日本史おすすめアニメランキング 5

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ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2022年12月06日の時点で一番の日本史おすすめアニメは何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

76.3 1 日本史アニメランキング1位
平家物語(TVアニメ動画)

2022年冬アニメ
★★★★☆ 3.9 (291)
886人が棚に入れました
《祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり 娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす》
平安末期。平家一門は、権力・武力・財力あらゆる面で栄華を極めようとしていた。
亡者が見える目を持つ男・平重盛は、未来(さき)が見える目を持つ琵琶法師の少女・びわに出会い、「お前たちはじき滅びる」と予言される。
貴族社会から武家社会へ―― 日本が歴史的転換を果たす、激動の15年が幕を開ける。
ネタバレ

素塔 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

平家幻想記

この極めて特異な創作物を受容する際に、私たちはごく自然に
二つある出発点のいずれかを選んでいるはずだ。
原典たる『平家物語』か、あるいは京アニの至宝、山田尚子監督か。
別の言い方をすれば、テキストと演出、そのどちらに軸足を置くか。

アニメ作品として鑑賞する場合は、後者の方が正しいのだろう。
山田監督のリリカルで繊細な演出による再現を味わい、さらに踏み込んで、
物語が最後に到達する、"祈りを込めて語り継ぐ"という究極の境地に
監督自らが体験した悲劇を重ねあわせる深い理解のかたちを
他の方のレビューによって教えて頂いた。

おそらく監督は、この一大古典をめぐる目の眩むような経験の堆積を
まずは括弧に入れ、まっさらな気持ちでテキストに向かったことだろう。
だから今、テキスト派の急先鋒である自分もまた、敢えてこの名前を括弧に括り、
純粋にドラマツルギーの観点から、この創造の真価を問うていきたいと思う。


Ⅰ 序・物語の亡霊
{netabare}
本作の原典が豊かにはらむ、叙事詩的な物語の雄大なうねり。
自分は多分、それを無意識に追い求めてしまっているのだろう。
現代風なアレンジの妙味や作家性の観点での評価ができない。
つまり本稿は、アプローチの出発点を原典においている。

原典との対峙によって生み出されるべき、物語のダイナミズム。
そこを捉えることにしか興味が向かわない自分は、そのための作業として
印象を整理し、抽出したシェマティックな解読格子を用いて
全体のフェーズの転換を巨視的に把握しようと試みた。

自分は原作の側に立ち、このアニメにどんな創意が見出せるか、
それが古典を素体とした作品創造としてどれほどの域に達しているかを
吟味しようとするのだが、この評価の尺度自体が全くの主観に過ぎない。
そんな空想めいた我流の着眼を憚ることなく推し進めた本稿は
きわめて個人的な「幻想(妄想?)」であることを予めお断りしておきたい。
要するに、本人以外には意味不明だろう、ということです。

              *

古典とは歴史の亡霊である。
とりわけ伝承文学は、消えていった無数の声によって形づくられ、
物語の中の人物には焼印のようにその痕が刻まれている。

我々とは根本的に組成が異なる彼らの行為、彼らの運命を
つかさどるものはすでに、心情や一般的な法則ではなく、
物語をとおして表出される歴史の情念(パトス)なのである。
眼の眩むような時の堆積を引き受ける覚悟をもって
相当骨太に描かなければ、その存在感は引き出せないものなのだ。

「平家物語」という素体の特異な性質上、
史実と物語との関係やバランスは特に熟考されていなければならず、
(物語内部の人物と実在の人間が異質な存在である点も含めて)
「物語」のもつ強烈なオーラを流し込むための創造的な方法がないまま、
ただ普通に現代的な心情を持ち込んで、人間ドラマに仕立てるのであれば、
結果としてプロットだけが平家の、単なる史実寄りのドラマ化でしかなく、
中身はごく月並な人情劇になってしまうだろう。

古典とは本来、我々にとっては理解困難な異物のようなものであるはずで、
そこに現代との回路を開くものはただ創造的な飛躍あるのみ。
その意味で本作の、異形性、異界との親近性の設定は必須だったと言える。

びわ。平重盛。
呪われた眼をもつ少女と、呪われた一族の後継者。

重盛の死を転機に、この着想の潜在力は発揮され始める。
疑似父娘関係を解消し、怨霊をも見る眼を備え、平家物語の、
あるいはすべての「もの‐がたり」のデモーニッシュな闇を掬い取る
選ばれし語り手となっていく成り行きが是非観たいと思う。

単なる予知能力というよりは、破滅の運命を予言することにおいて、
彼女にはギリシャ悲劇で神託を伝える巫女の面影がある。
童形であるのは神性が女性的なものに勝っている暗示だろうか。
折々挿入される成長したびわの弾き語りも、まだ強い印象を残さないが、
彼女が今後、大化けしなければこの作品は不発に終わるとさえ自分は思っている。
{/netabare}

Ⅱ 夏椿と揚羽蝶―びわ
{netabare}
激しく琵琶をかき鳴らし、熱っぽく橋合戦の段を語るびわの
おそらく作中では初めて、真正面から捉えられた顔を見てハッとなった。
亡父の眼を受け継いだかのように、彼女の両眼は灰青色に濁り、
盲目の琵琶弾きとなった姿がはっきりと認められたのだ。

何時、どのような経緯でびわが失明したのか、まだ明かされていない。
この変容を今まで何となく見過ごして来たおのれの迂闊さに驚くとともに、
自分の主観はそこに、時代を超越した物語生成の秘密と、
一人の少女の人生とが複眼的に捉えられた、本作の核心部を見たのである。

この直観はまず、全編の幕開けを告げる冒頭の、あの映像への回帰を促した。

無心に虚空を舞う、アゲハ蝶。
合間に挿入されるカットは、例の「沙羅双樹」の花らしい。
要するに「平家」の有名な導入をもとに、映像によって無常観を表現した
ありふれた手法だと当初は受け流していたのだが、やはり気にはなっていた。

バグのように明滅する光の滲み。この効果は何を伝えようとしているのか?
何となく、誰かの視像のような気配があると感じてはいた。
そして、漸く確信できた。・・・凝視しているの多分、びわなのだ。
それも、失明する前に見た記憶の中の光景が、揺らぎを帯びながら
いま、立ち現れているかのようだ。・・・おそらくこれは、
彼女の内部に閉じられて消え残った「世界」の残像なのだろう、と。

・・・まぼろしのように咲く、沙羅双樹の花。
日本にあるのは本種ではなく、分類上は異種であるナツツバキなのだそうだ。
沙羅双樹よりも飾らない、この名の方がむしろ似つかわしい。というのも、
実はこの花、重盛の屋敷の庭前に咲いているさまが作中に描かれているのだ。
つまりこれは、仏教的無常観に基づいた大仰な文学的修辞をなぞったものではなく、
びわの記憶の中の花、一人の少女が過ごした懐かしい日々の思い出が重ねられた
現実の花として描かれているのである。

そして、はかなげに飛翔するアゲハ蝶について。
考察勢はとっくにネタにしているだろうが、遅れて自分も思い当たった。
平氏の家紋は「揚羽蝶」であり、従ってこのイメージの象徴性は明白なのである。
仮に、それを見つめている眼差しがびわのものであるとすれば、
すべてが終わった現在、ないしは無時間的な場所でまさぐられている、
哀惜と情愛のこもった心象ということになるだろう。

すなわちこの冒頭は、盲いたびわの心象世界を表現した
エンディングアニメーションと呼応しており、その要約と見なせるものだ。
流れる雲と波、海鳥、水底の泡沫など、海のイメージに置き代わっているが、
その中には夏椿の花もあって、象徴するものはアゲハ蝶と同じである。
それは、儚く滅び去った懐かしい人々にまつわる遠い日の光景、
心の中に果てしなく去来する、失われた「世界」の記憶だ。

エンディングに関してもう一つ、付け加えておきたいことがある。
彼女が灯火を吹き消すシーン、これを自分は以下のように解釈したい。

「Ⅰ」で言及した突飛な連想の繰り返しになるが、
ギリシャ悲劇「オイディプス王」の始まりと終わりを画す、
運命を予言する者(巫女)と、運命の果てに盲目となる者(オイディプス)、
この両者がびわの中に共存していることに気づき、自分は衝撃を受けた。

彼女に備わった禍々しい明視。失明はその呪われた力の帰結なのかも知れない。
もしそれが彼女自身の固有の運命であり、その成就であったとすれば、
彼女こそは滅びゆく者たちの真の同伴者だったと言えるのではないだろうか?
「平家」でも特に有名な、「見るべき程の事をば見つ」という台詞がある。
入水する知盛が最期に遺したこの言葉はそのまま、悲劇の観察者であった
びわの言葉にもなり得ただろう。自ら灯りを吹き消すエンディングの動作には、
運命の果てに彼女が到達した心境が表明されているように思われてならない。

真理を見た者はその代償に、世界から乖離し、孤立した存在になる。
だがその時、認識は表現へと転位し、「物語」がそこに出現するだろう。
芸術創造の秘儀をめぐる、ある普遍的な真実がここには潜んでいる。
本作がきわめて独創的な「平家物語」誕生譚ともなり得る契機が
ここに予示されたと考えるのは、妄想に過ぎないだろうか…。
{/netabare}

Ⅲ 落日の母性―徳子
{netabare}
びわ。―この機能性に富んだオリジナルキャラクターの創案が
本作の最大の独創であることは言うまでもない。
さらにびわと一対にするかたちで、清盛の娘にして安徳帝の母たる徳子を
本作の主人公として設定した着想もまた、特筆すべきではないだろうか?

勿論、彼女が主人公の要件を満たしているかには異論もあるだろう。
確かに、現代的な自我を感じさせる言動で、作中では例外的な存在だと言えるが、
そのポジションからして、主体性と能動性が示される機会がないために、
その言葉がどこか内実を伴わずに浮いてしまっているきらいがあった。
静的な形であっても、彼女個人の主体性をどのように描き、現出させるか、
そこが難題となっていたと思われる。


第八話に至り、ついに瞠目すべきシーンに出会った。
都が源氏の手に落ちようとしている状勢を嘆く弟の資盛に対し、
徳子はしずかに、決然として言い放つ、

「いいえ。帝がいらっしゃるところが都よ。」

たった一言。だが、これまでのモヤモヤを晴らすのに十分だった。
これまでも彼女の心の想いが吐露される機会はいくつかあり、
懐剣を手に清盛に反抗する激しいシーンなどもあった。が、
心底、揺さぶられたのはこのセリフが初めてだった。

未来の見通せない、大きな危機に直面する現状において、幼い帝の母という、
自らの置かれた現実を真っ直ぐに見据え、その中で発せられたこの言葉は
自らの当為への能動的なベクトルを孕んだ、揺るぎない信念と覚悟の表明に他ならない。

このセリフの感銘をさらに深める背景がある。
第七話で彼女は後白河院にこのように語っていた、

「望まぬ運命が不幸とは限りませぬ。
 望みすぎて不幸になった者たちを多く見てまいりました。
 得たものの代わりに何を失ったかもわからず、ずっと欲に振り回され…。
 わたくしは泥の中でも咲く花になりとうございます。」

「望まぬ運命が不幸とは限りませぬ」。
彼女はすでにこの時、自らの運命の主体となる望みを表明していた。
その願望が今や、現実のものとなったのである。
彼女が言った、「帝がいらっしゃるところが都よ。」という言葉はまさしく、
運命がもたらした自らの現実を、無条件に肯定する言葉なのである。すなわち、
「いま自分のいる場所が、自分が本当に生きるべき場所なのよ。」
このような意味合いがそこには込められているのだ。

他人に強いられた道であろうと、それを自らの道として受け容れ、
母であることを自らの運命として選び取り、彼女は自分自身になっていった。
つまりこの言葉に、徳子の人間像が最終的に定位していると感じられたのだ。
この時、彼女は真に本作の主人公になったのだと思う。

自分の見る限り、本作で自らの信念を生きる人物は清盛と徳子の二人である。
動と静の極端な違いはあるが、やはり彼女は清盛の娘なのだ。
清盛の死により父性の軛から解放され、自立が実現された時、
その内面の強さが表れ、輝きを増してゆくのは自然である。

そしてここに、物語のフェーズの巨視的な転換が認められるだろう。
父性的なフェーズの中に埋没していた「母性」の位相がせり上がる。
主人公となった徳子の母性が物語の軸を形成し、悲劇の核心となる。
父性の物語から母性の物語へと、作品の本質が顕現したのである。

我が子との平穏な生活だけを一途に願う徳子の心境が語られるにつれ、
作中に徐々に浸透してくる母性。それはまた、こじつけのようだが、
自らの道を歩み始めたびわの、母探しの旅にも及んでいるのかも知れない。
びわが抱く母への憧憬と、徳子が母として抱く憧憬、この二つの心情が遠く呼応しあう。
徳子がかつてびわに語った、世界の苦悩の源となる一切への「赦し」。
この言葉の思想的な深みはおそらく、母性の文脈でしか開示できないものだ。
すなわち、本作の最終的なテーマはこの線上に求められるのだろう。


この転換に同期して、作品内部にも変化が生じたように感じられた。
今回の第八話に至って、心情の新しい地平がひらかれたように思われるのだ。

絶対的な支柱であった「父」を喪うことにより、一門の者たちは不可避的に
「残された者」という共通の存在規定を一律に受け容れることになる。
その結果、それぞれが「喪失」と向き合い、覚悟であれ、逃避であれ、
自身の選択を迫られることにより、当てがわれた役回りを超えた「個」がそこに現れる。
維盛を筆頭に資盛、さらには宗盛に至るまで、人物に陰翳と深みが加わってくるようだ。
逸脱を承知で、これを実存的契機の発現と呼びたい衝動に駆られる。

中世のテキストに現代風の心理模様を導入するための方策として
敢えてドメスティックな関係性の中に限定した心理表出を用いることで、
いわば古典の中にホームドラマを組み込む形で、現代との折衷を試みている。
こんな推測を自分はしてみたのだが、この見方に即して言えばついに今回、
ホームドラマから本格的な群像劇へと、脱皮が遂げられたと言えるように思う。

それは終局に待つ"滅び"へと向かう、心のドラマの始まりである。
作品の表層を漂いつつ、しずかに高まる哀感は来るべき悲劇を準備する予兆のようだ。
{/netabare}

Ⅳ 物語の定位―びわと徳子
{netabare}
本作終盤の張り詰めた、悲壮な高揚感は見事というほかない。
第八話に引き続き、この第九話も実に感銘が深かった。
率直な感想が不得手で、ついまた理屈に走ってしまうのだが…。

「定位」という語を用いて説明してみたいと思う。
平たく言えばものの位置が定まることだが、
本来の orientation に引きつけた「方向づけ」の意味に
自己流のニュアンスを加え、作品解釈のツールとしているものだ。
その場合、方向を指し示すかたちで位置が確定すること、
さらに、作品内部の多様な運動が最終的に一つの方向に収斂し、
帰結点を示す段階に達したこと、といった事態を言い表している。

その意味で、第八話にははっきりと定位の瞬間が捉えられた。
「Ⅲ」に記述したとおり、徳子の主人公としての位置が明確に定まり、
結末に向かう道筋が示される。そこに開示される「母性」こそが
悲劇を超克する原理となることが予感されるのである。

「父性/母性」のシェーマは読解のために仮に抽出したものだが、
大筋としては、ドラマの深層部の力学的な発現を次のように捉えることができる。
序盤。清盛の強大な「家父性」に対比される重盛の「慈父性」、
これら対称的な二つの父性の対立と拮抗により、物語は膠着する。
中盤。重盛の死により、清盛の父性の暴虐が極まるが、清盛も死ぬ。
「父性」の完全な退場。そして、母性の物語へとフェーズの転換が生じ、
「Ⅲ」で言及したとおり、物語の焦点は徳子に絞られてゆく。

図式的な整理のようだが、内容の深化にも対応している。
徳子の姿勢が、受動的な在り方から能動的なそれへと変化するのは
父性の支配からの母性の脱却に即した、つまりは、
「清盛の娘」から「安徳帝の母」への、彼女の本質規定の転換であり、
この転換を軸に、物語の位相そのものが転回したと見ることができる。

そして、第九話。ここにまた、一つの定位が認められた。
前話が徳子による主題面での定位だったのに対し、
今回はびわを介しての、作品の構造面での定位が果されたと言えるだろう。

彼女はこう宣言する、

 平家の行く末を見届けようと思う。
 見届けて、祈りを込めて琵琶を弾く。
 そなたらのこと、必ずや語り継ごうぞ・・・

見届けて、祈りをこめ、語り継ぐこと。
この決意がびわのキャラクターを最終的に決定することは言うまでもない。
もともと彼女にはいくつもの機能が付託されており、
ストーリー展開における視聴者視点の導入という表層面に加え、
深層面でも上記の、重盛の「慈父性」を発現させる役割を担っている。

もっとも、ここに構造面での定位を捉えるのは、
原典に軸足を置いている自分ばかりの見方になるのかも知れない。
自分の目には本作が出発点から二重性を孕んでいるように見えていた。
中世と現代。古典のテキストと現代風ドラマ。乖離する危険を帯びた
この異なった二つの位相の調和ないし融合が本作には求められるはずで、
その処理法の一つが、折々挿入されるびわの弾き語りだったわけだ。

今話のびわの開眼はこの問題への根本的な解答となるものだ。
「語り継ぐ」者の誕生、それはすなわち「平家物語」誕生の瞬間であり、
「平家」のテキストが最終的にアニメ側のドラマに統合されたことを意味する。
それにより、物語の発生を語るドラマとして本作の定位が果たされ、
いわばオリジナルな「平家物語」創生譚としての本質が明らかになったのである。

「作者」としてのびわにその存在意義が収斂する時、
創造行為というものへのひそやかな眼差しがそこに垣間見えそうな気もする。
通常の現実観察の限定的、断片的な記録の域にとどまらずに、
全てを見る能力によって、語るべき物語は彼女の内部ですでに完成している。
自らが語るその物語の中には、かつての自分もまた息づいている。
この自己言及的な、再帰的な完結性こそは「見者」の呪われた宿命であり、
表現こそがその使命となる。・・・といった、芸術発生の秘儀をめぐる
「Ⅱ」の個人的妄想を想起して、少し感慨深かった。

祈り。語り継ぐこと。そして、赦し。
いずれも現実に対して直接作用しない、無力な営為に思われるだろう。
だが、決してそうではないのだ。それらはしずかに周囲に働きかけ、
眼に見えないかたちで世界を存続させている「魂の行為」なのである。
本作は、それらが究極的に二人の女性に具現されることにより、完結を迎える。
自分はここに、この「平家物語」の到達点を見出したように思う。

「父性」に対する超克の地平としての「母性」。それは
悲劇の彼方に、それと向かい合うための「救済」の力として要請されるものだ。
徳子の「赦し」は世界の苦悩の源となる一切に及び、それを包もうとする。
また、びわの「祈り」は、見るだけで何もできなかった自らの苦悩を
救済する道でもあったことに注意したい。ここに表れている心情は
現代の我々の感性にも訴えかけてくるものではないだろうか。
{/netabare}

Ⅴ ドラマツルギー覚書
{netabare}
最終二話についての所感はついにまとめ切れなかったが、
取り敢えず、頭の中に残った想念を覚書風に書きとめておく。

まず、作品全体から受ける印象として言えるのは、
感覚的な愉悦が主であり、精神的な充足感が意外に希薄であることだ。
勿論、一個人の感じ方だと言われればそれまでだが、自分はここに
ドラマツルギーの方向性に関する根本的な問題が認められるような気がする。

「ドラマツルギー(作劇法)」については、
参照したコトバンクの解説に、以下のような二つの傾向が指摘されていた。

 ① 一つは論理的な筋の展開を重んじ、知的、構築的、求心的である。
 ② 他方は音楽性や視覚性を採用して、感覚的、絵画的、遠心的である。

演劇とアニメの違いはあるが、本作が②のタイプに合致することは確実だろう。
卓越した美的センスと繊細な感性に裏打ちされた演出が最大の見どころとなる。
それだけに、原典にまつわる「滅びの美学」といった固定したイメージを
ただ美しく上書きするだけの作品に終わるのではないかという危惧もあった。

因みに自分はすでに削除したレビューの中でこんな難癖をつけている。

 今話は冒頭から冬椿の赤い落花が執拗に反復されていた。
 ポトリと花の落ちる様は斬首と死、その色には流される血や戦火、
 さらに平家の赤旗に絡めて、一門のたどる運命が暗示されているわけだ。
 「Ⅱ」で触れたナツツバキ-沙羅双樹の清浄な白との対比が鮮やかだ。

 ただ、こうした演出の効果が十分に発揮されているかはかなり疑問である。
 記号的な布置が有効に機能するためには、相関する心情と呼応し、
 共鳴が生じなければ、張り詰めた意味の磁場は形成されず、説明的な技巧に終わる。
 小手先とまで言ったのはちょっとひどかったが、あまり利いていない印象はある。

ふたたび上の解説に戻ると、次のように続く、

「どちらも作品としての統一性や全体性を意識し、リズムを考えるが、
 前者は戯曲そのものに示される知的内容の緊張と解放のリズムに、
 後者は演者が加わって始動する上演のリズムに重きを置く傾向がある。」

要するに、ストーリーと舞台効果の、いずれに主眼をおくかということだが、
言語の論理を介さず、感覚に直接訴えかける表現という具合に後者を拡張すれば、
本作の特徴を言い当てていると言えるだろう。反面、どこか緊張感に乏しく、
ストーリー展開がしばしば停滞し、弛緩する傾向もあったように思う。

さてそれでは、今ここに①のタイプ、即ち
「知的、構築的、求心的」なドラマへの志向が極端に強い人がいて、
本作を視聴しながらレビューを書こうとしていると仮定しよう。
おそらく彼は、自分の志向性に即して物語の構造を読み解きつつ、
あるべき展開を推論し、そこに有機的に連関したテーマを措定することだろう。
そして図らずもその実例となるのが、上の四編のレビューなのである。

・・・そう、それは私です!
もうお分かりだろう。もっともらしいことを述べているようだが、
意図するところは実は、自分がレビューした内容に関する釈明なのである。
本来②のタイプである作品の本質を見誤り、見当違いの解釈をしていたという訳だ。

「平家幻想記」と称する上の文章の「Ⅲ」と「Ⅳ」において、
徳子に具現される普遍的な「母性」による救済がテーマ的な収斂点になると考え、
最終話にその集約となる場面があるはずだと予想していたのだが、
原典どおりの「大原御幸」が淡々と描かれるばかりで、見事に空振りに終わってしまった。
とは言え、すべて的外れだったかというと必ずしもそうではない。
びわが内包する「表現者」の運命への直観にもとづいた「Ⅱ」の読解が
ほぼ正しかったことは、壇ノ浦のラストシーンで証明されたように思う。

徳子の場合もびわの場合も、推論のプロセスは同じである。
即ち、モチーフと設定が孕む潜在的な劇性を最大限に引き出すこと、ただそれだけだ。
それこそが理論以前のドラマツルギーの大前提であり、根源的な要請だとする
ナイーブな信念によって、自分のこれまでのレビューはすべて書かれている。
今回、一方が正解で、他方が無茶振りに終わった理由を考えると、
本作には最初から思想方面の志向がなかったという結論になるのではないか。

象徴的なのは、全編を締めくくるラストシーンである。
多くの人々の想いが縒り合わされて、一筋の祈りの糸となり、
「祇園精舎」の冒頭句が連禱のように唱和され、その声は響き交わし
すべてが祈りへと昇華されてゆく、息を呑むような荘厳さの中で物語が結ばれる。

テーマ的な収斂点であるはずの「祈り」はこのように、実に感覚的に表現される。
②の「音楽性や視覚性」の採用は最後まで徹底しているわけである。
その内容も徳子自身の来世と一門の冥福に向けられた限定的なものであり、
前に示唆された「赦し」の普遍的な抱擁性からも逸脱してしまっている。
テーマ面での不徹底さが逆に露呈している部分だと思う。

最後に、上で引用した一節はこう締めくくられている、

「どちらかといえば、西洋の演劇は前者の、
 東洋の演劇は後者の傾向が強いといえよう。」

「平家物語」を扱うのなら、西洋的な論理性よりも
東洋風の感性的アプローチこそが自然であり、最良であることに異論はない。
若い時分に外国の文学と格闘し、西洋式な見方がこびりついている自分は
やはり偏向しており、本作を十分に味わい得なかったことを率直に認めよう。
思想性云々はさておき、本作が比類なく美しいアニメであることに間違いはない。

以上を踏まえて本作を次のように総括したい。
確かに「山田尚子の平家物語」としては、一定の評価を得るだろう。だが、
自分が期待していたような、現代的な視角を導入して古典に生命を吹き込む、
我々のための真に新たな「物語」の創造には至らなかったようである。
{/netabare}


主観的なイメージを虚しく追い求め、結果的に座礁したこれらの雑文は
削除して然るべきものだが、考えようによっては一種の思考実験とも言えそうだ。
身贔屓のようでも、当面はこのままにしておきたいと思う。

タイトルの「幻想」の含意も変化している。以前は単に、
誘発された想念を好き勝手に書きつける、といった程度の意味合いだったが、
今は少し違う。これらの記述は、あるいは別の世界線に存在したかも知れない(笑)、
もう一つの「平家物語」をめぐる、ささやかな幻想の記録なのである。


(2022.2.3、初投稿。6.20、修正完了。)

投稿 : 2022/12/03
♥ : 29
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

平家と女性。花は枯れるが種を残す。諸行無常はまた新たな命につながる。

2回目を視聴しました。というか1話、2話、9話をじっくり見直しました。

 平家という集団の末端ではカブロが恐怖政治を担っていました。その犠牲者としてビワの父は死にました。が、平家の内部には個々の人間がそれぞれの生活をし、そこに喜怒哀楽もあれば家族もいました。

 OPの歌詞です。花は種から咲いて枯れて種を落とす。つまり人間はその時代を生きて子孫を残す。その営みにすぎません。
 白拍子とか女の部分ですね。祇王、仏御前、巴御前、ビワの母、そして静御前を描いていました。まさに平安の花ですよね。子孫を次代につなぐのは女の役割です。徳子も同じです。

 ただ、この中で次代に子供を残せたのはビワの母だけ、ですかね。ビワがどうなったのかはわかりませんが、子孫を残せなかった女たちを描いたところに意味があるのかないのか。静御前と徳子も子供は作りましたけど…

 また、平家の栄華は華ですね。これもまた枯れてしまいましたが、源氏へと時代が移り変わりましたが、確かにそこにはいた、ということでしょう。最終回が決まっていても…というのは、すべてに終わりがあるという意味なのか、あるいはメタ的に今リメイクする意味なんでしょうか。

 平家と女の華を重ねて、確かに次を産み出した。だけどいつかは枯れる。その無常だけでなく、歴史の中の役割を言いたかったのでしょうか。そして、女の役割は子供を作ることもありますが、子をなさなくても時代を作る役割もあるんだということでしょうか。

 ビワの名前、浅葱とは目の色の事だったんでしょうか。父が名前で呼ばない、つまり目の力を認めないということですね。

 ビワと言う存在はやはり平家の過去と未来、つまり重盛と徳子という平家物語の中心だった人物を象徴し、確かにそこに平家があって、平家の中にもいろんな人がいた。善悪だけではない人間の営みがあったと、未来に伝える役割だったんでしょう。
 義経、義仲をクローズアップしたのは、平家を倒した彼らもまた倒されます。

 今この時代に諸行無常…平家物語に触れる機会があったことが良かったと思います。諸行無常の言葉通り永遠はありませんが、人は営み時代がそこにあり、そして、いずれも次の担い手がいます。

 ポピュリズム=個人の権利や損得しか興味が無くなった時代に「次」を考えられたと思います。ちょっと「海賊王女」を見たくなりました。あれも女と時代をテーマにしていたとしか思えないのですがじっくり見ていないので。

 なお、山田尚子と高野文子の平家物語の本(2200円)を買おうかどうか迷いましたが、やっぱりやめます。本作は作品中の情報をメタ的に入れてクリエータサイドの思惑を知っても意味がない気がしたからです。今のところは。




1話  重盛か宗盛か…ヒューマンドラマか合戦か。楽しみです。

{netabare}  配信サイトの関係でいまさら1話です。平家物語というアニメーションを作るということ自体がまず素晴らしいです。幅広い選択肢がアニメには必要だと思いますので、数十本のうち1つくらいはこういう取り組みをお願いしたいところです。

 平家物語というのは歴史の分野では苦手なカテゴリなので、祇園精舎の鐘の声、壇之浦の合戦と那須与一、一ノ谷の逆落とし、あとは清盛、重盛、宗盛のつなぎとかしか覚えていません。厳島神社が関係ありましたね。

 むしろ手塚治虫の「火の鳥、乱世編」の印象の方が強いです。本作も傍観者としてあの少女を登場させたところなど「火の鳥、乱世編」との類似性は感じました。ただ、平家物語は重盛が途中退場して宗盛にバトンタッチしますので、傍観者を置かないと感情移入の視点が変わってしまいアニメにならないのでしょう。

 絵柄は芸術性をねらいすぎて作り込みが追い付いていない気もしますが、見ているうちに違和感がないし時代の雰囲気も感じられるので成功していると思います。

 さて、未来が見える設定や椿がボトリと首が落ちるように散ってゆく演出を語るまでもなく、平家物語は安徳天皇の入水となるわけですが、そこに至るまでのドラマですね。重盛中心か宗盛中心か。ヒューマンドラマなら重盛なんでしょうけど、宗盛の没落する様子が中心になるんでしょうか。盛り上がる一ノ谷と壇ノ浦は宗盛ですからね。
 ただ、本作の重盛の設定、扱いから言って合戦は最後の方にサラリとやる感じでも面白いかもしれませんね。

 このプロセスをあの琵琶の少女が語るのでしょうね。ということで800年の時を超えた一大物語です。楽しみです。{/netabare}

2話 うーん、このキャラデザが話を分からなくしている?

{netabare}  白拍子…祇王と仏御前…2話の最後のほうの出家後の話って説明なしに分かるものなんでしょうか?要するに祇王が出家した後に祇王寺と呼ばれる寺に、やはり清盛に捨てられた仏御前が来たという話です。
 祇王の母娘はまあ説明があったのでわかりますが、後から来たのが仏御前ってわかります?眉毛と下睫毛で書き分けてはいるんでしょうけど…どうなんでしょう?

 本作の前半でやった部分は、清盛に寵愛を受けていた祇王が飽きられて仏御前がその地位を奪うわけですが、その仏御前が元気がないので祇王に舞を舞ってくれ、という話です。ここはまあ理解できなくはないですが、そもそも祇王と仏御前が出会った場面で仏御前ってわかりました?

 しかも当時の白拍子というのはまあ遊女ですよね。若干それっぽいニュアンスの説明がありました。この仏御前は清盛の子を妊娠していて…と話が続くのですが、最後、琵琶が見ていた椿が2つポトリと落ちる場面の意味…うーん。これ、読み取れますか?

 それと祇王のやさしさもあまり表現しきれてませんでしたし…つまり、話がセリフで進行している感じです。そもそも清盛って間接的ですけど父親の仇らしいですね。(父は橘時長という人で、保元の乱で戦死だそうです)

 高倉天皇(憲仁)、後白河上皇、清盛、重盛の関係なども説明抜きで理解できるものなんでしょうか。それとも今後説明があるんでしょうかね。まあ、最後のクレジットのキャラをWIKIで調べるか平家物語を読んだほうが早そうですね。ただ、平家物語…長いんですよね。だからアニメに期待したんですけど本末転倒だなあ。

 話がゴチャゴチャして来るんでしょうか。キャラデザがアダになって人物の整理がつかない気がしてきました。徳子は一番わかりやすいし、後の建礼門院ですからね。実際に一番平家の行く末を見届ける女性なので彼女視点でもいい気がしますが…。

 平家物語の概要が理解できるようなエピソード外の回を入れるなり、人物名をテロップで入れるなり、進撃の巨人みたいに情報をCM前後に挟んでもいいし、声優さんの特番でもいいので何かやらないとまずい気がします。私も若干しか記憶にないのでいろいろ調べながら見ています。

 私の読解力の無さに加えて無教養なのでそう思うだけかもしれませんが、脱落組が結構でるんじゃないかなあ…と危惧します。{/netabare}

3話 女性…に注目でしょうか。2話と別モノかと思うくらい凄い回でした。

{netabare} 前回はキャラがごちゃごちゃしていてわかりづらかったですが、今回は人間関係も因果関係も良くわかりました。テンポが異常に早いですが、焦点が絞りたい部分があるのでしょう。

 2話の祇王の話はサイドエピソードですが監督の山田尚子さんも脚本の吉田玲子さんもキャラデザの高野文子さんも女性ですから、女の人生について入れたかったんでしょうね。第3話の徳子の扱いも含めて「女」の人生について表現したかったのかもしれません。インタビューは本作を見終わってから見るつもりなのでどうコメントされているのか知りませんが。

 子供が生まれないほうがいい…というセリフは多分アニメオリジナルだと思いますがあえてそのセリフを入れてきましたね。この先、この女性視点の部分は注目ポイントな気がします。

 それと2話は、清盛のおごりと非人間性が今回の話につながるという事だったのでしょう。今回の展開にうまくつながってきました。

 で、とにかくカット…展開が迫力がありました。光と陰の使い方もうまかったと思います。陰謀の場面、非常に良かったです。それと重盛の瞳の演技も良かったですね。

 第3話。徳子と重盛を中心に人物がよく描けていました。平家のそれぞれの人間のスタンス、平家に対する貴族の立ち位置や考え方が凝縮されていました。23分があっという間でした。 {/netabare}


4話 時間の経過が早いけど、少数の主要人物が理解できると面白い。

{netabare}  あっという間に時間が過ぎてゆきます。思ったより早い山場ですね。平家そのものの落日については主要なテーマではない感じ?いや、テーマではあるけれど、平家の構成員としてそれぞれのキャラのヒューマンドラマになってきました。そのヒューマンドラマを通じて諸行無常を描くのでしょう。

 そのヒューマンドラマですが、1、2話の展開でポカーンでしたが3話くらいから主要な登場人物が整理されて感情移入もできますので、非常に面白くなってきて、この4話…ターニングポイントですね。彼…といえば見た人はわかるでしょうが、彼の思いをどうくみ取るかでしょうね。

 それにしても琵琶って…育ってる?時の流れから浮いた存在ということ…なんでしょうか?いやちょっと大きくなってますかね?

 古典だし原作に忠実みたいですが、この辺りからは独自解釈…というよりドラマを楽しむ感じになるのでしょう。

 とにかく最後まで見ずにはいられない展開です。継続視聴はもちろんです。気が付いたのは、本作アニメとしての「平家物語」のストーリーを1回目に理解したら、2回目以降で人物や言動に注目するとより面白く見られそうな気がします。

 ですので、レビューについては2回目を見終わったら改めて書きたいですね。以降、気が付いたことがあれば書くかもしれませんが、総評は2回見終わった後にします。{/netabare}


6話 ちょっと言いたい事が分からなくなってきました。

{netabare}  次は見終わってからレビューする気でしたが、ちょっとオヤッ?と思ったので。

 重盛がいなくなって視点が定まらないですね。彼は合理的でかつ心の機微がわかる人格者として描かれていました。徳子と合わせて、現代にこれをやることの意義…登場人物の価値感を現代にアップデートして再評価するために平家物語をリメイクしたのかと思っていました。

 ですが5,6話…うーん…落ちぶれる平家の栄枯盛衰を見せられてもそれは従来の平家物語でしかありません。清盛はもう次回予告にある通りですので退場します。徳子がもう少し女…現代の価値観から妻と母を表現するかと思いましたが、一般的な権力闘争の犠牲者的な部分をちょっと表現していただけでしたね。
 となると琵琶ですよね。彼女が何を見るのか…今のところ傍観者…あるいは予言者(預言でなく)でしかありません。重盛の目を得たことで彼女が何を見るか、でしょうね。

 どうなんでしょう?アニメという人気媒体で面白い演出と脚本とちょっと芸術性のある絵柄で平家物語を紹介するだけ?に終わるのでしょうか。それはそれで試みとしては面白いでしょうけど…例えばベルサイユの薔薇みたいなアニメ史的なコンテンツになれるかと言えば厳しいですよね。あれはフィクションですけど、フランス革命のエッセンスを非常にうまくくみ取りながらもエンタメとして最高でした。

 平家物語は時間というフィルターを経て評価された名作ですから誰がリメイクしてもそこそこ面白くなるはずです。無常観、悲劇性はわかっていることです、そこを演出と作画とセリフで勝負するだけ?琵琶は単なる伏線…とも言えない悲劇の予感のためだけにいる?それとも誰のせいでもないとか、禅的な結論を語ってしまう?

 5,6話は話は面白いですが、深みという点でアレッ?という感じでした…と言ってしまうと1~6話で面白かったのは3、4話だけだなあ…正直言えば雰囲気倒れの気がしてきました。{/netabare}



8話 琵琶は何のためにいるのでしょうか?

{netabare}  7話は徳子と清盛がクローズアップされて、おや、ちょっと持ち直した?と思いましたが…8話がなあ…

 8話は特にそうでしたが琵琶が視点にすらなっていません。ここにきて客観の物語を見せられても、重盛と琵琶の関係に感情を置いていたせいなのか、圧縮版でわかりづらい平家物語を見せられているだけになっています。

 特に8話は演出と音楽が過剰でした。平家の静あるいは貴族的な雰囲気にに対する源氏の動、武士的なのかを表現したかったのかもしれませんが、いや凡庸すぎるでしょう。ストーリーを展開させるのに演出に逃げるのは良くなかったですね。

 というか特に義仲のキャラを過剰にしすぎていて演出しすぎで見苦しかったです。義仲を野性的を通り越して粗野で奇抜に見せて、キャラの説明をしたのかもしれませんが、武人としての迫力が全くありませんし。

 戦の場面をほぼカットしているのはヒューマンドラマを見せたいからかもしれませんが、ヒューマンドラマになっていません。平家という一族の落日の儚さ描けていません。

 祇王と仏御前をいまさら名前だけだしてみたり、琵琶の出自を仄めかしたり…この後すべてが繋がって何かがあるのでしょうか?{/netabare}


9話 なるほど祈りをびわに重ねましたか…

{netabare}  祈りって今は曖昧に使っていますが、もともとは平和とか他人の安寧のための願いですね。自分の願望を願う事ではありません。「祈るしかできない」とびわは言いました。祈りって重い言葉だと思うんです。特に源平の戦いは本当に悲惨で人の欲望丸出しですから。

 その祈りを諸行無常と重ねました…天皇の大きな役割が祈ることです。国家鎮護というと仏教用語ですのでちょっとズレるかもしれませんが、天皇が国家の安寧を祈ることを忘れたからビワが変わりに?ということはびわの血筋ってそういうこと?無情に散っていった平家の魂が浮かばれる的な鎮魂みたいな軽い意味ならがっかりですけど。

 祈りを見出したびわをどう扱うかが今後焦点になりそうですね。制作された時期的には昨今の世界情勢を考えて、ということではないと思いますが、今、必要なのは確かに祈りなのかもしれません。

 ところでクレジットの静御前、月、あかり、という3人があの白拍子たちでしょうか。静御前って義経の愛人じゃなかったでしたっけ?そうそう確か…静御前って母子のエピソードありましたね。徳子の描写と合わせると、女性側の諸行無常の表現もをしている感じでしょうか。ただ、今のところあまりうまく機能してない気がします。
 忙しい尺の中で、祇王や静御前なんかを省略しないで登場させた意味やびわの母が登場した意味を咀嚼しないとなんともいえませんけど。

 清経のシーンはエピソード的には良いですけど、ちょっと感情過多になっていないかは?ですね。びわの内面を表すにはいいシーンだとは思いますけど。

 それと敦盛ですね。織田信長の関係で調べたことがありますが、ちょっと違うというか省略した感じでしたね。意味合いがちょっと変わっちゃった気もしますが、私も史実に忠実である必要はないと思います。
 でも、だったらもっともっとオリジナルな山田尚子さんとしての平家物語を見せてもらいたかったなあ。

 ただ、8話でどうなっちゃうのか心配でしたけど、9話は持ち直しましたね。あと2話だそうですね。びわの祈りと徳子それと義経が描かれるんでしょうか。残りに期待しましょう。 {/netabare}


11話 徳子はなぜ生き残ったか…ビワはそういう役割でしたね。

{netabare} 平家物語そのもので感情が一番動く場面ですからね。ここで感動するのは当たり前ですが、10、11話はビワの使い方素晴らしかったと思います。途中2話、5~8話はかなり評価を下げていましたが遡って見れば意味があるかもしれません。

 なるほど…なぜビワが必要だったか。建礼門院、徳子だけがなぜ生き残ったか。その意味がビワの目だったと。平家を見届け祈れ、と。だからでしょうか。最後はビワの目が光を失っているように見えました。ビワは平家を見るために特別な目を持った。重盛からもその子供たちからも愛された…だから、平家を見届けた後は語るだけの存在になりました。髪が白くなるとは老婆になったのか、あるいは人としての存在ではなくなったのか…
 建礼門院もまた最後まで平家のために祈りました。ビワは徳子の別の形だったのかもしれません。そういえば重盛の目ももっていましたね。

 鎮魂…というと私はちょっと浅い気がしていましたが、なるほど…そうくるとちょっと話が違いますね。祈るとはつまり歌の中に平家の人々が語られることでした。平家物語は800年後にも残っています。つまり、ビワと共に過ごした人々はまだビワの歌の中に生きているということでしょう。これで諸行無常の意味に一つの視点の転換をあらわしました。

 考えてみれば平家は椿の花のように儚く散っては行きました。諸行無常の理の中で歴史から消えていったその悪役の平家が今現在なぜうたわれているか…それは悪役の平家も中に入れば様々な人々が懸命に生きていました。気が小さい人も芸術を愛した人もいました。平家ファミリー…という穏やかで幸せな感じの絵が出ていましたね。

 初めにビワの父が殺された意味がここで考えるべき問題になりますね。悪とは何ぞや…と。確かに平家の支配下でひどい死にかたをしましたが、平家もまた人として憎めない人々でした。うーん、言葉にするのは難しいですね。あとでいい考えがまとまったらまた書くかもしれません。

 平家を撃った義経…そして静御前が出てきたのも意味がありそうですね。義経は有名ですが、静御前と義経の子供のエピソードがあります。平家を滅ぼした義経。その先は…

 驕る平家に何かを仮託しているのかどうかもちょっと考えたいところです。

 全体としては徳子周り、重盛とその子供たちの話は全体としてよかったかったですね。もっとああすれば、とかあそこがなあ、という感想はありますが、結果的に11話が描けたので、良かったと思います。

 ちょっと見終えたばかりで支離滅裂ですね。総評はまた2回目を見た後にするかもしれません。古典のリメイクなので評価は低めにしていますが、ビワその他について発見があればあげる可能性があります。 {/netabare}

投稿 : 2022/12/03
♥ : 41
ネタバレ

剣道部 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

現代の琵琶法師

[文量→中盛り・内容→考察系。]

【総括】
誰もが名前くらいは聞いたことがある、「平家物語」を、優秀なスタッフがアニメ化。「歴史的に正しいのか?」という点はさておき、過去の話を、現代の感覚と技術できっちりとエンターテイメントに仕上げてるなという印象です。

すごく、「和」が象徴された作画や演出。ぜひ、ジビエートを見てがっかりした海外のアニメファンには、本作や「どろろ」を観て、記憶を上書きして欲しいです(笑)

《以下ネタバレ》

【視聴終了(レビュー)】
{netabare}
詳しくは余談に書いているのだが、私はどうにも古典へ愛を持てない。文学部なのに(笑)

でも、だからこそ、古典がどのように料理されても不愉快さはなく、むしろ、こういう誰もが知る物語を、監督独自の切り口で表現し直すというのを、面白く感じた。

特に、主人公の「びわ」の立ち位置は絶妙だ。我々と同じように、「物語の終幕」を知っている存在でありながら、我々とは違い、「物語の中にいる」少女。
 
彼女は殊更に歴史を動かそうとはしない。ただ、「静かなる覚悟」を持ち、滅びゆく「自分にとっての良き人」と共に歩む。

彼女が平家の人と過ごしたのは偶然からだが、そこで培われた「縁」には嘘はなくて。いつか滅びると分かっていても、だからと言って、今を諦める選択肢はなくて。

「バカの壁」で知られる、養老孟司さんは、娘に「部屋を片付けろ」と言ったら、「どうせいつか必ず散らかるんだから意味ない」と口応えされた。それに対して、「つまり、人間はいつか必ず死ぬんだから、今、生きていることに意味ないということなんだな。だったら今すぐ死ね」と言い放ったという(笑)

まあ、父親として正しいかは別にして、理屈としては正しい部分もあると思う。

つまりは、「無常観」。仏教の、そして平家物語の大テーマである。

どんなものにも終わりがある。だからこそ、その一瞬一瞬に価値があり、美しい。

桜をはじめとした、日本人の独特の美意識。山田監督が描いたのは、平家物語の表のストーリーじゃなく、その裏に流れる「哲学」なんだと思う。

その一瞬を精一杯生きるなかで、彼女は「歌い継ぐ」という自分の生き方を発見する。

私は仏教徒じゃないのでニワカ知識だが、「無常観」は決して、「無常」を是とはしていないと思う。あくまで理想は、仏や涅槃の「常住」である。「永遠」を求めつつも、そこにたどり着けない、たどり着こうと必死こいて頑張る大多数の人間に対して、優しい諦めをもって「価値」を、「美」を見出だしたのが、「無常観」だと、私自身は解釈している。

ビワの「歌」によって、「春の夜の夢」のようだった平家の人々も、通常の人の生では考えられないほど、「長生き」をする。しかし、1000年続いた平家物語ですら、「無常」であるのだから、いつかは語り継がれなくなるのだろう。誰かがリレー形式で語り継がなければ。

古典に無知な私ですら分かるような有名な話、人物は結構、脚色されたり、省略されたりしている。でも、それで良いんだよね、「物語」だから。

原作の平家物語ですら、そもそも史実とは大分違い、それは、当時の世の中の雰囲気を見ながら、多くの人が楽しめるようにエンターテイメントにした結果であり、だから今、改めて時代に合うように再度語り直すことに、私自身は好意的だ。このアニメを観て、平家物語に興味を持ち、原作やその他の古典(の現代語訳バージョンで良いから)を読んでくれる小中学生がいたら、それだけで、平家物語の寿命が伸びる。

だから、「時代劇」や「大河ドラマ」のように、しっかりエンターテイメント性を作り出した、でも、原作から外れすぎてはいない、制作陣のバランス感覚の良さは、称賛されるべきだと思う。素敵な物語をありがとうと言いたい。
{/netabare}

【余談~文学部の剣道部が、古典から逃げて近代文学ばかり読んでいた理由~】
{netabare}
私の専門は、芥川龍之介や志賀直哉、川端康成、横光利一など、近代(明治~昭和20年代)の短編小説です。純文学を中心に、雑多な読書をしていましたが、中学~大学生の間は年間300冊以上は本を読んでいたと思います(社会人になってからは、年間10冊読めば良い方ですw)。

大批判を覚悟して言いますが、「古典って、実はレベル低くね?」と思っています(飲み会でこれ言って、よく古典専攻の奴と口喧嘩になったな~w)。

去年、ロッテの佐々木くんの投球内容を多くの「大御所」の人が批判していたとき、ダルビッシュさんが「今、批判している人のうち何人が、18歳の時に160キロ投げられたのだろう。練習メニューも、投球フォームもどんどん進化しています。佐々木君、気にしないで」みたいなことを呟いていました。そして、今のこの活躍。令和の怪物は、昭和の漢とは相容れないのかもしれません。

あと、なんの番組だったか忘れたけど、90歳くらいのお婆ちゃんにインタビューして、「昔は良かったですか?」と聞いたら、「今が一番良いに決まってるじゃろ。人が死なん。」みたいに即答していて、めっちゃ格好良いと思いました。

奈良時代や平安時代など、識字率も低く、触れられる文学や芸術も限られていた時代。間違いなく文学は一部上流階級のモノでした。底辺が少なければ、上が伸びきらないのは道理。

古典の授業を受けていていつも思うのが、「皆、実は大したこと言ってなくね?」ということ。だって、「枕草子(清少納言)」なんて、冷静に読めば、「小学生の絵日記レベルじゃね?」と思っちゃうんです。

勿論、その当時の人達の中では最高レベルの知性や感性であったのでしょうが、現代の高度な教育に触れている人々と比べると、それよりも凄いとはどうしても思えません。

これは、「うさぎ跳び100周。投げ込み300球。水は飲むな、体力が落ちる」なんてことが当たり前だった時代のピッチャーが、現代のプロ野球で投げても、(例外中の例外を除いては)ほぼ通用しないだろうという理屈に似ています(勿論、バッターも)。

それを、学者の先生方は色々な理由をつけて、無理に誉めているだけなんじゃないかと思ってしまったんですよね、学生時代。

勿論、古典文学の全てを否定しているわけではなくて。「レジェンド」としての価値は認めているし、尊敬の念もあるんです。

レビューにも書きましたが、今から1000年以上前の人が、1000年以上前に書いたということを含めて楽しむ分には良いと思うし、当時を知れる資料的な価値もあるし、過去があるから現在があって、それを否定したいわけじゃないんです。

ただね、たまにいる「昔の人は今の人よりも凄い」ってことを盲目的に言ってくる人に反感を抱いてしまうだけです(文学に限らず。まあ、逆に今の方が凄い、最先端の方が価値があると盲目的に言ってくるバカも嫌いですが)。

単純に横並びにしたら、清少納言より紫式部より令和の小説家の方が文章力あると思っているだけです。

その上で、なぜ私が(現代小説も大好きですが)「現代」より「近代」がより好きかというと、

①文学に対する命のかけ方の違い。書けないなら死ぬみたいな魂の込め方は、色々な楽しみや繋がりを持つ現代人にはちょっと難しい。

②近代の特殊な状況。古典では上流階級のモノだった文学が、ちょうど一般市民のものになってきたのが、近代。これが平成になると、少し大衆的になりすぎている部分もあり、純文学というジャンルの最盛期は、やはり近代なのかな~と。

③文学と商売の関係。近代文学のスタートは、同人誌など商売と切り離されている部分が多いが、現代ではほとんどが出版社を通す、つまり、「売れる」作品が作られ、すんごい尖った作品は生まれにくくなっている。

あたりが大きいです。ただ、③に関しては、「令和」は期待していて、インターネットで好きに作品を発表できるのは、近代の状況に似ているどころか、当時以上に名作が生まれる可能性もあるのかなと思っています(底辺が広すぎ、埋もれてしまう怖さもありますが)。

多分これは、歌や絵なんかでも同様ですよね。「まふまふ」さんとか、「ado」さんみたいな、そんじょそこらのプロなんか吹き飛ばせる「素人」(今はもう違うけど、出始めた当時で言うとね)が、文学界でもバンバン出てきてほしいなと、凄く未来に期待しているわけですよ。

ということで、ここまで書いてきたのは、「だから剣道部は文学部のくせに平家物語も読んでないし古典全般に無知なんだ」という、超長い言い訳です(笑)
{/netabare}




【各話感想(自分用メモ)】
{netabare}
1話目 ☆4
高クオリティだな。平家物語、原作全部を読んでいるわけじゃないが、かなりイジっていることは分かる。

2話目 ☆4
明るい未来も、あるはある。かなりスローな展開。賛否はありそう。

3話目 ☆


4話目 ☆4
後半の願いだけ叶えられたか。メッセージがどうとかでなく、雰囲気を味わうアニメだな。

5話目 ☆


6話目 ☆


7話目 ☆


8話目 ☆


9話目 ☆


10話目 ☆


11話目 ☆


12話目 ☆

{/netabare}

投稿 : 2022/12/03
♥ : 39

61.5 2 日本史アニメランキング2位
ノブナガ先生の幼な妻(TVアニメ動画)

2019年春アニメ
★★★☆☆ 3.0 (165)
614人が棚に入れました
「ある日突然、自分のことを大好きな女の子が現れる」そんなギャルゲー展開を夢見続けていた教師・信永。彼の元に現れたのは、自分の妻を自称する14歳の少女・帰蝶。戦国時代からやってきたらしい彼女は、信永=織田信長と勘違いし、子づくりを迫るが…!?

声優・キャラクター
酒井広大、上原あかり、小澤亜李、結崎このみ、田中茉理花、豊田萌絵、木下鈴奈

Ka-ZZ(★) さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

「ある日突然、自分のことを大好きな女の子が現れる」そんなギャルゲー展開を夢見続けていた教師・信永の物語…

この作品の原作は未読です。
ノブナガという単語に引き寄せられたのか…は定かではありませんが、ショート作品であるにも関わらずリアルタイムで1話を視聴して…オープニング曲にハマってしまい視聴が確定した作品でした。
1話ではエンディングでオープニング曲が使用されたんですけどね…

オープニング曲は、Pyxisによる「恋せよみんな、ハイ!」
Pyxisは、豊田萌絵さんと伊藤美来さんによる声優ユニットです。
作詞は畑亜貴さん…言わずと知れた屈指の作詞家です。
作曲は、Tom-H@ckさん…「OxT」および「MYTH & ROID」にてアーティスト活動を展開されている方です。
いやぁ、才能を持った人間が集まると凄い曲が生まれるんですね。

加えて本作品はオープニングアニメも秀逸…
ショート作品なので、オープニングやエンディングはあっという間に終わってしまいます。
ですが、私の心を射抜くには十分過ぎる時間でした。

今回色々持っていかれたのがオープニングのサビ…
「♪くるりん、くるりん、くるりん、ぱー♪」の歌詞に合わせて帰蝶が顔の横で手をパーの形にするのですが、一見気怠そうに見える仕草も、実はジト目のせいで帰蝶の可愛い成分がテンコ盛りなんです。
毎回2度はオープニングアニメを見ていたと思います。
しかも、帰蝶の一連の仕草が脳に焼き付いて離れないので、通勤中のアニソンもヘビロテで聞く始末…
久々に電波系アニソンにハマった気がします。

一方、物語の方ですがタイトルの「ノブナガ」が示す通り、織田信長の末裔が主人公の作品です。


彼の元に現れたのは、自分の妻を自称する14歳の少女・帰蝶。
戦国時代からやってきたらしい彼女は、信永=信長と勘違いし、子づくりを迫るが…!?
ギャルゲ脳な教師と戦国脳な姫が巻き起こす年の差ラブコメ!!


公式HPのINTRODUCTIONを引用させて頂きました。

信永が先祖所縁の品に触れたら、空中から謎の少女が出現するパターン…
そしてそれは14歳の帰蝶だった…ということです。
戦国時代なら14歳でお輿入れするのは珍しいケースではありません。
ですが、今は戦国時代ではありませんし、信永はの28歳という年齢を考えると立派な犯罪です。

完走後にwikiをチラ見したら、信永は自分のハーレムを作りたいという願望の持ち主だと記載されていました。
信永にとっては良かったのではないでしょうか…そんな途方もない願望が現実になったのですから…

信永に悪気が無かったのが唯一の救いなのですが、まぁ、回を重ねるごとにお約束のように信長の取り巻きがどんどん増えていくんです。
しかもみんな美人で、中には抜群のスタイルを合わせ持った女性も混ざっていたり…
しかも、本来であれば信長にの歴史に深く関わった人が、何故血が繋がっているという理由だけで信永の周りが固まっていくのか…全然分からないんですけどっ…
現代の…しかも中学の教師がハーレムとか、けしからんにも程がありますよっ…

語尾が荒くなってしまいましたが、半分以上は信永への嫉妬心でしょうね^^;
今回の一件で信永は相当美味しい思いをしているのだけは間違いありませんからね。

でも物語が終盤に差し掛かると展開に変化が生じます。
自分本位じゃない発想と言動には救われた気がしました。
信永がけしからんこと自体は変わりないですけどね…

慌てふためく信永を巡る一連の騒動…
ラストを締めてくれたのは、やっぱり帰蝶でしたね。
流石正室…いや、この展開を踏まえると「正室候補」でしょうか。
結果的にはハラワタの煮えくり返る展開が待っていることになるのですが、帰蝶の一本通った芯の強さと、人を慕う気持ちが見れたのは良かったと思います。

ショート作品なので「迷ったら見る」というスタイルで臨んで間違いない作品だと思います。
気になる方は是非本編でご確認頂ければと思います。

オープニングテーマは先述した通り…
エンディングテーマは、立花理香さんの「Returner Butterfly」
オープニングがアニソンBEST10のどこまで食い込むか…今から楽しみです。

1クール全12話の物語でした。
立つ鳥跡を濁さず…と言いますが、この作品…思いっきり濁して終わりましたね。
いえ、これは終わりというのでしょうか…?
ラストで帰蝶が「皆さまのお力があれば、またお目にかかれると思います」と言っていましたが、その言葉を鵜呑みにしながら続編情報を待ちたいと思います。
しっかり堪能させて頂きました!

投稿 : 2022/12/03
♥ : 12
ネタバレ

kakelu さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

タイトルなし

1話の感想 ★★★ 3.0
タイムスリップ
{netabare}
ビックリするぐらいのB級アニメだな。
声優も絵も同人レベルだ。
ショートアニメだから見れるって感じか。
しかし、股間を隠すの自分の顔って……
せめて光にしようや{/netabare}

2話の感想 ★★★ 3.0
誘惑の極意
{netabare}
ちょいとエロかった。
だが、まだまだ!!
面白さは期待しちゃいかんな。{/netabare}

3話の感想 ★★★ 3.0
学校へ
{netabare}
ただのエロアニメと化したな。
こんな有り得ん。
意味がわからんわ。{/netabare}

4話の感想 ★★★ 3.0
岐阜城へ
{netabare}
初手アウト!!
あれはR18。
でも、岐阜城はリアルだった。
確かにあんなんだった記憶があるわ。{/netabare}

5話の感想 ★★★ 3.0
2人目
{netabare}
さすがに側室の子は分からんな。
斎藤道三の娘の帰蝶は有名だからってたけど。{/netabare}

6話の感想 ★★★ 3.0
信長先生の力
{netabare}
織田信長の縁のものを触れば、出てくるとかやば!
その力、ほし〜{/netabare}

7話の感想 ★★★ 3.0
力の真価
{netabare}
骨董品に限らず人でもなのか!?
なんてうらやまけしからん!!
{/netabare}

8話の感想 ★★★ 3.0
サシ飲み
{netabare}
エロ過ぎ!アウトー!!
乳首もリアルだし、これは18禁ですわ。
うむ、えちちだ{/netabare}

9話の感想 ★★★ 3.0
きっかけ
{netabare}
後半はまぁまぁなのに、前半が……
意味わからん過ぎるだろw
逆に笑ったわ。{/netabare}

10話の感想 ★★★ 3.0

{netabare}
あの体つきは絶対に男じゃねぇ。
今回もエロすぎる。
r18でもおかしくない。{/netabare}

投稿 : 2022/12/03
♥ : 9

kororin さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.2

双葉社コミックのアニメ「ふたばにめ」三発目。

2019.07.04

【超・簡易感想】
悪名高き「スタジオ・セブン」が咬んでいるので全然期待していません。ええ、全然期待してませんがエロそうなので観てみました。(笑)

織田信長の末裔、社会科教諭・織田信永が信長ゆかりの品々を触る事で次々とタイムスリップやら、転生や、憑依で現れる信長の正室(本妻)・小姓・側室たち。常日頃ハーレムを夢見るも現実に目の当たりにすると現代社会倫理にブレーキがかかり、なんとも煮え切らないグダグダ展開に・・・

原作コミックは未読ですが「読む」と、それなりに面白いかもしれません。
しかし、アニメ(表現)は・・・・酷かった~~~。(笑)
予想以上に「頭の悪い」仕上がりでした。
下手な原画マンとダサい演出家しかいない「今のスタジオ・セブン」に面白く出来るわけがありません。
さらに「頭の悪いストーリー構成」「頭の悪いキャラ」ばかりで、なんか辟易(ウンザリ)しました。(笑)
(特に主人公・信永。朴念仁の上に、察しも悪い。マニュアル講義しか出来ないみたいなので、戦国生活事情なんて、てんで気づかないボンクラぶり。さらに突飛に情緒不安定な行動をする始末に嫌悪感がします。)

エロシーンは恒例の有料放送以外は、ワケのわからない「お茶濁し小劇場」。全裸はもう発光する、発光する。もうなにがなにやら(笑)





「スタジオ・セブン」は無理して一般アニメ制作して『駄作』ばかり出すより成人OVAに絞ればいいのに・・・

投稿 : 2022/12/03
♥ : 7

54.6 3 日本史アニメランキング3位
殿といっしょ(TVアニメ動画)

2010年夏アニメ
★★★★☆ 3.2 (33)
205人が棚に入れました
『殿といっしょ』(とのといっしょ)は、大羽快による日本の4コマ漫画作品。ヘンテコ眼帯発明マニアの伊達政宗、放火マニアの織田信長などこれまでの戦国武将観を覆すキャラクターたちによる痛快ストーリーが展開。

声優・キャラクター
鈴木達央、小野大輔、杉田智和、能登麻美子、長嶝高士、立花慎之介、平川大輔、小林ゆう、伊藤あすか、黒田崇矢、GACKT

Ssoul30 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

伊達政宗の眼帯へのこだわりがすごすぎる。

ストーリー

この作品は日本の戦国時代を舞台にしたコメディー作品です。三英傑や武田信玄などの誰もが知る有名武将から、鳥居強右衛門のように一般的にはあまり知られていない武将まで数多くの戦国武将や大名が登場します。

私の感想。

主人公は殿ですww ってか、戦国時代の殿があんなにアホばかりでいいのかww けれど、私はその事実に超笑いました。

私がこの作品で一番気に入ったキャラクターは伊達政宗です。なぜあれほど眼帯にこだわっているんだか・・ おかしいでしょう。 まあ、私はそこが超気に入っています。

この作品は一話一話が一分弱ですごく気楽に見れます。私はこういう短くて気楽に見れる作品を好きですが、少し短か過ぎたと思います。私的にはもう、一分長くしてほしかったです。まあ、おもしろいので、許せますがww

Ssoulのワンポイントピックアップ!!
「このコーナーではこの作品のおもしろい所、注目してほしい所などをピックアップし、説明したいという事です。」

この作品のキャラクターのキャラクターデザインはかなりその時代にあっていませんので、笑えます。そして、なんと言いますか・・ この作品に新たなキャラクターが出るたびに教科書に載っているようなキャラクターが出てきますが、いきなりオリジナルキャラクターになります。 まあ、私はそっちのほうが好きですがww

オープニング

「いつでもココロに眼帯を」
つっこみさせてください。

「なぜ眼帯?」

オープニングはもう、眼帯の事でいっぱいです。眼帯は・・ まあかっこいいですが、なぜ眼帯? 意味が分かりません。

このオープニングは結構短いです。本編が一分なので、このくらいでしょう。そして、キャラクターネタバレが結構多いです。まあ、本編が一分なので、 一分なので、 いいのです。

投稿 : 2022/12/03
♥ : 16

こたろう さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4

出オチが全てのショート集

戦国武将ネタのギャグをかます漫画原作。
ネタ1本が1分程度になっているショートアニメです。

戦国武将にちょっと変わったキャラ付けをしてボケ倒させる。突っ込みは周りの人たちがやります。
アニメーションとしては、動かないです。

キャラの奇抜さと声優さんの演技次第。
1分という短時間勝負なので、ボケのキョーレツさが全てですが、そういう意味ではなかなかハマっていたと思います。
ただ、一発勝負なのでキャラの面白さでスベると、たぶん最後までスベり続けることになります。
実際、私個人で、面白いと思えたネタは1つだけでした。
あとは正直なところ、かなりサムかったです。・・・・スレてるんでしょうかね?^^

パロディ的な定番の滑稽さを楽しむギャグ。
たった1分なので、ギャグも一撃離脱方式です。
わざわざ探してまでみる程のものでもありませんが、全部をあわせても30分程度のOVAですから、息抜きにチョコっと観る分には、ちょうどいいヌるさ。
御覧になる機会でもあれば、息抜きにでもドーゾ。

何故か、GACKTが出演してます。

投稿 : 2022/12/03
♥ : 16

文葉 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

眼帯だよ・・・眼帯・・・!!

2-3年前にアニマックスの番組表に
おそろしい文字が書いてあった。

「殿といっしょ~眼帯の野望~」

このおそろしい題名に心惹かれて早速見たら
わたしにはとても早すぎる内容だった。

私は日本史より世界史の方が好きで、
申し訳ないが、
戦国武将などあまり良くわからない。

戦国BASARAが好きな友達に「殿といっしょ」を勧めたところ・・
とてもとてもお気に召して
アニメはすべて録画し、
原作本をちゃっかり大人買いしていった・・恐ろしい子!

しかもED丸暗記しだして、
「眼眼!眼眼!眼眼! 数えようぜ☆」
「はいっ、がんたーい!!」
と突然歌い始める始末・・
よほど滑舌よくないと歌えない難易度高い曲だよ・・
私はとんでもないものを勧めたのかもしれない。
おそろしい・・どんだけ戦国武将フェチなんだ・・。

まぁ、内容的に説明すると・・
伊達政宗のヘルメットについている
おっきなブーメランを投げ飛ばしたり
眼帯のための眼帯を愛でるためのアニメ&漫画だと思う。
わりとおもしろかった。

投稿 : 2022/12/03
♥ : 12

58.7 4 日本史アニメランキング4位
ねこねこ日本史(TVアニメ動画)

2016年春アニメ
★★★★☆ 3.3 (19)
73人が棚に入れました
もしも、あの偉人が猫だったら…という斬新な発想から紡がれる歴史コメディー。不思議な呪術で国を治めたという卑弥呼は“ねこじゃらし”を使っていたり、魏の国に使いを送ろうとしたら部下の猫たちが水を嫌って船に乗ろうとしなかったり、贈り物のキャットフードを我慢できずに食べてしまったり。

 織田信長は、壮麗な安土城の屋根の上でひなたぼっこをするのが大好き。猫なのに大きな猿(豊臣秀吉)を連れている。坂本龍馬は、異国の猫、ペリー(アメリカンショートヘアー)の乗ってきた黒船に衝撃を受け、勝海舟のもとへ。地球儀を見せられ、くるくる回る楽しさに目を奪われて、勝に弟子入りすることになる。

 ほかにも歴史上の人物が猫になって登場。自由気ままな猫たちにクスッと笑えてほっこりさせられる、ゆる~く歴史も学べるかもしれない、子どもも大人も楽しめる作品。

声優・キャラクター
山寺宏一、小林ゆう
ネタバレ

〇ojima さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

猫ピッチャーのファンです。

猫ピッチャーのファンです。
それだけしか知識がないのですが、非常に期待しています!!!
一体どんな話なのかな?

一話 卑弥呼 {netabare}・・・第2話に期待します。。 {/netabare}

投稿 : 2022/12/03
♥ : 3

計測不能 5 日本史アニメランキング5位
ねこねこ日本史 第2シリーズ(TVアニメ動画)

2017年春アニメ
★★★★☆ 3.4 (7)
27人が棚に入れました
謙信が!篤姫が!新選組が猫だって!?
ねこ達のもう一つの日本史がゆる~く展開!

「ねこねこ日本史」第2期が放送決定!
日本の歴史上に存在する様々な偉大な猫たちが今期も大活躍。相変わらずみんな思うがままに色々とやってみるのだが、やはりそこは気分屋の猫たち。すぐに飽きたり、爪を研いだり、寝てしまったり。水も大きな音も怖いけど、夢中になったときのエネルギーだけはすごいのである。今期はどんな日本の歴史が作られて行くのか!?
第1期の猫たちもまた登場するかもしれないのでお楽しみに!

声優・キャラクター
山寺宏一、小林ゆう、浜添伸也、三谷翔子、真木駿一、佐々木義人、大森日雅、太田悠介

pikotan さんの感想・評価

★★★★☆ 3.3

ゆる~い

日本史で登場する有名人物が擬猫化された本作は、終始ゆるい展開が続く「ほのぼの癒し系アニメ」で、大きな笑いは無いですが、くすくす笑う感じのギャグが心地良いです。

とりあえずキャラが猫なので(猿もいますが)可愛いです。

あと声優の小林ゆうさんが良い仕事しています。

投稿 : 2022/12/03
♥ : 1
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