開墾でイングランドなおすすめアニメランキング 1

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73.8 1 開墾でイングランドなアニメランキング1位
ヴィンランド・サガ SEASON2(TVアニメ動画)

2023年冬アニメ
★★★★☆ 3.9 (216)
469人が棚に入れました
新たな千年紀を迎えたデンマーク・ユトランド半島南部。仇敵・アシェラッド亡き後、生きる目的を失ったトルフィンは、「奴隷」として地主・ケティルに買われ、彼が所有する農場で開墾作業に従事していた。そこで、同じく奴隷の身分へと堕ちた青年・エイナルとの出会いをきっかけに自らが犯した罪と向き合い、生きる意味を見出していく。一方、イングランド王に即位したクヌートは「楽土」の建設に向けて、さらなる版図の拡大を目論んでいた。これは“本当の戦士の物語”プロローグのその先にある“償いと救済の物語”。
ネタバレ

アニメアンチの憂鬱 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

「戦記もの」というジャンルにおける屈指の名作候補

●This is 【グノーシス主義】

2期の見どころの一つは主人公の成長がいかに描かれているかと言うところであります。

あまりに血生臭過ぎた{netabare}1期とは対照的なまでに何が何でも戦いを避けようとする
主人公の姿勢には好感が持て、成長の跡を感じることができます。

戦闘狂のヴァイキングだからこそ反戦主義者にもなり得るという発想には
とても共感できるところがあるわけですが、しかしながらこの反戦主義的な
主人公に対して、真っ向から強烈なカウンターを見舞うのが英雄王クヌート殿下であります。

バビロン、ソドム、ゴモラは住人の罪故に滅びました。
大洪水以前の人類も同様であります。

人が罪を犯すのは【禁断の果実】を食べたアダムの遺伝子によるものでありまして
この遺伝的で宿命的な罪のことを【原罪】と言います。

人は誰しもが生まれながらに罪人でありますので、ヴァイキングが略奪や殺人の罪を
犯してしまうのも必然であるということになります。

【原罪】故に宿命的に罪を犯してしまう人類を、無慈悲に断罪する神に対し抗議し
【反逆の意志】を示すクヌート殿下は、まさに【グノーシス主義】の申し子と言えましょう。

アダムが【禁断の果実】に手を出し、堕落して、【反逆者】として楽園を追放されたのも
そもそもアダムに自由意思を与え、アダムをそのように生み出した創造主の側に落ち度がある
のではないか?という発想こそが【グノーシス主義】の本質であります。

救ってくれない神に対して【反逆の意志】を示し、自らが「救世主」になると宣言する
英雄王様は【反逆のカリスマ】であり、「ユダヤキリスト教アンチ」の急先鋒ということになります。

そもそも「ヨムスヴァイキング」は北欧神話の神々を信仰している種族であり
キリスト教との相性は最悪であると考えられますが、ヴァイキングの一族は「ルーン文字」
を使用していたことから【呪術文化】に属しており、ヴァイキングは海賊の一派であることから
【フェニキア人】との関係性があるとも考えられるわけであります。

今は無きアシュラッドの故郷「ウェールズ」は【ケルト人】の文化圏であり、
【ケルト人】の【ドルイド教】には間違いなく【フェニキア人】の思想が
反映されていることが明確に見て取れることから、【ケルト人】は
【フェニキア人】の血族であると考えられるのであります。

英国王室は「ユダヤ人」との血縁関係があるという話がありまして、それが本当だとすると
土地を追われ北方に新天地を求め移住した【フェニキア人】と行動を共にしたと言われる
【ダン族】がその「ユダヤ人」に当たると推測されるわけであります。

「ウェールズ」出身のアシュラッドは「デーン人」のことを酷く嫌っていたことから
「デーン人」と【ケルト人】や【フェニキア人】には民族性に違いがあったということになりますが
「ヴァイキング」が優れた航海術を持つ【海賊】として活躍できていたのならば
【海賊の種族】である【フェニキア人】の技術を何らかの形で伝承していたのではないか
という予測が成り立つわけであります。

もしもノルマン人やヴァイキングが独自の高度な文明を由来に優れた航海術を有していた
とするならば、その高度な文明力を拠り所に略奪経済という原始的なものには頼らずに
【フェニキア人】のように海上貿易で発展でき、ローマ帝国に匹敵できるくらいの支配地域を
獲得できたはずでしょう。

英雄王クヌート殿下の活躍により後に北海帝国が建設されるわけですが
それでもローマ帝国には遠く及ばず、中途半端な印象しか持てません。

逆に言えば【フェニキア人】の文明水準が異常なまでに高かったということになるわけであります。

クヌート殿下による【反逆の意思】表明とヴァイキングの「救済宣言」は滅ぼされた
【カナーン人】の立場を代弁しており、【フェニキア人】の思想に一致するわけであります。

「ケルト人」と「デーン人」は対立関係にあったようでいて、結局は
共に【フェニキア文化】に飲まれていたという結論になるように思います。

そもそも「デーン人」のクヌート殿下が「ユダヤ人」と【フェニキア人】の宗教対立を前提とした
【グノーシス主義的】大演説をするのは、おかしいわけでありまして
確かに「聖書」を示唆するシーンはありましたが、ヴァイキングを統べる王が
聖書の内容を理解しており、しかも【反逆の意】を示すなど矛盾しているということになります。

クヌート殿下はケルト人の末裔アシュラッドと手を組んでおり、彼の死後は
彼の意志を受け継ぎケルト人の思想も受け入れたというのならば、
矛盾なく話が成り立つわけでありますが、このことにより明確になるのは
【グノーシス主義】連合を取りまとめているのは、やはり【フェニキア人】
であるという結論になるわけであります。{/netabare}



前期は間違いなく完成度が高く、心を釘づけにされた作品でありました。

今期は農奴となった主人公が農業を始めるという感じで、かなり地味な展開であり
その一方でそれでもやはり本作独特の重さが随所に感じられる作風のため、
前期以上に人を選ぶような状況になっているように思います。

それ故に人気作品にはなり得ないような気がいたしますが、それでもずっしりと重みを感じるような
物語には独自の魅力があり、一度見始めたら心を捉えて離さないような印象を受けます。

すべてを失った主人公が似たような悲劇にあった男と出会い
日々の暮らしをともにすることにより変化の兆しが現れる。

そんな地味な展開でありますが、主人公が今後どのように変わっていくのか
とても興味深く感じ、期待値は俄然高まるわけであります。

結局のところ前期からの流れを知らないと何が面白いのかさっぱり不明な類の作品ですので
まず前期を抑えることが必須であると思います。

{netabare} 7話にしてエイナルがかなり重要な発言をしたので取り上げてみようと思います。

彼曰く農作物栽培に必要なことは【祈る】ことであり、【供物】が必要ということであります。
そして祈るべき神として【ヤハウェ】(の神)と【フレイヤ】(神)の名を
連ねるようにして取り上げます。

【ヤハウェ】とはユダヤ教の神にして、人類の【創造主】である唯一絶対神的存在に対し
【フレイヤ】とは多神教であるところの北欧神話の愛と美の【豊穣の女神】であります。

【豊穣の女神】と言うと多くの場合、性欲を持て余す感じの超自由恋愛的行動が顕著で
要するに「エロエロの女神」であるというのが定番となっています。

「エロエロ」だから生命力に溢れ、多産であり、実りの女神であるという論法で
【豊穣の女神】は「エロエロ」であるのがむしろ望まれたということであります。

ちなみに【フライヤ】は「Fryday」=「金曜日」の語源でもありまして
【ヴィーナス】と同一視される女神であります。

【ヴィーナス】は【金星】でありますからそれを表す【八芒星】すなわち
【イナンナスター】と女神たちは1本の線で繋がるというわけであります。

【ヤハウェ】と【フレイヤ】と何気なく並べられた2つでありますが
その実は水と油でユダヤ教にしても(本来の)キリスト教にしてもエロエロの女神など
問題外でありまして、考え方は真逆ということであります。

【ローマカトリック教会】や【イエズス会】が【聖母マリア】信仰と称して
行っているのはその実太古の昔から世界中に伝わる「女神信仰」でありまして
どれもこれも本来のキリスト教に反する行いであります。

豊穣の女神信仰に欠かせないのが【供物】でありますが、
この【供物】について深堀すると色々と他作品にも繋がる発見があったりします。 {/netabare}

それについては別の機会にでも触れてみたく思います。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 4
ネタバレ

フィリップ さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

逃走論

アニメーション制作:MAPPA 、
監督:籔田修平、シリーズ構成・脚本:瀬古浩司
キャラクターデザイン・総作画監督:阿比留隆彦
音楽:やまだ豊、
原作:幸村誠(講談社『アフタヌーン』連載)

どうして幸村誠は、こんな題材を選択したのだろう。
連載が始まったことを知ったとき少し落胆した。
作者の前作『プラネテス』は、連載時と単行本化されてからも
何度も読み返したほどのお気に入り。
『宇宙兄弟』よりも先に発表していた画期的な宇宙漫画。
宇宙という広大な世界を描きつつ、
その憧れの結実として「愛」に収斂させる。
お話としては当然のようでありながら、
行き着くまでの主人公たちの真っ直ぐな想いや苦悩、
導き出された選択を鮮やかに描き出した傑作だった。

作者の次回作をとても期待して待っていたのだが、
ヴァイキングの話と知って手に取るのをやめてしまった。
ゲルマン民族の大移動に端を発し、海へと向かったヴァイキング。
それは、まさに長く長く続く殺戮の歴史。
私にとっては高校の選択科目において、
ほぼ選ぶ者もいなかったのに
ずっと好きで受験科目にまでした世界史。
きっかけがこのゲルマン民族の大移動だった。
そんな話を幸村誠が描くということで興味はあったが、
物語の根底に広がる血みどろの展開を目にしたくないという
気持ちのほうが先に立ってしまったのが、
これまで読まなかった大きな理由だった。

しかし、アニメ化されたことで観ないという選択肢は、
ほぼなかった。制作はWIT STUDIO(2期はMAPPA)で、
シリーズ構成・脚本は瀬古浩司。
いくら血なまぐさくても観るべき布陣だし、
面白くないという可能性はゼロに近いと思ったからだ。

ただ、想定していたとはいえ、物語の序盤から苛酷な話が続く。
シーズン1では、戦士トールズの子供であるトルフィンが
隠れて父親の船に乗ったことで悲劇が起こる。
{netabare}それがきっかけでヴァイキングと行動を共にすることになった
トルフィンだったが、仇であるアシェラッドが命を落とし、
生きる目的を失ってしまった挙句、
奴隷になるところで1期は終わった。{/netabare}
2期は、大農場の奴隷として、気の良い領主であるケティルの元で
同僚のエイナルとともに土地を整備し、畑を耕す仕事に
従事するところから始まる。

ケティルの側仕えをしているアルネイズ、
ケティル農場の用心棒である蛇、
ケティルの長男・トールギルと次男・オルマル。
そこに1期で行動をともにしていた
デンマーク王・クヌートが加わり、物語は大きなうねりを見せる。

キャラクター一人ひとりの心の変遷を深く描いている。
過去の経験からつながる現在の生き方、信条。
大切なものは何なのか。
それぞれが重い十字架を背負っている。
何が正しくて、何が間違っているのか。
ひと言では言い表せないほどの
苦悩や争いが綴られていく。

私はこの作品のクライマックスを観ていて、
浅田彰の著作『逃走論 スキゾキッズの冒険』を思い出した。
今でも、この本のことを鮮明に覚えているというのは、
やはり多くの人と同じように、私も自分の価値観を
ひっくり返させられるほどのショックを受けたからだろう。
「常識」が悉く疑わしく感じられるようになり、
本当の意味で自分自身のアタマで考えるようになった
きっかけの書籍だった。

この著書で浅田彰が意識していたのは、全共闘世代の問題、
そして連合赤軍事件についてだったという。
私は全共闘世代とは年が離れているので、
当時の連合赤軍事件のことはほとんど知らなかったのだが、
よく行く飲み屋の知り合いが、
若松孝二監督の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』という
映画の制作に深く関わっていたこともあり、
公開当時の2008年に映画を鑑賞し、
いろいろな資料を読む機会があった。
映画を観て、ひとつ感じたのが集団における空気感と
ある意味の真面目さだった。
最初は思想に深く入り込んでいなかった者たちが
次第に国を変えるという壮大な夢と
集団における規律に囚われて
何も見えなくなってしまう心理。
一線を超えた行動によって引き返せなくなってしまう
様子がとてもリアルに描かれていた。

あまりにも簡単にまとめてしまうと、
浅田彰は、そういうある種の真面目さから
身動きの取れない状況に陥ってしまう人々に向けて、
「逃げろ」と訴えた。
最近の風潮、たとえばいじめの例をひとつとっても、
それは当然のことのように思えるが、
終身雇用制が常識だった時代、さまざまな社会の常識と
されるものによって縛られていた、少なくとも私にとって、
その言葉は深く心に刺さったのだった。
行き先が決まっていなかったとしても
負の連鎖が続いていると感じたなら、
逃げて、逃げまくっても良いのだという提言だった。

そして、ヴィンランド・サガ2のクライマックスである。
トルフィンは、奴隷になった地においても
クヌートと対峙し、殺し合い、奪い合いの連鎖にまきこまれる。
クヌートは、元々、信仰心に篤い男だったが、
戦乱の世の中心に自身の身を置かざるを得なかったことから、
「神は何もしない」ことを悟り、
「神の条理に従っていては楽土を築けない」と考える。
神から捨てられたヴァイキングを救い、
「神と戦う」ことで、楽土建築を目指していた。
一方、トルフィンは盟友・エイナルの生き方にふれ、
アルネイズの絶望を目にし、新たな決意をする。

{netabare}それは「戦わない」という選択。
1期において父トールズが語った「本当の戦士」の意味。
「戦士に剣はいらない」と語った
父の境地にようやく辿り着くことができたのだった。{/netabare}

苛酷な運命を辿った人物から導き出された
新しい思考というのは、人を動かすこともある。
もちろん、史実からはかけ離れているだろうが、
クヌートはトルフィンの決断を聞いて、
自身の統治についての方向性を大転換することになる。

1期からずっと続いてきた陰惨な殺し合いの連鎖。
2期の終わりまで観て、とても納得感のある
作者の目指しているものが伝わってくる物語だった。
主人公の「心の旅」という部分では、
ひと区切りついた形となったが、
作品タイトルからは、ここからが本番。
トルフィンは「逃げ続ける旅」のなかで、
どんな選択をしていくのか。

まだまだ興味の尽きない叙事詩的作品として、
私たちを楽しませてくれそうだ。
(2023年7月2日初投稿)

投稿 : 2024/05/04
♥ : 20
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

心に刻まれる壮大なサーガ

引き続き原作未読で視聴。

【物語 5.0点】
超スローペースの2クール全24話。
概要など、トルフィンは平和な日常のかけがえの無さを知る。
トルフィンは自らの進む道を決意する。
以上で説明できてしまう程。
だが私の心に爪痕を残すのはこういう作品。

戦場で狂気に囚われた戦士の末路。
帰還兵が抱えた心身の傷と再生。
各々テーマとして語り尽くされ傑出した物語も多数あります。

ですが1シーズン目で前者を、2シーズン目で後者を。
双方の題材を紡ぎ合わせた大作となると希少かつ貴重。

戦いに明け暮れ復讐の虚しさを思い知ったトルフィン。
戦いから逃げ腰だったが戦場を経験する中で、楽土建設を標榜する大王として覚醒していくクヌート。
異なる道へ進んだ両者。交わるはずがないと思われた二人の道がやがて交錯。
様々な価値観を抱えた人生がぶつかり合うことにより、テーマを重層化させる人間ドラマが圧巻。

前シーズンでは、トルフィンの父トールズの言動に、正直、平和主義や反差別主義といったヒューマニズムに過剰なのでは?との違和感も抱えていました。
ですが終わってみれば正気の沙汰じゃないと思っていた{netabare} 羊8頭と瀕死の奴隷の交換{/netabare} などのトールズの酔狂にすら懐古して感じ入ってしまう不思議。

争いの無い土地を目指して“ヴィンランド”に行きたいとか後ろ向きの夢想が物語になり得るのか?
という疑問も、今ではすっかり前向きな進路だと好感できている。

同時に、ここまで語り尽くされないと戦争や奴隷の恐ろしさ理不尽さが理解できない、
私の心の鈍感さに愕然とします。

1シーズン目観ていないと分からない以上に、
1シーズン目を“経験”として血肉とした上で、心を研ぎ澄ませて噛み砕いて行かないと、
2シーズン目では感性が反応できず、描写が淡々とし過ぎて退屈だとなりかねない。
ギャグも{netabare} “熊殺しのドロット”の100発の拳より強烈だった姉御のワンパンw{/netabare} など少な目ですし。
お前ちゃんと定期的に里帰りしとけよと諭されますw

人も条件も選ぶ続編ではありますが、私は満点を付けざるを得ません。


【作画 4.5点】
アニメーション制作はWIT STUDIOからMAPPAにスタジオ変更。
監督、シリーズ構成等スタッフ陣の中核は継承。

ヴァイキング世界の雄大な自然を描き切る背景美術のクオリティも堅持。
天候変化による心情描写の拡張、鳥による自由意志の暗喩など、演出面もハイレベル。

例えば、一見、美人な奴隷のアルネイズさん。掌は手荒れでボロボロ。
肉体に刻み込まれた傷痕で、苦労を重ねた人生の年輪を語る人物作画にもグッと来ます。

トルフィンを責め立てる死者の群れなど悪夢のトラウマ描写も迫力あり。
クヌート王に至っては、{netabare} リアルで見える死んだ父王スヴェンの生首に、お前も孤独な君主の道を進むのだと嗤われる{/netabare} 白昼夢が続く。
これで狂わないなんて、本当にあのひ弱だったクヌート殿下なのか?と戦慄します。
というより、あの顔面、気持ち悪くて夢に出てきそうですw


余談ですが、スタジオがMAPPAに変わっても、放送局がNHKじゃなくなっても、
冒頭バイクツーリング映像でスタジオロゴを打ち出すスタイルは変わらないのですねw
世界観に合わせてヴァイキング船になったりはしないのでしょうかw


【キャラ 4.5点】
トルフィンがケティル農場で同じ奴隷の相棒となる男・エイナル。
情の厚さから復讐心に駆られそうになるエイナルの血気をなだめるトルフィン。
その他、1シーズン目で辿った自身の道を繰り返しそうになる周囲。
農場で出会う人々を通じてトルフィンが何を思うのか?
合わせ鏡を覗くような構図も交えて、トルフィンの経験と成長を噛み締める濃厚な人物相関。

農場主のドラ息子・オルマル。
心身共に貧弱なクセに、俺は農場は継がずに戦士になるんだ!と息巻く分かりやすいグレっぷり。
彼もまた、あの頃トルフィンもそうだったかなと懐古する上でも有用な人物。
終盤には、{netabare} 挑発に乗り、農場接収の口実を与えてしまう失態を演じますが、
最後は、戦うばかりが能じゃないというトルフィンが15年かかった境地に僅かな期間でたどり着く。{/netabare}
男が一皮むけるためには、早目に荒れて、やらかすことも必要なのかもしれません。
にしてもオルマルはやらかし過ぎですがw

オルマル&ケティル親子を始め、弱さ故に女を侍らせ、富と暴力に執着する。
地獄の中世ヨーロッパの底流に男の性ありとの示唆が繰り返されテーマを補強。

ケティルは欲張って土地を広げ過ぎ。やがて争いの火種となる。
先代当主・スヴェルケルのご指摘はごもっとも。
が、ケティルの旺盛な農場経営があったからこそ、
トルフィンらは自由民復帰に挑戦する機会を得たとも言える。

トルフィンとは別の覇道を進むクヌート王らと合わせて、
キャラによる反証が、ヴィンランドへの道を鍛え上げる。


【声優 4.5点】
主人公トルフィン役の上村 祐翔さん。クヌート王役の小野 賢章さん。
壮絶な半生を経た人格の変化、徐々に氷解していく心。
この辺りを演じさせたら、お二人は本当に上手いです。

脇では洋画、海外ドラマ吹替経験も重ねたベテラン勢が起用され、
ヴァイキング世界の洋風ムードを演出。
その中でも特にアルネイズ役の佐古 真弓さんや、大旦那スヴェルケル役の麦人さん辺りは、
人生の年輪が滲み出た、簡単に養成できないような妙演で魅せてくれました。


【音楽 4.0点】
劇伴は、やまだ 豊氏が続投。
感情が極まった人物に心を打たれるのは、一体となった背景美術だけではなく、
繊細なピアノと雄大なストリングスで盛り上げていくBGMとの合わせ技による所が大きいです。


主題歌
前期OP・Anonymous「River」/前期ED・LMYK「Without Love」
後期OP・Survive Said The Prophet「Paradox」/後期ED・haju:harmonics「Ember」

歴史物にサバプロのようなロックを起用すると好みが分かれて、“酷い”の検索候補が必ずついて回りますがw
グチャグチャした葛藤を叫びたいロック魂のような感情は古今東西不変という観点から私は嫌いではありません。

主題歌群で相変わらずなのは英語歌詞の多さ。
TVsizeだと、後期EDのサビでようやく美しい日本語バラードを耳にして里帰りできた感w

続編があれば、思い切って本場“ヴィンランド”のラウドロックやR&Bシンガーを一曲挟んでみても面白いかもしれません。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 27
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