目からビームTVアニメ動画ランキング 2

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ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年05月10日の時点で一番の目からビームTVアニメ動画は何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

68.9 1 目からビームアニメランキング1位
バビロン(TVアニメ動画)

2019年秋アニメ
★★★★☆ 3.3 (366)
1120人が棚に入れました
「その啓示は、静かにそっと訪れる―」東京地検特捜部検事・正崎善は、製薬会社の不正事件を追ううちに、一枚の奇妙な書面を発見する。そこに残されていたのは、毛や皮膚のまじった異様な血痕と、紙一面を埋め尽くすアルファベットの『F』の文字。捜査線上に浮かんだ参考人のもとを訪ねる正崎だが、そこには信じがたい光景が広がっていた。時を同じくして、東京都西部には『新域』と呼ばれる新たな独立自治体が誕生しようとしていた。正崎が事件の謎を追い求めるうちに、次第に巨大な陰謀が見え始め――?

声優・キャラクター
中村悠一、櫻井孝宏、小野賢章、M・A・O、堀内賢雄、興津和幸、宝亀克寿、置鮎龍太郎
ネタバレ

ossan_2014 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.1

萌えと怪事件

【2020/03/12 末尾に追記】


怪事件を巡り、架空の政治的特別区で、生と死や、正義と悪を揺るがす政治的/法的闘争が開始される。

といった展開を予期させる冒頭の数話だが、「重そうな」要素は、サスペンスの設定のために効果的にそう見せかけるための装置に見えるので、あまり本質的ではない「哲学」への拒絶感で視聴を遠ざけるのは筋が違う気がする。

政治特区や検察特捜部などの「道具立て」がリアリズム的な効果を期待されながら、現実の「特区」は首相や有力閣僚のお友達に利権を分配する装置になっているとか、現実のアメリカ大統領は知性や熟慮とは100パーセント無縁の人物であるといった、作中のリアリズムが「現実」に減殺されてしまうような事態は、本作のせいではないので少しばかり気の毒だ。
が、必ずしも作中の「フィクション」性と「現実」が分離しきれていないところが、同情だけしてはいられない視聴感をもたらす。(後述)


なぜ人を殺してはいけないのか、という難問が中二病的な空想の産物に過ぎないように、なぜ自殺はいけないのか、という問いも、現代の視聴者が感じるほどの「深さ」はない。

文明との接触が限定的な狩猟採集の伝統社会においては、嬰児殺し=子殺しが広く観察されていることはよく知られた事実だ。
が、入手可能な食料の総量と人口とのバランス調整の手段は、「子供を減らす」に限ったことではなく、「高齢者の自殺」という形でも行われている。
そうした社会では、老人が自主的に自殺していく、あるいは老人の自殺の幇助は、自然な決断や称賛されるべき名誉ある行為とされているらしい。

伝統社会で観察されるという事は、人類史において、広範な範囲にわたって「名誉ある自殺」(と幇助)が存在していたことが推察できる。
日本の「姥捨て山」のお話にしても、老母を「殺す」というよりも、老人の「自殺の幇助」という習慣であるとも見ることが可能だ。

状況によって評価が変わる行為が「深く」見えるのは、問い自体の「深さ」というよりも、語りの「レトリック」の問題だろう。
相対的に「評価」される行為を、絶対的な「善悪」の価値と結びつける「レトリック」は、もう一方では「絶対的」な価値を「相対的」に引きずり落とすレトリックでもある。



{netabare}世界には、「正義」も「悪」もない。すべては相対的なのだ。
とは、中学二年生が言いそうなセリフだが、いい年した大人でも、どうかすると口走る。

中二であれば、人生でこうした考えに一度は向き合うことも大切だと思えるが、大人で口にする者が、得てしてブラック経営するIT成金だったりするところに、どっちもどっち論の幼さや無根拠性が表れている。


たとえば、虹の7色と言われるが、実際の虹はスペクトルであって、境目のないアナログな連続体であることはよく知られている。

ためしに赤色から橙色へ変化を追うとき、境目を見出すことはできない。
特定の波長を設定して、それより長いものは「赤」、短いものは「橙」と「定義」することはできるし、そうされてもいるが、それは光や色について取り扱う利便のために設定された「方便」であって、境界線のすぐ両側の「色」を見比べても違いを指摘することは困難だ。

「設定」は恣意的なものであり、「赤」と「橙」を区別する絶対的な境界線はない。
が、だからと言って、「赤と橙には違いは無い」、さらには「色の区別は不可能」といったことにはならない。

「境界線」の両側では、確かに違いを識別できない。
しかし、誰でも、「明らかに〈赤〉としか見えない」色や、「どうしても〈橙〉にしか見えない」色があることは「疑えない」。

「これは明らかに〈赤〉だ/〈橙〉だ」という直観(直感、ではない)、両者の区別の根拠はこれだと現象学は主張する。
「赤」を見たときに感じられる「あの感じ」。「橙」とは異なる「あの感じ」が現れることが、「赤」という直観を支える本質だ。
本質洞察されたこの直観によって、「赤」と「橙」の両者は峻別されるし、この区別=違いが直観されて不可擬であるからこそ、事後的に「区別」できない領域という疑惑が生じる。
論理的に、最初に区別が「ある」という確信があるからこそ、区別は「無い」かもしれない=「ある」は誤りかもしれない、という懐疑が生じるのであって、逆はあり得ない。
「境界線」、「定義」、の発想自体が、「ある」の確信の上にしか生まれないのも明らかだろう。

境界線の付近ではどちらの色か決定が困難に、あるいは不可能になるが、それは「ここでは決定できない」という「明確な」判断が下されるのであって、区別の原理的な不可能や、ましてや一切の決定不可能性を意味するものではない。

「正義」と「悪」にも、まったく同じことが言える。上記の「赤」と「橙」に、正義と悪を代入すればいい。
「色」も含め、あらゆる知覚像が人間にはアナログなものとして現れることが、人間にとって世界がアナログとして存在する根拠であり、「正義」と「悪」もアナログなスペクトルとして現れ出る理由だ。
取扱いの「利便」のために「境界線」が引かれるが、境界の設定や曖昧性は、正義や悪という区分の存在の不可擬性を脅かすわけではないし、善と悪の区別が一切不可能であると証明するものでもない。

中二病の患者が主張するように、「正義」も「悪」も存在しないのではない。直観に対する懐疑と再確認が「世界」での人間の振る舞いの実質だが、中学二年生はその経験を重ねる途上にいるだけだ。
中二じみた言動をする大人は、いい年して直観と本質洞察に無自覚なだけか、自覚しているなら意図的に「ウソ」を吐いているという事で、どちらにせよ真に受ける必要がない。


ついでに、作中の「政治」要素についても記しておこう。

哲学や倫理といった根本原理が、物語る設定のために意図的に「法律」という「利便」のための道具に重ねわされているように、政治もまた、本作内では変形している。

「正義」が「法律」という「方便」と二重化されているように、作中では「政治」は「多数決」という「方便」と一体視されている。

作中の「日本」は民主主義の「政治」体制だが、選挙=多数決の「多い意見を集める」ことは、国民が国民自身を支配する民主主義「政治」を具体的に運営する「制度」=「道具」に過ぎない。
何らかの方法で何が「国民の意思」かを可視化しなければならないし、意思が複数存在するならどれかに決めなければならい。
が、それは「利便」の手段、あるいは運用上の「限界」=「制約」であって、本質である「国民による支配」そのものではない。

選挙の投票率が著しく低い、あるいは意見投票がしばしば「どちらでもない」が多数になることがあるように、多数決=選挙が、そもそも投票者=主権者の「意思」=本質を反映できていない事態は当たり前に存在する。
そもそも「選択肢」から選ぶという選挙=多数決は「デジタル」であって、「アナログ」の本質は原理的に再現できない。
少数意見を切り捨てずに議論するというのは、せめて「選択肢」を精緻化して少しでもアナログの再現度を向上させる「実利的」な方法論であって、綺麗事のタテマエ論ではないのだ。

民主「政治」が「多数決」と同一視されるのは、今のところ「本質」を具体化する「道具」がほかに考案されずにいるからに過ぎない。

本作内での「政治」が、「本質」から離れた「多数決」の言い換えなのは、言うまでもなくサスペンスドラマの設定がパワーゲームの要素を必要としているからだ。
本作内の「政治」は、本質的な意味での政治とはかかわりのない、「ゲーム」の「ルール」の一部をなしているだけに過ぎないし、それゆえ作中で「政治」を問うことは見せかけに過ぎない。

作中の「政治」という言葉は、全て「架空の数取りゲーム」と置換して構わない。


作中で主人公が追い求める「正義」が揺らぐように見えるのは、「法律」の本質がまさに「利便」のための「境界線」であって、「正義」の本質とは異なるという食い違いによる。
「正義」が揺らいでいるのは見せかけで、揺らぎは「正義」と「法」の、本質の範疇的な違いが生み出している。

「正義」と「法」の範疇が混淆するのは、主人公の職業意識が反映されているからであり、サスペンス性を主人公視点で演出するからだ。
だが、終幕に至って、所属組織を離れ、職業上の立場を離脱してもなお、主人公の思考と価値基準が変化しないことで、サスペンス性が急速に拡散してしまう。

「サスペンス」は、怪事件が「捜査」され「真相」を追うことで発生していた。
だが、終幕では、「捜査」は放棄され、主人公は「職場」を離れる。

職場=捜査を離れることで、サスペンスを発生させる支点=視点の特権的な「立場」が喪失されているにも拘らず、行動の核である「職業的」信念が変化しない主人公は、中二病の自問自答じみた空虚な詭弁の狂言回しのように迷走し、「サスペンス」は決定的に喪失される。



それにしても、原作は小説のようだが、事件のキーパーソンの曲世という女性の造形は、まるでアニメ化のために創られたかのようだ。

いっさいの作為なく、対面する男の性的な欲動を(強制的に)挑発する、とは所謂「萌え絵」(の概念)をキャラクター設定にしているとも云えるだろう。

「乳袋」に代表されるような、現実からは不自然な衣服の張り付きや、皺の強調。
殊更にまくり上げられたスカート、しかし下着を描かない「はいてない」。
あるいは身体のひねりや指の微妙な曲線、「乳揺れ」、などなどなど。

描かれている(女性)キャラには挑発する作為などないと見せかけるイイワケを担保しつつ、性的な印象を喚起する「萌え絵」の技法。
こうした技法の数々に支えられる「萌え絵」の概念が、そのまま彼女のキャラクター設定に重なる。
と同時に、アニメ化に際して、こうした「萌え絵」の技法をなぞった描写をすることによって、このキーパーソンの特異「能力」を、最小限の説明で視聴者に納得させることが可能になる。

「意図的に」この「異能」で事件を操作する曲世愛というキャラクターは、まさに「萌えキャラ」構造の可視化という事になるかもしれない。
作為は無いという暗黙のイイワケを投げ捨て、「キャラ」「自身」が「自覚的」に「萌え」るビジュアルを誇示してきたならば、男子オタクは能天気に「萌え」つづける事はできるのだろうか。
彼女に「犯された」という同級生男子たちの証言は示唆的だ。

こうしたところが、本作が「アニメらしくない」物語ではなく、アニメならではのものだと思わせる。


バタイユの有名なエロティシズム論では、エロティシズムは、禁止によって規定されている人間存在が、規定された「禁止」線を「侵犯」することで立ち現れるのだという。

正義と悪の境界線=「禁止」の境界線を揺さぶり、混乱させる「犯人」=曲世が、性的イメージを喚起する「萌え絵」の化身のようなキャラクターであるのは必然だろう。

だが、アニメやマンガに投げかけられる「エロい」が「エロティック」のカジュアルな短縮形であるように、「萌え絵」の「エロ」は、バタイユ流の「死にまで至る生の称揚」である「エロティック」に比べれば貧弱で弱々しく、言葉同様に内実もカジュアルに薄弱化しているようだ。

挑発はしていません、という「言い訳」で性的要素がないかのように見せかける「萌え絵」の概念。
大人の目を盗んで「怒られ」無いようコッソリと逸脱を楽しもうとする子供のような態度を思わせる「萌え絵」の「エロ」が、死にまで至る生命の燃焼を求めて「禁止」を正面から「侵犯」するバタイユの「エロティック」に到底及ばないのは当然かもしれない。

何かの拍子にたまたま「萌え絵」が公共の場に出て、批判的な意見に曝されたとき、まるで発狂したような勢いで批判者に罵言が集中して、なんとしても批判者の口を塞ごうとありとあらゆる屁理屈が並べ立てられるのは、どうしてでも「こっそり」侵犯している姑息な「仕掛け」を隠蔽したいからなのだろうか。

禁止線をめぐる「境界線」の問題を、表現や自由などの「絶対性」に結び付けて一切の批判を一挙に無効化させたいという自堕落な欲望は、まさしく正義や悪を持ち出して「境界線」を「絶対」化しようとする曲世=「萌え絵」キャラの欲望と共鳴している。

こうした騒動は主にネット上での「炎上」という形で現れ、様々な「論客」とやらが「議論」をかわしている、とみられているが、ネットの掲示板やSNSには、「議論」など無い。
掲示板の書き込みやSNSのつぶやきは、交互に書き込むことで「対話」や「議論」が行われているように見せかけられてはいるが、実質的には単に自分の「意見」を書きこんでいるだけに過ぎない。

現実に対面しているもの同士の会話では、おのずから「意味」が立ち上がり、交換され、それによって「議論」や「決着」も導かれる。
一方的に、相手の「意見」を無視して「議論」が成立することは、原理的にできない。

言語の「原理」とは、「意味」が発生していると相互に不可擬な間主観的信憑が発生する、という現象学の本質洞察であって、言語哲学者の「言語は定義できない」は転倒した錯誤に過ぎない。
だが、掲示板上では、間主観的な不可擬性の信憑がなくとも、一方的な書き込みで「議論」の形式を見かけ上捏造することができる。
論客とやらの「論破」「オレの勝ち」の勝利宣言は、要するに独り言の書き込みと本質的に変わりはない、端的に無意味だ。


アニメの感想にこんなことが浮かんでくるのは、本作のラスト数話で繰り広げられる「議論」や「思索」が感じさせる空虚感、空想性、空回り感が、まさにこうした「形式上」の形を整えただけの無意味感と同じ感触を感じさせてくるからだ。

日常的な会話では、「よい」は、「良い」「善い」「好い」「正義」「優れている」「悪くない」などなどの多様な意味の中から、その都度使用する人間たちの間主観的信憑において「意味」を相互了解しながら使われている。
「よい」という言葉を使っているという「形式」だけで、善悪という根源的審級における「よい」、法律上「よい」、政治的に「よい」、などなど、本質の異なる諸要素を同一平面において混淆してしまう形式主義の言葉遊びが、本作ラストの空虚さを支え、ネット「議論」を連想させる。

あるいは、意図的な「詐術」として形式化を利用しているのではなく、作者や製作者の中では「本気で」先入観のない幅広い思索を試みていると自覚されているのだろうか。
掲示板で「勝利宣言」する「論客」が、ともすれば自覚的に詭弁を弄しているのではなく、本気で「勝った」気になっているように見受けられるように。
だが、上述したような、正義についての本質洞察の確信を把握する普通の視聴者には、本作の「議論」も、ネット論客の「勝利宣言」のように、独り相撲のつぶやきにしか感じ取れないだろう。


作者や製作者が形式主義を自覚できず、詭弁の空論を「本気」で捉えているのかもしれないと疑ってしまうのは、掲示板やSNSのみならず、形式主義が現実に浸透しているような日常感覚があるからだ。

この数年、首相を始めとする有力政治家が、論理的には明らかに不法行為を行っていると推察されるのに、一向に追及が効力を発揮できない事態は、ネット同様に他者の意見や言葉の意味を一切受け止めることなく、一方的に妄言を並べたてる態度を、「議論」とみなしてしまう「形式主義」の呪縛にある。

「形式」上、議論であるかのような体裁があれば、本質を顧みることなく事実的な「議論」として取り扱ってしまう「形式主義」

昔話では、「王様は裸だ」と言えば下らない欺瞞は霧散した。
が、「奴は嘘つきだ」という単純な真実を言えなくする「形式主義」の呪縛が、際限なく空論を繰り返す下らない「議論」を無限生産する。

こうした「現実」が、ネット同様、本作のようなアニメにも浸透して、サスペンスが空論に落ち込む事態を招いたのかもしれない。
「性的な挑発はしていません」という「形式」主義の産物である「萌え絵」を体現したキャラの姿で幕を閉じるラストは、象徴的だ。



【追記】

萌え絵を愛好することは、別に悪いことではない。
いや、むしろ「萌え絵」の魅力は性的な要素があってこそなのだろうし、それを間接的な仕方で匂わせる処に「萌え絵」の技術性があるのだろうと考えている。

だが、「炎上」で不毛な「論争」が爆発するのは、擁護したい者が、自分は「エロいから」この絵が好きだ、という明らかな「事実」を否認=隠蔽したまま「擁護」しようとするために、「擁護」の立脚点が架空の「論点」の上に築かれざるを得ないからだ。
「架空」の土台上に重ねられる言葉に、間主観的な「意味」の共有が生じないのは当たり前で、再反論もどこまでも空論へ流されていくのは、これまた当然だ。

「萌え絵は性的な挑発をしている(だから好き)」と事実を認めるだけで、不毛な議論の大多数はたちどころに消滅するだろう。
「形式」的な「議論」(の体裁)にこだわって、どう見ても明らかな「事実」を無いことにする歪みが、不毛な言説の氾濫となって「炎上」は繰り返される。

本作では、「曲世愛」が、(作品内の「現実」では)「事実」として他者の思考や情動に影響を与える「能力」があることはどう見ても明らかであるのに、法律上の構成要件に該当するかどうかという「形式」にこだわり、危険な異能という「事実」性を基礎に置かないために実効的な対応が取れない。

終幕の「空論」の空転感を底で支えているのが、「事実」を見ないことにして「形式」上の体裁に縛られる形式主義であり、中心点である曲世愛が「萌え絵」(概念)を象徴するキャラであることは、やはり必然だと思う。

その意味では、時代と現実を反映していると云えるのかもしれないが、触発的に告発しているというよりも、単に時代に「取り込まれ」て呪縛されてしまっているだけという印象しかないのは、作者や製作者の自覚的な内省や能力の問題だろうか。{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 8

Ka-ZZ(★) さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

生きることは善いこと

この作品の原作は未読です。
ここのところ、ツインエンジンさん制作の作品は面白いのが多いので、視聴を楽しみにしていました。
「甲鉄上のカバネリ」にはじまり、「クズの本懐」「ゴールデンカムイ」「からくりサーカス」「どろろ」など。
直近放送された「ヴィンランド・サガ」もツインエンジンさん制作の作品です。
このラインナップを見たら期待せずにはいられません。

この作品は全部で3章構成になっています。


第1章「一滴の毒」
その啓示は、静かにそっと訪れる―
東京地検特捜部検事・正崎善は、製薬会社の不正事件を追ううちに、一枚の奇妙な書面を発見する。
そこに残されていたのは、毛や皮膚のまじった異様な血痕と、
紙一面を埋め尽くすアルファベットの『F』の文字。
捜査線上に浮かんだ参考人のもとを訪ねる正崎だが、そこには信じがたい光景が広がっていた。

時を同じくして、東京都西部には『新域』と呼ばれる新たな独立自治体が誕生しようとしていた。
正崎が事件の謎を追い求めるうちに、次第に巨大な陰謀が見え始め――?


第2章「選ばれた死」
人々に拡散し始める、死への誘惑─
新域域長・齋開化による『自殺法』宣言と、64人の同時飛び降り自殺。
日本を震撼させる事件の真相と、暴走する齋の行方を追うため、正崎は捜査に動き出す。
後任の検察事務官として瀬黒陽麻も加わり、法務省・検察庁・警視庁をまたいだ機密捜査班が組織される。
さらに、事件の鍵を握る女・曲世愛に関する調査も進める正崎だが、その先にはさらなる絶望が待っていた——


第3章「曲がる世界」
絶望の先に辿り着く、「悪とは何か」の答えとは――
公開討論の末に域議選挙が行われ、新域では自殺法の運用が本格的に始まろうとしていた。
齋拉致計画の一件で捜査班全員の死に直面した正崎は、依然として絶望の淵に立っていた。

憎むべき人間はただ一人。“最悪の女”曲世愛を正崎は再び追う。
正義、そして悪とは何かを、己に問い続けながら——


公式HPのINTRODUCTIONを引用させて頂きました。

レビューのタイトルでも触れていますが、本作品は人間の生死と善悪を結び付けて扱う作品です。
「善いこととは?」「悪いこととは?」「生きるとは?」「死ぬとは?」
キーワードはたったこの4つだけ…
でも、この4つのキーワードは如何様にも組み合わせることができるのが、物語をややこしくすると同時に、心の軋む元凶たり得るんです。

当たり前の様に生活を送っているので、普段こんなことは考えたりしないと思います。
だから真面目に考えてみると、答えを導き出すのが結構難しかったり…

でも完走して振り返ってみると、疑問点が二つばかり…
まず一つが登場人物の死について、こんなにも凄惨に描かなければいけなかったのか、という点です。
人に限らず、生物には必ず死が訪れます。
これは確実で不変的な事象で例外はありません。
そしてその生きている時間を決めるのは決して他の生物ではあってはならないと思います。

私はこれが世の中の一般常識だと思ってきました。
ですが、この作品ではその常識を根底から否定するんです。
しかも想定の範疇を軽々と凌駕する描写で視聴者に襲い掛かってくるのだから堪りません。

個人的には主人公の東京地検特捜部で検察官を務める「正崎 善」の部下として奔走していた彼女の死が一番痛ましく、視聴を続けるのが正直しんどかったかな…
よくもまぁ、そんな事が考えられると思ったと同時に、その愚行に及んだ犯人を心底憎いと思いました。
リアルでもそこまで憎いと思える人なんていないのに…

そしてもう一つが恐らく巷を騒がせているであろう最終回の展開です。
投げっ放しという感覚は無いのですが、あまりにも情報量が少なすぎるという印象です。
サミット会場の屋上では2発の弾丸が発砲されました。
ですが、その顛末が描かれているのがCパートのほんの一瞬で、そこには凡そ存在しないであろう人物が笑っていたのですから…
そしてその展開は最終回に相応しいとはとても思えなかったので、思わずネットをググっちゃいましたよ。
そしたら、原作は小説と漫画があるようですが、どちらも未だ続いていたんですね。
しかし、この消化不良感、何とかならないのかなぁ…
齋開化の件だって中途半端感が拭えませんし…
気になる方は是非本編でご確認頂ければと思います。

主題歌は各章ごとに使い分けられていました。
第1章が「Live and let die」
第2章が「イノチ食ム魂」
第3章が「The next new world that no one knows(blood stained ver.)」
あまり気付きませんでしたが、一応歌詞と歌はあったみたいです^^;

1クール全12話の物語でした。
本当に壮絶な戦いが繰り広げられるのは、寧ろこれからなのかもしれません。
でも、人間は勝てるのでしょうか…?
最終話で明かされた「善いこと」を貫くだけでは、きっと彼女には届かないと思います。
今は彼女に勝利するためのピースが欠けているのでしょう。
それが何なのかは分かりませんけれど…
だって、曲世 愛の能力が正崎 善に効いていないのか、或いは曲世は正崎に対して能力を発動させていないのか、それすら私たちは分からないのですから…
続編の制作が待ち遠しいところですが、それには原作のストックが足りないのかもしれません。
寝て待つことしかできないのかな…?

投稿 : 2024/05/04
♥ : 27
ネタバレ

pister さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.4

Fとか‥‥

5話までの感想{netabare}
やっぱりどうしても、“正解するカド”を知ってるとどうしても…ねぇ?
見る前から「この原作者の作品はクソだ」と決めて掛かることはないけど、警戒はしちゃいますw
栗T着た異方少女サラカちゃんが出てきやしないかヒヤヒヤ。
ヤンホモを殺すビデオレターが飛び出すんじゃないかヒヤヒヤ。

と思ってたらその片鱗らしきものが…。
曲瀬愛…一瞬で男を惑わす魔性の女…えええ、超常現象に頼っちゃう?そうしちゃう?
な、なんだろうな、しっかりした展開を望む気持ちとドッチラケで終わるのを期待する気持ちが混在してる自分に気付いた。
ある意味今後の展開に目が離せません、こんな楽しみ方で良いのか?{/netabare}

6話感想{netabare}
討論番組は“ダンスインザヴァンパイアバンド”の1話を彷彿とさせますね、あっちは作者本人がパネラー役やってたっけか。
少年の父親は「行方が分からない」と「誰だか分からない」とでは全然別だよね?
「父親とは連絡が取れておりませんが~」って、本当に存在するかどうかも不明なモノ(名前すら知らなかったんでしょ?)に勇み足が過ぎるなぁ、と。
まぁいいか。
野丸が少年を擁立させて当選を狙うって…元々齋開花を談合で当選させて傀儡にしようとしてたんだよね?
まんまと飼い犬に手を噛まれた形なのに、再び傀儡にしまっせオーラを隠そうともせずにぬけしゃあしゃあと懲りないねぇ…と思ってしまったので、親父の正体明かされても「ああやっぱり」って感じ。
まぁいいか。

「まぁいいか」として流しにくいのが、やっぱり誰にでも選挙権があるのが奇妙で…それこそ高校生総理大臣を笑えない。
とはいえ、それくらい現実離れした世界でないとこの作品のテーマが描けなかった…のかも?規制だなんだで。
但し、そうだったらそうでそれに見合ったリアリティはちと欲しい気が…感情論を語るなら、自分は子供に選挙権あるのはアカンと感情が動くぞw
自殺法の是非で討論番組開くなら、その前に子供の選挙権の是非で討論(※)してくれないとついていけない…前提から覆されて、そもそも論でちゃぶ台返しされた気分。


この作品でそれをやっても「自殺法を回避するために子供に選挙権は与えるべきではない」と循環論法になりそうではあるけどw{/netabare}

最終回までの感想(これだけ読めばいいかも){netabare}
人間の法律で裁けない化け物が超能力を使って人類を混乱させた──なんだい?パニックムービーになるのか?
繰り返し提起された善だー悪だーは、人間の間で考えるから人外は黙ってくれんかってノリで、本題になり切れなかった感じ。
そうさねぇ、マガセを人間だと捉えずに、見た目エイリアンやスピーシーズみたいなのに置き換えて考えれば通じるかな?自分はもうそうとしてしか見てなかった。
「どんな悪魔的な考えを持ってるヤツでも所詮は人間さ」とか「どんなに強力な化け物でも人間と共通の弱い部分を持っててそこを突かれて退治される」とかいった系ではない。
“ヴィンランドサガ”で実際に北欧の神サマが登場したら多分台無しになると思うのだけど、こっちではそれをやっちゃった感じ。
要はまぁ…マガセが万能すぎてそれ以外が茶番になってしまった。

一応まやかしのテーマ(善だー悪だーワオー)に沿って考えると…自殺法の是非より子供の参政権の方がよっぽど危なく感じて絵空事感が最後まで拭えなかった。
そして「よく考える」ってあーた…。
「良い」と「良く」は被ってる部分はあるものの意味としては別モノで、そこら辺混同させて煙に巻いただけ。
この手法、「少年の父親と連絡がとれない」を「行方が分からない」と「誰だか分からない」とで混同(バカには気付かれないようにそっと入れ替え)させたのと一緒で「またかよ」と。
殺人を敗北死だ救済(ポア)だと言い張るどっかのアレと同じで、そういう言葉遊びというか詐欺紛いの誤魔化しは止めてくれんかな。
と思ったら“正解するカド”も交渉官の主人公が最大の活躍をした交渉が性交渉というオチだったのを思い出した…そういうのが持ち味の作家なのん?落語家?
カドでは「ホモ死ね」、バビロンでは「生涯独身死ね」で一貫してるっちゃあしてるのかも知れんが、命を繋ぐを主軸に化け物が人類に干渉する作品なら“BEM”の方が数段上だったような…。
で、斎開花ってナンだったの?大統領夫人ってナンだったの?とかいう投げっ放しも持ち味として看過せにゃならんのかな?

最後のオチも…即座にマガセと対決しろやっつけろとまでは言わんが、正崎がマガセを追い詰めるのに「繋がる」ヒントやカギを何も残してないのってどうなんかね。
結局「続ける=継承する=繋げる」も放り出しちゃってブレッブレにしか思えなかった。{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 24

66.5 2 目からビームアニメランキング2位
悪役令嬢レベル99 ~私は裏ボスですが魔王ではありません~(TVアニメ動画)

2024年冬アニメ
★★★★☆ 3.3 (139)
424人が棚に入れました
乙女ゲーム『ヒカユウ』の悪役令嬢・ユミエラに転生してしまった主人公。 実は、ユミエラは魔王を倒したあとに登場する裏ボスで、レベルをカンストしていないと倒せないほどの強大な存在だった。 しかし、ただ倒されるだけの存在ではいたくはない。そう考えたユミエラは、ゲームのストーリーに干渉しないよう、目立たず生きていこうと決意するが、ゲーマー魂に火が付いて思わず自身のレベルを99 まで上げてしまった。 その強大な力のせいで、周囲の人々から「魔王」と疑われることになってしまう。 平穏な学園生活を望むユミエラが手にする未来とは――?
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

残念な要素もありますが、ヒロインが最高でした。

 とても面白かったです。最後アニメ作品として完結させるために無理な1話になってしまいました。魔王の伏線があってゲーム世界の意味に関われれば、かなりの作品になったのかなと思います。

 しかし、強制力と護符という概念で話を作れていたので、ゲーム世界設定の意味はあったのかなと。

 この後も続けようと思えば続く感じがありますが、話として1クールアニメに落とし込めたのは良かったと思います。
 全体感としては、キャラが上手く使いこなせていなかった気もするのが減点要素でしょうか。

 この作品はプロット、ストーリー展開、キャラがよくできていたと思います。残念なのはエピソードです。話の1つ1つがコメディーですが、そこにゲーム要素の意味が、もうちょっとでいいので落とし込めているだけでかなりの作品になっただろう、という気がします。

 キャラはアリシアの作り方は上手かったと思います。ユミエラの対抗軸として機能していました。パトリックはコメディリリーフでしたが、ユミエラの孤独を救うという大切な役割がありましたし。あと2話くらいあって、この2人がもっと活躍できていればかなり面白くなったかな、という気がします。

 そして、なんといってもユミエラ嬢。この人が面白さの8割でした。声優さん…ファイルーズあいさん、非常に良かったです。作画のデキをカバーしたのは、この人の演技でした。

 作画は残念極まりないですが、話の内容的にそこまで足は引っ張らなかった気がします。
 
 隠れた秀作認定をしていましたが、結末から言って秀作は言い過ぎかも。ただ、12回結構どの回も楽しませてもらいました。
 
 評価は作画が残念なので3.8点と低くなりますが、体感的にはかなり面白かった80点の評価です。






1話 なるほど工夫しました。ただ下手すると0.3話切りされそうです。

{netabare} なるほど…そうきましたか。あまりにキャラがテンプレなのと、途中のOPらしき画面にクレジットもないし、何だこりゃ?と思ったら伏線だったわけですね、一応。
 原作がこうなのか、スタッフの工夫なのかわかりませんが、この遊び心は悪くないです。私はちゃんとひっかかりました。
 ただ、私のように情報ゼロで公式サイトすら見ない状態じゃないと、成立しない気もしますが。そして0.3話切りとかされなければいいのですが。

 悪役令嬢ものはカテゴリーとしては爛熟していて、もう内容よりもキャラと設定で見ればいいかなと思っています。その点ではこの作品は悪くないかもしれません。

 頭からっぽにして楽しめそうな感じです。センスが合わなければやめますが、多分見ます。{/netabare}


2話 はめふらのカタリナの逆というコンセプト?面白いと思います。

{netabare} ヒロインのモノローグで「やれやれ」をずっと聞かされる感じですけど、なんかちょっと面白いです。というかひょっとしたら異世界ものの中では一番の期待枠かも。と、同時に陳腐化したらひどいでしょうけど。

 はめふら的なテンプレを逆転させてテンプレではあっても、ヒロインのキャラ込みで上手く作品にしています。

 あの3人の男子が惚れるのか、敵対するのか。その辺が楽しみです。

 それにしてもヒロインの声優さんがなかなかいい演技でしたが、ファイルーズあいさんですか。「ダンベル何キロ」の紗倉ひびき役の筋肉の子ですよね?今年の役柄のラインナップは主役級ばかりですね。演技でここまで来たんだと思います。素晴らしいと思います。{/netabare}



3話 アニメの出来は悪いですが話は面白いので視聴継続します。

{netabare}  異世界モノって、これだけ作っているんだから何か安価で効果的な背景とかモブとかの共通のパーツとか開発できないんですかね?もう何でもいいんじゃね?と言う感じですので。

 まあ、そう思ってしまう程度のアニメの出来ですねえ…ただ、話は相変わらず面白いと思います。今回はちょっと退屈な回でしたがやっぱり最後にアリシアちゃんが出てきて来週へのいいつなぎでした。

 なお、EDは結構面白く作れていると思います。

 ということでレビューを継続するほどではないですが、見ると思います。何か面白い展開があればその時にレビューします。 {/netabare}


5話 アリシアに動きがあって期待が高まります。パトリックの設定と使い方が上手い。

{netabare} パトリックの性格造形に辺境伯という設定が上手く活かせてます。そして、アリシアと3人の男という集団だけで話が推移するのかなと思っていたら、アリシアに何か思惑がありそうです。

 今期の異世界もの本作と「間違った治療魔法」「俺だけレベルアップ」「最弱テイマー」の4作品は設定のズラしだけでなく、ストーリーがちゃんとあるのが良いですね。まだまだキャラ萌え+アルファではありますがちゃんと展開が気になる作りになっています。その中でも本作が一番面白いです。
 まあこの2~3年、俺TUEEEの出落ちで3~5話までは面白いけどその後は…という作品が多いので油断はできませんが。

 ということで細かい話ですが、アリシアの動きで期待感が高まりました。今のところ本作と「ダンジョン飯」「僕の心の…」の3作が今期派遣候補かな?{/netabare}


8話 安っぽさナンバー1。作画崩壊云々というレベルでなく同人アニメ。面白いんですけどね。

{netabare} ひどい作画でしたねえ。動くとか動かないとか、崩壊とかそういうレベルを超越した、同人アニメという感じです。ニコニコで10年前に見たMMDの方がレベルが高い気がします。なんといえばいいのか…安っぽい…というのもまだほめ過ぎかもしれません。商業レベルでこれはないでしょう。

 一時安っぽいCG作画で有名だった「蜘蛛ですがなにか?」が普通に見えてくるレベルでした。

 とはいえ、話が面白いから始末に負えません。「なんかやっちゃいました?」がいい味なんですけどね。間が抜けた感じが作画とあっているともいえますが、それにしてもこれが公共電波で流れているというのもすごいですね。
 もうなろう系は極主夫道みたいな色付きモーションアニメにすれば?あるいはもうAIで良くね?という感じです。 {/netabare}


9話 ズラしギャグだけでなく、ストーリーが気になる。面白いです。

{netabare}  魔王を倒すという目標を平民出身のゲームのヒロイン役にやらせるって、多分悪役令嬢ものの基本だとは思うのですが、しかし、面白いですよね。

 一般的には悪役令嬢が無自覚ハーレムを形成してしまうところがそうならないところが面白いのか、ギャグでありながら話の道筋が無いようでしっかりあるところなのか。
 露骨な「はめふら」のズラしという感じですが、そのズラし方が悪役要素を保ったままなのがいい味になっているんですよね。

 ギャグ異世界で言えば「はめふら」「このすば」並みに、もう1回見るか…と言われると微妙な水準ですけど。ただ、1回見ている感じでは、ストーリーが気になるのが秀逸です。決して出落ちだけの設定倒れではないです。面白さではかなりのものだと思います。

 作画については酷評してますけど、この水準の作画だからかえっていいのかもしれません。 {/netabare}


10話 隠れた秀作。設定とキャラが上手くストーリーと絡んで面白いです。

 10話、今週展開がありましたね。アリシアのキャラもいいですね。滅茶苦茶面白かったです。ゲーム設定とダブルヒロインの立ち位置がストーリーと上手く絡んでいました。この先の展開がものすごく気になる、「次が楽しみ」なのがいいと思います。

 このストーリーは「慎重勇者」みたいに1クールで完結みたいなペース配分じゃないのがちょっと残念ですけど、今のところ「最弱テイマー」と並んで…いや、それよりも上を行く面白さだと思います。

 本作はあまり評価されていないようですが、隠れた秀作と言っていいでしょう。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 12
ネタバレ

Witch さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

「悪役令嬢モノ」の中でも異彩を放つ「どこかズレてるぼっち主人公」

【レビューNo.121】(初回登録:2024/4/28)
ラノベ原作(なろう発)で2024年作品。全12話。

(ストーリー)
主人公の女性は前世でプレイしていた乙女ゲームのの世界に、悪役令嬢にして
ゲームの裏ボスでもあるユミエラ・ドルクネスとして転生した。
ユミエラはバッドエンドを回避するために、目立たぬよう平穏な日々を過ごす
ことを誓うのだったが、王立学園入学時のレベル測定でいきなり「レベル99」
を叩き出してしまう。
ユミエラは不測の事態に備えて、レベル上げを徹底したことから強くなりすぎ
ていたのだった。
こうしてユミエラの前途多難の日々が幕を開ける。

(評 価)
・「悪役令嬢モノ」の中でも個性が際立つ主人公
 通常の「悪役令嬢モノ」だと
 ・転生者の持ち前の社交的な性格で、転生前になかった人望や信頼を取り戻
  し人の輪に囲まれる
 という微笑ましい展開になりますが、本作の主人公ユミエラは
 ・親がダメ貴族の毒親で、親の愛情に恵まれていない
 ・入学早々に強大な力を見せつけるハメになり、周りから恐れられる
  しかもこの世界では忌み嫌われる黒髪の持主
 ・またユミエラの性格も
  ・冷静で表情が乏しく常にほぼ真顔
  ・空気や相手の感情を読むのが苦手で、周りと上手く協調できない
  ・また価値観等が独特(効率重視等)で周りとズレている
   (前世は「人付き合いが苦手な廃ゲーマー」だった模様)
 という、かなり個性的な「ぼっちキャラ」として描かれるというw
 それでいて話が暗く重くなることはなく
 ・真顔でいろいろやらかすのがなかなかにシュール
 ・他人とズレたところが新しい笑いを生み出す
 ・魔法だけでなく腕力も最強、そんな中で繰り出す「ユミエラパンチ」が
  ちゃんとネタになっている
 という感じで、この個性をしっかりコメディに繋げている演出が最高です!
 このユミエラの個性を楽しむだけでも、作品を視聴する価値アリですね。

・他のキャラも上手く配し機能させていた
 このユミエラの独特な個性に合わせて、他のキャラも上手く配置されていた
 ように思います。
 ・アリシア
  この世界の本当の主人公。周りから好かれる性格で王子等「攻略対象」も
  皆アリシアに夢中。
  魔法の属性の違い(光属性と闇属性)から始まり、「ぼっち」のユミエラ
  に対し、常に対極の存在としてユミエラの個性を上手く際立たせていた。
  (そういう意味では攻略対象の3バカも、アリシアを補完する存在として、
   程よい感じに配置されていたのでは)
 ・パトリック
  辺境伯家の出身。ユミエラの一番の理解者として
  ・ユミエラが物語から浮かないようにしっかり受け止めつつ
  ・ラブコメ要員として笑いもとりながら、ユミエラに認められるために努
   力を惜しまず、最後は王子様役までしっかり昇りつめ、視聴者のハート
   も鷲掴みという
  個性的なユミエラを支える「要」的な役割を担っていたと思います。
 ・エレノーラ
  ユミエラよりも悪役令嬢らしかった。
  (元のゲームではユミエラは彼女のとりまきの一人だった)
  それでいて根は
  ・天然ボケで他人の感情の機微に疎い世間知らずなお嬢さま
   (また他人に利用されやすい性格)
  で憎めないという。
  彼女も単独だと「ちょっとなあ~」って感じのキャラですが、ユミエラと
  絡んだ時の化学反応が凄くて・・・
  この辺は作品のいいアクセントになっていたように思います。

作品としてはユミエラのキャラで魅せるところがあるので、ストーリーの方は
少々味気なさを感じるかも。(特に最終決戦とか)
それでもユミエラの「どこかズレてるぼっちキャラ」は、これまでの「悪役令
嬢モノ」とは一線を画していると思いますし、それをしっかり笑いに繋げるな
ど、本作は独自の面白さをもった作品だと思います。
何気に他のキャラとも上手く相乗効果を生み出していたと思いますし。

OP「LOVE or HATE?/前島麻由」
・やさぐれ感のある歌詞にロックなリズムが前島さんの声とベストマッチで、
 インパク大
ED「好きがレベチ/エレノーラ&ユミエラ」
・まさかのエレノーラがメインだと?!
 2人のキャラを活かしたふわふわでキャッチーな食感がクセになるw

(追 記)
原作とアニメとの違いがYOUUBEにアップされていたのですが、例えばアリシア
は原作だと
{netabare}・ユミエラの寝首をかくために謝罪して油断させる
・自分の命か仲間の命かの選択で、迷わず自分の命を懇願
等結構クズキャラで描かれているようですね。{/netabare}
アニメ化にあたって、この辺りも改変されているわけですが、
「1クールアニメとしてどういう作品したいか」
全体像を考慮の上で、上手くチューニングしているなと評価していいんじゃな
いですかね。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 10

Ka-ZZ(★) さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

転生したのは乙女ゲームの悪役令嬢。レベル上げに興じていたらうっかり世界最強に…!

この作品の原作は未読です。
最近、異世界転生×乙女ゲーム×悪役令嬢系の作品ってやたら増えてきたのではないでしょうか。

・乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…
・ループ7回目の悪役令嬢は、元敵国で自由気ままな花嫁生活を満喫する
・彼女が公爵邸に行った理由
・悪役令嬢なのでラスボスを飼ってみました 等々…。

挙げたらもっと出てくると思います。
どの作品も「悪役令嬢」と謳っておきながら、微塵も悪役っぷりを発揮しないのが特徴であり、売りだと思うんですけれど…
まぁ、総じて楽しめる作品が多いので、個人的には嫌いなジャンルではありません。

そしてそれはこの作品においても然り…


乙女ゲーム『ヒカユウ』の悪役令嬢・ユミエラに転生してしまった主人公。

実は、ユミエラは魔王を倒したあとに登場する裏ボスで、
レベルをカンストしていないと倒せないほどの強大な存在だった。

しかし、ただ倒されるだけの存在ではいたくはない。

そう考えたユミエラは、ゲームのストーリーに干渉しないよう、目立たず生きていこうと決意するが、
ゲーマー魂に火が付いて思わず自身のレベルを99まで上げてしまった。
その強大な力のせいで、周囲の人々から「魔王」と疑われることになってしまう。

平穏な学園生活を望むユミエラが手にする未来とは――?


公式HPのINTRODUCTIONを引用させて頂きました。

ゲーマー魂(笑)
でもそれって、メッチャ賛同できます。
好きなゲームなら拘りたいし、レアアイテムなんかもゲットしたいと思うのは不思議じゃ無いと思うんですよね。

そーいや、私も学生時代にゲームにハマっていた時期がありましたっけ^^;
何作目かは忘れましたが、「Wizardry」は電源を付けっ放しで数日間ひたすら敵を倒す、なんてことやってました。
直ぐ仲間を呼び寄せる「グレーターデーモン」の習性を活用して、仲間を呼んでは倒しの繰り返し…
経験値がメッチャ貰えるだけでなく、確かSSR級のレアアイテムもゲット出来た様な覚えがあります。

ましてやユミエラの場合は、自身の存在にも深く影響するんです、そりゃ頑張りますよね~^^
ただ、王立学園入学時に、同級生とのレベル差があんなに開いていたとは思いもよりませんでしたけれど…

このユミエラが自身のレベルが99であることを周囲に納得させる下りの物語は本当に面白いです。
必死さ、余裕度とも言うのでしょうか、それがユミエラと周囲の人たちとの間に雲泥の差があるんです。

王立学園には第二王子とその取り巻きも同級生として入学してくるのですが、この方々が事あるごとにユミエラに突っかかってきては敗北するの繰り返し…
個人的には魔法の授業中にレベル99であることを証明するために、とある魔法を披露するシーンは大のお気に入りです。

この作品の面白さに拍車を掛けているのは、主人公であるユミエラを演じたファイちゃんの演技です。
ファイちゃんと言えば、「ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン」の空条徐倫や、「便利屋斎藤さん、異世界に行く」のラエルザなど、気持ちの熱いキャラを演じるイメージが強かったですが、ユミエラの様な飄々とした感じのキャラもとても良き感じだったのは個人的には新鮮でした。

しかし…原作は未だ連載中の様ですが、物語は良い感じで締まりましたよね。
ラストの展開はアニオリなんでしょうか?
最終話でラスボスと対峙しましたし…

も、もしや、最終話に登場したラスボスは真のラスボスでは無かったとか…!?
それなら、何となく説明はつきそうですが、そうするとアニメのラストは何だったんだろう、という話になりますよね。
気になる方は是非本編でご確認頂ければと思います。

オープニンブテーマは、前島麻由さんによる「LOVE or HATE?」
エンディングテーマは、エレノーラ・ヒルローズ(ちゃんりな)とユミエラ・ドルクネス(ファイちゃん)による「好きがレベチ」

1クール全12話の物語でした。
毎週の視聴が楽しみな作品でした。
こういう肩の力を抜いて視聴できる作品は良きですね~。
しっかり堪能させて頂きました。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 12
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