鬱おすすめアニメランキング 32

あにこれの全ユーザーがおすすめアニメの鬱成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年06月07日の時点で一番の鬱おすすめアニメは何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

81.9 1 鬱アニメランキング1位
ぼくらの(TVアニメ動画)

2007年春アニメ
★★★★☆ 3.7 (1884)
9786人が棚に入れました
政財界の権力者たちは、「子供たちの契約を解く鍵を探す」という建前の元に、ジアースの技術を研究して産業や軍事に利用しようとする。子供の親たちは、子供を救う方向に世論を動かす為に、ジアースの情報公開を目指して協力し合う。しかしその企ても権力者の陰謀によりつぶされ、子供たちはこの地球からも孤立してゆく。

声優・キャラクター
皆川純子、阿澄佳奈、野島健児、三瓶由布子、牧野由依、能登麻美子、浅沼晋太郎、比嘉久美子、宮田幸季、高梁碧、織田圭祐、井口裕香、杉田智和、保志総一朗、阪口大助、東地宏樹、石田彰
ネタバレ

Ballantine さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

鬱展開ではあるけど社会風刺でもある

このアニメのOP「アンインストール」を先に知ってからアニメを知りました。
OPめちゃめちゃ好きです!!絶対飛ばせないOPだ…

評判は最悪ですね。
鬱アニメ鬱アニメ。何処行っても鬱アニメってレビューばかり。
もう最高の絶望アニメ。って評価ばっかり。

たまには絶望したいのでこういうアニメは大好物!

このアニメを見てはいけない人
娯楽を求める人 頭からっぽにして見たい人 考えたくない人
暗い話が苦手な人 鬱病の人

このアニメをお勧め出来る人
考察だったり物語から色々と物事を考えてみたい人
絶望したい人 切ない物語が好きな人

遊び半分でこのアニメを見て欲しくない。
物語としっかり向き合いながら考える事の出来る人に見て欲しいです。


アニメを作った人達への思い↓
{netabare}よく出来た物語でもあるとは思うけどちょっと足りない部分はこの最終回での投げっぱなしな所ですね。
綺麗ではあるんですけど、このアニメはオチを付けることが出来なかった。
いや出来てるかもしれないけどなんか違う気がする。
これじゃない感が否めない。
ただ個人的には書きたかった方向性がどういう方向性だとわかったのでそれ程文句は無いですけどね。{/netabare}


各話の感想↓↓※長文注意
{netabare}1話
あれ?ロボット物だったの?

2話
コエムシって某アニメの魔法少女のQBかよw
なんか凄くエヴァっぽい。
大人数で動かすロボットは初めてだなぁ。
ってえ…誰か落下したぞ…
妹に八つ当たりしてる場合か!?は?どうなってんの?
えええええここで終わり!?何これ超気になる…

3話
あれ?死んだのに誰もなんとも思ってない感じ?
なんか凄くよくわかるようなわからないような…
子供の頃はやっぱ死には疎いんだよなぁ…
じいちゃんばあちゃん死んでもなんとも思わなかったっけなぁ。
まぁのちのちジワジワ来るんだけど。
ってわく君の扱いひでぇ…集団隠蔽やべぇ…
すげぇリアルな心理描写だ。
えええ操縦ばらしちゃうのかよ…
葬儀は泣けるなぁ。親の心境考えるともぅヤバイ。
メガネ…おまえ死ぬのか…

4話
受付のねーちゃんの目おかしいぞ!作画どうしたんだ…
まっ割と真面目に猫をエアガンで撃つ程度どうでもいい。
ってか撃つなって心はわかるがおまえは人間と動物のどちらに重きを置いているのかって話になるわけで…
ペット愛好家に良くある心理ですね。
「私は猫が好きだからあなたも猫が好きで当然でしょ?」
「だからあなたも猫の世話をすべきなのよ」的な…
こういうのりは本当に大嫌いだ。世話を押し付けて自己満足に浸るゴミクズだ。

コダマの気持ちはわかる。
こんなでかいの敵が出てきて「家を潰すな」とか考えている場合かよって話だ。
犠牲はつきものです。(現実を見ろ)
って親父…うん。どんまい。
しかしQB的な奴が気になるなぁホント…
戦いの後必ず死ぬだと!?一回戦うたびに一人死ぬのか!?
使い捨てかよ!!ヤバイぞこれ…

5話
自分を守るか地球を守るか…
さて皆さんはどちらを選びますか?
俺は躊躇なく地球を守る。そう言い切れる。
単純にそっちのほうがメリットがある。
お母さん…なんだよその青あざ…病んでるなぁこの家庭。
教師と付き合うチズ…カコ君が可哀想…
まぁこういう純粋そうな奴ほどひどかったりするんだよね…
あぁショックでかい…一番可愛いのに…
「先生とするとね体だけじゃないんだよ心のなかも満たされるの」
うわうわうわ…ゴミクズだった。
死ね死ね団にお出まし頂きたい展開ですね。
こんな歳でこんな事聞いたらトラウマになるわ…
中1だぞ中1(;´Д`)
まぁしかしわからんでもないけどね。
SOS思い出した…
あぁショックでかいよ…死にたくなるよ…
教師をぶっ○すしかねぇな。妄想だけに留めておけよ…

なかなか使える政府だなぁ。今の日本じゃこうはならんな。
コエムシはなんなんだwww
コエムシつええええええええええええ!!!
カコ君\(^o^)/

6話
まぁ独り占めする方向性は自然だな。
ホンダ…あぁショックがでかいでかすぎるよ…
ってか死亡フラグすぎるよ…
カコ君絶望的すぎる…ってえええそういう展開!?
ええええええええええ死んだのかよ…
チズとことんひどい扱いだなぁ。
あぁもう見るのが辛くなってきた…

7話
うわぁ…チズの話かよ…もう掘り下げないでくれよ…
リアルすぎて個人的なトラウマが蘇ってくる…もういやだこのアニメ…
なんだこれ戻ってきたら教師とおねぇちゃんが…って展開になりそうで怖い。
と思ったけどそうじゃなくてよかった。
先生に惚れちゃう女の子多いよなぁ…よし先生になろう!違うかw
まぁ理想の人間演じてる先生に惚れないほうがおかしいのかもしれないなぁ。
どう考えても一般の人間よりは良く見えちゃうもんなぁ。
羨ましい…
ってか先生みたいになりたいよなぁ本当に…
先生がイケメンすぎる…
ってええええええええええええええええええ
あぁぶっ飛んだ。ぶっ飛びすぎた。
うわぁ…
ってかなんか別のアニメになってねぇか?
ネット流出はやばいよなぁ…
ケツゲバーガー事件みたいなのいっぱいあるしツイッターなんてもう今じゃ馬鹿ったーでしかないし…
裏垢でぐぐるとクソみたいな事になってるし…
あぁすげぇリアルすぎてもう色々やばい。
胸がムネムネしてきた…
ぎゃあああああああああああ\(^o^)/
個人的に初めて付き合った彼女がレイプされた経験があったのを受け入れられなかったのがトラウマになっててこういう話はもう辛すぎる…
やっぱりだやっぱりそういう展開だった。おねぇちゃん…
このアニメ辛すぎるって…死にたくなってきた…

8話
まさか…おいやめろ…ニンゲンヤメマスカ?姉貴を殺しに行くきじゃねぇんだろうな…
ってあぁそうか教師の方か…
とことんクズすぎるチズ。ヤバイヤバイヤバすぎる。
おねぇちゃんともども死んでくれてよかったのに。
チズ…(´;ω;`)
急所の位置で吹いてしまったじゃないか!wあぁもう台無しすぎる…
うわぁ…チズの子供っておい…中1だぞ中1!
ぎゃあぁああああああ
もう辞めてくれよチズの扱いがひどすぎる。
あぁ恐ろしいアニメだ…
あぁもうほんとこんな見続けるのが辛くなるアニメは初めてだ。

9話
なんかエヴァのトウジっぽいな。
大地兄ちゃん(´;ω;`)
もうなんかこの先見るのが怖くなってきた…
グロとか鬱とか色んな耐性あるはずなのにどうしたんだ俺…

10話
うわぁうわぁうわぁこれまたひどい設定が来た…
もういやだこのアニメ…
しかし現実にはうじゃうじゃいるんだよなぁ体を売っちゃう子。
むしろ今時そっちの方が正義位の勢いだもんなぁ…
貞操観念が世界一希薄な日本女性怖いぉ。
婚活場では女あまりのこの世の中怖いぉ。
どんだけ壊れちゃってんだこの世界いやもとい現実社会か…
「私にお客さん探して」
ええええええええええええええええええええ
どうしてそうなった…
あぁもういやだいやだこのアニメいやだ…
死んでる死んでるよ俺のライフはもうゼロよ。
やめたげてよ俺死んじゃうよってかもう死んでるよ。
母を知ってるだとおおおおおおおおお!?
ええええええええええええ!?
うわああああああ
あぁ…
体を売る女が母親になると子供もこうなるよなぁやっぱ…
「わたしはまこが一番大事よ」
は?何言ってんだこのBBA。薄っぺらすぎる。
体も安ければ言葉も安いんですね。

最近の記事であったけどEUの女性のIQが下がり続けていて頭の良い女性ほど出産したがらないという記事がありましたが…
バカが馬鹿を生むんですねわかります。
これじゃ悪循環じゃないか…現実って本当に嫌ですね。

11話
余命一年ってこれまた急だな…
心臓移植ねぇ…
俺は絶対何があっても死んだ体をいじられたくないけどなぁ。
葬式だってして欲しくないしさっさと焼き払って欲しいわ。
葬式なんて生きてる人間のエゴだろエゴ。移植だって一緒だ。

あれ?分裂とかまんまエヴァじゃん。
まぁ色々と都合良すぎるなw
頭が吹っ飛んだああああっておいおいなんでもないのか!
「なぁ手術が成功したら…」
って下りなんという死亡フラグw


一回休憩しよう。なんか精神崩壊しそうだ。
絶望しか無いじゃないかこのアニメ…
一旦他のアニメ見て落ち着いてから再開。
救いはあるのだろうか…もうストレスはんぱない…


12話
カナちゃん可愛いなぁ…でも死ぬんだろうなぁ…
あぁなんか平和な回程死ぬんだろうなと切なくなってくる…
スパンキングフェチのお父さんwww
なんなんだろうこのアニメ…
こうやって一人ひとり掘り下げては死んで掘り下げては死んでって繰り返すのだろうか…
最後に何が残るって言うんだよ。なんか全滅ENDしか見えない…
もう死ぬための理由だけ書いてるんじゃないかって気がしてきた。
しかし救いがありそうなフラグを政府が…期待できるのだろうか…
近所のおばちゃんかっけぇーw
「初めての子供はおまえだよ」
この件泣ける…(´;ω;`)いい親父じゃねぇか!
「てめぇらの地球じゃねぇけどな」
え?

13話
え?平行世界かなんかか?仮想世界か?別の未来だと!?
世界線超えたようだな。
敵もこっち側も転送のされかたがまるでガンツだな。
あれ?なんかもしかしてこのアニメの終わり方は…
ループものになりそうな予感…
なんか希望が出てきた。
って敵にも人が乗ってたのかよってこれは予想通りだった。
弱肉強食ですね。
なんで町の人達逃げねぇんだよ…
特攻ェ…
あぁエヴァで言うならエントリープラグだな。
中から出てきた煙はなんだったんだ?
ってえええええええええええええええええええ
何が起きた!地球が吹っ飛んだのか?宇宙が消し飛んだのかよ…
化物語病のせいで星を見て「あれが…」っていっただけであのシーンが思い起こされる。
あれ?慣れちゃったのかな死ぬことに…なんも感じなくなってきた。
ヤバイ気がしてきた。人として大切な何かが欠けてきた…
いやチズ回が重すぎたせいか…わからん。

次はデブの出番か…
セキ君人造人間なのか?もしくは機械が優秀なのかな?
え?何処の誰だよこいつら…
あれ?ED変わった?前のほうが良かったような。

14話
このアニメ安心できる場面が出る程死ぬんだろうなって思って切なくなる。
カナちゃん…この子だけは生きて欲しい…
田中一尉に希望を見出したい。
うわぁなんかカナちゃんがいっぱい出てくる回って事はまさか…
タカミが一ノ瀬ことみにしか聞こえない、と思ったら中の人同じだった。
カンジ君オープンだなぁ。なんか信頼出来る気がする。
あぁカンジ君じゃなくて機械が凄かったんだな。
かあちゃん死亡フラグ…

15話
母さんええええええええええええええ(´;ω;`)
このアニメうつ病の人しか出てこねぇ…
明らかに怪しいおっさんww
おいいいカナちゃん勝手にいれんなっておい!
何このレイプフラグこええやめてくれ…
もう何この緊張感…BGMはギャグなのに…
怖いよマジで怖いよやめてよ。このアニメの平和回は逆に怖くなる不思議。
たもっちゃん良い人で良かった…本当に良かった…
まぁキリエの言い分もわかるな。
うわっうわうわうわ自滅って敵の方かよ…これは騙された…
どうやらたもっちゃんは本当に良い人っぽいようだ。

16話
ジアースレポート…秘密は明かされるのだろうか。
親父帰ってくるのかよ。お母さん良い人だなぁ…
あれ?なんかだんだん希望が湧いてきたよ?でもどっかで落とされる気がする…
あぁ怖い怖い。
情報収集チップなんか怪しい気が…
出たwねぇねぇ今どんな気持ち?AA省略
「契約してないのマチだよね?」
どういう理由でマチは契約迫ってんだ。
おいおいひっぱたきすぎだろ…
ってか戦うとやっぱ死ぬのね。

17話
うーむ政府は隠蔽する気なのか。
アンコママ…マスゴミは本当にゴミだ。カンジかっけぇ。
パパハニトラにかかっちゃった感じなのかなぁ…
アンコオオオオオオオオオオオオオオオオオオ(;_;)
ホント救われないな…

18話
コモは最後だと思ってたが…
議員辞職…もう秘密は明かされないのかな。
命貼ってるまっとうな良い議員だなぁ。
ってうわぁねぇさあああああああああん…
ええええねぇさん死んだらどうすんだよ!
うわぁねぇさんも議員も死んだら詰みじゃねぇかよ…
ああああああもう絶望しか無かった。もうダメだ\(^o^)/
この先生きのこれる気がしない。もうダメだ全滅ENDしか見えない。
落とし穴とか…どうなってやがる。
えっなんぞ?レーザー?そんなのあったのかよ!!
カナはやめてくれえええうわあああ…
カナちゃんを皆で守る流れになるんじゃないかと思ってたのに…
おいおい話ももうすぐ終わるってのにどうやって終わらす気だよこれ…
ホントに全滅ENDやっちゃうのかよ…あぁ…救いは無いのか…
なんだろう今の日本の政治を皮肉ってるようにも見えてきた。
まっとうな議員は排除され売国奴や私利私欲の議員だけが生き残る。
まさにまんま当てはまる。怖い。

19話
たもっちゃん良い人だなぁホント。

あぁやっぱ政治とか裏社会の人間とか出てくるのはこれやっぱ日本の状態を皮肉ってるな。
なんか話の方向性が見えた気がする。
大人の私利私欲で子供が死んでいくんだって事か。
これ今見てるからわかる話だけど当時見てたらわからなかっただろうなぁ。
政権交代して民主党の売国が露呈して初めて興味を持って信じれた話でもあったしなぁ。
そういう方向性で進むのかな…

だとするとこれは最後まで救いは無いのかもしれない。
なんか色々納得がいってきた気がする。
ねぇさんすげぇ人だったんだな…しかも子供までいたなんて。
ねぇさん子どもと別れる時は辛かったろうなぁ…
ねぇさんのねぇさんまでorz
ウシロ…おまえも死ぬのか…死亡フラグびんびんすぎる。

20話
お?カンジの話に戻るのか…
うーむカンジ母はなんか怪しい気がするんだけど良い人なのかなぁ…
え?マトリックス!?攻殻機動隊!?すげぇ技術進歩だな。
未来人だったのかよマチは…いやむしろ科学技術の発展しまくった平行世界の話か。マチのアニキやべぇ…
うわうわうわどんだけ平行世界巡ってきたんだ…
いよいよきたな!ココペリこいつラスボスだろ。
え?ココペリ良い奴だったのか?あれ?まぁこいつに会う前からこのシステムがあるって事はやっぱラスボスじゃないのか。
うーんどういう事なんだろう。
やっぱりシステム的な構造は解明されずじまいで大人のエゴがかかれる話になるのかな…
あぁなるほどだからマチは契約してない一人なのか…
うわぁうわぁ…
ココペリも大変な目にあってたんだな。
優。゚(゚´Д`゚)゚。
あぁやっぱりカンジの母親は裏切ってたか。
目的がハッキリしてきて凄い面白くなってきた。

21話
カンジ思い切った事言うな。
やはり母親は私欲にまみれてる。よく出来たアニメだ。
「守りたいものねぇよそんなもん」
まぁカンジの守りたいものはもういないもんな。
たもっちゃん!死亡フラグが…
大人の欲に振り回され無残に死んでいく子供たちを書いてるんだろうな。
大人のおもちゃでしかない子供ェ…
12人目だな。なんか凄く活力が湧いてきた。
死んでいっても受け継がれるものは沢山あるんだなと。
ジアースプログラム?なんだ何が起きた…
街のエネルギーを吸い取るのか。なんという高性能システム。
支配者たちへの反権力闘争。
「このプログラムはアンインストールできない」
きた!アンインストールキタ――(゚∀゚)――!!
めっちゃ盛り上がってきた!
あぁ…やっぱカナちゃん…
ってかコエムシ引き継ぐとコエムシ自体はどうなるんだ?(素朴な疑問
カナの事心配してるんだな…
どうやら決心がついたようだなウシロ。

22話
このキューベェもどきホントうざったいな。
要所要所に散りばめられた全ての大人がゴミクズじゃない所がまたよく出来てる。
これも希望の一つなんだろう。
あぁそうだ、ジュンの本当の親じゃないんだっけ…おじさんなんだよな…
妹に当たりすぎだろ…腹蹴りとか身ごもってたら死ぬレベル…
お父さん…(T_T)
あぁもうやだ日常回…死亡フラグでしか無い。
切なくなってきてしょうがない。
長谷川…どうみても中国風のスーツなんですけど沖縄県の知事ですか?

23話
あぁもうこの話と後1話しか無いのにやっぱりもう全滅END確定か…
しかしまぁ作品の言いたい事が受け取れた人なら問題無いのかも?
個人的にはハッピーエンドが好きなんだけど…
ココペリうぜえええ。
今のはクリリンの分!うわっまどマギと流れが超似てる…
時期的にまどマギの元ネタはこれだったのか。
マチよくヤッたな!ってなんだ黒い方のも出てくるのかよ…
って次はマチなのか…
ええええええぇえぇぇぇぇ一般大衆もろとも爆撃ですか!!
なんじゃこりゃ。
マチ…おまえ良い奴だったんだな…あぁ…
もう最後の最後まで絶望しか無かった…希望なんて無かったんだ…

24話
最後はカナが救われてぼくらの15人以外は生き残って世界は救われてよかった。しかしこのアニメ地球全滅ENDもありだったかもしれない。{/netabare}

このアニメが好きな方へお勧めしたいアニメ
「今、そこにいる僕」「喰霊 ―零―」「カウボーイビバップ」「無限のリヴァイアス」「エルフィンリート」

原作もアニメの後に読んだのですがどちらも良い終わり方でした。両方好きです。

感想
{netabare}なんだろう個人的にメッセージ的に受け取れたものは人は死ぬけど戦うことも出来るだろうという事。
死ぬ前に戦ってから死んでもいいんじゃないのか?
ただただ死んでもいいけどその前に何か出来るのではないのか?
そんな作者のメッセージ的なものを感じました。
人は死んでも引き継がれるものがあり、無駄ではないと言うこと。
死んでも世界は回り続けるし無くなるかもしれないがそれは無駄ではないという事。

とても深い作品です。
これ程展開的に残酷な物語は未だかつて見たこと無い鬱展開なアニメ、いやドラマ映画でも見たことがない位でしたが、それゆえに伝わるメッセージみたいなものは凄く大きいし色んな見方が出来ると思います。
まぁ間違いなく万人受けはしないでしょう。
しかし道徳的な物語ではあると思います。と言うかもう教育の教材レベル。
この作品を読書感想文で書いてきなさいと子供に教えたい位。
しかし鬱展開が超弩級なので高校生以上じゃないと駄目でしょうね。
いや条件は山ほどあるか…

何年かに一度この作品を見てその時時の感じ方の違いを楽しみたい作品です。

この作品から希望を貰えた人。絶望した人。
どちらのが多いのかな?
恐らく現状が平和、もしくは現状に絶望している人は希望を貰えたのではなかろうか?
絶望した人はきっと現実逃避している人ではなかろうか?
うーんひっくり返してもどっちもありえるか…

アンインストールしたい事なんて山のようにありますよね。
もう本当に何もかもをやり直したいなんて思う人は多いでしょう。
しかしきっとそんな状況でも抗い戦っていけば得られるものがきっとあるはず。
希望を捨ててはいけない。
たとえあなたが死んだってのちの人たちがきっといい社会を作ってくれるはず。
いや寧ろ残らなくてもいいのか…

なんか書いててわけわからなくなってきたorz{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 27
ネタバレ

みかみ(みみかき) さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

解釈することが、できないことのこわさ

■意図的な「雑な死」の表現

 「死」の表現が雑な話には二種類ある。
 単に「人が死ねば悲しいだろう」と思ってあざとい感動エピソードとセットにされて、どかどかと人が死ぬ話と、そもそも「死の瞬間」というのが雑な形でしか到来しないという無意味さを描こうとする話だ。
 「あざとい死」がただの泣かせの安っぽい方法論であるのに対して、「乱暴でちゅうぶらりんな死」というのは死そのものを描くことが話の目的になる。死の表現の雑さ、という点においては両者は同様なのだけれども、「死」に対して物語上の意味が与えられていれば前者のような表現になるし、物語上の意味が意図的に放棄されていれば後者のような表現になる。
 この表現は、決してわかりやすいものではない。
 正確にいうと「わかること」ができない。
 人が死ぬ瞬間、というのは、だいたい、たいした理由はない、というそれ自体を描こうとしているわけだから。

■ちゅうぶらりんな死

 いろいろな思いをかかえていた人間があっけなく、なんの理由もなく、理不尽に、ランダムに死んでしまう。そういうかたちで、多くの場合、死は突然にやってくる。「世界をすくうための崇高な犠牲として死を自覚的に選択できる」などというようなことはまず、ない。「ループする世界のはてから脱出するために死を選択する」とか、そういうことも、およそ幸福で稀な事態であると言ってよいだろう。

 鬼頭 莫宏という漫画家は、そういう、理不尽で偶発的な事件が、突如として悲劇としてあらわれてくるような。そういう事態を繰り返し、繰り返し描いている。そこには、巨大な情熱も、巨大な失望も、抱く間が無い。間抜けな形で到来する。


 鬼頭作品は、そもそもそういうタイプの世界の乱暴さを描く話だった。そういう世界の乱暴さばかりを描いてきた作家の仕事としては、『ぼくらの』はやや丁寧に属する部類の仕事だ。設定がこっていて、「死」を迎えるまでの時間が、ほんの短い時間ではあるけれども、ゆるされている。
 だけれども、やはり、その時間は「ほんの少し」だ。しかも、人生で何かをなしとげた人間の時間ではなくて、まだ何もなしとげていない少年少女たちの時間だ。
 死の前の少しの時間の暮らし方は、やはりどう転んでもぶざまだ。ぶざまで、感情移入をするまでには、時間が足らない。時間が足らない、その時間の足らなさ、こそが不気味な表現になっている。
 彼ら/彼女らのなかにある十分な物語を知る時間もあたえられず、ちゅうぶらりんなまま、人がぼろぼろと死んでいく、そういう乱暴な風景こそが、『ぼくらの』の醸し出す物語の怖さだろう。

 エンターテインメントとしてみてみれば、なるほど、描写は不十分ともいえるかもしれない。映画でいえば、絶対にアカデミー賞はとれないだろう。エンターテインメントとしては、ぎりぎりのバランスで成り立っている。わかりやすくないから。
 だけれども、わかりにくいもの、ばかりが世界にはたくさんごろがっていて、そのわかりにくさの、違和感のようなものを、ごろっと露呈させてみせる、その違和感があらわれる瞬間。そこに何かを感じ取ることが可能かどうか、ということが、鬼頭の書く物語を良いと思うか、悪いと思うかということの評価へと直結するだろう。ある人は、その違和感にたじろぎ、ある人は単に雑なものだと感じるかもしれない。


■セカイの生き死に自体がちゅうぶらりん

 ただ、こうした死の乱暴さそのものは、は実は決して知られていなかったものではない。世界の名作文学でも映画でもいい。あるいは、高名な哲学者の議論でもいい。戦争にいったことがない我々でも、そういう乱暴な死が世界中によこたえていることは知っていた。

{netabare} 『ぼくらの』の特殊性は「個人の死」が乱暴で、いいかげんで、ちゅうぶらりんに訪れるというだけでなく、「セカイの死」自体も、いいかげんで、乱暴で、ちゅうぶらりんな形でしか訪れない、ということだろう。
 この話は、「凡庸なぼくたち」が、セカイを救う物語であると同時に、セカイを滅ぼす話でもある。セカイを滅ぼす理由も、救う理由も、これといって明確な理由はない。サイコロを転がして決めているのといっしょだ。ただ、その過程に、たたかいを挟むから、じゃっかん本人たちの努力が可能なだけで、たたかいをする巨大ロボットが強いかどうか、ということはサイコロを転がすのと何もかわりはない。

 「セカイの成立」自体が乱暴で適当だという想像力は、「生命」自体が乱暴で、適当だという想像力の、さらに先にある、おそろしさをもっている。

■セカイ系作品としての異質性

 いわゆる「セカイ系」作品は、少年少女の憂鬱や、情熱の程度によって世界が救われたり滅びたりする。ハルヒしかり、エヴァしかり、エウレカしかり。
 「ぼくらの」もセカイ系の一種だと考えることはできる。滅びるべき世界/救われるべき世界は、「頑張らなければ世界がほろびる」。だが、そうは言っても、異世界の少年/少女たちもまったく同じ状況におかれているという点で、ロシアンルーレットの弾をこめるような意味においてしか、少年少女の憂鬱や情熱には意味がない。

 「セカイ系」においては、世界の救済や滅亡と、少年少女の情熱が、ダイレクトにつながる、ということが少年少女の「わたしには価値がある」という承認欲求を満たすものとして機能していた。
 しかしながら、『ぼくらの』はそういった構造を完全に逆転している。「わたし」ががんばろうが、がんばるまいが、どこかでセカイは滅び、どこかでセカイは残る。わたしの努力は「このセカイ」に対してこそ、一定の有効性はもつが、努力や情熱はごくむなしいものとしてしか、与えられない。少年少女は、みなロシアンルーレットの弾丸、としてしか役割を与えられていない。

 セカイ系の設定をかりながら、<「わたし」の承認欲求を否定するセカイ系>というごく、無残でみじめな世界を示すことを、あえて提示してみせる。
 鬼頭的な、世界の乱暴さをつきつけるという仕業、セカイ系という少年少女の逃げ場を否定することで、どうしようもなく、成立している。
 おまえらに、逃げ場なんてねぇんだぞ、と。
{/netabare}

■作品比較:『イキガミ』『バトルロワイヤル』

 なお、本作とある程度ちかい設定をもった作品としては、『イキガミ』『バトルロワイヤル』などがあるだろうが、いずれも世界の乱暴さを描くという点においては、『ぼくらの』の足元にも及んでいない。

 たとえば、『イキガミ』は、死にいたるまでの、当人たちの「物語」があまりにもきっちりと完結しすぎており、世界はあまりにも残酷ではなさすぎる。死にはきっちりとした意味があたえられ、物語世界はあまりにも簡単に解釈をゆるしてしまう、安易な「いい話」以上のものにはなりえていない。(そもそも心理描写の水準のだめさや、人間観のバラエティがステレオタイプに満ち満ちていて、論外なあたまのわるさ……ということはあるが、それをさておいても、そうだ。)

 また、『ぼくらの』がもし、失敗しているとすれば、やはりエンターテイメントとして作品をみる、という作法以外に作品を見る方法を知らない読者や視聴者層を大量に相手にするマーケットで作品をリリースしているということだろう。そういう視聴者層には、この表現は単に物足りない表現としてしか届かないケースが多い。つまり、『ぼくらの』は失敗している。作品の内容において、ではなく、売り出し方において失敗している。
 その意味では、エンターテイメントとして暴力表現を前面に押し出した『バトルロワイヤル』のほうが、大勢の人への伝わりやすさという点では、『ぼくらの』よりも世間的なインパクトは獲得できている
 しかし、『ぼくらの』の描く死はどうしようもなく中途半端であるゆえに、『バトルロワイヤル』などよりもはるかに残酷な風景を描いている。我々は、恍惚のうちに死ぬことができない。


■漫画版と比較して

 漫画のほうは、まだ全部はよみおわっていないのだけれども、おおむねアニメ版のほうが、見やすかった印象がある。一話完結である程度、はなしの起伏をつけているので。アニメの方がエンタテインメントとしては優れているだろう。
 エンターテインメントとしてではない、評価としては漫画のほうがすぐれているという人も多いかもしれない。
 わたしは、アニメのほうがやや気に入った。単純に映像もきれいだったのいうのもある。

■関連推奨作品:『パルプ・フィクション』『いのちの食べかた』

 なお、アニメでも漫画でもないが、本作が好きな人にすすめたい作品としては、
 まず映画ではもはや、古典ともいえる地位を獲得しているタランティーノの『パルプ・フィクション』は高い確率でハマるだろう。人が乱暴にしんでいく作品としては、まず多くの人が挙げるものだろうと思う。
 また、私個人のおすすめとしては、ドキュメンタリー映画『いのちの食べかた』をぜひおすすめしたい。『ぼくらの』に続けて、このドキュメンタリーをみたひとは、確実にゾッとする体験をあじわえるのではないか、と思う。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 32
ネタバレ

Witch さんの感想・評価

★★★★★ 4.6

表の顔は「SFの名作」→本質は「運命に翻弄される少年少女たちの群像劇」/2023/6/28原作読了分追記

【レビューNo.61】(初回登録:2023/5/27)
コミック原作の2007年作品。全24話

(ストーリー)
自然学校に参加した15人の少年少女たちは、海岸にある洞窟で「ココペリ」と
いう謎の男と出会う。そして彼にゲームに誘われる。ゲームというのは、少年
少女たちがロボットを操縦して地球を襲う巨大な敵を倒していき、地球を守る
というもの。
兄のウシロからゲームへの参加を止められたカナ以外の14人は、ゲームに参加
を決めココペリと「契約」を結ぶ。契約すると敵と自分たちの巨大ロボットが
出現し、少年少女たちはロボットのコックピットに転送される。
そう、これはただのゲームではなかったのだ。しかもそれは序章に過ぎず戦闘
を重ねるにつれ、少年少女たちはゲームの真の意味を目の当たりにすることに
なる。

(世界観)
ネタバレになるが、ちょっとこの辺の情報がないと説明しにくいので
{netabare}・舞台は2030~40年の日本。この世界には平行世界の地球が存在し、敵ロボッ
 トの正体は同じようゲームに参加させられた平行世界の住人が操縦している
 もの。戦闘はその時によりホームorアウェイが戦場となる。
・このロボット同士の戦いは並行世界同士の存続を懸けた戦いであり、敗北は
 その世界の地球を含む宇宙の消滅させることを意味する。
 (戦いの目的は、「宇宙の未来の可能性の淘汰」「ただの自然現象」?!)
・勝利条件は相手ロボットの急所を破壊すること
 → 実はロボットのコックピットで、つまり相手のパイロットを殺すこと。
・ロボットの操縦には契約者のうち1人が選ばれる。選ばれるパイロットには
 事前に啓示がある。
 (戦闘終了後に次のパイロットが決まり、次の戦闘まで時間的猶予はある)
 そしてこのロボットのエネルギー源は「パイロットの生命力」。つまり戦闘
 で勝利しても、パイロットは確実に死亡する。それを拒否し逃げ出しても、
 48時間以内に勝利しないと、やはりその世界の地球を含む宇宙の消滅させら
 れてしまう。つまり
 ・勝利を収めパイロット1人が犠牲になるか
 ・敗北または決着つかずで全人類が滅びるか
 の2択しかない
・ココペリは別の世界からきた最後の生き残り。次の世界にこのゲーム引き継
 ぎにやってきた。
 こうやって舞台となる地球を変えて、このゲームは続いていく。
・また作中にはサポート役のコエムシなるマスコットっぽい生物が登場する。
 (まどマギのキュゥべえ的な?){/netabare} 
こうやって設定を見るとホント救いようのない作品で、「鬱アニメ」として名
高い所以ですね。

(評 価)
・本質は「運命に翻弄される少年少女たちの群像劇」
 ・一見すると「ロボット大戦メインのSFモノ」のように思いますが、本質は
  パイロットに選ばれた少年少女たちの人間模様を描いた群像劇にあります。
  {netabare}上述の通りパイロットに選ばれた時点でその者は「死亡確定」です。
  そして作中の少年少女たちはカナ(小4)を除き、全員まだ中学1年生です。
  そんな突然我が身に降りかかる理不尽な運命に対し、何を思い悩み、どう
  決断して戦闘に立ち向かうのか?
  → 全24話構成なので(未契約のカナを除く)14人について、余すことな
    く各々の人間ドラマを掘り下げていきます。
 ・この事態をやがて世間も知ることとなり、今度は大人たちのドラマも動き
  出します。
  わが子を守るために奔走する親たちの一方で、オーバーテクノロジーの独
  占を企てる権力者の陰謀等、人間の醜悪な面についても描写されています。
 ・また作中では、コエムシ・ココペリといった前地球での回想も入ります。{/netabare}

・巨大ロボットのリアリティのある戦闘描写
 ・この巨大ロボットは昆虫のような黒いボディで全長は500mもあります。
  そしてこの世界のロボットは「ジアース(Zearth)」と名付けられました。
 ・レーザーを発射できるがロボットには効果がない模様で、ほぼガチの肉
  弾戦になります。
  敵はノコギリ状の刃物や触手っぽい武器を有しているロボットもいるが、
  ジアースは殴って、蹴って、相手を押し倒し、力づくで装甲をはぎ取り
  急所を抉り出すというかなり無骨な戦闘スタイルです。
 ・ロボットは3DCGのリアルな映像で描かれ、結構動きが緩慢な点が特徴的
  です。監督曰く
  「全長500mもの巨大物体が俊敏に動けるわけがない(ガンダムで20m)」
  というこだわりからのようで、確かに説得力はありますね(笑)。
  パイロットが操縦に不慣れな点や上述戦闘スタイルと合わせ、リアリティ
  のある戦闘シーンに仕上がっていると思います。

・場外乱闘が凄かったらしい
 私はリアルタイムで観ていなかったので、このレビューのためにいろいろ
 調べていると、
 「監督 VS 原作者他の場外乱闘」
 がかなり凄かったようですね。
 ・アニメ企画時は連載中ということもあり、監督が原作者から続きを聞いた
  うえで自由につくったとのことですが、何かと行き違いがあったようです。
  ・原作は残酷さや性的な描写がもっと過激な「鬱要素」の強い作品だった
   ようですが、監督の好みではなかった。
   {netabare}特に原作は生存者0らしいが、紛糾の末アニメではカナだけが生存。{/netabare}
  ・上述の戦闘シーンも、原作者は「戦闘の緊迫感を欠き不満である」と漏
   らしている。
  ・で、監督がブログで
   「自分は原作が嫌いだから原作に悪意をった改変を加えている」
   と発言。また
   「原作の魅力はアニメで再現されないから、原作ファンは観ないように」
   と追い打ちw
   → 当然原作ファンは激怒 → 炎上し監督が謝罪する事態に!
     (でも改変はやめないw)
 ・そんな感じでパイロットの順番の違いから始まり、アニメ後半はほぼオリ
  ジナルストーリーとなっている模様です。
  (その他親の職業等いろいろと改変があるらしい)

上述の通りいろいろあったようですが、原作未読の私としてはアニメ版でもか
なり良くできた作品かなと思います。
この年だと以前レビューした「クレイモア」を始め、「天元突破グレンラガン」
「電脳コイル」他見応えのある2クールアニメが結構制作されていたようですね。

OPは石川智晶の「アンインストール」と、アニソンではかなり有名な曲じゃ
ないですかね。
(石川智晶はEDも担当)

(追 記)
この原作も、なんとうちの図書館にあったんだなぁ~これがw
予約も取れたので、来週位から原作も追いかけようかと。

(2023/6/28追記)
原作読了。(全11巻)
たしかに途中まではアニメより「鬱要素」の強い作品ではありますね。
面白いところだと、「ジアース(Zearth)」に搭乗する彼らは、この地球を守る英
雄的存在のはずですが(ホームでの戦闘の場合)この戦闘に巻き込まれて亡くな
った方もいるわけです。
その遺族からすれば、彼らは憎むべき存在であり、彼らの実家に放火するなど過
激な行動に出る遺族も出てきます。
なかなか深い視点ではあります。
あと意外だったのは、終盤になると「鬱要素」は和らぎ、
{netabare}・残ったモノが死んでいったパイロットの遺族を訪ねて回る
・まさかの告白イベント
・コエムシが年長者らしく、献身的にフォローを始める{/netabare}
等結構ハートフルな展開が描かれています。
この辺りはアニメ化以降に描かれたものになりますが、原作者も思うところがあっ
たのかも。

個人的には、(場外乱闘もありましたが)アニメにも原作にもそれぞれの良さがあ
り、どちらも評価できる作品だったなと思います。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 13

88.3 2 鬱アニメランキング2位
ひぐらしのなく頃に(TVアニメ動画)

2006年春アニメ
★★★★☆ 3.9 (4985)
22016人が棚に入れました
舞台は、鹿骨(ししぼね)市にある雛見沢村と呼ばれる、人口2,000人に満たない寂れた村である。過去に、この村はダム建設による村の水没を、村民の団結した行動で阻止しており、村の連帯感は今も強固である。
ダム建設計画の無期限凍結から5年後の昭和58年、前原圭一はこの村に引っ越してくる。彼は、持ち前の性格と明るさで、新たな学校や友人に打ち解けていく。
しかし、そのまま楽しく平和に過ぎていくと思われた日常は、綿流しという祭りの日から、様相を変えていくことになる。
過去4年連続で、綿流しの日に起きたという怪死事件。そもそも、雛見沢村にはどんな秘密があるのか…。

声優・キャラクター
保志総一朗、中原麻衣、ゆきのさつき、かないみか、田村ゆかり、茶風林、大川透、伊藤美紀、折笠富美子、小林ゆう、関俊彦、かわむら拓央、鶴岡聡、松元惠、瀧本富士子、尾小平志津香、井上喜久子、廣田行生、こぶしのぶゆき、立木文彦、塚田正昭、樫井笙人、小野大輔、水野理紗、金田アキ、宝亀克寿、くじら、渡辺美佐、松本保典、松井菜桜子、中野元、須加みき

nk225 さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

『ひぐらしのなく頃に粋』は、ラノベ約30冊分のテキストと全キャラフルボイスで送る完全版

◆プロローグ
昭和58年初夏。 例年よりも暑さの訪れの早い今年の6月は、昼にはセミの、夕暮れにはひぐらしの合唱を楽しませてくれた。ここは都会から遠く離れた山奥にある寒村、通称“雛見沢村”。人口2千に満たないこの集落で、それは毎年起こる。

―― 雛見沢村連続怪死事件 ――
毎年6月の決まった日に、1人が死に、1人が消える怪奇。
巨大ダム計画を巡る闘争から紡がれる死の連鎖。
隠蔽された怪事件、繰り返される惨劇。
陰謀か。偶然か。それとも――祟りか。
いるはずの人間が、いない。いないはずの人間が、いる。
昨夜出会った人間が、生きていない。そして死んだはずの人間が、生きている。
惨劇は不可避か。屈する他ないのか。
でも屈するな。
運命は、その手で切り開け。

■鬼隠し(おにかくし)編
都会から田舎の雛見沢に引っ越してきた前原圭一は、同級生の竜宮レナやクラス委員長の園崎魅音たちと賑やかな、楽しい毎日を過ごしていた。都会にはなかった、充実した時間を満喫する圭一。

――しかし、村の伝統祭である「綿流し」を目前にして、彼は村を訪れたカメラマンの富竹から村の過去について聞かされる。そして、仲間たちはなぜか、その事を秘密にしていることに気づく……。

■綿流し(わたながし)編
偶然入ったファミレスで圭一は、そこでバイトしている魅音とばったり出くわした。いつもの男勝りな彼女と違い、かわいらしい衣装に驚く圭一。しかしレナは、それが本来の魅音の姿なんだと言って、意味深な注意を投げかけた。

そして綿流しの日、圭一は意外な人物からの誘いを受けて、古手神社の祭具殿に忍び込むことになる。しかしそれは、村でも禁忌とされていた行為だったのだ……。

■祟殺し(たたりごろし)編
ちょっとした意地の張り合いで起こった勝負をきっかけにして、圭一は下級生の北条沙都子と仲良くなる。行方不明になった兄を気丈に待ち続ける彼女のことを知った圭一は、沙都子の兄代わりになろうと心に決めて世話を焼くことに。くすぐったいような、あたたかい日々。

しかしそんな安らぎの時間は、邪な闖入者――沙都子の叔父・北条鉄平によって無残にも打ち砕かれる。徐々に心が崩壊していく彼女を見かねた圭一は、ある決断を下した……。

■染伝し(そめうつし)編
夏美たち一家が興宮から垣内に引越してきてから、およそ一年が経った。はじめは慣れない都会の生活に戸惑っていた夏美も、今では仲良しの友達と一緒に遊びに出かけたり、アルバイトをしたりと楽しい毎日を送っていた。

そんなある日、夏美は憧れていた同級生の暁から告白される。有頂天になって喜ぶ夏美だったが、通りがかったTVのニュースで彼女は、郷里の雛見沢で起こった凶事を知る。それをきっかけに夏美の周囲には、不穏な影が落ちはじめていった……。

■暇潰し(ひまつぶし)編
昭和53年。警視庁公安の刑事・赤坂衛は、建設大臣の孫が誘拐された事件の捜査に駆り出される。そして、その犯人が潜伏している可能性のある場所のひとつ、雛見沢地区を訪れることとなった。

その集落は、数年後に建設されるダムによって水没することになっており、住まいを奪われる村人たちの反対運動が繰り広げられていた。そこで彼は老刑事の大石、そして不思議な少女「古手梨花」と出会う…。

■目明し(めあかし)編
昭和57年。全寮制の学校を抜け出した詩音は、生まれ故郷の雛見沢へと戻ってきた。本来ならば彼女は家の掟により、村で生活することを許されない立場であったが、生来の機転と周囲の人々の協力で興宮で新生活をスタートさせる。

そこで彼女は、とあることをきっかけに優しげな顔の少年、悟史と知り合う。詩音は彼に惹かれてゆくが、二人の間には厚い壁が立ち塞がっていた…。

■異本・昼壊し(ひるこわし)編
とある放課後。レナは圭一と一緒にゴミ山での宝探しを楽しんでいたが、ふと空を見上げた拍子に、空から降ってきた「何か」を飲み込んでしまう。心配して気遣う圭一だったが、特に異常もなく帰宅することに。

一方同じ頃、古手神社ではちょっとした事件が起こっていた。神社の秘宝「フワラズの勾玉」が封印を解かれて、消息不明になってしまったのだ。その行方を探す梨花と沙都子だったが、そのひとつの居場所を突き止めて仰天する。なんとそれは先日、レナが飲み込んだ「何か」だった…!

■影紡し(かげぼうし)編
昭和58年。悪夢のような雛見沢ガス災害発生から数日後、赤坂は旧知の老刑事、大石の訪問を受ける。そこで彼から、今回の災害に不審な点があることを聞かされて、二人は共同でその謎について調査を開始した。

そして、捜査先の垣内市の女警部、巴の協力を得て雛見沢の出身者へ聞き込みを行う赤坂たちだったが、その相手が次々と変死する事件に巻き込まれて、調査活動は予想外に難航することに。一方、雛見沢御三家の少女『公由夏美』もまた、今までの生活に黒い変化が訪れていた…。

■罪滅し(つみほろぼし)編
いつものように大騒ぎを繰り広げ、楽しい時間を過ごす部活メンバーたち。しかし、レナは自分の家庭に突如降り掛かった不幸に悩み、苦しんでいた。平和で幸せな日常を取り戻すため、ついにレナは悲しい決断をする。 そして、偶然その凶行を知ってしまった圭一たちは、仲間として力になると誓い合い、彼女に手を差し伸べる。

一度は圭一たちを信頼しようと思ったレナだったが、その後も罪の意識と身の回りに起きる不可解な現象に苛まれ続け、やがて…。

■皆殺し(みなごろし)編
雛見沢に引っ越してきて以来、圭一は持ち前の行動力と優しさで村でも評判の人気者(ひょうきん者?)になりつつあった。綿流しのお祭りでも大役を任され、張り切る圭一とそれを戸惑いながら見守る梨花。

ところがそんなある日、しばらく行方をくらましていた沙都子の叔父、北条鉄平が帰って来て、彼女を連れ帰ってしまった。その男が過去、沙都子にひどい仕打ちをしていたことを知る圭一と部活メンバーは、彼女を助けたい一心で奔走する。そして、梨花は…。

■宵越し(よいごし)編
昭和58年6月に発生した火山性ガスの噴出により、一夜にして住民の大半が死亡・行方不明となった雛見沢地区。その後、村の一帯は厳重に閉鎖されていたが時代は平成へ移り、20年余りを経てようやく閉鎖が解除された。

そして平成18年のある日、オカルトライターの荒川龍ノ介はとある女性フリーライターと同伴して取材のため、雛見沢地区を訪れた。雨の降りしきる中、彼らはそこで車を発見する。が、その中にいた人はみな死んでいた。急ぎ警察に連絡しようと村の集会所跡を訪れた荒川たちは、そこで…。

■解々し(ときほぐし)編
昭和57年、秋。南井巴は警察庁の準キャリアとして、垣内署に出向していた。ある日、以前の勤務地である茨城県警の管区内で起きた不可解な怪死事件を偶然知った巴は、顔なじみの少女尾崎渚に依頼されて捜査を開始する。そして、渚と被害者がとある学校内で起きた傷害事件に深く関わっていたことを受けて、その加害者である少女…竜宮礼奈の転校先、雛見沢地区を訪れた。

親交のある老刑事、大石の口から語られる雛見沢地区の謎と、「オヤシロさま」の存在。さらに彼女は、平穏に暮らしているはずの礼奈が隠し持つ「別の顔」を目の当たりにすることになる…。

■祭囃し(まつりばやし)編
祖父の夢を叶えることを願い続け、強い意志とともに努力を重ねてきた彼女は成長して、ついに運命をつかむ「力」を手に入れた。その、神をも恐れぬ彼女の覚悟を悟った「少女」は、ようやく傍観をやめて自ら舞台へと上がることを決意する。

そして新たな部活メンバーとして圭一たちの仲間に加わり、絶望的だった梨花の運命を切り開くために彼らに協力を求めるのだった。強固に閉ざされた、未来への扉。その先に待っていたのは希望と、そして…。

■澪尽し(みおつくし)編 表・裏
前の世界で、ついに敵の正体を突き止めた梨花。…しかし、かすかな希望を胸に秘めて目覚めた次の世界では、常にそばで支えてくれた「彼女」の姿がどこにも見当たらなかった…。

一方、その行動力と意気の良さで今や村中の人気者となった圭一は、魅音から委員長の座を譲られる。期待と信頼を込めてお祝いする部活メンバーたちだったが、なぜか梨花の様子がおかしいことに圭一は気づく。そんな彼の想いを知った梨花は、ある決心を固めてずっと隠し続けてきた秘密を打ち明けた…。

■賽殺し(さいころし)編
ようやく取り戻した平和な日常。だがそんなある日、部活メンバーとプールに出かけた梨花はその帰り道、交通事故に遭ってしまった。そして次に梨花が目覚めた世界は、今までとは全く違った事実で構成された異様な「雛見沢」だった。

死んだはずの両親が生きていて、仲間たちの様子もおかしい。なによりも、自分のそばに羽入がいないのだ。初めての体験に戸惑いと恐怖を覚えながら、梨花は元の世界に戻るための調査を開始する…。

■言祝し(ことほぐし)編
雛見沢が、鬼ヶ淵村と呼ばれていた遠い昔。「少女」は使命を帯びて剣を携え、人里に跋扈して暴威をふるう「鬼」を狩っていた。全ては自らの身体に流れる「血」に課せられた、一族の罪をあがなうため…。

そんな想いを胸に抱いてひとり悲壮な戦いに身を投じていたのだが、ある日彼女は人間の青年と出会い、恋に落ちる。そして子供を授かり、今まで想像もしなかった平和な日常を手に入れた。…だがその後、村に鬼が出没するという噂を聞きつけた彼女は、再び剣を取って立ち上がる。それが、全ての悲劇の始まりであった…。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 5
ネタバレ

kazunyanzu さんの感想・評価

★★★★★ 4.6

グロも怖も、萌えも笑いも…あなたしだい…|ョω・。)

◆原作ゲーム 全26話 原作未プレイ
◆ジャンル ホラー ミステリー 

ひぐらしのなき声が… 聞こえてくる―
古きから代々その土地の名残を残す、昔ながらの原風景
人里離れた 人々がひっそりと集を築き暮らす小さな村がある

そう…そんな平穏な村、ここ「雛見沢」にて”-それ-”は起こる…

古より村にまつわる因習「綿流し」
それに準えられた、忌まわしき謎の連続怪死・失踪事件…

この悲惨な事件、悲痛な運命から… あなたは目をそらさずにいられますか?



はじめに、
前々より気になっていた作品でしたが、
当サイト、レビュアー様より厚いご紹介を受け
この度視聴にこぎ着け、本作に出会えることができました
このサイトと、ご紹介頂いた、たくさんのレビュアー様に
心より深い御礼の気持ちをここに書き記させて頂きます (。-人-。)



まず参考までに本作視聴に挑んだ、私の属性を((Ф(・ω・`)カキカキ

グロ⇒〇 怖い⇒◎ 鬱⇒(*'σ∀'*)? 
貞子⇒好き 虫さん⇒嫌い コナン⇒Fun♪



さっそく、観てみると…
その異様なまでの”暗”や”鬱”といった雰囲気に
ものすごい恐怖感を覚えます((((;゚;Д;゚;))))ブルブルブルブル
OP曲とその画の雰囲気からして完全にやられてしまいます…

当然のことですが、普段、私がよく使う
”やられてしまう(ノ∀`◍)”とは全く持って別の意味合いになりますw※


ところが、本作、ビックリするほど”明”と”暗”が
くっきり分けられれおりまして、日常パートとでも言いますか、
ゆるゆるの萌え萌えなシーンが多々がありまして…


しかしながら、正しくそれらが巧妙に仕組まれた
本作の”恐怖”への増幅に繋がっているのでは?と私は思います!

そう、何かと日頃より、温厚でいつも笑っている様なヒトって
よくこんな風に言われがちではないでしょうかネ?

「あのヒト普段優しいけど… 怒らせたら、絶対怖いよねぇ~(*´ノд`) ゚Д゚)ヒソヒソ

を引き起こすアレである♪w


そう…、日頃の暖かい、明るい、笑顔… その表情が一変し、曇った瞬間…
それはとてつもない形相に変わっていて、((((;゚;Д;゚;))))カタカタ
本作ではその表情の移り変わりが
物の見事ににコチラに莫大な”恐怖”を生み出しているのであります!


人間の心の闇… 、妬み、怨み、憎しみ

そういった激しい憎悪がグサグサと伝わってくる描写と、
それに加え声優さんの迫真の演技が相まり、観てるコチラがもう…
しどろもどろになってしまうほど… 圧倒されました!!!



そして、なんといっても秀逸なのが毎話毎話の幕引き!!

次から次へと話しが広がり、謎が謎をよび、興味をひきたてられては
そ、そこで終わるのか━━(;゚Д゚)━━!! と続きが気になって仕方なく
途中で視聴を中断する隙を与えてくれません!!!

おかげで夜も眠れません( σω-)ヾ(・ω・`)イツモダヨネ

それどころか、仕事中も気になって、考えては、
早く家に帰らせてはくれまいかと…、
家に帰ってTVのスイッチをONにさせてはくれまいかと…
そんなことを悶々と思う日々を、つい一ヶ月程前に、私過ごしておりました

これもきっと○○○○候群の症例の一つだったのだと
考えれば全て合点がいくというものです|ョω・)ヾ(・ω・`)イヤカンケイナイヨネ?


しかし今後もし、今作を視聴される方がいらっしゃるのだとしたら
くれぐれも、先んじてお伝えさせていただきたい!!

本作、そして、二期の解、合わせてご視聴頂くのが”MUST”な
内容でして、一期、二期合わせて、全50話、時間にして約20時間!

それゆえ、わりかしまとまった視聴時間の確保! これは急務と思われます
中々1話1話ちょこちょこ、こまめに観るスタイルのできない作品と
存じますのでこの点についてはくれぐれもお気をつけ頂きたい!!

私の様に”寝不足”という名の病で心身を患われてしまわぬよう(´ぅω-)
もちろん、適度な休憩をはさむことも忘れずに!!

「警告は二度はない… 守らなかった時は… あなた次第… 」

正にその通りでありますぞ(`*・д・)ゞ



様々な波紋を呼んだ本作、緻密に練られたストーリー構成に
もはや何を書いてもネタバレになってしまいそうで
レビューの扱いも一際気を張ってしまいがちですネ_((Ф(・ω・`)

そんな訳で
ほとんどお話しの寛容については触れておりませんでしたが
1点だけどーにも書きたいシーン、私が一番印象に残ったシーン
それに対する私の想いを書いてしまいました… 。゚(゚´Д`゚)゚。グワァァ



{netabare} そう…それは【目明し編】にて

『詩音』たんが発狂ヾ(`Д´*)ノしとち狂い、
『沙都子』をはりつけにして、ナイフで”グサグサ”と滅多刺しにする
あのとてつもなく胸が…心が…えぐりとられるシーンであります!!

元より、私が『沙都子』と『梨花』ちゃまを一際、気にかけ視聴している
点については、今更語るまでもないと思いますが

そこでの『沙都子』の姿に思わず…私 。゚(゚´Д`゚)゚。崩壊



―まだ幼くして『沙都子』はとてつもない苦労をしいらてれきた…

両親や、親戚との境遇しかり村中の人々からも
蔑まれ、酷い、悲しい現実を送ってきた
それでも彼女は必死に前を向き”今”を生きていく

支えてくれる仲間、そしてなにより
心の拠り所となってくれている大好きな「にぃにぃ」がいてくれるから

何があっても、どんな時でも「にぃにぃ」だけは
『沙都子』の味方でいてくれる… 
彼女にとって、「にぃにぃ」 の存在は
はかりしれない程大きく…大切なモノであったに違いない…

彼女はその存在に甘えた―
うーんと甘えた… 嬉しかった…優しかった… 大好きだった…
もうすがりつくことをやめられなかった…

でも…彼女はそんな大切な存在まで奪われてしまう―
そんな現実から何度と目を背けたくなったことだろう…

それでも彼女は…今も、強く、強く信じている…
「にぃにぃ」は必ず帰ってくると…

そう…彼女は
自分が「にぃにぃ」を追い詰めてしまっていた…

そんな現実さえも気づいていた…
大好きな「にぃにぃ」を自分が苦しめてしまっていた―

そんな悲しい現実に気づいた時、彼女はどんな気持ちであっただあろう…

それでも、そんな現実さえも受け止め、 悔み… 
そしてもっと、もっと強くなる…と

こんな困難にも屈しない一人前になった姿を
帰ってきた「にぃにぃ」に見せてあげるのだと…

まだ幼い…こんなか弱い少女が、こんなにも強くあろと…

必死に、前を向いて生きているのです…


いいんだよ… いいんだよ…。゚(゚´Д`゚)゚。
幼い頃なんてみんなそう… いや大人になった今だって… 
誰だって、甘えたいし、甘えちゃう…
誰かに寄りかかってそうやって生きていくもの…

それなのに『沙都子』は… 『沙都子』は…

お願いだから… お願いだから『沙都子』だけは助けてあげてッ!!
それだけは… それだけは… と何度願った事でしょう…。゚(゚人Д`*゚)゚。


正に私は ”心がえぐりとられる”感覚を味あわされることとなり
そして私はここで決心するのであります―

例え『悟史』がもうこの世に生を授かっていなかったとしても…
もしそんな悲しい現実があったのだとしても… その時は

私が『沙都子』の「にぃにぃ」となりかわって、
彼女の笑顔を日々絶やさぬ様、一生支えていく事を…!!!

決意した瞬間なのでありました―



…ん!?  ちょ、真摯に拝読頂いてる そこのお方!!
若干引いておられやしませんか|ョω・)? 大丈夫でしょうか…!?w {/netabare}


という訳でご覧のように本作にどっぷりハマりこんでしまった
様子を書いてしまいましたが、私としてはまだ本シリーズについて
書きたいことの1/3も書いておりません!!

だってまだ本作のお約束名セリフの数々を私一言も発しておりませんもの(o´艸`)
いつものコーナーも先送りですネ(o*゚∀゚)o*ウズウズw



まとめて
何かとグロ描写に敬遠されてしまう方もいらっしゃると存じます…
もちろん、そういった描写が含まれ、
見るにたえないシーンがありますので苦手な方には断じてオススメできません!! 

ですが何より、本シリーズ通しての物語の巧さ、
その根底にある親密なテーマ、そしてその問いかけに気づき
全てが解決へと導かれたその暁には…
きっと素晴らしい高揚感を味わえることではないでしょうか?


グロ耐性に自信のある方にはぜひ一度は視聴に挑んで頂きたい!!
ホラーミステリー(萌)の傑作だと思っておりますヽ(*´∀`)ノ

投稿 : 2024/06/01
♥ : 67
ネタバレ

ココ吉 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

グロ怖なのに続きが気になるのですよ。にぱ~☆

原作ゲーム未プレイ◆全26話◆
あにこれユーザーの方にオススメして頂いた作品。

【前置き】

昭和58年6月、人口2千人弱の雛見沢村での
綿流しの祭り後に毎年起こる連続怪死・失踪事件
の顛末を描いたサスペンスホラー。

【感想】
{netabare}
まず最初に,この作品のレビュータイトルにもなって
いますが,「グロくて怖いけど続きが気になる作品」
これがこの作品の最大の魅力であり,最大の売りだと
思います。

まぁ,グロかろうが怖かろうがエロかろうが
視聴者に「続きが気になる!」と思わせられる事は
アニメ視聴継続においての重要なファクターであり
良作たる所以なんだな,と改めて感じました。

簡単にですが,どう魅力的なのかを語ると
疑心暗鬼に陥った時の人間の怖さ。
そして怨みやつらみ,妬みの感情を宿した人間の怖さを
キャラクター達に上手く表現できている所でしょうか。

そんな人間誰しもが人生経験を積んでいけば多少なりとも
経験する事(味わうと表現した方が適切かも?)があるで
あろう感情を古来からの風習の綿流し祭や風土病など,
あたかも「実際にありそう…」と思える様なイベントを
織り混ぜる事によって,より一層リアル感が増してくる
ストーリーは秀逸でした。


1期全エピソード
「鬼隠し編」「綿流し編」「祟殺し編」
「暇潰し編」「目明し編」「罪滅し編」と,
パラレルワールド(並行世界)形式で様々な
バッドエンドを見せつけられるのでグロ&鬱耐性が
ないと厳しいかもしれません。
特に目明し編の爪剥ぎと拷問の描写はスンゴイ!

グロ耐性がそこそこあると思っていた自分も
『おぉ…ふ…』と
目を被いたくなってしまったのはナイショの話w
(ご飯を食べながらの視聴はオススメできません)

ですが,
1期を最後まで視聴された方には是非とも
2期(解)の最後まで観て欲しい作品。
解の最後まで観てみると,とても壮大な
ストーリーだったという事がよく分かります。

やっぱり,パラレル形式を取り入れた作品は
見応えがあってキャラの一人一人に感情移入が
し易いので個人的に好きだったりします。

この作品を1期だけで評価するのは少々難しい。。。
そんな風に思えた作品でした。



【お気に入りキャラ】

『竜宮 レナ』

好きになった理由?

そんなの…もちろん
ビクンビクンさせてもらったからです♪

とまぁ,冗談はさておきw

一番の理由は
彼女の心情や行動にある程度の共感を覚えた事。
普段はほんわかしていて「かぁいいもの」が大好きな可愛い
女のコなのですが,実際は頭が良くてとても仲間思い。
でも,スイッチが入ると……観る側をトラウマに陥れてし
まいそうになるぐらいのギャップが個人的にツボでした♪



◆OP曲 「ひぐらしのなく頃に」
歌:島みやえい子

◆ED曲 「why, or why not」
歌:片霧烈火

OP,EDともに作品の世界観に合っていました。
特にOPの歌詞を見ながらストーリーを振り返り
思い出していてゾクッとさせられた事もしばしば。
ただ,近年の2クール作品の主流
(前期,後期で曲がチェンジ)に慣れてしまってるせいか,
曲が1曲ずつしか用意されていないのが少々惜しく
感じられました。
{/netabare}


【ここからは余談】

※単なる聖地巡礼してきたよってだけのお話。
興味がある方だけ読んでいって下さいまし♪
{netabare}
今年の1月に雛見沢村のモデルになっていた
岐阜県大野群白川村に旅行で近くを通りかかったので
そのまま足をのばして行って来ました。

先ず到着して最初に思った事…。

『くっそ寒いッッ!!』

雪が積もった山間部の寒さ,半端ない!!
それもそのはず,作中の初夏(6月)とは違い
真冬なんだから当たり前の事ですよねw
でも,あたり一面に雪が積もった白銀の世界は
魅力的であり,それはそれは幻想的でした。

僕の住んでいる地域では雪が積もっている光景を
目の当たりにする事自体,とても珍しいのでしばしの間
(20分ぐらい)寒さと年齢を忘れて同行してくれた相方と
共に雪遊び(雪のかけあいっこ)に興じてしまいました。
そう,まるで真夏のビーチで恋人達がはしゃぎながら
やるお決まりのアレ,みたいなもの。
周りの目も気にせずにw

心の中で「フゥ…この辺にしといてやるぜ」と
ひと通り雪を堪能した所で探索を開始する事に。

作中に出てきた から葺き屋根の家や水車,入江診療所の
モデルになった建物などをアニメと同じアングルで見つ
けられた時の感動はひとしおでした♪
嬉しくてついついデジカメとスマホの二刀流で
パシャパシャと写真を撮りまくってしまう始末。

そして僕が一番見たかった古手神社のモデルに
なった白川八幡神社にたどり着きました。
一応形だけでもと思い,参拝を済ませてから
境内を見回る事に。

境内を歩いていると
梨花ちゃまの「にぱ~☆」や羽入の「あぅあぅ」が
どこからともなく聞こえてきそうなぐらいアニメと
まんま同じだったのでかるく鳥肌モノ。

制作スタッフのロケハン活動がいかに丁寧に
なされていたかがよく分かった瞬間でもありました。

その後に祭具殿(何か怖かったのでパッと見で済ますw)や
梨花ちゃまと沙都子が住んでいた家を見てからふと腕時計に目をやると帰る時間が差し迫っていました。

今回,少し残念だった事は…
雛見沢分校のモデルだった建物が既に取り壊されていた
事と時期的にひぐらしの鳴き声が聞けなかった事の二点
でしょうか。

『あぁ~あ,分校見たかったし鳴き声聞きたかったぁ…』
と,柄にもなく感慨深げに分校跡地を眺めていたら
いつもの妄想スイッチ(悪い癖?)が発動しました。

~~妄想中 その1~~

もしも,ひぐらしの鳴き声をBGMにして
レナちゃんに背後に立たれてから唐突に
『ねぇ,ココ吉君…ちょっといいかなぁ?かなぁ?』
なんて話しかけられた日にゃ……
きっと僕はもぅ…(;´Д`)ハァハァ

そんでもって『嘘だッ!!』まで頂いた日にゃ……
きっと僕はもぅ…(;´Д`)ハァハァ

このシチュ…,かなりビクンビクンできて完全に
ご褒美じゃんよ♡ 住民票移しちゃう勢いじゃんよ♡
雛見沢症候群レベル5発症しちゃうじゃんよ♡
ん~ッ♪♪ 堪らん!!

~~妄想中 その2~~

あと,レナちゃんに「おっ持ち帰りぃ~」される
シチュも魅力的……いや,待てよ?
ここは男として正々堂々と僕がレナちゃんを
お持ち帰りするべきなのかしら?・・・ぶつぶつ・・・。
はぅぅ~,鉈ブンブン丸ぅぅ♡・・・ぶつぶつ・・・。

↑なぁ~んて,俺得な妄想でブヒブヒしていたら
相方から『また一人の世界に入ってたでしょ…?』
と,ジト目でかるくツッコまれてしましたが,
表情はあくまでもCOOL。

そんなやり取りをしていると,既に帰りの
予定時刻をかるくオーバーしていました。
スケジュール的な都合で滞在時間を少しだけしか
とれなかったので全てを網羅する事は叶いませんでしたが
作中では描かれなかった「冬の雛見沢」をバッチリと堪能
する事ができた意味は大きかったと言えます。

もし,次に行く機会があれば作中と同じ
6月に馳せ参じて是非とも僕の淡い妄想の実現を
はかりたいものですね( ・`д・´)キリッ★


最後に

概ね満足のいく「行って良かった」と
心から思える聖地巡礼になりました。
ひぐらしファンなら機会があれば,一度足を運んで
みるのもアニメとはまた違った発見や新しい驚きに
出会えるかもしれません。

そんな風に思えた今回の寄り道(*´ω`*)♪

長々と綴った駄文に最後までお付き合い
下さいました紳士淑女の皆様方に感謝申し上げます。
ご清聴ありがとうございました。



おわり
{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 61

82.3 3 鬱アニメランキング3位
無限のリヴァイアス(TVアニメ動画)

1999年秋アニメ
★★★★☆ 3.8 (959)
5793人が棚に入れました
2137年、大規模な太陽フレアによって出現した高密度のプラズマ雲が黄道面を境に太陽系の南半分を覆いつくし、地球も南半球が壊滅、17億もの人命が失われる被害を受ける。このフレアは「ゲドゥルト・フェノメーン」、プラズマ雲は「ゲドゥルトの海」と名付けられた。2225年、地球の衛星軌道にあった航宙士養成所リーベ・デルタは何者かの襲撃によって制御不能になり、ゲドゥルトの海へ突入してしまう。しかしその時、リーベ・デルタ内部に隠されていた外洋型航宙可潜艦「黒のリヴァイアス」が起動した。教官たちは全員殉職し、リヴァイアスに避難できたのは少年少女ばかり487人。彼らはなぜか自分たちを救助してくれるはずの軌道保安庁から攻撃を受け、戸惑い、混乱しつつもこれと戦い、そして更には密閉された極限状態にある艦内では、艦の指揮権や物資の配給を巡り少年少女同士が陰惨な争いを繰り広げながら、火星圏から土星圏、天王星圏へと当てのない逃避行を続けていく。

声優・キャラクター
白鳥哲、保志総一朗、関智一、桑島法子、丹下桜、氷上恭子、檜山修之

アラジン♪ さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

【ネタバレ有】 「100人中1人が“100点”をつける名作!」

 
 100人中90人が、80点以上をつける作品は、間違いなく名作と言っていいだろう。

 しかしこの作品は、100人中1人が“100点”をつける名作である!


 (言いたいことが伝わっていないかもしれないが…)、普通は(自分もそうだが)―、物語がしっかりしていて、作画が綺麗で、声優の声が合っていて、音楽が良くて、キャラクターが魅力的で…、そんな作品を高評価にする、そんな作品を名作だと思うのが普通だろう…。
 
 そういう作品が、“大勢の人”から“高い評価を受ける”タイプの名作だと思う―。


 しかしこの作品は、(1999年制作ということもあって)作画には時代を感じ…、声優も、個性と言ってしまえば聞こえはいいが、実際のところ、最近の声優陣との力の差を感じずにはいられない。
 それでいて、物語やキャラクターからは“鬱要素”ばかり感じるのだから、この作品を高評価にする人はそれほど多くはないだろう…。

 けれどもこの作品は、この作品の“本当の魅力”に気付き、キャラクターの“弱さ”に共感し、声優の
“実力不足からくるリアルさ”を感じた人たち…、
 そんな“少しの人達”から“最高の評価を受ける”タイプの名作である―。



 (この作品を観たことがない人にも分かりやすいように、順を追って説明すると)、まず最初に、この作品には、他の作品とは絶対的に違う魅力が“2つ”ある。


 1つは、(この作品を観たことがない人でも知っているかもしれないが)、ここまでキャラを…、観ている視聴者を追い込むか…、と言わんばかりの、究極的なまでの“鬱展開”である―。


 (以下、簡単なあらすじ) ―主人公・“コウジ”たちは、航宙士(こうちゅうし)の資格を取るために、宇宙空間内の航宙士養成所:“リーベ・デルタ”で訓練に励んでいたわけだが―、目的不明のテロリストの襲撃により、養成所内の教官たち(=大人たち)は全員死亡し、残された訓練兵(=子供たち)487名だけが宇宙空間を(何か月もの間)漂流することになる…、という物語―。


 とまぁ、ここまで書いただけでも、察しの良い人なら分かると思うが―、
 ―大人たちのいない世界で…、救助はいっこうに来ず(というか、救助が来るのかどうかさえも分からず)…、確実に食料は減っていき…、長い集団生活でのストレスや不安…、そして理由もわからないまま敵の攻撃にさらされていく日々―。

 そんな追い詰められていく少年少女たちの精神状態に比例して、乱れていく“リヴァイアス”(=子供たちが乗っている宇宙船)内の秩序―。

 そうしてあらわになる極限状態での“人間の本性”や、ただ生きるために必死で、汚い人間、自分勝手な人間になっていく子供たちの“人間的な生々しさ”が描かれ―、そこに究極的なまでの“鬱要素”を感じるのだろう…。


 とにもかくにも、観ていてこんなに気分が悪くなったことはない。
 (後述もするが)、この作品に登場するキャラクターの中には当然、普通の環境下においては、頼りになる人、観ていて好感が持てる人など、多少の困難なら乗り越えていけそうなメンツがそろっている―。

 それでも、この絶望的なまでの困難な状況下においては、誰一人としてまともではいられない―。
 
 そうして一人一人が、徐々に壊れていく姿は、とにかく生々しくて…、リアルすぎて…、そこに、どうしようもない絶望感が感じられ、途中、観ているこっちもおかしくなりそうな“鬱展開”へと、ただひたすら進んでいくのである…(この気分の悪さは、観てみないと伝わらないと思う…)。



 また2つ目の魅力であり、この作品の一番の魅力が、何といっても主人公たち、キャラクターの“心の成長”である。

 まず何より―、ここまで深く、人々の“心理描写”を掘り下げて描いた作品は他にないだろう…(少なくとも自分が今まで観てきた作品にはない…)


 リヴァイアス内に閉じ込められ、宇宙を何ヵ月もの間漂流する間に、様々な困難に立ち向かいながら、信じられないほど一人一人が成長していく…、わけだが―、
 ―この作品の良いところは(というか、むしろ観ているこっちとしては、それが逆に、メンタル的にきつかった理由なのだが…)、
 全てが終わる(=全ての困難が解決する)のが最終話の一つ前の25話であり、その25話までは(本当は、一人一人が徐々に成長しているのだけれど)、主人公たちが成長しているかどうかが観ていて分からない、ところにある。


 それほどまでに、リヴァイアス内の状態は最悪で、一人一人が壊れる寸前(もはや壊れていたと言っても過言ではないが…)だったということなのだが…、
 最終回を観てみると、いかに一人一人が精神的に成長したのか(特に“コウジ”と“ルクスン”)を痛いほど感じる。


 最後まで観た人は分かると思うが、この作品のキャラクターの中に“正解”はいない。誰一人として“完璧”ではない。
 そこからくる(なんというか)“アニメっぽくなさ”、より現実の人間に近い“リアルさ”が、この作品のキャラクターからは感じ、そこに今までのアニメ作品にないタイプの、キャラクター達の魅力を感じる―。


 主要キャラだけでも20人以上おり、準主要キャラも合わせると、何十人ものキャラクターが物語に関わってくる、“超キャラ重視”の作品なのだが―、

 ―その一人一人が、必ずどこかで観ていてイライラする行動や考え方をする。そして彼らのする試みの、大半が上手くいかない…(観ている途中で、何度好きなキャラが変わったことか…、何度そのキャラに辟易(へきえき)し、見損ない、イライラしたことか…)。

 なのでこの作品を、“作品やキャラのことを好きなまま”観終えるには、とんでもない“労力”というか
“精神力”がいる…(つまり、ほとんどの場合、必ずどこかでこの作品そのものや、登場するキャラが嫌いになる…)。


 それでも最後まで観て、振り返ってみれば―、好きになっているキャラクターが数えきれないほどいることに気付く―。

 この作品もいわゆる、“一人最高のキャラがいる”というタイプのアニメ作品ではなく、その作品内の
“キャラクターそれぞれにファンがいる”というタイプのアニメ作品である。  

 現にこの作品は、他の作品とは比にならないほど、主要なキャラが多い。
 そして最終的には、そのキャラ一人一人が、最高に素晴らしい、“限りなくリアルに近い”アニメキャラだということに気付くだろう。

 例えば、最終回において、「コウジとアオイ」、「コウジとイクミ」、「アオイとイズミ」、「ツヴァイの面々」、「ユウキとブルー」など、リヴァイアス事件のその後を、ほとんど描いていない(ブルーに至っては本人が登場すらしていない)にもかかわらず―、
 ―皆が再会したときの少しのやり取りですら、心にグッとくるものがある…(それくらい、初めは嫌いだったキャラが最終的に好きになってしまっている…)。



 だが、(ここまで書いてきて、急な方向転換だが)、勘違いしないでほしいのは、この作品は決して“鬱作品”ではない(“鬱要素”は感じるのに“鬱作品”ではない…、というのは矛盾していると思うかもしれないが、そうではない(理由後述↓))。

 むしろ、我慢して最後まで観れば、最高に気分が晴れた状態で、この作品を観終わることが出来るのである。


 最終的にそう感じる理由には、“普通のハッピーエンド”が、“今までで最高のハッピーエンド”に感じるほど―、
 ―物語の途中で、(キャラだけでなく、観ている自分の)心理状態が、深すぎる“底辺のメンタル状態”を経験するからだろう…
 (今から振り返れば、あの頃(=20話あたり)は地獄だった…。早く観終わりたいという気持ちと、もう観るのをやめようかという気持ちが入り混じっていた…)。
 
 だからこそ、観終わったとき、その“振り幅”で、“最高のハッピーエンド”だったと感じる―。


 つまりは、(これは自論だが)、この作品は決して、“アニメ鬱作品”ではない(現実に、病気としての
“鬱”で苦しんでいる人がいる以上、あえて“アニメ鬱”と言わせてもらう…)。

 この作品は事実、このサイトの成分としての“鬱アニメ”でも上位に来ている作品であり、作品内のリヴァイアス内の空気感や状況は、物語内の“キャラからすれば”鬱状態、鬱環境であったと言えるだろう。
 
 しかし、それが本当に“アニメ鬱”だと言えるのか…(と疑問を感じずにはいられない)。


 あくまで、(自分の中での)“アニメ鬱状態”とは―、その作品を観終わった後も、その作品が…、キャラが…、そのシーンが…頭から離れない―。観終わった後、他のことがやる気にならないほど、アパシー的なもの(=無気力さ)を感じてしまう―。

 それこそが“アニメ鬱状態”であり、そうなる作品が“鬱作品”だと思う。しかし、この作品にはそんなことはなく、むしろ観終わった後の気持ちとしては、全くの逆である。

 なのでこの作品が“鬱作品”かと言われると、ただ作中内の空気感がそうなだけであって、決して観終わった後、“アニメ鬱状態”にはならない…。つまり自分が思う“アニメ鬱作品”とは違うのである。



 …とまぁ、ここまでかなり高評価をしてきたつもりなのだが…、正直なところ、今まで観てきたアニメ作品とは全く違うタイプの―、自分の中の価値観や世界観を変えてくれた、“名作”だと思う…。

 総括としては―、
 ―1つの“大きな経験”が、一人一人の心を強くする、成長させる―。
 逆に言えば、口で何を言ようと、頭で何を考えようと、“経験”しなくては何も成長しない、強くはならない―。
 
 この作品は、そんなことを痛いほど感じさせてくれる、まさに人の心が成長するための“人生のバイブル”のような作品だと感じた…。

 (終)

投稿 : 2024/06/01
♥ : 13
ネタバレ

manabu3 さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

『無限のリヴァイアス』にみる「鬱作品」と「秩序と現実」と「フランス史」についての考察

人間がもし秩序の無い閉鎖的空間に取り残されてしまったらどうのような行動を取るのだろうか。本作ではいつ終わるか分からない旅の中で織り成される人間模様の現実的な恐ろしさと残酷さを毅然と描写している。始めは穏やかだった人々の心境の変動は本作の醍醐味の一つであろう。群衆の狂気ともいえる情緒の移り変わりや主要人物達の葛藤を、二十六話をかけてじっくりと描き出している。艦内の秩序と統治方法の変遷は、まるで歴史の流れを見ているかのようだった。
また、本作は様々な人物が登場し活躍する群集劇である。登場人物の多様さと優柔不断の主人公が理由で、始めは余り感情移入することが出来なかったが、それぞれの人物の特異な背景を顧みると、少し遠くから眺め見る、客観的な鑑賞の楽しさがあった。

このアニメはもっと早くに見るべきだったと感じた。今まで私が敬遠してた理由は「作画の特性」と「子供が活躍するロボットアニメ」の二点なのだが、それらの苦手要素を凌駕する面白さであった。もしも同じような理由でこのアニメの視聴を避けている方がいたら、是非再検討を。「トラウマ」を考慮して、子供ではなく「大人」にオススメのアニメ。

■無限に続く秩序なき闘争状態
タイトルの「無限のリヴァイアス」は、ホッブズの「リヴァイアサン」が由来なのではないだろうか。ホッブズは人間が自然権を行使する自然状態は「万人の万人に対する闘争」の場であると表現し、平和と安全を達成するために人間は社会契約によって自然権を国家に移譲するべきだと説いた。そうしなければ、人々は永続的な危険と恐怖に苛まれると。そして権力の集合体である国家を指して、(怪獣)リヴァイアサンと呼んだ。タイトルの「無限のリヴァイアス」とは、「無限に続く秩序なき闘争状態」を言い表したかったのだろうか。

■「鬱作品」について ―「鬱と希望」と「秩序と現実」―
本作は「鬱作品」として周知されているが、本作には「鬱」に優る「希望」が包含されていると私は思う。それはこの作品の題材の一つでもあろう人々の成長物語に感化され共感を得たからだ。特に最終話の存在は鬱というより希望だと思う。寧ろ本作のモチーフであると言われる小説『蝿の王』の方が、悲惨な結末であったと私は記憶している。

この作品が鬱作品ではないと思う由縁はもう一つあり、私は今の現実の世界も「無限のリヴァイアスのようなもの」だと思う。
例えば日本。確かに日本は秩序ある安全な国だと評判だ。因みに「国」の存続に重要なのは「秩序」と「個人」の平衡だが、「力」がないと秩序は守れない。国内社会においては力は警察や裁判所などが有している。米国のように「個人」が銃を所持して自分の身を守る方法もあるけど、それは時には「秩序」を乱すこともある。そういった意味も踏まえれば、日本は世界の中でも「秩序」と「個人」のバランスが上手くいっている国だと思う。しかし日本でも殺人や暴行事件が全く無い訳ではない。それ故個々の事象に嘱目すれば、本作の人間模様も一概には「非現実的」だとは言えないのではないか。

また、国際社会においても同様なことが言える。殊に世界は「無秩序」だ。ヘドリー・ブルという人物が「主権国家から成る社会」の成立によって世界には一定の秩序が存在すると論じたが、世界には単一の中心的な権威が存在しないことは無視できない点である。それ故国際法を強制する主体は国際社会に存在しないし、国際司法裁判所の法的拘束力は「強制管轄権」を受諾した国にしか適用されない。世界の警察はいない。世界は未だ国家間の「力の体系」である。他国で不合理な出来事があったとしても内政不干渉の原則で我々は何も出来ないし現に何もしていない。国際連合は非民主主義的で、常任理事国は拒否権というあこぎな特権を有している。紛争、貧困、飢餓、テロなど、様々な悲劇もなくなる気配はない。世界は無秩序で暴力的で不条理だ。

所謂「発展途上国」でも同じだ。私は発展途上国で沢山の貧困者を見てきた。開発が原因で土地を追われ、物乞いをしながらも些細なモノを売って生活する人々。親に捨てられ住む家も靴すらもない子供たち、そんな子供たちも生きるために必死でなにか出来ることをして行動している。そんな世界では、鬱は死だ。鬱でゴロリと横になってる間に飢えで死ぬだろう。世界には彼らのような困窮な生活を過ごしている人が大勢いる。世界は不平等で残酷だ。

現実を見れば、世界なんてそんなものだ。世界は暴力と欲望と利己と不平等と言葉では言い表せないほどの卑しさで溢れている。そんな世界の中で、何かしらの「共通性」と「暴力」に拠って秩序は辛うじて保たれている。世界は「リヴァイアス」だ。この作品は鬱かもしれないけど、この作品の中の世界には鬱に優る希望がある。この作品を鬱だと思うことができるのは、相当幸せな生活を営んでいて、相当美しい世界を見ているのだろう。それを否定しないけど、この作品は現実に「当たり前に存在していること」を描いているにすぎない、ということだけは主張したい。

■フランス史との関連性と、統制する側の問題点
自学のために、無理やり「フランス史」を絡ませてもう少し考察
{netabare}
■【ルクスン政権】貴族制
ルクスン政権は貴族制だろう。成績をモニターに公表したのは能力主義、そしてエリートを集め、有能な少数の人たちで統制するのは貴族制。まさに合理的だった。(チャーリーへのハニートラップと、ルクスン政権の隠ぺい行為を口実にしたブルーの反乱が誤算だった)

■【ブルー政権】ルイ16世
ブルー政権は王政だ。ポイント制(貨幣制度)と監視制度は秩序をもたらした素晴らしい制度だと思う。ポイント制が資本主義でないのは、供給側が一元的だから。(社会主義的)
※戦況の悪化。そして、ハイぺリオンへ逃走しようとして失敗したブルーは、フランス革命の際にパリから脱出しようとして失敗したルイ16世さながらだ。

■【ユイリィ政権】フランス革命
民衆の反乱、王政の廃止、ブルー一派への集団暴行。まさにフランス革命だ。
(ブルーが逃げ切れたのは容姿が端麗だったからだろう)
政権については、「皆で決めたんだから」と、ユイリィが否応なしにリーダーにされた。この言葉から恐らく製作者側にとっては民主制(民主的決定)のつもりだったのだろうか。
しかし「無限のリヴァイアス」の元凶はここにあったと思う。
社会では、闇市場が出来、ポイント制は腐敗し、秩序も悪化する。結果は衆愚制(民主制の堕落形態)。民主主義が絶対の体制でないことがうかがえる。というより、民衆(残りの400人以上の大衆)の意見をないがしろにしたのだから、実際は寡頭制(貴族制の堕落形態)。民衆は醜い争いを見せるための脇役でしかなかった。ユイリィは総合的な決断力を求められるリーダーに適さなかったため辞任。リーダーがいない社会は混沌へ。

■【無政府状態】混沌
リーダーの不在により社会はほぼアナーキーとなり、治安は劣悪状態に。
実際のフランスでも革命後は恐怖政治などで、国内情勢は疲弊し不安定に。

■【イクミ政権】ナポレオン・ボナパルト
ここでナポレオンこと、イクミ登場。英雄兼、独裁者。イクミカッコイイ(?)
ナポレオンはフランス革命の理念を各地に「輸出」しようとした。
イクミも暴力によってイクミの思想を「輸出」して、社会に再び秩序が訪れた。
ナポレオンは、日本の旧民法の参考にもなったナポレオン法典を作った。
イクミも秩序のための公言をした。
「過ちを犯すな!もめるな!争うな!なじるな! 傷付けるな! 普通でいろ!」

イクミは頑張ったと思う。

■投降
イクミとリヴァイアスは投降し、リヴァイアス政権とフランス史の関連性は終り。

■【ルクスン・北条政権】
新たな船出のリーダーは、ルクスンに決まったけど、あまりにも適当な統帥の決め方に驚愕した。多分また暴動が起るだろう。でも結局、彼の政権が一番マシだったとも思う。

リヴァイアスを統制する側の権力の移り変わりは、まるで歴史の流れ(フランス史)を見ているかのようだった。そして、それぞれの「政権」がそれぞれの良さを持っていた。しかし、私はこの作品を見て「大衆の愚かさ」よりも「支配する側の愚かさ(統制の大切さと難しさ)」を感じた。支配する側は明らかに大衆を軽視していた。つまり、「リヴァイアス」はなるべくしてなったのだと思う。
とはいえ、私はどの政権も否定したくない。何故ならどの政権も前の政権を乗り越えて、より良い環境を築くために出来たものだからだ。既存の体制も法律も伝統も、そういった先人たちの積み重ねによって出来たものだから、何に対しても、その存在自体を悪だとは思いたくない。過去は捌け口にするためにあるのではなく、糧にして、その先を生きていくためにあるのだから。{/netabare}

{netabare}この作品の最後は、ゲドゥルトの海に覆われてしまった地球から、リヴァイアスが脱出するシーンで終わる。もっと未来の世界だ。その時代はきっと、昂治も祐希もアオイもカレンもブルーも、みんな死んでしまった世界なのだろう。それが何だか悲しいけど、彼らの希望が未来に繋がった事が嬉しかった。
私も、昂治が最後に言ったように、いつか滅びるこの世界と人類の未来のために、微力ながら何か力になって死ねれば本望だと思う。{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 24
ネタバレ

らしたー さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

登場人物の中から1人を新入社員として採用するとしたら

途中からずっとそんなことを考えながら観ていました。
リヴァイアス艦内における、各人の行動を前提に、「総合職:採用1名」と仮定した場合、自分だったら誰を採用するだろうか、と。
つくづくイヤな視聴者だと思う。

結果は、ルクスン・北条の一択ですね。
正直スキルは足りないし、プライドだけは高い。それでも、誰かひとりを採用するとしたら、彼が群を抜いて高評価なのです。

足りないスキルは習得させればいいし、高すぎるプライドは打ち砕けばいい。教育でどうにかなる部分なんてどうにでもなる。

彼の長所は、そのずば抜けたストレス耐性です。
あそこまで完膚なきままに打ちのめされ、なお自分というものを見失わず、心が腐らず、折れず、目先のTodoに専心できる、あの鋼のマインド。
これは訓練だけでどうにかなるものではなく、ある種の、長年の環境によって培われた楽天家気質がなければ不可能なことです。
ポテンシャル採用させていただきます。

足を動かせない頭でっかちの参謀クンや、お勉強は出来るけどストレスに弱いユイリィ・バハナさんは採用見送り。生きるか死ぬかの状況で胸キュンを優先させちゃうほとんどの女性陣もアウト。弊社が求める基準には達していません。ましてや相葉ユウキなど論外。旅人でもやっててください。

途中までは、コミュニケーション能力に抜きん出たものをもつ尾瀬イクミも候補に上がってたんだがなあ。結局、セルフコントロールに難があることを露呈してしまいました。
次点は、ツヴァイの女性クルーのランかな。リーダー候補としては厳しいけど、ルクスンが他社に決まってしまったら、彼女を採ります。


という雑談はさておき。
本作は、あまりにも多くの示唆を含んだ歴史的名作といえるでしょう。漂流モノを扱ったアニメの金字塔と呼ぶにふさわしい出来。


●これは『蝿の王』か?

この手の「漂流物」で思い出すのは、なんといっても『ロビンソン漂流記』。日本では子供向けの印象がありますが、もともとは完全な大人向け作品です。そして、馴染みの『十五少年漂流記』。極めつけは、世界的な評価を受けたゴールディングの『蠅の王』でしょう。

では、『無限のリヴァイアス』は『蠅の王』なのか。

違うと思う。
というか、違うからこそ価値があると思ってます。

『蠅の王』における人間の暗部は、「無垢」というキーワードと結びついてはじめてその残酷さに表現力を持ちうる類のもので、本作のように、就職を視野に資格試験を受けるような、一定程度成熟した若者たちによる極限の人間行動とはだいぶ趣が違います。
本作には『蠅の王』におけるサイモンのような、無垢を武器に暗黒と対峙できる人物はでてきません。あえて言うならコウジがそれですが、彼は無能でも無垢でもありません。弟のユウキから無能となじられますが、わかってねーなー、て話です。

大事なのは、皆それぞれ、ある程度「オトナ」であり、人が打算で動く生き物ということを、少なくとも頭では理解しているということです。ポイント制が導入されたあとの乗組員の行動を見れば明らかでしょう。
であるからこそ、本作では、その前提の上での「秩序の立ち上がり方」という、より実践社会学的なアプローチに、その照準を定めることに成功しているのです。
もちろん、社会的動物としての人間の在り方と、それに対する極限状況下での例外、という点では『蠅の王』と共通していますが、その手のテーマはけっこうありふれてるからなあ…。特に新鮮味もないわけで。

どちらかというと、『カイジ』の地下施設のアレが、実はいちばんこの作品との接点が多いのではないかと思っています。
むしろ、キーワードは「囚人のジレンマ」じゃないかなと。それも、いわゆる「無限回繰り返し型」のジレンマ。宇宙空間をまるで囚われ人のように流されいく主人公たちを思うと、なおさらそう思えてくるのです。


●統治の根拠
{netabare}
操船課ツヴァイによる一望監視的官僚支配。
エアーズ・ブルーによる独裁支配。
ユイリィ・バハナによる啓蒙路線の合議制支配。
尾瀬イクミ及びその憲兵による武力統治。

さまざまな体制が立ち現れます。

そのどれもに、長所と短所はあるけれども、前体制の至らなさを克服しようとする意気が感じられ、何よりも、「体制を立て直す」という若者たちの苦難と、工夫を凝らして秩序の運営を試みる描写が、本作品の素晴らしい見せ場となっています。もうこれだけで、このアニメには価値があるといっていいくらい。

正直、権力の分立やデュー・プロセスなんて戯言を、あの状況下で担保するのは物理的に困難だとは思います。主要スタッフに更迭がないのも、人材面での制約があるので仕方がないでしょう。
時間をかけて成熟した社会を作るより、当面の混沌を回避することに重きを置く判断は支持します。秩序が完全に失われてからではすべてが遅いですから。尾瀬イクミのような存在は遅かれ早かれ出てくるものです。

むしろ、この作品でいちばんゾッとしたのは、ユイリィ・バハナによる統治の機序。厳密には艦長就任に至る政権樹立のプロセスです。

ツヴァイの女がこんなこと言うんです。

「ツヴァイのみんなも納得してるし、生徒のほとんどが賛同してるわ」
「もう多数決で決まったことだし…」

これ。
これをさらっと言っちゃう感覚が怖すぎなんです。

・「ほとんど」って何?
・ちゃんと生徒全員が投票したの?
・ていうか、その「多数決」は誰が投票したの?
・ツヴァイだけじゃないの?
・その投票権は誰から付託されたものなの?

「多数決で決まった」で思考停止してるんです。その投票権が乗組員から付託された権利ではないにも関わらず。密室での多数決を、さも民主主義のように語る、あのセリフが一番怖いし、まさに子供だなあと。

どんな統治体制を採るにせよ、決定された事項が万人を満足させるなんてことは不可能なんです。絶対無理。そのときに重要なのは、満足できなかった人を納得させる仕組み、あるいは心理的な擬制があるかどうか、なんです(その仕組みに「武力」を選んじゃったのがイクミです)。

美女コンテストで乗組員の直接投票をやっていたでしょう。てことは、その気になれば、統治に対して直接投票ができるんですよ。でもしなかった。する気配がなかった。
直接投票が危険であれば、各部屋に班長をさだめて、彼らを集めて投票行動をとらせることだって出来た。乗組員の意思の抽出をする手段はいくらでもあったんです。

そこでの投票行動はぶっちゃけ形式的なものでも全然構わないんですよ。それでいいんです。大切なのは「プロセスを踏んで決定しました」ってことを明示すること。そうすることによって、もし決まった事項を遵守しない者が出た場合、「秩序に対する敵」として、乗組員の意思を根拠に糾弾できるのだから。

なんていうか、やれる努力をしないまま、早々に「イクミの変革」に至ってしまったことが残念であり、同時に若さゆえの想像力のなさであり、社会経験の無さなのかな、と。
{/netabare}

などと、いろいろ考えながら興味深く観ておりました。


●総評

自分の居場所の確保とかカインコンプレックスとか、情報管理とか、もろもろヘビーなトピックがたくさんあって、切り取りだしたらきりがないですね。おそろしく濃密な作品です。

とりあえず観る価値のある作品でしょう。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 12

73.6 4 鬱アニメランキング4位
最終兵器彼女(TVアニメ動画)

2002年夏アニメ
★★★★☆ 3.5 (759)
4679人が棚に入れました
北海道の田舎町で暮らすシュウジとちせ。
ちせは以前から興味を持っていたシュウジに度胸試しとして告白、そのぎこちない交際は交換日記から始まった。
そんなある日、謎の敵に札幌市が空襲される。攻撃から逃げるシュウジが見た物、それは腕を巨大な武器に変え、背から鋼鉄の羽根を生やした兵器と化して敵と戦うちせの姿であった。
国籍不明の軍隊との戦争が激化していくにつれちせは兵器としての性能が向上していくが、故障をきっかけに肉体も精神も人間とは程遠いものとなってしまった。
二人のクラスメイトのアツシは、以前から想いを寄せていたアケミを守る為に自衛隊に入隊。戦場へ赴いていた。
TVアニメオリジナルエピソードで、ちせの親友四人組の一人のゆかりは自警団の白人兵狩りに参加。銃を持ってタケの仇を討つ為、山狩りへ向かう。
そんな中、アケミは大地震に巻き込まれて大怪我をし、シュウジの目の前で死んでしまう。歪んでいく日常。シュウジは再度姿を見せたちせを連れて町を出るが…。

声優・キャラクター
石母田史朗、折笠富美子、三木眞一郎、伊藤美紀
ネタバレ

フリ-クス さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

愛について語るときに僕たちの語るべきこと

本作が公開されたのは2002年の7月だから、もう20年前の作品なんですね。
それでもいまなお『鬱アニメ』の代表格として語られる、
ある意味、大名作な『サイカノ』こと『最終兵器彼女』であります。

ちなみに僕はこの作品の本質が『鬱アニメ』だと思ってないのですが、
作品の捉え方は人それぞれ。
人さまの感想に文句言うつもりは毛頭ありません。


原作は『いいひと』などでおなじみ、高橋しんさん。
この方なんと、山梨学院大で箱根駅伝の最終区を走った人なんだとか。
もちろん『ただの頑張り屋さん』程度でハコネ出場はムリです。
  極限まで自分を追い込む。
  自分の弱さから目を逸らさず、その先にある自分に挑み続ける。
  結果を出すためのプロセスを徹底的に考え、貫きとおす。
そういうことが『あたりまえ』にできる方なんでしょうね、たぶん。
だからこそ、この作品が描けたのでは、と僕は思っています。


ちなみに、お話自体は至ってシンプルで、
アタマ痛くなるような細かい設定はありません。
どちらかと言うと、なさすぎ。

彼氏(シュウジ)の知らない間に、
軍(自衛隊)によって『最終兵器』に改造されていた彼女(ちせ)。
二人は北海道で平和な高校生活を過ごしていたのですが、
ある日突然に『最終戦争的な何か』が起こり、
ちせは高校生でありながらも有事の都度、戦場に駆り出されていきます。

  刻々と悪化していく戦況。
  次々と死んでいく友人・仲間。
  彷徨い、すれ違い、間違っていく二人。
  壊れていくちせの心。
  束の間の平穏、残酷な選択、終わる世界。

最後まで『なにと、なぜ』戦っているのかは開示されません。
おおよそ『種明かし要素』がほとんどないまま、物語は終焉を迎えます。
その間、シュウジとちせを中心に、
戦禍に巻き込まれた罪なき人々の心模様と死にざまが、
物悲しくもリアルなタッチで描かれていきます。

ただし、戦闘シ-ンの『リアルさ』はいまいちです。

爆撃機が「セスナかよ」と言いたくなる高度で飛んでいたり、
大規模侵略なのに歩兵が防衛線も敷かずわちゃわちゃ市街戦していたり、
正直「なんですか、これ?」的なアレが目白押しです。

そういうところに引っかかる方々にとっては、
なんのリアリティもないちゃちなだぼら、に見えてしまうかも知れません。

ですが、本作のキモは、そういうところにはありません。
少なくとも僕のごときノンポリ小市民には、
登場人物それぞれの生きざまが圧倒的リアリティをもって迫ってきます。

  生きることの意味、死ぬことの意味。
  殺すことの意味、殺されることの意味。
  愛することの意味、愛されることの意味。

そんなことを喉元にナイフの切っ先を突きつけながら問うように物語は進行していきます。
やがてそのナイフは地面に叩きつけられ、
   あとは自分で考えろ、
と、すべての解答を留保したまま真っ白な幕が降ろされて、
いたずらな心象風景に過ぎない大団円に至ります。

その問いに真摯に向き合えなかった方にとっては、
本作はやっばり『何の救いもない鬱アニメ』ではなかろうかと思います。

もちろん高橋しんさんはそんな作品を描いたつもりはないのだろうけれど、
伝わらないものは伝わりません。
世の中の『思い』と呼ばれるものの多くがそうであるように。

そうではない人たち、この作品にきちんと向き合おうと決めた人たちは、
見たくもない自分と向き合い、
思い出したくもない自分を思い出し、
あえてうやむやにしてきた自分を現実的な言葉に置き換えることによって、
  「しんさん、きついっスよ」と、
自嘲的な笑みを浮かべながら言うことになると思います。

  もちろんその「きつさ」は鬱的なきつさではなく、
  人生という長距離区間を『前を向いて』走り続けるにあたって、
  避けては通れない上り坂みたいなものなのですが。


僕的な作品のおすすめ度は、けっこう限定的なAランクです。

限定的な、というのはかなり古い作品であることが最大の要因です。
映像、演出、芝居、音楽、脚本、
全てにおいて現在のアニメと比べると古くさく、
アスペクト比がワイドになっているのが唯一の救い、みたいな感じです。

根底に流れているのは普遍的な人間哲学みたいなものなんですが、
そこにたどり着く前、
二、三話ぐらいで表層的な古さにやられちゃう方、けっこういるかもです。

もちろん、萌え的なナニを期待している方にはおすすめできません。
かなりストレートな性描写もありますが、
あれで萌えられる人、感性が尖りすぎではあるまいかと。
あと、現実から逃避したくてアニメを見まくっている方にとっては、
まるっきり鬼門ではなかろうかと愚考いたします。

そうじゃない、そんなんじゃない、
オレは愛だの死だの戦争だので高橋しんと正面からぶつかりたいんだ、
そういう方は、夕日をバックに高橋さんとがっちり握手ができそうです。


映像は、いいカットはもちろんすごくいいのだけれど、
やっぱいかんせん古いかなあ、と。
人物作画も安定しておらず「えっと……誰?」的カットが少なくありません。
ただし、戦争の悲惨さを伝える、目を背けたくなるようなカットには、
アニメータ-の魂、宿っています。


キャラクターは、デザイン的にアクが強いので好みがわかれるかと。
僕はというと、キツネ目男子、好きくありません。
女子のビジュアルも、萌えるには難易度けっこう高めかも。

あと、ほとんどの登場人物が胸くそ悪い『間違い』を犯すので、
戦時という特殊状況下にあることを意識し続けないと、
いろんなところでいろんなことを見誤ってしまいそうです。
{netabare}
  『愛』と『自己愛』の狭間で間違え続けるシュウジ。
  『罪悪感・自己否定』の中で自分を肯定しようとし壊れていくちせ。
  『愛』と『性愛』の境界線からあえて目を逸らすふゆみ先輩。
  『自己犠牲』の奥に、ありもしない自己救済を求めるアケミ、アツシ。
  『投影・代替』によって恐怖や寂しさを紛らわそうとするテツ。
{/netabare}
彼らを否定・糾弾することはすごく簡単ですし、
あるいは人によってそのことに愉悦を感じるかもしれませんが、
僕にはちょっとできそうにありません。
彼らが『鏡に映った自分自身』ではないと言える根拠みたいなものが、
どこをどう探しても、一つも出てこないんです。


お芝居は……う~ん……微妙、かなあ。
折笠さんの演じるちせはかなり凄味があると思うんですが、
シュウジ役の石母田史朗さんのお芝居が変にふわふわして接地感がなく、
素朴さの奥に『あざとさ』みたいなものを感じてしまいます。

三木眞一郎さんや伊藤美紀さんは「さすが」なんですが、
アケミ役の杉本ゆうさんも、実力のわりにピリッとしない感じですし。

北海道弁が演りにくかったのかも知れませんが、
『銀の匙』とか『僕だけがいない街』では誰もおかしくなかったし、
う~ん……演った本人に聞いてみないと、なんとも言えないです。


音楽は、OP・EDともに『まあまあ』としか言いようがなく。
両方ともきれいで聞きやすい曲なんですが、
作品の世界観をきっちり表現できているかというと、けっこう微妙。
挿入歌の『夢見るために』は、個人的に好きなんですが。
著名ア-ティストが歌ってたら大ヒットしてたかも的な名曲であります。


とにもかくにも、精神的消費カロリーの大きな作品です。
あまりココロに余裕のない時や、
どうせあたしなんて的な気分のときには視聴を控えた方が無難かと。

そうは言っても最初の数話は比較的軽めの展開になっております。
二、三話ぐらいまでを流し見て、
  はあ? ぜんぜんたいしたことないじゃん。
  フリ-クスってひょっとしてヤキ回ってんの? ばっかみたい。
みたく感じる方も少なくないと思います。

精神の奥底にアレなものを抱えておられる方は、
そのへんで引き返すのも一つの見識ではなかろうかと。

その先、真っ白でなにもないエンディングにまでたどり着いたとき、
  「ああ、きつかったけれど観てよかった」と思えるか、
  「間違った。失敗した。あたしは失敗した」と思ってしまうか。
その答えはあなたの内側にしか存在しておりません。

大丈夫、たとえ間違ったところで、
失うものはちょっとした時間とちょっとした精神エネルギーだけです。
濃い目のココアでも淹れて時間をかけて飲み、
気分転換に『リコリコ』とか『異世界おじさん』とかを見たりして、
ゆっくりとこっち側に帰ってきてください。


ほんとうに、僕たちはいろいろなことを間違えます。

  愛を語るときに『主語』や『目的語』を間違え、
  自分を大切にしましょう、という言葉の『意味』をはき違え、
  ありもしない『代償』を探して彷徨い、
  まるっきり違うものを宝物のように思い込んで後生大事に抱えこみ、
  放してはならないはずの手を放し
  涙する資格すらないことに、涙してしまいます。

そういう意味で僕は、

  本作のシュウジは僕たちであり、
  ちせもまた、僕たちであり、
  テツも、ふゆみも、アケミも、アツシも、ゆかりも、
  ちせに撃墜された名もなきパイロットですらも、
  鏡の向こう側にいる僕たち自身の姿ではなかろうかと思うわけです。


そうやって間違え続けながら走り切ったとき、
そこに何が待っているのか。
そんなことは誰にもわかりません。

なにも待っていないことの方が、ひょっとしたら多いのかも知れません。

ただ、道端にへたり込んで滴る汗をタオルで拭いながら、
空になったペットボトルを傍らにおき、
顔をあげて眩しそうな目で真っ青な空を見上げ、

  まあ、いろいろ間違えたけど、がんばったよな僕。

そんなふうに独りごとを言って、
誰に見せるでもなくにっかりと笑えたなら、
つらい思いをしながら走った甲斐はあるんじゃないかと思うのですが。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 18
ネタバレ

シン☆ジ さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

名作だよ。。自分のパートナーを大事にしなきゃと思える、なまら切ない戦時下のラブストーリー(原作購読後の感想追加)

マンガ原作。略称はサイカノ。
2002年:GONZO制作でテレビアニメ化。
2003年:ゲーム化。
2005年:OVA化。
2006年:実写映画化。

~初見にて~
視聴の「☆はじめて記念☆」は2020年5月。
いつしか目にしたタイトル。結構有名な方じゃないかな。
でもロボット的な物語と思い込み手を伸ばしませんでした。。
こんな切ないラブストーリーだったとは。
(あまりジャンルで毛嫌いしない方がいいかもw)

■キャラについて。
原作に寄せているんだな、とは思ったものの、
最初、ヒロインのデザインはいかがなものかと思った。
でも、作画が安定したのか、自分が慣れたのか、観る内にどんどん可愛く見えてきた。
自分のツボである、応援したくなる美少女には合致。
というか、ちせの場合は応援したくなると言うよりも、かまってあげたくなるタイプ。これは応援したくなるよりも刺さったw

声は、心もとない感じや、たどたどしさが、とてもキャラにしっくりきて、まるでアニメキャラではなく、実際に存在する等身大の17歳の女子高生に思えて感情移入できた。
方言を使った演出も演技も良かった。
他のキャラがどうだろうと、ちせだけの出来で満点w

■設定やストーリーについて
シチュエーション、演出がけっこう刺さったw

~{netabare}
高校生活で初めてできたかわいい彼女。
(あ、自分の中では「センパイ」は彼女とは認識してないのでw
 まぁそうだとしても中学の話だし)
しかも、ドジっ娘で守ってあげたくなるタイプ。
「ごめんね」などのイントネーションも自分の地元に近いもので、キュンとくる。
その彼女が、自分で制御しきれない大量殺りく兵器だったなんて。。
自分ならどうするだろう。。
きっと、彼女を抱きしめ、励まし、「世界のみんなが敵になっても俺だけはおまえの味方だ」とか・・・
いや、高校生じゃ言えなかったかなw
そんな風に感情移入ができ、それが大きかったかな。作品の世界に浸ることができました。

自分としては特にシュウジが、ヒロインの相手役にありがちな、じれったさが少なかったのも良かった。そこで彼女を抱きしてあげようよ、とか、いっそ二人で逃げようよ、とか、結構思い通りの行動をとってくれたかと。
まぁセンパイとの絡みは、ちせとテツのそれに比べれば軽い方かと。

途中、二人が離れ、「クズの本懐」的な展開もあって、正直、感受性の強い時期にこれを観ていたら、自分も闇落ちしていたかも、と思うところもありました。
その辺がキツいと思う人もいるみたいですね。
でも結果的には、そのエピソードがあったからこそ、後半の二人の同棲や再会が、超盛り上がったので、大事なエピソードだったと思います。

救いのない物語とも思いません。
AIRとかに比べたら二人でいられるんだから救われすぎw
サイカノは結局世界は救い得なかったんだから、ちせが消えたり、ちせだけ残る物語よりは、受け入れられるかと。世界が救われる結末も、この作品ではちょっと違うと想うし。
(そういえば3話あたりでの「僕たちは手を話さなかった」とのセリフ、AIRに絡めたものではと思ったのは自分だけでしょうか。。)

でも終末後の世界でシュウジが生き続けるのか、死ぬとしたらちせはその後どうなるのかはちょっと気になる。。でもそれを想像する事も楽しめれば良いかと(^_^;
そういえばマンガで後日譚があったそうですが観てみたいですね。

ちなみにちせの声優、折笠富美子さん、「灰羽連盟」ではヒカリ(メガネっ娘)でしたw

さらにちなみに、唐突な設定を自分はどう捉えたか。。
・なんで、ちせなの?
→OVAで触れてて一応納得しました。
ここではネタバレになるのでそちらで(^_^;

・どんな兵器技術?
→昨今気にしてたら楽しめないので、気にしませんw
どっかで見つかったオーバーテクノロジーかなんかかとw
{/netabare}~

展開としては今や定番かも知れないけど、音楽や言葉の一つひとつが、ズンズン胸に響いて響いて。。
観終わって「君の名は。」の時と同じようなことを思った。。
自分のパートナーとの時間を大事にしなきゃ。

ちょっと重い部分もあるけどオススメしたい。
二話まで観ればどんな感じかわかるかと。

~原作購読後~
したっけ、ちょっとロス感があったしょや。
ブックオフオンラインを覗いたら、みっけたべさ。
「大人買い」ボタンをポチっとしてみたわけさ。
愛蔵版と外伝集をw

アニメは漫画と比べると、性描写がおとなし目だけど、ストーリーはほぼほぼ原作どおり。
やっぱ、ちさの声が聴けるのはかなりのアドバンテージだけど、漫画はデフォルメのちせが、めちゃカワイイw

(以下、アニメと漫画のネタバレ含みます)
~{netabare}
ちせ達が駆け落ちしてもHしなかった理由が何となくですが分かりました。それは、ちせが兵器に侵食され過ぎて、感じなくなっていたから。
これまで腑に落ちなかった点がスッキリしました。
ラスト近くで成し遂げる経緯は、やはりアニメで表現するのは色んな意味で難しかったんでしょうね。

別冊の外伝集にアフターストーリーがあったものの、求めていた内容ではありませんでした。
なので、自分としてはアナザーストーリーとして処理することにしましたw
{/netabare}~

原作を読んで良かったと思う反面、結局のところロス感が深まったのは気付かなかった事にしよう。。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 21
ネタバレ

take_0(ゼロ) さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.7

ある意味「恐怖アニメ」でしょう。

2024.2.3(土)、なんで見ちまったかなぁ・・・。


原作は一部観ていた程度、内容はそこはかとなく認知していたレベル。
巷では「鬱アニメ」、「泣きアニメ」、いや「純愛アニメだ」などなど意見も分かれる作品ということも承知していました。

正直、原作者さまの他のマンガも別に好きとか得意とか言う訳でもなく、特に今作は心がザワザワしそうな気配をプンプン感じ、また自身としてもそれを強く自覚していたので見ないでいたはずなのですが・・・。


ついつい、観てしまいました。


ご存じのように、2024年1月1日、石川県能登地方を震央とする「令和6年能登半島地震」が発生いたしました。
さまざまな被害を受けられた皆様にお見舞いを申し上げ、再び日常を取り戻せるよう祈念いたします。

私の住まいする地域でも、経験したことのない揺れを体験し、軽微なものではありましたが家にも被害が出ました。また、日常生活をおくっているエリア、職場でも多くの被害があり、復旧作業で正月気分が吹っ飛ばされた思いでした。
能登地方の核心エリアほどでは無いですが、ニュースネタになる様な被害も散見されていました。

そして、能登地方。
さすがに、能登半島の先の方へは数回しか訪問したことは無いのですが、被災状況を報道等で拝見し、衝撃を受けたものです。
良く遊びに行っている能登島周辺あたりも、かなりの被害の様です。
もちろん、現地に足を踏み入られる状況ではないので、実際の状況は解らないのですが、なじみ深い風景がどうなっているのか、そこに住まいする皆様がご苦労なさっている事に思いをいたすと、本当に心が苦しくなります。



もしかすると、こういった状況にも影響を受けて、作品に引き寄せられてしまったのかもしれません。

なんでもかんでも、レビューのネタにするのはよろしくはないと思うのですが、何故だか、そのように思ってしまいました。

さて、なに呑気にレビュー書いているんだ、とお叱りをいただくかもしれませんが、短く、書くだけは書いておきます。


今作は、レビュータイトルに書いたとおり、ある意味「恐怖アニメ」だと私は感じました。

もちろん、主人公のシュウジ、ちせを初めとして何人かの恋愛エピソードも描かれています。そして、それは実に人間らしく、思いか交差し入り乱れます。
極限状況の中での恋愛模様ももちろん大きなテーマの一つではあると思うのですが、私が感じたのは日常が徐々に浸食されていく恐怖です。

これは、今現在の私の心持ちも影響しているのだとは思うのですが、どうしようもない≒避けようがない≒「仕方ない」状況って本当に突然起こって、容赦ないという事実を突きつけていたと思います。

この当たり前の、本来、忘れたい≒忘れたふりをしていたい≒「考えたくない」を許さない不快感と恐怖は恐ろしいと思いました。

大切な人を失いたくない、大好きな人とずっといたい、ずっと平和に日常を過ごしていたい ⇒ 事実として無理だけど、それを突きつける人って嫌われますよね。
それを、この作品は容赦なくやっています。

作品中で何度も発せられる、

「仕方がない」
「ごめんなさい」

どうしようもない時に出てくるセリフです。
このセリフを発して、なお戦い、もがき続ける人間の強さを描く作品も多く、本作も何とか抗ってはいるのですが、諸行無常感が常に漂っています。
その作品の中で、何を描き、何を伝え、受け手はどう感じるのか。
なかなかに試される作品です。

こういう作品も、あってもいいでしょう。
唯一無二のメッセージと雰囲気をもっている作品だと思います。
でも見るのキッツいですよねぇ。
{netabare} (キャラ絵が苦手、得意じゃない、可愛くないwという個人の感想のせいもありますw){/netabare}
ここでそれを言うか。



最後に、報道映像ではありますが、いわゆるアニメ化された作品に登場する石川県内の舞台も酷い状況になっているのを見ました。
本当に、心が痛みます。
もちろん、作品舞台だけではなく、被災した皆様全ての復興、日常への回帰を今一度お祈りいたします。

皆さま、どうぞ、余裕がありましたら、復興、被災者のフォローアクションにお力添えをお願いいたします。


・・・私のエリアでは震度5強を体験いたしました。
ほんとうに、ほんとうにシャレにならん揺れでした。
自宅で、PCの前にいたのですが、モニタが飛びます、家がつぶれると思いました、一応、ダメなら仕方ないくらいの覚悟もしました。

どう気をつけてよいかもわからないかと思いますが、お気をつけて、備えることがあれば、備えておいてください。
私の日常は今のところ、かろうじて踏みとどまってくれましたが、一瞬でぶっ壊れる危機を感じました。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 22

80.5 5 鬱アニメランキング5位
NHKにようこそ!/N・H・Kにようこそ!(TVアニメ動画)

2006年夏アニメ
★★★★☆ 3.8 (1532)
7883人が棚に入れました
大学を中退して4年目の佐藤達広は、ひきこもりとなっていた。佐藤は、自分が大学を辞め、無職でひきこもりであることなど全てが、謎の巨大組織の陰謀であると妄想する。その組織の名はNHK(日本ひきこもり協会)。そんな折、中原岬と名乗る謎の美少女が佐藤の前に現れる。佐藤をひきこもりから脱却させるべく、岬は「プロジェクト」の遂行を宣言。その「プロジェクト」の目的が不明のまま、岬による佐藤のカウンセリングが始まる。

声優・キャラクター
小泉豊、牧野由依、阪口大助、小林沙苗、早水リサ
ネタバレ

ピピン林檎 さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

ヒキコモリ君の妄想話とナメていたら、意外と確りとした《BMG/青春もの》でした!

※レビュータイトルでネタバレ防止のため、変な略語になってますが、BMG={netabare}Boy Meets Girl{/netabare}のことです。
もっとも、18歳のヒロインはともかく、主人公の方は22歳の青年なので、この表現にはちょっと語弊があると思いますが、一応、物語のスタイルとしては、そう要約するのが一番適当なのではないかと。

◆「もどかしい世界の上で」が流れ出す第13話が転換点なので、初見者はそこまで我慢してね!!

歌手で声優の牧野由依さんのアルバム『天球の音楽』(2006年12月リリース)には、『ARIA』で使われた「ウンディーネ」「ユーフォリア」「シンフォニー」、それから『ツバサ・クロニクル』で使われた「アムリタ」「ジャスミン」「夢のツバサ」といった私の好きな曲が沢山収められているので、そのCDを流しっぱなしにして度々ドライブをしていた時期が以前ありました。

そしてそのアルバムの4番目の曲は、最初は馴染みがなかったのでSKIPすることが多かったのですが、慣れてくると何だかこれも良い曲だなぁ・・・と思い始めて、そのうちその曲がくるとそこだけリピートすることが屡々ありました。

・・・そうやって、別段曲名を調べることもなく何となく曲調と歌詞はだいたい覚え込んでいたのですが、たまたま本作の第13話を見ていたら、そのエンディングに突然、この馴染みのある曲が流れてきて、驚いてようやく曲名を調べたら、これが本作2クール目ED「もどかしい世界の上で」だったんですね。

本作自体も、その第13話が、丁度全24話の折り返し点でありシナリオの転換点になっていて、それまで本作のことを、「情けないヒキコモリ君の妄想まみれの下らないコメディだろう・・・」とナメていた私の心が、第13話での意外な展開と、そこでEDとして初めて流れた本曲によって、一気に揺さぶられてしまい、あとは最終回までガッツリ作品世界に惹き込まれてしまいました。

ラスト2話では、それまで謎だった{netabare}ヒロインの真意と目的{/netabare}が過不足なくきっちり開示され、それに対する{netabare}主人公のリアクションと変化{/netabare}も中途半端ではなく納得できる結末まで確りと描き出され、視聴前には思ってもみなかった《感動》まで味わうことが出来、その直後から1周目の時は早々に「ながら見」になってしまっていた序盤からもう一度確り見直そう、という気持ちになりました。


◆本作は、ヒロインの《ulterior motive(アルテリア・モウティヴ 隠された動機)》に見どころがある優秀作

私がこれまで視聴した作品で、同系列(隠された動機系)の名作/優秀作/人気作としては

(1) 『アイドル・マスター』 (2011年)(25話+劇場版) ※個人評価 ★★ 4.7
(2) 『俺の妹がこんなに可愛いはずがない』 (2009,13年)(31話) ※個人評価 ★★ 4.6
(3) 『四月は君の嘘』 (2014年)(24話) ※個人評価 ☆ 3.9

・・・の3本が挙げられると思います。
要するに、この手の作品は、

<1> 1周目では、我々視聴者は、「視点人物」たる「仮・主人公」の少年(ないし青年(*1))のモノの見え方や心情に沿って、謎めいたヒロインの行動動機や心情を訝(いぶか)しがりながら物語を追っていくしかないのですが、
<2> それらが開示されたあとの2周目では、今度は「真・主人公」たる「ヒロイン」の心情が、各々のシーンでどのように描き出されているのか?を読み取り/確認しながら、物語を再度追いかけていく、

・・・という二重の楽しみ方を出来ることになります。

(*1)『アイマス』の場合は、プロデューサーの視点。

一応、ここで私の意見を率直に述べると、上記の3作品の中で本サイトの総合評点が一番高い『四月は君の嘘』の場合は、該当レビューの方にも少し書きましたが、2周目視聴時点で気づくヒロインの描かれ方が、やはりどこかいい加減で中途半端(※肝心のシーンで急にギャグ調の作画に切り替わって何だか胡麻化された気分になってしまう点が特に・・・)であり、“泣ける”作品としては非常に需要にマッチして良く出来ているのだろう、とは思うけれども、私などが好む“心情描写系”作品としては、いまいち粗雑な出来なのでは?と思ってしまいます(※そのため私の個人評点もそこそこに留まる)。

一方、本作の場合は、いざ2周してみると存外にヒロインの側の《心情描写》が確りしている、というか、気合を入れて見ていなかった1周目では見過ごしてしまっていた彼女の心の動きが、実に細かくキチンと描き出されていることを、あちこちのシーンで確認できて、視聴時の満足度が跳ね上がってしまいました。

⇒ということで、本作の個人評価を、『君嘘』よりはだいぶ高いけど、『俺妹』よりはやや低い、★ 4.4 とします。

※ヒロインには大きく感情移入できたけど、ヒキコモリの主人公の方は色々とマイナス点が多くて、『俺妹』ほどには評価が高くなりませんでした(←それでも最後は{netabare}主人公も頑張ってくれた{/netabare}ので、完走後の後味は悪くないはず)。

《まとめ》
本作は、序盤の主人公のネガティブさに閉口してしまう方が多いと思いますが、そこを何とか我慢して切り抜ければ、中盤過ぎから急に面白くなり、最後は感動も出来てしまって、さらにもう一周したくなる、1粒で2度美味しい《感情描写系》の優秀作と思います。
とくに、『俺妹』や『アイマス』を、途中で飽きてきて断念したくなりながらも、頑張って視聴を続けたところ、途中から急に楽しくなって最後は確り感動できた人には、割と同様の視聴経験が出来る作品として、お薦めしたくなりました。


◆視聴メモ(2周目)

※上記のとおり本作の1周目の半ばまで、「ながら視聴」して視聴メモは全く取っていませんでした(従って以下のメモは2周目時点のものです)。
{netabare}
・第1話視聴終了時点
冒頭のシーンだけでも色々と気づくことが多くて・・・2周目に色々と発見がある作品はやはり名作なのかも?
そして、Aパートの終わりで早くもヒロイン登場←今考えると、本作ってこの第1話から最終話まで《引きこもり青年×動機を秘めた少女》の初対面からの《感情推移》を描いた作品として、実は全然ブレてなかったんだね(1周目視聴時は全然そうゆう展開になるとは想像できませんでした)。
・・・とゆーか、N・H・Kの陰謀って「Nihon・Hikikomori・Kyokai(日本ひきこもり協会)」ではなくて「Naka・Hara・misaKi(中原岬)」の陰謀だよね笑。
1周目は専ら主人公(※正確には視点人物)の側から、そして2周目になるとヒロイン目線をプラスしてより重層的に物語を追える作品と確定!
やっぱりそういう2度美味しい作品は良い!!!
・第2話視聴終了時点
引きこもりがよくSOHOなんて単語知っているな笑。
・第5話視聴終了時点
岬のカウンセリング第1回・・・八百万の神やフロイトの夢分析について岬より詳しい佐藤(←大学中退の22歳と18歳だとそうなるな普通。)
・第6-12話視聴終了時点
何気ないエピソードが淡々と続くが、後から考えると第13話までつなげていくこの一連の展開はなかなか良く出来ていると思う。
・第13話視聴終了時点
岬の意外な本心が噴出してしまう注目回であり、初めて流れる2番目ED「もどかしい世界の上で」も◎(初の★★(優秀回))。
・第15-19話視聴終了時点時点
佐藤がネトゲとマルチ商法に巻き込まれる話。
ここはシナリオの本筋には余りないマンネリ気味の展開で、ちょっと残念(個々のエピソード自体は面白いけど)。
・第23話視聴終了時点
特殊EDは多分ここだけ。流石にドラマチックな展開で2度目の★★。
・第24(最終)話視聴終了時点
佐藤がオカリンに見える!・・・というか、こっちの方が早かったんだね。
第1話冒頭の主人公の夢落ちと重なる内容は◎、ラストはあっさり展開でここも好感を持てました(3回目の★★)。
{/netabare}


◆制作情報
{netabare}
原作小説        滝本竜彦(WEBサイト「Boiled Eggs Online」2001年1-4月連載)
監督           山本裕介
シリーズ構成・脚本  西園悟
キャラクターデザイン 右湊具央、吉田隆彦
音楽           パール兄弟
アニメーション制作  GONZO{/netabare}


◆各話タイトル&評価

★が多いほど個人的に高評価した回(最高で星3つ)
☆は並みの出来と感じた回
×は脚本に余り納得できなかった疑問回

================== N・H・Kにようこそ! (2006年7-12月) ================

 - - - - - - - - OP「パズル」、ED「踊る赤ちゃん人間」 - - - - - - - - -
{netabare}
第1話 プロジェクトにようこそ! ★ 佐藤達広(22歳、大学中退ニート、ヒキコモリ歴まもなく4年)、N・H・K(日本ひきこもり協会)の陰謀?、中原岬(18歳)との出遭い、公園呼出し(岬のプロジェクト開始)
第2話 クリエイターにようこそ! ★ ヒキコモリ脱出サポート契約の提案、隣人アニヲタ(山崎薫、高校時代の文芸部の1年後輩)、岬との約束(制作ゲームを見せる)
第3話 美少女にようこそ! ★ ギャルゲー事始め、校門前取材(盗撮未遂と岬の意味不明な態度)
第4話 新世界にようこそ! ☆ 山崎との聖地・秋葉原巡礼(ヒロインのキャラ作り取材)、柏先輩との再会
第5話 カウンセリングにようこそ! ★ 続き、中原との契約成立、引きこもり脱出講義開始、ゲームシナリオ作り
第6話 クラスルームにようこそ! ★ 続き、山崎の彼女疑惑、伐々木デザイナー学院見学
第7話 モラトリアムにようこそ! ★ 母親からの上京連絡、岬の恋人役引き受け、初デート
第8話 中華街にようこそ! ★ 母親上京、3人のお食事会(横浜中華街)、芝居からのはみだしデート
第9話 夏の日にようこそ! ★ ゲーム作りの期限、山崎の初恋の思い出、夏祭り(岬との花火鑑賞)
第10話 ダークサイドにようこそ! ★ 岬に惹かれる気持ちと募る疑念、岬尾行、岬への捨てゼリフ(カウンセリング放棄)
第11話 陰謀にようこそ! ★ 柏先輩からの連絡・突然の来訪、先輩との思い出、「天国に一番近い島」オフ会へ
第12話 オフ会にようこそ! ★ 陰気な集団との無人島行き、オフ会の目的判明{/netabare}

 - - - OP「パズル -extra hot mix-」、ED「もどかしい世界の上で」 - - -
{netabare}
第13話 天国にようこそ! ★★ 山崎の岬問い詰め、集団自殺一歩手前、岬の引き留め(本心吐露)
第14話 現実(リアル)にようこそ! ★ 城ケ崎のオフ会メンバー暑海温泉招待、岬の置き手紙、カウンセリング再開、夏コミ失敗、母親からの電話
第15話 ファンタジーにようこそ! ☆ 仕送り半額に、RMT(リアルマネートレード)参戦(ミアとの出遭い)、カウンセリングすっぽかし
第16話 ゲームオーバーにようこそ! ☆ 岬の佐藤リアル引き戻し作戦、ミアの正体・ネトゲの現実(山崎の忠告)、高校の同級生(小林)からの電話
第17話 はぴねすにようこそ! ☆ マルチ商法(ねずみ講)サークル、小林のなき脅し
第18話 ノーフューチャーにようこそ! ☆ クーリングオフ交渉大失敗、委員長宅訪問(トロトロの中の人)
第19話 青い鳥にようこそ! ★ 小林の兄・友一(トロトロ)との決別会話、岬の手料理、マウスロード強制捜査、友一のヒキコモリ脱出
第20話 冬の日にようこそ! ★ 冬コミ間近の追い込み、山崎の個人事情(帰郷決定、七菜子との決別)
第21話 リセットにようこそ! ★ ギャルゲー完成(冬コミ)、山崎との別れ(北海道帰郷)、カウンセリング年末試験(初詣デート、岬とはぐれて)
第22話 神様にようこそ! ★ 続き(柏先輩との別れ、岬の誤解と動揺)、猫の埋葬、意地悪な神様、岬のプロジェクト進行
第23話 岬にようこそ! ★★ 岬のトラウマ、カウンセリング卒業試験合格、新しい契約拒否、仕送り途絶・警備員バイト開始、岬のリストカット・、岬の家庭事情、遺書と失踪
第24話 N・H・Kにようこそ! ★★ 雪の石濱岬の一幕、岬の生家(廃屋)、後日譚(桜の季節){/netabare}
------------------------------------------------------------------
★★★(神回)0、★★(優秀回)3、★(良回)15、☆(並回)6、×(疑問回)0 ※個人評価 ★ 4.4


最後に一言。
本作には、確率1%の「N・H・Kの陰謀」が確実に存在する!
そう、それは「{netabare}N(aka)・H(ara)・(misa)K(i){/netabare}の陰謀」なのだ!!!
←この陰謀はアリだと思った(※『俺妹』の桐乃よりもずっとリアリティありそう)

投稿 : 2024/06/01
♥ : 25
ネタバレ

buon さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

ああ、売れないわけだ。超怒級ドM専用の名作

これ、痛みを一つも覚えず完走できるヤツはアニオタにいないだろうな。
1話見て「3チャンにしては過激だなぁ」とか思ってたら、民放やんw
これ怒られんかなww
元ネタとして使われているローマ字のとこの風刺とか、なんか込められてるでしょ。
最初は「NHKのお仕事現場をアニメにしました」ってドキュメントっぽい
『働くって素晴らしい♪』って感じのお仕事紹介アニメだと思ってた。
ええ、ある意味、ビシバシ刺激を受けて労働意欲増進、食欲旺盛になりましたとも。

◇小説原作!?、2クール、全24話、一冊だから買っちゃった♪

誰でもこれ観たら何かしらドコかしら痛いだろうな。
四畳半を観たときに感じたものに近い感覚があるが、破壊力が30倍増し。


さて、アニメ業界の購買層のシェアはどんなもんなんだろう?
廃人(引き籠って、資金源が自分以外にある)、
お得意様(働いたお金をほぼ全額アニメ業界につぎ込んでくれる人)、
この層が厚いと売れないだろうね。

魔法使い、童貞、最近じゃセカンド童貞という言葉もあるらしい、
そこら辺の層もどうなんだろう。
ぶっちゃけダメ人間の素養がある人間の方が購買力あると思う。

リア充、あるいはどん底から完全に立ち直った人間に購買力があるとは思えない。
・・・って言うか、完全に立ち直るとか、真人間とかいないけど。
リア充と呼ばれている人もお花畑をフルタイムで漫喫してるわけなじゃいけど。
むむむ、オレは一体何を言っているんだ?? w

要するにダメ人間が買いたくなくなるような作品。


☆あらすじ☆
ニートの佐藤くんが新興宗教チックな女神の岬ちゃんに救済の手を差し伸べられる話。
★そんだけ★じゃないよーw

こういうのを「アニオタへのアンチテーゼ」「現代アニメのアンチテーゼ」とかいうのかな。
ってアンチテーゼってなんだよwググった、命題の反対って、数学か!弁証法って久しぶりだよ!!
使用例はなんか見たことあるからなんとなく分かるが。

思考に支障を来す様な作品だった。
内容は↑に書いてある分の感想を見たらなんとなく分かるっしょ。

ドMにオススメ、あとは岬ちゃんに惚れたら観た方がイイ・・・のかなぁ。
とりあえず、一回観てみな。

ちょっと残念なのが1~5話までエロゲとか変態チックな話がメインなことかな。
それが取っ付きにくさとなってるかも。
あと作画がひどい回が2,3回ある。一応、女の子の出番が少ない回とか選んでそうだから、
オレとしてはあんまり気にならん。ネタと思ってる。

この作品でも言ってたが、挙げられていたのはエロゲだけど、
「消費者は現実なんか求めていないんだよ!」って方にはオススメしない。

それにしても、山崎イイヤツ過ぎるな。なんだかんだで佐藤くんもイイヤツだな。
でも佐藤は完全にニート貴族。タバコに酒に、それだけで少なくとも毎月2万円超えてるだろw


そう言えば友人が言ってたが、
今の社会は「イイヤツが上に登りづらい」って。
オレは「イイヤツは上にいない」って思う。下にもね。ドコでも誰でも住みづらい世の中だよ。


OPすげー好き☆☆☆☆☆ 何、この溢れる名作臭w
EDも好き★★★★★ 虐めたいの? ええ、虐めてください♪
2クール目のEDは牧野さんの歌、こっちもええ♪♪
・・・あの赤ちゃん人間の絵、どこで見たっけなぁ~

ああ、1つだけ言っておかないとな。
{netabare}「ニートになっても、何年待っても、岬ちゅぁんは来ちゃくれないんだよぉぁー!!!」


※完走した人用の感想 → {netabare}

岬ちゃん役の牧野さんて、{netabare}シーキューブのユラ公だったのか(T_T)
・・・イイ声なのに、めぐり合わせで仕事も変わりそうだな。{/netabare}


※※以下、断定口調で述べますが語尾に「気がする」を付けて読んでね♪


この作品の裏を読むと面白いことが三つある。

一つは、誰も死んでないこと。
引き籠りもその素質があるヤツも「死にたい」とか簡単に口にするけど、
こういう人間って大抵は犯罪するようなこともないし、自殺することもない。
よく「自殺する勇気がない」とかいう言葉を耳にするが、
「~する勇気」って、あれ、勇気じゃないから。
本当に死んでしまう人は、悩むことや勇気とか、そういうの通り越して何も考えてないし、
考えられない。
だから考えられる人間は引き籠る余裕がある。

もう一つは、ラスト2話の前に引き籠りを脱出する例が2つあったこと。
1つは、見栄のために働こうとしたこと。
「かわいい女の子に引き籠りと思われたくない」
もう1つは委員長の兄ちゃんがアルバイトしてたこと。
「飯を食わせてくれれば何でもする」
兄ちゃんのが一番強い理由になる。
女の子にカッコ悪く思われたくない、とかの理由もイイ。
「空腹」「カッコ悪い」とかこういうマイナスの方向の動機は実に行動しやすい。
とりあえず佐藤くんは、
バイト先に岬ちゃんがいなかったらあの時点で引き籠り、ニートでなくなったかも。
あの動機付けで続くかは知らん。
ちなみに「岬ちゃんと付き合いたい」とかあまりにも明確な動機だと、長続きしない。
動機は単純で切実な方が、脱する力は強い。

最後は、実は周りの支えが引き籠りを脱するのを阻害していたこと。
単純に山崎や岬ちゃんがいなければもっと早く引き籠りを脱してたかも。
あの天使のような岬ちゃんが佐藤くんの自立を阻害してたかも、
という事実がなんか悲しい。
佐藤くんに関してだけ言えば、
彼自身はダメ人間だがどちらかというとイイ人間。
母さんに罪悪感を感じ、自分の状況をある程度理解していた。
しかも、妙な見栄があって餓死しそうになっても北海道に帰らなかった。
(帰るという選択肢がなかったから、交通費を残すなんてことを考えなかった。)
となると働くしかない、という状況は遠からず来ていた。
岬ちゃんや山崎が食糧支援してたから、飯の点だけでも、窮地からは遠のいた。

こういう見方をすると恐ろしいなw
もっとも、怪しい自殺のお誘い、マルチ商法地獄エンドから逃れられたのも、
あの2人の支えがあったから、という物語としての事実がある。
それに人間的な成長に大きく貢献していた。


この作品は物語として極端ではあるが、引き籠り・ニートについてよく表していた。

引き籠りの脱し方は最終話まで観ても、一話の結論から少しも変わっていない。

最後は岬ちゃんと恋人エンドっぽいけど、結局チューすらしてないし、
幸せなのか、幸せになれるのかもわからない。

ダメ人間同士が傷を舐め合っているだけにも見えるが、
それでも生きている、それで死なないなら御の字じゃん。

何でもいいから働いて生きろ、って単純なメッセージを私は勝手に受け取りました。
曲解して「かわいい女の子と楽しい時間を過ごしたいなら働け」ともw
あ~、オレもかわええ女の子とイチャイチャして~www



小説のプチ感想 {netabare}
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
小説だと山崎も佐藤くんもかなり末期だなw

アニメの元ネタは1クール分ぐらいしかなくて、
大筋の流れは同じでも、その過程が大分異なるので、アニメと小説で2度楽しめる。
岬ちゃんについて詳しく書かれているから、感情の入り方が変わった。

どっちにしても、凹む内容だwwwww

アニメは、カッコいい山崎とアクティブにダメな佐藤くん、可愛く献身的な岬ちゃん、
2クールでちょっとダラダラだが、エンターテイメント性の富んだ作品。
小説は、末期な佐藤くんとかなりダメな山崎、淡白な岬ちゃん、
1冊だけをサクッと読めて、より無情感を楽しめる作品。時間的にはこっち。

それにしてもアニメの脚本家?さんスゲーな。
よく小説を消化して昇華させたもんだ。
オリジナル要素てんこ盛りなのに、本質的には変わっていない。

小説は挿絵ないし、アニメ観た方が情景が思い浮かべやすいので、
岬ちゃんの可愛さを漫喫したかったら先にアニメを。
先に小説を読むと、きっと主人公と自分、他の登場人物も知り合いに入れ替わるから、
ドM日本代表は先に小説を。

どっちから入っても楽しめると思う★ ヒッヒッヒ

投稿 : 2024/06/01
♥ : 21
ネタバレ

とまときんぎょ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4

「じゃ、また夜に、公園で。」

2話でヤマザキ君がちゃんと出て来るまで
「ひょっとして…この隣人は孤独死していて、ついに主人公は発見してしまうのではないか。夏場だし死体の腐敗もきっとひどい。引きこもりの末路を見た彼は、部屋から出る決心をするのでは…」
という展開を妄想して、ヒヤヒヤしていました。
いや、壁の向こうで同じ曲がループ…というのがそう思わせたのでした。
みさきちゃんも、「本当に存在するのだろうか…彼にしか見えなかったら…」とか。
身構えて見てたのですが、何やら物騒なことを見せそうな雰囲気がビンビン漂っていたのですよ。

内容は、痛い。序盤は特に痛い迷走ですね。
考えたくない事から目を逸らすのに必死になってエネルギーを注ぐ事で、また目を逸らしたい事実を作ってしまう。
横道でも、邪道でも、真剣に楽しめれば、楽しませられれば、それが突破口になることもある!?
目指せ、わらしべ長者。でも、求めることはすぐに等価交換はでき無くて…。

人間万事塞翁が馬、いいと思った事、ダメと思った事も、ゆくゆくはひっくり返ったりもするような話なのかな…?と思いつつ視聴。

序盤。ヤマザキの切れやすさと主人公とのやりとりが、コメディとして楽しいです。
他の方のレビューにもあったれど、仲間の出来方が確かに急かもしれない。こんなに仲間が居るじゃないですか、主人公…。

7話まで
岬ちゃんのプロフィールを知ろうとしないのが不思議だった。どうして相手が自分に興味を持ったのか、気にならないのかな。
{netabare} 「親についた"恋人"という嘘がバレるから知っとかねば」ということで、ちょっと詮索してみるのだけど、岬ちゃんの現実に踏み込みたい訳ではない。
…高校時代の先輩とも、そうだったんだろうね。
ガードが固いんだかユルユルなんだか分からない主人公だなあ。{/netabare}

10話くらいでやっと岬ちゃんのバックボーンが気になり出して、 {netabare}しかし同時に身を引いちゃうのか…。
うーむ。。
主人公が「自分の子供時代のかわいい純真な姿」を思い返すのがなんとも切ないんですが…それは記憶補正もあるかもよー。

岬ちゃんのルートをおいて置いて、先輩へという感じですが、先輩も何か暗いですよ。 {/netabare}
ひょっとして、このアニメの展開は、
「どの選択肢を選んでも他人に委ねる限りはうまくいかない」…っていう話なのだろうか。

12〜13話
どんな暗い話になるのかと思いきや、サスペンス調でドラマチック。そうくるか!てとこが多くて、面白かった。
{netabare}自殺幇助、ダメ絶対の話。お金持ちだけど全てを失ったオジさんの身の上話、もっと聞きたかったけどな。やっぱりそこで「聞いちゃいけなかった…」て引いちゃうのが、サトー君なんだな。

主人公が1人で元気いっぱい空回りする自身の姿に、昔の懸命な学級委員長を思い起こして重ね、その頃からの無関心で怠惰な自分の事を後悔するとか、素直でグッときた…。
しかし、大活躍のお株は、自殺を考え直した眼鏡の医大中退に持ってかれる。そうですよ。遺されたお母さんや子供は、一時ではなくその後ずっと辛いですよ。{/netabare}

16、17話
ああー、やっぱり、「他人に委ねる限りはうまくいかない」流れが来た。{netabare}マルチ商法。

そしてサトーのネトゲー部屋をせっせとお掃除して、オムライス作って待ってる、岬ちゃんの健気さが凄い。おしかけ女房の鑑です。QEEN OF OSHIKAKE。
ネズミ印の商品を大袋に抱えて、満面の笑みでアパートへ帰ってきたサトー君を、待ち構えた二人。
ヤマザキ御奉行の眼鏡が光る。
切っておしまいなさい…!{/netabare}

18話
クーリングオフ大作戦。
{netabare}本当に、ヤマザキと岬ちゃんが居てくれてよかった!!
と思ったのも 束の間…

ヤマザキお奉行の背中の桜が、ネズミに散った…。わぁーん‼{/netabare}

19話
でもやっぱり仲間がいてよかったよ…。
{netabare}
委員長の兄さん、そう来たか…って意外な脱出劇を見せてくれました。
地方へ行けば結構若人は貴重がられますが、先日まで引きこもってた目と鼻の先で頑張ってる姿がミソですね。
(地方での健闘はヤマザキが担うことに…。)

高校時代の委員長の熱心さを思い起こせたことが、自殺幇助の際に主人公の身を助けた一因になっていたと思うんですが、委員長は知らないままでしたね。
{/netabare}
生命維持のための焦りと、
受け入れて見守ってくれる周囲の支えが、自立の支えになるという話。
他人の間で必要とされたいという本人の切実さ、も大事かなあと感じます。

21話{netabare}
マリッジブルーをチラつかせてサトー君を誘う「先輩」、ダメな人だなあ…。良い悪いで見たくないですが、ダメです。
サトー君の深入りしたがらない性分と、これまでで懲りた事もあってか、「不倫してみる?」のお誘いはすぐに断れて真っ当でした。
先輩は、どうあっても心の充足感を得にくい性分なんでしょうか。
難儀だと思う、それは。
しかも妊娠してるって。すぐにおめでとうを言えたサトー君は、やはり真っ当でした。

ヤマザキの家出と怒りっぽさは、保険に自らの人生と値段を決められていた所に起因していたのか…。
ヤマザキの「田舎の人間関係は、酒が呑めればやってけるぜぇ〜!」という報告に、まさか、このままアルコール依存症の流れまでこないだろうな…と心配に。もはや人生の落し穴を探せ!状態です。{/netabare}

23話あたりからは
岬ちゃんとサトー君との間がいよいよ佳境に。
やっと岬ちゃんの故郷について、ふと聞いてみるサトー君ですが、さびしいからそばに居て‼という岬ちゃんの切実な告白に、
やっぱりまた身を引いてしまう。まだまだ心の中のさびしさの実が熟さないんでしょうか。
でもちょっと男の子らしいと思えた。

ここからのラブストーリーはとても丁寧で、終わった時には岬ちゃんとサトー君のカップルが何だか好きになっていました。

ひきこもりがテーマの、回りくどいラブストーリーだったのかもしれない。
同じようなひきこもり・卑屈脱却を描いた四畳半神話大系と比べても、とてもリアルな描写が多くて重い部分もありましたが、コメディの効いたドラマチックな面も多くて見応えがありました。

とても読みづらいレビューになってしまいました。御一読ありがとうございます。でも何か、色々語りたくなってしまう作品ですね。
他の方たちのレビューも面白く拝見できた不思議な作品でした。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 28

77.0 6 鬱アニメランキング6位
シリアルエクスペリメンツ・レイン[serial experiments lain](TVアニメ動画)

1998年夏アニメ
★★★★☆ 3.7 (880)
3886人が棚に入れました
コミュニケーション用コンピュータネットワーク端末「NAVI」(ナビ)が普及した現代、中学生の岩倉玲音は、死んだはずの四方田千砂からのメールを受け取る。その日以来、玲音は見えないはずのものを見るようになる。四方田千砂のメールの言葉に興味を持ち、大型の「NAVI」を手に入れるが、それ以来更に奇怪な事件に巻き込まれていく。物理世界(リアルワールド)と電脳世界(ワイヤード)、二つの世界・二人の玲音(lain)が混濁し錯綜する果てにあるものは? 「人は誰しも“繋がれて”いる」「私は遍在する」

タケ坊 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

観るものを究極に選ぶ作風の前衛カルト作品 

視聴後これは何か書かないといけないという使命感に駆られた本作ですが...
一体何から書けばいいんでしょうね。。
この作品に関して自分ができるネタバレ無しのレビューを書くという事は、
非常に表面的で浅い駄文になってしまうとは思いますが、
今更この作品に関しての新たな考察、など自身の見解を書くことに意味は無いだろうと感じるので、
本作を観たことが無い人、興味はあるが観てない人、にどんな作品かが伝わるように、
率直な感想を書いてみようかと。


色々なところで「難解アニメ」の代表ともいうべき扱いをされている本作ですが...
あにこれの成分タグでも「難解」ランキング1位。
確かに言われている通り難解だと思います。

自分は視聴前にある程度そういう情報を得て視聴に臨んだので、
講義を受ける要領でメモを取りながらの視聴となりましたが、
(視聴間隔が空くと難解なものはより訳が分からなくなるので)
正直一度目の視聴では物語のごく表面的な部分のあらすじをたどるくらいで、
本作の本質やメッセージには辿り着いておらず、なんとなく解った気になっていたつもり、で居ました。。

その後やっぱり気になって、本作に関する考察のサイトを読んだりして、
なんとなく解っていた、と思った部分も言葉で説明されることによって、
より具体的に頭を整理することができました。
(今思えば止めときゃ良かったなと思います。というのも、どうしても観る時に意識しなくても、
他人の考えや意見に左右される面があるので。この作品は特に自分で考え想像し、
頭を悩ませる事自体が醍醐味だと感じるので)

そして、2回目の視聴。
この時も1回目の視聴で足りなかったと思う部分のメモ書きを追加しながらの視聴となりましたが、
1回目の視聴では最終話観ても「ふ~ん」って感じであまり感じるものがなかったんですが、
2回目の視聴では全く異なった印象で、感慨深く観終えることが出来ました。
まぁそれでも最後までぶつ切りで観るものを感動させるようなベタな演出は一切無しなんですが笑
この辺りが本当にカルト的であり、万人受けなんか全く狙っていないというのが逆に清々しく思えます。


本作がなぜ難解なのか?と言うと、まぁ1話観ればすぐ解るとは思うんですが、
殆ど具体的な説明という説明がなく(後半に矢継ぎ早に唐突に説明されるものが一般人にはおよそ馴染みのない、
シューマン共鳴やら、ザナドゥ計画、ロズウェル事件などのカルト的なものだったりする)
設定自体もかなりマニアック、表現が抽象的であらゆる出来事が唐突に感じ、
現実なのか幻覚、幻想なのかさえも判らないような描写や台詞だったり...
場面場面の切り替わりや各話の引きも毎回ぶつ切り、
終始まぁそんな感じで展開するんですよね。。

なぜそんな描き方をするのか、作品をある程度理解すればそれなりには納得できるんですが、
普段放送されてるような作品とは全く異質なものと言えるでしょうし、
そりゃ1回観て理解しろ、という方が土台無理な話。。
今ならこんな作品を作ったら大目玉食らいそうですが、当時は今ほど円盤売上至上主義の風潮がなく、
ある程度自由な製作環境だからこそ作れたのかもしれません。
いやはや、こんな作品が世に出てきたというのはある意味奇跡的とも思えますね。


で、まだこれから観るという人へのアドバイスとしては...
本作を理解するためには、とにかくまずはシンプルに何が起こってどうなったのか、だけ、
細かい部分はあまり気にせずに観ていくのがいいでしょう。

もっと言うと、結局主人公レインとは一体どういう存在なのか?レインは何をやったのか?
もう一人の重要人物である英利政美はどういう存在で、何をやろうとしたのか?
この辺りだけに集中して観ていけば良いのでは、と思います。
それを踏まえたうえで、一体本作が何を言いたかったのか?ここを考えれば良いのではないでしょうか。
人によっては解釈が異なる事もあるかと思いますが、
本作の醍醐味はテーマ&メッセージの意味を自分なりに解釈することにあるんだと思います。

でもまぁ正直言うと、自分はこの作品を観るのはかなりしんどかったですね笑
混乱する頭を整理し、想像力で補いながら毎話観ていかないといけないし、
終始どんよりとして陰鬱な雰囲気に包まれているんですから。

ハッキリ言ってしまうと、観ていて全く楽しくはないですね笑
それでも、惹きつけられる魅力があり...また観たくなる。。
自分はこの作品の「物語」に関する評価としては、
今まで観たアニメの中でも最高評価に値する作品の一つであると思っています。

よく言われていることですが、やはり当時まだインターネットが今ほど普及していない90年台後半に、
(自分がパソコンを初めて購入してネットにダイヤルアップ回線で接続していた頃)
SNSが普及し世界中のあらゆる人同士が繋がり合うようになった現在のインターネット世界を見据えた、
先見性のある内容は特筆すべき点であり、またさらにその先をSFで描いた内容は、
時代を先取りしすぎている、とはまさにその通りかと思います。

恐らく放送当時観た人はなんのこっちゃ?という印象しか持たなかった人が多かっただろうと推測しますが、
時代が本作で描かれている内容に追い付いてくるにしたがって、
どんどん評価が高まってくる、こういった作品は本当に珍しいと言えるでしょうね。

昨今ではインターネットを題材にしたような作品も物珍しくはなく、
大抵はネットゲームの世界に入ってどうのこうの、といった内容ばかりで正直オリジナリティに欠ける印象を持ちますが、
本作はワイヤード(今で言うインターネット、ネットワーク)と現実世界、
2つの世界に於ける「情報」や「記憶」「存在」「繋がり」、
などといったある意味概念的な側面に焦点を当てて描かれており、
カルトな作風含め、唯一無二のオリジナリティを持った物語として、
観る者の好き嫌いは別にして高く評価されるべき作品だと思います。


☆声優☆

レインの声優さんに関しては客観的にみれば演技が上手いとは思いません。
というのも、演じている清水香里さんは当時現役中学生でこの作品がデビュー作なんですよね。
制作側が敢えて「不安定」な存在であるレインを演じさせるためにオーディションでかなりの人数の中から抜擢した、
というのを制作秘話として何かで読んだことが有ります。
収録はかなり大変だったようですが...制作側の意図が解ると納得できるキャスティングだと思います。

その他、速水奨さんや中田譲治さんのようなベテラン実力派も起用してバランスを取ってますが、
子役の演技には少々難があるように思います。


☆キャラ☆

この部分の客観的な評価は難しいですね。
キャラそのものが物語、と言っても過言ではないような気もしますし。。
極端な話、観方によっては1点か5点どちらでも間違いはないようにも思います。
レインに関しては、こんな登場人物の描かれ方をした作品は自分の知る限りは思いつかないので、
敢えてそこを評価して5点としたいと思います。


☆作画☆

セル画アニメの晩年期にあたる作品ですが、
自分の観たものは恐らくOPに関しては色彩が鮮やかで、後に?デジタル化されたものなんじゃないかなと思います。
作中は如何にもセル画な絵柄ではありますが、ところどころ実写映像を挟んだり、
ちょこちょこと実験的な試みがなされているように思います。 

人物の描き方(特に引きの画)などは、やはり現在のものと比べると劣ります。
背景に関しては独特の暗さ、陰鬱さをよく伝えるもので、
張り巡らされた電線など、個人的には好きですが、結構同じ場面を使い回したりもしてますね。
(OP後のシルエットと自動車の場面、たぶん敢えてやってるんでしょうけどね)
恐らく当時としても予算的にはたぶんそこまで掛けれなかったのかもしれません。


☆音楽☆

OPのインパクトは数あるアニメの中でも上位に来るものだと思います。
歌詞も抽象的でありながら、レインを歌ったものであるというのは、OPアニメーションからも明らか。
ていうか、あのPlesent Day,Plesent Time Hahahaha...ってのが頭から離れませんね笑

これに対するEDは、個人的にはなんで?と思う選曲。。
制作側の好みが濃く反映されてそうなブルース系の曲。
渋いけど歌詞含めてどうもあまり作品には合ってなさそうな気も...

作中BGMはハウリングのような電気的なノイズ、ギターのノイズなど、映像と相まって暗さと陰鬱さをより助長してますね。
まぁこの辺も低予算なんだろうな~と思いますが、如何にもなカルト臭がしますね。


純粋なクオリティー面は高い作品ではありませんが、
逆に言うとあまり綺麗でゴージャスに作っても、このカルト的でイッちゃってる作風には合わないような気もします。

オススメかと言われると、「すべての人にオススメ」とは到底言えません。。
今敏監督や幾原邦彦監督作品のような難解系のものが好物の人にオススメしたいですが、
有名な作品ですし、まぁそういう人は既に観ている人が殆どでしょう。。

色々な作品を観て、王道的なアニメは展開が読めるし飽きたなぁ、くらいに思ってる人が観た方が良いでしょうね笑
しかしながら、観るならある意味本気で理解しようと思って観ないと、ハッキリ言って時間の無駄です。
一切笑いもないし、楽しくもありません。終始暗く陰鬱です。
ギャグも萌えもありません。
大多数の人にとっては面白く無いでしょう。

でも、面白く無いからといって、つまらない作品であるとは思いません。
今まで観てきた作品の中でもただ単に「感動した」、とか「泣ける」、とかいう類のものじゃなく、
心から「これは凄い」と思える数少ない作品の中の一つですね。
(成分タグの最多が「鬱」となっていますが、観方によっては感動的な物語、とも受け取れると思います)
日本より海外のコアなアニメファンには非常に高く評価されている作品ですが、
人によっては人生最良の一作になりうる、そんな魅力が詰まっていると思います。

ある意味究極に観る者を選ぶ作風なので、名作とは言えませんが90年代を代表する傑作だと言えるでしょう。
因みに本作は「文化庁メディア芸術祭 優秀賞」(1998年度)を受賞しています。

※追記※

ずっとどっかで似たような雰囲気のものを味わったことがあるなぁ、と思ってましたが、ようやく思い出しました。
つげ義春の「ネジ式」「ゲンセンカン主人」辺りの前衛的な漫画ですね。
(絶対製作陣は影響受けてると思う笑)
たぶんつげ義春の世界観にハマれる人なら、本作を観て損はないでしょう。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 14

みかみ(みみかき) さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

問題意識は、攻殻S.A.Cにほぼ引き継がれているのでは

 2004年ぐらいになってから、人から「見ておいたほうがいいよ」と言われて視聴。

 うーん。
 「難しい」っつーか、文脈の提示の仕方が全体にフリーダムだな、っていう印象。
 だから、まあぶっちゃけ、筋を解説されないとさっぱりよくわかんなかったんだけれども、まあ、この手法の問題はさておき。確かに、けっこうグネグネとした問題意識も背景にはありそうなんだけれども。…

(注:下記、読み手に対して、非常に不親切なテキストになっております。)

 ただ当時、思ったのは「うーん、ヘーゲルとサイバーパンクが好きな人とかがつくったのかな。ヘーゲル的世界観によって、サイバースペースの到来を、予見しなおすとこんな感じになるのかしら」みたいな感じ。あとから、小中 千昭さんは、クトゥルフ好きでもあるということ聞いて、なんか納得。そうですか、と。
 他の方も書いているように98年でこういう想像力をもちえていたのは、確かにすごいのだと思います。

---------------------------

 で、下記、作品の演出とかそういう問題はぜんぶすっとばして、単に思想的評価だけのはなしですけれども、
 わたしの見立て=「特殊なヘーゲル的世界観によるサイバースペースの未来予見」という感想をベースに強引に考えをすすめてしまうと、基本的には、この作品で描かれようとしていた問題設定は、『攻殻S.A.C』のほうで、ほぼ見事に発展的に描写されおえている、と言ってしまって問題ないんじゃないでしょうか。
 一言で言ってしまうと「ベースとなる概念がちょっと古いんじゃないの?それ」ということを思ったということです。サイバーパンクとか、SF的世界観は新しいところを衝いていたとは思うけど、仮にヘーゲルが下敷きだとすると、それはちょっとなぁ…みたいな。

 も少し、長く言うと「インターネットだとかの情報システムによって、社会の構成が変化する」とか「様々な人が、<なぜか>同一の行動をとりはじめる」ということを説明するためのモデルに、ヘーゲルの想像力をベースに使うか、複雑系とかの想像力をベースに使うか、というところで。
 lainは、(たぶん。たぶんだけれども)200年前のえらい哲学者であるヘーゲルあたりが下敷きで。
 攻殻S.A.Cは、(これも、たぶんだけど)比較的あたらしい複雑系とか、サイバーカスケードの議論とかを一定程度踏まえている感触。

 わたし、古典をきちんと読んでない人なので、古典をきちんと読んでるようなスーパー教養人だと、古いものをベースとすることの意味まで含めて味わったりできるのかもしれないけれど、わたしはそこまで舌が肥えてないので。
 えー、うーん、古くしか見えないわぁ…みたいな。

 まあ、あと、ヘーゲルっぽいけど、ヘーゲルそのものでもないだろうというのも、あって。そこらへんが、まあ、こういうもの評価するときに、こういう話もちだすとめんどくさいところもいろいろあるんだけれども…
 

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下記、もうちょっとだけ、詳しいコメント
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 たぶん、この作品の問題意識を「古い」と感じるかどうか、というのは、おそらくヘーゲル的歴史観を古いと感じるかどうか、みたいな論争と、おそらく一緒なんじゃないか、と思っています。
 わたしは、そこらへんの論争の非常に込み入った話は、正直ものすごく遠巻きにしかわかってないので、けっこう表層的な理解かもしれないけれど、わたしの理解の範囲で、キーワード散りばめる程度に、少し書いておきます。



 ヘーゲル大先生は、200年以上も前に「時代精神」とか「世界精神」って言っていたわけです。
(ここらへんは、興味ある人は、「ツァイトガイスト」とか「ヴェルトガイスト」とかでググッてみて、よくわからんと思ったら、ヘーゲルの入門書を図書館で手にとってください。わたしもあまりわかってませんので)

 で、ヘーゲルのそういう話って、ある種の歴史記述とか、巨大な「世界史」みたいな運動記述としては、確かに200年前の時点だと「イイわ、コレ」みたいなところがあったとは思うのですよ。今みても、さすが、ヘーゲル先生するどい!みたいなところは、あるとは思うんだけど。200年前は、資本主義経済とか、出版文化とか、その手のテクノロジーや制度の変化によって社会メカニズムが高速に変わっていくことを説明する概念がなかったので、その時はすごくよかったんだと思うんだけど…。
 でも、それって要するに現代の理論的にはいえば、進化ゲーム理論とか、生態論のメタファーあたりをコアにして議論されている、カスケード・メカニズムの話とか、文化の生態論的な発展プロセス記述とか、そういうもので代替可能な議論になっちゃっているんじゃないのかしら?素朴に。もう、ヘーゲル的な歴史記述とか、世界把握の仕方は限界含みな感じがありありと出てきてしまっているのでは?と、わたしは思っているわけです。…わたしは思っている…というよりか、まあ、別にそう思ってる人はわたしだけじゃなくて、ものすごくたくさんいるとは思うけど…。



 ただ、この手の議論の難しいのは、Вистерияさんが書いているリチャード・ドーキンスの「ミーム」みたいな話を持ちだされると、ミームの話って、ある種ヘーゲル的な発想を、現代の比較的新しい理論と接続しているような印象があるので、わたしが先述したような、「古い理論 vs 新しい理論」みたいな対立構造は難しくなっていて、すごく評価に困るんだけれども。
 まあ、ミームの話もわたしは話半分ぐらいしかよくわかってなくて、「ミーム」という説明形式を採用することによって見えてくるものもあるとは思うんだけど、なんか「ミーム」って概念としての使い方が、まだなんかちょっと難しいつーか、提唱してる人たちは細かいロジックを構築してるとは思うんだけど。なんか、細部の概念の彫琢の仕方がよくわかんないです。



 わたしも、この手の社会/文化生成プロセスの説明理論についてガチで興味あるわけでもないので、ヘーゲルと、アクセルロッドと、ドーキンスが全部好きです!(+サイバーパンクも好き)みたいな人がいたら…というか、それはもはや、何かの専門家みたいな人だと思うけど。そういう人にlain見せたら、なんか、面白いコメントしてくれたりするのかも?
 まあ、わたしも、これ書きながらヘーゲルとか、ひさびさに勉強しなおしてみようかな、みたいな気分にはなった。

 lain好きの人は、まあとにかくそこらへんの論争フォローしてみると、たぶん、面白いと思います。


追記:
・適当に、「serial experiments lain」「ヘーゲル」でググってみたところ
 あんま、ヘーゲルと絡めて書いてる人だれもいないのね…わたしの見方が偏ってたんだろうか…うーん

・「『攻殻機動隊 Ghost in the shell』の話のほうこそ、ヘーゲルのガイストの話じゃんか」と書いてらっしゃる方がいて、ああ、そういう見方もあるのね、と思った。
 まあ実際『攻殻機動隊 Ghost in the shell』のゴースト概念はけっこう適当なので、『lain』の批判対象として機能するのは『攻殻S.A.C』のほうだと思います。

・あと、lainの命名の由来は『引き裂かれた自己』のロナルド・デイヴィット・レインなのか…。じゃあ、何、基本的には精神分析系のメタファーでこれ作ってんのか?いや、でもサイバースペース全般の話かいてるんだから、やっぱり、精神分析=個体の話がベースなので、社会的なメカニズムの話にメタファーひろげると、それはやっぱりヘーゲルに見える…のはそんなに変じゃないと思うんだけどな…。

・あと、アンサイクロペディアの解説が一番おもしろかった。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 11

hiroshi5 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4

LAIN Complete Review: The meaning of existance

非常に難しい作品です。多分、満足いく理解など一生得られないのでしょう。
シーンが所々なんの因果関係も無くぶっ飛んだり、訳の分からんセリフを放ったりと、もうなんのこっちゃ。
またストーリー自体突然の神の出現で一気に世界観が歪みますし。

そんな難解な作品なんですが、メッセージ性は非常に強いです。
一番注目するべきはこの作品が面白いか、理解できるものかではなく自分なりに作品のメッセージを把握して実生活に生かすことだと思います。


☆物語
簡単な物語の説明をしましょう。
レイン(またはlain、玲音)は人間の自立進化を成し遂げる為に作られた実験用プログラムです。ワイヤード(現代でいうインターネット)上に完全なる自意識を具現化することができれば、我々は肉体という原始的障害を乗り越え全人類で共感という総合的意識で束ねることができるのではないか?というのが現代の自立進化です。

自立→肉体からの解放です。

レインは自我を持たないワイヤード上に存在する普遍的存在でした。それをどこかの科学者が肉体を構築し、そこに玲音という自我を入れた。

レインはワイヤード上の普遍的存在(作品上の定義では「神」となっていた)で、玲音はリアルワールド(現実世界)に存在する一個人です。

実験では玲音にワイヤードの接触させ、玲音がレインと同一化した時に起こる自我の形成という点を研究したかったのだと思われます。

しかし、本編で実際の起こったのは完全なる「神」の出現でした。

現実世界にある筈の自我の意識というものをワイヤード上に完璧に具現化できるようになると、情報操作どころか人間、歴史の改竄ができてしまうということでした。


これの理由はシューマン共鳴とミームにあります。シューマン共鳴(共振)とは地球の地表と電離層の間に存在する電磁波みたいなものです。
本編ではこの共振を電線が常に微量の音を発するということで表現していました。

ミームとは自己複製子の可能性としてかの有名なドーキンス氏が定義した一種の理論上だけで存在する総合意識のようなものです。遺伝子とは似て非なるものです。
ミームは人間の進化に関わってきたとされるもので、自然淘汰から生まれる遺伝子の適応性(ダーウィンの進化論)以外にも人間の総合的に左右する無意識下での伝達があるのではないか?という仮説から生まれました。

簡単な例を「ジーパンを履く」という風習を使って説明しましょう。有る時期に人がジーパンを履くようになった。これをミームを使って説明すると以下の様になります。

『1840年代後半のアメリカで「ジーパンを履く」というミームが突然変異により発生し、以後このミームは口コミ、商店でのディスプレイ、メディアなどを通して世界中の人々の脳あるいは心に数多くの自己「情報」の複製を送り込むことに成功した。』

この人間の無意識下で影響を及ぼすミームというものがシューマン共鳴によって引き起こされていると考えるとどうでしょうか。
そしてワイヤードというインターネットが己の自意識を具現化できるようになるというのはネット上にミームを展開できるということです。

そして、ミームはシューマン共鳴で繫がっている。つまり、自分の脳内でネットの接続できるということです。
レインが最終的に本編でしていたことは自我というものを全人類の中に偏在化させ、情報操作をするということです。
これが、レインは神だと言われる所以です。


この作品が理解しにくい理由として「世界観」というものが挙げられます。
レイン(主人公)が特別な存在であった為見る側にもその変な世界観がダイレクトに伝わってきます。

一つ簡単そうで簡単じゃない本編に関係する思考を提示してみましょう。
「あなたたちすべてが私の自己だ」
これはユングが彼の生徒に自己の概念の説明に使った言葉です。
己の自我というのは自分に服するものであり、それ以外の何ものでもないと考えるのが普通かも知れませんが、ユングは自己などという意識を超えた存在を仮定しました。

あなたは、自分の意識、意思を自分のものだとどう証明しますか?

自分が自分がここにいるなんて普段考えませんが、ちょっと考えてみると意外と面白いものです。一つの考え方として存在は「認識」によって生まれるという説があります。

例えばあなたの目の前に「机」があったとする。あなたはそれを「認識」して、机だと判断する訳なんですが、この机をもし透明にしたらあなたはそこに机が存在すると分かりませんよね?透明ってのは物理的には存在してるんですけど、人間に五感では感じられないという意味で言っています。

別の例を出しましょう。ある誰もいない森の中で松ぼっくりが落ちたとする。しかし、それを誰も見てもいなかったし、音も聞いていなかったとする。では、松ぼっくりが落ちたというのは事実なんでしょうか?「認識」されなければそれがたとえ本当に落ちたとしても「現実」という世界の中では表現されないんですね。

つまり、人間が「認識」したものが個人の世界である。そして、その「認識」されたものを人間の総合的な意志として集約させたものが「現実」です。

これは科学的には裏づけされている話でもあります。粒子力学の世界ではアトムより小さい単位を研究するにあたってある現象を観測しています。トンネル現象もその一つで、物理的に通るはずの壁をその極小の単位がすり抜けることです。他にもその単位が急に消えたり観測できなくなったりと、「認識」による観測だけでしか仮定できない現象が起こります。
有る意味「認識」によって物体の存在が肯定されるというのは間違いではないんですね。

で、このセオリーがどうこの作品と関連付けられるのかというと、色々あり過ぎてちょっと説明できないかもです・・・汗
神の存在は認識から肯定できるのか?だったり意識を具現化したときに「認識」の定義はどうなるのか?など、この作品自体オカ
ルトなので様々な方向に広げていくことができそうです。

そこら辺は視聴者の皆さんにお任せしますねw

難しくて理解出来ない作品ですが、私にとってアニメの可能性というものを教えて貰った作品でもあります。やはり、こういう実験作みたいなものを表現する媒体としてはアニメが一番優れていますね。

皆さんも一度、レインの世界に浸かっては如何でしょうか。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 11

85.0 7 鬱アニメランキング7位
ef - a tale of melodies.(TVアニメ動画)

2008年秋アニメ
★★★★★ 4.1 (1575)
8428人が棚に入れました
天才美少女の広野凪にいつも振り回されている火村夕は、ある日、雨宮優子と言う不思議な少女と出会う。優子は夕の事を知っているようだが、彼女の事は夕の記憶には無かった。優子は、夕に不可解な言葉を残して立ち去る。
一方、従兄妹の麻生蓮治の家に泊まりに来ている羽山ミズキは、美しいヴァイオリンの調べを耳にする。それは蓮治のお隣さんの音楽家、久瀬修一の奏でる演奏である。蓮治の母、麻生すみれは、休暇中のミズキの世話を久瀬に頼むのだが--。

声優・キャラクター
中島裕美子、遠近孝一、後藤麻衣、浜田賢二、伊藤静、古澤徹
ネタバレ

てけ さんの感想・評価

★★★★★ 4.6

efの集大成、演出が奏でる音色

原作は未プレイです。
内容は1期の「ef - a tale of memories.」の続きとなっています。

1期レビュー→http://www.anikore.jp/review/397865

1期で残された謎や伏線を回収しつつ、現在・過去・未来、重なりつつも進んでいく。
まるで1期と表裏一体の世界にいるような感覚。
{netabare}
しかし、ほんとに表裏一体だったとは……音羽というそっくりに作られた二つの街。

一瞬入る雪の結晶のような演出。
吐く息が白いかどうか。
雪が降っているかどうか。
服装はどうか。

それで舞台がどちらなのか、1期の時点で判別できていたんですね。
{/netabare}
また、シリーズを通し、最初から最後まで演出が光り続けた作品でした。

・キャラに語らせる。
・動きに語らせる。
・背景に語らせる。
・音楽に語らせる。
・色に語らせる。
{netabare}
melodies=音色。
「音の色」。ちょっとダジャレが入ってますが、色の使い方が秀逸です。
差し込む光の色。
キャラクターの目の色の変化。
キャラクター目線での世界の色の変化。
室内で光になっている部分と影になっている部分の違い。
そういったものが、キャラクターの心理状態を表しています。
{/netabare}
1期同様、見る度に新しい発見があります。

そして、OPがすごいですね!
「ebullient future」。
和訳すれば「あふれるような未来」。
頭文字を取れば「ef」。
{netabare}
OPがどんどん変化していく。

時には色が薄れ、時には色を失い、時には誰もいなくなって、音すらも失う。
しかし、それでも少しずつ色や形を取り戻していく世界。
{/netabare}

普段は飛ばしてしまうことの多いOPやEDテーマ。
しかし、この作品でそれをやってはいけません。
「きこえますか?真実のメロディ」がキャッチフレーズ。
この言葉を守りましょう!

{netabare}
11話で1期のメンバーが集ったときには2回のOPが。
しかも、1期のもの。
しかし、姿は消えることなく形を保ち、傍らには誰かがいて、鎖は破られる。

最終話のED。
……今までのOPやEDでは見えなかった人々の姿が現れ、ついに彼は束縛から抜け出し、すべては色を取り戻す。

もはや、OPとEDだけでストーリーができあがっています。
{/netabare}

ストーリーもクオリティが高いし、演出も相変わらずすごい。

まあ、突っ込みどころが無いわけではありませんし、演出の完成度は、1期の方が上の気がします。
しかし「1期と比べて」というだけであって、これ単体での演出力も相当な高さです。
1期から積み重なってきた物語と演出の集大成が、大きく心を揺さぶってくれます。

最終回、最後の5分の演出は……・゚・(つД`)・゚・ ウワァァァン


残されたテーマ。

{netabare}
最後のセリフ―

街を風が吹き抜けていく。

風は冷たく、時には立ち止まってしまいそうになるけれど。

そういうときは、ゆっくりでもいいから進んで欲しい。

いつか必ずたどり着けるから。

悲しいことがあっても大丈夫
手を伸ばせば、そこには誰かがいて。

ぬくもりを分け合うことができるから。

ひとりでは辛い道のりも、つないだ手を離さなければきっと乗り越えられる。

だから、あきらめないで。
長い長い道の先には、幸せが待っている。
幸せが重なり合い、さらに大きな幸せに。

そして、いつの日か気づいてほしい。
あなたがあるいてきた道の途中に、いくつもの幸せがあったこと。

忘れないで、あなたはひとりぼっちじゃない。
確かな足跡を刻み、季節を越え、空を見上げて

翼がなくても、きっと行ける

いつか夢見た

光あふれる「明日」へと――


重くて辛い苦難の中、みんなが諦めないで努力して生み出した絆。
その絆と絆がつながり合うことで、奇跡のような結末へと繋がる。
偶然でも何でもない、そこにあるのは必然。

そして流れる「ever forever」。
また「ef」。
{/netabare}
切ないながら希望を与えてくれる言葉。
これが、この作品にこめられたメッセージそのものですね。


なお、同時期に「とらドラ」「CLANNAD AFTER STORY」「とある魔術の禁書目録」などのビッグタイトルが放映されています。
その影に埋もれた、ある意味不遇なアニメですが、アニメーションの力を存分に引き出した、非常に完成度の高い作品です。

シリアスな内容なので、苦手な方もいるかもしれませんが、私のお気に入りのアニメ。
1期から通してぜひ観て欲しいと思います。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 67
ネタバレ

takumi@ さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

想うことを、夢を、自分を、諦めない限り・・

音羽というだけでハッキリした地域は指定されていないが
数年前に大きな震災があったという設定のもと、展開されているこの物語。
2期であるこの「melodies」のほうでは、震災で失ったものや
背負うことになった心の傷がより色濃く描かれていた。
震災後に復興し美しい街並みが再建されてもなお、あちこちに残っている瓦礫は
心にある過去の傷のようで、それを覆うように隠すように、
仮面を被った表面上の性格を街並みが揶揄しているように見えた。
でも、どちらも存在している街に変わりはなく、どちらもその人自身である
ということを忘れてはならないのだろうと思う。

そしてオーストラリアに作られたという同じ「音羽」の街は
地震後の瓦礫も傷もないままの作り物の街であり理想であり、
夢が具現化された街ということなのかもしれない。

そういったことと並行して、1期で詳しく描かれていなかった大人たちの過去と現在。
火村の背負うものと優子の関係、義兄妹である優子と雨宮の事情、
ヴァイオリニストの久瀬が抱える苦悩とミズキの関係がじっくり描かれる。

女好きで人懐っこいが {netabare}死を覚悟した持病を持っているため {/netabare}
「清算」といって次々関わりを捨てているくせに孤独と死を恐れている久瀬。
彼は負ける勝負は最初からしないというタイプの負けず嫌い。

人を寄せ付けようとせず一定の距離を保ち、
過去の悔いをいまだ引きずっている火村は、勝ち負けで勝敗を決めるのではなく
ただ想いに対して素直に行動を起こすのみと思っているふしがある。

高校時代からの友人であるこの2人、さまざまな部分で対照的だが、
ミズキという無邪気な少女がもたらす夢という未来に少なからず影響を受け
勇気を持って変化していくその様が、観ていてとてもホッとできた。
また、このミズキ自身にもつらい過去はあり、達観して見えるのも
ふとした表情に翳りを感じさせるのも、どこか自分をごまかして見えるのも
後の展開で理由がわかり、「そうだったのか」と納得させられた。

そして、優子については1期で謎だった部分、
まだ語られていなかった大きな意味のある部分が明らかになり
彼女の深い苦しみはもちろんのこと、義兄である雨宮の苦悩と狂気も
許されることではないものの理解はできたし、哀れに思えた。
それだけに彼の最後の決意と選択には、胸の引き裂かれる思いがして悲しかった。

悲しみを人一倍知ってしまっている優子は、その名のとおり
誰に対しても優しく平等で、それがとてもせつない。
彼女の居場所は結局、現実的には教会なのかもしれないが
それでも関わったたくさんの人達の心の中に存在しているのが、せめてもの救い。

人は、心があるから悩み、苦しみ、生きているから辛いこともあるけれど
それを知ってるからこそ幸せを感じることができる。
そして、幸せなこと、楽しいことを記憶しているから離れがたい。

1期よりも、僕の過去や現在と重なる部分があまりにたくさんあって驚いたが、
そのおかげで深く共感できた分、こちらの2期のほうが好み。

1期でも語られていた想いは、さらに掘り下げられ、
最終回のエンドロールの途中で登場人物たちによって語られる言葉の数々は
日々、自分でもよく感じ、今まで信じて人にも伝えてきたことばかりだったので
深く共感したし、自分もこのまま前に進んでいけばいいのだなと思えた。

それにしても、凝った演出、練り上げられたシナリオ、
風景の美しさ、そして音楽がとても素晴らしかった。
正直言うと、女の子たちのキャラデザだけはあまり好みではなかったのだが
物語の深さと濃い演出で、まるで気にならずに最後まで観れて本当に良かった。

あにこれに参加していなければ、縁のなかった作品だったと思うので
良い作品に出逢えたことにも、心から感謝している。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 41

せもぽぬめ(^^* さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

初体験させてもらっちゃいました(^ー^* )フフ♪

■「memories」を観てから「melodies」を観ましたか!? (^・ω・^).....ンニュニュ?
「memories」を観ていない方がいましたら、気を付けてくださいね♪
えっと、スペルがなんとなく似ていますよねw実は・・・私の家の近くのレンタル屋さん・・・(;`O´)oコラー!
やっちゃっていました・・・最初に並んでいたのが「melodies」だったのですwww
しょうがないのでそっと直しておきました・・・・o(`⌒´*)oエッヘン!
 
とまぁ~前置きはさておき、「melodies」を視聴して思ったのですが、
「ef」は「memories」と「melodies」を1期2期と分けて考えてはいけない作品だと思うのですよ♪
2つ合わせてひとつの「ef」なんです!!
それを踏まえた上で・・・・・・・名作と呼ばざるを得ないでしょう(」゚ロ゚)」(」゚ロ゚)」(」゚ロ゚)」オオオオオッッッ
 
■ここがすごいよ「ef」
演出は「memories」のレビューでも書かせて頂きましたのでここでは省略しちゃいますけど、
引き続きストーリーに深みを与える演出でよかったと思います。
それよりも光っていたのが、シナリオ構成に非常に感心させられちゃいました♪
 
前作の時と同様の手法なのですが、本作品では「過去」と「現在」が交互に語られていくのです!!
しかも、前作ではなかなか気付きにくいですが、実は、2つの音羽町が存在しているのですね♪
日本の音羽町とオーストラリアの音羽町なのです☆彡
「memories」ではサブキャラの設定だった「久瀬 修一」「羽山 ミズキ」「火村 夕」「雨宮 優子」
がメインで物語が展開していくのです♪
時空も違う、そして遠く離れた2つの音羽町で、とっても切なく悲しい物語が展開されていきます。
 
でもね、物語が進むにつれて、不思議と遠く感じられた距離がだんだん近く感じられるようになって
くるのです♪
そして最後は「memories」と「melodies」でバラバラだった関係や想いがすべて繋がって見事なまで
に融合した結末がまっているのですよーオオーw(*゚o゚*)w
だからこそなのですよー♪「memories」と「melodies」で「ef」なのです☆
そうです・・・「それぞれの想い」と「それぞれの旋律」が重なった時、「ef」が完成されるのですね♪
 
■旋律=メロディーについて
なんと・・・私は「melodies」で貴重な初体験を経験してしまいました!!!(* v v)。ハズカシイ・・・
バイオリンの音色でホロリと涙が零れ落ちたのです・・・しかも・・・まだ物語の最初の方の演奏でww
そんな調子だったので、優子やミズキちゃんの歌を聞いた時は・・・(TT▽TT)ダァー でした!!
おそるべしって感じでしたね♪
もちろんOP曲やED曲も胸にジーンと来ましたよ♪でも「A moon filled sky」は凶器ですw
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
生きる勇気と~抱く未来と~皆がくれた強さ~愛を信じて~
細い指先~綺麗な瞳~忘れないのmemory~刻む面影~
もっときっと遠くを~夢に目指して~私寝顔思い出す~触れる幸せ~
空の彼方に~届いて願い~心遠く飛ばすわ~私と歩こう~
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
ところで皆さんは、途中で割り込んでくる 『01「Mut」』とかの意味は分かりましたか?
どうしても判らない人は、メール頂ければこっそり教えてあげますよ(゚ー゚☆キラッ

投稿 : 2024/06/01
♥ : 47

78.7 8 鬱アニメランキング8位
Phantom ~Requiem for the Phantom~(TVアニメ動画)

2009年春アニメ
★★★★☆ 3.8 (1089)
7155人が棚に入れました
犯罪組織・インフェルノの暗殺者・ツヴァイは、ファントムの称号を持つインフェルノ最高の暗殺者・アインと共に、与えられたミッションをこなす日々を送っていた。実はツヴァイは平凡な日本人旅行者だったが、インフェルノの幹部・サイス=マスターに暗殺者としての才能を見出されて記憶を消去され、インフェルノに取り込まれていたのである。ツヴァイを暗殺者として養成する際、サイスは思考能力が失われるほどの激しい訓練をツヴァイに課し、彼を完全な組織の奴隷として育て上げようと目論んでいた。しかし、サイスの知らないところで、ツヴァイは運命の力に負けない意志を取り戻す。サイスの目を盗み、彼の上司であるクロウディア・マッキェネンがツヴァイの耳元で「君は組織の奴隷と思ってはいけない」とささやき、自由な生き方が残されている可能性を示唆していたのだ。自分が本当は何者なのかも思い出せないながら、ツヴァイは心の奥底で組織の奴隷ではない生き方を模索し始めた。

声優・キャラクター
高垣彩陽、入野自由、沢城みゆき、久川綾、千葉一伸、渡辺明乃、千葉進歩、志村知幸、保志総一朗
ネタバレ

fluid さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

生きる理由 殺す罪悪感

【記憶】を奪われ全てを失った少年が、人殺しを強要され【暗殺者】になるまでの苦悩を描いた作品。

絶望の中にもったった一つの希望が。
自分の中に見失った生きる目的を大切な誰かの中に見つける、そんな描写が素晴らしいアニメでした。

現代人ってアニメや映画で人の死に慣れ過ぎて、どこか他人事のように見てるとこあると思うんです。
最近は、死の重さが全然感じられないアニメが量産され、死者をバカにしてるのかと思うような作品も少なくないですよね。
それと比べると【生きる理由】や【殺す罪悪感】をここまで細かく表現した作品は珍しいんじゃないかな。

■どこにも存在できない亡霊、誰でもないファントム
逃げれば組織に殺される、そもそも海外旅行中に記憶を失い帰る家が分からない、自分が誰なのかすら分からない。
【生きる理由】を失った彼らの【絶望】の描写が素晴らしかったです。

■オレは・・・殺す、生きるために殺す。
はじめて人を殺すときの描写
相手を殺す直前でためらい、舌なめずりして逆にピンチに。
人殺しになるくらいなら自分が死んだ方が良いというあきらめにも近い力の抜け方。
そして自分が本当に殺されるという瞬間、極限状態で呼び覚まされた生存本能。 ためらいの無い一突き・・・

殺らなければ殺られる、という描写をここまで精密に表現した作品は珍しい、というより他では見たことが無いですね。凄すぎです。

■無表情、そしてギリギリ保たれる精神
一人殺すだけでも物凄い罪悪感なのに、何度も何度も殺さなければいけない、暗殺者をやめれば組織に追われる。

感情を押し殺して何も考えないようにしてるのは、そんな終りの見えない【罪悪感】によって精神が壊れないようにする為なんですよね。
自分がやってることを他人事なんだと自分に暗示をかけて、意識しないようにしてわけです。
【心の壁】ですね。ちょっとしたことで壊れてしまいそうな危うい壁。

アインがたまに見せる無表情ではない表情、そこに危うさを感じました。

■生きる理由
絶望の中で生きる理由を失った彼らが触れ合うことでお互いを大切にしたいと思うようになる。
生きる希望を見つけるまでの描写が素晴らしかったです。

自分の中に失った【生きる理由】を大切な誰かの中に見出したわけですね。

人を思う描写ってなんでこんなに目を奪われるんだろう?
と考えると、人が人を好きになる本質ってここにあるからなんじゃないかな。
好かれれば好かれるほど、必要とされるほど、好きになる。

恋愛だけでなく人付き合いにも通用する原理↑なので、身近に幸せになってほしい人や子供がいたらぜひ教えてあげてください。

いきなり告白しないで自分が好きだということを相手にさりげなく気付かせるのも有効的ですね。
まあ実際、自分もそんなトラップに引っ掛かってしまったことがありますし(笑)
ポイントは気があることを相手に気づかせてから少し考える猶予を与えることですね。あとは時間が経つうちにだんだん好きになってくれるかどうか、そこが分かれ目です。

■大切な人を殺さなければいけない・・・
知らない人を殺すことでさえ物凄い罪悪感を感じて、無感情にならないと精神を保てないほどの苦しみだったのに・・・
物語の後半、大切な人を殺さなければいけないシーンがいくつも出てきます(泣)

大切な人のためなら自分の命さえ引き換えにしたり、
昔大切だった人と今大切な人、どちらの命を選ぶのか悩み苦しんだり、
泣けるシーンが沢山ありました。

無感情になんてなれない、逃げ道のない苦しみ・・・

答えなんてない極限状態で何を選び、どうするのか、目が離せないですね。

■名作だけど見る人を選ぶ?
このアニメは間違いなく名作ですね。
実写の海外映画を見てるようなクオリティ、今まで見た暗殺アニメの中で一番面白いです。
ただ、心理描写が良すぎて、、その複雑すぎる描写を読み取れるかどうかで見る人を選ぶ作品かな?

無表情でつまらないという感想も見かけますが、、感情を押し殺すのは精神が崩壊するのを防ぐためですし、無表情だからこそ輝くたまに見せる表情に隠された心理を読み取るのが楽しいわけです。

■ドラマがホント素晴らしい!
このアニメで特徴的なのが視聴者にキャラの考えを伝えるためのセリフが必要最小限なところ。
そのおかげで、心理描写から少ないヒントを探し出し、組み上げて予測するという楽しみが倍増!

人間って1から10まで言葉にしなくても伝わったり、人の考えを予測するのが人付き合いの面白いところじゃないですか。
人間って100%自分の思い通りにならないところが面白い、自由への欲求は不自由が無ければ生まれない。とも言いますしね。

アニメの心理描写にも同じことが言えると思うんです。
全てを説明してくれるアニメの方が視聴者が理解しやすいというメリットはありますが、面白味が無い。
例えるなら、映画見てる最中に横から色々説明してくれる人がいると楽しくないですよね、それと同じです。
逆にこのアニメみたいに過剰に言葉数を減らす作品は視聴者が理解しにくいというデメリット、つまりは楽しめない人の割合が増える危険性がある反面、難しいパズルを解くような楽しみを演出できるわけです。

もちろん作るのが難しいのは後者ですね。この作者さんはかなりの頭脳派。
まあどちらが面白いと感じるのかは見る人によると思いますけど、自分は難しい心理描写の方が好きですね(笑)

ちなみに小説やラノベのように文字が原作のアニメは前者のタイプ、つまりは全部言葉で説明するアニメになりやすい傾向が。そこはアニメ制作会社の腕次第?

■ニトロプラス
ニトロプラスの原作は銃やメカ、戦闘の知識がはんぱないですね。ビックリさせられます。
なのでバトルアニメとして評価する人が多いみたいですけど、本当に評価するべきなのは中身。このアニメはドラマが素晴らしい!
心理描写のクオリティは今まで見てきたアニメの中で最高クラスでした。

■ドイツ
サイスマスターはドイツ出身。
アイン、ツヴァイ、ドライ、というのもドイツ語で1,2,3、つまりファントムの1番目、2番目、、という意味ですね。

■アインの真実{netabare}
アインはあんなに強そうに見えたのに実は心の中は普通の人よりか弱いらしいです。それを聞いてビックリ。
サイスは弱いと表現してますが、言い換えれば人の痛みに共感しやすい、感情が豊かってことなんですよね。

何も感じない無感情な人間に見えたのに、実は【感情豊かな人間】。

そういわれると納得で、人の痛みに共感しやすいからこそ自分の感情を押し殺さないと耐えられなかったってことなんでしょうね。
人殺しを何も感じないような人間は自分の感情を押し殺す必要なんてないですしね。

今、振り返ってみると、たまに無表情がピクリと崩れるシーンがありましたけど、ああ、そういうことか、という感じです。
ギリギリ保っていた無感情が崩れそうで崩れない、そこにギリギリ精神を保ってる様子が現れてたわけですね。

ということは、感情豊かな方が人形になりやすい?
サイスが選ぶファントムシリーズって女の子しかいないけど、あれって感情豊かな女性の方が人形のように洗脳しやすいってことなのかも?

それにしても・・・
記憶も帰る家も無くして、何もない、生きる理由も分からない、唯一の存在理由があのサイスマスターだなんて可哀想すぎですね(悲)
考えることを許さず人形のような振る舞いを強要するサイスマスター・・・
対する玲二は優しいクローディアのお気に入り。そんな彼を見て思うところがあったに違いない。

玲二は2番目のファントム、アインと同じ境遇。
今まで一人だったのに、自分にそっくりな玲二を見ると暗殺者としての自分の姿を写し鏡で見せられるような状況に・・・
これって何も考えないようにしていたアインにとっては大ダメージ!
玲二を見ることで自分が人を殺してるんだということを自覚し、罪悪感で震えるシーンもありましたね。
→暗殺の手順を冷たい表情で話す玲二を見て、もういいわ、と静止するアイン。

その後、クローディアから自分で考えなきゃダメよと言われた玲二。
上からの指示に対して自分の意見を話すようになった玲二を見てアインは、「考えると壊れるわよ」と一言。
殺す罪悪感と向き合うなんてアインには出来ないこと、そして、アインは考えることを許されない人形扱いなのに玲二は考えることを許され人間扱い。

そっくりだと思ってたのに、違いを感じ始めるアイン。
羨ましいような、嫉妬のような、自分には無い強さへのあこがれもあるのかな?
色んな感情が入り混じり自分にも理解できない感覚に少し嫌悪したんだと思います。
人間ってそういうとき、とっさに反発しちゃうものですしね。
アインが玲二に反対的な意見を言ったのもそういうことなんでしょうね。
子供が好きな子に反発したり意地悪しちゃうのも同じ原理。←自分が理解できない恋愛という感情に嫌悪し、本能的に防御反応を見せる。

そしてアインの玲二への気持ちが決定的に表れたシーンがこれ。
サイス「クローディアにツヴァイを寝取られないように」
アイン「寝取られても任務に支障はありません」
サイス「そうだな」
アイン「・・・」
ちょっと女の子っぽい反応に見えますよね。

そんな見え隠れする感情にアイン自身も気づきながら、だんだん玲二に魅かれていく様子、玲二に【生きる理由】を見出していく様子には見ごたえがありました。

あと最後、自分の意思では人を殺せないアインがサイスを殺すシーンはスカッとしました(笑)
{/netabare}


■感想{netabare}
生きる理由も見当たらない絶望の中、大切にしたい守りたい誰かに出会い、
何人も殺すことで生き延びた自分の命ですら、たった一人のために引き換えにするという生きざま。感動しました。


組織に追われるクローディアをリズィが殺さなければならないシーンはすごかったですね・・・
他の誰かに殺されるならせめて自分の手で・・・という言うことなんでしょうね。
クローディアもそれが分かってるからこそ最後に砂浜を選んでリズィに身を任せ、リズィが打ちやすいように決して後ろは振り向かない・・・
「最後まで・・・ごめんね。」の一言はうるっときました。

そんなリズィも結局キャルに殺されちゃいましたね・・・
玲二にもキャルにも死んで欲しくない。二人が殺し合うのなんて見てられない。
例えキャルが望み通り玲二を殺したとしても何も残らずに苦しむことが分かってたんでしょうね。
クローディアを殺した自分と同じ思いはさせたくなかったんじゃないかな。
命を懸けて、銃口を向ければ分かってくれると信じたのに結局・・・
例え、自分が死ぬことになってもそれで少しでもキャルに何か伝わるのなら、っていうのもあったんでしょうし、何よりクローディアを失ってこれ以上誰も失いたくないっていう気持ちが強かったんじゃないかな。
リズィ、良い人すぎるでしょう!


キャルはキャルで撃ち殺すことないじゃん、とは思いますけど、、もうそれくらい狂ってる、玲二しか見えてない。。
姉を殺され一人になった女の子、そんな孤独を救ってくれた玲二。
唯一信じていた好きだった人に裏切られたら、そりゃ2度目の孤独ですしね。中学生くらいの女の子ならなおさら。
もう何も信じられない、リズィの優しさすら心に届かない悲しみを抱えててもおかしくないですね。

キャルの成長は2年でそんなに?とは思いますけど、着てる服が大人っぽいだけで年齢は15~16くらいなんですよね。
その年齢の外国人が日本人の大人くらいの身長っていうのは考えてみれば自然な話。
リズィと2ショットのシーン見ると分かりますけど外国人にしては背低いですしね。子供なんだなぁって言うのが良く分かります。
胸は・・・まあ日本人でもあれくらいの成長の子は居ますよね。

キャルの憎しみはパッと見ホント異常すぎですよね。
でも、あの憎しみが実は玲二への愛情の裏返しなんだと思うと、どれほどの喪失感なのか・・・切ないですね。
もし、再開した玲二のそばにアインが居なかったら・・・キャルのその強い思いは憎しみとは別の表れ方をしてたんじゃないかな。

自分には玲二しかいない、でも玲二がアインを選ぶのは目に見えている。
微かな希望にかけて、玲二に振り返ってもらう問いかけをすることはできたんでしょうけど、期待して断られたら・・・もうこれ以上の喪失感には耐えられない、何度も失って心は壊れる寸前だったに違いないです。
それに、そんなのは彼女のキャラじゃない、自分の性格が許さなかったんでしょうね。中学生くらいですしね。

壊れかけの心を守るためにどうしても素直になれない。
これ以上傷ついたら耐えられない、絶対に本心は悟られたくない。
憎しみ続けるという理由づけが無いとそばに居続けることが出来ない、命を狙うことでしか振り向いてもらえない。
そんな選択しか残されていない彼女が可哀想すぎて仕方がなかったです(泣)

あの憎しみは一緒に居るためのフェイク。
素直になれない仮面の下には2年前の優しい女の子が居るわけで・・・あの優しいキャルが玲二と再会してるんだと思うと悲しくなりますね。


振り返ってみるとこのアニメって、バトルアニメなのにバトルアニメな感じがしない。
いやいや、バトルのクオリティは素晴らしいわけですが、それ以上に心理描写が素晴らしかったということなのでしょう。

あと、敵味方が入り混じる描写が多い割に、台詞の中に「敵」「味方」「正義」「悪」というワードが見当たらない。
この点に気づいた瞬間、このアニメすごいぞ!と思いました。
この世には誰から見ても「善」「悪」に見えるものは存在しない、有るのは誰にとって誰が利となり害となるか、ただそれだけなんです。
だからこそ、偏った意識を他人に植え付けるようなそれらのワードを使用しない。分かってるわぁこの作者!
作者は善悪についての理解も素晴らしいんだな、ホントとビックリさせられました。


音楽もすごく良かったです。
作品のイメージと音がすごく合う!
OP、EDの歌詞が作品にマッチしてるあたりを見ると作品内容を知ってる人が書いたのかな?
自分もそうですが、こういった心理描写が細かい作品はとても伝わってくるものが多くイメージしやすい、そしてレビューの走りも止まらない!
そんな作品だからこそ音を発注された側もイメージが沸きやすく良い音楽になったのかもしれませんね。


最後は、玲二があっけなく死んじゃいましたね・・・
え?って感じでした(笑)
まあでも、はかないものほど輝くとも言いますしね。

自分が生き延びるだけならいくらでもやり方あったはずなのに、アインを、大切な人のために自分の命を引き換えにという生きざまでしたしね。

罪悪感をずっと感じながら、いつか報いを受けると何度も言ってましたし。
先が長くないことなんて分かってたんでしょう、それでも少しでも長く、二人で生きる道を選んだわけです。

それを考えたら、こんな終わり方も逆に良いかも?


追記:
凄腕なのに銃弾受けたり、ラストあっけなく死んだりしておかしいという感想もありますが、良く考えてみましょう。
実際、視覚から攻撃されたら人間はよけることが出来るでしょうか? ほぼ不可能ですよね。
あらかじめ周囲の空間を把握して、どこに敵が潜んでてどこから攻撃が来そうか予想し、反射的に動けるように心構えすることくらいしかやれることは無いんです。
それが索敵能力ですね。プロなら索敵能力もかなり高いんでしょうけど、所詮人間です・・・限界がありますよね。不意打されたら普通の一般人にもやられます。

だからこそ、暗殺で一番重要なのが言葉のごとく、隠れて見つからないようにしながら相手に気づかせる前に先手を取る。
そして倒した後にどれだけ静かに逃げ切るかも重要ですね。 音を立てれば相手の増援が来て面倒ですし。 顔バレなんてしたら最悪、あんな風に町中で普通に暮らすことなんてできなくなりますよね。

つまり、狙うのが上手いからといって、狙われるのに慣れているとは限らないということです。
むしろ影から痕跡を残さずに殺すのが上手い暗殺者ほど狙われる経験が少ない、なんてこともあり得ます。
そもそも、銃弾かわせる人間なんて居ませんしね。狙われた時点ですでに遅いんです。そんなことできるのはマトリックスのネオくらいです(笑)

バトルアニメに登場するキャラクターって強い=攻撃も防御も強いっていうイメージが定着してますけど。
そもそも防御力っていう考え方もおかしいですよね。
どんなに肉体を鍛えた人間でも、あっさり殺せる方法いくらでもありますしね。 素手やナイフで十分なんです。
ましてや銃なんかで狙われたら回避なんてほぼ不可能。 銃で狙われて手を挙げるシーンがよくありますが、そういうことです。
さらには視覚から、さらには遠距離から狙われたら・・・察知や予測(索敵)すら不可能になります。

最終回で玲二があっけなく死んだのも、え?ファントム弱いじゃんって思うかもしれませんけど。
今まではインフェルノが隠れみのになってて、顔バレも無く素性も謎にされていたおかげで普通に生活できてたわけです。
素性を知ってるインフェルノに追われる身になった時点で決着はついてたわけですね。

インフェルノを裏切ったら長生きは出来ない、それでもアインを逃がす道を選んだ、ということなんでしょうね。
そう考えたら、あの、あっけない死に方・・・素晴らしい自己犠牲でした(笑)


あと、車乗ってるようなキャラがいきなり学生になるのはおかしい、っていうのもあれは実際に年齢が高校生なわけではなく、大人が学校に潜伏しているというイメージですよね。
ものすごく老けてる高校生もいれば、物凄く若く見える大人もいますし、5~10前後の違いならありえない話ではないですね。
キャルの成長がおかしいという人は、海外の15~16の女の子を実際に見てみると良く分かると思います。物凄くでかいです(笑)
{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 25
ネタバレ

love_kg さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

最終シーンの賛否両論以前に、終盤の展開について語ろーよw

原作未読です。

物語 ☆3.5
1〜3話、訓練編。4〜6話、ファントムとしての仕事。
ここらまでは展開も遅く、さして面白くは感じませんでした。

7〜10話 (11話)、逃走編?。は、良いテンポで話が進み先がどんどん気になりますね。{netabare}しかし最後のアインと礼二が撃たれた所は普通死ぬでしょw、しかもそのまま海に落ちるしw特に礼二なんて3発打たれてますからね!後々出てくる傷跡は肩口の辺に3発撃たれた跡がありますが、撃たれた場面を見ると腹部に撃たれてますよね?wwあれで生きてるのは化物です。あ、ファントムは化物みたいなもんですねw{/netabare}

12〜18話(19話)、キャル編。
ここが1番面白かったですね。ここだけなら☆4.2でも良い位ですよ(そんな星ねぇーよw)この章は、特に変な所もなく、様々な人物の思惑が交錯して面白い感じになってますw(語彙が貧困ですいません){netabare}僕のオススメは18話ですかね。礼二、アイン、サイス、クロウディア、リズィら全員が活躍して覚悟をしていきます。{/netabare}

20〜26話、日本編。
{netabare}まずopどーしたw、20話だけなら雰囲気があってたかも知れないがそれ以降の話は…。後、キャル!外人にとっての2年はそんなに大きなものなのか?w、変わり過ぎたろーww、面影なんて髪の毛の色位なもんだぜw{/netabare}

この章が1番の蛇足。まずいくら礼二の故郷だからって日本に来て銃をぶっ放すって言うのはちょっと雰囲気が合わないかなー。

{netabare}キャルがファントムとなっていますが、礼二に貰った懐中時計をまだ大事にしていて、懐中時計の音楽がきれると撃ち合うという殺し方をしてますが、あれはキャルが西部劇とかが大好きな影響でしょうか?ただ単にカッコつけてるだけだとするならあれほど寒い演出で非効率的な殺しは無いでしょー。

サイスも最後までよく分からんキャラで掘り下げに乏しかったかなー。まぁあえて考えるのなら自分の作った作品を愛してやまなかったのでしょうw

梧桐組も若頭が大輔から志賀に移ったために頭の良い立ち回りをするのかと思いきやサイスに踊らされてるだけでしたね。残念です。日本に来るまでは梧桐組は義理と人情を大切にする良い奴らだったんですけどね…{/netabare}

とりあえず日本編についてまとめると!
あんまり面白くないですw
↑ネタバレタグをみてくださいm(_ _)m

作画 ☆4.0
綺麗です。稀に崩れるのはアニメなのでしょうがないです。
{netabare}戦闘描写について、銃の扱い方とかマニアなので知りませんが、正面から撃ち合うって言うのはなんか違うなと。銃を使うなら、様々なトラップ等を使いながら気付かれず殺すって言う方がこのアニメの雰囲気に合ってると思うんですよね。なんか陳腐に見えてきてしまいますね。一体一の正面衝突と言えば、男同士の殴り合いでしょ!(笑){/netabare}

声優 ☆4.0
語れないので、割愛。特に何もないので☆4.0で

音楽 ☆3.0
op1、ed1、後挿入歌だけなら☆3.5でしたね。
op2はまじで無いでしょ!曲とかじゃなくて、背景の動画が何あれ?日常アニメ?は?まじ意味わからん!
ついでに、サントラは良い曲が多いんですがなんか使う場面が違うなーと思ったんですよね。プロの人に対して言ってるわけじゃないですよ!w
{netabare}ついでに礼二とアインが2人で車に乗って逃走してる時、礼二がop1の曲を流しますが、あれは流すなら挿入歌の方でしょ!曲名分からないけども!w{/netabare}

キャラ ☆3.5
リズィカッコいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!好きだー!
すいません、取り乱しましたw

このアニメは、
掘り下げられてるキャラと掘り下げられていないキャラの違いが大きくありますね。主要キャラに無ければ良いのですが、これがまた…(特にサイスとか、意味わからん変態じゃんw後はマグワイヤとかですかね。なぜファントムを作り、なぜ裏社会のてっぺんを目指すのか位は掘り下げて欲しいものです。)

いやーでも
礼二、アイン、キャルの3人は凄く掘り下げられていて、感情移入してしまい苦しかったですw

それとですよ!(変に語ります。)
クロウディアとリズィ!あの2人の胸熱関係?!良いですね。{netabare}18話はあの2人が輝いていました。リズィの何が良いって?やはりあの何よりも義理を重んじる所ですかね。だから友人であるクロウディアを苦しみながらも銃を向けて殺したんですねー。

いやー、リズィこそ裏社会の人間ですよw
それだけに最後引き金を引けなかったのは何故なんでしょうね?

日本では誰が好きかって言うと、みおですね。
彼女も礼二を一途に好きな所、いいですね〜。彼の本当の姿を知っても逆に応援する姿が何とも愛おしいw{/netabare}

まとめると、
キャラ項目の1番始めの文章になりますねww

総評 ☆3.6
本当の所は物語の部分を☆4.0にしたいのですが、どうしても日本編に納得出来ない自分がいるので☆3.5として頂きたいと思います。ファンの方には申し訳ない。

この物語について、
{netabare}自分はファントムは3人共死ぬと思ってましたので、最後に礼二が撃たれたのにはそこまでビックリしませんでした。逆にアインが生き残った方にビックリしましたがこれこれでありかもしれないですね。3人共、罪のない人を多く殺してきただから報いを受けるのは当たり前です。

キャル→死亡
礼二→キャルを巻き込んだ、死亡、アインと共に生きられなかった
アイン→唯一生きる意味であった礼二が死亡(あなたと一緒なら生きて行けると言っている)

この三人にはこの様に各々落とし前を付けられている。

しかし、キャルが1番マシな地獄かもしれませんね。
礼二との誤解も解け、愛しの礼二に殺された訳ですから。

こう考えると、礼二はキツイですね。
根源であるインフェルノの力を増加させて行ったのは礼二のファントムとしての力が大きいのでこれだけの報いを受けたのかもしれません。

それにしても、
綺麗に話が終わったように見えて、インフェルノは残ってるんですね。最高幹部であるマグワイヤが生きてますから。途中から彼は余り話に関係ありませんが彼を潰さなければインフェルノは残りますから、ファントムという悲しい存在はなくならないわけです。{/netabare}

色々と報われない話です。

最後に、
なんだかんだ言いましたが長い時間楽しませていただきました。ありがとうございます。時間に余裕のある方は是非見ていただきたいなと思います。

長文、駄文、失礼しました。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 2
ネタバレ

天啓 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

裏社会に翻弄される少年少女の物語

原作 虚渕玄
ニトロプラスのゲーム原作作品
殺し屋として育成され、組織に翻弄される少年少女を描いた作品
主人公 レイジ=ツバイ メインヒロイン =エレン=アイン
サブヒロイン=キャル=ドライ
※ドイツ語でアインツバイドライ=1,2,3 殺し屋1号、2号、3号という意味
主人公レイジはアメリカ旅行中 ギャングの抗争現場に出くわす
そこで 殺し屋アインのお仕事を目撃していまう
目撃者は抹殺するのがその世界での掟
しかし、アインはレイジの殺害に失敗 逃げるレイジ
最終的には組織に捕まるが 殺し屋として最高の称号であるPHANTOMを与えられたアインから逃げたことで、レイジにも殺し屋としての素質があることを アインを育てたサイスマスターから見込まれ
レイジもツバイとして 殺し屋の教育を受け 立派な暗殺者として成長して行く

この裏の世界 騙し、騙され 誰が味方で誰が敵なのか?まったく判らない
そんな中でアインとツバイの運命ももてあそばれる
20話まではとても面白くて 次が気になって気になって ほぼ一気見してしまいました
21話以降はアメリカでの裏稼業に見切りをつけ、アインと共に日本に帰り身を潜めながら暮らすレイジとエレン
ただ、高校二年生と一年生の兄弟という設定
これでもうガッカリ
どう考えても年齢設定おかしすぎる
ましてや21話の冒頭 2YEARS LATERという文字が流れる
それから二年後という意味だよな?
二年もたって高校生はおかしすぎ
PHANTOMとして殺し屋の頂点に立ったとき どう若く見積もっても18才は超えていただろう?

それの二年後だ
アインと初めて会った時 15才前後と思われるが そうるとアインの年齢は?

14才にしちゃナイスバディすぎるべ?
更に追い打ちを掛けるのがキャル=ドライの再登場
始めてレイジと出会った年齢が10歳程度
1年ほどレイジと暮らしたとして 再登場した年齢を考察すると
10+1+2=13才ということになるが
日本での再登場は {netabare}バイクに跨り、ライダースーツを身にまとい {/netabare}

そしてボンキュボンのナイスバディ
どうみても17~18才でしょ
この問題は多くの方が同じ感想をお持ちのようですね
後半はこれが気に成っちゃってね 
大きな減点
それに日本でも武器を隠し持っていたレイジとアインだけど
どうやって拳銃入手した 裏の組織に頼めば、居場所を教える様なもの密輸できるツテがあっても同じことだし 日本の公安はそんな甘くないですよ
それと21話以降OPが変わった
それまでは作品雰囲気にあった感じてすごく良いと思っていたのに
21話以降のOP曲は聞くに堪えないくらい酷かった
OPアニメもなんか雰囲気合わなかった
21話以降で興ざめでしたね
もう一点 気になった点
インフェルノの最高幹部 マグワイヤが何故そんなに恐れられているのか?という描写が一切無かったこと 最高幹部である以上何らかの成り上がり物語があり部下から恐れられる存在であるはずなのだが?
どう見ても簡単に暗殺できるようにしか思えなかったのも残念だった
最終話は{netabare}エレンの故郷と思しきモンゴルへ二人へ旅をする{/netabare}

これはなんともシュールで良かったんだが 最終的にどうなるのかが読めちゃったのもちょっと残念だった。
二人には幸せになって欲しかったのだが・・・・
年齢設定とか気にしなければ 相当楽しめる作品だと思いますが
個人的には気にする方なので・・・・
そういう細かいところの設定とかしっかり作り込んでくれいたらと思うと
もの凄くもったいない作品かと思います。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 13

71.1 9 鬱アニメランキング9位
地獄少女(TVアニメ動画)

2005年秋アニメ
★★★★☆ 3.7 (813)
5078人が棚に入れました
最近、巷に或る都市伝説めいた噂が流れていた…。
深夜0時にだけアクセスできる「地獄通信」に怨みを書き込めば、どこからともなく「地獄少女」が現れて、憎い相手を地獄に堕としてくれる。晴らせぬ怨みや世に不条理はつきもの。納得できない理由や状況に抗えぬままに悲惨な運命を辿る者は多い。
地獄少女=「閻魔あい」は彼らの悲痛な叫びを聞きとげ、依頼主に契約の証である藁人形を渡し、「地獄流し」へ至る方法を語る。ただし、「その代償として自分自身も死後は地獄で永遠に苦しむことになる」とも言う。
地獄少女は全てを見通すかの様な涼やかな瞳を相手に向け、ただ一言告げる。「あとは、あなたが決める事よ」と…。

声優・キャラクター
能登麻美子、松風雅也、本田貴子、菅生隆之
ネタバレ

入杵(イリキ) さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

人の世は諸行無常

本作はスタジオディーンが3期に亙って手掛けた「地獄送り」をテーマとした作品の1期目である。
序盤6話までは同じような話で進展が全く無いが、パターンアニメではないことを留意して欲しい。6話からは話が進展してゆく。


基本的なコンセプトは『必殺シリーズ』を元に「法で裁けぬ、晴らせぬ怨みを依頼者から引き受け成敗する」というものである。
依頼方法は『ゲゲゲの鬼太郎』を彷彿させるもので、ネット上に深夜0時に怨みを持ったもののみアクセス出来る「地獄通信」に依頼者がアクセスし、
怨んでいる相手の名前を入力すると、即座に地獄少女が現れ、首に赤い糸が結ばれた「藁人形」を渡し、地獄送りの手順を説明するというものである。
本作はただ怨みを晴らして(相手を地獄送りにして)お仕舞いという安易なものでなく、
「依頼人自身も命に匹敵する代償を支払う」という本作独自の設定がある。
そうした作風について、制作側は「“人を呪わば穴二つ”の言葉の様に、依頼者の人の命を奪うという願いには、それ相応のリスクが必要である」と語っている。地獄流しに出来る相手は1人のみで、一生に一回しか使えない。

地獄流しの手順

①怨みを持つ依頼人が地獄通信へアクセス、名前を入力
②地獄少女が現れ「首に赤い糸が結ばれた黒い藁人形」を渡す
③相手は即座に地獄送りにされるが、依頼者も死後地獄へ行く旨を依頼者に伝え、依頼者の判断に任せる
④依頼者が糸を引いた場合、場合により対象者は三藁にパラレルワールドで仕打ちを受け、罪を認めるように促す。
(認めても認めなくても地獄には流される)
⑤対象者は舟で三途の川を越え、地獄へ流される

本作は観ていて不快になる回が非常に多く、怨み(他からの仕打ちを不満に思い、憤り憎むこと)ではなく憎しみ(自分に不利益をもたらすものを嫌うこと)や僻み(歪んだ考えをすること)、妬み(他人が自分より優れた状態を羨み憎むこと)による依頼も進んで引き受けている。また特筆すべきは依頼人に18歳未満が多く(15/22)、判断力に乏しい中、刹那的感情から依頼したり、安易な気持ちで依頼するケースが多く、これは必要悪の限度を越えた由々しきシステムである。
他にも、三藁によるパラレルワールドでの仕打ちが大甘なのが非常に残念。もっと厳しくやって恐怖のどん底に叩き落して欲しい。水木しげるを好んで読む私としては例えば1話のしゃれこうべは眼球の垂れた生首くらいにして欲しい。
また、怨みを晴らされた側も現世で罪を償わせるべき。
こんな事ばかり言ってもそういう作品なので仕方が無いが。
只、8話から本格的に登場し始めた柴田親子により作品に対する考えが若干変わった。地獄少女は自分の正義により依頼を受けているわけでなく(依頼の拒否は出来る)、誰でも良いから地獄送りにしているようで、それに対し柴田親子が間違いを正すべく活躍するという話に傾倒していった。この点は非常に評価できる。

怨みは怨みの連鎖を呼び、留まることを知らない。人の世が続く限り怨みは消えない。只、人を怨むことは楽しいことではないので、進んで行うことはない。よって余程の事が無い限り人を怨むことは無いのだ。本作は遊び感覚で地獄通信にアクセスする描写があるがこれはとんでもないことだ。
例え怨みを晴らしたとしても、傷ついた心が癒えることや、無くなったものがかえってくることは無い。そのことが分かっていながらも溜飲を下げるために、遣る瀬無い気持ちを鎮めるために、人は人を怨むのである。

人を呪わば穴二つ
一つ目の穴は「自責の念」。人を殺したという強い認識は死ぬまで付きまとい身を蝕んでゆく。怨みの元と成った傷が癒えることがあっても、この認識が消えることはない。
二つ目の穴は「怨んだ者の周囲の念」。自分が怨んだ相手が、誰に対しても腐れ外道であることはほぼ無く、相手にも家族が居て、信頼している仲間がいるのだ。その人たちの怨みも消えることは無い。

因みに本当の語源は依頼者と対象者二人とも地獄(穴)行きという意味。

本作はしかも怨みを晴らすことを他人まかせにし、自分では一切手を出さないという汚い手で怨みを晴らす。代償として死後地獄に送られるが、これでは安いものだ。他力本願は時に罪なことである(私は浄土真宗(笑))。
特に本作の場合
①自ら怨む相手を殺害することにより殺人の実感を得る。
(他人に依頼する場合、金銭で埋め合わせが必要。)
②殺人の罪に問われるまでは、逮捕に怯えること、
捕まってからは罪刑法定主義に則った裁きを受ける(刑事面の裁き)
③殺人者の家族、親類は必ずと言って良いほど世間で差別・迫害され、縁者への迷惑など社会的責任を負う(民事面の裁き)
④殺人者は死後、極楽浄土(キリシタンの場合、天国)へ行けず、地獄へ落ちる。

これらの①~④の項目の内、地獄少女に依頼する事により、①~③から免れることが出来るのである。しかも、地獄少女への依頼は、「積年の怨み」のような重い怨嗟でなく、「気に入らない」「嫌い」「邪魔」などの軽い憎悪でも簡単に行うことが出来ることも安易な依頼へ拍車をかけている。


終盤の地獄少女の過去に纏わる話は面白かった。
中盤から柴田一家は完全に地獄少女に目を付けられ、終盤では酷いことになっている。柴田一とつぐみの親子の絆も感じられた。恐らく、柴田一家が登場しなければ視聴を中断していただろう。

・地獄少女の過去について
{netabare}
閻魔あいは安土桃山時代に村のためと称して「七つ送り」の人柱にされた少女、あいである。
家族の意志で密かに人柱を免れ、幼馴染の仙太郎の協力により、山の祠で生きながらえた。しかし、作物の不作を不審に思った村人達によりあいの生存が暴かれ、罰として両親共に地中へ埋められて人柱とされる。その際、仙太郎が村人に強要されてあいへ土を被せてしまったことから、自らは仙太郎と村人達への強い恨みを抱きながら一旦は力尽きるが、その後に蘇って故郷・六道郷(むつみごう)へ火を放って村民を虐殺するという大罪を犯す。この罪はあまりにも重すぎて地獄でも償いきれず、罰として地獄少女として働く責務を課せられる。

柴田一は仙太郎の家系の末裔で、そのことから、娘の柴田つぐみに地獄少女の精神がリンクした。
{/netabare}


本作は観ていて余りに不快だった為、各話毎に私の主観によるコメントと評価を付けた。
{netabare}
あくまで"主観"であるので、一切のクレームには応じない。
また、視聴後で無いと全く理解出来ないので悪しからず。

依頼人=被疑者=疑とする
対象人=被害者=害とする
得点は善:悪とする
話数の脇にある(18)は依頼人が18歳未満の意

1話(18)
疑:橋本真由美 害:黒田亜矢 40:60
金の管理はしっかりすべき。担任の教師や親に相談すべき。
2話(18)
疑:鷹村涼子 害:如月 100:0
この被害者は腐れ外道なのでOK。殺される寸前だったのでこうするより仕方ない。
3話(18)
疑:岩下大輔 害:花笠守 80:20
この被害者も腐れ外道だが、放っておいても警察に捕まった。無駄骨。
4話(18)
疑:菅野純子 害:本條義之 40:60
この被害者も腐れ外道だが、犬が処置が遅れて病死した程度で人を殺すのはいかがなものかと。その医者を選んだ責任もある。助手もわざわざ客にそんなことを教える必要は無い。墓場まで持っていくべき。
5話(18)
疑:田村美沙里 害:海部美穂 70:30
この被害者も腐れ外道だが、こんな簡単に企業経営出来るなら皆やってるよ。ストーリーが稚拙過ぎ。
6話(18)
疑:安田遥 害:戸高奈美子 80:20
この被害者も腐れ外道だが、子供が哀れ。
7話
疑:来島薫子 害:紅彩花 70:30
この被害者も腐れ外道。養子は選べということだ。被害者が哀れ。
8話
疑:田沼千恵 害:石津吾郎 50:50
よくあること。
9話(18)
疑:春日由香 害:森崎伸也 40:60
発表前の菓子をライバル店の店長に見せるな。信用しすぎ。
但し被害者がまたまた腐れ外道。
10話(18)
疑:渋谷みなみ 害:赤坂詩織 10:90
あの程度で人を怨むとは恐ろしい。逆恨み甚だしい。
最終的に怨みでもなんでも無かった。介入すべきでない。
11話
疑:片岡雅也 害:稲垣隆史 40:60
この被害者も腐れ外道。しかし親父の贈賄は事実なので逆恨み?
12話(18)
疑:沢井茜 害:深沢芳樹 0:100
意味が分からない。この程度で受理するのか?先生が哀れ。終盤は説明不足。先生も死にたければ自殺すれば良い。
13話
疑:福本 害:大河内 100:0
こういう完璧なのは良い。
14話(18)
疑:桐野沙樹 害:楠木亮造 10:90
逆恨みだが、町長も部下の管理が甘かった。
15話
疑:湊三奈 害:湊藤江 80:20
関与すべきでなかった。駆け落ちしろよ。
16話(18)
疑:マミ 害:マキ 90:10
これは父親が悪い。父親が虐待する前に精査すべきだった。監督不行き届き。
18話(18)
疑:上川美紀 害:下野芽衣子 90:10
この被害者も腐れ外道。しかし法で裁けた。犬の躾はしかっりしとけ。また判断が稚拙。調べたり相談したりしろよ。
19話(18)
疑:氏家祈里 害:氏家鏡月 90:10
バアさん暫くしたら死ぬのでは?警察に相談しろよ。
20話
疑:エスパー☆ワタナベ 害:ジル・ドゥ・ロンフェール 10:90
ジルは地獄少女に会いたかっただけだろ。
21話(18)
疑:村井優子 害:関根良介 60:40
これは警察に相談のコース。
22話
疑:末次吾郎 害:林紀子 20:80
女を見る目が無かっただけだろ。
23話
疑:男 害:桜木加奈子 0:100
心中したかった気持ちの悪い男。可愛そうに。

26話
関係無いけど七童寺の住職が地獄少女に焼殺された。哀れ。
{/netabare}

観ていると不快になること間違いなし。しかし何処か引き込まれている自分が居る。鬱アニメと言うが私は鬱要素は全然無いと考える。胸糞悪いだけ。良くも悪くも人間は元来業の深い生き物だということだ。複雑な思いが交錯し、綺麗事で終わっていないのが救いである。愛情と怨嗟は表裏一体。
四苦八苦の内、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦が象徴的に現れていた。
2期、3期もあるので是非観てみようと思う。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 27
ネタバレ

くあれ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

一度は聞いたことがあるあのセリフ…「いっぺん○んでみる?」でお馴染みのミステリーホラー作品

あらすじはあにこれを参照。

一話一話メインとなるキャラが変わるので自由な展開が出来ていて退屈しなかった。内容のほとんどは不条理で胸糞悪いと思った。作画や音楽に関しては普通。

【第一話 夕闇の彼方より】
{netabare} 大人気作ということで知ってる人も多いからなのか、いきなり各話のメインとなるキャラの話が始まって理解が追いつかなかった。地獄少女について少し説明が欲しかったかも。作画は普通で音楽は地獄少女と正式に契約した後の終盤のBGMが恐怖感というより騒々しく感じた。 {/netabare}
【第二話 魅入られた少女】
{netabare} 序盤の進め方を観た時に話の結末が分かってしまい、案の定その通りだった。真に迫るとストーカーが誰なのかが分かった。登場キャラも限定的だったなので余計に。 {/netabare}
【第三話 汚れたマウンド】
{netabare} まだ三話目だったけど、一番胸糞悪かった。人を殺してその罪を他人に押し付けて自首してと言われたら何故?と開き直る。コイツは地獄に落ちた方がいいと思った。地獄少女(あいちゃん)ナイス。 {/netabare}
【第四話 聞こえぬ叫び声】
{netabare} 私も犬を飼っていたので自分と話のメインとなる少女(純子)を重ねてしまい、気分が悪くなった。
少女の場合は、実の親子も失っているので、私よりも辛い境遇だと思い、今後は頑張って強く生きてほしいと思った。 {/netabare}
【第五話 高い塔の女】
{netabare} 何故社長にまで上り詰めたのか理解できない。客観的に観ていたらただ無能としか思えない。人の弱みを握って自分の手は汚さない。完璧な悪役の立ち位置。 {/netabare}
【第六話 昼下がりの窓】
{netabare} 奥様の中でもスクールカーストのようなものがあるとテレビで観たことがある。夫が一流企業に勤めている奥様から取り巻き奥様が出来て中小企業に勤めている夫の奥様が下に見られるみたいな。本当に胸糞悪い。夫を支えるのが妻と聞くけど、妻を支えるのは?すごく困っていて今にも病みそうな姿見ていたら頭痛くなってきた。 {/netabare}
【第七話 ひびわれた仮面】
{netabare} あまり響かなかった話だけど養母のやり方は気に入らない。二人の少女がメインで人形も二人が持つという新しいパターン。一人の少女が圧倒的に悪役っぽかったから地獄に落ちる方は予想しやすく、やはりその通りとなった。 {/netabare}
【第八話 静寂の交わり】
{netabare} この話が一期の終盤にも大きく関わっている気がする。二人の親子がね。地獄少女(あいちゃん)の洗礼してるシーンがあって興奮。毎話欲しいね。 {/netabare}
【第九話 甘い罠】
あんまり覚えてないので、機会があったら観直す。
【第十話 トモダチ】
{netabare} サブタイみて思った。「私たち友達だよね?」こういう作品にありがちなセリフだから絶対言うと思ったら本当に言ってたからシリアスなシーンなのに少し笑ってしまった。 {/netabare}
【第十一話 ちぎれた糸】
あんまり覚えてないので、機会があったら観直す。
【第十二話 零れたカケラ達】
{netabare} 担任の先生が心配して家に来るのって普通なのか?私も不登校の時期に先生が家に来てくれたことがあった。この作品の場合は少しやり過ぎ感あったけど、部屋の扉強く叩いて不登校の少女(茜)を呼び出してた。流石に母親も「もうやめてください」って言ってたし。 あんなことされたら余計出たくなくなるよね{/netabare}
【第十三話 煉獄少女】
{netabare} 地獄少女(あいちゃん)の仲間きたこれと思ったら、ただの古本屋の本の作品名だったよ。少し残念。まぁ私は地獄少女(あいちゃん)一筋だけどね。 {/netabare}
【第十四話 袋小路の向こう】
{netabare} メインのキャラの進行と同時に八話から関わっている柴田家が前回に続き登場。地獄少女(あいちゃん)を探していて、理由が地獄に送るのはよくないからやめさせるらしい。けど、それだけ?なにか内に秘めてそう {/netabare}
【第十五話 島の女】
{netabare} 禁断の恋というものだね。恋の力って凄いよね。境遇にもよるけど地獄少女(あいちゃん)を頼るほどだからね。終盤では序盤から絡んでた柴田家が人形の糸を解かないように促してたけど、あえなく失敗。ハッピーエンドいけそうだと思ったんだけどなぁ。 {/netabare}
【第十六話 旅芸人の夜】
{netabare} 観てる中で不自然な動きがあったから引っ掛かってたんだけど、分からなかったなぁ。二人いますパターンだったか。私が表で輝いて私が影で生きる的なの。 {/netabare}
【第十七話 硝子ノ風景】
{netabare} 霧の中の館ほど怖いものはない。
しかもそこに少女(ニナ)がいる。怖いわ。
結論から言うと少女はニナではなくて、ニナが大切にしていた人形だったっていう。なんかありがちな展開だけど、予想出来なかったな。地獄少女(あいちゃん)が「あなたはニナじゃない」って言った時驚いたし。 {/netabare}
【第十八話 縛られた少女】
{netabare} 犬が関わるとこの作品碌な生き方しないから嫌だな。予想通り犬死んじゃったし。少女(美紀)が親か警察に相談してれば丸く収まったと思う。犬が人質みたいに囚われてたけど、芽衣子っていうおばさんが遺産目当てで家族を殺したことを美紀に知られたと思ったみたい。 {/netabare}
【第十九話 花嫁人形】
{netabare} こいつ人間か?と人間性を疑うほどに酷いことしてて胸糞悪い。この話にも柴田家が関わってる。というかほとんどの話に今のところ絡んできてる {/netabare}
【第二十話 地獄少女 対 地獄少年】
{netabare} 後半が進むにつれて地獄少女(あいちゃん)の心情が少しずつ変化しているように思える。
地獄少年についてだけど、地獄少女(あいちゃん)のライバルになるのか?と思ったらあっけなく地獄に流されてた。地獄に行くの2回目みたいだけど、正直なんとも思わなかった {/netabare}
【第二十一話 優しい隣人】
{netabare} 柴田家が大きく絡んでくる話、隣人というのは柴田家の隣人という意味。まさかの人形使わず終わるという珍しい展開。さすがの地獄少女(あいちゃん)の仲間たちも、このままでは邪魔になると意識を改めたみたい。 {/netabare}
【第二十二話 懺根の雨】
{netabare} ようやくたどり着いた。柴田家が地獄少女に関わる理由。母(あゆみ)が他界していて命日なので御墓参りに行くという話。回想が多めの話だったけど、回想がとても胸に刺さる。一生後悔が残ると思えるような内容。でも終盤では救われた気がしなくもない。 {/netabare}
【第二十三話 病棟の光】
{netabare} 納得いかない。すごくいい人だったのにモブキャラっぽいのに地獄送りされて、地獄少女(あいちゃん)と契約した本人は自殺。終盤でまたも胸糞悪いのぶっ込んできたよ。三途の川渡る時に地獄少女(あいちゃん)が少し揺らいでた気がした。 {/netabare}
【第二十四話 夕暮れの里】
{netabare} 柴田親子と地獄少女(あいちゃん)が立ち並ぶのは初めてじゃないか?お互いの因縁も明かされてもう話も終わりそう。 {/netabare}
【第二十五話 地獄少女】
{netabare} 回想みて思ったことは他作品の【黄昏乙女アムネジア】の回想思い出したってこと。村人から生贄にされて怨み、憎しみが生まれるって展開が似てる。本当に悲しい。こういうのって支えてくれていた人が裏切った時がより一層辛くなる。 {/netabare}
【第二十六話 かりぬい】
{netabare} 柴田親子が離れ離れになって地獄少女(あいちゃん)は昔の感情が再び芽生え覚醒して激おこ。能力も惜しみなく発動してて完全に我を失ってると思った。二十二話での回想を引っ張り出してきたな。ここで柴田親子は吹っ切れたみたい。地獄少女(あいちゃん)も間近で柴田親子の様子を見てなにか感じ取って正気に戻ったみたい。柴田親子は救われたみたいだけど、地獄少女(あいちゃん)はどうなんだろう。契約なしで地獄に送ると自身も地獄に行くらしくて、一度そうなりかけたはずだけどね… {/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 3
ネタバレ

石川頼経 さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

素直に名作と言える作品群です。

*別のところにも書いた文章ですが、なんだか、地獄少女を最近、四期の影響で見始めた人たちに「長い」とかいう批判が出てきたので反論と考察を長文でつらつらと書きます。

10年近く前のアニメたる地獄少女は三期までは一期につき「2クール×2=26話」が三期(計78話)続いたわけですが、それを今更、自分たちの基準で文句を言うのはどうかと思います。
この作品に限った事ではなく、最近のアニメ全体についてですが、「最近、アニメに対してせっかちな人が多すぎる」と思います。
最近のアニメは季節ごとの1クール作品主流ですが、たかだかそんな短い話しでも「展開が遅い」だの「中だるみする」だの文句を言う人が多すぎます。
そして2クール作品だと「長すぎる、1クールにまとめるべき」みたいな意見が出ます。
昔のアニメは基本的には4クール(一年)でしたし、ヒット作品や原作が長い作品だと二年以上(100話以上)やるなんてザラでした。
最近のアニメ視聴はたかだか一話や二話。たわいない話しや息抜き回があったくらいで騒ぎになり批判の嵐で「切る」とか言い出す人がいますよね?

なんだか、最近は「1クールアニメが基本」になってる人も多いようで、それを前提に批評している人も多すぎですね。
私は好きなキャラや作品が少しでも長く続くのは好きなので、長期アニメ肯定派です。
それに長期アニメなら多少、出来の駄作・凡作回、遊び回があっても、それはそれで「まあ、こんな回があっても良いか」と許容できる利点もありますしね。

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さて、作品の論評です。

個人的にはテレビシリーズのアニメとしては最高峰ともいえますし、
一部の作品は何度でも繰り返して見られます。
能登麻美子をはじめとした声優さんたちの怪演も良かったです。

強いて難を挙げると全ての回が傑作というわけではなく
「イマイチな回」が幾分あったというのが欠点ですか

まあ、それも2クール×3期という長丁場なので
イマイチ回があるのは仕方ないと言えない事もないです。

一期で個人的ベストは「硝子の風景」ですね。ただしいつもの地獄少女の構成を崩した異色回です。そういうのに良い話しがあるってのは実は結構よくある事だったりします。
他に「高い塔の女」「トモダチ」「袋小路の向こう」「縛られた少女」「病棟の光」なども好きです。
逆に一番、つまらないと思った話しは「優しい隣人」です。今更の盛り上がらない話しでしたね。

個人的には四期以降も作って欲しいですが、
それは難しいですね。と思ったら2017年7月から新シリーズが放映されるようです。

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特報です。
>「アニメ小冊子つき 地獄少女 傑作選 ~花鳥風月~
2017年7月より『地獄少女』新アニメシリーズが放送スタート!この新アニ>メの設定資料が入った小冊子を付け、『地獄少女』コミカライズシリーズの>人気ストーリーを集めたオムニバスを刊行。」

いやー、実に八年ぶりに新シリーズ実現とは・・・・
能登さんの声も大分変っただろうけど(悪く言えば劣化(?))、
幸い、閻魔あいはキャビキャピしたキャラではないので
能登さんが40になろうと50になろうと比較的。問題は少ないかもです

公式サイトでも発表されました。
http://www.jigokushoujo.com/

ただし、我々が期待していたようなものとはちょっと違っていて、
既成作の総集編六話+新作六話の一クールという事で、新作部分はわずか六話の短編ですね・・・
うーん、これでは早くも五期期待ですね。
とはいえ、これを応援しないと「本格的な地獄少女シリーズ」も始まらないので応援したいです。

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

蛇足の考察
{netabare}「異色回ですが、そういうのに良い話しがある」について

全く関係ない知識披露ですが、
そうなんですよね。例えば推理小説などでシリーズ探偵が出てこない話しが代表作と言われるのはよくあるケースなんですよ(もしくは処女作=最高傑作になるケース)。
例えば探偵ポワロや老婦人探偵ミスマープルで有名なアガサ・クリスティですが、最高傑作はこの二人が出てこない「そして誰もいなかった」だったりします。
エラリ・クイーンも一番多く書いた「エラリー・クイーン探偵もの」ではなく四作しか出さなかったYの悲劇など悲劇シリーズが有名になってしまった。
ディクスン・カーもクロフツも同じ、シリーズ探偵ものが代表作とはならなかった。
名探偵シャーロック・ホームズで有名なコナン・ドイルは推理小説自体を「文学とも言えない低次の娯楽作品」とみなして、自分が「シャーロック・ホームズもので有名な推理小説家」と言われるのを非常に嫌ってた。
江戸川乱歩の場合、肝心の本格推理小説はあまり評価されず、子供向きに書いた「二十面相もの」が一番有名になってしまったという皮肉ぶり。
こういうケースって結構多いのです。
一生をかけた探求してきたものよりもちょっと目先を変えた番外的なものが評価されるのは作り手としてはさぞや不本意な気がします。
原因を考察すると「ノンシリーズものは構成に縛られず話しが自由に作れる」からかもしれません。{/netabare}

余談
普通、声優のキャスティングはオーディションで決めますが、閻魔あい役に関しては原案者のわたなべひろしさんが「この役は能登麻美子さん以外、考えられない」とオファーを出したそうです」

投稿 : 2024/06/01
♥ : 23

75.6 10 鬱アニメランキング10位
蒼穹のファフナー(TVアニメ動画)

2004年夏アニメ
★★★★☆ 3.8 (1021)
5848人が棚に入れました
真壁一騎や皆城総士らが住む平和な竜宮島。そこに突然「あなたはそこにいますか…」という叫びがこだまする。それは未知の生命体『フェストゥム』による侵略だった。
一騎は総士から、人類を滅亡から救うために、ファフナーに乗って戦って欲しいと懇願される。やがて一騎達は、人類が数十年も前にフェストゥムの襲撃により壊滅的被害を受け、既に日本列島も存在しない事を知る。
自分達が信じていた平和が、実は幻想であった事を知った少年達は、フェストゥムや竜宮島が独占的に有する兵器 ファフナー・ノートゥングモデルを欲する人類軍との戦いに否応なく巻き込まれていく…。


声優・キャラクター
石井真、松本まりか、喜安浩平、松来未祐、入野自由、新井里美、斎賀みつき、白石稔、仲西環、小林沙苗、堀秀行、田中正彦、中田譲治、葛城七穂、河相智哉、小山力也、石川静、高瀬右光、玉川砂記子、ゆかな、篠原恵美、沢海陽子
ネタバレ

ピピン林檎 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

劣化SEEDと思わせてからの・・・劣化エヴァから劣化マクロスへ。

TVシリーズの後に制作・放送された前日譚『RIGHT OF LEFT』まで見れば、決してダメな作品ではなく、むしろ好感を持ってしまったのですが・・・

とにかく、第1期の展開は、残念としか言いようがないような・・・。
先に『機動戦士ガンダムSEED』や『新世紀エヴァンゲリオン』を見ていない人ならば、本作が新鮮で楽しめて感動も出来るのかもしれないけど、どうしてもそれらと比較してしまうと、評価が厳しくなってしまいました。
終盤も、何となく『超時空要塞マクロス』『マクロスF』と比べてしまうし・・・。

・・・ということで、第1期+OVA(事前譚)+劇場版(事後譚)全部合わせた個人評価は ☆ 3.6 と私としては低めの点数になってしまいましたが、とくにOVA(事前譚)を見終えてからは、作品への好感度はむしろ上がってしまうという意外感のある感想となりました。

2015年に制作・放送された続編(第2期)のほうもいずれ視聴してみたいです。


◆視聴メモ(第1期)
{netabare}
・第1話視聴終了時点
SEED風のキャラデザ/作画でエヴァンゲリオン風の世界観/始まり方→期待度◎
・第2話視聴終了時点
既に日本は29年前に消失していて、竜宮島一体のみが“楽園”として取り残されていた←『ゆゆゆ』の先輩みたいな設定で笑。
・第13話視聴終了時点
ここで30年前の出来事(第1次フェスティム襲来と日本崩壊、アルヴィス発足)が明かされ、「人類を理解する」というフェスティムの目的、さらにフェスティムと融合した真壁一騎の母(紅音(あかね))ともう一体との分離が描かれる注目回だが、設定&シナリオが不必要にややこしくて困る。
・第15話視聴終了時点
シナリオの適当さにそろそろ飽きてくる(ガッカリ感)。
・第23話視聴終了時点
ファスティムの精神干渉。
・第24話視聴終了時点
作品タイトル「蒼穹」を回収する回。{/netabare}

◆制作情報
{netabare}
原作          XEBEC
監督          羽原信義(第1-2期、OVA)、鈴木利正(劇場版)、能戸隆(第2期総監督)
シリーズ構成     山野辺一記(第1期の1-15話)、冲方丁(第1期の16-26話、第2期全話)
脚本          山野辺一記(第1期の1-11話)、冲方丁(第1期の16-26、第2期全部、OVA、劇場版)、山野&冲方(第1期の12-15話)
キャラクターデザイン 平井久司
メカニックデザイン  鷲尾直広
音楽           斉藤恒芳
アニメーション制作  XEBEC(第1期、OVA、劇場版)、XEBECzwei(第2期)、Production I.G.(劇場版){/netabare}


◆作品別評価

(1) 第1期 ☆ 3.5 (26話) 無印  (2004年7-12月)
(2) OVA  ★ 4.1 (1本) RIGHT OF LEFT  (2005年12月)
(3) 劇場版 × 3.4 (1本) HEAVEN AND EARTH  (2010年12月)
(4) 第2期 ※未視聴 (26話) EXODUS  (2015年1-4月&10-12月) ※分割2期
---------------------------------------------------------------
  総合  ☆ 3.6  (52話+劇1+OVA1) 


◆各話タイトル&評価

★が多いほど個人的に高評価した回(最高で星3つ)
☆は並みの出来と感じた回
×は脚本に余り納得できなかった疑問回

============ 蒼穹のファフナー (2004年7-12月) ============
{netabare}
第1話 楽園〜はじまり ★ 西暦2146年竜宮(たつみや)島、フェストゥム襲来、ファフナー・マークエルフ出撃(真壁一騎搭乗、皆城総士指揮)
第2話 告知〜いのち ☆  フェストゥム(FT)撃滅、世界の真実、少年少女達の動揺と決意
第3話 迷宮〜しんじつ ☆ 適合者招集・訓練開始、一騎とワルキューレの出遭い、新国連探索機接近、リンドブルム出撃
第4話 逃航〜ふなで ★ 竜宮島移動、FT撃滅、ワルキューレの目覚め、巨神の島
第5話 約束〜ちかい ☆ 新国連の要求、FT国連艦隊襲撃、救援任務、二体目FT出現、竜宮島(アルヴィス)の危機
第6話 翔空〜ぎせい ★ マークゼクス出撃(羽佐間翔子)、フェンリル解放(敵を抱いて自爆・マークゼクス喪失) ※脚本の冗長さは×
第7話 家賊〜おやこ ☆ パイロット候補生たちの品定めと心情、アーカディアンプロジェクトの島
第8話 確執〜こうよう ★ もう一つのアルヴィス、上陸部隊へのFT襲撃、フェンリル作動
第9話 同化〜わかれ ★ 続き、溝口恭介・遠見真矢救助、春日井甲洋FT同化、島消失(マークフィアー喪失)、甲洋の見舞い
第10話 分解〜すれちがい ☆ 総士の左目の因縁、教室立て籠もり騒動(堂馬広登)、一騎の体の異変、リンドブルム無断発進
第11話 旧新〜じんるいぐん ☆ 狩谷由紀の一騎教唆、旧世界の廃墟、人類軍ファーフナー参戦(日野道生&カノン搭乗)、一騎囚われる
第12話 不在〜あせり ☆ 近藤剣司&小楯衛パイロット応召・初陣、新国連人類軍モルドヴァ基地護送(一騎)
第13話 侵蝕〜フェストゥム ★ 30年前(2114年の第1次FT襲来・日本崩壊・アルヴィス発足)、FTの分岐(真壁紅音の姿をしたFTともう一体)、モルドヴァ基地の危機、溝口&真矢出撃
第14話 覚醒〜せんりょう ★ 新国連人類軍の竜宮島侵攻、ワルキューレ外界へ、真壁紅音の姿をしたFT、日野洋治(人類軍ファフナー開発者)自決 ※脚本大味×
第15話 記憶〜さけび × マークザイン受け渡し(FT化紅音から一騎へ)、一騎と総士の過去、一騎・真矢再会 ※ED「Proof」、シナリオ適当過ぎて×
第16話 朋友〜おかえり ★ 竜宮島へのFT大軍侵攻、“皆城乙姫(つばき)”の選択(心を持つこと)、一騎帰還・FT撃滅 ※テンポの悪さは×
第17話 生存〜しかけ ☆ 乙姫の余命3ヶ月、新人類軍の竜宮島爆破作戦、一騎のカノン説得
第18話 父親〜おもいで ☆ 島に戻ってきた日常(乙姫&カノン入校、投降兵受け入れ)、ミツヒロ・バートランド来島、遠見真矢のパイロット適性隠蔽裁判
第19話 真矢〜まなざし ★ マークジーベン出撃(真矢搭乗)、新種FT撃滅
第20話 燈火〜ともしび ☆ 夏祭り、甲洋同化FTの目覚め、甲洋の意識回復、共存の可能性
第21話 咲良〜みらい ☆ 咲良の体調異変、島の自然環境の異変、咲良FT化 ※死亡フラグ多数
第22話 守護〜ちから ★ ミールの学習能力、カノンの選択(FT因子注入)、新種FT来襲・ジークフリードシステム侵入、FTコア破壊・小楯衛戦死
第23話 劫掠〜おとり ★ FTの新人類軍ファフナー乗っ取り(狩谷同化、ミツヒオ死亡)、総士救出作戦(一騎&乙姫)、日野道生戦死
第24話 対話〜ミール × 総士奪われる、真壁紅音の意思を継ぐFT、蒼穹作戦決定 ※流石にシナリオ安直
第25話 決戦〜きょうせい × 作戦開始、島のミールの正体(バイオスフィア)、対FT総力戦(ヘヴンズドア作戦) ※設定のダメさに苦笑
第26話 蒼穹〜そら ☆ 続き、乙姫の島のミール一体化、北極上空の敵ミール破壊、一騎と総士の約束と別れ{/netabare}
-------------------------------------------------------------
★★★(神回)0、★★(優秀回)0、★(良回)11、☆(並回)12、×(疑問回)3 ※個人評価 ☆ 3.5

OP 「Shangri-La」
ED 「Separation」


========== 蒼穹のファフナー RIGHT OF LEFT (2005年12月) ==========

全1話 ★ 4.1 西暦2145年(第1期より1年前)、{netabare}ファフナー開発と少年少女達の“卒業”、L計画の一部始終{/netabare} ※約56分


======== 蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH (2010年12月) =======

全1話 × 3.4 西暦2148年(第1期より1年後)、{netabare}来主操来島、第2次蒼穹作戦、総士帰還{/netabare} ※約88分

投稿 : 2024/06/01
♥ : 12
ネタバレ

ミュンヘン さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

アニメへの向き合い方を変えてくれた 自分にとって大事な作品です

蒼穹のファフナーシリーズ通しての評価です(第1期・OVA・劇場版・第2期)

色んなアニメを見てると何かしら心に突き刺さるようなものが来る時がたまにありますが自分にとってそれがこの蒼穹のファフナーです。

蒼穹のファフナーを見てない人でも知ってるものといえば人がめちゃくちゃ死ぬ事とOPのShangri-laは有名ですね。自分もここは知っててファフナーの有名なセリフであるどうせ誰もいなくなるをネタにしたりしてましたね(今考えるとなんて事をしてたんだ…)

OPの映像は第1期を見る前に何回か見た事があり気になっていたので見ました。物語中盤までは確かに人は死ぬし絶望の展開が多いですが…面白いか?と思いながら見てました、イマイチ盛り上がるところが無かったかなと思いますしかし、12話当たりから胸に来るものがありました。そして19話{netabare} 春日井甲洋が復活するシーン{/netabare}で物凄く泣いてしまいました。そして、アニメのキャラに対する考え方が変わりました。今まで自分はキャラクターが死んでもそんなに辛くなかったですし正直「あー、死んじゃったか〜」ぐらいにしか思ってなかったのですがこの回を見て作品に登場するキャラクターに対して絶対に死んで欲しくないと思うようになりました(完全に悪キャラとかは例外ですよ?笑)そう簡単に人は死んではいけないんですよね。当たり前の事なのにアニメといったフィクションになるとその当たり前の考えにならないんですね〜ファフナーにはキャラクターへの向き合い方を改めさせられました。本当に見てよかったと思っています。内容的に見ても中盤からの怒涛の展開はよく出来ていて人類と敵との共存といったテーマに話が進んでいく中では辛いけど納得させられるような話も多かったです

OVA Right of LEFTの話

自分が恐らく1番泣いたアニメ蒼穹のファフナーRight of Left です。ファフナーの真骨頂といったらこれです。第1期を見てキャラクターに対しての考え方を変えさせられてその次にこれを見る事になったのですが…改めてファフナーの命の重さというのは魅力だけど複雑なものですね。{netabare}救いのない計画をせざるを得ない竜宮島。仲間が次々に同化されていき美しく砕け散るあの儚さも複雑ですね…ラストこの話の主人公がメッセージを残すシーンこれを聴いてる大人たちを見てさらに泣いてしまいました{/netabare}OVA見てから第1期を進める人もいますが個人的には第1期を見てからの方がいいかなと思います。

劇場版 HEAVEN and EARTHの話

Right of Leftが放送されてから5年ぶりにまさかの新作が劇場版で公開されました。ファフナーは続編出ます!と言われても素直に喜べないですね(キャラクター死んで欲しくないから)まず5年の歳月でアニメの映像技術の発達を感じましたね。正直今の2018年でも通用するレベルのやばいクオリティです。ファフナーは美しければ美しいほど魅力的な作品になるのでこれはかなりのプラスポイントです。久しぶりに見るキャラクターは少し成長しています。これだけで胸が熱くなるというか、生きててくれてありがとうと思う所ですね。
今回も人類と敵が分かり合えるかというのがテーマでした。その中で第1期でも出てた皆城総士君の役割が凄い大きいですね。敵対するのではなくて理解する事を大事にしているのが好感を持てました。{netabare}そしてこの劇場版、何と誰も死ななかった!やったー!{/netabare}

第2期 EXODUSの話

HEAVEN and EARTHから更に5年TVシリーズで言うと11年振りにファフナーが帰ってきました。まず凄いのが全話劇場版レベルと言ってもいいクオリティの映像です。正直度肝を抜かれました。ここまでリアルになると絵なのかリアルの映像なのか分からないところまで来たのかなと思います。特に第9話は異常なクオリティでした。

これまでのファフナーは人類と敵の共存がテーマでしたが今回はそこに政治的な要素と言いますか別の勢力が出てきたり、敵同士でも考え方が違ってきたりとますます理解が遠のいてるような気がしますね…その中でまた辛い展開が次々とやってきます。1番悲惨なシリーズかも知れませんね…でもその中でも微かな希望を見失わないように奮闘するのを見るのは辛いけど面白いです。EXODUSは共存より戦争の方がテーマ的には近いかも知れません。それを考えていくと分かり合えるかという所に最終的に行き着くのかも知れませんけどね。{netabare}弓子・広登・カノン・そして総士数々の思いが無惨にも散っていってしまう…けどそれが無駄になってないのがファフナーの救いです{/netabare}内容的には終盤若干詰め込んだかなぁ感はありましたがこのクオリティのアニメは滅多にないですし、何よりやっぱりこの作品は色々考えさせられることが多いのでやっぱり大好きです

長々と書いてしまい申し訳ないです。自分のアニメへの向き合い方を変えさせてくれた蒼穹のファフナー多くの方に見てもらいたい作品です。時間がある方は是非見てください

ちなみに続編のTHE BEYONDの製作が決定しています。恐らく劇場版かな?劇場版だとしたらとても完結するとは思えませんけど…でも今ならまだ追いつけますよ!

追記:蒼穹のファフナーTHE BEYOND 2019年全12話で順次劇場先行公開予定です。何だかTVシリーズなのか劇場版で12話分やるのかイマイチ分かりませんが来年ファフナーが動きますしこのシリーズからまた少し今までにないファフナーが来るという予感がしますね。楽しみです

投稿 : 2024/06/01
♥ : 12
ネタバレ

蟹チャーハン さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

すべて人類が巻いた種とはいうが。少年少女に託された未来

人類が不毛な戦争を繰り返して核を使用した結果、どこからともなく現れた
謎の生命体により攻撃をうけ、気がつけば人類そのものが生き残るための戦いを
強いられるという不条理な世界が舞台。

人類の武器ではまともにやりあうことも叶わず、残されたのは新たに開発された対使徒戦の新兵器
ファフナーであり、それに搭乗できるのは多感な頃合いの少年少女のみであった…。

ロボを操作するのに肉体と精神を通わせるという設定がしんどいところで、
ロボを操るほどに体が蝕まれて廃人になっていくという恐怖設定がついてきます。
傷みを感じるだけではなく、末期症状になると記憶も薄れていくのは悲しいですね。

しかも女性が妊娠しない&できない世界設定なので、ある世代から下は子供がいないんですよね。
つまり残されたいくらかの子供たちが戦わないとならないわけで、乗れば廃人になるロボ
に搭乗し続ければ、いずれ適任者がいなくなることになります。
それは詰んだ世界ともいえます。

人類は滅亡寸前。
戦える武器は子供たちの心と体だけ。
これではいまを生きるためだけの生贄みたいなもんです。
(新世代が生まれない限り、5年もたないんじゃないか…)

なので作品を通して感じる空気は冷たくて重くて、
笑い声すら虚しく感じることも度々で、
ウツアニメと言われる所以を感じました。

誰だって好き好んで戦争に参加なぞしたくはないわけで、命を賭けたくもないわけで、
それでも自分たちが出撃しなければって、彼らに責任負わせ過ぎでしょう。
まぁ、そーいう物語なんで、文句をいってもはじまらないんですがw

こーいう作品は珍しくないと思うんですが、個人的には
いったいどんなメッセージを受け取ったらいいのかよくわかりません。
陰鬱とした中、孤独なコックピットの中で命の灯火を消していく子供たちを見て、
辛いとか悲しいとか感じればいいのか…。

現実世界でもアフリカや東欧諸国の内戦をはじめ、まず目に付くのはその残虐性と
少年兵の存在なわけで、いろいろ思うところはあるんですが、
SFアニメでそれを言い出してもって思うし、
願わくばこの手の作品ばかりにならなければいいなと。

最終的には、 {netabare} 使徒とコンタクトを取ることに成功して意思疎通を交わしますが、
一度出てきちゃった使徒たちが巣穴に帰ってくれるとも思えず、一応殲滅したっぽい
終わり方をむかえますが、そんな簡単システムで動いてるわけでもなさそうで、 {/netabare}
本当に??? と懐疑的な目線で視聴を終えました。

次の2期が面白いってことなんですが、どうも救いのない話ぽいので、自分はスルーしますw

追伸
M3とかもそうなんですが、少年少女でなければ操作できないっていうロボ設定が
どーもいまいち自分にはしっくりこないんですよね。
ロボアニメならではの都合のよいシステムのような~。
少年少女の方が戦争の悲哀さが際立つからなんでしょうけど、それで大人が傍観してるだけ
てのも情けない気がします。
ガンダムを例に出してもなんですが、一応大人のシャアだってニュータイプだったのだしw

というわけで、よくわからないので星3つ。そのままでーす。

追記
救いのない話、ということで思い出した映画の話もひとつ紹介します。
いまシリア難民が問題になっていますが、1990年代の難民を描いたカルト的傑作のほまれ高い
『ジャーニーオブホープ』であります。

貧困生活から逃れるためトルコからスイスへと亡命する家族を描いたドラマなんですが、
この旅路が辛いのなんの。
密入国業者にいいようにカモにされて早々に一文無しになり、どうにもならずに
イタリアで足止めを喰らってる間にお母さんが亡くなり、金もないお父さんと息子は
悲壮な決意を胸に真冬のアルプスを歩いて越えることを決意するんですが、
あとちょっとのスイスの国境付近で国境警備隊のシェパードかなんかにお父さんがかみ殺された印象がw
で、幼い息子も凍死したかと思うんですが、その少年の目の前にリゾートホテルが建ってた…みたいな。

この映画を見たときは激しく気持ちが落ち込んで、立ち寄ったラーメン屋で
麺をすする力もないくらい気力奪われて凹んだのを覚えてます。

他にも、圧倒的な無力感に襲われた映画で、もっと見やすい作品といえば、
スティーブン・キングの『ミスト』がおすすめか。
謎の霧に包まれた街中で巨大タコみたいなのに襲われる人々を描いたパニックホラーなんですが、
もうどうしたって逃げられないってところまで追い詰められて、それでもなんとかして
逃げようとした主人公が目にしたものは…。これは驚きの衝撃のラストでおもしろいですw

て、なんの話をしてるのだろうか。
とりま救いのない話であれば、きれいなエンディングを用意してもあまり意味はなく、
(見ていても救われた気持ちになりにくい)
それならば驚かせるような展開にした方が満足度は高い気がします~。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 12

77.8 11 鬱アニメランキング11位
結城友奈は勇者である(TVアニメ動画)

2014年秋アニメ
★★★★☆ 3.7 (1407)
6888人が棚に入れました
神世紀300年───
始まる”勇者部”活動!?
結城友奈は中学2年生。毎日学校へと通い、たくさんの友達に囲まれながら授業を受けたり、部活動をしたり、遊んだりと、平穏に過ごしている。その生活スケジュールは、どこにでもいるごくふつうの女の子。
だがたった1つ、他の子たちとは決定的に違う部分があった。

それは彼女の所属している部活が”勇者部”だということ。部長・犬吠埼風を中心にした活動の内容は謎に包まれておりバーテックスという不思議な存在が関係しているという。神世紀300年。西暦とは年号の異なった世界で、友奈たち”勇者部”の活動が始まる!

声優・キャラクター
照井春佳、内山夕実、黒沢ともよ、三森すずこ
ネタバレ

ピピン林檎 さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

「まどマギ」の皮を被った「ラストサムライ」ないし「神風・・・」モチーフの力作 【ネタバレ絶対回避】 

※制作情報等を追加(2018/12/4)

前半はエヴァ・まどマギといった「セカイ系」名作の二次創作的な印象が濃かった本作ですが、後半、次第に「桜」をモチーフとした独自の魅力を増していき、迎えた最終回、放送当時「まどマギ反逆」レベルの大揺れ、賛否両論噴出の末に、本作を「是」とする声が優勢に。

※重大な注意
成分タグ第1位が「予想外」となっているとおり、本作は絶対にこれ以上のネタバレ回避で視聴すべきです。
ここまで読んだ方は、速やかにこのページを閉じて視聴態勢に入った方が賢明です。

本作に描かれたテーマないし結末に関して、個々の視聴者が最終的にこれを「是」とするにせよ「非」とするにせよ、激しく困惑し心揺さぶられること必至の、《2014年最大の問題作》なのは確かだと思います。

※以下は、本作3周目以降の鑑賞時の感想です。
(初見および2周目時点での感想は、本レビュー末尾に保存)
======================================
◆3周目にあたっての能書き  - “全裸待機”と、“割り切れない想い”

彼(か)の「魔法少女まどか☆マギカ」をTV放送当時は敬遠してしまい、放送終了後の滅茶苦茶な高評価に釣られてようやく一気観した自分にとって、本作こそは、ネットスラングでいう “全裸待機” (※ちょっと品のない言葉で恐縮ですが、「身を清め正座してコトが始まるのを待ち侘びる」というほどの意味です)をリアル・タイムで経験した初めてのTVアニメとなりました。
というより、本作の放送当時、ネットに飛び交う“全裸待機”という言葉を見て、初めてその意味を知ったわけですが(笑)。

何が言いたいのかというと、本作は、第8話放送以降~最終第12話まで、それほどまでに、「次回の放送内容が気になって仕方がない」作品だった、ということです。
それは、別に私一人の感じ方ではなくて、私と全く同じ期待を繰り返し漏らしていた方々が、本作の放送当時、ネットに確かに沢山おられたのでした。

そして、そのような膨れ上がった期待を背景に、とうとう放送された最終回(第12話)、放送終了後に飛び交った困惑と怒号。
「最後の最後に大コケした」「茶番だ」「失望した」という声が大きく、また実際、私自身も本ページ末尾(初見時のレビュー)に記したとおり、残念ながらラストは期待外れの展開になってしまった、とする感想を持ちました。

しかし、そう思いながらも、尚割り切れぬ気持ちで観た2周目(正確には、それまで第1~9話までは毎週のように繰り返し視聴していたので、第10~12話だけを本作放送終了後に2回目視聴したのですが)、これも本ページ末尾(2回目視聴時のレビュー)に書いていますが、今度は、「確かに最終回の展開の都合の良さは気になるけれども、意外とこの終わり方で良かったのではないか?」という感想に変わってしまい、そうした自分の気持ちの変化に気づいて二度ビックリ。

その後は、同時期の放送でまだ見終えてない作品が幾つもあったこと、さらに新年からの放送(2015年1-3月期)に、かなり気になる作品が幾つかあったこともあり、本作について“後ろ髪を引かれる想い”で最近まで来てしまいました。
そして今回、ようやく本作をじっくり再視聴する機会を得て、改めて色々と考察し、この“想い”を整理して、感想をまとめてみました。

◆制作情報
{netabare}
原作           Project 2H
企画・原案       タカヒロ
監督           岸誠二
シリーズ構成      上江洲誠
脚本           上江洲誠、タカヒロ、村田治
キャラクターデザイン BUNBUN(原案)、酒井孝裕
音楽           岡部啓一、MONACA
アニメーション制作  Studio五組{/netabare}


◆各話タイトル&評価(※3周目以降)

各話タイトルは全て花言葉となっており、うち半分は{netabare}勇者部の5人と乃木さん(先輩勇者){/netabare}の変身後の紋花のものです。

※本作は【起-承-転-結】ではなく、【序-破-急】(導入-変調-加速)の3パート構成と見るとしっくりきます。

★が多いほど個人的に高評価した回(最高で星3つ)
☆は並みの出来と感じた回
×は脚本に余り納得できなかった疑問回

==================== 結城友奈は勇者である (2014年9-12月) ====================

------ 【序】(導入) {netabare}勇者部の使命が語られる{/netabare} --------------------
{netabare}
第1話  乙女の真心      [コスモス]  ★★ 勇者部4人回(とくに友奈) *OPなし,ED「ホシトハナ」
第2話  ろうたけたる思い  [菊] ★ 勇者部4人回(とくに東郷さん) *OP「ホシトハナ」,ED「Aurora Days」(勇者部4人)
第3話  風格ある振る舞い  [牡丹]  ☆  夏凜登場回 *OP「同上(※以下省略)」ED「同上(※以下省略)」(勇者部5人)
第4話  輝く心         [カタバミ] (※風先輩の花) ☆  樹ちゃん回 *ED「祈り」(樹ソロ)
第5話  困難に打ち勝つ   [サザンカ] ★★  全員回(戦闘回) *ED(勇者部5人){/netabare}

------ 【破】(変調) {netabare}勇者システムの真実が語られる{/netabare} ---------------
{netabare}
第6話  明日に期待して   [ラベンダー] ☆  全員回(病院回) *ED(勇者部5人)
第7話  牧歌的な喜び    [黄スミレ] ☆  全員回(水着・温泉回) *ED(勇者部5人)
第8話  神の祝福       [青バラ] (※乃木さんの花) ★★★ 乃木さん回 *ED(勇者部5人){/netabare}

------ 【急】(加速) {netabare}真実を知った後の勇者たちの覚悟が試される{/netabare} ----
{netabare}
第9話  心の痛みを判る人  [アマドコロ] (※樹ちゃんの花) × 風先輩回 *ED「祈り」(樹ソロ)
第10話  愛情の絆       [朝顔] (※東郷さんの花)  × 東郷さん回 *ED(東郷さんソロ-2番歌詞ア・カペラ)
第11話  情熱          [ヤマツツジ] (※夏凛の花) ★★ 夏凜回 ED(友奈ソロ)
第12話  貴方に微笑む    [ヤマザクラ] (※友奈の花) ★★ 友奈回(※注釈) *ED(勇者部5人-合唱){/netabare}
-------------------------------------------------------------------
★★★(神回)1、★★(優秀回)4、★(良回)1、☆(並回)4、×(疑問回)2 個人評価 ★★ 4.7

※注釈:最終話(第12話)は、1~3周目それぞれで、受ける印象が大きく異なりました。
(作品内容の理解のレベルが上がるにつれて評価が、×(失敗回)→☆(並評価)→★★(ダブル高評価)、と大きく上昇)


◆総評
{netabare}
(1) これは初見時から変わらない感想ですが、第1話~第8話までの流れ(【序】~【破】へと至る流れ)は、ほぼ完璧だと思います。
・それほどまでに第8話で明かされる勇者システムの真実は、私には衝撃的かつ、それまでの流れから説得力の高いものでした(この回を★★★(トリプル高評価)とした理由)。
(2) これに対して、【急】の始まりを告げる第9話(風先輩の反逆未遂回)、そして大波乱の幕開けとなる第10話(東郷さんの反逆実行回)は、私個人としては、やはりどれだけ考えても、風先輩・東郷さん両名がそれぞれ大赦・神樹への反逆を決意するに至る心情推移に、余り説得力を感じられない・納得のいかない回となりました(この両回を×(疑問回)とした理由。また本作の総合評価を、今回4.4→4.7と引き上げたにも係わらず尚若干マイナスとした理由)
・ただし、この両回をそれぞれ非常に高評価する方々が沢山おられることも分かっています(そこは個人個人の感じ方の違いということなのでしょう)。
(3) 第11話(夏凜が大見得を切り連続満開する回)は、私が本作に期待したもの(※短く満開したのち潔く散る「桜」のイメージ(後述))に一番近い内容だったので、★★(ダブル高評価)としました。
(4) 一番評価が変わったのは、今回も最終第12話で、初見時は×(失敗回)評価だったものが、2回目視聴時の☆(並評価)を経て、ヒロイン友奈を始めとする勇者部の少女たちに強く感情移入してしまった今回は、★★(ダブル高評価)に二階級特進!してしまいました。
(5) 以上から、総じて本作は、過酷な運命に見舞われる勇者部の少女たちに対する感情移入の効果が非常に大きい作品、繰り返し視聴することによってそうした効果がさらに増大してしまい、彼女たちへの「共感」がストーリー展開の粗をも覆い隠すに至る作品、と評することが出来ると思います。
{/netabare}

※以上まで、本作に関する「感想」でした。
※以降は、本作の「分析」に入ります。

◆本作の2つのモチーフ(制作動機)

※これは、はっきりしていると思います。すなわち、

①「まどマギ」のモチーフ
{netabare}
 ※本作が「魔法少女まどか☆マギカ」の達成を大きな制作動機とし、その設定やストーリー展開を参照しながら、そのalternative(代替物、別ヴァージョン)としての達成を目指したことは、誰が指摘するともなく明らかでしょう。
 ※しかし、本作は他の類似企画された諸作品のような「まどマギの二番煎じ」「劣化まどマギ」には留まらない、独自の明確かつ強烈なモチーフを持っていました。それは・・・{/netabare}

②「桜」のモチーフ
{netabare}
 ※ないし「ラスト・サムライ」「神風・・・」のモチーフとでもいうべきか。
 ※本作の本当の魅力(でなければ困惑、あるいは人によっては嫌悪の種)はここにあると言ってよい、と考えます。
 ※なお、「ラスト・サムライ」というのは、トム・クルーズ&渡辺謙が主演し小雪がヒロイン役を助演した2004年上映のハリウッド映画で、“花は桜木、人は武士”と言い慣わされたように、桜のように美しく咲き誇った後、短く散り行くサムライたちの矜持(きょうじ=誇り)を描いた作品です。
 ※「神風・・・」のイメージは、「ラスト・サムライ」のイメージとも通底しますが、何といっても本作OP「ホシトハナ」の曲調と歌詞から、そして、OPの最後の4人ないし5人の少女たちの満面の笑顔の止め絵(→出撃直前の特攻隊員たちの満面の笑顔の写真を連想させる)から、どうにも否定しようもなく湧き出てくるものであり、それは第8話で明かされる“散華(「供養のために華を散らす」という意味の仏教用語から転じて「若年の兵士の戦死」の婉曲表現として戦時中に使用された)”という用語によって補強されます。
 ※この点に関しては、私個人の飛躍したイメージではないか?という意見もあるかと思いますが、以下に示すように、本作の放送当時から幾つもの掲示板やサイトで語り合われていたことであり、私としても初見時のレビューでは慎重に言及を回避していた事項なのですが、本作に対してきちんと正面から向き合おうと思うならば、やはり回避できない本質的な指摘であると考えます。
 ※以下、長文の引用になります。興味関心のある方のみ閲覧して下さい。
{netabare}
☆引用元:http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-29067.html
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名前:名無しさん 投稿日:2014年12月22日 20:53

間違いなく秋のトップ作品
こんなに化けると誰が予想しただろうか? そしてGF()がこんなに酷い事になるなんて・・・

やっぱオリジナル作品は当たりはずれが悲惨だけど、こうやって素晴らしいものがでてくるから楽しいんだよね
そして日本アニメの底力を見た、これはいくら作画力が高くなっても、中韓には作れない

名前:名無しさん 投稿日:2014年12月22日 22:15

まどかは初見で、「りりかSOS」とか「ジャンヌ」とか、あるいは18禁ゲーの系譜に属する、お約束を「逆手」にとるタイプの魔法少女ものの王道だと思ったけど、ゆゆゆは、もう少し今の時代の政治的な心象を扱ってる感じがある。東郷さんの存在がそう思わせるのかもしれん。
なので、大変おもしろいが少しなまぐさい・・・・。

名前:名無しさん 投稿日:2014年12月22日 22:25

ゆゆゆは、特攻隊や桜花や回天のオマージュだよな、逃れようのない運命をどう受け入れるか、がテーマなんだよ

名前:名無しさん 投稿日:2014年12月22日 23:08

171、173
まさにそのへんだよなあ。
善意で身を捧げる行為の正当性を問うという意味では、まどマギもそうだけど、あれは「公」か「私」かという論議に収束していったから。

ゆゆゆは結構あからさまに「国防」がテーマで、彼女たちは「徴兵」されたすえの「傷痍軍人」で、最後は「軍神」にまつりあげられるわけだから。で真実を知って転向したニヒリスト兼アナーキスト(東郷さん)が出てくるとw。
顔の見えない国って信用おけるの? 外敵との闘いは結局システムの要請で、愛国心や正義心や守る思いを叶えるための代償は誰も補填してくれないよ、と最近のシンプルな国家主義に釘をさす一方で、「隠されていた真実」や国家の不正を知った瞬間に、全てを破壊する方向に舵を切り、自らの本末転倒に気づかないありようのバカバカしさ(まさに左翼・革命主義者の典型)をも描くという意図は、感じずにはいられないよね。

名前:名無しさん 投稿日:2014年12月23日 02:38

>>171
こんなスレで書くのも場違いだが、東郷さんの満開は空母だからな
それに載って敵を倒しに行った桜の花ときたら友奈のイメージは桜花しかない

名前:名無しさん 投稿日:2014年12月23日 02:47

>185
やっぱり社会的に攻めの姿勢がある作品は必要だな。時々滑った作品も出てくるけど

この作品はまどかの発展系としては非常にいいと思う。ゆゆゆが出てきたことで初めてまどかは時代を作った作品を名乗る資格を得たと言える。他から参照されて初めて時代を作ったと言えるようになる。(これまではパロディばかりで内容的な参照は皆無だった)

後に続く作品が凡作ばかりだとまどかの地位も下落する。逆に後に続く作品が優秀だと
元になったまどかの地位も高くなる。(弟子が優秀だと師匠の鼻も高くなる)

名前:名無しさん 投稿日:2014年12月23日 02:56

204
こういう事いうやつに限って まどマギとセーラームーンの類似性を指摘すると逆上するw

名前:名無しさん 投稿日:2014年12月23日 03:08

そもそも、まどマギは既存魔法少女モノのカウンターなのに類似性とかドヤ顔で語られてもな。

名前:名無しさん 投稿日:2014年12月23日 03:17

206
魔法少女ものの正統な血縁関係なんでまどかは、そりゃ、セーラームーンからも多くを引き継いでいるさ

ただし、まどかが引き継がなかった要素がなんのかも重要な点、そこが今時の時代の要請であり、まどかのオリジナリティでもある。

例えば、タキシード仮面とか(まどか本人には憧れの男の子がいない)生まれ変わりとか ちびうさとか

名前:名無しさん 投稿日:2014年12月23日 03:30

208
勿論、同じ部分もある
まどかが神になって魔法少女という生き方を肯定する部分とか

一方、ゆゆゆだとその自己犠牲を払って神に祭られるシステムそのものを問題にしている。
(ほむらの場合、まどかに個人として普通に生きて欲しいと言っているだけで東郷さんのようにシステムにテロを仕掛けようとしているのではない)良い発展形だと思う

名前:名無しさん 投稿日:2014年12月23日 03:35

207
横だけど、ゆゆゆに限っては、「まどマギ」を明快に意識してそのヴァリエーションを提示してるわけで、作り手もむしろ比較されていいと思ってるだろうから、類似性を語っても構わない気はするかも。真正面から類似ジャンルにオリジナルで敢えて挑んでるのって、「幻影ヲカケル太陽」以来だし。

もちろん「似てるからダメ」って論調はどうしようもないけどね。「似てる」って言われても、スタッフも苦笑するだろ……いわゆる「そんなこと、ロバでもわかる」てやつだからw

名前:名無しさん 投稿日:2014年12月23日 03:41

210の続きだけど、似ていても別の料理として楽しめるように、ゆゆゆは手を尽くしてるとは思うんだよね。

当初、作品の傾向を隠してたまどマギに対して、ジャンル自体を隠してみせたゆゆゆ、
洋風の動物・グッズ系モンスターに対して和風の植物・無機物系モンスター、
死と魔女化の恐怖に対して、不死性と欠損がもたらす悲劇の強調、
内的に発生する脅威を摘み取るまどマギと、外界からの脅威に立ち向かうゆゆゆ。
ループ者だけが記憶のあるまどマギに対して、ループ者だけが記憶がないゆゆゆってのもそう。
そして、そこに国家と兵士という新しい問題意識が加わってる。
--------------------------------------------------{/netabare}
{/netabare}

 ◇《まとめ》
※以上の2つのモチーフ(制作動機)から、本作は、
 {netabare}
 ①まどマギのモチーフ(=外見的・表面的モチーフ)を、巧みに偽装しながら、実際には、
 ②桜のモチーフ(=内面的・心情的モチーフ)を、強烈に視聴者に訴えかけ、彼らの心に揺さぶりをかけることを意図した、稀有の作品
{/netabare}
・・・と要約できると考えます。
  (※逆にいうと、②の点に共鳴できない方は、本作にはほとんど共鳴できないことになります)


◆本作のテーマ(主題)

※これも、はっきりしています。本作のテーマは、ズバリ、
{netabare}
「勇者の本分(本質)を問うこと」{/netabare}

※そして、その解答も明確に提示されています。即ち、
{netabare}
「結城友奈は勇者である」
(=彼女の在り方こそが真の勇者の在り方である){/netabare}

※ここで、勇者部の5人の少女たちを詳しく見ていくと、それぞれ勇者となる動機が違っていることに気づきます。
{netabare}
①風先輩=バーテックスの犠牲となった両親の仇(かたき)を討ちたい
②樹ちゃん=大好きな姉と同じ道を並んで共に歩みたい
③東郷さん=東郷家の先祖たちのように自分も国防に励みたい
④夏凜=正真正銘の勇者(完成型勇者)に成りたい
⑤友奈=人の為になることを勇んで行うこと、それが勇者の使命だから、私は勇者になる{/netabare}

※このうち、
{netabare}①風先輩は、<1>勇者システムの過酷な真実に直面し、さらに<2>最愛の妹の夢の実現が不可能であるという事実に絶望して、また
③東郷さんは、<1>に加えて、<3>世界の絶望的な状況を認識し、さらに<4>自己の記憶喪失という過去に絶望して、
それぞれ勇者システムの元締めである大赦と神樹様への反逆を決意してしまいますが、
⑤友奈(=勇者適正が最高の真の勇者)の阻止によって、辛うじて勇者の本分を取り戻します。

※なお、②樹ちゃんは、①風先輩が勇者の本分を取り戻すための重要な契機を、また、
④夏凜は、⑤友奈が勇者の本分を忘れかけた一番危なかった一瞬に彼女にそれを取り戻すための唯一の契機を、それぞれ提供しています。{/netabare}

※こうした、{netabare}⑤友奈(=真の勇者)の在り方{/netabare}自体も、本作最終話(第12話)ラストで、詳しく開示されています。すなわち、
{netabare}
 (1) 演劇シーン手前の東郷さんのナレーション

「勇者は自分が挫けないことが、皆を励ますのだと信じていました。」
「そして皆がいるから、皆を信じているから、自分は負けないのだと。」

 (2) 演劇シーンでの風(魔王役)と友奈(勇者役)の会話

魔王「ガハハハハハハァ。結局、世界は厭なことだらけだろう。辛いことだらけだろう。お前も、見て見ぬ振りをして、堕落してしまうがいい!」
勇者「厭だ。」
魔王「足掻くな!現実の冷たさに、凍えろ。」
勇者「そんなの、気持ちの持ちようだ。」
魔王「何?」
勇者「大切だと思えば友達になれる。互いを思えば、何倍でも強くなれる。無限に根性が湧いてくる。」
「世界には、嫌なことも、悲しいことも、自分だけではどうにもならないことも、沢山ある。 だけど、大好きな人がいれば挫けるわけがない。あきらめるわけがない。大好きな人がいるのだから、何度でも立ち上がる!」
「だから、勇者は絶対、負けないんだ!」

 (3) 会場から湧き起こる拍手の中での友奈の独白

「そう、何だって乗り越えられるんだ。大好きな皆と一緒なら。」
{/netabare}

※こうした、⑤ヒロイン友奈の信条・姿勢については、シニカルな批判も当然可能であり、これを現実には全く通用しないファンタステックで不快な妄念と否認する方も多いと思います。

※それは、もう個々人の価値観の問題としか言いようがないのですが、私としては、殊(こと)に初見時は別段そうでもなかったにも係わらず、3周目の視聴時に、とうとうと言うべきか、ようやくと言うべきか、こうした本作のラストシーンに、図らずしも《{netabare}まるで本作に描かれた観客席の生徒たちのように、友奈たちに拍手を贈りたい気持ちになっている自分{/netabare}》を発見して、ちょっと戸惑いながらも、嬉しい気持ちになったことを、ここに報告して、このレビューを閉めたいと思います。



======================================
※以下は、2014年10-12月のTV放送当時(1周目および2周目)の感想・レビューです。
(上記よりもまとまりのない長文です。保存用)

{netabare}
(レビュー・タイトル)
《最終話=超微妙だが、「まどマギ」に挑んだ勇気は高評価したいセカイ系【ネタバレ絶対回避】》

エヴァ・まどマギを、直ちに連想させる紛(まご)うことなき「セカイ系」。
陳腐な恋愛要素はゼロであり、期待外れのWIXOSSよりずっと面白い。
最終話タイトル「貴方に微笑む」(花言葉=山桜)から、主人公=結城友奈=による、
悲劇的で残酷な世界から少女達を救済する「勇者」の乾坤一擲の決断を推測するが果たして?

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★第2話まで視聴時点(2014.10.18)

可愛い女子中学生が勇者ごっこする緩い話かと思いきや、いきなり緊急事態発生!

{netabare}
ああこれは使徒襲来だな。
使徒が神樹にたどり着けば世界の終わり。
使徒を倒せるのは選ばれた勇者である君たち4人だけ。

使徒の体はダメージを負っても自動修復するので、まず封印してコアを露出させ、これを破壊するしか奴等を倒す方法はない。
で、この封印がたった40秒のタイムリミット付きで、コア破壊できないと勇者の活動限界とか(笑)
{/netabare}

何か期待したいような、したくないような(笑)
頑張って欲しい作品です。

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★第5話まで視聴時点(2014.11.7)

ここでストーリーとしては一段落した感じ?(まだ7話残っているけど)。
先が読めない展開は、なかなか良いと思う。

それにしても、制作側だってわざと、まどマギやエヴァを意識させる作品作りをしているんだし、今までに明らかになった神樹様や使徒(Vertex)の設定のほかにも、勇者たちの言葉づかいなどから、まだまだ何か面白いものがこの作品には隠されているように感じるのだけれど・・・

もっとも、こうした期待感は今まで幾つかの作品で裏切られてきたので、この作品も結局は大外れのまま最終回を迎える確率がずっと高いとは思うのだが。

まあいい。
この作品については最後まで見届けることにしよう。

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★第8話まで視聴時点(2014.11.28)

とうとう鬱コースに突入してしまったね。
{netabare}魔法少女システムならぬ勇者システムか。{/netabare}
結城友奈はこの悲劇的な仕組みを打ち壊せるのだろうか?

しかし{netabare}散華(さんげ){/netabare}って・・・
作品中に使用される言葉が幾分不謹慎な気もするのだけど。
杞憂でなければよいが。

ガッカリしてしまう結末にならないことを祈る。
(←調べたら、岸誠二監督って「蒼き鋼のアルペジオ-アルス・ノヴァ-」の監督も務めた方だったんですね。ならまず大丈夫だろう。良かった。)

※追記
このアニメの考察(色んなブログや2chあたり)が結構面白い。
東郷さんが記憶を取り戻したら、えええーーーってなりそう。
しかし東郷さんに乃木さんって・・・思わせぶりな名前は止めて欲しいぜ。

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★第9話まで視聴時点(2014.12.05)

{netabare}
さすがに勇者部部員の一部に動揺が出ている。
今回は小規模な波乱で済んだが・・・次回は大波乱必至。
この第9話は、今までになく演出が乱れていたのは残念。
制作側もキツキツなのだろうか?
{/netabare}

====================================================
★第10話まで視聴時点(2014.12.13)

{netabare}
1クール12話構成の作品で、ラスト手前の第10話にキーパーソンの過去回想&舞台設定の種明かしを入れるのは定石だが、これは流石に・・・。
個人的には、物語のスケールを大きくするよりも、勇者であることの本質を掘り下げる方向に進んで欲しかったのだけど。
第9話までは相当良い感じに評価していましたが、期待値を上げ過ぎていたのか、ここで微妙な感じに思ってしまった。
それでも残り2話で綺麗にまとめてくれれば文句有りませんが。
{/netabare}

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★第11話まで視聴時点(2014.12.21)

{netabare}
この回の主役・三好夏凜の精霊ヨシテルの決まり文句「諸行無常」や悲壮なOPから、『平家物語』や『ラスト・サムライ』のような散り行く者達の矜持を高らかに謳いあげる作品になると期待していたし、確かにそういう描写もあるのだけれど、作品全体が必ずしもそうしたコンセプトで統一されているわけではないんだね。
特に東郷さんの心の動きのブレ方は説得力が余り無くて残念な感じです。

なお、最終話タイトルが「君に微笑む」から「貴方に微笑む」に変更になった模様。
いずれにせよラスト回では、真打ち勇者の雄姿を存分に描き切って欲しいです。
{/netabare}

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★第12(最終)話まで視聴時点(2014.12.27)

まさに制作側も、とうとう力尽きたような支離滅裂な畳み方で、もの凄く惜しい結末でした。

アニメーション制作会社のstudio五組さんには2012年夏の『織田信奈の野望』に続いて本作でも実に素晴らしい作画・演出技術を見せてもらったし、一人一人のキャラを例外なく好感度高く描く技量も本当に大したものだと思うのですが、作品全体のシナリオ構成にどうしてももう一工夫足りなくて「名作」にあと一歩届かなかった感じですね。

岸監督には、2013年秋の『蒼き鋼のアルペジオ-アルス・ノヴァ-』に続いて今回も見応えのある作品を送り出してもらい、すっかりファンになってしまいましたが、こちらもどうしても最後の詰めが甘くて作品全体の印象が陳腐化してしまったように感じてしまいました。
「アルペジオ」は続編映画の制作が決まりましたが、こちらは余程円盤かゲームが売れない限り無理っぽい感じかな。

企画原案=タカヒロ氏の、敢えて「まどマギ」に挑んだ蛮勇は高く賞讃したいと思います。
ラストは駄目駄目だったけどね。
『幻影ヲ駆ケル太陽』に続いて「まどマギ」への果敢な挑戦者は今回も手酷い敗北を喫した感じなのですが、こういう挑戦者が出て来てこそ次の進歩があるはずで、特に今回は、富士山への登山に譬えれば七・八合目まではたどり着いて山頂が微かに見えて来たくらいのインパクトはあったと思うので、そこからのズリ落ち様がまさに全力を使い果たして不恰好なものになってしまっていても、個人的には暖かく見てあげたいと思う。

むしろ重要なのは、今回の敗北の原因とその克服方法の検討でしょう。
第1話からもう一度視聴し直して、確りした全体評価をしたい作品です。

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★各種メモ書き

【各話タイトル&評価】

各話のタイトルが、花言葉になっているようです。
最終話は桜のイメージから友奈がメインになる感じです。

★が多いほど個人的に高評価した回(最高で星3つ)
☆は並みの出来と感じた回
×が付いている話は脚本に疑問を感じた失敗回
?は内容が微妙で現時点で評価保留の回

{netabare}
第1話10/16  乙女の真心   コスモス  ★ 全員(とくに友奈)
第2話10/16  ろうたけたる思い   菊  ★ 全員(とくに美森)
第3話10/23  風格ある振る舞い   牡丹  ☆ (夏凜)
第4話10/30  輝く心        オキザリス ☆  (樹)
第5話11/06  困難に打ち勝つ    山茶花 ★★ 全員(とくに友奈・美森)
第6話11/13  明日に期待して    ラベンダー ☆ 全員(とくに友奈・美森)
第7話11/20  牧歌的な喜び     黄スミレ(犬吠埼風) ☆
第8話11/27  神の祝福       青バラ(乃木園子) ★★★ 
第9話12/04  心の痛みを判る人   アマドコロ(犬吠埼樹) ☆ 
第10話12/11  愛情の絆      朝顔(東郷美森)  ☆
第11話12/18  情熱        ヤマツツジ(三好夏凛) ★
第12話12/25  貴方に微笑む    ヤマザクラ(結城友奈) ×(1回目視聴時)→☆(2回目視聴時)
{/netabare}

●op「ホシトハナ」

作詞:中村彼方
作曲:岡部啓一
歌唱:讃州中学勇者部
歌詞
{netabare}
サカラバ サア(※盛らば、さあ)

<1番>
静けき森の中 いま目覚めた花たちよ
この世に何を思い 何を感じてる

ああ 真実ほど人を魅了するものはないけど
ああ 真実ほど人に残酷なものもないのだろう

咲き誇れ(咲き誇れ) 想いのままに
この瞬間(この瞬間) 全てを賭けて
無限の星すらも霞むように
勇気 心に溢れ
(いかなる)いかなる時も生きて

<2番>
花びらひとひらに 情熱宿しはじめた
瞬くその瞳 何を映してる

ああ 土に埋めた小さな種 密やかに割れて
ああ 芽を出したらやがて空と向かい合っていくのだろう

輝けよ(輝けよ) 眩いほどに
一瞬に(一瞬に) 思いを込めて
その願いが世界を導く
カラダに力満ちて
(ヒカリを)ヒカリまとって走れ

<3番>
咲き誇れ 想いのままに
この瞬間 全てを賭けて
無限の星すらも霞むように
勇気 心に溢れ

輝けよ(輝けよ) 眩いほどに
一瞬に(一瞬に) 思いを込めて
その願いが世界を導く
カラダに力満ちて
(ヒカリを)ヒカリまとって走れ

サカラバ サア
{/netabare}

※これ、物凄く悲壮な曲である。第8話を視聴した後だと特にそう思う。
今後の展開次第だけど、個人的に好きな曲になるかも知れない。


●「まどマギ」との違い

一番大きいのは、

(1)まどマギの魔法少女たちが、「最高の素質」を持つ鹿目まどかを除いて割と一般人っぽい人達だったのに対して、
(2)この作品の少女たちは、{netabare}予め「勇者」適正値が高い者達として組織によって選抜されていること{/netabare}。

つまり全員が、大なり小なり事前に{netabare}「勇者となって戦う覚悟」が出来ている=まどかタイプの少女{/netabare}であること、ではないか。
それが、どういう結末をもたらすのか。

特に、一番「勇者」適正値の高い主人公=結城友奈が、ギリギリの状況でどういう決断を下すのか、が見所になると予想します。



※12/27追記
{netabare}
上を書いた時点では、この作品は、第11話の感想にも指摘したように映画『ラスト・サムライ』(トム・クルーズや渡辺謙が出演した2004年のハリウッド映画)のような、散り行く者達の矜持(きょうじ=誇り)を描く作品、すなわち、

(1)『まどマギ』がキリスト教の《聖書》をモチーフとして理知的に魔法少女達の「救済」を描いた作品とするならば、
(2)より日本的に、勇者達の《短く咲き誇ったのち散り行く桜花》の哀しさを抒情的に謳いあげる作品

になるのでは・・・と予想していたのですが、その後のストーリーは、こうした"勇者"であることの証(あかし)をヒロイン達が確りと問い詰めていく方向には踏み込まず、逆に第10話以降やたらと話のスケールを大きくしてしまい、収拾がつかなくなってご都合主義もいいところの完結になってしまった感じです。

それが、この作品の深みが最後の数話で一気に薄くなってしまったように私が感じた原因かも知れません。{/netabare}

●最終話を2回視聴して

※上は最終話を初めて視聴した時の感想ですが、その後ラスト3話を2回目視聴した後の率直な感想として追記します。

今度はストーリーが分かっているので、安心して細かいところまで確認しながら視聴しているんですね。
それで、ちょっと自分でもビックリしたのは、初回はあれだけ違和感が強かった{netabare}唐突でご都合主義的なHAPPY END{/netabare}について、意外にこれで良かったのかも?と何気に思い始めている自分に気づいたことです。
確かに最終話のストーリーは、{netabare}いくら私でも弁護するのが困難に感じるほどに支離滅裂に見えてしまうのですが、でも、これまで頑張ってきた勇者部の5人があのまま救われないで{/netabare}エンドを迎えるのは、ファン心理としてはやはり辛いんですね。

だから、すごく甘々ですが、もしかしたらこの作品は、もうこのエンドで良かったのかも?{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 142
ネタバレ

かしろん さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

洗脳少女奮闘記、そして・・・(ヤンキー漫画かっ!より改題)

【物語理解を踏まえて を追加 題名を変更】

【物語理解を踏まえて 結局、なんの話なのか】
{netabare}2周目を見て、友奈が勇者でいることが出来る理由を把握出来た。
じゃあ、これを踏まえて考えると、この物語って何だったのか。
ちょっと、ありがちな物語例を上げてみる。

 組織の為に働くも、
 組織の暗部を知ってしまい、
 組織を盲信してた自分自身への価値が揺らぐものの、
 仲間たちを信じることでその価値を取り戻す

どっかで聞いたことがある話じゃありません?
主人公の仲間になるサブキャラのストーリーっぽいし、
主人公の成り立ちに厚みをもたせる為のストーリーとしてもありそう。
これを結城友奈に置き換えると

 神樹の為に働くも、
 神樹の暗部を知ってしまい、
 神樹を盲信してた自分自身への価値が揺らぐものの、
 仲間たちを信じることでその価値を取り戻す

こんなベタベタなお話にすんなり置き換えが出来ちゃう。

この結城友奈の物語って、その全体的な雰囲気や台詞とかから、
・お国のためにその身を捧げて華を散らした人々の物語
・まどか☆マギカの後を追う作品
という風に見えるんだけど、このベタなストーリーを分かりにくくするためのベールとかエッセンス程度。
ミスリードを誘う、とまで言うと、言い過ぎだけどね。
ふん。1回目見た時に
「エヴァかよ、まどかかよ」
でちゃんと読めなかった人間の負け惜しみさっ!

じゃあ、ベタだからダメなのか。
それは違う。
ベタをベタとして、見事に描かれている。
笑いあり、涙あり、友情あり、熱血あり、パロディあり。
にぼっしー登場時のまんまエヴァパロ。犬吠埼姉妹の物語、東郷の反逆、にぼっしーの連続満開散華。
思わずニヤリとし、思わずホロリとし、思わず同情し、思わず熱くなり。そして、続きが気になり。
最後には、友奈を含めた全員が全回復して戻ってくる大円団。
この大円団は、ベタな物語だからこそ許されるものだよ。

うん。
ちゃんと2周目見て、良かった。{/netabare}

【2周目を見て 洗脳少女奮闘記、そして・・・】
{netabare}2周目を見た私の物語理解は

 当たり前に植え付けられた、神樹を信じる心が
 自ら得た、友達を信じる心、
 に変わる話。
 与えられたもので満足せず、自ら勝ち取れ!

というものだ。

何故、そう思ったのか。

まず、放送時、1回目に見ていて、どうしても分からないことがあった。
それは
「友奈が勇者にこだわることが出来る理由」
である。
訳の分からん敵と戦わされ、戦った挙句に身体機能を欠損していく。
こんな状況で
「私、勇者辞めます!」
と言わない理由が分からないのである。
そこが掴めないままあの結末を迎えたので、私が率直に抱いた感想は
「ヤンキー漫画かっ!」
だった。
何のことかというと、
彼女の信念や行動に根拠や理屈が無い=彼女の信念や行動に根拠や理屈が”必要”無い
と捉えたから。
1回目視聴の細かい感想は下にあるので、宜しければご覧下さい。

だが、どうにも、モヤモヤしたものが残る。
ここまで心に引っかかる物語になると思ってなかったので、最初の方はそんなに真面目に見ていなかったのである。第3話見逃してるし。
なので、
「友奈が勇者にこだわることが出来る理由」
を掴むことが出来れば、と思い、2回目を見てみた。
そして得た自分なりの理解、友奈が勇者にこだわることが出来る理由は、
 神樹に選定され、神樹から力を与えられている勇者というものを辞めるなどということには
 考えが及ぶものではない世界の物語
 =洗脳された少女が奮闘する物語
ということ。
つまり、こだわれているのではなく、拒否などというところに思い至らないのである。

まず、その世界観を見てみる。
物語の舞台は市立讃州中学校だ。
”私立”ではない。”市立”である。お国が、公が作り、運営している学校である。
この中学には、各教室に神棚が有り、屋上には祠がある。
そして、朝の挨拶と帰りの挨拶の際に、神樹のある方に向かって
「神樹様に拝」
と拝む。
公立で行っているということは、国の教育方針として神樹信仰が行われているということ。
ということは、義務教育である小学校でも同じ状況だと推測され、幼少期から、神樹と大赦に対する信仰を植え付ける教育を行っているということである。
10話の風先輩の勇者部勧誘口説き文句。
「世の為、人の為になること。神樹様の素敵な教えよねー」
これを入学早々の中学1年に言って通じることからも、まぁ、間違いないだろう。
また、普段の生活においても、神樹と大赦に対する信仰の深さが伺える。
10話の東郷家の話から、神樹にお仕え出来る、大赦に協力出来る事は非常に光栄なことなことであり、娘が神樹より勇者に選ばれたことは誇り感じるらしい。
これらのことから、
”生まれてからずっと側に神樹と大赦があり、
 これに恩恵を受けて生きており、
 神樹と大赦は絶対的な信仰の対象”
という、こんな世界観である。

こんな世界観で育った友奈が、何度か神樹や大赦について話す場面がある。
それを取り上げてみよう。
1話
「神樹様がつくったなら安心」
バーテックスが初めて攻めてきた時に巻き込まれたあの結界の感想である。
え?である。
周囲の時間が止まった挙句、あんな訳の分からん世界に放り込まれても
”これは神樹様がつくった結界だから”
という説明だけで安心しちゃえるのである。
いやいや、もっと戸惑うだろ、ビビるだろ。

5話
「神樹様が守ってくれる」
宇宙空間でバーテックスを倒した後、東郷の展開した朝顔にて大気圏に突入する。力を使いすぎてコレが保つかどうか分からないと弱気になる東郷にかけた言葉である。
え?である。
普通は東郷を持ち上げるようなこと言うだろ。
”東郷さんの作ったものだから大丈夫”
とか。
なんでそこで神樹頼り?

5話その2
「神樹様、二人とも無事に帰らせて下さい」
朝顔にて大気圏に突入中の心の声。
この時、東郷は
「もし万が一ダメでも、友奈ちゃんと一緒なら、怖くない」
と心の声。
二人の微妙なすれ違い。

7話
「大赦が問題ないって言ってる。何より、人類を守った神樹がある。」
「神樹様にハッキリ意思があり安心。私たちのこともなんとかしてくれる。」
旅館での東郷との会話である。
え?である。
各人の身体機能の欠損を心配する東郷を元気づけるためとはいえ、平然としすぎ。
中学生が味覚障害おこしてるのに、なんでここまで泰然自若?

8話
「なんとかする方法を見つけてみせる」
乃木に勇者システムの真実を告げられた帰りの車の中で、動揺する東郷へ。
さすがに動揺していたが、立ち直りが早い。

9話
「後遺症を知ってても戦ってたはずだ。
 世界を守るためにはそれしかなかった。
 誰も悪くない。」
勇者システムの真実を知った風先輩が大赦に反逆するのを止めながら。
え?である。
いやいやいや。黙ってた大赦は完全に真っ黒じゃん。
しかも、ずっと
”君らの体調不良はそのうち治るんじゃね?”
とか誤魔化し続けてるんだよ。
満開するのがヤバイなら、5人全員で技を回して使って行って、満開を少しでも遅らせるとか対策出来るじゃん。

これらの台詞から、友奈の、神樹、大赦に対する絶対的な信仰が窺い知れる。
この盲目的信仰。完璧な洗脳具合である。
小さな頃から当たり前なものとして根付いている神樹信仰に対して、
「いや、神樹様、なんかおかしい」
って思いは、自分の根底にあるものをひっくり返すことだ。
わずか14歳の女の子が出来ることじゃない。
神樹に反抗した2人を見ると
・東郷:乃木から語られた忘れてしまった鷲尾としての過去の体験と真実
・風先輩:何より愛する妹の夢が奪われたから
という、根底からひっくり返される外的要因があったからである。
友奈も様々な経験をするんだが、結局、神樹信仰をひっくり返すまでの出来事は無かった。

ところが、である。
11話である異変が起きる。
友奈が勇者に変身出来なくなってしまうのである。
東郷の反逆に戸惑う友奈に対し、スマホがある警告画面を出す。
「勇者の精神状態が不安定だから、神樹との霊的経路を生成出来ません」。
その後、にぼっしーの連続満開散華を見た友奈は再び勇者に変身出来るようになるのだが、にぼっしーは戦闘前にこう言っている。
「神樹様のためじゃなく、勇者部のために戦う。」
あれ?神樹への信心じゃない、って言ってるにぼっしーが勇者システム使えるの?
このことからの推論だが、勇者システムを使うのに必要なのは、
”神樹への信心”
ではなく、
”何かを信じる心”
ではなかろうか。
神樹への信心だと、にぼっしーや東郷が勇者で居続けれるのはおかしいし。
風先輩、東郷の反逆や世界の真実を目の当たりにした友奈は、全てを隠す神樹を信じれなくなってしまい、精神が不安定になる。だから勇者に変身出来なくなる。
だが、勇者部の為にその身を削って戦うにぼっしーに心打たれて、友達を信じる心が宿り、勇者システムを使えるようになる。
そう、ここで、友奈の信じるものが、
”神樹”から”友達”
に変わるのである。

そして、友達を信じる友奈の根性論が12話。
殴って解決、友達パワーでなんとかなる、である。
で、ラストの劇の台詞。
繰り返される「大好きな人」という言葉。
「大好きな人がいるから強くあれる。
 大好きな人がいるから絶対に負けない。」

こんなところから、2周目を見た私の物語理解は
 当たり前に植え付けられた、神樹を信じる心が
 自ら得た、友達を信じる心、
 に変わる話。
 与えられたもので満足せず、自ら勝ち取れ!
というところで落ち着いたのでした。

話変わって
2回目で気付く伏線あれこれ
1話、冒頭人形劇
  勇者が魔王を殴って友達に:殴って解決ってそのまんま最終話
5話、戦闘前円陣
  友奈、美味しいものおごってもらう:味覚障害
  東郷、国を守る発言:神樹に反逆
  風、夢がある:声帯障害
  にぼっしー、バーテックス殲滅:世界はバーテックスだらけで殲滅不可能
7話、神棚のお供え
  お供えは後で自分で食って良い:供物の取り戻し{/netabare}


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【1周目 放送時視聴感想】
1、2話を見て「エヴァ+ビビオペ+まどか?」と思いピンと来ず、「あれ?こんな娘いたっけ?」と思ったら3話を見逃しており、というダラけた見方。

【ぼくらのまどかと較べてみて】
{netabare}魔法少女が悲惨な目にあう、という共通項を持つまどか☆マギカと本作。
どっちが好きか、と言われれば、明らかにまどかのほうが好き。
何故か。

まどか☆マギカは奇跡を望んだ末の代償としての悲劇。
ソレに対して、本作は完全に巻き込まれた末の悲劇。
訳の分からない戦いに巻き込まれた挙句に身体機能を失っていく本作のほうが悲劇度は高い。
だが、あまりに理不尽すぎて身につまされない。つまりは、キャラに対して感情移入しにくいのである。

また、戦わなければならない理由が薄い。
まどかは自業自得だから魔女と戦い続けなければならないのだが、本作は巻き込まれただけなんだから、「私はもう戦いません、勇者辞めます」と言っちゃえば良い。

感情移入しにくいキャラが、戦わなくても良いのに絆だ何だという言い訳で戦っての自己犠牲を見せられても、グッとくるものが薄いのだ。
この辺は、ジ・アースに乗って戦いの運命に巻き込まれていく「ぼくらの」に近い感じかな、と思う。{/netabare}

【今後を勝手に予想】
{netabare}・大赦はとんでもない大災厄を防いでいる

・大赦が力を発揮し続けるには供物が必要

・大昔ならともかく、現代に生贄制度は無理

・いい方法思いついた。
バーテックスって敵がやってきて、こいつを倒さないと世界が滅ぶってことにしよう。
で、バーテックスを倒す能力が上がるたびに身体機能の一部を供物として捧げてもらおう。純真無垢な女の子ならやってくれるはず。お友達と一緒に世界を守って、ってやればチョロイもんだ。
世界を守るって名目で供物ゲットだぜっ!

・えーっ!そんな酷いシステムだったのっ!
私が、諸悪の根源の大災厄を破壊してみせるっ!たとえ、この身がどうなろうともっ!大満開っ!!

・友奈ちゃんのおかげで世界は救われた。大満開の影響で友奈ちゃんは植物状態になっちゃった。ごめんね・・・

・ところがどっこい、大災厄は健在だぜ。友奈の大満開の影響で力は減ったが、そのうちまた回復するだろう。しかし、大満開の邪魔をするとは、大赦も悪よのう。

・ふっふっふ。大災厄が消えれば大赦の存在意義が無くなりますからな。
友奈のおかげで供物は十分。暫く大赦パワーも保ちましょう。まぁ、足りなくなったら、また、勇者を選任すれば良いだけのこと。

・数年後、新しい勇者が選任されるのでした。
おしまい{/netabare}

【最終話まで見て】
{netabare}上にも書いたが、友奈が戦わなければならない、勇者に拘る理由が分からないまま見続けていたのでモヤモヤを抱えたまんまだった。
そして、最後まで見て、合点がいった。

そうかっ!コレはヤンキー漫画だったんだ。しかも、使い古された感じの。

・戦う理由?
そんなものはねぇっ!そこにダチがいて、俺がやんなきゃならねぇ。だったらやるに決まってんだろっ!
・ダチが道に迷った?
俺がぶん殴って眼ぇ覚まさせてやるっ!
・説得?
ごちゃごちゃ言っても始まらねぇ。どうにかなんだよ。そういうもんだろっ!
・困難?
んなもん根性でどうにかしてやらぁっ!

ヤンキー漫画に理屈や道理を求めてた俺がバカだったってことだ。

なんか、マイルドヤンキーって言葉があるそうな。
定義を見てみると、はあはあ、なるほど、そういう意味ね、って感じである。
マイルドヤンキーな方々が理屈や道理を抜きにして見たら楽しいアニメなのかもしれん。
だがな、マイルドヤンキーはこんな見た目が萌えなアニメ見ねぇよっ!{/netabare}

最終回予想の答え合わせとかどうでもいいわ。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 19
ネタバレ

sekimayori さんの感想・評価

★★★★☆ 3.2

<ネタバレ・長文>ゆゆゆと日常系と物語と 【52点】

勇者部に集う少女たちの「日常ときどき戦闘」を描く作品。
毀誉褒貶ありますが、視聴意欲のある方はネタバレ全回避推奨です。

■基本的な感想
毎週楽しんだし、彼女たちの日常は愛しくて(風先輩prpr)、{netabare}最後は全員ハッピーでよかった(本心で)。{/netabare}
でも、ちょっと物語としてどうよ?ってのと、作品のスタンスに対する違和感は残った。


先達が力のこもったレビュー書かれてるので、あとは若干返歌気味に殴り書きで。
上から目線・長文です、参考にならずすみません。

{netabare}ネガティブな感想は多めですが、毎週楽しみにしていたし、長文書きたいくらい印象に残った。
※のいくつかは私信代わりだったりします。気づいて下さるかしら。


◆どこに対するメタか:本作と日常系
{netabare}仕掛けがある本作、何をフェイクの存立基盤とするかって部分が必ず存在するんですが。
「変な部活」がカモフラージュ対象だったし、魔法少女というより日常系へのメタでしょうね。
ホモセクシュアルな小さなコミュニティ、作中からほぼ排除された主役5人以外の目線、定型化されたコミュニケーションが大部分を占める構成とか。
で、絶望魔法少女をチラつかせつつ、日常系美少女動物園をやる。
永遠が担保されない日常の終わりは、喪失感を伴います。
  参考:キルミーベイベーは死んだんだ ニコニコ大百科
しかも本作の場合、いつそれが襲い来るのかわからない。
不穏な空気をちょっぴり孕ませつつ日常を展開するのは真綿で首を締めるようで、うまい手法だなぁ。
※ただし、樹ちゃんの夢には「日常」から逃れるベクトルを感じました。
 だからこそ、それが牙をむいた不条理の最初の一撃で葬られたことが心に重くのしかかるわけで。
※私は萌え豚なので、日常系の帰結として本作のハッピーエンド自体は全面否定はできない。
 キャラがみんな幸せなら、それだけで満足してしまう部分はあります。{/netabare}


◆日常系で構成することへの疑問
{netabare}一方、キャラの痛みをリアルに感じられるのか?というのは疑問。
日常系視聴時って、箱庭を外から眺めるような距離感、無いですか?
本作はキャラ描写として、日常系的な記号表現を多く採用している。
その結果、物語の基本の一つである登場人物への共感覚が成立しづらくなっている気が。
同時に、失われる日常の重さも、「日常系への傾倒」の限度に限られてくる。
人物描写上の日常系フォーマットと、キャラへの共感が重要なシリアスな物語進行は、かなり食い合わせが悪いと思うのは自分だけだろうか?
※感情移入については一律には語れませんが。
 「作中での情動・動機付けがどの程度丁寧に描かれれば足りるか」の点で個人差大きいし。
※みんないい子ちゃんに見えるのは、キャラ表現が定型的で限られてるからじゃないかと。
 故に唯一人間的な情動を見せた風先輩が魅力的だというのも全面的に同意です。
※だからこそ痛みを想起させやすい身体欠損かも、と思ったけど、園子の体は円盤で修正されたみたい。
 元々欠損してない設定だったらしいですよ、うーん……{/netabare}


◇本題:ラストについて
{netabare}繰り返すと、私個人は日常系としてあの結末を否定しづらい。
一方で物語としては批判されるべくしてされているのだと思います。

一般論として、作品のラストが説明不足なのは残念なこと。
でも本作の結末に余計にがっかりさせられたのは、はじめから彼女たちの日常を壊し、犠牲を強いることを予定していた物語が、その犠牲に見合うだけの答えを与えなかったから。
犠牲の結末は、彼女たちが必死に抗い生きた結果として、描き出されるべきです。
それがハッピーエンドかバッドエンドかは重要じゃない。
登場人物がどう戦い、どのような因果を経て、結末を迎えるのか。
本作は最終話で、ハッピーエンドという結末だけを描いてしまった。
友奈以外の4人については、それまで(若干展開が性急だったにせよ)苦悩の中で現実に抗う姿を具体的に描いていたにも関わらず、です。
彼女たちの苦悩の、一方の原因であった身体はどのようにして回復し、もう一方の原因である世界の現状はどう変化したのか。
そこを正面から描かず、「友奈の犠牲」「みんながいれば」「根性で復活」でぼかしてしまった。

本作での悲劇は、結末での救済を描くためだけに存在しました。
しかし、結末での救済に説得感を持たせられなかった。
これでは、彼女たちが何のために悲劇を背負い、何のために戦ったのか、全てが色あせてしまう。
逆説的なようだけど、結末を見せるために描かれた悲劇は、結末の失敗によってその悲劇性を失ったと言えます。
少なくとも、制作陣は、自分たちの生み出したキャラの苦悩を真正面から受け止めることから逃げてしまったように見えました。

物語性を排した「日常系」としての本作は、キャラたちの小さな世界が回復されたことで成功した。
その反面、結末をおざなりにしてしまった以上、物語としての積み重ねが遡及的に崩れ去っている。
その乖離の大きさが、個人的にも客観的にも、本作の評価が二分される原因かもしれません。{/netabare}


◆モチーフとその評価
{netabare}神風・桜がモチーフと考察されてる方がいますね、賛同しますです。
ぶっちゃけ、前者は考察するまでもなく「散華」とか「国防」って単語から明らかでしょう。
では、本作でその使用は成功したのか。
まず、「散華」や、戦いと死のイメージに添えられる「桜」はともに、気軽に使っていいワードとは思わない。
一方で、自己の守りたいものの為に命を賭す姿には心掻き毟られるのが人情でしょう。
だから、モチーフの重みに負けない物語を構築できれば、深い感動を呼び起こしたであろうことは理解できます。
(原案のタカヒロ氏の思想信条はerg界隈では有名らしいけど、原案者個人の嗜好で「国防」とか「散華」といったワードを作品で使うこと自体の是非は、ここでは置いときます)
で、本作が散華・桜のモチーフを背負うに足りる強度を持っていたか。
「守り、散り行く者」のモチーフを使ったにもかかわらず、本作はいかに守ったのか、なぜ散らなかったのかを描けなかった。
この点で、上記モチーフは本作には荷が勝ち過ぎていたように感じます
それらのモチーフを使われるだけで嬉しくなる、ってのはちょっと危ないなと思わなくもない。
※モチーフ使用の軽々しさという点で制作陣の姿勢に疑問を覚えるので、特攻隊云々は意図してないと思いたい。{/netabare}


■蛇足:最終話、友奈の立ちくらみについて
{netabare}あの一瞬、友奈以外の時は止まってて、ひとり未だ樹海の中で敵と戦っているという解釈があります。
だから、結城友奈「は」勇者である、だと。
※でもこの説、確か電撃に掲載されたおまけエピソードで、公式に否定されてるんですよね……。
 結局、「勇者部五箇条、成せばたいていなんとかなる!」ということで。{/netabare}

【個人的指標】 52点
{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 19

68.7 12 鬱アニメランキング12位
今、そこにいる僕(TVアニメ動画)

1999年秋アニメ
★★★★☆ 3.6 (283)
1451人が棚に入れました
 50億年後の未来の戦争に巻き込まれてしまった平凡な少年のサバイバルを描く、少年冒険SF。「おじゃる丸」「こどものおもちゃ」の大地丙太郎が監督、助監督は宮崎なぎさ、則座誠。松谷修造(通称:シュウ)は、ある日、ララ・ルゥという水色の瞳を持つ少女と出会う。彼女は、地球の未来を左右する力を秘めたペンダントを持っており、それを狙うハムドという50億年後の未来の独裁者から逃れるため、現代にタイムトリップしてきていた。だが、すぐに追っ手に見つかり、ララ・ルゥと共にシュウも未来に連れ去られてしまう。そこは、海が干上がり、地表も9割が砂漠と化している、まさに死に瀕した地球だった。そのうえ、その少ない水と星の覇権をめぐって起こった戦争によって、殺戮と略奪が日常化していた。否応なく戦争に巻き込まれてしまったシュウは、同じくこの時代に連れてこられたサラとなんとか生き残る道を探るが…。

声優・キャラクター
岡村明美、名塚佳織、仲尾あづさ、今井由香、小西寛子、陶山章央、石井康嗣、安原麗子

TAKARU1996 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

今、そこにいる僕…今、ここにいるあなた…そして今、そこにある危機

前回、とあるレビューで私はこんなことを口にしていました。
「とりあえず、今度は鬱アニメ探訪でもしてみるか…」
※Q.鬱アニメとは?
 A.世間一般におけるアニメの中でも、特にハッピーエンドで終わらない、とことん暗く重い作品を主軸、もしくは一部の展開とした作品の総称

勿論、これを書いた事は決して忘れてなどいません!
何を観ようか悩み、観てみたは良いものの、ストーリー展開の余韻に悩み、どう言葉にまとめればいいかで悩んだ事等、語る必要もありません。
という訳で、私の中で新たな可能性の扉が開いてしまった成果を今こそ、皆さんにお見せするとしましょう。
さて、今日ご紹介する作品は先日、どこぞの動画サイトで鬱アニメランキング1位を獲得していた物です。
昨今流行りの異世界転生モノの流れを見事になぞっておきながら、その残酷で無慈悲な展開は、現代の地上波で放送するには到底不可能な内容
○○○が暗喩的に描写されたシーンや主人公や他の子供達に対して行われる○○の横行には当時でも目を覆った人、見てられないと投げ出した人も多かった事でありましょう。
これをその時のテレビジョンではゴールデンタイムに放送していた事を考えると、改めて時代の寛容性、そして時代の移り変わりと言う時の流れの深刻性を肌身に感じてしまいます(これがたとえ、WOWOWのノンスクランブル放送(無料)であったとしても驚きです)
しかし、こういった情景が夢幻でないと断言出来てしまう情報化社会の今だからこそ、私達は最後までこの作品を語り継いで、教訓として生かしていかなければなりません。
そういった点において、今作は第1回目の紹介として最も相応しい作品と言える事でしょう。
『今、そこにいる僕』
今回はこの作品について存分に語っていくと致します。


まずはあらすじを簡単に説明しましょう。
ごく普通の中学生、松谷修造(通称、シュウ)
彼は自信を持っていた剣道の試合に負け、尚且つ相手のいけ好かない真面目イケメン君に好きな娘を奪われてと、意気消沈
しかし、何事にも前向きなのが彼の良い所
気を取り直して明日からまた頑張ろうと思っていた矢先、いつも自分の秘密基地として利用している煙突の上に見知らぬ少女が座っているのを発見する。
夕日を見ながら黄昏る彼女、同じように黄昏るシュウ
無口な少女と少し話してみて分かった事と言えば、名前をララ・ルゥと言う、ただ、それだけ…
ララ・ルゥに興味を抱いたシュウ
もっと彼女について詳しく知りたいと思った彼
再度話しかけようとしたその時、突然見知らぬ機械と人間が姿を現し、彼女を何処かへ連れ去ろうとする。
必死に助けようとした彼はその戦闘の最中、彼女と共に何処かへ飛ばされてしまう。
たどり着いた先は、未来の地球にある領域の1つ、「ヘリウッド」
シュウはそこで、ララ・ルゥを巡る過酷な戦争とその世界での圧倒的な現実を目の当たりにする事となる……

ここからは私の個人的感想に移っていきたいと思います。
さて、こういった暗い作品を観るにあたって、私は1つの取り決めを自分自身に課しておりました。
それは、このような暗い作品は必ず、毎日深夜に拝見していく事
鬱アニメは静かな、誰しもが寝静まった夜に観てこそ、最適な効果がもたらされると思っているのが私の持論です(笑)
今作もそのご多分に漏れず、1番影響力の強いであろう、その時間帯に視聴した次第
しかし、幸か不幸か…
私が全13話を観て思った事は、衝撃的な展開が多くあって驚いたものの、それによって私が鬱屈した感情に見舞われると言うのは終ぞ無かったな…と言う事です。
いや、この表現はあまり正しくないですね…訂正します。
実は、この『今、そこにいる僕』と言うアニメは1話毎に生じる「余韻」と呼ばれる感傷が実に凄まじい作品です。
普通のアニメだったら最終回を観終わった直後に、何とも言えない余韻が精神を侵して、何も手につかなくなると言う事がままあります。
このアニメはそんな、普通のアニメであったら最終回限定で起こるだろう「余韻」が毎話毎に生じてしまう…と言えば分かりやすいでしょうか?
暗い気持ちになる事は無かった物の、毎回、1話ずつ観る毎に「今日はもう、良いかな…」といった倦怠感、疲労感、達成感を感じさせる作品
しかし、それが決してつまらないと言う訳ではありません。
寧ろ、先の展開は気になってしょうがない類のアニメです。
これは終始、絶望的なストーリー運びのオンパレードで観ているだけでも暗い展開が次々と起こって来る事
しかし、それでも先が気になってしまうと言う引きの良さ
この2点に集中して依る事によって起こった事態と言えるでしょう。
そういった「余韻」と呼称された感傷的な気持ちを多くの方々が「鬱」と解釈しているのなら、これは文句なしの鬱アニメNO.1です(現時点)
はっきり言って凄まじい…
アニメの展開にハラハラしてどうなるのかと見入っていた所に、EDの子守歌
あれでどれだけ自分の心が落ち着いた事か…
これを観て、その歌を聴いた後はもう、早々と眠りにつきたくなります。
それはもう、嫌な事を眠って忘れる赤子の如く……
そういった訳で、1話1話の詰まった内容、そして、最後に訪れるEDで、この作品は唯一無二の不思議な空間を作り上げたと言えるでしょう。

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私達は踏み慣れた生活の軌道から放り出されると、もうダメだ…と思います。
しかし、実際はそこに、ようやく新しい良い物が始まるのです。
生命のある間は幸福があります。
レフ・トルストイ
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今作の主人公、松谷修造
良く言えば楽天的な熱血少年、悪く言えば後先を考えない馬鹿
このアニメを観た方なら彼に対しての印象は人によっては実に正反対で、2つの概念に分かれてしまうかと思います。
ここのサイトも見てみると、彼については評価が見事に二分していました。
その点を踏まえた上で、次にシュウに対して私が感じた個人的印象を書き連ねるとしましょう。
私はどちらかと言うと、好評、すなわち、楽天的熱血少年としてシュウを高く評価しています。
しかし、それ以上にこれが他の希望的作品であったなら、彼の様な主人公では駄目だったとも思っています。
それはこの物語におけるシュウの無力さ、無邪気さ、無謀さが及ぼした影響にこそ、今作の全てが委ねられていたからです。

詳しく説明するとしましょう。
そもそも、こういった「物語」と言う概念において「主人公」とは、その作品の写し鏡である事が多いです。
私達は主人公の眼から見た世界で物語を自然と認識し、知覚しています。
例えそれが感情移入できる代物でないとしても、自然に私達は彼の行動、働き等から架空世界を視認し、判断していくのです。
それは、感情の問題でなく、感性と悟性の共同作業
この絶望的なまでの世界観を表現するには、主人公自体が無力でないと話が成立しないのは最早、明白
この世界観で主人公が何でも解決してしまったら、他の数多ある異世界転生モノとの明白な隔離が出来ず、したがって製作者側の真意が視聴者に上手く伝わる事は無いでしょう。

上記を踏まえた上で改めて、この作品のテーマは一体なんだろうかと考えてみた時、私が感じたのは
「圧倒的な現実における人間の無力さ」「人間の真の強さは馬鹿にある」
と言う事でした。
「戦争」
それはちっぽけな「人間」と言う生物には到底背負う事の出来ない概念存在
こういったあまりにも大きすぎる物事に対して、それぞれの人々がどう向かっていったか、今作には全てが描かれています。
巨大な理解不能を受け入れる人々、受け入れずに抗う人々、扇動して利用する人々、受け入れる受け入れないの前によく分からない人々、全てが終わった一歩先の未来を見ている人々
この全13話において、そういった人物全てが巧みに描写され、最後の帰結まで見事に行われている…
これを終わりまできちんと描いた事については、もう、「よくやってくれた」と言う物です。
さて、その中でシュウと言う人間は徹底的なまでに抵抗し、そして、無常的なまでに何もできません。
しかし、ここで忘れてはいけないのが、彼が立ち向かう事を決して止めないと言う過程
普通の良識ある一般人ならもう無理だと諦めたり、自分が生きる為に媚び諂ったりするのに対し、彼はそんな事はしません。
何回も立ち向かって、その度に酷い目に遭います。
この行為自体にこそ、アニメスタッフの伝えたい意図、テーマがあったのだと私は感じます。
それこそ最初に言った
「圧倒的な現実における人間の無力さ」「人間の真の強さは馬鹿にある」
見事に体現していると言えるでしょう。
「愚直」とは「愚」かな位、「直」ぐと言う事
そんな馬鹿だからこそ見えている、見えてくる景色がきっと或る。
それこそ、『イワンの馬鹿』を書いたロシアの文豪、レフ・トルストイのように…
シュウもまた、抵抗する事によって、そこに全てが終わった一歩先の未来を感じ取っていたのかもしれません……
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社会には、人のうねりには勝てないのだと。
世の中には、どうあがいても覆せない理性があるのだと。

社会のちっぽけな詐術など、人の真の強さの前では無力に過ぎる。
『車輪の国、向日葵の少女』より
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今作を観終えた後で、私はある1つの短編について思い出しました。
そのタイトルは『さあ、きちがいになりなさい』
書いたのは、著名なアメリカの作家、フレドリック・ブラウン
交通事故で過去の記憶を失った新聞記者のジョージ・ヴァインが、自分自身をナポレオン・ポナパルトだと思いこんでいる偏執病患者のふりをして、精神病院に潜入すると言う物語です。
その話の中で、彼は、自分がジョージ・ヴァインなのか、ナポレオン・ポナパルトなのか分からなくなります。
しかし、人間と言うのは、そもそも彼のように弱い存在なのでしょう。
人間における「正常」という観念は、社会や共同体に固執した人達によって理性化された産物
自分がいかに能力がある人間かと言う妄想を語るハムド
自分の事を何の疑いもなく正常だと思い、やっている事がおかしいとまるで感じていないタブール
利己的行為の為ならば、反乱とはいえ手段を択ばないエランバ
私達はそういった害悪存在をこそ、きちがいなのではないかと解釈します。
しかし、そう思う心も安全圏にいる私達だからこそ、普通に認識出来る事
『今、そこにいる僕』の様な崩壊した世界で、自分は気が狂っていないという保証が一体何処にあると言えるのか?
そういった問いを私は自然と感じてしまったような気がします。
もしかすると我々の世界も、視点を変えれば「ヘリウッド」と同じ…
私達は少なからず狂気の中に生きていて、それを「信念」等と言う、聞こえの良い言葉に言い換えている…
そんな気味の悪い想像が浮かんでしまったのは、恐らく私だけでしょう……

シュウはあの後、どうなったのだろうと今になって私は考えます。
自分が世界を救ったと吹聴して回っていくのでしょうか?
自分の胸の内に閉まって、限りある大切な人生を生きていくのでしょうか?
彼がジョージ・ヴァインの運命を辿らず、ララ・ルゥの想いを胸に生きている事を願っています。
シュウと、このレビューを読んでいる方、そして今、ここに生きている事の幸せを偏に感じたくなる…
そんな冬の一時なのでした……

投稿 : 2024/06/01
♥ : 6
ネタバレ

タケ坊 さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

夕日が目に染みる...この作品を観て考えるべきことは多い

いわゆる「鬱アニメ」というジャンルで語られる事が多い1999年の作品。

物語の展開自体は確かに鬱で悲劇的だが、ただ単なる露悪主義的なものではなく、
内容にはしっかりとしたテーマとメッセージ(問題提起)を内包しており、
作品のラストも一筋の希望が見いだせるように描かれている。

決して観て楽しいという類のものではなく、非常にシリアスで重い(あくまでアニメとして)が、
目を背けずにしっかりと向き合って考え、観るべき価値のあるアニメだと思う。
(グロシーンなどそこまで直接的にキツい描写はありません)


☆物語☆

現代の中学生シュウが、ある日剣道の練習帰りに偶然出会った謎の少女、
ララ・ルゥを守ろうとすることがきっかけで、未来の地球?へと時空を移動してしまう。
その世界は水資源が枯渇し荒涼とした砂漠、不毛な大地が広がっているが、
人間は戦争を繰り返す日常を送っている。

(本編では具体的に語られないが、何かで見たんだけど、
どうやら50億年後の地球という設定らしく、太陽が肥大化し寿命が近いことが映像を見ても判る。
戦争によって荒廃な大地と化したのか、太陽の肥大化による乾燥なのか、その両方か、はハッキリとは判らない)

狂王ハムドが治めるヘリウッドで、捕らえられたシュウは周りと同様に強制的に兵隊にされてしまう。
その後シュウはララ・ルゥを助け出し何とかヘリウッドから脱出するが...

詳細な世界観や背景、人間関係など多くの部分が作中では語られることはなく、視聴者の想像に任されている。
オリジナルの1クールアニメでは、色々と詰め込んでしまって失敗するケースが多く見受けられるが、
(尺の足りなさや何を観せたいのかがボヤけているものなど)
本作は敢えて具体的な説明を省いて、伝えたいものだけを表現していると感じる。

鬱展開に関して具体的には、{netabare}拷問、拉致監禁、洗脳、強姦、殺人、死、{/netabare}といった場面が描かれており、
確かに今のアニメ事情を考えると、本作のような内容のものを作ることも、放送することも難しいし、
普段気楽に観れるような作品ばかり観ている人にとっては、なかなか衝撃的なものだろう。。

しかしながら、戦争という重いテーマを扱うにあたっては、中途半端なものを作っても意味が無い。
描かれている内容はフィクションではあるものの非常に生々しいリアリティを備えており、
現在の世界で起きている戦争(イラクやシリアなど)を見ても、
作品中と全く同じこと、それ以上に酷い現実があるのだから、
戦争がもたらすものはいつの時代も同じであり、
本作の表現の数々とメッセージが普遍性を持ったものであるという事は、観れば容易に理解できると思う。

EDが優れていることもあるが、毎回観終わった後の余韻をしみじみと感じる味わいがある。
最終話のラストシーンは非常によく出来ていて、夕日のシーンが感動的だが、
実際には殆ど主要なキャラに救いはない。

自分の考えでは、{netabare} ララ・ルゥは11話でシスに対して、
「世界がもうすぐ終わるのに何故子供を育てるのか?」と言っていて、
これは戦争によるものではなく先に書いた通り、
太陽の寿命が近いことを察していると解釈できる=あらゆる地球上の生命の絶滅。

そう考えると、ラストはララ・ルゥの行動により、未来に一筋の希望があるようにも思えるが、
戦争しようが止めようが、人類に残された時間は後わずかであり、
本当の意味での未来が無いことを表していると言えると思う。
だからこそ、命の尊さや有り方も、より一層重みを持って観る者に訴えかけるのではないだろうか{/netabare}


☆声優☆

今ではベテランの域に入っている名塚佳織さんだが、
台詞はあまり無いものの、本作がデビュー作?で、ヒロインのララ・ルウを演じている。
当然声も今とはだいぶ違う笑

アベリア演じる安原 麗子さんは、元アイドル少女隊のメンバーで声優としては本作がデビュー作?のようで、
若干演技が棒っぽい違和感は感じる。。

狂王ハムドのイカれた演技が特に良い味を出しているが、声優さんが好きに演じていい、と任された結果らしい。。
その他子役は実際の子供が多く出演していて生々しさがあり、
素人臭さはさほど無くしっかりと演じられていると思う。


☆キャラ☆

主人公のシュウは冒頭の剣道のシーンを見ても判るように、
場当たり的な言動を終始繰り返すアホキャラ。
不死身さ、ありえない身体能力など突っ込みどころは多い。。

どこまでもポジティブで正義感が強く、
正直感情移入や共感出来るようなタイプではなく、
今で言う、とことんKYな性格だが、他人の気持ちを理解せず、深く考えずに発するその言葉は、
絶望的な状況の中で周りに与えた影響を考えると、実は非常に核心をついたものでもあり、
物語上では欠かせない重要な役割を果たしている。

観ていて良い気はしないが、敢えてバカに描くことで、
共感は得られなくとも視聴者に考えさせようとしているのが、制作側の狙いだろう。
シュウの言葉をそのまま何も考えずに制作側のメッセージと受け取ってしまって、
「おかしい」「駄作だ」というのは非常に浅い観方ではないだろうか。

自殺や中絶、戦争が罪であることは一般的な倫理観として当然のことで、
シュウやシスが言うことはごく当たり前のことなのだが、
本作を観れば、あのような状況に実際に置かれた場合、果たしてそう言えるのだろうか?
どちらか一方が正しいとは決して簡単には言えないだろう、だからこそ深く考えさせられる。。
これは本編9話のラストなどを観ても同様で、
シュウの {netabare}「あいつも正しい気がする、でも同じくらい間違っている気がして...」{/netabare}
という台詞は本作を象徴するものの一つだろう。

ヒロイン的な役回りのララ・ルゥは口数が極端に少なく台詞量はかなり少ないが、
シュウに自身のペンダントに関して語った言葉やシスに対して何故子供を育てるのか?
といった問いかけなど、語った言葉殆どすべてが重い。
主人公シュウの軽さとは正反対にある描かれ方をしていて、
彼女の心中を察すると、想像を絶する悲しみや絶望しかないということがよく解る。

主要な登場人物の多くが苦境にあえぐこととなり、救われないが、
一人一人の存在、命の重さや尊さは、観ている側に充分伝わってくる。
また、狂王ハムドのクレイジーさも実に巧く描かれていてインパクトが有る。


☆作画☆

時代的にセル画アニメの晩年期にあたるが、
人物の描き方はさすがに今のアニメよりは劣るものの、当時を考えるとよく出来ている方だと思う。
荒涼とした大地や夕暮れに染まる街並み、要塞ヘリウッドなどの背景は非常にアナログの良さ、
手描きの温かみを感じるもので、作品の世界観を考えると非常によく合っていて味わいがある。

長濱博史監督など今では著名なアニメーターの方々が制作に参加しているというのも興味深い。


☆音楽☆

OPはラテンチックでありながら、哀愁を感じるメロディーが心地よい。
EDの夕暮れに染まる街と歌詞は、毎話見終わるたびに感慨に浸ることが出来る良曲。

特筆すべきは岩崎 琢氏が制作した作中音楽の数々。
改めてサントラをチェックしてみても、やはり素晴らしい出来。
(アニメのサントラの中でもかなりの完成度だと思う、オススメの一枚)

どうしようもなく絶望的で鬱な世界の中で、悲しみだけではない、
温かみや安らぎ、希望も備えている楽曲(standing in the sunset glow)は
作中で何度も流れる、涙無しに聴けない名曲。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 10
ネタバレ

sekimayori さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5

Anywhere but here. 【64点】

戦争下の異世界(未来の地球?)に放り出された少年少女の運命を描くシリアスファンタジー。
鬱アニメ、という単語を軽々しく使いたくありませんが、これほど視聴が辛かった作品は他にありません。
何度、視聴を止めてここではないどこかへ逃れたいと思ったことか。
ストーリーや設定に粗は多く、決してお薦めはしないけれど、観た人の心には長く、重くのしかかるかもしれない作品。
{netabare}

本作では、子供向けアニメのような柔らかいデザインの登場人物たちが、理不尽で冷酷な世界に翻弄されていきます。
狂気に塗れた独裁、過酷な少年兵の生、連鎖する憎しみの環、流され続ける血。
粛清、略奪、強姦、復讐。
戦争という極限状態下での人間の獣性、残酷さを、露悪趣味かと疑うまでに真正面から描いている。

でも、最も辛かったのは、主人公シュウを通して、人の無力さをむざむざと見せつけられたことです。
無力さの第一は、極限の環境や血の連鎖に対する個人の無力さ。
そこだけは子供向けアニメに倣ったかのようなシュウの頑健さを以てしても、狂王ハムドは止められない。
「生きていればいいことがある」を連呼し、近代的な価値観を少年兵たちに押し付けたところで、その苦境から脱する手助けにはならない。
ザリバースの民の復讐計画を思いとどまらせることすらできない。
理不尽に対する無力感、やるせなさを、視聴者に(様々な意味での)夢を供給してきたアニメという媒体でこれ以上ないほど描いているのが皮肉と言うか何と言うか。

第二は、傷つけられた他人に対する無力さ。
これはシュウとサラの関係性において顕著でした。
人違いで拉致された挙句、強姦され望まぬ妊娠をし、中絶未遂にまで至ったサラに対してシュウがかける言葉は、ここでも「生きていればいいことがある」。
はっきり言って視聴中は虫唾が走りました。
サラの苦しみを理解もせず、無責任な楽観論で痛みを更に抉るのか、と。
でも、もし自分がサラの横に居たら何ができるのか、どんな言葉をかけられるのかを考えたとき、答えは何も浮かばないのです。
時が痛みを解決してくれるだろうと、そっとしておく?
本作の世界では、明日の夕陽を眺めることすらできないかもしれないのに。
辛かったね、と寄り添う?
その辛さを理解できようはずもないのに。
では、マッチョイズムを発揮して抱き寄せ、人の温かさを伝えてあげる?
その熱を持ち頑強な肉体が、彼女を弄び苛んだのに。
たとえ真に理解できなくても、苦しみを取り除けなくても寄り添うことが人と人との関わり方だと信じたいけれど、残酷な世界ではその小さな理想さえもあまりに儚く思えます。
(ただそれにしても、シスまでサラにあんな言葉を投げかけたのは理解ができない。女性が観たらどう思うのでしょうか?)

物語ラスト、現実世界に戻ったシュウの目は、赤い夕陽の向こうに何を見ていたのか。
不覚にも、「生きていればいいことがある」という無垢な願いがまだ彼の中に残っていることを祈らずにはいられませんでした。


以上のように陰鬱さの質量では他に類を見ない本作ですが、ただ、その重さが視聴者全てに響くかというと、そうは言えないように思えます。
ストーリー展開や設定の整合性についてはお粗末でしょう。
現代から水持ってくればララルゥ要らないし。
シュウがララルゥに拘る理由もわからない。
ハムドが権力を把持し続けられる理由や、アベリアの盲信の根拠も明かされない。
私は本作の無力さの描写に圧倒され途中から粗に目を向ける余裕すら失ったけれど、冷静な目で再視聴すると、露悪的な描写が鼻につく、という感想を抱く可能性も否めないかと。
テーマの重さを支えるには、もっと設定や物語の堅牢さが欲しくはあります。

その他、なけなしの温かみを感じさせる音楽面や、基本は実直かつ魅せる部分は魅せる演出は、丁寧に作られていたと感じました。
特にサラ関連で、花の散り落ちるシーンと断髪のシーンは、久しく忘れ得ぬだろうと確信するほど印象的でした。
残酷で悲劇的な場面(落花については言うに及ばず、断髪も幼い自分と決別せざるを得ない理不尽な旅立ちのシーンだと思う)が最も美しいことが、この作品を象徴しているようにも思えます。

あ、よく鬱アニメとして名前が挙がるリヴァイアスですが、あれ希望の物語ですよ。{/netabare}


【個人的指標】 64点

投稿 : 2024/06/01
♥ : 12

87.4 13 鬱アニメランキング13位
ef - a tale of memories.エフ・アテールオブメモリーズ(TVアニメ動画)

2007年秋アニメ
★★★★☆ 4.0 (2428)
12435人が棚に入れました
広野紘と新藤景は幼馴染の間柄。紘はクリスマスの夜、景のパーティーに呼ばれていたが、ふとしたキッカケで宮村みやこと遭遇し、紘はマイペースなみやこに振り回されるはめに。
紘のクラスメイトで映研部員の堤京介はクリスマスの街を撮影中、雑踏の中に少女の姿を見つけキャメラを向けるが、つい彼女の姿を撮りそびれてしまう。
一方麻生蓮治は駅で新藤千尋と出会う。翌日、そしてその次の日も蓮治は無人駅におもむき千尋と再会するのだが…。

声優・キャラクター
田口宏子、岡田純子、やなせなつみ、後藤麻衣、下野紘、泰勇気、高城元気、中島裕美子、遠近孝一、浜田賢二
ネタバレ

bana-g※更新減 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

「a tale」でも安易に「tale」へ逃げない所が魅力の一つ。最高のエンディング。

原作未プレイ。
評価対象はあくまで「ef - a tale of memories」のみ。
二期の存在を知らないという前提で評価してみる。


ファンタジー風の装いに反して内容は非常に現実的だった。


ストーリー上追うべき内容は大まかに4点。

物語A:蓮治×千尋

物語B:紘×みやこ(×景)

物語C:京介×景

物語D:火村×ユウコ



{netabare}しかし、全12話を通して解釈としての結論まで辿り着いたのはAとBだけだろう。


加えて、物語Bは演出面で非常に目を引くシーンは多かったが(尺不足?による)展開の強引さも含め、シナリオとしては取り立てて論じるほど興味魅かれるものではなかった。
個人的には、メインこそ物語Aであり、あくまでも物語Bは全体が引き立て役のような印象を受けた。

だが、敢えて言うが、物語Bが不要かと問われれば断じてNOだ。良い意味での無難さを一方に据えたからこそもう一方がここまで輝いた。
そういう意味では、展開の手法は別としても、内容のバランスは非常に良かったと考えている。


よって、本レビューでは物語B、C、Dについてはほぼ割愛する。
まぁ二期まで視聴すれば特にC、Dには触れたくなるかもしれないが。



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◆並行した独特の展開-----時間軸は?◆


物語Aと物語Bが並行して進んでゆく。
途中までこの手法に凄く違和感を感じていたせいで深読みしてしまった。
蓮治が「まさかお姉さんと入れ替わったりしてないよね?」と冗談めかして尋ねていたが、
私が考えていたのは、こいつら(=物語AとBの登場人物)って本当に同じ時間軸を生きてるの?ってことだった。


双子の姉妹なのに全く会話もなく、接点と言えば近況報告のメールくらいしかない景と千尋。
サムライ・フラメンコのあの人じゃないけど、もしかして自作自演?みたいな。
本当は時系列がズレていて、景は死んでいて、携帯の写真はただのメモリー。
お姉ちゃんが買ってくれた洋服は形見として大事にしまっていて.....いや完全に深読み妄想勘違いでしたけど。


でも本当に違和感はなかなか拭えなかった。
普通だったら、障害を持っている大事な妹に近づく男がいれば、素性なり人柄なりを直接会って確かめてみたくなるものだと思うんだよね。


同じ学校の図書館まで毎日の様に出向いて弁当食って過ごしてるんだから接点くらい作れるでしょう。
物語AとBを多少交わっても、決して混ざり合わないようにしたかったのはベクトルの違う物語を展開する上で都合が悪かったのかもしれないが、
ファンタジーに頼らない現実思考の話だからこそ、そういう点がむしろ気になった。


まぁ物語Aで良き助言者である、久瀬や火村があっさりと助け船を出して解決できるようなら、物語Bはああも痛々しく生々しくはならなかっただろうから、それを見越しての設定なのだろう。




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◆流石シャフトと言わしめる圧巻の演出-----その裏表◆


全話を通して、シャフトの工夫を凝らした独特の演出が単調なシーンをさも意味あり気に彩る。
目線一つ、唇の動き一つ、些細な所作で好意や照れを表現する演出、効果的なアングル、色使いは見事としか言えない。


要所要所にモノクロを用い、白黒の世界から色付き変わっていく様が登場人物の内面にある感情の灯りと絶妙にリンクしていて、
正の感情を直感的に掴みとれた。


何気ない会話シーンを敢えて背景の美しさに目が行くようなロングショットで描く場面も多く、
「恋愛」というありきたりだが決して広くはないカテゴリの中を、ファンタジーに拡張してしまい縛りから逃げることも
恋愛モノのお約束を機械的に詰め込んだマンネリな描写で妥協することもせず、魅せ方の工夫を貫いて完成度の高さを維持した点はさすがのシャフトだと思う。


ただ一点の気懸りを挙げれば、上記の裏返しに「演出過多」の危うさがあるという事だ。
演出とはあくまでシナリオを効果的に伝達する、潤滑油だと思っている。
もしくは、単調さを回避する作品自体のアクセントとしての働きか。

7話の{netabare}文字だらけでべったりと埋め尽くされる留守電 {/netabare}演出などは、一度目にすれば脳裏に焼き付くインパクトの有るもので、
{netabare} みやこの紘に対する想いの度合い、じわりじわりと強まる絶望が端的に表現されていて{/netabare}演出がシナリオを最高の形で導いた好例だと思う。



しかし一方で、同じ7話での{netabare}千尋の「恋人としてキスしても良いです。もうそういう”場面”だと思います」の台詞辺りから蓮治の狼狽・戸惑い・絶望までを表した一連の{/netabare}演出等は
それ以前のシーンとしてあった画面を覆う砂嵐のようなズレ演出の影響とあいまって、視覚的なインパクトが却ってシナリオの進行を阻害しているように感じられた。
まぁ私の汲み取る力が不足していただけかもしれないが。


突飛で目を引く演出は、視覚的なギミックとして工夫されたら工夫されただけ愉しめるものだろう。
だが、こと「恋愛」という多義的で、あいまいささえも時には脚本の一部として機能する分野においては
意図的なシナリオの不明確さを上手くカバーするという視点が考慮に入らなければならない。


物語は大前提として、伝わって初めて意味を持つ。
「おかゆアニメ」を作れと言っているのではなくて、バランスの問題かな。
奇抜な手法も目を奪う美しい場景も、物語というシークエンスから零れ落ちればそれはもはや本質を損なっているようなものだ。



故に、演出には最大限の配慮が求められると思っている。


一期のみでは最終話まで観ても明かされない謎、語られない事実、疑問がいくつか散らばっていた。
思わせぶりな演出や2つの物語が並行して進展するという独特の展開が、話数の進行に応じて理解の未消化部分を
どんどん増やしてゆく結果、それぞれの点が線として繋がり始める前に視聴を断念する原因になった人は割と多いのかもしれない。


脚本と演出の双方に、抜群の魅力と同時にわかりにくさの原因があったのは認めるべきだと思う。
ともあれ、二回観てしまいさえすれば、その両方を100%楽しむことができるので、実は特に大きい問題ではなかったりするのかも。ここまで散々好き放題書いておきながら何を今更...。




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◆小説の存在-----評価と世界観-----最高のエンディング◆


物語Aにおいて、12年と13時間の間を行き来する千尋が、唯一持ち続けられる夢だった小説。
全てが滅んだ世界で一人生きる女の子を題材としたこの小説の捉え方が、efという作品を評価する上で最後まで私を悩ませた。


作中で繰り返される火村の言葉


----「この世に奇跡なんてものは存在しない。あるのは必然と偶然。そして、誰が何をしたか。それだけだ」




これをありのままに受け止めればファンタジー要素による奇跡的な解決による結末を迎える可能性は排除される。

それでは冒頭からも登場している神出鬼没なユウコの存在をどう説明付けるのか?
彼女が現実に存在するならば一貫しているが、霊的・空想的存在として存在するならばファンタジー路線でのどんでん返しの可能性は否定できなくなる。


ベースをどちらに置くかで全く評価が変わるので悩んでいた。


----「女の子は世界に一人。だから彼女は神様だ」



小説に登場する彼女=ユウコの可能性まで考えてしまっていたから正直混乱した。
前述した7話での蓮治の内面描写を素直に受け止めきれ無かったのは、カミサマに都合のいいように運命(≒記憶≒想い)を弄られたからだと勘違いしたためだろう。他作品にCLANNADの例があったし、efには現実路線をそのままゆくエンディングを期待していた。




結果、小説は単なる小説だった。


世界を改変したり、超常の力で奇跡をもたらす類いのものではなかった。
千尋と蓮治の絆を深めるための、それ以上でも以下でもない小説そのものであり、心からの安堵を覚えた。

なぜならそれは、最終12話での結末に直結してくるからだ。

千尋の記憶障害が奇跡的に回復した、なんていう安っぽいハッピーエンドじゃない。


千尋(と共有した記憶)の死を糧に、蓮治が小説家を目指す覚悟をした、なんていうリアリティを追及した後味悪いエンディングでもない。


たったの13時間”しか”もたないメモ書き程度の記憶という否定的なニュアンスを、13時間”も”蓮治のことを考えないなんて無理だった、と言わしめたエンディング。
諦めない蓮治の想いがあったからこそ、小説作成の段階から何度も立ち止まっては支えてきた蓮治の献身的な態度があったからこそ、自分自身とまで言っていた日記をなくしても千尋の記憶に蓮治は生きていた。


奇跡に頼らず、諦めず、蓮治と千尋双方の努力をして成し遂げられた考え得る最高のエンディングだと思っている。


確かに、冷静に見れば、問題の根っこは何も解決していない。
今後も記憶のリセット、他にも辛い出来事は繰り返し起こり得るだろう。

しかし、そうした不安を払拭し、今後の二人の明るい展望を予感させる絆と強さを描き上げられたというだけで個人的にはこれ以上なく満足している。




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◆総評◆

物語Bはやや駆け足、一足飛びの印象もあったが其々が過去を清算し、不安定な自分から脱却できたのは観ていて割と気分が良かった。

物語Aに関しては、前述の通り大満足しているので追記すべきことは特にない。

演出の項でも書いているが、全体として理解の未消化部分が増えすぎると投げてしまいたくなるだろうが、
シナリオ自体は非常によくできている。一度で全て理解できなくても、一周すれば必ず何かしら心に残るものは有ると思う。
逆の言い方をすれば、長く付き合っていける作品だと思うので是非最後まで観てほしい。
少なくとも、比較的理解力に乏しい私でも二回観れば何となく理解できた。普通の人ならば或いは一回で大丈夫だろう。




結論:割とオススメの作品。








P.S

◆疑問点◆

同じ時系列上を進行しているとするならば「屋上の鍵」のリレー順が解らなかった。複数あるの?

紘の姉→紘 / 火村→蓮治 {/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 10
ネタバレ

アムールトラ さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.6

時には相性が合わない人もいたり(比較になってます)

何か良い作品はないかと探していたとき目に留まった作品です。
あにこれのレビューをざっと見て、記憶がなくなってしまう話であることと演出が神がかっていることを知り、期待絶大で見始めました。

はじめに立場を表明しておきましょう。
僕はこの作品が好きではありません。
でも、安心してください。こき下ろすつもりなんかないですよ。

★この作品は、紛うことなき名作です★
間違いないです。本当に凄い作品です。
皆さん口を揃えて名作だと言ってますし、僕も激しく同意します。
それはなぜかというと、

•刺激的な構成
•シャフトの本気(?)

です。まず、シャフトは本当に凄いですね。演出にかけては他の追随を許さない。
あの演出はまるで何かが憑いているみたいですよね。作品に吸い込まれるというか、心の奥底にぬっと湧き出てくるというか。
よく分からない求心力があって、いつの間にか見入ってしまいます。

efはその演出だけで感情を揺らしてきます。素晴らしい。
しかもそれがストーリーと組み合わさったものだから、最強です。
演出とストーリーの相性が抜群ですよ。こいつはかの化け物並みのシンクロですね。
名作ですよ。

ですが──。

★なんででしょう?★
どうしても好きになれませんでした。正直自分でも何故かは分かりません。

神演出。キャラの内面をきちんと描いていて、まさに生きています。
題材は記憶。シリアス大好きです。特に記憶ものは好きなのですよ。
設定が近いものでは一週間フレンズ。
設定は遠いけれども、CLANNAD、うたわれるもの、東のエデン。
状況が似通った、タイムリープもの。

全部好きですよ。むしろ嫌う要素が……ない。

じゃあなんで好きじゃないとか言うんだ?
――知らんよ。

★比較実験してみましょう★
そうだ、比較してみましょう。
分からない時は分かるところから攻めていくのがいいって誰かから聞いたので。

単独では分からないものでも、周囲のものとの比較で見えてくることがあるらしいですね。

という訳で、一週間フレンズと比較してみましょう。
efのレビューなんだから他のこと書くなって?
すいません。書かせてもらいます。一週間フレンズをまだ見ていない方も、ネタバレに注意してくださいね。

○あらすじ
まずはあらすじから。
だいぶはしょりますし、記憶で書きますから違うかもしれません。
しかも多分、偏見まみれです。
ですが、多少のことはご容赦をお願いします。

では行きましょう。

•ef
{netabare}
主人公は廃駅で少女に出会った。
少女は13時間しか記憶が持たなかった。
教会の神父さん的な人物が少女の保護者的立ち位置。
主人公は神父さんとの絡みもありながら、少女と仲良くなろうと奔走する。
記憶を留めるため、ノート(手帳だったかもしれません)に書き留める。
そんな日々の葛藤などを描いたストーリー。

そして、efにはもう一部ありますね。
漫画家の男の子と女子二人の三角関係を描いたストーリー。

二つ目なんか、あらすじですらないですね。すみません。
はいでは次です。一週間フレンズ。
efのレビューですが、これは必要なことなのです。
{/netabare}
•一週間フレンズ。
{netabare}
長谷祐樹は藤宮香織に一目惚れし、友達になろうと声をかける。
香織の記憶は一週間でリセットされる。
友人や香織の家族関係の中で展開される。
キーポイントは「友達になろう」。長谷は香織のために頑張る。
記憶を留めることは出来ない。日記としてノートに書き留め、それを見返すのみ。
そんな日々の葛藤などを描いたストーリー。{/netabare}

流れは相当似てますね。
あらすじを見る限りだと大きな相違点は、
•関係者の人数
•リセット期間
•記憶が残せるかどうか
あたりですか。

特に気になるのは「記憶が残せるかどうか」という点です。
{netabare}
efの13時間以内に思い出せば覚えていられるという設定は、現実的ですね。
記憶というのは定期的に思い出せば保てるものですから、納得できます。博士の愛した数式でも80分設定でしたしね。

しかし、なんだかしっくりきませんでした。
うーん、なんでだ?
こればかりは感覚なので、説明は難しいです。でも、敢えて言うなら、

全部覚えてるなんて、おかしいでしょ!

ということかな……?
efでは、ヒロインが記憶をなくさないように頑張ります。健気で、この場面にはぐっとくるものがありました。
ですが、頑張れば何とかなる道が提示されていたためか、記憶がなくなることへの恐怖が僕の中で半減しました。
そして、厳密な意味で、ストーリーに心動かされることが少なかったのです。つまり、演出に心を動かされただけという。
efを好きになれなかった原因。
忘れるはずじゃなかったのか、という肩すかし感が弊害となった可能性は高いです。


ちなみに一週間フレンズの方は記憶がすっきりきっかり全部リセットされます。理不尽にも、一週間という期間には手の施しようがない。
どうしようもないというのがぐっときました。

けど、何で一週間なんでしょうね。これ考え出すと訳分からないんですよね。原理とか。
実際には全く有り得ない現象じゃないかと思います。
一週間フレンズの記憶の消え方については現実的ではありません。efの方が現実的です。

ですが、『思い出』が全てリセットされていて、残っているのがノートで得た『知識』だけという点で、しっくりきたのです。{/netabare}


○舞台設定
これも好きになれなかった原因の一つでしょう。

•ef
教会が出てきます。
学校の制服はミッション系のものでよく見られるデザインです。
舞台は西洋でしょう。建物も西洋風です。
•一週間フレンズ。
日本のどこにでもありそうな高校です。
よくある制服です。
間違いなく日本です。

お分かりでしょうか?
『身近さ』というやつです。
僕はアニメにしても何にしてもばりばりに感情移入しています。
そんな僕にとって、efは少し遠かった。
わざわざ西洋にする必要があったのか、と嘆けます。

不意にパトスがほとばしってきたので、吐きます。下のやつは僕の闇です。
見ない方がいいかもしれませんよ?
{netabare}
ミッション系の制服は嫌いです。その中でもefの子達が来てるやつは特にまずい。
あれ、野暮ったいだけですよ。何であんなデザインにしたんでしょうか。土地狂ってんじゃねえですか?
二の腕辺りについているあのふわっとした提灯みたいなの、なんなんでしょう。
あれがムカつくのです。超ムカつくのです。あれ、邪魔なだけではないでしょうか。
ほんと、あのデザインだけは無理です。あれが複数人出てきただけで気が削がれるというかなんというか。
あんな服、消えちまえばいいのです。
※作品自体についての悪口じゃありません。尚、メイド服は含まれておりません。
※※引かないでください。
{/netabare}

○雰囲気の種類
efで演出された雰囲気はなんというか、近寄りがたいものでした。

絵柄について考えましょう。
•efの絵柄は、よくADVで見かける種類のやつですね。
顔が極めて小さく、目が大きく、髪が光沢を発するタイプです。目も光ってます。
•一週間フレンズの絵柄は、常時セピアが入ったふわふわなやつです。
特徴的なのは鼻の下。横顔になるととても長いです。あと、正面絵と横絵で鼻の位置が全然違います。目は一般的だと思われます。

別に、絵柄で選り好みはしません。一週間フレンズのやつは個人的にヒットでしたが、それだけで、efの絵柄も悪くないです。
しかし、今回ばかりは絵柄を攻めざるを得ないです。あくまで主観ですが、演出との相性が悪かったです。
efのキャライラストは主張が激しいです。目とか特にそうです。
そして、演出はシャフトです。当然演出力が強いです。
僕には、互いが主張して威力を相殺し合っているように見えたのです。

最初の方でストーリーと演出の相性がいいと書きましたが、
演出と絵の相性が悪かったのです。

僕のイメージでは、efのストーリーは高級品。精緻に作られていて、少しキザっぽい。
それに演出が加わり、程良く昇華されるはずでした。
しかし、絵の主張が強かったのでクドくなってしまった。

同じものを見ても受ける印象は様々ですから、こう思ったのは僕だけかもしれません。だとしたら、運が悪かったです。

★俯瞰してみて★
名作です。思い返して見れば、本当に良く出来ていました。
良いはずなんだけどなあ。
なんだか相性が合わなかったため、印象だけが悪いです。

体に良いことは分かっていても口に合わないから食べられないみたいな?

という訳で、よく分からないなりに分析してみました。
こんな感想もあるんだな、程度に見て貰えれば結構です。

必ずしもみんなが良いというものが自分に合うとは限らないですね。

p.s.まだ見ていない方。
二話までは何が何やらよく分からないまま見ることになると思いますが、そこから分かってきます。
そこまでは見ましょう。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 28
ネタバレ

takarock さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5

3つの視点とシャフト演出

原作はアダルトゲーム。
2007年放送、全12話。監督:大沼心氏、監修:新房昭之氏、シャフト制作。
「ef - a tale of melodies.」という続編(2期)はありますが、
綺麗に物語が締めくくられているので、本作単体で楽しめる作品です。

私が本作を観終わった後の感想というのは、
「うん、なかなか良い作品だった。点数にすれば75~78点くらいかな」
というものなのですが、
あにこれを含む世間の評価というのは、
「シャフトの最高傑作」「恋愛アニメの最高峰」と
大・大・大絶賛されている作品なのです。
(ちなみにあにこれの2015年現在の評価点は85.6点です)

何故このような乖離が生じるのか。
今日はそれを少し考えてみたいと思います。
ただ、その前に視点についてお話したいと思います。
これはあらゆる作品にも該当することではありますが、
特に恋愛作品に触れる際に「3つの視点」というものを、私は意識しています。
ちなみに私が勝手に作った適当な概念ですw

「1次元的視点」

あるキャラに自己を投影する、
すなわち、そのキャラになりきってしまうという視点。
最も原始的な視点ですが、最も作品を堪能できる視点でしょう。
キャラ重視ってことですね。

「2次元的視点」

登場するキャラと自分は違う人格であるという視点。
「このシーンならこのキャラがこんな行動をとれば盛り上がるだろ」というような
キャラを客観視することによって、話の展開を主とする視点。
ストーリー重視ですね。

「3次元的視点」

制作サイドの意図を汲み取って作品を俯瞰する視点。
作品の構造であったり、
「何故ここでこの映像を差し込む」「ここでOPきたぁ!!」というような
映像面、音楽面、声優の演技等、演出を読み解こうとする視点。
ジャンルが違えば当然そのジャンルの3次元的視点が必要になってくるので、
この視点によって、(今回の場合だと)アニメという創作物が対象となることが確定します。
平面から立体になりましたw(適当)

さらに4次元的視点というのも考えたのですが、その話はまた別の機会にしましょうw
それで私の場合、シーンによってどの視点を選択、あるいは併用するというように
使い分けている感じです。

では、ここらはネタバレありで、本作をこの3つの視点から捉えていきたいと思います。


{netabare}「1次元的視点」

広野紘(ひろのひろ)は高校生であると同時にプロの漫画家でもあり、
それ故にそのどちらもが中途半端な状態という悩みを抱えています。
また、13時間しか記憶の維持ができないという新藤千尋(しんどうちひろ)と、
そんな千尋と向き合っていく麻生蓮治(あそうれんじ)等
本作のキャラは極めて特殊な悩みを抱えているので、
自己を投影するというのは厳しかったです。
広野紘が抱える悩みというのは、大人なら共感できるところもあるでしょうけど、
高校生でこのような悩みを抱えるというのは普通はないですからね。
また、本作は2つの話が同時並列的に進行していくので、
その点でも1次元的な視点で本作を視聴するのは難しかったです。
瞬間的に感情移入するということはありましたけどね。

「2次元的視点」

前述したように、本作は2つの話が同時並列的に進行していきます。
すなわち、広野紘(ひろのひろ)と宮村みやこ、新藤景(しんどうけい)の話と
麻生蓮治(あそうれんじ)と新藤千尋(しんどうちひろ)の話なのですが、
前者はオーソドックスな三角関係の話だと思います。
後者についても割とよくある感動系のラブストーリーという印象ですかね。
多少強引だとも思いましたが、
ラストをハッピーエンドに綺麗にまとめたのはよかったです。
個人的にラブストーリーのハッピーエンドってあまり好きじゃないんですけど、
さすがに本作で鬱エンドでは救いがなさ過ぎですからねw

「3次元的視点」

ズバリ本作の肝はここです。
新房昭之氏×シャフトについては、もはや説明不要でしょう。
時に煙たがれるシャフト演出ですが、
本作とシャフト演出は最高のマリアージュと表現できるでしょう。
これによって、本作のキャラやストーリーが一段も二段も上のレベルに
仕立てあげられています。

まず本作の舞台ですが、ヨーロッパの都市を景観モデルにしたということもあってか、
どこか幻想的で童話的な雰囲気が醸しだされています。
別の言い方をすれば、現実味のない世界観。
キャラクターデザインについても同じことが言えて、
如何にもな一昔前のエロゲのキャラデザという風で、
お目目ぱっちりの、どこかkey作品のキャラデザを彷彿とさせます。

このように表面上は幻想的で、童話的なのですが、
それと対になるかの如く女性キャラの心情面はかなりドロドロでえぐいです。

宮村みやこは、冷め切った家庭環境で育った影響から心に闇を抱えており、
いつヤンデレ化してもおかしくない状態です。
新藤景は、広野紘に対する独占欲がもはや異常と言える領域です。
妹の新藤千尋の事故の原因に関わっているにもかかわらず、
そのことについて、まるで悪ぶれることもないかのような立ち振舞は
かなりの狂気を孕んでいるように思えました。
新藤千尋については、13時間しか記憶を維持できないが故に心に闇を抱えていますが、
ここはドロドロでなく、儚さの方が強く描かれているという印象でした。
ドロドロの三角関係と儚き感動ラブストーリーという対比構造が用いられているのかもしれません。

さて、表面上は幻想的で童話的、その中身は(女性)キャラのドロドロな心情描写、
さらにそれだけでは留まらない儚くも美しい物語。
そして、新房昭之氏×シャフトと言えば・・・
もうお分かりですね。
大ヒット作である「化物語」と「魔法少女まどか☆マギカ」です。
本作はこれらの大ヒット作との構造類似性があるように思えます。些か暴論だとは思いますがw
ただ、どのような作品がシャフト演出と最大限マッチするのかというのは、
少しは見えてきたような気がします。{/netabare}


最後に、何故私の評価と世間の評価に乖離が生じたかについて言及しましょう。
本作の最大の魅力が演出だとすれば、
その演出については、衝撃的というよりは既視感の方が強かったです。
厳密に言えば、既視感というより「シャフトならこれくらいやってくるだろう」という
悪しきとも言える慣れです。
2009年放送の「化物語」を当時視聴した時はまさに衝撃を受けました。
そしてその後も多数のシャフト作品に触れてきました。
そのことによるシャフト演出に対する慣れから生じた温度差が、
そのまま本作に対する私と世間の評価の違いとして表われたということなのかもしれませんね。
もし、私が本作を放送当時(2007年)に視聴していたなら、
また違う評価になっていたのかもしれません。
作品を視聴するタイミングは重要だということですね。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 43

87.4 14 鬱アニメランキング14位
新世界より(TVアニメ動画)

2012年秋アニメ
★★★★☆ 3.9 (3341)
15923人が棚に入れました
渡辺早季は、閉鎖的だが穏やかな田舎町「神栖66町」で幸福に少女時代をおくった。ある日、町の外へ同級生たちと出かけて小型図書館端末ロボット「ミノシロモドキ」と出会う。質問することにより21世紀前半の超能力者誕生から非能力者との敵対、その抗争から能力者の勝利と文明の崩壊、その後の暗黒時代、町の管理支配の実態といった禁断の知識を知ってしまう。その直後、バケネズミ同士の戦争に巻き込まれ、命からがら町に戻るがしだいに恐ろしいことが起き始める。

声優・キャラクター
種田梨沙、東條加那子、花澤香菜、工藤晴香、藤堂真衣、梶裕貴、高城元気、村瀬歩、浪川大輔、平田広明
ネタバレ

素塔 さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

残映抄―未来への挽歌

まず結論から言おう。この作品の評価は不可能である。
すべての星を並べたのは、「規格外」という個人的判定を意味している。

観る者はただ圧倒されて終わるしかないだろう。
SF的な着想の土台の上に緻密に構築された、壮大な世界観に。
人間という存在の本質に向けられた、苛烈極まる問題提起に。
緊迫の展開とスペクタクルが連続する、傑作エンターテインメントに。
無理に評言をひねり出そうとすると、こんな宣伝文句風の言葉にしかならない。

独断だけで済ませるわけにもいかないので、アプローチの足場を探してみると
そこに独特の複雑さが見出される。精神を刺激し、思考を誘発してやまない複雑さだ。
勿論、それは第一に原作小説に由来するものだが、おそらくそれだけではない。
アニメーションという表現形式が全力を傾けて原作の高みに挑んでいるためだ。


Ⅰ 物語の奪還
{netabare}
開始と同時に作り手は勝負を仕掛けて来る。
衛星画像のような日本列島が映し出され
俯瞰されつつ、徐々に高度を下げて拡大される地上の街で
今まさに繰り広げられている、超能力者による大量殺戮。
場面は唐突に転換し、代わって、暮れなずむ空を背景に
遊びに興じる子供たちのシルエットが浮かび上がる。

このプロローグは本作の構造を要約した縮図だと自分は考える。
連続と転換によって対比的に並置されているものは多分、本作の世界観と物語だ。

世界観と物語。この二つを独立させて並べるのは奇異な感じを与えるだろう。
通常、世界観と称されるものは作品世界を成立させている枠組みないしは設定、
その結果生じる雰囲気などである。
そうした常識的な範囲からは逸脱した独特の機能を有していることに気づく。
それは「歴史」に擬態して物語の内部に侵入している。
冒頭の俯瞰はおそらく、「歴史」のはじまりを告げる演出である。
以降、二話三話でも物語に先立って血腥い歴史の一頁が冒頭に挿入されている。
人類の中に超能力者が出現した時点にはじまり、以後一千年にわたる血に塗れた新・人類史。
それこそが世界観の具体化に他ならない。

「歴史」が俯瞰視点で表される理由、それは端的に「支配するもの」だからである。
先行する原因によって現在という結果が規定されている以上、
歴史とは過去による現在の支配であり、それは不可逆的な必然の堆積である。
物語の舞台となる、一千年後の未来日本の一隅に存在する、神栖66という町。
この町こそはまさしく、人間社会が忌まわしい危機管理システムへと変貌した姿であり、
ある意味で人類史の終局に出現した究極のディストピアである。
すなわち、物語は幕開けの時点においてすでに逃れがたく
世界観=歴史によって規定され、俯瞰され、支配されているのである。


ふたたび冒頭に戻ろう。
プロローグの完了とともにタイトル、そして間髪を入れずに物語の幕が上がる。
水郷地帯である神栖町の夕暮れの田園風景が広がる。
その夕景のなかを一艘の船が川の流れを遡ってゆく。
船の進行に合わせてカメラは水平に滑っていくが、
頭上に張り渡された巨大なしめ縄をくぐるタイミングで上方に向けられ
しめ縄越しに仰ぎ見られた鮮やかな夕映えの空が徐々にクローズアップされる。
このカメラワークの意図は明らかだ。
俯瞰を反転させた逆の視点が導入されるのだ。俯瞰に対する逆俯瞰。仰視の視点。

ここにまた、読解の重要な鍵が与えられる。
しめ縄は八丁標と呼ばれ、結界のように町の周囲に張り巡らされている。
この日、ヒロインの渡辺早季が生まれて初めて八丁標の外に出たことがこの後で明らかになる。
つまり船に乗っていたのは儀式のために川上の寺に赴く早季だったのだ。
すなわち、導入された逆俯瞰の視点はこの早季の視点に合致する。

俯瞰と逆俯瞰。世界観と物語はこの一対の視点となって、物語の内部で対峙する。
この対置が本作のユニークな構造なのであり、そこに生まれる張りつめた緊張こそが
本作の悲劇性の力学的な根源である。
この複層的な構造が、神栖66町のクロニクル(年代記)と新・人類史とが
複合的に交錯しながら展開する本作の物語の特徴を説明するものだろう。
その核心となるのは、残酷な必然の支配に抗う者たちの悲劇。
つまり、世界観=歴史による俯瞰構図は物語の内容にまで及び、それを規定しているのだ。

俯瞰的な世界観の視点と対決する地上的な物語の視点は
悲劇を生きる者たちの視点となり、ヒロイン早季に収斂される。
この仮定から出発して物語へのアプローチを試みてゆこう。
敢えて挑戦的に言うならば、これは世界観から物語を奪還する試みなのである。
{/netabare}

Ⅱ 早季と真理亜
{netabare}
早季と真理亜、二人のヒロインのドラマを鮮やかに視覚化した
アニメのエンディングは明らかに、物語の核心を要約した解題となっている。
特に真理亜バージョンは驚異的と言っていい。
仄かなエロスを漂わせる彼女の赤い髪と白い肌が、雪と紅い花のイメージに重なりつつ
流れていく映像に、異物のように挿入される二つの暗示―。
一瞬映る胎児のショット、子殺しのシンボルが刻印された謎の石造物。
それらは確実に一つの意味を指し示している。
彼女の存在の本質、真理亜の悲劇的な母性である。

真理亜という名前。永遠に人類に祝福される、母の中の母の名。
皮肉にもそれは呪いに反転する。人類を滅ぼす「メシア」を生んだ母の名として。
勿論、単に機転を利かせたネーミングなどではない。
彼女の愛情の本質である母性は、弱い守を庇護して自ら悲劇への道を選ばせ
その犠牲によって、抹殺されたすべての子供たちの母となるのである。

彼女は物語の根幹となる悲劇を体現し、象徴する存在である。
町によって組織的に遂行される、おぞましい子殺しが第二部を中心に展開される。
秘められていた大人対子供の対立の構図を、反抗という主体的なアクションによって顕在化し
同時に物語の中に「子供」という包括的なモチーフを導入する役割を担う。
守とともに町から逃亡し、雪山に姿を消す直前に早季に書き残した手紙。
そこには第二部までの流れを総括し、さらに第三部の展開までも予告した記述がある。

 私たちの町は異常です。そうは思いませんか?
 町の安定と秩序を維持するために子供たちを殺し続ける町が
 人間の社会としてまともでしょうか?
 いま、町で起きたことを思い出してみると、
 その異常性がどこから来るのかもだんだん見えてきました。
 それは、大人たちが心の底から子供たちを恐れているという事実です。
 私たちは、何となく嫌な予感がするというだけの理由で、割られ、捨てられてしまう
 何百何千もの卵の一個になることだけは願い下げです。

第三部の激動の発端となる夏祭の晩、早季は消された仲間たちの姿を見る。
このエピソードが重要なのは、潜在する「子供」のモチーフを示すことで、
反乱の勃発に「子供たち」の町への反逆という二重の意味が加わるためである。
自らの犯してきた罪過の報いによって町は劫火の炎に包まれる。
その危機の中で早季は真理亜の声を聞く、「早季は私が守ってあげるから。」
次々に襲いかかる極限的な状況を早季は乗り越えてゆくが、そのとき
彼女を導いてゆくのは真理亜であり、瞬である。

この展開は真理亜が残した言葉の成就に他ならない。

 もし私が町から処分されると決まったら、両親は散々泣いて、
 そして最後には忘れることでしょう。
 あなたのご両親が最終的にあなたのお姉さんのことを諦めたように。
 私たちの絆はきっとそうじゃないと信じています。
 もし私が処分されることになったら、あなたなら絶対私を見捨てないでしょう?
 あなたに危機が迫った時には、私や覚はどんなことをしたって救おうとするはずです。
 私たちにはもう一人、友達がいました。今は、名前を思い出すことも許されない友が。
 彼Xもそんな時はきっと私たちを助けてくれたんじゃないでしょうか。
 だから私は今、守を助けなくてはなりません。

―「私たちの絆」。
破滅を受け容れながらも真理亜が貫いた仲間たちへの信頼は
自らがそれに殉じることによって指し示した、未来につながる道である。
物語の奥深くにひそかに進行する、絶望から希望へと至る超克のプロセス。
その転回の基軸となるものが「子供たちの絆」である。

ヒロインとしての早季の真の姿は、実はこの軸に沿ってしか捉えられない。
早季もある意味、作品同様、規格外のヒロインだと言える。
発端から終結に至るまで、ほぼ一人芝居と言っていいほどの活躍を見せ
語りまでこなしながら、視聴後には不思議なくらい印象に残っていないのだ。
物語が世界観に圧倒される要因はこの、ヒロインの存在感の希薄さにも求められるだろう。

その理由は明らかだ。早季は実質的には物語を主導していないからである。
決して折れることのない強い心と自由で柔軟な思考を持つ一方、
主体的に決断し行動した真理亜とは対照的に、その行動には理念的な動機はなく
常に周囲の状況に対する受け身の反応に終始する。
エンディングの早季バージョンもそうした彼女の性格を表現している。
仲間たちへの尽きせぬ思慕を抱き、絶望に抗い、涙を流しながら進みつづける姿。
だが、その一途さと多感さは必ずしもヒロインとしての魅力とはなっていないようだ。

その早季が真のヒロインとなる決定的な契機を指摘したい。
第二部の中盤、姿を消した瞬を追い、その壮絶な死を見届ける第十話のラスト。
死に呑まれてゆく瞬を目前に見ながら助けることができない絶望に打ちひしがれ
涙を流しながら早季は最後に言う、「私は生きなければならない」。
その後、瞬に関わる全ての記憶が抹消され、この記憶も失われていたのだが
十二年後、バケネズミの反乱の渦中で爆発に巻き込まれ、その時の体験が幻視となって甦る。
瞬の死を見届ける自分と仮面を被った少年とが不分明に重なり合うのは
彼女も消されかけた子供の一人として、同一の存在であることが含意されているのだろう。
そしてその時、もう一度この言葉を口にする、
「私は生きなければならない」。

第二部と第三部を縦断して受け渡されるこの一対のシーンを結んだとき
早季というユニークなヒロインの本質がはじめて顕現し、定位する。
この時までに彼女は、姉と、級友たちと、初恋の人と、最愛の友を失い
その人たちがかつて存在した記憶までも奪われてしまっている。
誰も救えなかった無力な自分への絶望が彼女の心の底に澱んでいる。
だが、そこから立ち上がり、絶望に抗うことによって早季は早季になってゆく。

「私は生きなければならない」、
この言葉に込められた生きる決意とは、彼らから託された「未来」を生きることだ。
早季は受動的である。だが、彼女の受動性の本質はここにはっきりと表れている。
それは、誰かの「想い」を「託される」存在であるという意味なのだ。
早季が最終的に物語の主題を具現する存在となっていく契機がここに認められる。
早季の本質に備わるこの、いわば「媒介性」と「可塑性」とは
彼女が主題を満たすための「器」へと形成されるために必要な資質として
アプリオリに付与されたものなのではないだろうか。
あるいは、まさしく規格外のスケールをもった本作の主題を担うために
敢えてニュートラルな没個性の状態にまで個性を制限した特異なヒロイン像を
意図的に造型したようにさえ思われる。
{/netabare}

Ⅲ 悲劇の超克
{netabare}
「子供たちの絆」という軸。あるいは、終局の希望に至るまで
早季の歩んでいく方向を示しつづける指向性、一つのベクトル。
ここに、物語の水面下に底流するもう一つの「物語」の存在が認められないだろうか?
物語視点からの読解とは、この「物語」の発見であると言っていいのではないか。
それは多分、早季が自分に託された想いを実現する「絆」の物語だろう。
従ってそれを辿ってゆくことはそのまま、早季の視点に同期することを意味している。
そしておそらく、最終的な主題はその先に見出される。

ここからは、早季と瞬が「物語」の中心になる。
彼らの絆が決して消え去ってはいなかったことを証しするかのように
二人を隔てていた死の沈黙を破って、瞬が早季に語りかける。

 早季。早季。(誰なの)
 早季、僕だよ。(あなたは…)
 僕の名前はまだ思い出せないんだね。でもいいんだよ、ずっと一緒だから。
 僕は君の心の中に住んでいるんだ。(心の中に…)
 そうだよ。呪力とは想いを外の世界に刻み込む能力のことだ。
 そして、人の魂とは、煎じ詰めれば想いにほかならない。
 僕の魂の一部は君の心の奥底に刻み込まれているんだよ。
 (あなたは一体どうなってしまったの?)
 忘れてしまったの? でもかまわない。いつか思い出すから。
 (せめて名前を教えて)
 君は僕の名前を知ってるよ。でも、心の中に障害物が置かれているせいで
 思い出すことができないだけなんだ。

彼らの絆が心の奥底で生き続けている事実が瞬の言葉で明らかになる。
そもそも、この対話が早季の心の奥底で交わされていること自体がその証しである。
深読みをするならこの対話は、物語の深層で進行するもう一つの「物語」の存在を
メタレベルで示唆しているようにも思われる。

さらに踏み込んだ大胆な解釈を試みてみよう。心の深層を無意識と結びつけてみるのだ。
本作の世界観で無意識は、制御の及ばない呪力の源として
悪鬼や業魔を出現させるメカニズムの根源とされ、大人たちの恐怖の対象となってきた。
だが今やそれは、大人によって無残に絶ち切られた「子供たちの絆」を秘かに保護する
一種のアジールとなり、いわば子供の側からの反逆のツールとして機能する。
深層の「物語」のさらに深層で、隠微な逆転の装置が作動しつつあるのだ。

 早季。早季。何も心配はいらない。そのことだけを言いたかったんだ。
 (でも、私は本当に悪鬼を倒せるの?)
 悪鬼? 君は誤解しているんだよ。あれは悪鬼なんかじゃ …

対話が途切れる直前のこの部分は逆転への重要な伏線となっている。
この中で瞬がほんとうに早季に伝えたかったことは何だったのだろうか?
彼はあるメッセージを伝えようとしているのではないだろうか。

早季の行動と関連させて解釈を導きたい。
悪鬼への唯一の対抗手段であるサイコバスターを咄嗟に無効化したあの驚愕の場面である。
そのとき早季が恐れたのは、覚が巻き込まれて死ぬこと、
そしてその結果、自分がたった一人取り残されることだった。
常識的に見れば自己本位の極みとして非難されて然るべき行為だろうが、
常識では理解不能なこの行動こそが実は「物語」の最重要ポイントなのである。

「悪鬼」にそのような形で「勝利」することはおそらく最初から忌避されていた。
それは「物語」が指向するベクトルからの逸脱を意味するからである。
もし仮に早季がここで全人類のために覚の犠牲を受け容れていたとするなら
その勝利は結果的に何をもたらすだろうか?
子供の犠牲によって世界がこれまで通り存続する。
つまりまた新たに子供の悲劇が繰り返されるだけで、世界は何一つ変わらないのだ。
そのような変化の可能性の閉ざされた世界に本当の未来が訪れることはないだろう。
瞬はそのことを早季に伝え、想いを託したのだと解したい。

そして早季もまたその想いに応えたのだ。
追い詰められた最終局面で、既成観念に囚われない彼女の自由な思考が発動する。
相手が悪鬼などではなく、バケネズミに兵器として育てられた一人の人間の少女であるという
決定的な事実を看破し、大人たちを呪縛していた「悪鬼」という固定観念を乗り越え、
この認識の転換によって、絶体絶命の状況を逆転させる。
「瞬が教えてくれたの」と早季が言うように、これは「子供たち」の勝利なのである。
顔と名前を奪われた少年Xがついに素顔を顕し
記憶の封印を解かれた早季が瞬の名前を叫びながら駆け寄っていく、
このシーンこそが「物語」のクライマックスと言えるだろう。
瞬の復活は闇に葬られたすべての子供たちの復活を象徴している。
彼らを包む壮大な夜明けは言うまでもなく、悲劇の超克、絶望から希望への転回を表し、
子供たちがもたらすであろう未来の予兆となる。

全編がまさに結ばれようとする瞬間、やや唐突に掲げられる標語風の命題、

「想像力こそが、すべてを変える。」

ここには無意識とのアナロジーが確認されるだろう。
想像力は豊饒な無意識の深層に根差しているものである。
既存の世界を更新する新たな原理、それは自由な想像力から生まれる。
この言葉を包むように、無心に笑いさざめく子供たちの声が周囲に響いている。
可能性としての想像力。無限の可能性の象徴である子供たち―。
早季が綴る回想の手記が結ばれるとき、一片の言葉の中にそれは結晶する。
「恐怖の対象から、希望へ―」

おそらくここが「物語」の最終地点である。
そしてこれこそが、世界観が提起した問題への、物語の側からの解答ではないだろうか。
早季が「人類」よりも「覚」を選択した事実は何よりも重い。
彼女の選択にはおそらく、俯瞰的な支配の原理に対抗するもう一つの原理が示唆されている。
それは非情な大人たちの論理に反抗する子供の側の愛情の原理として物語に底流し
俯瞰し支配するものの真の意味を逆方向から照射するだろう。

悪鬼とされた少女の亡骸が横たわり、彼女の赤い癖っ毛が風に吹かれて微かに靡く、
その瞬間、在りし日の真理亜と守、二人との思い出が一挙に甦り早季は泣き崩れる。
子供の悲劇がまた繰り返されてしまった…。
人類の危機が回避されたとき、そこにあるものはただ果てしない悲痛さと虚しさだけだった。
十年後の早季、つまりこの物語が語られる時点の彼女が書き綴る回想録は
遠い未来に、悲劇の一切が克服される願いを込めて
自分が仲間たちに想いを託されたように、一千年後の読み手に想いを託して結ばれる。
悲劇の語り部としてのその姿に、渡辺早季というヒロインの全てが結像する。
{/netabare}

Ⅳ 偽神と人間
{netabare}
本稿はある危惧から出発している。
本作の世界観が内包するイデーは確かに、それだけで十分に完結していると言える。
だが、それがあまりにも尖鋭かつ衝撃的であるために、結果として物語がかすんでしまい、
その部分だけが作品の主題として受け取られてしまっているのではないか?
物語に内在するベクトルを掘り起こそうとした本稿の意図はそこにある。
本作のメッセージは物語の側から補完されて完全なものになると考えたのである。

「偽りの神に抗え。」

例えばこのエピグラフ(題辞)である。
作品全体を貫くライトモチーフ、そう捉えるのが多分正確だろう。
世界観だけを踏まえて理解した場合、かなり限定された意味だけを示すことになる。
「偽りの神」(以下「偽神」と呼ぶ)は超能力を有した人類、それに抗うバケネズミ、
そのような図式になるが、勿論、本作の射程はもっと広大である。

ふたたび「俯瞰」というメタレベルの仕掛けからアプローチを試みる。
第三部の折り返し点となる第二十一話、
神栖66町を襲った動乱の最中に、あの俯瞰構図が回帰する。
冒頭の俯瞰では視点が上空から下降していたが、ここでは反対に、
宙を振り仰ぐ早季を起点にひたすら上昇し、神栖の町から日本列島、
ついには宇宙に浮かぶ地球の全体が視野に収められる。
俯瞰を歴史による支配の象徴とした前章の解釈を踏まえると
ここに暗示されているものはおそらく、歴史の逆転だろう。
「歴史を変えられるはずだった・・・これほどの好機は恐らく、もう二度と訪れない。」
圧政からの解放という大義を掲げ、「すべての我が同胞のため」に
人類に反逆したスクィーラが敗北の後に語る
この言葉には歴史が更新された可能性が示唆されている。

この場面で明らかになるスクィーラの本当の目的は全人類の制圧であり、
そのために人間の赤ん坊を手に入れて悪鬼の部隊を編成することだった。
新・人類史と仮に呼んだ本作の歴史とは、超能力を有した人間の出現によって
人類存続のための危機管理が極限まで追究されてきた過程だった。
彼はそのシステムを逆用して超能力者の支配を覆そうとした。
まさにそれは逆転と呼べるものだ。だがさらに進んで
この俯瞰図が意味するものは、神の座の簒奪による新たな「偽りの神」の出現という、
もう一つの逆転にまで及んでいるのではないだろうか。

「種は生き残るためだったら何だってするんだよ。」

第一部で瞬の口から出たこの一言に、すべては要約されている。
種の存続という絶対的な要件は、あらゆる形態の下で常に追求される。
高度な知的生命体の場合、そこに複雑な社会システムや技術が生み出されるが、
その帰結として階層分化や差別、有形無形の力による支配と管理と抑圧の構造が出現する。
これこそが歴史世界において新たな偽神が出現するメカニズムであり
むしろ、偽神そのものがこの盲目的な原理のメタファーだと言っていい。

ここに、本作の世界観が内包する極限的な原理、イデーがある。
勿論それは、私たちが今まさにその中で生きている現実にも重なるだろう。
SF的な世界観の有効性とは、現実の自明性を転倒させることにこそある。
神の如く不可視でありながら人間を支配する原理。あるいは人間性を喪失したシステム。
そして、偽神というアイロニカルな寓意によって人間存在の両義性が暴かれるのだ。


真理亜の告発の中に反復される「人間」という言葉。

 町の安定と秩序を維持するために子供たちを殺し続ける町が
 人間の社会としてまともでしょうか?

 こんなの、人間じゃなくて、不良品を選別するのと同じやり方だと思わない?

断罪裁判の法廷でスクィーラが放った叫び。

「私たちはけものでも奴隷でもない! 私たちは人間だ!」

二人の叫びに共通する「人間」という言葉。
この両者が響き合い、同一のベクトルを示していることに気づかされる。
それは「偽りの神」に抗おうとする、「人間であること」を否定された者たちの魂の叫びだ。
真理亜の反抗とスクィーラの反逆とは根本において一致するのである。
「偽りの神」と「人間」との闘争。このシェーマからはおそらく
作品全体を包括する主題の全体像が透視されるはずだ。
まさしく世界観と物語とが重なり合い融合する結節点をそれは示している。

そしてその最深の主題を導き出す鍵は、やはり早季に委ねられている。
最終回の後半部は、前半部の劇的な展開の余燼のようにも見えてしまうが
主題を開示するプロセスはこのパートに集約されている。
それは、早季とスクィーラとの一連の対峙による内面の変化として段階的に描かれる。
問題の核心部へと早季が接近し、ついに彼女が覚醒するに至る一連の流れの中で
我々はその視点に同化し、主題の内在的な理解に導かれるのである。

獄中のスクィーラとの対話。早季は人間たちへの謝罪を要求し拒絶される。
スクィーラの裁判。早季は法廷の外でつぶやく、「何が正しいのかわからない…。」
そして、バケネズミの正体にまつわる衝撃の真実が覚からもたらされ
人間が人間に対して行った悪魔の如き所業が明らかになる。その時、
「私たちは愧死するべきだった…。人間を殺したのよ… 何人も、何人も…。」
この瞬間の早季の心に、観ている我々もまた同化して同じ衝撃を味わっている。
そして同じ一つの問いの中に投げ込まれるだろう、
― 人間とは一体何者なのか? 人間が人間であり、我々が我々である根拠とは―。

・・・・・・・・・

前章で導かれた結論をここで想起しよう。
世界観が暴き出す人間性の限界に対し、その超克の地平を物語が開示する。
つまり、世界観が提起した問題に対して、物語がその解答を提示する。
本作特有の対置構造はそのような形で、主題に至るプロセスをアプリオリに内包したものだったのだ。
ヒロインの早季が物語の内部で問題そのものを生きることで、
俯瞰的な支配の原理に対立するもう一つの原理が彼女に具現され、物語の中に受肉化される。
早季に託されていたその原理とはこの、偽神に対抗する人間の原理なのではないだろうか。

世界観を反映したライトモチーフ、「偽りの神に抗え。」と
物語からの答えである「想像力こそが、すべてを変える。」
二つの言葉を並べれば、それらが一対で一つのメッセージになっていることがわかる。
言葉による説明ではなく、物語に最終的な決着をつける早季の行動の中にそれは表現される。

争乱の収束からおそらく一年後の追悼式典の日。
その日、当時の記録を展示した記念館を早季は訪れる。
彼女はそこで一人、肉塊のような姿になって生き続けているスクィーラと向かい合う。
親しみをこめて彼に語りかけ、互いが出会った日のことを回顧する。
それから、ある行動に出る―。
呪力を用いてスクィーラを燃やし、町が課した無限の責苦から自らの手で彼を解放するのだ。
これが、早季が「偽りの神」に反逆した瞬間である。

この時、彼女はすでに問題の本質をすべて理解していた。
スクィーラもまた偽神に抗い、滅び去った「人間」の一人なのだ。
彼らと共に悲劇を生きた証人として、早季もまた自ら偽神に抗いつづける道を選んだ。
立ち昇る炎は疑いもなく、人間という種の根深い宿業に立ち向かい
真の人間性の回復を希求する、遠大な反抗の始まりを告げる狼煙である。
{/netabare}


全編を締めくくるのは、やはり「家路」である。
とめどなく郷愁を誘うメロディは、亡き魂に捧げられた挽歌のようだ。
ラストシーン。鮮やかな残映の中に、在りし日の姿をよみがえらせる懐かしい人たち。
荘厳な響きとともに彼らを包んでいる夕空には、深い安らぎがこもっている。

「早季、ありがとう。」「ずっと一緒よ、早季。」
次々にかけられる温かい言葉は、彼女が託された使命に全力で応え切った証しなのだ。
そして、遥かな未来への出発をさりげない一言にこめて、この壮大な叙事詩は幕を閉じる―。

― 早季、そろそろ行こうか。―


(初投稿 : Ⅰ 2021/01/16,Ⅳ 02/21,ⅡⅢ 03/21)

投稿 : 2024/06/01
♥ : 30
ネタバレ

ななろう さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

面白かったです。

ウエブの記事紹介を読んで、観ようと思い見てみました。

評価が高い小説のアニメという事で、様々な設定量が半端では無くその時代の社会情勢を理解するのに理解不能になると思い、初の覚書をここに書いてしまいました。

一つの時代の物語を読む分には大変楽しめた小説だったのだと思いますが、アニメでの描写が加わり魅力が増えた分はどう評価するべきなのでしょうなのでしょう。

小説は読んでいないのに勝手な想像ですが、小説のほうが良い評価だと思います。アニメを観ていていると原作を忠実に描いている感があって映像が追加されたのにそれが生かしていない感というか物足りなさというか。

最後の、バケネズミの設定にも小説的で深いものを感じてしまいました。

ただ、アニメとしても充分楽しめた作品でした。



以下の記述は、感想ではなく今回理解できない言葉等が多いので、ちょと整理がてら各話毎メモ書き代わりにここに書き込みした分で後半の記述が無いのは大体理解したからかな。

17話目{netabare}
237年7月26歳になった早希は異類管理課にて朝比奈覚に会う。
異類=バケネズミの研究と管理をしている早希に、ベッコウバチコロニーにて攻撃を受けたので戦争をや小競り合いをしているコロニーが無いのか確認に訪れたのだ。

オオスズメバチ系コロニーとシオヤーブ系コロニーの対立が懸念され両代表としてキロウ丸とヤコ丸が委員会に呼ばれ互いの主張を聞くが結論は出なかった。
その後、両コロニーでの戦争が始まり、早希は覚からオオスズメバチ軍が全滅した事を知る。

16話目
町が生きることを許さない事と町の異常さを悟り共に姿を消す事を選んだ真理亜の手紙を読む。

ナレーション
二度と会えないという予感はなぜか確信へと変わっていた。

ヤコ丸と口裏を合わせて、二人は死んだと報告する事にする。

15話目
事情を知ると思う真理亜と守を助けたバケネズミスコンクに会うためにボクトーガコロニーを目指す為に、シオヤーブコロニーに向いスクイラー(ヤコ丸)の協力を得る。
女王に挨拶した際に、女王が手術を受けて意識が無い状態になっていることを知り民主政治を行なっている事や人間が捨てたコンクリート等の技術を使い将来、人間の代わりになるのではないかと心配する。

翌日、武装しているバケネズミとともにボクトーガコロニーに行くと、ヤコ丸に利用されボクトーガコロニーの攻撃に呪力を使い手を貸しコンクに会うことができるが、行き先は知らず手紙を手渡される。

14話目
戻ると教育委員会に呼び出された早希。
そこでの、事実確認の最中ふじょう猫を存在を口にした早希を処罰する事にした所に、倫理委員会の会長が現れ不問にする。

囲炉裏端に案内される早希は、そこでふじょう猫がくつろいでいる姿を目撃する。そこで、呪力には核爆弾よりも増す無限の力が在るために、その脅威を排除するために逃げている二人を教育委員会は必ず抹消すると伝えられる。
3日の猶予の間に二人を連れ戻せれば、今回の事は不問とし拾集する事を約束する。
何故そんなに影響力があるのか聞く早希に、自分の年齢は267歳であることを告げ、何も無い私は時間とその時の記憶を利用し今の権力を手に入れた事を告げる。

再度、真理亜と守の元に戻る早希と覚だったが、そこには何も無くなっていた。

13話目
ソリの跡を見つけて後を追う三人は、途中でソリの跡を追うバケネズミの足跡を見つける。

守と再開した三人は、ふじょう猫に2度襲われた事を聞き事実確認できず帰れなくなる。

12話目
覚のおばである倫理委員会議長 朝比奈とみこと会う早希。
そこで、早希に将来倫理委員会議長を継いで欲しいと言う。
人格指数が高く指導者に最適である事が、夏期キャンプ以降の観察から解る。当時、処分されなかったのは倫理委員会から教育委員会に働きかけ決めた事。

2つの恐怖、悪鬼と業魔を恐れる教育委員会。
議長は、この目で見た悪鬼の事例を早希に語る。
そこで、どうやって悪鬼を止めたのかを聞きその後、悪鬼が現れる可能性を取り除く事にした。
最初は、バケネズミを使用し、その後倫理規定は17歳まで教育委員会で処分可能となり猫から呪力によってふじょう猫を作り出し事前に取り除いていた。
そして20年前、悪い呪力の漏出による業魔になった話を伝える。

そして、鎖は常に一番弱い所から破断する。なので、倫理委員会はもっとも弱いものに注意を図らなければならない。
悪鬼や業魔を出さない為になにをしなければならないか、その時に思い出すようにと。

守が失踪し探す真理亜、早希、覚の三人。早希は、”鎖は常に一番弱い所から破断する”という言葉を思い出す。

11話目
2組から編入された涼、そして当番委員として二人一組に振り分けられる。建前は、様々の行事の準備作業をするものであるが、男女お互いの指名であり愛を告白する公式行事にもなっていた。

早希は涼に当番委員の事で、何故私を指名するのかと問いただす。
涼は、夏期キャンプでの想い出を話すが思い出せない。
早希は覚とすれ違った時に何かの不可解を感じていた。
不可解な夢を見て涙する早希。

そして早希は、涼に夏期キャンプでナイトカヌーの鉄則を問いただす。そして覚と別れた理由やキャンプで僧侶がどうして死んだのかを聞くが、早希はその場に居たのは涼ではないと確信し覚も、涼とは付き合ってないと確信する。

想い出を辿る早希、覚、守、真理亜の4人は、謎の男の存在を自覚するが思い出すことは出来ない。

早希、覚、真理亜の三人の前に倫理委員会の使いが現れる。

10話目
ふじょう猫を前に、何かを唱え撃退する早希。
奇形動物の居る解らない世界で瞬を探している所で、瞬を見つけるが、こんな所にいてはいけないと言われる。
面をつけた瞬は、10分だけ時間作るのでその間に質問に答えると言う。
瞬は、事情を説明する。
全ての問題は人間の心、無意識から起こると言う。人間はどうやっても自分の心を制御することは出来ない。それが呪力には顕著に現れて呪力は無意識化でも呪力を使っていて、八丁じめは、実は内なる敵に対して行われていて無意識の呪力がミノシロを含む奇形腫を作る事を教える。そこに奇形腫になった瞬が買っていた犬スバルが現れ瞬自身が無意識の暴走によりごう魔になったと言う。

早希の母から特別に借りたごう魔化の知識を得るために書かれた本に自分自身の記録を付けているという。

どうすれば、元に戻るのか答う早希に、もう暴走する呪力を停める事が出来ないと説明を受けたと言う。

そこに、ふじょう猫が現れ瞬を助けようと戦うスバルだったが、ふじょう猫に食われる。それを見て、ふじょう猫を殺す瞬であったが自らの呪力の暴走によって命を落とす。

9話目
瞬が学校に来なくなって4日、瞬の伝言の意味を知りたいと探そうとする4人。
真理亜と守は学校の友人の話をきこうとするが、瞬と同じ村の人間は全て休んでいた。
早希と覚は、瞬の家に行もうとするが、そこに向かう道筋には全て結界がはられていた。

村に忍び込んだ早希と覚は、村自体がなくなっている事を知るが、何が起きているのか理解できない。

家に帰った早希は、両親に瞬のことを聞くが、その話は禁じられていると言うが、父は人生には多くの試練が訪れるが親しい友達との別れもその一つだと言われる。村は大きな事故によって瞬とその家族は行方不明になっていて、これ以上の詮索は絶対に行けない。と両親から懇願される。

夜、昔自分の名前の意味を調べた時に末っ子と言う意味があった事を思い出しそして姉の存在を思い出した早希。
そこに真理亜が訪れて、守と二人で中庭に忍び込んだ時に、先生が現れてこうま化する前にふじょう猫を使うと言う。そして先生は、優秀な生徒だったのに残念だ青沼瞬とつぶやいたという。

身支度をして瞬を探す為に再度忍び込む早希の前にふじょう猫が現れる。

8話目
前話より2年後の世界。
14歳になり瞬と覚、早希と真理亜は共に、性的接触や仲間内での触れ合いをしていたが、瞬は覚に別れを告げる。

早希に瞬は2年前に呪力を復活させたことは、大人達にバレていて監視されていて猫は気をつけるようみんなに伝えてと伝言を残し別れる。

7話目
およそ3,000の敵を前に引き戻す。
追われていた二人の前に、オオススメバチの援軍が現れ救われる。
リーダーのキロウ丸を救った覚達。

ナレーション
大人の目を欺き呪力を回復させたが、それがとんでもない錯覚だった事に、まだ想像だにしていない。

6話目
誰にも教えてはならないマントラを見せ合おうとする早希と覚。
紙に書いて一瞬見せ合うが互いに文字が読めなかったというが、早希は、紙の跡からマントラの文字を知る。

覚のマントラの文字を知る早希は、儀式によって覚の呪力を復活させる。
地上に出た二人は、逃げる為には毒蜘蛛のコロニーを攻撃することが最大の防御だとし呪力を使いコロニーを攻める。
その後、バケネズミの手引きによって毒グモの本陣に向かうが、多くの罠に遭遇し呪力を酷使し疲労する覚の身を心配する早希、本陣で目にしたのは、驚愕するほど数の多い敵だった。


5話目
僧侶が風船いぬと戦うが風船いぬが爆発し共に消える。
そこに現れたバケネズミに囚われた覚と早希だったが、逃げ出した所を以前助けたバケネズミに救われる。

バケネズミはコロニーに2人の神様が御降臨されたとし、女王に引き合わせる。女王は客人としてもてなす。
土蜘蛛コロニーと敵対するバケネズミは覚と早希に呪力を使い打撃を与えてくれるように請うが、呪力を封印された二人は、許可無く呪力は使えないと理由をつけ断る。

その夜、土蜘蛛がコロニーを襲い覚と早希は逃げ出す。

4話目
早希”なんでこの辺りはヒキガエルがいっぱいなんだ”と場違いな発言をする朝比奈覚を尻目に、ミノシロモドキに質問をする”悪鬼、ごう魔は実在するのか?”

すると検索利用するには、利用登録が必要と説明し始めるが、脅迫する事によってこの手続きは省略される。
悪鬼は、先史文明末期に現れた症候群で、現在は確認されていないが将来出現する可能性は高い。
ごう魔とは、先史文明崩壊する直前に出現した橋本アッピルバーグ症候群の重篤期患者に対しての俗称。科学によってサイコキネシスを得た人間が全人口の0.3%まで達する。黎明期のPK能力者はまだ微弱な能力しか無かったが社会秩序を破壊するには充分の可能性を持っていた。
日本において、決定的な引き金になったのが少年Aが引き起こした事件。PKを使い鍵を開け女性19人に暴行17人を殺害した。A逮捕後も、PKを使った無差別テロが多発しそこに政治的、人権的、思想的対立などが絡みあい世界は戦いの時代に突入した。
生命の危機を感じた生き残った能力者は、PK能力が更に進化をとげ世界人口は、最盛期の2%になった。これが500年続いた暗黒時代の始まりとなる。

奴隷王朝は衰退し、化学文明の継承者が立ち上がる。
PK=呪力
現在の社会は、悪鬼とごうま魔を作らないように、人が人を呪力を使い殺す可能性のある対象者は抹殺する様に作られた世界。

ミノシロモドキは僧侶に処分され規則を破り禁を犯した5人は、僧侶により呪力を封印される。


3話目
570年後の関東
PKが途絶える今、ひ?き?皇帝の暗殺シーン

千年後の話がぜんじん学級に戻る
利根川夏期キャンプ
風船犬の話 怒らせると風船のように膨れ続くと死ぬ。
その後”悪魔のみのしろ”出会う。=みのしろもどき=見たものは遠からず死ぬ

ナレーション
古代の文献ではほとんど言及されていない。
千年以上前の文明期の文献にみにしろに関しての文献は無い。
なので、みのしろはここ数百年前に突然現れたものと思われるが、進化の常識を考えると突如このような新種が生まれることは考えられない。
みのしろに限った話では無く、みのしろを含む数百種は天から湧いたように登場している。
近年、新たな仮説は、みのしろを含む数百種は人間が無意識で働く領域で急速に進化を加速されたものである。

先生の指示を破り許されていない霞ヶ浦に上陸する。
見晴らしの良い所を目指し登っていると古い神社前に出る。
そこで、悪魔のみのしろに出会い。捕獲を試みる。
捕獲した悪魔のみのしろは、自分は、”国立国会図書館 筑波館。自走型アーカイブ自立進化バージョンSE778HΛ(ラムダ)”だと答え、すべての書籍は、内部に記憶させており閲覧可能だと言う。

2話目
500年後の関東
新生桜王朝、第5代皇帝陛下 大かんぎ帝、即位
最初に拍手を辞めた100人を禊の日の生贄とされる

話がぜんじん学級に戻り
180年前のごう魔に変わっていった少年が湖に姿を消した話をする。
1月後、ぜんじん学級の搬球トーナメント。
2班の中に呪力を使う倫理規定違反の疑いが起きる。
後日、名簿の2班だったと思われる片山学の名前に印が押されリストから消されたと思われるカット、その後姿を消す。

夏期キャンプ利根川登り
ばけねずみ 子供の目に触れないようにしている。
川に落ちたバケネズミを呪力を使い助ける早希。

真理亜は私が生まれた2週間後に未熟児で生まれた。ナレーションの私とは誰?=早希(キャスト ナレーション=遠藤綾)
真理亜が生まれて来なければ結果的に大勢の人が死ぬことが無かった。

1話目
冒頭、現代と思われるシーンで少年が多くの人を殺戮している場面から田園が広がる過去か未来なのか不明の場面に変わる。
さとると言う少年とマリアが遊びの勝敗を話す。
猫だましを恐れみのしろと言う動物がいる珍しくない風景。

"千年後 茨城 神栖六十六町"テロップ。

しょうじょう寺という八丁じめの外で渡辺早希。
成長の護摩を焚く儀式を行い、じりょくを封印されマントラを授かる。
そして住職は、渡辺早希に新たな精霊を呼びじりょくを付与されると言う。

儀式中の回想シーン、自室で睡眠中に部屋中の物が飛び交いそこに両親が現れてこの現象が宿霊といい、上位の学校に登れる事を喜ぶ。

その後、ぜんじん学級 学校に編入シーンへ
伊東守はゆうわいえん。

わきえん組の知り合いと編入を喜ぶ、青沼瞬、朝比奈覚、秋月真理亜、天野麗子、覚に編入がビリで遅かったとちゃかされるが他にもまだ何人もいたと言う渡辺早希に友人達は顔を曇らせ話題を変える。

禊を不思議?と言う謎のお面のカットシーン

早希、鐘の音で”みょほうのうじょう”と雰囲気が似ていると言う。

わきえん=学校の話。
秋、大きな猫の影=ねこだまし=子供を狙っている=ふじょう猫
早希の回想。母にねこだましを見たという。
後に母は”早希はふじょう猫を見た。もう子供を無くすのは嫌”と父親と話すのを聞いてしまう早希。

その数日後、天野麗子の姿が学校から消える。
{/netabare}

小説のアニメ化ということですが、1話めを見ましたが正直不思議だらけで理解不能です。

もしかしたら小説からのアニメという事が関係しているのか、それともそういう展開の話なのか解りませんがもう少し見てみたいと思っています。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 5
ネタバレ

れんげ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

この新世界が、私達の未来でないことを切に願います。

2012年10月より放送。
全25話。


【前置き】

放送時は未視聴。
後にBlu-ray&DVDが全巻発売されてから一気見させてもらいました。

原作小説は未読ですが、著名な小説家である原作者、貴志祐介さんの実写映画作品『ISOLA』『黒い家』『悪の教典』等は視聴。
中でも『黒い家』は、当時まだ聞き慣れない言葉であったサイコパス(反社会性パーソナリティ障害)を扱った名作で、今でも大好きな作品です。

その原作者が描く、長編サイエンス・ファンタジーのアニメ化。
気にならないわけがありませんでした。


放送当時は、終盤からの視聴者の盛り上がり(手の平返し?)が、とても印象的で
「最初はしんどいけど、最後まで追って本当に良かった。」
こんな声が、とても多いように思えましたね。

と言うわけで、序盤は気乗りしないままの視聴開始でした。
……ですが、思った以上に私は、最初から作品の魅力に引き込まれたのでした。



【あらすじ&世界設定】

現代よりおよそ1000年後の未来の日本が舞台。
人が「呪力」と呼ばれるPK(念動力、サイコキネシス)を操ることが一般的となっていた時代です。

PKと聞くと、とある任天堂ゲームに登場した少年の

「PKファイヤー!! PKファイヤー!! PKサンダー!!!ああぁうぅぅ~~ん~~(´Д`)」

で、馴染みのある方も多いのではないでしょうか。
はい、アレですね。
あんな感じの能力が、およそ永久機関の如く人間全員が使える世界というのですから、とてつもないですね。


それに、1000年後というわりに町並みは現代でいう田舎のような情景が並び、服装もどこか近代史以前の趣に感じるので、ここでまず時代背景に対し疑問符が浮かび上がります。
私達の暮らす現代から、1000年の間に何があり、何故このような情景に至ったのか……と。
くわえて、「バケネズミ」と呼ばれる、言葉を交いせる巨大なネズミまで舞台に登場するのですから。

そんな神栖66町という町で暮らす主人公達の物語が、年代毎に大きく分けて3編に分けられ、シナリオは展開していきます。
12歳(1~7話)
14歳(8~16話)
26歳(17~25話)
改めて見ると、話数の構成も綺麗に分けられてますね。

全25話の中、こう時期が飛ぶ演出が2回も起きて話が展開するのは、中々珍しいかもしれないですね。
ただ、原作小説もページ数は上下巻合わせて1000ページを越える長編なので、そのボリュームから考えれば、おかしな話ではないかと。



【論じてみる】
{netabare}
1話の時点からジリジリと忍び寄る、見えない恐怖の描き方は見事でした。
登場キャラが把握出来ていない段階で、大きな違和感も無くキャラがいきなり一人消えるので、
「えっ?、誰が消えたんだっけ?」
と、当初は戸惑ってしまいました。
結果、二度と戻ってこなかったという点から見ても、本作は容赦無いシナリオ展開だとつくづく思います。
この時に限った話ではなく……。


時代背景に関するネタバレイベントも、思ったより早く(4話)に起こり、この回は聞き入りましたね。
本作の根幹に関わる内容や、後の伏線も盛り沢山でしたし。
ここ辺りから私は、もう完全に本作の虜になっていました。

容量890ペタバイト(1テラバイトの1000倍×890)に及ぶ情報量から語られる過去の真実。

「私達のいる現代に、もしこのような超能力者が誕生し出したら、世界はどう変わっていくのか。」

という状況が、そのまま現実的にも起こりえそうなエピソードで語られていくので、ここで初めて本作が、現代の未来の話なんだと受け止められました。


ここで語られた、超能力者同士が共存していく上での社会の成り立ち。
先でも述べましたが、「呪力」で使えるエネルギーには上限が無く(勿論、術者の体力や精神力等にもよりますが)、強力な呪力行使は核兵器の威力すらも上回るとされています。

人間全員がそんなチート能力者だと考えれば、一人反旗を翻した者が現れただけで、それだけで世界はひっくり返ってしまいます。

そこで生まれたのが

『人は人を殺せないように遺伝子操作された、攻撃抑制』



『それでも攻撃してしまった場合に起こる、愧死機構(きしきこう)』

でした。
愧死機構とは、抑制を遮り尚も人へ攻撃をしてしまうと、術者は無意識的に呪力を発動させ死んでしまうというもの。

しかし極めて稀に、その愧死機構が生まれつき働かない悪鬼(あっき)という精神病質者も生まれます。
この悪鬼に関しては、まさに著者が昔に描いた『黒い家』や『悪の教典』のテーマでもあった、サイコパスorサイコキラーのように、罪悪感も無く他者を攻撃する人格破綻者や快楽殺人者のイメージでした。
ややこしいですが、アニメの『PSYCHO-PASS サイコパス』に登場する「槙島聖護」のような、稀に産まれる「免罪体質者」と似通った解釈にも思えますね。


この設定が尾を引いて、後の抗争の展開をも大きく変えていきました。
今考えれば、この設定から最後の展開を想像したというよりは、最後の展開を描くにあたって練られた設定が、この愧死機構だったように思います。

作中、この悪鬼(厳密に言うと違ったのですが)が、バケネズミと共に責めてきた際の倒し方は、
「あぁ、なるほどっ!!」
と思わせるもので、納得がいくと同時に良い意味で
「この設定に騙されたっ!!」
といった気持ちになりました。

『嘘をつくのが上手い人は、面白い話を描く才能がある。』と聞きますが、この著者は、まさにっ!て感じがしますね。



ただシナリオと関係ないところで、唯一上げたい欠点。
作画担当者が多いことが起因しているのか、キャラの顔デザインに違和感がある回があったことですね。

12歳時のシナリオなのに、回を跨ぐといきなり大人な顔立ちになってたり、再び回を跨ぐと子供顔に戻ったり………。
これが明らかに分かるレベルで違和感があったので、ここだけは大きなマイナスでした……。
作画自体は悪くないので、ここが実に惜しい点です。
これも、一気見したからこそ強く感じたのかもしれないですが。
{/netabare}



【バケネズミ、スクィーラの叫び】
{netabare}
本作最終話、最後のスクィーラの裁判での言動は、重くもやはり1番印象に残りましたね。

ただ正直なところ、あの4話で語られたバケネズミの出現時期や、なにより能力者と無能力者の当時の立ち位置、消えた無能力者の行方からも

「バケネズミは、能力を持たない人間の成れの果てではないか?」

と勘ぐって(全く確信はありませんでしたが)しまっていたので、最後のインパクトはさほどありませんでした。

なので最終話では、驚きというより、
「やっぱりキタキタキタ!!」
という気持ちになっちゃいましたね。
少なからずそういう方もいらっしゃったようですが、これは勘ぐらずにいた方が、最終的に本作を楽しめたかもしれませんね。

ただその理由が、

『「愧死機構」の呪縛を断ち切る為に、無能力者の風貌を人と違う異形のものに呪力で変えた。』

という、無能力者に対してあまりにも非人道的な考えの結果だったという点は、想像の遥か上の胸糞悪さを憶えました。
よくこんな惨たらしい展開を思いつくものですね(最大の褒め言葉)。

どーでもいい話ですが、とあるアニメに登場する無能力者を代表するあのセーラー服の女の子なら、まず間違い無くバットを持って抗議デモを起こしていたことでしょうね。


「私達は、貴方達バケネズミを管理していただけ。」
作中で人間が、『あくまで私達は雲の上の存在(神)である』ことを前提に話をしていたことが、彼らバケネズミにとってどれほどの嫌悪を抱かしていたのでしょうか。

「相手の立場になってものを考える」ということ。
バケネズミ相手にそれが100%出来ていた人間は、結局のところ作中では最後まで誰もいなかったと言えるでしょう。

こういう現代にも通じる問題提起を残してくれる作品は、余韻にも浸れて大好きです。
名作と呼ばれる作品は皆こう、記憶に残り、後々思い返させ、そして考えさせられる作品だとも思いますしね。
{/netabare}



【総評】

ジャンルとしてだけ見れば、原作者の作品の中では異質に見えるかもしれませんが、蓋を開けてみれば実に原作者らしい、おどろおどろしくも興味を掻き立てられ、尾を引く印象強い作品となっていました。

数日で一気見が出来たからかもしれないですが、視聴前によく見た「最初はしんどい。」という印象も個人的には無く、ただ続きを追うのが楽しみで、ちゃんと最後に1番盛り上がるという、名作の道筋が出来ているようにも感じました。


惨たらしさでインパクトを与えてくる作品は、これまでも数多くありました。
中には、インパクトを重視して過程を軽んじてしまい、結果的に惨たらしかったとしか記憶に残らない作品もありました。

しかし本作は、なにより過程と、理由ありきの惨たらしさなので、そういう傾向の作品が苦手な方でも、重厚なサイエンス・ファンタジーが見たいと考えた時は、是非候補にあげてほしい作品だと私は思います。

またいつか見返したい作品ですね、勿論一気見で。

ではでは、最後まで読んでいただきありがとうございました。


◆一番好きなキャラクター◆
『スクィーラ』声 - 浪川大輔さん


◇一番可愛いキャラクター◇
『天野 麗子』声 - 堀江由衣さん



※※※
以降、駄文なので〆ておきます。
{netabare}


作中、人間同士の争いを防ぐために、遺伝子操作により攻撃抑制や愧死機構を与えられた人間でしたが、

他にも、類人猿「ボノボ」の生態を真似て、個体間の緊張やストレスが高まると性別に関係無く、

『性衝動に似た、肉体的接触』

を行い解消するというものがありました。


少し話は逸れますが、進撃の巨人等も連載されている別冊マガジンでは、本作「新世界より」の漫画版が連載されています。

こちらは、本筋は同じながら原作やアニメ版とはまた違った構成や新たなキャラでの展開を見せており、これがまた非常に面白いのです。

作画も非常に綺麗で、そこから描かれる惨たらしさは、本作を良い意味で更に胸糞悪く魅せてくれています。


そして、なにより。

この漫画版は……。

女性同士、かなりの性的接触…いわゆる『ボノボって』くれていますっ!!!


古本屋で漫画1巻を見つけ、何気無しに立ち読みした私は、思わず

反応が顕著なトコロが、

顕著なカタチで、

ズボンからでも顕著に、

分かってしまう状態になってしまった程でした。


そして、私はそのまま迷わず威風堂々と、その古本屋をあとにしたのでした。


書店で、この単行本を「新品」で買い揃えるために。
{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 42

88.6 15 鬱アニメランキング15位
喰霊-零-(TVアニメ動画)

2008年秋アニメ
★★★★☆ 4.0 (4586)
20591人が棚に入れました
憎しみに揺れる魂を目覚めさせたのは誰?
それは闇の街を彷徨う、哀しみに暮れる迷い人。
運命の絆で繋がれた二人は…宿命の鎖を断ち切り、悪霊を討つ 。

声優・キャラクター
水原薫、茅原実里、高橋伸也、相沢舞、土谷麻貴、白石稔、稲田徹、若本規夫、平松広和、松元惠、小村哲生、麦人、石森達幸、田中涼子、城山堅、升望、堀川千華
ネタバレ

ValkyOarai さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

戦うことも百合の一つと言えるだろう 日本刀を用いた戦etc.が混ざりますが主人公は異なります あなたは悲しみを背負えるか?

なのはみたいに魔法をバンバン撃ったり、プリキュアみたいに肉弾戦でオラオラオラやるのもいいけど、たまには「閃乱カグラ」みたいに剣と剣が鈍い音を響きあう戦も見ないといけないよね
黒い剣と白い剣
貴方だったらどっちを持ちたい?

1話 いきなり出クライマックス
{netabare}出落ち、これ洋画か!?と思いきや火災現場に人型の生命体が出やがった。特殊なサーチをかけないと見えない模様
だから「やったか!?」は本当に止めましょう。言ってなかったけどwww
えええええ、バイク回して立ち向かってらあwwww
そんなにデカくない悪霊とやりあったのは茶番だ。全て37564すれば成り立つ世界だからここは
「諦めてって言ったはずでしょ」
主人公らは黄泉により37564にされた。それだけです{/netabare}

2話 本当の主人公はここに在る
{netabare}主人公である弐村剣輔は「蒼穹のファフナー」の近藤剣司
土宮 神楽は長門さん
部隊を殺した諫山黄泉は魔乳影房だったのか。
彼女は元々悪霊を狩るハンターとして在籍していたが、理由があってか独立し、悪霊側に居座った。何故貴女は嘗ての友を敵にする?あの瑠璃色の蝶と関係があるのか?
甘さがあって強ければそりゃあ誰だって怨むよなあ。だから嫌いになったんだ
「私を姉と呼ぶな!!」これで斬れるか?殺められるのか?{/netabare}

3話 過去における邂逅 時間は過去に飛ぶ
{netabare}黄泉は嘗て神楽の元にいた。そして神楽は黄泉の所で生活することになった。神楽の母親は他界している。この時性格は全くの真逆だった。数年でこれだけ変わるようなものか。時間は残酷だ
「実戦では相手の強さを選べない」これがゲームと異なっているのがアニメなのかもしれないな
またしてもタワーが建つと思いきや、仕事だ...バイト君だけど行く黄泉だった
同行した際、剣を受け取ったのだがそれが現在に至っているのである
また黄泉も本当の両親を悪霊によって殺されていた。この親がいないことは互いに=なんだ
血縁が繋がってない人が剣を受け継ぐのってカグラの斑鳩と同じだ
そして成長して黄泉と共に悪霊狩りに同行する神楽であった。尚食ってたのはポッキー、杏子かよ!?www{/netabare}

4話 まだ時間は戻らない 剣を向き合うまでの経緯をじっくりと語ろう
{netabare}ポッキーの先っちょ食い続けてからのキスって「けんぷファー」では未遂で終わったけど、こっちでは...
車内でイチャイチャすんな!破廉恥であるぞお!!
神楽よ、貴女はフロントはまだ早い。バックスに回って貰おう
すっげえマッチョな人が...でも彼は剣を作ってくれた人だ。変態だと勘違いしないようにwww普通捕まるだろwwwww
神楽よ、お前は元々人だったゾンビを殺められるか?そんなに躊躇してちゃあ戦場に立つ資格なんてないぞ!!
戦場に堂々と立つためにも強くなれ、それだけだ{/netabare}

5話
{netabare}仲直りのためならえんやこら、それだけです
チンピラに変装して襲うって古典的だなあ~{/netabare}

6話 血筋の継続には力が必要か?
{netabare}いくら力不足だといって引き継ぎは不可だって言われたらそりゃあショックだよな。でも悪霊は意識していなくとも世界を狙うこともあるから油断はできないのか。これで知力が少しあればゴールデンの悪役の出来上がりなんだけど
ちゃんとフォローする黄泉だった。嬉しい限りだよな。でも何故貴女が剣を向けることになったのはもうちょっと先だ
ビャクエイを手放すことは自分が死ぬことになる。それが親父の体を纏っている。

そしてやってきた。瑠璃色の蝶が...
また、別の場所で神楽は悪霊に憑かれた先生を殺し、邂逅してしまった...{/netabare}

7話 指名や宿命 貴方は従うかぶち壊すか
{netabare}瑠璃の蝶はメイ姉さんの血を吸い取った。狼煙が揚がる...
貴方は友達を殺められるか?悪霊に取りつかれたら殺さないといけないなんてこの世界もおかし過ぎるよ!!下手したらヤクザ以上だよ!!
指名や宿命なんて人にとっては馬鹿なことかもしれないが、その路線から変更するためには話を根本的に曲げないといけない必要がある。
続けるか止めるかは神楽次第だ。それを忘れるな

そうか、ここで黄泉は独立を表明したのか
じゃあな...黄泉の親父...地獄の業火が良く似合う...
キラは懐にいるのに...{/netabare}

8話 人が他界したら貴方は何が残る?
{netabare}私は親父になんも恩を返してなかった。それだけで後悔の念が積もるだけだ
なーるほど、アサシン(暗殺)のためなら部屋を選ぶ、自然な手段だな。あの瑠璃色の蝶、できるぞ...
そして、メイは言った「剣を返して貰いますか」と
剣無くなったら何もできんぞ、黄泉...
メイに襲ったのはあの瑠璃色の蝶だった。貴方は怒り、憎しみ、欲望を受け入れられますか?
メイの言葉で変貌してしまった黄泉...彼女は意志を取り戻したのに...そして...{/netabare}

9話 時間をちょっと戻します 誰にでも憎しみは持ってるのか?
{netabare}部隊が悪霊を交戦していた所に場所を移そう
そこには傷ついた黄泉の姿が...やはり瑠璃色の蝶(殺生石)か...奴は何を求めるんだ?心の奥底に眠る本能を呼び覚ますのか?
黄泉の喉は破壊されていた。メイを殺めたのは黄泉自身だったのを否定しなかった。
そこに当主&神楽が乱入、剣を直に持っちゃあ血が...
指名なんていらないのに...黄泉と一緒にいたかった...姉妹でいたかった...神楽は涙を流した...

殺生石は宿主を探していた。その適用者に合うのが黄泉だった。貴女には憎しみがあるから...皆に裏切られたから...じゃあその憎しみを増幅させ、駆逐を始めよう...あの石の力、傷も治すしとんでもねえな{/netabare}

10話 黄泉「駆逐してやる...(巨人以外の)全てを...!!」こうして時間は元に戻る...
{netabare}流石にあの剣なら巨人の首筋を狙えるっしょ!精霊も召喚できるから
あの石の光と同時に黄泉はいなくなった。探すしかないか...
黄泉は親父に対して言う「命を乞え!」
場所を変えてまた言う「私は死の穢れよ」と。恋路を邪魔した輩もいたから。それだけで憎しみは増幅する...

神楽を殺めようとしたが、それを止めたのは神楽の親父だった。
「まさか、お前が迷うか」
「迷いなんて、全て消えたわ...」{/netabare}

11話 犠牲と強さ
{netabare}まずは神楽の親父と黄泉が向かい合う...指を咥えて見てるのか?
貴女はトドメを刺せられなかった。それが失う原因だ
じゃあな親父...地獄の業火に焼かれるがいい...

あの石の呪いを得たものは記憶を一時的に失い、死ぬこともできなくなってしまう。
親父はもう虫の息だ。ビャクエイに魂を食われる寸前だから。その分を謝らないといけなかった。これを引き継いだら長生きはできないことが分かった。
愛しさ、憎しみなどは全て忘れろ。だが真に強くなりたいなら全てを背負え。それだけだ
親父の殺生石とビャクエイを受け継いだ神楽
さあ、ケリを着けようか...{/netabare}

12話 世紀末覇者「この俺も悲しみを背負うことができた!!」
{netabare}「私を黄泉の所まで連れてって」
これで終わるのか、この悲しみが...あの殺生石を埋め込んだ瑠璃色の蝶は何だったのだろうか。やはり邪神だったのか?
黄泉の本心はどっちなんだ?殺戮を好むのか、その逆なのかその前に弔い合戦と行こうか...雑兵は任せときな

そして神楽は黄泉と対峙する...この悲しみを乗り越えるのはどっちかケリをつけようか...真に理解ができれば争うことはなかった。
だがもう遅い、殺すか殺されるかの勝負、手出し無用。構わねえなら来な!!

人が死にゆく様を見ていて楽しいか?それで憎しみが生まれるのか?黄泉よお!
神楽に悲しみが降りかかる...
もう貴女は悪霊そのものだ。殺さないと人類が滅ぶ。もう殺めるしかないんだ。

さっきの前哨戦、今度こそ本気で行かせて貰おう。これまでの出来事が走馬灯の如く...だが全て捨てるしかないんだ...
でも黄泉には守りたいものがあった。それは神楽だけだった。全ての-から守りたかったのに...
死に際に言ってくれた「貴女は私の妹よ...」
眠れ、安らかに...

うわああああああああああああああああああああああああ!!
そして神楽は悲しみを背負い悪霊&ゾンビと戦い続けたのであった。

2年後
病院には黄泉によって死んだかに見えた面々が生きていた。それだけでも嬉しい限りだ
神楽は戦い続ける
この世界に悪霊が居続ける限り!!{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 12
ネタバレ

ななろう さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

前半は予想を覆す驚きの展開だらけでした

単純明快で分かりやすく面白く観ることが出来ました。
続きが見たいのですがこのアニメの続きはまだ作られてないのですね。

今回、何となくややこしいアニメのような気がして1話毎にここにメモを取り整理しながら見たという初の試みでした。

-零-は、神楽が一人前の退魔師になるまでを描いたアニメになってましたので、神楽が活躍すると思われる喰霊の方が作られたなら続けて見たいです。

12話の感想

殺生石を身につけた神楽と黄泉。
黄泉を追う神楽この二人の戦いの結末はいかに。
{netabare}
父から霊獣・白叡を受け継ぎ黄泉と戦う神楽に、紀之が参戦する。
しかし、黄泉を切れない神楽だったが宿命を受け入れ涙ながら戦う神楽。

そして黄泉は、戦いの中望みを叶える石、殺生石に私より神楽を助けることを願い神楽に切られる。

そしてその2年後、退魔師として霊と戦う神楽の姿があった。
{/netabare}

11話の感想

神楽の目の前に神楽の父が登場し黄泉と戦う。
{netabare}黄泉を取り押さえトドメを神楽に命じる父だったが、神楽は躊躇してしまいそのすきを突いた黄泉は、逆に神楽の父が傷つけてしまう。

助けに居合わせた対策室・室長らは、額の光る黄泉に殺生石の存在に気がついたが時すでに遅し。
室長自ら黄泉との戦いに出向くが、惨敗。

神楽は致命的な傷を負った父と最後の時間を過ごし死に際に殺生石を受け取る。

そこで、刀匠マイケルより宝刀マイケル13号を受け取る。
{/netabare}

10話の感想

黄泉が病室から消え神楽は、黄泉が霊に取り憑かれたのではないかと心配する。
そして、話は2話では描かれていない部分を含めた場面に戻る。
{netabare}
黄泉は、叔父に病室から奪われた宝刀獅子王を取り戻す。
そして、婚約を破棄した紀之と対峙し殺してくれる事を願うが、紀之には殺せない。
そこで黄泉は囚えた桜庭一騎を助けたければ私を殺せと紀之に言うが紀之は桜庭一騎を見殺しにする。
紀之は”意気地なし”と言われその場を立ち去る黄泉に何もすることが出来なかった。
{/netabare}

9話の感想

戦いで再起不能になり通常の生活も送れないくらいの傷つき昏睡状態だった黄泉は2ヶ月後に意識を取り戻す。

{netabare}
諫山 冥を殺害したという事実から親族に恨まれそこに更に、追い打ちを掛ける婚約破棄、そして信じていた神楽が流す涙から神楽も信じてくれていなことを悟り信頼を裏切ってしまった悲しみを霊につけこまれ、動けない体と憎しみから殺生石を受け入れ憎しみの心を増大させた悪霊として復活したようだ。
{/netabare}

8話の感想

前回の事件で、今度は黄泉も追い込まれてしまいます。
黄泉と神楽の出会いから3年経過していて、冒頭の物語と同じ時期になっている事になります。

ここまで来たら、5話での予想通り1話の話に繋がって話が終わる流れなのかな。{netabare}宝刀は取り戻しているので、後はどうして黄泉は反旗を翻したのかですね。{/netabare}

{netabare}
家督と宝刀獅子王を奪われた黄泉。
宝刀を手にした諫山 冥は、過去を思い出し一度は正気に戻るのだが、自分が犯した罪の重さに再度霊を受け入れてしまう。

そして、黄泉は家に落ちていた羽からすべてを察し冥との戦いに出向き冥を殺害する。{/netabare}

7話の感想

前回の事件で、神楽は精神的に追い込まれてしまう。
そして家督を次ぐ事が当たり前で宿命だと思っていたのに、友人から別の人生も在る事を気付かされる。

そして、黄泉の家督を次ぐ時期を早めた義父の諫山 奈落は、次回の分家会議でその旨を伝える準備を弟に託します。
{netabare} その側には、何故が前回切られたはずの諫山 冥の登場します。

そして諫山 冥は、黄泉の義父 諫山 奈落を分家会議前に殺害してしまう。
{/netabare}

6話の感想

予想通り諫山家のお家騒動に展開する話だとおもっていたのですが。
{netabare} 血の繋がりの無い養女である黄泉の叔父の娘である諫山 冥が本格的に登場する。

なのに、お家騒動を起こす前に諫山 冥があっさり殺されるって何?またまた予想を反する展開です。

そして、霊に乗っ取られた先生を切り悲しみに暮れている場面を級友に見られてこの回は終了。
{/netabare}

5話の感想

前話からの続きですが、タイトルに零が付いている理由は、もしかすると黄泉が行方不明になるまでの物語だからなのか?と思っています。

{netabare} どうやら、血の繋がりの無い養女である黄泉が将来諫山家の家督を次ぐ事になったことによって今後起きると思わせるお家騒動が、もしかすると反旗を翻した原因なのかな。{/netabare}

そうそう、まさかこのアニメでフラグという台詞が出てくるとは(笑)回が進み毎に話の内容に遊び心が徐々に増えてきて笑える内容になって来ています。

4話の感想

3話から話は続きますが、どうやら神楽と黄泉のこの二人がこのアニメのWメインヒロインの様だと思わせる展開です。

刀の手入れにまさかあれを使うとは(笑)

3話の感想

冒頭、前話で神楽がお姉ちゃんと呼ぶ諫山 黄泉{netabare}に切られた場面から話が3年前に戻り{/netabare}この二人の出会いから関係を主に描いています。

2話の感想

{netabare}前話で除霊し倒したはずの霊が再生してそこに今度は環境省管轄の機密部隊が新たに登場しその霊を倒し一段落。

今回の作戦で防衛省の精鋭部隊は事実上壊滅した事が報告され、環境省がこの拾集のために防衛省に出向いていた。

再度除霊し一段落の着いていた現場で、再度霊が再生されそこに、現れた敵は行方不明のなっていた仲間諫山 黄泉だったという展開。

その黄泉を追い、おいおい、他の刀のさやが合うはずないだろう。{/netabare}
そして、またまた最後には、おいおいおい。
予想をまた裏切る展開でした。

なんなんだこのアニメは。

1話を見ての感想

冒頭から霊と戦う防衛省の第4課特務小隊という部隊の活躍から始まり、無事に霊を倒し作戦終了と言う事で、この部隊の活躍を描くアニメと思っていたら、 {netabare}その4課特務小隊はそこで、襲われて全滅してしまうという主役は誰?って感じで意味不明になってしまった。{/netabare}そこから驚きの展開が待っていたアニメでした。

まだ意味が解らないナゾだらけのアニメなので、とりあえず続けてみて行くつもりです。

あと効果音がちょっと大きすぎて台詞が聞き取りづらい場面やカット割りの描写で文字が読み取れず一度再生を止めて戻してしまう事が在りちょっと制作者側の不親切感が伝わってきます。

まぁ台詞もカット割りに関してはそれほど重要では無かったのですがそれは、見ているこちら側には解りませんから制作側の施設名のリアルと効果音の迫力感や作戦の緊迫感を出す為の意図かも知れませんが、事情で軽視して欲しくなかったかな。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 5
ネタバレ

セレナーデ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.2

小泉総理にはなれなんだ

感動するよーてことで観てみたんですが、
なんというか、至って「普通でした」という感じのアニメだった。

期待はずれ感がかなり強くて、2話くらいの時点で、
「こういう展開で頼むよ」みたいなのは、確かにあった。

{netabare}●黄泉の闇堕ちに期待しちゃった何か

はっきり言って黄泉がダークサイドに落ちながらも神楽のことを想っていたというのは、
途中からなんとなく読めてくるんですよ。

でも問題はそこじゃなくて、
シリーズ通しての構成ってのは、いかような経緯や真意で黄泉がダークサイドに落ちたかという、
超絶神プロットでしか採算がとれない状態にまでハードルをガンガン上げてたわけなんですが、
なんとか石という「欲望や情念を機械的に増幅させるアイテム」によって
半強制的に人格を変えられてたという展開は、肩透かしもいいところ。

時折自我が戻ったみたいなノリも(これも興のさめる展開なのだけども)、
石によって負の感情と一緒に増幅された別の感情があるためなのか、
黄泉の素の想いが石の力に抵抗しているためなのか・・・てなことを考えてたら、
実は『石との同化が不完全なことによる突発的な副作用』という、これまた「普通」の展開。

散々煽ってくれた割りに、用意されていたものは「普通」の連続、という印象で、
そこに神楽を守ることが黄泉の望みでした、というオチをぶつけられても、
「感動した!」という気分には、いまいちなれなかった。



あと、局所局所の脚本も、プロセスの描写が疎かになってたり、
つっこみどころが生じてる場面が見受けられる。

憑依された先生を斬ったことを、友達に「殺した」と叱責されてたけど、
先生は既に死んでいたってことを誰か説明せんかったのか。とか。
黄泉が入院してるときも、メール打てるんだったら、対メイとの真相も伝えたらええじゃんか。とか。

●キャッチフレーズと親子愛

「愛するものを、愛を信じて殺せるか」というキャッチフレーズを、観終わった後になって
知ったんだけど、一見理解しやすそうで、理解するのに少々考え込んでしまった。

黄泉は石を取り込み、世の中の憤り(人類の殺戮欲求)と、
神楽への愛(自決願望)がごっちゃになった。
そんでカズキと自分の命を天秤にかけノリちゃんに選択を迫った際の、
「カズキが殺されたくなかったら私を殺して」という言葉は、
悪趣味なゲームではなく本心だった(石の力で自分の手では自決できないし)。
そんで神楽はノリちゃんから、黄泉が「私を殺して」と言っていた、ということを聞いて、
黄泉は本心では死を望んでいるのではないかと察知する。それがキャッチフレーズの
「愛するもの(黄泉)を、愛(黄泉の自決願望)を信じて殺せるか」に繋がる。

わたしとしては、こういう解釈をしてるんだけども、
もしそうとするなら、”黄泉の死の願望を察知する”件の描写が、急ピッチな上あまりに弱すぎる。

そうでなくても、そもそも神楽側の脚本で問題だと思うのは、今作は姉妹愛の物語なのにも拘らず、
神楽が黄泉討伐を決意する大事なイベントを「親子愛」で捌いていることだ。

黄泉討伐を決意した最初のきっかけは、黄泉の愛を察したことではなくて、
親父の愛と土宮家の宿命を受け継いだこと。親父に「全ての責任を負う覚悟」を説かれたこと。
父親の死を乗り越え、マイコーから新調した刀を授かり、「全ての責任を負う覚悟」を決めて黄泉討伐に向かった。

つまり、主観としては「親子愛」が完全に「姉妹愛」を喰ってしまっているのだ。

最初キャッチフレーズを見たとき、「愛を信じて」の部分は、
一瞬「父親の愛かな」と割りと本気で思ってしまった。そんなわけないのに。
それくらい、親子愛の描写やメリハリの付け方の方が印象に残るものだったのだ。
そういう意味で言うと、最終回の姉妹愛の回収は、少々詰め込みすぎだったと思う。

神楽が黄泉討伐を決意するトリガーは、父親の死や家系の宿命云々ではなく、
最初から「黄泉の愛(自決願望)を察する」という脚本にして、メリハリをつけて、
そこから一気にラストに向けて畳み掛けてくれてたら、「愛するものを、愛を信じて殺せるか」という
キャッチフレーズがすっと入ってこれて、姉妹愛に感動出来てたかも分からなかった。

脚本的に、神楽の黄泉討伐のきっかけに黄泉の愛を絡めなかったことや、
姉妹愛の物語なのに、「親子愛」で物語を大きく進めてしまったことなどが、
よろしくなかったのではないかと思う。

●死して尚、願いを全うしようとする黄泉の想い

結果論ではあるけど、
神楽の父親に瀕死の重症を負わせたことがきっかけで、神楽がビャクエイを継ぐことになり、
そのはずみで、真に強くあるための極意として「全てを背負う覚悟を負え」という言葉を授かり、
神楽自身が黄泉にとどめを刺すことによって、同業者の白眼のおじさま曰く、
「一番大切な人を斬ったあいつには、もう斬れないものはない」とまで言わせしめた。

つまり、黄泉自身が汚れ役となり、また犠牲となり、神楽を能力的にも精神的にも強くさせることで、
「神楽を全ての災いから守ってやりたい」という願いを、死しても尚全うしようとしている。

ここのとこについては、なかなか感動的であるなー、と思ったり。{/netabare}

●1話について

問題の1話ですが、うーん、個人的にはあれは「NO」。
後の展開に繋がってないのは、やっぱ面白くない。オーディエンスの興味や注意を引く、
ということに関しては、十分な仕事をしたと思うけど、それもあまりに刹那的すぎ。



●総評

ご都合主義の脚本が良くない・・・が全体的には悪くはない。
散々ブツクサ言ったけど、悪くはないんです。

バイオレンスアクションものとしてみればまずまず。
また、1話を除いたシリーズ通しての起承転結ははっきりしてるんで、
流れとしては見やすい作品になってると思う。

もし薦めるとしたら、プロットに関してはあまり過度な期待はしないでね、とだけ忠告したい。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 13

69.9 16 鬱アニメランキング16位
デッドマン・ワンダーランド(TVアニメ動画)

2011年春アニメ
★★★★☆ 3.5 (1036)
5751人が棚に入れました
東京大震災から10年、疎開先の中学に通う五十嵐丸太もクラスメイト達と平凡な生活を送っていた。だがある日学校に「赤い男」が現われ、丸太の運命は一転することになる。無実の罪で死刑宣告された丸太は、完全民営化刑務所「デッドマン・ワンダーランド」に送致されることに…。

声優・キャラクター
朴璐美、花澤香菜、加藤将之、梶裕貴、野水伊織、本田貴子、諏訪部順一
ネタバレ

偽ニュー隊長 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.2

グロ注意報発令!!!

原作未読。
全12話。

視聴する前にこれだけは注意していただきたい。
かなりグロいのでグロ苦手の方は観ないほうがいいだろう。
話も鬱系なので鬱苦手の方もスルーした方がよいと思う。

1話から衝撃の展開で始まった本作。
私個人としてはいきなり引き込まれた。

だが、話がすすむにつれて、ストーリーが
かなり強引になったり、急にバトル物へシフトしたりと
一部破綻してきた感じ。

大筋ではぶれていないのかと思うが、
まとまりに欠けていたそんな印象だった。
最後も2期フラグを立てて終了とかなりの不完全燃焼だった。
全体的にもったいない出来だったかなと思う。

キャラは個性的なキャラが結構いてよかった。
特に千地(クロウ)はいい味が出ていて
かっこよくて個人的に好きだ。

鬱グロ大丈夫な方ならそれなりに楽しめる作品かとは思う。
私はグロはあまり好きでは無いが何とか見切れた。
2期がもしあるのなら観るだろう。

最後に一言いわせてもらうなら

ハミングバード結構可愛いと思うw
ロングもショートいいよw


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以下、これまでの各話の感想。
ネタバレがかなりあるので
未視聴の方はスルー推奨。

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{netabare}
1話視聴。
開始3分グロ注意。
心臓の弱い方にはあまりお勧めできない。
10分でぶっとんだ展開に度肝抜かれた。
かなり重い話だが、鬱展開好きにはたまらない。
1話でもっていかれた。
次週が楽しみ。

2話視聴。
展開にむかつきすらおぼえた。
なんという鬱展開。
主人公がいきなり死にそう。
まあ、死なないんだろうけど。
3話どうなるのか、楽しみ。

3話視聴。
少しずつ設定が見えてきた。
いよいよ本題へ入っていくのか。
次週も期待。

4話視聴。
デッドマンが何か少し分かってきた。
力の使い方が見えてきた。
クロウかっこいい。
そして、相当の奥手。わろた。
今後の展開はバトル物なのか?

5話視聴。
力使いすぎると貧血とか
その辺はリアルなんですね。
今回はかなりグロかった。
グロ苦手の方は注意。
シロもやはり何かありそう。

6話視聴。
ハミングバードなかなかの鬼畜ぷり。
この展開は絶対くるなと思っていたら
案の定だった。
シロの正体も今後明らかになっていくのかな。

エンディングにずっと違和感があったのだが
やっと分かった。
なるほど、そういうことか。
そうするとあの子供もなのか。

7話視聴。
水名月ビッチかと思ったが、
意外にかわいいところもあるようだ。
千地はなんだかギャグキャラと化してるしw
キャラが立ってきてなかなか面白い。

新たな展開。
ワンダーランドに対抗しようとする組織?と
なぞの坊主出現。
坊主強そうだが、どうするんだろうか?
来週に期待。

8話視聴。
いよいよ動き出した。
さてさてこの計画は成功するのだろうか?
なかなか一筋縄ではいきそうにないが。
緊張してきた。
来週も楽しみ。

9話視聴。
今回もグロかった。
ピンチを間一髪、シロに救われた。
さて、どうなるんだろう。

ひとつ疑問があるんだが
この計画うまくいったとして
首輪どうやってはずすんだろうか?

10話視聴。
ガンタばかすぎるだろ。
チップが爆弾って気づけよw
しかしクロウカッコイイ。
時々出てきて美味しいところを
かっさらっていくな。
しかし、作中で日数は進んでないのかな?
3日アメ食わないと死ぬんじゃないのかね。

ん~設定とか面白いんだけど
色々なところで破綻してきた気がする。

11話視聴。
先週書いた疑問に、なぜかアメ沢山もってたw
なんだそれw
色々省きすぎなのかな?
原作を読むと分かるのかもとか思いながらも
原作読もうという気になれない。
今週やっとガンタが進化した感じなのだが
来週で終わりの予定。
色々中途半端で終わりそうな予感。

12話視聴。
結局中途半端で終わったw
なんという2期フラグ。
あまりにも中途半端で終わった気がしない。
2期もあるのなら観るとは思う。
{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 21

ぽ~か~ふぇいす さんの感想・評価

★★★★☆ 3.1

衝撃のラスト!

何が衝撃かってそりゃ
あんなに伏線投げっぱなしで
きれいに終わらせる気0の最終回
最終回ですよって教えてもらわないと
誰も最終回だと気がつかないレベル

今期は3月の震災の影響もあり
全話を放映することができず
一部DVD/BDのみ収録になっている作品もあるようです
これもそういう状態なのだろうか?とか
原作はまだまだ続いているようですし
最初から2期前提で作られるいわゆる分割二期なのか?
なんて考えて調べてみましたが手掛かりは見つからず

さて、本編の内容ですが
第一話から画面が真っ暗です
そのまま放映できない血みどろの惨劇を
TV放映できるレベルまで落とすために
明度が犠牲になっているのでしょうが
そんなことをしなければならないようなら
もっと工夫を凝らすべきなんじゃないでしょうか?

恐怖という感情は突き詰めると
何があるかわからない
どうなるかわからない
という未知であることに起因するものです

あえて直接的な描写を最小限に抑えることで
視聴者の想像力を刺激して恐怖を増幅するというのは
それが映画にしろアニメにしろ
映像表現の技法として基本中の基本だと思うのですが
そこを無理やり真っ向勝負しに行って結局自主規制では
何がしたいのかさっぱりわかりません
おもいっきり力の入れ方を間違っていることに
スタッフは誰も気がつかなかったのでしょうか?
中盤からは明度を落とさず「血」を描写できるように
でもあれは「血」であって「血」ではないんですよねー

ストーリーの方は
うじうじした主人公や
空気の読めないヒロインに
イライラさせられたところもありましたが
全体的には楽しく見れました

デッドマンにしろアンダーテイカーにしろ
ずいぶん性格の歪んだ方々ばかりですが
そのひねくれた連中の方が主人公格の二人より
ずっとずっと魅力的に見えました
「クロウ」や「オウル」、超坊主にロリっ娘
どのキャラも一癖もふた癖もありますが
ひたすら受け身の主人公よりも
ずっとキャラが立っていましたね

中でも個人的なお気に入りは「ハミングバード」
あの激しい落差がいいですよね
罰ゲームがどうなるのかドキドキしながら見てました
中版以降は羊君ともどもさっぱり出てきませんでしたが
最後にちょっと出てきて嬉しかったり

割と楽しく視聴していただけに
物語の中核に位置するであろう部分が
投げっぱなしのまま終わってしまったのは
とても残念でなりません
2期が決まっているとかならいいんですが
2期をやるのは商業的に割と厳しいレベルな気がします
続きが気になる方は原作をどうぞ!
というのはやめて欲しいですね・・・

おまけ(ネタバレあり)
途中から飴のことすっかり忘れてました
ラスト直前にひょっこり出てきて
そういえばそんなものあったなぁ・・・と
あれ?飴がないと死んじゃうんだったら
首輪外さないと脱獄しても意味ないんじゃないの?
そうなると武力による強行突破で脱獄って計画自体
思いっきり破綻してませんか?
毎日飴で生きながらえてる人達が
そんな大切なこと忘れるわけもないし・・・
最後に脱獄成功したらしき人が写ってた気がするけど
あの人たち手持ちの飴が切れたらどうなるんでしょう?
尺の問題でアニメで語られてないだけで
原作では解決してるとかなんでしょうか?
誰か知ってる人がいたら教えてください(@@;

投稿 : 2024/06/01
♥ : 16
ネタバレ

よしぺ さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

笑い方でこんなに不気味さを感じさせるなんて・・・

●オススメ度
 ★★★☆☆

●作品情報
 ・全12話+OVA1話
 ・2011年(4月-6月)
 ・作者:片岡人生 近藤一馬
 ・交響詩篇エウレカセブンの作者と同じ
 ・アニメは原作の5巻まで(13巻完結)
 ・ジャンル:監獄異能バトルアニメ

●作品ポイント
 ・監獄
 ・血液
 ・胸くそ
 ・憎しみ

●感想

◽︎物語◽︎
 ストーリーは、とても好み。
 結構グロいシーンがあるが悪くない!
 『デッドマン』という血を使う異能者が生活するために牢獄の中で闘い稼ぐ 少し「カイジ」的要素もありつつ、復讐のため脱出するという主人公らの戦い本当に観てて飽きないアニメでした!←ちょっと誤解しちゃうかもw
 他のレビューでもあるように、凄く良いところでアニメが終わってしまいます。続編があれば是非とも観たいです。

◽︎キャラ◽︎
 主人公が中学生なのですが、それがまた面白くしっかりとバランスが取れていました!

▫追記▫
 原作既読済。
 序盤の胸くそシーンから這い上がるという展開ではなく、主人公が監獄と関係があり過去との繋がりから物語が広がっていくためスッキリする感じはしなかった。
  {netabare}ガンタとシロの関係性から展開されていく物語形式は良かったと思うが、その他の成長やも物語の組み立て方がおろそかになっていると感じこの作品に感情移入・共感があまりできなかった。ズッパシの千地清正と主人公の男臭い関係の構築はナイスだったが、それ以外の周囲の仲間が微妙…。デッドマンは互いに殺し合う仲なのに普通に協力しているのがどうも納得できない。確かに利害の一致で協力するのは分かるが、それに対しての背景描写が不足している。全体的に何か物足りない感覚に陥る。とても惜しい作品だなと思った。{/netabare}
 片岡人生さんの描く少し偏った恋愛観がたまらなく好みなのでその分も含めてもったいない作品だと感じてしまった。

●最後に
 アニメは原作を見るなら良いが、アニメのみで完結させたい方は正直もやもやして終わってしまうためおすすめできない。

視聴日(2週目) 2020/12/04
投稿日 2016/05/05
追記  2020/12/08

投稿 : 2024/06/01
♥ : 4

87.0 17 鬱アニメランキング17位
秒速5センチメートル(アニメ映画)

2007年3月3日
★★★★☆ 3.9 (3988)
18435人が棚に入れました
東京の小学生・遠野貴樹と篠原明里はお互いに対する「他人には分らない特別な想い」を抱えていた。しかし小学校卒業と同時に明里は栃木へ転校してしまい、それきり会うことが無くなってしまう。貴樹が中学に入学して半年が経過した夏のある日、栃木の明里から手紙が届く。それをきっかけに、文通を重ねるようになる2人。しかしその年の冬に、今度は貴樹が鹿児島へ転校することが決まった。鹿児島と栃木では絶望的に遠い。「もう二度と会えなくなるかもしれない…」そう思った貴樹は、明里に会いに行く決意をする。

声優・キャラクター
水橋研二、近藤好美、尾上綾華、花村怜美
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5

中身はある?ない?

 レビュー内容を全改訂しました。これに伴い前回レビューは削除しています。
 細かな話は後回しにして、まずはストーリーと象徴物から述べます。

秒速のストーリー:{netabare}
 秒速は、一言で言えば再出発の話だと思います。これは、第三話から分かります。
 今カノと別れ、仕事も辞め、さてどうしようか、となってしまった。そんなときに、自分を縛っていた「過去」に再び出会い、その「過去」を振り切ることで「さぁ頑張ろう!」になる、というお話。この前向きな姿勢が表れているのが、最後のタカキの笑顔なんだと思います。

 「秒速は恋愛映画である」という指摘自体は正しいものですが、「恋愛だけを射程としている」とまで限定してはいけないような気がします。秒速がアカリとの「恋愛の話」ならばもちろんバッドエンドですが、これだと最後の笑顔の説明が付きませんからね。
 秒速を「再出発の話」として整理することで、最後の笑顔も含めてストーリー全体が合理性を持つのだと思います。視聴者が感じる喪失感はともかくとして、描かれていた結論は前向きなものだと感じました。

 全体の構成としてはこんな感じ。
 第一話では、過去への執着の原因が描かれた。第二話では、過去に縛られているタカキの停滞が描かれた。第三話では、過去に執着していたために今失うものが描かれて、「さぁ頑張ろう!」になる。
 第二話が第三者からの視点で描かれていることを除けば、シンプルな三段型の構成だと思います。
{/netabare}

象徴物①電車:{netabare}
 電車が最初に登場するのは、第一話冒頭の踏切のシーンです。アカリが「来年も一緒に桜、見れるといいね」と言ったタイミングで、二人の間を電車が横切る。同じ状況が再現されているのが第三話の冒頭(とエンディング)です。タカキの「振り向けば」という展開から、また両者の間を電車が横切る。
 電車が輸送車に形を変えて現れるのが第二話です。輸送車は、タカキとカナエの前方を横切る。

 「タカキとアカリの『間』を横切る電車」と「タカキとカナエの『前方』を横切る輸送車」という違いがありますが、どちらも使われ方としては同じものです。
 道路というのは、作劇上は主人公の進行方向(未来)を意味しますから、そこを横切る電車や輸送車というのは、主人公の進行を邪魔するものという意味を持ちます。つまり、秒速における電車や輸送車というのは、「望む未来に対する阻害要因」として描かれているのです。各話のいずれもが残念な結末を迎えるのは、そのフラグとして阻害要因が象徴的に置かれていたからに他なりません。

 一応、「間」と「前方」という横切り方の違いにも触れておきます。
 第一話では、タカキとアカリの共感が描かれています。共感を得た者同士を引き裂くわけですから、「二人の間」を電車が横切ることになります。
 第二話では、タカキに告白したいカナエが描かれています。タカキとカナエは共感には至っておらず、共感に向けて関係を前進させたいカナエの願望があるのみです。ですから、その前進を遮るように「二人の前方」を輸送車が横切るのです。
 細かな違いはありますが、「望む未来に対する阻害要因」としては電車も輸送車も描かれ方は一緒です。
{/netabare}

象徴物②鳥(とロケット):{netabare}
 続いて、鳥について。まずは最初に鳥が登場するシーンの確認から。
 第一話でタカキの引っ越しが決まった後、タカキがアカリに会いに行く算段を付けているシーンがあります。タカキが路線図をなぞっているところに、アカリのセリフ「電車に乗って会いに行ける距離ではなくなってしまう…」が入ります。この後に鳥が初登場します。この鳥は、東京を出発し、夜空を経由して栃木まで到達します。
 この「路線図→電車はムリ→鳥」という流れから、電車と鳥が対比されていることが分かります。阻害要因である電車を越えて、空を飛んでいくものが鳥だということです。つまり、鳥は「飛んでいけたら」というタカキの願望(や逃避)を象徴するものとして描かれているのです。

 また、電車と鳥の関係から、「現実である地上」と「理想である空」の対比が成立します。ですが、秒速の構造はこれで終わりではありません。空の先には、宇宙が位置付けられています。
 第二話では、タカキの夢の世界が登場します。この夢の世界において、タカキとアカリが一緒に見ているのは、空ではなくその先にある宇宙です。この時点では、タカキとアカリは何年もの間連絡を取っていませんから、二人の乖離はほぼ決定的です。タカキの引っ越しによりさらに疎遠が拡大し、「理想である空」すらも一緒見られる状況ではなくなってしまったのです。だから、「理想である空」の先である「叶わぬ夢である宇宙」を見ている。

 では、「理想である空」を「叶わぬ夢である宇宙」に変えてしまった原因は何なのか? それが、タカキの引っ越しと引っ越し先にあったロケットです。タカキは、種子島に引っ越したことで電車の呪縛からは逃れました。ですが、そこは鳥では届かぬ距離だったのです。また、種子島には、新たな阻害要因である輸送車がありました。タカキに「叶わぬ夢である宇宙」を実感させたのは、この輸送車の中にあったロケットでした。これにより、タカキは孤独感を強めていきます。

※鳥についての補足
 この最初に登場する鳥はアカゲラだそうです。アカゲラについて、ウィキペディアにはこう書いてあります。
「日本では北海道に亜種エゾアカゲラが、本州、四国に亜種アカゲラが留鳥として周年生息する。四国での生息数はきわめて少ない。九州以南には分布しない。」
 東京や栃木には生息できるけど、九州の南方に位置する種子島には生息できない、と読めます。つまり、東京―栃木間の橋渡しは出来るけど、種子島―栃木間の橋渡しは出来ないのです。このことが「理想である空」でのつながりを断たせ、ロケットの登場と「叶わぬ夢である宇宙」を引き込んだ、ということなのでしょう。
 意味もなくアカゲラを選んだわけではない、と私は思います。
{/netabare}

 ここまでがいつも通りのレビューですが、個人的には前提やおまけくらいに考えています。ここから先は批判的な内容が続くのですが、批判に終始すると「ちゃんと見てないだろ!」という反論が起こりかねません。ですから、それを回避するために「この程度には見ていますよ」という線引きをしただけです。本題はここから。

ざっくりした話から:{netabare}
 秒速の感想を読むと、多数の「感動した派」と少数の「中身がない派」に大別されるように思います。私の中ではこの二つは背反するものではありませんから、個人的には「感動したけど中身がない派」を採っています。
 で、私が主張する中身の無さというのは、ストーリーの無さではありません。そもそも心情を描く作品では大したストーリーは必要ありませんし、秒速のストーリーは比較的まとまっていると私は思っています。中身がないのは、心象表現の方です。

 上述した象徴物には、根本的な違いがあります。
 電車というのは、ストーリー上の象徴物です。道路と関連させることで、この先の展開がどうなるのか、というストーリー展開を示唆する役割を負っています。
 一方で、鳥というのは、心象表現上の象徴物です。電車に阻害されたタカキがそれに対してどう思っているのか、という心情が乗っています。ロケットもこちらですね。

 結論から言うと、ストーリー上の象徴物である電車は機能していました。ですが、鳥とロケットは機能していません。正確に言うのなら、鳥を失敗したせいでロケットも機能しなかったのです。そのために、電車を使ったストーリーはまとまっているけど、心象表現が失敗している、になるのです。

 勘違いして欲しくないのですが、私は「心情がダメ」とは言っていません。「心象表現がダメ」です。
 心情というのは、「うれしい」のことです。心象表現とは、「うれしいことが分かるように表現すること」です。全く違う内容ですから、混同しないようにお願いします。作品の良し悪しを決定づけるのは、後者の方です。
 ここから進めていくのは、秒速の心情は分かるけど、その表現がお粗末だという話です。多方面から指摘するつもりではありますが、まずは象徴物を片付け、その後に独白と背景について述べます。

電車再び:{netabare}
 電車はこの作品ではかなり機能していると述べましたが、電車の使われ方に文句がないのか、というとあります。作品への評価ではなく、新海監督自体への評価を下げました。

 道路を使った演出というのは比較的定番のものではありますが、定番だからダメ!などというつもりはありません。
 そうではなくて、秒速の前の作品である「ほしのこえ」でも全く同じ使い方をしているからダメなのです。「ほしのこえ」においても、別れの前には電車を通過させています。「阻害要因を、同じ道路と電車を使って、二作品連続」というところに「またかよ」というガッカリ感を感じてしまいました。端的に言うと、新海監督の表現の幅の狭さを感じたということです。もう少しアレンジを加えるべきだったと思います。
{/netabare}

鳥再び:{netabare}
 鳥は登場回数が多すぎました。象徴物というのは要所で使えばいいのです。フラグで一回、締めで一回。これで十分に機能します。意味を徐々に限定したり別の視点を見せたりする場合にのみ、複数回使えばいいのです。
 電車演出は、第一話の「分かたれたタカキとアカリ」というフラグが、第二話の「同行するタカキとカナエ」に変化して、第三話でまた「分かたれたタカキとアカリ」で締める、という「フラグ→変化→締め」の流れがスムーズだったからこそ機能していたと言えるのです。
 一方で、鳥はあまり必要でないところでもバサバサと飛んでいました。初回の登場時には、「電車と鳥を対比させたいんだな」と素直に受け取れたのですが、その後の登場回数があまりにも多いために、最終的には鳥自体の持つ象徴性がほぼ霧散してしまいました。

 視聴者への説明の仕方も悪いです。第一話で登場した鳥がアカゲラである意味はあったと思います。その意味を継続させるためには、「東京―栃木間(第一話)は飛べる」ということと「種子島―栃木間(第二話)は飛べない」ということの違いをはっきり見せ続けなければなりません。
 視聴者は、第一話で登場した鳥を「アカゲラである」とはまず見抜けません。「九州以南では生息できない」なんて以ての外です。「第一話でアカゲラが飛び、第二話で別の鳥が飛んだ」とは解釈できず、「第一話でも第二話でも鳥が飛んだ」と解釈するのが精いっぱいだと思います。
 視聴者が見抜けないことを前提として、次善の策を打つべきでした。第二話では一切鳥を飛ばさないか、鳥を飛ばすのならきちんとカメラで抜いて、アカゲラとは違うことを分かるようにするか。ですが、実際には何らかの鳥が飛び、それがアカゲラかどうかを確認する術がありません。アカゲラの持つ象徴性を台無しにしています。視聴者への配慮に乏しく、挙句に象徴性を毀損しているのは、いかがなものかと思います。
{/netabare}

ロケット再び:{netabare}
 そして、鳥の扱いの悪さがロケットにも響いています。
①タカキとアカリが東京にいた頃は、「現実である地上」(=徒歩)でつながっている。
②アカリが栃木に引っ越してからは、「現実である地上」が電車に阻害されてしまい、鳥を介して「理想である空」でつながることになる。
③タカキが種子島に引っ越してからは、「理想である空」よりも更に離れてしまい、ロケットを介して「叶わぬ夢である宇宙」でしかつながれなくなってしまう。
 という流れですよね。①②が第一話で、③が第二話。この流れ、すなわち、「地上→空→宇宙」と「電車→鳥→ロケット」の構成(「対面→手紙→送れないメール」も関係しているのかもしれません)については文句はありませんし、私は良かったと思っています。
 でも、ですよ。ここまで整理をしてしまえば「なるほど!」と思うかもしれませんが、ここまで整理をするのが容易ではないのです。②の鳥の扱いが雑すぎるために、「①→②」で一旦切れてしまうのです。

 新海監督が想定していたのは、次のような構成だと思われます。
 「①→②→③」という流れを作った上で第二話を締める。第三話の冒頭で、第一話をリフレインさせる電車を入れて、もう一度①の「現実である地上」に戻す。でも、新たな①からは②→③と進行させずに、そのループを否定する。①と新たな①の進行先が異なることを見せることで、停滞が再出発へと変化をし、最後は笑顔で終わる。

 ですが、鳥が全編を通して登場してしまったために、同じく全話に登場する電車(と輸送車)とのリンクを強めてしまい、「タカキが①と②(現実と理想)の間で揺れ動いている」という印象を積み重ねてしまいました。そのために、③が浮いているように見える。

 ③までスムーズにつながないと、カナエの心情は補完できません。カナエは第二話のラストで「トウノ君は私を見ていないんだと気付いた」と言っています。これがカナエとタカキを分かつ決定要因ですね。なぜカナエがこう思ってしまったのかというと、タカキと一緒にロケットの発射を見た際に、タカキが「叶わぬ夢である宇宙」しか見ていないことに気付いてしまったから、ですよね。タカキが「現実である地上」を見ていないから、現実(地上)で一緒に歩くカナエは気持ちを伝える意味を見出せなくなってしまったのです。カナエの心情は多分に③に依存しています。

 ③を機能させるためには、鳥が電車とロケットをつなぐ単なるステップとして描かれなければなりません。あくまでもステップですから、鳥の主張が強くなりすぎてはダメなのです。にもかかわらず、バサバサと飛ばしてしまった。
 鳥は電車と違って、シチュエーションに縛られずに気軽に飛ばすことが出来ます。尺の都合か表現のつもりかは分かりませんが、だからと言って飛ばし過ぎて作品を毀損するのなら本末転倒だと思います。

 また、私は「①→②→③」の流れが機能していた、という意見を受け入れる気にはなりません。
 このレビューに先だって、ロケットに関してどのような解釈があるのかを調べてみましたが、そのどれもがタカキの独白を投影させた単独解釈でした。単独解釈自体がダメということはもちろんありませんが、単独解釈だけで終えてしまうと、「なぜ種子島なのか」「なぜ飛行機ではなくロケットなのか」「なぜあのタイミングで飛ばす必要があるのか」などの作品内における位置づけが欠落してしまいます。
 新海監督は、気まぐれで種子島に引っ越しをさせ、気まぐれでロケットを描き、気まぐれで第二話の終わりで飛ばしたわけではないはずです。もしそうだったのなら三流監督ですが、新海監督はそこまでアホな監督ではありません。
 種子島はロケットを宇宙へ飛ばすために必要な舞台であり、そこに電車がないことも理解していた。だから、電車とロケットに象徴性を持たせ、その両者の間を鳥でつないだのでしょう。ここから、「地上→空→宇宙」という構成でストーリーを作り上げたのだと思います。

 でも、この流れを視聴者には読み取ってもらえませんでした。鳥で失敗してしまったためにロケットへのつがなりを見せられず、ロケットが単独解釈ばかりになってしまったのだと思われます。
 監督がきちんと論理的に作って、それでも視聴者が読み取れないのなら、それは視聴者側の問題です。ですが、そもそも論理の構築に疑義があるのなら、それは監督側の問題だと思います。
{/netabare}

独白:{netabare}
 心情は、何かが起こった時に変化します。ぼーっと座っているときには心情の変化は起こらず、何らかのきっかけで心情が動く。このきっかけには、事故のような大きなものから会話のような小さなものまでを含みます。
 秒速というのは、このきっかけが極端に少ない作品です。事故もなければ、会話も少ない。そのため、心情の変化というものはほとんど描かれていません。だから悪い、というのではなくて、そういう特性を持っているということ。
 で、この変化の無さを埋めているのが、登場人物たちの独白です。

 私は、基本的には独白というものをほとんど評価していません。なぜなら、独白というのは心象表現ではなく心情そのものだからです。言葉の選び方がどうであれ、「電車が止まって悲しかった」と言わせてしまうと、「悲しいことが表現されている」のではなくて、「悲しい」なんです。
 登場人物が悲しんでいることを視聴者に分からせるためには、悲しいエピソードを用意したり、悲しんでいる姿を描いたりすればいいだけです。「友人が死んだ」「涙を流した」、これで悲しいことは十分に伝わります。ここに「友人が死んで悲しいのです」なんて独白を入れるのはバカバカしいとすら思います。
 第二話でのロケットを見送るタカキとカナエの心情は、ロケットさえ機能していれば独白がなくとも伝わります。タカキが「叶わぬ夢」を見て、カナエはそんなタカキを見てしまう。これで十分です。

 ですから、独白を多用する作品に対しては、「心情は表せてはいるが、心象表現はされていない」という判断をすることになります。一般の作品は、独白による心情の垂れ流しを避けるために、心象表現に力を入れているのです。でも、秒速は独白がなければ意味が伝わらない描写ばかりです。挙句に、秒速の独白は抑揚のない単調なセリフです。ここにも表現は見受けられません。
{/netabare}

背景:{netabare}
 背景による心象表現というのは、ほぼ主観に依拠します。夏は開放的、雨は憂鬱、夕暮れはノスタルジーなどが成立するのは、客観ではなく主観です。また、背景は説明するのが難しいために、セリフや象徴物ほど明確なメッセージを伝えることは出来ません。それにもかかわらず、背景表現は多くの作品で機能しています。なぜなのか?
 それは、背景表現が主観を越えて、監督側と視聴者側の共通観念として成立しているからだと思います。説明されなくても、雨を降らせれば視聴者は憂鬱だと分かってくれる。
 でも、新海監督は、この共通観念へのチャレンジを見せています。「ほしのこえ」でも「言の葉の庭」でも、晴れているときが憂鬱な現実で、雨が降っているときに希望ある理想を描いていました。私はこの姿勢を高く評価しています。

 ですが、秒速ではこのチャレンジ精神が見えにくい。雨に代わる候補としては桜がありますが、桜自体が「出会いと別れ」や「始まりと終わり」という両面性を持つために、共通観念を覆すのが難しい。また、鳥と同じく多頻度で登場するために、象徴物としての意味を限定するのも困難でした。鳥と同じ間違えを起こしています。

 もう一つ懸念を感じたことがあって、それは背景が綺麗だったこと。綺麗であり続けたこと。
 「あらしのよるに」という児童向け作品があります。この作品の背景は、野原での日常風景は淡い線で、生死のかかった雪山でのシーンは刺々しい線で描かれていました。これは心情ともリンクした「表現」であったと思います。
 CGの技術的なことは分かりませんが、秒速がゴースト(光源から出るキラキラした像)やフレア(画面をボヤっとさせる光)を多用するなど、光の描写に注力していたことは分かります。光と影の対比にも相当気を使っていたのも分かります。ですが、綺麗であり続けることは、美しさを描けた反面、単調さにもつながってしまったのではないかと感じました。
 単調であるということは、裏を返せば強調がないということです。単なるつなぎのシーンも山場もエンディングも、全てが同じように美しい。強調すべきシーンを引き立てるために、もう少しメリハリをつけた方が良かったと思います。
{/netabare}{/netabare}

おわりにかえて:{netabare}
 私は、「中身がない派」にも少々の懸念を感じていて、それは「中身がないことを積極的に説明してくれない」ということです。ですが、それは仕方のないことだとは承知しています。「ないこと」を証明するためには、「あるとはどういうことなのか」を列挙して、その全てに該当しないことを証明しなければなりません。いわゆる「悪魔の証明」と同じ構造ですから、ほぼ不可能な事柄です。「中身がない派」の苦労も分かるというものです。

 最後に、「なぜ感動してしまうのか」に対する見解を述べておきます。
 この作品は、「心情はあるけど、心象表現がない」「キャラクターはいるけど、個性がない」という骨子だけの状態だと思います。「枠線はあるけど、塗られてはいない」というぬり絵のようなものですね。
 作り手からの色指定が不十分なために、視聴者はどんどん自分の好きな色を塗っていってしまう。そして、自分の好きな色で仕上げてしまうから、「感動した!」となるのだと思います。そして、自分のぬり絵自慢になってしまう。
 「タカキはアカリを振り切っているのか」「振り切ったのならいつなのか」などに対する意見がまちまちなのは、「自分の作品」になっているからだと思います。宇宙の説明がヘタだったからこんなことになるのです。
 私は、感情的にも構造的にも作品を見ますから「感動したけど中身がない派」を採っていますけど、構造的に見れる人は「早く色を塗れよ」と感じたままに終わってしまう。だから「中身がない!」になるんだと思います。

 秒速がすべての表現を排除して、視聴者の主観に委ねた作品だったのなら、それはそれで評価の仕様もあるのですが、この作品は「やりたいこと」が透けて見えるし、それに「失敗したこと」まで伝わってしまう。新海監督は、まだまだ発展途上の監督だと思います。「言の葉の庭」では幾分改善したところもありますが、まだ及第点ではありません。ポスト宮崎駿を冠するのは、まだムリです。別に私は信者でもアンチでもないですから、頑張ってほしいとは思いますけどね。

 マンガや小説をオススメする声もありましたが、こればっかりは新海監督がかわいそうだと思いました。映画だけでは説明できてないって突きつけているようなものですからね。マンガや小説をオススメしている人ほどこの作品を称賛しているというのは、何とも皮肉なものだと感じました。{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 21

ラ ム ネ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

壁画と空白。

 初見から三年ほど経って、本作への感情の微熱もだいぶ冷めてきたので、全文改正をしてみました。前よりはいろいろ見えてきた、というのもあります。前回のレビューは底の方に隠しています(隠すのやめました、恥ずかしいし)。人は変遷を続けるのに、作品は変わらずそこにあるので、改めてみると、なんか大人になったなという気がします。初めて見たときは感情の拒絶反応が出ましたから。それはおいおい別題で書くとして、散文はここまで。…結局、散文的になったか…。


*監督の狙い。…構想の考察。

 新海誠監督は、自分の作品に一貫するテーマが「喪失」だと言っていますが、その「なくなった」という喪失の光景の前後には、「何かがあった」「なくなったのでまたつくっていこう(生きよう)」が用意されています。一話が、「何かがあった」。二話が「でも、なくなった」。三話が「…なくなったのでまたつくっていこう」と単純に三分割してみました。本作は話しが終わる毎に、次の話に見る側が心を引かれるようになっています。そうして映像にあやかった心が導かれるのは三話です、つまり結論は喪失の後にある心の回復、「秒速五センチメートル」は「回復」の物語です。
 主人公の貴樹は、何を喪失し、何を回復するのか。まず「明里との恋愛」は回復されません、回復されない、それなのに貴樹には救いがある、その点から見て、大切なところが恋愛だけではないことが見て取れます。恋愛は、「秒速」においては象徴的出来事であり、しかし大切な核ではない、それ”だけ”ではないんです。三話で会社を辞めた理由を、「かつての思いが失われていることに気がついて」と貴樹は独白しますが、失っているのは「恋」よりそれ以前にある「純粋さ」です。ただ恋を喪失するのではなく、純粋を喪失してその中で恋まで失うのです。
 年少に見られるような純粋の喪失については、詩で言うと谷川俊太郎の「かなしみ」とか、洋文で言えばカポーティの「遠い声遠い部屋」が私は思い出されます。カポーティについてですが、彼の著作本が劇中に意味ありげにわざわざ描写されています。本作三話の「山崎まさよし+パラパラ」のなかで、高校時代?の明里が駅のプラットフォームで持っているのですが、文庫版の「草と竪琴」という本です。「草の竪琴」は「遠い声遠い部屋」から続く二作目であり、少年から青年への移行期にある主人公の不安を自伝的に活写したものです。監督は、これをオマージュしようとしたのではないか、と考えています。つまり、移行期に失われた純粋の欠乏感と、その回復を。
 一話の各所に、年少期によく見られるような純粋さを表すシーンがあります。たとえば導入にある「桜の花の落ちるスピードってさ」「ひと晩で三十億年分読んじゃった」「アノマロカリス!」などです。それが純粋さの記憶として三話のラストあたりで回帰します。
 かつての明里との恋は貴樹にとって、世俗を離れた、「あの頃の純粋さ」を象徴的に示す出来事でした。あくまで「明里という少女の記憶」=「純粋の象徴」なのです。
 三話で貴樹が、恋人と別れ(それをきっかけに?)、人生を自覚し、過去の「純粋」と対照し、その喪失に気づき、今ある退廃した生活を捨て、仕事を辞め、新生活をスタートさせる。自室での仕事の合間に、 桜を見に過去の思い出の道を散策し(記憶の逍遥)、そのときにこそ「純粋さの象徴」である「明里」とすれ違う(向こうも振り向きかけるわけだから当人とする)。でも彼女は「少女」ではなく「大人」になっていて、時間は経ってしまっている(桜並木道沿いの公園の木々が切られたように、…貴樹はここでも微笑む)。・・・一話で原体験、二話で過去への執着と停滞、三話で現実を容認して回復、貴樹の微笑みは現実容認の表現になります。
 微笑みの意味が、恋愛にあるとすれば、それは皮肉的で、人生はうまく行かないという慰めになるかもしれないが、監督の狙いはそうじゃありません。
それが私の見た流れです。彼女がそこに”いるかいないか”は、救済とは何の関係もないのです。そもそも、貴樹はもう自らの力で救済されてしまっていて(自立的救済)、彼女が現れることで救済になるなんてことはなく(依存的救済)、すでに良い思い出、懐旧の念、延長があろうとなかろうと、よいわけです。自分は自分、彼女は彼女、「純粋さの象徴の”今”」に出会えた、それだけで奇跡だ、そして彼女は彼女の人生を生きている、自分も生きねば、それでいいわけです。
 純粋さについては「花とアリス殺人事件」でも少しだけ書きました。
 以上が、構想と考えます。

    *   *

 構想を見てきました。それには感動します。しかし、この監督の構想(イメージ)に視聴者はしっかりと導かれているのか。難しいところです。それは監督が伝えきれてないのか、観客が読み切れてないのか、どっちなのか。
 跳んだら着地しなくてはなりません。同じように、物語に飛び込んだら、どこかまともなところに着地させられ、物語の幕も閉じられます。「いつもの現実」飛び込む→幻想体験→着地「ちがう現実」、というのが流れです。児童文学や宮崎アニメにはその構造が見やすいです。そういう風に、芸術は「作品の自己化」を行います。影響を与えるのです。
 「秒速」での監督の狙いは、「執着の開放、純粋さの回復→再出発(生きよう)」でした。狙いがその通り伝われば、「作品の自己化」によって、構想が観客に宿る、はずでした。
 しかし現実そうはなっていないのです。「内容がある/内容がない」「感動する/感動しない」と感想は二極化しています。私は、「鬱派(感動した)」少数→「称揚派(感動した)」多数→「けだるい派(内容ない)」少数→現在(感動するけど内容ない)と、本作への感想が変わっています。…そしてどの派にも、多くは監督の狙った通りの「作品の自己化」が内在することなく、多分に「自己の作品化」があるばかりです。
 押し広げて見ていきます。


*鬱派と称揚派とけだるい派を経て。

 ほぼ私の体験談です。初見で感情的な拒絶反応が出ました。三年か二年前のことです。思春期で何かを実行する勇気を挫いてしまった人が、哲学や文学的なところに根差す光景はよくよく見られますが、芸術や学問の幻想体験による「作品の自己化」によって、気力を回復し、勇気を回復しようとする逃避族の意識的試みです。ですから、芸術家には現実逃れをする病みっぽいところがあるわけです。要するに、はじめは鬱屈派でした。私はてっきり、これは「恋愛の回復」の物語で、すなわち結びつきハッピーエンドだと勘違いし、やってきた意味不明なバットエンド(なんか微笑んで去っちゃうし…) によって、宙にあった妄想を地上の現実まで突き落とされた、という流れだったと思います。「純粋の回復」という観点から見ると、微笑みが快いものに見えるのですが、この場合、貴樹の微笑みが人生への皮肉に見えてしまいました。全身が鬱的にだるくなり、細胞が重い砂のように心をひきずります。それこそ、自立や回復というお話なのに、より落されたという残念な話です。
 結論…何かにもたれようとする依存的な人格が、不条理な現実を逃れてアニメや文学といった虚構によって自らを満たそうとし(恒常性の補完)、貴樹のような純粋回帰(自分に立ち返る!)を経験していなかったので、願望の強さも手伝ってか、「秒速」を「純粋回復」ではなく「恋愛回復」である、そうでないと救われない!と思いたがえ、「踏切」にて地上に叩き落された。以上が、鬱派の精神分析です。
 それから、大人な人に参考になるような意見を求め、「明里は自分の人生を生き、それを察した貴樹が微笑む」という意見によって、「貴樹の微笑み」への理解が生まれ、鬱派から称揚派に転身することになります。美しい恋のアニメ、と感動して称賛するのです。私は経験測による共感ではなく、理解による共感をしました。理解した時点で、すでに作品は私に影響していた、内在化していたと言えます(作品の自己化)。監督の狙い通りの内在化、作品の自己化とはちょっと違いますが。監督の狙いは「自分に立ち返って前を向こう(再出発)」でした。
 やがて私に時間の経過によって「内在化された作品の(恋物語としての)印象」に慣れが進行します。飽き始めるのです。感情の微熱も冷めて来て、冷静になります。すると、感情を分離されたので、理性的に見られ始めました。そこで、「ん?」と気が付きます。全体がとても曖昧に見えはじめたのです。考えてみれば、なんでこうなのか、よくわからない部分が多い。ちゃんと作られてないんじゃないか?と感じ始めたのです。そうして見るのも嫌になってきました。こうして、けだるい派に属したわけです。けだるい派は感情を分離できる理性的な性格の人たちです。三通り体験しました。
 願いを裏切られた鬱派、恋愛喪失(誤)や純粋回帰(正)に感動した称揚派、冷めたけだるい派、それらを経てわかったのが「秒速は恋物語だ」と思っている自分の勘違いです。ただを非情な現実を突きつけるものではないのです。‥‥確認すると、純粋さを喪失して恋まで失ったが、いま純粋さを回復して、すると恋の相手が現れ、でも時間までは回復しなかった、それでもいい、歩いていこう‥‥そういう構想だと気づきました。ハッピーエンドを予想した「恋の回復」という内在化は、恋より下位にある「純粋さの回復」として新たに再内在化したのです。つまり、恋としてはハッピーエンドでないが、純粋さとしてはハッピーエンドだ、だから貴樹の微笑みは「前を向こう」だということです。


*余白と空白。

 本作には多くの「うやむや」があるように思えます。曖昧さ、空白とも呼べます。それが監督の意図的に作られたものである、つまり空白ではなく余白であるなら納得できるのですが、どうも余白でもないのです。緻密な表現がなされていると観客はスクリーンに放心します。宮崎アニメなどは、感情的にそうなります。入りこんでしまえるのです。しかし、構造やその表現に抜け目がある、作品を流れる感情の吹き溜まり的な、空白、曖昧さができると、そこに観客は、自らを投影します。表現があると放心し、表現がないと投影して、幻想の現実感を補うのです。物語の整合性、統一性を保持しようとする試みです。文学などでも、言及しないことによって、読者に主観的な想像をさせて、余韻を生む手法がありますが、それにたとえられます。余白と放心、空白と投影の営みは、そのすべてが「自己の作品化」に該当します。
 「秒速」のそれ(一見曖昧に思えてならないところ)は、監督の意識的な余白(技巧によるもの)なのか無意識的な空白(技巧によらないもの)なのか。やはり後者です。ただ、「空白」ではなく、語感としては「うやむや」に近いと思います。
 余白にも空白にも観客は投影する、描かれないものを察して補おうとします。しかし、余白は表現の技巧であり、生まれさせたもの、空白(うやむや)は、生まれてしまったデタラメです。詰まるところ、余白には感情移入し、空白には自己投影するのです。余白には物語の前提がありますが、空白は前提がありません、突発的なもので、ただの作り手の失敗です。前提が用意されていれば、余白があっても、観客は物語の上でその描かれない部分を察することができます。しかし、空白には前提が用意されていないので、観客は主観的に、時に都合的解釈によって、作品に個人的な上書き、色塗りをしてしまいます。
 たとえば、ラストの踏切シーンで、明里が去ってしまうことについて、明里ばかりに共感のまなざしを向ける人がいますが、それはつまり「明里は婚約したのだし自らの幸せを守ろうとして立ち去った、過去の恋より今の愛が大切なのだ」と考えることです。しかしそれは、たしかに真相に近いのかも知れませんが、倦怠期の夫婦が自己肯定するための解釈にも思えます(アイロニカルなユーモア!笑)。あと例えば、ダメな「慰め」になるパターンなどもありますか。
 エヴァは「自己啓発セミナー」と呼ばれますが(大塚英志)、語呂合わせゲームをしてみれば、秒速は「自己投影アルバム」です。
 監督の狙い?であるラストシーンの"希望的着地"に導くには、観客に"希望的観測"を与えるだけの体験をさせなければなりません。体験されるようなつくりになっているのか、それとも物語を読めない視聴者がにぶいのか、それを言論するのに作品構造の欠損を列挙しなくちゃならないわけだ。ああ。なるほど。んー。
 とにかくここで留めておきたいのは、作品構想が「作品の自己化(純粋回帰!)」を目指しているのに、視聴者の多くは「自己の作品化(例、恋愛喪失)」に導いてしまっている。オタクだろうがなかろうが、現実的な人格だろうがなかろうが関係なく、勘違いする人が多いわけです。それも簡潔な、とてもシンプルな結論なのに。その失敗の原因が「うやむや」にあるのではないかということです。


    *    *

>纏め。半分自分用メモで、機会あれば洗錬します。このレビュー、自分の勉強用として
も書いています。その垂れ流しです。
放心=「作品の自己化」→緻密な構想表現 投影=「自己の作品化」→漠然な構想表現。
・秒速は「作品の自己化」を目指した作品であるのに、その多くは「自己の作品化」になっている(のではないか?)。
・・鬱派→人間性未熟(作品構想にある感情の未経験者)→物語を「純粋の回復」(自立的要素)ではなく「恋愛の回復」と勘違い→(明里がそこにいてほしい!)依存的救済を求める(自己投影)→願望に裏切られて鬱にさいなまれる。
・・称揚派→比較的人間性あり(作品構想にある感情の経験者)→構想感情で鑑賞し、構想表現は無視、または自己投影して穴埋め。
・・けだるい派→理性の人(指揮者ムジクスと演奏者カントルの論理で言う前者)→構想表現を鑑賞、構想感情は踏まえても興味なし。或いは、監督の構想に飽きた。「描くほどのことか?」。
ったくなにを書いているんだか。


*構想と表現の上滑り。
 本作は構想が表現を上滑りしている空回りしたものです。作品に流れる感情と、それを支える比喩表現、構造、その組み合わせ、統一性、整合性、それらに長けていて有名なのが宮崎アニメです。「千と千尋の神隠し」が巧みだと思います、だから子どもにも(鋭い感性に)人気が高い。まず構想があり、それの表し方がある。物事は、言葉以前のところにあるから、言葉以前のところで言い表さないと鑑賞側に伝えきれない。感情も言葉以前にある。感情は抽象的、悲しいときに「悲しい」とは言わない。だから、比喩で表現する。文学は文字によって、修飾的な表現になる。映像の比喩は、より具体化が可能。比喩の現象化、物体化されたものが、抽象ではなく(二次元的)、構想の象徴表現(三次元)、である。

・各話の構造。…一時間の物語を三分するのは、構想的に悪かった(ぼやける)。
「一話」…純粋がある、明里に会える(秒速5センチ、身近)、桜の朝、田園。
「二話」…純粋がなくなっていく、明里会えない(時速5キロ、乖離)、黄昏、離島。
「三話前半」‥純粋喪失、会うことを忘れた(1000回メールをして1センチ、喪失)、夜、都市。
「三話後半」‥気づいて純粋回復、明里会えた(秒速5センチ、容認)、桜の朝。
電車(二人を隔てるもの、結びつけるもの)、種子島(電車でいけない、孤独感、隔離された)、ロケット、鳥(?)、弓道(届かない思いの表現) 、ロケット輸送車 (二人を遮るもの)、
二話の海岸に二人がいて朝日を見ている幻想(願望?)、その朝日を的に見立てて弓を放った(?)、ロケットは、もう思いが届かないという意味での宇宙? 三話の「山崎まさよし+パラパラ」は簡略化、要約?あんなのができるのはストーリー構成が甘いからでは?
 色々ありますけど、安易だと思えてしまいます。構想と表現、感情と構造は、一体物として機能します。しかし、目的がわかっているのに、手段がわからないような、構想が率直すぎて、表現が安易である、安易であるのに、目的の手段・構想の表現として機能しない。機能してないから、突発的に不可解的に象徴表現が表面に出てしまう。構想を描くはずの表現が、構想の邪魔をしている、邪魔というか、単にわかりづらい。それに、一時間の物語を三話分割して、「ある」「ない」「もどる」と続き、それほど魅せる劇もなく、やはり構想は率直で、これはしっかりと放心させてほしい作品であるのに、曖昧さが隠せない、不足感が見え見えてしまう。残念な点です。「描くほどのことか?」という、けだるい派もわかります。
 しかしハッピーエンドを掲げずに、前向きな姿勢を描き、それを観客に体験させようとするのは、とても気に入っている構想です。自分に立ち返れない人が多い世の中でこそ機能する、世代的(なのか?)作品ではありますが。


*監督の実在推察。

 監督は作品について「バンドエイドみたいなものでいい」と言われていましたが、要するに「慰めとしての作品」、虚構による現実の欠乏感の補償、観客の自慰に使われていい、ということでしょう?うーん。それを映画監督が言ってしまっていいのだろうか。いやーまあそういう使われ方もあり?酒や鎮痛剤と同じ?
 なぜ、なんども同じようなテーマ、パターンがなされるのだろう。人に見せるよりも自分が見たいものが優先されるのか。一貫されるテーマと言われる「喪失」にしか、深い原体験を見出せなかったのか。しかも喪失というのは、とても世代的で、文学的だ。歴史的で、哲学的なのではない。だから一時代の流行に過ぎない。いや、もしや、私の評価基準が高すぎるのかも知れない。
 最新作「君の名は」の予告を見て思いましたが、「またか」という感じで、表現が変わらないので、「飽き」「けだるさ」を感じてしまいました。見て見ないとわかりませんが、過去作品の前提を以てしても未だうきうきしているのは、性的退行世代の願望を抱えた人なのでは。ここまで批判する権限は私にあるのか?ごめんなさい。
 表現が狭い、狭く、深めていく。深めるので普遍性には構想が触れる。でも、やはり狭いことに変わりはないのです。それが、新海監督が「世代的」であるという理由です。このままでは、ただの流行に過ぎません。
 綺麗な壁画、それは監督の作品が二次元的であることの表れではないでしょうか。そういう意味で、小説の方が読みやすかった。いつか、三次元の奥ゆかしい広々とした作品を期待します。ああ、またこんな終わり方に…。そんなことをつぶやく私は確信犯か?失礼しました。失礼しましたと言いながらデリートしないのだから、確信犯確定だ。許してくれるな。眠いぞちくしょう。2016/05/07

2013/10/3「結局、誰とでも一生同じ場所で生きることは叶わないのだ。人は、こうやって喪失に慣れなくてはいけないのである。」二度目の投稿。→称揚派の時。サンキュー23。
2016/05/07「壁画と空白」改正。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 33
ネタバレ

Ballantine さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

究極の未練(全部書換

一回目見た時がかなり前でうろ覚えでしかなかったので修正。
それとあれ?こんなアニメだっけ?とまさかこんなに感覚が変わるとは思わなかった…
いや寧ろ前の評価で合っていたのかもしれないようなうーん。


まさにこのアニメにぴったりな言葉は究極の未練。
1話2話3話と年月が飛んでいる分あれこれ妄想の余地がある分ずるい。
色々な解釈が取れるのではなかろうか?


※見る人によっては恐らく嫌なアニメになりかねないと思われます。ネガティブ思考で恋多き人は見ない方がいいかも?
逆じポジティブで恋多き人にはお勧めかも?うーん人に勧めるには実に難しい。

っがわかった!気付いた!これを見て欲しい人はあれだ。
別れたばかりの恋人。別れたばかりの夫婦。別れてから、失っからこそ初めてわかる大切さ。ここですよここ!そういう事ですね。こういう人たちへ是非ともお勧めしたいです。
過去は取り戻せないんですよ!今しかない頑張れ!
幸せな未来を手に入れる為に今だけ我慢すればいいんだそうだがんばってくれーって事で後は皆様にお任せします。


感想
{netabare}今と昔どっちが良いのだろう?(駄文感想
なんかもやもやしてた思いがあるのは今の社会とこういう携帯もネットも無い時代。
果たしてどちらがイイ時代なのだろうか?
昔のこういう時代では手紙という手段か家電位でしか連絡が取り合えなかったであろう。
俺の世代はこのぎりぎりの境目位だったかな。大体物語位とそんな変わらなかったような気がする。
小さい頃は手紙程度だったがいつ頃だったか携帯やPHSが普及し始めていたっけ。
こうやって離れ離れになってしまった関係を維持するには今の時代のほうがいいのだろう。
しかしこれ裏を返せば浮気し放題でもあるんだよね。
相手側の情報が全然わからないしいつ何処にいるかもわからない。
連絡取ろうにも取りようがない。

が、現代の社会だとそうもいかないわけで。
いつだって連絡の取れるものがあるのだから。
何かやましいことが無ければいつだって連絡が取れるしってもまぁ仕事中じゃあれだけど。
何処だって出会える時代でもある。
離れていても心はつながっていることは昔よりは簡単だ。
電車が止まっても連絡が取れるし、心のすれ違いも昔よりは和らぐだろう。
しかしそこには罠があり、昔はなかなか会えなかったり連絡が取れない分長々と綴って考えて考えての日々の出来事や思いを深く書いて伝え合える。まぁ文章力の問題もあるが…
今は簡単にいつでもメールが出来ていつでも話せる事が出来てしまう分内容は薄っぺらくなっていく。
「おはよう」「おはよ」
「今何してんの?」「カラオケ」
「私のこと好き?」「好き」
「じゃ誰と行ってるの?」「友達ー」
「男?女?」「どっちでもいいだろー」
「私のこと嫌いなの?」「なんでそうなるんだよ」
まぁ大体この辺から喧嘩だよね。
俺は携帯を初めて持った頃はこんな感じだった。
いつしか電話ばっかしか使わなくなったが。
メールだとなんかしらの思いが、伝わらないだのちょっとした事ですれ違いが起きてくる。
電話だってそうだ。いつだって話せるけどそれは相手の顔を見て話せない分信用度は落ち不安になりすれ違いや勘違いが発生する。
人間関係も薄っぺらくなってくる。


今の時代ではさらに出会いのツールが山のようにある。最近の流行りはLINEだったりするわけだけど。
ネットで言えばスカイプだのメッセンジャーだの出会いのツールは沢山ある。
SNSやブログ。ソーシャルゲームやオンラインゲーム。
出会い系ツールなんて要らない位に出会いの場は無限に広がっているのだ。
その分こっちはこっちで浮気もしやすいし出会いも増えている。
浮気の点ではそうそう変わらないのかもしれないな。
いやまだ連絡取れるだけましか?うーんでも幾らでも偽装は可能だけどまぁバレやすい時代ではあるか。
しかしこれだけ出会いが増えてしまうと今度結婚した時が怖い。
結婚相手が沢山の人といつでも何処でも繋がることが出来てしまうわけで。
結婚には不向きな時代かもしれない。いや彼女にしたっていい男が欲しいと幾らでも探し放題なわけで。
もうこうなってくると人間関係すら薄っぺらくなってくる。無縁社会?近所づきあいも無い?もうさぁ今の彼氏や彼女と駄目なら他の子と付き合えばいーじゃーんってのが当たり前でしょ?知らんけどw少なくとも俺らの時はそっちのが多数派だった。良い男見つける為にキープ君いたって悪く無いでしょ?みたいな。
これ程希薄な人間関係があっていいのだろうか?
友人関係より恋人関係の方が下になってないか?
本当にそれでいいのだろうか?軽い付き合いでいいのか?
俺はリスクを考えたら明らかにおかしい社会だと思う。
男が下に見られている社会なんじゃなかろうか…
処女だと恥ずかしいって思っちゃう時代なんでしょ?
付き合うのは結婚したいが為じゃなく良い男見つける為なんでしょ?
別に間違ってるとは言わないが信用出来ないな。
好きな男とやるんでしょ?結婚したい男とするわけじゃないんでしょ?
結婚相手にはならないよね。
料理も出来なければ火事炊事も出来ないんじゃどうにもならない。
果たしてこれで男に結婚するメリットがあるのが甚だ疑問だ。
そうじゃない女性へは申し訳ありません。別に女性を叩いているわけではないのであしからず。


うーん。どっちの方がメリットあるのかなぁ…
なんだかわからないけど昔の方がいいような気がしてくる不思議。
ただの懐古厨なのかもしれない。
結論…は出ないw駄目だこりゃw書いてみて頭のなかが整理できるかと思ったけど酔っぱらいは駄目でしたとさ。
そのうちまた考えてみようかな。そんな不毛な思考を。ずっと昔から悩むこの考えをいつかスッキリさせたいな。


絶対に未練が残るタイプと自分のことを推察していたので未練が残らないように絶対に別れた女との思い出は、全て写真から何から整理するタイプで意図的に思い出す事もしないようにしてた。
いつしか自動的に思い出すこともなくなり誰に過去の女の事を聞かれても話さなくなっていた。
昔は自慢ばっかしていたが…
そのせいで忘れっぽくてもう思い出そうとしても逆に思い出せなくなり、あぁなんかあったような位でしか思い出せない事ばっかだったりしていたが、映画や青春物見てるとふぅっと思い出す時がある。もう見ている物語なんかそっちのけであぁこんな事あったっけとか…
ってかこんなおっさんになってから近頃やたら思い出すようになってきたのは歳のせいだろうか?
寧ろ昔の傷が癒えたからこそ思い出すようになったのかもしれない。

ただ、恋をした事のある人ならば誰しもが経験した事のある思い。
昔付き合っていた人との離れていく思いや付き合っている時の感覚。
会わない遭えない人間程遠くなっていき気持ちが薄くなってしまうんだよね。
自然と気持ちが離れていってしまう。
個人的に1年連絡しない人間は携帯整理してたな。仕事とかは関係ないが。

そして気持ちが離れたり会えなくなってしまうと新しい環境で新しい出会いが始まってしまう。
人間とは視野の狭い生き物である事を痛感させられてしまう。
実に狭い。
自分の周りだけが生きている世界で、自分がいるという事の認識は周りの人間がいる事で自分がいると実感出来る。
常に自分と一緒にいてくれる人だけが自分という認識をさせてくれる。
「とうのくん、これ以上私に優しくしないで」
っと言った瞬間ミサイルは打ち上がった。これはまさに恋心の爆発を暗喩しているのではなかろうか?
そしてケリがついた瞬間だったのではなかろうか?
ってかここで2話と3話の間に何が合ったかわからないのがまた色々想像させる所でもある。
実にズルい。

かなえは寝とる気は無かったから、好きだったからこそ身を引いたのではなかろうか?

まぁ最後は本当に未練の塊みたいなもんだよね。
このアニメは人の分だけ色々な解釈が出来る面白いアニメでもあると思う。
あんな恋をしたっけ。こんな恋をしたっけ。
そう、あの時あの場所でこうしていたらきっと人生変わっていたのでは無かろうか?
今頃何が起きていたのだろう?そんな思いを思い出を巡らせれば巡らせるほど辛いことはない。
これ程自分が惨めになるアニメも無い。
いやいい思い出もきっとあるだろうが俺は基本ネガティブだしもう何思い出しても嫌な思い出ばっかしか出ない。
なんだろう映画のアルマゲドンの最後のような走馬灯のような感覚で涙がこみ上げてくる。
共感出来るような事がある人ほど、恋多き人ほど想像力の高い人程きっとこみ上げてくるものはあると思う。
しかし俺みたいに思い出を封印している人もいるだろう。そんな人には泣けないかもしれないが。
そして最後の思わせっぷりな踏切でのすれ違い。
実に切ない物語。

ここからの妄想の余地を残してる所も実にズルい。
例えば不倫関係になってしまう√。
はたまた結婚が破談になり踏切でまた出会ってしまった二人からの新しい始まり√。
踏切でお互いがやっぱりと走り寄ってからまた連絡先を交換してしまう未来。

しかしこの中で唯一許せるのはこのまますれ違う事だろう。
人の女や男を寝とるような行為だけは本当にしてほしくない。
なので終わり方としては最高なのではなかろうか?

見てよかったかと言うとハッキリ言って見なくて良かった。好きか嫌いかで言えば大嫌いだ。
何故なら思い出したくない過去ばかり思い出してしまったからである。
良い思い出も嫌な思い出も今となってはどっちでもそんなに変わらないが、本当に青春の頃の思い出なんて思い出して良い事なんて無い。未練だけが募るだけだ。そんな未練が募ってしまって元カノの家にでも押しかける奴が現れたらならその子を不幸にするような自体だって発生してしまうかもしれない。
あまりその点では評価されて欲しくない作品です。
え?結婚?してません。結婚しててもこういうのだけは絶対に見たくないし彼氏彼女がいても絶対見たくない。過去の人間思い出して未練が募ってしまったらどうすんだよ。辛いだけだろ。っと言いつつ涙がジワジワ出ちゃいました。
やっぱ見なきゃよかった…


未練が募ってもその過去の思い出をバネに成長しろ?いやいや人間誰しもそんなに強い人間ではないのですよ…
恋愛すればする程すっかり凹んで恋愛なんてする気なくなっちゃいましたよ。


タイトルの秒速5センチメートルは何を表すか?
別れるまでのスピードですよ。いやいや冗談です。
個人的な解釈としては秒速5センチメートルでさくらの花びらが落ちるスピードだけれども、人と人との距離感なんじゃないかな?お互いが丁度いい距離感とも置き換えられるのではなかろうか?監督の意図はどうあれ勝手にこう解釈しました。


しかしこれだけ人の心を揺さぶって感動させてくれるアニメも無いので評価は高めです。ってかベクトルが違う意味で実に素晴らしい作品である事は間違いないが、二度と見ないようにするためにも感想を記しておきたいと思う。{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 39

84.2 18 鬱アニメランキング18位
GUNSLINGER GIRL [ガンスリンガーガール](TVアニメ動画)

2003年秋アニメ
★★★★☆ 3.8 (1142)
7495人が棚に入れました
舞台は現代(もしくは近未来)のヨーロッパ。イタリアの公益法人「社会福祉公社」は、政府の汚い仕事を代わりに行っている。その中でも作戦2課では現在表向きは障害を抱えた子供達を引き取って福祉事業に従事させることで社会参加の機会を与える、という身障者支援事業を推進する組織という名目で、集めた子供達を「義体」と呼ばれる強力な身体能力を持つ肉体に改造し、薬物による洗脳を施した上で、政府の非合法活動に従事させていた。
また、この社会福祉公社と敵対する反政府活動組織は五共和国派(通称パダーニャ)は、北部同盟党首ウンベルト・ボッシが提唱する、北部8州と中部3州をイタリア共和国から分離独立させて「パダーニャ共和国連邦(Repubblica Federale de Padana)」を樹立する、という構想を実現する為に武力闘争を行っている。

声優・キャラクター
南里侑香、木内秀信、三橋加奈子、宮本充、仙台エリ、江原正士、小清水亜美、堀内賢雄、寺門仁美、井上倫宏、家中宏、中川里江、岩崎征実
ネタバレ

ピピン林檎 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

情熱の国イタリアを舞台としたドラマチック愛憎劇

♪たった一つの想い貫く/難しさの中で僕は/守り抜いてみせたいのさ/かけがえのないものの為に/果たしたい約束

・・・というKOKIAが歌う第2期のOPが物凄く印象的な本作。

あにこれでは第1期の方が評価が上ですが、個人的には第2期の方が更に見応えがあると思いました。
(1期と2期で制作会社も監督も変わってしまい、キャラデザも変更されたので視聴者が戸惑ってしまったのかも→見続ければ慣れますが)。

原作マンガは計15巻全100話で、そのうちアニメ化されたのは第1巻~第5巻の第29話まで(つまりまだ序盤の1/3だけ)なので、中盤以降もいつかアニメ化してほしい作品です。


◆視聴メモ

・イタリアの色々な観光地を作品舞台として取り込んでいる点はとくに高評価したい。
・第1期と第2期でキャラクターデザインが結構違う(個人的には浅香監督の第1期の方が好き)。
・第2期の第1話に言及のあるルイズ・アントワネット・ロール・ド・ベルニーは、フランス19世紀前半に活躍した文豪バルザックの憧れの夫人で、彼の代表作『谷間の百合』のヒロイン(モルソーフ夫人)のモデルとなった人物。
・第2期OP「たった1つの想い」は大変ドラマチックで印象的な名曲だけど、あの実写風の背景シーンはちょっとなあ・・・と思っていたら、さすがに第7話で映像を差し替えてきたね。よかった。よかった。
・とくに第2期に頻繁に言及のある言葉「パダーニャ」は「ポー平原」(北部イタリアを東西に貫流する大河ポー川の流域)という意味で、独立運動が盛んな北部イタリア地域の別称。
・フィレンツェ史の白眉であるサヴォナローラ焚刑のモチーフの回収がなかったのは残念。


◆シリーズ別評価

第1期(計13話) ★ 4.1
第2期(計13話) ★ 4.3
OVA (計2話) ★ 4.1
-----------------------------------------
総合 (全28話) ★ 4.2


◆制作情報 (第1期)
{netabare}
原作マンガ       相田裕(『月刊コミック電撃大王』2002年7月-2012年11月連載)
監督          浅香守生
助監督         川村賢一
シリーズ構成      武上純希
脚本          武上純希、植野慶子、筆安一幸、砂山蔵澄
キャラクターデザイン  相田裕(原案)、阿部恒
音楽          佐橋俊彦
制作          マッドハウス{/netabare}


◆各話タイトル&評価 (第1期)

★が多いほど個人的に高評価した回(最高で星3つ)
☆は並みの出来と感じた回
×は脚本に余り納得できなかった疑問回

========= GUNSLINGER GIRL (第1期) (2003年10月-2004年2月) =======
{netabare}
第1話 兄妹- fratello - ★ 社会福祉公社の少女たち、ヘンリエッタ(担当官ジョゼ)暴走
第2話 天体観測- orione - ☆ 条件付けと義体 ※使い回しシーンが多い点は×
第3話 少年- ragazzo - ★ ヘンリエッタの同僚リコ(担当官ジャン)の哀しい仕事
第4話 人形- bambola - ☆ 孤児トリエラ(担当官ヒルシャー)の放浪者マリオ拿捕任務・X'masプレゼント(ナポリ)
第5話 約束- promessa - ☆ 出撃のない少女クラエス、担当官ラバロの死
第6話 報酬- gelato - ★ 元「赤い旅団」系極左テロリスト・エンリコ逮捕(ローマ)
第7話 守護- protezione - ★ ミラノからの逃亡者確保・護送任務(フィレンツェ) ※挿入歌 「Woke From Dreaming」
第8話 御伽噺- Il Principe del regno della pasta - ☆ 義体の試験体アンジェリカ(担当官マルコー)と公社の事業拡大
第9話 彼岸花- Lycoris radiata Herb - ★ 孤独な少女エルザ(担当官ラウーロ)の県警本部長射殺任務(シエナ)
第10話 熱病- amare - ★ エルザ&担当官の不審死、シチリア休暇旅行
第11話 恋慕- febbre alta - ★ 続き、作戦一課の追跡調査、不審死の真相
第12話 共生- simbiosi - ★ クラエスの囮人質任務、テロリスト山岳アジト強襲、アンジェリカ負傷
第13話 流星- stella cadente - ★ 流星雨の降る夜、アンジェリカの眠り{/netabare} 
---------------------------------------------------------------
★★★(神回)0、★★(優秀回)0、★(良回)9、☆(並回)4、×(疑問回)0 ※個人評価 ★ 4.1

OP 「THE LIGHT BEFORE WE LAND」
ED 「DOPO IL SOGNO 〜夢のあとに〜」


◆制作情報 (第2期)
{netabare}
原作マンガ      相田裕(『月刊コミック電撃大王』2002年7月-2012年11月連載)
総監督        石踊宏
監督         真野玲
シリーズ構成     相田裕
シリーズ構成協力   浦畑達彦
脚本         相田裕、浦畑達彦
キャラクターデザイン 相田裕(原案)、杉光登、小関雅、川島勝
音楽         大谷幸
制作         アートランド{/netabare}


◆各話タイトル&評価 (第2期)

★が多いほど個人的に高評価した回(最高で星3つ)
☆は並みの出来と感じた回
×は脚本に余り納得できなかった疑問回


====== GUNSLINGER GIRL -IL TEATRINO- (第2期) (2008年3-9月) =====
{netabare}
第1話 二人の距離 兄妹 ★ 五共和国派テロリスト掃討任務(ローマ)、ジョゼの不用意な贈り物 ※設定説明回
第2話 ピノッキオ ☆ ミラノの五共和国派、少年暗殺者と爆弾テロリスト達(トスカーナ州モンタルチーノ)
第3話 シミュラクラ ★ トリエラ&ヒルシャーのモンタルチーノ敵アジト強襲
第4話 アンジェリカの復帰 ★ テロリスト拿捕任務(ミラノ)、メッシーナ大橋開発阻止計画
第5話 泡沫(うたかた)と追憶 ★ マルコーの元恋人パトリチアの災難
第6話 チベタンテリアの引退 ★ フランカのワイン園、メッシーナ大橋開発公団理事長警護任務、爆弾テロリスト(ニノ)の離脱
第7話 カテリーナ 復讐の円環 ★ フランカの過去・本名と行動動機、フランカ拿捕~救出
第8話 クラエスの一日 ☆ 最高の被検体、ベアトリーチェ登場(担当官レオナルド) ※挿入歌「スカボロー・フェア」
第9話 賢い蛇 純真な鳩 ★★ ジョゼの妹エンリカの思い出、武器横流しトラック強襲、オペラ座の悲劇『トスカ』上演・ガニエ大佐暗殺(ローマ)
第10話 善意の花 ★★ ヒルシャーとトリエラの過去、トリエラのマリア護衛任務(ナポリ)
第11話 芽生える感情 ★ ミラノ派のクリスティアーノ切捨て、メッシーナ実験橋爆破計画
第12話 戦う人形 ★ 続き(爆破失敗)、クリスティアーノの山荘強襲
第13話 そしてピノッキオは人間に ★★ 続き、似た者同士の死闘 ※ED「human」{/netabare}
---------------------------------------------------------------
★★★(神回)0、★★(優秀回)3、★(良回)8、☆(並回)2、×(疑問回)0 ※個人評価 ★ 4.3

OP 「たった1つの想い」
ED 「doll」


====== GUNSLINGER GIRL -IL TEATRINO- (OVA) (2008年11月) =====
{netabare}
OVA1 ヴェネツィアの光、心の闇 ★ 担当官ジャン&リコのヴェネツィア派掃討 
OVA2 ファンタズマ ★★ リコ&ヘンリエッタのジャン&ジョゼ旧家訪問(タオルミナ)、エンリカの亡霊{/netabare}
---------------------------------------------------------------
★★★(神回)0、★★(優秀回)1、★(良回)1、☆(並回)0、×(疑問回)0 ※個人評価 ★ 4.1

※制作スタッフやOP&EDはTVシリーズ(第2期)と同じ


◆総評

やっぱり本作の面白さの源は「イタリアを作品舞台に設定した」ことに尽きると思う。
これがもし日本が舞台の作品だったら、第1期の{netabare}社会福祉公社の少女たち{/netabare}や第2期の{netabare}ピノキオ少年{/netabare}の心の動き・葛藤に余りリアリティを感じなかったと思う(流石は「ロミオとジュリエット」の国である。)。
逆にいうと、日本風の世界が舞台の作品だと、今放送中の「結城友奈は勇者である」のように「国を守る」という心情と葛藤にリアリティが出てきて、そこが見どころになるのですが、そういう意味でこういう種類の違うドラマチックさを持った作品を見比べることが出来たのは幸いでした。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 26
ネタバレ

テロメア さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

機械としてか、少女としてか。

1〜11話視聴時の感想。
・・・・・・・・・・・・・・・
吐き気が止まらない。気持ちが悪い、下卑た嗜好が生み出した児童ポルノに等しい産物。
本作はどういう経緯で作られたのだろう。社会派の作品を、ということで作られたのかそれともただ単に「かわいらしい少女の悲劇」として作られたのだろうか。しかし


{netabare}ヘンリエッタの笑顔は、私にとって苦痛でしかなかった。{/netabare}


残り2話。嗚咽を堪えて見るとしよう。
(作品は違うけれどヘンゼルとグレーテルの時はこんな気持ちにならなかったのに。ロックはあの時このような気持ちになっていたのだろうか、いやきっとそうに違いない)

それでも、嗚呼。
やはり、もう見たくない。
・・・・・・・・・・・・・・・

と、このような感想を11話まで見てもったわけですが、最後まで見てみるとその嫌悪感が少し和らぎました。
単純に、少女の少女らしさに救われました。
少女の純真無垢な姿を見るとなんとも愛おしく思ってしまうのは大人の性ということでしょうか。(作中も何人かその"らしさ"に救われた大人がいましたね)
上っ面だけで簡単に揺らいでしまう、ダメな大人です。
(そして、結局1話からもう一度見直す始末。見たくないとか言ってたくせに。)
前置きはこれぐらいで。



⚫︎ストーリーやその感想。

さて、本作は人間機械論に近いものがテーマで、その対象があどけない「少女」というところに本作が良作、問題作たる所以がありそうです。

「擬体」の少女と大人の男が「フラテッロ」とよばれるコンビを組み、反政府組織に対抗するストーリー。
その大人の男たちの「少女には少女らしくあって欲しい」というエゴが、身勝手な考えが、鼻について仕方がありません。{netabare}ジョゼ、お前のことだ{/netabare}

また少女達になんら非はなく、ただ運が悪かっただけでこのような、疑問を持つことも許されない境遇に置かれてしまうのが非常に腹立たしいです。
担当官と少女とを愛で繋ぐのも外道すぎます。そんなことができる条件付けって一体。

また、条件付けの副作用による悲痛なシーンが、うまく描写されているのが、嫌なところ。
ヘンリエッタの{netabare}砂糖の件とか、金星の件とか{/netabare}。
もう見ていられない。

条件付けって怖いね。というセリフが作中でてきます。怖いですよね、何せ人格を破壊しているのですから。

当然このような非道を続けていると、それに異を唱えるものが現れます。そのエピソード視聴後ははなんとも言いようのない悲しい気持ちにさせられました。{netabare}交通事故で死ぬわけねぇだろうが・・・{/netabare}

そういった外道なストーリーとは裏腹に、ヘンリエッタを中心とした「擬体」の少女達はささやかな楽しみ、幸せな思い出を作っていきます。辛いこともあるけれど、それでも毎日生きている。

本作のキャッチコピーは
「少女に与えられたのは、大きな銃と小さな幸せ」
悲しみと喜び、絶望と希望がどちらもうまく描写出来ていたのではないでしょうか。



⚫︎それでは評価に移ります。

最終話でしっかりと幕を下ろしている所がとても好印象です。
1クールの作品の中でも、とてもうまく構成され、まとめられています。ストーリーの進度なども1.2話あたりで少し足踏みをした感じはありますが、全体通してみると、かなりいい出来だと感じます。



作画演出は1話の戦闘は素晴らしかったです。あの戦闘シーンである程度ヘンリエッタがどのような子かが伝わってきます。動きが気合入っていました。
opはどこか憂いをおびた作りで、訴えかけてくるものがあります。
音響は銃撃音が良く、BGMのセンスも良く特に不満がなく、満足でした。

キャラクターですが、
私はトリエラ、ヒルシャー組が1番好きです。不器用な親子みたいで。
トリエラいいお姉ちゃんしてますしね。
原作未読なので、この二人の行く末を是非読んでみたいとおもいます。



⚫︎最後に。
ストーリーは賛否両論ですが、視聴者の心象に深い傷、インパクトを残すという訴えかけてくる力はとても強い作品です。
そういう意味ではこれはなかなかの良作なのでしょう。

ですがキャラに萌えるとか、そういう感情はこの作品に限って持ってはいけないのではないか、とも思いました。あまりに背景が暗すぎる。


良作なのは確かです。
オススメ、したくないですけれど。




{netabare}

担当官の大人達はどうしても好きになれない。中途半端に罪を感じて、どこかで少女を愛そうとする。しかしそれはなんの救いにもなってはいない。しがらみは互いを破滅させるだけだ。

作中、ジャンだけはリコを道具として使うが、これは酷いようで筋が通っている。
それに対しジョゼとヒルシャーは言っていることとやっていることとが矛盾をはらんでいて全く共感できない。当然、少女は銃器ではない、だから苦悩する。
彼ら自身どうすれば良いのか答えを持ち合わせていないのだろう。またおかれた状況が答えを出させてはくれないのだろう。答えは明白で既知の二択。{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 11

ようす さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

少女達が背負ったのは、銃の重みと大切な人のために人を殺す運命。

2012年まで連載されていた漫画が原作のアニメ。

あにこれでレビューを読んで、
「面白そう」と興味を持った作品でした。

全13話です。


● ストーリー
舞台はイタリア。
障害者への様々な支援を行うという名目で政府が設立した「社会福祉公社」。

しかしその実態は、
暗殺等の政府の闇の仕事を遂行する特殊部隊であった。

障害を持った肉体を改造され、
「条件付け」と呼ばれる洗脳をされた少女たちは、

銃撃等の訓練を受け、
担当官と共に任務にあたる。

銃を握り、人を殺すことに何の感情も抱かず、
己の担当官のために引き金を引くことが生きがいだとして…。


もとは重度の障害や重体だったが、
半人造人間的な感じで生まれ変わったのがこの組織にいる少女たち。

身よりはなく、
元の記憶もほとんど残っていない。

条件付けによるものなのか、
自身の担当官(少女一人につき担当官が一人ついている)のことが第一、

彼らの命令に従ってテロリストを暗殺したり、
銃を手に取り危険をかえりみずに突撃したりしていきます。

1期では6人の少女が登場し、
全員のことが1話程度かけて深く描かれています。

境遇も違えば、担当官からの扱いも違う。

素顔はただの少女だけれど、
それぞれの今の生き方や考え方、担当官との関係に違いがあり、
微笑ましいこともあれば、切なくなることもありました。

見ていて後味の良い作品とはあまり言えなかったな…。

雰囲気は暗く、
難しいと感じる話も多かったです。

でもそれが他の作品では味わえない、
この作品ならではの魅力でもありました。

後味は良くないのに、続きは観たいと思う、不思議な魅力。

彼女達の感覚はどこか壊れていて、
人を殺しても何も感じない。

それがたとえ顔見知りだとしても、
担当官の障害となるのなら、一切のためらいも後悔もない。

彼女達の感情が曇るのは、
担当官からの愛情が感じられない時。

担当官の義体に対する考え方の違いや、
条件付けの違いによって感じ方も異なるのですが、

担当官に認められたい、愛されたいと、
一生懸命になりながら、しかし空ぶってしまう少女の姿は、
見ていて、いたたまれない気持ちになりました。

少女たちに肉親はなく、
いわば担当官が唯一の肉親のような存在。

なので愛情を求めることも、
期待に応えたいと思うことも、
当然の感情。

これって実の親子でも同じことがありますよね。
子は親からの愛を感じられないと不安で、
頑張っても空回りして、さらに嫌われてしまうという悪循環…。

一方で、愛情を受けて、
その形は様々でも、それを感じている少女は幸せそうに見えます。


● キャラクター
少女たちは可愛く、
担当官はかっこいいなと思いました。

リコとジャンのような、仕事上のパートナーだと割り切っているペアのほうが見ていて安心しましたが、

ヘンリエッタとジョゼのような、一人の少女として大切にしたり、
一人の男性として慕っている関係も悪くありませんでした。

アンジェリカとマルコーのような、
本当は互いを想っているのにうまく伝わらない関係ももどかしい…。
でもその分、伝わった時の感動はひとしおなのですが(´;ω;`)

担当官はみんなどこか接し方が不器用ですね。笑

まあ、普通の少女ではないし、
ましてや仕事で殺人をさせるわけだから、
普通に接するほうが難しいわけですが…。

私のお気に入りは、
ヘンリエッタの担当官のジャンさんでした。

優しく語り掛ける心地よさ。
ジャンさんのような兄がいたら、
そりゃもうべったりしちゃうよね…。笑


● 音楽
【 ED「DOPO IL SOGNO 〜夢のあとに〜」/ op.(オーパス) 】

やるせない話の後に、
雨の降る背景と共によく合うEDでした。


● まとめ
愛する担当官のために戦い、人を殺し、
その素顔はただの少女と変わらない。

最終話は不思議な終わり方でしたが、
全話見た後は、なんだか切なくなりました。

かわいそうとは違う。
だってみんな笑顔なんだもん。

殺すことにためらいはない。担当官のためだから。
彼女たちは幸せなのだろう。自分を必要としてくれる担当官がいるから。

でもどうしても、もし彼女達が歩むのが普通の人生だったら…
という想像もしてしまう。

全話を見て、彼女達のことが大体わかった今、
もう一度見直すと、より味わい深いものがありそうです。

そしてこの作品の魅力に、
より深く触れられそう。

2期は話の続きになるのかな?
引き続き楽しみたいと思います。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 23

69.1 19 鬱アニメランキング19位
TEXHNOLYZE テクノライズ(TVアニメ動画)

2003年春アニメ
★★★★☆ 3.8 (227)
1399人が棚に入れました
舞台は、絶望と暴力に支配され荒廃した都市・流9洲(ルクス)。老朽化したこの街は現在、外界からのネットワークから外されて孤立しており、街から他の都市へ行くことは困難だが、逆に行き場を失くした者達が流れ着く、吹き溜まりの場所と化していた。

ある日、この地に一人の男が外界から降りてきた。男の名は吉井。ある野望を遂行すべく降り立ったこの男を迎えるのは、生きる為に賭けボクシングで生計を立てる少年・櫟士、近い未来を見ることの出来る少女・蘭、街の声を聞くことの出来るオルガノの長・大西京呉、そして未来の義肢である「テクノライズ」の技術に魅せられクラースから降りてきた科学者・ドク。この男の来訪により、やがて流9洲は街全体を巻き込んだ事件へと発展していく。
ネタバレ

セレナーデ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

「生」に執着する人間の醜さと美しさ、それによる滅びの謳歌を描いた怪作

ここのレビューを見てちょっと前から気になってた作品。
「地味な攻殻」という漠然とした先入観を持って、ここ最近時間を見つけてチビチビ消化してた。
{netabare}


「少なくとも、ルクスの人間は生きている」
このセリフに涙が出た。

それまでの本編を観てた時は、局所的なことばかり考えてた。
マフィアと機械義肢などの世界観のシナジーの意義、科学と宗教の対立を体現させたような
オルガノと連合の相関など、それらに一貫したテーマやメッセージを見出せずにいた。

でもそれらは全て、包括された「生」というテーマの基に描かれていたと分かった途端、
この作品の奥深さに驚嘆した。マフィアとして街を統括するヤクザの連中も、
反テクノライズ主義を唱える連合の連中も、ルクスの人間を戦わせようとする吉井も、
テクノライズすることに人類の進化や希望を見出す連中も、
ルクスに描かれていた人間は皆、各々の形で「生」に対し足掻きや執着をしていた。
それらに一貫して「生」のテーマが描かれていたからこそ、
ラストの街の滅びのフィナーレが美しく、
「少なくとも、ルクスの人間は生きている」、この言葉が強烈に響く。
様々な理不尽なルクスの世界を体験してきたイチセが言うからこそ、重さが違う。

仏教の世界では、殺人者より自殺者の方が罪深いという話を聞いたことがある。
実際に人前で「殺人より自殺の方が罪が重い」なんていうと糾弾されるから絶対言えないんだけど、
殺人をする人は、まだ生きることへの主張があり、生への放棄がない。しかし自殺者と言うのは
一見潔く見えるけど、生への放棄は仏教的には一番重い罪なんだという。らしい

本作のメッセージ性を汲めた途端なぜかこんな話を思い出した。
このアニメは残虐さと生の謳歌で蔓延している。
そして生きることをある意味諦めているような地上の連中より、
体を機械にしてまで争い、騙し騙され生きているルクスの連中の方が、よっぽど人間なのだと啓発する。

これが本作の本来のメッセージ性、テーマ性じゃないかもしれないんだけど、
例え図らずとも描かれていたその生に対する哲学や美しさに涙しちゃいましたね。

{/netabare}

哲学的で、考察的。
生に執着する人間の醜さと美しさをサイバーパンクと絡めた貴重な作品。



しかしやっぱ序盤はたるい。
地味で暗いが話のテンポ自体はあるし、ちゃんと話が進んでいるのは分かる。
が、いささかプロローグが長いというか、何を描きたいのかが分かりにくく、
序盤でテーマを把握するのは不可能。リアリティに徹してるわけじゃないからツッコミどころもあるし、
なにより世界観の説明不足が致命的。終盤まで明瞭にされない。

でも、その世界観が明瞭にされたとき、その作りこみと発想の凄まじさに感動すら覚える。
序盤の伏線とすら言えない「?」な部分も終盤で次々と理解できていく(見終わった後に
ネット上の資料で補完もしたんだけど)。

もし本作を観ようとしてる御仁がいれば、序盤は群像劇として観ることをおすすめします。
主人公だけ追ってると悶絶します。
あと「大局観的なモチベーション」が必要。1話1話に面白さを求めると絶対挫折する。
「いかに視聴者を切らせないか」という作り方をしている昨今のアニメに慣れすぎてると
このアニメの視聴は厳しいかもしれない。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 15

Jacks さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

青年が行き着く真の場所は...

今まで観てきた中で異色のアニメですね。ストーリーと設定が精巧に作り込まれていて、硬派な作風に仕上がっています。
マッドハウスが制作したことに良い意味で驚きを禁じ得ません。かなりインパクトがありますよ。
と言っても伝わりづらいと思うので、早速本作について解説しましょう。

時は近未来。「テクノライズ」と呼ばれる義肢の技術によって、人類は進化の一途を辿ります。
しかし、それを用いて新たな革命を掲げるオルガノを始めとした暴力的な団体によって、都市は壊滅寸前です。
そこに現れたのが本作の主役である「櫟士(いちせ)」。彼はある一件により右腕と左足を失ってしまいます。
テクノライズによって辛うじて生を取り戻した櫟士は、街の崩壊を止めるべく動き出すのが基本的なあらすじ。
ストーリーが難解かつ複雑なので、少しでも間違いがあったらご容赦を。

まず第1話で敬遠する人が多いでしょう。台詞がほとんどありませんからね。主人公でさえも喋りません。
第2話から少しずつ各個人の設定が明らかになり、台詞も格段に増えます。なので1話は実質チュートリアルと言って差し控えないです。
僕はシリアスな作品が大好物なので1話から余裕で入り込めました。ですが、出だしから雰囲気が非常に暗いので、よほどの理由がない限り続きを観ようとは思わないでしょう。
ですが諦めないでください。2クールアニメは徐々に話を展開することが多く、本作もその一部です。
巷では第7話から本番と言われているので、それまで我慢できるか。そこが肝心ですね。

本作を語る上で欠かせないのがキャラの心理描写。櫟士は勿論、ヒロインである「蘭(らん)」や他のメインキャラも謎だらけで、彼らの内情を理解するのに手間がかかります。
説明も一切ないので、キャラ同士の会話にちゃんとついてこれないと置いてけぼりです。考察の余地を与えるべく、あえて不親切な構成にしているのでしょう。
わけがわからないよとか、意味不明だとかと捉われても仕方ありませんね。従来のアニメとは明らかに一線を画した内容です。
その代わりに理解が深まれば、一気に面白くなります。それだけ本作には不思議な魅力があるのです。
事実、蘭の正体が解れば解るほど、テクノライズをめぐる争いがいかに醜悪で無駄なことか証明してくれます。

映像の美しさも目を見張る範囲内ですね。ダークな雰囲気と非常にマッチしています。
キャラデザが個性的です。特に目の形と服装。髪型は好みの問題かな。
作品の性質上、流血シーンやバイオレンスが結構多めで、それらの類が苦手な方は注意が必要です。
基本的には会話中心で話が進むので、ある程度の覚悟はしておいた方が良いでしょう。
OPとEDの作画は曲も相まって非常に印象的で奥深いです。僕はOPで櫟士と蘭が目と目を合わせるシーンが好きですね。「I'll be your guardian angel...」。
声優陣は一流揃いで、作品に引き込ませてくれます。櫟士の中の人は有名ではないですが、演技は上手いですよ。

前述の通り話が難解なため、面白く感じるのは後半ぐらいからですね。

僕はテクノライズと似たテーマのアニメを幾つか観てきました。例に漏れず当たりです。
本作も出来は良いのですが、いわゆる隠れた名作に部類されますね。非常に面白い作品です。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 0

hottikiss3 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

なんていうアニメだ...

こんなアニメあり?って感じでした。

はじめに、今から見ようとする人へ

・とてもグロい。今まで見た中で一番グロかったかもってくらいグロいです。だからそこは要注意
・第一話、ほとんどセリフないです。何が起こってるかよくわからないと思います。主人公が誰か、くらいしかわからないのかも。そんで、最後まで見ても、話の内容がよく分からないと思います。
・最後は鬱っぽく終わるし、しかも何がどうなったのかよくわからないままの終わり方なので、余計鬱。
・いっき見しづらいアニメだと思う。最短でも4日はかかる。気持ち的に。
・かわいい女の子、イケメンキャラ、美しい画、なんかは全くない。目的が全然そこじゃないので、それ期待してる人は一話見るまでもなくまわれ右です。
・深くかんがえさせられる系です。話よくわからないけど考えさせられます。いろいろ。

物語は人間の終焉を描いたような作品
作画は、なんかリアリティー系で、私は好きです。主人公の瞳が私も大好きです。
声優...こんなにセリフ少ないアニメ前代未聞じゃないですか?
音楽、OPかっこいいです。歌じゃないけどかっこいい
キャラは、なんか悪役はとことん悪っぽく描かれてて話分かる系とかぶっ飛んでる系はいかにもそれらしく描かれてる気がします。それぞれ良いと思います。
大西さんが終始カッコよかった。このカッコいいの意味は話ちゃんと見た人しかわからないと思う。
そんでイチセは私はとても好きです。ああいうのが本来の人間なんだと思う。


そして。。。
セリフすっっっくなーー!!
びっくりする!!
あとイチセめっちゃ叫びますね。
オレンジの髪の女の子ランは神楽ちゃん(銀魂)に見えて仕方なかった。
ついでに言うと吉井は神楽のお父さんに見えた。ww

この物語は、世界の終焉を描いてると思った。
このまま科学技術進んでいって、平和ボケして
こんな感じで終わっていくのかな。と思った。
感じたことは、生きてるってどういうことだろう、という事
ただ椅子に座って仕事して
平和を害するもの、その危険性あるものすべてに蓋をして
自分は絶対安全なところにいる。ただ毎日生きてるだけ
っていうのは、生きてるって言うのかな?って。
それと、地下のルクスみたいな、人間争いまくって
権力争いとかして殺し合いしてる方が、生きてるって言えるのかも
争いはよくないっていうのが今の世の中で絶対的な思想だけど
それが続いて、永遠に続いて、それで本当に正常な思想だと言えるのか?
みたいな。
それと、私は義体についてはあんまり考えさせられなかった。
内容あんまし理解してないからなのかな。
ただ、自分の手足が今こんなに自由に動くのってすごいことなんだな、と思った。
今はあるからこれが普通だけどなくなったらそれはそれは苦しいんだろうなと思った。

見終わった後のこの現実との温度差がまた鬱感を大きくしてるのかも。
放心状態にさしてくれるアニメ。
評価もしづらい。縁がある人は見たらいいんじゃないかな。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 2

72.2 20 鬱アニメランキング20位
蒼穹のファフナー RIGHT OF LEFT(OVA)

2005年12月29日
★★★★☆ 4.0 (323)
1821人が棚に入れました
『蒼穹のファフナー』から一年前、人類軍とフェストゥムの両方から追われ、身を隠してきた竜宮島は、フェストゥムに探知される危機を迎えていた。未だ戦闘準備の整わない竜宮島は、ついに「L計画」という危機回避プランを実行に移す事を決定する。その計画とは、島の一部・アルヴィス左翼部L区画を切り離して囮とし,本島へのフェストゥムによる探知をかわすという作戦だった。将陵僚・生駒裕未ら8人の少年少女達は、対フェストゥム兵器ファフナー「ティターン・モデル」のパイロットとして、過酷な戦いに身を投じる事となる──…

Ka-ZZ(★) さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

「去り行く者達(LEFT)の権利(RIGHT) 」

この作品は、蒼穹のファフナーの前日談…一年前の物語です。
時間軸は本編より前ですが、馴染みのキャラも登場するので、本編を見てからこちらの作品を視聴した方が、物語に入り込みやすいと思います。
もし、本編を未視聴の場合は、そちらからの視聴をお勧めいたします。

本編視聴後の余韻がとても気持ちよく、この作品の世界観にもう少し浸っていたかったので、本編に引き続き本作品を視聴しました。

今回のレビューのタイトルは、「RIGHT OF LEFT」がとても意味深い意味であることを教えてくれたwikiを引用させて貰っています。

本編ではファフナーが整備され、竜宮島の持つ戦闘力がある程度高いレベルであるところから物語は始まります。
一年前と比べると、格段に戦闘力が増しているのを感じることができます…
でも、これって一年前の戦闘力はまだ発展途上であったことの裏返しですよね^^;

普段は身を隠しながら軍事力を増強する…そんなヨチヨチ歩きの竜宮島でしたが、ある日フェストゥムに探知される寸前まで追い込まれてしまいました。

竜宮島にはたくさんの一般住民と明日を担うパイロット養成コースに通うみんながいて…島そのものが島民にとっての希望だったのです。

そんな中、この危機を回避すべくL計画が立案~実行に移され…物語が動いていきます。

このL計画…希望を捨てないというみんなの意思が結集されて実行に結び付いたのだと思いますが…この計画の内容は身を切られような痛みを伴う切ないものでした^^;

L計画に使用できる軍備は必要最小限…
ファフナーの技術レベルは向上の余地を大きく残した状態のため、パイロットへの負担が半端ありません…
何よりパイロットの絶対数もほんの一握り…

この絶望的な状況にも関わらず、パイロットのみんなは希望に満ち溢れています…

でも…度重なる…幾度となく度重ねられた戦闘による疲弊…
ファフナー搭乗の副作用の厳しさに蝕まれるパイロットの苦痛…
状況が変わるのは当たり前です…
気持ちの全部が泣き言で埋め尽くされる…そんなときがあっても仕方ないと思えるくらい容赦ない計画だったのですが…
それでも、みんなは計画の完遂を目指して必死に歯を食いしばるんです…

それは計画完遂の先にある一人一人が胸に抱いている初めから決して変わることのない夢のため…

この冷血非道なL計画の行方はどうだったのか…
それはぜひ本作品でお楽しみ頂ければと思います…^^;

物語の終盤…パイロットにとって所期の夢を叶える千載一遇のチャンスが訪れます…
でも、それは同時に所期の希望を壊すリスクを抱えたものでもありました。

そこでパイロットたちが導き出した答えは…
きっと…いえ、私には絶対に出せない答えでした(/_;)
そしてパイロットの願いと待つものの祈り…物語の結末と合わせて本作を楽しんで頂けたら…と思います。

OVA1話の作品でしたが、引き込まれました^^;
引き続き劇場版を視聴したいと思います♪

投稿 : 2024/06/01
♥ : 30

ワドルディ隊員 さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

尊い犠牲

このアニメは、蒼穹のファフナー一期の前日談
として制作された作品である。
話の流れが、蒼穹のファフナーへ続くように構成されているが、
どちらを先に見るかこだわらなくても特に問題はないだろう。
まあ、時系列を重視したいか、放送順で行きたいかによるので
そこは好みの問題だと思われる。

内容を一行で言い表すと、フェストゥムの探知から逃れるため
の企画、「L計画」という危機回避プランに身を投じた8人の
少年少女たちがパイロットとして最後まで戦った歴史である。

見終わった感想としては、想像以上にクオリティの高い作品であった。
実は、私自身一期からRIGHT OF LEFTという流れで視聴したのだが
序盤はそこまで乗り気ではなかった。中盤に入ったあたりから
徐々に面白みが増していったという印象が強かったので、少し不安
な気持ちで挑んだがそれは杞憂だったようだ。

焦点を当てる主要人物を少なくし、感情移入がしやすい
作りになっている。基本的には、将陵僚と生駒祐未の二人に
徹底的にスポットが当てられている。
彼らの関係性や、ファフナーに乗る動機等を見て自然と
応援したくなる自分がいた。
今作において、一期で活躍するキャラクターも数人いるのだが
必要以上に話に割り込んでこないので過度なストレスを
感じることはなかった。

一期では、結構な数の登場人物に焦点が当てられているのだが
一部のキャラに関しては登場シーンが少ない上、あからさまにフラグが
立っていたことも相まって感情移入がしにくいと感じてしまったのだ。
今作では、そこに気を使ったのだろう。非常に魅力的なキャラクターを
生み出すことに成功している。

また、前日談という設定を上手く活かしている。
この時は敵フェストゥムに関する情報が少ない上、ファフナーに
至ってはほぼ試作段階の状態。それ故に同化と呼ばれる現象が
パイロットたちに恐怖を植え付けてくるのだ。
しかも、一期の時よりも進行速度が速い上に結晶化するという有様。

それを見て全く動じないパイロットは相当強靭な精神力
を持っていると推察される。
私が、実際にその光景を目にしたら泣き叫ぶような気がする。
そこまでの精神力は持ち合わせていないからね。

鬱要素も、一期よりは確実に高い故に慣れていないと
引きずりやすい様に感じる。只、希望も含まれる形で
終わるので、絶対に耐えられないという訳でもない。
まあ、それなりに場数を踏んでいることが前提だが。

蒼穹のファフナーの一期がそこまで好きではない方にも、
この作品には是非とも挑戦していただきたいと感じる。
個人的には間違いなく良作だと思う。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 18

大和撫子 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

誰かが生き延びるために誰かが犠牲になった

泣けてしまいました。
本編の内容が難解だっただけに、この作品を視聴するのは後回してましたが、この作品は本編見たら絶対に見るべき内容ですね!

◆この作品の概要は・・・
本編の話より1年前の話。
本島を未知の生命体から守る為、L計画を実行。
その計画とは本島の一部の地域を切り離し、その地域を本島に見せかけてオトリにし、未知の生命体から本島への目を反らすという作戦。
作戦期間は2ヶ月間、オトリとした地域に配属される実行部隊は40名、その中の8人の少年少女がファフナーに乗って未知の生命体と戦います。
はたして彼らの運命は?

◆この作品の見どころは・・・
本編からもわかるようにこの作品にあるのは絶望や悲壮感。
でもその中で彼らは必死に生き延びようとします。
この作品にロボットに乗っての戦闘シーンはほんのわずかしかありません。
その分、登場キャラ達が次第に追いこまれていく絶望感から希望を見出そうとする心理描写が良く描かれていて感動しました。

◆本編で登場する少年少女達は・・・
もちろん多数登場いたします。
チョイ役で登場するのがほとんどで、一部キャラを除いてはこの時点では何が起こっているかも知らずに、本島で平和に日常を過ごしています。
そして皆城総士のラストのセリフ・・・心に重く響きましたよ。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 15

64.9 21 鬱アニメランキング21位
惡の華(TVアニメ動画)

2013年春アニメ
★★★★☆ 3.2 (1144)
4503人が棚に入れました
中学編 クラスの美少女・佐伯奈々子に密かに想いを寄せる春日高男。ある日の放課後、出来心により彼女の体操着を盗んでしまうが、その様子は嫌われ者の女子・仲村佐和に目撃されていた。窮地に陥り、仲村からの無茶な要求に翻弄される中、意外なきっかけから佐伯とつきあうことになり、春日は恋心と背徳の自己矛盾に苛まれる。そんな彼に呼応するかの如く、佐伯も内に秘めた意思を徐々に示すようになるが・・・。
現実社会の閉塞感に自己認識を見出せず、遣る瀬無い自我を抱える3人の中学生のアイデンティティは互いに交錯し、儚い逸脱へと向かっていく。
高校編 中学校編から3年後、春日高男は中学時代を過ごした群馬県から引っ越し、埼玉県で高校生活を送っていた。ある騒動以降仲村と離れ離れになりながらも春日は仲村への思いを捨て切れず、そして抜け殻のように毎日を過ごしていた。そんな春日はあるきっかけから男子の憧れの的である常磐と交流を深め、常磐の中に仲村の影を感じていく。

声優・キャラクター
植田慎一郎、伊瀬茉莉也、日笠陽子、松崎克俊、浜添伸也、上村彩子、原紗友里

らしたー さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

好きの反対は嫌いじゃなくて無関心

*視聴完了(7/1更新)

仲村役の伊瀬茉莉也の演技力に支えられてた部分が大きかったなあ。
ますます売れっ子になるんじゃないかしら。(声優点を上方修正)

どなたかが、これこそ「中二病でも恋がしたい! 」である、とおっしゃっていたが
またうまいこと言うなと。たしかにそうだよね。

--更新ここまで--


なんていうか、ここまで「アリかナシか」で盛り上がるのも久しい気がする。もはや共和党か民主党かってなもんで、『惡の華』を話題にするときは阪神ファンしかいない飲み屋に入って原の采配やら江川のストレートについて語るくらいの心構えちゅーか、場合によっちゃ友人ひとりなくすくらいの覚悟が必要に思う、ってのは言い過ぎとしてもですよ、たとえば作画の評点だけをざっくり眺めても明らかにクオリティではなく「好き嫌い」が支配しているのは興味深いよね。

そのことをもってあにこれというサイトについてどうこう思うことはまったくもってナイのだけれど、問題作とはかくあるべし、てのを久々に目の当たりにした一種独特の高揚感とでもいうか、「好きの反対は嫌いじゃなくて無関心」という格言の示すところをまざまざと体現してくれたよなあと個人的に妙な感動を覚えてしまうのです。

まあ、たしかに尖り具合が尋常じゃない。

リアルタイムでアニメを観ながらニコニコ実況の様子を眺めると実に面白くて、CM中に原作コミックスの宣伝が流れるやコメント画面が「この絵で」弾幕で埋め尽くされるのである。そんな様子をみて、それはそれで商業的に正解かもなあと思いつつも、この人たち文句たれつつちゃんと観てるんだよな…と感心したりもするわけで。

原作者の押見修造と長濱監督の対談で、「とにかく消費者に刺さるものを作りたい」という文脈があったと記憶していますが、その点では間違いなく成功してると思う。てかあんだけ尖ってたら刺さることは刺さるよな、誰にでも、うん。


作品内容にまったく触れていないけどいいよね、これ。惡の華、アリですよ。

原作は原作で好きなんですが、アニメの気色悪さは正直クセになる。好きか嫌いかという軸ではなくて、無視できない、てのが感想として真っ先にきた。いきなり違う土俵で試合が始まっていて、ちょ待って!ってのが言ってみればつかみ。そこで展開されるのは、とてつもなくリアルな舞台で行われる、すごくアンリアルな青春ストーリ。

仲村みたいなのは、やたら権力のある生徒会とか美人ツンデレ風紀委員とかとアイテム的には同列で、リアリティのある舞台に放り込まれたアンリアル側の刺客ですよ。性質としてあの手のアタシ世界を内側に抱えちゃう人間はたしかにいるんだけれど、それを全開で他者に、それも異性に接続してくるってのはなかなかない。突き抜けた個性が根暗少年とクラスのマドンナを巻き込んでグロテスクな三角関係を構成するという点まで含めて極めてアンリアル。だから面白いんだけども。

てのはいいとして、このハードパンチャー仲村のエキセントリックな言動をぜんぶノーガードで受け止めてしまう春日も春日でね、まあ春日がそうであるがゆえに物語が成立してるわけでもあるのですが、もうフルボッコで見るに忍びない、でも無視できない。見ちゃう。笑っちゃう。

春日のボードレールへの傾倒も静かに気に入ってて、この街でボードレール読んでる人が何人いるのだろう?みたいなあのこじらせ方はちょっとグサリとくる、てか手足バタバタもんで、自分も中3くらいのときに夢野久作にハマってて、隣でジャンプ読んでる同級生を内心見下してたりもして。

すごい昔に観たNHK教育の番組で、周囲にうまく馴染めない中学生の少女が「周りはみんなラルクとか聴いてるけどワタシはアジカンしか聴かないから」などと、むしろ誇らしげにインタビューに答える場面があって、昔の自分を見ているようで恥ずかしくも微笑ましい気持ちになったことがあった。

ほんとにある種の思春期の子供って、大人から見ればどうでもいいようなことを媒介に自己の優位性・特別性を見出そうとするのですよ。アジカンとボードレールではその水準においてだいぶ開きがあるとは思うけれど、本質的には変わらない。

自分にとっても(おそろしいことに)完全な過去形じゃなく、そもそもこんなアニメ見て何かしら語りたがっちゃうとこなんか、まさにそーいう、春日にとってのボードレール的なものの残滓みたいなものがまだこびりついてるんだろーな、とか、そんな現在進行形の自己言及もあったり。

こういうね、あんまり触れられたくない部分を自覚的に鷲掴みにしてくる押見修造みたいな才能は大事にすべきだと思いますです、はい。描ける人は描けるし描けない人には一生かかっても描けないと思うのです。


●「楽しめる範囲での生々しさ」に対するカウンター

ちと外野的視点でうがった見方をすると、この作品って、最近の青春コンテンツ全般に対する強力なカウンターという気がしなくもない。甘酸っぱい思い出の想起、あるいは「こうであったら良かったのに」という遡及的な代償行為としての青春が小説やアニメのフォーマットとして大量に消費されている潮流にあって、「いやいや思春期ってそれはそれで大変だったじゃん?」という、考えてみれば割と素直に頷ける真実を鋭く突きつけてくるカウンター。

大人が青春時代に戻りたいと願うのは、懐かしさと同時に今だったらこうやり直すのに…的な後悔の念がそうさせる場合がほとんどで、であるがゆえに青春てのが魅惑的なノスタルジーのキーワードたり得るわけでもあるのですが、同じくらいのエネルギーでもって子供は大人に憧れてたりするわけで。はやく社会に出たい、子供は子供で大変だよ、と。

そういうカウンターってたぶん未来永劫有り続けるわけだのに、都合のよい青春イメージだけを生産し消費し続けるのはどうなのかしらっていう。そんな観点からも、いいパンチもらったなあ、てのが印象としてはあったりします。

部分社会の息苦しさだとか、そこからの逃げ道のなさだとか、将来への不安だとか、油断すると押しつぶされそうな何かしらが思春期の子供の周りにはけっこううようよしていて、逆に言えば、それらを避けて「楽しめる範囲の生々しさ」にフォーカスしているのが最近の学園日常系とか、そのあたりなんじゃないかと思う。そら楽しいし、安心できるわな、、なんて逆説的な見地から日常系の需要を再確認してみたりも。



以下、レビューとは関係ない話です。

結局自分の視聴スタイルって、「表現したいことは何で」「それに対してブレがなかったか」しか最終的には見ないです。

表現したいことってのはテーマがあるならそのテーマ、あるいはこういう雰囲気のアニメを目指す、とかでも全然いいし。それに対する個人的な好き嫌いや主義の食い違いは必ず出てくるのですが、それについての感想は、レビューにはなるべく残したいけれども評価には影響しません。ましてやテーマの高尚さだとか社会的倫理性なんかはほんとどーでもいい。イカ娘なんてテーマもへったくれもないアニメですが、あれ、表現したい雰囲気を出すための手法にブレがないでしょう。だから好き。

でもって、目的に向かって「ブレがないか」てのは、有り体に言えば技術です。一義的にはディレクションの成否に集約され、それを支えるところの脚本・演出、さらにそれを最大効果化するための美術・音響てとこまで落とし込まれていくわけですが、とにかく然るべきプロの技術がきちんと表現したい何かに向かって発揮されているか、ということです。

アニメ『惡の華』は胸をえぐるような生々しい思春期を描きたいわけでしょう。観る者を不快にするほどに。それを表現するためにロストスコープという技法が最適とジャッジした。結果、実に気持ち悪く生々しい世界を作り上げた。その一連のクリエイティビティの発揮には素直に拍手を送りたいわけです。もうね、女子クラスメートの木下の造形とか生々しすぎて軽く吐き気を催すくらい。

本作が成功なのか失敗なのかは割とどーでもいいと思ってて、ただひとつ願うとすれば、これを観たアニメクリエイターには歯ぎしりして悔しがってほしいってこと。少しくらいは「やられた」と思ってほしい。もちろんロストスコープという技法の話じゃなくて、表現したいことに向かって突き詰めて物を考える姿勢の話、ですが。

ただそれだけのことで、我々が駄作をつかまされる確率はずいぶんと下がるんじゃないかしら、と思ったりもするわけです。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 28
ネタバレ

るぅるぅ さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

切欠づくり。

今季ボロ糞に叩かれている作品。
ある意味、花が咲きましたw

それだけ良し悪しに関わらず注目度はあったことは確かです。
ロトスコープによる実写トレースで描かれるキャラが気持ち悪い。 リアリティありすぎてお世辞にも可愛いとは言えないが手間暇かかる製作らしい。また、観る者に「傷跡を残す」コンセプトとのこと。

最初から狙ってやっていることで原作ファン・アニメのみの視聴者を振るいにかけ監督や原作者のニヤ顔が思い浮かんだりしましたがw それもボードレールの悪の華や自身の原作コミックとのギャップを狙った切欠が目的になればとコミックナタリーのインタビュー記事でも言及されていました。

確かに観終わった感想として、キャラデザの気持ち悪さ・ストーリー上における行動原理による気持ち悪さ・不協和音なBGMと拘った創りで徹底ぶりは一貫していた。

スローテンポなストーリー展開と演出によって作品の異質は増してゆく。序盤3話辺りから慣れが生まれてくると同時に物語も加速しどう転び落ちるのか先が気になって仕方なかった。

内容に至っては、ボードレルに心酔する中学2年生の主人公の成長譚を描いている。思春期特有の苦悩・葛藤といった周りとは違う何か特別な存在・自己の確立を内包し言葉にできない閉塞的な世界観から見せている。

変態と呼ばれる切欠も好きな人を知りたいという誰もが抱く気持ちが誇張されただけで、根は普通だけど誰が観ても変態になるんだよね。弁護するとタイミングが悪かったw
その行為もあって春日の悲壮感と思春期特有の持ち合わせる考え方が混在するところが見所であると想う。

変態行為により仲村に翻弄され、佐伯さんと関わり複雑な心境に陥ってゆく。7話まで佐伯さんと仲村の心情描写の意図がわからず困惑し春日の痛々しい姿で笑っていたが、2人の思春期特有の考え方に疑問に感じる部分も中学生頃を振り返ると色々と思い当たる節もあって感慨深い作品だった。

部分的なシーンで説明すると、{netabare}佐伯さんが変態と分かっても春日を受け入れ付き合う理由。中学生ぐらいだと無条件で好きと言われると自分を受け入れてくれる人を安易に許してしまう心境の表れで確かに当時なら私もそうだったと、つい納得してしまった。 
仲村は、不気味だけど本質的に春日と同じで仲間を見つけた喜び、コイツと一緒なら変われるかもと一目惚れとも解釈できる。春日が変態でもないと自覚し本当の天使は仲村だったと気づく展開も見応えあった。{/netabare}

3人の考え方それこそ不安定な気持ちの揺れ幅とアンリアルさが物語の深みになっていた。

結構楽しんで観ていましたが、最終話の構成の解釈が難しいですね。手抜きとも言えるし2期への期待をほのめかす結末だが、手間暇かかる演出している製作サイドがあえて狙った締めではないかと想う。
その方が何かしっくり来る。他の人のレビューでストーリー展開として中学生編の途中らしいと書いていたことを考慮すると詰め込んで駆け足な展開では凡作になるだけで、あのシーンが節目として最適だったように感じる。

お勧めする気はないけど、観る者に演出・原作へ促す目的には賛否両論あるが成功している。



以下 視聴時レビュー 

1話{netabare}
視聴した方ならわかると思いますが外、街中に居る時は
聴覚を促すような耳鳴りのような、ざわつき不安を掻き立てる音
ゆっくり流れピアノの音が不思議なリアリティが心地良いですね。
何かの前触れなのか、と観ている側をゆさぶる雰囲気が好印象。
あらすじを読むと1話では大した進展ありませんが、日常の中の非日常的な作品になるのかな 
と主人公・春日高男の心の表れが悪の花なのかな と想像したり、ストーリーが気になります!
どこにでも居る男子高校生で読書が好きな春日高男が
佐伯 奈々子に1年前から片思いをしていた。
仲村という女子の暗い雰囲気と凄みあるキャラが、どう動いてゆくのかわからない流れですね。

ただ、この作品は背景がとても現実的な絵が素敵ですね。
同時にキャラも現実的な為、可愛げはないですw
そこでまず一線ひかれるかな と制作側ZEXCSは、視聴者に振るいをかけられることを承知で作った意気込みは良いですね。

またOPが斬新なことに登場キャラ一人もでてこない、強いて言うなら花の芽のイラストだけである、主題歌が少しPOPが強いサウンドで作風とミスマッチかな と想ったが、これがいづれ良かったと思えるのかな と考えたりしますね。

EDはインパクトありますね、あの声が毎週流れるのかと考えるとHappy EDなど始めるからなく、救われない気持ちになる;
来週も楽しみな1本です。{/netabare}

2話{netabare}
随所で観られる、春日の葛藤において揺れる心がリアリティあって、不協和音とゆっくり見せる絵がマッチしていますね。
もう後戻り出来なくなる日がこれから始まり、仲村との契約。
キューベイかよ と言いたくなりましたw
後は、山田、彼の台詞の言い回しはグサッときますね。
何より春日の動揺・挙動の動きは細かく描かれていて申し分なしです。
この平坦なキャラデザインが無常に観えるから仲村の顔が、また憎らしくて本当に素敵だね。
陰鬱な展開がおもしろ過ぎる・・・どうやって堕ちてゆくのか見物ですね・・・クソムシがw{/netabare}

3話{netabare}
罪の意識から逃げたい行動から体操着を捨てる描写は、人の視線、日常の些細なことが彼を疑心暗鬼へ陥れる心情と悲壮感。1・2話と観てゆくと確実にテンポが早くやや余韻に欠ける気持ちになる、演出は良いが観る側の耐性がついてきたのだろう。
仲村の行動がまた狂う波乱の展開が見物。「この世界全部、私のモヤモヤの中でクソムシになればいいと想う。」、春日の理性に抑制が効かなくなると仲村と同類を漂わせる雰囲気。
そして仲村の給食費容疑を否定する春日の内心は保身からの行動が仇となる。同時に華が咲いたよBGMが流れ相乗効果となる自らドツボにはまる春日から目が離せない。{/netabare}

4話{netabare}
佐伯さんの優しい一言に有頂天な彼の罪悪感も薄れたのもつかの間、仲村のクズ罵声連呼の変態思想に染まられる。 救いがない春日は真性の変態になるだろうが、今後どういう要素を彼に課すのかわからない。 一方的に仲村の言いなりとなり染められるだけでは大きな波がないですね。来週は、恥辱の体操服デートから佐伯に軽蔑されるのか、もしくは仲村に抗う展開が少しはあるのか楽しみです。 {/netabare}

5話{netabare}
まさかのデートから告白して成功! 春日の前にまさに天使が舞い降りた~と浮かれたのも一瞬、奈落へ落とす仲村が頭に水をかけるw もう、ドッキリのオチですねw
このシリアス一色アニメで笑えるとは想わなかったですね。そしてこの水をかけるシーンはスロモも使われカメラアングルも細かく見せ描写に力が入ったが、もう仲村の行動はネタにしか思えないから残念w
春日のアタフタする行動・言動は仲村を逆撫でするだけとそろそろ察しないと、佐伯さんとの関係も仲村に遊び道具とされるだけだね。仲村によって真性の変態に侵されてゆく光明ない日々との葛藤が悪の華の持ち味なのか疑問に感じる。原作のボードレール悪の華を読まないと作品の本質が楽しめないのかもしれない。{/netabare}

6話{netabare}
佐伯さんは、お嬢様育ちにしては積極的な性格もあるがクラスに交際をばらし仲村と友達になり、全て仲村の思惑通りに事が運ぶ。友達として最後まで応援(邪魔)するよ と言葉の裏しかないねw 春日は、仲村と佐伯さんの接触を警戒し神経が磨り減ってゆく日々に耐えれるのかと想った矢先に、仲村と春日が二人で居合わす場面を観た彼女は木下に泣き事を伝え翌日休む。彼女の心情として嫉妬を含んだ騙された想いを持つのだろう。次回、展開に大きな動きがありそうで楽しみ。{/netabare}

7話{netabare}
人が内包的にある感情に揺さぶりをかける鬱屈に抗い弾ける衝動として非日常への展開はやりすぎているように感じるが・・・気持ち悪さより翻弄させられているバカな姿が笑える。 自己の確立といった大衆とは違う何か特別な存在意義などを求める思春期特有の気持ちが一線の引け目となる部分を押し出したものとなっている。結局、仲村も春日と本質的には一緒とわかるが、仲村は春日を利用しているだけで不気味な生徒ぐらいにしか感じられないな。{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 57
ネタバレ

ostrich さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

必要になったら、勝手に観なよ。

本作の監督である長濱博史の監督デビュー作「蟲師」は、私にとってテレビアニメ作品のマスターピースであり、本作も監督名からたどり着いた。

彼はどちらかと言えば、職人的な監督だと思ってたので、原作の内容といい、ロトスコープといい、これほど挑戦的なことをするのは意外だったが、嬉しい誤算でもあった。
私は作家性のある監督のほうが好きだ。視聴者の顔色を窺うようなことはビジネスマンがやればいいのであって、そんなことに拘泥するクリエイターはクソムシだ。そんな輩はクソムシの海に沈めばいい。

いや、うそです。ごめんなさい。言ってみたかっただけです。すいません。

ただ、この原作ならば、やっぱり、挑戦的な姿勢は必要だったと思う。すべての作品が視聴者の顔色を窺ったようなものになるならば、アニメ業界全体がクソムシの海と化すだろう。
クソムシの海の中で、退屈し、苛立ちを抱え、「つまらない」と叫び続けている原作に対し、本作のアプローチは絶対に正しいと私は思う。絵柄を似せれば原作に忠実になるわけではない。

■ロトスコープ、および、作画

ロトスコープを用いたことで、思春期男子の重心の不安定さや、思春期女子の尻の重たい感じが表現された。ここが、個人的にはとてもよかった。
建物のシミまで描きこむ背景とあいまって、私は私の思春期を、さらに、段ボールに入れて、ガムテープでぐるぐるにまいて仕舞いこまれた体操服のような、当時の性衝動までもを思い出した。
まあ、思い出したいものばかりでもなかったのだが、こればっかりは仕方がない。「ドロドロをバーンと」解き放つ作品なのだ。このトリガーのおかげで(せいで)、仲村に詰め寄られる春日のように、作品から目が離せなくなる。

「実写でもいいじゃないか」という意見も当然あるだろう。
では、実写で上記のようなものを表現している作品がいくつあるだろうか?
実写だって、普通は役者に美男美女を使う。そうでない登場人物が出るときは、さらに記号化された特徴の役者を使う。もちろん実写でも表現可能なのだけど、実写なら必然的に表現できるというものでもないのだ。
少なくとも、私にここまで生々しい思春期の感触を思い起こさせた実写作品は寡聞にしてない。おそらく、本作の作り手の意思と技法による異化効果が、私の内なる体操服を段ボールから解き放ったのだ。

※もちろん、そのすべてがロコスコープを用いたことによる効果だと言うつもりもない。おそらく、原作者と監督と私が世代的に比較的近いことによる面も大いにある。
ただ、本作の風景は、ほんの20年程前にも関わらず、現代日本からあらかた失われていて、それをまざまざと蘇らせたり、作品に定着させたりすることができるのも、アニメーションの特色である。この方向性は、宮崎駿や高畑勲、最近なら「この世界の片隅に」の片渕須直監督に通じるものがある。まあ、ロトスコープは、若干、チート的かもしれないが。

■本作と華倫変と「花」

本作を視聴し強烈に思い出したのが、華倫変だ。
本作の原作者と同じくヤングマガジンでデビューして、28歳で夭折したマンガ家である。彼の作風をwikipediaから引用してみる。

「フェチズムな性をモチーフにすることが多く、怠惰な日常描写を得意とする」

本作と通じる作風であるのが、この一行から読み取れるだろう。
2000年代の初めに単行本が出て、当時の私は結構熱心に読んでいたのが、同時期によく聴いていたのが、本作のEDに使用されている「花」だった。だから、私は、華倫変と「花」を強く結び付けて、記憶している。
※私は本作の原作者は知らなかったのだが、どうやら華倫変の単行本発売と同時期にデビューしているようだ。

そういう個人的な経緯があったので、本作のEDで「花」が流れたときは、冷静ではいられなかった。
この曲により、私は、思春期だけでなく、華倫変を読んでいた時期も思い出すことになったからだ。

実はその時期の私は、思春期以上に精神的に危うい状態──しかも、精神的に危うい人と付き合っているために、自らも精神的に危うくなるという、まさに本作そのもののような状態──だったから、「そこも引きずり出すのか!」となったわけだ。

ただ、これらのことは、まったくの偶然でもない気がする。。
おそらく、本作は精神的に安定している時期には、あまりピンと来ないんじゃないかと思うのだが、逆に、不安定な時期に、寄り添ってくれるコンテンツというものがある。本作も華倫変も「花」も、さらに、ボードレールの「悪の華」も、そういうものなのだ。

まあ、そんな状態にはならないに越したことはないとは思うが、一生に一度もそういう状態になったことがないというのも、それはそれで何かが欠落している気はする。
だから、仮に本作のような作品を必要な精神状態になったとしても、それは、その人がクソムシではなく、まぎれもない人間だからだと私は思う。だからこそ、本作のような作品は、多くは必要とされていないかもしれないが、強い必然性があって生まれてくるのだ。

※使用楽曲「花」について

本作で使用されている「花」にはいくつかバージョンがあり、ひとつを除いて本作用(ED用)のバージョンなのだが、ここぞというシーン(たとえば、{netabare} 本作のひとつのピークである#7の教室で大暴れするシーン{/netabare} )では、思いっきり、オリジナルバージョンが流れる。
これは、オリジナルバージョンを聴き込んでいる私には悶絶ものだった。

ちなみに、「花」が映像作品で使用されるのは、本作が初めてではなく、町田康原作の実写映画「けものがれ、俺らの猿と」で使用されている。
また、演奏するASA-CHANG&巡礼(ユニット名)のASA-CHANG(個人名)は、元東京スカパラダイスオーケストラのリーダーかつ、発起人。曲中でポエトリーリーディングをしているのは元SUPERCARのフルカワミキ。

などと書きながら、漂うサブカル臭が気になってきたところだが、本作はまあ、間違いなく、そういう筋の作品ではある。

オリジナルバージョンを知っている人で、「花」が使用されているアニメがあること知っている人は多くないと思うが、知れば腕まくりで視聴し始めると思うので、近くにそういう人がいたら(あまりいないだろうが)、本作を教えてあげてほしい。
そもそも、私自身、あにこれで「花」について書くとは全然思っていなかった。

※「月光の囁き」

先に本作と華倫変の共通点について触れたが、より直接的な影響を与えた(と思われる)作品として「月光の囁き」を挙げておく。喜国雅彦によるマンガ作品で実写映画化もされているが、どちらにも熱狂的なファンがいる。本作の佐伯のキャラクター像は「月光」のヒロインが原型だろう。おそらく、華倫変にも影響を与えていると思う。

■彼が彼女を選んだ理由

あにこれのレビューではないが、本作についてネットで調べるうちに、「{netabare} 原作で春日が佐伯ではなく仲村を選ぶのは、仲村が佐伯と比べて容姿に遜色がないから{/netabare} 」という意見を読んだ。「{netabare} ところが、本作の場合は佐伯のほうが容姿がいいのに、仲村を選ぶから違和感がある{/netabare} 」のだそうだ。
この意見に、ちょっと、思うところがあったので下記させていただく。

{netabare}
ざけんな、クソムシ。
その程度の眼しか持ってねえから、おまえはクソムシなんだよ。

いいか、春日が仲村を選ぶのは、佐伯より仲村のほうがより切実に春日を必要としているからだ。セリフでも言ってんだろうが。
春日は、自分がより必要とされる方を選んだんだよ。その方がからっぽな自分が埋まるからだ。必要とされることで初めて、自分の存在が証明されるからだ。
こういうのは、容姿ごときじゃ絶対に埋らねえんだよ。そいつの有り様の問題なんだ。

このあたりがわからねえヤツは、本作に入るな、クソムシ!
{/netabare}

最後にお耳汚し、失礼。ただ、本項で思うところに偽りはない。

まあ、そもそも、本作は人に勧めるような作品でもない。不謹慎だからとか、人を選ぶとか、そんな理由じゃない。必要な人が必要な時に勝手に観る、そういう作品だ。
そして、私はそういう作品がとても愛おしい。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 12

75.3 22 鬱アニメランキング22位
剣風伝奇ベルセルク-BERSERK-(TVアニメ動画)

1997年秋アニメ
★★★★☆ 3.9 (366)
1672人が棚に入れました
戦災孤児のガッツは、傭兵ガンビーノの気まぐれで拾われて育てられた。ガッツはガンビーノの役に立とうと懸命に剣の稽古をする。そして数年後ガンビーノは戦場で両足を失ってしまう。ガッツは一人前の傭兵になりガンビーノの面倒を見ていたが、当のガンビーノはガッツに養われるのは我慢ならなかった。酒におぼれ、ついには寝ているガッツに切りかかる。反応したガッツは、ついガンビーノを殺してしまう。育て親殺しとして追われる身となったガッツは、各地を転々として傭兵として生きていくのであった。身も心もすさんで行くガッツ。そんな時、連戦連勝の噂を持つ傭兵団「鷹の団」を率いるグリフィスと出会う。

ろき夫 さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

どうも、原作ファンです。アニメの方も観てみようかと。

劇場版公開に伴い、その比較を兼ねてまず旧アニメ版の方を視聴しました。

こちらの方も、劇場版3部作と同じく黄金時代篇がメイン。
コミックス(原作)でいうと14巻あたりまでの内容となっております。

気になった内容・作画・声優・音楽について触れていきたいと思います。

内容の方で残念だった点↓

1.主人公「ガッツ」の幼年期のエピソードが軽くしか触れられていない。
なので、ガッツの持つ悲壮感が表現しきれていません。育ての親「ガンビーノ」のガッツに頬を切られてカッとなるシーンや、飼い犬を蹴るシーンが省略されたことで、ガンビーノの持つ複雑な心境も伝わり難くなっています。
肉体派オラオラ系で圧倒的な強さにより敵をなぎ倒してゆくキャラは巷に溢れかえっており、ガッツもその部類ですが、薄っぺらさがなくどこか魅力的に感じてしまうのは、過去に絶望を味わってることがその理由のひとつだと思うのです。
なので、ダークヒーロー・ガッツのキャラ付けとして幼年期の忠実な映像化は欠かせないと思います。
でも‘貫通シーン’はさすがに無理なのかな?w

2.「髑髏の騎士」が登場しなかったということ。
髑髏の騎士は、重要な見せ場である『蝕』のキーパーソンです。
彼が出てこなかったため、『蝕』が締まりのない中途半端な格好になってしまいました。
あの終り方は正直なんのオチにもなっていません。
どうせ伏線回収しきれないから、という理由からかも知れませんが。

その他の省略された部分はそれほど重要なシーンではなく(個人的な判断ですがw)、それで妥当かなといった感じ。むしろ、上の二点を除けば押さえるべきところはちゃんと押さえており、すごく出来は良いと思います。

作画の方について↓

古い作品なので今のアニメと比較するまでもないのですが、物語が進むにつれてどんどんレベルが上がっていきます。終盤には劇場作品(もちろん当時のレベルでw)と比べても遜色ないカットが増えてくるので興奮します。キャラの表情の描写が丁寧。グリフィスの狂気染みたときの表情が原作通り再現されていた。目の書き方とかもうバッチリ。
でも、戦闘シーンの迫力・疾走感は物足りないです。
昔の作品なので贅沢は言えませんが。ボリュームがあり、見応えは十分です。しかし血が飛び散る描写が多々あり、苦手な方は気持ち悪くなるかもしれないです。私も、コミックスだと全然平気だったのですが、映像で観ると案外気持ちの悪いものだなぁと思ってしまいました。
それでもエログロさは原作に比べると控えめ。てか、忠実に再現されると絶対オエッてなるw
映像化する際には、ある程度控えめにした方が観れる気がします。
なので、バランスは良かったと思います。

次に、声優さん↓

これに関しては、とにかくグリフィス役がすごくよかった!!
品のある二枚目なお声。高すぎず、低すぎず、ホント絶妙としか言いようがない。
グリフィスの中性的な美しさ、気高さ、強さ、脆さ、危うさ。その全てが声にしっかりとこもっている。
ここで声優さんに興味が湧きちょっと調べてみました。(一部、黒ペからのソースなので信用しないで見てねw)

グリフィス役の「森川 智之」さん→(出演作:純情ロマンチカ・世界一初恋…などなど)
って、どこかで聞いたことのある作品名だな…嫌な予感w(´・ω・`;)
と思ったらやっぱりBLの人なのねw しかも、アダ名がBL界の『帝王』だなんて、グリフィス顔負けの大物ぷりだなおいww 経歴見ると本気で大物でしたww 福山潤さんのボスなんですね。
恥ずかしながら、私はこのアニメで初めてその存在に気がつきました。
でも、意識してなかっただけでこの人の出演作品を結構観ていた(BLモノじゃない方ね)ことにも気がつきました。ホントいろんな作品に出てらっしゃるんですね!

そして、ガッツ役の「神奈 延年(のぶとし)」さん→(出演作:Fateのランサー役など)
兄貴声がすごく素敵。実はこの方も‘純情ロマンチカ’に出てらっしゃるんですよねwすごいww
(この方はリアルではないそうですが)
なにこれ、中の人面白すぎでしょーwww

ああっと、いけないベルセルクから話題がずれかけてるw
原作の方もガッツとグリフィス、二人の友情がBL臭く見えなくもないことから、
このキャスティングはキャラとの相性バッチリで、だからしっくりきたのだなと納得しちゃいました。
まあ、ベルセルクのアニメの方が古いので実際のところ関係はないと思いますがw

音楽の方は「平沢 進」さんが担当。脳が浸蝕されるような独特のエレクトロサウンドを展開する彼。
今作の劇中歌『BERSERK 〜Forces〜』でも、その片鱗をうかがうことができます。
平沢さんの曲が好きなので、視聴前から曲だけはよく聴いてました。
ベルセルクの世界観と相性バツグンです。
OPとEDは違う音楽グループによるものですが、力の抜けたダークな感じがなかなか良かったです。

長くなっちゃいましたね。スイマセン。
結局、この作品は原作ファンにとっては観て楽しめるものだと思いますが、原作から抜けてる部分が多いので、知らない人だと全然感情移入できず、つまらないのではないかと思います。
なので、ベルセルクに少しでも興味のある方は原作を読むことをおススメします!

劇場版ではどれだけ進化・改善されているのかとても楽しみです^^

投稿 : 2024/06/01
♥ : 29

りんご さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4

原作を知らなければ酷。マジで読んで。

原作既読なので、初めにそこから語らせて頂きたい。

絵が絵だけにまず入口から抵抗感があったけど、
「お願いだから黄金時代編まで読んで!」とゴリ押しされて、
途中「うえー無理だー」とか言いながら頑張って読んだ結果、まんまとハマった私。
今ではかなり好きな作品となったわけだけど、
どこが好きなのか聞かれると答えに困る。

ここまで残酷で過酷な漫画に出会ったのが初めてだった。
ダークファンタジーなんてジャンルにされているけれど、
それだけに収まらない。ダークなんて表現じゃ足らない。
愛しているという言葉じゃ足らないくらい愛してるという表現を借りて、
ダークなんて言葉じゃ足らないくらいダーク。
暗いだけじゃない。もっとこう…心臓をえぐるような痛みがある。
ファンタジーなんてファンシーっぽい言葉で表現しちゃいけない。
主人公もヒーローなんかじゃない。(悪く言っているわけじゃない)
ベルセルクを読んで感じたことを言葉にして表すのはとても難しい。

映画化記念なのかアニマックスで放送したのでアニメを見ることに。
(ベヘリット財布ちょっと欲しいと思ったのは誰にも言うまい)
原作の禍々しさや、表現として良い意味での気持ち悪さ、
単純なエロさとは全く違う性的な描写を、
規制が甘かったころにどう作り上げたのかが楽しみだった。
残念ながら一話から期待は外れた。
アニメでカットされた部分の重要性、大半が性的な箇所だったわけだが、
それによって受けた傷、人間の三大欲と言われる性欲と、
いやらしさから離れたところで向き合っている原作の凄さがとてもよくわかった。

実際アニメを観て、原作にいらない部分などないのだと感じた。
どの戦いでも、絆を深めたり傷や痛みを覚えていっている。
黒い剣士編でのパックが感じたガッツの抱えているものの描写があるからこそ、
黄金時代編は活かされる。
ベルセルクは活字とあの絵があるからこそ成り立っている作品だと思う。
映像化は中途半端なことしちゃいけない。

原作を知らずアニメを観た人にとっては何というトラップアニメだろう。
アニメだけじゃ女の子なんて大半が興味を持てないだろうな。むしろギブしてしまうか。
最後の3話までたどり着けなければ何も面白さが伝わらないただの戦争アニメなのでは……?
原作を読まざるを得ない超展開の最終話。
あれなら8割……いや、9割原作に手を出すでしょう。
それを目的としている作りだったのなら、まぁいいけど。
ともあれ。
原作とは違っていろいろな制限がある中で、
原作を知っているからこその物足りない部分はあるものの、
(最後まで観ることができれば)世界観に引き込めるアニメだった。

ガッツの声はもっと重くて野太くてとにかく低い声を希望だった。
最後には慣れてきたけど。
声に関してはかなり個人的な好みの話だが。

それにしても時々出てくるピンクのインナーはどうにかできなかったのかしら。
キャスカが着ているのも、少々納得できないが、
他の兵士が着ていたのはホント、どうなんだろう。
甲冑だらけでは地味な色味になってしまうかもしれないが、
それにしたってピンクて……。

アニメの重点が黄金時代編なので仕方ないけど、
パックがいないのはマジで残念。
ベルセルクでは、パックこそヒロインだ。

……原作原作うるさかったな。笑
失礼しました。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 7

剣道部 さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

追悼 三浦建太郎さん

ご訃報に際し、心から哀悼の意を表します。

ベルセルクと出会ったのは、確か、中学1年生の時。当時は、格好よさより、エロさに惹かれていたかもしれない。

というか、あれだな。「青年誌」の空気を感じた、初めての作品だったのだろうな。

エロいというより、エロティック。ファンタジーなのに、リアリティー。グロテスクなのに、どこかに美しさがある。

多分、本作とエヴァンゲリオンは、自分の思春期に大きな影響を与えてくれたと思う。世界はお花畑ではないというか、清濁併せ呑む覚悟というかね。

少年を大人に変える力が、この漫画にはある。

私のなかで、漫画家を「アーティスト」と呼びたくなるのは、片手の指で数えきれるくらいなのだけれども、三浦さんは、間違いなくその1人。

私の好きな小説家も漫画家も(例えば水野良さんや冬目景さんとか三浦建太郎さんとか)、なぜこうも遅筆なんだろうか、なんて思うこともあるのだけれど、それは、商業的な成功を求めるのではなく、一筆一筆に魂を込めるからだろうな。彼らはエンターテイナーではなく、間違いなく、アーティストだ。

ベルセルクはこのまま、未完結で終わるのかもしれない。それについて、あーだこーだと、文句を言うつもりは毛頭無い。

三浦さんは、一筆一筆に魂を込めて描いてくれた。それを、数十年、たかだか500円程度で楽しませてもらった。後半は、新刊が出るのをサプライズというか、数年に一度の風物詩的に楽しませてもらった。

それで充分。それで満足。

余談だが、私は自分が一番好きな作品の最終回を、実は15年以上読んでいない。なぜなら、最終回を迎え、その作品の世界が終わってしまうのが、寂しいのだ。

物語は、正式に終わらない限りは、その人の中で生き続ける。

未完の大作、ベルセルク。その結末が分からないのは、確かに悲しいことなのかしれないが、考え方を変えれば、それぞれの心の中で、いつまでも物語は続き、それぞれが自分の好きな結末を持っても良いということにもなる。少なくも私は、そう思っている。

三浦建太郎さん、お疲れ様でした。素晴らしい作品を、ありがとうございました。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 10

67.4 23 鬱アニメランキング23位
蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH(アニメ映画)

2010年12月25日
★★★★☆ 3.9 (280)
1450人が棚に入れました
 2004年にTV放映され、翌2005年にはその前日譚となるスペシャル版も製作された人気SFアニメ初の劇場版作品。宇宙から襲来した“フェストゥム”の脅威をはねのけ、平和を取り戻した“竜宮島”を舞台に、主人公・一騎たちを待ち受ける新たな戦いの行方が描かれてゆく。脚本はTV版に引き続き、2010年本屋大賞受賞でも注目を集める「マルドゥック・スクランブル」の冲方丁が担当。

声優・キャラクター
石井真、木村良平、喜安浩平、松本まりか、仲西環、白石稔、新井里美、小林沙苗、佐々木望、福圓美里、白石涼子、梶裕貴、田中正彦、篠原恵美、ゆかな、諸星すみれ、石川静、葛城七穂、京田尚子、高瀬右光、土師孝也、てらそままさき、遠藤綾、豊口めぐみ

Ka-ZZ(★) さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

「命をもったフェストゥム 人になりたかった… そう皆城総士という名の人間に だから俺はここに来たんだ」。

この物語は、テレビアニメ版の後日談を描いたものです。物語の内容に繋がりがあるので、前作を未視聴の方は是非そちらからの視聴をお薦めします。

時は2146年・・・地球は未知の生命体であるフェストゥムによって侵略を受け、全滅の危機に瀕していました。
物語の舞台となる竜宮島も同様です。
そして、島を守るべくファフナーという巨大ロボットに搭乗する14歳の少年少女達の生き様と、これまで竜宮島を守り子供を育ててきた大人たちの葛藤・・・
でも、皆んなの住む竜宮島を守るため、フェストゥムのコアを破壊すべく最後の蒼穹作戦を決行し・・・
重大な損失を負いながらも人々の平和を守ることができた・・・ここまでがテレビアニメ版で放送されたあらすじです。

そして、2年の最月が過ぎた灯篭流しの日・・・フェストゥムの船が竜宮島に漂着するのです。
船の中では1人の少年が眠っていましたのですが・・・彼は進化したフェストゥムでした。
こうしてまるでこれまでの平和な生活がかりそめであったかの如く、少しずつ悲しい連鎖を引き起こしていた状態に引き戻され・・・物語が動いていきます。

まず最初に感じるのは、フェストゥム自身の著しい進化です。
これまでは単体で敵に向かって行くことしかできませんでした・・・
だけど、人間から色々なモノを吸収し、周囲と連携すること・・・作戦を練ること・・・
そして武器を使うことを覚えていきます。

その統率の取れた動きは、最早見事と言わざるを得ない状況です。
それに比べ、己の利権や欲にしがみついている人類は・・・相変わらずでした^^;

でも、この作品はこれまでのように未知の生命体であるフェストゥムを悪とした勧善懲悪モノ・・・というわけではありません。

これまで感情を一切持たなかったフェストゥムが人間を通して感情の一部を理解し・・・
そこから、人として大切な感情に気付いていく様がとても丁寧に描かれています。

知らないモノを知ろうとするとき・・・未知なるモノには恐怖を感じます。
でも、その恐怖を乗り越えるには・・・選択しなければなりません・・・
それに伴う痛みは受け止めなければならない・・・

でも、その痛みが大切な人のモノだったら・・・
決まりに・・・常識に・・・神に・・・大切なモノを守るためにあなたはどこまで抗えますか・・・?

人間もフェストゥムも自分の感情に素直になって大切なモノを見つめた時・・・
導き出される答えに違いはあるのでしょうか・・・?

思い・・・願ったその先に手は届くのか・・・
その答えは本編の中で示されています。

今回もファフナーに搭乗する少年少女は島を守るために踏ん張ります・・・
そして、島を守るのはファフナーに乗る事だけじゃない・・・
自分にしかできない事に全力を注ぐ彼らは、相変わらず眩しい存在でした^^

この作品の主題歌はangelaさんの「蒼穹」でした。
もうこの蒼穹シリーズとangelaさんは切っても切れない関係なのではないでしょうか・・・
今回も歌も抜群だったと思います♪

2015年の1月から「蒼穹のファフナー エグゾダス-EXODUS-」が始まりますが
ようやく視聴体制が整いました。放送を楽しみにしています^^

投稿 : 2024/06/01
♥ : 27

大和撫子 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

空が綺麗だって思ったことある?

キャッチコピーは「命をもったフェストゥム 人になりたかった・・・ そう皆城総士という名の人間に だから俺はここに来たんだ」

◆この作品の概要は・・・
本編から2年後のお話。
島には平和の日々が訪れていたが、ある日一隻の船が島に現れます。
その中には謎の少年が眠っていたのですが、それと同時に黄金に輝く生命体フェストゥムの島への侵攻が始まり、またこの島に危機が・・・・。
本編で生き残った少年少女達が、新たな仲間と共にフェストゥムに立ち向かいます。

◆この作品の見どころは・・・
さすがは劇場版作品。
映像の綺麗さや、戦闘シーンでのアニメーションの動きは素晴らしかったです。
スピーディーでとにかく動く!
敵は圧倒的戦力と人間的思考で侵攻してくるさなか、ファフナーに乗った少年少女達も生き残ろうと激しく戦闘します。
迫力ある戦闘アクションを楽しんでいただきたいですね。

◆ストーリーは・・・
序盤はホッとするような平和の日常が見られます。
本編で生き残った者達の平和な日常や再起不能となってしまった者が回復している姿など、こういう安心できるシーンが見れたのは非常に良かったです。
しかし、この平和は長くは続かない。
ファフナーと言えば登場人物達がドンドン死んでいくのが特徴としてあげられます。
この劇場版でも新たな少年少女パイロット達が加わりますが、この作品の作風から予想するとやはり死亡要員として扱われるのか?それとも生き残ることができるのか?
絶望の中で必死で生きようとする者達のその姿に注目して見ていただきたいです。

◆見終わった後に感じた事・・・
ストーリーが難解なので、正直内容がよくわかりづらいまま終わったしまった感がありました。
またこのような鬱作品は後日談も最後に描いて欲しかったと思ったところです。
しかし・・・・・なんと続編ありますよ~!
「蒼穹のファフナー エグゾダス EXODUS 」
この劇場版の話から2年後が舞台。
2012年公開!
現時点ではTVアニメかOVA作品か劇場版なのか詳細は明らかにされていませんが、これは楽しみですね!

投稿 : 2024/06/01
♥ : 13

けみかけ さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

暗闇という静寂と平穏で終結したテレビシリーズに光をもたらした直結の続編にして最高傑作

なぜか2010年の映画はハルヒやらガンダム00やら、テレビシリーズの決着を映画で付けるというのが多かったですね


今作のテレビシリーズは04年で完結しており正直忘れてしまった人や知らない人も多いと思います
当時は・・・
主人公→失明
親友→敵と同化
親友の妹→肉体が消滅
仲間達→ほぼ全滅
という【BAD END】で終了したのが印象的でした
文字通り『闇』で終わったわけですよw


オイラ的には【ポストエヴァ】を意識したロボットアニメとしては最高のシリーズだと思ってます
(厳密にはエヴァの皮を被ったもっと直球のヒューマンドラマなわけだけですけどね)


今作はその直接的な続編でして、人類とフェストゥムとの戦い、そして竜宮島の行方の新たな局面を描いたものです
テレビシリーズ見ていた方なら世界観や懐かしいキャラクター達にすぐさま溶け込めることでしょう
なによりも当時から全く衰えを感じさせない声優陣が素晴らしい!


多少新キャラクターは出てきますが、正確にはテレビシリーズの端っこにいたサブキャラ達がメインキャラに昇格というのがほとんどです


映画ではテレビシリーズよりも短い枠ということで、まだ印象の薄い彼らを「片っ端から殺してお涙頂戴」などという【安っぽいことは一切しない】のが流石の冲方丁
RIGHT OF LEFTでの失敗点がちゃんと改善されております^q^


むしろテレビ本編で生き残ったキャラクター達の奇跡的な復活やラスボスであったマークニヒトの行方の真相などが明かされ、シリーズファンには大きなカタルシスとなるはずです
それも何一つ無理なく、あたかも「前シリーズ頃から構想あったよ」的流れでやってしまうのだから冲方さまさまでありますw


映像面ではファフナーやフェストゥムを美麗なフルCGで描くなどして6年のブランクを見事に埋める進化を見せました


テレビシリーズをよく理解したうえでご鑑賞いただければ楽しめること間違いなし!

投稿 : 2024/06/01
♥ : 16

65.6 24 鬱アニメランキング24位
WHITE ALBUM-ホワイトアルバム 前半(TVアニメ動画)

2009年冬アニメ
★★★★☆ 3.7 (392)
2268人が棚に入れました
平凡な大学生・藤井冬弥はアイドル・タレントとして活躍する森川由綺と交際していた。仕事や学業の合間を縫ってお互いの愛を確かめ合っていたふたりだったが、由綺の人気が高まり、仕事が増えるとともに徐々にすれ違っていくようになる……。浮気をテーマにした、切ない系の青春ラブストーリー。

しんばくん さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

意味深な場面多数で見応え十分。【21.6/25.0】

物語:4.8 作画:3.8 声優:4.2 音楽:4.6 キャラ:4.2 【合計:21.6】                          (87.5)

ジャンル       :恋愛
話数         :13話(前半)
原作         :PC版アダルトゲーム
アニメーション製作:セブン・アークス
監督         :吉村明(前半)
脚本         :佐藤博暉
キャラデザイン   :吉成鋼
音楽         :Elements Garden
主人公声優     :前野智昭
メインヒロイン声優 :平野綾
OP          :「深愛」作詞・歌 - 水樹奈々 / 作曲 - 上松範康(Elements Garden) / 編曲 - 藤間仁(Elements Garden)
ED          :「舞い落ちる雪のように」作詞 - 須谷尚子 / 作曲・編曲 - 衣笠道雄 / 歌 - Suara

参照元       :Wikipedia「WHITE ALBUM」

【概略】
時代設定が1986年の携帯電話が一般層へ普及する前の「忙しい恋人とのすれ違い」をメインテーマとした「浮気」を扱った恋愛物語。

【特徴】
①重めのストーリー
②意味深長なセリフと場面多数
③前回のあらまし無し
④複数ヒロイン
⑤印象付けるシーンでクレヨンで描いたような作画タッチとなる演出がある
⑥思った言葉が頭の周りに文字で浮かび上がる演出がある
⑦心理描写における間は短めで衝撃展開を次々に突きつける作り

【長所】
①登場人物の思惑が分かり難く、明らかにしないまま次回に続く為、次回への引きが強い
②複数のヒロインと同時進行でストーリーが進む為、こちらを立てればあちらが立たずで刻々と変化する状況に飽きが来にくい
③心理描写における間が短めな事とあらまし無しの作りにより、1話の密度は濃い
④ヒロインがアイドルという設定から歌うシーン有り

【短所】
①情報量が多いにも関わらず、前回のあらましが無い為、
伏線を回収したことに気付きにくい(意図的に分かり辛く作られている為、人によっては長所)
②密度が濃い為に、1度見ただけでは理解しにくい(人によっては長所)
③顔のアップで作画が乱れる事は無いが、それ以外で頻繁に作画が崩壊する

【観終えて】
恋愛物にしては随分と難しかったです。
兎に角意味深な描写が多すぎてどんな意味があるのか考えていると次のシーンになっていて何度も巻き戻る事になりました。
しかし、個人的にはそういった視聴者に考えさせる脚本が観ていて楽しかったし見応え有りました。
一応ジャンルは恋愛ですが、ドロドロ系だと思うので苦手な方は注意が必要です。
 
上ではキャラについて触れてませんが、ストーリーに重要な意味を持ったキャラが多く、キャラ立ちはそこそこ良かったと思います。
ただ、登場ヒロインが多いので誰か一人に肩入れして観るより、キャラ毎にどんな影響を及ぼすのか等、物語の繋がりを楽しんだ方が良いかもしれません。 
 
それから、80年代半ばという時代設定だけあって随所に80年代ネタが仕込まれてるように感じました。
見つける事が出来れば懐かしむ事も出来るでしょう。
また、80年代以降に生まれた方は違和感を楽しめるでしょう。
 
【思った事、及び蛇足】
OP曲の「深愛」とてもメロディアスで好きです。
歌唱力の有る歌声で誰が歌っているんだろうと最初思ったのですが、案の定水樹奈々さんでした。
やっぱり凄いですね。この歌声は。 

投稿 : 2024/06/01
♥ : 7
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

「1986年……俺達のモラトリアム」

本文は前半、後半通しての感想。

原作ゲームはオリジナル、リメイク共に未プレイ。

元々オリジナルの恋愛シミュレーションゲームでは、時代も何となく90年代くらい。
そこで携帯普及以前、固定電話が低性能である故の、すれ違う恋を描く……。
といった設定だったそうです。

一方、本作の原作となったリメイクでは、舞台をバブル前夜の1986年と明確化。
より時代の空気を取り込んだ内容に生まれ変わったとのこと。
そして、それが私の鑑賞動機となりました。

期待通り、心情が雰囲気に影響する様まで気遣いができている、
私好みの作品でした。

特に音楽面がお気に入り。主題歌もさることながら、ジャズ風のBGMが、
嫉妬や疑念でささくれ立つ男女の心理を捉えていて好感できます。

アナログレコードとコンパクトディスク(※正式名称。普通はCDと略すw)の交代期。
おしゃれなアナログ盤音楽が流れるサテン(※喫茶店の略語。死語w)に
出入りする男女の恋愛模様と共に、時代も表現して、いい味出してます。

表現が繊細故に、主人公並びにその他の面倒くさい男たちの痛さも際立ちますw
特に主人公の背信は十回地獄に落ちても足りないと私も思いますw

大体、主人公が語る各話タイトルからして優柔不断。

タイトル文が長いw結局何が言いたいのかはっきりしないw
どの娘が好きなのかもはっきりしないw
句読点が多いwお前の区切りは?けじめは一体どこにあるw

といった感じで、主人公爆発を願う怨嗟の声が
親父や各方面から聞こえてきそうですw

ただ、私はそれでも本作のまとめ方には不思議と納得しています。
{netabare}不倫を描いた作品には、不倫は文化だと開き直る物語も多いのですが、
本作の場合は、中途半端に他の女にお手つきする主人公の性癖を、
克服すべき病として描いている点が好感できます。

ラストについても、{netabare} 結局、誰を愛するかの選択は視聴者に丸投げw
との不評も聞こえてきそうな結末ですが、
私は幾多の逡巡と修羅場を乗り越えて、ようやく誰かを愛することができるようになった、
主人公の心情変化を描けていたので、
割とすっきりした気持ちで受け止めることができました。

……まぁ、その前に主人公には、あと十回ほど地獄に落ちてもらいたいな、
との歪んだ感情も、私の中には残ってはいますが(苦笑)

個人的には、不倫と裏切りの果てに心中して、周りに散々迷惑をかけておいて、
純文学を気取る諸作品よりは、遙かに誠意のある恋愛劇だったと思います。 {/netabare}{/netabare}


余談、、、
ヒロインの一人を演じ、OP主題歌も歌った水樹奈々さんは、
2009年、本作の「深愛」で、紅白初出場を果たしました。

その時はNHKもアニソンを取り込んで、視聴率維持を画策している……。
くらいにしか感じませんでしたが、そこから今年で途切れるまで、
奈々さんが6年連続紅白出場を果たすとは、思いも寄りませんでした。

奈々さんだけでなく、深夜アニメのアニソン枠は、紅白の定番になりつつありますね。
これも音楽配信、定額制の時代になっても、
律儀にかさばるコンパクトじゃないディスクを購入し続ける、
ファンの熱意の賜物でもあるのでしょうかw

投稿 : 2024/06/01
♥ : 26
ネタバレ

takumi@ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

1986年という時代だからこその物語

全26話のうち13話までを前編、14話から最終話までを後編としており
前編だけ観た段階の今は、総評できないものの、
シナリオがけっこう重厚なので、覚えているうちに感じたことのみ
ここに記しておこうと思う。

観始めてすぐ気になったのは、BGM。
メロディーは悪くないのだが、音量が大きくやたら前面に出てくるので
台詞に集中しづらかったし、雰囲気を盛り上げすぎてる音楽の挿入の仕方に
自分は少々しらけてしまった。

でもそれ以外の演出は、きめ細かくてなかなか良かった。
例えば会話が続かない間の悪さを、自販機の微弱な低音や時計の秒針の音で表現し
意味のある音響になっていたと思う。
作画も作品のサムネのようなタッチではなく、比較的万人受けする雰囲気だったし
キャスティングの配置も、純情可憐な同級生、冷淡でセクシーな大人の女性、
ボーイッシュな幼馴染、お姉さんタイプの先輩、ツンデレな女子高生。
また男性陣は主人公のほか、一途な同級生、嫉妬深くて嫌味な同級生、
小心者の大人、寡黙なダンディー、公私共にやり手の大人、
厳しく冷徹に見せている父親などなどわかりやすく、
また1980年代後半のファッションやTV番組などきっちり考証してあったのも好印象。

さて・・物語に関しては、まずテーマが「浮気」とのことだが、
前編は「浮気」よりも「すれ違い」のほうを強調していたと思うし
主人公が彼女を想う気持ちや、接し方は他の女性に対してと
違うものがあったから、好感までいかなくとも腹立たしさはなかった。

時代設定は、まだ携帯電話はおろか、ポケベルさえ持つ人が少なかった1986年の冬。
TVでは歌番組がまだ多く、アイドルもどんどん売れていたが
レンタルレコード店やCDの進出で、従来のレコード店が次々に閉店していた時代。
デートの待ち合わせに遅れそうになっても、携帯がないから
せいぜい公衆電話から自宅に電話するしかなかった頃。
すれ違いから誤解が生じてしまう関係は、今現在よりずっとずっと多かった。

メアドならぬ電話番号を書いたメモを渡すとか、
テレカを使った公衆電話で、残り数字を気にしながら話すとか
個人的にはなんとも懐かしかった。
しかし結論から先に言ってしまうと観る前の予想通り、
やっぱり主人公の大学生・藤井冬弥には少々イラっときた。
でも同時に、すごくリアルではあったと思う。
社会人ではない、大学生という時期の青年だからこその判断であり
苦悩や戸惑いであり、決して八方美人なお調子者ではなく
うそつき上手な遊び人というわけでもないからだ。
浮気する気満々で実行に移す男性もいるが、
彼の場合は{netabare}その場に流されてしまうタイプ。{/netabare}

自分の彼女が芸能界入りし、しかもアイドル。
それだけでも充分にすれ違いは目に見えているのだが
この作品では、次々といろいろなことが起き、登場人物たちは
あや織りのようにリンクしあいながら主人公を振り回していく。
そのあたりもメロドラマ、昼ドラ的と評される所以なんだろう。
ただ、後編はもっともっと泥沼になっていくらしい。
気になるところで終わってるので、間を置かず引き続き後編も観るつもり。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 34

81.3 25 鬱アニメランキング25位
バジリスク~甲賀忍法帖(TVアニメ動画)

2005年春アニメ
★★★★☆ 4.0 (1196)
5921人が棚に入れました
甲賀卍谷と伊賀鍔隠れに潜む一族は、ともに服部半蔵に率いられる忍者群同士でありながら、源平の昔より数百年、互いに憎悪を抱く不倶戴天の敵同士でもあった。服部の統制下、両門争闘の禁制によりかろうじて和平を保っていた。そのような中、甲賀組の首領甲賀弾正の孫弦之介と伊賀組の頭目お幻の孫娘朧は恋仲にあり、両家の縁組がすめば長きに亘った甲賀と伊賀の確執も解けるかと思われた。

そんな事情を知ってか知らずか、慶長19年4月末両首領を駿府城に呼び出した徳川家康と半蔵(二代目)が甲賀・伊賀の忍びに与えた使命は実に戦慄すべきものであった。
ネタバレ

とまときんぎょ さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

力加減がツボ (ツッコミ目線レビュー)

注意。このレビューはひたすら、笑いどころを探すための物ですので、真面目に作品をご覧になってる方はお読みにならないほうがいいかもしれません。
笑度の高かった(と思えた)回は★つけときました。

木崎って、アニメ影技のスタッフの人だー!もう大好きだったんです…。それで忍者ものって、ひょっとして好きかもしれない、と視聴。

一話 トンビが有能 {netabare}
男と女。敵同士。光と影。
両者見合って時を越えて果たし合い。
くそまじめな雰囲気だなー。そんなに裏表左右対称に世の中ゴリゴリ進んだらね。なかなかそうはいかないですよね。
普通は、気づいた時にはどちらかがいなかったり、連絡先もわからなかったり、変わっていたり。
年老いて最期の時を一緒に行けたのは本望だったでしょうね。
この爺婆は添い遂げられなかったけど、お互い共通の趣味(果たし合い)もあって、連絡もとれて、足腰立ってて、充実の老後だよなー。

相討ちになった後は、息も絶え絶えに、ちゃんと血の赤ペンで巻物チェック、ホイ、し に ま し た よっと、バタッ…。
トンビが巻物、回覧にもってきまーす!ピーヒョロロー

なにそれ。
まじめ…なのに…笑える…この力加減が、影技的…。ツボだわー
{/netabare}

2話 衝撃の鼻毛 ★{netabare}
太っちょ空気袋VSゴムゴムの爺様。
トンビの巻物を巡って打ち合い。「ごっこ」と称しておりますが不穏です…。

一方、伊賀と甲賀の命運が分かたれたことをまだ知らず、
逢引中のオボロたち。
暗闇の森が次第に白んでゆく、朝焼けの描写が涼しげできれいです。
今回はしっとり、まだ笑いどころが無いなァ…

と思ってたら

強 烈 な 鼻 毛 キャラ、キターーーー!!
ブハッ。
アップで出た後、引きの絵ばっかりなので、え?何?今の?もっと見せてよ‼その鼻毛‼勿体ぶらないでさァ、もっと‼
と、クローズアップを求める気持ちが高まる中、大真面目な話が続きます。鼻毛が気になって全然集中できない。

しかし、オボロ様の笑顔がとても可愛いよ。まだ何も知らずに、想い人の前ではにかんでおられる。眼の能力ってなにかしら。
伊賀者達の悪〜い笑顔で情報隠蔽後、イケメンキャラ数名登場で待て次回。
{/netabare}

3話 なびいてる そよいでる{netabare}
今をときめく岡田磨里 脚本。
このアニメは登場人物の描き分けが必要以上にしっかりしているが、名前が難しい!
会話も、声優さんが丁寧に喋ってくれているというのに、私の日本語ヒアリング能力では漢字が…思い浮かばない事が度々あります…。

初登場の手も足もない地蟲十兵衛、五体不満足だからこそ身軽な反撃。スライディングした人力籠からぱかっと登場して、籠の引いたわだちに沿って地潜りし出したんですが、別にそのラインに沿わなくても良かったのでは…一瞬線路かと思った。
小豆蝋斎「なんという速さじゃっ!」
小豆さんはその、七福神の福禄寿みたいな長い頭(『才槌頭』っていうんだって) が重いんじゃないだろうか。中身は何?多分この作品だと、絶対何か仕込んである。

今回も鼻毛の彼 (蓑念鬼) が活躍。
アップで鼻毛が風にそよいでます。
スタッフのチェックとかあったのかな。「ここの鼻毛、もう少し柔らかくなびかせてよ。」とか。
前回より毛が短いような?
…何故私は、こんな小学生レベルのポイントでウケてるんでしょうか。

弦之助との手繋ぎごっこで照れる朧様を見ていた風船男・鵜殿丈助、「わたしらも色々と握り合いましょうぞ、のう、朱絹殿」
大人なセクハラ台詞もありますよ。

蝶を使った蛍火の攻撃シーンが美しかったです。
{/netabare}

4話 セクハラ走馬灯★ {netabare}
朧と弦之助の祝言前のモテナシパーティ開催。
伊賀と甲賀が同席だよっ!
軽快なセクハラトークに興じる、風船男の丈助。
色っぽいくノ一朱絹さんにいちいち話しを振ります。
全然意に返さない丈助のムードメーカーさ、青筋ぶちぶちギッラギラで見守る伊賀衆との、温度差が半端ない。そこまで…ってくらいの描写、おかしいよ。

酔いつぶれて朱絹に座敷牢に連れられるも大声な寝言で
「あけぎぬどのぉ〜」
…彼がいると和みますね…。
このテンポの良いしつこさは観てもらわないと伝わらない〜!

目下のものへの朧様の方言がかわいい!
このままずっと方言で喋って欲しい。

座敷牢から軽く抜け出た丈助。
朱絹との夜這い勝負がご破算になるも、ジンゴロウより伊賀甲賀の約定が破られた旨を口を割らせたところで、返り討ち。
ああー、ムードメーカーが失われた…セクハラトークが走馬灯のように…。
秘密を知ったら消される定めか…。
朧と弦之助のはにかみシーンもあり、テンポよく面白かった回。
でも今回は弦之助を覗いてイケメンが…というか、普通の顔の人がおらず、ちょっと画面が見苦しい。
{/netabare}

5話 変態バトル{netabare}
「甲賀一統、始末してくれるわ!」弦之助に内密に、敵地へ乗り込んだ伊賀6人衆による、バトル回。

例の蓑念鬼が毛髪を伸ばしてワサワサ闘っていましたが、鼻毛はそれ以上伸びないんでしょうか。鼻毛で絞められるの、嫌だねー。よりダメージが来そう。
名前の覚えられない人達の変則技が多くて忙しい。
身体を変態させる技に見慣れ過ぎて、普通の刀を武器にしているとものすごく丸腰に見えてしまう。

初登場のくノ一キャラ・お胡夷ちゃんの大雑把な雰囲気に和んだ回。
{/netabare}

6話 お胡夷サービスショット〜鼻毛責め〜★
{netabare}などと最低な見出しをつけましたが、
この回、絵が才気走っていてとても美しい。話運びも丁寧で、長く感じた。

ピチピチくノ一お胡夷ちゃんが川で水を飲む姿を、葉陰から見守る伊賀6人衆。カットの入りがものっそい怪しいです。極めつけはやっぱり鼻毛の人。何で何度でも笑えるかなあ。

しかもこの人、今まで使ってこなかった鼻毛が…伸びた…⁉使いよった…鼻毛をー‼
鼻毛?飾りですよ、タダの設定です、下らん言い掛かりは辞めて欲しいわい、みたいな顔してたくせに!?、うら若いくノ一相手なら喜び勇んで伸び伸びのばしよったーー‼
しかも倒れたお胡夷ちゃんを見下ろしてそれは満面の笑み。ハイ、変態紳士認定させていただきました。

夜叉丸と蛍火の淡い想い合いが、多くを語られずに美しく見せられて切ない。夜叉丸の最期と死後の描写も丁寧で、人の死が多い話だからこそ、こういうところ大事だな。{/netabare}

7話 お胡夷サービスショット〜爺干物〜
{netabare}アダルティー。お胡夷ちゃんが何故ピチピチなのかが判明する回。いや…爺さんたち、本望なのか…どうなのか。
あまり笑えるポイントはない。アダルティー。
松明の間接照明がムーディーよ。
お胡夷ちゃんは妹キャラなんだね。

コピー夜叉丸が蛍火と再会。蛍火はキレると怖い相手なので、ばれないかハラハラするな。偽りでもいい…このまま、お側に…なんて事にはならないんだろうか。ならなそう。{/netabare}

8話 今際の兄妹 {netabare}
痛い。簑念忌の体毛は針みたいにできるの??
お胡夷ちゃんが変態紳士に揉みしだかれて反撃しようとしたら、串刺しに…。今までで一番痛々しいよ。
しかしその後の、夜叉丸に化けた兄さんとの再会がね。
敵の前だから、顔色ひとつ変えずに、手を握るだけで。
黙って必死に、お胡夷の残留する意識を引き寄せるように、指を触れ合う姿がね。
こういう美しい切ないところがね…。

伊賀甲賀の和平の約定が破られたと聞かされ、自分と同じくらいの年端の娘が、身内によって残忍な最期を遂げているのを見てしまった朧。どう出るのかな…?{/netabare}

投稿 : 2024/06/01
♥ : 13

Ka-ZZ(★) さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

「二人手をたずさえて、両家を縛る宿怨の鎖を断ち切ろう」

この物語の原作は未読ですが、アニメ化されていたのは知っていました。
2018年冬アニメで「バジリスク ~桜花忍法帖~」が放送される事を知り、今回の視聴に踏み切りました。

物語の舞台は慶長19年…大阪城が陥落し、豊臣家が滅亡した年でもあります。
その時、忍びである伊賀と甲賀は400年に渡り戦いを繰り広げてきたのですが、先代服部半蔵との間に交わされた「不戦の約定」と、戦乱の世が平定されたことも後押ししたのでしょう…
お互いの若者同士が婚姻することで、長きに渡った争いに終止符を打とうと話が進んでいたのです。

もちろん、400年もの間いがみ合ってきたのですから、皆が心から賛同している訳ではありません。
それでも甲賀卍谷衆の甲賀弦之介と、伊賀鍔隠れ衆の朧の仲睦まじい様子を見ていたら、時代の変化を感じずにはいられなかったのでしょう…
そうじゃなければ話は前に進まないと思うので…

ちょうどその頃、徳川家康は悩んでいました。
家康の悩みは徳川3代目将軍を誰にするかということ…
そしてその悩みを解決するために家康が選択したのは、正直人としてあるまじき非道…

甲賀を国千代派、伊賀を竹千代として忍法の二大宗家を相争わせ、それぞれの精鋭十人対十人の忍法殺戮合戦の結果、どちらか生き残ったほうにそれを賭けるという厳命を下したのです。
伊賀と甲賀は、まさに手と手を取り合おうとしている真っ最中…
でも、そんな都合を聞き入れて貰えるほど世の中は甘くなく、またそういう宿命を背負っている現実を突きつけられるのです。

そして恋仲でありお互い頭領となった立場の弦之介と朧の知らないところで物事は動き始め、気付いた時には引き返せないところまで事態は悪化していたのでした。
こうして後ろ髪を引かれながら、無益な殺し合いの物語が動いていきます。

視聴を始めて気付いたのは、伊賀も甲賀も己の血を絶やしたくないという気持ちが半端なく強いことと、そのためだったら何だってする覚悟が出来ているということです。

例え宿命でも、それを知っていたとしてもこの争いは胸が痛みました。
精鋭十人の中には、凡そ忍びではなく人としての普通の幸せを全うして欲しいと思える人も交じっているんです。
弦之介と朧は確かに恋仲…

けれど、忍びが人を慕ってはいけないという掟はないんです。
だから特定の人に特別な感情を抱くのはごく普通のこと…

そっと目で背中を追ってみたり…
離れている間にその身を案じたり…

こうしている間にも仲間が一人…そしてまた一人…
この悪循環…本気で早く終わって欲しいと願っていました。
でも負の連鎖は止まるどころか、さらに勢いを増して押し寄せてくるのです。

何でこんなことになってしまったのだろう…
少し前までは息遣いが感じられるほど傍にいられたのに…
こんな世継ぎの決め方は絶対に間違っているというのに…
壮絶な結末が視聴者を待っています。
守りたいという気持ちが強くなるほど、抉られた傷は広がっていくばかり…
でも気になる方は是非本編でご確認頂ければと思います。

オープニングテーマは、陰陽座さんの「甲賀忍法帖」
エンディングテーマは、奈々様の「ヒメムラサキ」と「WILD EYES」

2クール全24話の物語でした。
大切な仲間を失うという事は身を切られるくらい辛いということを思い知らされる作品です。
物語のラストも決してハッピーエンドとは言えなかったと思います。
そもそも伊賀と甲賀が争う時点でハッピーエンドは望めなかったのかもしれませんが…
でも完走して一つ分かったのは、「バジリスク ~桜花忍法帖~」はこの作品のファンの方には必須だったということ…
どの様に物語を紡いでいくのか…今度はリアルタイムで視聴しながらこの顛末を見届けたいと思います。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 12

ossan_2014 さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

悲劇の源流

原作はマンガという事になっているが、ある年齢以上の視聴者には、マンガの原作である山田風太郎の小説の方が親しみがあるかもしれない。

原作小説の熱烈な愛読者であるというバンドが担当したOP主題歌は、『甲賀忍法帖』というそのまんまのタイトル通り、軽快な楽曲の中に物語の主題まで歌詞として取り入れた、TVアニメ「主題歌」のお手本とも言えそうな傑作で、アニソン・プロパーではないジャンル違いのバンドの製作した楽曲とは信じがたいほどだ。

傑作主題歌を触発したのが原作小説であるように、本作のストーリー上の面白さやキャラクターの性格的魅力のほとんど全ては原作小説に由来するもので、山田風太郎の力による。

忍法合戦をビジュアルで見せる魅力は確かにあるのだが、ビジュアルによって魅力を増しているというよりも、山田風太郎の創出した面白さの「足を引っ張ってはいない」と評する方が妥当に思える。
そうはいっても、映像表現や声優の演技に抜かりがあれば、たちまち興を削がれて面白さが目減りするわけで、「足を引っ張っていない」という評は、決してアニメ製作者を貶めるものではないだろう。
面白さの由来が何であれ、視聴して楽しめることには違いがない。

ただ、ビジュアル効果を最大化しようとする意図の為とは思うが、物語の発端から終幕まで約10日間近く、夜空にかかる月がずっと満月のままなのはいただけない。
見ないふりをするのに少なからず努力が必要だった。

いささか意外だったのは、現代的なビジュアルを与えられたメインキャラが、モブの時代劇的な侍たちの間に混じってもそれほど違和感が生じなかったことで、これは映像化のもう一つの要素、声の芝居の効果であるようだ。
面白いことに、セリフ回しの影響だろうか、声優の演技が現代的ビジュアルにもかかわらず時代劇に寄っているようで、ちょうど顔出しの役者が現代劇と時代劇で芝居を変えるような印象があった。


本作の、殺し合いに至る恋人同士は、原作小説内ではっきりロミオとジュリエットをモチーフとしていると明示されている。
この悲恋物語に異形の忍者同士の絶滅戦を重ねた物語は、世に出てから半世紀以上が過ぎた。
最後に、原作小説がどのような時代を背景として登場したのか、少し記してみたい。


このころ、まだ高度経済成長は訪れてはいない。
が、高度成長を準備するように、社会が高度成長的価値観のもとに再編、再構造化されてゆく途上にあり、再編から取り残された土着的、伝統的、情念的なものは周辺に追いやられ消去されようとしていた。
周辺的なものが再編の中心的価値観へのカウンターとして注目され、対抗するシンボルとして一般化するのは70年代以降のことで、当時は、単に無価値であると打ち捨てられる、高度成長的な価値観にほぼ一元化されていた。

一元的な価値観は一種の踏み絵でもあった。この価値観に同じないという事は社会そのものから排除されることをも意味し、再構造化の歯車として組み込まれることを拒絶することは社会内での生存の不可能と同義だった。
人間を顔見知り同士の共同体から引きはがして経済機構の歯車化することでやがて高度成長は実現されるが、人間の歯車化が人間性の抑圧として、絶対悪として広く常識化されるのは、やはり70年代以降の事だ。
この当時はまだ、「悪い」ことだと問題化する視線は全的な共感を得られてはいない。


権力者の「君命」によって駆動される悲恋と異形の忍者の物語は、このような背景から立ち現われてきた。
これから視聴する人に、なにかの参考になればいいなと思う。

投稿 : 2024/06/01
♥ : 3
12
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