4コマ漫画で友達なTVアニメ動画ランキング 4

あにこれの全ユーザーがTVアニメ動画の4コマ漫画で友達な成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年05月07日の時点で一番の4コマ漫画で友達なTVアニメ動画は何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

71.3 1 4コマ漫画で友達なアニメランキング1位
デキる猫は今日も憂鬱(TVアニメ動画)

2023年夏アニメ
★★★★☆ 3.6 (175)
528人が棚に入れました
「吾輩は猫である。しかしただの猫ではない。 空前絶後の『デキる猫』である」 仕事はできるが生活能力が壊滅的な会社員・福澤幸来は、ある日凍死寸前の仔猫を拾う。諭吉と名付けたその猫はいつの間にか猫にあるまじき大きさに成長し、ダメなご主人様に代わって料理、洗濯、掃除、買い出し、ご近所付き合い……あらゆることを完璧にこなす“デキる猫”になっていた。 「うちの猫ちょっと普通じゃないかも……!?」 そう思いつつ、諭吉のおいしい料理に胃袋を掴まれ、生活の全てを支えられている幸来はもう諭吉なしの生活なんて考えられない! 夢のパーフェクトにゃんことハイパーずぼら会社員のまったりのんびり同居ライフ。
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

専業主夫(婦)がいる生活の豊かさ。稼ぐことが幸せではない。

 文句をいいながら最後まで見てしまったのは、それぞれのエピソード自体が面白いのはもちろんですが、私が猫好きだからというのと、もう1つは専業主夫(主婦)がいる生活がやっぱり「豊かさ」につながるのでは?と思って見ていたからです。

 諭吉は化け猫(良性)という感じですが、彼がデキる猫になった原因は仕事に疲れた女性の生活の駄目さ加減でした。つまり、丸の内に勤める裕福なOLであっても、生活が荒れてしまうと幸せに見えないということです。

 1人が稼ぎ、1人が生活を引き受けることで、食生活を中心とした活力につながって行きます。そして、家を守ることが必ずしも虚しいことではなく、むしろ人間にとってもっとも必要な存在であるとわかります。
 諭吉の視点で見ると、ヒロインをちゃんと生活させる喜びもありました。主婦を経済価値に換算することの馬鹿さ加減がわかります。
 単なる利他ではなく、それが諭吉の存在意義であり家族の意味になります。決して一人で金は稼げないし、稼げたとしても金の代わりに健康・豊かさ・幸せの何かを犠牲にしているといえるでしょう。

 現代の疲れは、働くストレス。働かなければならないという風潮。そして経済性こそ幸せの尺度というのは思い込みではないか。
 働くことだけが正しい事だという価値観、特に女性ですね。これは果たして人間的なんだろうか?という疑問がわきます。

 旧来の核家族とは男女が入れ替わり、家庭にいる方を猫に置き換えていますので、一見、癒し系に見えますし、原作者の意図がどこまでなのかは分かりません。
 しかし、1話冒頭の通勤風景ですね。初見のレビューに書きましたが、あそこの丁寧過ぎる描写は違和感がありました。また、なぜ丸の内なんだろう?なぜ総武線(中央線)西東京エリアなんだろう?と考えたときに、幸せの形は、稼ぐことではない。男女で働ける方が働き一人が家を守り、ちゃんと生活をするための家族の役割分担があるのが自然で幸せなんだという風に見えました。

 また「福沢諭吉」が彼の名前だということを考えると、彼=家を守る能力・存在=主夫(婦)の「価値」の話なのかなあとも思います。
 ヒロインも生活力はないですが、仕事はできる女らしいので適材適所。男女を固定せず、働ける能力があるほうが働くでいいかもしれません。

 また、他人の子供の面倒を見るというのもいいと思います。これがなく全部が自己責任だから、子育てがしんどいのだと思います。近所や知り合いのコミュニティーでの助け合いは必要でしょう。

 それぞれのエピソードは結果的に、働く人と家を守る人の関係性に対する憧れな気がします。
 この先、猫と人間では子供は生まれないでしょうけど、なんか一緒に寝てるし諭吉だとそのうちオカルトパワーで作れてしまいそうです。最後の方で子供が出て来たり、仔猫を拾ったりがありました。そこはやはりピースとして幸せの形には必要だということかなあと思います。

 なお、下手をすると猫がお母さんとなりますが、一緒のベッドで寝ていることからやはり夫婦なんだと思います。肌の触れ合いもまた今の人間に不足している癒しです。

 

 この作品が癒し効果があるのは、猫だからというのはありますが、豊かな生活とは?という問いかけにもなっていた気がします。




3話 高収入女性にとっては子なしセックスレスの専業主夫家庭が理想?

{netabare}  現代の女性の幸福のイメージをそのままアニメにした感じですね。

 この作品のヒロインの「立場」に憧れる20代女性はかなり多いのではないでしょうか?自分で働くから家事からは解放されたい。家に帰ったら、風呂入ってご飯食べて酒飲んで寝るのがいい。(男と違って、女性はなぜか食事の後に酒を飲む人が多い…気がします)

 男が要らないわけじゃないけど、自己主張弱めで一緒に寝てくれるだけでいい。セックス要らない。グルーミングだけすればいい。自分はしゃべらないで愚痴は聞いて欲しい。気持ちを察して慰めてほしい。皆からうらやましがられる容姿がいい。美味しい手作り料理食べたい。外食高いからおいしい弁当が欲しい。清潔がいい。だらしない自分を管理してほしい。
 男の方は酒飲まない、でも酒の当てには詳しい。経済観念が高く、無駄使いしない。無趣味か金のかからない害のない趣味(猫缶?)。満足の水準が低く簡単なもので満足する。自分よりも大きい。面倒なこともちょっと嫌な顔をしながらもやってくれる。我儘を通してくれる。

 会社では苦労して仕事してる感が欲しい。管理職よりも平がいい。でも、ちょっとできる女という存在感が欲しい。褒めて欲しい。もちろん給料はお高め(住居の水準、立地、通勤時間から考えてお高いマンションに見えます)。

 なんか「お隣に駄目にされる」以上に成長がとまって、短絡的刹那的な快楽で、精神が駄目にされている気がします。ヒロインがここから脱出する話になればいいんですけど。

「化け猫」が主役ですし、ある意味ではホラーですね。ただ、このシチュエーションを考えた場合のヒロインの人物像は、逆にものすごくリアリティがあります。


 冒頭の街を描写するCGは正直ゲンナリでした。私はあまりこういう実写ニアリーのアニメ表現は好きではないです。それと、都会の大変さとか殺伐感とかそういうのが表現したかった?そんなのは昭和40年代から日本の当たりまえ、です。
 だったら、女性にクローズアップして、女性が会社員をやる大変さを見せてくれた方が、この作品の意味があるかなあと。要するにCG技術を見せたかっただけ?

 それとオフィス全員白ブラウス問題ですけど…なんか商社とかに見えるんですけど、まだ制服なの?銀行でも今時窓口以外は制服はない気が…でも、通勤にも使ってるからあれは社内規定で白ブラウス以外不可?というよりもCGの問題かなあという気がしますけど。

 全体的にCGを導入してコストダウンはやむを得ない流れだとは思いますが「アニメは表現したいものを表現できるのがいい」ということを忘れないでほしいです。技術と予算だけで、全員白ブラウスになっているのだとしたら良くないですねえ。あの娘は恐らく高給取りな生活に見えますが、オフィスがそうは見えません。オペレータに見えます。

 とまあ、いろいろ言いたい事はありますが、引っ掛かりが多いということは気になるということです。 {/netabare}


9話 丸の内OLで東京西部の総武線沿線暮らしに感情移入できるか?

{netabare}  丸ビル前の横断歩道とか永楽ビルっぽい映像があったので、ヒロインは丸の内勤めですよね。オフィス内部も証券・投資顧問っぽい雰囲気です。見積りとか商談とかあるので、業種はIT・商社の可能性もあります。で、痴漢の場面で中央・総武線っぽいホームだったので、高円寺~国分寺くらいに住んでいるのでしょう。転職キャリアアップ組ですが制服ですので事務職採用っぽいので、推定年収550~700万円くらいの感じでしょうか?
 弁当を持って行っていることから極端な高給ではないでしょうが、丸の内のランチの相場は1200円~1800円くらいはしますので、毎日外食は辛いエリアです。八重洲なら安いところも多いですけど。

 という感じで、ヒロインはかなりの高給取りな気がします。住んでいる家も1LDKか2DKっぽい間取りであの広さです。賃貸なら10…いや12万円は下らないと思います。あの高級住宅から徒歩圏ですので、国立や吉祥寺ならもっと高いでしょう。

 そういう感じで見ていると、あまりに上級すぎる生活をしているので癒されるか?と言われると、ウーンという気がします。癒し系というよりもやっぱり女子が望む理想の疑似結婚生活な感じです。男としてはあまり感情移入できない感じです。男女逆さにして、猫=美少女にすればまあわかりますけど。

 まあ、面白くないわけじゃないですけどヒロインは片付けられない女ではあっても結構優秀な人物なんでしょう。ファンドマネージャーや外資で2000万を狙うほどではない、丸の内としては緩い働き方の女性という感じです。{/netabare}


12話 このヒロインはペットロスは大丈夫か?なんとなく別れの時を考えてしまいました。

{netabare} 13話まであるみたいですね。一旦総括です。猫が家事をしてくれるかどうかは別ですが、ただ、猫がいるだけで仕事に行けるようになるのは事実だと思います。
 猫と人間の心の交流というのは、多分人間の思い込みではないと思います。言葉はありませんが、仕草で何かが伝わってきます。そういう部分がなんとなく、本作の諭吉からは伝わってくる気がします。

 そう、猫がいる人生は豊かになる、と言う点で本作は極端なアナロジーではありますが気分的にはリアリティがある気がします。

 猫を拾うとそこにあるのは別れの時です。猫を飼った人には経験があると思います。
 本作がどこまで描くかわかりませんが、それは人間と猫の関係においての必然です。その代わりといってはなんですが、猫と一緒に過ごした時間の充実、豊かさというのは何モノにも替えができません。
 猫との付き合いかをどういう距離感ですごすのか。12話はなんとなくですが、その部分を思い出させる話でした。

 ここまで見て、このヒロインがうらやましいと思う反面、この人はペットロス大丈夫だろうか?という気分が途中からありました。猫好きでロスの経験ある人はこのアニメどうみているのでしょう?{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 20

take_0(ゼロ) さんの感想・評価

★★★★☆ 3.3

都会ファンタジー?令和の日本むかしばなし的な何か、かなぁ。

ちょっとイジった様なレビュータイトルですが、いつもの事で悪気や悪意があっての事ではありません、悪しからず、よろしくお願いをいたします。

ただ、作品の色合い自体が、強いメッセージや刺激的なストーリーなど、大きく人の感情を上下するようなタイプではなく、
「ふしぎだねー」「そんなことがあったらいいねー、たのしそうだねー」を描いていると感じた故の表現なのです。

この言い方も、若干の差しさわりがあるのですが、決して、感情や人の思いが無いと言う訳ではなく、緩やかに穏やかに描いているという意味と受け止めていただければ幸いです。

物語は、クールの後半の方でも詳しく描かれますが、
とあるきっかけで猫(=諭吉)を拾った、諭吉曰く「ダメな人間」の福沢幸来がその諭吉(=猫)に面倒を見てもらいながら会社員生活をおくっているという日常系。
折々に周囲の人たちと絡んでのエピソードも描かれますが、そこはやっぱり、ほっこり、のんびりな感じ。
諭吉の独り語りと、幸来のあれやこれやがメインのストーリーとなりますでしょうか。

話数が進む中で、それぞれの人間関係がつながっていくのですが、あまり強くは描かれていませんでしたね、これからという感じでした。
今後の作品展開に期待でしょうか。

作画はほんの少しクセがあるような印象もありますが、とても丁寧できれいでした。
好みの問題程度かもしれません。
シャープな線で私は好みの方でした、風景等も丁寧に描かれていた印象で違和感はなかったですね。

声優さんは総じて普通で、いつもの私的に特に視聴に問題はなかったです。
あえて言えば幸来役の石川由衣さん、さらにお上手になった気がしています。
控えめではありますが、幸来の感情の動きを上手に演じておられました。
硬から軟まで、とても自然に滑らかにつながっていて、デフォルメ絵の時にもブレが無く一本筋がとおったようでした。

音楽はいつものOP/ED中心のお話にはなりますが、
OPの方が少し好みでした。
グリグリ動くのと、他のキャラクタも割と好みな造形だったので、何かが始まりそう感、何が始まるんだろう感が高まりました。
歌の方も元気でワクワク感があります。

EDの方は少し狙っての事なのかも知れませんが絵のタッチも少し変わっていて、ちょっとアンニュイというか、物悲しいとまでは言いませんが、寒さを感じる特徴的なものでした。

キャラクタはどのキャラも良く描かれていて、もう少しそれぞれの絡みを見たいと思いました。
部長さんや会社の同僚の皆さんはじめ、登場したほとんどのキャラが割と気に入っていたんですよねぇ、私。

なので、地味かもしれませんが、続く作品のお話があったりしたら、私は楽しみだし、他の皆さんがさらに絡むエピソードも観てみたいと思っています。


我が家にも年寄りのお猫さまがいるのですが、
これが、諭吉の様にでっかくなって、近所のスーパーに買い物に行ったりしたら・・・。
やっぱ騒ぎになったりするかなぁ、案外、そんなもんだと受け入れられそうな気もするけど・・・、マスなゴミの人たちに知れたら喜んで大騒ぎするんだろうなぁ。
あ~でもなぁ、世の中にはいろんな人がいるもんなー、絶対アンチや危ないって言う人もでて来るよなぁ。

なーんて妄想をば。


のーんびりと楽しめるアニメだと思います。
機会がありましたら、ご覧くださいませ。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 17
ネタバレ

かんぱり さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

日常の中の非日常癒し?アニメ(5話見ました)

会社員の福澤幸来(ふくざわさく)は、昔拾った猫の諭吉と暮らしている。
・・と一見普通な感じだけど、実は諭吉はすごくデキる猫で・・で始まるお話。
原作は4コマ漫画みたいですが未読です。

これ、作画めっちゃ綺麗ですねー。
現実感のある精細な街などの描写に、童話に出てくるような諭吉のキャラは、なんていうか日常の中の非日常が強調されてるみたいで、面白いです。

諭吉のキャラもいいですね。
人間くらい大きいけど愛嬌あるし、喋らないとこもいい。
時々つぶやくココロの声も味があるかも。。

朝起こしてくれて、ご飯作ってくれて洗濯も掃除もお買い物もしてくれる。
こんな猫、わたしも欲しいぞ(≧◇≦)

これ、毎日頑張ってる「私」のための非日常癒しアニメなのかもです。
・・と思ったけど・・↓

でも・・幸来はもう少しちゃんとしたほうがいいと思うw
ごみ部屋とか、飲みすぎて上司に送ってもらうとか・・
諭吉がなんでもしてくれるドラえもんに見えてきちゃうよ。。

でも諭吉がデキる猫というとこをキャラとして強調したいから、たぶん幸来のキャラをあんな感じにしたのかな。
個人的には幸来も一緒に分担して家事をやったりしてるほうが好感持てるけど。。

1缶め「デキる猫は今日も憂鬱」
{netabare} ご飯作って待ってるのに、遅くなる連絡しないのはダメだよー。
お風呂掃除の諭吉の恰好かわいい。{/netabare}

2缶め「デキる猫は大きく育った」
{netabare} 諭吉、すごく頭いいのに、お金で「猫缶」を買う!ってとこで笑っちゃいました。。やっぱネコやな。
スーパーに買いに行く話、好き🛒
優しくて猫好きな店長と着ぐるみだと思い込んでる店員が面白くて。{/netabare}

3缶め「デキる猫はお世話がデキる」
{netabare} 生卵も割ったことないってwギャグだろうけど笑えない。。
たぶんお米も研げないと思う・・それか研がないでそのまま水適当に入れて炊きそうw
いつも感謝してますって言われて喜んで張り切る諭吉☀
こういう一言ってとても大事ですよね。{/netabare}

4缶め「デキる猫は水族館に行く」
{netabare}メインの水族館の話よりもその後のショート小話のほうが面白かった・・かも。
というか、スーパーの話もっと見たい!猫OKとか可笑しい。。{/netabare}

5缶め「デキる猫はお誕生会にも行く」
{netabare}幸来って諭吉にお世話されてるってよりも介護されてるが近いんじゃ・・w
なんでもしてくれるスーパー猫がいていいなとは思うけど、こんなんじゃダメ人間になっちゃうわ。
会社ではデキるひとって思われてるとこもなんかツラいような。
次回予告、スーパーの店員映ってちょっとだけ次回が楽しみになるわたしw{/netabare}

また感想追加したいと思います🐈‍⬛

投稿 : 2024/05/04
♥ : 23

76.6 2 4コマ漫画で友達なアニメランキング2位
ゆゆ式(TVアニメ動画)

2013年春アニメ
★★★★☆ 3.7 (1289)
5894人が棚に入れました
この春、女子高生になった、ゆずこ、唯(ゆい)、縁(ゆかり)の3人組はいつもいっしょの学園生活。
放課後は部員3人、パソコン2台とホワイトボード1代の「情報処理部」で、てきとうに決めた単語をググってその結果でまたおしゃべり。
なんでもない日常は、たまにイベントも発生するけど、やっぱり女の子がいちゃいちゃするだけ。でもなぜか目が離せない新世代女子高生コミュニケーション。
ゆとりかわいい学園生活は、遊びtお部活とところにより百合要素。
ノーイベント・グッドライフ!それがこの三人の”ゆゆ式(ルール)”

声優・キャラクター
津田美波、種田梨沙、大久保瑠美、茅野愛衣、潘めぐみ、清水茉菜、堀江由衣
ネタバレ

やまだ さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

★4/ 無形のカレイドスコープ

萌えではない日常会話劇

縦横無尽な推進力で燃料投下していくスターターゆずこと機知に富んだ多彩な展開力のエキスパンダー縁と俊敏な判断力で応答するリアクター唯。それぞれの役割は秒単位で流動しボケとツッコミも時に1対2、2対1と華麗に変化し絶妙なバランスの上に広がるリアリティ溢れるユートピアを眺める至福を味わえる本作は唯一無二という言葉すら生ぬるい。

これは断じてただの女子高生に萌えるアニメなどではない。メンタルサプリメントであり思考実験であり現代を生き抜く為の極意であり本質であり真実であり本物であり真理でありもうなんかアレだよアレ。

世の中にクソリプを撒き散らす○○どもに限らず我々全国民はこの作品を姿勢を正して手をグーにして正座して腹に力を入れて目を見開いて口を閉じて定期的に周回する義務を課していくべきである。

それはなぜか。
では以下に記述しておく。

例えば縁がゆずこと唯の2人に対してこう呼びかける場面がある。

「みんなは〜」

2人を結べば線となり、3人結べば面となる。団体という概念の最低単位は3である。多分。理想的な家庭環境であれば自分と母親と父親とでこの構造が最初に形成されることになる。

自己が多数派にも少数派にもなり得る流動的かつ不安定な構造の安定を計るには実に多彩で高度な判断が他方に許される範囲内での応答速度を持って求められる。そう、バカには"場"を維持することは難しい。この作品を1話だけチラ見しただけの者から見ればゆずこはただのバカキャラにしか見えないだろうが最後まで視聴した者は成績もそれなりに優秀で他人に対して常識的な対応も出来る人物だと知っているはず。血統の良い縁は言わずもがな。唯も縁と幼馴染であるので家柄も悪くないはずであり、その2人相手の対応を見てもそれなりの判断力を持ち得ている事に疑いはない。

この作品はたとえば繊細なアクセルワークで沈黙を破って進入してきたゆずこの速度と強度を即座に参照算出、適正な戦略と戦術で迅速に適応的な対応を選択し快適なリズムを崩さずに"場"に展開、その後も同様に柔軟な対応を当意即妙に続けていくというとても高度な技能のケーススタディなのである。

これはどんなにスーパーでスペシャルなコンピュータの高性能AIでも実現不可能な芸当である。今後いくら技術が発達しようとも。絶対と言い切れる。何故か?

コンピュータには身体性が無いからだ。

人間の脳は無意識領域であっても周囲の様々な要因に影響される。温度湿度光量音量臭い壁の色人間の数など。身体的にも空腹度疲労度などの体調面。凄まじい数の要素がリアルタイムで次々と変化する。パラメータを計算するだけならAIが得意だろう。だがそれらを測定するセンサ自体が存在しない。彼女らはそれらの複雑なパラメータを瞬時に読み取り計算し時には修整しつつ"場"を整えていく。

では何故"場"を整える必要があるのか。
 
続きは有料となります(嘘)
この作品見たらわかりますよね。

以下各話メモ。
{netabare}
1日1話の勢いレビュースタイル。けいおんとの2本立て。思ったことそのまま。

1話
こりゃスゲェ。ほんとに何も起きない。けいおんがほんとにゴージャスに感じる。なる程これは唯一無二なのかもしれん。じっくり彼女らの生活を覗き見することにしよう。

2話
リズムにハマることあるよね。わかるわかる。胸の話題は流石にわからんが切実なのかもな。男は見せ合いとかしないからどうなんやろ。お母さん可愛い。全く教師感がないがコレはコレでいいのか?先生から何か教わることくらいは無いのかな。2回目にしてオープニングエンディングがいい曲に感じて来た。アレ?ハマってきた?
3話
夏休み。水って何だ?何なんだろ。部屋に何もイジる要素がないのな。けいおんと比べて物凄く濃度が濃いような気がする。何だこれ。女子高生のリアリティとかはわかる訳ないのだが。一応プールなんか行くけどあっさりしててイベント感がまるで無い。なんか凄いものを見てる気がする。展開も何もないのに次が見たくなってる不思議。
4話
何これ凄い。メチャクチャ面白いんだけど。絵柄はもう全く気にならない。他の子との絡みも増えてきた。オープニングエンディング両方落とした。2曲ループで数時間聴いてる。コレはヤバイものを知ってしまった。いや、コレ本当に凄い。マジで。何故かとかは浮かんでは来るが考えたくない。語彙力無くしたままでいい。今は身を任せて味わおうと思う。
5話
いきなりターン制が始まりすぐに終了。様々な口火から不意に急展開しては元の話題に着地したりとアドリブのような会話が楽しいのか。2週目はどんな感想になるのかな。カイザー…、懐かしいなアレ。記憶無くして見たいって最高級の賛辞だと思うけど、だからといって勧めたりはしないのね、なる程。なんか物凄いヒントが沢山詰まってる気がする。ああ、またくだらない長文書きそうだ。
6話
ポテトは木曜日に決まってんだろ。コート姿もいいです。学校指定品に種類あるのか。歳とるとビックリのダメージが大きくなるな。クリスマスの身内お泊り回すらない潔さ。男子の話題が出ないのは新鮮。帰り道の横並びのポジションが度々スイッチするのなんかいいですね。
7話
1クールの作品で後半から急に雰囲気変わるのは何故なんですかね?2人だけの絵面は新鮮。下ネタはちょっと残念。ただ見てるだけで幸せな気持ちになる不思議な体験。時間が経つのが、凄く早い。
8話
やっぱ演出変わってんな。腹とか胸とか足とか要らんのに。胸触っていいよ一回だけ、てのはお返しのつもりなのか。これショートアニメだった?ってくらいにもう終わり?ってなる。え?あと4回しかないの?嘘でしょ?
9話
ふみの後ろ姿から始まり佳と合流して2人で話しているところに縁登場。何なのかわからんが貫禄を感じる。教室に入るとゆずこと唯が話している場面。何この安心感。場面が切り替わるたびに残り時間を確認している。下校時6人並びの絵が新鮮。でもやっぱり一緒に遊ぶ描写はない。
10話
会話の内容を絵で表現するのは普通だけどココではやらなくていいような。でもメンドイ魔物のデザインは好き。グッズあればちょっと欲しい。戦うべき感情を可視化するのは割といいアイデアなのかもしれない。自分との戦いに勝利する為にはやはり他者の存在が必要なのだ。人は1人では生きていけない。いわゆらないって言った事ある。EDの神様は少し笑った。油断してるとすぐ終わる。あと2回。
11話
いやあと1回で終わると思うとなんか身が入らんというかどうせ周回するだろうしと思っていたらあっと言う間に終わってた。少し真面目な青くさい話も。いやでも次が最終回なの?信じられない。本当に?
12話
いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ終わったああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 19
ネタバレ

あしすと さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

ほのぼの日常系部門・個人的歴代No.1作品

少し前に2周目の視聴をしまして、
「アレ?こんなに面白かったんだっけ??」
…と評価の見直しをした作品です。

思い返してみると1周目の視聴の際は個人的にアニメ見始めの頃で、「日常系アニメってこんな感じなんだろう」と思って、流し見しちゃったような気がします。

それに対し今回の2周目は、ここ数年の「ほのぼの日常系作品」「日常系でないコメディ作品」を割と見尽くした状態で再視聴したので、個人的評価が大きく変わったみたいです。


この作品は、日常系としてはだいぶコメディ寄りにチューニングしている作品ですね。

ただ少し珍しいのは、コメディ寄りの日常系作品は一般的にツッコミに特徴があるのに対し、このゆゆ式はツッコミで落とすというより「ボケ倒す」ことで落としている点でしょうか。

ゆいは確かにツッコミ役なんですけど、なんていうか…この作品はゆいのツッコミを流れの区切りにしないんですよね。
普通、誰かがボケて誰かがツッコんだらその一連の流れが終わるじゃないですか。
でもこのゆゆ式は、ボケに対してゆいがツッコんでもお構いなしにゆずことゆかりがボケ倒すので、流れが止まらないんです。

私の好きな作品にアドリブアニメの「てさぐれ部活もの(現在3期(すぴんおふ)放送中!w)」があるんですが、それに雰囲気が似ている作品として、どなたかがこのゆゆ式を挙げているのを見たことがある気がします。

その時は、ゆゆ式ってそんなアニメだっけ?
原作が有るアニメとアドリブアニメが似ているなんてあり得るのだろうか?

…と思ったものですが、2周目の視聴を経て納得しました(笑)
どちらも流れを止めずにボケ倒しているところに共通点があるのですね(笑)

アドリブアニメだけにぐだぐだ流れ続けるのを楽しむのがてさぐれで、原作があるだけに洗練されたぐだぐだを楽しむのがゆゆ式という感じでしょうか。

原作者さんのボケ倒しのセンスが自分にとっては本当にツボでした。
この作品、まだ連載続いてるんですよね。
きらら系が2期ものも含めて続々アニメ化されてされている昨今なら、ゆゆ式も2期のワンチャンないかなぁ。無理かなぁ。。。



余談ですが、ゆかり役って種田梨沙さんなんですよね。
最近の種田さんの声に慣れていると、なんだか意外な気がします。





以下は、ゆゆ式がほのぼの日常系作品として個人的No.1の理由です。
ちょっと相対的な話で、以前けいおん2期のレビューで書いた内容の加筆完全版になります。

{netabare}
結論から言うと、私は「ほのぼの日常アニメ」は全部好きなんですが、細かく分類するとしたら「日常もの」よりも「日常ギャグもの」系統の作品のほうを好む傾向があるんです。

具体的に説明しますと、私は個人的に以下のような分類をしており、①寄りの作品のほうが好きです。

その中で、いわゆる「ほのぼの日常系」だと思っているのは③~⑤です。



①「日常もへったくれもないギャグ」作品
日常を舞台としつつ、全然日常ものじゃないぶっ飛びギャグアニメという印象の作品。
(例)
・日常
・さばげぶっ
・ぱにぽにだっしゅ
・ディーふらぐ
・てーきゅう
・侵略!イカ娘 など


②「日常<ギャグ」作品
日常を舞台としているが、ギャグ要素が強く「日常もの」というよりは「ギャグもの」という作品。「ほのぼの」という印象はない作品。
(例)
・未確認で進行形
・月刊少女野崎くん
・ひめゴト
・となりの関くん
・生徒会役員共
・マンガ家さんとアシスタントさんと
・帰宅部活動記録 など


③日常ギャグ作品
「ほのぼの」もしている日常ものだが、ボケとツッコミは割としっかりこなしてくれる作品。
(例)
・ゆゆ式
・きんいろモザイク
・GA
・そふてにっ
・キルミーベイベー など


④ほのぼの日常ギャグ作品
ギャグよりもほのぼの要素が強く、ボケ役は割といるがツッコミ役を弱めにチューニングしている作品。
(例)
・ひだまりスケッチ
・みなみけ
・じょしらく
・ゆるゆり
・らきすた
・あっちこっち
・せんせいのお時間 など


⑤ほのぼの日常作品
ほのぼのに癒される作品。このタイプの作品内に見られるのは、個人的なイメージを言葉にすると「ギャグ」「ボケツッコミ」ではなく「小笑い要素」
(例)
・けいおん
・ご注文はうさぎですか
・ヤマノススメ
・幸腹グラフィティ
・のんのんびより
・たまこまーけっと
・Aチャンネル など


※日常を舞台としたコメディ要素のある作品でも、ラブコメ要素やドラマ要素を主題としていると感じる作品は今回の「日常系」には含めていません。
(例)
・僕は友達が少ない
・のうりん など

※日常を舞台としたコメディ作品でも、個人的に「ほのぼの」はしてないかな~と思う作品は含めていません。
(例)
・まりあほりっく
・それでも町は廻っている など

※昔見て印象がおぼろげになっている作品もあるので、もしかしたら分類を間違えている作品もあるかもです。そのあたりはお許しを。



個人的には以上のように分類しています。
厳密には「ほのぼの日常もの」なのは③~⑤だと思いますが、イメージを伝えやすくするために①、②も入れました。

で、私はこれらが全部好きです。
笑ったり癒されたりします。

しかしそうは言っても、やっぱり作品の方向性による好みと作品の雰囲気との相性がありまして、全部同じくらいに好きというわけにはいかないのです。

私の場合はどちらかというと①寄りの作品のほうが好きで、⑤寄りの作品は物足りなく感じる傾向があるようです。

プロフィールに載せている視聴全作品の個人的評価を自分で見直してみても、割と①~⑤の順番に並んでいる気がします。
(もちろん分類を超える相性があり、完全にこの順番に並ぶわけではないですが)


そんなこんなでゆゆ式に話を戻しますと、私にとってのこの作品は「ほのぼの日常系」としては上位になることが多い③分類の作品で、かつ笑いのツボの相性的にもバッチリの作品だったので、ほのぼの日常系として個人的歴代No.1になったわけです。




さて、偉そうな分類をしながら長々とレビューにしてみましたが、その基準は全然客観的なものではなく、かなり個人的嗜好に左右されていると思いますので、まぁあんまり真剣に捉えずに「こんな考え方の人もいるんだな~」程度に思っていただければ幸いです(笑)
{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 12

TAKARU1996 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

ゆゆ式から学び、ゆゆ式を生き、ゆゆ式へ期待しよう

今回は「ゆゆ式」について書いていこうと思います。
私はあまり日常系を好まない性質なのですが、これは自然と観る事が出来ました。
まさかレビューまで書く事になるとは夢にも思いませんでしたが(笑)

さて、このアニメは学生時代に経験していたであろう事を実際に表した「本当」の日常アニメです。
登場人物達がただただ、会話をしているだけ。
登校して友達と話して、時間が経ったら部活に行って後は下校するだけ。
友達の家に遊びに行って、適当に喋って夕方になったら自然と帰るだけ。
イベントなんて物は欠片も存在せず、日常が延々と垂れ流されているのを黙って私達は観る。
ただ、それだけのアニメなんです。(こう書くと身も蓋もありませんが…)

しかし、そのようなマイナスの偏見はこの作品では意味を持ちません。
そんな退屈そうという浅見を吹き飛ばすほど、1つ1つのシーンが凄く見てて楽しく感じるんです。
「楽しい」と言うのは見ていて笑いが堪え切れないような強いギャグを放つという事ではなく、見ていて飽きる余地がないという事です。
会話中、急に話題転換をしてきたり、思いがけないギャグを入れて来たりと次にどんな話が来るのか全く予想がつきません。
少し前に出していた会話内容が部活で使われる事もあります。
極めつけはなんでそんな返答をするのか意味不明になる言葉や突拍子もない発言を登場人物達が吐きまくります。
勿論、細かい説明なんてしません。
会話の内容を理解するために頭を使うと言う点は確かにかなり人を選びます。
しかし、その意味、理由が分かった時、私達の脳にはとてつもない快感と楽しさが生まれるのは間違いないでしょう!!

それだけでは終わりません。
「ゆゆ式」はキャラそれぞれの人物描写と細かい仕草を描き出すのが実に上手いです。
例えばこのアニメに登場するゆずこというキャラ。
彼女は小学校時代の親友同士であった他の2人とは違って、後になってから仲良くなりました。
彼女は元々仲良しだった2人とは違う事に少し疎外感を覚えたり、他人に対して踏み込んではいけない節度があると自制したりするシーンも多いキャラです。
2人の前ではあまりそのような感情を示さずに笑わせようとボケを言いまくったりするいい娘なのですが、たまに態度やジェスチャーに寂しさが表れてしまう事もあります。
その時の描写などは本当にリアルに表現されていて、若かりし頃の自分を思い出しました(笑)
また、いかにも馬鹿そうに見える娘が実は真面目で頭が良かったり、しっかりしているように見える娘が案外お茶目だったりなど、何回も見ないと分からない発見が多くあってよく作りこまれているなあと感じました。

そして、この作品を語るうえで欠かせない言葉、それは「哲学」です。
ネット上で「ゆゆ式は哲学」という言葉を見ていた時、どういう意味なのかずっと疑問を持っていましたが、観ていく内に自然と分かってきました。
日々の会話の中で、主要人物3人はたまにこちら側がはっとするような鋭い真理を言う時があります。
言う人によっては当たり前ともいわれかねないそんな事が抵抗もなく、心にストンと入ってきて、とても考えさせられます。
これはこのアニメの魅力でもあるのでしょう。
また、彼女等は日々の会話の中で様々な事に疑問を持ち、それを情報処理部という部活の中で調べていきます。
その疑問は実に様々で、そこで調べた事を最後にまとめと言う形でホワイトボードに書き記していくのですが、それは知らない人が見たらまるで意味の分からない物。
彼女達とそれを見ていた私達だけが知っている秘密の結論なのです。
その突き止めていくまでの過程と導き出された結果を通して自分たちが作り出した答え。
それはこのアニメの第2の魅力ともなっています。
この2つの魅力こそ、「ゆゆ式は哲学」と呼ばれる所以ではないでしょうか?
勿論、哲学好きの人にもお勧めの内容です!!

他にもopとed、bgmがみんなよい物揃いであったり、作画の細かさが所々際立っていたりと色々宣伝ポイントはあるのですが、そこは置いといて…

最後に「ゆゆ式」のジャンルについて…
一応このアニメは百合アニメというジャンルで括られているようですが、観ている上でそのような感覚は私には全く感じませんでした。
視聴者にかなり媚びたりしている訳でもなく、たまに百合的意味の発言も起こりますが、ギャグとして見ていたのであまり気になりませんでした。
現実にも出てきそうな感じで、私はこの作品を観ていて、中学校時代の女友達がしていた女同士の振る舞いを思い出した位です(笑)
だから自分にとっては日常モノ、ある種の青春モノですかね?
なので百合が嫌いだからちょっと…と言う方でも恐らく大丈夫な作品だと思います(個人的主観ではありますが…)

では以上を持って「ゆゆ式」のレビューを終わります。
このレビューが参考になったのなら、幸いです。



さて、また「ゆゆ式」観てくるか…(絶賛リピート中)

投稿 : 2024/05/04
♥ : 9

90.9 3 4コマ漫画で友達なアニメランキング3位
ぼっち・ざ・ろっく!(TVアニメ動画)

2022年秋アニメ
★★★★★ 4.2 (849)
3467人が棚に入れました
“ぼっちちゃん”こと後藤ひとりは 会話の頭に必ず「あっ」って付けてしまう極度の人見知りで陰キャな少女。 そんな自分でも輝けそうなバンド活動に憧れギターを始めるも 友達がいないため、 一人で毎日6時間ギターを弾く中学生時代を過ごすことに。 上手くなったギターの演奏動画を“ギターヒーロー”としてネットに投稿したり文化祭ライブで活躍したりする妄想なんかをしていると、 気づいたときにはバンドメンバーを見つけるどころか友達が一人も出来ないまま高校生になっていた……! ひきこもり一歩手前の彼女だったが ある日“結束バンド”でドラムをやっている伊地知虹夏に声をかけられたことで、 そんな日常がほんの少しずつ変わっていく――
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

異世界ものときらら系のハイブリット。承認欲求の話ですね。

 なんとなく、最近作画が凄いアニメが増えたなあと思い、本作も何となく眺めていて気が付きました。そうか、この作品は、異世界転生ものなんですね。

 つまり現代でぼっちだったヒロインが、転生してもパーティーに上手くは入れないのでコツコツスライムを倒してレベル上げをしていた。武器はなぜかはじめから最強武器を持っていた。仮面をかぶっているので正体はわからないけど、強い冒険者がいると噂にはなっていた。
 ある日素顔で武器を持って街をウロウロしてたら、パーティーに誘われた。そして、自分も周りからもたいしたことないかと思っていたら、実はレベル99でした。そして俺TUEEE開始。「あの仮面の冒険者はお前だったのか」となり、お金も稼げて、皆から承認されて最高です…という話でしたね。

 だから、努力する姿とか、強くなるためのきっかけとか描けなかったんですね。それを描いてしまうと「転生もの」ではなくなってしまいます。レベル上げの部分は見せないのがマナーです。そして、なぜ強くなるかと問うてはいけないわけです。設定で解決するしかないですね。

 ロック・音楽ものでもないし、ぼっちをテーマにした作品ではなく、承認欲求の話だと。

 ひょっとしたら自分は特殊なんじゃないかという「ある日突然ガンダムに載ることになった」「コンパクトを貰って魔法少女になった」の変形としての異世界転生ものと同じマインドでこの作品は見たいわけです。
 才能と努力の先に「努力をした人だけが到達できる高み」に見えてはいけないということですね。逆にいえば「ひょっとしたら自分もそうなれるかもしれない」という魂の救済にならないといけないのでしょう。

 ぼっちちゃんの結束バンド加盟もリアリティを求めてはいけないわけです。異世界ものでパーティーに加入するのに理屈もプロセスも要りません。「お前はいらないか?」で済ませるから、いいのでしょう。それにギルドの上納金(チケット)で困ったりもしてましたね。

 そう考えると、本作の見方が「ロック・音楽ものとしてどうなのよ?」という意見と「いや、そういうアニメじゃないから」という意見が対立するのもわかります。「けいおん」がきらら系で日常まったりゆるふわに対して、本作は承認欲求=異世界そのうちでも追放ものでしょうね。そのマインドと重なる気がします。

 というかキャラはきらら系日常もの、ストーリーは異世界転生もののハイブリットといえると思います。人気の理由がわかった気がしました。なるほどなあ。音楽関係者が批判したら的外れになりますね。
 




以下 初回レビュー時の総評です。

「ぼっち」を嗤うのは卑しい。「音楽」作品ではない。キャラ消費作品。作画はすごい。

 面白い部類だとは思います。作画のレベルも高くライブのシーンは良く動いていました。

 ただ、テーマとして「ぼっち」を笑うのままに終わってしまったのが、残念です。作中ではぼっちちゃんは認められて行きましたが、メタ的には1話同様、ぼっちであるヒロインの滑稽な姿を見て、ちょっとブラックなマインドを刺激するようなギャグが続いたのがやはり気に入りませんでした。その笑いはちょっと卑しいかなあ。

 ぼっちの自己認識と周囲からの見た目のギャップがほのぼのと言えばほのぼのなんでしょうけど…これをぼっちは自分で思ってるほどじゃないから、気にしないでがんばろうとも取れますけど…うーん。

 ぼっちちゃんは、社会不安障害(昔でいう対人恐怖症)ですよね?自分はコミニュケーションしたいと思っても自己肯定感が低くて恐怖を感じているわけで…つまり、他人からの見たぼっちちゃんがどうこうではなく、病気で苦しんでいる状態なので、その滑稽さを笑うのは障碍者を笑うようなものだからなあ。「笑う」ではなく「嗤う」ですね。
 これが孤高の人で、一人上等、友達不要、バンドは仲間じゃなくて集団だ、なら全然いいんですけど。


 後は、ぼっちちゃんのギターに対する情熱が見えてきません。ぼっち脱出のモチベーションでしかないとしたら、音楽である必要もないし。1話でテレビを見て音楽に目覚め、ギターやりたいというシーンは確かにありましたけど、その後、ぼっちちゃんが音楽表現に熱くなっている描写ってありました?ギター演奏をこなす描写はありましたけど。

 最終回の後半はなんか「けいおん」の楽器店に行くところの焼き直しだしなあ。自力でお金を稼げるという一つのカタルシスにはなるのかなあ。
 やっぱりライブで締めるべきだったと思います。肝心のライブも作画に力が入っていたのはわかりますけど、壊れたギターで何とか演奏する…という技術と対応力の凄さはわかりますが、やはりぼっちちゃんの「ギター演奏」に対するこだわりではなく、音楽マインド、表現の情熱に肉薄できてないと思いました。

 つまり「バンドもの」「ギターもの」ではあっても、「音楽」を扱った作品に見えません。ロックの名を冠するからには「ロック魂」も見せてほしかったなあ。「ぼっち」と「ロック魂」の親和性は良いと思うんですけど。

 そう、全体的に内面が薄いですね。キャラ達の。感情移入の相手先が結局みつかりませんでした。

 癒し成分も萌え成分も少ないので、きらら系作品としては普通?ギャグはまあありますけどちょっと卑しい笑いだしなあ。脚本や演出それぞれのレベルが高いのはわかりますが、焦点がわかりません。

 作画はちょっと過小評価されている気もしますが。このちょっと崩れた感じのマンガ絵を立体的に動かすのは大したものだと思います。それと演奏シーンは実演奏をモーションキャプチャーして3DCGでモデリングした後、2Dのエフェクトかけて、手で修正している感じ?専門ではないので細かいことはわかりませんが、演奏シーンの動きとか見ると多分それに近いことをしている気がします。

 その点で力が入っているのはわかります。スタッフのクレジットがキャストの上に来ているエンドロールって久々に見た気がしますが、それだけアニメ作りに力を入れたのでしょう。
 このアニメ動画としての秀逸さは素晴らしかったと思います。

 本作の真価が問われるのは、これから半年後にどれくらい話題になっているか…といいたいところですけど、この考え方もちょっと古そうですね。瞬間でバズって「期」の3ヶ月の盛り上がりで楽しむ、というのがアニメの消費の仕方になったんでしょう。ということは深みよりも、キャラと雰囲気、エピソードありきに寄って行くんでしょうね。





以下 視聴時です。

1話 「ひとりぼっちを笑うな」じゃ、ないんですね。

{netabare} あー、そもそもぼっちをネガティブにとらえている段階で、視点が相当古いですね。ぼっちを止めるためのバンド活動のモチベーションで音楽って…ちょっとなあ、ですね。単なるルサンチマンですからね。エネルギーがクリエイティブに向かうのはいいですけど、アウフヘーベンできてないですね。

 そもそもボッチ設定がちょっと不自然だし。「私なんかが入ってもいいだろうか?」と思う子は少なくともいないんじゃないかなあ。幼稚園くらいなら「なんであいつら群れてんだろう」「子供すぎてついていけない」か「仲間にはいりたいけどはいり方がわからない」「拒否されるのが怖い」とかでしょうねえ。
 つまり、ボッチじゃない人が作ったボッチ作品の気がします。

 蛭子能収氏の「ひとりぼっちを笑うな」的な話かと思ったら、ヒロインは一人だから寂しいというマインドです。なれ合いを否定して1人で成り上がって行くのもたまにはみたいなあ。ボカロPで、一人で超メジャーになった人もいっぱいいますので…うーん。
 中学校時代6時間毎日演奏できる才能があるなら、その一人で出来る才能がクローズアップされるのもいいのでは?

 固い事いわずに、日常系ギャグとしてみるならいいでしょうけど、友情とか仲間とかなれ合いに行くなら、なるほど「けいおん」で、あずにゃんに逆戻りですね。そのあずにゃんですら、ギターありきでしたし、自分で積極的に活動してましたからね。ユーフォの麗奈の完全な逆ですね。アイドルアニメのバンドバージョンかなあ。

 ワタモテのマイルド日常版って感じですね。ワタモテはあまりに生々しすぎてみるのが辛いくらい、ボッチの精神性が描けていたので非常にいい作品でしたけど。

 テーマ的には興味あるのでチェックすると思いますが、思いっきり拒否反応が発生する可能性もあるかなあ。{/netabare}


3話 音楽に対する情熱も、ぼっち設定もコメディーの舞台設定

{netabare}  全部がゆるーいなんちゃって設定かなあ。きらら系用のギミックですね。4人目の子もなんだかわからないキャラだったし。

 ストーリーではなくて、キャラとかエピソード重視ならいいかもしれませんが、テーマ性は感じられませんでした。背景が薄いので登場人物のキャラ設定が不自然で行動に納得感がないです
 特にヒロインのキャラ造形は、世界を広げたいわけでもないし。音楽に情熱があって音楽をやる手段としてぼっちを克服するという背景もないし。溺れるもののワラで依存状態に陥っているんでしょうけど、依存状態としての描写も不自然です。ですので面白さが拾えませんでした。

 また、「ぼっち」という苦痛を抱えているキャラを弄んでギャグにしている感じが、私には合わないので撤退です。
 ギャグだったらボッチ設定でもいいから、ボッチの行動の滑稽さを笑うようなのはやめて、人を見下さないギャグにしてほしいなあ、と思います。ボッチの滑稽を笑うなら、むしろテーマ性がある場合に許される展開な気がします。

 この段階の断念はデフォルト3にする方針だったんですけど、本作はあまりにひどいので物語とキャラは落としておきます。 {/netabare}



6話 ひとりぼっちの性格を自己肯定して、バンド活動を仲間ごっこにしないなら面白いかも。

{netabare}  新キャラと出会う、ご都合主義展開ではありますが、ひとりぼっちの性格を否定しないで前に進んでくれるなら、それはありかなあ。

 その点でこの6話はちょっと良かったと思います。結束バンドに頼らないで、自分で何とかするところがいいので、この6話みたいのが続けば面白いかも。

 ひとりぼっちでもバンド活動で活躍できるとか、観客は自分の人間性を査定しにくるわけじゃなくて、音楽を聴いてくれているとかそういう方向なら面白いかも。結束バンドありきで、仲間になる話ならありきたりだけど。

 断念したにしてましたけど、チェックすると思います。{/netabare}


8話 「ぼっち」=劣等感パワー覚醒。仲間ごっこが出来るかが大事じゃなくてやり続けたギターがアイデンティティになって行く。

{netabare} 「ぼっち」とは裏を返せば劣等感です。これは非常に現代的なテーマで、金銭を稼ぐ、話題が上手い、友達が多い、そしてモテる。そんなのが大事だと、市場原理によって洗脳されて、自己評価が低い人間ばかりになっている気がします。

 スクールカースト等でクラス内のキャラ付けみたいなロールプレイが支配的な感じがありました。演技でキャラ付けしてみんな疲れ果てていた気がします。そして、今やSNSの中で自分を飾ることが価値になっています。それが国民総劣等感、国民総不幸になっている気がします。

 物語は、ぼっちちゃんの周辺の人間の何かも見えてきました。必ずしも心に何か抱えているのはぼっちちゃんだけではありません。

 そして、ぼっちちゃんは強烈な劣等感に苦しみながらも、技術を極め、そして、自身の価値を自分の手でつかみ取りつつあるように見えます。

 8話のぼっちちゃんは、劣等感をエネルギーに変えて技術に変えたその結果が出ました。突出した技能や好きなことを完遂できる力こそ最強なんだぞ、というふうに見えてとても良かったです。

 7話の両親のデリカシーの無さにイライラしましたけど、8話と対比することで家族ですらぼっちちゃんの価値に気が付いていないと取れます。が、あるいは既にぼっちちゃんの価値を理解しているから無神経に見えるだけかもしれません。

 バンドメンバーや周囲の音楽関係の人間はぼっちちゃんの価値というか、すごい存在だということに気付き始めました。分かる人には分かる、ですね。8話のぼっちちゃんの自己肯定感はまだまだですが、覚醒はとてもよかったです。

 早くぼっちちゃんには自分の価値に気が付いて欲しいです。仲間ごっこ、群れるのが大事なんじゃないと言う含意も見えてきました。初めの方の内容がヌルくて不快な展開な気がしましたが、どんどんいい方向になっていると思います。7、8話は明確にこの辺が出てきました。

 ただ、この作品は、この「ぼっち」のままの「自己肯定」こそが、大事だと思います。1クールで結論を出してその先は描かない方が良いと思います。{/netabare}


10話 どうせきらら系だからこれでいいんだ、という評価で終わるのでしょうか?

{netabare} きらら系ということで、ギャグ要素としてある程度ぼっちいじりはやむを得ないのかもしれません。原作は見てないですが4コマだとしたら、まとまりがない話があってもしょうがないでしょう。

 ですが、アニメ化にあたってはそれは7話以前で済ませておいてほしかった気がします。9話でまた逆戻り、10話は以前やった話の繰り返しみたいなものでした。

 逆説的な言い方をすれば「きらら系になにを期待してるんだ?」とか「こんなきらら原作のアニメに何言ってるんだ?」というレベルで終わらせるには惜しい部分があったと思ったのですどうでしょう?

 友情ごっこはではなく、孤独だからこそギターがアイデンティティとなって、音楽で広がる世界が見たかった気がします。文化祭で喝采を浴びて終了なら、原作がどうか知りませんが、少なくともアニメに関していけば肩透かしかなあ。
 エンタメとして楽しむと割り切るにはギャグとしては単調だし、暗い話題だし…うーん。

 中途半端にキャラ萌えだけで終わってしまうのでしょうか?9話とか必要ない話がもったいなかったなあ。{/netabare}


11話 サブタイトルのセンスがいい。学園祭で終わる雰囲気ですけど…

「一二進法の夕景」というサブタイトルは詩か?今までの時間の経過に区切りがつく直前のイメージ、あるいは明日のライブまでのカウントダウンの意味でしょうか。またはぼっちが一人でギターをやり続けてきた時間のことか。このサブタイトルを誰が付けたか分かりませんが、センスを感じます。

 本作は「けいおん」との比較論がありますが、あれはアニメ史的には女子だけ部活ものとしてほぼオリジナルという点と、昔の京アニの面白い演出で秀作ではありますが、今この時代に新作としてもってくれば、多少出来がいいキャラ萌えゆるふわアニメでしかありません。脳みそ停止系のアニメです。音楽は良かったですけど。

 本作のぼっちは「映画大好きポンポさん」のジーン君の学生時代を描いているような印象を受けます。設定も人間の病理である対人恐怖とギターと言うアイデンティティの問題。音楽という才能と技術追及の厳しい世界の話です。

 設定だけみれば「けいおん」とはまったく違う方向性の話で、同じカテゴリーには見えません。

 ただ、文化祭ライブで活躍して「仲間になった」「みんなから認められた」レベルなら「けいおん」の方向に収束していってしまうかもしれません。
 
 私としては最終回が、ぼっちちゃんのあまりのレベルの違ううまさに、バンドメンバーを置いてけぼりにして失敗するような展開なら、これからもっともっと面白くなる気がします。
 
 そもそも、ぼっちの一番の不明点は音楽を愛しているのか?ですね。これが描けていない気がします。ひとりぼっちを脱出するツールになっています。
 これからでもいいので、音楽愛に目覚める。自分がこんな狭い世界でいいのか、で、広い世界へ。でも、性格は相変わらずぼっち、みたいな展開になるかですね。

 6話、8話のぼっちがバンドの他の誰よりもうまいという部分。動画の伏線。青春のすべてをギターにかけていたという部分を切り取ると、名作になる要素はあると思います。

 最終回どうなるでしょうか。単に仲間を見つけた、みんなに承認されたなら、凡百のアニメ、普通にまあまあのアニメになるでしょう。どうなるでしょうか?

投稿 : 2024/05/04
♥ : 35
ネタバレ

フリ-クス さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

へいおん!

男の子が『もてたいから』という理由ではじめる趣味の一つ、
というか、そういう趣味の代表格として『ギタ-』というものがあります。
はい、拙もアコギとエレキを所有しております、ごめんなさい。

もちろん『ギタ-が弾けりゃサルでもモテる』ということはありません。

  もともとモテ要素のある男の子が、
  きちんとモテに値するだけの技術を身につけ、
  ふつうにモテそうな音楽を演奏をするから、

モテるのであって、
そうじゃない場合は、概ね、かすりもいたしません。
聞いてるか? あの頃の僕。


さて、本作のヒロインであるぼっちは『陰キャ美少女』であります。
幼稚園の頃からふつうにぼっち生活、
友だちもおらず、家族以外との会話はほぼコミュ障レベルでありました。

そんなぼっちが『こんな自分でも輝けるかも』という理由で、
中学一年生の時にエレキギターをはじめます。
さて、ぼっちは自分を変え、みごと輝くことができるでしょうか?

  ……って、もちろんそんなうまくいくはずもなく。
    世間なめとんか、自分。

コミュ障も治らずバンドも組めず、
ソロ弾きだけがやたらうまくなっただけの三年間。
そんなぼっちが高校に進学し、
ひょんなことからガールズバンドに入ることになってなんやかんや、
というのが本作の概要であります。

原作は、はまじあきさん。女性。
きらら枠のJKガールズバンド日常系ものということですから、
あの『けいおん!』の正統的な系譜に属する作品ですね。

製作がSME系列のアニプレックス、
制作はその子会社のCloverWorksということで、
バチバチの音楽系企業がモノづくり母体となっておりまして、

  いよいよ『けいおん!』を超える作品ができるかな、
  超えたらいいな。
  いや、むしろ超えて欲しい、

と、放映前から個人的に期待していた一本です。

で、そのへんどうだったのよ、という結論から先に言いますと、
確かにすごく面白い。ほんと面白いっちゃ面白いんだけど、
改めて『山田尚子監督のスゴさ』を思い知らされた、
みたいなところに落ち着いちゃうのかな、と思う次第であります。
(あくまでも個人的な印象の話なので、あまり気にしないでおくんなまし)


原作素材としては、こっちの方がダンゼン面白い、と拙は思うわけです。

てか『けいおん!』の方は男性作家の原作だったので、
悪い意味での『オトコの身勝手な妄想』押し付けがてんこもり、
ウソ800のお花畑物語だったわけでありまして。

  ガチで練習したがっているメンバーと、
  遊んでばかりでろくに合わそうともしないメンバーが、
  仲良しこよしでキャッキャウフフ。

  なんかね、もうね、その世界観自体が妄想以外のなにものでもなく。

  そもそも楽器や音楽がホンキで好きならば、
  一分でも一秒でも長く演っていたいというのが初心者バンドの心理であります。
  ソロ練習は一人でもできますしね。

  よしんば、真面目に練習したがらないメンバーがいたとしても、
    あっさ~、悪いんだけど、やる気ないんならやめてくんない?
  などとシメられるのがふつうの姿かと。

  ところが同作では、ちょっとすねたり文句言ったりするだけで、
  ついついつられて仲良しこよし。
  まさに全てをやさしく抱擁する母性のかたまり、ミルキーはママの味。

  いやほんと、おまえらいったい女子高生になに求めてんだ。


そういう意味では、本作の方がよっぽどヒトのカタチをしているわけです。

陰キャでコミュ障のぼっちが仲間からよくしてもらえるのだって、
  ① 本気でギターが好きなのが伝わってくる。
  ② 接客だのなんだの、苦手なものでも頑張って取り組んでいる。
  ③ 片道二時間もかかる下北まで小まめに通ってきて、練習をサボらない。
という『ヒトとして認められる』部分、リスペクトがあるからであります。
{netabare}
ライブ前に逃げ出した喜多郁代がバンドに復帰できたのだって、
  ① 本当のことを白状して誠心誠意あやまった。
  ② 罪滅ぼしとしてライブハウスのバイトを明るく元気にがんばった。
  ③ そのまま帰るところを、ぼっちが必死に引き留めた。
からであって、ただ単に皆がお人好しだからってわけじゃありません。
{/netabare}
このあたりは、さすが女性作家の原作、という感じであります。
基本的には登場キャラみんな性格がいいわけですが、  
それでも『いいよいいよ』で許される点と許されない点の線引きがしっかりと。

  女の子みんながみんなお砂糖でできているわけじゃない、
  そういう『あたりまえのこと』が、
  ちゃんとあたりまえに描かれているところが実に良き、であります。

音楽的にも、こっちの方が本編で許容される幅が広いですしね。

あっちは、女子高のお遊び部活バンドのお話。
かたやこっちは、
まがりなりにもライブハウスに出演してプロを目指しているという、
ひよっこながらもガチバンドのお話ですから、
演奏レベル的にワンランク上の表現をしてもおとがめなし。

そんなわけで本作は、
原作的に『けいおん越え』ができる要素が大きかったわけです。

  人のカタチはこっちの方がまとも。
  音楽的に許されるキャパも、こっちの方が上。
  作画もCloverWorksなら当時の京アニとタイマンはれますし。


実際、すごく面白い作品に仕上がりました。

登場するキャラはそれぞれきちんと立ち上がっているし、
ヒロインであるぼっちの陰キャ・コミュ障属性も、
人のカタチのデフォルメ、キャラの『個性』の範囲に踏み止まっています。

  そもそも『陰キャ』という言葉って、
    オレだけが正しくて世間が間違ってる、ガッコ-なんてアホの集まりだ
  なんて下っ端パヨクみたく必死に自己肯定してるイメージなんですが、
  ぼっちは引っ込み思案をこじらせてるだけですしね。
  他人を否定しないところ、よきです。応援してあげたくなりますもの。

バンド女子たちの楽しい日常みたいなのも描けているし、
ちょい年上のおねいさんを登場させることで、
女子高生のみの『狭い価値観』に縛られない奥行きもしっかりと。
ボケとツッコミのセンスや会話リズムは耳に心地よく、
ちょっとダークな厭世ギャグも嫌味がなくて、安心して楽しめます。

きらら枠に期待されているであろう女の子のきゃぴきゃぴ感も出ているし、
ライブシーンは映像・音楽ともリアルかつカッコいい。
顔芸演出が多すぎ・ひつこい以外、欠点らしい欠点が見当たりません。


ですから作品単体で評価した場合、
僕のおすすめ度は、ほとんどSに近いレベルのAランクです。
とくに視聴者を選ばない、万人向けの楽しい一本ではあるまいかと。

  萌え、青春、ギャグ、そして耳になじみやすいPOPロックと、
  一つ一つの要素を丹念に磨き上げて詰め込んだ、
  海原雄山もびっくり、至高の幕の内弁当みたいな仕上がりになっております。

全編を流れる音楽、音作りは丁寧そのもの。
第八話、初ライブのノってない演奏や徐々にキレを取り戻すボーカルなど、
別どり収録して説得力をもたせているのは、ぱちぱちぱち。
ときおり覚醒するぼっちのギターも『女子高生離れ』しているし、
一回だけ登場したSICK HACKなんか、ちゃんとサイケロックになってますもの。
{netabare}
  ちなみに最終話でぼっちが演ったボトルネック、
  あれ、カップ酒のビンでやるの、けっこうムズカしいと拙は思います。
  ふつうは専用の器具を指にはめてやるんですよね。
  僕は薬指にはめてやるんですが、
  全然、まるっきり、きれいに鳴らないんだ、これがまた。
{/netabare}

音楽を支える映像・作画も充分に及第点。
動かしやすくするためにあえて線の少ないキャラデにしたらしいけど、
違和感なく、萌えは萌え、ライブはライブでさまになってます。

  特にライブシーン、ぼっちがカッコいいのはもちろんだけど、
  リズムセクションの二人、
  ドラムとべ-スが時折り視線を交わして確認しあうところがステキ。

  ていうか、喜多郁代を除く全員(SICK HACKも含む)の、
  ステージで演奏している立ち方がすごくキマっているんですよね。
  日常パ-トと全然ちがう。デッサン、すげえそす。

  その喜多ちゃんも、ギタ-を弾きなれてきた最終回では、
  ライブの立ち姿が格段にキマってきていて、
  このあたりの繊細な描き分け、ものっそいこだわりだなあ、と。


役者さんもかなり頑張っています。

個人的にMVPをあげたいのは、伊地知虹夏役の鈴代紗弓さん。
このバンドの編成って、実は虹夏しかツッコミ役がいないんですよね。
おなじく陽キャラで口数の多い喜多郁代(長谷川育美さん)は、
かぶり回避のためノリボケに振りぎみなわけで。
日常会話パ-トがあれほど自然に楽しく回ったのって、やっぱ鈴代さんの手柄かと。

  そして、ヒロイン後藤ひとり役の青山吉能さん。
  デビュ-作『Wake Up, Girls!』で山〇寛に散々ミソつけられただけに、
  いい役引けてよかったなあ、と。
  まだまだ26歳と若いだけに、歌や音楽に色気を出さず、
  きちんと芸を磨いて『役者』としての地盤を固めて欲しいものであります。

  それと、山田リョウ役の水野朔さん、
  どっかで見た名前だと思ったら『後宮の鳥』柳寿雪役だった人ですね。
  特別うまいわけじゃないけれど、声に表情と味があり、
  まだ23歳だけに、磨き方次第で大化けする可能性がある逸材かも。
   (ただ、所属がSMAだけに、
    楠木ともりさんみたく音モノ仕事ぶっこまれそうなんだよなあ)

  あと、JKじゃない『大人チ-ム』に、
  内田真礼さん、小岩井ことりさん、千本木彩花さんと、
  キャリア充分の演技派をもってきたところも、ナイスチョイスかと。
  それぞれが自分の立ち位置をしっかり演じてるおかげで、
  結束バンドの『地に足がつききらない若々しさ』がうまく浮き上がっています。


と、いうことで、かなり褒めっぱなしの本作なのですが、
それじゃ『けいおん!』なみのインパクトがあったのというと、
最初に書いたように、それほどでもないわけであります。

こっから先は作品単体の評価じゃない『比較論』ですから、
まるっとネタバレで隠しておきます。
読んでも読まなくてもまるっきり問題ありませんし、
本作が『すごく楽しい・よくできている』という評価は変わりませんから、
そこんとこはヨロシクだもの。
{netabare}

拙が愚考いたしますに、
本作って全体的にいい意味で、そしてちょいネガティヴな意味で、
『無難』『平穏』なモノづくり、なんですよね。

原作のよさを最大限に生かすべく、

  バンド女子のあるあるを前面にフィ-チャ-してみたり、
  ぼっちのキャラクター性をコミカルに描いてみたり、
  キモであるライブの音源に徹頭徹尾こだわりぬいてみたり。

つまり監督の斎藤圭一郎さんは、方向付けとして、
『与えられた素材を磨き上げて』作品を昇華させていったわけです。

これに対して『けいおん!』監督の山田尚子さんは、
原作に『足りない』と感じるところを、
4コマであるのをいいことに、拡大解釈を重ねて修正していったわけです。

  足を広げて座らせたり、おカネの苦労をさせたり、
  お砂糖だけじゃないところを少しずつ水増しすることによって、
  キャラクターに血肉を与えていった。

  そして、最大のネックである『女子高のお遊びバンド』である点。

  これをEDで『将来成功してプロになった』という仮定の元、
  PV形式でそれを表現していくということで、
  音楽的・映像的な制限をものの見事にとっぱらっちゃいました。

  最初のED曲『Don't say "lazy"』のイマジネーションあふれる映像、
  とりわけ澪の『右見て左見て』カットは、
  それまでのアニメの常識を覆す、衝撃的な、才気ほとばしったものでした。
  曲そのものも、そして演奏も、ガチプロでしたしね。  

  これらによって原作には存在しなかった表現の幅と奥行きが生まれ、
  凡庸な萌え四コマにびしっと芯が通り、
  メリハリの利いた楽しいアニメ作品になっていったわけです。

つまるところ、
  斎藤監督は『原作から想像できる最良の作品』をつくりあげ、
  山田監督は『原作からは想像もできないような作品』をつくりあげた、
というのが、僕の両作品への評価です。

作品の内容は圧倒的に『ぼっち』の方が好きですし、
正直、アレなひとたちによる『けいおん!』フィーバ-にはげんなりなのですが、
それでも、たとえそうであったとしても、
モノづくりのクリエイティビティという観点からすると、
どうしても山田監督に票を入れざるを得ない、という結論になっちゃいます。

  誤解のないように付け加えておきますが、
  斎藤さんも、誠実できちんとしたモノづくりができる、
  とてもいい監督さんだと思います。

  ただ、山田尚子さんが『ばけもん!』なだけです。

  だってその『けいおん!』が監督デビュ-作なんですよ?
  京アニ入社して5年で監督任されたんですよ?
  入社するまで芸大で油絵描いたり発泡スチロールけずってりしてた人なんですよ?


ちなみに本編に出てくるライブハウス『STARRY』、カッコいいですよね。
下北沢にある『SHELTER』が外観モデルになっているらしいです。
どこまで忠実に再現してるのかは、行ったことないのでわかりませんが。

  社会に出てからって、
  知り合いとか関係者に招待される以外で、
  ちっこいハコのライブに行く機会ってホントありませんしね。

  僕が学生の頃は実家通い、京都在住だったので
    『拾得』(実家がすぐ近くだった)
    『ブルーノート』(いまは奈良に移転しちゃったらしいけど)
  みたいな知る人ぞ知る伝説級の、
  そして激シブの店にちょこちょこ行ってました。

  当時の『ブルーノート』ってかなりフランクな感じで、
  お客さんが勝手に即興で演りはじめちゃって、
    君、フリっつったっけ?
    ギタ-だろ? 一緒にやろ~よ。
  なんてあたりまえっぽく声かけられちゃったりするんですよね。

  はっきり言って拙の腕前は
    学園祭で英国バンドのヘタコピ演ってイキってる中坊
  とトントンぐらいのものでありまして、
  (運動部員の手すさびギタ-なんてそんなもんです)
  カドが立たないよう笑いを取りながら断るのにけっこう苦労しました。

    だってあいつら、フツーに芸大レベルのヤツばっかなんだもん。

                          死ぬわ。

{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 35
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

転がるぼっち、笑い転げるオレっち

陰キャでボッチでも、バンドなら陽キャでリア充になれる!
とギターを始めるも、コミュ症故にネット動画配信に籠もっていた主人公・後藤ひとりこと“ぼっちちゃん”が、
“結束バンド”の仲間ら、人と接する度に自己嫌悪等を悶々とこじらせながら、
夢のバンドライフ実現に向けて三歩進んで二歩下がったりする。
「まんがタイムきららMAX」連載中の原作コミック(未読)のアニメ化作品。

【物語 4.0点】
大筋は典型的なバンド青春物。やはりライブがヤマ場。
だが、ぼっちにとっては、バイトする、友達を家に呼ぶといった当たり前のコミュニケーションが、
ライブに匹敵する生命の危機、ギャグもしくは妄想ワールドへの大脱線へと展開。

ぼっちちゃんの将来悲観妄想が具体的過ぎて笑えますw
{netabare}その心太(ところてん)俺が買ってやるから{/netabare}って感じで居た堪れなくなりますw
結果、客観的に見てバンド活動は進まなくとも、毎回笑って楽しめるので捨て回がない。

普段、情けない感じのぼっちちゃんだが、決める時は決める。
ぼっちちゃんの凄い所をちゃんと見ているバンド仲間を通じて、
自身が見えていなかった長所を発見し、
承認欲求よりもかけがえのない自己肯定感を獲得していく。

マイナス思考で地べたを転げ回っていたぼっちを見て笑い転げた末に、
終わってみれば良質な王道青春物の余韻が残る満足度の高いシナリオでした。


【作画 4.0点】
アニメーション制作・CloverWorks

ぼっちちゃんは低すぎる対人スキルやメンタルのメーターが振り切れる度に、
バグって、顔面の各パーツが散り散りになるわ、{netabare}黒部ダムだわ、胞子飛ばすわ。{/netabare}
実に多彩な表情で楽しませてくれます(笑)

ところで、原作者によると、ぼっちの身体は人体ではない設定だそうでw
よって、ぼっちちゃんの形態変化はデフォルメではなく、リアリティの追求w
だからこそ、ぼっちちゃんは幾度も死と再生を繰り返しますし、
結束バンドの仲間たちは、実際に視認した崩れたぼっちちゃんの顔面も味だなと論評しますし、
{netabare}紙やすりでぼっちちゃんの顔を整え損ねたりもするのですw{/netabare}

この形態激変モンスター・ぼっちを映像化するため、CloverWorksは時に実写の挿入も厭わず尽力。

その他のキャラについても、絵を整えることのみに囚われない。
適宜、絵を崩す遊び心で視聴者を結束バンドに拘束。


3度のバンド演奏シーン。
実際の奏者の動きを取り込んで臨場感を演出。
作画カロリーよりも、ギターの運指に至るまで音響と絵を合わせる調整力が半端ない。

結束バンドの結束が尻上がりに上昇するのに比例して、
演奏シーンに込められた情報量も右肩上がり。
よって満足度も最後のライブが一番という方が多いのは分かります。
ですが私の場合は3回目の演奏シーンは、よもやここまで作画に濃密な情報を詰め込んでくるとは思っておらず。
加えてギターに疎い私にとっては{netabare}ボトルネック奏法がどれくらい凄いことなのか即座に理解できず。{/netabare}
パンクしてバグったぼっち状態にw

落ち着いて整理して再見すると、
{netabare}喜多ちゃんのアドリブフォローだったり、虹夏とリョウが阿吽の呼吸でリピートして場をつないだり、{/netabare}
結束バンドが結束している細かい描写がエモいと分かるのですが。

結局、私は2回目の演奏シーンが一番シンプルに感動できたので何度も再生しています。
ぼっちちゃんのアドリブギターパフォーマンスから曲が始まる流れは何度見てもシビれます。


【キャラ 4.5点】
結束バンドの各キャラがぼっちちゃんの自己発見に寄与した点は前述の通り。

ぼっちちゃんの家族について。
当初、私は、妹の後藤ふたりに、ぼっちちゃんの陰キャの傷に塩を塗り込む役をさせる以外は、
最後まで表情が描かれない父など、家族があまり存在感を見せない作品。
娘がロックに走っても無関心な両親なの?と思っていました。

これがまさか最終回のギャグで伏線回収するための家族の潜伏だとは思いもよりませんでしたw
{netabare}動画投稿サイトで虚言を吐く娘を見守ってきた父の心境は如何にw
……いや、ちゃっかり広告収入稼ぐ辺り、あんまし気にしてないのかもw{/netabare}


中盤、出没した酔っぱらいベース・廣井きくり。
バンド知識が乏しい私にとっては、ぼっちちゃんのスイッチが入る時、演奏の変わり目を察知するナビゲーターとしても重宝。
それにしても、きくりの飲酒が無限ループする“幸せのスパイラル”を回す原資はどこから来るのか謎ですw
リョウといい、きくりといい、ベーシストは誰かに集るものなのでしょうかw


【声優 4.5点】
ぼっちちゃんこと後藤ひとり役の青山 吉能さん。ぼっちだが独り言と妄想によりセリフ量は膨大。
加えてその生態から人の枠を越えた演技も求められますが、魂の怪演によりクリア。

特に4話の{netabare}SNSで自らが承認欲求モンスターを生み出してしまう恐れから、{/netabare}
いつもより余計に自我が崩壊した際に上げた奇声を“加工なし”で熱演した件には恐怖すら覚えますw
まさか、よっぴーにこれ程までのエンターテイメント性があったとは。間違いなく彼女の代表作ですね。


ボーカル・喜多郁代役の長谷川 育美さん。
ひとりカラオケで鍛え上げたという歌唱力も上々。
リア充独特の後光のSE?「きたーん」もフォローし、ぼっちに有害な陽キャ光線を照射w

ドラム・伊地知虹夏役の鈴代 紗弓さん。
特に夜道でぼっちちゃんを呼び出した際の語り口は天使としか言い様がありません。
前クールでの『シャインポスト』TINGSセンター役といい、さゆみんキテますね~♪


【音楽 4.5点】
結束バンドによる主題歌、挿入歌。
キャラ回だからキャラソンでテコ入れという感じではなく、
数話かけて、視聴者とキャラ理解が共有できた、
ここぞというタイミングで満を持して投入するので、歌詞一つ一つが心に響いて来ます。

虹夏のタイトル回収からの「なにが悪い」へのED切り替えなど完璧。
よって「なにが悪い」がイチオシになる方が多いのも頷けます。
ですが、ここも私は「あのバンド」がお気に入り。
結局、私は{netabare}野草{/netabare}食ってようが、ぼっちに集ろうが、
孤高の信念を貫くリョウというベーシストが好きなのでしょう。


【余談】
作品人気を受け、調子に乗った芳文社。
原作連載雑誌の付録に“ぼっちちゃん福笑いセット”を用意し、ひと儲けしたそうで。
顔面のパーツをどこにどうばら撒こうが、ぼっちにしかならない。凄いw


【5話感想】「ギターと孤独と蒼い惑星」結束バンド……良いロックじゃないか👍
{netabare}
ライブ出演オーディションにて、ようやく披露された挿入歌「ギターと孤独と蒼い惑星(ほし)」
演奏するキャラのCGはそこそこでしたが、踏み込んだ靴がキュッと鳴ってぼっちのギアが上がる演出など、
やはりスタッフはここに力を入れて来ました。

今回、挿入歌の作詞を担当したのはZAQさん。
『よう実』OP主題歌などでも知られるシンガーソングライター。
詞のパンチ力はそのままに、ぼっちちゃんが徹夜で考えた陰キャ&中二病の歌詞世界という設定に寄せるため、
絶妙に未熟で青臭い感じに調整されているのに唸らされました。

ボーカル・喜多 郁代役の長谷川 育美さんの歌声も陰鬱とした歌詞と合っていて良かったです。
もっとも、陰キャ・ぼっちちゃんの目が眩むくらいの後光が差す陽キャの喜多ちゃんは、普段こんな鬱々としたこと考えてはいないのでしょうがw

尚、公式では作中ライブシーン動画と合わせて、
リリックビデオ風のMV(FullVer.)も公開されているので、
アニメ未見の方も、まずはこれだけでも見て、
劣等感を燃料にしたロックに殴り倒されてみて欲しいです。
そこで、何か刺さる物があったら、多分アニメも行けるかと思います。{/netabare}


【4話までの感想】ぼっちちゃんガンバレ~
{netabare}
ぼっちちゃんが根暗なだけならハマらなかったのでしょうが、
彼女の場合は理想と現実のギャップが激し過ぎる故のアイデンティティ崩壊芸が笑撃的で、私も無事、結束バンドに拘束されましたw
ぼっちちゃんが極度に狼狽した際の、
垂れた両目が著しく離間した、あの情けない顔が頭から離れませんw
でも心身が溶解するくらい、いや、むしろ{netabare}プランクトンだの、ゾウリムシだの、下北沢のツチノコ{/netabare}だの、人ならざる物に成り果てて(笑)まで、
落ち込むのは、ぼっちちゃんが変わることを諦めていないから。
こういうキャラは、あんましプレッシャーかけるのも良くないのでwゆる~く応援したくなります。


CloverWorksのアニメーションもキャラデザが激変するギャグにも対応したり、歪み補正も交えたりと構図も大胆でゆる~い笑いをアシスト。
かと思えばフォトリアルな背景等で引き締めて来たりと、今後のライブシーン等にも期待が高まります。
その前にまず{netabare}ぼっちちゃんはダンボール箱から出ないとw{/netabare}


ぼっちちゃん役の青山 吉能さん。
4年前に「Wake Up, Girls!」解散した時は、このままフェードアウトか?
とも思っていましたが、こうやって主役を務めたりと、順調に活躍されているようで何よりです。
自己否定沼に沈没する、ぼっちちゃんは唐突に{netabare}「押し入れより愛をこめて」{/netabare}などのぼっちフォーク?(笑)を吟じたりしますが、歌唱へのつなぎもスムーズです。
「WUG」では演じてるキャラがセンターの娘と髪型一緒で見分けが付かないとかイジられていたよっぴーですが、
これもぼっちちゃんの日陰のメンタルを汲むのに役に立っているのかも?と思うと感慨深いですw


本作も、きらら系ということで、サブキャラのバンドメンバーも、
多少、強烈なぼっち生態を喰らっても、ゆるふわと吸収してしまう曲者揃い。
最近、私は“ひとり好き”(ぼっちとは大きく異なるらしいw)のベース・リョウにもハマりつつあります。
最初は{netabare}野草{/netabare}喰ってる変な人という印象でしたが、四話では音楽に対する芯のある発言で魅せてくれました。
いい加減だけど、この人なら振り回されても良いと感じる不思議な引力があります。
ある意味、リョウは最もバンドマンらしいキャラなのかもしれません。
だからと言って{netabare}驕らせるのはどうかと思いますがw{/netabare}{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 46

67.1 4 4コマ漫画で友達なアニメランキング4位
白聖女と黒牧師(TVアニメ動画)

2023年夏アニメ
★★★★☆ 3.4 (121)
408人が棚に入れました
とある教会。そこには可愛いけどだらけグセのある聖女さまと、真面目で過保護で料理上手な牧師さまが住んでいました。 穏やかな日々の中で、密かに恋する聖女と鈍感な牧師が繰り広げる、"無自覚いちゃラブコメ"。 もどかしい二人の関係が行きつく先は――!?

鬼戦車 t89 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.1

狂信性女と人間性の欠如したKY牧師の無茶ラブブラックコメディに改題した方が良い!

 最終話(12話)まで観ました。2023.09.28

 聖女様…性女様に改称した方が良い位にローレンスを口説いてきますが、ローレンスは鈍いと言うか女にそもそも興味が無いと言うか…。

 男女の合体阻止のための小道具でしか無い宗教、聖職者設定も全く機能不善です。聖職者だから信仰対象の聖女と合体出来ないとかそういうハードルもありません。

 ローレンスはもう、人間性を疑うレベルで聖女様を相手にしません。人間と認識しているのかも怪しいです。話す猫や犬くらいにしか思って無い?カワイイけど性的対象じゃ無い的な…。

 全く話が進展しないまま終了してしまい、コレで良いのか?と疑問に思う作品でした。

 もう、二人を裸にして納屋にでも閉じ込めて、無理やり祝言挙げさせろよ…。伴天連でもそれでほぼ100%転ぶのは、江戸時代に実証済みだろ?とか小言を言いたくなりました。
………………………………………………………………………

 11話まで観ました。2023.09.22

 聖女さまとローレンスの出合いが明らかに!セシリアは神の天啓を受けて自分が聖女だと認識したそうです。

 そして、森でオバァと暮らしていたそうです。これ、変人ババァに洗脳されたか、精神疾患のどちらかですよね?狐憑きで良くて座敷牢行きだろ?それとも魔女か?

 そして、オバァが死んだ後、大洪水を予知して村に来て、無茶な事を辻説法して村人に嫌がられるのですが、我らがローレンスが上手いこと言いくるめて、なぜか村人に聖女と認められたそうです。

 無理がありすぎる…。異世界の日常ものが上手くいかない理由がよく分かります。ちょっとぶっ飛びすぎじゃね?

 大洪水前に橋を壊すとなぜ村が救われる?そんなことある?ダムじゃないんだから、石橋一基位で被害そんなに変わらんでしよう。

 結局、ローレンスが村人を言いくるめなかったら、セシリアは洪水を呼びこんだ魔女だと村人がキレて、殺害されてもおかしくありませんでした。

 結局、ローレンスがこの女は聖女だと主張したから聖女だという…。これ、二人がくっついたら、それはそれで色々ヤバい気がするんですが…。

 村人愚民すぎ、ローレンス権威有りすぎ、セシリア疑問持たなさすぎ…。特にセシリアは一般的には狂信者と呼ばれるやつですね。

 この物語は、女性向けじゃなくて、男性向けなんでしょうね。男性が理想とする支配しやすい女は、社会から切れている女なので、余計な親戚や友人は雑音として排除しているという…。

 そのため、セシリアはピュアというより信仰のためなら死にそうなエキセントリックな人物です。

 背筋が寒くなる無自覚いちゃラブコメディ…。割とホラーですね。釈然としませんが次回最終回!楽しみです!

………………………………………………………………………
 9話まで観ました。2023.09.07

 ヘーゼリッタの街編終了です。シリアス展開がやっと終わります。結局、聖女とは何かという設定が矛盾しており、さらに説明のために矛盾を重ねたエピソードでした。

 何か変な所… 
 ①教会は、牧師が若い女と宗教施設で同棲していてもOK!男女の性に寛容というか、放任主義というか…。
 ➁ローレンスは牧師なのに、聖女という存在の意味を理解していない。聖女の加護についての知識もない。教会の教義も理解してないのでは?
 ③セシリアは、同年代の友達が今まで居ないなど、幼少期を含めて過去がまるまる不明。本当に人間か?
 ④教会にいる大聖女は、聖女を守る存在らしく、聖女を守る活動をしているようだが聖女認定は誰がしているのか不明。
 ⑤聖女の加護の効果がぼんやりしている。牧師や聖女周辺の人でも分からん人には分からない。そのため、聖女の定義が不明確。
 ⑥教会の教義が不明。ローレンスとアベルの同僚の女性達(教会関係者だが、仕事内容不明)が、恋バナ大好きで、ローレンスとセシリアをくっつけたがるなど、第六天でも信仰してるのかと思わせるほど淫祠邪教っぽい。

 以上、宗教地雷を踏みまくっていますね。教会の目指すところは、乱交なんでしょうか?

 一応、公認宗教組織である以上、信者や配下の宗教家に対する統制は必要なはずですが、フリーダム過ぎます。

 現在でもそうですが、若者を集める組織は、建前上でも性の管理が必要です。酒や薬物をやっての乱交目的と思われては、公認組織としてはまずいからです。

 結局、家族や友人さえいない、生活無能力者のカワイイペットみたいなセシリアをニヤニヤしながら見守る話なのに、変にキャラクターに深みを出そうとして失敗している所が残念です。

 無自覚いちゃラブコメがキャッチコピーの本作ですが、舞台設定も無自覚という…突っ込んだら野暮ですかね?
………………………………………………………………………

 8話まで観ました。2023.09.01

 ヘーゼリッタのトラウマとなった、フレデリカ聖女のお話。こいつも、モヤっとした存在でした。

 街の有力者が何処からか連れてきて、こき使ったら病気で死んだらしいのですが、悪いのは有力者で、教会は関与してない様です。

 ただ、フレデリカは監禁されて、お客をとらされていたわけでは無く、聖女の生き方として、甘んじて境遇を受け入れていたそうです。

 凄く疑問なのは、自分が聖女だっていう自己認識はフレデリカもセシリアも何処から湧いてくるのかが明らかにされていないということです。
 
 教会は、本部に大聖女がいるだけで、聖女の扱いにはあまり口を出さない様ですが、聖女という自己認識は何に規定されてるのか全く謎です。誇大妄想と何が違うの?

 フレデリカは、ブラック企業の社畜のように、金持ちに洗脳されていた可能性はありますが、セシリアの野良聖女ぶりは説明がつきません。

 洋服屋の小僧が前にセシリアに言ったように、「聖女って教育受けてるんですか?(何を根拠に聖女を自称してるの?)」という疑問が解決されていません。

 ある日、衆生救済に目醒めるんですか?社会不安で民衆が信仰の対象を求めるのなら分かりますが、作品中の市民はそれほど切羽詰まって無さそうです。

 教会の権威で聖女認定していれば、話が早いのですが、フレデリカの件を物語に入れてしまったので、教会が悪者にならない様に、有耶無耶にしているのでしょう。

 エモい話になるかと思って挿入したシリアス案件が物語の足を引っ張っています。良くないですね。
………………………………………………………………………

 7話まで観ました。2023.08.24

 聖女様御一行、教会の会議に参加するため、へーゼリッタの故郷の都会へ行きます!

 いや…近いな。汽車と馬車ですぐに着きました。洋服屋の小僧もお使いのついでに同行しているので、大して遠くないようです。

 謎の宗教組織、教会で謎の会議…。職場放棄しているアベルも嫌味を言われる位でお咎め無しです。

 ローレンスの先生だという牧師が、教会に聖女が居るのは秘密にしとけとか、謎のアドバイスをしてくれます。こんな近所なのに隠せるか?情報網とかどうなってるの?

 教会における聖女の立場が相変わらず謎です。牧師は教会が教育しているみたいですが、聖女は僻地出身で教育を受ける機会が無かった者でもなれる様です。

 セシリアも、なぜ自分が聖女だと認識しているのでしょうか?現段階だと、教育水準の低い、低能女ニートが教会に寄生しているとしか思えないのですが…。

 神の天啓でもあったのかな?でも、それを証明する人がいないと、精神病院へ入院させられる可能性の方が高い気がするんですが。

 聖女って自称?誰が認定しているの?ローレンスがこの女は聖女ですと言っているから聖女なの?奇蹟を起こせるから?

 でも、奇蹟にしたって詐欺の可能性もあるわけで、誰か権威のある人物や機関が奇蹟認定する必要があります。部族のシャーマンじゃないんだから…。

 ローレンスにそんな権威があるとは思えないのですが…。もし、それがまかり通るなら、ローレンスみたいな田舎牧師が教会で聖女を自称する愛人を囲っている所もありそうです。

 へーゼリッタの街の聖女は、教会でこき使われて病気で死亡したそうですが、聖女は人間扱いされてるのかな?いくら宗教絡みでも警察案件でしょう。

 聖女は寺男や寺女みたいな教会に従属する奴婢で、労働基準法とかが適用されない社会なのかも知れません。

 そもそもセシリアの両親はどこにいるんでしょう?口減らしに発達障害で虚言癖のある娘を教会に売った?怖!

 ローレンスの爺ちゃんが唐変木な孫のために寒村から購入したのかもしれません。足りない娘でも、後継ぎが出来れば良い的な?

 何か、不穏なものを感じつつも、宗教改革時のカトリック教会ばりに腐敗していそうな謎宗教組織から目が離せません!

 セシリアは、聖女は珍しい存在だと自分で言っていましたが、教会で暮らすことも、村人達の信仰を集めることにも全く疑問を抱いていません。

 親が聖女だったとか、教会に子供の頃から住んでいたならまだしも、どこから来たのかも不明な存在なくせに、この自己認識はマジで怖いです。

 普通に考えたら洗脳されてるか、精神疾患でしょう。セシリアの過去が明らかになるか、とても興味深いです。
……………………………………………………………………… 

 6話まで観ました。2023.08.18

 半クールが終了しましたが、聖女様の存在がふんわりしています。 

 聖なる力で色々奇跡を起こせるようですが、教会との関係が相変わらず不明です。

 教会は聖女教というわけでは無さそうですが、保護はしているのかな?頑なに教義の説明はしない方針の様です。

 どうも、なろうが跋扈してから、テンプレなら世界観の説明はいらんだろ?的な態度の作品が増えた様な気がします。

 ある程度の世界観の説明が無いと、日常モノと言えども、物語として成立しないのではないでしょうか?

 全ての事象が聖女とローレンスがイチャラブするための小道具でしかない世界は、好き嫌いが別れそうです。

………………………………………………………………………

 5話まで観ました。2023.08.14

 深まる謎宗教への違和感…。バレンタインがあるのでキリスト教ベースの様ですが、聖女様、精霊的なものと会話して、騒ぎを治めたりします。これは魔女の所業の様な…?

 アベルとヘーゼリッタの関係も不明です。デキてるの?嫁入り前の良家の子女が教会に居候出来るかな?完全に物語の狂言回しのためのキャラクターです。

 教会も、ローレンスさんが祖父から世襲しているようですが、浄土真宗なの?肉食妻帯あり?禁葷酒もクソくらえ?

 ローレンスさんの両親は何してるのかな?五体投地しながら聖地巡礼でも行ってるのかな?

 何か皆フリーダムな感じで、宗教として成立していない気がします。結婚しても聖女でいられるのかな?魔女なら何でもありですが…。

 こんなことは気にしてはいけないようです。セシリアたんカワイイ!!(*´Д`)ハァハァ

 ボロが出ないことを願いつつ視聴継続です。

………………………………………………………………………

 3話まで観ました。2023.07.28

 主人公達はキリスト教っぽい謎宗教の牧師と聖女です。謎宗教の教義に深入りすると地雷を踏むので、どんな宗教かは明らかにならないでしょう。そのため、キャラクター達の背景に深みはありません。

 コイツら何なの?とか思ったら楽しめません。物語の開幕2.9秒で牧師と聖女が合体しないための方便で登場した宗教設定なので、気にしてはいけません。

 イチャラブ雰囲気アニメなので、起伏のある展開は無く、このままワンクール行くと思われます。
 
 ゆるゆるとながら観できる視聴者向きです。可もなく不可もない感じですね。
………………………………………………………………………

 1話観てのレビューです。2023.07.14

 牧師と聖女、1話からデキている…。昨今の恋愛アニメはこんな感じばかりですね。悪い意味ではないです。

 お互い意識している以上の関係にならないための障害をどう設定するかに作品の個性が出る様です。

 相手に全く気が無い、恋愛成就が困難な話は観ていて疲れますし、単なるストーカーの話しになりかねないので、コレはコレで良いのかもしれません。同意は取れよと…。

 本作品は作画も良く、キャラもかわいいので、ニヤニヤしながら観るには良いのかもしれません。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 5
ネタバレ

アニメアンチの憂鬱 さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

天災的なアイドル様

聖女と牧師の甘口ラブコメでありますが、突っ込みどころは満載です。

教会、牧師とくればキリスト教を意識しているとしか考えられませんが
{netabare}聖女がいたりロザリオみたいな十字架ぶら下げているところを見ると明らかに
「カトリック」にしか見えないわけであります。

牧師というのは「プロテスタント」に属し、聖書の教えに忠実だからこそ
聖母だとか聖女なる根拠不明な存在には重きを置かず、【偶像崇拝】の禁忌を理解している
からこそロザリオみたいなものを身に着けることには慎重だったりします。

信者も多く、より多くの権威と権力を持つのが【ローマカトリック教会】であり、従って
影響力も強いと言えますが、信仰の自由を求めてわざわざ新大陸に移住してきたような
プロテスタントとそれを迫害してきたカトリックは、基本的には別の宗教と考えるべきであります。

プロテスタントとは「抗議する者」であり、ローマカトリック教会と教皇に従順であるなら
プロテスタントと呼ばれる宗派は存在しなかったわけであります。

【聖母マリア信仰】をごり押ししているのは【イエズス会】でありますが
【聖母マリア信仰】の本質は太古の昔から続く【女神信仰】にありまして
【イースター】という宗教行事が示す通り、【女神イシュタル】=【イシス】を
崇拝しているわけであります。

【イエズス会】のシンボルである【黒い太陽】に【IHS】の文字
【IHS】は「三天使」あるいは「三柱の神」を表しており
【イシス・ホルス・オシリス】であるとも言われています。
(オシリスだけ頭文字でないのはグノーシス主義的な発想なのかもしれません)

【ローマカトリック教会】はそもそもローマ帝国の宗教機関でありますので
聖書に忠実であるかどうかとかどうでもよく、キリスト教を国教としたのも
宗教を利用して巧いこと統治してやろう目論んだからでありました。

宗教改革の一件で純粋聖書解釈の論争では分が悪いと判断した【イエズス会】は
プロテスタント教会に工作員を潜入させ、聖書解釈の見解をカトリック寄りなものに改ざんし
プロテスタントの考え方をカトリック的なものとすることに成功し、聖書に根拠がない
クリスマスや日曜礼拝の習慣がプロテスタントに浸透し、プロテスタントの世俗化に
見事成功したわけであります。

ユダヤ教が【バビロニアタルムード】に侵食されたように、聖書に忠実なプロテスタントも
【イエズス会】と【カトリック教会】の教義に侵食され、宗教のカオス化は現在に至るのであります。

「自堕落な聖女」とは【堕落の天使】の暗示でありまして、
「江戸前エルフ」や「よふかしのうた」に繋がる話であります。

「よふかしのうた」のOPソングのタイトルが【堕天】であるのはヒロインのナズナが吸血鬼であり
【ネフィリム】の眷属であることと関係していまして、【ネフィリム】とは
【堕天使】の子孫のことを意味するのであります。

【女神イシュタル】も【ネフィリム】の一族でありまして、血統的に言えば
【巨神族】や【鬼神族】と一致しますので、要するに【悪魔族】ということになります。

聖書解釈上では【女神イシュタル】は【悪魔族】ということになりますが、そうなると
古代の「女神信仰」を前提として成り立つ【聖母マリア信仰】も同じ穴の狢ということになりまして
「天才的なアイドル様」を崇め奉る信仰の類は【サタニズム】に属するという結論になります。

本作に登場する聖女様と「江戸前エルフ」の女神の立ち位置は全く以て同じであり
現代でも女神信仰は脈々と受け継がれていることを実感できるわけであります。{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 1

たナか さんの感想・評価

★★★★★ 4.6

nuclear self

きららライクでやさしいせかいなゆるふわほっこりほんわかメルヘン。
恋愛モノというより擬似家族モノの比重が強めな少女漫画。

もともとTwitter4コマ漫画らしいがなかなかうまく再構成されてる。

はわわロリがはわわするやつ。健全なお花畑仕様でお子様にも安心。役職上からの絡みで距離感にも嫌味がないうえ、同居のサクサク展開でタイパに優れ、背景CGのさりげなさもグレイト。OPはクラリスのゆるふわ感が最高にマッチ。EDはキャラソンにして欲しかった。

キャラデザは原作より萌え度ダウン。ヘーゼリッタは2ランクダウンな印象でセシリアを立てる役回りへ。きららっぽい見た目に反してそこまで内輪に閉じてるでもなく程々に外部が絡むことでTwitter漫画らしからぬ奥行きが出ててなかなかお見事な仕事。各キャラの役割分担はきららレベルにわかりやすい配置だが、ブッコミ要員小僧のエリックや明言装置姐さん占い師ミルなどもあまりしゃしゃり過ぎない塩梅が絶妙でいいバランス。

12
なるほどこういう落とし所ですか。原作未完だしな。

アニオリで無理矢理白黒つけないところに原作愛を感じる実にいい仕事。最終回でのミル姉さんとエリックの会話はこの作品に向けられる的外れな難癖に対する皮肉のようで微笑ましい。触れ合いによる機微を細やかに描き各々のささやかにみえてたくましくもある成長加減にほっこりする少女漫画らしい繊細な味わい。ハードコアを好むジロリアンには薄味過ぎるかもだが、たまにはこういう箸休め的なやさしい味も悪くない。Twitter漫画原作のアニメとして見れば完成度は高いと思われる。

ラブコメアニメ=メンヘラバトルは今や昔。時代は変わったのでしょう。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 5
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