昭和で小説原作なTVアニメ動画ランキング 2

あにこれの全ユーザーがTVアニメ動画の昭和で小説原作な成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年06月05日の時点で一番の昭和で小説原作なTVアニメ動画は何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

76.9 1 昭和で小説原作なアニメランキング1位
ジョーカー・ゲーム(TVアニメ動画)

2016年春アニメ
★★★★☆ 3.6 (988)
5013人が棚に入れました
世界大戦の火種がくすぶる昭和初期を舞台に、帝国陸軍の“スパイマスター”結城中佐によって設立されたスパイ養成部門「D機関」の活躍が描かれている。

声優・キャラクター
堀内賢雄、下野紘、木村良平、細谷佳正、森川智之、梶裕貴、福山潤、中井和哉、櫻井孝宏、津田健次郎、関智一

ossan_2014 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

「自由」なニヒリスト

【2016/06/23 視聴完了して改稿】


太平洋戦争開戦前夜、大日本帝国陸軍内に設立された異能のスパイ組織「D機関」によるスパイ戦を描いた物語。

原作小説が複数の賞を受賞しているだけあって、基本設定が、幾重にも考え抜かれた、さまざまな要素が有機的に組み合わさった巧妙なものだ。
これほど巧みな設定を創ってしまえば、そこから生じるストーリーの出来も半分は保証されたようなものだが、映像化にあたって過度な省略をすることなく手際よく取り込んで、うまくアニメ用に落とし込んでいる。

本作内の「スパイ戦」は、任務の遂行というサスペンスを追う形式ではなく、任務の遂行途上に現れる「謎」が「推理」によって「解決」される、本格ミステリとして描かれる。
任務自体と二重化される本格ミステリの謎は、手掛かりもフェアに開示され、「本格」のフェアプレイルールにのっとったものだ。

任務遂行そのものと言える謎解きは、アニメ化に際しては、視聴者も共に推理するようなプロットで組み立てられてはいないものの、推理を語るセリフにかぶせて提示されていた伏線を映像でオーバーラップさせ、すっきりと見せている。
言葉による説明を重ねて論理性を補強できないハンディはあるが、その分、ビジュアルによって事前に張られた伏線の存在を明示して、「推理」によって解決されたのだと示すアニメ的な「本格」表現として成立している。
「解決」が任務にもたらす効果も、「スパイ戦」への意外な繋がりを見せる有機的な構成になっていて、「意外な結末」を実現したものだ。
ドラマ的な意味でも、周到なビジュアルは「世界」の時代性を説得的に見せる面白さがある。
(この時代に、シングルでピークドラペルの背広が流行していたのだと、初めて知った)

題名でもあり第一エピソードのサブタイトルにも使われた、作中の〈ジョーカー・ゲーム〉に喩えられる、ある種の「頭脳戦」だが、「謎」の解決が「推理」によって行われるところに「頭脳」性が象徴されている。
いわば〈ジョーカー『ゲーム』〉としてのゲーム性が、謎解きの「ゲーム」性に重ねられているわけだ。


だが、〈ジョーカー・ゲーム〉のルール=実体的なルールは無いという「ルール」は、よく考えれば奇妙なものだ。
〈ジョーカー・ゲーム〉のルールならざるルールは、「D機関」で叩き込まれる各種の理念、集約すれば、自由に「なにものにも捕らわれず、ありのままをみろ」というテーゼに導かれるものだが、これは外国に対抗するため、妄想的なイデオロギーに支配された「遅れた」日本の軍事独裁体制に、「進んだ」外国の合理性を取り入れるといったプラグマティズムではない。
「外国」「日本」の区分すら相対的な価値の一つに過ぎないと一蹴する「ニヒリズム」だ。

何物にもとらわれない=何物も信じないとは端的にニヒリズムそのもので、徹底すれば「ルール」にすら価値を認めないニヒリズムの前では、通常はいかなるゲームも成立は不可能に見える。
特に、厳格な枠組みを必要とする「本格ミステリ」の謎解きゲームは。

結城中佐が様々な形で学生に教える「スパイの心得」は、ニヒリズムへと結実する、身もふたもない事実性から導かれる冷徹な「法則」だが、しかし一つだけ、D機関の第一格率ともいえる「死ぬな、殺すな」だけが、その中で異質だ。
この第一格率は、「人の死は注目を集める=見えない存在であるべきスパイにとって注目は致命的」という合理性から生じるものだが、合理性はあるものの、それは「経験的な蓋然性」に根拠づけられているというだけで、事実性の裏付けが「ない」

ここにだけ、事実ではない、結城中佐の「恣意」が紛れ込んでいる。

ミステリーで「木の枝を森に隠す」ように、様々な不信のニヒリズムに紛れ込ませたこの第一格率が、謎解きゲームとしての、本格ミステリの「ゲーム空間」と「ルール」を発生させる基盤となっている。
ミステリ作品として「本格」の謎解きを描き出すために、〈ジョーカー・ゲーム〉に象徴される特異なスパイ組織「D機関」は設定されたのだと言えるだろう。



幾重にも巧妙な設定は、キャラクターにも及んでいる。

「なにものにも捕らわれない」D機関の学生たちは、徹底したニヒリストだ。

「自由」な視点を獲得するための「なにものにも捕らわれない」は、何物も信じない=信じられないというニヒリズムの裏返しで、自分自身すら信じない=何者でもない自分という虚無を必然化する。

自分自身まで信じないほど徹底したニヒリズムに侵された彼ら学生にとって、行動を支えているのは自分への「信頼」というナルシシズムではなく、自分にならできなければならないという「自負心」だと描かれている。

同時代のドイツ青年ならハイデガー哲学へと吸引されたかもしれない虚無を内面化しながら、なお「何者でもない」自分の「自負心」の全能感だけは手放さない「人でなし」の「化け物」たち。

D機関の「化け物」の矛盾した肖像は、どのような価値観に直面しても「そんな考え方もあるね」としか捉えられない現代のわれわれ視聴者の気分と、それゆえに自分が特別であると主張することができないにもかかわらず、消費の現場では漠然とした「全能感」を覚えてしまう「消費者としての私」の自意識との不思議な結合に、絶妙に共鳴している。

人はあらゆる手段で金を得ようとする、という確信が市場原理主義の根底にある。
そのことが、生産者は消費者の望むようにモノやサービスを提供する「はず」、という「理論」を生むのだが、いつの間にか「消費者が望むならば、どのようなことでも生産者は実現する」という「信仰」へと変わった。
実体としては、モノやサービスは生産者の事情に合わせて、生産者の都合に規定されて提供されるしかないのに、この「信仰」が、「消費者が望むだけで、(価格は別として)なんでも実現する」という倒錯した現実認識に帰結する。

「(潜在的な消費者としての)私が考えるだけで、(買える値段かは別として、どこかの誰かによって)実現しないものはない」という消費者の架空の全能感が、「この自分に、できないことはない」という学生たちの虚無の中の由来のしれない「自負心」と照応している。
人間業とは思えない異能の「化け物」が何人も登場する物語に、無理なく視聴者を引き付ける巧妙な仕掛けだが、「消費者の全能感」が太平洋戦争の敗北によって持ち込まれたアメリカニズムの洪水から浮上したことを考え合わせると、これもまた多重化された設定の構築性の高さの表れの一つと言えるだろう。

一応のところイケメンではありながら、どこかのっぺりした印象の薄さを感じさせるキャラデザインは、このような設定にビジュアル面でも説得力を持たせている。


ところで、「ゲーム」であれば、開始と終了が当然に設定されるだろう。

ゲーム性を支える「死ぬな、殺すな」は、「死」が特殊な現象である「平時」の社会に規定されている。
近代前期まで、外交の一部として「兵士」によって戦われる戦争は、戦場外の市民社会と隔絶されたものだった。
が、「総力戦体制」下で戦われる絶滅戦争では、「戦場」は即ち全社会領域と同意となる。戦場での「死」もまた、市民と隔絶した兵士だけのものではない。
「死」が日常にあふれこむ戦争状況であれば、「第一格率」は無意味化せざるを得ないだろう。
言い換えれば、日本が戦争当事国になれば、つまり戦争を開始すれば、相手国内での「D機関」の異形のスパイ技術システムは破綻するのだ。

そのとき〈ジョーカー・ゲーム〉もまた、失効するだろう。
或いは別の「ゲーム」が生まれるのかもしれないが、どちらにせよ〈ジョーカー・ゲーム〉は終了する。

物語の現在が太平洋戦争前夜であることを知る視聴者は、ゲームの終了が迫っていることをも知っている。
いや、すでに日中戦争は進行していることによって、「終了」の予感はうっすらとした不穏な影となって作品全体を覆うことになる。
作中に漂う漠とした不安感は、戦争の予感と共に、「ゲーム」の終了の予感、さらには「敗戦」という終了の予感と多重化されたものだ。
『ジョーカー・ゲーム』という物語は、このように終了までのタイムリミットを構造化したものとして、緊迫感を増して迫ってくる。



このように幾重にも緻密な設定は、逆に言えば、設定から逸脱した物語を許容できないだろう。

OP主題歌の歌詞が、設定から乖離した、いかにも薄っぺらで表面的な言葉の羅列だったのが気になったのだが、これは「ミステリ」らしいミスリードだったのかもしれない。
「使命」のための功利主義的な手段としての「非情」だとか、隠されたヒューマニズムを描き出すための戦争の「無常」といった、設定に矛盾する見当違いの物語を盛り込んで破綻させるのではないかと危惧していたのだが、杞憂だったようだ。

あらゆる価値を受け入れることのできないニヒリストには、行動の核となる「かけがえのない」価値を持つ「理由」のある「何か」を持つことができない。
自身の中に疑いなく生じる確信を持った「何か」によってではなく、理由なく無根拠に「あえて」没入を決断することでしか、ニヒリストは行動できない。

誰よりも徹底して空虚であることによって誰よりも高い「異能」を持つD機関員たちが「あえて」没入するものが、「価値」や「理由」からもっとも遠い「遊び」=〈ゲーム〉であるのは、ある種の必然でもある。

ルールすらない究極的に空虚なゲーム=『ジョーカー・ゲーム』は、徹底して「自由」な「ニヒリスト」が「あえて」没入するものとして、無根拠で無内容な「遊び」として設定されなければならない。

「化け物」たちの内面に立ち入ることなく一見して淡々と進行するストーリーは、設定から逸脱することなく、無根拠な〈ゲーム〉=「遊び」性を的確に表現しきったようだ。
同時に、「かけがえのない」何かを抱えた「内面」が生じ、「ニヒリズム」が不徹底化した瞬間に、「遊び」に裏切られ「ゲーム」に敗北する必然も。

名前も経歴も捨て、ひとり異国に潜入して現地に溶け込むD機関員の「人でなし」の「化け物」たち。

日本での個人生活を切り捨て、世界中どこへ送り込まれても労働できる人間が「グローバル人材」と称して賞揚されている現状をみれば、本作の設定が、大戦中のスパイ戦のリアルを描くためなどに要請されたのでは無いことは明瞭だろう。

さて、「化け物」の劣化コピーであるわれわれ視聴者は、何の〈ゲーム〉の渦中にいるのだろうか。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 9
ネタバレ

yuugetu さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

映像もストーリーもよく練られたスパイもの<原作読了、追記あり>

本作は繊細な描写が魅力で小説や洋画(特に古い名作)のような印象の、スパイを主人公としたミステリー作品。
何回も視聴して想像や考察をしながらじっくり楽しむのが吉です。

アニメよりも実写向きと感じるような作りですし、エピソードごと時系列を入れ替えていたり、メインキャラクターを意図して見分けがつきにくくデザインしているなど、アニメとしては尖ったところもあります。

エンターテイメント的なアニメを好む人や、キャラクターの掘り下げを望む人には向かないかもしれませんが、シリアスなアニメや他の媒体の作品も好む人には逆に入りやすいのではないでしょうか。

【ビジュアル面】
キャラクター原案は三輪士郎さんで、キャラクターデザインの矢萩利幸さんがアニメの方向性に合わせてより地味なイメージに落とし込んでいます。
ことD機関のスパイ8名は全員目立たないモブ顔を設定するという方法を取りました。アニメキャラクターは一目で見分けがつくべき、という考え方からすれば思い切っていますが、機関員8名はスパイとして目立たず活動する作品なのでこれで正解だったと思います。

作画は安定感と美しさでリアリティを追求している点が最大の特長。動きもデフォルメが少なめ、色彩も暗めなので若干泥臭いイメージにもなっていて、そういう部分が好きですね。
安定した作画でキャラクターの仕草や表情が細かく、緊張感やリアルな雰囲気が途切れなかったことが一番素晴らしい点だと思います。

背景もやはりリアルで美しく、地に足の着いた映像作りがされていて、世界観をよく表現していました。


【キャラクターと声優】 {netabare}
大御所がいっぱいでしたw演技に関しては本当に素晴らしかったの一言です。

結城中佐はほんの僅かに人間味を見せることが実は少なくなく、長いスパイ活動を経てもその人間性を捨て去っていない点がかえって恐ろしいと同時に素晴らしいキャラクター。
堀内賢雄さんは感情を見せない語り口、時折見せるかすかな人間性、変装時の演じ分けなど最初から最後まで、本当に素晴らしかったです。個人的に賢雄さんはシリアスキャラがすごく好きなので嬉しかったです。

ゲストキャラクターではヴォルフ大佐と、その声を当てた銀河万丈さんがとても印象深いです。若い頃との演じ分けも好きですし、判断力に優れた面、冷徹な印象や威圧感、結城中佐に対する一種の執着などその人間性がとても感じられました。
{/netabare}


【ストーリー面】 {netabare}
オムニバス形式 で各話独立した物語として展開、八人の機関員にそれぞれスポットが当たる構成です。
あえて時系列を入れ替え最初(1,2話)と最後(12話)にキャラクターの人間性を描くタイプのエピソードを配置。3話がいきなり荒唐無稽なストーリーなのは気になるものの、話数が進むほど視聴者を引き込む作りになっており、おかげで右肩上がりに面白くなったと感じました。

そして最終話がいつも通りに始まりいつも通りに終わる、というのが実に本作らしい。そういう終わり方になるだろうとは思っていましたし、私自身それを期待していました。
スパイたちの人生にも活動にも終わりはなく、視聴者はそのいくつかの出来事を覗き見しただけと思っていましたし、時系列の入れ替えのおかげでそれが自然だと感じられました。

ラストの結城中佐の台詞は第1話最初の台詞と同じで、これが格好良かった!全体のまとまりも感じられて良かったです。
佐久間さんに対しては「これまでの考え方を捨てろ」、小田切さんに対しては「ここでの経験を忘れるな」という意味もありそうですね。
原作からは改変されているそうですが、スタッフが最後までアニメとしてより良い作品を作ろうとしたと思えて、なんとも粋で、正直燃えました。そういうアニメじゃないけどこれw
{/netabare}

【本作の2つの柱】 {netabare}
本作を1クールで展開する上での柱だと私が感じたのは「スパイの生き様」「虚構」の2つです。しかもその2つの要素は密接にリンクして、綺麗に全12話で起承転結にまとめられていました。

まず1、2話で佐久間が初めて機関員(スパイ)の「虚構」を認識します。佐久間は視聴者目線に立つ存在でもあります。
そして機関員は優秀なスパイで、その存在は「虚構」であり、影となって状況をコントロールするという、その仕事ぶりでスパイを語るという構造なのですね。
3話~7話で機関員たちが主役でないのは当然のことです。スパイの生き様は色々ですが、諜報戦から降りざるを得なくなった者だけが「虚構」を捨て去り(あるいは剥がされ)、初めて物語の主役になるわけです。
そういう意味では、軍人であることを捨て去れない風機関の人間はそもそも諜報戦に参加することすらできませんでした。

結城中佐は上に立つ人間ですし身体的ハンデが特徴になるので影にはなれませんが、逆に掴まれている情報を餌に「虚構」を構築することで状況をコントロールし、アーロンを引退に追い込んでいます。結城中佐の過去話かとおもいきや、10話の主役はアーロンさんなんですよね。
11話は三好が真木という「虚構」を被ったまま人生に幕を下ろす物語でもあり、同時に結城中佐の「虚構」が危うく崩れかける物語でもありました。ニアミスしたのがヴォルフ大佐だったら、一切偽装していない結城中佐は実体をつかまれていたでしょう。
そして、最終話では自己を捨てきれない小田切を描くことで、相対的に視聴者に機関員の「虚構」を再認識させているのです。(キャストの役名が「飛崎弘行(小田切)」になってることに今になって気がつきました。細かい!)

もともと虚構であるアニメーションでは、いかにリアリティを持たせるかが大切です。
本作は映像からはリアリティを追求しているように感じますが、実際は「虚構」を描く作品でした。本作中でキャラクターの語る偽情報すら映像が付いていたのは、視聴者を引っ掛けるフェイクだったのでしょう。原作ファンを引っ掛ける改変もあったようで、そう言われると原作がさらに気になりますw

実写ドラマでも面白いかも知れないと最初は思いましたが、人の手でゼロから創り上げられる虚構(アニメ)だからこそ、本作は魅力的なのかも。
{/netabare}


【雑感】 {netabare}
感情移入が出来ないとのめり込めない私が全話面白く見られたのは、一見淡白に見えても、ストーリー(ミステリー)の中に人情噺のような側面を必ず入れていたからだと思います。
ストーリーを引っ張るのは機関員ですが、他のキャラクターはきちんと人物描写されていて、仕草や表情も見逃せなくて毎回画面に釘付けになってました。

それから自分としては意外だったのが、三好の死がめっちゃショックだったこと。
原作ファンの方の書き込みを目にする機会があって、視聴前から知っていたのにズシンと来ました…普通なら嫌いなタイプのキャラクターなのに…
なんというか三好が、というより「人間の死」というもののあっけなさ、迷いも後悔も心の中に一切無いスパイの死に様が重かったですね。ドラマチックな演出が一切ないからこそ辛かったです…

考える頭脳があるのに日本軍人として生きると決意している佐久間、スパイとして秘密を保って死んだ三好、暗い時代に孤独と苦難の道を歩む機関員たち、それとはまた違う厳しい道を選択した小田切、誰にも見せない苦悩を抱えているであろう結城中佐。
キャラに感情移入するアニメじゃないのに私が嵌ったのは、彼らに想像の余地を残してくれているからです。
本作で何を見て何を考えるかは視聴者に委ねられています。そこがとても好きですね。
{/netabare}

本当にスタッフに恵まれた作品でした。
本作を見ているとわからないことも沢山ありましたが、本作の公式サイトには時系列表やコラム等があり、理解の助けになりました。かなり内容が充実していて頭が下がります。

振り返ると無駄な話はひとつもなかったと思いますし、繰り返し視聴するのが楽しい作品です。
こういう新作が定期的に出てくれると個人的にはとても嬉しいですね。(2016,6,27)


本日原作を読了しました。
キャリアのある作家さんだけあって読みやすく情報量も多く、描く要素も一貫していてとても面白かったです。時系列は原作もばらばらで、アニメだけではなかったんですねw
アニメ版が気に入った方には是非読んでみて欲しいです。

原作のひとつの特徴として、小説というビジュアルのない媒体だからこそ出来る登場人物の「無名性」があります。{netabare}登場するスパイ達は偽名しか付けられていませんし、スパイが主役となる物語は最後にその人物の"スパイとしての死"が示唆されることが殆どです。{/netabare}
アニメ版に私が感じた「虚構」は原作から引き継がれた重要な要素だったのですね。

アニメーションではビジュアルが絶対に必要ですから、やり方を間違えると本作の魅力を大きく損なう難しい要素だったんだなと読んでみて思いました。機関員のキャラクターデザインはとても良いバランスだったと思います。

物語としても、キャラクター数や情報量を減らしながらも物語の筋はきちんと通り、そのために原作を分解・再構築することを恐れないよく練られた作品でした。

動画配信サイトが再放送など行ってくれていることもあり、良い評価を受けているようで一ファンとしてとても嬉しく思います。
(2016.7.8追記)

投稿 : 2024/06/01
♥ : 51
ネタバレ

Witch さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

「スパイ作品=アクション」だけじゃない!!しっかりとしたミステリーで魅せる良作

【レビューNo.97】(初回登録:2023/12/03)
小説原作で2016年作品。全12話。
交流あるレビュアーさんの棚で本作を見つけ、そういえばいい作品だったなと。
昭和初期の日本に実在したスパイ養成機関、陸軍中野学校をヒントに、柳広司
作の戦時下のスパイを題材にしたミステリー小説で、第30回吉川英治文学新人
賞他を受賞など原作の評価は高いようですね。

(ストーリー)
昭和12年秋、陸軍中枢部の多数の反対意見を押しのけて、結城中佐の提案でス
パイ養成学校「D機関」が設立された。訓練生たちは互いの素性を知らないまま、
精神と肉体の極限を要求される訓練を受け、優秀なスパイへと成長していく。
そして結城中佐の指揮の元、世界各国で暗躍し始める。

(評 価)
・日本陸軍でも異質な存在が際立つ第1話
 ・第1話の主役は、陸軍から監視役としてD機関に出向してきた佐久間中尉。
  バリバリの軍隊教育(思想)を受けてきた、当時の代表的な日本軍人です。
  そんな佐久間に、開口一番結城中佐が先制パンチを見舞います。
  {netabare}「馬鹿か?貴様。背広姿で敬礼する奴があるか」(軍人だと即バレw){/netabare}
 ・そして佐久間が妄信する
  ・戦いは正々堂々と。
  ・名誉や愛国心のために時には死することも厭わない。
  ・そのような覚悟のないスパイは「卑怯」な存在。
  これをD機関の学生たちは「トートロジー…見事な鰯の頭です。良く仕込ん
  だものですが、新興宗教と同じですよ。」と一笑に付します。
 ・最後に結城中佐はスパイの矜持を説くのです。
  {netabare}・彼らは各国で途方もないない長い期間、たった一人で自らを見えない存
   在とし、諜報活動に勤しまなければならない。
   → 彼らに待っているのは真っ黒な孤独だ。
   → 唯一の支えは、常に変化し続ける多様な状況の中で、咄嗟に判断を
     下せる能力だけだ。
 ・佐久間は(洗脳された)自分たちの行動原理との違いに衝撃を受け
  ・彼らの支えは「自分たちならこの程度のことはできなければならない」
   という恐ろしいまでの自負心だけ。 
   → そんな生き方ができるのは人でなしだけだ。
  彼らを「怪物」だと評するのです。{/netabare}

 後述の「ジョーカーゲーム」のシーンを含め、ここまでが1話Aパートになり
 なります。まだ本筋のスパイ活動ではないですが、D機関がかなり異質な存在
 であることを強く印象づける見応えある会話劇とその世界観に、冒頭から引
 き込まれる感じですね。

・「ジョーカーゲーム」とは
 タイトルにもなっている「ジョーカーゲーム」について解説。
 ・D機関の学生たちが楽しんでいた、表向きはポーカーですが、
  {netabare}・プレイヤーは食堂にいるものを味方につけ、盗み見たカードをサインで
   知らせてもらう。
  ・だが誰がどちらについているかはわからない。
  ・サインは偽物かもしれないし、敵のサインを読み手が変えることもある。
  ・場合によっては敵のスパイを裏切らせ、味方につけることもできる。
  いかにも、スパイ養成学校らしい遊びです。
  (ただのポーカーだと丸腰で参戦した佐久間は、当然惨敗w)
 ・そしてこれが「国際政治」の縮図で、見せかけのルールにとらわれ、実際
  に行われていたゲームの本質にすら気づいていないのが「今の日本の姿」
  であると。
 ・これは何も国際政治に限った話ではありません。(軍内部の権力闘争等)
  佐久間はD機関と合同任務を実施するために派遣されたのですが、
  ・この任務に隠された上層部の真の狙い
  ・その狙いを事前に察知し、逆に利用するよう動いていたD機関
  最後にこの真相に辿りついた佐久間はこうつぶやくのです。
  {netabare}「俺は最後まで入ることすら出来なかった・・・『ジョーカーゲーム』に」{/netabare}{/netabare}

 なるほど、タイトルとするにふさわしい作品の本質を表していると感じます。

・スパイモノながら頭脳戦や推理モノの要素が強い
 ・物語としてはスパイモノらしく
  ・他国での諜報活動
   → ターゲットへの接触や潜入・協力者との情報交換
  ・国内でのスパイ活動の監視
   → 敵国スパイの監視や(裏切りによる情報漏洩など)陸軍への内偵
  ・陸軍本部との権力闘争
   → D機関の存在が面白くない上層部からの仕掛け
  といった内容を、各国に散ったD機関のメンバーに焦点を当て、1-2話の
  オムニバス形式で見せていく形になります。
 ・なので
  ・結城中佐以外のメンバーの出番が少ない。
  ・(他の方も書かれてますが)そもそも「スパイとして印象に残りにくい」
   をコンセプトとしたキャラデザらしい。 
   (各話毎に主役が変わっていくが、正直誰やねん?!という感じw)
  ということで、登場人物には感情移入しにくく、純粋にストーリーの面白
  さや創り込みを楽しむ作品という感じですね。
 ・ストーリーとしては、スパイモノなのでアクションもありますが、主たる
  流れは、任務の途中でアクシデントが起こり(マークしてたターゲットが
  何者かに消される等)、任務を遂行しながらその真相に迫っていくという、
  推理モノの要素が強い感じです。
 ・それに加え、陸軍本部の企みを巡る頭脳戦的な要素ですね。世界から「魔
  王」と恐れられた結城中佐が格の違いを見せつける様は、昔よく放送され
  ていた時代劇の「勧善懲悪」っぽい爽快感があります。
 ・あと主要キャラ男性ばかりなので、各話のゲストキャラで女性が登場する
  のですが、{netabare}もれなく「疫病神」だというw
  「女で身を滅ぼすな!」という原作者からの忠告なのでしょうか。
  (またD機関の採用が男だけの理由も最後に語られます。){/netabare}

原作既読ですが、アニメの方は原作の面白さを忠実に再現してくれているとい
う印象ですね。その分地味な作品という感は否めないですがw
(視聴後は「上質のミステリー小説を堪能した」って感じなんだよな)
同じスパイモノでも、某アニメにのような美少女たちのドタバタ劇をみせてく
れる訳でもなく、結城中佐も「極上だ」とは褒めてくれません(笑)
なので、明快な面白さやエンタメ性は薄い作品ですね。

それでも昭和初期の風景から始まり、ここから大戦へと突き進んでいく当時の
空気感だったり、作画もよくや音楽も作品にマッチしていて、制作陣はかなり
頑張っているなというのを感じますし、原作がしっかりしているので、ミステ
リーとして地に足のついた作品に仕上がっていると思います。
あと個人的には唯一思い入れのできるキャラ結城中佐は、世界で暗躍していた
経験があるだけにその言葉には重みがあり、堀内賢雄さんの好演も光り、見ど
ころのひとつかなっと。

「007」「ミッション:インポッシブル」など「スパイ作品=アクション」だけ
でなく、こういう作品もあることを知ってもらえればと思います。

(追 記)
>登場人物には感情移入しにくく、純粋にストーリーの面白さや創り込みを楽
>しむ作品という感じですね。
「神様のメモ帳」でも書きましたが、ミステリー主軸の作品ってこちらにかな
り尺をとられるので、1クールアニメだと元々人物描写でキャラの魅力を引き
出すとかがかなり難しいんですよね。
(原作の創りもありますが)そういう意味では人物を必要以上に描かないとい
う本作のスタンスは、割と理に適っているのかなという印象ですね。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 15

61.3 2 昭和で小説原作なアニメランキング2位
青い文学シリーズ(TVアニメ動画)

2009年秋アニメ
★★★★☆ 3.5 (159)
902人が棚に入れました
 本作は、太宰治の「人間失格」と「走れメロス」、坂口安吾の「桜の森の満開の下」、夏目漱石の「こゝろ」、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」、「地獄変」の6作品からなる全12話のTVアニメ。ただし物語や設定は大幅に変更・脚色されており、必ずしも原作小説に忠実な内容ではない。
 企画の発端は、2007年6月に集英社文庫の「夏の一冊 ナツイチフェア」企画として週刊少年ジャンプで連載する漫画家が、名作の表紙を新たに描きおろしたこと、さらに太宰治生誕100周年という節目の年であるということから始まった。それぞれ、「人間失格」と「こゝろ」を『DEATH NOTE』や『ヒカルの碁』の小畑健、「桜の森の満開の下」「蜘蛛の糸」「地獄変」を『BLEACH』の久保帯人、「走れメロス」を『テニスの王子様』の許斐剛がカバーイラストを担当。アニメ化にあたり、カバーイラストを担当した漫画家がキャラクター原案を担当し、それぞれの作品は、オムニバス形式で放送された。
ネタバレ

takumi@ さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

文豪の名作×人気漫画作家によるオムニバスコラボ

文豪の名作×人気漫画作家によるコラボを
全12話のオムニバスにしたアニメ作品。
しかしながら、原作を忠実にアニメ化したわけではなく、
作品によってはかなり勝手な解釈による脚色や書き換えもある。
でも、「走れメロス」など、作品によってはそれがすごく良かったりもして、
独自の切り込み方での脚色も悪くないものだなと思った。
また、こういうオムニバスは好きな作品から観ていけるのも良いよね。

■1話~4話 『人間失格』(太宰治)

キャラクター原案=小畑 健(「DEATH NOTE」、「バクマン。」)
脚本=鈴木 智
美術監督=清水友幸

表題作だけあって、この物語だけ4話使っていた。
個人的に好きな昭和一ケタの時代背景と
東京の銀座を中心にした街並みが、アニメで観れたのは嬉しかった。

幼少の頃から、自分という人間にもがき苦しみ続けた主人公の
波乱に満ちた半生と、行き場のない生き地獄を味わいながら堕落し
狂っていく姿は、小畑氏の得意とするダークで繊細な人物描写が
すごくマッチしていたと思う。

また、主人公の父親が発する「人間失格」についての言葉、
主人公が苦悩の末ふともらす「生まれてきてすみません」という台詞、
タバコ屋の娘の「世間なんてひとりひとりの集まりじゃないですか」
という台詞は、自分の中のある想いに、特に強く心に響いた。


■5話~6話 『桜の森の満開の下』(坂口安吾)

キャラクター原案=久保帯人(「BLEACH」)
脚本=飯塚 健
美術監督=一色美緒

いきなりコミカルな山賊のお出ましで、わぁ~これはまた。。と。
原作から僕がイメージしていた世界とはかけ離れすぎていて、
唖然としてしまった。それに、大柄で筋肉質な主人公の雰囲気に、
堺雅人氏のか細い声はまったく合っていなかった。
背景からくる不気味さと狂気が伝わる美しさだけはあるものの、
途中の変なギャグで台無しになってるとしか思えなかった。
桜がとても美しく妖しげに描かれていただけに、残念。


■7話~8話 『こころ』(夏目漱石)

キャラクター原案=小畑 健(「DEATH NOTE」「バクマン。」)
脚本=阿部美佳
美術監督=上原伸一

前編を冬編、後編を夏編として、2通りの解釈による設定と展開で
見せたのが秀逸。 原作をどう受け取るかという問題そのものを
物語に組み込んだのは、すごく面白いなと思った。

登場人物は、先生、Kという男、お嬢さん、未亡人の4人だけ。
Kが自殺をするまでの出来事を、冬編でのお嬢さんは奥ゆかしく、
夏編でのお嬢さんは積極的でしたたかな女性という設定のもと、
物語の中の大まかな台詞は同じなのに、ニュアンスの違う言い方にして
まるで正反対の展開になってしまうところが、興味深かった。


■9話~10話『走れメロス』(太宰治)

キャラクター原案=許斐剛(「新テニスの王子様」)
脚本=川嶋澄乃
美術監督=金子英俊

物語が始まってまず、自分の大好きなアニメ作品の『魍魎の匣』と
まったく同じ演出と音楽と語り口だったことに感動してしまった。
なるほど、スタッフが同じだったので納得。

縁側に舞い込む桜の花びら、やわらかな光に包まれた部屋、
穏やかで懐かしいピアノのメロディー、美しすぎる万年筆やインク瓶。
それだけでも個人的にはしっかり鷲づかみにされたのだが、
原作の『走れメロス』を劇中劇としてうまく取り入れて再現しつつ、
原作のテーマとなっている約束と友情と信頼を、
このアニメの主人公である作家とかつての親友との甘くて苦い過去に
うまく重ね合わせてあって、それがまた僕の甘くて苦い記憶と
ぴったり一致してしまったものだから、
つきあげる胸の苦しみで、どうにも切なくなってしまった。

川嶋さんの練られた脚本に、胸をこじ開けられて参ったw
心の奥底に仕舞い込んでいたはずのものが一気にあふれ、
「うわぁ~~やられたな・・」と、しばし身動きできなかった。

待つほうがつらいのか、待たせるほうがつらいのか。
{netabare}
「待つことも待たせることも必要なくなってしまうことが一番つらい」
と主人公の独白に、自分も深く共感。
{/netabare}

ただし、どの作品にも言えることだけれど、観る人によっては
まったく違う解釈や感じ方があって当然なわけで、
自分が感動した、良い作品と思ったからといって、
感じる部分は人それぞれだし、逆に受け付けない人もいるとは思う。

でも・・・ほんとうに、この中の『走れメロス』は、
このオムニバスの中でひときわ美しく、味わい深い作品だった。


■11話   『蜘蛛の糸』(芥川龍之介)

キャラクター原案=久保帯人(「BLEACH」)
脚本=小林雄次
美術監督=金子英俊

全体通して原色を使い、特に赤と緑と青が強烈な印象を残す。
サイケデリックで不気味な地獄の様子や、悪の限りを尽くした主人公の
殺戮シーンは、なかなか迫力があった。
それだけのことをしておきながら、子どもに刺された後の彼が、
目の前にいる蜘蛛を殺さなかったのはなぜか。
それがやがて、地獄での蜘蛛の糸に繋がるわけなのだが、
蜘蛛にささやかな情をかけたあの心理描写には、
もう少し丁寧さが欲しかったなと思った。
しかし・・・悪人は地獄に堕ちても悪人というこの物語、
なかなかシュール。


■12話   『地獄変』(芥川龍之介)

キャラクター原案:久保帯人(「BLEACH」)
脚本=小林雄次/いしづかあつこ
美術監督=金子英俊

「蜘蛛の糸」から物語は続いており、
こちらでは国王の悪人ぶりが描かれる。
地位と名声を得ながらも、愚かな人間はどこまでも愚かで。
そしてその国王に目をかけられている絵師の、「地獄を描きたい」
という欲望が強烈で悲惨な犠牲を生み出すにも関わらず、
絵師はどこまでも絵師で・・・
なんとも、最終話にして一番後味の悪いエンディングだった。

それでも、アジアンチックな雰囲気を独特の色彩で描いた背景は
強い個性が感じられて、なかなか良かった。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 31

ラスコーリニコフ さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

文豪の心の闇。については書けなかった

見たのは確か半年位前。レビュー書く前にちょっと飛ばし飛ばし見てみた。

メロス以外は全部観たんですけど、原作知ってるのはこころとメロス以外。
道徳の教科書ではメロスは読んだ。けど、内容は全く評価してない。
原作に対して話の出来がアレなんですけど、まあそれは脳内で勝手に補填する
から個人的にはどうでも良いし、その手の事で不快になった記憶は無い。

自分の場合、題名聞いたり表紙見ただけで勝手にストーリーが展開されて、
その内容を思い出すから、原作レ○プってのは特にどうでも。まー・・
多分その差が気に食わない人がそー言うんですけど。


レビューにあったっすけど同じ作品見ても解釈の差ってのは、よくありますね。
同じ作品見た人でも、人によって全く逆の教訓が思い浮かんだり。感受性の差。
作品に一つ言うなら好きな地獄変をデスノの人にやって欲しかった位かなー。

えーと、他レビューを読んでたら大体分かると思いますけど、文学は基本的には
興味ないんで、というかそーゆー感性の欠片も持ち合わせてないので、芸術とか
はよく分からんです。が、文章センスに関してはなんとなく分かるつもり。


で、自分と同じくニーチェ様が見てるで身も蓋も無い事言う安吾さんは
ともかく、芥川さんと太宰さんはでかい心の闇に支配されて残念な事をしちゃう
訳なんですが、・・あれ、千円札も芥川も太宰もニーチェ様入ってる・・な。
青い文学どころかニーチェ様の教え子達だろこいつ等。教授様とか詳しそうね

あいつの思想、絶対俺みたいに無神経じゃねーと強烈過ぎて副作用があるはず。
自慢じゃないが、いや、自慢だけどニーチェ様の事知る前にあいつの7割位の話は
単に言語化できないだけで心の中にあった。そ、そんな事知ってたんだからねっ!

鬼才の芥ちゃんはともかく太宰さんはぜってー苦しんでるだろ。あいつの思想は
劇薬なんだよww基本善人の千円札も、多分相当格闘しただろうね・・


調べたら元はゲーテにある・・とか書いてあるけど、ゲーテは嫌いだな
劇作家としては素敵だけど、哲学者としては主観強すぎて三流。
綺麗事多くて世界が見えてる感じがしない。・・あれ、ニーチェ様もゲーテ
好きなのかよ。嘘だー、ありえないありえない、認めない、見なかった。



で、基本的にウジ男でも結果残してる人は評価する事にしてるんで、太宰さん
はアリですね。昔から自身も含め人間は全く信用してないので共感は全くできない
ですけど、一生懸命欝の理由書いてくれたんで、一応内容は読んだよ、と。

アニメはデスノ絵のせいもあって、華奢な色男に書かれてますけど、ああいう
の好きな女は多そう。腐が腐用品にしませんように、しませんように。

芥ちゃんの方は作品結構数読んだんですけど、鬼才っぷりと内容の亜空間ぶりに
なんて勿体無い事をしてしまったんだ・・と。長生きしてたらニーチェ様クラスの
境地にたどり着いてるはずの男なんで、本当に残念で仕方が無い。

勿体無い・・勿体無いとしか言えない、不安なんか我慢して書き続けてくれ。よ
(芥ちゃんの作品で大好きなのは「藪の中」。ただ、あれはエロとして好きなので
 あって、真実がどうこうとかには全く興味がない。)

個人的に自殺ってのが贅沢ウジ人間の残念な末路なんで基本知った事じゃない。
死ぬほど狂うのは辛そうだけど、生きてるより楽ならご自由に。ただ、才能の無い
ボンクラがウジで死ぬのはそれまで食べた動物達に謝れ、生きたい難民達に謝れ、
だけど、才気溢れる芸術家や文豪のそれは苦悩の桁が凡人では想像できない上に、
芥ちゃんみたいな鬼才が若くして死ぬのは勿体無いからやめて欲しい。


・・あれ、おかしいな。心の闇について書くつもりだったのに、書けないな。
んー・・下手に分かった気になって書くよりも、この方が弔いになる気がしたので
良いかな。色々ぶっ壊れてる人じゃないと書けないよね、こーゆー作品。


流石に内容あんまりなので、一応攻撃的に自己弁護しておこう。

こんな書き方で不謹慎だと思う奴はな、俺以上にアイツ等の事を理解してないクソ
野郎だ。歴史に名を残すため?著名になって権威を得るため?そんなくだらない事の
為にこいつ等魂削って作品を書いたんじゃないからな。鬼才の功績に寄ってたかって
勝手に権威つけたり必要以上に仰ぎたてる奴の方が、余程文学を愛してない。

よし、できた。



・・鬼才と地獄変で思い出した。現代日本の変態ジャンルの鬼才が尾玉なみえ。
一発の規格外変態ネタで引っ張る変態仮面とか、単にエロ押しの変態漫画家とか、
他人に媚びる笑いのうすた作品、ボーボボ、たけし他、汚い笑いの幕張、銀玉他、
出足だけクロマティとかと違って真に鬼才、もうネタの気配が違う。亜空間過ぎて
何度も腹筋やられた。「純情パイン」「少年エスパーねじめ」「アイドル地獄変」
は芸術レベル。理解出来ない人は多いと思うけど、分かる人には分かる世界。

検索 尾玉なみえ ニコニコ大百科

漫画アニメ他の笑いに精通してて、かつ変態好きじゃないと理解できない。
他のやつのネタだと、自分が10人位いてネタ考えてたら1人くらいはそのうち思い
つきそうだけど、尾玉なみえのそれは絶対無理、笑いを取る次元が歪んでる。

相対性理論がアインシュタインだからこそ生まれた、と同じく尾玉なみえの笑いは
あいつだからこそ生まれた。同じ部位やアイテム使ってる別の人間のネタとは完全に
別種。と区別するのは、そーゆーネタ絡みの作品の数見てないとできないと思う。

しばらく漫画見てないけど新しいやつ出てるっぽい・・ものの、ファンの間じゃ微妙
な評価。自重したり、ネタのランク一般向けに落としてるのかなー。残念だ
まあ、鬼才の芥ちゃんの「地獄変」を語るに相応しい鬼才です。よ

投稿 : 2024/06/01
♥ : 5

ソーカー さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5

名作も真っ青?

各エピソードとも作画も演出もまるで違うので、各々別物として見る必要があります。

「人間失格」
原作既読。ほとんど覚えてないので純粋に楽しめたと言えば楽しめました。
しかし自分のイメージしていた主人公像とちょっと違っていた気がします。
共感出来る部分が結構あったと思うんですが、このアニメの主人公はあまりそういう部分がなかった。
しかし、綺麗に纏めていてぐっとくる内容だったので、アニメとしての出来は非常に良かった。
いずれ読み返したいと思わせる面白さだったので、全然アリだと思います。

「桜の森の満開の下」
原作は読んだこと無ければ粗筋すら知らないが・・・これは唖然とした。
打って変わってコメディタッチで描かれてるわけですが、
時代劇なのに英語喋ったりミュージカルしたり意図がよく分からない。
内容は至極残酷なものなので、そのギャップが悪趣味にしか映らなかったです。
オチの意味もよく分からなかったですが、原作がどんなもんか知りたくはなりますね。

「こころ」
原作既読。Kが自殺に至るまでを過程を2つの解釈で描いた作品。
前編は先生の視点、後編はKの視点で展開されている。
先生からの視点の回は、Kの容姿・性格・心理描写全て酷すぎる出来に映ったのですが、
原作にはないKからの視点の回を見てみると、Kの心理描写はまだまともになりました。
ただ、全ての登場人物が原作と乖離しすぎているので、解釈として成立しているとは思えないです。
作品の要であるKの自殺理由を扱うのであれば、Kの人物像だけは守るべきだと思うんですが・・・
「こころ」を真っ二つにしているような酷い出来だと思いますw

「走れメロス」
原作既読。これは鮮明に覚えています。
アニメ「魍魎の匣」のスタッフということで、さすがという出来。
走れメロスの劇と小説家をリンクさせるというやり方はありがちではありますが
原作を巧く活かしてるという面では一番良い印象を受けました。
ただ本当に小説を執筆する様や汽笛の音まで「魍魎の匣」とかぶり過ぎて笑ってしまったw

「蜘蛛の糸」「地獄変」
「蜘蛛の糸」は既読。「地獄変」は未読。アニメでは同じ世界観で続きものとなっています。
カンダタの生前の描写から始まるのですが・・・とにかく色彩鮮やかな作画が美しかったなと。
地獄の禍々しさとか炎に包まれるところは素晴らしかったと思います。
「地獄変」はよく知らないので、内容についてはなんとも言い難いですが。

原作を結構改変してるので、この辺をどう受け取るかですよね。
良いと思えた作品と悪いと思えてしまった作品の差は結構激しかったです。
原作を読み返そうという気にはさせられたので、そういう意味では良かったのかな。
ただこのアニメを見る時は原作とは違うということを念頭に置かないとひどく痛い目に合う。
繊細な人物描写を、割合とざっくり描写してしまっているのは残念ではあるけど
アニメとして表現するのであれば、ある程度は仕方ないことではあるんでしょうね。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 22
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