風呂でコミカルなおすすめアニメランキング 2

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早速見ていきましょう!

87.6 1 風呂でコミカルなアニメランキング1位
千と千尋の神隠し(アニメ映画)

2001年7月20日
★★★★☆ 4.0 (1799)
12190人が棚に入れました
10歳の少女、荻野千尋(おぎの ちひろ)はごく普通の女の子。夏のある日、両親と千尋は引越し先の町に向かう途中で森の中に迷い込み、そこで奇妙なトンネルを見つける。嫌な予感がした千尋は両親に「帰ろう」と縋るが、両親は好奇心からトンネルの中へと足を進めてしまう。仕方なく後を追いかける千尋。

出口の先に広がっていたのは、広大な草原の丘だった。地平線の向こうには冷たい青空が広がり、地面には古い家が埋まっていて瓦屋根が並んでいる。先へ進むと、誰もいないひっそりとした町があり、そこには食欲をそそる匂いが漂っていた。匂いをたどった両親は店を見つけ、断りもなしに勝手にそこに並ぶ見たこともない料理を食べ始めてしまう。それらの料理は神々の食物であったために両親は呪いを掛けられ、豚になってしまう。一人残された千尋はこの世界で出会った謎の少年ハクの助けで、両親を助けようと決心する。

声優・キャラクター
柊瑠美、入野自由、夏木マリ、内藤剛志、沢口靖子、上條恒彦、小野武彦、我修院達也、はやし・こば、神木隆之介、菅原文太、玉井夕海、大泉洋
ネタバレ

Progress さんの感想・評価

★★★★★ 4.6

【リバイバル上映】千と千尋の神隠し レビュー

レビュー、最近書いてないなあ…
なんて思いながら、Youtubeをずっと見てたり、有名な最新ゲームタイトルをプレイしてみたりで過ごしていました。

幸い私の住んでいる地区は外出自粛要請も出ていないため、四連休の思い出作りに入ったショッピングモールの映画館で、6月26日からジブリのリバイバル上映がたまたまやっている事を知り、30分ほど時間を潰して入場。ここ1クール程度のアニメ作品に関してまるでレビューを書いていなかったため、インパクトのある作品で意欲を高めようという気持ちがありました。

客層は20代後半から30代あたりが多いように見えましたね。カップル率も高く、最新の映画を見るよりは懐かしいハズレでないとわかる作品を見たかったのでしょうか?
最近映画館に足を運んでいなかったので知らなかったのですが、この状況下という事もあり、予約では席は一席ずつ間隔を開けて空席にしているような状況でした。そのため、両隣には人がいないため、かなり快適な視聴でしたね。

開始1分前にもなると、二時間弱の時間を使って別の事をしながら視聴もできない映画館での視聴にノリで入っちゃったけど、途中で飽きないかなあ…なんて思っていましたが。

全然そんなことありませんでした。めっちゃ面白かった。

過去の自分のレビューも思い出しながら視聴し、雰囲気が記憶に残るなんて書いちゃったけど、どこまで論理的に詰めているんだろうなあとちょっとハラハラしながら見ていたんですが、新たに新解釈を得るところもあったし、今作品の裏話的情報を得ていたためにすることのできた新しい目線での楽しみ方。そういった事もあり一度も眠気が来ることなく脳が7、8割回転する状態でラストまで見終えられました。

まず、事前に得ていた情報で、本作品に出てくる油屋(千尋が働く場所)に特定のモデルはないという事を知っていたのですが、本作では油屋がどれだけ日本的なのか?という所に視点がいきました。
登場する神々や油屋の従業員達の身なりは、実に日本的です。例外なのは湯婆婆であり、彼女は魔女という、非常に西洋的な要素を含んでおり、最上階の湯婆婆のフロアは、西洋的な造りになっています。
なぜ日本的な要素で油屋を統一せずに湯婆婆という西洋的要素とミックスさせたのか?は気になるところではありますね。
最上階について先に触れてしまいましたが、油屋の至る所にある西洋的要素について、見ていきます。
まず、エレベーター。あれだけの構造物を階段で登るのは無理ですよね。リンの口からも、エレベーターという言葉は出ています。
次に、電車。油屋の中を通っているわけではないですが、この神々の世界でも科学の発展はしているようです。ただ、利用者な少なく、行ったきり帰りの便がない電車らしいですが。いや、一方通行の電車ってどんな構造になっているんだろう。

こういった西洋化、もしくは機械化した要素を見るに、油屋が神々の世界の日常の風景というわけではなく、神々の世界の中でも日本的な要素を感じられる娯楽施設、テーマパーク的な場所であるように見えましたね。

さて、次の新しい視点は千尋というヒロインがキャバクラで働く女の子から着想を得たという情報からの視点。
この情報は、鈴木敏夫『仕事道楽 新版』等に綴られています。
油屋という厳しい仕事場に、人との付き合いが苦手な千尋が投げ込まれ、千尋が自ら変わっていく物語として見ていくと、千尋の変化を感じれるかと思います。
千尋の状態が大きく変わったのは、刑務所…ではなく豚小屋に入れられた親の姿を見た後、ハクからもらったまじないを掛けたおにぎりを食べた際ですね。
このシーンから先は、変った千尋の元気な姿を描いていきますね。

カオナシについても、今回新しい人物像が浮かび上がりました。
カオナシは千尋に油屋に入れてもらった礼をしようと、必要以上の薬湯の札であったり、砂金をあげたりします。
カオナシは、価値のあるものをあげれば喜んで貰えるという考えで千尋にプレゼントしますが、千尋は喜ぶどころか受け取ってもくれない。
これは、外面を繕い砂金をもらう油屋の従業員と違って、油屋に染まっていない千尋だからこそ、カオナシにとって必要な対話を行えたのだと思います。外面を繕った人との対話によって物をあげれば誰でも喜ぶんだというカオナシの間違った考え方を、千尋が意図せず正したという物語に見えましたね。極論、金で交換すればなんでも手に入るんだという考え方を批判する形に見えて、個人的にもすこし刺さるシーンでしたね。
千尋と対峙しカオナシは、千尋に生まれや出身の事を聞かれ、「ヤメロ」「寂しい」といったルーツに対する拒否感を示しています。
ここで気になったのは、カオナシの人物像です。「寂しい」という感情のセリフであったりとか、対話能力の低さから、孤独で人と話さず、喋るのはコンビニの店員くらいの存在なんだろうと思いました。油屋という繕った人達に騙される世界で、カオナシが狂ったように欲望を吐き出してしまう構図になっています。また、「私が欲しいものはあなた(カオナシ)にはだせない」という千の言葉から、カオナシという存在に千は個人を見出す純粋さを持ちながらも、カオナシの期待には応えないという純粋さゆえの個人の否定をしており、仮初の存在価値を否定されたカオナシは怒ってしまいます。
そんなカオナシに対して、銭婆の住む沼の底に行こうとする千尋は、センに対してこのような言葉を残しています「あの人はここ(油屋)にいないほうが良いんだよ」。
これは、カオナシという純粋で人との対話方法を知らない存在が、油屋の笑顔を繕った人々と対話して、金でなんでも手に入るという間違った対話方法を身に着けてしまうという事を千尋は感じているのかもしれないですね。


さて、ここからは終盤の物語について。銭婆婆の家での出来事。
ここで、物語として必要なのか大きな疑問が湧くイベントがあります。
なぜ銭婆は時間を割いてまで魔法を使わず髪留めを作ったか?
銭婆の作った髪留めには坊やカラス、カオナシが頑張って作った糸が編み込まれています。
銭婆は、魔法で作っても意味がないという言葉を残していますね。
これはみんなで頑張って作ったから思い入れのある物になる、という意味でしょうか?それは一面的には肯定で、カオナシにとっては、今まで人にプレゼントするものが、盗んだものであったりとかまがい物の砂金であったりとか、自身の背丈以上の物を贈ろうとしていました。しかし、今回に関しては時間に限りのある中、自身が労働し、そしてそれで作った物をプレゼントすることで、千からはありがとうという感謝の言葉を受けています。カオナシにとってのいい方向での成功体験であり、カオナシの物語としてはここで完結かなと考えました。
しかしこれでは、カオナシの為に作ったように聞こえます。手作業で作った理由としてもまだまだ弱い。

ここからは推測がかなり混じります。
{netabare}
髪留めを手作業で作った理由について。
魔法という物を考えたとき、髪留めは魔法で作ったら大変なことになっていた可能性があるかもしれないという疑念が思い浮かびました。
八百万の世界を抜けたら、魔法が解けるのではないか?
千尋がハクに別れを告げ、後ろを振り返らず、帰り道を辿る感動的なラストシーン。
決して振り返ってはいけないよ、とハクに念を押されていたため、千尋は振り返りませんでした。
でも待ってください、もし帰る途中で髪留めが切れてしまったら?振り返っちゃいますよね。
そんなタイミングで偶然髪留めが切れることないと思うでしょう。でも、魔法が現実の世界に戻る時に切れるとしたら?
では、油屋の世界の魔法が現実の世界に行くと切れるという証拠あるんでしょうか?
まず一つ目。序盤の千尋が透明化すること。現実の世界の物は、油屋のある世界(八百万の世界)では存在できないんですよね。
つまり、この現象から行くと逆の現象、八百万の世界から現実の世界に行く際には魔法などの現象が消えてしまうのではないでしょうか。
二つ目。湯婆婆の部屋でセンが契約したとき、散らかった部屋でテーブルライトスタンドの傾きだけ湯婆婆は魔法ではなく手で直しています。
これは、魔法が干渉できない物を暗示しているのではないでしょうか。その上で千尋が入ったトンネルが魔法が干渉できないものだとすると、そこで髪留めの魔法が切れてしまう恐れがあった。

三つ目。呪い(まじない)あるいは魔法について。本作品の呪いはなにか?
本作品で呪いをかけられている者たちは複数名います。千尋は名前を奪われて支配されるという呪いをかけられています。このまじないを解く方法はなにか。真実を見抜くことです。
豚の中から親を見つけるシーン。あれは親の呪いを解くのではなく、千尋の呪いを解くシーンです。事実、彼女が真実を見抜いたとき、千尋の契約書が破棄されます。
そしてこのシーンで湯婆婆の言った「この世界の理」は4つ目の理由によって明らかにされます。

4つ目。まじないは解かねば帰れない。これはハクの呪いから考えられます。ハクは、千尋が帰る前に私はそちら側(川の向こう)には行けない、だが湯婆婆と話をして弟子を辞めたらそちらに行くと言っています。つまり、まじないを解かねば帰れないというルールが八百万の神々の世界にはあった。ハクも、名前は取り戻したが、湯婆婆との子弟の契約が残っているから帰れないということだと考えられます。
とすると、提唱した説とは別の説で、魔法(まじない)がかかっていたら帰れないことを銭婆は知っていたため、髪留めを手作業で作ったことが考えられます。



何故髪留めをお守りとして送ったか…については、論理的理由ではなく、感情的な理由であってほしいですね。

この作品でいう名前の意味について。簡単に書きます。
名前を忘れると、帰り方を忘れる。つまり、自分が何者であるか忘れるという事です。自分が何者か忘れたのがハクです。
そして、真名をしっかりと覚えていた千尋は自分が何者か覚えていたため、自分のルーツである親が豚の中にいるか見破れたという説もあるかもしれません。


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さて、私は映像面についてもしっかり触れていきたいと思うのですが、すこし感性が枯れたせいか、少なめになりそうです。
まず、久しぶりにジブリをスクリーンで見た感想について。
自宅では用意できない様な大きな画面で見ると、やはり小さな仕掛けについても気付くことが出来ますね。千尋が木の階段が壊れて走り落ちる序盤のシーン、壊れた木の板の釘が抜けかかっている事に気付くことが出来ました。
一番大きいメリットは、やはり水彩画の背景における微妙な色合いの表現を、細かく観察できることですね。雨が降った後、油屋から見る海の風景は、日中から日没まで、美しさが変わっていきます。テレビでは味わえない風景を広さと色合いの繊細さを感じることが出来ると思います。


小ネタとしてどうしても言いたいシーンがあります。エレベーターで一緒になった大根の神様。かの御方は船で神々が油屋に到着するシーンから最後の豚を見分けるシーンまでいるのですが、この方、実はめっちゃ紳士ですよね。

エレベーターで千尋と一緒になった時、彼は目的の階に到着しても降りるのをやめて、一旦最上階まで千尋と一緒に上がってるんですね。
これはもし千尋が従業員等に見つかってしまいそうになった時に、自分を壁にして逃がしてあげようという配慮ではないでしょうか?
こういった心遣いを気付けるようになったのは、個人的にはちょっと嬉しかったですね。

さて、今回の視聴のまとめです。
感想としてはかなり物語を掘り下げる形になってしまったんですが、やはり映像の凄さがなければこれほど深く入り込めることはないと思います。かといって、美しさを追求しているのではなく、ジブリは五感を呼び起こす映像づくりが凄いと感じましたね。それは、風のうなりであったり、ガラス窓の振動であったり、風に吹かれる髪のうっとおしさであったりなど。よく言われるのは飯が美味しそうという事ですが、やはり、匂いや味を感じさせるような絵作りがうまいと感じます。
個人的に今回とびきり好きだったのは、海になった地上の夜景をセンと千尋が風を感じながら眺めるシーンですね。月明かりの暖かさ、遠い町への期待のようなものも感じられてとても良かったです。
リバイバル上映、いつまでやっているかはわかりませんが、ナウシカやトトロもやっているそうなので、近日また行きたいですね。


金曜ロードショーで視聴した際の感想はこちら↓

映画館で見たときは、一つ一つのシーンの雰囲気にのまれたんですが、どうも、テレビで見るとあれっ?あんまり入り込めないな、という感じでした。

今回の視聴では、初視聴時に感じた「雰囲気」に対する感情を思い出しながら、「懐かしいな」と思いながら視聴。
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まず、親が飯を食べ出すシーンですが、千尋は親の言葉を聞かずに食べない。自分も、知らない土地や知らない店に親に連れられて行った時に、強い恐怖感や拒否感を感じました。子供特有の知らないものに対する拒否感は皆感じているのでしょうか。

次、夕暮れから町並みに明かりが灯り、河原まで走るシーン。豚姿の親の気持ち悪さで恐怖感や孤独感がましていき、影のような人に気味の悪い物を覚えます。あの川原でうずくまっているとき、恐ろしいけど明るい町と、そこから逃げるように来た静かな川原から、動きたくないような、帰りたいような、そんな気持ちにさせてくれます。

中盤についても少し。顔ナシの印象。最初はその笑顔のお面で佇む姿に気味の悪さを感じます。千尋に気に入られようと湯の札(札という面白い設定にも引き込まれます)を一杯持ってきたり、カエルをひと飲みするその姿にどんどん恐怖が募っていきます。最初は大人しそうなのに、どんどん凶暴になっていくその姿に、気味の悪さと恐ろしさを感じる、見ているひとを物語に引き込んでいく魅力を持っているキャラクターですね。

とまあ、好きなシーンやキャラクターは色々あるのですが、一番のシーンは、電車から見える風景のシーン。浅い海の遠くに見える街には何があるんだろうという期待感、海にポツンとあるあの家に何故か心惹かれる感覚、やがて夕暮れになって明かりのついた家々を遠くにみたときの心の騒ぎ。じっと電車の中で座っている千尋たちをよそに、影の人たちは荷物をおろし、電車を降りていく。あのときの取り残されたような孤独感と静寂がなにか心地いい。

最初と最後に出てくるトンネルの前のベンチがおいてあるあの建物の時が止まったような静けさが大好きです。
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【総評】
物語性よりも、圧倒的世界観、雰囲気を感じることで、この作品が凄いと思えるのではないでしょうか。
序盤は雰囲気による恐怖感に飲まれ、中盤は華やかさによる楽しさがあり、後半は喧騒の後の静寂が心地良い。

ストーリーはあまり気にならなかったのですが、圧倒的な雰囲気が記憶に残った作品でした。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 47
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★★ 4.9

思い出の作品ではないけれど、思い入れのある作品

あらすじは他の方のレビュー等をご参照ください。

 2時間くらい。3回か4回くらいは見ていると思います。

 先日トトロを視聴して、その流れでポニョも見て、で、ポニョのレビューを書こうと思っていたのですが、上手くまとまらなかったのでこちらに逃げてきました。千と千尋は有名な作品ですから、重箱の隅をつつくようなレビューを書くつもりはありません。むしろ書きたいのは重箱について、ですかね。

 千と千尋は少女の冒険譚ですから、魔女宅に近い作品と言えます。魔女宅は、魔女という異質な少女が普通の都会へ行く話。千と千尋は、普通の少女が異質な世界へ行く話。アプローチは逆で、テーマは同じというやつですね。


異世界のモチーフ:{netabare}
 千と千尋では異世界が描かれていますが、ここまで露骨に描かれているジブリ作品は珍しい気がします。

 千尋は「トンネル」を通って異世界に行き、「川」を渡って物語の舞台へと到達します。で、帰りも「トンネル」を通って帰ってくる。その帰り際に、ハクから「振り向いちゃいけないよ」と言われます。

 これと同じ構造の物語があります。ギリシャ神話のオルフェウスの話です。千と千尋とオルフェウスの類似性に関しては、あまり異論のないところだと思われます。
 オルフェウスは、亡くなってしまった妻を取り戻しに冥界へと赴きます。「洞窟」を通って、「三途の川」を渡り、冥王ハーデスの元へたどり着きます。そこでハーデスから妻を連れ帰ることを許されますが、その際に元の世界へ帰るまでは「振り返ってはいけない」と言われます。そしてまた、「洞窟」を通って元の世界を目指します。

 異世界の往路と復路に加え、禁止のルールまでが一緒です。経緯は違いますが、連れ帰るという目的も一緒。日本神話のイザナギの話も同じような流れを持っていますが、「川」の存在を踏まえるとギリシャ神話の方が近そうですね。トンネルを抜け川を越えた先は、冥界に等しいものだったと言えます。

 なお、宮崎駿作品でギリシャ神話の引用がされるのはこれが初めてではありません。漫画版ナウシカの第1巻で、「ナウシカは、ギリシヤの叙事詩オデュッセイアに登場するパイアキアの王女の名前である」と監督自身が述べています。ナウシカもギリシャ神話の出身でした。
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神隠し:{netabare}
 千尋は、冥界、実質的には死の世界に行っていたことになります。千尋は死んじゃったの?という問いについての回答がこのレビューの主題なんですが、それについては後々述べることとして、まずは死の世界と現世の距離感について確認しておきます。

 宗教的には、死生観を含めて、死を考えることが非常に重要な要素になります。そのため、死の世界を現世とは隔離されたものとみるのが一般的です。私たちが死の世界と言うときは、このような隔離された世界の感覚で話していることが多いのではないでしょうか。

 ただ、神話の世界においては、死の世界はもっと近くにあるものです。オルフェウスやイザナギのように、洞窟を通れば冥界や黄泉の国へ行けてしまう。さすがに「ちょっとそこまで」という気分で行けるものではないのでしょうが、隔離された世界ではなく、つながった世界なんです。死の世界なんて言うよりも「あっちの世界」くらいが丁度いい。

 すぐそこにある世界、でもこことは異なる世界。そんな微妙な距離感を持つ「あっちの世界」での冒険を、宮崎駿監督は「神隠し」と表現したんだと思います。
{/netabare}

特別ルール:{netabare}
 こんなに近い「あっちの世界」。「こっちの世界」と一体どこが違うのか。それが特別ルールですね。

 最も重要なのが禁忌(タブー)です。「振り返ってはならない」と言われたオルフェウス、「見てはいけない」と言われたイザナギ、浦島太郎を「あっちの世界」の話とするなら「開けてはならない」になります。千と千尋では、前述の通りに、唐突な「振り向いちゃいけないよ」がありました。理由の不要なルールなんです。

 千と千尋には、他にもたくさんのルールがありました。ハクやリン、カマジイ辺りはいろいろと千尋に教えてくれていました。千尋が両親と帰るためにも、ルールに従う必要がありましたし、こればかりはユバーバでもどうにもなりませんでした。ユバーバは「こんな誓いを立てるんじゃなかった」と言ってましたから、ユバーバが誓いを立てる先、上位の存在がいることも窺えます。
{/netabare}

食事①:{netabare}
 次に重要そうなのは食べ物に関するルールでしょうか。「あっちの世界」の食べ物を食べると「あっちの世界」の住人になってしまいます。ギリシャ神話ならザクロの実ですね。

 千尋が食事をするシーンは全部で3回あります。ハクからもらった赤い何かと、ハクからもらったおにぎりと、リンから分けられた大きな饅頭のようなものです。千尋は「あっちの世界」の住人になってしまったのか、という仔細を述べる前に、引用元のギリシャ神話を確認しておきます。
 
 ギリシャ神話でザクロの実を食べたのはペルセポネという女神様です。彼女は冥界に連れ去られてしまいました。そこで、ハーデスに差し出されたザクロの実の中身12粒のうち、4粒を食べてしまうんですね。そのせいで1年(12ヶ月)のうちの4ヶ月を冥界で過ごさなければならなくなってしまいました。残りの8ヶ月は「こっちの世界」に帰って来れていますけどね。

 ちなみに、これに激怒したのがペルセポネのお母さんであるデメテル。豊穣の女神様なんですけど、ペルセポネのいない4カ月の間は地上に実りをもたらすのを止めました。これが冬の起源。ペルセポネが帰ってくると春が始まるわけですから、ペルセポネは春の女神様です。冥王ハーデスの妻なのに春の女神様。私にはすごく違和感があるのですが、やはり神話においては「あっちの世界」は近いもののようです。
{/netabare}

食事②:{netabare}
 千尋は「あっちの世界」の食べ物を食べて、「あっちの世界」の住人になってしまったのでしょうか。帰って来るのはペルセポネと同様に問題なさそうですけどね。では、千尋が食べた3つの食べ物を確認してみます。

 まずは、ハクからもらった赤い何か。これがいきなりの大問題です。
 この赤い何かが何であるのかは明らかにされていませんが、おそらくザクロの実の中身を暗示したものだと思います。気になる方は作中の赤い何かとザクロの実の中身を比べて、その類似性を確認してみるといいかもしれません。すごく良く似ています。ハクは、千尋が消えかけているときにこれを食べさせています。千尋が消えてしまわないように、つまり、「あっちの世界」に馴染むために食べさせていますから、千尋は「あっちの世界」の食べ物を口にしてしまったのです。

 神話を前提にするなら、ザクロの実の中身を1粒食べた千尋は、毎年1ヶ月は「あっちの世界」ツアーに行かなければならなくなってしまいます。さすがにこれは大問題ですから、何かしらこれを解決する方法が採られていたはずです。
 おそらく、「12粒のうちの1粒」ではなく、「ただの1粒」だったから問題なかったのではないかと思われます。ここが神話と違うところですし、これなら毎年ではなく、1回だけ「あっちの世界」に1ヶ月間滞在すれば問題なし、という結論でも許されそうですね。
 千尋がどのくらいの期間「あっちの世界」に居たかは明らかにされていませんが、作中の月の満ち欠け(※)が一巡してそうなので、少なくとも1ヶ月はいたようです。もちろん「こっちの世界」の時間は別問題。

(※)千と千尋の月の描写
 月は作中で3回出てきます。①オクサレ様が帰る時の満月、②沼の底駅の上限の月、③ハクに乗って帰る時の大きめの上限の月。②から③は満月に向かっています。①のもう少し前から物語が始まるので、満月手前から満月を経由して満月手前までが滞在期間。これで1ヶ月ですね。

 次に、ハクから貰ったおにぎり。
 おにぎりは、事情を知っているハクが「まじないをかけた」ものだと言っています。「あっちの世界」の住人にならないためのまじないでしょうから、おそらく問題ないのでしょう。赤い何かにもまじないがかけられていたと考えたくもなるのですが、その可能性はないでしょうね。千尋が消えてしまいますから。

 最後に、リンから貰った大きな饅頭のようなもの。
 リンは事情をある程度は知っているものの、まじないの類は使えそうにないので際どい感じがあります。ただ、千尋は直前に苦団子を口に含んでいました。苦団子の効果は吐き出させるというものでしたから、実質的には食べていなかったといったところでしょう。こちらも問題はなさそうです。

 お父さんとお母さんの食事が原因でもありますし、千尋の食事のシーンにはかなり気を使っていたのが窺えます。
{/netabare}

死んだ??:{netabare}
 では、千尋は死んでいたのかについて。
 「あっちの世界」が描かれると、条件反射のように「死んだ!」と考えたくなってしまうのですが、もちろん死んでいません。以上で述べてきたように、日本っぽさのあふれる千と千尋の世界は、ギリシャ神話が大きく影響しているのが分かると思います。どちらも神様がたくさんいますから、その関連性の高さに目を付けたのかもしれません。で、千尋の生死もこれらの影響を受けていると見ていいはずです。

 オルフェウスは、生きたまま冥府に辿りつき、生きたまま帰ってきます。千尋も生きたまま行って、生きたまま帰ってきた。これで良いんだと思います。死の世界を描くことと、実際に死ぬことは、やっぱり違うんです。
{/netabare}

エンディング:{netabare}
 千尋が無事に生きていたことが分かったところで、この物語のトンネルを抜けた後について言及しておきます。

 オルフェウスは「振り返ってはいけない」と言われたのに振り返ってしまった。禁忌を犯した彼は、無事に「こっちの世界」に帰って来れたものの、妻を連れて帰ることは出来ませんでした。禁忌を犯すと何かを失ってしまうのです。

 千尋は成長できたのか、というと、残念ながら出来ませんでした。正確に言うのなら、「あっちの世界」では成長できたものの、「こっちの世界」への影響はなかったんです。行きと帰りの両方で描かれるお母さんにすがる様とお母さんの同じセリフは、千尋が成長できなかったことを描いていていました。
 ですが、千尋は無事に禁忌を犯すことなく、帰ってくることが出来ました。つまり、オルフェウスと違って何かを得ることが出来たのです。それが最後に光るゼニーバからもらった髪留め。

 ゼニーバは「一度あったことは忘れないものさ、思い出せないだけで」と言っていました。これはハクの名前を思い出せることを述べたものですが、それだけではなく、この千と千尋の世界全体に係る言葉、テーマを象徴する言葉だったんだと思います。千尋にも思い出せなくとも忘れない何かが残ったのでしょうね。
 子供は忘れてしまうかもしれないけど、思い出作りは大切だよってメッセージですかね。
{/netabare}

おまけ:{netabare}
 おまけその①。ハクに対して「八つ裂き」という言葉がぶつけられます。これもギリシャ神話がらみだと思います。オルフェウスの末路が八つ裂きですから。
 とはいえ、ハクの末路が八つ裂きだとは思いませんけどね。件のセリフは、覚悟を問うたものであるというのが理由の一つ。もう一つの理由は、千と千尋がオルフェウスのifストーリーだからです。千尋が神話を覆したのと同様に、ハクも覆す側だったという方がしっくり来ます。そもそもオルフェウス役は千尋ですしね。

 おまけその②。今度は風俗がらみの話。
 千尋の腹痛が描かれていますよね。これは生理を象徴したものだと思います。千尋は腹痛の後に、オクサレ様のお世話をしています。床掃除をしていた見習いの千尋が、腹痛を契機として一人前になったということです。
 「宮崎駿監督は、性を隠し過ぎる!」なんて指摘もありますよね。まぁ、おっしゃる通りで(笑)
{/netabare}

 神話の引用が多かったし、外観にしか触れなかったため、文章量の割には薄っぺらな内容になってしまいましたね。千と千尋のレビューでは全く違う内容を書こうと思っていたんですが、以前トトロのレビューで書いた「死を描くことと実際に死ぬことは違う」ってことの具体化で使ってしまった、というオチです。ご勘弁を。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 19
ネタバレ

ぺし さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

トンネルの向こうは、不思議の街でした。

たぶん見たことない人の方が少ないと思うので、あらすじはあにこれのをご覧下さい♪

ジブリの中では3番目に好きな作品です。ただ好き嫌いを除いて評価すれば、手書きのアニメーションに置ける最高傑作だと思います。粗が見当たらない。日本興行収入第1位の作品というのも納得がいきます。


中途半端で物語に入り込めないという方も居ますが、そもそもジブリ作品というのはあまり説明をしないので、見る側に多分に解釈の余地が与えられています。
なので完全な答えを求める方には向かないかもしれません。あと、説教臭くてジブリアニメは嫌いだって人もいますね。(自分は好きですが…。)

ジブリ作品と言えば風刺って言う人も多いです。特にこの作品にはそれが顕著に表されてる気がします。そこで、個人的にここ風刺だなぁと思った所を書いていきたいと思います。

{netabare}
・千尋のお母さんの冷たさ
見ててこの人なんか千尋に冷たいなぁと思ったことありませんか? これは現代社会(2001年当時ではあるが…)の一種の母親像だと思う。共働きで独立心が強く、「子供だから」という理由で何でも許されるのを嫌い、子供にも自立心を求める。また、千尋のお母さんは、化粧や出で立ちが割りと派手。「母親」というよりも「女」というイメージが先行する。←これは母親になるという覚悟が足りないままに子供を産んだ結果、虐待や育児放棄をしてしまう事への風刺に見える。

・父親の自分勝手さ
これはたぶん見てれば分かるんですけど、家族の安全も考えずに興味本位で舗装されていない道を突き進む所なんかは凄く自分勝手ですよね(-_-;)
これも家族とはどうあるべきかっていう風刺に思えます。…だからこの2人ブタにされちゃいましたよね(゜ロ゜;

・湯婆婆の坊への接し方
周囲の事は全く意に介さず、自分の子供だけを特別に扱う。これでもかと甘やかして束縛する。←過保護や過干渉への風刺。これだけ大事にしているのに、湯婆婆は姿を変えられた坊に気づけませんでした。子供の何を見ていたのでしょうか? 「千尋と坊」「千尋の親と湯婆婆」そんな対比にも見えます。時には厳しく、時には優しく…厳しさと優しさのバランスを上手く取れると悲しい事件も減るのかも(*_*)

・オクサレ神
最初出てきた時は、カエルが気絶し、リンの持っていたご飯が一瞬で腐るほど、汚い神様として出てきました。ですがその正体は水の神様。←これは水質汚染への風刺だと思いました。
{/netabare}

見る人によって色んな解釈がある今作。ここからは私個人の解釈を書きたいと思います。
{netabare}
・千尋が湯婆婆に渡された契約書に名前を書くシーン
気付いている人も沢山いると思います。実はこの時千尋は自分の字を間違えて書くんです。「荻野千尋」の「荻」の 火を犬と書いてしまいます。←これは自分の名前を忘れると支配されるこの世界において既に初期症状が出ていたんじゃないかなぁと思います。

・千尋の靴
これはあんまり他に言う人がいないので、自分の勘違いかもしれません。釜爺の所に居るススワタリ(まっくろくろすけみたいなヤツ)が、千尋の靴に群がったり、靴を運んだりするシーン。←これは、千尋が川(ハクの現実世界の姿)に靴を落としたって話した時の伏線だったんじゃないかと思いました。何気無いシーンなのに意外と長く映っていた気がします。

・カオナシとは何か
これは良く言われているけど、人間のお金に対する欲望そのものという解釈。
その証拠にお金の欲望に負けた人間は皆カオナシに喰われてしまった。千尋にも砂金を渡そうとするけど断られる。←これは千尋を試したんじゃないかと思いました。

・列車
銭婆の家に向かう為に千尋達が乗った列車。死者をあの世へ送り届けるための乗り物だという説があります。それが理由なのかこの列車には行きしかありません。

また、途中にある駅に寂しそうに佇む少女の姿があります。これは死んだ兄の帰りを待つ節子なんではないか?と思いました。そう考えるとこの列車が死者を運んでいるという事に説得力が出てきますね。

さらに列車の中にいる人はほとんどが黒く透けていました。これは自殺してしまった人なんじゃないかなと思いました。明日への希望を見出だせず死んでしまったから黒く透けている。←こじつけかもしれないですけど(-_-;)
〈追記〉釜爺が「昔は帰りの電車もあったのじゃが…」的な事を言っていたらしいので、また違う解釈があるのかもしれません♪

・トンネルの色
行きは真っ赤な色をしていたのですが、帰りは普通のトンネルになっています。この時、車の回りの草木も行きの時と比べて不自然に生い茂っているように見えます。←これはたぶんですけど、帰りの景色が本来の姿だったんだと思います。最初にここに来た時点で向こうの世界に引き寄せられていたから、赤いトンネルに見えたのかなと。

・銭婆の一言
千尋達が銭婆の家に来た時。「私達は2人で1つなのにねぇ…どうにも気が合わなくて」みたいな事を言っています(記憶が曖昧ですが)。ここで自分が思った事は、湯婆婆と銭婆は元々1人だったんじゃないかと。←だってただの双子がそんなこと言うのかなぁと。そもそもこの2人の争点になっているのが、この世界のルールを決めるための印鑑です。

湯婆婆は本当は元の1人に戻りたい。その方がこの世界における自分の力が強くなるから。けどもし1人に戻った時、自分の自我が消えてしまうかもしれない。その為にあの印鑑を欲した。けれど、銭婆はせっかく2人に別れたのだから1人には戻りたくない。だから印鑑を渡したくなかった。

この解釈は自分の妄想に近いです(笑) 他の部分に比べて説得力も薄いので、深読みし過ぎな感じもします(--;)
{/netabare}


個人的に気になった点
{netabare}
千尋のいる部屋に龍の姿になったハクが逃げ込み、千尋が閉める戸に無数の式神が突き刺さるシーン。←これ、ハリーポッター賢者の石に出てくる鍵鳥が、無数に扉に突き刺さるシーンに凄く似ている。あまりにも似ているので、どちらかが影響を受けたんじゃないか?と勘ぐっちゃいました(笑)

あと、銭婆と湯婆婆の名前を合わせると、銭湯になります。やっぱ元は1人だったんじゃないかな(^-^;
{/netabare}


ここまで色々書いてきましたけど、あくまで推測、空想の域を出ないので、見る人によって感じ方は沢山あると思います。でも、製作側の意図した事を少しでも汲み取れたていたら良いなぁと感じています(*^^*)

レビューを書くに至って、色々調べたんですが、なるべく自分の言葉で書いたつもりです。ここ違うだろ、自分はこう思うなって、メッセージくれたりすると嬉しいですね(*^^*)

長文、乱文失礼しました\(__)
最後まで見てくれた方は本当にありがとうごさいました!!

投稿 : 2024/05/04
♥ : 53

65.3 2 風呂でコミカルなアニメランキング2位
妖怪アパートの幽雅な日常(TVアニメ動画)

2017年夏アニメ
★★★★☆ 3.2 (251)
1058人が棚に入れました
両親を亡くしたため、親戚の家で肩身の狭い生活をしていた稲葉夕士は、高校入学を機に一人暮らしを決意する。そこで見つけた格安の下宿先「寿荘」。しかし、そこはなんと妖怪・幽霊・人間が入り混じる奇妙な「妖怪アパート」だったーー‼ 不気味な姿をした妖怪達と個性的すぎる住人達にはじめは戸惑う夕士だったが、彼らとの奇妙な共同生活の中で、それまで閉じていた心が徐々に開いていく・・・。

声優・キャラクター
阿部敦、中村悠一、子安武人、沢城みゆき、石田彰、中井和哉、森川智之、杉田智和、速水奨、遊佐浩二、釘宮理恵、田村睦心、三石琴乃、関俊彦、折笠富美子
ネタバレ

kororin さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.4

チュチュンがチュン♫・・・

電線に雀が三羽とまってた それを夕士が鉄砲で撃ってさ、煮てさ、焼いてさ、食ってさ
ヨイヨイヨイヨイ オットットット ヨイヨイヨイヨイ オットットット?
・・・
まあ、オチャラケたくなるような「電線音頭」はさておき、2クール目も決まったことなのでチョット小言を。

とにかく「女子想像&創造」「女子嗜好」「女子理想」「女子妄想」が出てるおかげで一般的に受けつけがたい感じがしますが、共感できる人もいるんでしょうがねぇ・・・(恐らく)。

稲葉夕士は中一の時に両親を失い、預けられた親戚の家では叔父・叔母に気を使い、従姉には何故か嫌悪される。そんな居心地の悪い所から抜け出すために寮制の高校入学を機に自立を決意。しかし春先の火事で寮が全焼。寮の復旧見込みの半年先まで、新しい住処を探さなければならなくなり、なんとか見つかったのは格安物件「寿荘」。しかしそこは異界の住人が集う別名「妖怪アパート」だった・・・
そんな不運(物語性にとっては仕組まれた”幸運”)に見舞われた夕士少年を作者(又は制作側)はイジりながらも過保護に、且つ「理想多め」に成長させていくストーリーのようにも思えます。

ここからは、小姑のように辛辣な文感想を書くかもしれませんので気分を害したくない方はココで止めておいてください。{netabare}
[主人公・稲葉夕士]
・均整のとれた「サッパリ美形」。高校生というより何か「大学生」っぽく見えます。(大人っぽい容姿が女子受けには良いのでしょうか?少年より青年の方が見栄えがイイ?)
・上記の通り不幸な身の上で、周りに気を使い、自身に「何かと」貯めこんでそうなのに「妙」にサッパリした性格で生真面目すぎるのが不思議?
(普通はダークサイドに陥るようなものですが、そんな主人公って見たくないよね?)
・「不思議耐性&順応」が乏しすぎて「普通すぎるリアクション」に見ていると時々物凄く苛々させられます。(とにかく一般常識・良識で乗り切ろうとする行動がチョットまどろっこしい。)
・半年住んで馴染んだ「妖怪アパート」を出て、学校の寮に入った夕士。しかし人間関係が上手くいかず再び「妖怪アパート」に戻ってくることに・・・(自己解決の答えが当初と同じ『逃避』という事を肯定してるようで腑に落ちないけど、「異界」との絡みがないとストーリーが進まないからしかたないよね?)
・周りに女子はそれなりに存在しますが、夕士との「恋」の展開は『絶対』起こさせません。(夕士の恋人は泉貴だと腐女子が望む限り・・・)
・プチヒエロゾイコン(小魔導書)の「マスター」に成り行きでなってしまった夕士。もう「自覚が乏しい」は、学校で不用意に使うは・・・(これが若さか?)
・「妖怪アパート」の先輩年長者に対して使う言葉の語尾に「ウッス」「〇〇ッス」と言っていることに違和感が。体育系クラブやってるわけでもないのに。(何か不自然に感じますが、これもある種の乙女理想?)

[長谷泉貴]
・夕士の親友で『心の恋人』。容姿も美形、腕っぷしも強く、家も裕福な家庭。学力もかなり良さそうで、性格も善人。しかも根回しの達人。(完璧すぎて引くわーーー。嫉妬になるかもしれませんが。こんな出来過ぎキャラも乙女理想?)
・高校進学は別々になる夕士と泉貴。中学卒業式後、友情確認の殴り合い。しかも笑顔で。しかも顔が全然腫れてない。(こんな「コト」は「絶対」あり得ませんが女子にとっては「カッコイ友情&愛情」という乙女理想像なのでしょうか?)
・第⑧怪:「寿荘」に遊びに来て子供幽霊「クリ」が気に入った泉貴はクリのパパ宣言。夕士には「本妻」勧告。(あ~あ、やっぱり・・・BⅬしたいんだんぁ・・・)
・第⑧怪:泉貴に感極まって抱き着く夕士のシーン。(ホラ、やっぱりね。腐女子の「グッ!」が目に見えるようだ・・・)

[寿荘の面々]
・個性的なキャラは面白いが全員「良い」人(&妖怪&幽霊)すぎ。夕士にとっては憧れるデキる大人ばかり。(夕士との絡みはあるものの、夕士を困らせる事件が無いのが物語としては味気ないような?みんな「仲良し」が良いのでせうか?良いのでせうね。)
・住人とのコミュニケーションは「人型」だけ。異形種とはあまりないのが残念。(アノ大家さんとの絡みって無いですね)
・男性キャラは当然イケメン。渋い人、ワイルドな人、カッコイイ人等、みんな余裕のあるデキる大人達。女性キャラはツマミ程度なセクシー幽霊と明るく元気なお姉さん。(如何にも女子嗜好って感じが・・・)

あと説明&解説が妙にゴリ押しで入って来るような感じがして、キレの悪い長さの尺が不自然すぎて面白くない(ように)思えました。

そして[BGM]。
ワザとそうしてるのか?制作側のセンスなのか?見ていて80~90年代の日常系アニメのような錯覚をを起こさせるほど「古く」感じます。(コレが良いと思うか悪いと思うか?)

シナリオは時たま人生教訓めいたものがあるので好感ですが「不思議重視」なのか「少年の成長重点」なのか曖昧過ぎて何か気持悪いです(個人的に)。

そんな小言を言いつつも、とりあえず視聴はしていきたいと思います。

※余談ですが第⑪怪でネタになった古典SF名画『禁断の惑星』とキリスト教が初めて負けた古典ホラー名画『エクソシスト』。
「エクソシスト」を、ながら歓談している「寿荘」の面々。劇中描写がマトモなのにBGMが軽すぎて、失礼だなぁ~と思いました。
世間的に「イドの怪物」という名称が知られるキッカケとなった映画『禁断の惑星』(1956年)。子供の頃に見たって・・・何か渋いねぇ。
{/netabare}

【観終わって・・・】
一つ一つのベクトルはシッカリしてるみたいだけど、何か見事にかみ合ってないような感じがしました。{netabare}なんせ、
・個性豊かすぎる寿荘の面々。各キャラで1話分の話が出来そうだけど何人かは捌ききれなかった(主人公は夕士なので)。
・夕士の学校生活・部活や人間関係で起こった問題と解決のための展開。(納得できないオチもありました)
・寿荘における夕士のスタンス。談話だったり問題談義だったり「(疑似)家族ドラマ」のようにしたかったのか?
・プチヒエロゾイコンのマスターになってるにもかかわらず、あまり自覚の無いような展開にシラケてしまう事もあったのでは?
・毎話出されるルリ子さんの料理。おいしそうなんだけど、ただ出されて「美味い」というだけでは何かモノ足りないような…
etc、etc・・・{/netabare}
ネタが多く詰込み過ぎて収拾がつかず、やむなく強引な演出になってしまったために全体のバランスが非常に悪くなって、あまりイイ印象にならなかったように思えます。
BGMのセンスの悪さ(80年代、日常・ファミリーアニメ風)がさらに拍車をかけてたような気もします。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 20

Ka-ZZ(★) さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

そのアパートでは「不思議」はいつもそばにいた。

この作品の原作は未読ですが、沢城さんとくぎゅが出演されると知り視聴を決めた作品です。
沢城さんとくぎゅ…この組み合わせを想像すると、視聴前から口元がにやけてしまいそうですけれど…

この作品は2004年に第51回産経児童出版文化賞フジテレビ賞を受賞しており、原作の累計発行部数が550万冊を超えてるとか…
でもそれだけ人気があるのも分かる気がします。
私はアニメしか視聴していませんが、全体的な作りがとても丁寧で細やかな部分まで目の行き届いた作品、という印象を受けましたから…

この物語の主人公は稲葉 夕士。
彼は中学の頃、両親を事故で無くし中学時代を親戚の家で過ごしました。
ですが、親戚とはいえ他人が突然家に押しかけてくる…
事情も状況も理解できますが、時としてうまく折り合いが付かない場合があると思います。

例えば、これまで一人っ子で両親の寵愛を全身に受けてきた人のところに、他人が突然入り込んで、これまで受けていた寵愛の一部を横取りされたら…?
誰だって横取りするつもりもありませんし、親の愛は本来分けるものではなく広がるモノ…

でも頭では分かっているつもりでも、心が追い付かない時ってありますよね。
稲葉と親戚の関係もちょうどそんな感じ…
だから、稲葉は高校進学と同時に学生寮での一人暮らしを決断するのですが、入寮直前に火事で全焼してしまうんです。
きっと学生寮が復興するまで親戚に厄介になる選択肢もあったと思います。
でも、稲葉はあまりにも格安すぎる物件を見つけ、一人暮らしを実行に移しました。
ですが、格安すぎる=いわくつきである事は、これもまた世の常…
そう…ここ、出るんです…
こうして稲葉の新しい居場所である「寿荘」での生活が始まり物語が動いていきます。

私も学生時代に親元を離れて寮で暮らしていたので、厳しさと楽しさは理解しているつもりです。
自分の身の回りに事に気を遣う機会が増え、常に友達が部屋に入り浸る毎日…
あの頃は「プライバシー」という概念なんて微塵もありませんでした。
学校が終わって部屋に帰ると友達がいて、私が寝た以降も誰かがゴソゴソしてる事なんて日常茶飯事でしたから…

だから、稲葉が新たに得た「寿荘」の居場所…私的には全然OKでしたけど、これまでの生活と一変した壁の無い生活を突然突きつけられたら戸惑いを覚えるのも仕方ありません。
人との触れ合いがとても大切だと実感して、本当の自分の居場所と受け入れた以降、この物語は面白さに拍車をかけていきます…

物語は大きく3本の幹があり、ほど同時に進行しています。
一つ目は、寿荘での日常、
二つ目は、稲葉の学校での出来事、
そして3つ目は稲葉自身について…という感じです。

寿荘での日常は羨ましい空間が広がっています。
毎日ワイワイ賑やかなのも結構ですし、るり子さんの絶品料理に舌鼓を打つ毎日は堪らないと思います。
でも、一番羨ましいのは悩みを話して…それを真摯に受け止めてくれるところだと思います。
高校生の稲葉は寿荘の中で最も年齢含め最も新米…
学生同士でいくら相談しても解決できないことも、人生経験な大人が稲葉の目線で親身に相談に乗ってくれるなら…相談もしやすいですよね。
相談って年齢を重ねるごとにし辛くなっているような気がするので、そういう空間って改めて貴重だと思います。

学校での出来事…稲葉は勉強、クラブ活動にバイトと大忙し…
日々バタバタとして生活を送っていますが、それは充実している証でもあると思います。
一見学校生活って平坦っぽいんですが、決してそんな事はありません。
不特定多数の人間の集まりなのだから仕方ないのかもしれませんが…
そこで何を感じて何を選択するかは本人次第…
この本人次第を学生時代にもっと大切にしていれば、と個人的にはちょっぴり後悔を感じたり…

そして稲葉自身については、この物語の核心に迫る部分になるので、気になる方は是非本編でご確認頂ければと思います。
きっと寿荘でしか得られなかった可能性だと思います。

オープニングテーマは、ロザリーナさんの「Good Night Mare」とWi-Fi-5さんの「始まりのカレッジ」
エンディングテーマは、稲葉夕士と長谷泉貴の「日常識Broken down」とロザリーナさんの「音色」
兎にも角にもロザリーナさんの曲が素晴らしかった…
ロザリーナさんの独特の声質が胸に染み渡りました。

2クール全26話の物語でした。
人と人の繋がりを大切にした作品です。
昭和の頃…日本のあちこちで見られたこの作品の様な風景や人同士の関係が、今では物凄く貴重なモノになっている気がしてなりません。
人との繋がりに温かさを求めたい方…きっとこの作品を堪能できると思います。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 14
ネタバレ

▒▒▒ ⇒ムフ♪ さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

こんなに楽しめるとは思わなかったよぉ♪(*‘ω‘ ≡ ‘ω‘*)♪

絵が気に入らなくって絵に慣れるまで6話までかかったよぉ(ノ∀`)アチャー

【これって日常系?】
アニメの日常系ってただ単にカワイイだけで私にはつまらない作品が多いのだが、この作品は現日常の人間関係でかかえている切実な厄介な問題を取り上げてるなぁと感じてしまった。
{netabare}
私はネットで誰かと関わるようになって、今の人間関係って...

気軽に楽しくで、いいんじゃないの?

(;-ω-)ウーン

確かにそうなんだけど、希薄というか、厄介な奴までにそれをする人がいるし...
なんだかなぁってな感じで、なかなかなじめない...

でも感情的になったり、厄介な奴に注意したらたちまち炎上だし...

やっばり気楽に接する方が無難なのか...

(;-ω-)ウーン

いつも悩んでしまう( இ﹏இ )

嫌な奴は嫌だァ!ι(`ロ´)ノ

と、叫びたいけど我慢してしまう(;´д`)トホホ…

だから、主人公が厄介な奴に絡んでいくのが凄いなぁと感心してしまうのです( ゚ー゚)ウ ( 。_。)ン

そんな主人公がそうなのは、周りにいい大人がいるおかげ♪

とくに若い男の子は身近に尊敬できる大人さえいれば、悩んでも壁にぶち当たっても、どんどん前に進んでいける単純な生き物♪

現実世界でも同じ事なんだけど、そんな大人なかなかいまへん(ヾノ・ω・`)イナイナイ

かくいう私も尊敬に値する大人にはなれなかったとです(ヽ´ω`)トホホ・・
{/netabare}

【お気にのキャラは…】
作品は気に入ったんだけど、思い入れの強いキャラはいなかったなぁ。
{netabare}
しいてあげれば、料理上手な「るり子さん」かな(〃艸〃)

るりるり~♪結婚してけれぇ~♪

そしてその手でԅ(¯﹃¯ԅ)グヘヘヘ

そうだ!嫌いなキャラはいたわ!
英語教師の青木!
現実世界でもこういう奴が希にいるけど1番嫌いだ!( ✧Д✧) カッ!!
{/netabare}

【OPのモナリーザが…】
大きな収穫は主題歌を歌ってた「モナリーザ」♪
{netabare}
どストライクやんけ~(*´Д`*)
ハスキーな声がたまりまへん(*´Д`*)
ぶた鼻さいこ~う(*´Д`*)

メジャーなりたてみたいだし、今後期待でおま♪(´∀`*)ヘヘ
{/netabare}

【前からレビューで気になってた事…】
この作品のレビューにも…
「説教くさい!」
「価値観の押し付け!」
{netabare}
とか、書いてる人が多く見られた。

えっなんで?

私は何十年もアニメを見てるけど、アニメにたいしてそんな気持ちになった事がない!

そもそも、「説教くさい」って主観的じゃないと言えないのでは?
アニメのキャラから説教受けてると思ってしまうのかしら?

私はアニメをほとんど客観的に見てるけど、主観的になるのは魅入ってる時ぐらいかな?!

でも、そういうレビューを書いてる人の文面からは、魅入ってる感じがしない…

(;-ω-)ウーン

それか、好みじゃないアニメとかで人生観みたいな事を発してると「説教くさい」とか感じてしまうのかしらん?
それなら見なけりゃいいだけの話だと思うけどww

(;-ω-)ウーン

こういう人達は、気に入ったアニメとかは「メッセージ性が強い!」とか言ってそうww

ようは、気に入る気に入らないの感情で「説教くさい」という言葉を選んでしまってるのかな?

(;-ω-)ウーン

私はレビューで「説教くさい」や「価値観の押し付け」というのを見ると…

この人達とは絡めないなぁと感じてしまう…

私自身が説教くさい奴なので(´∀`*)ヘヘ


結局、私だけが「説教くさい」という言葉に過敏なのかもしれない…

今の時代の流れなのかな?
誰か教えてぇ!

私は説教くさい奴なので、絡むと痛い目あうと思いますが♪(´∀`*)ヘヘ
{/netabare}
( ・θ・)( ・θ・)( ・θ・)チュ♪チュンガ♪チュン♪

投稿 : 2024/05/04
♥ : 5
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