飛行機でSFなおすすめアニメランキング 7

あにこれの全ユーザーがおすすめアニメの飛行機でSFな成分を投票してランキングにしました!
ランキングはあにこれのすごいAIが自動で毎日更新!はたして2024年05月09日の時点で一番の飛行機でSFなおすすめアニメは何なのでしょうか?
早速見ていきましょう!

77.9 1 飛行機でSFなアニメランキング1位
いぬやしき(TVアニメ動画)

2017年秋アニメ
★★★★☆ 3.6 (705)
3147人が棚に入れました
定年を間近に迎える冴えないサラリーマン・犬屋敷壱郎は会社や家庭から疎外された日々を送っていたが、ある日突然、医者から末期ガンによる余命宣告を受け自暴自棄になる。

その晩、突如飛来したUFOの墜落に巻き込まれ機械の体に生まれ変わった彼は人間を遥かに超越する力を手に入れることに。

一方、同じ事故に遭遇した高校生・獅子神皓は、手に入れた力を己の思うがままに行使し始めていた。

自分の意に背く人々をただただ傷付けていく獅子神と、獅子神によって傷付けられた人々を救い続ける犬屋敷。

人間の本質は善なのか、それとも悪なのか…?

強大な力を手に入れた2人が、いま、それぞれの想いで動き出す――。

声優・キャラクター
小日向文世、村上虹郎、本郷奏多、上坂すみれ、諸星すみれ
ネタバレ

ヘラチオ さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

残酷描写は嫌いだが最後は感涙した

冴えないおじさんが大活躍する作品。さえないおじさんが活躍する作品は自分の好みになることが多いかもしれないと思ったけど、主人公が冴えないおじさんの作品があまり思いつかない。実際、この作品すごく好き。おじさんかっこよすぎる。
{netabare}娘の麻理を助けるときと最後自爆して地球を救うシーンは涙ちょちょぎれた。かっこよすぎる。あの一家に完全に感情移入しちゃった。今までぞんざいに扱っていたのに掌返しは虫が良すぎる気がしないでもないっていうのは内緒。最初は犬だけだったもんな、犬屋敷壱郎に懐いていたのは。家族の会話はないし、癌の宣告受けたことを誰かに伝えたくても全く取り合ってくれない。だからこそ余計引き立つ。{/netabare}

同時期に機械の体になった獅子神は犬屋敷壱郎が人助けで生を実感するのとは対照的に人を殺すことで生を実感している。そのシーンを描いている2話がしんどかった。{netabare}適当に選んだ家に入って母親を惨殺。風呂に入っていた父を撃ち抜き、一緒に入浴していた幼い息子は死んだ父の重みで水から出られずに窒息。極め付けは最後に帰ってきた娘に脈絡なくワンピースの話を持ち出した挙句、射殺。ここが耐えられないポイント。母にそういったことをしていたと知られ、絶望で自殺され、悲しみからさらに暴走する。そんな彼を愛するしおんの登場や犬屋敷壱郎との戦闘で最後はさすがに更生している。途中、人助けもしている。{/netabare}

OP
My Hero 歌 MAN WITH A MISSION
映像がなんか色々凄い。泣いた顔とか。
ED
愛を教えてくれた君へ 歌 クアイフ
この曲は獅子神のほうに焦点を当てているように感じる。


以下はアマゾンプライムから引用のあらすじ。
1. 犬屋敷壱郎
老人のような見た目の冴えないサラリーマン・犬屋敷壱郎。念願のマイホームを建てるも愛する家族に疎まれ、やるせない日々を送っていた。そんな犬屋敷を末期の胃がんという更なる悲劇が襲う。家族にもがんの事を言い出せず途方に暮れていた犬屋敷はその夜、突如飛来したUFOの墜落に巻き込まれ、兵器ユニットを搭載した機械の体に生まれ変わる。 「私は、私ではない…私は機械…」人間ではなくなってしまった犬屋敷。自分の存在に悩む犬屋敷は偶然、男性が少年たちに襲われそうな場面に遭遇する。勇気を振り絞り助けに入った犬屋敷を少年たちはバットで殴りつける。犬屋敷が意識を失ったその時、彼の体に眠る人智を超えた力が目覚めて…。

2. 獅子神皓
生まれ変わった機械の体で人を救っていくことに自身の存在意義を見出した犬屋敷。 一方、犬屋敷と同じく機械の体に生まれ変わった高校生・獅子神皓。獅子神は家族や親友以外の人間にはまるで思い入れを持たず、機械の体の力で無差別に殺人を繰り返していた。彼は犬屋敷とは逆に人の死を間近に感じることで、生の実感を得ていたのだ。 ある日の夕方、学校帰りの獅子神は軽い足取りで適当な民家に立ち入ると、そこに住む住人一家を機械の力で容赦なく皆殺しにする。獅子神の凶行を察知した犬屋敷は急いで民家へと向かう…。

3. 安堂直行
殺したはずの犬屋敷が無傷で立ち上がったことに獅子神は動揺すると、その場から飛び去った。その姿を見て、犬屋敷は獅子神が自分と同じ機械の体であることを確信する。その翌日から犬屋敷は飛行能力や治癒能力など新たな能力が使えることに気づくと、その能力を駆使して更に人助けを行っていく。一方、獅子神はなぜ犬屋敷を倒せなかったのか戸惑いながらも、親友である安堂直行をいじめの標的としていた不良グループと対峙する・・・。

4. 鮫島
全身に入れ墨をまとった極悪非道な暴力団員・鮫島は気に入った女性を見つけると拉致し、薬漬けにした上で乱暴することを繰り返していた。弁当屋で働くふみのは背は小さいが美人で、恋人の悟ちゃんからのプロポーズを受け、幸せな日々を思い描いていた。しかし、ある晩、ふみのは鮫島に目をつけられ、手下たちによって拉致されてしまう。ふみのは何とか鮫島の元から逃げ出して、悟の家に逃げ込むが、そこに鮫島たちが押し入ってくる。ふみのを守ろうと立ちはだかる悟の首に手をかける鮫島。その時、鮫島の凶行を察知した犬屋敷が駆け付けるが、鮫島に銃弾を撃ち込まれて昏倒してしまう…。

5. 獅子神優子
連続民家襲撃事件が大きく報道され、獅子神の犯行を唯一知る安堂は苦悩する。そんな安堂は偶然目にした「各地の病院で治療困難な患者が回復している」というニュースから、獅子神と同じ能力を持った人物がもう一人いるのではないかと仮説を立てる。安堂が助けを求めるウソの声を上げたところ、安堂の家を大慌てで犬屋敷が訪れた。犬屋敷がニュースで報じられていた重病人を回復させている人物である事を聞いた安堂は、犬屋敷を本物のヒーローだと称賛し、獅子神を止めて欲しいと懇願する。一方獅子神は、離婚して別居している父親の家から帰宅した獅子神は、最愛の母から末期のがんに侵されていることを告げられる…。

6. 2chの人たち
十人以上の警察から逃れた獅子神であったが、直後、連続民家襲撃事件の容疑者として全国に指名手配され、母との幸せな時間は終わりを告げた。行き場を無くした獅子神は、彼に好意を寄せるクラスメイト・渡辺しおんの家に身を寄せる。一方で犬屋敷は安堂のサポートを得て、機械の体の能力を使いこなしつつあった。そんな折、獅子神の母・優子がテレビで謝罪する姿を見た犬屋敷と安堂は、獅子神の動向に不安を感じる。 獅子神も優子の身を案じていてニュースをチェックしていたが、「連続民家襲撃事件 犯人の母親が自殺」と速報テロップが入る。獅子神は上空へと飛び出すと、終わらない慟哭を響き渡らせるのであった・・・。

7. 渡辺しおん
獅子神は自身の無実を信じるしおんに自分の体が機械になったこと、また生を実感するためにこれまで多くの人の命を奪ってきたことを告白する。「もっともっと人を殺す…この国の人間を全部…」しおんに無情な宣告をする獅子神。しかし、しおんはそれでも獅子神に置いていかないでほしいと懇願する。これまで獅子神が奪った人にも未来や大切な人がいたと泣き叫ぶしおんに獅子神はある提案をする・・・。

8. 犬屋敷麻理
侵入した特殊部隊から銃の乱射を受ける獅子神。獅子神は銃撃の巻き添えになり倒れたしおんとしおんの祖母を抱え、何とかその場を脱出する。気絶した2人を安全なところに避難させると、しおんとの幸せな生活に別れを告げ、涙を流し飛び去る。 別の日、獅子神や安堂のクラスメイトで犬屋敷の娘、麻理は偶然にも犬屋敷と安堂が一緒に病院に入るところを目撃し、彼らの後を追う。彼らが入っていった病室の様子を窺うと、そこでは麻理には信じられない出来事が起きていた。その後、犬屋敷が火災現場へと飛び立っていく姿を見て呆然とする麻理。同じ日の夜、深い絶望に打ちひしがれた獅子神は復讐を決意し、警察署を襲撃する・・・。

9. 新宿の人たち
獅子神による警察署襲撃事件が大きく報じられる中、獅子神は各地の街頭ビジョンをジャックし、日本に対し宣戦布告をするとともに「今から100人殺します」と宣言。手始めに新宿で無差別に殺人を開始する。獅子神が携帯電話を通して無差別殺人を行っていることに気づいた安堂は、犬屋敷の能力で携帯を使用しないよう緊急警報を発信し、人々を携帯から遠ざけることに成功する。携帯からの殺人を邪魔された獅子神だが、今度は街頭ビジョンを通して引き続き発砲を行い、100人を殺害すると「明日から1日1000人」殺害すると宣言し姿を消す。獅子神の凶行を止められず肩を落とす犬屋敷。あくる日、獅子神はまたも非情な行動に出る。

10. 東京の人たち
新宿での無差別殺人を行った翌日、より多くの人を殺害するために獅子神が取った行動は、都内に飛行機を次々と墜落させるという非情なものだった。安堂から連絡を受けた犬屋敷は墜落を阻止すべく、能力を駆使して何機もの飛行機を操り、ギリギリのところで無事に着陸させることに成功する。更に犬屋敷は、飛行機墜落による火災で高層ビルに閉じ込められている麻理の救出に向かおうとするが、そこに現れた獅子神から攻撃を受ける。一刻の猶予も無い中、必死で麻理のもとへ向かおうと飛ぶ犬屋敷とそれを追う獅子神。同じ機械の体を持つ者同士の戦いは熾烈を極めていく・・・。

11. 地球の人たち
新宿で多くの人を救い、自宅に戻る犬屋敷。犬屋敷は帰宅を待っていた家族に自身が機械の体である事を告げ、家族のもとを去ろうとする。しかし、家族は機械になった彼の存在を受け入れ、涙を流して抱き合う。一方、犬屋敷との戦いで両腕を失った獅子神は安堂のもとを訪れていた。安堂は獅子神の来訪に戸惑うが、獅子神を激しく断罪する。大切に思っていた親友に強く存在を否定された獅子神は、失意の中、安堂の前から姿を消す。犬屋敷は自分を受け入れてくれた家族と幸せな時間を過ごしていたが、巨大隕石が直撃する未曽有の危機が地球に迫っている事を知る。世界中が絶望に暮れる中、犬屋敷は家族を守るという決意とともに隕石に向けて飛び立つのだった・・・。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 12

タケ坊 さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

人は悪い事をしながら善いことをし、善い事をしながら悪事を働く妙な生きもの

漫画原作の全11話、ノイタミナ枠。
昨今の深夜アニメには珍しくなりつつある、青年誌連載の原作だが、
やや過激な描写もある中で目立った規制も無く、
何かとうるさいこのご時世、概ね原作に忠実にアニメ化した事にはあっぱれと言いたい。
後に実写映画が控えているというノイタミナ特有の事情もあったのだろうが、
青年誌原作はアニメ化されずに実写化されるものが大半なため、
この流れは素直に歓迎したいところだ。

☆物語&感想☆

58歳見た目老人で、家族や周囲から疎まれている冴えないサラリーマン犬屋敷と、
今時のイケメン高校生獅子神が、ある日突然機械の体にされてしまった絶望から、
他人を救うことでのみ自身が生きていると実感する一方、
無慈悲に他人を殺すことでのみ生を実感するという正反対な2人が、
自らのアイデンティティ、存在意義と向き合っていく様が描かれる。

公式のイントロダクションには最後に、「人間の本質は善なのか悪なのか…?」とある。
物語のメインテーマ、煽り文句としては、まさしくこの一文が相応しいとは言えるが、
2人の顔が合成され一つの顔になった背景が表しているように、どんな人間にも善と悪、
表裏一体でどちらの側面も持ち合わせた存在であることは言わずもがな、
100%完璧な善者も居なければ100%の悪者も居ない。
犬屋敷が善で獅子神が悪、というのは明らかではあるが、
人間の本質が善、又は悪という二者択一でないという点はふまえて観なければいけない。

犬屋敷が正義感が強く善人であることは、機械の体になり神の領域の力を得て人を救ったから、
ということを抜きにしても言えるとは思うが、
そもそも世間の彼を見る目はどうだったか?
作中での何気ない人物の一言一言は妙に生々しく、
その多くは本人が自覚しているかどうかは別として、
差別や偏見、悪意のあるものではなかったか。

この、何気ない生々しい言葉の中に込められた悪意は、犬屋敷に向けられたものだけではなく、
作中の随所で垣間見ることが出来る。
子供、若者~社会的地位のある医者、
掲示板の中の人間や偏向報道を垂れ流し印象操作をするマスコミ、某国の大統領に至るまで、
世間には悪意のある言葉、差別や偏見が満ち溢れているのがよく分かる。
(作者自身も確信犯的にディスったりパロってるのは少々タチが悪いが、ブラックで面白くこの辺は青年誌ならでは)
しかしながら、言ってしまえばこれも人間の本質、悪の側面であるのは明らかで、
むしろ自然といえば自然。
人間が100%の善でないから、犬屋敷のようなヒーローに憧れたりその行為に感動するのだろう。

で、仮にこの物語が犬屋敷がヒーローとして、
悪を成敗し、自らの命を掛けて地球存亡の危機を救う、というような単純な勧善懲悪&ヒーローものの物語であれば、
エンタメ的によくある他愛無い作品に成り下がっていただろうが、そうならなかったのは、
獅子神の存在があったからというのは言うまでもない。

この物語が優れているところは、タイトルにも同義の事を書いているが、
「人は善いことをしながら悪いことをし、悪いことをしながら善いことをする」
という、池波小説がテーマに掲げた人間の本質、性を如実に表していると受け取れる所だ。
その代表は本作で言うところの獅子神のことであるが、
先に挙げた悪意のある言葉を発するごく普通の一般人全てに於いても当てはまる。

自分は犬屋敷のような人間は本当に素晴らしい、もはや聖人と言っても過言ではないとは思うが、
心の何処かで「こんな奴居るか」と思っている自分も居る。
一方の獅子神の方が、むしろある意味正直で人間味、人間臭さがあるのではないか、とさえ思う。
無論、獅子神が行った虐殺はいくら機械の体になった事に絶望し、
他人を殺すことでしか生を実感できないとしても、養護できるものではないし、
改心して他人を救ったとしても、償えるものでもない。
ただ、他人の虐殺に関しては共感できなくとも、
自分が招いた自業自得とは言え、彼の境遇や心情的には同情できる部分は多い。
母親の自殺によって世間に対し復讐の鬼と化す様や、
犬屋敷と対峙した際に、本来は「ワンピース」を読んで涙するような自分が悪役であり、
犬屋敷がヒーローだと悟った時の悔しさ、
唯一の親友と思っていた安藤に、最後に言われた言葉...彼の胸中を察すると胸が苦しい。

彼は自分のことしか考えてない、自分に関係のない人間がどうなっても良い、
と言った趣旨の発言をしており、尊敬できる人間でないのは明らかではあるが、
程度の差こそあれ、どこかで大抵の人間心の中では皆同様のことを思っているのではないだろうか。
もし自分が彼と同じ立場に立った時、どういう行動を取るか...
他人を殺さないと生を実感できない、かどうかは分からないが、
少なくともその力を他人を救うためだけに使う、というよりは、まず自分のために使うだろう。

人はよく「性善説」「性悪説」と言った言葉で語られることがあるが、
共通しているのは、好き勝手に欲望のままに道徳を顧みずに生きれば人間は悪行を働くということ。
獅子神は人間として成熟した大人ではなく、まだ子供だということもあるが、
道徳心という面では大きく欠落しており、他人の痛みが分かる想像力を持ち合わせていなかった。
自分を愛してくれる存在に気付き、一時は改心したが遅すぎた。
自分が殺した人間全て、自分のように愛し愛される人が居る、という想像力があれば...

結末は獅子神が行った方法、アイデアがなければ人類を救うことは出来なかった。
愛を与えてくれた人が離れ、唯一の友人にも見放され天涯孤独、絶望の淵に立たされた彼が、
もうあれ以外の選択肢は無かったとはいえ、
他人を虐殺することのみでしか生を実感できない者が、自分の守りたい人間だけを助けたいというエゴによって、
結果的に全ての人を救うことになったのは、何という皮肉だろうか。

☆声優☆

ノイタミナお決まりのキャスティングに癖が出た感があるものの、
犬屋敷に関しては声優でもなかなかこういう役がビシッと合う人は、
考えてみると今はあまり居なさそうだし、ハマる人が思いつかない。
演技自体の声優っぽさが薄いぶん、逆にリアルで良い味を出していた。
安藤は本物の声優がやってんのかな、と全く違和感を感じることもなく普通に上手かった。
獅子神だけがやはり少々勿体無い。
若干宮野真守っぽい声質なので、これやったら宮野でエエやん、って。。
無機質な所は気にならなくても感情を込めた台詞の演技にはやや物足りなさがあった。
演技がもう少し上手ければ、獅子神の心情がより観てる者に伝わったかもしれない。

☆キャラ☆

感想の所と重複するので簡単に。
家族や周囲から疎まれている冴えない58歳、見た目老人の主人公という設定は秀逸。
否応なく観る者にその悲哀を感じさせるもので、その活躍ぶりにはより一層胸が熱くなる。
犬屋敷を中心にこの物語を観てもエンタメ的には面白いが、
やはり獅子神が居ることで作品における人間の本質、善悪というテーマ性が浮き彫りとなった。

☆作画☆

キャラに関しては原作準拠だと思うが、
麻里以外の女性キャラが不細工でリアル笑
深夜アニメを見慣れてると、萌えを全く意識してない(目が不必要にデカくない)
女性キャラには新鮮さを覚えますが、内容を鑑みると妥当。
目を見張るのは作画と3DCGとの組み合わせが違和感無くとても自然だったこと。
アクション面での出来は素晴らしかった。

☆音楽☆

ノイタミナは電通絡みのゴリ押し系アーティストがOP,EDに採用されることが多く、
作品ありきの曲や歌詞じゃない、と感じることが多いものの、今回に限っては文句無し。
特にEDアニメーションと曲、歌詞の相性は特筆すべき点で毎話視聴後の余韻が残った。
獅子神への鎮魂歌であるのは一聴してすぐに解るが、
FULLで見てみると後半は犬屋敷や家族への詞でもあると解釈できる。
個人的には秋アニメ屈指の名曲と評価したい。

作中BGMもとても上手く緩急が付いており良い出来。
アクション時や緊迫感のあるシーンは打ち込み系のBGMで迫力を出しつつ(ちょいちょいチープな音もあったが)
静かなパートはギターやピアノのアコースティックな美しいメロディが絶妙で胸に迫る、
対比が素晴らしく聴き応えのあるもの。
ラストも盛り上げてくれて、お手本となるような演出は見事。


解りやすいエンターテイメント性だけではなく、高いテーマ性を備えた本作の内容は、
ノイタミナの真価を示したとも言えるもので、
2017年を締めくくるに相応しい観ごたえのあるものとしてオススメしたい。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 19
ネタバレ

serius さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

今この時のために僕は生まれてきた。

タイトルは主人公である中年のおじさんの名前。
それがそのままアニメのタイトルになってる。

僕がいいなと思ったのは、各話のタイトルが登場人物の名前になってること。
これめっちゃ分かりやすい。
その話がどの人物を中心に展開されるか分かるし、予想しながら観れるのが良かった。

話しの大筋は、まあダブル主人公っていうのか、中年のおじさんと男子高校生の中身がロボットになって人を助けたり殺したりする。

また、主人公視点だけじゃなくて、他の重要人物の視点でも話が進められていくため、飽きることがなかったし、話がすんなり頭に入ってきた。

最後もキレイに締めてたし、1クールものとしてはかなり高水準のアニメだと思う。

分かりやすい勧善懲悪が描かれているので、胸糞悪いシーンもあれば、スカッとするシーンもある。

表現を軽くすれば普通のヒーローものなんだろうけど、主人公と過激なシーンの応酬でいい具合に歪な作風になっていて見応えがある。

主人公の2人は共に同じ能力を持ってるんだけど、その使い道がまるで違っていて、{netabare}壱郎は決して人を殺すことがなかった。{/netabare}何のために力を使うのかでその人物の本性を表しているところはすごく良かったと思う。

{netabare}壱郎が「今この時のために僕は生まれてきた」って言うところと、最後の目のスイッチを押すと同時にEDが流れ始めるところは本当に感動した。そのあとの、家の風景と家族の姿が映されるシーンと、宇宙に爆散した壱郎のカケラが浮かんでるところもグッときた。{/netabare}

全11話で観やすいし、観て損はないアニメなのでぜひ。


以下雑な感想
{netabare}一話を観たときから、最終的に壱郎が家族から見直してもらえればいいなぁと思ってたから、良かったといえば良かった。

マリが漫画を描いてたと発覚してから、その漫画が何らかの賞をとるっていうオチは想像できたんだけど、やっぱその通りだった笑

壱郎とひろが自滅するってのも予想できたし、話の展開的には王道というか、別段変わったことはなかったかな。
意外とすっきり終わったよね。

各話のタイトルのやつもそうだけど、かなり分かりやすく作られていてよかった。

壱郎とひろの能力は、自分がそうしようと思えば何でも出来る能力。
でも、壱郎は必ず誰かを助けたいという気持ちをもって、その気持ちがキーとなって力が発動してたよね。そこがよかったなぁ。

全般的な感想
・ふみのちゃんかわいい。金元寿子すごい。
・渡辺しおんが実は一番やばい。
・飛行機の女性特に重要じゃなかった。
・この時のために生きてきたに感動
・缶ジュースをひろに与えた子達影のヒーロー
・新婚旅行の思い出を語るシーン感動
・最後のEDが流れ始めるシーン感動


各話を追っていくと、

2、3話 
まあ、アトムの歌で飛ぶのは笑ったよね。
思ったよりも出来ることに幅があることに驚いた。

4話 鮫島
冒頭やべぇ。規制入ってたぞw
ふみのちゃんかわいい。確かになんでさとるとって思うね。
でも普通に幸せそうでいい。
よくあんな格好でタクシー乗れたなw 運転手無頓着ってレベルじゃないぞ。
殺すか殺さないか。ひろとの差はここだな。
金元寿子はすごい。俺ずっと思ってるからね。

5話 獅子神優子
渡辺しおん ひろに好意あり。ちんげ。
ひろの親は離婚してるらしい。複雑なんだな。
そしてがん。そしてソッコー治す。引っ越す。
力を持つと欲が無限大になるね。
警察きた。これ安堂がチクったのかな?

6話 2ちゃんの人たち
渡辺ひろの肩を持つ。まさかの家にかくまう。
なぜか同じグレーの服を着てる。
撃とうとしたけどもう殺さないって言ってたしな。
この時点で安堂とか壱郎を疑っていいと思うんだけど。
母親自殺しひろが狂う。
2ちゃん男ばっかだなw

7話 渡辺しおん
こんなひろでも居場所が必要なんだな。
ここにきて伏線回収。自殺を見た時の事。
ずっとひろのターンだなここ2,3話。
渡辺に打ち明ける。人を殺すことで生きていると自覚できるらしい。
これからは殺した分救うんだってさ。それじゃダメでしょ。
でも渡辺は納得してる。こいつも大概やな。
中尾さんのがんが治ったのはうれしかったし、体調良くなると美人だった。
なんでも治せる力があったらどんなにいいか。
なんかきた。渡辺とおばあちゃん撃つ必要あった?共犯扱いか。
野次馬がいっちゃんうぜえな。

8話 犬屋敷麻理
麻理回きた。やっとひろ回からの脱却。
中華料理屋の会話なんだったん?異星人かと思ったわ。
織田君登場。漫画家の息子。麻理は漫画家志望らしい。
安堂といるとこ発見。飛ぶとこ見られる。
壱郎が麻理の夢に理解を示し、ちょっと見直す。
やっぱ渡辺死んでなかったか。
弟いいキャラしてんな。
警察ボコボコ。

9話 新宿の人たち
いかれた野郎ばっか。
結局知ってる人以外は顔なんだよね。
こっから最終決戦かな。
宮根が宮野になってるやんおいww
飛行機の謎の女性。結局なんでもなかった。
たまにそこまで重要じゃない人をクローズアップするねこのアニメは。
まり新宿行くなよ。

10話 日本の人たち
まさか飛行機を墜落させて殺そうとするとは。
壱郎すげえ。
話してないで、麻理を助けにいけよ。
ガチンコ対決。だけど麻理の安否のほうが気にかかる。
麻理、、、、、。
顔が妙にリアル。
諦めかけたけど、なんとか蘇生に成功。蘇生だけは時間かかるっぽい。
てか、普通に泣いた。
他の人たちも助けに行く壱郎。
この時のために生きてきたんだって言葉が胸にささる。
後から考えると、ヒロに缶ジュースやった子達が真のヒーローなのかもな。

11話 地球の人たち
家族に打ち明ける。
共有できる思い出があるっていいな。
これだけ覚えてることだけでも壱郎の人となりがよくわかる。
弟がラスボスになるかと思ったけどそうでもなかった。
ジャンプ好きすぎだろ。
隕石問題をすっかり忘れてた。
ひろ自爆。そして壱郎も自爆。地球を救う。
最後の壱郎が目のスイッチを押してED流れるシーンで泣いた。
麻理のマンガが入選。
完結。{/netabare}



声優問題にも触れとくべきか笑 
ひろ出てきた時、お前どうした!?って思ったよねww壱郎のほうは良かったと思うんだけど、ひろは違和感しかなかったな。
それでも慣れてくれば、これはこれで味があっていいかって思えたんだけど。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 15

71.7 2 飛行機でSFなアニメランキング2位
雲のむこう、約束の場所(アニメ映画)

2004年11月20日
★★★★☆ 3.7 (846)
4689人が棚に入れました
日本が津軽海峡を挟んで南北に分割占領された、別の戦後の世界が舞台。
1996年、北海道は「ユニオン」に占領され、「蝦夷」(えぞ)と名前を変えていた。ユニオンは蝦夷に天高くそびえ立つ、謎の「ユニオンの塔」と呼ばれる塔を建設し、その存在はアメリカとユニオンの間に軍事的緊張をもたらしていた。
青森に住む中学3年生の藤沢浩紀と白川拓也は、津軽海峡の向こうにそびえ立つ塔にあこがれ、「ヴェラシーラ(白い翼の意)」と名づけた真っ白な飛行機を自力で組立て、いつかそれに乗って塔まで飛ぶことを夢見ていた。また2人は同級生の沢渡佐由理に恋心を抱いており、飛行機作りに興味を持った彼女にヴェラシーラを見せ、いつの日にか自分たちの作った飛行機で、佐由理を塔まで連れて行くことを約束する。
しかし、突然佐由理は何の連絡も無いまま2人の前から姿を消してしまう。

声優・キャラクター
吉岡秀隆、萩原聖人、南里侑香、石塚運昇、井上和彦、水野理紗

ジャーファル♪ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

【ネタバレ有】「切なさと物足りなさの両方を感じる、“発展途上の”新海作品!」

 

 新海監督の代表作の一つであり、新海監督の3作目にして、“初の劇場長編作品”である。


 この作品も、「ほしのこえ」や「秒速5センチメートル」同様、主人公とヒロインの“心の距離”と、その
“距離感の変化の速さ”をテーマとしているため―、

 ―今作においても、“主人公・浩紀(ひろき)”、“親友の拓也(たくや)”、“ヒロイン・佐由理(さゆり)”の3人が、“物理的な距離”を置くことで、彼らの“心も”また、以前とは違った距離感へと変わっていく…そんな関係を描いており、今日の新海作品に見られる“絶妙な心の距離感”は、こうして培われてきたんだと思わされる…、そんな“成長途中の未完成さ”を感じる作品となっている―。



 では早速、レビューへと移るが、新海作品(=新海誠監督の作品)の中でも、これほど“評価が二分される”作品は珍しいだろう―。


 (まずは否定的な意見から書かせてもらうと…)

 前述したとおり、この作品は、新海誠が今に至るまでの“軌跡(の一部)”のような作品であり、成長途中であるが故に、まだまだ完成度は低い。

 作画も今の新海作品に比べれば、“風景描写の緻密さや色合い”もまだまだで、欠点が見つからない最近の新海作品とは違い、「監督自身が伝えたいことは何なのか…」を理解することの方が難しい。


 また、全く情報の無いままこの作品を観た人からすれば、(といってもほとんどの人がそうだろうが…)、何かと“理解しづらい設定”で(…複雑なのに、詳しい説明もないため)、頭に何度も疑問符が浮かんだ人も少なくないだろう。


 その中でも、最もピンとこなかったのが、“ユニオンの塔”(=あらゆることの象徴であり、その本質は軍事兵器)に関連する設定だろう―。


 例えば、作中では、ユニオンの塔と関連して“平行宇宙”という言葉が使われるが、これは現実世界でも使われる、いわゆる“パラレルワールド”のことで―、
 ―「自分たちがいるこの世界とは、別の世界が存在している―」という概念であり仮説である…、のだが、そういった知識がないと、作中での会話や内容を理解するのは難しい―。


 また、ユニオンの塔の本当の目的である「平行宇宙との位相変換により、世界を書き換えること―」のくだりでは、その活動能力を抑制しているのが“佐由理”であり、そのせいで佐由理はずっと眠ったままである…、という説明があったが―、

 ―この2つを結びつけるのは、「佐由理の祖父が塔の設計者」ということだけであり、“アバウトに世界観全体を観れる人”には十分納得できる理由かもしれないが、そうでない人には、全く意味の分からない結びつけ方であり、それが尾を引いてしまったかもしれない(…が、そこを掘り下げるのは“野暮”だと感じたりもする…)。


 他にも、作中に登場する“蝦夷(えぞ)”だが、現実世界の“北海道の古称”としての蝦夷ではなく、“現実とは別の世界の”戦後を舞台にしたこの作品内での、北海道のことを指している。

 なので、作中にも1999年などの“西暦”が表れるが、今より以前の日本と同一視してしまうと、話がよく分からなくなってしまう。
 なぜなら、学校の校舎や町の感じを見る限りでは、少し前の日本の風景なのに、“ユニオンの塔”と呼ばれる建造物や、後半の戦闘シーンでは“ステルス機”のようなものが登場しており、明らかに、現実世界の今よりも科学が発達している。

 そのため、この世界は、“現実とは全くの別物”で、かつ“西暦とは全くつながらない”科学の進んだ世界だと認識して、この作品を観ないとついていけない。



 と言ったあたりが、「よく分からなかった」という内容の、よく見かける“否定的な”意見の理由であり、
“現実味がないストーリー”や、“論理的に成り立っていない設定”に辟易(へきえき)した人もいるのだろう―。


 新海作品を崇拝し、個々の作品に対してではなく、“新海誠監督の作品が”好きだ、という人達からすれば、この作品もまた名作なのだろう―。

 自分は、新海誠さんを、宮崎駿さん、細田守さんらと同じく、“今のアニメ映画界の中心的な人物”だと考えている…、が、逆に言えば、あくまでアニメ映画という大きな枠の中の、“一(いち)監督”だとも思っている(新海監督に限らず、宮崎、細田両監督含め)。

 言いたいことは、つまり、同じ新海作品でも「秒速5センチメートル」や「言の葉の庭」は、アニメ映画という枠の中でも、“名作”だが、この作品は“それほど大きなウエイトを占めてはいない”のではないか…、ということである―。

 なので、「とにかく新海作品の世界観(作画含め)が好きだ」という人の、この作品の評価に対して、口をはさむつもりはないが、他のアニメ映画作品と“相対的に”比べれば、この作品はまだまだ“未完成”で、上にあげた2つの作品もしくは、他の名作アニメ映画とは、世辞にも“同格”とは言えない…。



 …と言うのが、この作品を“観終わってすぐ”の感想であった―。

 なので、ここまでの評価を見る限り、どこが評価が二分されているのか、と思うかもしれないが、次に挙げる点こそが、この作品の評価を二分する理由であり、ここまで批判的な事ばかり書いておいてあれだが、これこそがこの作品の“本質”だと確信している―。


 確かに、この作品を“観終わってすぐ”の感想は、SF的設定の内容云々(うんぬん)ではなく、主人公たちの“心情の変化”や“お互いの関係性”から、いろいろと視聴者に感じてほしいのだろうが―、
 ―やはりどうしても今の新海作品と比べると、その描き方も、“発展途上感”を感じずにはいられない、というのが本音であった。

 それでいて、それ以外の要素も、全く“答えを得ることが出来ないまま”終わる訳だから、いかに“完結の仕方”が大切か(例えば、「言の葉の庭」で言えば、最後に2人が進むべき方向へと向かっている様子が描かれている…)を感じさせられる内容になってしまっているな、と感じた。


 現実味がないストーリーや、論理的に成り立っていない設定に、否定的な意見がよく見られ、自分も最初は同じようなことを感じてはいた。

 しかし、こうしてレビューを書きながら、改めてこの作品を振り返ってみると、“視点を変えて”観てみれば、それほど気になることでもないと思わされる。

 つまりは、この作品の最も本質的な、“孤独感”の中を生きる3人の心の有り様や、それを映し出しているかのような、“緻密で美しい風景描写”、“背景色の淡さ”に注目してこの作品を観ることで、この作品の“良さ”というものが見えてくる―。


 この作品が上映されていた頃の自分なら、間違いなく、多くの人が言っている、「意味が分からない」というような感想を持っただろう―。

 しかし今の自分なら…、長い人生の中には、誰しもが必ず、“孤独感を感じる瞬間がある”ことを知っている今の自分なら、まだまだ未完成な部分は感じながらも、上で挙げたようなこの作品の“本質”を、十分に理解することが出来る―。



 また、この作品や前作の「ほしのこえ」でもそうだが、実は新海監督はこういった“SF世界もの”を描くのが好きなのだろうと思う。

 まぁしかし、皮肉にも、新海監督の“才能の開花”は、より“現実的な世界観”を描くことで現れた訳だが…(確かに、新海作品の一番の特徴であり長所である風景描写の美しさは、SF的世界を描くことよりも、現実の“どこにでもある”風景の美しさを、観ている自分たちが“再認識させられる”ところに、その魅力と意味があるように感じる…)。

 実は、新海監督の作品を“逆にたどった”自分としては、この頃の作品に見られるこのSF的要素が、新海監督の違う一面を垣間見ることができ、実に“新鮮だ”と感じて良かった。



 また、この作品は“音楽”が素晴らしい―。

 作中でも主人公たちが“バイオリン”を弾いているからか、主題歌の「きみのこえ」のイントロ部分でもバイオリンが使われ、その“重低音”が心に響く。

 それでいて、歌っている“川嶋あいさん”の声が、とても澄んだ優しい声で、それが歌詞にも重なり、すごく“儚い”気持ちにさせられ、その気持ちのまま、この作品を観終わることが出来る―。



 すでに“成熟した作品”を観てしまうと、どうしてもその監督がもともとこのレベルの作品を作れる人間なんだと“錯覚”してしまうことがあるが―、この作品を観れば、誰しも昔は、まだまだ“手探り状態”みたいな時期があったんだなと、改めて感じさせられる―。


 この作品は、今の新海作品を支える“礎”であり、“粗削りさ”を感じる中にも、今の新海作品に通ずる
“何か”が確かにある―。

 それを感じることが出来た人たちにとっては“名作”であり、自分は運よく、それを感じることが出来たのだろう―。
 なので、この作品も、また一つ心に刻まれた作品となった―。

 (終)

投稿 : 2024/05/04
♥ : 5

. さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

宇宙も夢を見るのだそうでございます。

本作品は語ります。宇宙も夢を見るのだそうでございます。宇宙の見る夢は様々な可能性を表した別世界。これを並行世界と呼ぶのだそうです。そしてその並行世界を人は無意識の内に夢等の形で見ているのかも知れないと・・・。とてもロマンチックなお話でございますね。


本作品は”新海誠”様の3作目の監督作品でございます。4作目が「秒速5センチメートル」になりますので、1作品前と言う事になります。「秒速5センチメートル」がどなたにでもお勧め出来る作品なのに対し、本作品は残念ながら少々人を選ぶ作品かと思われます。それ故、冒頭にて少しだけお断りをさせていただきたいと存じます。

先ずパッケージ絵の印象に反し、舞台はリアルな現代では無く、仮想世界の物語となっております。但し荒唐無稽なSF世界と言う事ではなく、日本を舞台とした別の世界と言う設定でございます。
ワタクシの物語に対する評価は☆3.5。少々厳しめでございます。これは壮大なストーリーで有るが故に、世界設定に対する説明、登場人物の感情の変化、心情の描写が少々足りていないと感じたからでございます。また全体時間も長すぎました。良い作品ではございますが、中だるみ感を感じてしまった点が大変残念でございます。これら残念な点を見事に克服し、そして”新海誠”様の本当に描きたかった主題を描いた作品が「秒速5センチメートル」では無いかとワタクシは”勝手”に思っております。

ワタクシ個人の意見で大変恐縮ではございますが、この作品における最大の問題点はOPでの回想描写かと思われます。小説に忠実であるが故の描写かと思われますが、正直この描写は小説を読んでいない方には混乱を招く要因でしかございません。よって、これが有る故にエンディングの解釈をあやふやにしてしまう可能性があると思われます。この点、本当に残念でございます。少々辛口な事を申し上げましたが、ワタクシはこの作品が大好きでございます。それ故にこの作品が酷評を受ける機会を少しでも少なくいたしたく、先にお断りをさせていただきました次第でございます。


それでは本題に参りましょう。
2004年の作品でございますが、今でも十分にトップレベルの作画クオリティーを持っております。さすがに次作品である「秒速5センチメートル」には一歩及びませんが、それでも息を呑むほどの突出した背景描写の美しさ。正に芸術の域では無いかと思うほどでございます。
「秒速5センチメートル」でも印象的でしたが、本作でも”駅の描写”、”電車の中の風景描写”、”草原と風の描写”等がとても印象深く、そして幻想的に描かれておりました。又、本作では飛行機が空を舞う描写が特に素敵でした。静寂な空間を滑るように飛ぶ浮遊感・・・。本当にお見事と言うしかございません。美しい風景描写の中で、3人の青年の追い求める夢と揺れ動く心情を背景に見事に重ね合わせ、とてもファンタジックな作品に仕上がっております。音楽も素敵でございますね。要所×2で掛かるBGMは大変作画にマッチしており、雰囲気を盛り上げてくれます。ED曲の『きみのこえ』も大変印象的な曲でございました。


冒頭で宇宙の夢についてお話させていただきましたが、本作では3人の青年達の叶えたい夢と、人が眠りの中で見る夢をかけている様でございます。
主人公の”藤沢 浩紀”様と”ヒロインの”沢渡 佐由理”はお互いが惹かれあい、そしてその思いはいつしか恋心へと変わっていきます。しかし無情にも2人は引き裂かれてしまう。”藤沢 浩紀”様が”沢渡 佐由理”様を思い、心を詰まらせていく描写。正に「秒速5センチメートル」の主人公を彷彿とさせます。

離ればなれになった2人はお互いを眠りの中で夢見続けます。現実世界では逢う事が叶わない2人。でもお互いが探し合い、激しく求め合うことでいつしか2人の夢はシンクロしていくのです・・・。
2人が交わしたあの日の約束。叶えることの出来なかった夢。
主人公は決意をします。一度は破れた夢だけど、一度は果たすことが出来なかった約束だけど。夢を現実にしようと。あの日の約束を叶えようと・・・。


「雲の向こうのあの場所にいこう。あの日交わした約束を果たしにいこう」 物語は大きく動き出します。
どうぞ2人の夢を、2人の恋を・・・応援してあげて下さい。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 20
ネタバレ

ハウトゥーバトル さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

その先に約束は存在しているのか

視聴前 どういう

視聴後 おお

この話は北海道がユニゾンに侵略された話
ジャンルは恋愛・飛行機・中学生
新海誠作品の中で一番好きな作品です。私は当時この作品を見ていなかったのですが、秒速5センチメートルを機に見ました。
本作は物語というよりテーマを重視した作品なのかな、という印象です。序盤も中盤も終盤も基本は遅い展開です。内容もあまり濃くなく、「儚い淡い物語」と表現すればよいのですが、お世辞にも正直そうは言えません。が、現時点(2020・6)では満足できる新海誠の作品がないのでテーマがちゃんとしてる本作は一番という感じです。若干消去法感が否めませんが、とりあえず「本作が一番良かった」ということにしときましょう。
さてここまでテーマが良いと言ってきましたが、そのテーマについて述べていきたいと思います。
本作でおそらく一番出てくる単語「夢」とそれの「忘却」です。{netabare}本作のヒロインであるサユリは夢の中に閉じ込められていきます。しかし閉じ込められてもなお体には意志があります。それは今まで過ごしてきた現実の中で交わした約束にすがっているからです。その約束さえなければサユリはとっくに夢の中にすんでいたでしょう。その約束しか無いサユリはその中で出てくる主人公に頼るしかなく、そのまま異様なまでに依存してしまうわけで。そして徐々に夢の中でリンクしていきます。つまり自分も前から好きだった女の子と夢では会えなくなるのです。まぁ本人も「なんか大切なことを忘れている気がする」と夢の内容を忘れてしまっているんですがね。しかし物語が庵 進むに連れサユリを「夢」から救い出す方法がわかります。本人は得体のしれない感覚を持ちながら飛行機を完成させ、飛ばし目的地に飛ばすのですが、ものすごい喪失感を伴うわけです。
さてここで本題です。夢ときくと「寝たときに見るもの」という意味にも捉えることができますが、「私の夢」とも表現されるように「希望」や「願望」という意味も備わっています。本作は前者の方の夢にとらわれていましたが、同時に約束という希望もみていたわけです。夢から覚めるというのは希望を捨てるということになります。若干言葉遊び感がありますが、本作ではその言葉遊びを丁寧に描いたといって差し支えないでしょう。
そして見た夢というのは覚めても絶対覚えているということはありません。絶対に何かしらを忘れます。忘れては行けないこと、忘れたくないことも忘れてしまいます。本作は「「忘れる」という感覚に対し共感をもとめているやべー作品」という意見がありましたが、実際にそうだと思います。忘却という感覚自体忘却されてしまうのですから、頑張ってその感覚に共感しようとしても結局は忘れてしまうのです。無理がありますよねw
さて本当に本題です。主人公はなにかの違和感を感じ取りながらも、その約束を頼りに彼女の夢を壊し、両者にとてつもない喪失感をあたえたように、{/netabare}私達の行動には、自分と他人のリスクが伴うということを自覚しなくてはならなく、そして失うことに恐れてはいけない、ということです。まぁわかりきったおとではありますが、再認識できたかなって。
私の文章能力の低さが目立つ文章になってしまいましたねw

原作・脚本・監督・絵コンテ・演出・撮影・CGワーク・編集・色彩設計・音響監督は新海誠さん。うへぇ。過労死しそう。
キャラデザ・総作監は田澤潮さん。
劇伴は天門さん。
アニメ制作はコミックス・ウェーブさん。

作画はさながら表現や演出も本当に素晴らしかったです
主題歌は新海誠さん作詞、天門作編曲、川嶋あいさん歌唱の「きみのこえ」

総合評価 新海誠作品の中では

投稿 : 2024/05/04
♥ : 11

72.0 3 飛行機でSFなアニメランキング3位
王立宇宙軍オネアミスの翼(アニメ映画)

1987年3月14日
★★★★☆ 3.9 (273)
1123人が棚に入れました
所属が10人に満たず「失敗ばかり」「なにもしない軍隊」と揶揄され、世間に落第軍隊として見下されているオネアミス王立宇宙軍の士官・シロツグ=ラーダットは、欲望の場所でしかない歓楽街で献身的に布教活動を行う少女・リイクニ=ノンデライコとの出会いをきっかけにそれまでのその日暮らしの自堕落な生活を捨て、宇宙戦艦という名目の人類初の有人人工衛星打ち上げ計画に参加し宇宙を目指すことになる。

声優・キャラクター
森本レオ、弥生みつき、内田稔、飯塚昭三、村田彩、曽我部和恭、平野正人、鈴置洋孝、伊沢弘、戸谷公司、安原義人、徳光和夫
ネタバレ

剣道部 さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

庵野秀明、貞本義行、坂本龍一、藤原カムイ、山賀博之、、、

[文量→特盛り・内容→考察系]

【総括】
1987年にガイナックスが初めて制作したアニメ。SFアニメ映画で、2時間ほどの作品。

とにかく制作陣が豪華。

レビュタイのメンツの代表作を並べると、

監督 山賀博之(ピアノの森)
脚本 山賀博之(0080ポケットの中の戦争)
音楽 坂本龍一(戦場のメリークリスマス)
キャラデザ 貞本義行(エヴァンゲリオン)
作画監督 庵野秀明(エヴァンゲリオン)
デザイン 藤原カムイ(ロトの紋章)

他にも、

プロデューサー 山科誠(バンダイ 社長)
企画 岡田斗司夫(トップをねらえ! 原作)
助監督 樋口真嗣(ひそねとまそたん 監督)
助監督 増尾昭一(ブレイブストーリー 作画監督)
作画監督 飯田史雄(宇宙戦艦ヤマト2199 作画監督)
作画監督 森山雄治(うる星やつら 作画監督)
美術監督 小倉宏昌(ストライクウィッチーズ 美術)
脚本協力 大野木寛(創聖のアクエリオン 構成)

など、豪華なメンバー。

声優陣でいくと、

森本レオ(俳優・ナレーション)
弥生みつき(逆襲のシャア チェーン・アギ)
曽我部和恭(破裏拳ポリマー 鎧武士)
内田稔(俳優・吹き替え)
大塚周夫(ゲゲゲの鬼太郎 ネズミ男)

特に作画が評価されていて、同期(1987年)のテレビアニメでいくと、「シティーハンター」や「きまぐれ☆オレンジロード」、映画でいけば「ルパン三世 風魔一族の陰謀」「ドラえもん のび太と竜の騎士」
なんかと一緒。当時の中では、神作画と言えるでしょう(今見ても、わりと度肝を抜かれます)。

アニメ自体が面白いかは、それぞれの見方があるでしょうが、アニメ史に残る作品として、1度は観ておくのも良いと思います。


《以下ネタバレ》

【視聴終了(レビュー)】
{netabare}
まず、観た感想としては、「こりゃ売れんわな(苦笑)」というもの。

凄い作品だというのは、誰でも感じる。でも、終始暗く、静かで、難解。ストーリーを重視する見方をする自分としては、正直、退屈だった。3回、寝落ちをした。

総製作費8億円に対し、配給収入は3億4700万円に終わったのも頷ける(ただし、ビデオなどの売り上げがよく、15年をかけて、総製作費を回収)。

でも、この作品には、大きな価値があると思う。特に、今の若い人にオススメしたい1本である。

私の感想を書く前に、まずは、当時の巨匠達がどう評価しているか(以下、Wikiから引用)。

シド・ミードさんやマイケル・ビーンさんらは{netabare} 「素晴らしい映像美」を高く評価した。{/netabare}

宮崎駿さんは、{netabare}金のない無名の若者たちが集団作業で作る姿勢に好感を持って応援し、完成した作品にもある程度の評価をしているが、劇中のロケット打ち上げのシーンで将軍が簡単に打ち上げを諦めたことや、主人公以外の努力してきた年配者を描かないことを批判。{/netabare}

安彦良和さんは、{netabare}「全然素晴らしいとは思わない。何のメッセージもない。ただ映像は素晴らしい。誰がやったんだこんなとんでもない作画。そういうことをやって何を言いたいんだっつったら、地球は青かったって言うんですよ。それガガーリンだろ、50年代だろ、ふざけんな(笑)。青いの当たり前じゃない、みんな知ってんだよ。それが物凄い気持ち悪かったんですよね。こんなに無意味なもの、これだけのセンスと技術力を駆使して表現しちゃうこいつら何なの?って」と、厳しい言葉を交えつつも評価している。{/netabare}

押井守さんは、{netabare}「本格的な異世界ファンタジーをちゃんとやりきれたフィルムなんて数えるほどしかない」と述べ、アニメでの例として『風の谷のナウシカ』とともに本作を挙げている。{/netabare}

これらの指摘は、全部正しいような気がする。

私はこの作品を観て、「ただ世界を描きたかっただけ」だと思った。

この作品のストーリーは、「やる気のなかった主人公が、宇宙船を作って、宇宙に行く」というだけ。そして、その「宇宙に行く」ということすら、「何のために」ということが欠けている。きっかけは女のためだったし、宗教や哲学的なことが絡んでくるが、深くは語らない。

この作品を読み解く前提は、「宇宙に行く」=「アニメを作る」だと思う。

本作の世界観の中で、有人宇宙飛行に対し、即物的なメリットは示されない。人工衛星などはすでに実用化され、その利益を得てはいるが、有人である必要はない。ただの浪漫、趣味、道楽であると言っても良い。

アニメというものも、そういうものだと思う。別に今すぐなくなったって、世界はちゃんと回っていく。

そういう「無駄なもの」に、命を懸けて、全ての時間と情熱を傾ける、価値を求めるのが、主人公のシロツグであり、庵野秀明さんをはじめとした、ガイナックスの面々なのだろう(シロツグやその仲間、ガイナックスの面々はほとんど、20代)。

つまり、極度の厨二病で、極限のオタク。

現に、ロケット打ち上げ段階で敵に攻め込まれ、「命」か「打ち上げ(宇宙)」かの選択を迫られた時、年寄り(53歳)のカイデン将軍は、こう言う。

「やむを得んだろう。悔しいのはワシも一緒だ。今度こそは上手くいくと思ったんだがな。仕方がない、引きあげよう。くだらんことだ。命を懸けてまでやって割りが合うようなもんではない。諦めよう。」

それに対し、シロツグはこう返す。

「ちょっと待ってくれ。俺はやめないぞ。なぁにがくだらないことだよ。ここでやめたら、俺達なんだ? ただのバカじゃないか。ここまで作ったものを、全部捨てちまうつもりかよ? 今日の今日までやってきたことだぞ? くだらないなんて悲しいこと言うなよ、立派だよ。みんな歴史の教科書に載るくらい立派だよ。俺、まだやるぞ! 死んでも、上がってみせる! 嫌になった奴は帰れよ! 俺は、まだやるんだ! 充分、立派に元気にやるんだ! 応答しろ!」

このシロツグの演説中、うつむいていた老人達は顔を上げる。演説直後、若者で現場に立つものは、「電圧いける!」「油圧充分!」「ポンプ、やれる!」と、「自分の判断で」打ち上げを強行する。それにつられ、老人達も動き始める。そして、カイデン将軍は「やってみるか」と、心を動かす。

この場面は、あからさまに「(アニメ界における)若者と大人達」が意識され、自分達若者がアニメ界をリードしていくというガイナックスの意気込みが感じられる。と同時に、上の世代を否定する、挑戦状でもある(ちなみに、宮崎駿さんが「主人公以外の努力してきた年配者を描いていない」と強く批判した場面でもある。ちなみに、唯一、努力した年配者であるグノォム博士は、早々と無意味に死ぬ)。

そして、ロケットは宇宙に飛び立つ。

この作品には、「意味のないもの」がたくさん描かれているが、私には、ガイナックスの面々が「描きたいものを、ただ描いているだけ」に思えた。写実主義的であると言っても良い。

数えきれない墓標。煩雑で猥雑な街並み。宗教にどっぷり漬かる少女。過去の打ち上げを失敗を嘲笑う若者。美しい雲の上の世界や、星空。仰々しい儀式。やたらとリアルに揺れる、乳首丸出しのおっぱい。戦車や戦闘機といった戦争の道具。

それら全てが生きる上で必要不可欠かと問われれば、そうでもない。世界は実に無駄に溢れている。

押井守さんは本作を「本格的な異世界ファンタジーをやりきった」と評価している。

それは多分、世界にあふれる無駄なものを、正しく描写しているからだ。例えば、ポーカー風だが謎のカードゲームに興じたり、本が縦開きだったり、カメラのフラッシュがおでこに付いてたり。そんな細かいことろまで、「異世界」なのだ。ストーリーにはなんの貢献もしない、無駄な部分にまでこだわる、狂気。

その「無駄なもの」の極致である、「有人宇宙船」が宇宙に飛び出す瞬間、敵も味方も全員がその姿に見惚れ、戦いを止めた。たとえ一瞬だとしても。

宇宙船が離陸する時の描写なんて、あれを手描きで作ってるんだから、狂気以外の何者でもない。完全に自己満足の世界だ。

最後に、シロツグは宇宙で述べる。

「地上でこの放送を聞いている人、いますか。私は、人類初の宇宙飛行士です。たった今、人間は初めて星の世界へ足を踏み入れました。海や山がそうだったように、かつて神の領域だったこの空間も、これからは人間の活動の舞台としていつでも来れる、くだらない場所になるでしょう。地上を汚し、空を汚し、さらに、新しい土地を求めて宇宙に出ていく。人類の領域は、どこまで広がることが許されているのでしょうか。どうか、この放送を聞いている人、お願いです。どのような方法でも、かまいません。人間がここに到達したことに、感謝の祈りを捧げて下さい。どうか、御許しと、憐れみを。我々の進む先に暗闇を置かないで下さい。罪深い歴史のその先に、揺るぎない、1つの星を与えて下さい。」

このあと、これまでの地球の歴史、人類の破壊と発展が一気に描かれる。

数多ある工業技術や科学技術。芸術作品なんて最たるものだが、人は、なんの役にたつか分からんものを作っていても、それが誰かの心を動かし、人類は歴史を紡いできた。

「宇宙飛行=アニメ制作」とした時、この作品、特にラストシーンは、「無駄なモノを作っている自分達は、無駄じゃない」という物凄い自己愛、自己憐憫に溢れている。

実にオナニー的である。

こういう作品は(絵でも音楽でも映画でも)、大衆にはウケない。売れない。

私自身、大衆的な感性の持ち主なので、シンプルに楽しめなかった。だから、☆は3止まり。

でも、芸術とは元来、自己愛に満ち、自己憐憫的でエゴイスティックなものだと思っているから、彼等の創りたかったものは、コレで良いのだと思う。そして、後世に残っていくモノって、そういうモノであることが多い。

何を感じるか、あるいは何も感じないかは、受け手の自由。何を作るかは、作り手の自由。

安彦良和さんの皮肉混じりの評価には、ある種の侮蔑と羨望があるように思う。

私はこの作品を楽しめなかったが、1アニメファンとして、この作品に出会えたことは感謝したい。

あと、「やっぱりオッパイにこだわりがあった」。

と軽く韻を踏んで、この映画くらい長くて退屈なレビューを終わりにしよう(最後の感想が、それ?)w
{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 28
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

マナの微笑みの意味を考察すると、答えが見つかる気がします。

 月とライカと吸血姫を見て、久しぶりに見たくなって再視聴しました。

 正直申し上げて、面白いかといわれれは面白いですが、エンタメ性はそう高いものではありません。作画の凄さがあるのでアニメ作品として見ると驚きはありますが、それはあくまで中身があってのことです。

 で、中身です。テーマは、ちゃんと物語で語られていると思います。アナロジーというか直接述べていない部分があって、分かりづらいところはありますが、神と人類の罪である火。それをリイクニと宇宙開発で表現した映画と言えるでしょう。


 内容についての解釈です。{netabare} さて、本作の最大のポイントは後半半ばくらいでリイクニの妹、マナがシロツグに向かってニコっと笑う場面ではないかと思っています。

 シロツグは当初は恐らく不純な動機でリイクニに近づき、カッコつけというかいところを見せようとパイロットを目指します。

 リイクニの純粋さだと思いますが、シロツグはリイクニに心を惹かれて行きます。と、同時に宗教に傾倒してゆきます。

 シロツグは宇宙飛行士としてもてはやされると同時に、宇宙計画の意義について問われます。この時、シロツグは教会の天井にある神の姿を模したステンドグラスを見上げます。彼にとっての意義は宇宙に行くことそれ自体だったのでしょう。ですが、問われてみれば、神の教えと自分の行動の矛盾に気が付いたのかもしれません。

 そして宇宙計画には膨大な予算が必要で半分の金額で飢える人を3万人救えると言われます。シロツグは教会の前にたむろしていた貧民にお金を投げつけます。つまり、この段階では彼は自分を肯定しきれていないということでしょう。

 その直後、リイクニとともにビラをまきます。ここが彼の悩みを表現していたのかもしれません。本当に宇宙に行くことが正しいのかという自問自答。あるいは神に許しを乞うていたのか。

 ですが、ここで小さな出来事が起きます。今まで敬虔で穏やかだったリイクニが、雨に濡れてイライラしていたのでしょうか。マナに対して一般の小うるさい母親のように小言を言います。そして、靴からお金がこぼれるという描写がありました。これがシロツグにとって、リイクニもやはり普通の女性であるということが解ったのでしょう。有名なレイプ未遂のシーンになります。



 そして、その後のリイクニの反応は狂気でした。シロツグに対しシロツグは悪くない悪いのは自分だ、と理屈にならない理屈を述べます。恐らくここでシロツグはリイクニの異常性に気が付いたのでしょう。そして狂信的に宗教にのめり込むことについて恐らく疑問をもったのでしょう。

 多分、ここでだったら神というものを確認するために、あるいは人類の罪とは何なのかを確かめるために、宇宙に行く決意を固めたのではないか、と思います。

 マナは別れを告げにきたシロツグに対し微笑みます。それが恐らく答えなのでしょう。リイクニに対して一切笑わなかったマナの微笑みの意味はリイクニの否定、シロツグの肯定と取れます。
 
 最終的にシロツグの宇宙からの問いかけの意義については、まあそれぞれが何を思うかでいいと思います。

 リイクニが最後に言葉を止めて空を見上げたのはなぜでしょうか。シロツグが空にいることを思い出したのか、それとも自分の行いに初めて疑問を持ったのか。{/netabare}

 テーマが深いかといわれると、実はそうでもないです。「2001年宇宙への旅」を初め文明の進化についての映画など腐るほどあります。ただ、SF設定の凄さは持ちろんですが、キャラ造形が良いのと、物語とテーマの関係がすごく自然で脚本のうまさが光っていると思います。

 前半ちょっと飽きる部分はありますが、後半からどんどん面白くなって行きました。ただ、再視聴のハードルは高いですね。前回見たのは10年以上前だと思います。

 アニメそのものの凄さは語りつくされているので、これくらいでいいでしょう。1点だけ下衆な話で申し訳ないですが、リイクニのヌード。すごい美しいスタイルでした。さすがガイナックス、力の入れどころを間違えません。


追記 肝心なところを書き忘れました。初見のとき、リイクニの売春的なものを疑った記憶があります。家を失いおじさんにコートを貰った、良くしてもらっている。そしてお金をばらまきますからね。しかも、シロツグが拗ねていました。シロツグには手をつなぐことにすら拒否したのに…と。その直後にレイプに踏み切った、という動機から考えてもそう採れなくはありません。

 ただ、現在はそうではないと思っています。リイクニは電車に乗っていましたから、文明の恩恵を全否定していないし、お金も使っています。それに彼女の宗教的な純粋性を否定してしまうとテーマがぶれる気がしました。どちらが正解かはわかりませんが、キャラを読み解くとやっていないのが自然な気がします。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 15

nani-kore さんの感想・評価

★★★★☆ 3.1

ン十年前の若き才能を乗せ、高らかに羽ばたいたオネアミスの翼!!

自分にとって、大変思い出深いアニメである。

私が漫画やアニメに触れたのは、ひとえに家族の影響だ。
母は漫画を描くのが好きで、松本かつぢや岡本一平(古っ;)ばりの画力の持ち主だったし、画力こそ皆無であったが、父は漫画雑誌「アクション」を定期購読し、「どん亀野郎」等、趣味の良い珠玉の漫画単行本を所蔵していた。
そんな両親の影響を受けてか、子である私たち4人姉妹も、マンガ本を買い漁っては読み回していたのだ。

「私、アニメーターになるっ!」宇宙戦艦ヤマトにインスパイアされた長姉は、ある日、鼻息荒く高らかに宣言した。当時アニメーターは、子供がなりたい職業のNO.1であったこともつけ加えておこう。
とはいえ、アニメはまだまだちびっ子の観るべきモノだった時代、思春期になりたての姉は恥ずかしさを隠すためか、まだお尻の青みもとれていない3番目の妹である私を、アニメ映画が上映している映画館へ連れ回した。
長姉には逆らえなかったが、内心、私はそれがイヤでイヤでたまらなかった。地元の映画館は吐き気をもよおすほど臭くて、ゴキブリが肩に止まったコトもある位の汚らしさだったのだ。それにそもそも、姉の観たいアニメ映画は、ちびっこ向けの内容では無かったのである。
当初はイヤイヤ連れ回されて観るアニメ映画だったが、物心がついてくるに従い、アニメの素晴らしさに目覚めていった。
前置きが長くなったが、本作「王立宇宙軍オネアミスの翼」は、そんな私がイヤイヤではなく自分の意思で、初めて観たアニメ映画だったのである。

アニメがお子様向けのみならず、大衆文化へと変化する黎明期。
昨日までアニメーターのバイトをしていた大学生が、いきなりTVシリーズアニメのキャラデザをまかされて、花形アニメーターとして羨望を集めちゃったりしていた時代だった。
うちの長姉のみならず、多くのアニメ好きの若者が、そんなシンデレラを夢見たのであろう。。本作「オネアミスの翼」は、まさに夢見る若きアニメーター達を乗せて羽ばたいたのだ!!
監督の山賀氏を始めとして、ナンとスタッフの平均年齢24歳。当時の若き才能が集まり、NASAまでロケハンへ行き、執念といえる程の情熱が込められた本作、否が応にも数々のアニメを見慣れた私が口をアングリ開けるほど、作画は当時の最高峰で本当に素晴らしかった。
だがその内容は。。アニメ好きとはいえ、胸もペッタンコ(今もだが;)だった私には、面白味も感動(スゲー作画以外は)も、何も得られなかったのが正直なところだ。

思うに大人向けのアニメだったのである。
それも本当の大人ではなく、夢いっぱいで青臭い情熱に満ちた、大人の入り口に立ったばかりの。。そんな作品に、思春期も迎えていない少女が共感できるワケがない;
今、観直しても無理だろう。だってもう、大人の入り口なんか、とっくにスルーしちゃったから;;
じゃあ、本作を今の若者に。。ともいえない。
ン十年前の若者が作ったアニメは、作画のみならず内容もキツイと思えるからだ。もし共感してくれるなら、それも面白いけど。。

長姉の影響で、「じゃあ私もアニメーターになるぅ~」と無邪気に触れ回っていた私だったが、映画館を出る頃には、アニメーターはムリだと自覚した。アニメーターになる!と高らかに宣言していた姉も、社会に出て普通の会社員である。
。。そんなワケこんなワケで、自分にとって大変思い出深いアニメなのだが、さして評価できる作品でもない。
唯一、作画がスゴかった(当時)ので、★3.5にしとこー。

申し訳程度に追記しておくと、オネアミスの翼に乗った若き才能は、ちゃんと高らかに羽ばたいている。
興味のある方はウィキってみてください♪

投稿 : 2024/05/04
♥ : 16

64.6 4 飛行機でSFなアニメランキング4位
フラクタル(TVアニメ動画)

2011年冬アニメ
★★★★☆ 3.4 (815)
4298人が棚に入れました
舞台は世界を管理する“フラクタル・システム”が完成し、人類が働かなくても生きていける楽園に足を踏み入れてから1000年後の未来。システムはかろうじて稼働していたが、誰もシステムを解析することはできず、ただ維持し続けることが幸せの条件だと信じて疑わなかった。しかし、大陸の片隅ではフラクタルが崩壊し始めていた。漫然と日々を生きる少年・クレインは、ある日何者かに追われ崖の下に転落した少女・フリュネを助ける。少女との出会いに心躍らせるクレイン。だが、フリュネはブローチを残しクレインの前から姿を消した。ブローチに残されたデータには、少女の姿をしたアバター、ネッサが閉じ込められていた。ネッサとともにフリュネを探し旅にでるクレイン。そこで彼は“システム”の秘密を知ることになる―

声優・キャラクター
小林ゆう、津田美波、花澤香菜、井口裕香、浅沼晋太郎
ネタバレ

雀犬 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

ヤマカンとあずまんと、時々、マリー

【概要】
 2011年冬。原作に思想家の東浩紀ことあずまん、脚本に岡田麿里ことマリー、監督に山本寛ことヤマカンという豪華制作陣で送るオジリナルアニメ。アイルランドを舞台に繰り広げられるSFファンタジー。放送前の期待値は高かったのだが、結果は撃沈。コミカライズを担当している漫画家から「こんなつまらない作品の連載を続けたくない」と愚痴られて揉めたり、原作のあずまんから「監督が耳を傾けてくれたらいいアニメになってた」と後日批判されたり、作品の内外問わず悪評高い作品でもある。

 駄作といえば「フラクタル」、「フラクタル」といえば駄作。2010年代の有名クソアニメとして必ず名前の挙がる不名誉な作品。クソアニメと言っても最近ありがちな「いもいも」「メルメド」等の作画崩壊系ではなく作画はむしろ良い。(特に第7話は凄いと思う。)でも作画が良いということは裏を返せばそれだけ製作費がかかっているということであり、事前の宣伝も力が入っていたらしく、放送後ヤマカンは最大の戦犯としてボロクソに叩かれたそうだ。

 評判的にもパッケージの売上的にも散々な結果に終わったフラクタル。原作のあずまんは「震災があったのにサブカル批評なんてやってる場合じゃねえ!」と早々に逃亡。マリーは同年「花いろ」「あの花」等のヒットで汚名返上できたのだが、「この作品が失敗すれば引退も辞さない」と事前に決意を語っていたヤマカンのダメージは大きく、カリスマ的な権威は失墜、その後は奈落に落とされるようにして、先日破産にまで至ったのである…

 フラクタルについて、ヤマカンはBLOGでこう語っている。(何を隠そう、僕はヤマカンBLOGの愛読者なのだ。)
 https://lineblog.me/yamamotoyutaka/archives/13018660.html

 この記事の後も「フラクタルは名作、ネットの評判に潰されただけだ」「フラクタルは必ず再評価される」など自己弁護的な発言を繰り返しているヤマカン。往生際が悪いにもほどがあるのだけど、彼はフラクタルが失敗作だとは絶対に認めたくないらしい。そこまで意地になるフラクタルとは一体どのようなアニメなのか、気になっていたので観てみた。

【感想】
 結論から言うと作画が良くて、音楽も良くて、世界観も深くて、声優さんも上手くて、それでいて心躍るものがないという、何とも残念な作品でございました。世間の評判と大差ない感想になってしまったんだけど、「つまらない」と言われる原因ははっきりしているように思う。

 1つはフラクタルシステムに関する設定が分かりにくく、最後まで見ても何を訴えたかったのか漠然としている点。もうひとつは主人公のクレインが受け身体質で、理不尽な出来事に巻き込まれながら淡々と話しが進んでいくため盛り上がりに欠ける点。見た目はジブリ風の冒険活劇で、特に「天空の城ラピュタ」を連想させる雰囲気を醸し出しているのにワクワク感や達成感、人物の成長を感じられる場面に乏しく見た目とのギャップが大きい。王道の冒険ストーリーを期待すると失望することになるだろう。

 フラクタルのストーリーのあらすじはこうだ。(公式ページから転載)

 “世界を管理する「フラクタルシステム」が完成し、人類は史上初めて、もはや働かなくても生きていくことができる圧倒的な楽園に足を踏み入れた。それから千年 ―― システムはいまだに生き残り稼働し続けていたが、もはや誰もそのシステムを解析できなかった。多くの人々が、その維持こそが、人類の幸せの条件だと信じて疑っていなかった。物語は、そんな「フラクタル」が崩壊し始めた、ある大陸の片隅の島で始まる。漫然と日々を生きる少年・クレインは、ある日何者かに追われ崖の下に転落した少女・フリュネを助ける。少女との出会いに心躍らせるクレイン。だが、フリュネはブローチを残しクレインの前から姿を消した。ブローチに残されたデータには、少女の姿をしたアバター、ネッサが閉じ込められていた。ネッサとともにフリュネを探し旅にでるクレイン。そこで彼はシステムの秘密を知ることになる”

 要するに典型的なディストピアものであり、ボーイミーツガールである。その定型に従えば、主人公のクレインが世界の危機に勇猛果敢に挑み、一目惚れした少女フリュネを助け出し、フラクタルシステムの再起動を阻止し、デカダンスに陥っている人々の生活に潤いを取り戻す…というストーリーが頭に浮かんでくる。ところがこのアニメは視聴者の予想を見事に裏切ってくれるのだよ。

 {netabare}主人公クレインはフラクタルを否定し昔ながらの生活を是とする集団「ロストミレニアム」と出会うが、彼らは暴力に訴えるテロリストという一面があり全幅の信頼を置ける仲間とはいえない。見続けると、フラクタルシステムに依存する暮らしが当たり前になった世界で、システムを停止させることが正義なのか段々疑わしくなってくる。システムの管理者であり存続を図る「僧院」とシステムの破壊を狙う「ロストミレニアム」の間で板挟みになったクレインは確固たる信念を持って行動できない。そもそも設定上、彼に人々を動かし世界を変えるだけの力は一切与えられていない。見ている側からすると非常にもやもやする。

 フリュネへの恋心はぶれないが、フリュネが「何を考えているかよく分からない」女の子で話も噛み合わず、勝手に行動するから盛り上がるはずの恋愛要素で全く盛り上がらないという状態。{/netabare}

 以上、ヤマカン自身も認めているように本作はエンターテイメント性が希薄で分かりやすい面白さがないんだよね。(そこは認めておきながら、なぜ名作だと言い張るのか…)これでは「退屈」「楽しくない」「何をしたいのかよく分からない」といった感想が並ぶのも致し方無い。僕は嫌いじゃないんだけどね。少なくともハルヒ1期より好きだ。(フラクタル以下ってどんだけハルヒ嫌いなんだよと突っ込まれそうですが)

【考察】
 この不人気アニメの考察を読みたい人がどれだけいるか疑問だし、見たことある人自体少なそうだけど、折角なので書いてみよう。

 ネット上のログを見るに、原作のあずまんは制作の途中で「あなたが入ると話がまとまらない」と脚本会議から追い出され、どうも後半のストーリーは彼の構想とは違うものになったらしい。したがって本来のフラクタルについては勝手に想像するしかないのだけど、あずまんがやりたかったのはトラウマを抱えた可哀想な少女を救うKEY的な物語だったんじゃないかと思う。東浩紀ことあずまんはポストモダンという視点でサブカルチャー批評を行い話題になった人だが、「動物化するポストモダン」や「ゲーム的リアリズムの誕生」を読めば分かる通りアニメよりも美少女ゲームに造詣が深く、とりわけKEY作品が大好きなんだよね。(いわゆる鍵っ子)

 それを踏まえるとフリュネの不幸な境遇、ネッサの純粋無垢な性格はKEYヒロインにありがちだし、フラクタルシステム自体は緻密な設定を構築しておきながら再起動の鍵になるのが16歳の少女という物語の核心的な部分について何のロジックもないというのもある意味でKEYっぽい。美少女ゲームの「運命」や「奇跡」って往々にして理由付けがなかったりする。

 「ゲーム的リアリズムの誕生」によればノベルゲームには「メタ物語的」な構造が見受けられるという。あずまんは自著で「ひぐらし」「AIR」「ONE」などの作品を取り上げ、これらの作品にはゲームのプレイヤーとゲーム内の主人公の視点を同一化させてしまう巧妙な仕掛けが施されていることを説明している。たとえば「ひぐらしのなく頃に」はストーリー自体は一本道で購入者はクリックして話を進めることしかできないのにも関わらず、各編は選択肢に失敗したがゆえのバッドエンドであるかのように錯覚し、プレイヤーは自分の力で物語を正しい在り方へと導くような感覚があるといった具合だ。

 フラクタルが「メタ物語的」な想像力を実践する作品だとすれば、わがままで自分の意のままにならず話の通じない一方、なぜか惹かれてしまうし性的な存在でもあるフリュネは現実の女性の象徴、人懐っこくいつも笑顔で自分の身近にいてくれる一方で、実存しないアバター「ドッペル」でしかないネッサは虚構のキャラクターの象徴だと思えてくる。

 ここに自分を愛してくれるのは実体のない二次元キャラで、本当に愛されたい三次元の女性とは分かり合えないという悲しい構図が見て取れる。あずまんは視聴者をこの皮肉な構図に嵌め込み、男性の不能感(フリュネを救えないバッドエンド)あるいは全能感(フリュネを救うハッピーエンド)をトコトン味わわせて泣かせようという魂胆だったのではないかと予想する。ヤマカンに没にされ小説版フラクタルもなかったことにされた今となっては想像しても詮無き事ではあるが…

 結局フラクタルはヤマカンが作りたいものを作ったことになるのだけど、「アニメ業界批判(藤津亮太)」、「80年代への回帰(宇野常寛)」といった評論家の方々の評価は少し外れているように思う。萌えアニメの台頭によってキャラクターが記号化・パターン化し、客に媚びた作品やストーリーを軽視した作品が増えているという問題意識は当然あるだろう。ヤマカンがBLOGやtwitter(問題を起こしすぎて現在はアカウント凍結されているけど)で度々言及していることだ。でも当時は批判一辺倒ではなく、もう少し前向きな気持ちで作っていたんだと思う。下記の対談記事で語っている内容が一番真意に近いのではないだろうか。

 http://www.billboard-japan.com/special/detail/99

 {netabare}最終回でフリュネはフラクタルシステムを再起動させるという道を選び、クレインもフリュネの決断を止めようとはしない。見せかけの虚構によって人々の心を支配するフラクタルシステムがアニメ業界のカリカチュアであり、仮に萌えアニメを業界から一掃したいという考えがヤマカンにあるならば本システムは唾棄すべきものであり、主人公たちに破壊する道を選ばせるはずなんだよね。でも、そうはしなかった。フラクタルの聖域でフリュネとクレイン、ネッサの三人は「神」なるものの姿を観るのだけど、スクリーンに映し出された神はただの女子高生で、彼女は「ネッサ」と名付けたウサギのぬいぐるみに愛おしそうに話しかける。この演出の意図するところは、アニメの視聴者とアニメのキャラクターの関係を女の子とぬいぐるみの関係にスライドさせ、キャラクターに抱く特別な感情(もちろん萌えも含めて)を人間らしい感情だと肯定しているように僕には思える。

 この後場面は一年後になり、クレインは自炊生活をしながらもドッペルの犬を可愛がっている様子が描かれる。要するにヤマカンは「萌え要素を残しつつも従来のストーリー重視でテーマ性も感じられるアニメを俺は作るから、お前らついて来い!」と言いたくて、これを作った当時はオタクと手を繋ごうという意志がまだあったんだと思うんですよ。だからこそフラクタルを批判されると反撥するし、このアニメを否定されると身を切られるようにつらいのではないだろうか。
 {/netabare}

 以上、長々と語ってきたけど、東浩紀のデータベース消費理論を知らない人にとって、人と社会の関係、消費者と創作物の関係に相似を見出すこと自体無理な話だと思う。(どうしてフラクタルのストーリーとアニメ業界の話が繋がるのか分からないはず)

 このアニメこそヤマカンが散々BLOGで言ってるスノビズムに冒されている作品のようにも見える。こんだけアニメについて熱く表現したところで視聴者からすると「そんなの知らんがな」で終わるような気がするのだけど、僕の思い過ごしですかね?やっぱりポタクの戯言ですか!?

 

投稿 : 2024/05/04
♥ : 21

nyaro さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

再視聴。やっぱりアニメ視聴にはメタ情報は入れない方がいいですね。

23年10月に再視聴。以前は22年5月に1回みてレビュー書いています。

 さて、バーチャル世界と自然回帰的なもの、ベーシックインカム、ボーイミーツガール、それと鍵となる少女の性的な話をジブリ風エヴァ煮込みにしました、という感じの作品です。

 そう考えると、内容それ自体はもったいぶってはいますが、難解ということもなく、描かれていること、事象とSF設定、テーマは分かりやすいです。

 ただ、やはりフリュネの性的な問題ですね。ここは何がいいたかったんでしょうか?1回目視聴の時は、アニメ創作の世界における少女の性消費の「歪み」のアナロジーとして一番気持ち悪い「父娘」性的虐待問題を持ってきたのかなあとも思いました。あるいはNTR的な演出もあったので、アニメ消費者の処女厨批判なのかとも思いました。つまり父(加害者)、NTR(被害者)=アニメ視聴者です。

 ですが、その解釈でいいのかこの作品では確信がまったくもてません。型で読み取ればそういう感じでいいと思いますが。で、東浩之氏が執筆した「フラクタルリローテッド」という雑誌連載の小説を手にいれようと思いましたが、無理でした。
 
 私は「アニメは情報をカットして見る」を信条としていますが、さすがに気になるので、当時の制作者の言説をある程度みました。
 いやー、もめたんですね。東浩之氏と山本寛氏。岡田麿里氏は東氏サイドみたいですね。醜い争いなのと外野の意見が品がないので、すぐに情報拾うの諦めましたけど。

 前半は東氏と岡田氏のシナリオ、中盤から山本色が入って、最後は山本氏が描いたシナリオっぽいですね。ですが、東氏と岡田氏は近親相姦をテーマに持ってこようとしていたみたいで、そこに着目してしまう仕掛けはあったみたいです。

 11話の少女のモノローグは感動的なんですけど、その達観が自己犠牲なのか、父娘の関係性なのかよくわかりませんでした。結論がよれているので含意が読み取れない…ような感じです。ただ、それにしては普通に面白いストーリーにはなっていました。
 ただ、なぜ鍵は近親相姦による多重人格じゃなきゃいけないか?が、メタ的な意味でわかりませんでした。つまり、含意が分かりません。ここまでややこしい感じにした以上は気になりますが…

 まあ、やっぱりメタ的な情報は入れないほうがいいですね。せっかくある程度高く評価していた作品なのに、ニュートラルな目で見られない感じです。ですので、評価は変えないでおきます。まあ、普通に面白いとは思いますし。




以下 22年5月 1回目の視聴時。


ジブリ模倣はミスリードで「2次創作」と「少女の消費」について?

 本作はストーリー原案に東浩紀氏がクレジットされていてました。OPで気が付きましたが、「動物化するポストモダン」で有名な評論家です。宮台真司氏、岡田斗司夫氏、堀江貴文氏などと対談している動画を見たことがあります。
 彼は本作の前提となる消費だけする社会、つまりベーシックインカム条件付き肯定だったと思います。
「動物化…」でデータベース理論とシミュラークルについて語っていました。

 本作の題名が、フラクタル=自己相似性です。そして、シミュラークル=オリジナルと模倣が逆転した或いは区別がつかない状態ですね。データベース理論はアニメなどの創作物はもはや模倣による萌えられる小さな断片の積み上げで作成されており、大きな物語が提示できていない、と言うものでした。(誤解があるかもしれませんので詳しくは原典をお読みください。)

 まず、本作で目に付くのはジブリ的な作画と飛行船=ラピュタ、悪役たちはナディアっぽいです。これで1話目で「んん?」となりますが、東氏の名前を見ているので、あえて模倣しているんだろうなあ、と思います。つまり作品というのは2次創作=MADアニメでも内容が入れられるんだぞ、ということが言いたい気がします。対してオリジナルに見えてもテーマ性もオリジナリティも無い物が氾濫しているぞ、と。
 ミスリードしてるんだろうなあ、と思います。なにせあのヤマカン氏のクレジットもありますのでゲンロン畑の人たちですからひねくれてるんだろうなあ、と思います。

「ザナドゥ」とかいかにも厨2な名前の付け方もちょっと意地悪な感じです。ここのくだりで、作品に対する批評とその批評に対する病的な反論とかもちょっと入ってましたね。
 生活の2重性がベーシックインカム以上の儲け=欲望と捉えていいのかはちょっと読み取れませんでした。結局滅ぼされていたので肯定的ではなさそうですけど、

 結果として最後はエヴァを想起させるシーンが出るし、マクロスだし、攻殻機動隊でした。レールガンの御坂シスターズの模倣はナンバリングとか個人の特定というそっくりなエピソードもありました。丁度レールガン1期が2010年なのでかなり意識したんでしょう。
 とにかく細かくはいろんなものを思い出しますが、そういう断片の模倣が意図的に散りばめられています。

 本作については、ベーシックインカムで生活がない、ネット社会で個がアバターであることと同義である、という社会を描いていました。表面上は。

 ただ、ヒロインのフリュネの性的な扱い方から言って、ヒロインは巫女であることを裏切ることにより、その点で現実の女というもの、つまり、萌えに対するアンチテーゼを言いたかったのかなあという気がします。途中の露骨な診察台の部分とかやりすぎなくらいでしたが、まあ、分かりやすくしたんでしょうね。
 14歳=エヴァではなく、あえて10歳から16歳まで成長させていました。14歳で少女たちは成長を止めるのではなく、大人になるんだぞ、という事かもしれません。ネッサ・中身=10歳、フリュネ・外見=16歳もちょっと意地悪くとると今の高校生なんてそんなもんだ、と言っているようにも見えますけど。

 シンエヴァがやった自然回帰・現実回帰と少女は女に成長するという現実を2011年時点でやったということでしょう。なお、2011年冬のアニメで震災前なんですよね。この後震災によってアニメの在り方に恐らくは隠れたパラダイムシフトがあったんでしょうか。本作のアニメへの提言的な部分は全然話題にならなかったですね。
 私は本作の存在すら知らずに、本当に最近見終えたところです。

 なお、自然回帰・現実回帰については1回しかみてないので何ともいえません。フラクタル社会そのものを全否定したかどうかは読み取れてません。ちょっとニュートラル、つまり価値観を保留しておきます。


 総評です。で、素直に言って普通に面白いです。模倣性は敢えてやってるんだろうなあ、と思ったのでかえって気になりませんでした。作画もキャラデザも奇麗ですし。11話1クール作品にしては、世界観があってしっかりと一つの世界を見届けた満足度があります。結末があるのもいいんでしょうね。

 あと、私みたいに屁理屈をこねなくても面白いと思います。特に模倣はワザとやっていると割り切ってみればなかなか冒険があって、出会いがあって、視点が移り変わる秀逸なストーリー展開でした。

 主人公も言ってましたが、登場人物の説明不足でイライラしますけどね。主人公の気持ちに乗れるという点ではうまい脚本だったのかもしれません。それと主人公の無垢性も演出なんでしょうけどちょっと作りすぎな気もします。

 1回目なので私の読み込みが甘いですが、仕掛けがないかもう1度見たくなる感じですね。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 11
ネタバレ

シェリー さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4

こんなの間違ってる。

フラクタルシステム。
これにより、この世界の人間には一定額の収入が支給され、ある程度の自由が許されるようになった。
あくせくと働くことをしなくても手元にお金がある状況ができ、大衆は好きなことに好きなように時間の全てを使うことができるようになった。
まさにある種の理想が現実となった世界なのである。人々はその自由に心までどっぷりと浸かっていた。


その世界に生きる1人の少年クレイン。科学技術が進歩し全てがデータとなっている中で
彼はビンテージ(僕らが今使っているコンピュータ)をこよなく愛す、周りからしてみると一風変わった少年だった。
その日クレインはフリーマーケットの帰りだった。自転車に乗り風を切る。とても気持ちが良い午後だった。
あたりは芝生の綺麗ないくつかの丘によって小さな起伏の波ができておりとてものどかな眺めである。
砂利道はまるでフォークを手に持ち力づくに切リ分けたケーキのような崖に沿い、彼の家までずうっと続いている。
クレインは自転車を途中で止め本日の収穫を確認した。手には成り行きで持ってきてしまったデータが一つだけ。
中を調べてみるとそれは教科書のデータだった。期待外れの収穫にがっかりし、空を見上げる。
雲はまるで関係ないような顔をして去っていった。すると急に何かが視界を通り過ぎた。
彼にはそれが最初鳥に見えた。白い大きな鳥。それは何かに追われていた。
でもそれは白い大きな鳥ではなく1人乗り用の飛行機に乗った若い女の子だった。一目見て可愛いと思った。
クレインは急いで自転車に乗り追いかけた。頑張って並走しようとする。彼女とコンタクトをとろうとする。
けれど少女の飛行機は追跡者に撃たれしまった。そのまま飛行機と一緒に少女は崖に沿って下に落ちていく。
落ちていく、落ちていく。いや、すでに堕ちているのだ。



管理社会を扱った作品です。世界観や設定はとても良いです。すごく好きです。
でもあまり面白味がなかったのがとても残念でした。そして評判もあまり良くはありません。
1話から3話くらいまではとても良かったのにそれ以降は回を追うごとに悪くなっていく。
僕が一番感じたのは何人かの登場人物の魅力の無さでした。

まずクレイン。
彼にはフラクタルシステム下で生活していたせいか意志というものが欠落しています。
だから誰かを助ける!とか構うもんか!とならなければならないシーンで熱がない。足りない。ほぼみせかけでした。
他の面で良いところはあるかと探してみても特に見つからず、ぐだぐだとグラニッツというレジスタンスの中にいた印象しかありませんでした。
「彼が何かしたかい? いやいや、ただそこにいただけさ。」

次にスンダ。
彼はレジスタンスである「グラニッツ」のリーダー。しかし頭悪いし、リーダーシップないしで、魅力も0です。
彼とクレインが一緒になることで物語もどんどん面白さを失っていったと思います。
肝心なグラニッツ一家に関してもこっちには何も伝わってきません。やっと分かるのは名前くらいです。

彼らのテロ行為もおかしいと僕は思います。
フラクタルシステムに反抗し、自活することができていればそれはそれで十分に戦っていることなります。
それはジョージ・オーウェルが『1984年』で綴った一文、「抱擁は戦いである」と同義です。
社会のシステムに身を委ねず、魂を売らず、強いられた生活の営みの中に反抗を見い出し、
自らが打ち立てる強い意志を保つことでそれが意味を成し、心の最も大切な支えとなり、剣となるのです。
それを他の人に広めたいのなら他にも手段はあったはずです。もっともこれは例えばの話ですが。
しかし、それを飛び越えて人を殺すことを目的に襲撃するのがスンダの「抵抗」と言うのなら、それはただの殺戮でしかありませんでした。
まったくもって、ただの人殺しです。
それでは世界はなにも解決されなし、誰も救えない。愚か者め。

ストーリーもはっきりしないことが多いです。どこに焦点を持っていっているのかもあやふや。
観ていて状況は分かっても結局なに?だから何なの?という感覚でした。
基本観ていて分かることはあんまりない。理解しようとする努力も水を掴もうとするくらい無駄なものでした。

良いところもたくさんあったのに全て自分達で潰してしまっている、非常にもったいない作品です。


{netabare}

1話は本当に面白かったのに!すごくすごく惹かれました。
でもあのグラニッツの2人組もすごくよかったのに片方を襲撃で殺しちゃうし…



僕がさらにここで書きたいのはフリュネについてです。

彼女は本当に悲惨でした。
彼女が登場した1話から僕は非常に好感を持っていたのであのような状況にはひどく傷つきました。
あの椅子や、あのアホの頬ずりや抱きしめられる姿には本当に胸が引き裂かれる想いでした。
最終話のアホの語りの部分は聞いているだけで頭がおかしくなるかとも思いました。
観終わった後20分くらい体育座りで泣いてましたww 俺も俺で相当気持ちが悪いww
でも本当に傷ついた。泣いた。

どうしてアニメにあんな設定が必要だったのでしょう。なぜフリュネは汚れなければならなかったのでしょう。
悲劇的要素を含ませたかっただけなのであればこれほど悲しいことはないと思います。
生み出され、汚され、自由もなく、そして無に消えいく。
最後のフリュネの姿も見るに絶えません。あんなのありえないでしょう。
道徳観がどうかしているとしか僕には思えません。どうしてあんなに酷いことができたのでしょう。

僕個人の見解としてはフリュネが汚される理由は特に無かったと思います。
ではどうしてこんなことになったか。それは作る側がただただ悲劇を生み出したかっただけだろうと思います。
話(物語と呼ぶには決して値しない)の終盤に向けてなんとか大義名分やら目的やらが欲しかったのでしょう。
単発型の扇情的な描写でしか引く手がなかったのでしょう。筆舌に尽くし難いほど素晴らしい脚本です。
視聴者を傷つけるような雑なプロットに、話は簡単には分からないように作り少しでも好奇心を持たせようというだけを目的としたストーリーはもはや灰に等しいです。


決して現実と虚構が錯綜しているわけではありませんよ!その辺はまともな人間であると自分を信じたいw
ただフリュネに関してはもっともっと掘り下げることもできただろうし、
他のことを通してあの積極的で頑固な性格を生かす手段がたくさんあったのではないかと思うのです。
おそらくこの想像があることも悲劇的運命を受け入れられない一つの理由かもしれません。
どうしてかは分からないけれど彼女にはすごくすごく惹かれました。というか大好きですねw
それも最後まで観てしまった今ではもう。とても悲しかったです。

2度とこの作品を観ることはありません。偏見の強い文章ですみません。

{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 19

64.0 5 飛行機でSFなアニメランキング5位
イリヤの空、UFOの夏(OVA)

2005年2月25日
★★★★☆ 3.5 (254)
1395人が棚に入れました
浅羽直之は園原中学校の二年生。
夏休みの間中、裏山にてUFOを探す日々を送っていたがUFOについては結局何の成果も得られなかったため、せめてもの思い出にと浅羽は学校のプールへと忍び込む。が、そこには伊里野加奈と名乗る、見慣れぬ不思議な少女がいた。状況が飲み込めないままに浅羽は伊里野と触れ合うが、すぐに伊里野の兄貴分と自称する謎の男が現れて、その夜はそれでお開きとなった。
そして翌日の始業式の日、浅羽のクラスに伊里野が転校生として編入してきた。ささいな事件がきっかけでクラスから孤立してしまった伊里野と、そんな伊里野のことが気にかかる浅羽と、伊里野の周囲に垣間見える幾つもの奇妙な謎。そんな風にして、浅羽直之のUFOの夏は、その終焉に向けて静かに動き出したのだった――。
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

夏の残滓を追いかけて……。

原作ライトノベルは全4巻購読済み。

軟弱な主人公の中二少年に、過酷な運命を背負った少女のボーイミーツガール。
彼女を強大すぎる敵との戦いや、少女を囲う大人たちから守りたい、物にしたいと思ってはみるが、
少年一人では力も技術も知恵も、そもそも精神力や覚悟すらも、圧倒的に足りない……。

前世紀末から今世紀初頭かけてに確立された、いわゆるセカイ系の典型的なプロット、表現を一通り揃えた本作。
(さらには{netabare} 少女のピッチリしたパイロットスーツまで付いてくる定番ぶり{/netabare})
ここまではまだ凡庸なのですが、本作を非凡たらしめているのは、夏成分のスパイス。

……とは言っても、本作、夏を含んだタイトルでありながら、
夏休みで展開される場面は、回顧を除けば、序盤、8月最後の一日のシーンのみ。
あとはズルズルと残暑が続く二学期にて、
パワー不足、思慮不足な少年のあがき……にもなっていないような中途半端な言動に、
思わず頭を抱えてしまう場面が繰り返されます。

中二少年にはとても無理な願望。それを諦めきれない青さ。
それらが終わった夏の熱気はやがて冷めていくという必然、
それでも終わって欲しくない夏への未練とリンクして、
何とも言えない切ない感情がいつまでも心に燻り続けるのです。

原作既読組から見ると、本OVAの物足りないと思う点は心理描写。
特に主人公少年が抱く、自己制御もままならないドロドロした思春期の心情が
描き切れてないとは思います。
原作に比べて少年がいい人になってる感じがするんですよね……。
こういうシナリオは主人公がイタければイタい程、
物語がハートの奥深くまで刺さると私は思っていますので……。

一方、背景作画は、いつまでも残り火となってグズグズしている夏という、
原作の特徴を再現するのに十分な画力があり、
感情が極まった所で、過ぎ去った夏への憧憬が最大化する、
雰囲気は味わえると思います。

作中、特に、{netabare}少年が無意識に南を目指す件がいい。
彼なりに、一生懸命、合理的に考えているようで、
結局は、消えゆく夏への諦観混じりの渇望により、
南へ南へと流されて行くのが精一杯……。
それらの描写が世界が変わってしまうのも、夏が終わるのも
何人たりとも止めることはできないとの宣告となって突き付けられます。{/netabare}

自分にとって『イリヤの空~』は未だに夏を葬り去るための劇薬なのです。


最後に原作小説でとても心に残っている一節を引用してレビューを締めたいと思います。

 
 {netabare}伊里野(いりや)は夢中になっていた。砂浜を四つんばいで手探りしては花火の化石を探し回る。
本当にそこに美しい花火が見えているような顔で浅羽(あさば)の説明に聞き入り、
最後には思い切りよく海に投げ捨てる。

 それらはみな、夏の化石だった。

 夏は死につつある。

 世界は、自分たちだけを残してどこか知らない場所へと動いていく。{/netabare}


さようなら……夏。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 25

Mir先生 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

ひと夏のSF

原作は電撃文庫のラノベ。著者は秋山瑞人さん。
遅筆で有名なんですが、本作のヒットで更に遅筆になった印象。
ただあまりに目に見える動向が少ないので、どうやって食って行ってるんだと疑問にすら思う。
イリヤヒットにかこつけて、
似たような作品である「ミナミノミナミノ」を執筆するものの、刊行されたのは1巻のみ。
本当に生きてるのか? と疑問でしたが、
2012年1月に「龍盤七朝 DRAGONBUSTER02」が刊行されて、生存確認が出来た。

制作は東映アニメーション。
あの、手を抜くことが仕事の東映アニメーションだ。恐ろしい。

監督(シリーズディレクター)の伊藤尚往さんは、
2002年に東映版Kanonにてシリーズディレクターをして、歴史に残る作品を生み出した方。
それを知った一部の方は、「イリヤ死んだ」と思っていた。

しかし本作は奇跡的にも、なかなかのクオリティを維持している。
いや、東映があまり得意ではない萌えにしては、かなり頑張っている。
デジタルペイントしてます! という感じの彩色ですが、
東映アニメーションは2000年頃からデジタルに移行したので、ようやく使いこなせるようになって来た頃なのかも。

もしくは、シスプリ、ダ・カーポなどの作監で経験を積んだ志田ただしさんが、
ここで本気を出したのかも知れない。

内容としては、ラノベ全4巻をOVA6話にまとめた形なので、
無理なく綺麗に収まっている印象。
このタイトルに関しては原作を知っていたので、
頭に予備知識が入っており、よく描けているのかな、という評価になった。
5話、6話の盛り上がりも手抜きはなかった。ただ絶賛と言うよりは、安心した感じ。

公式では「SF青春ラブストーリー」とジャンル付けされている。
だけどそんなにSF色は強めではなく、不思議転校生イリヤと、ちょっぴりセカイ系の青春ストーリー。
後半の展開はジュブナイルっぽさも入っている。

この雰囲気は後に刊行される涼宮ハルヒシリーズにも近いと思う。
イリヤ1巻は2001年10月、ハルヒ1巻は2003年6月なので、「学園ものSF」の流れを作ったのはイリヤなのかも知れない。

また、イリヤの関係者である榎本の声が井上和彦さんですが、
新海誠監督の2004年公開の「雲のむこう、約束の場所」において、
軍関係者の冨澤の声が井上和彦さんで、そのキャラクターには不思議な類似点がある。
他にも「雲のむこう、約束の場所」は、全体的に雰囲気は似通っている印象。

イリヤの声優はラジオドラマでは広橋涼さんだったが、アニメ版では野中藍さんに。
個人的には広橋涼さんの方が、線が細い感じが出てよかったのかなと思います。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 3
ネタバレ

ニワカオヤジ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.1

気持ち悪い原作をアニメ化しても気持ち悪さは消えない。

原作は当時話題になっていたので読みましたが、
・ラノベ特有の自分に陶酔した文章およびタイトル。
・SF的背景をわざと説明不足にすることにより奥の深い感じを出そうとしているけど結構浅い(誰でも想像できる)設定
・主人公とヒロインの性格の気持ち悪さ
・表紙イラストで、イリヤの体のラインがくっきり出過ぎ。お尻の形が丸わかりのスカートとか、あり得ない。
など、どこを取っても中途半端かつ気持ち悪い作品でした。

まあそういう時代なので仕方がないのでしょうか。
この2年後に出た涼宮ハルヒは同じように謎設定のSFラノベなのに、浅さを感じさせないどころか作者のSFに対する造詣の深さがよく分かります。

で、アニメ。
原作のイメージをほぼ忠実に再現できていたので、原作が好きな人には満足できたのではないでしょうか。

イリヤの乗っている{netabare}戦闘機が動いているのを見て、普通の戦闘機とは違うからイリヤが特別なんだなと分かるようになったのは良かったと思います。しかし、学校で激しく動いただけで鼻血ブーのイリヤが、あの戦闘機の動きでかかる重力に耐えられるとは思えません。SFというつもりで作製したのであれば、体感重力を減じさせる方法とかの説明はして欲しかったです。{/netabare}


あと、この作品を著しく残念なものにしたと感じたところは、イリヤが{netabare}逃亡先の学校で襲われかけた後。

イリヤが「何にもされてない」と強調しますが、そもそもイリヤがその「何か」という行為を知っていたことに違和感がありました。性教育とか受けてなさそうで、男の子に会っただけで好きになったりするくらい無垢なのに、そういうことは知ってるんかい!とツッコミたくなりました。

そして浅羽の対応のクズっぷりが際立っており、後で謝って済むレベルでは絶対にないですね。それなのに後からイリヤがあっさり浅羽を受け入れているところも気持ち悪いし、浅羽が好きだと告白するのも、「あ、イリヤに許してもらえてる!こりゃワンチャンありやな」と体目当てに叫んでるっぽくて絶対に無理。{/netabare}
エピローグでも、 {netabare}イリヤが戻って来ないのに満ち足りた顔をしている浅羽が本当に気持ち悪いです。すぐにアキホと付き合いそう。{/netabare}

しかし、元々が中学生向けのちょっとエッチな淡い恋愛物語だと思うので、自分も中学生の時に読んでいたら名作と思ったでしょうね。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 17

64.7 6 飛行機でSFなアニメランキング6位
光と水のダフネ(TVアニメ動画)

2004年冬アニメ
★★★★☆ 3.6 (114)
531人が棚に入れました
『光と水のダフネ』(ひかりとみずのダフネ)はアニメ、漫画、インターネットラジオからなるメディアミックス作品。
【ストーリー】海上都市で中心的な役割を担う海洋庁の入庁試験に失敗した天涯孤独の主人公・水樹マイアは、合格後の入寮を見通して家も引き払っていたため、住む場所も失い途方に暮れて街を彷徨っていた。
そんな折、マイアは逃走中の犯罪者に人質とされてしまい、それを追っていた何でも屋・ネレイス社の本城レナに犯人ごとショックガンで撃たれてしまう。ネレイス社の事務所で正気に返ったマイアは、今度は犯人の仲間をおびき寄せるための餌としてレナに使われてしまい、このことから結局そのままネレイス社カムチャッカ支店の住み込み社員として働くことになる。
この支店にはレナの他にも変わり者の女性社員が多く、マイアは彼女達に振り回される生活を送ることになる。

とってなむ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5

タイトル詐欺(良い意味で)

舞台が海上都市ということで、世界観は素敵でした
作品名からして、及び1話観終わって私はてっきりSFアニメかと思いました
そして美しい作品なのかと思ってました

しかし、回を進めていくうちにギャグアニメと化していきました
はい、面白かったです
SF要素ももちろんありますが。


登場人物たちが個性強すぎというかぶっ飛んでるので
観てて退屈しませんでした
何でも屋であるネレイス社のメンツは色々な意味で凄かったです
(強すぎたり自己中すぎたり馬鹿すぎたり)
内気な主人公マイアも途中からネレイス社に所属するのですが、
このマイアとその仲間たちのトークが笑えました
トークになってない気もしましたけど


ストーリーとしては、このネレイス社が様々な依頼を
マイアを中心に解決していくものです
マイアが一生懸命仕事をこなそうと頑張る姿は応援してあげたくなりました

ただ、壮大な物語も同時に進行しており、
最終回での伏線回収、良かったと思います
終わりかたも満足です


OP「明日のBlue wing」 歌ー小枝
ED1「あなたと言う時間」 歌ーCooRie
ED2「あなたと言う時間」 歌ー中原麻衣

OPもEDも素敵でした
ただ、中原さんが嫌いなわけではないですが
(むしろ声優としては好き)、
EDはずっとCooRieのままが個人的にはよかったです



外れの回もあり、全部が全部面白かったとは言い難いですが、
総合してみれば十分楽しめる内容でした

ギャグにシリアスに、バランスが良かったと思います
適度(でもない)にネタを挟んでくるので、
妙に真剣にならずに済みました
といっても、物語性は意外としっかりしており、
様々な謎が解明される終盤は特に面白かったです


余談ですが、ネレイス社の戦闘服おかしくないですかw
最初観たとき吹きそうになりました
途中から慣れてる自分が恐ろしい。。
あれもギャグの一種なのか、この謎は未だに解明されておりませぬ

投稿 : 2024/05/04
♥ : 33

CC さんの感想・評価

★★★★☆ 3.3

絆創膏(バンソウコウ)

 「明日のBlue wing」という爽やかなopから始まる本作ですが、opのラストで謎の空中浮遊があります。劇中に、そんなシーンがまったくないのでチョット面白かったですw
 本作の作画評価はあまりよくないですが、私としては良く描かれていたと思います。おそらくキャラクターデザインが不評と思われます。そのキャラクターデザインなのですが、中々のパンチ力を持っています。まつ毛とか…まつ毛とか…まつ毛とか・・・。
 初見では敬遠しがちなデザインです。キャラクター繋がりでいうと、メインとなる5人のキャラクターの服装がすんゴいです。誰が見ても、人として街を歩いてはいけない格好なのですが、誰にもツッコまれず…話題にすらならない状態です。なので、私から「そんな格好で恥ずかしくないの!?」とツッコませて頂きますw 「絆創膏じゃないから恥ずかしくないもん♡」なんて返されたらお手上げですけどw

 本作の内容はギャグという成分が含まれてますが、そんなことはありません。未来の海上都市で活躍する女性達を描くSFのストーリーが軸としてあるので、コメディ色はありますが、ギャグアニメとは言えないですね。ドタバタ喜劇のような感じです。
一話完結型・ドタバタ喜劇(全24話)

 一話完結の中に起承転結がしっかりと表現されているので、見やすい作品でした。一話完結に良くある…どっかでみたようなジナリオが数話ありますが、キャラクターがデザインを含め、濃いので中々楽しめます。逆に言うと、ありがちなシナリオが多いので、人によっては退屈に思えてしまうかもしれませんね。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 11

なすB さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

思いの外面白かった。コメディベースに最後はホロリ

1-2話は主人公のマイアが受難過ぎて大分かわいそうになります。
成績優秀なのに海洋庁の入試に不採用で一気に住む所も失って職もなく
しかも犯罪者に人質にされちゃうし。

中盤までにネレイスという
主人公が無理矢理入社することになる組織のメンバーが続々と増えていきます。
このネレイスのメンバー全員濃いです。
支店長以外全員女性ですが、なぜか全員やたらと露出の高い衣装を着ています。
この衣装デザインだけは最後まで全く理解出来ませんでした。

この頃にはかわいそうだったマイアも段々と活躍できるようになってきて
周りのメンバーと騒がしくも楽しい日常を送ります。
そして、マイアの秘密が明らかになります。

中盤以降はコメディベースではありつつ
段々と物語の伏線回収が始まります。
ここから徐々にマイアの秘密がどういう意味をなすかが重要になってきます。

物語終盤、これまでの伏線を一気回収とばかりに
かなりスピーディに物語が進行します。
特に、マイアの本当の秘密が明らかになってからは
これまでのコメディ色が嘘のようなしんみりじんわり来る展開です。

そして最終話、これでもかというくらい全て詰め込みましたね。
でもそれなりに綺麗に収まっていると思いました。

敵味方全て無駄キャラもなく、
終止みんなそれぞれの役割で活躍して
話としても綺麗にまとまったいい話だったと思います。

まぁ序盤のダレ感が否めない点と
謎のエロ衣装で評価を下げているかとは思います。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 4

64.1 7 飛行機でSFなアニメランキング7位
ハル(アニメ映画)

2013年6月8日
★★★★☆ 3.7 (242)
1329人が棚に入れました
「くるみに、生きていることを思い出させるために、ボクは人間になった」ハルとくるみの幸せな日常。
いつまでも続くと思っていた日々は、飛行機事故で突如終わりをつげた。けんか別れのまま、最愛のハルを失い、生きる力も失ってしまったくるみ。彼女の笑顔をとりもどすため、ヒト型ロボットのQ01は、ハルそっくりのロボハルとしてくるみと暮らすことに。
ロボハルの頼りは、かつてくるみが願い事を書いた、ルービックキューブ。色がそろうごとに溢れてくる、くるみの想い。
少しずつ打ち解けるロボハルとくるみだったが・・・。

声優・キャラクター
細谷佳正、日笠陽子、宮野真守、辻親八、大木民夫
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8

うーん

 あらすじは他の方のレビュー等をご参照ください。

 初見でした。60分の恋愛系ヒューマンドラマ。
 泣きはしたんですけど、視聴後にモヤモヤが残るんですよね。モヤモヤを解消しようと頑張ってみたんですけど、むしろモヤモヤが拡大するという結果になってしまいました。結論としては「60分では無理がある」って感じですね。公式HPでは「近未来の京都で生まれた、人とロボットの奇跡のラブストーリー」を謳っているんですけど、ラブストーリー以外の要素もかなりあって、それらの部分で消化不良を起こしてしまいました。

 いつも通りネタバレ込みのレビューです。この作品はオチを知ってしまうと面白さが半減してしまうタイプの作品ですから、未視聴の方には非推奨を強調しておきます。


クルミの夢とハルの現実①:{netabare}
 この作品では、クルミとハルの思いの齟齬が一つのキーになっているんですけど、この解消のされ方が分かったような分からないような、そんなモヤモヤを生んでしまいました。

 この作品のベースには「街が人を作る」という概念が置かれています。そのため、京都という街で育ったか否かという経験の違いが、そのままクルミとハルの差として表れて来ています。情をベースとして「将来の夢」を語るクルミと、経済原理をベースとして「過去の現実」を語るハルですね。簡単に言うと、両者の足元の安定性の違いなんですが、これについては一定の積み上げはされていたと思います。

 クルミが語る将来の夢(贅沢をしないで思いを届ける商売をすること)っていうのは、ある種の観念的理想とも言うべきものですよね。こういう理想が語られると「現実を見ていない!」という批判を浴びかねないのですが、クルミの理想には現実的な裏打ちがあったことが描かれています。彼女の生い立ちは、他人のパンを他意なく欲してしまう実直な子供たちと、厳しいながらも人情にあふれた老人たちによって支えられてきたものです。つまり、飢えから来る奪い合いがなく、また、精神的にも保護された世界でクルミは生きてきたのです。

 クルミを含む京都の人々とハルの考え方の違いが端的に表されたエピソードに、キリンの話があります。この話で語られているのは、ゼロ円は無価値であるという経済的合理性に基づくハルと、ゼロ円は値段の付けられない価値であるという心情的妥当性に基づく荒波の違いです。この話は、金銭ではなく、老人たちが持つ人とのつながりによって解決されることとなりました。
 また、この京都側の主張は別のシーンによっても補強されています。ケンカの映像を見た後にある「人の気持ちも数字で出ればいいのにね」というクルミのセリフです。このセリフは、心情は数値化できない、という荒波の主張と直接的に紐付いています(このセリフをロボクルミが発したことにも意味がありますが、別テーマなので省略します)。

 京都の街は数値化できない心情によって満たされており、クルミはその中で育ってきた。このようなクルミの背景を踏まえれば、「金を取るか心を取るか」という二者択一において、金銭よりも心情に寄った生活を願うクルミの主張は妥当性のあるものだったと思います。ですが、同時に限界も見えてしまうのです。この考えは、「京都という街の保護下において」という前提を必要とするものだからです。
 「京都という街の保護下において」というのは、換言すれば、クルミの生い立ちである「衣食住が充足された上で」「ゼロ円というボーダーよりも上で」ということです。つまり、クルミの主張は豊かさを求めたときに「心が大事!」だったと理解できるのです。

 ここまでの整理でこの物語が終わっていれば、特にモヤモヤも残らなかったはずです。ですが、残念ながらこの作品はここで終わりではありませんでした。ここにハルの過去が介入することで、何とも歪な構造を作り上げてしまいました。
{/netabare}

クルミの夢とハルの現実②:{netabare}
 ハルの抱える背景は、ゼロ円というボーダーを突き抜けてマイナス面にまで踏み込んでしまっています。

 「クルミさんはハルを何から助けたかったのですか?」というハルの問いに、クルミは「この世界の全部から」と言っていました。ここでの「世界」には「保護してくれる京都の街」は入っていないはずですから、「ハルを取り巻く世界」と解釈すべきなんだと思います。では、「ハルを取り巻く世界」とは何だったのか?

 トキオは、ハルの生い立ちについて「ハルは心臓が弱かった。両親が心臓を買った。その借金のせいで両親はハルを置いて逃げた」と明かしています。また、ハルの幼少期については、荒巻との回想の中で「不法労働をし、ロボットに使われる日々」だと判明し、さらには暴力を受ける姿まで描かれます。つまり、「ハルを取り巻く世界」というのは、両親の愛情の不確かさと経済的困窮、そして生命の危機によって基礎が形作られているのです。この「ハルを取り巻く世界」は、リュウと組んで暴力を振るい振るわれる「ハルの現実」へと変化をするものの、根本的な解決はされていません。

 このハルの過去が語られたことで、クルミの抱えていた背景に大きな欠損が生じてしまいました。クルミは、ハルから不法労働の実態を聞いた際に「でも、教科書には…」と述べ、自分の知らない現実があることに大きな衝撃を受けています。クルミの理想を支えていた現実的な裏打ちというのが、目の前に広がる温和な京都の街であり、また、教科書的常識までしか視野に入れていないことが明らかになってしまったのです。不法労働や臓器売買は、クルミの「現実」では想定すらされていませんでした。また、幸せな京都の街は、ロボットや不法労働で搾取される子供たちによって支えているのではないか、との疑惑も生まれてしまいます。

 いずれにせよ、京都の街とそこに住む人々の保護下で生きてきたクルミと、生命の危機にさらされながら生きているハルとでは、「現実」に対する射程が明らかに違うのです。クルミの「現実」がプラス側しか射程としていない狭小なものであるがゆえに、「(マイナス側も含めた)現実を見ていない!」という批判が再度想起されてしまいました。
 そのため、安定下で金を取るのか心を取るのか、という二択にはなり得ませんでした。危機的状況下も含めて命を取るのか心を取るのか、にまで対立の範囲が拡大してしまったのです。
 結局、クルミの主張は、「京都のお嬢様が、生きるか死ぬかの生活をしている人に対して、『お金より心が大事よ』とのたまう」というような歪さを孕んでしまうのです。清貧の教えではなく、単なる無知を垣間見てしまいます。
{/netabare}

クルミの夢とハルの現実③:{netabare}
 クルミとハルの齟齬がどのように解決されたのかを考えてみると、その結論として提示されたのは、リュウに殴られた後にある「一緒にいれば何とかなったかもしれない」というハルのセリフだと思います。このセリフは、「一緒にいれば飛行機テロから助けられたかもしれない」ではなくて、「一緒にいれば精神的な充足感を得られたかもしれない」と捉えるべきなんだと思います。これがエンディングにおける「昔苦しくてもクルミに会えたから…」というセリフと紐付いて、出会えたこと・一緒にいることがハルの救済となる、との結論になるんだと思われます。

 一緒に過ごした時間が情を生む、というのは、分からなくはありません。これは、踏切のシーンでの「他人の本当の苦しみは分からない。でも分からなくていいじゃないか。見守ってるだけでいいんだよ」という荒波のセリフによって支えられています。「一緒にいること」が一つの解決であったことは否定できません。

 ただ、ですね。これでは「ハルの現実」の全てが解決されはしないんですよね。ハルの抱えていた問題が両親の愛情の不確かさだけであったのなら「一緒にいること」で解決として良いのですが、経済的困窮と暴力までを含むのなら不適当だと言わざるを得ません。これらは、「一緒にいること」だけでは解決不可能です。

 「一緒にいること」で解決させるのであれば、私はもうワンステップ必要だったと思います。ハルを京都の街の保護下に入れる、というワンステップです。
 この作品が歪になってしまったのは、ゼロ地点を起点としてプラス側の「将来の夢」を語るクルミと、「過去の現実」というマイナス側を起点としてゼロ地点を目指すハルを、並列してしまったことにあると思います。「一緒にいること」という結論を動かさないのであれば、ハルをいったん京都の街の保護下に入れて、ハルの経済的困窮と生命の危機が解消される必要があったはずです。これによって、ハルのゼロ地点到達が説明され、初めてクルミと同じプラス側での議論が俎上に乗るのです。
 これをやろうとすると、リュウとの関係の再整理―リュウと手を切るか、リュウと一緒に更生するか―が必要になりますから、やはり60分では足りなかったかな、と思います。

 とはいえ、これでもこの作品の歪みは残りますけどね。
 もし仮に、「ロボットや不法労働の子供たちから搾取をすることで、京都の街は安定を保っていた」というのが事実だったとすると、エンディングは「クルミとロボクルミを犠牲にすることで、ハルは安定した生活を手に入れた」となり、途端に不吉さを増してきます。搾取されていたハルが、搾取していた側を犠牲にすることで搾取する側に回った、という不吉さです。

 もちろん、この作品でこれらの意図があったとは思いません。ですが、それを説得力をもって描き切れなかったことが問題なんです。クルミとハルの対立の歪さや京都の街が抱える歪さは、いずれもハルの過去を強いマイナス面に置いてしまったことに起因しています。社会風刺を描きたかったのかもしれませんが、そうであっても、安易に歪な構造を許容すべきではなかったと思います。
{/netabare}

演出関係:{netabare}
 良かった演出について、二つほど。

 オープニングタイトルの直前に、帽子が川にのまれて沈む、というシーンがあります。このときのハルのモノローグが、「僕は人間になった」ですね。一方で、山場においては、ロボクルミが川に沈んでいきます。このシーンは、ハルが人間の心を取り戻すきっかけとなった重要なシーンです。
 「心身の喪失状態にあったハルが、オープニングで身体が復帰し、山場で心を取り戻した」となっていたわけですが、この二つの回復過程は、二つの川に沈むシーンによって関連付けがされていたようです。
 オープニングでは光が上、山場では光が下、という逆転構図になっていたので少し分かりづらかったのですが、この関連性自体はとても良かったと思います。 

 ハルの初登場シーンも良かったです。左足の指で右足首を掻く、という動きですね。この動きからは、ロボットの持つ合理性よりは人間の持つ不合理性をイメージします。そのため、「ロボットは高性能で、極めて人間に近い動きが可能である」または「ハルはホントは人間である」という二択を自然に用意することが出来ました。
 この後にある川を渡るシーンでは、ハルの頷き方は非常にゆっくりで、人間の動きとしてはやや不自然に描かれています。「ロボットは低性能で、人間に近い動きは不可能である」または「ハルはやはりロボットである」という、初登場シーンとは違う感想を持たせてくれました。
 「ハルはロボットではない」「ハルはロボットである」という相反する表現を、物語の序盤で入れていたってことですね。これも良いアクセントになっていました。
{/netabare}

おわりにかえて:{netabare}
 「人間とロボット」についての考察も用意していたんですけど、結構長くなってしまったので全カットしました。結論だけ申し上げると、ダメダメでした、になります。

 一番気になったところをちょっとだけ述べます。
 この世界のロボットって、心か極めて心に近いものを持っているんですよね。これは、キューイチがトキオを気遣うシーンや、作業ロボットが明らかにイラつき暴力を振るう不法労働の現場のシーンなどから分かります。
 で、この心らしきものを持つロボットに対して、人間はどう見ているのか、というのは2パターンあります。仏壇に写真を飾り、人間と同等に扱うトキオと、復讐心から「売り飛ばそうぜ」と言い、物として見るリュウです。

 私が不可解に感じたのは、ハルがロボットをどう思っているのか、というのが描かれなかったことです。ハルは、リュウと同じ背景を持つものの、ロボットによって救済された人物でもあります。リュウとは違いトキオと同じになった、というのを最後にきちんと説明すべきだったのではないでしょうか?

 確かに、ラブストーリーとしての決着を優先すると、ハルに「ありがとう、キューイチ」と言わせるわけにはいかないと思います。シラケてしまいますからね。
 でも、そこまでする必要はありませんよね。キューイチを象徴する何かを用意しておいて、ルービックキューブやハルの心臓などと一緒に飾っておく。この程度の演出で、ハルがキューイチに感謝していることは分かります。ハルの流した灯篭が別の灯篭にぶつかるシーンで表現されていたのかもしれませんが、ちょっと分かりづらいです。

 ロボットはこの作品における設定上の中枢にあります。なおかつ、キューイチは物語上の最大の功労者でもあったはずです。なぜ、最後の最後でキューイチを使い捨ててしまったのか、疑問が残ってしまいました。
 やはり、ロボットと子供は搾取され…?


 ラブストーリー自体は良いんですけど、それ以外の追加要素が悉くひどかったように思えます。象徴物であるハルの心臓を語る以前の問題で、ストーリーの構造自体がおかしかったように感じました。大幅減点です。
 とはいえ、なんだかんだで泣いているんですけどね。感情って不思議!{/netabare}

投稿 : 2024/05/04
♥ : 7
ネタバレ

もふ(´-ω⊂゛) さんの感想・評価

★★★★☆ 3.2

どこか惜しい

物語3.0 キャラ2.5 作画3.5 音楽3.5 声優3.5
WIT STUDIO製作のアニメ映画ということで、以前から注目していました。「女の子がハルという名のロボットで」という話を想定していたのですが、実際には真逆でした笑

※☆平均値が3.2と低めになっていますので、わりと酷評です!

辛辣になりますが、終始眠たいなーと思っていました。
{netabare}物語3.0:恋人(?)同士だったハルとくるみ。ある日、ハルは飛行機事故で死んでしまい、くるみの心は壊れてしまう。くるみを元気づけるため、ハルの代わりとなったロボハルがルービックキューブの面に書かれたくるみの願いをかなえていくことに。そうするうちに2人の距離が縮まっていく。王道的なラブストーリーなのかと思っていましたが、実はロボだったのはくるみの方で、ハルは自分のことをロボットだと思い込んでいただけだったという結末。若干ホラーでぞくっとしました。ハルは死んだはずなのに周りの反応がどこかおかしいなとは思っていたのですが、そういうことだったんですね。しかし、私がこの真相を知ったとき、「ああ!そういうことか!」と納得したというよりは、「え?」と余計に疑問が増えたように思います。くるみになっていたロボットは何者なのか、巨額の改造費(?)を誰が出したのかとか、あのボタンは何なのかとか、そもそも飛行機事故で亡くなった人の遺体がキレイすぎやしないかとか、ロボいるけどこれはいつの時代の話なのかとか、詳しい世界観が謎でした。セカイ系なのかな?借金地獄にいたハルがどうしてくるみと出会えたのかも謎ですし、くるみの家は何屋さんなの?なんだかよくわからないままきて、最後にむりくりどんでん返しをした挙句、予想できないストーリーどや感をたっぷりに感動シーンをぶっ込んできて泣かせにくるというパワフルな作品でした。私は脳フル回転で話を理解しようとしましたが、腑に落ちない点を持ち、キャラに感情移入できないままでの視聴だったので、はっきり言って1ミリも心に響きませんでした。最後にあのどんでん返しをもってきたのはとても面白くてよいと思ったのですが、それまでの心理描写や伏線が粗雑だったのか、本来ならば感動しなければならないいところを「え?」で済ませてしまいました。つまらないわけではないけれど、もっと丁寧に作ってほしかったと思いました、すみません。「生きて」というくるみのメッセージ、「あなたがいない世界でこれからも生きる」というハルの決意は感じ取れましたが、いまいちうーんといった感じです。

キャラ2.5:
好きでも嫌いでもない、普通です。感情移入が出来なかったのが残念。パンのにおいをかぐ子供たちがジブリっぽいなと思いました。くるみにされてしまったロボの心情が知りたかったかも。

作画3.0
これは本来ならば4.0くらいの評価をしなければならないところなのでしょうけど。この評価の理由は2つありまして、本当に主観なのですが。
①キャラデザがそんなに好ましくない。あにこれの作画の評価にはキャラデザも含まれるということなので。アオハライドの原作者さんが原案だからか、ハルが終始馬淵に見えて仕方なかった。それはそれとして、とりあえずキャラデザが個人的にはアレだったので、-0.2点です。
②CGが苦手。私は少し過剰なまでにCGに反応してしまいます。日本のアニメはジブリのようにCGチックでないものが主流ですし、そういったものをみて育ってきたので(ハイジやトム・ソーヤの冒険)。しかし、使いどころによってはCGで表現したほうが良いところやそうでないと表されないところがあるとは思います。雨や雪、桜など。自然をCGで表現して美しい画に仕上がってる作品はたくさんあるので。しかし、この映画はそれにしてもCG多くないか?と思いました。明らかに浮いて見える。冒頭の布(?)から うわっ とは思いましたが、一番違和感を持ったのは本(アルバム)の場面です。アルバムをめくるシーンにCGが必要なのか?と素人目には思えますが、きっと必要なのでしょう。そして祇園祭でのお神輿。なめらかではありますが。私の中での禁忌「人間にCGを使う」が施されていました。‐0.8点です。WIT STUDIOさんがCG技術をアピールしているようにしか見えませんでした。それが目的ならば、それはそれですごい技術だなーとは思うのですが。

音楽3.5:
やっぱ日笠さん歌唱力高いですね。

声優3.5:
良かったと思います。細谷さんはすぐにわかったのですが、日笠さんと宮野さんはエンディングまで気づかなかった・・・!まだまだです、反省。
{/netabare}

最後に
私がこれを人に勧める際には「見て損はない!」と自信を持って言えない というのがこの作品の総評。

投稿 : 2024/05/04
♥ : 2

けみかけ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

連ドラ作家×少女マンガ家×新進気鋭のアニメスタジオ=異業種コラボのスタッフで送るティーン向けしっとり系ラブロマンス

『ギルティクラウン』のスタッフが独立し、現在も『進撃の巨人』を制作する新進気鋭の制作会社、WIT STUDIOが送り出す完全オリジナル劇場アニメ


脚本には『野ブタ。をプロデュース』、『セクシーボイスアンドロボ』、『Q10』といった近年の連続ドラマにて大胆な脚色、わかりやすく強烈なメッセージ性が注目される木皿泉夫妻が初のアニメに挑戦
キャラクター原案には『アオハライド』の少女マンガ家、咲坂伊緒
さらにこれを顔芸作画からアクションまでこなす若手アニメーター、北田勝彦がアニメーション用デザインに起こしています
監督には『カイバ』、『四畳半神話大系』、『ギルティクラウン』で注目されていた若手でアニメタ出身の牧原亮太郎
といった具合に普段見慣れない挑戦的なスタッフが揃った珍しい作品です










舞台は近未来の京都
飛行機事故で恋人のハルを失った女性、くるみ
くるみの祖父は酷く傷付いたくるみの心を救うため、ハルにそっくりのロボットをくるみの元へ向かわせることにする
初めは心を閉ざしたままだったくるみと上手くやれないロボハル
しかしやがて、生前のハルとの関係を理解しようとするロボハルの努力の甲斐あって徐々に心を開いていくくるみ
だがくるみと生前のハルは最後に喧嘩別れしてしまっていたこと、喧嘩の原因がハルの生まれ育った過去の環境にあることを知っていく
そんな最中に過去のハルを知る旧友のリュウが、金目当てにくるみを売り飛ばそうと持ち掛けてきた










オイラの最初の印象としてはロボットでありながら人間になろうとするお話、『アンドリューNDR114』が真っ先に浮かびましたが「ロボットに癒されていく人」というテーマ
また、劇中に度々登場するキーアイテムが「ルービックキューブ」ということで、最終的にはざっくりと『Q10』の焼き直しである感が否めなかった作品です


ただ、ロボットという題材を実写でやるとどうしても芝居染みた感が拭いきれなかったのに対し、アニメというフォーマットではその設定を十分に生かすことが出来たということは確実
ですから木皿泉が『Q10』では出来なかった本当にやりたかったこと、伝えたかったことを詰め込んだよりメッセージ性の強い作品に仕上がっていると思います


また、逞しく勇気付けられるテーマの裏では「好きなことはとことん、だけど贅沢はするな」というような木皿泉夫妻の生活そのものを表したようなアナクロニズムも垣間見れます
今作の執筆が比較的自由に行われたことを物語る証拠です


その一方で疑問視したい点もあります
丁寧に描かれた京町屋や祇園祭といった実在する風景の中に、ロボットを含む未来的なガジェットが混在するというギャップにはだいぶアンバランス感を覚えました;
「近未来の京都」、なぜこれが舞台であるのかという必然性、必要性が物足りなかったんです
古きと新しきの混在ということで京都を選んだのでしょうが、オイラにはしっくりこなかったですね
ちなみにこの実在風景と近未来ガジェットをマッチングさせる挑戦は、新海誠監督が今年発表した『だれかのまなざし』というショートムービーで上手いことやっていますので成功例として参考にしていただきたいです


前敦を出演させる必要の無い今作では(爆)短い時間の中でも熱のこもった演技を魅せてくれるキャスト必要がでした
その点、細谷佳正、日笠陽子、宮野真守の三人には文句の付け所が無い
特に序盤の細谷さんの落ち着いた声はまさにロボットしていたと思います
このロボットしてる声、が後半になると生きてくるんですよね










総じて全体を眺めてみると良くも悪くもデートムービーといいますか;
露骨なお涙頂戴モノであるが故、アニメという枠組みを外せばこの手の映画は必ずと言っていいほど毎月一本以上新作が湧いてる現状にちょいと興ざめと言うか、その辺りちょっと一歩退いてしまう作品ではありました
その反面、木皿泉夫妻が得意とする・・・特にティーン世代へと向けたメッセージ性は強く、その点が見どころなのではと思います
オイラならデートにはドラえもんか緑川ゆき作品をチョイスしますがね(キリッ

投稿 : 2024/05/04
♥ : 18
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