2014年度の切ないおすすめアニメランキング 3

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ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年05月08日の時点で一番の2014年度の切ないおすすめアニメは何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

91.6 1 2014年度の切ないアニメランキング1位
四月は君の嘘(TVアニメ動画)

2014年秋アニメ
★★★★★ 4.3 (5048)
20059人が棚に入れました
母の死をきっかけにピアノが弾けなくなった元天才少年・有馬公生。モノクロームだった彼の日常は、一人のヴァイオリニストとの出逢いから色付き始める。
傍若無人、喧嘩上等、でも個性あふれる演奏家・宮園かをり。少女に魅せられた公生は自分の足で14歳の今を走り始める。

声優・キャラクター
花江夏樹、種田梨沙、佐倉綾音、逢坂良太、早見沙織、梶裕貴
ネタバレ

フリ-クス さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4

『愛は地球を救う』的なアレ

名作、と一般的に呼ばれてはいるものの、僕的に
 『いやいや、そんな言うほどいいもんじゃないでしょ』
というアニメが、いくつか存在いたしております。

本作『四月は君の嘘』はその代表格というか、
ぶっちぎりの一位作品でありまして、
見返すたびにアラが見つかってココロがささくれ立つ一本です。

もちろん、同作に熱狂的なファンが多いことは存じ上げておりますし、
その方々の思いを否定するつもりは毛頭ありません。
僕が言うのは「こういう角度からだとこう見える」という話に過ぎず、
どんな角度から見るかなんて、100%、個人の自由です。
そこに正誤だの良し悪しだのは存在しない、と僕は考えております。

  ただ、自分が好きなものを悪く書かれて気分がいい人なんてイナイ、
  というのも真なり、です。

同作に関わる美しい感動・印象を断じて犯されたくない、
そういう思いがある方は、
この先を読まれないことを強くおすすめいたします。

根拠もなくイチャモンを並べ立てる、みたいなことはしていませんが、
かなり『辛辣な表現』になっておりますし、
そのことで誰かの心を傷つけるのは、僕の本意ではありません。

ほんと、あくまでも「僕の角度からだとこう見える」という話でして、
ムリして読む必要なんてありませんから、
不快な思いをしたくない方は、どうぞお引き返しくださいませ。

警告は致しました。では、遠慮なく……


  身体障害者や余命宣告を受けた方々を安易に扱い、
  感動コンテンツとして消費している作品を、
  巷では『感動ポルノ(Inspiration porn)』と呼んだりします。

  もちろん、そういう方々と真摯に向き合い、
  目を逸らしたくなるような現実を繊細に描いていくことによって、
  芸術と呼べる域まで達した作品はたくさんあります。

  そうした作品と『感動ポルノ』の分水嶺は、
    作品を通じて伝えたいこと、訴えたいことの有無や深さ
  だというふうに、僕は考えています。

  残念ながら本作は後者の方かと。
  作品として『伝えたいこと』なんてリッパなものはありません。
  (少なくとも僕には伝わってきません)

  きれいで頑張ってる少女が死んじゃったら『かわいそう』なのはあたりまえ。

  プロフェッショナルのモノづくりとか物語づくりというのは、
  その『かわいそう』という共通認識をフックとして、
  なにを描き、なにを伝えようとするか、
  それらを通じて『なんのためにその作品を創るのか』を突きつめていく、
  そんなところがキモであると僕は愚考するわけです。

  ところが本作は、その『かわいそうさ』をアピールしているだけ。
  それっぽく聞こえるだけの言葉を並べ立て、
  人のカタチまでも不自然に歪め、
  ほらほら、こんな頑張ってるのにかわいそうでしょ、泣けるでしょ、
  そんなふうに物語を飾り立てているだけなんです。

  そこには何のメッセージもありません。

  作画がかなりイイので誤魔化されがちですが、
  そこに気がついちゃうと、少なくとも僕はダメです、ダメでした。
  作家の「カンド-作品として他人から評価されたい」という、
  『エゴ』や『自己実現欲求』ばかりが鼻について、
  とても泣く気にはなれません。

で、総論的に『ダメだダメだ』と言われても、
とてもじゃないけどナットクできる話ではないと思いますので、
ここからは総論や抽象論ではなく具体的に、
  どこがどう、なぜダメなのか
というポイントを列挙してまいりたいと思います。



【1.オマージュにおいて、引用元への理解・リスペクトがナイ】

リアルタイムで本作がはじまったとき、
僕はほんとうに、めちゃくちゃ気に入ってたんです。
友人にも「今期No.1はダントツでこれじゃね?」とか言ってましたしね。

作画はきれいだし、音楽も楽しいし、人物造形もしっかりしている。
ときおり「はあ?」とは思わされるものの、
そんなものを吹っ飛ばすぐらい、作品に『いきおい』がありました。

その評価にはっきりと『?』がついたのが、
第八話、井川絵見が演奏する『木枯らし』でのモノローグです。
{netabare}
  ここで絵美は心の中で『響け』と三回連続で唱えます。
  これはもちろん『君に届け』のオマージュですね。
  黒沼爽子が風早くんに思いを伝えるべく、
  心の中で『届け』と唱えながら駆けていくシーン。

  オリジナルの方は、能登麻美子さんによる歴史的名演です。
    ひとつめの『届け』は、まだ『願望』に近いもの。
    ふたつめの『届け』で、それがはっきりとした『意志』に変わり、
    みっつめの『届け』では、さらに熱い『情熱』へと昇華します。
  わずか17秒、たった九文字しかないこの台詞に、
  爽子という『人間』の軌跡と成長、魅力が全て込められています。

本作での『響け』は、その劣化版。
絵見は最初から自分の感情全開で演奏をしていますから、
言葉の意味も重さも変わりようがありません。

ただ『君に届け』レベルの脚本は年に数本あるかないかですし、
うわっつらを真似ただけになるのは、
まあギリギリ、理解できないこともありません。

問題はそこではなく、
能登さんに基礎声質が似ている早見沙織さんに、
当のご本人、能登さんの面前でこのセリフを言わせたこと。

ギャグとしての扱いやバラエティ企画ならまだわかりますが、
ガチな物語・お芝居の一環としてこの演出というのは、
  『下品を』通り越して『下劣』の一言。
もちろん『結果として、悪気なくこうなった』可能性もあるわけですが、
僕が製作なら、制作の現場に任せず、
事前にお二人の元に出向いて説明とお詫びをします。しなきゃいけません。

  もちろん、早見さんは何も悪くありませんし、
  業界内で人格者と尊敬される能登さんがキレることも考えられません。
  おふたりとも「そんなそんな」と笑ってくれることでしょう。

  ただまあ、やっぱりカチンときたんでしょうね、特に能登さん。
  この後につづく早希(公生の母)のお芝居において、
  早見さんがかすんじゃうほど、
  鬼気迫る、あるいは慈愛に満ちた素晴らしい演技を披露してくれました。
  役者の意地、ここにありです。


で、この一点をもって浮かんできた疑念、つまり

  この作品、オマージュでオリジナルへのリスペクト足りないんじゃね?

というのは、このあとからも出るわ出るわ状態です。
いやなんかもう、
オリジナルをほとんど理解せずに引用したのかな、みたいな感じです。


まず、本作そのものがオマージュじゃないかと言われている、
三田誠広さんの『いちご同盟』からの引用ですが、
少なくとも僕には、何らのリスペクトも感じられません。
単に音楽とビョ-キつながりということで、
カッコよくて意味深なシ-ンを無理やり引っ張ってきただけに思えます。

  そもそも、入院中の女の子に『いちご同盟』を持ってく段階で減点100。

  そして同作は『生と死』に向き合う少年少女の、
  定まらず翻弄される未成熟な心を、精緻な技巧で描いた名作です。
  面白半分に場面や台詞を切り取っていいような、
  作家のエゴや売れ線狙いで書かれた作品じゃないんです。
  (同作では、直美はこの段階ですでに片足を切断していますしね)

  なぜ『面白半分』という強いコトバを使うのかは後述しますが、
  役作りのため同作を読んでいたであろう種田さん(宮園かをり役)、
  すごく演りにくかったことと思います。

あと、後半にやたら出てくる『繋がっている』という言葉は、
村上春樹さんの『ダンス・ダンス・ダンス』のパクリ、
あ、いえ、オマージュですね。

  ただ、本作での用いられ方というのは、
  ライトな読者やエセハルキストが都合よく解釈して流行らせたもので、
  大元の用いられ方ではありません。

  そもそも春樹さんは、
  『人と人との情緒的なつながり』みたくありふれたものを、
  わざわざ『ツナガッテイル』とカナに直して意味深っぽく強調するような
  安い作家さんじゃないんです。
  ラノベならいざ知らず、純文なめんじゃね~ぞおい。

あと、武士の妹ナギが公生にレッスンうける前と、連弾後のセリフ、
  「われはファントム、オペラ座に潜む怪人。」
  「私はクリスティーナ、オペラ座の舞台に憧れる女の子。」
というのは、もちろんミュージカル『オペラ座の怪人』のパクリ、
あ、いえ、オマージュですね。

  これはもう、大本とは遠く離れた、質の低い言葉遊びに過ぎません。

  最初っから姿をみせてちょこんと座ってるファントムなんかいません。
  クリスティーナがドキドキしながらレッスンを受けていたのも、
  ファントム(エリック)の正体を知る前のことですしね。

  原作でのクリスティーナは
   「正体を知る前→憧れ・師事/知った後→嫌悪・同情」であり、
  かたや本作のナギは
   「正体を知る前→嫌悪/知った後→憧れ・師事」ですから、
  まったくベクトルが逆。かすりもしていません。

  ですから、オマージュではなく『比喩表現』としても失格点。
  ただ単に『音楽繋がり・かっこいいから』という理由で、
  原作もろくに知らずひっぱってきただけのことではあるまいかと。

あと『ピーナッツ』からもあっちこっち引っ張ってきてますが、
これは、原作をよくしらない(英語版で何冊か読んだだけ)ので、
コメントのしようがありません。

いずれにしてもオマージュというのは、単なる『引用』ではありません。
その原作品への強いリスペクトがあることが大前提ですし、

  その言葉や表現を使って、なにを伝えるか
  その言葉・表現の上に、自分としてなにを載せるか

というのが大切、というか本質的なところであります。
少なくとも僕の耳には、
本作にそういうものの存在がまるっきり感じられません。

  平たく言うと、本作で使われている全ての引用は、
   原典へのリスペクトも感じられなければ、
   必然性もなく、
   その引用を通じて伝えたいこともない、
  ぶっちゃけ『カッコイイから借りているだけ』にしか聞こえないんです。

こういうのは『オマージュ』とは呼べず、
単なる『借りパク』なんじゃないかと愚考するところであります。
{/netabare}


【2.音楽の扱いがザツ・オンガク論がいいかげん】

これも回が進むにつれて印象が変わっていったポイントであります。

視聴開始当初、僕は本作のことを
  『ちゃんとオンガクと向き合った、ホネのあるアニメ』
だと思っていたのです。

ほんとそう思っていたのですが、回が進むにつれ、
その扱いがザツなところとか、
言ってることがいいかげんなところとか、
そういうのが鼻について、作品自体を楽しめなくなっていきました。
{netabare}

まず、とにもかくにも『演奏中の無駄なモノローグ』が多いんです。
マンガなら『音』がないから言葉で補うのは必然なんですが、
アニメでそれをする必然性はありません。

  先に例示した絵美の『木枯らし(9話)』なんか、
  曲の尺が4分あって、
  モノローグが被さらないのはアタマの27秒とラスト15秒のみ。
  全体の80%以上は『曲がきちんと聴けない』んです。

  19話、武士の弾いた『革命のエチュード』なんか、
  3分40秒の尺で、モノローグがないのはアタマの7秒のみ。
  わざわざ子供時代の回想まで引っ張ってきて、演奏をツブしています。

さらに呆れるのは10話で、
前回(9話)で演奏が『完全に』終わっている『木枯らし』を、
もう一回、ほとんどフル尺でやっているんです。

さすがに同じ音源を二回使うのは良心が痛んだのか、
わざわざ生バンドつけたアレンジ音源をつくってゴマかしてますが、
そこには何のメッセージも必然性もありません。

  『熱い、情熱的な演奏』ということを表現したいのなら
  もとの音源で充分できています。
  『クラシックはもっと自由なもの』ということを表現したいのなら
  それを『ピアノのコンクール』の音源でやるのはおカド違い。

そんなことをするぐらいなら、
演奏中のモノローグをぜんぶ演奏前の会話劇にして9話の尺を埋め、
演奏シーンを10話一本にまとめればよかったんです。
同じような意味のないアレンジは、
13話のラフマニノフでもやってましたが、ほんと意味がありません。

つまるところ『コトバで語ること』と『オンガクで語ること』が、
ごちゃごちゃになっているんですよね。
というか『オンガクで語りたいこと』があるのかどうかも眉唾です。

キャラに「音楽は言葉を超える」なんて聞いたふうなセリフ言わせながら、
その音楽にばんばんセリフかぶせて、
言ってることとやってることが違うじゃんか、というハナシです。

  ちなみに『響け! ユ-フォニアム』みたいに、
  ちゃんとオンガクと向き合っている作品は、
  演奏中に必要のないモノローグをいれることは、ほぼありません。

  モノローグが比較的多い『のだめ』だって、
  その音楽を理解・楽しむための補助的なものがほとんどです。
  萌え系の『ぼざろ』や『けいおん!』だって同じこと。
  イミのない言葉をできるだけ排除して、
  聴かせるべきところをきっちり聴かせることに心を砕いています。

  音楽で語るべきことは、音楽で語る。
  そんなアタリマエができてないのは本作だけなんじゃないかしら。

  演奏者に『届け、届け』なんて言わせながら、
  その音楽を『きちんと視聴者の耳に届けるつもり』がないという、
  国会のダブスタ発言みたいな演出になっちゃっています。


なお、幼き日の公生が楽譜に忠実に弾くことで優勝することを、
他の子どもたちが『ヒューマンメトロノーム』『譜面のしもべ』と揶揄してる、
なんてくだりもありましたが、これはもう『ふざけんなよ』です。

音楽のコンクールは、ほとんど年代別に分かれるんですが、
公生が出ていたのはおそらく小学生高学年の部。
この年代に『楽譜を自分なりに解釈』なんてスキルは求められていません。

  そもそも『譜面どおり弾く』というコトバの用い方・重みが違うんです。
  国立音大だってソルフェージュの授業があるんですよ?
  楽譜を読み解くというのは、その曲の本質に迫っていくことなんです。

  ロックバントがスコアをちょいちょいと見て、
  じゃあ後はフィ-リングで、
  なんていうのとは、そもそも楽譜が占めるポジションが違うんです。

コンクールって、大会によってレベル差があるんですが、
トップレベルのコンクールに出場する子どもたちやその指導者たちは、
その重みをイヤというほど理解しています。
わずか数曲を、毎日数時間、
何か月もかけて『楽譜どおり』弾けるよう仕上げていくんです。

もちろん、一曲の完成に固執することによって『独創性』や、
さまざまな曲を自分なりに楽しむ心が失われることを危惧する方もいます。
ソルフェージュ能力の発達に支障がでるとの声もあります。
ピアノ教師によっては、
子どものうちはコンクールに出すべきじゃない、という方もいるほどです。

そして、公生が出場するのはトップレベルのコンクール。
そういう場所で有馬公生というのは、
出場している方々が目指すところの『完成形』なんですね。
それを「楽譜どおりでつまんね~」とか言うのは、
ろくに楽譜も読めない、なんちゃってピアニストぐらいのものなんです。

  ちなみに、本作のなかでは公生の演奏を、
  「デジタル時計のようにコンマ一の誤差もなく、余韻もない」と評していますが、
  そもそも、そんなものは『楽譜どおり弾いた』演奏ではありません。

  それが正解なら、演奏家なんていりませんしね。打ち込みで充分です。

  作品内で絵美に「つまんね~演奏」とも言わせてましたが、
  それはつまり、ショパンだのモーツァルトだのは、
   『指示どおり弾いたらつまんね~演奏にしかならない楽譜』
  ばっか残していると言ってるのと同じです。
  これはもう、わかってるわかってない以前のハナシではあるまいかと。

原作者の新川直司さんは、クラシックの経験はまるっきりなく、
高校時代はヘヴィメタばっか聞いていたんだそうです。
だからこそ、こういうめちゃくちゃなお話を書けるんだろうな、と。

このヒトって『さよなら私のクラマー』でも、
まるっきりサッカーというスポーツを理解していない、
素人のたわごとレベルの話を書いていましたよね。

  知らないなら、調べろよ。
  調べもしないで、
  わかったふうなこと書くなよ。

  本気でそれに打ち込んでいる人たちに失礼きわまりないだろうが。
{/netabare}


【3.病気と真剣に向き合っていない、デッチあげている】

宮園かをりの病気はいったいなんだったんだ、
なんていう議論じみたものがネット上に出回っています。
  ・白血病
  ・脳腫瘍
  ・パーキンソン病
  ・ALS
  ・SCD(脊髄小脳変性症)
  ・筋ジストロフィー
なんていろいろと候補が上がっていますが、
どれも「この症状はあてはまるけど、この症状や治療はあてはまらない」
ということで、結論は『わかんない』になっています。
{netabare}
そりゃあそうだろうな、と僕は思います。だって、
  何かの病気を想定し、取材に基いて書いたものじゃない
というのがまるわかりなんですもの。

そういうのは、業界ではよくあるハナシなんです。

  有名どころはやっぱり庵野秀明監督の『エヴァンゲリオン』ですね。
    こんなアニメ、どうせ誰も真剣に見ねえや
  いうことで、なんも考えず『伏線っぽいイミシンな』ものをまき散らし、
  なにも回収せず(できるわけもなく)話を畳んじゃいました。

  で、後から人気に火がつき、謎本まで出版される大騒ぎに。

  あちこちから『謎の真相』を聞かれるんだけど、
  庵野さん、ほんとに、まったく、これっぽっちも、考えてなかったんです。
  「アンノのやつ、マジで頭抱えててさ。ま、自業自得だけど」
  というのは、庵野さんのご友人である某漫画家さんから直接聞いた話。
  まあ、結果がアレなので、禍転じてほにゃららら、なんですが。

そこから業界が得た教訓というのも、
『これからは設定をちゃんとしよう』というリッパなものではなく、
ぶっちゃけた話をすると
  イザとなったら気合と口先でなんとかなるんだなあ、
みたいなアレであり、似たようなものがいまでも量産されております。

宮園かをりの病気もその一つ、ですね。

早い話「徐々に身体が弱って死に至る、手術困難な病気」であれば、
なんだってよかったんです。
だから、それっぽい症状なり病気を『デッチあげた』。

ネット上では病名を公開しないことを
 『同じ病気を持つ人の希望を奪ってしまわないように』
なんて好意的に解釈してる方が多いですが、そんなわけあるかい。

  かりに具体的な病名のウラ設定があったにしても、
  原作者にしてみれば、
  かをりが『きれいに死んでくれれば』それでよかったわけで、
  正確な医学的考証なんか、ハナからやってません。

  ですから、もしも具体的な病名をあげてしまえば、
   「こんな症状が出る(出ない)のはおかしい」
   「こういう治療をしないのはおかしい」
   「このタイミングでこんな手術なんかできっこない」
  などと、
  同じ病気に苦しむ方々からクレームの嵐になるのが目に見えてます。

  ですから、病名なんか公開できるわけがありません。
  ごまかしごまかしでつなぐ以外に手はなく、
  そんなわけで『誰が見ても病名が特定できない映像』になっているわけです。

ふたつ前の章の話に戻りますが、
僕が『いちご同盟』の引用を『面白半分』と称したのは
こういう理由です。

三田誠広さんがあの作品を書きあげるために、
  どれほどの取材をし、
  どれほどの見たくないものと向き合い、
  自我の根底を揺さぶられるような思いをしたことか。

そういう取材・努力・考証を一切せず、
とりあえずきれいに死んでくれればいいやあ、でヒロインを殺すマンガ家に、
あの作品を寸借する資格なんてない、と僕は思うのですが。
{/netabare}


【4.言語表現がチンプ、言ってることが支離滅裂】

これは原作者さんのクセだと思うんですが、
ものごとを『詩人』っぽく表現しようとして、
言葉選びでコケてるところがけっこう多いんですよね。
{netabare}
  「そのホイッスルは澄み切った空に乱反射した」
  「壊れたシ-ソ-みたいにぎっこんばったん心臓が波打ってる」
  なんて、意味わかんないですしね。

  前者は『乱反射』というコトバの明らかな誤用。
  比喩表現だとしても、情景がまるっきりイメ-ジできません。
  後者は、ふつうに不整脈。医者行けよ医者。
{/netabare}
まあ、そういうのはただ『こっぱずかしい』だけなんですが、
それだけじゃなく、
根っこの部分で『?』となる表現も散見されます。
{netabare}
作品全体を通じて、しょっちゅうつまづいちゃうのは、
『ジブンたちは演奏家(音楽家/ピアニスト)なんだ』
という系統の表現ですね。

  イシキタカイ系はけっこうなんですが、
  実態は、まだ『先生について演奏を習っている』中学生です。
  演奏家を名乗るにはほど遠く、
  それを目指してがんばっている若者、という位置づけかと。

  先のない宮園かをりが『生き急ぐ』のは仕方ないにしても、
  一円も稼いだことがないスネかじり、
  いくつかのコンクールで賞を取っただけの『生徒さん』が、
  職業的演奏家の『生き方』を語っちゃうってどうなんでしょうか。

さらに、その前提となる演奏家論として、宮園かをりに五話で、
  楽譜を投げ捨てた演奏家なんていっぱいいるよ。
  それでも、また拾い上げて楽譜にむかう。
  そうやって、最も美しい『嘘』が生まれる。
なんて、とんでもないセリフを言わせちゃっていますしね。

これ、言葉としてはウツクシイけれど、内容的には大問題です。
だって、その前後の公生とのやりとりも加味すると、

  演奏家は、ほんとうは楽譜通りになんか演奏したくない。
  だけど聴衆の喝采がきもちいいからやめられない。
  で、しぶしぶやって素晴らしい演奏(美しいウソ)が生まれる。

ということを言っちゃってるわけですから。

そういう、箸にも棒にもかからない職業観をベースに、
音楽家(演奏家)とはなんぞや、ということをイシキ高く語られても、
え……まあ……そうですね、としか言いようがありません。


で、物語が進むにつれて、支離滅裂な言い草が増えてきます。
あまりにも多すぎて全部紹介できないのですが、
代表的なところを挙げるとですね、

13話 紘子(公生母の友人、ピアノニスト、公生の現先生)のセリフ
   「最愛の母の死が彼に何かをもたらしたのだとしたら、
    それは鬼のとおる道だ」
21話 かをりの病状にショックをうける公生のモノローグ
   「音楽は、大切な人を連れ去っていく……」

  まず紘子さんのセリフですが、言ってる意味がわかりません。
  愛する人の死を乗り越えて開花した音楽家なんて、なんぼでもいます。
  音楽的な精進のために、自らの手でその人を殺したのなら、
   『鬼のとおる道』と表現してもいいでしょうが、
  公生はふつうに母親の病死をのりこえてるだけ。鬼、関係ありません。

  次に挙げた公生のモノローグは、もう完全に『いいがかり』です。
  かをりが病気になったのって、音楽、なんにも関係ありません。
  なんの脈絡もなく、
  こういう理解の仕方をさせたら音楽家としてのピンチ感が増す、
  そんな理由で言わせているだけのことではあるまいかと。

母親と好きな女の子がどちらも病死するって、もちろん可哀そうなことです。

だけど、その『可哀そうさ』をアピールするため、
関係ないコトバや解釈をこじつけてドラマ感をあおろうっていうのは、
僕には『とても醜いこと』に感じられます。
ヒトの『死』というのは、
そういうヨコシマな言葉で飾り立てていいものじゃない、と思うんですよね。
{/netabare}


【5.人のカタチがご都合主義で崩壊していく】

ここまでごちゃごちゃ書いてきましたが、
それでも『人のカタチがちゃんとした、ドラマとして成立している』作品なら、
僕は物語の評価に『2』なんてつけません。

ですが、その『人のカタチ』が、回を追ってぐちゃぐちゃになっていくんですよね。
これは言いたいことが山ほどあるんですが、
長くなるので(ここまででも充分長いですし)
物語の最終盤、21話と22話にしぼって言及させていただきます。
{netabare}
おさらいしておきますと、この終盤の前フリとして、

 前話で宮園かをりの発作を目撃し、公生、いじけてふぬける。
 →手紙をうけとり、カヌレもってお見舞いへ。
 →かをりからコンクールと同じ日に手術を受けることを知らされる。
  「君のせい、ぜんぶ君のせい」と指さして言われ、
  わたしたちは命がけであがく演奏家じゃない、と励まされる。
 →それでも「もう一週間もピアノさわってない」とダダをこねる公生。
 →かをり、必死にたちあがり「奇跡なんてすぐ起こっちゃう」とさらに励ます。
 →そのまま倒れ「わたしを一人にしないで」と公生の腕の中で泣くかをり。
 →「僕はバカだ」と、ある程度ナットクする公生。
  (「雪の中の君はウツクシイ」とか、意味ないこと考えてますが)

と、まずまずきれいなやりとりがあったわけです。

ところが、コンクール当日、
公生って、ひざを抱えて引きこもっちゃってるんですよね。
ウツクシイやりとりも、かをりの懸命な励ましも、すべて台無し、ゴミ箱へポイ。
しかも、なんでそうなったのか、一切の描写がありません。
で、コンクールの描写に移るわけですが……

 →絵美や武士に気遣われても、ほぼ無反応の公生。
 →舞台に上がっても、顔を覆ってうずくまる。
 →椿のくしゃみを契機に、なぜか、いきなり覚醒する公生。
 →ぐちゃぐちゃといろんなこと考えながら演奏開始。
 →かをりのタマシイ登場。手術失敗を確信。
 →最後の共演(超ウルトラス-パ-過剰演出)を経て、演奏終了。
 →雪の中、お墓の前でかをりの両親から手紙をわたされる。
  (火葬後、ソッコ-納骨? 四十九日までは家に置いてあげなさいよ)
 →なぜか、桜が咲くまでボッケにいれたまま手紙を放置。
 →ぶらぶら歩きながら読んで、びっくり。で、ふわっとした大団円。

これはもう、ツッコミどころ満載。てか、筋の通ってるところがありません。

つまるところ、演奏前に公生が引きこもっていたのって、
この『覚醒』をカンド-的に見せるためであって、
おハナシの前後のつながりも人のカタチもまるで関係ないんですよね。

しかも、その公生の覚醒・フッカツっていうのは、

  みんなが支えてくれたからいまのジブンがあるんだ

という『魔法少女アニメのど定番』みたいな気づきでしかないわけです。

その気づきも、それまで親身に心配してくれた紘子さんや、
舞台袖で気遣ってくれていた絵美、武士をガン無視しておいて、
  ピアノ弾いてたらなんか急にヒラメキました、
  やっぱピアニストってすごいっスね。
という、ご都合主義を通り越した、シュールな展開によるものなわけでして。

桜が咲くまで手紙を放置プレイするのも意味不明。

ふつうは『すぐに読む』か『哀しくて読めず封印する』の二択ですよね。
これ、物語のはじめと終わりを四月でキレイにまとめたかった、
という作者のご都合に合わせている以外、理由がまるで考えられません。

かをりをソッコ-納骨したのも、そのカンケイかと。

  二月十八日(手術日)を命日とすると、
  四月八日の四十九日法要時に納骨するのが一般的。
  ふつう、親族以外は法事に出ないから、公生の墓参りはその後になります。
  そうなると、中学は卒業するし、ヘタすると桜、散っちゃいますし。
  (ラストシーン、中学の制服のままです)

  だったらお通夜の席で手紙渡しなさいよ、というハナシなんですが、
  そこは絵的な原作者のこだわりがあったと思われ。
  (あるいは納骨をいつやるのか知らず、調べもしなかった、とかね)

  おかげでかをりのお骨は、
  生まれ育った愛着ある実家に、まったく置いてもらえませんでした。 
  (僕的には、手紙なんかよりそっちの方が可哀そうです)


で、その『かをりの手紙』なんですが、こちらもモンダイだらけです。

まず、かをりは『君のせい』で手術を受ける気になった、
ということを、公生にはっきりと言っちゃっているわけです。
で、その手術が失敗して死んじゃった、と。

  これ、あなたが公生だったら、セキニン感じませんか?

どうせ助からない病気であったとしても、
手術をしなければ、一分でも一秒でも長くご両親と一緒にいられたわけです。
そんなもん知るかい、なんてフツ-は思わないですよね。

  ところが、手紙にはその件に関するフォロー、なんにもなし。
  公生くんも、責任感じてたり自分責めてたりするフシ、なんにもなし。
  それって人としてどうなのよ、と思うのは拙だけなんでしょうか。

で、この手紙が公生に最後に会った直後に書かれたものであること、
雪の屋上で公生を励ましつつ「一人にしないで」と泣いた、
感動シーンに続けて書かれたものであることが、さらに問題を深くしています。

  もう助かりません、あなたもうすぐ死にます、
  医者にそう言われて書くのなら、
  こういう『雲の上から』みたいな文面になっちゃうのはわかります。

  でも、かをりは『生きるために』手術を受けたんですよ?

  あがくと決めた、少ない可能性に賭けて手術を決めた。
  でも失敗するかも知れない、こわくてたまらない、でも、生きたい。
  生きてもう一度、公生と共演したい。奇跡を起こしたい。だけどやっぱりこわい。
  そういう思いがぐちゃぐちゃになって泣いたんです。
  そんな気持ちのときに、こんな雲の上からみたいな手紙、書けると思いますか?

    君がこの手紙を読んでるということは、手術は失敗しちゃったんだね。
    残念。でも、後悔は一つもありません。
    私は、最後まであきらめず頑張った私をほめてあげたいと思います。

  そういう書き出しで、自分を鼓舞しながら、
  万が一ダメだったときのために、
  そうなったら伝えられなくなる想いを書き記すのが自然じゃないのかな、と。

  ところが、かをりの手紙はぜんぜん違います。
  これじゃまるで、余命宣告を受けた人の『遺書』そのまんま、
  すでに天に召された気になっている、生きボトケのお手紙じゃないですか。

実は最初、種田さん(かをり役)がこの文面を語る芝居を聴いたとき、
ものすごい違和感があったんです。
彼女ほど実力のある方が、なんでこんなに中途半端なお芝居するんだろうって。

だけど、よくよく考えてみるとナットク。

手紙を書いている時の心情をトレースしたら、とても演れません。
そこにフォーカスすればするほど、
綴られたコトバと感情が乖離していってしまうんです。

ですから、いつ、どんな思いで書かれた手紙であるかはガン無視して、
(ほんとはそれが一番ダイジなんですが)
とにかくけなげに、おナミダ頂戴で演るしかなかったんだな、と。

でまあ、凛として演るのもしおしお演るのも違うと思い、
とりあえず無理やり気持ちを作って、
キャラを意識してちょい明るめに、だけど生命感を漂わせないよう、淡々と演った。

  ところが、巷ではこれが『名演』っぽく語られ、
  イベントで同じところ再朗読させられたりするハメに。
  ほんと、役者さんって大変だなあと思います。
{/netabare}


というわけで、僕的なおすすめ度はCランクです。
映像がかなりきれいなので総合満足度が3.4になっておりますが、
心証的には2点台がいいところの作品かな、と。

内容的には、ど直球の感動ポルノ。
  病気にも、
  音楽にも、
  人の死にもカタチにも、
ろくに向き合わず売れ線だけを追求した会心の一本です。

おそらくは、原作の抱えた問題をそのままアニメに完コピ(原作未読)。
監督のイシグロキョウヘイさんは、
内容のなさを映像でカバ-しようとしすぎかと。

  これが初監督作品でいろいろ気を使ったのはわかりますが、
  原作者の新川直司さんだって、
  初のアニメ化作品だったわけですしね。

  講談社の版権担当は最初とっつきにくいけど、
  強気にいったらけっこう話聞いて親身になってくれるし、
  (昔は、ですね。いまもそうなのかな?)
  ちょっとこれおかしいんじゃね、と感じるところは
  もっとゴリゴリいくべきだったと思います。後の祭りですが。


ただまあ、板もマンガもけっこう売れたようで、
ビジネス的には成功作品です。
カネ目当てで作った感動ポルノでお金がたくさん入ってきたんだから、
そこは「よくできました」と誉めてあげるところかと。
流れで『いちご同盟』がそこそこ売れたのも、よき。

現実論として、こういう作品の需要があることは誰にも否定できません。

ぶっちゃけたハナシ『いちご同盟』みたいな
  悲しい・可哀そうという表層を超えて突きつけられるなにか
が含まれているコムズカシイ作品よりも、
  うんうん、好きな人が死んじゃったらつらいよねえ。
  うんうん、支えてくれる友だちや仲間はダイジだよねえ。
  うんうん、打ち込めるものがあるっていいよねえ。
みたくアタリマエのことを目先を変えた言葉で語った作品の方が、
市場に受け入れられやすいのは『事実』です。

マ-ケットにおいて『感動』は『消費するモノ』なんです。

消費財としての『感動ポルノ』のどこがワルいんだ、と問われれば、
実際のところ、どっこも悪くなんかありません。
それは『良し悪し』の話ではなく『好き嫌い』の話でしかないんですよね。


  僕は、あくまでも個人的にですが、
  アニメが『消費財』ではなく『文化』であることを願っています。
  ですから、音楽や人の生死にかかわる作品は、
  きちんとそれらに向き合い、
  物語に芯なり骨格をちゃんと通して届けて欲しいと思うんです。

  ただ、そういうのは現場を離れたから言えることであり、
  それができるんならトックにやってんだよ、
  というのは、現場を預かる方の多くが声を大にして言いたいセリフだろうなと。

    そんなもんは、チンプな理想論に過ぎね~よ。
    こっちゃビジネス、食い扶持かせぎでやってんだよ。
    みんなが「いい」と言ってるのに、なにカッコつけてんだテメエ。

  というのは、ある意味『正論』なんです。
  ……いや、そうじゃないな、自分を正統化したがっちゃってるな。
  そういうのは、ほんとうに、イタいほどの『正論』なんです。


つまるところ、世間一般からしたら『たかがアニメ』なんですよね。
ですから、僕が言っていることは、
しょうもない一個人の、しょうもない感傷論みたいなものに過ぎません。

でも……ですね、

  その『たかがアニメ』に全てを賭けている人たち、
  命を削るようにしてモノづくりに打ち込んでいる人たちがいることを、
  ほんの少しでも考えていただけたら、
  そんなふうに考えてアニメを見る方が一人でも増えたら、

     僕としては、とても、とても幸せだなあと思います。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 28
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renton000 さんの感想・評価

★★★★★ 4.9

いろいろ良かった!

 初見でした。全22話。音楽で紡ぐ生と死と恋のお話。
 すごかったですね。素晴らしかった。ストーリー自体は奇をてらったものではないですが、演出関係が充実していたので非常に楽しめました。まだ見てない人は、すぐにでも見たほうがいいかもね。そう思える作品です。イシグロキョウヘイ監督の要チェックリスト入りが確定しました。

 視聴後にマンガ版を大人買いしたので、ちょっとだけ比較が入っています。敢えてマンガ版とアニメ版の完成度を比較するなら、アニメ版の方が上だと思います。再現率が高いのでマンガ版の良さが損われていないですし、ここにアニメ独自の演出が効果的に乗ってくるからです。
 各論と総論に分けて記載していきます。長文なので暇人向け。もちろん既視聴向け。


各論編:{netabare}
 この作品は、長期的なフラグと短期的なフラグが良い具合に混合されていたと思います。それらについて、演出面から確認していきます。

「映画のワンシーンみたいだ」:{netabare}
 長期的なフラグのこと。
 コウセイが実感してしまった「映画のワンシーン」と、カヲリが実感してしまった「映画のワンシーン」について。

 第2話、カヲリのコンクールが終わったあと、コウセイ・ツバキ・ワタリのもとにカヲリが駆け寄って来るシーンがありますよね。確認してほしいのは、参考動画の1分18秒から1分40秒までです。
 参考動画→<https://www.youtube.com/watch?v=kljOup17Z7k>
 コウセイがカヲリを迎えようとちょっと動いたときに、ワタリがそれを追い越してカヲリに駆け寄ります。この二人を見ていたコウセイは、「映画のワンシーンみたいだ」と感じてしまいます。そして、ツバキはコウセイの疎外感を指して「友人A」と言います。

 これに紐づいているのが第22話後半ですよね。確認してほしいのは、参考動画の1分34秒から1分55秒までです。
 参考動画→<https://www.youtube.com/watch?v=xNAWzYd83o8&t=114s>
 下駄箱にいるメガネおさげのカヲリが、コウセイにどう話しかけようかと思案しています。このとき、歩いているコウセイとワタリの方へカヲリがちょっと動くんですが、ツバキがそれを追い越してコウセイのところに行ってしまいます。このときのモノローグは、「結局眺めてるだけでした。だってみんな、仲良すぎるんだもの」です。

 直接的に紐づいているのは、上の1分35秒から1分40秒までと下の1分43秒から1分48秒までですね。スロー再生は共通していて、構図はピッタリ真逆になっています。つまり、この二つのシーンはワンセットってことです。

 この手紙のシーンは、すごく切ないですよね。第2話でコウセイが「映画のワンシーン」で疎外感を覚えてしまったように、カヲリにとってもコウセイ達が「映画のワンシーン」だったんだな、と気づかされてしまいます。カヲリはそもそも「友人A」ですらなかったですし、そう言ってくれる友人も近くにいませんでした。本当に単なる観客だったんですね。「友人A」のコウセイの方がよっぽどマシってものです。
 カヲリの感じていた疎外感を、第2話のコウセイに件のセリフを重ねることで表現していたこのシーン。この合わせ技にはちょっとグサッと来てしまいました。まさか第2話が第22話と紐づくとは思っていなかったので、なおさらこの演出には惹かれましたね。
{/netabare}

駆け寄るカヲリ:{netabare}
 こちらは短期的なフラグのこと。
 カメラ演出絡みです。カメラのフレームを「│」で表現します。「コウセイ│カヲリ│」と表記した場合は、カヲリをカメラで撮っていて、コウセイはフレーム外(左側)にいるってことです。参考動画を見つけられず。すまぬ。

 第3話の前半と後半で、全く同じフレームワークが使われています。
 コウセイ│    ←カヲリ│ と撮っていて、右端にいるカヲリが左のコウセイへ駆け寄って
 コウセイ│カヲリ     │ となって、このままカヲリは左側へフレームアウトします。
 カメラのフレームが固定されていて、カヲリがフレーム内の右端から左のフレーム外まで走るだけですね。

 前半で使われているのが、カフェで子供ときらきら星を弾いた後、ネコに餌をあげているコウセイにカヲリが駆け寄るシーンです。後半で使われているのが、カヲリがコウセイに「くじけそうになる私をちょっぴり支えてください」って言うちょっと前のところ。屋上のシーンです。

 そもそも、このフレームワークはちょっと不思議ですよね。駆け寄るだけのシーンなら、駆け寄っているカヲリをカメラで追うのが一般的な撮り方だと思います。でも、ここではそうはしていません。
 また、二人の(心理的な)距離感が近づくシーンなら、こんな感じにしますよね。
 │コウセイ   ←カヲリ│という状況から、│コウセイカヲリ    │にする。こうすれば、二人が近づいたなってことが違和感なく伝わってきます。でも、ここではコウセイをフレーム内に入れていないんです。
 つまり、このフレームワークで描きたかったのは、「近づけないさま」ってことですよね。前項で述べたことと関連してしまうんですが、カヲリにとってのコウセイは映画の中の人でした。同じフレーム内にはいないんです。この二人の距離感を、このフレーム演出を使って表現しているんだと思われます。
 だからこそ、カヲリがフレーム外にいるコウセイに一生懸命近づこうとしているのが伝わってきてしまうし、フレーム外にいるコウセイに対してカヲリはどんな気持ちで駆け寄ったのかなぁとか、コウセイと同じフレームに入りたかったんだろうなぁとかって考えてしまう。そういうコウセイに近づけないカヲリの切なさを描いたフレーム演出ですよね。

 で、問題となるのは、この切なさフレームが同じ回に二度も使われているってことです。こういう特殊なフレームワークはほっといても目立ちますよね。それを二度も使っている。つまり、意図的に目立たせているんです。それは、この二つのシーンで対比を作るためだと思います。
 私は、同じ演出が使われたときには、「同じところを見て」や「変わったところを見て」というメッセージが織り込まれていると考えているんですね。ここの二つのシーンでは、「同じところ」として「コウセイとの距離を詰められないカヲリ」というのがあるんですが、それ以外に「変わったところ」というのもあると思います。

 前半では、ネコを理由に駆け寄っています。後半では、コウセイを理由に駆け寄っています。語弊を恐れなければ、ネコを言い訳にしていたカヲリが、ちゃんとコウセイに向き合えたってことです。これが一つの違いですよね。でもこの違いだけでは、フレーム外という関係性までは変えることができなかったんです。
 ただ、その後のシーンには更なる違いが表れてきましたよね。前半ではダメでしたが、後半のシーンの後ではカヲリはコウセイから同意を引き出すことに成功しています。この変化をもたらしたのは、カヲリが自分の心情をきちんと吐露したからです。「くじけそうになる私をちょっぴり支えてください」と吐き出したからこそ、やっとコウセイの手を取れたんです。頑張って頑張って、カヲリはコウセイを影の中から光の中へと連れ出せた。フレーム外だった二人の関係が、このカヲリの吐露によってフレーム内に入ったってことですね。
 「くじけそうになる私をちょっぴり支えてください」自体も良いシーンなんですが、それをより引き立たせるために同じフレームワークで対比を強調したんだと思います。

 ちなみに。こちらは同じ構図で違う結論ですが、前項は違う(真逆の)構図で同じ疎外感を描いていますよね。同じなんだから「変わったところを見て」、変えたんだから「同じところを見て」ですね。
{/netabare}

おまけ①マンガ勢の嫉妬:{netabare}
 長期短期フラグとは関係ない話なんですが、各論なのでここで。

 第5話、病院で着替えを覗かれたカヲリが「もうお嫁に行けな~い」と叫ぶシーンがあります。この叫びに合わせて、病院の玄関のアップから病院の全景までズームアウトしています。言葉で説明するとややこしいので、こちらをどうぞ。
 16秒くらいから。一瞬です。参考動画→<https://www.youtube.com/watch?v=WVhCH0CnNaY>

 このカットも面白いですよね。
 最終的な位置関係は「カメラ→車→病院」なんですけど、ここからズームインしても玄関だけを写せないですよね。間にある車が邪魔をして、「リアガラス越しのフロントガラス越しの玄関」になってしまいます。
 ですから、このシーンではズームアウトしながらカメラも同時に引いているんですね。でも、途中にある二枚のガラスを思いっきりすり抜けちゃっていますよね。これは実写では絶対にできません。カメラが車のガラスをすり抜ける、なんて実体のあるカメラでは不可能です。
 これが出来るのは、実体のないカメラを使っているマンガとアニメだけ、と言いたいところですが、マンガはズームの過程を描けないのでムリですね。これは、アニメだけに許されたカメラ演出です。アニメの特権。

 最近のアニメは、実写に近づける演出がすごく多いですよね。肉眼に近づける、と言ったほうが正しいニュアンスかもしれませんけど。選ぶ言葉はともかく、今までできなかったことなのでしょうから、それをやりたくなる気持ちも分かるんですが、実写と同じになるなら実写でいいんじゃないの?と思うこともままあります。せっかくアニメというメディアを使っているんだから、アニメでしかできないことにもきちんと力を入れてほしいと思っています。
 アニメにしか出来ないことをやっているのを見ると、やっぱりそのアニメに対する好感度は当然上がります。まぁ、私はマンガ勢なので、これはマンガじゃできないなぁと嫉妬しただけなんですけどね。
{/netabare}{/netabare}

総論編:{netabare}
 総論編でも書くことは変わりません。長期的なフラグと短期的なフラグについて。
 ただ、短期的なフラグ―飛び込みとかおんぶとか泥団子とかの一話から数話で回収されるもの―については、見ていれば分かるものばかりなので、ここでは長期的なフラグについてだけ記載します。ネコと桜と線路だけです。


ネコ(とお母さんとカヲリ):{netabare}
 ネコがめちゃくちゃ頑張っていましたね。桜も線路も頑張っていたんですけど、それらにも増してネコがすごかった。
 この作品のネコって、ストーリーテラーというか狂言回しというか、そういう役割を担っていますよね。ネコはしゃべったりしゃべらなかったりなんですけど、登場することでストーリーが進む。これを支えているのがネコに与えられた象徴性なんですが、これについてはコウセイのお母さんとカヲリが関係するので、併せて整理していきます。

 この作品の前半(第13話まで)というのは、一言でまとめるならコウセイとお母さんの話ですよね。お母さんの影に怯えていたコウセイが、第13話での演奏をもってお母さんの光の部分を思い出し、影との決別に至る物語。前半ではお母さんの影の部分が強調されることが多かったですが、その根底に光があったことは第1話できちんと描かれています。帰宅したコウセイが、遺影を前に「ただいま、母さん」と言っていますからね。コウセイにとってのお母さんは、影一辺倒ではなくて、きちんと光の部分がベースに置かれているんです。お母さんの影の部分が強調されているように見えるのは、そこにピアノが介入してきたからに他なりません。コウセイにとってのお母さんは、第1話の時点から光と影の両方を併せ持った重層的なキャラクターとして描かれているんです。
 そして、お母さんの影の部分だけを担って登場するのがネコです。ネコの存在自体が捨てられてしまったチェルシーを思い出させ、それがお母さんの影の部分と直接的に紐づいてしまう。つまり、前半のネコはお母さんの影の部分にまつわる不吉なネコ、影のネコ。

 この不吉さを象徴するネコは、本来であれば、お母さんの光と影の重層構造が確立する第13話の段階で、消滅してしまうものだったと思います。影の部分だけを描く必要がなくなるからです。でも、この作品ではそうはなりませんでした。お母さんが持つ光と影の重層構造を、ネコが引き継いでいくんです。ネコの象徴性が転換されているってことです。
 後半におけるネコの意味合いが最も分かりやすいのは、エンディングですね。ネコを追うことがカヲリとの思い出を辿ることになる、というあのエンディング。つまり、後半のネコは、カヲリにまつわる希望のネコ、光のネコなんです。
 つまり、前半での不吉なネコは、後半ではいつの間にやら希望のネコへと転換されているんです。

 そもそも、ネコの象徴性も影一辺倒ではありませんでしたよね。ベースに光があることが第1話のオープニングできちんと描かれています。カヌルを食べながら歩くカヲリが、ネコを見つけて追いかける、というシーンです。ここでのネコはカヲリにつながる光のネコです。ベースに光があることを先に入れておくのは、お母さんの描き方と同じです。
 この第1話のオープニングは、最終話から振り返ってみるとものすごく濃いシーンですよね。カヌルが好きなカヲリと、ネコを追うことがカヲリを追うことになるというエンディングへのフラグ立てをしながら、同時にネコのベースに光があることをきちんと見せている。
 この後は、ネコが不吉なネコとして跋扈していくんですが、ネコが登場するシーンでは、積極的にカヲリも絡ませているんですね。カフェで子供たちときらきら星を弾いた後とか、公園でトラウマを告白する前とか。これによって、不吉なネコが描かれるのと同時に、それがカヲリとの思い出で上書きされていくんです。だから、ネコが悪いものだけじゃなくて、最終的には良いものにすり替えることが出来る。不吉なネコをカヲリとの思い出で上書きしていったからこそ、ネコを追うことがカヲリの足跡を辿ることになる、というあのエンディングが成立するんです。

 一般的には、一度与えた象徴性というのは覆すのが難しいですよね。一旦ネコを不吉なネコとして描いてしまったら、それとは真逆の希望のネコに転換するというのは、不可能に近い。この作品のネコは黒ネコですから、もともとの不吉さとも相まってなおさら難しいと思います。でも、この作品ではその象徴性の転換を、お母さんからカヲリへとバトンタッチすることで非常に上手く描いていました。このネコ転換は作中では別段説明されてはいないんですけど、「見ていれば自然にわかる」というレベルに仕上がっていたと思います。
 第1話のオープニングシーンは、マンガ版にはないアニメ版独自のものですね。かなりの良改変だと思います。
 (希望のネコに介在する不吉なネコ―事故ったネコの血―については、次項で述べます)
{/netabare}

桜(と演奏時の演出):{netabare}
 桜の使われ方もよかったですよね。この作品での桜の意味合いは定番通りでいいと思います。「出会いと別れ」や「始まりと終わり」という二面性を持った象徴物ですね。

 作中でまず目につくのは、第4話の使われ方ですよね。
 第4話はコウスケとカヲリが共演する回ですけど、二人の会場入りを見送るツバキが「もうすぐ春が来るよ」と葉桜の横で言っています。「春の終わりを告げる葉桜の横で、春の始まりをツバキが告げている」という二面性の上に、「今までのコウセイの終わりとこれからのコウセイの始まり」という二面性を乗せているわけですね。桜の持つ二面性をビジュアル面と内容面で重ね合わせ、素敵なコントラストに仕上がっていました。ここもマンガ版の描き方より良かったです。

 この第4話の桜の上を行くのが、第21話での桜だと思います。演奏時の演出とも関連するので、そちらと一緒に整理をしてしまいます。演奏時の演出をまとめると、こんな感じになっています。
 ①幼少コウセイ:ひまわりと青空
 ②水没コウセイ:水中
 ③第4話のカヲリと共演コウセイ:青空と桜
 ④第10話のソロコンクールコウセイ:水没から桜へ
 ⑤第13話にお母さんの死を乗り越えたコウセイ:黄色い光の玉
 ⑥第18話のナギと共演コウセイ:無し、というか「凪ぎ」というべきかな

 第18話以降の終盤で描かれていたのは、カヲリの死を目前にしたコウセイの退行ですよね。
 第21話の演奏は、手のひらにネコの血を見るところから始まります。ここでのネコの血は、上で述べたネコ転換の落とし穴に相当するものですよね。ネコ転換によって「お母さんの死→不吉なネコ→ネコ←希望のネコ←カヲリ」という関係性を積み上げようとしていたのに、ネコの血によって不吉さが膨れ上がってしまい、「お母さんの死→不吉なネコ→ネコの死→不吉なネコ→カヲリの死」になってしまった、という落とし穴。
 このネコの血は後半に登場していますが、意味合いとしては前半のネコに由来するものですから、新たな問題が出てきたわけではないんです。前半のコウセイと同じ問題(乗り越えられない死)が再度表れてしまった。だから退行ですね。
 そして、ネコの血から始まった第21話の演奏は、桜を咲かせるところで終わります。

 この構造っていうのは、ぴったり第10話の演奏と同じですよね。第10話の演奏は、ネコのぬいぐるみを見てしまうところ(演奏開始自体は第9話)から始まって、最後に桜を咲かせて終わります。第10話も第21話も、ネコで始まり桜で終わっているんです。
 また、第10話の桜と第21話の桜は、構図までもが一緒になっているんですけど、これも第10話の演奏と第21話の演奏の親和性を説明するためのものですよね。そして、この親和性によって第21話の桜は、退行してしまったコウセイが第10話終了時点まで復帰した、ということを表現していたんだと思います。

 この第21話の桜を見たときに、第22話への期待感がものすごく高まりました。第10話の桜の後に、お母さんの死を乗り越えた第13話の演奏があったように、第21話の桜のあとには、カヲリの死を乗り越える第22話の演奏が来るだろう、という期待感です。この期待感をもたらしてくれた第21話の桜が、今作におけるナンバーワンの桜です。
{/netabare}

おまけ②第22話の演奏:{netabare}
 桜からは逸脱しちゃうんですけど、この流れに乗って第22話の演奏の話を。
 その前に前項③第4話の補足なんですけど、このときの青空と桜はそのままコウセイとカヲリですよね。
 コウセイ=ひまわり=青空(夏空)で、カヲリ=春=桜。

 第22話の演奏で、風景が変わりますよね。
 コウセイは、青空のもとでピアノを弾いています。そして、おそらく、青空の映っている足元は水面ですね。これが意味しているのは、水中から水上へ、だと思います。水面に波がないのは凪ぎ(ナギ)だから。
 さらに、光の玉です。第13話のコウセイは、黄色い光の玉しか飛ばしていなかったですよね。エミの演奏では赤い光の玉と黄色い光の玉が飛んでいて、それについてカヲリは「怒りと寂しさ」と言っていました。つまり、第13話のコウセイは、寂しさを意味する黄色い光の玉しか飛ばせていなかったんです。でも、第22話では七色の光の玉を飛ばしています。これは、様々な人との出会いがもたらしてくれた「カラフル」ですね。一応七色について触れておくと、母さん、ワタリ、ツバキ、アイザ&イガワ、アイザ妹、ヒロコさんの六色にカヲリで七色です。
 最後に、星空。これはきらきら星ですね。コウセイの言う「君と見る星空はどんな…」というやつです。私は最初、カヲリが演奏に登場した段階で「カヲリが死んだ!」と思っちゃったんですけど、これは間違いですよね。この時点では「もうすぐ死にそう」くらいで、カヲリがきらきら星になったタイミングが「カヲリの死」でした。

 で、この第22話の演奏演出っていうのは、おそらくたぶん確実に、過去の演奏演出のすべてを盛り込んで、それをブラッシュアップさせたものになっているんですよね。つまり、第22話の演奏自体が、コウセイの過去やコウセイの人生をすべてひっくるめたものになっていた。コウセイは、自分のすべてを死にゆくカヲリに「届け!」と叫んでいました。
 第22話は、ストーリー的な集大成ではありますけど、演奏演出の集大成としても見どころが多かったと感じました。 
{/netabare}

線路:{netabare}
 この作品の線路は、境界として使われていましたよね。こっちにいるか、あっちにいるか、という境界です。線路を走る電車は、強いて表現すれば、その意味合いを強調するって感じですかね。 

 これが分かりやすく演出されているシーンが第6話にあります。このシーンでは、カヲリとツバキが一緒に帰宅をしていて、十字路で別れています。この十字路は、何度か登場する重要な十字路です。ここでカヲリは、自分とコウセイを指して「私たち」と言います。
 二人が別れたあと、カヲリは画面上の道に進んでいって、しばらく歩いたら走って逆走します。音楽室で練習しているコウセイのところへ行くために、学校へ戻るんです。
 一方ツバキは、十字路から画面左に進行していって、そのまま線路を渡ります。すると、先輩から電話がかかってきて、カヲリの言う「私たち」に自分が入っていないことに気づきます。そして、自分と先輩を指して「私たち」「付き合いましょうか」とこぼしてしまうんですね。ここで、電車が通過します。
 線路を渡らずにコウセイのもとに行けたカヲリと、線路を渡って先輩のもとへ行ってしまったツバキ。このシーンで描かれているのは、二人の対照的な状況ですよね。この境目が線路です。

 また、第6話には十字路から線路に至る演出が、もう一つ使われています。短期的なフラグですね。ツバキとカシワギが一緒に帰宅をしていて、十字路でツバキが説教されるシーンです。ここでは、ツバキのケガに気づいたコウセイが氷を持って登場し、コウセイに気づいたカシワギは画面上の道へとはけていきます。
 その後のシーンでは、線路わきでコウセイがツバキを負ぶって歩き、ツバキは「私たちには一緒にいた長い時間がある」と自分とコウセイの「私たち」を考えます。でも、電車は通ってくれないんですね。

 この二つ以外では、以下のシーンで線路が出てきます(私のメモで確認できる範囲です)。
 第5話。先輩がツバキに告白するところ。ツバキと先輩の二人が線路わきを歩いています。電車は無し。
 第7話。ネコを見てコウセイが吐いてしまったあとの、コウセイとカヲリの公園のシーン。トラウマを告白をしているところですね。ベンチの後ろ側が線路です。ここでは電車が複数回通過しています。
 第11話。コンクールを終えて感情に芽生えたコウセイが、カヲリ・ツバキ・ワタリという感情を持つ三人と一緒に、「(みんなと同じ)人間なんだ!」と線路わきを走るところ。このときは電車と競争しています。
 以上の演出によって、「線路が境界として成立している」ということと、「電車は同じ側にいるキャラたちのつながりの強度を示している」というのが見えてきます。

 で、線路演出で一番大事なのは、第22話ですよね。この作品の文字通り一番最後のシーンです。
 2分33秒くらいから。参考動画→<https://www.youtube.com/watch?v=aQJB3NbE6kI&t=12s>
 コウセイが、(カヲリの象徴である)ネコを追っていて、カヲリの幻影は線路の向こう側へ行ってしまう。そして、線路の向こう側からツバキが現れて、コウセイの側に来ると「ずーっとずーっと、そばにいてやるんだからな」と言う。その後、線路の向こう側にネコが現れて、電車が通過するとネコの姿が消えてしまう。

 この演出が意図しているのは、(ネコとしての)カヲリが境界の向こう側(彼岸)へ行ってしまった、ということと、カヲリ(としてのネコ)を追うことでツバキとめぐり合えた、すなわち、カヲリがキューピット役となって、コウセイとツバキのハッピーエンドを導いたってことですよね。
 線路の境界としての意味合いを、最後の最後で此岸(この世)と彼岸(あの世)との境界にまで昇華させたのも見事だし、第1話から積み上げてきたネコとカヲリの関係を収れんさせたのも素晴らしいし、カヲリが導いたコウセイとツバキの未来というのも美しい。うれしいとか、悲しいとかじゃなくて、このシーンにはただただ感動しました。
 この線路を使った演出は、マンガにはないアニメオリジナルのものです。素晴らしいですね。
{/netabare}{/netabare}

おわりに:{netabare}
 やっぱり1期2クールはレビューが長くなってダメですね。ストーリーラインを含め、ごっそり削ったつもりだったんですけど、あまり短くなりませんでした。

 私はこの作品をかなり絶賛しています。退屈になりがちな会話のシーンでも、上述のとおりネコや線路が意味を持って登場していて、とにかく見どころが多いんですね。カメラ演出も面白いです。
 実は止め絵も多いと感じているんですが、あまり邪魔になっていないですよね。止め絵は街の風景などに多く使われているんですけど、これがエンディングで効いていました。カヲリの足跡を追いながら風景を映すことで、確かにカヲリはこの街に生きていたんだな、という実感が湧いてくるんです。この風景止め絵のせいでストーリー進行が遅めなんだな、なんて途中では考えていたんですが、無駄なものなんかではありませんでした。
 この作品は、飛び込みや泥団子のような短期的なフラグ回収が中心ですよね。でも、ネコと桜でつながる第10話と第21話とか、「映画のワンシーン」でつながる第2話と第22話とか、長期的なフラグ回収も多いんですね。1周目では拾えなかったものも多いでしょうから、今から2周目が楽しみなくらいです。

 ただ、文句が全くないわけではありません。例えば、次の二つです。
 一つ目は、第1話のお母さんの「あなたは私の代わりにヨーロッパで活躍するの」というセリフです。ひたすらにコウセイの幸せを願っていたお母さんの姿を知った後だと、お母さんこんなこと言うのかな?という疑問が残ります。原作通りなんですけど、正直改変したほうが良かったと思いました。2週目だと、なおさら違和感が残りそうです。
 二つ目は、何話か忘れましたが、部屋の隅で怯えている子供コウセイにヒロコさんが近づくシーン。ここ、大股でズカズカと歩くんですよね。怯えている子供にそんな風に近づくかなぁ、と思いました。
 この二つのシーンにどういう評価がされているのかは分かりませんが、私は脚本と演技のミスだと感じました。別に減点だとかって話ではないんですけど、その他が良いせいで悪目立ちしてしまったかもしれません。

 ベストガールはまだ決めかねています。
 涙腺崩壊請負人のカヲリ、幼馴染は結ばれないという定説をぶち壊したツバキ、顔面大勝利のエミ、成長が最も精緻に描かれていたナギ。さて、どうしたもんかなぁ。{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 21
ネタバレ

ウル さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

登場人物一人ひとりに共感出来た作品 

この作品は好きすぎて、どうレビューすればいいかわかりません。
少しずつレビューを書いていけたらなと思います。
この作品が苦手だなと思う人の考察もしながらレビューしていこうかなと思います。
多分かなり長文になりますので時間がある人が見ていただけたらと思います。

まず、私は恋愛系のフィクション作品はあまり見ません。
都合のいい展開が多すぎてあまり世界に入っていけないのが理由のひとつです。
勿論、面白い作品も知ってますが最初は期待せずに見ました。
パッケージの絵もあまり好みではありませんでしたし。
なので絵が好みじゃないって人も一回見てほしいです。

最初に思ったのがパッケージよりアニメーションで動いているキャラクターのが魅力的であったことです。
普通は逆なことはあってもこんなことなかったのでびっくりしました。
正直、見始め2話ぐらいは少し退屈に感じることもありましたが、演奏場面やモノクロの世界観とカラフルな世界観。
そしてなにより、演奏場面の作画が綺麗で惹かれて見続けていました。
音楽も、演奏場面以外のバックサウンドがすごくいい。
この作品が嫌いな人も多分演奏場面はすごいと思っているんじゃないかと思います。
普通のアニメだとあんなに手元映しませんし。
ロングで撮って誤魔化すって言ったら失礼かもしれませんがそんな音楽アニメが多かったのでびっくりしました。
普通の恋愛アニメでは、味わえない熱い展開もあるので、普段スポーツアニメが好きな人もハマると思います!

  
ただ、女性キャラクターの暴力ギャグ的表現が合わない人はちょっときついかもしれません。
私はアニメらしい表現で好きです。(ハガレンのヒロインが大丈夫ならいけると思います)
ポエムチックな事を主人公が言うことが多いのでそれも苦手だと思う人もいると思います。
また、このジャンルは好き嫌いハッキリ別れそうです。
苦手な私がハマったのでおすすめはしたいです。


個人的にすごいと思ったところを簡潔にあげると、私はアニメ、映画、マンガ、ドラマと色んな作品を見てきましたが、2週目がこんなに面白い作品はなかなかないです。

それだけ、登場人物一人ひとりの心理描写がしっかりしているんだなと改めて思いました。
見て合わなかったら残念ですけど、見て好きになってくれたら嬉しいですね。

もう一つは{netabare}泣ける、感動、熱い出来るポイントが何ヶ所もあるところです。特に泣ける、感動出来る話数が多い!普通の物語だと最後感動した。
とかは結構あるんですけどこのアニメは泣ける、感動する話数がかなり多いです。
特に13話は最終話より泣けた人も多かったと思います。
そこがすごいなと思いました。{/netabare}



ここからはネタバレありで書いていきます。全部見終わった人で、お時間ある方だけお付き合いください。めっちゃ長くなりますがこれでも端折っているのでご了承ください。


1話
{netabare}仲良し3人と公生の過去と、トラウマにふれるシーン。
公生が「ピアノは嫌いだ。けどそれでも、しがみついているのは僕には何もないから…ピアノを除けば僕は空っぽで不細工な余韻しか残らない」のセリフはかなり好きです。
隣の公生の家からピアノが聞こえないのを心配する椿もいい。
ラピュタの鳩のシーンの曲をかをりが弾いてるシーン…2週目の人はかをり登場シーンだけで涙もんです。{/netabare}

2話{netabare}
椿が公生に後悔してほしくないってのがすごくわかります。
「今の公生は必死で音楽にしがみついている」
公生もほんとは音楽が好きなのに近づけない…罪悪感と恐怖でいっぱいになっているのがわかりますよね。

そしてかをりの「私の音楽届くかな?」ってセリフ…
自由に弾くかをりに興味をもつ公生。
演奏が終わってから公生に感想を聞きに行く、かをり…このときの反応が2周目組はやばいです。
公生の返しもいいですよね!
かをりが待ち伏せしてるところも、ほんとは公生のこと待ち伏せしてたんですよね!
ここでの公生の優しさがいい。{/netabare}

3話からどんどん世界に惹かれていきました。
{netabare}公生が自分のトラウマをかをりと話し合うシーン、伴奏を頼み込んで必死で頼み込むかをりとバックの音楽が美しい。(後半で、ここの意味を知ったときはやばかったです)
無理かどうか女の子が教えてくれるさって、渡ってほんといいこといいますね。
そしてラストで今までモノクロに見えていた、公生の住んでいる街がカラフルに色づいているシーン{/netabare}最高の3話の終わり方です。
ここから本腰を入れて見始めました。

4話
{netabare}かをりとの演奏シーン。
トラウマに必死に抵抗して諦めそうになる公生(ここの公生の心理描写がすごくいい)、
諦めいないかをり、それに応える公生見ていて覚悟を決める。
こんなに熱くなるとは思いませんでした。 {/netabare}

5話
{netabare}かをりが倒れるのですが、すぐ退院したので初見の時はさほど気になりませんでした。
椿の心理描写がリアルで先輩との再会でより公生のことでヤキモキしているところがほんといい。{/netabare}

6話
{netabare} 椿が、音楽が出来ない自分と音楽が出来るかをりを比べて公生と距離を感じてるところがいい。
かをりが、「だめだめな弟って感じ」って言うシーンも椿が公生のこと好きなの知っていて自分も同じ気持ちだよって伝えたかったんですね。
逆にかをりが椿に同じこと、言ったシーンでも、前に公生のことを、「だめだめな弟」って感じって言ってましたし。
いいシーンです。

あとは、椿の気持ちもわかりますが先輩に「付き合いましょうか?」
て言い方はちょっと卑怯ですよね。
気持ちもわかりますけどね。
辛くて、寂しくて、気持ちがぐちゃぐちゃで自分も自分の気持ちに気づけていない椿の気持は見ていて、いい意味でもやもやします。

あと、音楽室でのかをりと公生のシーンもいい。
もうドキドキしまくりです。
その後の、大会での椿のシーンもやばいです。
公生の横に、かをりが来るところを見てしまうシーン椿の心理描写には共感できます。
あと柏木がいい人過ぎる。
ラストシーンでこのまま時間が止まればいいのにって言う椿。
2週目見ると気持ちがおかしくなります{/netabare}

7話
{netabare}渡が部活で負けて1人で泣くシーンもすごくいい。
人前では、明るくいようとする渡はすごくカッコいいです。
かをりの「君はどうせ君だよ」ってセリフもいいですよね。
ここからピアノコンクールで武士と絵見との再会。
あの二人の心理描写もいい。
演奏前の緊張感見てる側にも伝わってきます。
私の子供の時を思い出しました。{/netabare}

8話
{netabare}武士と絵見がどんな気持ちで舞台に立っているか。
熱いです。
恋愛アニメなの忘れるぐらいに熱いです。
ここは下手なスポーツアニメより全然熱い!{/netabare}

9話
{netabare}公生の演奏場面。
小さい頃のトラウマと闘いながら演奏します。
この回もこれはバトルアニメなんじゃないかと思うぐらいに熱い。
また、子供のときの回想がかなり入るシーン母親に最後に言った言葉…切なすぎます。{/netabare}

10話
{netabare}母親のトラウマに押しつぶされて演奏を止めてしまう公生…けど心の中のかをりが演奏をやめることを諦めさせてくれない。
誰のために何のために弾くのか、公生が僕は君のために弾こうって言うところがやばい。
「届くかな、届くといいな」ってかをりと、同じこと言ったり、お互いに「君がいるよ」って言ってここで、かをりが公生のこと泣きながらフルネームで言うのいいですよね。{/netabare}


11話
{netabare}瀬戸さんとの再会。
公生をピアノの世界に引きずりこんだ張本人の登場。君が好きですってピアノが歌ってたと言われるが、これは、感謝で恋愛じゃない友人Aだというところも共感出来ます。
友人が好きな女の子を好きになってはいけないと、無意識にブレーキをかけてるんですよね。
細かいところですがいいです。
あと、コンクールの発表場面…いい。
みんながどれだけ本気でやっているか…負けて悔しいか目のあたりにする公生が、音楽家としても人間としても成長するところです。
このあと、悔しくてみんなで電車の横の道路で走るところってベタですけどめっちゃいいですよね。
このシーン2周目だと…
瀬戸さん弟子入りしてかをりとコンクールにガラコンに出るか聞く場面とか愛の悲しみという曲のチョイス。
地味に好きなのがかをりがバイオリンに向かって話しかけるシーン。
楽器を人として扱ってるシーン。
楽器をしていた、してる人は気持ちがすごくわかるんじゃないかなと思います。
前に公生がまた「お前と二人ぼっちか」ってセリフもありましたけど、かをりはほんとに会話しているのようなのがよかったです。

ラストのかをりが「心に何を思って、何を支えにしたの?」ってセリフの後、公生が「君がいたんだ」って…もう告白じゃん。
けどそれがいい。このときのかをりの気持ちを考えるとあぁぁぁってなります。{/netabare}

12話
{netabare}かをりとの帰り道、かをりが「身長伸びた?もう顔が下向いてないからだね」ってセリフいい。
公生の成長を態度でも分かるいいシーン。
みんなで花火、進路の話…それから絵見がガラコンこっそり見に来るのが面白かったです。
ラストかをりがガラコンに来ない。
順番を変えて貰えるようにラストの子に頼みに行くシーン熱いです。
今日の主役の座は僕たちが貰います。
僕たちってのがいいです。
あとこの回からOP、EDが変わります。特にED見て意味深すぎすと思いました。{/netabare}

13話
{netabare}かをりが間に合わないから公生が一人で舞台に立ちます。
最初は荒々しい演奏から音が聞こえなくなってくる、いつもみたいに音が聞こえないのに僕の中に音がある。
昔の母親との優しい気持ちを思い出す。
そこからの、公生の演奏表現がみんなの反応がいい。

あんなに優しかったお母さんがどんな思いで公生に厳しく当たっていたか…どんなに公正を愛していたか…母親がしていたことはけして許されることではないと思いますけど、その出来事も全部今の公生に繋がっているんだなと。
回想シーンのお母さんのセリフ…瀬戸さんに泣き崩れながら
「公生は私がいなくなっても生活出来る?」
「音楽で食べていける?」
「今、私が出来ること譜面を正確に忠実に弾かせること、手に技術さえあれば将来食べていけるかもしれない。」
「酷い母親あの子に何も残してあげられない。」
「毎朝歯磨きできるかしら?」
「どこでも寝ちゃうから風邪ひかないかしら?」
「運動が苦手だから大けがしないかしら?」
「もっとそばにいてあげたかった。」
「私の宝物は幸せになれるかしら?」
今まで、トラウマでしか表現されていなかったお母さんがこんな事思っていたなんて悲しすぎて感動して涙が止まりませんでした。
トラウマの亡霊も公生が作った幻、逃げ出すための理由、母さんはもうあそこにいない。
僕の中にいる。
そう思いながらトラウマを克服する公生もカッコよすぎる。
演奏後の瀬戸さんとの最高のやり取りですね。
僕の精一杯のピアノ母さんに届いたかなってセリフ。瀬戸さん…
「バカあんたたちは繋がっているんでしょ。届いたに決まってるじゃん。」泣きあって抱き合うシーン最高です。
三池君も影響されていい演奏家になっていくのもいい。
椿が公生の変化にいち早く気付くのもいい。
ラストの瀬戸さんのセリフ…「失って進むのかもしれない…」{/netabare}

14話
{netabare}かをりが倒れて入院したことを知る公生…公生は嫌な予感が頭の中でぐるぐるしていて、椿が心境描写がまたヤキモキします。
ラストの浜辺で歩くシーンの椿…めっちゃ気持ちがわかる。
ここではっきりと公生のこと好きだって認めるシーン。{/netabare}

15話
{netabare}椿の「悲しかったり、安心したり、ぐちゃぐちゃな私がバカみたいじゃない」ってセリフすごくいい。
あとなにより、先輩いい人すぎない?
カッコよすぎるよ。
「ありがとう澤部俺の彼女になってくれて」って言える先輩最高です。
その後の、音楽室で公生と椿のやり取りも最高すぎます。
公生が「いてもいなくても一緒なら一緒にいるよ…そばにいるよ」っていい。
このときの椿の心理描写もよくて最高です。
その後の、「今まで止まれ止まれ」って言っていた椿が「進め踏み出せ、私の時間動け」に変わるのもいい。
後半は凪に出会います。
そして、かをりのお見舞いに行こうとするけど部屋から、かをりと渡の楽しそうな声聞いて引き返す公生。好きな人が他の人と楽しそうにしてるのが嫌なのがわかります。
ラストシーン、かをりが病院廊下で転倒して立てなくなるところ…心が痛くなります。{/netabare}

16話
{netabare}病院から抜け出した、かをりとのデートは見ていて、楽しかったです。けど悲しい。
教室でのやり取り…「このまま時間が止まればいいのに」って思うかをり…椿と正反対…公生もこの時からハッキリとかをりのこと好きなの自覚すのもいい。
凪と公生のやり取りも最高です。
似た者同士。「これが僕の精一杯」ってセリフ。
情緒不安定のかをりラスト完全に母親とダブって見える公生…{/netabare}

17話
{netabare}かをりから自分は良くないって聞く公生…心理描写なくてもどんな気持ちか想像出来ます。
どれだけ辛いか…それに比べて椿は前向きに頑張っている。
最初は公生のこと嫌っていた凪の励まし。
公生からかをりの容態を聞いた渡。
渡なんであんなにカッコいいんだ?
「好きなこのためなら泥水だってすする」…有言実行の最高のキャラクターです。
凪のプレッシャーの掛かり方…あと4日もこの苦しみに耐えなきゃいけないのって。
それを見て、瀬戸さんが昔の公生のこと思い出して瀬戸さんすら前に進んで成長する。
学園祭舞台袖で震える凪を励ます震える公生。いい。{/netabare}

18話
{netabare}自分の演奏を聴かせる公生それに応えようとするかをり、プレッシャーを跳ね除けて演奏の中で成長し伝えようとする凪。
昔を思い出す武士。
そして嫉妬する三池君。いいね。
公生を呼び捨てすると怒るぐらいに好きになってるのも面白かったです。
ラストいつも励まされている公生がかをりを励ますシーンも最初とは逆でいいですよね。{/netabare}

19話
{netabare}2人で、もう一度舞台を立つのを目標に歩き出す2人。
必死で苦しいなかリハビリをするかをり…手術の決心。
心揺ぶられました。
こんなに一生懸命に苦しくても立ち向かうかをりがカッコいい。
公生の心がモノクロからカラーに変わったのと同じで、頑張っている公生を見てモノクロの心がカラフルに変わったかをり。
お互い辛くても高めあって励まして頑張っている。
その中で自分なりに公生のこと心配しながら前に進む椿。
コンクールの公生と武士と絵見のやり取りはひと時の休み。
お互い認め合ってライバルと認めているもの同士いいね。{/netabare}

20話
{netabare}椿に公生はかをりが好きなんだって言われて「うん」と言った公生、そのときの椿の心理描写いい。
椿が公生に告白(はっきりではないかも)します。
踏み出した椿。
前に進もうとしている姿。
私の時間は動き出したばかりだって。
公生が渡にはっきりとかをりが好きだと伝えるシーンの渡もカッコいい。
そのあと、かをりの急変を見る2人…あんなの見たら私ならもう音楽出来ないかもしれない…公生辛すぎるよ。
黒猫のシーンも全てが灰色に戻ってしまいそうになる。
もう見ていられなくなりそうでした。{/netabare}

21話
{netabare}心身共にボロボロになった公生…こんな状態でピアノなんて弾けるわけない。
音楽を通じて好きになっていく人がみんな悪くなっていく…「もう無理です…頑張れないよ」って言う公生の気持ちが痛いほど伝わりました。
けど、公生がダメになろうとかをりが励ましてくれる…お互いがお互いをこんなに支えあっている、こんなに励ましあっている。
その姿に感動しました。
かをりのエアバイオリン最高に綺麗でした。
かをりがはじめて人前で弱音を吐くシーン…「怖いよ…怖いよ…私を一人にしないで」って泣き崩れるシーンは悲しく泣けました。
10代の女の子が余命が残り少ないと知って正気でいられないと思います。
けどかをりは今までの怖い思いにも耐えて、辛くても苦しくても頑張ってきました。
今まで気丈に振る舞ってきました。
そんな彼女の心の叫びは、公生に心境の変化をもたらしたんだと思いました。
舞台裏の公生の心境…舞台に上がった公生が折れそうになるとき周りのみんなの繋がりを感じるシーン。
人は誰かと出会った時点で一人じゃいられない。
それを実感できるシーン。最高です。{/netabare}

22話
{netabare}公生がかをりが死んだことを察するシーン…あんなに美しく寂しいシーンなかなかないです。
2人が演奏している最中はあんなに楽しそうなのに、かをりが消えていく所は桜が散っていく綺麗なシーンです…けど悲しすぎますよ…あまりにもキツイです。
予想はしてましたけど心にきます。
あとアニメではないのですが、漫画版では演奏が終わったらスタンディングオベーションで、
武士と絵見が改めて公生の凄さを認めるシーンがあるのですがここ入れてほしかったです。
めちゃくちゃいいシーンなので。
「やっぱすげーな、あいつ」
「私たちは、旅をするんだね…あいつの背中を追い続けて…これまでも、これからも」
「ああ、きっと素晴らしい旅になるよ」
これがあれば完璧でした。

この後かをりからの手紙を読むところ…こんなの泣くにきまってるじゃん。

「忘れられない風景がこんなささいなことなんておかしいよね。」
「そんなことないよ」。
「君はどうですか?、私は誰かの心に住めたかな。」
「そうだね。」
「私は君の心に住めたかな。」
「土足で上がってきたよ。」
「ちょっとでも私のこと思い出してくれるかな。」
「忘れたら化けて出てくるくせに。」
「リセットなんか嫌だよ」
「するもんか。」
「忘れないでね。」
「うん。」
「約束したからね。」
「うん。」
「やっぱり君でよかった。届くかな。届くといいな。有馬公生君。」
「君が好きです。好きです。好きです。」
「カヌレ全部食べれなくてごめんね。たくさんたたいてごめんね。わがままばかりでごめんね。いっぱいいっぱい・・・ごめんね。ありがとう。」

かをりの告白からの公生とかをりのやり取りバックでキラメキが流れていて歌詞が今の公生の気持ちそのまま歌っているかのよう。
公生の一粒の涙。
椿の「一人になんてなれると思うなよ公生!背後霊みたくずーっとずーっとそばにいてやるんだからな。覚悟しとけ!」
あの踏切が開くまで、ほんのわずかな時間しかないのが象徴的で通り過ぎる電車は公生とかをりのあっという間の月日のようでもありそのことに思いを巡らせて、立ち留まっているのもあとわずかな時間でしかない。
公生は通り過ぎた列車の残響を感じながら、自分の足で歩き出さなきゃいけないんだ。勿論、その隣には椿も付き添ってる。

もうすぐ春が来る。君と出会った春が来る。君がいない春が来る。


そして公生の表情、渡の携帯、柏木さんのアシスト、椿のセリフすべてがいい。

けどどんなに、陳腐だと思われても最後かをりが元気になった後、この手紙を公生に読まれて怒り狂うところが見たかった。本当に見たかった。

見終わった後は1週間ぐらい心がもやもやしてました。
そのぐらい心に響くものがあったのだと思います。

このエンディングも賛否別れていますが私はけしてバッドエンドだとは思いません。
かをりは病気で亡くなってしまったが自分を振るい立たせ公生やみんなと
仲良くなって最後まで精一杯生きました。
公生はかをりと出会ってみんなとの繋がり母親の愛やトラウマを克服しました。
椿は自分の気持ちに素直になれました。
最高のハッピーエンドではないかもしれない。
けどバッドエンドではけしてないと思います。
あと最後の手紙を呪いの手紙みたいにいう人は気が向いたら四月は君の嘘Coda読んでみてください。
もちろん好きな人も。2年後のみんなや過去の公生や椿、かをりのお話が入っていて面白いですよ。{/netabare}

誤字脱字、文章がおかしなところもいっぱいあると思いますが最後までこんなにも長いレビューを最後まで見てくださりありがとうございました。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 30

85.8 2 2014年度の切ないアニメランキング2位
一週間フレンズ。(TVアニメ動画)

2014年春アニメ
★★★★☆ 3.9 (2602)
14220人が棚に入れました
「私…トモダチの記憶、一週間で消えちゃうの──。」高校二年生の長谷祐樹は、人と一切関わろうとせずにいつも一人ぼっちでいたクラスメイト・藤宮香織の存在が気になり、彼女と友達になりたいと願う。しかし彼女の口から告げられたのは、大事な友達との記憶のみが一週間で消えてしまい、月曜日にすべてがリセットされてしまうという衝撃的な事実だった。しかし、それでも祐樹は香織と友達になりたいと願う。一週間の記憶を綴って、巡って、二人は友達になっていく。何度も、何度でも──。

声優・キャラクター
山谷祥生、雨宮天、細谷佳正、大久保瑠美、中原麻衣、間島淳司、浅沼晋太郎
ネタバレ

れんげ さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

とても繊細に描かれた、とある友達作りの軌跡

2014年の4月放送。
全12話。


【前置き】

スキマスイッチ初期のシングル「奏(かなで)」。
その曲がエンディングでカバーされると知ったことが、本作を視聴するきっかけでした。

当時から今も大好きな曲でしたので、カバーの雰囲気や作品自体が好みに合わないと、残念で歯痒くなることは間違いありません。
故に、録画するも6話ぐらいまで撮り溜めしてしまうぐらい、視聴する一歩を踏み出せませんでした。

今思えば、全くの杞憂でしたけどね。



【あらすじ】

高校一年生の長谷君が、いつも一人きりでいるクラスメイトの藤宮香織と仲良くなりたいと思い、勇気を出して、

『俺と、友達になって下さい。』

と、声をかけたところから始まります。

しかしその藤宮さんは、友達との記憶だけが一週間しか保たない症状を抱えていました…。



【論じてみる】
{netabare}
この記憶障害についてですが、現実的に考えてありえるかどうか…という見方は、本作においてはフィクションとして早々に受け入れた方が物語に集中出来ますね。
本作は、記憶障害を克服していくというストーリーではなく、その障害にもめげずに?、ただ純粋に相手へ抱いた気持ちを貫くストーリーですから。


高校生の男の子の視点で描かれる恋愛作品となるのですが、その内容は実に少女漫画らしい、いじらしさと甘酸っぱさに満ちていました。

作者の葉月抹茶さんは(2014年現在)23歳のまだ若い女性のようですが、恋に対し未成熟な高校生の男の子を描くのが非常に上手ですね。
作中の長谷君の葛藤は、いつか恋をしていた自分と重なる…という方も多いのではないでしょうか。

ただ…少々重なり過ぎるというか…。。。
気持ちには非常に共感するところもあるのですが、その気持ちが行動に出過ぎて自己中心的に成りがちで、周囲に迷惑をかけている点は好きになれませんでしたね。
男友達の桐生くんは、なんだかんだでそれを友達だからこそ受け入れてくれるわけですが、視聴者側としては少~し苛々する場面も…。
それぐらいの方が、リアリティはあるのかもしれませんけどね。


しかし長谷君の心を掴んだ、この【藤宮さん】の純真無垢さはたまりませんでしたね。
画のタッチも含めて、触れると割れてしまうシャボン玉を連想させるような、心から大切にしたいと思ってしまう女の子でした。

藤宮さんは、長谷君との交流を忘れてもすぐ一週間の記憶を埋められるよう、日記をつけていくことにしました。
やっと出来た友達を、ずっと大切にしたいという想いからですね。
裏表の全く無い藤宮さんの行動の一つ一つは、そういった感情がどれもストレートに描かれているので、見ていると応援したくなっちゃいます。

友達との交流にしても、障害ゆえにどうしても不慣れな面がある為、どこかズレてしまっているところも可愛いですしね。
個人的な卒倒ポイントは、第2話の初めてのカラオケで、いきなりマラカスを持ちだしたシーンですね。

藤宮さん「これって、使うものじゃないの?」

長谷くん「そーだけど、そーなんだけどっ! 今は…だいじょーーぶ…。。。」

藤宮さん「そうなんだ…、残念…。」

ニコニコと両手にマラカスを持ちながら、長谷君の言葉を聞きキョトンとする藤宮さんの表情は、今期の最萌ポイントだったかもしれません。



さて、長谷君の頑張りや周囲の協力もあり、少しずつクラスメイトと打ち解け、記憶のリセットにも少し変化が表れた頃…。
藤宮さんの小学時代の友達♂が登場し、そこで藤宮さんが

「この裏切り者」

と言われたところから、話は予期せぬ方向に進みます。

話の佳境であり、物語をまとめるにあたっても必要な場面展開だとは重々分かるのですが、やっぱり見るのは少々堪えましたね。
そして、長谷君に対し記憶を急に無くしたが故に、再び蔑んだ目を向けてしまう藤宮さんも…。
ホントは、誰よりも大切な相手なのにね…。


原作が連載中な状況で、それでも綺麗な着地点を見れた気はしましたが、それでも2人に大きな変化はありませんでした。
この記憶のリセットは、果たして永遠なのでしょうか…。

本作においては、ありきたりでもなんでも、藤宮さんが幸せになるハッピーエンドであって欲しいですね。
だからこそベタですが、藤宮さんが長谷君のことを、友達以上の存在と認識したことで変化する…、という終わりであると願ってやみません。
{/netabare}



【奏(かなで)について】
{netabare}
スキマスイッチの名曲を、藤宮さんの声を担当した『雨宮 天(あまみや そら)さん』がカバーされました。

若干20歳の若手でもあるので他の歌手のカバーと比べてしまうのは少々酷ですが、それでも作品のエンディングに相応しい綺麗な歌声で、私は何度も聴き込んでしまいました。
歌詞にしても、

「最後に何か君に伝えたくて、「さよなら」に変わる言葉を僕は探していた。」

のところなんて、まさに長谷君の気持ちを代弁しているかのような一節でしたしね。
(ただ、シングルに一緒に入っていた奏(長谷君ver)は、少々いただけなかったかなぁ…。)

映像としては、サビで挿入される藤宮さんの満面の笑みのシーンが、とにかく最高でした。
あれだけで御飯3杯イケます、はい。


あと、本作は奏のイメージが強いですが、オープニング曲「虹のかけら」(昆夏美さん)も、とても良い曲です。
琴浦さんのエンディング「希望の花」でもそうでしたが、作詞作曲をされた川嶋あいさんは、ホント良い歌を作りますね。

どちらも、『一週間フレンズ。』という作品には欠かせない楽曲だったと思います。
{/netabare}



【桐生君と沙希ちゃん】
{netabare}
作中の長谷君の行動には、少々やきもきとさせられることがあったのですが、この友達の桐生君がブッキラボーながら良いヤツで、良い世話役(ケツ叩き役)になっていましたね。
彼が長谷君に対しズバズバと言ってくれるからこそ、私は長谷君の行動にあまり苛々せずに済んだのかもしれません。
(どことなく声と喋り方にデジャヴを感じていましたが、調べたら刀語の鑢七花でしたね。)

当初は、その物事をストレートに言う性格からも藤宮さんとは隔たりがありましたが、日記を大切にしている藤宮さんを笑っていたクラスメイトに対し

「確かにこんなの見て一人で笑ってたら、気持ち悪いって思うかもな。

 だけど影で悪口言って、ゲタゲタ笑っているオマエらの顔もどうかと思うぜ。」

と言い放ったシーンは、格好良かったですね。
藤宮さんが一歩を踏み出す、きっかけにもなりましたし。


そんな世話役の桐生君が、どことなく手を貸してしまいがちの相手がもう一人。
それが藤宮さんの女友達、沙希ちゃんでした。

小柄な彼女は、記憶障害とは関係無く忘れっぽく間の抜けた性格をしていて、だからこそ藤宮さんのリセットも難無く受け入れてくれたのですが、それが原因で小学時代はイジメられていた経験も持っていました。
そんな彼女を実は桐生君は、以前からコッソリ世話を焼いていたんですね。
(当の本人は、桐生君の名前すら憶えていませんでしたが。)


あるきっかけで、その桐生君の手助けに気付いた沙希ちゃんは、桐生君を頼れるから旦那さんに…と言い、彼を怒らせて(照れさせて)しまいます。
ここから終盤にかけて、この2人の関係もメインの2人同様にギクシャクしちゃうのですが、最終話でこの2人が仲直りした時のシーンは、ハッキリ言ってメインの2人のシーンよりも涙腺に多大なダメージを与えられました。

「もし俺が嫌いとかなら…、こっちも今後話しかけないってことも出来るし…。」

なんて言っちゃう(ホントに出来るのか?)桐生君でしたが、そこで沙希ちゃんは涙し…こう言いました。


「違うもん…。嫌いだったら…こんな悩んでなんか…。

 桐生君なら旦那さんになってもらいたいって言った時、本当に怒ってる気がしたし…。

 先におかしくなったの…、桐生君だもん。

 上手く話したり出来なくなっちゃったのも、これ以上嫌われたくないって思ったからなのに…

 話しかけないことも出来るなんて、聞きたくなかったよぉ…。」


いつも呆けている沙希ちゃんのこの涙に、(珍しく)しっかり謝る桐生君でした。

沙希ちゃん「じゃあ、これからも頼りまくってもいいですか?」

桐生君「頼る気満々かよ…。いいけど、甘やかす気はないからな。」

沙希ちゃん「(満面の笑みで)ラジャーー!!」

ちょっと変わった2人のこの関係も、いつか良い方向に進むといいですね。
どちらも大好きなキャラクターでした。
{/netabare}



【総評】

本作は、シナリオ展開というよりは、藤宮さんを始めとした周囲の微笑ましい友達付き合いの描き方が、何より魅力的な作品でした。
加えて、この記憶のリセットが上手く噛み合い、抑揚の無い物語にもなっておらず、全12話中退屈に思ったことも一度もありませんでした。

ただ2期があるとすれば、この日常風景を再び描き続けるわけにもいかないかと思います。
この抑揚を次はどう動かすか…、日常にどう変化をもたらせていくか…。
ここの匙加減が、非常に難しいそうにも思えました。
主題歌にしても、奏を聴いた後にどの曲を持ってくるのかと…、中々のハードルになるかと思いますし。

原作はまだ続いているようなのでその内容次第かと思いますが。私としては難題な注文とは思いつつも、クオリティを下げることのない2期を願ってやみません。

いつか、満面の笑みを浮かべる藤宮さんや、頼り頼られの桐生君と沙希ちゃんに、再び会えますように。
(あと、ちょっぴり成長した長谷くんにもね。)


ではでは、読んでいただきありがとうございました。


………あぁ、そうそう。
一つ本作の難点を上げるとすれば、私のような心が汚い人間には、この藤宮さんの純真無垢な立ち振舞を見ると、更に自身を卑下したくなってしまうかもしれませんので、そこは注意をば。

グヘヘ。


◆一番好きなキャラクター◆
『桐生 将吾』声 - 細谷佳正さん


◇一番可愛いキャラクター◇
(同率1位)
『藤宮 香織』声 - 雨宮天さん
『山岸 沙希』声 - 大久保瑠美さん

投稿 : 2024/05/04
♥ : 66
ネタバレ

剣道部 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

友達は歩いてこない。だから歩いてゆくんだね。1日1歩、3日で3歩。3歩進んで2歩下がる。

[文量→中盛り・内容→考察系]

【総括】
「友達との記憶が、1週間でリセットされる」女の子がヒロインの、純愛ストーリー。まあ、その愛が「恋愛」なのか「友愛」なのかは捉え方次第だけど、「純」であることは間違いありません。

作風に合わせた柔らかな絵柄、美しい音楽。とても素敵です。声優の雨宮天さんの、初めてのメインヒロイン作品としても、ファンならずとも必見だと思います。

後述しますが、実写映画観るよりは、アニメ観た方が良いと思います。


《以下ネタバレ》

【視聴終了(レビュー)】
{netabare}
この作品が、なぜ「純愛」なのかというと、記憶がリセットされる=時間が巻き戻ることによって、「純粋」「純情」が持続されるからだ。

ヒロインの藤宮香織が、いつまでも天使のように振る舞うのに、あざとさや嫌みが出ないのは、この設定による。

それが恋愛であれバトルものであれ、物語である以上、進展や成長は必須である。もし、藤宮さんが記憶が消えないのに、あのような態度を取り続ければ、ただの気を持たせるだけの嫌な女である。

でも、一週間で記憶が消えるから、仕方ないと思うし、この状況に藤宮さん自身が苦しんでいるのだから、誰もそれ以上彼女を責める人間なんていない。

また、その状況を何とかしようとして奮闘する、長谷祐樹が良い。いじらしいよね、長谷くん。

まず、藤宮さんを気にかけるきっかけが、一目惚れっぽいのが、素晴らしい。ごちゃごちゃ理由つけるより、(外見が好きって方が)説得力がある。もちろん、それで終わらず、共に過ごす時間が長くなるにつれ、もっと深い理由で、彼女を愛おしく思っていくので、軽い感じはしない。

この場合、藤宮さんの記憶喪失の理由が、交通事故など、外的な要因だけではなく、ツラい過去のトラウマによる、内的な要因との複合的なことだから、「だったら治るかも」という希望があることがデカい。そうじゃなけりゃ、流石に心が折れる(長谷くんも、視聴者も)。やはり、人間にとって希望って大事だよな。

本作は基本的に、友達以上恋人未満のもどかしさを楽しみ、恋人以上どころか、友達以下になってしまう寂しさを味わうものだけれど、「1週間」「フレンズ(友達)」というのが絶妙だったと思う。

長谷くんが藤宮さんに異性として惚れているのは間違いないとして、それでも「恋人になろう」と言わないのには、2つの可能性があると思う(視聴者からすれば、「はよくっつけや!」なんだけどw)。

まずは、「1週間」という時間の短さがある。長谷くんにとっては出会ってからずいぶん経つけど、藤宮さんにとっては、(いくら日記を見ても、感覚的には)常に出会ってから1週間なのだから、それで恋人関係はムリだろうし、それやったら、藤宮さんの天使感が薄れる。ちょっと尻軽になってしまう。

この場合、長谷くん的には、「恋人に発展する奇跡を前提においた、友達」となる(実際に男女が友達になるとき、むしろこっちの方が多いとは思うけど。少なくとも、こんな可愛い子なら、高校生の男子だったら絶対に淡い期待、下心くらいあるでしょ)。

次に、「友達」に注目すると、「藤宮さんが本当に欲しいのは、彼氏じゃなくて友達」ということを、長谷くんが理解し、自分を抑えているということになる(正に、愛)。こっちの方が、長谷くんっぽいし、なにより物語としては美しい。

まあいずれにせよ、設定が良いということ。これが、「一ヶ月ガールフレンド」なら、それはそれで面白いとは思うけど(そういう作品は他にもあるしね)。

ラストは、原作未完の中で、よくまとめたと思う。いつも長谷くんからの一方通行だった「友達になってください」が、藤宮さんとの双方向の「友達になってください」に変わったのは、この作品らしい、ゆるやかな、でも、確かな「発展」「成長」で、感動的であった。勿論、いつの日かこの2人には、「恋人以上」になってほしい、いや、なるのだろうという視聴者の確信があるから、途中経過となるこのラストを、ニヤニヤと見守れるのだけれど。

と、基本的に絶賛なのだが、☆5にしきれなかったのは、前半に面白さのクライマックスが来て、中盤~後半が少しダレたのが大きい。

と、最後に難癖はつけているものの、良いアニメであることには、間違いない。今でも充分に、オススメできる。

ちなみに私も最近、1ヶ月前に見たアニメの記憶もほとんど残っていないんだけど、だからといって友達になってくれる人はいない(笑)
{/netabare}

【余談1 ~実写映画感想(映画ネタバレ)~】
{netabare}
映画とアニメの違いを一言で言うなら、

「アニメは友情。映画は恋愛」

だろうか。映画でも一応、「友達になってよ」は保っているものの、それはあくまで、「恋人の手前の友達」になってよ、である。

それはそれで、私は好きだった。

一番しっくりこないのが、映画の終わり方。

映画では、①「藤宮さんと長谷くんが友達になる」→②「藤宮さんと長谷くんは恋人直前までいく」→③「九条一登場」→④「藤宮さんは①②を完全に忘れてしまう」→⑤「九条一のことは完全に思いだし、忘れもしない」→⑥「長谷くんは、藤宮さんのことを思い、身を引く」→⑦「藤宮さんと九条一が付き合う」→⑧「2年半が経ち(劇中では省略)卒業式」→⑨「とあることで、藤宮さんが①②を思い出す」→「藤宮さんから、長谷くんに、友達になって下さい」

でEND。

もしこの作品が、「長谷くんは藤宮さんと、本当に友達になりたかっただけ」ならハッピーエンドなんだろうけど、映画では恋愛要素を押し出していただけに、長谷くんにとってはバッドエンドでしかない。

この映画、当時付き合っていた人と見に行ったが、映画を見たあとに上記の話をしたら、「自分もそう思うけど、だからといって長谷くんと付き合うのも違う」と言っていた。

つまり、(ラストシーンを卒業式にしたいがために)⑧を入れた関係で、「長谷くんとは半年の付き合い」「九条一とは2年半の付き合い」になっているから、ここで記憶を取り戻したからといって、九条と別れるのもダメでしょとのこと。

自分は完全に長谷くんに感情移入してたけど、相手は藤宮さんの目線で観ていたことが浮き彫りになって、面白いと思った。

同じ設定を使い、ほぼ同じストーリー、ラストシーンなのに、ちょっとした違いによってこうまで変わるかと、作品を作る難しさを感じた。とにかく、映画はオススメできません(苦笑)
{/netabare}


【余談2 ~このアニメが好きなら、マジで読まないで(苦笑)~】
{netabare}
なんか、アニメや原作好きな人からすげぇ嫌われそうだから、書くかは迷ったんだけど、、、昔、これとほぼ同じ設定のエロ本を読んだことがあります(笑)

以下、内容。

{netabare}
「かみちゅ!」や、今期の「A.I.C.O. Incarnation」のキャラデザをやっている、鳴子ハナハルさんの「明日のわたしにヨロシク」っていう話。

主人公とヒロインは、幼馴染み。でも、幼馴染みの女の子は、交通事故による後遺症で、記憶が1日でリセットされる。覚えているのは、事故以前の記憶だけであり、それ以外は、毎日書いている日記を読むことで記憶を補完する。

主人公と幼馴染みはある日、セッ○スをする。しかし、幼馴染みは、全然痛くないことに不思議がる。実は、主人公と幼馴染みはすでに10回以上している。

しかし、幼馴染みは、そのことをいつも日記には書かない。なぜなら、ようやく大好きな主人公と結ばれたのに、明日になれば忘れる事実が辛すぎて、書けないのだという。

では、なぜ主人公は幼馴染みとそんなにしているかというと、ただの性欲ではなく、「幼馴染みは記憶は毎回失うが、感度やテクは毎回向上しており、身体としては記憶が残っているため、これを繰り返していくことで、いつか頭の記憶も戻るのではないか」という、リハビリ的な観点から。主人公もツラいのである(でも全力でエロいことはするw)。

ある日、幼馴染みは、自分が主人公としていることを知る。それは、「実は、主人公は主人公で、幼馴染みとの日々を日記にしていて、その日記が、やってる最中に間違って幼馴染みのバッグに入ってしまった」から。んでヒロインから笑顔で、「明日のわたしにヨロシク」って言われる。
{/netabare}

っていう話。

この話が発表されたのが、2008年の1月であり、一週間フレンズが読み切り掲載されたのが2011年9月だから、鳴子ハナハルさんが話を寄せたってことはない。

とはいえ、葉月抹茶さんは女性漫画だから、鳴子さんをパクったて可能性も薄いだろうし。

つまりはまあ、「記憶喪失」「日記」なんてのは、古典的でよくある設定ってことで、それをここまで面白い話にしている、葉月抹茶が凄いって話です(無理矢理にまとめてみました笑)
{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 19
ネタバレ

青陽 さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

くそうくそう!・・・長谷くんを羨んでも仕方ないのだけれど、僕はそっと壁を殴った。

1週間フレンズ。

主人公が女々しいのが気になったけど、ああいう人柄と 真っ直ぐな性格だから藤宮さんと友だちになれたんだよね
 作品の絵柄とアニメでの色づかいの優しさがマッチしてて良いと思います。録画保存決定のいい作品だけど、何度も見返すと本気で藤宮さんに惚れてしまいそうで少し怖い

…久しぶりに、ってか初めてかもしれない。主人公に対してこんなに嫉妬心が芽生えたの。それほどに藤宮さんは可愛い!あにこれでもサムネにしてる方がちらほらいますよね。皆さんも同じく藤宮さんに魅了されたのでしょう。わかります!すごい可愛いもん。おそらく春アニメNo.1ヒロインです。いや、すでに2014年度MVPといってもいいかも?

そりゃね、桐生くんに女々しいって言われるくらい 長谷くんが嫉妬しちゃう気持ちもよくわかりますよ。
藤宮さんは見た目が可愛くて、でも中身はそれ以上に可愛らしくて本当にいい子で、穢れを知らないその純粋さはもう…まさに天使!
独占したくなるのはしょうがないと思います、ええ。
また、演じる雨宮さんの声が透き通るようにとても綺麗で、キャラクターにマッチしてるのも藤宮さんの魅力増大の大きな一因でしょう!
初めに雨宮さんの名前を知ったときは「美人すぎる声優」みたいなキャッチで、またそういう系の売り出しか…と思いましたが、本作を見て 彼女はしっかり実力が伴っているなと思いました。香織の日記とてもよかったし、EDの奏も良かったし。この曲はもともとスキマが歌ってるオリジナルから好きな曲でした。が、そういう場合って聞き慣れているのも含め、オリジナルのほうが断然良く感じることが多くないですか?
でも、藤宮さんver.は初めて聞いた瞬間に気に入ったんです!
アニメの終わりからEDへの入りの良さもあったんだろうけど、雨宮さんの声質とスキマの作る曲が合っているのかな?
 でもバラード系が合うタイプかと思ったら、夏アニメのアカメで歌ってるOPはめちゃカッコいいロックじゃないか!?こちらもCMで流れていたのを聞いて一聞惚れでした!最初聞いたときはLiSAかと思ったけど。
歌はバラードもロックもいける、演技もいい、そして可愛い…個人的期待の新人声優3人のうちのひとりです

いけない、話が逸れちゃった

藤宮さんがNo.1だと思うワケ
 ほかの作品でも、いやその前にこの作品内でも可愛らしいキャラはたくさん登場する。しかし、なにより藤宮さんが作品のヒロインであり、描かれる時間が圧倒的に多い。だからより魅力が伝わって好きになる。
それは 接した時間だけ、重ねた日々だけ、人と人が親密になっていくことと何ら変わりはない。
同じ1クールであっても、ラブライブならキャラそれぞれを描くため9分割されるところが、一週間フレンズはほぼ藤宮さんなのだ。さきちゃんも出るし、さきちゃんの友達もかわいいけど、やっぱり藤宮さんなのだ。見れば見るほど苦しいくらい好きになる、それが藤宮さんなのだ。



以下、それこそ日記のような感想

「新しい友達」{netabare}
さきちゃんと放課後遊ぶ藤宮さんの姿は微笑ましかった。
アニメに男は出てこなくていいとか言ってる人、前は理解不能だったけど5話を観てなんとなくわかった気がする。
そういうタイプの人は百合が好きって訳じゃなくて、めちゃくちゃ可愛いヒロインが主人公とくっついてくのに嫉妬しちゃうんじゃないのかなと。女の子同士で仲良くしてる姿なら微笑ましいだけで終わるから変にモヤモヤしなくていいわけだし。
まあ、それでも長谷くんはさきちゃんに嫉妬してたけど(笑)
 ラストを見て、藤宮さんがクラスの皆にも理解されていけばいいなーと真に願いました。教室で笑顔を見せたシーンは君に届けを思い出しましたよ。爽子といい藤宮さんといい、私はああいう健気で純粋な女の子に弱いみたいです。いや、男なら誰もがそうであるはず…!
風早くんも爽子のことを独占したがってたし
2人とも
おれが守りたい、誰にも渡したくないと思わせるタイプの女の子ですね
でも、あんな笑顔見せられたらみんな藤宮さんを好きになっちゃうって!!ピンチだよ長谷くん、クラスの男子みんな見惚れてたぞ!
そりゃ普段クールすぎておっかない印象のキレイ系女子が
あんなに素敵で可愛い笑顔見せた日にゃ……ねえ?{/netabare}


6話{netabare}
雨宮さんのお母さんが可愛すぎる!あかんでしょ!ファンタジスタドール、ラブライブなんかもそうだけどお母さんが可愛すぎるのはよくないよ、ヒロインの座が危うくなっちゃって。声も中原さんという圧倒的ヒロイン性だったし。藤宮香織でなければ喰われていてもおかしくなかった。
いや、藤宮家のお父さんは超絶勝ち組ですわ。でも、あんな可愛い良い娘がいつかはお嫁に行ってしまうとか…メンタル強くないと耐えられない{/netabare}

夏休み
{netabare} 藤宮さんには白が似合う。夏でも冬でも白が似合う。なぜか?彼女が色白だから?それだけではない。彼女は心も真っ白で純真、だから白が似合うのさ。
 個人的なおすすめポイントはプリクラを撮るところです。
ポーズをとる前のきょとんとした藤宮さんが可愛すぎて可愛すぎて、その場面だけ繰り返し5分くらい見てしまいました。画像があったら待ち受けにしたいレベルです。{/netabare}


チジョウノモツレ、なおみの策略{netabare}
「女って最低だな…」
香月くんがこの過去話を聞いたら間違いなくそう言うでしょう。
春アニメを観て、あらためて思い知らされましたよ…しょうがくせーであれ、中学生であれ女子は!もはや女なのだと...!!

前は
いい年した女が集まって女子会ってなんやねん!とか思ってたけど、けっきょく年や呼び方なんて関係ない…女子と女
そこに大差はないわけですよ、きっと。気分はいつまでもオンナノコ、だけど小さな頃からオンナはオンナ

現実はそんな世界で、囲みとか最低のように感じられるけど むしろよくあることで…だからこそ藤宮さんのような理想を!天使を!!…人は救いとして求めているのでしょう。アニメや漫画で聖人君子に近いような素敵な人が多いそのわけは、人々が心の底でそういう人間を求め、こういう人がいてほしいと願っているから。
そう考えると、清らかな教えを守ろうと努める宗教の信者もなんだか身近に思えてきます。…ン、ナニイッテルンダロウ?オレ {/netabare}

長谷くんの青い選択と藤宮さんの戸惑い{netabare}
 傷つけたくない、壊したくない、でも望まずともいつかそうしてしまうかもしれない、それが怖い、だから近づかないようにする。長谷くんがそうしたくなる気持ち、よくわかる。けど、その傷つけたくないって優しい気持ちが 実は相手を傷つけてしまっていた…そういうことってけっこうありますよね。
何もないときはがむしゃらに向かっていけるけど、一度何かを得てしまうとその何かを失うことが怖くなって足がすくんでしまう・・・。

11話の後半から
バカっ!それは違うだろ、長谷のバカー!!なに藤宮さんに悲しい顔させてんだよ!!と思ってた(ってかTVの前で叫んでた)けど
最後にようやく気づいてくれてね、藤宮さん泣かせちゃって自分の過ちに気づいて本音ぶちまけて。その後の藤宮さんの笑顔見ました?涙まじりだけどとてもとても素敵な笑顔で、私は思わずお外に走りに行きたくなりました。
神社に行く前から、もっと話したい 一緒にいたいって気持ちがお互い見え見えだったし。まだお別れしたくないなあってあの感じが初々しくて・・・ああ、もうホントによかったね!!!いつの間にか自分も
クラスメイトたちのように二人の仲を心配する心境になっていました

最終話はサブタイの「友達になってください。」で展開が想像できて その時点でうるっときたけど、やっぱりラストは感涙必至でした。友達になってくださいで物語が始まり、同じセリフで締める。しかも最後はお互いに言うと・・・素晴らしいじゃないですか!今期視聴したアニメだとごちうさとツートップでセンスある終わり方だったと思います。
{/netabare}

最後に
藤宮さんのような女の子がこの世に存在することを願って・・・

投稿 : 2024/05/04
♥ : 19

74.7 3 2014年度の切ないアニメランキング3位
暁のヨナ(TVアニメ動画)

2014年秋アニメ
★★★★☆ 3.9 (896)
4770人が棚に入れました
建国神話・四龍伝説が伝わる高華王国。
緋龍城では当時、王の他には世継ぎの王子も、世継ぎを産むお妃も無く
ただ齢十五の王女・ヨナが、大切に大切に育てられていた――。
そして迎えた十六歳の誕生日。
武器を厭う心優しい父王・イル、幼馴染で護衛のハクや、ヨナが想いを寄せていた従兄のスウォンと共に、幸せな一日を過ごす…はずだった。
宴の夜、スウォンとの婚姻を反対するイルに、ヨナは自分の気持ちを伝えに行く。
しかし、イルの部屋で彼女が遭遇したのは思いもよらぬ過酷な現実で…!?
ヨナと四龍、それぞれの運命が絡みあう、激動の大河ファンタジー・ロマン――!

声優・キャラクター
斎藤千和、前野智昭、小林裕介、森田成一、岡本信彦、諏訪部順一、下野紘、皆川純子
ネタバレ

小歌 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

各話の感想

 ■第1~10話■
{netabare}第1話 王女ヨナ
 {netabare} 高華王国の王女・ヨナは、いとこのスウォンに想いを寄せていた。しかし16歳の誕生日の夜、そのスウォンに大好きな父王が殺される。OPもBGMもやたら壮大。ハクの、幼馴染で護衛ってポジションには超絶萌えますな。今のところ甘ちゃん王女のヨナだけど、今後素敵に成長していくのかなーと期待。 {/netabare}

第2話 ちぎれた絆
 {netabare} 国王イルを殺害したのは、自身の父を彼に殺されたためだと明かすスウォン。口封じのためにヨナも殺されそうになるが、ハクによって辛くも王宮の裏山へ逃げのびる。放心状態のヨナが可哀想だけど、それに対して姫様姫様ぁ!とならずに、わりと淡々とキャラが行動していくのが花ゆめらしくて良かった。 {/netabare}

第3話 遠い空
 {netabare} 幼少時のヨナ、ハク、スウォンの回想エピソードが大半。ちびヨナかわいい。そして後半、今の放心状態のヨナに対するハクの献身っぷりに泣ける。ヨナがスウォンから贈られた髪飾りを手離せないことに憤りを感じつつも、それで彼女を現実に繋ぎとめられるなら構わないと思うハクが本当に甲斐甲斐しい…。 {/netabare}

第4話 風の部族
 {netabare} ヨナたちはハクの故郷である風牙の都に辿り着く。ハクの弟・テヨンをはじめ、マイペースで心温かい風の部族の人々。しかし、ハクの祖父・ムンドク長老がスウォンの王位承認を拒むと、スウォン派の火の部族から悪質な工作を受けてしまう。風の部族長としてのハクも、威厳があってすごく格好良かった。 {/netabare}

第5話 咆哮
 {netabare} これ以上風牙の都に危害が及ぶのを避けるため、ハクはソンの姓も将軍の座も捨て、ヨナとともに都を出る。まずは風の地のどこかに住む神官を探すことにするが、火の部族長の息子・テジュンが率いる兵たちに見つかり追い詰められる。ヨナ姫が気高く美しかった。「お前(ハク)が欲しいもの!」にキュン。 {/netabare}

第6話 紅い髪
 {netabare} 追い詰められたヨナとハクは谷底へ落ち、テジュンはスウォンに2人が死んだと憔悴しきった様子で報告する。一方、ヨナたちは谷底で倒れているのをユンという少年に発見され、介抱を受けていた。OPとEDに姿だけは登場していた、旅の仲間になると思われるキャラが登場。6話目にしてようやくだよ…! {/netabare}

第7話 天命
 {netabare} ユンの保護者を名乗る青年・イクスは、ヨナたちが探していた神官その人だった。ハクを死なせず、自身も生きたいというヨナの願いを聞いたイクスは、それはもはや天命だと言う。そして建国神話に登場する伝説の四龍を探すよう告げる。ますますもって面白くなってきた。ハクの片想いっぷりが切ない…。 {/netabare}

第8話 選んだ扉
 {netabare} ユンを一緒に旅へ連れて行ってくれないかとヨナに頼むイクス。それを聞いたユンは最初反発するが、イクスから離れて外の世界を知るため、ヨナたちと共に旅へ出ることを決意する。8話でようやく仲間が入ったよー。どうやらユンくんは本を1度読めばその内容を覚えてしまうほどの天才美少年設定の模様。 {/netabare}

第9話 ふるえる覚悟
 {netabare} 四龍の血をひく者が、火の部族と王都の近くを横切ったところにある山の上に住んでいるとイクスから助言を受け、まずはそこを目指すヨナ達。その道すがら、ヨナはハクから弓矢の稽古を受ける。生きるため・守るために、奪い奪われる命のやりとりをする覚悟を決めるヨナ姫。彼女の精神的成長が著しいな。 {/netabare}

第10話 待望
 {netabare} 白龍の血をひく一族が住まう里に辿り着いたヨナたち。そこにいたのは、白龍の力を受け継いだ証である龍の右手を持ち、主が現れるのを待ち望んでいた青年・キジャだった。1人目の四龍があっさり仲間に。銀髪美青年とは王道ですな。早速ハクとバトってたし、これからは逆ハー要素も楽しめるわけかー。 {/netabare}{/netabare}

 ■第11~20話■
{netabare}第11話 龍の爪
 {netabare} 初めて里を離れてする慣れぬ旅にうろたえるキジャ。しかし龍の爪の力は強力で、清廉な容姿には似合わぬほどの力技で敵をなぎ倒す。キジャが感じる四龍の気配を頼りに進む一行は、青龍が住まうと思われる岩山に辿り着く。ハクとキジャのヨナを巡るバトルが楽しくてニヤニヤ。ユンくんは完全にオカン。 {/netabare}

第12話 目隠しの龍
 {netabare} 青龍がいると思われる村に足を踏み入れたヨナ達だが、村人達はそんな者はいないと言う。迷路のように入り組んだ洞窟の村を探るうちにハク達とはぐれたヨナは、お面をつけた青髪の青年に助けられる。青龍の幼少時の回想シーンが切なかった…。キジャとは正反対で、龍の力を恐れられながら育ったのかー。 {/netabare}

第13話 反響する恐怖
 {netabare} 龍の力を“呪い”と里の人間から恐れられ、隔離させられてきた青龍。ハクを見張りとして残し、ヨナ達は青龍と話をしに再び迷路のような岩穴へ。仲間に誘うが断られ、さらに突然の地震で壁が崩れ進路が塞がってしまう。青龍もハクもシリアスで切ないシーンが続く中、1人だけ元気なキジャがおば可愛い。 {/netabare}

第14話 光
 {netabare} 無事岩穴から抜け出し、青龍も旅の仲間に加わることに。名を持たない青龍に、ヨナは“月の光”という意味のシンアという名を与える。ユンとシンアがヨナを名前で呼ぶようになったけど、ハクに対してだけは「姫って呼んで」と言ったシーンで、その理由も含めて泣きそうになった。主従モノの醍醐味だね。 {/netabare}

第15話 新たな地へ
 {netabare} とある荒れ果てた村に辿り着いたヨナたち。そこの村人が語った先王イルへの不満と新王スウォンへの期待に、ヨナは思わず涙する。一方その頃、スウォンは地の部族長であるイ・グンテを訪ね、地心の都へ訪れていた。緑龍見つける前にスウォンのターンなのかな。イル陛下の評判悪すぎてヨナが少し気の毒。 {/netabare}

第16話 戦ごっこ
 {netabare} のほほんとしたスウォンに猜疑心を抱くグンテ。お祭りと称してスウォンが主催した戦ごっこで、グンテに心酔する兵士たちを上手く操りながら戦況を優位に進める王の姿に何かを感じる。穏やかそうに見えて実はかなりの切れ者なスウォンのターン。ヨナ達の出番は一切なし。スウォンの二面性が少し苦手…。 {/netabare}

第17話 阿波の海賊
 {netabare} 緑龍の気配を追って、地の部族・阿波の都に辿り着いたヨナ達。食料調達のため1人で街へ向かったハクは、自由を愛する謎の青年・ジェハと出会う。彼の正体は緑龍で、阿波の港に停泊する海賊の一員でもあった。緑龍はナルシストキャラかー。前話になかったハク×ヨナのときめきも戻ってきて楽しかった。 {/netabare}

第18話 縁
 {netabare} 阿波の都を牛耳るヤン・クムジやその臣下の横暴っぷりに怒りが湧くヨナ。緑龍ジェハとついに対面し、仲間になることはスッパリと断られるが、クムジ討伐のため海賊と協力したいと申し出る。ジェハの計らいでギガン船長と面会をするヨナ達だが…。ジェハが登場してからテンポが良いね。がんばれヨナ姫。 {/netabare}

第19話 千樹草の試し
 {netabare} ギガンの信用を得るためヨナに課された試練は、断崖絶壁に生えた千樹草という薬草を1人で採ってくること。震える足で進もうとするヨナの姿に、ジェハは心を揺さぶられる。えろかった…ヨナの手につけすぎた蜂蜜を舐めとるハク…やばかった…。なんだかすごく乙女ゲームっぽいシーンが目立つ回だった。 {/netabare}

第20話 勇気の連鎖
 {netabare} 若い女を人身売買しているクムジ。3日後にその取引をするという情報を掴んだギガン率いる海賊団は、その日を襲撃日とする。女達が乗る船をいち早く見極め避難させるため、ヨナは自ら内部に潜入し合図の花火を上げる作戦を申し出て…。ユンくん女優やな。他の皆もどんだけ自分の女装姿に自信あるのよ。 {/netabare}{/netabare}

第21話 火花
 {netabare} 人身売買用の女たちの中に紛れ込むことに成功したヨナとユン。クムジに姫だとバレそうになったり、甲板に出る前に捕まって万事休すの状況に追い込まれたりするも、なんとか合図の花火を打ち上げる。ハラハラドキドキ。ヨナ姫は非力だけど、とりあえず眼力だけで相手が気圧されちゃうから都合いいよね。 {/netabare}

第22話 歴史は夜作られる
 {netabare} ヨナが射った矢がクムジの心臓に突き刺さり、戦いは終わりを告げる。阿波の街で勝利の宴会が催されるなか、ひとり歩くヨナが偶然出会ったのは…。ここでスウォンと再会とか!もう次週が楽しみすぎる。止めを刺したヨナ姫は凛々しかったけど、初めての殺生を経験したってことを思うとクるものがあるね。 {/netabare}

第23話 誓いの朝
 {netabare} 思いがけない再会をしたヨナとスウォン。束の間の邂逅のあと動揺を隠せないヨナであったが、明日には阿波を発つことを決める。翌日阿波の海賊や住人に見送られ、ヨナたちは旅へ出発。そして密かにつけて来ていたジェハを仲間に迎え入れる。スウォンが抱く志はヨナの存在があっても揺るがないのね…。 {/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 9
ネタバレ

buon さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

正統派伝記もの+

おもしろい。

というか正直、評価に困るw
本当、単純に、単純ながらこの物語がおもしろい。

当初は国盗り合戦みたいなものだと思っていたが、
{netabare}世直し{/netabare}の話だ。

これは朝鮮半島あたりの話だけど、
日本やギリシャ神話、異世界のファンタジーであってもすんなり落ちそうな内容。

{netabare}王族の主人公の親が暗殺され、命からがら国を逃げる。
共に国を出た仲間と共に協力者を探し、
当初は復讐を考えていたのだろう。

親の庇護下でぬくぬく育ってきた主人公は世間知らずで、
世に蔓延する穢れや苦しみを知らなかった。
臆病と言われながらも信じていた親が統治していた国、
豊かで平和だと思っていた、いやそんなことすら考えたことがなかった。

無意識の理想とは違った。

重税、病、資源の枯渇、差別、閉ざされた地域での圧政、
目にした現実に幸せなどなかった。

それを見て、どうしたか、どうするのか。
そういう物語である。


これ、ぶっちゃけファンタジー要素皆無でも問題ない。

武器、知力、腕力、視力、脚力、体力に優れた仲間。
そのものを探す旅の途中で磨かれる精神と肉体。

行く先は憎むべき親の仇と同じ道。


この物語の主人公はヨナとスウォンだと思う。
ヨナがこれまで、これから気付き、やってきたこと、やろうとしていることは、
スウォンと同じ。

違いは親の仇かそうじゃないか。

スウォンは親の仇であるヨナの父親を暗殺したが、
遅かれ早かれヨナの父親は殺されていただろう。
仮にスウォンがそうしなかったとしても、
そうしようと思っていたものは他に5人ぐらいはいたのではないか。

王位に着けるもの、あるいは王位に着けるものに近しいもの、動かせるもの、
そういうヤツらがそうしていただろう。
スウォンの脇にいる黒髪ロンゲなんて、スウォンを動かした人間だろう。

そして多分、スウォンはそれを分かった上で行動に移した、とあってほしい。



さてさて、だらっと物語について述べましたが、
こんなシンプルな話だと中高年層にウケても、
購買力のある歳がアラサーまでの人たちの手を引っ張るには至らないだろう。

足りない要素は
無双っぷり、実は天才、
美女、おっぱい、
イケメン、ほもー、

というより、いくらでも色付けができる内容だ。

今回は、主人公を美女にしイケメンパラダイス、
逆ハーレムにした。

ハーレムものにイラッ☆とする女子の気持ちがほんのわずかだけ分かりましたが、
残念ながらそれがメインの物語ではない、それはおまけだ。
{netabare}はちみつプレイは素晴らしかった。
なるほど、棘が刺さったら蜂蜜か。
ハクはイケメンでまじめだから患部だけにかけ、ついでに舐めていたが、
どうせならそのまま○○にかけモッタイナイので舐めました的にもってくか、
うひょひょひょひょ♪{/netabare}
とあらぬ角度で勉強にはなりましたww

けど、
「キモ」
「イケメンだから許されるんだ」
「オレもやりたい」
と思ったことはそれぐらいで、
自分としては程よい味付け。

むしろ、もーほーのストーリーになんなくて良かったwwwww
{netabare}漫画の大奥じゃないけど、
男が男で満たされる、的なことは往々にしてあったからね。・・・過去形にしたい。
日本で坊さんやら将軍やらそんな感じがあったってことは、
やんごとなき地位にいらっしゃる男は、もう本当。
そうできない人は仕方なくないけど、
美女を選べて、そっちにも手を出すとか、どんだけお盛んなんだよ的、みたいな~。
ぶっちゃけ主人公が中性的美少年とかでもストーリー作れたからね。
むしろ「美」が付かないくてもできたか!?
いや本当、そんなの見たくない。
ヨナちゃんが天パー赤髪美少女で良かった。
本当は美少女性分が不足がちなんだけど、
ヤン・クムジ編でいたし、
この物語にそういうの求めてないから。
別に、ヨナ姫だけいればいいし、本当そう思うよ。
もう一人や二人、いても罰当たらないなんて、そんなこと思ってもいないよ。

・・・と今回はネタバレタグの使い方間違っているなw{/netabare}

黄龍、なんかあるな~

この作品、まだ連載続いてるんだっけ?
その世界でのハッピーエンドはあり得ないけど、
二人の関係、三人の関係での終止符は打てるからそれは見届けたいな。

ということで、みんな買ってね♪
買わないと、矢で眼か股間を射抜くわよ☆


・・・悪ふざけが過ぎたけど、
普通におもしろい物語だった。演出も良かった。
6話ぐらいまでだるかったけど、それも含めていい作品。

{netabare}一応、ヤン・クムジを殺した後の気持ちにも触れてたし。
ゴミはゴミ箱へ的な感じかな。よく分からんかった。
もうちょい苦しんでても良かったんだけど、
物語としては重要じゃない。興味本位として掘り下げてほしかったが。

そういえば、ヤン・クムジが支配者についての名言を言っていたな。
どんな汚い手を使っても、恥を恐れず、自らを生き永らえさせる、
やっぱ本物はこうじゃなくちゃな♪{/netabare}


物語としての音楽は最高に良かった♪
BGMとか効果音とか良かったな☆
テーマ曲は、1クール目OPと2クール目EDがめっちゃ好き☆☆☆☆☆で、
1クール目EDはあんまり聞いてなかったけど嫌いじゃなくて、
2クール目OPの曲もアニメーションのやっつけ具合も微妙だった。
特殊EDはカッコよすぎ!!!!!

あと所々、戦闘や決めるところの描写がカッコよすぎ!!!!!
作画は全般的に良かったけど、本当、良かった♪

{netabare}物語としては、あの土の国?だっけ。
あーいう平和そうで全然平和じゃない、やることやってる話好き☆
まあ、他も好きだから最初の6話ぐらいまでのダルいとこ以外好きなんだけど、
けどそれも必要で・・・うんぬんかんぬん{/netabare}


この文章の長さが好きとか嫌いとか通り越した、この作品への思いと思ってください。{/netabare}



☆1話感想→{netabare}

『アハハ、ウフフ、ほらイケ綿のお花畑よ~・・・えっ (1話感想)』
2014.10.08 00:59 ★★★☆☆ 3.7
物語 : 3.5  作画 : 4.0  声優 : 3.5  音楽 : 4.0  キャラ : 3.5


あらすじ見てたから戦国時代的なのだと思ってたけど、そうきたかw
ぶっちゃけこういう話って誰が悪いとか良いとかない話。
何か理由があるとか、そういうのいいよ。

それはそれ。
これはこれ。
今のところ、かわええ女の子はヨナだけ。

問題は、華に群がる好青年どもをまとめて楽しめるか否か。

だけでもないか。
やっぱり国と国の小競り合いだから、国の行く末、
そして主人公たちの行く道、
ってのは気になるわな。

「タイトルがなんかカッケー」見よう♪
→「イケメンパラダイスだよー」やっぱやめた
→「少女マンガだから純愛っぽいかもー」観よう♪

という経緯wがあって見た。

いいよね、新ジャンルに挑戦しても。
と言っても、ハーレムとは違うのかな。

というわけで、そういえば大人になってからは見てない国取物語、
しかも歴史に関係なさそうな少女マンガの作品を見てみます。

よく分からんけど、チュッチュラブラブ以外の少女マンガも見てきて、実際面白かったから、
実は少年漫画とかそういう垣根と面白さってあんま関係ないのかな。
主人公の男女比が違うだけで。

・・・そう言えば「私ツエー」的なのって見たことないな。誰か作れば流行りそうなのにw{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 21
ネタバレ

♡Sallie♡☆彡 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5

2クールじゃ全然足りないよぉo(>_<)o

「花とゆめ」で連載の少女漫画が原作のアニメです。
原作は読んだことないんですが,中華風ファンタジーとか和風ファンタジー大好きなので観てみることに…☆
―っていうか,これは韓国風なのかな!?
世界観はめっちゃ中国だけど,名前だけ韓国っぽいんだよねぇ。
まぁ,韓国も大陸だし,あの三角の帽子に数珠がついてる衣装の時代(韓国ドラマでよく見る)ばかりじゃないんでしょうけど…。

まず,キャラデザは…
良くもなく悪くもなく…といった感じです。
あたしが少女漫画歴が「りぼん」とか「なかよし」の少女向けのものでSTOPしてるのは,中高生以上向けの漫画のキャラデザがあんまり好きじゃないってのも大きいんですよね。
原作読んでないから知らないんですが,漫画がこんな感じなんですよね,きっと。
あ,でもヨナが好きじゃないだけかもです。
天パの設定なんですよね?
個人的に女の子は前髪アリのストレートロングのキャラが好きなので,天パなだけでなく,髪短くなっちゃうから更に…。
ハク,ジェハ&ゼノはキャラデザも好きだし,キャラ自体も好きです!!
特にゼノのキャラデザ可愛い♡

放送序盤でちらっとネットで感想読んだんですが…
{netabare}スウォンがイル陛下殺しちゃうのめっちゃびっくりしませんでした!?{/netabare}
なんか,あるあるっていうか,王道っていうか,先が読みやすい的に書かれてて,びっくりしたのあたしだけか(* ̄□ ̄*;って思いましたよぉ。
あたし的にもう少し緋龍城でのお話が続いてヨナとハクとスウォンの三角関係が描かれるのかなって思ってたのでショックでした。
最終的にヨナとハクがくっつくのは目に見えてるので,やっぱ序盤はヨナの想いが届いてスウォンとくっついたり,イイ感じになってほしかったなぁ。
やっぱハクが1番かっこいいけれど,スウォンのキャラも好きなのです。
{netabare}あと,「スウォン自ら手を汚さなくても…」とか「殺さなくてもヨナを籠絡すれば難なく国王になれたんじゃ…」的な意見もあって「確かに!!」と激しく同意してしまいました(笑)。{/netabare}

“四龍の戦士を探す旅に出る”なんてところはRPG感ありますねー。
「ふしぎ遊戯」(アニメは観てない)を思い出しちゃいました。
四龍の戦士それぞれに力があるってとこもそうだし,それぞれのお話が描かれてからの仲間になるっていう流れとか…。
なんかいろいろダブりますね。
やっぱ「ふしぎ遊戯」には及ばないですけど★
あと,同じく「花とゆめ」連載の「それでも世界は美しい」のレビューで比較すると書いてしまったのでくらべてみました♪←ちょっと後悔してる(笑)。
あと,最近3巻まで読んだ「女王の花」(中華風ファンタジー)という漫画もついでに…。
(あくまで個人の見解ですのでご参考までに…。)

恋愛感
それでも世界は美しい≧ふしぎ遊戯>暁のヨナ≧女王の花

ファンタジー感
それでも世界は美しい≒ふしぎ遊戯≧暁のヨナ>女王の花

歴史感
女王の花>暁のヨナ>ふしぎ遊戯≧それでも世界は美しい

コメディ感
ふしぎ遊戯>それでも世界は美しい≒暁のヨナ>女王の花

アクション(戦い・バトル)感
女王の花>ふしぎ遊戯>暁のヨナ>それでも世界は美しい

―って感じです。
こうみると「それでも世界は美しい」はロマンス(恋愛×ファンタジー)!!っていうのに対して「暁のヨナ」はそこまでロマンスっぽくなかったです。
アニメはまだハクとの恋が進展してないからラブっぽさはほとんどなく,どちらかというと歴史×ファンタジーの色合いが強い印象です。
少女漫画原作だからもっときゅんきゅんを期待してたのでちょっと拍子抜けだけれど,このくらいが丁度良いかも!!
原作の方は話も進んでもっとラブな感じなのかなぁ?
あ,でもハクが常にヨナに敬語を使い続けているところが態度とのギャップできゅんきゅんしますね。
「女王の花」もそんな感じできゅんきゅんしたので,こういう萌えがあるということを知りました。←
あと,ヨナやハクはスウォンのことをどう考えてるのか凄く気になりました。
アニメの中であまり描かれなくて…。
{netabare}特にヨナにしてみたら大好きだった人なのにお父さんの敵なんですよ!!
めちゃくちゃ憎いはずなのに簪捨てられてないですよね。。
再会した時もただ呆然としていてセリフ全然なかったし…。{/netabare}
あとスウォンもヨナやハクのことをどう思っているんだろう。
スウォンにあぁいう一面があったけど,今まで見せてたキャラが全て仮面という訳じゃなくて,あのおっとりしてるのもそれはそれでスウォンなんですよね。
複雑なんでしょうけど,だからこそ彼らの気持ちが気になってしまいました。
最終話でちょこっと描かれていたけど満足できない(>_<)

そもそものストーリーが壮大なので,2クールやってもなお全然足りない!!
だってゼノ出てきたばっかだよ!!しかもさらりと…。
キャラつかめないうちに終わっちゃったよ。。
むしろこれからでしょ!!っていう時に終わってしまったので,もちろん2期求む!!ですよ。

因みに,OP&EDはアニメーションをもう少し頑張ってほしかったという印象です。
なんか次々に絵を見せられてる感じ…。
EDはどちらもスローなのでそこまでじゃないんですが,OPは気になってしまいました。
しかも2クール目のにちょっと使いまわしてるし…(^-^;
EDの「夜」はめっちゃ好きになってしまいました♪
vistlipって知らなかったけど,まさかヴィジュアル系とは…(笑)。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 10
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