お祭りでシリアスなTVアニメ動画ランキング 2

あにこれの全ユーザーがTVアニメ動画のお祭りでシリアスな成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年06月04日の時点で一番のお祭りでシリアスなTVアニメ動画は何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

86.8 1 お祭りでシリアスなアニメランキング1位
3月のライオン 第2期(TVアニメ動画)

2017年秋アニメ
★★★★★ 4.3 (754)
4055人が棚に入れました
羽海野チカさんが「ヤングアニマル」(白泉社)で連載中のマンガを原作としたTVアニメの第2シリーズ。前作は2016年10月~2017年3月に放送され、東京の下町に暮らす孤独な高校生プロ棋士・桐山零と彼を取り巻く人々との交流を描き、幅広い層に好評を博した。監督は新房昭之さん、キャラクターデザインは杉山延寛さん、アニメーション制作はシャフト。

声優・キャラクター
河西健吾、茅野愛衣、花澤香菜、久野美咲、岡本信彦、井上麻里奈、細谷佳正、三木眞一郎、杉田智和、木村昴、千葉繁、大川透、櫻井孝宏、石田彰、玄田哲章、阪口大助、中村悠一、東地宏樹、大塚明夫、岩田光央、大塚芳忠、悠木碧、西明日香
ネタバレ

タケ坊 さんの感想・評価

★★★★★ 4.9

単なる娯楽を越えて世の中に貢献しているTVアニメは滅多にない

☆☆物語&感想☆☆

1期は物語としてはややスローペースながらも、
零という人物とその人間関係、将棋、棋士というものを、
非常に丁寧かつ細やかに描いてみせたのがとても印象深かったが、
2期は更にこれまで登場した人物との関係性をより深く描くこととなった。

部活、新人王~記念対局、棋聖戦といった将棋に関わる部分と、
零との関わり、そこに登場する人物に於いても、
これまで同様充分観ごたえのある珠玉の人間ドラマを観せてくれたが、
やはり、それ以外の約半分近い尺を費やした、
{netabare}ちほ、ひなたのイジメ{/netabare}が2期のメインとなったのは明らかだった。
感想は長くなるので、主にこの問題に関する部分に関して書こうと思う。
以下どれくらいネタバレになるのか判断しにくいので、続きは隠させてもらいます。
{netabare}
自分はこの作品が現代のイジメ問題に、
誤魔化し無しで真っ向から挑みアニメ化したことについて、
文部科学省とのコラボレーションという後押しもあったとはいえ、
本当に心からよくやった、快挙だと思っている。
何故なら誰もが経験する学校生活の中で、イジメほど身近で深刻な問題は無いはずなのに、
イジメ被害の側面を取り上げる作品はあっても、
本気でこの問題に具体的に取り組み、
視聴後に観た者に光や救いをもたらすようなものはなかったからだ。
それは何故か?答えは簡単、そんなものを作ったとしても「売れない」から。
内容が優れていても「売れない」作品をアニメ化出来るのは、
「TVアニメ」としては現在のところ実質NHKくらいだろう。

もちろん、イジメを描いたTVアニメがこれまで無かったわけではない。
長らく「日本アニメの良心」として作り続けられていた世界名作劇場シリーズの、
「小公女セーラ」などは、数十話に渡って虐げられる様が延々と繰り返されるという、
視聴者にもひたすら忍耐を強いる内容で、
本作で描かれるイジメに比べると遥かに過酷なものだったが、
当時は作品数が少なかったことや、放送時間帯に恵まれたことが幸いし、
セーラの決して絶望しない強い心や忍耐力は多くの人の胸に刻まれることとなった。

「小公女セーラ」は今でも時代を越えた名作であるのは言うまでもないが、
作品の中で描かれた「忍耐」や「決して絶望しない強い心」は、
80年台という時代としては、ある種の美徳であったように思うものの、
現代は価値観も変化し、必ずしも忍耐自体が美徳ではなくなったように思える。
そのような時代背景をふまえて考えると、「小公女セーラ」は現代人にとって、
もはや視聴後イジメ被害からの光や救いをもたらすものでは無くなったのかもしれない。

本作で取り扱ったイジメ問題に関して、
当初は綺麗なご都合主義でまとめるようなものであれば、酷評するつもりでいた。
しかしながら、作品中で描かれたものは、イジメの発生経緯~終息まで、
被害者、加害者のみならず、親、教師、周りの人間まで、
全ての言葉がこれでもか、という本音で、
現代のイジメが生々しくリアルに描かれていた。
(今は携帯が有るので、もっと陰湿かつ複雑になっているだろう)

その中に原作者の本音というか問題提起とも受け取れるような言葉も、
最後に担任を任される教師の口から出たような気がする。
「イジメの加害者が、謝って済むというのはおかしい。
加害者は自ら行った事に関して、それ相応の責任を追うべきだ」
といった感じの内容だが、自分も確かにこれには同意する。
被害者はイジメが終息した後も、ずっと心の中の傷は消えることはないのに、
加害者が何の罰も責任も負わないというのは、明らかにおかしいし、
イジメが減らない要因の一つでもあるように思える。

作品中で林田先生が、
「いじめにはどのケースにも当てはまる100%の答え、解決法はない、だから難しい」
と言っていたが、少なくとも解決の糸口はいくつも提示されていた。
その中でも最も重要と思えたのが、シンプルでいて実際は一番難しいかもしれないが、
「本人だけで抱え込まず、周りの大人に相談すること」だ。
先に上げた「小公女セーラ」のように強い人間ばかりではないし、
一人で抱え込んでしまうことで、
結果的に自ら命を経ってしまうような最悪のケースが起こっているのだから。
(実は自分の姪っ子も過去に小学校でイジメにあっていたのだが、
親を含めた周囲が努力することで解決することが出来た)

でも、実際はひなたの担任の教師のように、
現実を見ずに向きあおうとしない教師が多いのも事実だろう。
あの担任の教師は最悪だったが、その言葉にも同情する余地はあった。
今の教師も日々必死で教師自身が追い詰められ、
休職に追い込まれるようなことも珍しいことではない。
(神戸であったように、教師間でもイジメがあるような昨今である)
それでもやはり、とにかくイジメられている子供は、
周囲の大人に救いを求めるという事が本当に大事だ。

結果的に学年主任の教師が非常に優秀だったことと、ひなたの強い心があったからこそ、
イジメは解決に至るわけだが、たとえ100%の解決法が無かったとしても、
本作を観た大人や教師が、被害者、加害者に対してどう向き合っていくべきなのか、
林田先生や学年主任の教師の行動や言葉の中に、
学ぶべきものは本当に多かったと実感している。

イジメは当事者だけの問題ではない。
傍観者も間接的な加害者であるとも言える。
自分の子供が将来当事者になる可能性だってある。
全ての人が何かしら本作を観て学ぶべき所があり、
本当に観る価値のある内容だと確信している。

作品中、ひなたは零によって助けられたが、
零もまた、ひなたの「私のしたことは絶対に間違ってなんかない」
という言葉によって救われた。
(その真意は直後には語られないが、43話で零の口から語られている)
過去にイジメ被害に遭った人にとっては、
内容が本当にリアルであるぶん余計に目を背けたくなると思うが、
ひなたの言葉によって、零のように救われた気持ちになる人も少なからず居ると思うし、
是非これからでも観てもらいたいと思う。
{/netabare}
物語がまだ途中のものに5点を付けるということはやや躊躇われるところもあるが、
視聴後に於いて、人の考え方や生き方を変える可能性すら持った作品、
ましてや本作は、大げさに思われるかもしれないが、
間接的にでも人の命をも救う可能性すらあるという意義を鑑みると、
5点を付けることに躊躇する理由はないと判断した。

☆☆声優☆☆

キャスティングに関しては、1期から、もう完璧過ぎるというか、
よくこれだけの実力者&適役を集めたなとつくづく思う。
演じられる声優さんの方々も、本作の台詞には本当に演技のし甲斐があるというか、
声優冥利に尽きるんじゃないでしょうかね、この作品は。

上手い声優が全身全霊でぶつかって応える様は本当に心が揺さぶられる。
一言一言に魂が宿ったとも言える台詞は随所にみられたが、
中でも花澤さんの {netabare}「私のしたことは絶対に間違ってなんかない」
「こんな所生きて卒業さえすれば、私の勝ちだ」{/netabare}
千葉繁の{netabare}「よくやった、胸を張れ」{/netabare}
もうこの場面の演技で普段滅多にこの項目に付けない5点を付けても良いなと思えた。

そういや2期の最終話で登場した幸田母役に島本須美(ナウシカやもののけ姫)さんを起用し、
敢えて1エピソード丸々ほぼ止め絵での語りのみで聴かせたのはさすが、圧巻だった。

☆☆キャラ☆☆

人間というものを昨今のアニメでこれだけリアルに丁寧に描けている作品がどれだけあるだろうか、
そう思わされるくらい、この作品のキャラ描写と存在感はずば抜けている。
どの人物も主人公であるような錯覚、感情移入を覚えるが、
これはキャラそれぞれに圧倒的な説得力を持った台詞の深みと重みがあるから。
本当にこの作品は毎回名言が多すぎる。

シリアスな人間ドラマを、ある意味極限まで突き詰めている作品のため、
キャラ描写、存在感が弱かったらお話にならないが、
1期から引き続いて、やはりこの項目でも点数を引く気にはならない。

☆☆作画☆☆

自分の意見は少数派かも知れないが、贔屓目なしに、
2018年に観たTVアニメの中でも本作の作画は特に凄いと思って観させていただいた。

1期から変わらない極上の淡い水彩画タッチの背景は味わい深く、
キャラの輪郭が背景から浮かないセル画調の質感の相性は抜群で
派手なアクションはないものの、普通は動かさないような所で、
作画枚数を増やしてCGのようなシームレスなスローモーションで、
表情や髪の毛とかをヌルヌルと動かしてみたり、
かなり芸の細かいことを地味ながらやっている。
で、そういうところからユーモアのある場面には、
デフォルメの効いた全く違った作画で急に変化させてみたり、
本当にかなりの労力が掛かってるなと感じる。
キャラの表情の変化をこれだけ丁寧に描いた作品は滅多に見られない。

で、これだけなら通常は4.5点くらいの評価にするところ、
シャフトならではの表現力というか個性が出ているところが素晴らしい。
(別に自分はSHAFT信者でもファンでもない)
単純に美しい作画なものは色々あるものの、
映像に制作会社の個性までしっかり表現できている、
というのはなかなか並みの作品ではお目にかかれないところ。
EDなんかは予算の関係もあって、大抵静止画だったりするもんですが、
この作品はここぞとばかりにセンスを見せつけてくる。

ED後のイラストは毎話異なった人気漫画家を起用するなど、
こちらも毎回バラエティに富んでいて楽しませてくれた。

☆☆音楽☆☆

この項目は1期の点数から0.5点下げました。
OP,EDは曲自体に関しては文句はないものの、
やはり1期と比べてしまうと、アニソンとしてみた場合に劣ると感じたのが理由。
でも後半のOPに関してはイジメが解決してからのその後、
晴れやかさと新たな一歩を感じさせる曲調で心地良かった。

作中BGMに関しては1期から相変わらずで、このBGMのせいで何回泣かされたか。。
いや本当にBGMだけなら満点に値する素晴らしさ、生音への拘りも感じられるし、
曲数の多さも特筆モノだが、やはり予算の掛け方も違うんだろう。
シリアス~コミカルな場面、それぞれにとても印象深かったです。


恐らく2期の内容あってのアニメ化実現だったのかもしれないけど、
いつの日か続編が作られることを心待ちにしたいと思う。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 13
ネタバレ

▒▒▒ ⇒ムフ♪ さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

イジメっ子がイジメをしていた自覚がない理由とはd(ゝω・´○)

原作が好きだし、アニメもキレイに作ってくれるてるので大好きです♪

何もかも好きなんですが、特に…

あかりお姉ちゃんがたまりません(*´Д`*)
理想なんです♪

現実には、こんな人いないだろうなぁorz

芸能人で考えてみると…

映画で役をやってた倉科カナ…
(;-ω-)ウーン胸大きいけどフワフワ感がなぁ…

外見が似てそうな筧美和子かな…
(;-ω-)ウーン性格が違いそう。

声優で外見が1番好きな茅野愛衣…

これだ!(゚∀゚)
あかりさんの中の人だし、言うことなし♪
結婚して体つきがもっとフワフワになれば、あかりさんに近づいていきそう♪ԅ(¯﹃¯ԅ)グヘヘ


それはさておき…

特にこの2期は「イジメ」が取り上げられてて、色々考えさせられます。

今から、「イジメっ子がイジメをしていた事を自覚できない理由」を述べていきますが、壮絶なイジメを体験をされた方は見ないで下さい。気分を害するだけの内容なので(〃・д・) -д-))ペコリン


{netabare}
【イジメっ子がイジメをしていた自覚がない理由は…】
{netabare}
「ただのコミュニケーションとしか思ってない」
からです。

えっ?と思われるかもしれませんが、イジメっ子にとってはそんなもんです。

さらに…

「かまってやってる」「してやってる」という思いがあると、もっとイジメていた事を自覚できません。

イジメ以外にも…

パワハラ、セクハラ、モラハラ、等の〇〇ハラスメント。
DVやストーカーをやってる奴らも、ネットで影で誹謗中傷してる奴らも…


ただのコミュニケーションとしか思ってません。

※ここでは上の行為を行ってるものを「加害者」
被害にあってる方を「被害者」とします。
{/netabare}

【何故コミュニケーションとしか思えないのか】
{netabare}
いろいろ理由がありますが…
・自己肯定感のため
・相手とそういう事でしか関わりが持てないから
等があります。

だから、ただのコミュニケーションなんです。


「自己肯定感のため」だけなら、少しは罪の意識があるかもしれません。

怖いのが、「相手とそういう事でしか関わりを持てない」というのは罪悪感が持てないのです。

もしかすると高揚感を持ってしまう場合もあり、「加害者」はエスカレートしていきます。

これが多数からのイジメやネット炎上などになると、拍車がかかってエスカレートしていきます。

「加害者」が「ただのコミュニケーション」としか思っていないような「悪意のない悪」ほど、タチの悪いものはないと思ってます。
{/netabare}

【相手とそういう事でしか関わりを持てないのは…】
{netabare}
これはイジメっ子にもイジメられっ子にもあてはまります。
悲しいかな、それ以外の関係性が持てないのです。

もし、趣味や盛り上がる事で関係が持てたのなら「イジメ」は発生しません。

イジメもそうですが、ネットで「荒らし行為」をしてる輩もそういう事でしか、誰かとからめないんだと思います。

「加害者」全般にもいえる事ですね。


「コミュニケーション」はお互いが楽しかったり気持ちよかったりすれば、「いい関係」になりますが…

イジメやネットの荒らしや〇〇ハラスメント、特にストーカーが一方的な快楽のためだけに行ってる行為は「加害者、被害者」という関係になってしまいます。

加害者側は「ただのコミュニケーション」被害者側は「イジメ等」と相反した思いなので、泥沼化していくんだと思います。
{/netabare}

【日常の一部である無視】
{netabare}
人との関係性で相手に興味がなかったり、イジメとかタチの悪い相手などに関わりたくない「無視」というのがあります。

「イジメ」より多いであろう「無視」も人との関わり方(コミュニケーション)だと思ってます。

イジメやパワハラなどを、わかってて無視をする「自覚のある無視」は罪悪感を感じるかもしれません。

でも…

ネットでよくみる「こいつとは関わりたくないなぁ」というような「自覚のない無視」はいつも発生してるので罪悪感もなにも感じません。

これは一つの「防御反応」だと思いますが、「無視」という行為は誰もがやっている行為であるといえます。


ネットで日常的に行われてる「自覚のない無視」によってコミュ等をやめていく人も多いと思います。
これはコミュ力がない「無視されてる人」に原因があるので致し方がないと思いますが…

イジメやパワハラと共に行われている周りからの「自覚のある無視」は、被害者の方にとっては、たまったものではあまりません。

「イジメ」からの辛さに「無視」が加わることによって辛さが何倍も何倍もふくれ上がってしまうからです。


「無視」してる人の中には「イジメられっ子」が可哀想だと思って声をかける人もいますが、本作品のように「イジメられっ子」が受け入れられる事はなかなかありません。

受け入れられる可能性が高いのは、その「イジメられっ子」に興味がある人だけだと思います。

ひなたのようにね♪
{/netabare}

【イジメはこの世から消えないと思う…】
{netabare}
私は…

イジメ=コミュニケーションだと思ってるので、世の中から消えないと思う。

悲しいけど…


あえてイジメにあわない方法としてあげるとしたら、


「コミュニケーション能力を高める」

ことぐらいしか思いつかないorz

でもコミュ力を高めるのが、とてつもなく難しいのですorz


では、コミュ力を高めれない人はどうすればいいか…


「魅力を高める」

でしょうか。

「魅力を高める」のに効率的なのが、「何かに特化して夢中になる事」をあげたいです。


アニコレならアニメの知識を、豊富に持ってるユーザーは「尊敬」や「憧れ」の対象になって、他のユーザーから近寄ってくれる可能性が高いです。

一つの作品に特化するのもいいでしょう。

趣味でもスポーツでもなんでもいい!
興味持った事を長年突きつめると、そのことだけには自信を持つ事ができ、相手を蔑む行為さえしなければ「魅力のある人」になれます♪
{/netabare}

【芸能人や著名人の中にはイジメにあった人が多くいます…】
{netabare}
特に「指原莉乃」と「さかなクン」を尊敬しちゃいます♪

指原は中学時代に「イジメ」「引きこもり」の経験があるそうですが、極度のアイドルオタクだったおかげで辛いのを乗り越えれたみたいです。

モー娘か他のアイドルか忘れましたが、ネットで好きなアイドルを叩く荒らしと戦いまくってたそうですww

指原に魅了されてしまうのが、年々とキレイになってるなぁと思うからです。

バラエティでも過去のことをよく話しますが、暗さもイヤミぽさも感じません。
凄いスキルだと思います♪

時々みせる闇の部分が、私はとっても好きですけどねww


「さかなクン」もイジメにあっていたそうです。

さかなクンはイジメにあってた時に「魚の世界と似てるな」と思ったらしいです。
以外全文↓
{netabare}
広い海へ出てみよう

東京海洋大客員助教授・さかなクン


 中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。

 でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。

 広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。

 中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。

 ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。
{/netabare}

さかなクンを最初みた時は「ウザイキャラ」だなぁと思ってましたww

私は魚類というか水生生物全般が好きなので、さかなクンの豊富な知識に魅了されちゃいました♪

他に沢山の方がイジメや辛いことを経験されてます。

イジメで辛い思いをされてる方も一度は、好きな芸能人著名人+「イジメ」とググってみてはいかがでしょうかd(ゝω・´○)
{/netabare}
{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 4
ネタバレ

明日は明日の風 さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

将棋の世界に生きる者たちと下町の家族の物語…青春&人間ドラマの傑作

【開始前】
なんというタイミングでしょうか、今年、中学生プロ棋士が話題をかっさらいました。藤井君には零のような重さは感じませんが(あってほしくない…)、将棋に注目が集まったのは間違いないです。このタイミングで放映されますから、一期以上に注目が集まりそうです。

原作既読。一期の面白さに一期の途中で原作をむさぼり読んでしまうという始末…ドラマ系の作品が好きな人には満足いく作品だと思います。さらに、原作を活かしきって、上乗せするシャフトの演出も見事としか言いようがありません。それとNHKだからこそ、この作品が映像化されたと確信してます。

さて、二期。ほのぼのとしたスタートしました。{netabare}これはこれで良いのです。ここから二期は重くなりますから。重すぎてついていけなく人もいるかもしれませんし。それからかの名人の話も。{/netabare}この作品のテーマは桐山零が人間らしく生きることと、棋士として成長することです。そして、零の周りの人々が零にどう関わって、彼にどんな影響を与えていくのか、ここがとても面白いのです。時おり見せるクスッとする演出は重くなりすぎないためには必要なものだと思います。
二期も一期以上に期待しています。絶対に面白いです。

【後半スタート】
前半は{netabare}ひなたのいじめ問題が軸になる重い展開でした。ひなたの苦しみ、負けないと立ち向かう姿は涙なしには見ることができません。一方で、零は人との繋がりを覚え、棋士として成長していく様子が描かれました。なにかのために戦う、これまで零には無かった感情です。
いじめ問題のクライマックスが後半の1話で描かれました。いよいよ解決に向かっていきます。そして、桐山は棋士としてもうひとつ階段を上っていきます。そして、島田の話も来ることでしょう。これも熱くなります。{/netabare}
この作品の良いところは、対戦する騎士も魅力的に描かれている点。後藤もそうだけど、山崎の話をきちんと入れてくれたはさすがとしか言いようがないです。あの話も最後泣けてくるんですよね。本当に原作を大切にしてくれる良いアニメです。最後まで楽しみたいと思います。

【最終回を終えて】
原作自体、完成された作品です。その原作以上にすることなく、原作を潰すことがない、つまり、原作とアニメがイコールの関係性を保ち続けた素晴らしい作りでした。各エピソードがとにかく面白いのが「三月のライオン」という作品です。アニメにしても大丈夫か?というところ、例えば棋匠戦とか、本当に期待以上に描いてくれました。

二期はひなたのいじめ問題、名人との対局、棋匠戦、ひなたの受験と、怒濤の重い話が連続しました。ときおり、ギャグも入れて重すぎないようにしていますが、そうしてもズッシリくるエピソードです。

(ひなたのいじめ)
{netabare}二期の中心となったのがこのエピソードです。原作読んでいても本当に胸くそ悪くなる展開です。その中心人物である高城とその親、投げ捨ててしまった担任、見知らぬふりのクラスメイトに腹が立った人も多かったことでしょう。
いじめついては零が林田先生に相談した時の先生の言葉が大きな前ふりになります。「いじめで検索すると(中略)どこにも100%の解決方法は載ってないんだ」これです。そう、漫画といえど、いじめを取り扱ったときにはその答えをどう導きだすのかが大事。羽海野チカはこの問題をどう解決しようとしたのか。

ひなたの性格、ひなたを大事に思ってくれる周りの人々、置かれた状況。そして最後の切り札が国分先生と本気になった学校。これらから導いたのが三月のライオンにおけるいじめ問題の解消だったと思います。そして、三月のライオンが優しいのは高城を絶対的な悪にはしないところ。この子の心の底を見せ、その子の行く先を国分先生がとことんまで付き合うところを描いているのが本当に良いです。また、学校を出ていってしまったちほの行く末、いじめが起こす問題の大きさを実感させてくれました。{/netabare}

(名人との記念対局)
{netabare}見た雰囲気だけでただ者ではない感、まさにカヲル君のような不思議な存在感を醸し出していた三月のライオンの最強棋士である宗谷。中学生プロデビュー棋士としても零と比較されますが、人の形をした何か的な存在だった彼がなぜその雰囲気を作っていたのかが分かるストーリーでした。やっぱり宗谷も一人の人間だったことがわかり、零の棋士としての成長も垣間見えた良いエピソードでした。

舞台のひとつとなったのが仙台。駅からどこに向かっているのかがよく分かり、本当にきちんとロケーションしているんだなと実感。{/netabare}

(焼け野原)
実に三月のライオンらしい、見ごたえ抜群なエピソードです。この作品の良いところの一つが、キャラの誰もが主人公になってしまうくらい濃いキャラ設定。
{netabare}このエピソードの中心は柳原棋匠66歳。このエピソードまでは会長とおちゃらけしている場面が印象に残る程度の脇役。が、この話では一転、最年長A級棋士の化物として存在感を発揮します。悲願のタイトルを狙う島田8段との対局は地味で、タイトル戦として盛り上がらないと言われていたのが、二人の命を削るような一手一手に引き込まれていきます。柳原棋匠の心の声がどんどん重くなり、また、熱くしていきます。
その背負っているものの重さ、場面描写は作品中、ナンバーワンの名場面。島田8段の過去も1期で描写しているだけに、どちらにも肩入れしてしまうほど熱い話でした。なんでも、本当は島田8段がタイトルを獲る話を作る予定だったのが、書いているうちにこの流れにしたのだとか。この機転が利いてすごいエピソードになったということみたいです。正直、主役になりそうにないような人まで熱くしてしまうのがこの作品の良いところで、男の中男の漫画と言われるゆえんです。{/netabare}

(零とひなた)
二期の主軸の一つが零とひなたの関係性。二人とも大切な人して繋がっていきますが、それは恋ではありません。見ていると、いったいいつ意識するんだよというくらいもどかしいのですが、羽海野チカは単純に恋人として繋がることはさせませんでした。ここがポイント。
{netabare}零はひなたに心が救われました。そこで零はひなたを守ると心に誓います。勝ち進んで対局料で解決しようとしたり、普通とはズレた考えでも零がこれまで持てなかった感情です。ひなたもまた、零の思わぬ行動に傷ついていた心が癒され、彼を信じます。どこからどう見ても良い関係なんですが、あかりやじいちゃんからは零が男としてひなたと関係を作ろうと見られていません。「だって、零ちゃんですもの」「だって、ぼうずだぜ」がより、この二人の関係を表しています。
原作ではこのあと、また一つ大きく動くのですけどね。{/netabare}

作画と演出はシャフト丸出しの良いものでした。というか、原作そのものがシャフトの演出にピタリと合うものですけど。中の人は全員、キャラを演じきった素晴らしいものでした。というか、この人以外にはあり得んという当てはまりすぎな配役です。特に花澤さんは泣く場面が多く、難しかったと思いますが、ひなたが彼女で本当によかった。そう思います。

原作、アニメとも名作と感じる素晴らしい作品です。人間ドラマ、青春ドラマとして見ごたえも抜群です。この系統が好きな人は1、2期ともに見てほしい作品です。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 42

72.6 2 お祭りでシリアスなアニメランキング2位
CANAAN カナン(TVアニメ動画)

2009年夏アニメ
★★★★☆ 3.7 (971)
6053人が棚に入れました
渋谷で起こった大規模テロから2年。少女・カナンは、上海で対テロリスト組織の依頼により、武装集団「蛇」に対抗する日々を送っていた。渋谷テロの実行犯と目される「蛇」の首領・アルファルドは、かつてカナンと共に戦った仲間でありながら、現在は袂を分かち、南アジアで潜伏を続けている。
一方、フリーライターの御法川は、日本の三流雑誌社「ヘブン出版」の取材で、カメラマンで助手のマリアと共に上海へ向かっていた。マリアはそこで、中東で知り合った少女・カナンの気配を感じる。
華やかさと猥雑さが交じり合う"魔都"上海。かつて渋谷を震撼させた"ウーアウイルス"の脅威の影で、それぞれの運命が再び交錯を始める…。
ネタバレ

フーカム さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

見えないものを見ようとしてカメラのレンズ覗きこんだ(誤解を招く表現になっていたので少し最後の方のタイトルの解釈を修正)

同じような境遇を持ち兵士として育てられた二人の生き様を描いた物語
共感覚という新ジャンルを用いたこの作品は決してガンアクションがメインではない
どちらかというと視聴者側にゆだねられる心理描写が中心にある
ぜひ、その目で見てその耳で聞いて感じてもらいたい

自分なりにいろいろと考察してみましたが難しい(>_<)


1話「洪色魔都~こうしょくまと~」
{netabare}
タイトルは洪水のように色んな人の気持ち(色)があふれている異様な上海と好色的(こうしょくまと)でカナンが人形には色が無くて好きだといって射的の景品の人形撃ったのと掛けてるんだろうな

*冒頭のシャムのセリフ
戦争によって過去を奪われた犠牲者 = カナン
権力闘争により過去を失った敗北者 = アルファルド


 破壊によって生まれた兵士は憎しみを武器とする
 兵士としての起点は同じでも有り方は異なっている
 憎しみには憎しみで対抗してはならない
 その力で相手を消したとしても憎しみに囚われた
 自分がいる限り憎悪の数は減りはしない
 カナンお前は俺たちとは違う
                        」

これはアルファルドとシャム自身が憎しみを武器としていたってことなんだろうか?いきなり良く分からない(汗


マリアの写真への思い

 この世界には誰もが見えてないものがいっぱいあると思うんです
 ううん…見ようと思えば本当は見えないものなんて無いのに
 わざと目を閉ざしている
 この目でそれを見てしまうのは痛すぎるし辛すぎるから…
 だから閉ざしている
 写真は誰かの目を借りることができると思うんです
 自分の目を閉ざしたままでも誰かの目を借りて…
                               」

これはなんかわかる気がするなぁ
写真という客観的な立場で見るとはっきり認識できるけれど自分がいざ当事者となると見なかったことにしたくなるようなことがある…自分に降りかかる痛みや辛さが嫌だし怖いから
{/netabare}
2話「邪気乱遊戯~じゃけらゆうぎ~」
{netabare}
タイトルはあやとりと命をとったカナンのあやとりのような行為をかけてるのかな?あと邪と蛇を掛けてるんでしょうね

「もし目的でなく個人としての欲望をもったのならアルファルドお前は無敵だ」
シャムがアルファルドに向けたこの言葉の目的と個人としての欲望ってどう違うのだろう?よく分からない
最初はシャムの求める理想通りに強くなることが目的だったけどカナンが現れたことでシャムの視線がカナンに移ってしまったことからまた自分に戻したい(超人になりたい)という欲望ってことなのかな
{/netabare}
3話「阿断事~あだごと~」
{netabare}
タイトルは
阿=自分の意志を曲げて人に従う。
弟が蛇に従うのを断るってことと兄の仇(あだ)を掛けてる?

弟の仇討ちはなんで戦おうとしないでむしろ死ににきたような態度なのかと最初は疑問に思ったけど弟のセリフをよくよく考えれば
「だからこの化物(カナン)を作りだそうなんて無駄なんだって」
つまり初めから勝つつもりはなくて自分たちを操る蛇に対しての仇でありもうこんなことは無駄だから止めろと言いたかったんだろうな

この事件をきっかけにマリアはカナンを拒絶してしまった
これはマリアがカナンには共感覚があることを知っていたし
カナンが弟に敵意がないことは分かるはずなので
「普通の女の子」「強く輝く」カナンが「殺人」をするはずがないと思いこんでいたから
しかしマリアに仕掛けられた爆弾のようなものの色は見えないからカナンは倒さざるを得なかった
{/netabare}
4話「呉れ泥む~くれなずむ~」
{netabare}
タイトルは「呉れ」や「泥む」は古語で
呉れには人からものをもらう
泥むには執着する、とどこおる、慣れ親しむ、悩み苦しむなどの意味がある
・アルファルドはシャムからもらった名前に執着
・日が暮れそうでなかなか暮れない(日=マリア への執着)
・刺青(いれずみ)は親しみを込めて刻んでもらった
・カナンはアルファルドへの憎しみから泥にまみれて悩み苦しむ
ぴったりなタイトルですね
しかも前回のタイトルの阿吽に合わせてか古語を使ってるあたりもうまい

シャムの「目を逸らすべきものは逸らしてもいい」って言葉がマリアのカメラへの思いと対比してていいですね

あとシャムに俺は何色かと尋ねられてカナンが
「薄茶色、1週間シャワーを浴びていない色」
と答え、それに対してシャムが
「見たまんま言っただけだろ」
と言いカナンが笑い出すシーンは最初見たまんま冗談で答えたのかと思ってましたがどうやら本当のことをいってたっぽいですね
そしてシャムが信じていないから笑いだしたという感じでしょうか


 お前はまだ復讐を考えているな、覚えておけ
 憎しみに憎しみであたっても意味がない
 憎しみには義務で当たらなければ救われない
 憎しみは何も生み出さない        
                     」

この解釈も難しい
任務とか命令で当たれってことでは無い気がする
かといって他にいい言葉が見当たらないけど命令や義務は引き受けることで行うから"憎しみを受け入れて"当たるということなのかな

カナンは憎しみで当たってはいけないと分かってはいても
「誰のせいで(シャムを)失った…誰のせいで(マリアを)」
アルファルドのせいで失うのだと思い復讐に向かう

またマリアも謝りたい思いからカナンを探しに夜の街に飛び出す
そして遊びまわった場所を探すものの見つけることは出来ない
そこで怖そうなお兄さんが集まっている路地をみて回想するシーン

 カナンは私が危険にさらされると助けにきた…もしかして今度も
 私がカメラを持つようになった理由…それはカナンに出会ったから
 わからないこと、目を背けたくなる出来事を見つめたかったから、
 カナンを分かりたかったから。なんて甘えていたんだろう、
 あの子を撃ったのは私を守るためだった…
 なのに私は罪の意識から逃れたくてどこかでカナンを責めていた
                               」
ここで自分が目を逸らしていたことに気づく、そして怖そうなお兄さんに絡まれるが、

 私は平気なんだから!
 自分の目で見て自分の気持ちで判断する
 すべての本当から目を逸らさない!
 逃げない…大沢マリアはカナンの友達なんだから!
                        」
と逃げずに立ち向かうマリアを助けに来たのはユンユンでありそして

 大沢マリア!、、、
 私の名前!あなたも教えて!お話したいの!あなたと!
 あなたのこと、カナンのこと…いろんなこと知りたいの!
                           」
なぜいきなり友達になろうとしたかというと
これは目の前の「怖いお兄さんに絡まれる少女」という目を逸らしたくなる状況にカナンと同じように飛び込んできたユンユンだからなのだと思う

一方カナンはアルファルドを倒しに向かうが返り討ちにされる
そのときの回想のシャムの言葉
「恐怖を知っているものは憎しみでは動かない。カナンは俺やお前とは違う。」
恐怖って何を表してるんだろう?またシャムやアルファルドとカナンは違うって一体どうゆうことなんだ
そういえば12話のファクトリーから帰ってきたカナンは恐怖やいろんな感情をもつようになり震えていたけどそれと何か関係あるのかな?

アルファルドのセリフに
「ありがたい、私と同じとこまで落ちてくださった」
とあるため、シャムをカナンに奪われたことに憎しみを感じていたのは間違い無さそうだけどそのあとに

 どうだ?憎しみから戦う気分は
 泥のようだろう?
 あがけばあがくほど引きづりこまれる底なしの闇
 その屈辱に私は耐えてそして這い上がった
                       」
と言っていることから今はカナンに対して憎しみではない何かを抱いているのだろうか?それとも憎しみを飼いならしたということなのだろうけど
その証拠としてカナンを撃たずに逃がすが
「まだ殺さないまだ楽しめる」
と言っていることから今はまだ殺さないけれどいつかは殺す気なんだろう
{/netabare}
5話「灯ダチ~ともだち~」
{netabare}
タイトルは友達の関係を火を用いてうまくあらわしていますね
カナンは消さないように灯すことが友達だと思ってたけれど
マリアは共に照らし合うことが友達だと考えているようですね

なんだかユンユンとハッコウは知り合いみたいだったけどどういう関係なんだろう?

マリアが悲しむからユンユンを殺さなかったけれど共に灯すというタイトルに込められた意味は実現できてない印象
マリアの一方的な欲望に対してカナンが無理に応えて危ないといった風前の灯し火って感じですね
{/netabare}
6話「LOVE&PIECE~ラブアンドピース~」
{netabare}
タイトルは愛と平和(PEACE)という謳い文句とパズルのピース(PIECE)をかけてるんでしょう
欠けたピースとはなんなんでしょう?色々考えたんですけどよくわかりませんでした
愛だけではダメで何かが必要というメッセージだとは思うのですが

蛇の動きがあるということで対テロ国際会議について調べるカナン
そんな依頼をしたわけでもないのに仕事熱心なカナンを見て夏目は
「先手を討つ。全てはお友達のためね」
それに対してカナンの返答
カナン「違う、マリアを失わないためにってそう思ってた…でもなんか違う」
夏目「やっと思春期に突入ね」
ここでカナンに友達に対する考えが変わり始めているのかな?
でも友達って一体なんなんだろう?
{/netabare}
7話「慕漂~ぼひょう~」
{netabare}
タイトルは慕い漂うと書いて慕う心が漂うというのと死体が漂っている墓標を掛けたのでしょう

アルファルドがマリアに対して
「お前のように欺瞞に満ちた女があいつにとってのカナンだというのか」
といっているがアルファルドは何が欺瞞だと思ったのだろうか?
出会ってから話した内容はほとんどないはずである
このことから考えられるのは記憶喪失であること
つまり過去を忘れていることに対して欺瞞に満ちていると言ったと考えられる
過去に執着し過去と戦っているアルファルドにとって過去から逃げたマリアは欺瞞に満ちているように見えたのだろう
{/netabare}
8話「乞~こえ~」
{netabare}
タイトルは乞が「こ」と「え」に似ているからっていうのとハッコウの出せない声をかけてるのかな?
そして乞にはものをねだるという意味があるのでハッコウが声をマリアがカナンをねだっていることもかけてるのかな

夜空の月を見上げながらマリアとカナンが会話するシーン
マリア

 自分のいいところも悪いところも良く分からなかった
 だからいろんなところに旅をしていろんなものを見て
 いろんな人に出会って自分のこと見つめてみたいって思った
 そしたらね空っぽだったいいところも、
 悪いところも無くてただ空っぽだった
 カナンと出会ってね驚いたの、
 すっごい辛いことがあったのにね、輝いてた
 月ってね太陽の光に照らされて輝いてるんだって
 私思った、カナンのそばにいれば
 いつか私も輝けるんじゃないかって
 ごめんね、もうカナンに頼っちゃってた、
 その上守ってもらったりしたら
 むずむずしちゃうよ申し訳なさ過ぎて
 カナンはただそこにいてくれればいい、
 そこにいてくれるだけで私はすっごいすっごい助けられてる
 私もいつか自分で輝けるようになりたい、
 だからずっとそばにいて、わたしのそばにいて
                            」
カナン

 目覚めてすぐにはいつもと感じが違うことには気づかなかった
 マリアと触れてもわからなかった…
 それは色が見えなくてもマリアの優しさは伝わってくるから                                   」

マリアは月、カナンを太陽に例えてるんでしょうね
空っぽのマリアが光るためにはカナンの強い太陽のような光が必要だと
逆に共感覚がなくなって暗闇の中にいるカナンには
共感覚がなくても見えるマリアの優しさの光は月のように見えているのでしょう
{/netabare}
9話「過去花~かこばな~」
{netabare}
過去のウーア(スワヒリ語で花や死を意味する)ウィルスの事件などの話(花死)ってことかな

アンブルームに襲われてカナンが倒そうとするときにハッコウが殺さないでと叫んでいました
このことから前回のハッコウのカナンに対する行動は自分たちと同じような境遇にある仲間(アンブルームやボナー)がカナンに殺されたのが憎かったといったところでしょうか?もしくは上海での弟のようにウーアウィルスの実験がカナン製造のため行われてきたことを知っていたからカナンが憎かったのどちらかでしょうね

そしてアンブルームの死体を撮影しろとミノさんに言われるも一度拒否するマリアはカナンの「普通の女の子」「強く輝く」といった良い面しか見ようとしない癖はまだとりきれていないようですね

またリャンを殺そうとするアルファルドを止めようとするカミングスを見てアルファルドは
「自らの命を彼岸に追いやってまで求め焦がれるものその正体に興味が湧いた」
とあるがこれはアルファルドがシャムを殺したときの回想を見てもわかるようにシャムはまるで抵抗する気が無いように見える
つまりアルファルドはこのときのシャムの気持ちを知りたかった
だからそれと似た行動をとる「愛」とやらに興味を持ったのではないだろうか?

ここで重要となってくるのがシャムと同じ薄茶色をしているアルファルドがカナンに対してどんな感情を抱いているのかである
諸説では「絶望」が有力視されていますがどうなんでしょうか?
これについてはまたあとで述べよう
{/netabare}
10話「想執~そうしつ~」
{netabare}
タイトルは想いに執着することで喪失するサンタナとハッコウを表現してるのかな
サンタナはハッコウの愛(死)の囁きを聴くことに執着しハッコウはサンタナの亡骸に愛(死)を囁きつづけることに囚われ命を落とす
そういった意味では11話のリャンもそうなのだろう

ここでアルファルドから薄茶色のヒントとなるような発言がある
「あいつを見ているとヘドが出そうになる」
「ある男を見ていても同じ気分を抱いた、この気分に名前を付けるとしたら…」
私は最初この言葉からアルファルドが抱いたこの感情は「失望」ではないかと思いました
前回もカナンに対して
「いつになったら本気を見せる」
「私はお前にはいつもがっかりさせられてばかりだ」
など言っていることからもそうなのではないでしょうか?

カナンが夏目に対して言ったこのセリフも面白いですよね
「面白いよねあなたは、私の能力が分かっていてそれでも贖罪なんて口にするの?」
つまり共感覚を持つカナンには夏目が贖罪なんてする気がないことはまるわかりだということですね(笑)
夏目はカナンのこと嫌いだといっていたのは夏目は口で相手を騙し繕うのが得意な人間なのでどんなに取り繕ってもバレてしまう、そしてバレたところで動じず何を考えているか分からないところが苦手なんでしょう
カナンの言うとおり夏目の目的はボナーの研究データの回収でありそれを兵器として売りさばくことや政府の消えた村の隠蔽を揺することですからね(笑)

そしてこの回ではまた薄茶色のヒントが出てきます
それはサンタナの死の恐怖で怯え狂うハッコウを救いに向かうミノさんの色です
最初銃を乱射するハッコウに恐怖し緑色をしていましたがサンタナの
「もし俺に何かあった時には頼む、ハッコウをこの夢から目覚めさせてやってくれ」
という言葉を思い出して救いに向かうミノさんの色が緑からだんだん薄茶色に変化していきます
ここから先ほどアルファルドはカナンに「失望」を抱いていたのではといいましたが、ここでのミノさんは「失望」していたのでしょうか?
私はサンタナとの最後の約束を守るための唯一の「希望」という感情を抱いていたのではないかと思います
そしてアルファルドはシャムやカナンに「希望」を抱いているからこそ「失望」させられているであると
{/netabare}
11話「彼女添~シーソー~」
{netabare}
タイトルはサンタナとハッコウ、リャンとカミングス、マリアとカナンがそれぞれ寄り添うこととシーソーを掛けてるんでしょう
特にシーソーはこの話のテーマの1つなんじゃないかなぁ

           命/愛(絆)

OPの「絆を自ら引き裂いた as judgement 吊り上げて」
もここからきてて愛と命で揺らぐシーソーの天秤を表現してるのかな?

アルファルドがカナンそっくりのボナーを見て言ったセリフ

 別に姿を似せたわけではない。
 共感覚の因子を持ちあわせた人間がウーアによって体質を変化させた
 際には髪の色が抜ける、それだけのこと。
 私が求めていたのはビジネスになるボナーという名の生物兵器。
                                」
その後も
「そう、たまたま似てしまっただけ…」
そして焼払い
「たまたまだ」
と繰り返している
このセリフから受ける印象は”カナンを作りたかったわけじゃない”と思い込みたいといったものだ
これまでの流れから推測するにアルファルドの欲するものはカナンやそれ以上の超人を作り、戦い勝利することで得られる超人という称号であろう
しかし、その結果皮肉にもカナンに似たものができてしまうというカナンの呪縛のようなものを感じたんだと思う
シャムの亡霊同様にカナンの亡霊にまで取り憑かれてしまった…
そんな気分の悪さを拭い去りたかったのだろう

意識を取り戻したミノさんにカナンが尋ねる
「あの人(ハッコウ)はミノさんの希望なのか?
 そうまでして守りたい存在なのか?     」
と聞いていることからも薄茶色はやはり「希望」の色だったのではないでしょうか

戻ってきたカナンを撮りたいというマリア
アンブルームのときはまだ目を背けていたマリアだがここで
親しい人の死を通して様々な感情を持ち"弱く震える"カナン
つまりマリアが見たくはないカナンを真っすぐ見ようとし、決心が実行に移るようになってきたのであろう
{/netabare}
12話「忌殺劣者~きせつれっしゃ~」
{netabare}
タイトルは
   「忌殺」と「季節」
   「劣者」と「列車」
を掛けているのでしょう
「忌殺」はケガレ(感情)を殺すこと
「季節」は四季など "移り変わり" や "様々な表情" を見せるといった意味で使ってるんでしょうね
「劣者」は劣っている者=アルファルドかな?
アルファルドは過去に執着し時間が止まっていたのとあらゆる愛だの憎しみだのといった感情を「厄介なものだ」、「滑稽だ」、「飼いならした」と殺してきた

ファクトリーから帰ってきてからのカナンの様子がおかしいことに気が付いているマリアはカナンを心配し見に行く
そこにはマリアに何かを求めるカナンが居たがマリアは何と声をかければいいのか分からない
カナンは
「マリアが一緒なら(輝ける)…」と思っているが
一方マリアは
「カナンが一緒なら?(輝ける)…」と何か考え始めたようだ

カナンは列車の中でシャムを失ったあの日を重ねる
古びた列車、銃声、血の香り、それらに感覚が刺激されて見えないはずのもの幻がみえるようになってしまう
そこで見たものは死んだはずのシャムだった
 シャム「ここで俺は死んだ」
 カナン「アルファルドに殺された」
 シャム「どうだろうな」
振り返ると亡くなった人たちの姿
 シャム「俺たちは誰に殺されたんだろうな」
ここでカナンは全てアルファルドのせいにしてきた自分を認めたくなかった
持ち合わせの奇異の感覚に頼り切ってシンプルな真実
自分がアルファルドからシャムを奪った事実
アルファルドがしたことは自分がしたことと同じという事実
憎しみに憎しみで当たっているという事実
から目を逸らしてきたのだ

アルファルドはマリアの役目はただ一つでありカナンの本当の力を目覚めさせる起爆材となることだという
ではなぜ今までは生きることが役目と言っていたのに今回は銃で撃つといった矛盾したことをしたのか
それは機が熟したからだ
その答えはアルファルドとマリアの会話の中にある
アルファルド

 カナンは守るべき光がある状態が最も強く、そして恐ろしい
 自分の全てを理解し愛してくれるものの存在があって
 初めてアイツは真の力を発揮する
                             」
マリア

 全てを理解し、愛して?
"カナンのあの顔、あたしの知らない顔だった
 迷いも憎しみも怯えも苦痛も懺悔も全て持ち合わせた"
 普通の女の子だった。親しくなった人の死に怯えて
 体に傷が…いえ心に傷が付けばちゃんと痛くて
 あたしはあんなカナンを…(認められるだろうか)
                          」
この言葉を聞いて起爆材になると判断したのではないだろうか

そしてマリアは気づいた

"守ってもらったりしたらムズムズしちゃうよ"
 その気持ちに嘘は無いはずだった
"カナンはただそこにいてくれればいい"
 私は結局カナンに求め続けたんだ
 強く凛々しく私の見えないものを見つめ続ける
 私を照らし続けてくれるカナンを求めてた
                      」
マリアがカナンに傍にいて欲しいという気持ちは結局欺瞞だったのだ
そしてカナンの光の前に自分はカナンを照らすことはできないと絶望してしまった
そこでマリアは判断し、ユンユンに依頼したのは列車の連結(絆)を切り離すことである
マリアはカナンから離れることでカナンに求め続ける自分と決別したんだと思う

アルファルドがシャムを殺した理由は語られていないが
説としてシャムがカナンに絶望したからアルファルドが殺したというものがあるが私はこう思う
アルファルドが出した偽の手紙
あれはリャンと同じようなことをシャムに対してしたのではないだろうか?
シャムに振り向いてもらいたいがゆえに呼び出して自分の力を見せつけるつもりだったのではないかと
しかしシャムは全く応戦してはくれなかった
その理由がアルファルドがカナンの言葉に対して言っていたセリフ
カナン「シャムは言った復讐からは何も生まれない、憎しみから生まれた兵士はただの敗北者だと」
アルファルド「お前にそれを言わされた時点でシャムの死は決まっていた、少なくともお前が現れなければシャムはあの場で死ぬことはなかった」
シャムはアルファルドの憎しみを受け止めた(義務を実行した)のである
だからシャムはアルファルドが来ることも分かっていた上でカナンに憎しみには憎しみで対抗してはいけないと諭していたのではないかと
不完全燃焼で終わったアルファルドはシャムの亡霊に取りつかれる
そこから解放されるための唯一の希望がシャムに絶望とまで言わしめた真の力を発揮したカナンを倒すことだったのではないか
アルファルドの
「私が殺したいのはお前じゃない、お前を、絶望を殺してシャムの亡霊を撃ち抜く」
というこのセリフにはそれを意味するんじゃないでしょうか
{/netabare}
13話「キボウノチ」
{netabare}
タイトルはCANAANの意味である「希望の地」
カタカナになっているあたり何かありそうな気もするけどよくわからない
冒頭のマリアのセリフ
「あなたに照らされることで心の片隅に生まれてしまう影」
希望後絶望(キボウノチゼツボウ)とかなのかな?

爆発音と共にマリアを失ったとうなだれるカナンだが鼓動の音の描写が入る
このときマリアの命を感じとったということなのかな?
これによってマリアを失う焦燥感が無くなってアルファルドをありのまま見つめられるようになったことで強くなった?
ここでカナンが急に強くなった理由がいまいちわかりません

↓↓更新↓↓

このときマリアの生死は関係なかったのだと思う
カナンは共感覚をもつために他の人より色んなものが見え過ぎてしまう
そしてそんなカナンにとってマリアは優しくキレイに輝く特別な "光" であり一般的な私たちで言えばダイヤモンドのような物だったのであろう
そして爆発音とともにそれを失ったと思いうなだれた…しかし心の中でマリアは生きていることを感じた
ここで初めてありのままを見ることがができるようになったのではないだろうか?

そしてマリアは "光" でなく "友達" だというカナン
今まで光だといってたのになぜここでは否定したのかもよくわかりません

↓↓更新↓↓

ここで光であることを否定した理由も上のことからマリアはダイヤモンドではなく "友達" だからで
この逆でいうとマリアはカナンをダイヤモンドだと思っており
そんなダイヤモンドが光らなくなってしまったら大切にすることができないと感じてしまっていたからだとおもう
カナンが以前に「マリアを守るためそう思ってた…でもなんか違う」というのはマリアというダイヤモンドの光を失わないためではなくマリアという友達のことを想い戦う=気持ちを寄り添わせるために戦っているということなのかな

ここにきて初めてアルファルドの名のもつ意味が明かされます
シャム

 アルファルドお前は無敵だ。だが、もし目的でなく個人としての欲望を持ったのなら、
 そのときには訪れるであろう、お前の名がもつ本当の意味”孤独”が


以前の「もし目的でなく個人としての欲望をもったのならアルファルドお前は無敵だ」という台詞の
 "無敵"="最強" ではなく "敵がいない"="孤独" ということだったのでしょう


列車から落ちそうなアルファルドをカナンが掴むシーンではハッコーの言った台詞と同じ言葉をカナンが発します

    「決定権は生きている者にある」

ここのシーンにおける選択権はカナンだけにありました
しかし銃が落ちることで状況は一変します
ここで権利はアルファルドにも与えられたのです

アルファルドが自分の刺青(絆)を撃ち引き裂くという行為は生きている者として過去との決別とともにカナンに好敵手として生きてほしいと思い選択したのでしょう
ここのシーンも作品のテーマである
 命/愛(絆) のシーソーの1つといえます
ここで大事なことは "気持ちだけ" 寄り添うことなのです
愛ゆえに体まで寄り添わせてしまったのがハッコウのケースでしょう
その逆がリャンチーを失ったものの僧侶として想い続けるカミングス
そして体(絆)を切り離すことで共に生き残ったのがマリアとアルファルドと言えるでしょう

マリアとカナンは境遇が違い過ぎる
だからお互いに危険が及ばないように気持ちだけ寄り添うという形をとることにしたのでしょう(つい最近でいうと(作品名のネタバレ→){netabare}寄生獣のミギーとシンイチ{/netabare}の関係もこれに近い気がする)
OPの
「大事な世界触れぬように mind as judgement Give up!You know!Give up!」
マリアとカナンが判断した結果を確かめ合ってるかのように感じます


またあやとりも冒頭ではお互いを繋ぎとめるものや拘束し命とりになるものの象徴としてありましたが、最後には解けたあやとりでもう元には戻せないと二人を拘束していたものも解けたことをうまく表現していると思いました

そしてタイトルのCANAANですが
2つの説があるみたいですね


 マリアとカナンは境遇を超えて寄り添うことができたので隣り合っているという説

  C          
  A=アルファルド   
  N=境遇       
  A=マリア(もしくはカナン)      
  A=カナン(もしくはマリア)      
  N=境遇


 マリアはアルファルドやカナンとは境遇が違うので隣りあっていないという説
      
  C
  A=マリア
  N=境遇
  A=カナン(もしくはアルファルド)
  A=アルファルド(もしくはカナン)
  N=境遇


あなたはどちらだとおもいますか?






私は後者でこのようになっていると思います


  C
  A=マリア
  N=境遇
  A=アルファルド
  A=カナン
  N=境遇



それは物語的にもそうではあるのですが最後の写真展覧会の描写
アルファルドとカナンの写真の間に立つマリア
そしてその下にある写真のタイトル「CANAAN」を物憂げに触れるマリア

 カナンは生きてる
 その命は激しく輝いて
 この目で直接見るには眩し過ぎて
 でも、目が潰れそうになっても
 私は見つめることができた(CAN)と思う
 それはきっと…普通の女の子の物語
                    」
と呟きながら写真タイトル「CANAAN」にかざす手が

NAAを   「CA●●●N」
NAを隠し  「CA●●AN」
AANを隠し 「CAN●●●」
となっているからである

       CAN~できる~

境遇が違っていても気持ちだけは境遇を超えて寄り添うことができるということを表しているんじゃないかと思います


 また、あるいは人との関わりから大切な人が周りにいるという境遇にいるカナンとマリアを孤独であったアルファルドがカナンを好敵手としてみることができるようになった

  C
  A=アルファルド
  N=境遇
  A=マリア
  A=カナン
  N=境遇

というもうひとつの見方もできそうですね

{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 26
ネタバレ

29号 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

私の期待値が高すぎた?

原作は「ドラクエシリーズ」や「かまいたちの夜」などを手掛けたゲーム会社チュンソフト制作のゲーム「428〜封鎖された渋谷で〜」のボーナスシナリオに収録されているアニメーションがベースになっているようです。
この話の2年後の上海がこの作品「CANAAN」の舞台になります。

全13話。

アニメーション制作は私が贔屓にさせていただいているP.A.WORKS で、主人公のカナンの声が私の大好きな沢城みゆきさんとくれば視聴しないわけにはいかないでしょう。

原案は「空の境界」の那須きのこ氏。
そして監督が安藤真裕氏で脚本が岡田麿里氏と「花咲くいろは」と同じってことでこれだけお膳立てされれば期待せずにはいられませんでした。

さて、まずこの作品の率直な感想としては期待値が高かったせいかあまり満足いく内容ではありませんでした。

 {netabare}

主人公カナンは「共感覚」を用いた特殊能力の持ち主で、それを駆使しての戦闘シーン(ガンアクション)は一見の価値ありです。
欲を言えばもう少し戦闘シーンを増やして欲しかったです。

作画はさすがのP.A.WORKSさん良い仕事をされます。本当に細部までに拘って作られています。

ガンアクション(戦闘シーン)はスピーディーながら細かい動きの数々は圧巻の一言に尽きます。

声優さんも豪華で、私の大好きな沢城みゆきさんをはじめ、坂本真綾さん、南條愛乃さん、諸事情によりあまりセリフはありませんが能登さんなどなど。

この作品で私が特に気に入ったのが、田中理恵さん演じるリャン・チー様。
ドSの彼女の壊れっぷりはヤバいっすw田中理恵さんの演技がさらにそれを際立たせています。メインキャラ以上のインパクトと存在感。

M属性ありの私としては1度踏まれたいキャラの上位にランクインしますねw

とまぁ私の変態願望は置いていて、

ココから少々毒を吐かせていただきます。

ストーリーの核心にもせまりますので再度ネタバレ注意です。

 {netabare}
まずストーリー通してこの作品の世界観の説明があまりなされません。

「ウーアウイルス」と呼ばれる致死率100%のバイオテロが渋谷で起き、そのテロに巻き込まれたヒロイン大沢マリア。彼女は父親が開発した坑ウイルス剤により一命を取り留めた過去を持つ。

まぁこれを見れば「はは〜ん」と思いますよね。この設定明らかに伏線でしょう。

実はこの設定ですが、物語の核心に絡んできませんw

第7話にてアルファルドが大沢マリアに対して

「本当に忘れたのか?」

と言ったセリフですが、これは完璧に伏線でしょうが、このセリフの真意も語られません。

以後このような事が多々あります。

当初は「カナン」「大沢マリア」「アルファルド」「ウーアウイルスによるテロ」これがメインストーリーで、

「渋谷のテロの生き残り大沢マリアと消えた村がどう繋がるのか」

と思ってましたが、後半は自分探しの旅になってます…。

結局のところアルファルドとカナンは何がしたかったんでしょうか?

そしてカナンと大沢マリアの関係にも疑問を感じます。

カナンと大沢マリアの出会いも伏線かと思いきや何も無し。

正直、大沢マリアいてもいなくてもストーリー的にはあんまり関係ないですw

どーせなら

「カナンの隣にいるのは大沢マリアしかいない」

と思わせるようなシーンなり設定なりが欲しかった所です。
{/netabare}


{/netabare}

ウダウダと長くなってしまいましたが、作画と戦闘シーンは素晴らしいのでストーリーさえ気にしなければ楽しめる作品ですよ。

リャン・チー様の狂気はぜひその目で、その耳で体感していただきたいですw

投稿 : 2024/06/01
♥ : 4
ネタバレ

アリス★彡 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

惜しい!

ゲーム原作。
シリーズ構成と脚本は岡田麿里。
文化庁メディア芸術祭アニメーション部門審査委員会推薦作品。
ガンアクションが魅力的な本作。
制作はP.A.WORKS(代表作:花咲くいろは、凪のあすから)
(恋愛描写が得意。美しい背景が特徴的。)
アクションシーンは爽快感があって良かったです。

岡田麿里さんの泥々した人間関係の脚本が特徴的でもあります。
一言で言うと、キャラクター描写が出来てませんでした。

■シャムのエピソードが欲しかったです。

過去のエピソードが描かれていないために、カナンとアルファルドの関係がイマイチ伝わってきません。二人の関係で重要になってくるのは、シャムのエピソードなのに、尺が足りないためなのか、フォローされていないのですよね。
そのため、カナンとアルファルドがどれほど因縁深いのかは、分かるのですけれど、パッとしない印象なのですよね。感情移入がしにくいのです。過去で何があったのかを詳細に描いて欲しかったです。

■色々エピソードを詰め込みすぎました。

ハッコーとサンタナのエピソード。設定だけ聞くと良い話だという事は分かるのですが、キャラクターの描写が足りずに、演出は良くても、感動が出来ない泥々して陰鬱とした印象だけしか受けません。
素質はあり、名作をなぞるように磨けば、昼ドラにありそうなぐちゃぐちゃとしてグルーミー、それでいて切なくて儚いストーリーが期待できそうなのですが、描き方を間違えましたね。

ハッコーとサンタナのエピソードについて。
{netabare}
もう少し二人が愛し合っているような描写が欲しかったです。最後の方でハッコーがどれだけ愛していたのか、分かったのですが、ハッコーとサンタナが強く思っているエピソードが欲しかったです。
サンタナが、ハッコーに対して複雑な感情を抱いているのは分かりました。
ハッコーは、自分のした失敗が元で生まれたので、後悔が彼女と重ねって見えてしまうのは伝わってきました。
それでも、もう少しだけ愛している描写を入れることは出来なかったのでしょうか...。感情移入があんまり出来ませんでしたね。
{/netabare}

感想。
リャン・チーとカミングズのエピソード。
粘着質で色々混ざっりあったような濃厚さ。ちょっとくどかったです。
この辺は好み。あんまり刺激的な感情は抱きませんでした。

■総評
アクションシーンは一見する価値アリ。
ドラマ面は微妙でしたね。
設定は説明よりも状況や回想で何となく分からせる手法をとっています。
上記以外は綺麗にまとまっているため、私にとってはかなり惜しい作品でした。

演出や脚本は良かったのですが、尺が足りなかった印象です。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 14
ページの先頭へ