似ている
{netabare}
茅野さんの演技が楽しめた以外はとくに感想がない。アニメイトの宣伝回って感じだった。
准教授が元ハンドシェイカーだったとか、リリが弟大好きなところとか、某カードバトルのアニメとよく似ている。あっちは双子だったかな。バトルに勝ったら願い事が叶うとか、パクッているのか思考が同じなのか、こういう路線の話はあきてきている。

あと、どう見てもパフェが出てくる高さでないことや、どこにもなかったスプーンが突然現れてコヨリが握っているところが不思議だった。プロのアニメーターが作っているんだから作画ミスとは思えないので、きっと伏線なんだろう。
{/netabare}

第6話 半分まできたのかな
{netabare}
全12話なら半分になる。ここまで見てきたので褒めてほしい。
今回も茅野さんの演技だけが楽しめた。どうせならリリを主役にしてほしかった。
バトルシーンで魅せるアニメなんだろうけど、気分が昂らないバトルシーンって、珍しいなって思う。駆け引きがほとんどないのが原因なのか。むかしのアニメでも見ているような気分になる。
{/netabare}

第7話 予告見て、こんな感じかなと思ったら、そんな感じだった
{netabare}
茅野さんの声と演技は面白かったなあ。見る理由はこれだけかも。無駄にデカいあの胸はなんとかならないのか。しかも揺らす以外未使用状態じゃないか。

冒頭部分が録画できていなかった。コヨリの事情とか話していたみたいだけど。このアニメの設定はほとんど覚えていないから、あまり気にしていない。そもそも、准教授の説明だけでまったく説得力がないので、ほとんど聞き流している。

次回は面白そうな気がした。回し蹴りしている女の子のパンチラも拝めるかもしれないし。
いい場面でコヨリがしゃべるんだろうな、という気はする。だけど、謎を終盤で明かす典型的なアニメになってきた。その解明部分でこのアニメの評価が決まる。もう決まってる気もするけど……。
{/netabare}

第8話 期待したほどではなかった
{netabare}
速くてパンチラ見えなかった。期待したのはそこだけなのに……。
あとは、今回も茅野さんの演技が面白かった。いっそのこと主役にしてほしい。

キャラとバトルシーンは許容範囲だとしても、ベースになっているストーリーが稚拙すぎる。謎を明らかにするのを終盤まで先延ばしにするのも面白さを半減させている。

謎はあってもいいが、視聴者には明かして、キャラにはわからないようにしておくほうが面白くなると思う。
{/netabare}

第9話 コダマのオチのほうが面白かった
{netabare}
第9話がいいなんて言わなければ、そこそこの評価はもらえただろうに。ハードル上げてしまったので、期待したほどの反響はなかったんじゃないか。制作スタッフは傑作と思ったんだろうな。ちょっとかわいそうに思えてくる。”第〇話がいい”は当てにならないという功績は残しただろう。

ここまでコヨリがしゃべらなかったので、この展開は予想つく。裸になって変身するとは思わなかったけど。今回のイチオシは、変身シーンなんだろう。だけど、第1話のバインドのほうがインパクトあった。

しゃべらない理由や能力を使わなった理由がまったく説明されないのはどうかと思う。
コダマのルックスと歌唱力でほとんどファンがいないのも不自然。何かの妨害があるとしたほうが自然だろう。小松未可子さんにも失礼だろ。
{/netabare}

第10話 着物は描くのが難しそう
{netabare}
今回の感想は、着物がよかった、描くの難しそう……これくらいかな。コヨリはしゃべらないほうがキャラとしては面白かった。

次回、謎が明らかにされるので、た・ぶ・ん、面白くなるだろう。この作品の評価を決める回にもなる。ミステリーで探偵が犯人を当ててトリックを明らかにする場面と考えればいい。伏線の回収や筋の通ったストーリーが展開され、いかにして驚かせるかが鍵になる。さいきんのオリジナルアニメはこれができていない。
{/netabare}

第11話 中二病というより、中学生レベル
{netabare}
あっと言わせるような展開を期待したけど、無理だったかあ。過去に見たアニメの設定やセリフを寄せ集めたようなレベルの低いものだった。
伏線の回収は、コヨリとムスブのところくらいか(まだわからないけど)。妹は主人公とコヨリを結んだというオチかな。あとは、中学生が考えた設定を見せられている気分だった。
一番驚いたのは、早見さんがちょい役で出てきたとこ。もったいない使い方してる。
{/netabare}

最終話 終わりなのか? いや、終わりにしてくれ
{netabare}
今期唯一の完全オリジナル(映画化やゲームになっていない)だったので、がんばって最後まで見た。バトルが終わったあと、やたら尺が長いので、もしかしたら2クールなのかと心配した。どちらともとれる終わり方だった。
コヨリと大阪城のつながりとか伏線の回収がほとんどなかったので、十年後に続編がありそう。

総評はあとで書くとして、最終話の感想としては、う~ん、とくにないなあ。コヨリたちが勝つのは目に見えてたし。マユミを救ったのは、元パートナーのコヨリだったのは、よかったかな。どうせなら、みんなで手を繋いで輪になればいいなって思ったけど。
{/netabare}

総評 リリとコダマのダブルヒロインを主役にすれば、もう少し面白くなった
{netabare}
このアニメは第1話で視聴者が見放したと言っていい。原因は三つある。

・エロいシーンさえ出せばつかみはOKという浅はかな考え
確かにエッチなシーンに視聴者は喜ぶし、"このすば"で同じことをやればウケる。シリアスなアニメでやってはいけないとは言わない。バインドがああなった理由を、視聴者は無意識のうちに求めるのだと思う。だから、バックグラウンドを見せておけばよかったと思う。

・3D酔いや目がチカチカする作画に考慮しない手抜き
けっこうな視聴者がこの症状を訴えていたのだから、制作段階でわかっていたはず。気づかなかったならそれは怠慢と言いたくなる。そのあと改善されたのは評価している。

・幼稚園児のような手をつなぐ設定
最初見たとき軽く引いた。このアニメの根本なのだが、最後までなじめなかった。しかも、しばらくなら離してもいいというアンバランスな設定。徹底して離さないかブラフかどちらかにすべきだった。


第1話のレビューでサブキャラを主人公並みに描くべきだと指摘した。これは合格点をあげたい。声優さんの演技もよかった。サブキャラはインパクトあったが、主人公とコヨリの印象が薄く、サブキャラにキャラ負けしていた。主人公の機械いじりの性格は能力以外ではほとんど生かされていない。コヨリはしゃべらないのが特徴だったが、先延ばししたわりには理由がしょぼい。

最後に、このアニメの設定を生かしたまま、面白くなるストーリーを考えてみた。
まず、リリとコダマのダブルヒロインを主役にする。願い事はどちらを選ぶか、二人が葛藤しながらバトルする。バトル中に手汗をかかないのはリアリティがなかったので、リリを手汗キャラにする。胸の谷間にもよくかく。「ちょっとあんた手汗かきすぎなのよッ」とコダマが突っ込んで、リリがシュンとなる。だけど、ラストバトルでは手をしっかり握って勝利する、そんなアニメが見たかった。

あと、アニメイトの店員を主人公にして、三十年間を1クールで見せるようなアニメでもよかったと思う。
{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 6
ネタバレ

pister さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5

観終わった

なんか評判悪いみたいなのでちょっと擁護。
それぞれのオブジェクトに張り付いてる“柄”は、テクスチャじゃなくて地紋と思えば疲れが軽減されると思う。
ルパン三世のオープニング(80年版?)の五右ェ門が能やってる時の着物の演出と同じようなモンかと。


1~3話までの感想
{netabare}これよりちょっと前に放送されてたヴァルキリードライブマーメイドを「設定(女の子が武器になる)がエレメンタルジェレイドみたい」と思ったものだけど、こっちはそれ以上にエレメンタルジェレイドっぽいような?
設定じゃなくてキャラが…コヨリがレンと被るんかな?
するってーと千鶴がシスカ役にでもなるのだろうか。
いやね、現状世界観を説明するのが教授の言葉だけで、実感がないというか信憑性が薄いというか。
敗退者の元ハンドシェイカーでもいいからちゃんとした説明役が居ないとこれキツくないか?と思いまして。
因みに「どういう印象を抱いたか」の経緯をそんな感じで辿ってしまったため、1・2話のチェーン組のお色気演出は「あ、それヴァルキリードライブで見た」って程度にしか思えず、別段何も感じませんでした。
これは相手が悪いとしか言いようがないけど。

それと気になったのは、折角エモノが歯車なのにそのギミックを全然を活かしてないのはどういうことなんだろうか。
対チェーン戦とか、歯車に鎖噛ませてどうこうとかやると思ったんだがのう。
あれー?と思ってたら3話でもフツーにガキンガキンぶつけ合わせるだけだし、そのデザイン故の駆け引きは全く無さそう。
てっきり絵描き側優先の制作態勢だと思ったけど違うのだろうか。{/netabare}

4~8話までの感想
{netabare}4話でチヅルが仲間としてシスカポジションとなり、よしこれで胡散臭い教授の言葉ががどこまで真実か、また他に何か隠してるんじゃないかと追及が始まるんだろうな~と思ったらそれはナシ。
あっれー?
教授と会談したのに全く疑わず、(もし負かしてたらコヨリが死ぬってのを全面的に信じて)「人殺ししなくて良かった」とまで言い出す始末。
シングルギアって名前がどうとか負けて悔しいとか(勝ったところで願いが叶うかどうかは懐疑的なんだし)、そんなことよりもっと重要なことがあるんじゃ…?
願いのためなら人殺しも厭わないって程に覚悟キメてる奴ばかりでもなさそうってのは大きな収穫だと思うんだがのう。
と不思議がってたら次の回で中の人がツダケンなキャラが出て、そっちが「教授の言ってること信じていいのかな~?」と迫ることに。
あ、そっちが胡散臭さに突っ込む配役なのね、けどそうするとチヅル=見た目はどうあれ事情を知ってるマトモな大人キャラがようやく登場した意味が薄れちゃわない?と思ってたら、ツダケンキャラは口下手設定で、言いたいことが上手く言えないという有り様。
…。
あそこまで教授を胡散臭いキャラとして描いておいて、そこに疑問を抱くキャラが不在で、やっと出たと思ったらやっぱり疑問を抱かず、次に今度こそ出たかと思えば要領を得ない喋りしかできない。
なんじゃこりゃあ?

そして5・6話、委員長との対決では「戦う意思はない」の一点張り。
いやそうじゃなくて…チヅルの素振りを振り返れば「人を殺してでも願いを叶えたいと思ってる人ばかりでもなさそう」ってのは分かってるハズじゃん?
もし委員長が勝ったらコヨリが死んで、願いどころか後悔に苛まれることになりそうってのは分かってることじゃん?
まずは「オレ達が負けたらコヨリが死ぬんだ」くらい言わんのかと(この場合教授の言うことを信じてることになるけど)、ってか言わないのはむしろシツレイじゃね?
もっとズルいやり方なら「殺してでも叶えたい願いなのか?本当に叶うかどうかも疑わしいのに?」と揺さぶりもかけられただろうに。
そこら辺のズルい手口を大人なチヅルがレクチャーするもんかと思ったんだけどねぇ、なんのためのキャラだか。
バックアップは私に任せてみたいなこと言ってたから、てっきり後方支援するのかと思ったら完全に蚊帳の外だし。
つか後日、委員長と戦った報告もチヅルにはしてなさそうな予感。
なんじゃこりゃあ?

7話は箸休め回。
あえて言えばタヅナとコヨリの親睦を深める回。
もうずっとこの路線でいいんじゃないだろうか。

そして8話はこれまた…。
これを言うこと自体が自身に当てはまりそうであんまり使いたくないのだけど、口耳四寸(意味はググってちょ)キャラの登場。
マキハラだよ~だったりこども店長だったりッスッス連呼だったりコミュ障だったりましゃる~だったり、キャラ付けは極端なほど頑張ってるけど、これまで書いてきた通りキャラに思考能力がない・意思がない。
そこにもって薄っぺらさの象徴ともいえる口耳四寸キャラって…スタッフの自虐かな?
ってかさぁ、「負けたらコヨリが死ぬ」って言えって、それを相手が信じる信じないはともかく。
委員長が「コヨリの体質知ってたら戦えたかしら?」と、まーたチヅルの時と似たようなこと吐かせてるのだから、そこまで視聴者に見せつけといて戦闘を回避する・優位に運ぶ手段として考えが及ばないってのは脚本家の都合が過ぎる。
どうせ敵はスポーツ感覚でやってるだけなんでしょ?
負けた時のペナルティがお前らとは違うんだ、とタヅナはよく怒らないもんだ。
そしてこの局面でマキハラから新たな情報(勝ち続けると強くなる)とか、最初から言えよと。
というか、よく逃げ延びたとタヅナを褒める前にコヨリが死なずに済んでよかったと安堵するシーンでも入れればいいのに…まぁこれは裏があるのかも知れないけど。



とりあえずここまでの感想としては、キャラクターがひたすらシナリオ通りに動かされてるだけで空虚・生きていない。
そういった作品は見慣れたものだけど、ハンドシェイカーがひときわ目立つのは…特徴付けが極端なせいかな?
スタッフお勧めは9話らしいのでその前に一旦感想を書いておいたけど、この印象を覆す、または納得のいくような展開が起きてくれることに一応期待(ほぼゼロっぽいけど)。
できればコヨリが喋ったと思ったらバリバリの関西弁だったり、「噛み合う噛み合わないってウゼー」と突っ込んでくれたら大爆笑なんだけどなー。{/netabare}

最終回までの感想{netabare}
今更ながら最後まで観ての感想。
ってかニコ動で全話一挙放送やってて見ちゃったよ、これで通算3周は見たかな?好きなのかオレ!?

やっぱり途中イライラするのは、他のペアは負けても願いが叶わないだけ。
しかもそれはあくまでハンドシェイカーの力では叶わないってだけで、改めて本人の努力でなんとかなる…かも知れない程度、“ウィクロス”みたいに願いが逆方向に働くってことは無い。
なのにタヅナペアは負けたらコヨリが死ぬ設定で、代償が全然対等でない。
戦う意思が無いだのなんだの抜かすなら最初に事情を話せと、「ボクたちが負けたらコヨリが死ぬんだ」と言えよと。
それ言わずにズルズルと戦闘始まるのがほんとイラつく。
更に戦闘終わると仲良しこよしで、そんな程度だったら最初から戦闘すんなよと、言葉で分かり合えない・譲れないものがあるから戦うんちゃうのかいと(※)。

でもって最後はツダケン&マユミペアと戦ってーの、引き分けで終わって、結局神ってなに?願いってなに?コヨリの両親どこ?その他諸々の謎を残してエンド、投げっ放し。
そもそも勝ち続ければ神とまみえるってだけで、別に「最後の1ペアになるまで勝ち残らなければならない」ではない。
実際コヨリの両親は神の御許へ旅立ったとされるが、その時点ではマキハラ&ツダケンペアやコヨリマユリは健在だった(=他のハンドシェイカーが残ってた)ワケで、「何回勝てば良い」は明かされてない。
ぶっちゃけ作り手の事情に合わせて追加投入し放題で緊張感なんてありゃしない。
なによりそれまで負かしてきた相手が最終対決で助っ人に来ない。
せめて最後に助っ人に来る展開が待ってるのなら※部分も我慢できようなものを、それすら無い。
キャラに興味が無いなら1話のあとは11・12話を見るだけでストーリー理解する分には問題ない。
見たところで投げっ放しなんだけどね。

兎に角この終わり方が個人的には不満爆発で、放送終了直後に「観終わった」にするなら低評価付けるところだったのだけど…なんと2019年1月からまさかの続編(W'z)が始まりました。
えっ、続きあるのか!?
…。
だったらオチに対しての不満は持ち越し…になるのか?
これ単体での評価にすべきか、続編ありなのを踏まえた上での評価にすべきか、どうしたもんかスゲー困惑。
ど、どうしよう…。

と、まずは辛口なことを言って次に評価する点。
なんといっても作画が頭おかしい(誉め言葉)。
写真齧ってる方なら分かると思うけどアングルによってはカッコ悪く見える角度ってのがあって(足が短く見えるとか)、決めポーズなどはそういうのは普通避けるものなんだけど、これは容赦ナシにそれをやる。
コダマ(アイドル)のステージシーンとか。
また最後のツダケンペア、柄アリの着物でアクションって…正気かよと(誉め言葉)。
敢えて手間のかかる面倒臭い処理を進んでやってて「これはどういうこと?」とオタ友も困惑してました(主に金の出所)。
アニメイト30周年記念ってことでご祝儀が出たのかなぁと思うのだけど、じゃあ続編のW'zはどこから?と謎は尽きない。

総評としては、これ単体・これで完結ってことなら絵が良いだけの糞…とまでは言わないけど毒にも薬にもならない虚無アニメ。
続きがあるって前提なら…評価はそっちに持ち越しかな。
他にも続きモノの作品はいくらでもあるけど、もうちょい「ひとまずの区切り」は設けてあるっしょ、これにはそれが無いのが辛い。

追記
あれ、他の方の感想見てみたら触れてないので自分が書いてみる。
タヅナが最初コヨリと手を繋いだのはコヨリにかつて死んだ妹の面影を見たから。
実際、コヨリは両親が行方不明(世間的には死亡、マキハラ的には神の元へ行ったと解釈)になってから1月後、マユリと共に感情と臓器の一部を「持っていかれた」。
その時の臓器提供者がタヅナの妹…明言はされてなかったかなぁ、まぁそんなことを匂わしている。
1話でマキハラがタヅナを呼んだのもコヨリのドナーの兄だと知ってのことだろう、なにか「つながり」のある人間でないとハンドシェイカーにはなれないんだし。
で、しばらくの間はツダケンから「それはお前の妹ではない」とコヨリのために戦うタヅナは精神的揺さぶりを受ける。
タヅナの「妹の面影があるから大切に思ってるんじゃない、ボクはコヨリのことが──」と感情が変化してくのが“一応は”見所になってるので、そこをスルーしてしまうのは勿体無いかと。
ってかこれは自分が年をとったせいか、タヅナがコヨリを家に連れてきたとき、タヅナの両親はどんな気持ちだったのかの方が気になったり…娘が戻ってきたみたいって、半分正解だし。{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 11
ネタバレ

剣道部 さんの感想・評価

★☆☆☆☆ 1.0

噛み合ってない

[文量→大盛り・内容→酷評系]

【総括】
現在(2019冬)放送中の「W'z《ウィズ》」の1期、というより、10年前の世界のお話。登場人物や設定など、重なる部分は多い。

CG作画は悪くはなかったけど、好みは分かれると思います。CGか手描きかという好みではなく、「CG好きの中でも」好みが分かれるという意味です。まあ、「K」が楽しめた視聴者なら大丈夫でしょう。

ただ、作画云々を別にしても、あんまり面白くなかったです。ギャグは滑ってるし、キャラは変だし、突っ込み処多すぎるし、バトルは微妙だし、設定生かせてないし、ストーリーつまんないし、伏線未回収だし。

全部、噛み合っていません(苦笑) あまりオススメできませんね。

個人的には、まさか続編が作られるとは思わなかった。そのくらい、面白くないアニメだと思ってましたが、やっぱり(続編が作られるということは)人気があったということなんでしょうか。まあ、好みは人それぞれということですね(汗)

《以下ネタバレ》

【視聴終了(レビュー)】
{netabare}
独特の映像美、を目指しているのでしょうが、「この男子~」や「K」のような感じに見えた。

やっぱり、個人的にCGは苦手。

単純に、女性キャラが可愛く見えなかったな~。

本作をバトルものと見ると、ホントに残念な出来。バトルに面白さがない。雰囲気と勢いだけで戦っている。ハンドシェイカーならではの良さが生かされてないし、各キャラのニムロデの特殊能力がわかりにくい。

例えば、「ハンドシェイカー」という設定を生かすのなら、フィギアスケートのアイスダンスのような、男女が手を繋いで滑るように、踊るように戦うバトルが観たかった(せっかく作画を張り切ってるんだし)。

もしくは、ニムロデを生かすなら、各キャラの設定を生かした特殊能力が見たかった。例えば、タズナの「メカ好き」「歯車」という要素を生かすなら、剣とか盾だけでなく、「どんな機械も再現できる」というのでとか良かったと思う(歯車の剣と、普通の剣との違いは?)。

能力系バトルもののポイントは、「どんな能力で戦うか」ではなく、「その能力をどう駆使して戦うか」だと思う。そういう意味では、「ONE PIECE」の「ルフィ(ゴム技)」、「NARUTO」の「ナルト(多重影分身)」などは、あれ一本を様々に使い分け、あれだけ長く戦わせているんだから、大したもの(まあ、ONE PIECEは力業だけど)。そういう工夫が、「ハンドシェイカー」には見られなかった。

また、学園ラブコメとして観ても微妙は出来。中盤以降、タズナとコヨリが手を離す場面が多くなったが、なぜ?(研究が進んだというアニメ世界内での理屈付けは分かるが)。「ハンドシェイク」こそがこの作品のオリジナリティであり、アイデンティティだったのでは? なぜそれを自ら放棄する? (まあ、ずっと手を繋いでいるだけで面白くなったかは別として)「反重力」というワンアイディアをしっかり追求し、表現しきった「サカサマのパテマ(アニメ映画)」を見習った方が良かったと思う。

後半はもう、分かりやすく迷走。色々ぶちこんだ結果、まとめきれなくなったという、アニオリ作品にありそうな話だった(序盤にあれだけ推してたタヅナのメカフェチ設定も、後半は全く生かされてないとか、謎の551推しとか、設定をばらまいただけ)。

ラストですが、やっぱりよく分からなかった。色々とムリヤリ美談にしてる感じがした。ナガオカは、なんだかんだ理由つけているけど、マユミを薬漬けにして無理矢理バトルさせてただけだし。それでマユミが「ナガオカ先生を愛している」ってなっても、素直に応援できない。薬の影響じゃないって、なんで言えるの? また、リリ会長はガチショタで近親相姦の恐れがあるので、怖い。鎖の人と日笠さんの娘、なんか普通にラブラブしててタズナを応援してたけど、どこにそう変わる描写ががあった? あれはただのプレイだったの?

敵も味方も、誰でもとりあえず良い人にすれば良いってもんじゃないと思う。

そんな中、純粋に応援できるのは、「チヅル×ハヤテ」と「コダマ×ヒビキ」かな。どちらも女性上位で男がヘコヘコしてるけど、まあ、平和だし、うまくいきそうなカップルだと思う。

最後、コヨリとマユミが手を繋ぎ和解した部分や、コヨリの「たくさんの人と戦うことで繋がってきた」あたりから、(敵味方を越えた)絆を表現するあたりが主題なんだろうけど、それも微妙。まず、鎖の人とは戦ったのに何も繋がってないし、リリ会長やチヅル達なら、戦わなくてもちゃんと繋がれたと思う。なんか、後付けの理由付けに感じた。

そして、結局、「ハンドシェイカーって何?」「バトルに勝ち続けるとどうなるの?」「つか、ナガオカの病気も、コヨリの体質も、何も解決してないじゃん」とか。強いて言えば、タズナが(彼女ができて)妹の死を払拭できたことと、コヨリが感情豊かになったことくらいが、作中での成長(解決)かな。

このへん(伏線未回収)は、ラストに神様?っぽい浪川さんを出し、2期に伏線を残してましたが、このクオリティで2期やるつもりですか? 正直、あまり期待してません。

出来ないなら、ムリに伏線はったりシリアスにストーリー追っかけたりしないで、それこそバトルはオマケにして、2話(お風呂回)みたいにハンドシェイクを生かした、エロいラブコメに持っていけば良かった気もします。正直、2話が一番面白かったです。

最後に、主人公「タズナ」の決め台詞「噛み合った」は、作品自体の低クオリティと唐突感を合わせ、某ネタアニメの、「思い、、、出した!」を、思い出させた(笑) 良いネタになるのでは?
{/netabare}

【各話感想(自分用メモ)】
{netabare}
1話目
手を離せば死ぬって……一生拘束か……かなりハイリスクだな。なんかこう、手術で縫い付けるとか、グローブ的なもので結びつけとくとかしないと、うっかり離してしまいそうだな。日笠さん、大変っすね(苦笑)

2話目
なんだ、少しなら離しても大丈夫なんだね。サービス回。風呂は手を繋いだままの方が(男性視聴者的には)良かったのでは?

3話目
食事は、手を繋いだままでいけたんじゃ? バトルは、ホントに雰囲気だけだな。

4話目
説明回ですな。

5話目
いやだから、iPad?の操作くらい握手しながらやろうよ(汗) 寿命縮むんでしょ? たんだん、「極力、手を繋ぎっぱなし」の設定、緩んできてない? 自分達で作った設定(オリジナリティ)を、なぜ自分達で殺しにいくのか。キャラ、たまに4頭身くらいになりません(頭がでかすぎて)? おっさんと立ち話してる余裕あるの? お~、びっっくりするくらいつまらないし、頼りの作画も変じゃない?

6話目
バトル回。アニメイトに気を使いすぎw なにがどうして強いのか弱いのか。

7話目
だんだん、手を離す時間が増えてきたね。研究が進んできたということなんだろうけど、「ハンドシェイク」こそ、この作品のオリジナリティであり、アイデンティティでは?

8話目
分かりやすく迷走。

9話目
歌って踊ってバトルって。そして、魔法少女モノになったw

10話目
以下、書く気を無くすw
{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
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