君の名は。(アニメ映画)

名作アニメを観たいなら、「さがす」より「登録」した方が圧倒的に速い!⇛あにこれβ会員登録(無料)

「君の名は。」

よみがな:きみのなは

上映開始時期:2016年8月26日

★★★★★ 4.2
物語:4.1 作画:4.6 声優:4.0 音楽:4.2 キャラ:4.1
総合得点 80.5
感想・評価 1701
棚に入れた人 6652
ランキング 189
新海誠監督による長編アニメーション。

千年ぶりとなる彗星の来訪を一ヶ月後に控えた日本。
山深い田舎町に暮らす女子高校生・三葉は憂鬱な毎日を過ごしていた。
町長である父の選挙運動に、家系の神社の古き風習。
小さく狭い街で、周囲の目が余計に気になる年頃だけに、都会へのあこがれを強くするばかり。

「来世は東京のイケメン男子にしてくださーい!!!」

そんなある日、自分が男の子になる夢を見る。
見覚えのない部屋、見知らぬ友人、目の前に広がるのは東京の町並み。
念願だった都会での生活を思いっきり満喫する三葉。

一方、東京で暮らす男子高校生、瀧も奇妙な夢を見た。
言ったこともない山奥の町で、自分が女子高校生になっているのだ。

繰り返される不思議な夢。そして、明らかに抜け落ちている、記憶と時間。
二人は気付く。

「私/俺たち、入れ替わってる!?」

いく度も入れ替わる身体とその生活に戸惑いながらも、現実を少しずつ受け止める瀧と三葉。
残されたお互いのメモを通して、時にケンカし、時に相手の人生を楽しみながら、状況を乗り切っていく。
しかし、気持ちが打ち解けてきた矢先、突然入れ替わりが途切れてしまう。
入れ替わりながら、同時に自分たちが特別に繋がっていたことに気付いた瀧は、三葉に会いに行こうと決心する。

「まだ会ったことのない君を、これから俺は探しに行く。」

辿り着いた先には、意外な真実が待ち受けていた…。

出会うことのない二人の出逢い。
運命の歯車が、いま動き出す(アニメ映画『君の名は。』のwikipedia・公式サイト等参照)

このアニメの感想・評価 1701

2018.01.15 17:58 kabaj31の評価 | 観終わった| 14が閲覧 ★★★☆☆ 3.0 評価対象: 君の名は。(アニメ映画) 物語 : 3.0  作画 : 3.0  声優 : 3.0  音楽 : 3.0  キャラ : 3.0

なんか短く感じる。

設定は良いのに、うまく活かしきれてない感じ、
途中でオチが見えるし、オチに向かってキャラが動かされていると思ったら急速に物語の世界から現実に引き戻されちゃうんだよ僕ちゃんは。

 サンキュー(1)
ネタバレ
2018.01.14 22:48 fuushinの評価 | 観終わった| 141が閲覧 ★★★★★ 5.0 評価対象: 君の名は。(アニメ映画) 物語 : 5.0  作画 : 5.0  声優 : 5.0  音楽 : 5.0  キャラ : 5.0

5次元の神様の働きと気持ちがちょびっと理解できるような感じ、かな。あと、君の名はの別バージョンもね。

「瀧くん。あの、私・・憶えて、ない?」三葉が、瀧に語りかける。
ためらいがちに・・でも、ありったけの熱量と決意を込めて・・瀧とつながっていた確かな絆に託して・・。。
「みつは!・・名前は、三葉!!」

私の記憶の糸の緒を摘まんでは引っ張るようにしてそっーと囁(ささや)いてくるのです。耳の奥に、三葉の声が蘇ってくるのです。

今回のレビューも長文です。(2018年1月14日ところどころ追記しました)
どストレートに” 神懸かり”をテーマに述べてみたいと思います。神社、御祭神、祭り、神話など、とってもスピリチャルなモチーフ盛り込みです。勝手気ままに書いてみたので、抹香臭くてイヤだな、と思われた方は迷わずスルーしてくださいませ。

この物語は、「星に宿る神々の別離と再会、その祝福の物語。」だと思いました。 え?どうして祝福?と思われる方もみえると思います。不快な気持ちにさせてしまいましたらごめんなさい。
「君の名は」を観たあとの余韻に、不思議な感覚を覚えました。まことに不思議でした。不思議というよりも、驚きでした・・。小説版、アナザーストーリー版も読み、同じ感覚を覚えた理由を探してみることにしました。
{netabare}
いきなりですが、凡人の私には無知覚の存在(神、あるいは宇宙意識と呼ばれる存在)はまったく分かりません。でも新海監督に、この作品の大元となるインスピレーション(アイディア)が頭の中に降り注がれてきたのではないか・・。それは、新海氏に”神懸かり”があったのではないかと思うのです。 
神懸かりとは”ムスビ”。ムスビは”はたらき”。はたらきは”創作”となります。創作は”作品”となり、それは映画や小説となり、物語は多くの人に受け入れられ共有され共感されていきます。
では、ムスビ、はたらき、創作、共感の次に来るもの、先にあるものは何でしょう。逆説的に考えれば、共感することの元には作品があり、作品の元には創作活動があり、創作の元は”はたらき”があって、その元はムスビがあって。・・そのムスビのもとは・・インスピレーションは新海監督の感性のアンテナに降りてきた神?・・宇宙の意志?・・あぁもう意味不明だぁ~。
 
ここに一貫して流れているファクターは何なのでしょう? 私はこの作品が宮崎監督の「千と千尋の神隠し」に比肩するほどの認知度を得たという意味を考えています。宇宙の意志(神)はこの作品を通じて、神界のメッセージを伝えるために新海監督に懸かったのではないのか、そう思うのです。そのメッセージを探したいと思います。
{/netabare}
さて、この物語。
舞台に登場する演者は、太陽と地球と彗星たち。星々が織りなす壮大なシンフォニー(交響曲)。三葉と瀧はソナタ(共鳴曲)。コンダクター(指揮者)は、水宮神社のお山のご神体(主祭神)。ティアマトと三葉と瀧を最終楽章までエスコートします。奏でられるテーマは星の神々の奥深く秘められたラブストーリー。三葉と瀧のボーイミーツガールのストーリー。・・いや、この物語は、ガールミーツボーイのほうが正しい。よね?

一つめの物語。ティアマトへの”祝福”。
{netabare}
1200年前、ティアマト彗星は、ある日突然に、意図せず地球の引力に捕らえられてしまい、やがて砕かれ、力ずくで引き裂かれ、168億㎞というはるか遠くに分かたれてしまう・・。離れ離れになってしまった、いや、されてしまった彗星。 神話ではこうです。 『ティアマト(tiamat)は、メソポタミア神話(シュメール、アッシリア、アッカド、バビロニア)における原初の海の女神。 淡水の神アプスーと交わり、より若い神々を生み出した。彼女は原初の創造における混沌の象徴であり、女性として描写され、女性の象徴であり、きらきら輝くものとして描写される。(ウイキペディアより)』 推測すると、ティアマトの名を持つ彗星は女神。糸守湖を作った彗星はおそらく淡水の象意を持つアプスー。男神でしょう。長い長い年月、思い焦がれ、名を呼びあい、招きあう二柱の神です。
この日は、ティアマトとアプスーの1200年越しの逢瀬だったのです。それは主祭神から”二柱の神への祝福”でもあります。

もし、後日、この作品をご覧になるとき、このような見方で観ていただけると、まったく違う感覚を持っていただけると思います。
{/netabare}

二つめの物語。人への”祝福”。
{netabare}
人の立場からみれば彗星の落下はおそるべき災禍厄難です。では人への祝福とは何でしょうか。
それは、主祭神が「祭祀を司る宮水家」をつくったことだと思います。

まず、神社祭祀についてです。祭祀とは「まつり」。(六つめの物語を参照してね)
ひとつは、顕祭(けんさい。目に見える祭礼様式)。人が神に奉る赤誠の表現です。伝統としての”組紐、巫女舞い、口噛み酒などの奉納・奉斎”です。
もうひとつは、幽祭(ゆうさい、目に見えない。神からいただける神徳)。
神と宮水家の乙女との霊的な交流 ( ウケヒとも言います。誓約と書きます ) によって与えられた”不思議な能力”。わずかに限られた時期にのみ”許された能力”。 
顕と幽の祭りに込められたものが、人から神にむけては”敬神”であり、神から人にむけては”祝福”です。 目には見えない祝福をいただくための祭り。ご加護をいただくための行為。 初詣、月参り、お百度、お礼参りなど、日本人がごく自然に無意識にやっていることです。それらぜんぶが人から神への敬神の思いが出発点になっています。祝福をいただくためには、まず人のほうから居ずまいを正し、誠の” 心と行ないと言葉 ”でもって示すこと。それは強制でも何でもない約束ごと。自主的な意図による能動的な行動様式です。(意図を守る=糸守) 神の祝福は、残念ながら目には見えませんから、その代わりに例えば、お札だったりお守りだったり撤饌(おさがり)だったり、神前に御供えし神様の力が宿った物、”神籬”(ひもろぎ)や”依り代”(よりしろ)ともいいますが、それを手元に置いて、ご神霊からの霊線をムスビ、祝福(日本ではご加護といったほうが耳慣れていますね)をいただくのです。
宮水神社の祭祀に込められている意図 ( 思い、願い ) は三つあります。
ひとつめは、宮水家と糸守の人々の1000年にもわたる神社に鎮まる御祭神に対する敬神の思い。(人から神へ)
ふたつめは、糸守町の人々を救い守ろうとするもの。(神から人へ)
みっつめは、三葉と瀧の魂を救い導こうとするもの。(神から人へ)です。

次に、神懸かりについてです。
宮水家の女性がいてこその神懸かりです。三葉の先祖、宮水家は糸守町の守り人であり、1200年の歴史のなかで連綿と後継者(メシア。救済者)を見出す役割を密かに担ってきたシャーマンの系譜だったのです。
彗星落下の前日、三葉はふいに、東京行きを思いつきます。 ふいにとは、ふと思いつくことですが、”ふと”とは、太占(ふとまに)のことです。一般的には卜占(ぼくせん)の一種を意味しますが、言霊でいえば、「ふと思いつくもの、その感覚の状態のまにまに」です。自分の意思ではない誰かからの意志。大仰に言えば天啓ですね。 三葉にいきなり湧き上がってきた感覚。それは疑いようのない確信、揺るぎない想いです。三葉はすぐに行動に移していました。この直情的で衝動的な感覚がどうして起きてきたのか三葉は語っていないし、物語でもその根拠も理由も明かされてはいません。ただ1200年ぶりの彗星の到来の時、一葉でも四葉でもない、三葉だったということです。 
私は、この時、主祭神が三葉に神懸かったと思います。この時を逃してしまえば、主祭神のふたつめの意図すら途切れてしまう。糸守の人々の救済がもう間に合わなくなってしまう。主祭神からみてもこの瞬間しかムスビのチャンスは残されていなかったのです。 神懸かられた三葉は行動を起こします。そして主祭神は三葉の行動と言葉にすべてを託したのです。次は三葉が瀧にムスビつなぐ番です。そうはいっても瀧に会えるなんて何の保証もないのに・・、三葉の不安は大きい。でも同時に、絶対の確信もありました。夢のような東京での夢ではない瀧との入れ替わりの日々、「魂と身体のムスビついていた」日々があったからです。 2人が東京で出会えたのは主祭神の”幽のムスビ”のはたらきがあったとしか言いようがありません。(視聴者の願いがそれを望んだからでしょうか)
「・・誰? お前」、「あなたは瀧くんなのに・・」。そんな三葉と瀧のやりとりは、主祭神にとってももどかしく、ハラハラドキドキです。瀧はふいに思う。「このおかしな女の子は、もしかしたら、俺が知る”べき”人なのかもしれない。」それは説明のつかない強烈な衝動。瀧への神懸かりの瞬間です。主祭神が2人の霊線をムスビつけた瞬間でもありました。三葉はふいに後ろ髪に結った組紐をほどき、名前を伝える・・・。 同じ時間に、同じ場所で、三葉と瀧が出会った。三葉は瀧に名前を告げたのだし、瀧は三葉から組紐を受け取ったのです・・。”幽から顕のムスビ”、3次元世界へ確かにつながった瞬間でした。とはいえ、それは2人にはわからない、あまりにも小さすぎる神の祝福だったのです。
祝福の種はまかれはしましたが、大きな心の傷を三葉は負ってしまい、瀧はそんな三葉の気持ちを知ることなく忘れてしまうのです。それは主祭神にもどうしようもできないことでした。でも、確かにこの時に2人への密やかな祝福も与えられていたのです。
{/netabare}

三つめの物語。三葉から瀧へ。
{netabare}
チャオ!さてさて、主祭神のみっつめの意図のことを話そうかな。この物語で最も大事なことよ。それは三葉と瀧の救済ね。そのためにはどうしてもやらなくちゃあいけないことがあるの。それはじかに出会うことね。
主祭神は、1200年間も、ティアマトとアプスーの二柱の神を待たせたの。でもちゃんと導いて、やがて再会を果たさせて祝福するわけなんだけど・・そのときは三葉も糸守の人々も救うことはできなかったし、しなかったの・・。これが現実。神様といえども万能ではないの。すべてを” 同時に ”大団円にもっていくことはできなかったの。 でも、この主祭神の本当の神威・神力の凄まじさは、5次元のはたらきね。つまり、人の魂と時間を自由自在に取りあつかえるっていうもの。入れ替わりとタイムループってことね。
でも、でもね。いくら主祭神のはたらきの後押しがあったとはいえ・・。
三葉には同世代の恋人がいなかったのね。(ああっ、もう!! なんてハンディなの!!)それに、初めて出会ったときの瀧は中学生だったし。(年下っ!?)う~ん、こりゃ難題よ・・。それに、2人とも「恋人はいないんじゃなくて作らないの!」だなんて・・まぁ、張り合ったり己惚れてたりしているうちはそんなもの普通なんだけどね。タイムループって荒技を使ってもそうなんだから、男と女はむずかしいわ。恋のシロウトさんに恋を分からせるなんて凹みそうになるわね。
このムスビの難題に挑んだ主祭神もさぞかししんどい思いをされたのかも知れないなと思うと同情したくなっちゃうわね。 そりゃあ、主祭神もけっこう焦ったはずよ。ティアマトはどんどん近づいてくるし。タイムループを仕掛けるにも、瀧が三葉と同じ年齢になるまで待たなきゃいけなかったし、瀧の画力が上がってくるまでもね。(スケッチを見て!!)
きっと二人の気持ちをムスんでくれたのは奥寺先輩がいてくれたからだよね。瀧は先輩が好きだったし、三葉もそうだったでしょ?同じヒトを好きになるなんてちょっと微妙なところもあるけど、でも神様が2人のために連れてきてくれたヒトだよ、よかったぁ。 奥寺先輩は彗星の落ちる日、自分から身を引いたでしょ。瀧に「別の好きな子がいるでしょ?」ってすごーいメッセージを残して。あぁ、なんて素敵な人なのっ! 
三葉のことにしたって、主祭神は彼女の乙女心につけ込んで、というか追い込んで「来世は東京のイケメン男子にして~」って“ 言葉 ”にして絶叫までさせたでしょ。それってちゃんとした「願立て」よ。神様ってそうやって追い立てるのよね。やっぱり願立てがないと神様も動けないからね。ず~と待っていたのよ、きっと。 三葉は、神様って本当にいるとは思っていないほどの現代っ子なんだけど、神様にとってはそんな三葉でもかわいくてしょうがないのよ。だって1200年もかけて待ちに待ったギリギリのタイミングなのよ。 三葉は、恋をしてるって気がついたとき、瀧の計画が糸守のみんなを救うことだって理解できたとき、瀧の名前を覚えておくことがすごく大事なことなんだと分かったとき、そしてその名前が突然失われて呼べなくなってしまったとき・・・ゼッタイ神様に願うわ。だって三葉は宮水の巫女だもん。
主祭神にとってもリベンジよ。三つめの願立ては何が何でも叶わせなきゃいけないのよ。だから最上のシナリオを作るわ。何年かけてでもエスコートするはずよ。 三葉はゼッタイに生きぬく。「あの人」に出会うまで頑張る。彼女はティアマトなのだから諦めないはずよ。
前にも書いたけど、三葉と瀧がじかに言葉を交わしたことと、じかに組紐を手渡したことは主祭神のはたらきとしてはこれ以上ないスマッシュヒットだったと思うよ。神懸かり冥利に尽きるということでしょ。なんといっても三葉や瀧にとっては「ふと」した感覚だけが頼りなんだから、組紐と名前はなくてはならない羅針盤なの。本当にすごいなぁと思うのは、2人がその感覚に素直だったからだと思います。そんな2人がすっごく羨ましいの!!。自分の「 意志 」で、自分の「 魂 」が入った自分自身の「 身体 」を使って、お互いにダイレクトに「 言葉 」を交わしたこと、三葉が「 組紐 」を渡したこと、瀧が受け取ったこと。これにはもうびっくりです!! 泣けそうです。 これは5次元の神様でもできないことよ。だって神様は3次元の肉体を持っていないからね。 あくまでも” 顕のムズビ ”は3次元の世界に生きている人間にしかできないことなのよ。
三葉はティアマトよ。ペガサスに乗って魂が飛ぶのよ。糸守から東京へ、彗星のように現れて、あっという間に瀧の目の前から去っていってしまった・・。でも、それでいいの。ここから主祭神の大のお得意のタイムループをつかったシナリオが仕込まれていくわけでしょう。
それは、入れ替わる夢から入れ替わらない確かな現実、大団円に向けてのハッピーエンドのストーリーでしょ。 ただし、シナリオっていっても、5次元の世界を3次元の私たちの世界(時間は後戻りしないし、魂の入れ替わりなんてのもない世界)に移写し、微に入り細に入り十分に影響を及ぼすための、機が熟するまでの時間って、3年もかけなきゃいけないっていうのは・・・。仕方ないのね。大吟醸のお酒と同じようなもんね。
三葉が瀧との時空を直にムスんでから、入れ替わりが始まって糸守を探しはじめるまでに3年。 主祭神も3年の仕込みと準備をして・・う〜ん、もしかしたら3年しか時間は残されていなかったっていったほうがいいのかも・・。たくさんの複雑に流れる時間の束をぎゅっとムスビつけてドンピシャに持っていくにはいろんなご苦労があったんだろうなって思うの。 でも、そうしてやっとのことで、ティアマトとアプスーの逢瀬もできるように整えて、糸守の人たちも救うという大団円のストーリーのきっかけを作ることができたってことだと思う。
ところで、この主祭神ってアナザーサイド版にはご神名は明かされていたけれど・・ちょっと違和感もっちゃたなぁ~。

これが「君の名は」の第一のハイライト。三葉と瀧の” 顕のムスビ ”なんだよね。
{/netabare}

四つめの物語。そして瀧から三葉へ。
{netabare}
瀧の手元には、” 組紐と口噛み酒と三葉の名前 ”があって。それはもうこれ以上は望むべくもない3種の神器みたいなもので。
瀧は、口噛み酒を飲み、三葉の死と生の記憶を知り、彗星と糸守町の因果律を知ります。そうしてついに” 失いたくない人 ”だと気づくのです。三葉の生い立ちも、入れ替わりの日々も、髪を切った理由もです。不思議な入れ替わりが因果律によって結ばれていたことを知り、三葉の未来に責任を負う者としての強い決意が生まれるのです。ようやくようやく瀧の願立てが聞かれます。「三葉、そこにいちゃいけない。逃げろ!」と。その瞬間、主祭神の神力も発動するのです。そして時空を超えて、瀧は三葉に入れ替わるのです。
瀧の目的ははっきりしました。三葉に会わなければ・・。伝えなければ・・。 まるでティアマトとアプスーのように、2人は” ご神体のある祠 ”に呼び寄せられていきます。太陽の光線はまだ強すぎて2人の間に壁を作ります。しかしそのとき、地球と太陽からもドンピシャのタイミングで祝福が与えられるのです。糸守の人々に語り継がれてきた物語、” カタワレ時 ”です。大気は柔らかな桜色に染まり2人の心に沁み込んでいく。それは忘れられない恋の色。忘れてはいけない恋の彩です。
カタワレ時は、惜しむべきほんのわずかな時間だったけれど、未来を作り出すとてつもない大きな意味を持つ時間として三葉と瀧に与えられます。
主祭神は、太陽の神、地球の神ともタッグを組んで、三葉には未来を見せ、瀧には過去にいざなってくれました。町の救済は、主祭神が5次元世界で「願立てしたこと」ですが、3次元世界では三葉と瀧が「始めたこと」だし、テッシーやサヤちんたちの協力によってようやく成就します。それは主祭神から糸守の人々へのとてつもなく大きな祝福です。主祭神の願ったふたつめの意図、糸守町の人々の救済は確かに叶ったのです。 しかし、みっつめの意図を成就するために必要なカタワレ時は、はかなくも潰えてしまいます。主祭神が三葉と瀧の糸をムスビつけようとした祝福も、2人が「忘れないように」とペンを持った時間も、唐突に終わってしまいます。5次元の主祭神にも星々の運行までは変えることはできなかったのです。
カタワレ時の終幕とともに、祝福の余韻も2人の記憶も、薄闇のなかに溶け込み消されていきました。それぞれの名前は「君」に置き換えられ、やがて「誰か」となっていきます。
三葉と瀧は大きな大きな代償をはらうことになってしまうのです。
{/netabare}

五つめの物語。逢いたい。
{netabare}
あとちょっとだけ、もうちょっとだけでした。
宮水の主祭神と地球と太陽の祝福は終わり、カタワレ時は足早に去っていきます。三葉と瀧の時間は分かたれ、別々の流れのなかに引き込まれていきます。 
でも、ともかく2人は生きているのです。それが尊いのです。天上天下唯我独尊。天の上にも天の下にも、ただ私がこうして生きていることが何よりも尊いこと・・。三葉と瀧、テッシーとサヤちん、四葉と一葉ばあちゃん、町のみんな。みなが生きていることが尊い。生きているから「あとちょっとだけ」だと感じられる。「もうちょっとだけ」だと思える。その感覚こそが生きている証です。記憶の糸が途切れてしまっても、絆の糸の半分は残っています。お互いの身体の中に残された感覚、「名の知れぬ」何かです。

主祭神が三葉と瀧に残してくれたもの。
三葉には、瀧が書いた「すきだ」の3文字。三葉は気づきます。「あの人」への恋心を。それは8年変わることなく三葉の心の中に残りました。 
瀧には、巻き付けていた” 組紐 ”の残像。オレンジ色と皮膚に残るわずかな感覚だけでした。まるで糸守湖に沈んだアプスーのようにおぼろげです。 
そして「カタワレ時」の色。
2人にとってはそれが唯一のそして絶対の拠り所です。もう一度、絆をつなぎ合せるための思いの強さが、三葉と瀧に試されるのです。ティアマトとアプスーのように、「名の知れぬ君」を呼びあう物語が三葉と瀧に与えられます。
三葉も瀧も、夢の醒めどきに残るかけら、魂に刻まれた”名の知れぬ”記憶のかけらを感じながら、それが「何かを、誰かを」と自問しながら、寂しさを抱えての時間を過ごさなければなりませんでした。そう、168億kmを旅してきたティアマトをアプスーが呼び続けたように。 いったん切れてしまった糸をムスビなおすのはとても難しい。それに1200年も人間は待てませんしね。 2人にとっては出口の見えない年月です。おぼろげな夢、思い出せない夢を頼りにするしかないやるせなさ。まんじりとともせず悶々として暮らす2人。ただ募るのは寂しさ、侘しさ、もどかしさ・・。
主祭神ご自身が願立てなさったこととは言えども、「名前」を失ってしまったことは大きなハンディとなります。そのために、みっつめの救済は、なお8年と5年にもわたる準備と仕込みが必要だったということでしょう。
{/netabare}

六つめの物語。宮水神社のこと。
{netabare}
宮水神社は、二柱の神を祀っているようです。お山(奥宮)のご神体と、糸守湖のご神体です。お山のご神体(主祭神)のご神名は焼失し、明らかにはされていません。糸守湖には男神が坐(い)ます。アプスーがモチーフでしょうが、作品内では秘められた神です。二柱とも「名の知れぬ」神なのです。
一葉ばあちゃんによれば、宮水神社の成り立ちは千年余前に創建されているようです。宮水家にとっての「ハレ」のお役目(三葉にとっては最悪のようですが)は、年に一度のお祭りです。本来、祭りとは、「間、釣り」であり、神と人との関係性のことです。顕・幽の2面性があることは前述しましたが、具体的にはご神魂をご神前に招き、舞と鈴と音曲でもって、厳かに、賑々(にぎにぎ)しく魂振(たまふ)りし、神に感謝と敬神の誠をささげるとともに、そのご神威をますます高めていただきコミュニティーの繁栄とご守護をいただくこと。また、地域の氏子らも社殿に参集して、神とともに祭りを楽しみ賑やかに直会(なおらい・宴会・食事など)を行ない、神と人とが仲良く近しく過ごすことを指します。
宮水神社の神楽は巫女神楽。「女性による男性への魂鎮め」の意味がありますから、男神に向けて奉納されていると考えても良いかと思います。
また、二人舞いであり、その所作・仕草などの舞い方や装束などからは、彗星の分割と落下(彗星に宿る神々の離別)を暗喩するような表現になっています。三葉と四葉の舞う巫女神楽は、主祭神とアプスー神に向けて奉斎されるものとして理解できます。
神楽(かぐら)については、『一般に、「かぐら」の語源は「神座」(かむくら・かみくら)が転じたとされる。神座は「神の宿るところ」「招魂・鎮魂を行う場所」を意味し、神座に神々を降ろし、巫・巫女が人々の穢れを祓ったり、神懸かりして人々と交流するなど神人一体の宴の場。』、『日本の神道の神事において神に奉納するため奏される歌舞。』、『巫女神楽は、神懸かり系・早乙女系』、『早乙女とは、苗を田に植える女性』(以上、ウイキペディアより)とあります。
{/netabare}

七つめの物語。神話の始まりと終わり?
{netabare}
紀元前4000年、メソポタミア神話に登場する神々が、21世紀の三葉と瀧の関係に関わっている・・。神秘的ですね。
原典の一つは、「とりかえばや物語」。この作品は1180年以前に成立されたと言われています。(ウィキぺディア参照。ぜひご覧ください)
しかも、ティアマト彗星は、1200年周期で地球にやってくる・・。
とりかえばや物語の成立と、彗星の落下は、ともに約1200年前・・。
「君の名は」のあらゆる伏線、符号、暗喩、言霊は、どうやらこのあたりがスタートのようです。
宮水神社の主祭神は、三葉と瀧の ”心と体をとりかえばやと誘(いざな)うかのようにはたらく” この物語の核心をなすものです。
もしかしたらお山のあの風景は、紀元前4000年前にはできていたのかもしれませんね。・・ということは?メソポタミア神話のもとは、超古代の飛騨に落下した彗星のこと?って、ええっ??
主祭神は地球から、宇宙の深淵にいるティアマトに呼びかけます。それはあまりにも密やかで微かな声。1年に1度だけ巫女に懸かり、舞い、鈴を鳴らしながら空に向かって呼び続けるのです。「貴女の恋しいアプスーは、ここにいます。忘れないでください。きっと、きっと、また逢いに来てください。」と。やがてティアマトは呼び寄せられるようにして、糸守に再来します。 私のもとに来てほしい・・「来い」と「恋」。逢瀬の言霊です。
主祭神は、長い時間をかけて、そして寸分の狂いもなく、ティアマトとアプスーとの巡り会いを準備し実現させました。と同時に、宮水家にも三葉、四葉を誕生させました。しかも、タイムループと、入れ替わりという「荒技」?を使って瀧と三葉を結ばせたのです。なんという神の御技(みわざ)でしょう!!
二人の関係は、唐突に繋がり、そして切れました。しかも繋がったのはタイムループです。実はこの物語、始まりはボンヤリしてよく分からないのです。理屈をつかっては説明のしようがありません。でも、ここにも原典があります。それは古事記です。なんとなくですが予感はありました。 古事記に顕われる八百万の神々の息吹とはたらきをこの作品にも感じてしまいます。(拙述レビュー、レクリエイターズ、感想その1)

紀元前4000年の神話ではしかし、文献は遺ってはいるのでしょうか。壊れやすい粘土板に刻まれた文字よりも永く遺るのは、神話であり、口伝であり、舞であり、作法であります。そして純度の高さを保つには、秘伝として一子相伝にするか、後世に残すのであれば「名の知れぬ神、解きようのないご神名」と置き換えて謎の神として秘めおくことしか術はありません。映画では明らかにされていませんが、アナザーサイド版で少し触れています。でも、なぜそこまでして秘め置くのかまでは解説されていません。(秘め置かなければならない理由もあるのですが。)

彗星は再び糸守に落ち、神社を、町を消失させました。「彗星に呪われた町」ということは簡単です。でも、私は「そうなった」意図もまた主祭神に尋ねたい・・。
そこで一つの仮説を立ててみました。宮水神社が失われるということは、その祭祀の役割も終わるということです。確か糸守湖は一つから二つになり、それは「つながって」いました。ティアマトとアプスーはつながった。ムスビついたのであるのならばもう呼び合うことはないのかも知れません。糸守湖は無限のループを示す形(∞)に姿を変えていました。(よく見ると、ティアマトの作った新しい湖の方が大きいですね。いかにティアマトのアプスーへの思いが強かったのかを示しているようです。)さて、新糸守湖は二柱の神の二人舞いの姿として、逢瀬の喜びがいつまでも続いていくという証としてみていいのではないかと考えてみました。なるほど、それならば主祭神の願立ては、正真正銘、完成成就ともいえるでしょう。となれば宮水家が祭祀を奉斎する理由も役割もその必要がなくなった・・。そんなふうに思いました。これは6000年越しの神話の一つの終わりではないか。幕は下りたのです。
ところが、アナザーサイド版では四葉の秘密のストーリーもあって・・。
{/netabare}

八つ目の物語。観終わったあとにのこる不思議な余韻。
{netabare}
新海監督の作品には、いずれにも主人公の”一途さ”が見受けられます。それはちょっと独特な味わいと、シュールな世界観を感じさせるものでもあるのですが、三葉と瀧の”一途さ”には、今までのとは少し違った印象を持つのです。 
全体をとおして、明るくて、軽やかで、温かい。動と静のリズミカルな展開がパワフルに伝わってきます。三葉は洗練された都会のビジュアルにしっかり溶け込みながらどんどんお出かけの予定を入れてしまうし、糸守の町や高校でなんだかんだで馴染みながら、家族ともうまくやれてしまう瀧。それぞれが夢のなかのことじゃないって、入れ替わっていることだとわかったあとでも、全部ひっくるめて両足はしっかりと地につけている2人。お互いのためにと作ったルールもなんのその。ついつい脱線しがちになって、果ては開き直る2人は豪(えら)い! 
このファンタジー感とリアリティー感が、ベタで鮮烈に表現されています。夢のような現実を楽しんでいる2人の気持ちの重なるはざまに、カタワレ時のようなわずかな時間にある焦りにも似た危うさを感じながら、でもその「尊さ」にふと引き込まれてしまうのです。 新海監督の作品のなかには、いつも「すれちがい」が織り込まれています。三葉と瀧の大団円も、電車のすれ違い、神社の階段のすれ違いなどのシーンがありました。どうなっちゃうのかなってドキドキさせられましたが、今回は「ムスビ」で締めくくられていました。
私は、「君の名は」と問うべき対象は、女性と男性にあるだけではなくて、日本人の精神性の中に見え隠れしている、忘れてはいけないもの、大切なものへの呼びかけのように思えます。 その呼びかけは、観る人たちの心と感性に届き、再生し芽生えだす助けになるような気がするのです。
ムスばれたい人とムスビつきたいと願う気持ち。それを助けたいと願う氏神様のムスビのはたらき。ムスビという言霊は日本人の血に溶け込みDNAに組み込まれ、お互いを呼び合い結びつきあおうとする不思議な働きを持っています。その気持ちの正体は、「魂の歓喜と安心の気」です。
それを感じさせ、呼び起させ、湧き上がらせてくれる源泉がこの作品の中に組み込まれていると思います。だから、観るたびごとに「ああ、よかった~」って感じられると思います。
新海作品の通奏低音である「すれ違い」の歴史から、ついに新しい「結び」のステージに移った、そう感じます。

心の交流も出会いも、みな神様が望む「ムスビ」。
自分も、親も、その親も、みな辿れば氏神様に行き着く。誰一人として欠けてしまっていたら今の自分はないし、子も、孫もないのです。
この国に生きる人たちの歴史が未来に紡がれてこそ、この国が繁栄するもとであること。それもまた、神々の願いでもあること。
前々前世からムスビ組み込まれた密やかな愛の祝福。それが「名前」。
「君の名前」に込められたラブをムスビあうことで生み出される幸せの意味を、もう一度思い起こさせてくれるストーリー。そういうメッセージを感じます。
{/netabare}

九つめの物語。おまけ。
{netabare}
おバカなレビューが続いたけれど、そろそろ切り上げます・・。
「暗喩・密意・象意」についてです。

最初に・・。立花は” 橘 ”。花言葉は” 追憶 ”です。

宮水家は、水(密、秘密、密意)の秘め置かれている宮(尊い場所)の意です。

巫女鈴、前天冠のデザインの龍神は、煌びやかで美しい中にも凄まじい音を鳴らして落下する彗星の暗喩ですね。

糸守町は、彗星が糸を引いて再来したとき守られる場所。神様を敬い神社境内と祭りを「守り続ける意図の定着している場所」。

組紐は、宮水家の系譜、血脈が幾世代にもわたって組まれること。また、地元住民とのムスビ・結び・産霊(産霊は生産・生成を意味する言葉。ウィキペディア)の証。「糸の声をよおく聞き。」とは撚り合わせることで人と人との思いや願いに耳を傾けること。組むことはお互いの意見や主張をしっかりと聞くこと。コニュニティーのなかに平和や調和、規律や信頼を効かせ、結びつけていきましょうという意味があると思います。そして、ある女神の”はたらき”の暗喩です。

三葉の父の気持ちが、政治《政・”まつり”ごと》に向かったのも、糸守町を守り発展させるという水宮神社の働きである”ムスビのはたらき”の一部を担っているとも言えそうです。

三葉は、密葉(人に知られないように秘められた言葉)。ラピュタの主人公シータの発する「リーテ・ラトバリタ・ウルス・・のような言霊の力でしょう。また、三の意味する象意は、「青春、若々しさ、躍動感、進歩性、発展性、活発」です。 それに”みつはめの神”(火を鎮める水神にして豊穣をもたらす農耕神のはたらき)の意もありますね。

三葉と四葉。合計は「七」。7は変化の数霊です。葉の復唱は転じて「母」。二葉の母性のはたらき。情と愛を以っての救済が動き出すという暗喩です。

糸守湖も、池塘のあるご神体のクレーターの風景も、ともに円形(真円のようにも見えます)。宮水。三葉。円も水も女性の暗喩です。

巫女舞の装束にある前天冠(まえてんかん、頭につけるティアラ様の冠)と神楽鈴(かぐらすず、稲穂を象(かたど)り、鈴は米を表す)の龍のデザイン。龍(リュウ)瀧(タキ)の言霊は「立」に通じ「立つ」に転じます。新宿の屹立するビル群・・男性の暗喩です。

半月の明と暗。扉の開閉。割れる彗星。二つに繋がった湖。さやかと黄昏時・・陰陽の暗喩です。また二は「ふえる、生産する、大地、育てる」。転じて「女性」の意味をもちます。女性の感性と役割がやがて三につながっていくのです。

古文のユキちゃん先生が、「黄昏時はたそ彼時」、『誰そ彼時、彼は誰時』と述べ、生徒が「カタワレ時」と揶揄する場面も、言葉のなかに” 男女の赤い糸 ”の哀しさ恋しさをめぐる意があり、万葉詞を使う高齢の方と現代っ子と対比も、世代世代に引き継がれていく「糸」を含むように感じます。
”カタワレ時”は、カタい彗星がワレて糸守町に到来するトキの暗喩。だからこの糸守町だけに伝わる方言。
また、現実世界(現世・うつしよ)と夢世界(幽世・かくりよ)のそれぞれの空間と時がムスビつく暗喩であり、僅かに生み出される時空の軛 ( くびき )を超えて、人ならざる者、つまり救済者が現れるという暗喩でもあります。 カタワレ時は、女性(宮水家、サヤちん、ユキちゃん先生、奥寺先輩、太陽=アマテラスオオミカミ)と、男性(瀧、テッシー、司、町長、地球=クニトコタチオオカミ)のそれぞれのはたらきの暗喩。

⦿。
宮水神社の奥宮は、クレーターの辺縁の中心に巨石で形作られています。デザイン的には⦿です。
また、東京を象徴する新宿区は東京23区のほぼ中心で、新宿駅は新宿区のほぼ中心。⦿です。
また、二人がクレーターですれ違ったとき、見えない相手に恐るおそる手を伸ばしたとき⦿がほんの一瞬だけ表現されていましたね。この自然現象は太陽の神と地球の神の働きがあって初めて創れるものです。このシーンは時間軸が3年を隔てているにも関わらず2人に同時に表現されていました。神が二人を見守り導いた証です。(ここは浅くとらえてね)

彗星の落下日の2013.10.4。 
この日は天文学上で見ると、太陽、地球、天王星が一直線になる”衝(しょう)”という現象が見られました。”衝”は学問上の概念は”一瞬”です。一本の線に3つの天体が貫かれるのです。
また『衝の位置にある天体は地球との距離が最も近いため、視直径が最も大きく光度も最も明るくなります。西洋占星術では、宝瓶宮(みずがめ)の支配星で、凶星である。変化を示し、改革、離別、不安定、電撃に当てはまる』という象意が一番強くなる時です。つまり、一番明るくなり観測されやすい=人々の意識に上がってくる=象意が強く表れる時です。
また、この日の天王星の背景にはうお座が位置していました。『星図では「紐で結ばれた2匹の魚」として描かれます。うお座は古代メソポタミア文明に由来する星座とされ、恒星のα星:アルレシャ(Alrescha、「ひも」の意)は2匹の魚を結びつけるリボンの結び目にあります。この星は4.2等と5.1等の連星であり、それぞれはさらに分光連星となっています。』
4.2+5.1=9.3となり、この数霊を言霊で解義すると、「キュウ、サン。=救済」という象意を示しています。
さらに、『うお座はぺガスス座の南にあります。日本でも秋になると「ペガススの大四辺形」と呼ばれ月明かりがなければ比較的よく見えます。ギリシア神話ではこの四辺形を「神が地上を覗く窓」に「四辺形の中にある星は神の目」に喩えています。』
これらをつなげると、「神の使いであるペガサスが飛騨の地で「救済」の働きを運んできて大きな変化を三葉と瀧にもたらす」という象意になります。
(以上『 』内はウィキペディアより抜粋)
また、太陽の背景には、おとめ座が位置していました。これは、おとめ座の象意である「少女のような瑞々しさ、若々しさ、初々しさ」が太陽を通して「その威光があまねく地上に降り注ぐ」という象意に重ねられて、三葉と瀧に降り注ぐというはたらきになります。
このように西洋占星術から辿れば、深宇宙から幾重にも重ねられた要素の上に立って、三葉と瀧に大きな変革(良くも悪くも)が起き始めるという密意があるようです。

図式化すると、次のようになります。

おとめ座ー太陽ー地球ー天王星ーうお座ーペガスス座。

これが、カタワレ時に、”衝”として、一直線に並んでいるのです。

2013.10.4を足し算すると合計は”11”になります。
『1は一白水星。象意は水、流動性、始まり、忍耐、交わり等』です。
11は・・十一面観音といえそうです。 『伝承では、奈良時代の修験道僧である泰澄(たいちょう)は、幼少より十一面観音を念じて苦修練行に励み、霊場として名高い白山(はくさん)を開山、十一面観音を本地とする妙理権現を感得した。』 白山は、長野、岐阜、石川各県にまたがる霊峰。その一宮は白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)。

飛騨は文字どおり” 飛行する馬 ”。つまり” 天馬 ”であり” ペガサス ”です。天翔けり国翔ける白い馬でもあることから神様の遣いであり、その象意は水、泉です。

メソポタミア文字(紀元前8000年~)。
楔形(くさびがた)文字とも呼ばれています。象形文字、つまり形を見たまま写し取るという技法です。いわばスケッチですね。 漢字(紀元前1300年~)やヒエログリフ(古代エジプト、紀元前3200年~)もその仲間と言われています。
メソポタミア文字の『米』(すみません環境依存文字で表現できません。ネットで「ユニコード、12020、D」で検索してください)。星の形をそのまま使っています。この楔形文字の「米」の意味は「神」なのです。
私たちに身近な漢字で『米(こめ)』。
是非メソポタミア文字と比較してみて下さい。「星」「神」「米」にまつわる不思議なシンクロニシティですね。「口噛み酒」は「米=神」を「噛み=体内に取り入れ」、「大地と宇宙エネルギー」と巫女のDNAとをムスビつけて、奉納するという大切な「依り代」だったのです。
御神酒もお米から作りますし、軽く飲んでほど良いトランス状態に入れば魂と神様とのムスビがいっちょ上がり、ですね。
一葉ばあちゃんが丁寧に解説してくれていました。私はばあちゃんの説に賛成です。お米を食べることは星のパワーと神様の神力をいただくことなのです。おムスビやお酒をいただく度に思い出して声に出してみてください。「ムスビ」って。元気が出ますよ。
{/netabare}

十でとうとうお終いです。ホントだよ。
{netabare}
拙レビュー、レクリエイターズの作者は広江礼威氏ですが、彼の作品に「ブラックラグーン」があります。The Second Barrage(2期、2006年)に、鷲峰雪緒という女子高生が登場するのですが、この娘が三葉の原型のようです。雪緒には後輩がいるのですがその娘が四葉のようです。そしてブラックラグーンの主人公のロック(岡島緑郎)との初めての出会いは神社のお祭りなのですが、雪緒に「名前を尋ねるシーン」や代々木駅で「偶然出会うシーン」もありますよ。
君の名はの冒頭シーンにも代々木駅が出てきます。そのあと話が進むにつれて奇妙なデジャヴュ(既視感)をずっと感じていました。念のため2回観に行きましたが結局解らずじまいで、しばらくは朝起きるとなぜか涙が流れていました・・。その理由はどうやらこれだったようです。まさかなーと思ってブラックラグーンを見直してもうびっくりしてしまいました。
ご興味のある方はご覧になってみてはいかがでしょうか。
{/netabare}
とにかく、何より文句なしのハッピーエンド100点満点でした。

長文を最後までお読みくださってありがとうございました。
この作品が皆に愛されますように。

 サンキュー(38)
ネタバレ
2018.01.14 22:42 kijiの評価 | 観終わった| 19が閲覧 ★★★☆☆ 3.3 評価対象: 君の名は。(アニメ映画) 物語 : 3.0  作画 : 3.5  声優 : 3.5  音楽 : 3.5  キャラ : 3.0

何故あえほど話題になったのかが・・・

わざわざ時間的都合で苫小牧まで車を走らせて映画館にw

家族みんなが、ん、ん。。。となる映画でした。。。

どうしてあんなに話題にのぼり売れた理由がいまひとつの感じを
受けましたw

改めて地上波初登場を見直しても印象は然程変わらなかったように
思います。

男女の高校生が寝て目覚めると中身が入れ替わり、そして入れ替わった
時の記憶がじょじょに消えていく、そういう一族?の話。

入れ替わった時の記憶が消えないうちに互いに探しあってるんだけど
この辺の意味もなんだかよく解からないまま話が進み
神棚に納めた噛み酒で一時出会う事が出来たのですが、
その辺も噛みあわせがいまひとつで
村ひとつが隕石によって崩壊、壊滅したっていう裏スト~リと連動しての
会ってこの災害をなんとか防ごうとした結果の話にはなってるのですが
私の文章と同じでバランス、テンポが悪い!(笑

思うところは昔の転校生系の男女入れ替わりのスト~リと
タイムスリップによる最悪結果の入れ替えスト~リの掛け合わせ作品。。。
しかもバランスが悪い。。

何故こんな超大作のような扱いになったんだろうか。

あくまでも個人の感想ですよ~b

 サンキュー(3)
2018.01.08 05:25 いけこの評価 | 観終わった| 93が閲覧 ★★★★☆ 4.5 評価対象: 君の名は。(アニメ映画) 物語 : 4.5  作画 : 5.0  声優 : 4.5  音楽 : 4.0  キャラ : 4.5

良い作品ではあったものの1度見ただけではしっかりと理解できず世間の評価に違和感。考察付き

※予告の範疇を超えるネタバレは隠しています。



これから見る方に要点だけお伝えすると
・今までの新海作品の中で一番綺麗(アニメ最高峰の綺麗さ)
・秒速や言の葉よりも星を追う子どもや雲の向こうに近い。(ファンタジー寄り)
・これまでの新海作品に比べシナリオがかなり複雑。監督変わったのかと思うくらい。
・故に初見時の過剰な期待は禁物。
・ちょっと複雑なので一度見てよく分からないならもう一回見ると違和感が氷解してすっきりします。
・新海作品を見たことがある方、確かに結末はいつもとは違いますがやはり余韻を感じられる終わり方という点は変わってないです。
と言った感じになります。


私の中では新海作品はあまり万人受けしないイメージがあったのですが、いざ映画の放映が始まると巷の評価は絶賛の嵐。これは何かがおかしいと思い、映画館に足を運びました。

とりあえず一度だけ見てみたのですが、今までの新海作品に比べると時系列等が非常に複雑で、良い終わり方ではあったものの結局何だかよく分からない作品だなあというぼんやりとした感想を抱きました。
隣で見ていたカップルも「綺麗だけどよく分かんなかった」と口にしており、個人的には1度だけ見た人の半数ほどはこのような感想を抱いているのではないかと思います。(と思った割には絶賛の嵐でありすごく不思議である)

見た方はわかると思うのですが、今作は主人公の入れ替わりと{netabare}3年間という時間のズレ{/netabare}が合わさり、観客側としては「今三葉の中にいるのはどっちだ?{netabare}今は彗星の落下前?後?{/netabare}」と少し混乱してしまいます。
この映画の良さを理解するには、1度見終わった後に頭のなかを整理して、もう一度確認のような感覚で見に行くことが一番良いのではと思いました。

私は最終的に3回見に行ったのですが、1回目によく分からなかったけど2、3回見て腑に落ちた点を記していこうかなと思います。

{netabare}まず初見時に個人的に一番良くわからなかった点である糸守町の結末についてです。
最終的には町長が避難訓練という形で町民を学校の校庭に避難させて隕石の落下による被害者は最小限に抑えられたのですが、なぜ半信半疑の町長がその決断に踏み切ったのか。
それは最後に説得してきた三葉の中身が瀧ではなく三葉だったから、また三葉母と町長の間でも昔入れ替わりが起きており、今回の騒動の中で三葉の発言がただの宮水家の妄言ではないのかもしれないと考えを変えたためと考えるのが一番しっくり来るのではないかと思います。
町長の過去の入れ替わりの根拠としてはお婆さんも過去に入れ替わりの経験があることから宮水家自体にその能力があること、「妄言は宮水の血筋か」という発言でしょうか。(普通は娘の様子がおかしくても「お前は誰だ」なんて言葉は使わない気がするしそこも根拠に入れてもいいのかも)
また、町長が三葉に向かって「お前は誰だ?」と質問したときの三葉の中身と三葉がもう一度説得してきた際の三葉の中身の違いに気付き、ようやく三葉の発言を少し真に受けるようになって避難訓練という形で避難させたのだと思います。

2つ目は全く起こらなくなった入れ替わりが口噛み酒を飲むことでまた入れ替わることができた理由です。
初見時はファンタジーだからその辺はざっくりなのかなーと思ったのですが、ちゃんと劇中でお婆さんが「米でも酒でも何かを体に入れる行いも結びという。体に入ったものは魂と結びつく。」また、口噛み酒を祠に備えに行く際も「お前の大切な半分を置いていくことになる」という発言をしていることから、口噛み酒を飲むことによって瀧と口噛み酒に宿った三葉の魂が結びついて入れ替わりを可能にしたのだろうと思います。

また、論理的には完全に破綻してるのですが、瀧と三葉が入れ替われた理由も結びという観点においては瀧が三葉から渡された組紐を持っていたからではないのかと思えたり思えなかったり。
(組紐を渡すためには入れ替わりの経験の必要があり、鶏が先か卵が先かのジレンマに陥ってしまいますが、そこを無視すると)入れ替わりが起きている間は三葉も瀧も同じ組紐を持っており、それを三葉が3年前の瀧に渡してしまったために入れ替わりができなくなったと解釈すると面白いかなと思います。笑

また、入れ替わった際にお互い3年の時間のズレに気づかないという点に違和感を覚えたのですが、これに関しては何度見ても3年のズレに気づかない明確な理由は見つからず、そんなに深く考えられていないのかなあと思いました。(三葉が休日と平日を勘違いする描写は時間のズレのヒントになってはいるものの、初見時にそのシーンのみで年単位の時間のズレが起きているということに気づくのはやや難しい気がする)

まだ考察したいことがあった気がしたのですが、書いてる間に忘れてしまったので一旦ここまでにします。{/netabare}


あと一つ気になったのは、私自身RADWIMPSはかなり好きなのですが劇中歌が少し主張しすぎているような気がして映画の途中に流れるのはちょっとどうなのかなーと思ってしまいました。


個人的な新海作品の順位としては君の名は。を一度見ただけの時は
1.秒速5センチメートル
2.星を追う子ども
3.雲のむこう、約束の場所
4.君の名は。・言の葉の庭(同率)


でしたが、複数回見て色々ともやもやが解決した結果、
1.秒速5センチメートル
2.君の名は。
3.星を追う子ども


となりました。笑

 サンキュー(35)
2018.01.08 03:36 M.outの評価 | 観終わった| 21が閲覧 ★★★★☆ 4.0 評価対象: 君の名は。(アニメ映画) 物語 : 4.0  作画 : 4.0  声優 : 4.0  音楽 : 4.0  キャラ : 4.0

素晴らしき「運命」

RADWIMPは運命論者だと思っている。両親とか、DNAとか、いろいろ使って「貴方と私が出会った"奇跡"、"運命"」を「素晴らしいことだ」と、キレイ歌い上げるのがRADWIMPであり、私は好きだ。

そう考えてみると、新海誠は企画当初からRADWIMPの起用を前提としていたような話になっていることが分かる。
入れ替わったり、彗星をアレコレしたりして、またキレイな絵の圧倒的説得力で「運命の人は居るんだよ!」と言ってくれる本作である。
誰でも楽しめる。

{netabare}不思議な「運命」の力を描くのだから、ロジカルに攻めなかった。どのように入れ替わってるかや、どんな人物が入れ替わってるか、はかなり描写しているが、好きになる過程はダイジェストで一気に飛ばす。だから「感情移入できなかった」という人が出るのは当然である。
そのダイジェストに入る前だって、三葉に関しては「田舎嫌だ、都会がいい」と言ってるだけであり、瀧くんに関しては、友人関係とか希薄だし、キャラとして無機質過ぎて感情移入できる部分は少ない。瀧くんには「他人に興味ないだろお前!」と言いたかった。
よって、見方によっては「都会に恋した三葉」と「自分に恋した瀧くん」の恋物語に見えないこともない。三葉は都会への憧れを瀧くんへの恋に勘違いしているだけで、瀧くんが三葉を好きになったのは入れ替わりで三葉も瀧くんの一部と化したから。
流石にこれは、ごめんなさい。穿ち過ぎました。

しかし、恋を「運命」の仕業にすることで、感情の機微を描く必要性がなくなり、誰でも鑑賞可能な大衆性を獲得した。
よって入れ替わったり、時間ずらしてみたり、隕石降らしてみたり、多くの要素を十分に取り入りれたと言えるだろう。

何故入れ替わるのか。それは、隕石落下から生き延びて、瀧くんと三葉が「出会う」ためである。
ちなみに、入れ替わり時点では「出会って」ない。本作のテーマである「運命の出会い」はラストのシーンであり、それまでは運命が不思議な力で事実をねじ曲げる過程を描いたものである。だから「忘れる」のである。夢も同然なわけだ。

偶然にも、大昔に隕石が糸守に落下していたらしく、その時から始まった宮水の血筋の人間は入れ替わりを体験している。
つまり「運命の出会い」が連鎖的に繰り返されて今の私があり、貴方と出会えたのも運命である。と言ってるわけで、この、なんという、ラッド感!

で、話は変わりますが、私が一番好きなシーンは、手のひらの「すきだ」を見るとこです。
ロマンチックというだけでない。
生存を諦めそうになったとき、何を糧とするか。本作は、これから訪れるであろう、あなたとの素晴らしい出会いを力にしろと言うのです。過去の記憶を大切にするように、未来のことも大切にする。
ここにはやられた。

そんなこんなで、運命の赤い糸はあるよ!と言ってくれました。まだ出会わぬ「あなた」を大切に。
{/netabare}

 サンキュー(4)

君の名は。のレビュー・感想/評価は、ユーザーの主観的なご意見・ご感想です。 あくまでも一つの参考としてご活用ください。 詳しくはこちら≫
君の名は。のレビュー・感想/評価に関する疑問点、ご質問などがございましたら こちらのフォーム よりお問い合わせください。

このアニメの成分表

成分タグをクリックで、同じ成分を含むおすすめアニメのランキングがみれるぞ!)

※あにこれは『タグに投票できる成分タグ』で特許出願済です!

あにこれに参加するとアニメ棚もらえます!

あにこれでみつけたおもしろそうなアニメや大好きなアニメを自分の棚に送ってコレクションしよう!参加するとアナタのアニメライフを管理できる専用の棚がもらえます!

棚ってなぁに?    棚をつくる
このページのトップへ

■あにこれとは?

おもしろいアニメが見たい!
アニメ選びで失敗したくない!
そんな仲間達のためのランキング&口コミサイトです。