聲の形(アニメ映画)の感想/評価、レビュー一覧

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「聲の形」のレビュー感想/評価

よみがな:こえのかたち

上映開始時期:2016年9月17日

このアニメの感想・評価 854

聲の形のみんなの評価
★★★★★ 4.2 5
物語:4.2 作画:4.4 声優:4.2 音楽:4.0 キャラ:4.1
  • 物語 ★★★★☆ 4.2 作品のシナリオやストーリーに対する評価です。
  • 作画 ★★★★☆ 4.4 作品の絵やイラスト・キャラクターデザインに対する評価です。
  • 声優 ★★★★☆ 4.2 出演している声優、または登場キャラクターの「声」に対する評価です。
  • 音楽 ★★★★☆ 4.0 OP・EDや挿入歌、バックミュージックなど、音楽全般に対する評価です。
  • キャラ ★★★★☆ 4.1 登場キャラクター全般の設定・性格・個性などに対する評価です。
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2018.07.20 22:03 s__masa__の評価 | 観終わった| 58が閲覧 ★★★★☆ 4.3 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 4.0  作画 : 5.0  声優 : 5.0  音楽 : 4.0  キャラ : 3.5

良かったけど、スッキリしない物語。

(原作未読で)見終わった直後の感想
「感動はした、名作は間違いない。げど何か胸のモヤモヤが...」
「(エンドロールで)えっ、硝子の声優、早見沙織!? 流石ですね...」

作画:京アニだけあって素晴らしい作画。満点です。
声優:特に主役の早見さんと妹役の悠木碧が良かった。

物語:ここなんですよねー。物語は主人公の男子高校生(将也)、そして、その主人公の小学生時代に同級生だった聴覚障害の少女(硝子)の妹(結絃)の視点から語られていきます。

とりあえず、主人公がクズです。もう本当にクズ。眼をそむけたくなるクズ。
{netabare}小学校時代、聴覚障害のある転校生の少女(硝子)をいじめて、それでも健気に(聴覚障害を持っている自分が悪いんだから)「ごめんなさい」と言って友達になろうとしてくる硝子を、うざがり更にいじめます。そのいじめっ子グループは、硝子の味方になった子もいじめで転校させ、硝子も最終的には転校させます。硝子の補聴器すら強引に取り上げ、怪我をさせ、補聴器を壊す、故障させるなどしています。もう本当に胸糞展開。映画冒頭に出てくる主人公が計画的に自殺しようとしてるシーンにも同情できない。いくら反省し報いを受けようとしたとしても。本当に心底嫌いな主人公の出来上がりです。 {/netabare}
ここが、この前提が、「校正した、反省した、罰を受けた」としても、視聴後のモヤモヤを生んでいます。
そもそも扱っているテーマ「いじめ問題」自体が重すぎる。

{netabare} 自殺失敗前後に、 いじめの加害者(将也)が被害者(硝子)を訪ねていき、今でも健気な被害者(硝子)と交流を深めていき、その妹とも交流を深めていく。その後も、小学校時代のいじめグループの人間やら、硝子の味方で引っ越した子やら、主人公の高校からの友達も巻き込んで、仲良しごっこ集団を形成していく。そして、被害者(硝子)が加害者(将也)に「づき」と伝わらなかったけど告白。{/netabare}

うーん、うーん。えー。あっそー。

{netabare} 将也が元「いじめの加害者」であったことがバレて、硝子の前で 仲良しごっこ集団崩壊。おばあちゃんも死去。硝子・結絃が主人公を家に呼んで被害者母と表面上の和解→被害者一家と花火大会→何故か突然、硝子が帰ると言い出す。見送る。妹が機転を利かせて主人公を被害者家に行かせる→硝子が自殺スタンバイ→助けた代わりに主人公が被害を受ける。意識不明で入院。{/netabare}

なんやろ、主人公周りのくっついたり離れたりの動機描写が結構「ふわっ」としてるなー。ただのラブストーリーったらビビッと来た!的「ふわっ」とした動機でも許せるけど、被害者と加害者ですよ。よっぽどの動機がないと納得いかないけどなー。超えなきゃいけないハードルはかなり高いスタート設定だけどなー。

{netabare}しかし、この事件で元被害者家と元加害者家の立場が逆転し、硝子の母親が、主人公の母親に土下座して謝るシーンには本当に泣かされました。妹も加わって土下座。病院の外では硝子が元女いじめっ子リーダーにより、暴力を受けてる。それにより、硝子の自殺の原因が、「自分は災いの原因で、自分さえ居無くなれば、みんな幸せになれる」というものだったとハッキリ分かる。両母親が止めに入り、硝子は元加害者母の足に地べたですがり付き謝罪。{/netabare}

そしてしばらくして主人公も回復し、また仲良しごっこ集団が回復し、主人公自身の問題も解決していき。尻切れトンボな感じで終了。

硝子は最初から最後まで健気で優しい。
主人公は、栄光の時代に罪を犯し、どん底まで行って回復する。
自業自得やん!不良がちょっと良いことしたらすごく良い事してるように見えるのと同じで、まず「不良である」という前提を忘れすぎ。この主人公も、罪の意識にさいなまれ校正して回復する。でもクズやん!
お前の回復に被害者利用するのは止めてくれ、そっとしてあげてくれ、という思いが、常にモヤモヤを生んでしまいました。

でも両親は、当事者じゃないけど責任を負わなきゃならない。結果、両家が加害者であり被害者になってしまう。その健気な硝子の母親が謝罪するシーンは本当にやりきれなくて泣いてしまいました。

良作です。間違いなく。しかし、スッキリしない。
主人公が成長し回復する、これハッピーエンドですか?
成長を喜べるか? 僕にとっては両方ノーでした。

◆追記◆(「3月のライオン」2期までを未視聴の方は見ないで下さい){netabare}
「3月のライオン」2期のひなちゃん中心回なのですが、本当にいじめの展開がリアルで、結末も説得力がありました。被害者は本当に心に傷を持ちます。「聲の形」を見た後に、「3月のライオン」2期を観ましたが、「聲の形」の中盤以降の展開で、被害者と加害者が仲良しごっこ集団を作るのだけど、本当にリアリティーがないと改めて感じましたね。それぐらい、被害者と加害者の間には高い壁があると思います。ましてや恋愛感情なんて!「聲の形」作者はたぶん加害者寄りの視点の持ち主なのかな...と思います。「被害者は謝れば許すでしょ?その後、加害者と友達になったり恋愛対象になったり被害者もできるでしょ?」という考えですよね本作も。でも「3月のライオン」作者は被害者寄りで、「絶対許さない!」と結論付けています。 善悪論ではなく、どっちが加害者・被害者双方の心情描写として現実味があるか?という意味で、断然「3月のライオン」でしたね。僕個人的には。「3月のライオン」も良作ですのでおススメです!{/netabare}

 サンキュー(11)
2018.07.12 12:38 Robbieの評価 | 観終わった| 68が閲覧 ★★☆☆☆ 2.2 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 2.0  作画 : 3.0  声優 : 3.0  音楽 : 1.5  キャラ : 1.5

ビックリした

所詮、流行りものだろと思って観てみたが素晴らしかった。
まず、なんといっても早見沙織さんの演技が素晴らしかった。
また、京アニだけあって作画も素晴らしかった。
満点は、付いてないがストーリーとキャラももちろん良かった。
ただ、キャラの行動原理が少し分かりにくかった。
主題歌は良かったが、BGMが悪目立ちしている箇所があったため残念だった。
とにかく考えさせられる作品だった。
劇場まで観に行けばよかった...

 サンキュー(10)
2018.07.06 15:46 kuroko85の評価 | 観終わった| 33が閲覧 ★★★★★ 5.0 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 5.0  作画 : 5.0  声優 : 5.0  音楽 : 5.0  キャラ : 5.0

私から聲を奪った作品

この超話題作を今頃見てしまいました。
(しかも娘に紹介される形で)
しかし、凄いなー、現代の日本アニメは、、、
こんな題材に真っ向勝負なんて!
(京アニすげー)

実は私は昔、少しレトリックの勉強をしていました。
ですからどんなものでも、ある程度
体をなして表現する事が出来ます。
(出来ると思っています)
これは少し自慢させて頂ければ、
表現する事の難しさを知っているという事です。
そしてこの作品のレビューを表現しようとした際
どこを切っていいのか、どこを煮ていいのかさえ
迷いました。
題材か、表現か、
題材なら障害か、贖罪か、純愛か、それとも日本と言う島社会が
本質的に抱えている閉鎖的社会性か。
表現なら完璧なまでの個性か、機微を描く描写の妙か、
わざと音を使わない演出の妙か、
(あの顔に✖の演出すげー)

そこで私は諦めた。
私如きが表現出来る程、矮小な作品でないと実感しています。
【聲の形】というタイトルでありながら
饒舌な私から【聲】を奪った作品にただひれ伏すのみ!

 サンキュー(9)
ネタバレ
2018.07.03 13:32 satoshidazの評価 | 観終わった| 21が閲覧 ★★★★☆ 4.9 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 4.5  作画 : 5.0  声優 : 5.0  音楽 : 5.0  キャラ : 5.0

良い。

見終わってスッキリする映画でした。
胸糞悪いシーンもあるけど
全部、清算されるのがいいとこでした。

アフターストーリー作って欲しいね!

 サンキュー(3)
2018.06.30 22:29 千樹の評価 | 観終わった| 24が閲覧 ★★★★☆ 4.7 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 4.0  作画 : 5.0  声優 : 5.0  音楽 : 5.0  キャラ : 4.5

シナリオ大好きです。

切なさもあり、感動しました。
ヒロインのキャラクターは可愛いです。

 サンキュー(5)
ネタバレ
2018.06.23 01:34 ワドルディ隊員の評価 | 観終わった| 73が閲覧 ★★★☆☆ 3.2 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 2.0  作画 : 4.5  声優 : 4.5  音楽 : 3.5  キャラ : 1.5

早見沙織の演技は素晴らしい

この作品は、大今良時氏の漫画「聲の形」を
原作としたアニメ映画である。
アニメ映画を通じて、原作を知ったため漫画に関しての詳しい
コメントはできない。
ちなみに、酷評気味に書いてあるため
この作品が好きな方は見ないことを推奨する。

改めて見直してみると、かなりの長文になってしまったので
渋滞時の時間つぶしや、寝付けないときの道具に活用するか位の
心構えで見て頂ければ幸いだ。

あらすじに関しては、他の方がレビューを書いているので
それを参照したほうがいいだろう。ここに書かなくても
知っている人は多いだろうし。

京都アニメーションが制作しているということもあり、
作画にはとても気合が入っている。また、演出部分に関しても
こだわりを感じられる。私自身、ここ最近の京アニ作品を
見ていなかったということもあり、どこが良いのかピン
と来ていなかったが、安定と信頼の京アニと呼ばれる
理由が分かったような気がする。

植野は、ぶっちゃけ好きなキャラクターではないが
硝子をいじめた側の人間の中では、高く評価している。
なぜ、硝子をいじめるようになったのかを本人に直接
ぶつけている描写があったからだ。自分がいじめていたことを
きちんと自覚し、尚且つ2人きりで向き合った行動は凄いと思う。
だからといって、彼女が過去に犯した行為は許されるものではないが。

書いていて、余り気持ちのいい物ではないが、いじめた側
の人間の描写は丁寧に描かれていたように思う。小学校時代の
石田は、クズと言われても仕方のないレベルだし、植野や川井が
やってきた行為もかなり悪質である。
島田や広瀬は、植野や川井の行動に便乗した形で、いじめの
ターゲットを変えてきている。

特に悪質なのは川井というキャラで、八方美人的な性格が強い上、
自分の都合のいいように解釈するという危険人物。硝子をいじめた
自覚がないというのが厄介なもので、都合が悪くなれば他の人間を
巻き込もうとする悪癖も兼ね備えている。尚、原作では
「心底気持ち悪い」と鋭い指摘を受けており、
それにはかなり参ったらしい。当たり前だが。
川井の様な人間と出会ってしまった場合は、警戒する必要
があるなと常々感じた。

一番の原因は、竹内という悪徳教師が存在していたことだが。
教師がいじめを止めないとどうなるかというのを示したという
意味では成功した作品だと考えている。
とりあえず、竹内の様な教師は一刻も早く解雇して欲しい
ものだ。顔も見たくない。

この作品において、私が一番評価した点は、ヒロイン西宮硝子
を演じた早見沙織の演技力である。ヒロインが、先天性の
聴覚障害を持つ少女だということも相まって
演じるのはかなり難しかったと思われる。最後まで、きちんと
演じきった彼女は本当に素晴らしい声優だと誠に感服した。

ここから先は、気になった点を述べる。
定期的に、足のみが挿入されるシーンがある。一回や二回だけ
なら気にならなかったがかなりの頻度で使用されたので、
気持ちが映画からそれてしまった。
よくよく調べたら、山田尚子氏がよく使用する技法であること
が判明した。彼女によれば、「人は足に一番感情が表れる」とか。
なるほどね。確かに、足の動きは心情に反映されているのは
的を得ていると思うし、その演出自体は良い試みだと思う。

それにしては、余りにも足の出番が多いような気がするが。
彼女にとっては、足が本体で、顔がアシストという考えなのだろう。
もしや、足フェチではあるまいな?まあ、これは私の戯言なので
流石に違うと思うけど。

尺不足かなと感じる部分が見受けられた。まず、気になったのは、
主人公の中学校時代である。なぜなら、中学校時代の石田を少し
見せただけで、終わってしまったからだ。
高校生時代をメインに描いているとはいえ、もう少し中学校時代
の彼を描写して欲しかった。

尺の都合で一番割を食らってしまったのは、真柴 智という人物だ。
彼は、高校編で登場する石田のクラスメイトであり、川井の恋人
として位置づけられていた。見終わった後、彼について
調べていたが、いじめを受けた過去があったのが分かる。
しかも、竹内という悪徳教師が主人公とヒロインに言い放った
侮辱を見て、水をかけた正義感あふれる人物である。

本来ならば、ある程度真柴にも焦点を当てなければならない
のだが、130分のアニメ映画では限界が来たのだろう、彼に
ついての描写が完全に省かれているのだ。
そのため、川井についてくるだけのマスコットにしか見えず、
彼に対して感情移入することが出来なかった。ぶっちゃけ、
無理して彼を登場させる必要はなかったのでは?まあ、
今更こんなことを書いても仕方ないが。

主人公が、いじめのことを引きずるのは分かるし、硝子
に過去の事を謝りたいというのもかろうじて理解できる。
だが、「友達になれるかな?」とはどういう風の吹き回しか。
いじめられた側は、いじめた側の人間の事を骨の髄まで覚えているものだ。
いじめられた側は許すどころか、激怒するに決まっている。
むしろ、二度と顔を見せるなと一蹴するだろう。ふざけるのも
大概にしてもらいたい。

ただ、それ以上に理解できないのは、いじめられた側の
人間である硝子が主人公を許すどころか、恋愛感情を
抱いてしまっているのだ。これは一体どういうことなのだ!?
まあ、百万歩譲っていじめを許せたとしても、恋愛に辿り着く
というのはかなり不自然で不気味に見えてしまった。
末恐ろしい恐怖は正にこのこと。

実はこの作品、ホラー物だったのではあるまいか?まあ、
それはそれで興味深いものに仕上がりそうだが。
私が硝子と同じ立場の人間だったら、
絶対許せないし、確実に恨むのだが…。
「人間って… 面白!!」とどこかの死神が呟きそうな展開ではある。
終盤で、硝子が自殺を図るのも唐突すぎて頭が追い付けなかった。
これは、人間は弱い生き物だよということを比喩したのだろうか。
原作の場合は、どうだったのかかなり気になるところだ。

ラストに関しても、自分にはしっくりこなかった。いじめた
人間への免罪符という風にしか見えなかったからだ。
これを劇場で見ていたら、激昂していたのかもしれない。

この作品が、いじめを題材としているということも相まって
視聴者の生まれ育った環境にかなり左右されるアニメ映画だと感じた。
いじめの教材として見るならありだと思う。

 サンキュー(15)
2018.06.17 21:05 たからの評価 | 観終わった| 286が閲覧 ★★★☆☆ 3.8 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 3.5  作画 : 4.5  声優 : 4.0  音楽 : 3.5  キャラ : 3.5

《感想》賛否両論ありますが、じぶんは良かったです。

《レビュー》
賛否両論はヒロインの子が障害を持っていていじめられているシーンや、この漫画は公に公開するべきではないと思う人も絶対います。

ただ、あくまでそれは個人の好き嫌いみたいなものです。いじめについての映画がどらくらいあるか知らないけど、メディアが取り上げづらい題材の漫画をアニメ映画化したのは正直驚きです。実際に出来上がったのは映画としてのエンタメ性には少し欠けるように思いました。


本作の魅力。もちろん社会派漫画ということで、コミュニケーションについて、障害を持った人にたいしての態度などをすっごく重く描いてることです。

もう一つは主人公・石田将也と喋れないヒロイン・西宮硝子を中心とする物語の展開を楽しむ事ですね。原作は他のキャラ達にも焦点を当ててましたけど、映画では石田と西宮の2人を原作より印象が強くなるような作りになってた。原作読んでから時間が経ってるからまた読み返そう。

作画は流石京アニクオリティ。★5.0です。

声優は早見沙織さんの演技がすごすぎる(小並感)。喋れないキャラが頑張って喋ってる時の声の出し方とかすごかった。西宮硝子はかなりのハマり役だと思います。ただ、賭ケグルイの主人公みたいにハマってないキャラもいます。

{netabare}
西宮は喋れないから、コミュニケーションをとるのが難しい。でも、喋れなくても声はいろんな形にできる。例えば紙書いたりメールだったり。それに付き合える心の広さが必要何になってくる。ちょっと嫌な書き方になってすいませんm(_ _)m

西宮硝子の喋れなくても「好き」という気持ちは声で伝えようとしたところは良かったです。口で伝えるべきこととかの区別が西宮硝子にあったみたいです。そして、西宮硝子をそこまでにした将也はいけないやつだ笑 石田将也は許されるべき人間かなんて自分には分からないけど、この2人の関係がこうなって良かったと思います。
{/netabare}

《スタッフ》
監督・山田尚子(やまだ なおこ)←『けいおんetc…』

脚本・吉田玲子(よしだ れいこ)←『ガルパン,カレイドスターetc…』

原作・大今良時(おおいま よしとき)←『マルドゥックスクランブルetc…』

音楽・牛尾憲輔(うしお けんすけ)

《キャスト》
{netabare}
「石田 将也(いしだ しょうや)」
CV:入野 自由(いりの みゆ)←『小早川瀬那(アイシールド21)etc…』

「西宮 硝子(にしみや しょうこ)」
CV:早見 沙織(はやみ さおり)←『雪ノ下雪乃(俺ガイル)etc…』

「西宮 結弦(にしみや ゆずる)」
CV:悠木 碧(ゆうき あおい)←『鹿目まどか(まどマギ)etc…』

「永束 友宏(ながつか ともひろ)」
CV:小野 賢章(おの けんしょう)『ハリーポッター・吹き替え(ハリーポッターシリーズ)etc…』

「植野 直花(うえの なおか)」
CV:金子 有希(かねこ ゆうき)

「佐原 みよこ(さはら ー)」
CV:石川 由依(いしかわ ゆい)←『ミカサ(進撃の巨人)etc…』

「川井 みき(かわい ー)」
CV:潘 めぐみ(はん ー)←『ゴン=フリークス(HUNTER×HUNTER)etc…』

「真柴 智(ましば さとし)」
CV:豊永 利行(とよなが としゆき)←『竜ヶ峰帝人(デュラララ)etc…』

「石田 美也子(いしだ みやこ)」
CV:ゆきのさつき(ー ー)←『日暮かごめ(犬夜叉)etc…』

「西宮 八重子(にしみや やえこ)」
CV:平松 晶子(ひらまつ あきこ)←『赤木晴子(スラムダンク)etc…』
{/netabare}

 サンキュー(56)
2018.06.02 15:11 阿紫カービィの評価 | 観終わった| 355が閲覧 ★★★★☆ 4.0 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 4.5  作画 : 4.5  声優 : 4.5  音楽 : 3.5  キャラ : 3.0

悪が存在しなければ 善も存在しないのか?

私は
人に意地悪しません。
人の悪口も言いません。

何故なら
『ブスになりたくないから』単純明解です(笑)

だからなのか、
この作品を観ながら、本当に嫌な気持ちになったし、怒りで気がおかしくなりそうでした。

冒頭
高校生の将也君が
『過去の贖罪』のためか、自殺をしようとします。

でもね、
あからさまに『死の支度』をする人は、死ねません。
その行動で、将也君の弱さ、意気地のなさが露呈しましたね。

(本当に、自ら死を選んだ人は
誰にも気づかれないように…突然居なくなるのですよ。)


THE WHOの音楽にのせて、
やんちゃな将也君の小学生時代に舞台は変わり、

聴覚障害をもつ硝子ちゃんが転入してくるのですが


この担任の先生、酷くないですか?
聴覚障害をもつ子が転入する事の説明をまず事前にすべきだと思うのですが…
いきなり
『自己紹介して』と、硝子ちゃんに言った時、私の怒りメーターはMAXになりました。

今の『学校』はこんなに酷いのですか?

そこから、目を背けたくなる描写が続きます。
痛々しくて、なさけなくて、残酷です。

硝子ちゃんは…きっと
自分が虐められることよりも、虐めの『標的』が、他のクラスメイト(将也君)に代わった事の方が、辛かったのではないでしょうか?

硝子ちゃんは転校し、

舞台は再び高校生に戻るのですが、
中学生時代が抜けてます。中学生時代の将也君は?

まぁ、良いとして、

虐めた事、虐められた事をずっと引きずって、『死の支度』の最後が、硝子ちゃんに逢って、謝罪をする事。
全く成長していない将也君、なんなんだろう?(笑)


硝子ちゃんはとっくに
『過去』は『思い出』として大事に自分のものにできているのに。

それにも気づかないで、
自分の気持ち、考えを押し付ける将也君。

あげくに、また小学生時代のクラスメイトが出て来て、(その人達も全く成長していない様だった)

もう地獄絵図です。



硝子ちゃんは立派に生きている。


もう、そっとしてあげて。

それが、私の感想です。



自分語りを少し。

私は、心ない出来事で、1年半くらい、『失声』した事があります。
一生懸命、喋ろうとしても、声が出ないのです。
そのうち、話す気持ちもなくなりました。

主に『筆談』でコミュニケーションをとっていましたが、不自由ではなかったです。ただ、

『ありがとう』が、声で伝えられない事が、辛かったのを覚えています。

今思うと、
良い経験をした、本当にそう思います。


長くなりましたね。
読んでくださり、本当にありがとうございました。



あ、
この作品を観る前に、原作読んでおきたかった!です。

 サンキュー(53)
ネタバレ
2018.05.28 14:41 田中助次郎の評価 | 観終わった| 23が閲覧 ★★★★☆ 4.3 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 4.0  作画 : 4.5  声優 : 4.5  音楽 : 4.0  キャラ : 4.5

見終わった後の複雑な気持

私の小さい頃の記憶もよみがえってきた
序盤、中盤、終盤で物語の流れが変わり、
序盤の予想はどんどん裏切られていく
ヒロインの描写はすばらしいが、感情表現も言葉も少なく
考えていることを読み取りのはとてもむつかしい

 サンキュー(5)
2018.05.28 13:03 あぱぱの評価 | 観終わった| 123が閲覧 ★★★★☆ 4.9 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 5.0  作画 : 5.0  声優 : 5.0  音楽 : 5.0  キャラ : 4.5

「ごめんなさい」の意味

視聴回数は二桁回数。

人それぞれで、さまざまな受け止め方ができる作品です。

主人公、ヒロイン、二人を取り巻く周りの人たちのコミュニケーションが、
この作品を何度も見てしまう鍵になっています。

「ごめんなさい」だけでは伝えきれない「聲」を何度も聞いてほしいです。

世代を問わず、すべての人に鑑賞していただきたい作品です。
特に自分の事が嫌になった時や、自分の周囲を見つめなおしたい時に
視聴すれば、胸の内に変化があるかもしれないと思います。

私は、この作品の人間らしさが共感できます。いいとこも悪いところも。

(余談及び追記)

「ごめんなさい」とは「何が」「ごめんなさい」なのでしょうか?
相手に対して「何が」が伝わらなければ、「ごめんなさい」という言葉は、「負の言葉」として相手に伝わることもあります。

世の中では察しのいい人ばかりではありません。
「何が」を言わなくて伝わるだろうというのは、言った本人の傲慢になってしまいます。

「負の連鎖」は、どんなポジティブな人でも、本人が望んでいなくてもネガティブな思考へ取り込まれてしまうことがあります。

この作品を視聴されいる途中で「負の連鎖」に飲まれてしまうと、作品全体が否定的な視点でしか見られなくなります。これは私の感じた経験です。

上記にも書かせていただきました「ごめんなさい」をすべて「ありがとう」に変換して視聴されると、台詞の意味合いは変わってしまいますが「負の連鎖」から少しだけでも遠くから見えるようになると感じていますので、もし再視聴される機会がありましたら、試していただきたいと願っています。

誰しもが自分の気づかないところで「相手を傷つけているかもしれない」という思いやりの気持ちで接すれば、哀しい想いをせずにお互いに幸せになれると信じています。

肉体への暴力、言葉の暴力、どちらも許される事ではないですが、作品を見ている自分自身が変わらないと、同じ過ちは永遠に減ることはないと思っています。

 サンキュー(18)
ネタバレ
2018.05.28 03:20 おさーんの評価 | 観終わった| 29が閲覧 ★★★★☆ 4.5 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 4.5  作画 : 4.5  声優 : 4.5  音楽 : 4.5  キャラ : 4.5

この映画、好きです。

美しく心が浄化される
喜怒哀楽を与えてくれた
必見!

 サンキュー(3)
2018.05.24 22:43 ちあきの評価 | 観終わった| 42が閲覧 ★★★★★ 5.0 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 5.0  作画 : 5.0  声優 : 5.0  音楽 : 5.0  キャラ : 5.0

閉ざされた世界、開けていく世界

耳をふさげば聞こえない。目を背ければ見えない。心を閉じればわからない。
そうやって五感が鈍り、心までもが鈍り、麻痺していく。
そして世界が暗く冷たいものになっていく感覚。身につまされる想いで観ていました。

しかし、世界は決して暗く冷たいだけのものじゃありません。
何かをきっかけに繋がることがあります。おそらく、それは伝わる事。

自分の事、相手の事。伝わって繋がって変わっていく。
閉ざされた世界が開いていく。

伝わるってきっと声だけじゃない。言葉だけじゃない。
"それ"を知って、開けていく世界を感じた時は涙が出るほどに心震える。

良い作品でした。

 サンキュー(9)
2018.05.23 21:00 ☆ェみーる米麹麦子の評価 | 観終わった| 85が閲覧 ★★★☆☆ 3.7 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 3.5  作画 : 3.5  声優 : 4.0  音楽 : 4.0  キャラ : 3.5

breath

障害者との恋愛話と聞いてて
絶賛されてたけど
まぁ、私の天邪鬼精神が恋愛かぁ、、、と
視聴を躊躇っていた

でも、見てみるといじめや葛藤
伝えるということ
聾唖者についてや恋愛など
テーマはある意味普遍的で

呼吸するの辛い時があるよね

ふと疑問があって
今は聾唖学校に行かないのかな?
知ってる人たちは皆聾唖学校行ってた
発達やダウンもゴリ押しで最近普通クラスに
入れるという話は聞いたことがある

OP良かった

障害あるなしに下向かないで
10代ならではの青春味わってほしいなって
実際、すごく苦しむ時間なんだけど
悩むのは後でいいから、楽しんでよって思った

花火はさすがやで
京アニ女の子可愛いし

綺麗事って斜に構えてみるのよりも
素直に疑問持たずに見た方がいいと思える確率高い

 サンキュー(14)
2018.05.23 19:59 kenkenpaの評価 | 観終わった| 41が閲覧 ★★☆☆☆ 2.2 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 1.0  作画 : 4.0  声優 : 3.0  音楽 : 2.0  キャラ : 1.0

前半重すぎる

前半が糞過ぎ、苛める奴が嫌いな人には前半で耐えきれないかも!!主人公に100回くらい死ねと思ってしまった、後170万を燃やす馬鹿親にも苛ついた
てか高校生で170万なんて貯められるわけねえし、
出だしは最悪、最後まで見れるのか俺は

一応最後まで見ました

評価高くて結構期待したが期待外れ、感動要素ってどこ?主人公がきもすぎて好感持てない

そもそも西宮は主人公のどこに惚れた?苛められてただけじゃんマゾなの?
これ見て感動した人ってどこで泣けた?かなり涙もろい俺が涙腺に全く響かなかった、どこで泣けたんだああああああ

最終評価としてはシナリオが意味不明、登場人物もろくな奴がいない、後見てて苦痛にしかならず、評価書くためだけに気合で観きった

まあ流石京アニ、女の子だけは可愛いし作画も流石、それ以外になんもありませんでした

バイオレットエバーガーデンは毎週泣かせてもらったんだがなあ

 サンキュー(1)
2018.05.12 07:11 384の評価 | 観終わった| 36が閲覧 ★★★★☆ 4.1 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 4.0  作画 : 5.0  声優 : 4.5  音楽 : 3.5  キャラ : 3.5

地元、大垣がモデルになってるアニメ映画!

高校生の時毎日利用してた大垣駅と、その周辺がモデルになってる…しかも京アニ産やと!?そら見んといかんわ!!…と思って視聴。笑

まあ、本当にただ『モデル』になってるだけではあったけど見覚えのある風景が沢山出てきて感無量!!
作画、演出も流石京アニ、流石声優陣(幼少期の主人公を除いて)で文句なし!

だが内容としては『イジメ』と『聴覚障害』を題材にしたストーリーで、現実でそれらと深く触れずに生きてきた私的にはフツーに感動したけど、
ちょっと簡単に自殺し過ぎじゃない??とかちょいちょい思う所もあったりで、評価は賛否両論しそうかもね。

 サンキュー(7)
ネタバレ
2018.05.12 02:17 試しに作ってみたの評価 | 観終わった| 58が閲覧 ★★★★☆ 4.0 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 4.0  作画 : 4.0  声優 : 4.0  音楽 : 4.0  キャラ : 4.0

今までになかった聴覚障害の子のアニメ映画

耳が聞こえないっていうことは、こんなにも、苦労するのかな。
人によっては、賛否両論あると思うけれど、少なくとも私は聴覚障害について考えさせられ、とても勉強になった。

それと、手話の「あなた、私、友達。」のところ、手の動き上手にかかれてて、すごくよかった。手話はできないけれど、覚えてみたいなって思った。

前半は恋愛あり、いじめのシーンありで、どきどきしながらみてました。でも後半は少しぐだぐだ感があった気がする。心理変化を描きたいのだと思うが、なんか腹立たしい。人の過去とか、悪口みたいなことばかり話して、なんだかいやだった。

結局は、友情物語?それとも、障害の子に焦点を当てた作品?最後の学園祭のシーンで、周りの学生の顔からばってんが剥がれていく様子が描かれて終わったから、主人公の成長ストーリーなのかな。

主人公が退院した後の話をもう少し長くみたかったから、もったいなかった。
でも全体として、素晴らしい作品だった!


あと個人的に考えたこととして、
西宮さんについては、お母さんしかでてこなかったから、きっとシングルマザーの家庭の設定だと思う。普通の子をお母さん一人で育てていくのもすごく大変なのに、障害を持った子を一人で育てるのはもっと大変だと思う。この映画では妹が親代わりみたいなところもあるけれど。。
とにもかくにも、障害をもったひとも、みんな幸せに暮らせる世の中になってほしいって考えた、そんな素敵な映画でした。

 サンキュー(7)
2018.05.02 17:30 マリーさんの評価 | 観終わった| 53が閲覧 ★★★★★ 5.0 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 5.0  作画 : 5.0  声優 : 5.0  音楽 : 5.0  キャラ : 5.0

良作!

いじめ描写があるという理由で避けていた作品でしたが勉強がてら見ることにしました。
私自身少しばかりですがいじめる側といじめられる側の両者を経験したこともあり、主人公の気持ちが涙がでるほど伝わってきました。
私はアイデンティティを守ることでいじめは起こってると思っています。
いじめをなくすには相手に配慮する気持ちが大切です。憲法第13条が規定する「個人の尊厳」を大事にしてほしい。
多くの方に「聲の形」を見てほしいです。

作画や音楽の感想
京アニは氷菓以降つまらない作品を制作する会社の印象でしたが、今回は全てにおいて完璧でした。綺麗な川、気持ちいい空、気温を感じ取れる描写、音響が大好きです。

 サンキュー(6)
2018.05.02 14:26 designingの評価 | 観終わった| 50が閲覧 ★★★★☆ 4.4 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 4.5  作画 : 5.0  声優 : 4.0  音楽 : 4.0  キャラ : 4.5

マリア

感想はみんなが書いてるようなのと同じなので、
マリアについて書こうと思う。
マリアはなぜかずっと笑ってる。
なんでずっと笑ってるんだろう、
と考えたとき、あるひとつの答えが出てきた。
マリアも幼稚園でいじめられてるのではないか?
笑ってれば誰かが友達になってくれるかも。。。とかそういう可能性。
考えすぎか。
そういう裏設定的なものがなければ、マリアは最強にかわいい。
とくに西宮妹が公園の遊具で寝てるときのシーンで、
マリアは遊具の出入り口で、ちょこんと座ってこっちを見て笑ってるのだ。
あれが最強に癒される。

 サンキュー(5)
ネタバレ
2018.04.30 21:38 うどんこの評価 | 観終わった| 47が閲覧 ★★★★☆ 4.5 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 4.5  作画 : 4.5  声優 : 4.5  音楽 : 4.5  キャラ : 4.5

早見沙織すごい

聴覚障害の子を声で演じる、非常にデリケートな芝居をやり通していて、本当にすごいと思いました。

 手話とアニメがすごく相性がいいと感じました。漫画で読んで居る時より、手話の意味を読み取ろうと一生懸命見てしまった。
 画面の端っこで、西宮姉妹が手話で話してるのも、何を話して居るのか、つい注目していました。
 手話の意味を説明しないまま次に行った時、さっきのはなんだ?とぐるぐる考えて、前のめりになって、見入ってしまいました。

西宮さんが居るところでは、耳が聞こえる同士の人が喋っていても、手話を使って話すのが印象的でした。そう言う配慮ができる人間になりたいと思った。

 サンキュー(8)
2018.04.30 03:39 shino73の評価 | 観終わった| 525が閲覧 ★★★☆☆ 3.9 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 4.0  作画 : 4.0  声優 : 4.0  音楽 : 4.0  キャラ : 3.5

美しい人

60年代のロックアンセム、
THE WHOの「MY GENERATION」がオープニングを告げる。

小学校回想。
退屈な毎日を単なる好奇心や面白半分で、
耳の聞こえない少女を虐める主人公。
徐々にエスカレートする虐め。
あまりにも度がすぎて学級裁判となり、
自分がクラスから断罪され孤立する。
保身の為、主人公を売るクラスメイトたち。
罪人の烙印。
どこにでもある無自覚な悪意。

弱いのはしかたがないけど、
ただその弱さを自分よりさらに弱い者になすりつける。
正当化される弱さ、悪意の同調圧力。
ヒロイン硝子の心は何度死んだんだろうか。

{netabare}どのシーンよりも心を掴まれたものがあります。
それは小学生の硝子が持つ筆談ノートでの何気ない日常です。
そのノートに言葉を綴り、
必死に周りとコミュニケートしようとするその少女の姿に。
拒絶され、からかわれても、けなげに笑おうとする少女の姿に心が震える。
少女の「ごめんなさい」がこれほど響くとは。{/netabare}

高校生現在、2人の再会。
償うこと、許すこと。
{netabare}自分のせいでバラバラに、
壊れてしまったものと向き合う硝子。
自己嫌悪と後悔の狭間で揺れ、
他人から目を伏せて生きる主人公
これは現代の罪と罰なのか。{/netabare}

伝えることの難しさ、
ただ素直に生きることの難しさ。
犯した罪はいつ許されるのでしょうか。
そもそも許されるものなのでしょうか。
どうか幸せになって下さい。

心の美しい人になりたい。
今はただそう願います。

 サンキュー(85)
2018.04.22 22:42 オカルトマンの評価 | 観終わった| 32が閲覧 ★★★★☆ 4.0 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 4.0  作画 : 4.0  声優 : 4.0  音楽 : 4.0  キャラ : 4.0

感想

大体のあらすじは知りつつ原作未読で視聴。あまり観たくなかった。

子供の世界は残酷なのになんで普通の小学校に転校してきたのか謎だった。
(大人の世界は汚い残酷さだけどw)
初めは胸糞悪い展開が続きます。極悪顔したガキが酷すぎる。気持ち悪くなってくる。。。

極悪顔したガキ、自分が虐められたからって良いやつに変わり過ぎだろ。
あんだけ酷いことする奴がそんな簡単に変われるかよ。と思いながら視聴。

でもなんだかんだ言いながらみんな成長していくところが魅力なのかな?

後半、植野とかいう893女ほんとに腹立ったw

最後は丸く収まってよかったですね。悪い作品ではないと思います。一度は見ても損はないかと思います。
初めのいじめのシーンが短かったからよかったけど長かったら吐いてたかも。

正直想像よりは大分マシで良かった。

 サンキュー(3)
2018.04.22 20:16 scandalshoの評価 | 観終わった| 551が閲覧 ★★★★★ 5.0 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 5.0  作画 : 5.0  声優 : 5.0  音楽 : 5.0  キャラ : 5.0

障がい、いじめ、生と死、そして母の愛

原作未読。
劇場でも視聴しましたが、いろいろと考えさせられることの多い作品だったため、繰り返し視聴してからレビューしたいと思い、BD購入後のこのタイミングでレビューします。

【初めに】
この作品は多くの方に見て欲しい作品です。
高校生の恋愛物語なんかじゃありません。
障がい、いじめ、生と死、母の愛・・・。重いテーマを次々と投げかけられる作品です。
そして、見終わった後、色々と考えさせられる作品です。

様々な思いの中で、少しずつ成長していく石田将也、西宮硝子、西宮結絃、そして植野直花が見どころです。

【物語】
これだけ重いテーマをよくも2時間の枠に収めたな!と感心するくらい良くできていると思います。
時間の都合上、少々強引な展開もありましたが、それをマイナス要素とするのは酷でしょう。

【作画】
京アニですからね、全く問題無いでしょう!(笑)
特に花火のシーンは鳥肌ものでした。

【声優】
なんといっても早見沙織さんでしょう。
硝子が言葉を発する度に鳥肌が立つほどの怪演。
{netabare}小学生のころ、将也と取っ組み合いの喧嘩をした硝子が発した言葉が、最初に劇場で視聴した時には理解できませんでした。
BDで繰り返し視聴をして、『頑張って!』と聞こえた時には感動しました。{/netabare}

将也の少年時代を演じた松岡茉優さんに賛否があるようですが、私はとても良かったと思いました。

【音楽】
THE WHOの「MY GENERATION」は良かった。
aikoの主題歌は好みが分かれるかも・・・。

【キャラ】
「植野直花」
一見、理に適っているようなことを言ってはいるが、実は一番自分勝手・・・に見えるキャラ。
高校生になった硝子の立場から見れば一番の敵キャラだし、『嫌い』って人が多いだろうな?
実は私もそうだったし・・・。
それだけに、最後の{netabare}手話{/netabare}には感動した。
良かった。ちゃんと成長してるじゃん!

「将也の母」
私の印象は、子供には甘いけど、責任感の強い母親。
{netabare}硝子いじめの謝罪の際、片耳から流血しながら、声も荒げずに「明日からいい子にするんだよ、ね」は衝撃的だった。
硝子の母と植野の喧嘩を止めたシーンも良かった。{/netabare}

「硝子の母」
私の印象は、子供に厳しく、だけど誰よりも子供を愛する母親。
{netabare}重度の聴覚障害のある硝子を普通学級に通わせるとか、小学生には酷なんじゃないかと思った。
しかし、硝子は聴覚に障害があるだけで、知能に障害がある訳ではない。
愛娘の将来の事を考え抜いて出した、苦渋の決断だったんだと思った。

それは、後半のシーンからもうかがえる。
高校生になった将也が硝子を一緒にいるところを見かけると問答用無用にビンタ。
そして、硝子を責める植野にも問答用無用にビンタ。
愛娘を守るためには手段を選ばずに全力で立ち向かっていく母親の姿だと思った。{/netabare}

【最後に】
極力ネタバレ無しでと思っていたんですけど、結局ネタバレだらけになってしまいました。スミマセン。
ネタバレついでに、最後に少しだけ付け加えたいと思います。

{netabare}この作品を視聴して、本当に色々なことを考えさせられました。

【障がいを持つ人とどう接するのが正解なのか?】
本作の硝子のように聴覚障害を持つ人との接し方。
将也や佐原のように手話を覚える?
  それができれば一番いいんだろうけど・・・。
  現実には、手話を知らない人が多いんじゃないかな?
  もちろん私もその一人。
「大きな声でゆっくり話せば分かるんだから」と言った植野。
  これも決して間違いではないと思っている自分がいる。

大事なことは相手の立場に立つことだと思う。
ただ、優しく接すればいいというわけでもないのだと思う。

【これって「いじめ」ですか?】
いじめがダメなんてことは、誰しも理解していることだと思う。
だけど、どうだろう?
『私の職場(学校)ではいじめなんてありません!」
そう断言できる人は少なくないと思う。だけど、
『誰かを無視したり、悪口言ったりとかありません!』 
そう断言できる人がどれだけいるだろう?
悪口・陰口くらいなら、恐らく多くの人が身に覚えがあるのでは?
『悪口・陰口くらい誰でもやってるよね?このくらいなら”いじめ”じゃないよ』

それではなぜ、佐原は不登校になったのだろう?

【母親の愛ってすごい】
将也の母、硝子の母。
タイプは全く違うけど、子供に対する愛情と責任感の強さは計り知れない。
謝罪のためにピアスを引きちぎった将也の母親。
同じく謝罪のために、公衆の面前で土下座をした硝子の母親。
どちらも本当に立派だと思った。

そして、何より、自分の身の回りの人に同じようなことをさせてはならないと思った。{/netabare}

 サンキュー(93)
2018.04.21 14:43 ◇fumi◆の評価 | 観終わった| 398が閲覧 ★★★★☆ 4.9 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 5.0  作画 : 5.0  声優 : 5.0  音楽 : 5.0  キャラ : 4.5

天使じゃないキャラ達による視聴者が救われる物語

2016年公開の劇場版アニメ 129分

原作 大今良時 監督 山田尚子 脚本 吉田玲子 音楽 牛尾憲輔
総作画監督 西尾太志 音響監督 鶴岡陽太 制作 京都アニメーション

オープニングテーマ The Who 「MY GENERATION」
エンディングテーマ aiko 「恋をしたのは」

舞台は岐阜県大垣市 岐阜県養老町の養老天命反転地

繋がりたいけど繋がらない、伝えたいけど伝わらないというディスコミュニケイション。

全体を通して描かれるのは、主人公「石田将也」の心のさまよい。
道徳と言う現実を知る以前の幼き日に犯してしまった罪に対する葛藤はついには自分を押しつぶすが・・

能面の様に張り付いた笑顔の下に、障害を持って生きることに立ち向かい続ける少女「西宮硝子」。

社会的に難しいが、今描かなくてはならない重大なテーマに取り組んだスタッフの本気こそが見どころ。
普通はエンターティメント作品としては邪道ではあるが、
あえて、物語よりも前面に押し出すことで視聴者とのディスコミュニケーションを回避する。
これは間違って伝わってはいけない物語であるという決意が感じられる。

Shape of Voice と言うタイトルで全世界に発信する小さくとも揺るがない物語として、
自分も揺るがない満点評価としました。

この作品の最も重要な要素は音である。
前作「響けユーフォニアム」で音響監督の鶴岡氏と対立的な立場であったといわれる山田尚子監督は、
鶴岡音響監督を全幅の信頼の元、「聲の形」を名作に仕上げました。
声優に関しては吉田玲子氏と共に厳しい指導で一切の無駄な音を排除し形ある言葉だけを選びました。
そして、雑音と共に響くバッハのインヴェンション。
アンドレイ・タルコフスキーの作品にも迫るほどの完成度。

それ以上に重要かもしれない要素があります。
無表情で厳しい現実を甘くデコレートしたアニメ特有の技術。
これが、自分のタイトルにつながります。
救われるのは視聴者の魂であるのです。
「けいおん」「たまこラブストーリー」は「聲の形」に昇華されました。
まったく山田尚子さんという人はアニメ監督になるために生まれてきたような天才でした。

音響技術によって再現された「西宮硝子」に聴こえる異質の音。
これが優しい世界に触れたように感じられる演出は見事の一言です。

障害者は常に他人に傷つけられ続けているのです。
それならば、自分が選ぶべき行動は?
考えてみてください。本当に救われるのは誰なのかを。

 サンキュー(57)
ネタバレ
2018.04.15 00:30 fuushinの評価 | 観終わった| 250が閲覧 ★★★★☆ 4.7 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 5.0  作画 : 5.0  声優 : 4.5  音楽 : 4.0  キャラ : 5.0

私たちぬきで、私たちのことを決めないで。

このアニメを観て思い出した言葉です。

出だしから、いささか硬めで申し訳ないのですが・・私たちは、民主主義というルールの中で暮らしています。
民主主義。・・・耳あたりのいい言葉ですが、問題点がないわけではありません。構造的に、どうしても多数の意見が優先されますから。

●民主主義と憲法と。硝子と将也と。
{netabare}
私は小学6年で、民主主義を憲法の学習で学びました。
憲法には、国民主権、基本的人権の尊重、戦争の放棄(平和主義)の三大原則があると。それが民主主義の根幹だと知りました。
先生は噛んで含めるように丁寧に教えてくださいましたが、なんだかとても難しい授業でした。

民主主義は、人が幸せに暮らすための手法・手段です。(目的ではありませんね。)
小学校、中学校から体験的に身につくように学び始めます。理屈でわからなくても大丈夫。クラス運営、生徒会活動、クラブ活動、ホームルームで体験的に学習していくのですね。身をもって学ぶ「実学」ですね。

今は18歳になると「選挙権」が付与され、地方政治や国政にも参加することができます。多数決というルールを基本にして、民意を政治(暮らし)に反映できるとてもわかりやすい手法・手段・仕組みですね。

ただ、落とし穴もあります。原則として多数決で決するので、圧倒的少数者の「願いと思いは置いてけぼりにされがちになる」ということです。

だれだって幸せな暮らしや、ちょっとでも豊かな生活を願っているし、求めている。これは当たり前のこと。憲法13条にも「幸福追求権」として明文化されています。

日本国憲法 第13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

文調は格調高くてよろしいのですが、少数者には13条のありがたみや利益がなかなか実感できないところが難点ですね。
ポイントは「公共の福祉」です。
「公共」とはどの立場から見たものか。明らかに絶対的多数者か行政権を掌握している側ですね。その最高の価値が「国」ですね。それは国民ならだれもが肯定する概念ですね。

今の時勢でいえば、TVで憲法論議がたけなわです。いろんな立場の人がいろんな意見を論じられています。意見を交わすこと、討論することは素晴らしいことだと思います。でも・・・。

硝子と将也は、選挙権もないし、コミュニケーションも十分に取れないのです。いったい彼らはこうした議論にどう参加し、主張し、表現すればよいのでしょうか。
もっと言えば、大人の側が、どんな配慮や、支援や、指導をすればいいのでしょうか。どうすれば彼らが健やかにのびのびと成長できるようになるのでしょうか。

実は、つい最近まで、高校生にとって、憲法を学ぶこと、民主主義(国民主権、基本的人権の尊重、戦争の放棄(平和主義))を学ぶ機会はほとんど保証されていませんでした。
まぁ端的に言えば、ほったらかしにされていたっていうことですね。(卒業したらすぐに大人扱いされるの、困っちゃわないかなぁ)
それで、ちょっと気になったので調べてみました。

高校の場合は、
{netabare}
学習指導要領によると、教育課程における憲法教育等について、4つの指導ポイントが示されていました。主に、「公民の現代社会」の項目で教えることになったようです。(平成21年3月告示。一部抜粋。)

①現代の民主政治と政治参加の意義、民主社会において自ら生きる倫理について自覚を深めさせる。
②個人の尊重と法の支配、他者と共に生きる倫理について自覚を深めさせる。
③現代の経済社会と経済活動の在り方、その役割と責任について考察させる。
④国際社会の動向と日本の果たすべき役割及び日本人の生き方について考察させる。

平成25年度(2013年4月入学)からの入学生から年次進行で実施することなりました。
ということは、つまり、今現在で21歳以上の方は、憲法教育をほとんど受けていなかったのですね。
{/netabare}

ちなみに中学校の場合は、
{netabare}
平成24年度(2012年4月)在籍の生徒さんで、「公民的分野」、たぶん3年生時のなかで全面実施されています。20歳以下の方は学んできているはずです。内容は・・・、

①我が国の政治が日本国憲法が基礎となっていて、基本的人権の尊重、国民主権、及び平和主義を基本的原則としていること
②日本国及び日本国民統合の象徴としての天皇の地位と天皇の国事に関する行為のこと。
③法に基づく公正な裁判の保障、国民の政治参加、選挙の意義について。

いかがでしょうか?こういう①~④(または①~③)にあたる授業を受けた記憶はありますか?
具体的に言えば「裁判官裁判」は授業にありましたでしょうか?
高校で、倫理と責任、生き方について自覚を深めるような授業は受けましたでしょうか?
{/netabare}

物語的に言えば、硝子も将也も、授業で学んだかどうかは微妙ですね。
{/netabare}

●本作の評価は、いろいろあるし、なかなか難しそうですね。
{netabare}
「障害者へのイジメなんて許せない」、「自殺を表現するなんて間違っている」、「障害者を使った感動ポルノ作品」、「青春群像劇、恋愛ストーリー」、「コミュニケーションの難しさ」など多様な表現で評価されています。

逆説的に言えば、それだけ多様な要素をはらんでいる時代性がある作品だということですね。そのうえで「高い評価」を得ている点において、観るべき内容と価値は十分にあると思います。

さて、今の世は、大人の世界でもコミュニケーション障害(以下、コミ障)などと揶揄される時代です。
本作の硝子と将也、その仲間たちの「聲、表情、行動」その一挙手一投足のなかに、コミ障の息苦しさが表現されているように感じます。
一人ひとりが大事にされる時代のはずなのに、なぜそういう閉塞感や疎外感を感じるのでしょうか?
その視点でレビューをしてみたいと思います。


硝子と将也は、「何かよくわからないのだけれど、ままならないネガティブな感情」と「何かうまく表現できないけれども、心に置きとどめておきたいポジティブな感情」に気づき、関心を持ったところからストーリーが始まります。
「名前のない気持ち」。それは何でしょうか。2人は何に気づいてしまったのでしょうか。

★将也。
{netabare}
今まで疑いようのなかった彼の世界に、彼の理解の範疇を超えた別の世界が触れ始めます。始まりは本当に何気ないものでした。
「しょうちゃん」
自我の象徴でもあるその呼称が、いきなり他者のそれと結び付けられるときのアイデンティティーの微かな揺らぎと、シンクロニシティへの朧げな興味。まず、それに気づいてしまいました。

彼は、硝子のコミ障の実相を理解することができません。どう受け止めればいいのかも分かりません。たぶん、彼の生い立ちには感じ得なかった感覚でしょう。そしてそれは、気にせずとも気になる感覚です。

将也は将也なりに、硝子がクラスに溶け込めないことを気にしています。手を差し伸べもするのですが、と同時に、自分の言い分や接し方がうまく通じないことへの苛立ちも感じ、もやもやした気持ちを硝子にぶつけます。

将也の心に宿った相反する感情は、とてもナーバスなもの。そのまんじりともしない感情に向き合えないまま、やがてその原因が、あたかも硝子にあるかのように、そしてまるで頭から追い払うかのように、彼女のアイデンティティーの象徴でもある補聴器を取り上げては捨ててしまいます。何度も何度も。

将也は自分のアイデンティティーを守ろうとしただけ。
硝子とのコミュニケーションの必要性を感じなかっただけ。
硝子とのシンクロニシティの居心地の悪さを感じていただけ。
その理解と選択が、どんな状況と結果を生み出すかイマジネーションを持てなかっただけ。

そんな将也に、硝子は、事あるごとに微笑み、「ありがとう」と伝えます。
それは、反発を持って硝子に接してきた将也にとっては「意味がわからない」ことでした。
聞こえず喋れない硝子。冷たく突き放してもいつも微笑んでくる硝子。
ついに将也は二進も三進もいかなくなって、度を超えた態度をとってしまいました。硝子の「通訳ノート」を捨てたのです。

将也の行ないは、どうみてもいきすぎた行為、やりすぎた行動だと批判されることは否めません。でも、私は、仕方ないことだと思います。
将也は、ほかにやりようを知らないからです。
友達も、先生も、母親も、そうなる前に将也に干渉することはしなかったし、将也自身も相談するといったことを誰にも求めませんでしたから。

でも、将也の行動は、「どういう気持ちだったのか? どう整理すればいいのか? どんな解決方法があるのか?」といったことをクラスで考える大きなチャンスでもあったはず、それは何度でもあったはずだと感じるのです。

将也は、硝子が転校するに至って、今度は降って湧いたように自身がハブられるようになり、将也は自分が硝子にとって「いじめっ子」だったということにようやく気付かされます。
友達と思っていたのに徹底的に無視され、しかも悪評を流されることになった将也は、自分がどんなに硝子に辛辣なことをしてきたか身をもって知ることになります。
しかも、その償いを母にさせてしまったという自責の念は心中に強く働いたようです。
この出来事は、彼にとっては、人とのかかわりにおいて大きな過ちをしでかしてしまった最初の気づきであり、人付き合いにおける価値観のコペルニクス的大転換になってしまったのではないかと感じます。

将也は悔恨し、自分を詰(なじ)り、彼なりのケジメを決心します。
でも、その動機は、母に迷惑をかけてしまったという範囲でのことです。
それがあの橋のシーンですね。
しかし、未遂に終わった彼は、思いもよらずお金が燃えてしまったことで「もう一度やり直す」きっかけを手にします。
そうしてようやく硝子のノートに目が向きます。

ノートの扱いをどうするか・・。こうして将也にもまた、硝子に対する「何かよくわからないのだけれど、ままならないネガティブな感情」と「何かうまく表現できないけれども、心に置きとどめておきたいポジティブな感情」が心中に熾火となって残っていたことに向き合い、「もう一度やり直す」ことにしたのではないかと感じるのです。

将也の行動は、形としては硝子への懺悔と謝罪です。でも自分にけじめをつけたいという自己弁護の気持ちの方が優先されていたように見えました。自分でも思ってもみなかった「友達になって・・」という言葉のあまりの軽さに狼狽する将也。彼自身にもそれはあまりにもご都合の良すぎる手前勝手な姿だと分かったのだと思います。

将也が、硝子にきちんとした謝罪をしたのかどうかはスクリーンには表現されてはいませんでした。(いささか疑問の残る不可思議な演出でした)
が、とにもかくにも硝子との気持ちの糸がつながりはじめます。
{/netabare}

★硝子。
{netabare}
硝子は、将也の自分への激し過ぎる関心に戸惑います。周りの同級生からすれば、間違いなく硝子へのイジメに見えていたでしょう。
硝子にとっては、将也はたびたびちょっかいをかけてきて、大事な補聴器を奪いとるとんでもない男の子だったでしょう。図々しくて、でたらめで、ちっとも悪びれる風でもなくて・・・。
と同時に、ときどき優しいそぶりを見せてくれる男の子でもありました。

硝子は、彼がどうしてそんなことをするのか困惑しているようでした。硝子も将也と同じように、自分の感情を、文字にできないでいたようです。
自分の感情がよく分からない戸惑い、それを伝えるきっかけを作れないもどかしさ、気持ちを受け止めてもらえない悔しさ、なによりも将也の気持ちを聴き取れない辛さを身の内に感じているように見えました。

硝子は幼児期に難聴であることがわかりました。もともと無音の世界が当たり前でした。それは、日本語を音として吸収・理解できないということです。理解できないということは、発声することはむずかしいということ。
補聴器を付けてはいます。1対1のときは有効ですが「1対多」のときはとても難しい。例えば、両方の耳を手で押さえて、前後左右4人から同時に話しかけられても、誰の声なのか、何を言っているのか、指示なのか、非難なのか、応援なのか、つぶやきなのか、判別できないことと同じです。

だから、硝子にとって望ましいコミュニケーション方法は、補聴器がメインではなく、ノートのほうだったのですね。必ず1対1になるし、明確に文字として残るからですね。

だから、将也にノートを奪われ、放り投げ出されたのは辛かったでしょう。
硝子は、将也からの決定的な絶交宣言、完全拒否の意思表明だと受け止めてしまったのかもしれません。

にも拘らず、否、だからこそ、将也の机に書かれた悪意のこもった文字を見るのが辛かった。
硝子が自分を伝えられる手段は、文字だけです。
クラスのだれかが、将也の机に書きつける「将也を否定する文字」。
文字の持つ重みを誰よりも知っている硝子にとって、将也が文字によっていじめられていることは、自分がそうされているかのように辛かったのではないでしょうか。

無意味な大声とか、砂を投げつけるとか、耳を傷つけるとか、補聴器を取り上げるとか、イヤなことばっかりだったけど、硝子のいたあのクラスの中で、文字以上に、音声で、そして体当たりでコミュニケーションをとっていたのは、ほかの誰でもなく、将也その人だったから。
音のない刺激の少ない世界にいた硝子にとって、間違いなく将也だけは異質な存在だったでしょう。

小6のわずかな時間、「将也と通じ合えなかった」という体験で生まれ得た硝子の気持ちは、転校してしまったのちも(母に転校させられた?)熾火のように心中に残っていたのではないかと感じるのです。
「何かよくわからないのだけれど、ままならないネガティブな感情」と「何かうまく表現できないけれども、心に置きとどめておきたいポジティブな感情」。
その感情のなかに熾火となって秘め置かれていたエネルギーは、将也とのコミュニケーションの扉を「閉じるための鍵」ではなく、いつかその扉を「開くための鍵」として心のなかに留め置き続けていたのではないかと私は感じるのです。

将也にも共通の体験があったからこそ、彼もまた、同じ鍵を持ち得ていたのではないかとも感じます。

先に扉を開けたのは将也でした。
硝子にとって、失われていたノートが再び戻ってきます。まさにいきなり突然に。薄汚れてよれよれボロボロになったノート。
それは、唐突に打ち切られた過去談が、もう一度つながることでもあるし、宙ぶらりんのままで放置されていたもろもろの感情にも向き合うことでもあります。

それは硝子の思いと将也の思いをつなぐ唯一無二のツール。
そのノートが誤って川に落ちた時、硝子は常軌を逸した行動に出ました。
後を追った将也の行動はノートよりも硝子を心配してのことでしょうから、硝子の動機とはちょっと温度差はありますが、でも硝子にとってはそれは嬉しいことだったでしょうね。ノートを捨てた小6の将也が、今度は高校生になってノートを一緒に探してくれるなんて、ちょっとドラマチックですね。
{/netabare}

★将也は校内では学友の顔に「✖」を見ているのですが、校外の人には「✖」がつきませんね。
硝子と校外で会ったのはラッキーだったのかなぁ・・。

{netabare}
学校ヒエラルキーなのでしょうか。
それもあるでしょう。でも、それだけではないような気もします。

将也がコミュニケーションがうまく取れない人に対して「✖」をつけるなら、「✖」のない人は将也にとってはコミュニケーションがうまく取れているということでしょうか。
「✖」がついている人は、将也にとってはキョンシーか、のっぺらぼうみたいなもの?そうであれば、学校はお化け屋敷なんでしょう。そんな居辛いところに3年間もいられるものなのでしょうか。将也には、引き籠ったり退学とかの選択肢もあっただろうに。母への懺悔から生じる遠慮があったのでしょうか。

硝子も、妹も、その母親も、息の詰まるような閉塞感や疎外感を心中に感じながら、言葉にできない、言葉にしてもいたし方のない不条理さを感じて暮らしています。その表情はお互いに気を使っていて明るくはなさそうです。

将也はその顔に「✖」をつけてはいません。不思議。
コミ障の人に、将也はなにかシンパシーを感じているのでしょうか。自分と同じものを持っていると感じるから、「✖」をつけなくても済んでいるのでしょうか。
その差、その違いって何なのでしょうか。

作品の中で、小さくぼんやりと映る外の世界を、暗いトンネルから覗くようなシーンが表現されていますが、それって将也の心象的な視野のように思えます。

コミュニケーションは目、耳、口、鼻、五体と、それにメンタルとが絡み合って進むことが多いですよね。その要素のうちの一つか二つが上手く働かないとしたら、あの暗いトンネルを通じて外の世界を感じることになってしまうのでしょうか。

将也の悩みは「なやみ」。言霊(ことたま)で読み解けば「汝の闇」です。

やはり、あのトンネルのシーンは、将也が内なる心の世界に籠って、自分自身の顔に「✖」を貼り付けた心象風景。視野もピントも色彩も、自らが発する闇に遮(さえぎ)られて、遠くにわずかにぼんやりと映っている外の世界を感じている(見ている?)ということになるんでしょう。これは相当メンタルをやられていますね。
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★たとえ小学校の頃に行き違いになってしまっていても、気持ちを大事に持ち続けていれば、そしてやがて思春期を迎えれば、そして一歩でも踏み出せば、小さな熾火であっても、恋のストーリーが燃え上がるきっかけになります。

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それが小さな火種であっても、若々しいエネルギーが内包されていれば、やがては惹かれあい、初々しい「恋の舞台」が開場し、第一章の幕が開かれ、賑やかに物語が始まります。
この二人に絡む仲間たちは、それぞれの生き方に誠実に向き合おうとする仲間たち、自らの進路の舵を自分の手にしっかりと掴もうとする仲間たちです。二人の周りを固め、すてきな役割を果たしていきます。
かつて、小6のときには上手く進められなかったと取り組みや、硝子とのコミュニケーションへの理解を少しずつ深めながら、再演していくことになります。
何ともたどたどしくて、あきれるほど粗削りに見えてしまうのですが、どんなに紆余曲折があっても、めげずにやり直し、試行錯誤を厭わず、手放さず諦めず、何度も繰り返し、やがて邂逅をみせるまで、彼らの努力の筋道と足跡とが、しっかりと描かれていました。

だから、この作品は、損なわれた友人関係を再構築する群像劇でもあり、社会的障壁の矛盾に気づく社会派ドラマでもあり、淡い恋ごころが輻輳するさまを描いた純愛作品でもあるように思います。
決して「障害をダシにした感動ポルノ作品もの」ではないし、「酷いイジメをしでかしたから謝罪と贖罪をさせねばならない物語」でもないと思います。


武道の世界には「勝ち不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」という格言があります。

勝負を決するとき、勝とう勝とうと思っているうちはなかなか勝てるものではない。そこに、気負いが入り、慢心が入り、疑心暗鬼が入るからである。すなわち、平常心を失い、集中力を欠き、本来の実力を発揮できなくなるからである。なぜ勝ったのか分からないという不思議さを感じるくらいがちょうどよく、逆に、負けるときは何の不思議もなく負ける理由を自分は知っているものである。
というようなことですが、今風に言えばコンディショニングのことでしょうか。

将也の心を「負けに不思議の負けなし」という角度から見れば、汝の闇に自らが縛られ、囚われていたということでしょう。

また、「勝ちに不思議の勝ちなし」という角度で見れば、「あれ?あれあれ~?これって?友達って?」というフレーズにヒントがあったと思います。

硝子に手を引かれて校内をとぼとぼ歩いた将也は、まるでダメダメな形無しヤロウだったですが、むしろ、形無しでいいんです。面目もなくてもいいんです。
角張ったフレームを構えることもなく、仰々しくメンツを掲げることでもなく、むしろそんなメンタリティーはかえって自分を縛ってしまう。
レッテルを貼られていると思い込んでいた将也ですが、実相はその真逆で、レッテルを貼っていたのは将也自身だったのですね。

将也は、自分はダメ人間だと自認し、自縛し、拘って、執着してましたが、その現場でもある校内で、硝子が先頭に立ち、一緒に闘ってくれた。彼女はごく自然に振る舞ってくれた。

硝子だけでは無理でした。1人よりも2人、2人よりも3人、3人よりも・・。みんなで分かち合えた、みんなが支えてくれた、将也の周りに信頼のおける友人が一定数いたのですね。だから、自力だけでは二進も三進もいかなかった壁が、他力が加わることで、将也には理解できない不思議さで心中の壁が打ち壊され、レッテルがフワリと剥がれていくんですね。剥がそうともがくこともなくごく自然にです。

自力と他力が交差した中で、将也が自分自身を許せたこと、自分で自分の心の枷を外したこと、そのことが私は一番嬉しく思えるのです。

硝子の強さは、見えにくく理解されにくい「難聴という障害」に立ち向かったことだったし、将也の強さは、やはり見えにくく理解されにくい「心中の怖気」に立ち向かえたことでした。
そんな2人が乗り越えられたのは、話を聴いてくれる友達ができていたということだったし、住み慣れた街と学校という場所があったからなのですね。

また、将也の母親の強さ、硝子の母親の心境の変化の兆しに、子どもへのゆたかな愛を感じます。家族という一番小さなコミュニティーですが、一番身近な大人が二人を支えているのですね。
(なんとなく「あの花」に似ていますね)

ここまで、お読みいただきありがとうございます。

ここから先は、本作では描かれていない、社会的障壁について少し記述してみました。関心のある方は覗いてみてください。
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硝子や将也、そしてクラスの友達、お母さん方が暮らしている町と、学校のことを考えてみました。
さらに長文をお許しください。また、今回はかなり硬派です。
本当は、硝子と将也のために、全文を読んでいただけると嬉しく思いますが、無理はなさらないでくださいね。

硝子と将也の生きている時代の背景。
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これをきっかけにして聾啞(ろうあ)の方の障害のありようについて考えたり、手話教室に行ってみようかなと思ったり、その家族の方のご苦労に思いを寄せること。そういう興味や関心を持っていただければとてもありがたいと思います。
もし、お近くに教室や講座がありましたら、ちょっとでいいので、覗いてみて様子を見てください。あなたも将也や佐原のようになれますよ。きっとなれます。「またね」はもうご存知ですよね。次は「どうしたの?」を覚えるのがいいかな? 
私も、休み休みですが続けています。学校じゃないんだから続けられているのかもしれませんが。汗
それに、手話には「方言」もちゃんとあるんですよ。盛り盛りですから。存外、そこからはいるのも面白く思えるかもしれません。

ちなみに、聾啞は、耳が聞こえない、発声がうまくできないという意味です。手話や筆談がコミュニケーションの柱です。手話自体が独立した一つの言語体系なのですね。
聾は、耳は聞こえませんが、日本語の発声はできます。ただ、音声でどれだけ表現できるかは、学習の習熟度とか、獲得した技術とか、知識や語彙数にもよります。
コミュニケーション方法は、主に筆談や口話(*1)です。手話は使わないことが多いですね。発声の具合によってはスマホの音声サービスも使えますね。

*1)口話とは、相手の音声言語を、読話(*2)によって理解し,自らも発話により音声言語を用いて意思伝達を行うことです。
*2)読話とは、相手の口の動きや表情から音声言語を読み取り理解することです。クチパクだけで通じ合うのも口話をマスターしていればできちゃいます。



それから、もしかしたら、担任の先生の恫喝や、学級運営の拙(つたな)さを感じられた方もいらっしゃるかもしれません。
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背景は、いろいろあると思います。例えば、
・障害のあるお子さんを受け入れる際の「指導要領の内容」の実態。
・大学の教育課程での障害児・者への国の施策や当事者団体の「学習の位置づけの弱さ」
・養護学校への「予算配分の少なさ」
・そして何よりも「硝子への支援方法についての不勉強」が強烈に描かれていることです。

そもそも、一般的に言っても、子どもには障害についての知識はないのです。そしてどこまでも自分本位なのです。
将也が「退屈なことを嫌がり、面白いことが大好きで、硝子の耳がどこまで聞こえるのか興味を持つ」ことは、とても子どもらしいと思います。それは至極、当たり前のことです。彼の人生にそういう子が現れなかったから尚更です。
彼の母親も自営業で、一家を支えて、日々時間に追われていることも、日本のなかでは普通にみられる風景です。

私が印象に残るのは、硝子も将也も、それぞれの母親も、精一杯人生を歩んできているのだから、誰からも責められることではないのに、いわれのない言葉で心に傷を負わされ、コミュニケーションがうまく取れなくなっていくしんどさと不条理さです。

音が聞こえないことは、硝子が好き好んで選んだ人生ではありません。硝子の母親にもその責任なんてどこにもありません。
でも、硝子は難聴を受け入れています。彼女は、当たり前のように補聴器とノートを使ってコミュニケーションを図ろうとしています。これは、硝子にとっては至極当たり前のこと。生きるための方法であり、硝子のもつ文化そのものなんですね。

クラスのみんなもノートを頼りに関わっていっています。手話も有効なコミュニケーション方法だからその導入も図ろうとします。これも、学級運営で作られつつあるお互いのための「新しい文化」なのです。

どうにもうまくいかない理由はいろいろあるのでしょうが、些細な誤解とか、思い違いとか思い込みとかでしょう。安易なことばに心に深い傷を負う子ども(佐原)もいるのです。

大切なことは、「誰が」悪いのではなく、どうすれば一歩前進するのか。
「誰か」を責めるのではなく、事柄・やり方を改善・改良することでした。
事柄とは、言葉の使い方であったり、態度であったり、当番制であったり。「文化」の醸成には「これが答え」というものはなく、たゆまぬトライ&エラーこそが、「より好ましい答え=新しい文化」に近づく唯一のやり方です。

先生だって難しさを感じていたと思いますが、それでも一応大学を出ているわけですから、あの姿は、正直、感心できませんね。
教室で起こることは教室のなかで解決する努力をする。子どもたちの側に立つ。子どもたち主体で学級運営をする。
先生がそこに向かっていれば、将也も植野も川井も、別のやり方にトライできたのではないかと思います。
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もう一つ踏み込むと・・。
「普通」「常識」「文化」。その概念は、とんでもなく幅が広いです。

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最初のポイントは、硝子が感じている「不便さ」を知ることです。
クラスメイトという「多数」がそのクラスの「常識」を無意識につくり、それが「普通」なこととして運営されるようになると、「少数」の側には「普通」でない「不便さ」が生まれてきます。

もっと言えば、その「普通」とは、クラスの多数者が ”許容することのできる” 範囲の「普通」という意味を持っていること。
その「普通」は、硝子にとっては、クラスメイトには ”許容されていない” 範囲に存在しているとハッキリと感じられるのです。

多数にとっての「普通」は、少数にとっての「普通」ではありません。
将也たちとっては、「普通」に振る舞うこと自体が、とっても見えにくい「文化の壁=社会的障壁」を自分たちが作り出しているのです。

いまある社会そのものが、壁を作っているのです。それはとても見えにくい壁ですが、確かに硝子を阻んでいるのです。彼女が「普通」でありたいという気持ちと、行動の一つ一つを阻んでいるのです。

二つ目のポイントは、その「社会的障壁」と呼ばれる壁は、大多数の側の人たちが「より良く快適に暮らすため」「ごく普通に暮らすため」に作り出した「影」の部分だということなのです。
これは民主主義の「影」でもあります。

多数者と少数者の「普通」の概念は、そもそも入口が別のようです。
なぜそうなったのか? 
それは、その概念自体に、身体や、知的や、精神の障害をお持ちの方々や、難病をお持ちの方々が、社会に、政策に、政治に参加する機会が極めて少なかったからです。意見を反映させる機会が極めて少なかったからです。
なぜそうなったのか?
それをここで述べることはやめておきます。

でも、たとえ入り口が別だとしても、同じ学校で、同じ地域で、同じ職場で、誰もがその人らしく生き生きと暮らせる「普通」があるほうが、ずっとずっと、いいんじゃないかと、私は感じるのです。

「聲の形」は、その「普通」という文化をトライ&エラーで新しく作り上げていくプロセスを、硝子と将也と2人を取り巻く友人たちの交流(ソフトパワー)に示してくれています。

例えば、ユニバーサルデザインという概念もあります。
背の高い人と低い人への配慮として、自販機の選択ボタンの位置がちがっているのもそうですね。
車いすの方、お年寄り、子どもたち。社会への参加がた易い「多数者」の陰に隠れがちな「少数者」の人たちへの「合理的配慮」でもあります。

硝子と将也が暮らす街は、水がとてもきれいな大垣市が舞台です。
呼びかけ合えば笑顔が返ってくるような、そんな澄んだ街になるといいですね。
全国に、そんな街をつくること、そんな文化を作ること。
そういうことが、この作品から視聴者の皆さんに伝わるといいなと思います。

ユニバーサルな文化を作る。私は、個人的には、憲法にうたわれている「基本的人権」の発露だと思っています。
{/netabare}

ここまでお読みくださった方、本当にありがとうございます。
{/netabare}

もう一度、「私たちぬきで、私たちのことを決めないで」 

あまり耳にすることのないフレーズだと思います。でも、実は、国際社会ではよく使われています。 
硝子や将也がどういう時代に生きているか、ヒントになると思います。
少し長いですが、興味のある方は読んでみてください。

{netabare}
障害者権利条約

外務省Vol.109 「障害当事者の声が実を結ぶとき~障害者権利条約の締結」より抜粋しました。

●以下、「→ 〇〇は~」、硝子の支援者の解説です。参考になさってみてください。
(面倒に思えた方は、→のところだけを読んでくだっさってもけっこうです)


●1、2006年、「国連総会」で,「障害者の権利に関する条約」。
いわゆる「障害者権利条約。しょうがいしゃ けんり じょうやく」(略称)が採択されました。

→ 今から12年前、国際社会は、障害のある人には、権利があるってことを決めたよ。

●2、障害者権利条約は,障害者の人権や基本的自由の享有を確保し、障害者の固有の尊厳の尊重を促進するため、障害者の権利を実現するための措置等を規定しており,障害者に関する初めての国際条約です。

→ 今まで、こういうことを決めたことはなかったんだよ。

●3、その内容は前文及び50条からなり、市民的・政治的権利,教育・保健・労働・雇用の権利、社会保障、余暇活動へのアクセスなど、様々な分野における障害者の権利実現のための取組を締約国に対して求めています。

→ 硝子が悲しい思いをしないように、国連は、日本の政府にもいろんな取り組みを進めるように求めることになったんだ。でも日本の政府はすぐには参加しなかったんだ。

●4、それから8年後の2014年、我が国は障害者権利条約を批准しました。
障害者権利条約では,障害に基づくあらゆる差別を禁止しています。

→ でもね、日本の政府は、硝子が絶対に差別されないようにするって。日本に住んでいる障害者を守るって決めたんだよ。

●5、ここで言う「差別」とは,障害者であることを理由とする直接的な差別だけでなく、例えば過度の負担ではないにもかかわらず、段差がある場所にスロープを設置しないなど、障害者の権利の確保のために必要で適当な調整等を行わないという「合理的配慮の否定」も含まれるということが、明確に示されています。

→ 差別は、硝子だけに起こるんじゃないよ。それに、硝子らしく生きることは、どんな人にも、その人らしく生きることができるってことになるんだよ。

●6、またこの条約は、障害者が他の人と平等に、住みたい場所に住み、受けたい教育を受け、地域社会におけるサービスを利用できるよう、障害者の自立した生活と地域社会への包容について定めています。

→ 硝子は、どこの町に住んでもいいし、どの学校にも行けるようにするよ。日本の国は、そういう国になっていくんだよ。

●7、さらに、条約の内容が実施されているかを監視する機関を国内に設置することが明記されています。

→ もし、嫌なことや辛いことが起きたら、相談のできる場所も作るから、黙っている必要はないんだよ。

●8、条約の起草に関する交渉は、政府のみで行うのが通例ですが、委員会では、障害者団体も同席し、発言する機会が設けられました。

→ この決まりごとは、障害のある人と一緒に作ってきたんだ。彼らは立派だった。発言もたくさんしたんだよ。

●9、それは、障害当事者の間で使われているスローガン「“Nothing About Us Without Us”(私たちのことを,私たち抜きに決めないで)」にも表れているとおり、障害者自身が主体的に関与しようとの意向を反映し、名実ともに障害者のための条約を起草しようとする、国際社会の総意でもありました。

→ 彼らは、障害があってもなくても、自分たちのことは自分たちで決めるってことをいちばん大切にして来たんだよ。

●10、日本からも延べ200名ほどの障害者団体の関係者が交渉の行われた国連本部(ニューヨーク)に足を運び、実際に委員会を傍聴しました。

→ ニューヨークってアメリカの大きな町で、障害のある人が200人も参加したんだよ。

●11、日本の政府代表団には、障害当事者が顧問として参加し、日本は積極的に交渉に関与しました。

→ 日本の政府の人も、障害のある人と一緒に行ったんだ。

●12、2013年、衆議院本会議、参議院本会議において、全会一致で障害者権利条約の締結が承認されました。

→ ここ日本では、5年前に、国会というところで、議員さんが全員賛成したんだよ。

●13、これを受けて2014年、国連代表部大使が、障害者権利条約の批准書を国連に寄託し、日本は140番目の締約国となりました。

→ 4年前に、国会で決めたことを、国連に伝えに行ったんだ。世界では140番目の国だったんだ。

●14、日本がこの条約を締結したことにより、障害者の権利の実現に向けた取組が一層強化されることが期待されています。

→ こうして4年前に準備が始まった。これから硝子たちが、学校で勉強しやすくなるし、友達ともたくさん、そして普通にお話ができるようになっていくよ。

●15、例えば、障害者の表現の自由や、教育、労働等の権利が促進されるとともに、新たに設置された「障害者政策委員会」にて、国内の障害者施策が条約の趣旨に沿っているかとの観点からモニタリングが進められることになります。

→ 硝子が学校で困っていないか、大人の人がきちんと見守ってくれるよ。そういう仕組みもできていくんだよ。

ここまでは外務省ホームページより抜粋しました。
{/netabare}


ここまで、読んでくださって本当にありがとうございます!!
ちょっと、かたぐるしくていけませんね。

さて、次行ってみよう!!

内閣府では、次のようにまとめています。ガンバ!!
{netabare}

障害者政策委員会第1小委員会(第3回)議事次第より抜粋しました。
(平成24年10月15日付)

●1、障害者の支援は障害者が直面するその時々の困難の解消だけに着目するのではなく、障害者の自立と社会参加の支援という観点に立って行われる必要があること、障害者の家族を始めとする関係者への支援も重要であること。

→ 硝子やお母さん、その友達もふくめて、今も、これからも、この町で支援が受けれられるようにするよ。

●2、外見からは分かりにくい障害が持つ特有の事情を考慮するとともに、状態が変動する障害は、症状が多様化しがちであり、一般に、障害の程度を適切に把握することが難しい点に留意する必要がある。

→ 硝子が難聴なのは、ちょっと分かりにくいからそこは自分でも伝えていこうね。みんなで気をつけるようにするよ。

●3、障害のある子供は、成人の障害者とは異なる支援を行う必要性があることに留意する必要がある。

→ 同じ難聴でも、子どものときの硝子と大人の硝子では、支援の仕方が違うんだよ。硝子、わかるかい?

●4、障害者施策の評価に当たっては、障害者が意思決定過程に参画することとし、障害者の視点を施策に反映させることが求められる。

→ 硝子もお母さんも、難聴のある人の支援のしかたについて、仕組み作りに参加しようよ。

●5、聴覚、言語機能、音声機能のため意思疎通を図ることに支障がある障害者に対して、手話通訳者、要約筆記者、盲ろう者向け通訳・介助員等の派遣、設置等による支援や点訳、代筆、代読、音声訳等による支援を行うとともに、手話通訳者、要約筆記者、盲ろう者向け通訳・介助員、点訳奉仕員、朗読奉仕員等の養成研修等の実施により人材の育成・確保を図り、コミュニケーション支援を充実させる。

→ 耳が聞こえなくても、いろんな人に助けてもらえるんだ。これからはそれを当たり前って言えるようにしていくんだよ。

ここまで、障害者政策委員会第1小委員会 議事録よりの抜粋でした。
(平成24年10月15日付)
{/netabare}

さて、硝子や将也の関わるのは、「教育」の分野です。ここが肝心です。
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教育にかんしての基本的考え方(平成29年12月22日、内閣府)

●1、障害の有無によって分け隔てられることなく、国民が相互に人格と個性を尊重し合う共生社会の実現に向け、可能な限り共に教育を受けることのできる仕組みの整備を進めるとともに、障害に対する理解を深めるための取組を推進する。

→ 硝子の耳のことも、クラスのみんなと一緒に教室で学んでいこう。障害があってもいいんだ。それがどんなふうに困っているか、どうしたらもっとよくなるかをみんなが知ることも勉強なんだよ。

●2、インクルーシブ教育システムの推進。
「インクルーシブ教育システム」(inclusive education system、包容する教育制度)とは、人間の多様性の尊重等の強化、障害者が精神的及び身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能とするとの目的の下、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組みとされている。

→ 難しく考えることはないよ。これから学校は「インクルーシブ」っていうことばで一緒に勉強していくんだよ。

●3、障害のある幼児児童生徒の自立や社会参加に向けた主体的な取組を支援するという視点に立ち、基礎的環境の整備を進めつつ、個別の指導計画や個別の教育支援計画の活用を通じて、幼稚園、小・中学校、高等学校、特別支援学校等(以下、「全ての学校」という。)に在籍する障害のある幼児児童生徒が合理的配慮の提供を受けながら、適切な指導や必要な支援を受けられるようにする。

→ 硝子は、この学校でみんなと仲良く勉強できるように先生に意見を出して伝えてほしいし、先生もしっかり聞くよ。そうして先生が硝子の計画書を作るよ。硝子の意見や想いを受け止めて、勉強の指導も、障害の支援も、計画書に書くんだよ。

●4、こうしたことを通じて、障害のある幼児児童生徒に提供される配慮や学びの場の選択肢を増やし、障害の有無にかかわらず可能な限り共に教育を受けられるような条件整備を進めるとともに、個々の幼児児童生徒の教育的ニーズに最も的確に応える指導を受けることのできる、包容する仕組みの整備を推進する。

→ 硝子は、ノートを使ったり、手話を使ったりして、みんなとお話がしたいのだから、クラスのみんなにもきちんと説明するよ。どうするのがいいのか、その都度話をしようね。

●5、あわせて、「いじめの防止等のための基本的な方針」を踏まえ、障害のある児童生徒が関わるいじめの防止や早期発見等のための適切な措置を講じるとともに、障害の社会モデルを踏まえ、学校の教育活動全体を通じた障害に対する理解や交流及び共同学習の一層の推進を図り、偏見や差別を乗り越え、障害の有無等にかかわらず互いを尊重し合いながら協働する社会を目指す。

→ 将也はよくなかったけど、硝子のことをよくわからないことも理由だったよ。クラスのみんながどんなふうに接するといいのかを、目標や助け合いのやり方を先生は考えるし、取り組んでいくよ。

●6、障害のある児童生徒の就学先決定に当たっては、本人・保護者に対する十分な情報提供の下、本人・保護者の意見を最大限尊重しつつ、本人・保護者と市町村教育委員会、学校等が、教育的ニーズと必要な支援について合意形成を行うことを原則とするとともに、発達の程度や適応の状況等に応じて、柔軟に「学びの場」を変更できることについて、引き続き、関係者への周知を行う。

→ 硝子がこの学校に来たい気持ちは大事にするよ。お母さんも一緒にみんなで話し合いの場を作るよ。いやで我慢ができないときは、いつでもお話しできる人がいるから安心してね。

●7、校長のリーダーシップの下、特別支援教育コーディネーターを中心とした校内支援体制を構築するとともに、スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカー、看護師、言語聴覚士、作業療法士、理学療法士等の専門家及び特別支援教育支援員の活用を図ることで、学校が組織として、障害のある児童生徒の多様なニーズに応じた支援を提供できるよう促す。

→ 校長先生が一番先頭に立って、硝子を守るよ。それは学校の先生の仕事なんだよ。一緒に学校でできることを探そうね。

●8、各学校における障害のある幼児児童生徒に対する合理的配慮の提供に当たっては、情報保障やコミュニケーションの方法について配慮するとともに、幼児児童生徒一人一人の障害の状態や教育的ニーズ等に応じて設置者・学校と本人・保護者間で可能な限り合意形成を図った上で決定し、提供されることが望ましいことを引き続き周知する。

→ 硝子は、どんなことを質問してもいいし、先生も一生懸命に答えを見つけるからね。そのときお母さんが一緒でもいいんだよ。それはとても大事なことなんだよ。

●9、特別支援学校、特別支援学級、通級による指導を担当する教員については、特別支援教育に関する専門性が特に求められることに鑑み、特別支援学校教諭等免許状保有率の向上の推進を含め、専門性向上のための施策を進める。

→ 硝子は、心配なことは先生に話してくれるといいな。先生ももっと難聴のことは勉強させてほしいんだ。そういう役割を持ちたいんだよ。 

ここまでは、内閣府 障害者政策委員会 議事次第より抜粋しました。
(平成29年12月22日付)
{/netabare}

ここまで、目を通していただきまして感謝しています。
お疲れさまでした。


聲の形。

聲は、三つの形があると思います。三つのコミュニケーション方法です。
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一つは、バーバル。言語的コミュニケーション。
日本語、英語など。話や文字など「言葉を使った」コミュニケーションです。朗読や落語、カラオケもそうです。ターザンの雄たけびもそうかも・・。ん?違うか。

二つめは、ノンバーバル。非言語的コミュニケーション。
顔の表情、身振り手振り、声のトーンなどの「言葉以外での」 コミュニケーションです。赤ちゃんの「ばぶばぶ、んまんま」もそうです。これは喃語(なんご)と言います。
パントマイムは立派な芸術でもありますね。
手旗信号なども立派なコミュニケーションの方法ですね。

三つめは、スキンシップです。
肩に触れる。手をつなぐ。固く抱き合う。ハイタッチする。グータッチもそう。髪をなでる。キスもそうですね。

どれもコミュニケーションです。

このように文字を使って概念化すると、硝子の聲も「普通」にコミュニケーションの一つなんだとわかります。
それが分かるように教えられない学校教育ってなんだ?と思います。

国語も算数も、英語も。みんなコミュニケーションのための媒体の一つに過ぎないです。
音楽も、絵画も、鬼ごっこも、やっぱり同じ媒体じゃないのですか?

学校の教育論について、どうのこうのいうつもりはありませんが、国語算数、理科社会。それらは媒体でしょう。
そういう媒体(教科)を通じて、理解力や咀嚼力、考察力や洞察力、想像力や創造力、そして協調性や向上心。
そういったものを身に付けることの方が大事なことじゃないかなって思うのです。

教育って、人間を深く理解するためにあるんじゃないんですか?
それって、人間を幸せにするためにあるものなんじゃないんですか?

もちろん友達の顔に「✖」を貼ったのは将也自身の心のありようです。
彼自身がレッテルを張っているのです。ですからそのレッテルを剥がすのは将也の手で剥がすしかありません。
でも、その原因が、小6のときの間違えてしまったコミュニケーションにあったのだとしたら、それはその時に戻ってやり直すか、あるいは、今生きている世界でもう一度取り組むか、先送りして苦しみ続けるか、死ぬまで持ち越していくかだと思います。
四者択一です。

硝子と将也は、友達の顔をまっすぐに見て、喜怒哀楽を感じながら、思いに寄り添ったり、時にはぶつけ合ったり、そういうことをいっぱい感じられるような生き方を選びました。
素敵だなって思います。

生きるって楽しい。そう思えるときはそのように。
辛いときは辛いと言えるコミュニケーションがあるし。
伝えたいことがあるときは、勇気を武器にしてコミュニケーシできるし。

硝子の笑顔って、ほんとうはとてつもなく素晴らしいコミュニケーションのひとつだったって。

そこに硝子がいてくれたから気がつくことができました。
そこに将也がいてくれたから、私に分からせてくれました。

聲の形は、いくつもあるんだってことを分からせてくれました。

{/netabare}

このアニメの懐の深さは、人が人として最も大事にしなきゃいけないところを、硝子と将也に演じさせたところだと思います。

2人だから、ここまで魅せてくれた。
すばらしい作品だと思います。

あにこれの先輩レビュアーに進められてコミックスも読んでみました。期待を超える表現に圧倒されました。先輩レビュアーに感謝です。
私からも、未読の方にはお勧めします。


★2018.4.8、追記しました。
{netabare}
聴覚障害の理解のために少し述べておきたいと思い追記しました。

①自然科学(医学、治療、リハビリ)
②社会科学(教育、共生、共同)
③人文科学(本作品など)の3領域でみておきたいと思います。

②社会科学の側面では、前述のレビューのとおりです。

①自然科学から聴覚障害をみてみます。
{netabare}
先天性と後天性。

先天性は、生まれたときから脳、聴覚神経系、三半規管、内耳、中耳など、「聴きとる力」に障害がある状態です。

今は、国、地方自治体、医療機関が連携して、早期発見、早期治療、早期療育に動いています。(平成21年より)
赤ちゃんが生まれると、新生児聴覚検査をします。時期は生後2日目~産婦人科退院前です。
次に、退院後、1か月健診をし、聴覚に障害の兆候がある場合は、生後3~4か月までに診断の確定が行われます。
難聴が認められると《 生後6か月までに療育を開始する 》ことになっています。

これから、お父さん、お母さんになられる予定の方にお願いがあります。
万が一、お子さんに硝子のように聴覚に障害があることが分かったとき、「わが子に限って!?」とフリーズするのではなく、現実を受け止め、いち早く打ちのめされて、そして少しでも早く立ち直って、6か月を待たずに療育を開始する判断をしていただきたいのです。子どものためのベストの選択をチョイスし、一歩を踏み出してほしいのです。
硝子を思い出していただきたいのです。

平成20年度までは「1歳半健診」が脳の発達、心身の成長の具合を確かめていたのですが、それでは間に合わない実態があったので、その反省を踏まえて今は「6か月」という段階で判断するようになっているのです。

聞こえないことのハンディは、日本語の発声ができないことにつながります。発声というのは自然に身につくのではなく、たゆまぬ反復訓練があってこそ身につけることができます。
否、聞こえないからこそ、専門家による適切な療育が必要です。我流やほったらかしは厳に慎んでほしいのです。

硝子も、口話法(聴覚口話法とも言います)を学んでいたと思います。
これは、聴覚障害児に、健常者の口の形と補聴器や人工内耳から聞こえる音をたよりに発音の技術を覚え、音声による会話ができるように指導する方法です。
硝子が「好き」を「つき」と発声することができたのも、このトレーニングを受けていたからだと思います。

将也に伝えたい感情を「ツキ=好き」という言語と発声に置き換えることができる力を硝子は獲得していました。これは表現方法に選択肢が増えたということ。硝子の頑張りの賜物(たまもの)です。

「気になる感情」を「好き」という言語に置き換える力。
それは言語の持つ意味とか概念とかを理解し、使い分け、表現する力。
「好き」という言葉を「すき」という発音に置き換える力。
それは発声法の訓練に立ち向かう力と、発声する技術を獲得する力。
「ツキ」と聴き取られてしまったあとに、「好き」を手話に変換する力。
あるいはノートに「好き」と書く力。
ここまでは、学習によってある程度は獲得できます。
これが療育・教育の効果なのです。もちろん、本人の努力や周りのサポートもあったからでしょう。

ですが、私は、硝子が、「好き」だと自分の言葉で伝えたくなる気持ちに、恋するすばらしい力があると深く思いを致すのです。(*3、後述)

恋する力は、聴覚に障害があってもなくても、何一つ私達と変わるところはありません。


次に、後天性。
後天性は、おおよそ3歳以降、病気などで少しづつ聴覚を失っていく。あるいは、交通事故、スポーツ障害、不慮の転倒、レクリエーション中の事故などで、突然、聴覚を失うこともあります。
そしてそれは、「大人でも同じ」なのです。

この場合、少しでも聞こえが悪いと感じたら、すぐに小児科や耳鼻科(あるいは、救急外来、脳外科、脳神経外科など)を受診して、しっかりした診断を受けて、医師の指導の下で適切な治療を受けていただきたいと思います。

後手に回らないことです。一刻も早く、何をおいてもです。

内服、または言語療法などのリハビリテーションを早期に開始することで、回復の効果についての「評価」を早めに得ることです。

大事なことは「時間」です。いつだって時間が問題になるのです。
データによると、発症後、2週間をすぎると、完全に失聴する場合があるようです。
{/netabare}


③人文科学から。
{netabare}
近頃は、障害とか難病とかをテーマにした恋バナが多くなってきていますね。

ここでは、アニメ「図書館戦争」をご紹介します。
パッケージ版の作品のなかに「恋ノ障害」という作品があります。
残念なことに、TV未放送、レンタル版にも未収録の作品です。

この「恋ノ障害」のお話に、難聴の女性、中澤毬江(なかざわ まりえ)が登場します。硝子は先天性でしたが、鞠江は後天性難聴です。

それから、「図書館戦争」で演出に使われていたのですが、「レインツリーの国」という書籍があります。
「レインツリーの国」新潮文庫、平成21年7月1日初版、有川浩(ありかわひろ)著。

*3)これらの作品にも、恋することの素晴らしさ、恋の持つ力が十二分に表現されています。
もしよければ、ご覧になってみてください。

聾唖でない鞠江やひとみとは違って、聾唖である硝子が、「音声」に拘り、憧れ、絶望した心情に思いいたすとき、本作の「並びないテーマ性の気高さと、多様性への寛容・受容を示したメッセージの尊さ」に心が震えて仕方ないのです。
{/netabare}

{/netabare}
長文を最後までお読みいただきありがとうございました。
この作品がみなに愛されますように。

 サンキュー(50)
ネタバレ
2018.04.14 21:02 YwJje43950の評価 | 観終わった| 94が閲覧 ★★★★☆ 4.9 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 5.0  作画 : 5.0  声優 : 5.0  音楽 : 4.5  キャラ : 5.0

もう何周かしたいところだけど

繰り返し2回観た。山田尚子監督作品なんで、2周目は演出に注視しつつ。あと何回か観たいところだ。
追記:計4回くらい観た。

西宮の心情は彼女の周りにも、こちら側にも伝わりにくいけど、石田と同じく、とにかく自己否定が過ぎるという事を、改めて意識的に前提として観ると、各場面で読み取れるものも増えたり変わったりするね。
これはいろんな場面でそうだけど、個人的には、石田が共に遊園地に行った人達それぞれに”ヒドいこと”を言って、みんなが去ったあとの西宮の表情とその気持ちが特に。
西宮に、みんなが言ってる事、言われている事が聞こえてるかどうかは知らないけど、いずれにせよ石田から友人が離れていった、この状況は理解出来ているでしょう。
(追記:聞こえてないだろうね。橋の上での会話が始まった直後くらいの遠い場所からのカットで、西宮は結絃に、手話で、指降って状況の説明をとお願いしてるよね。結絃は目を逸らす。)
石田は全部自分が悪いと言うが、このとき西宮もまた、この状況になったのは自分のせいだと思ってしまうんだね。
石田も西宮も基本的に、他人を責めない、というか責められなくなるくらい自分が嫌いで、自分のせいにする。
1周目なんか、みんなが去ったあとの西宮の向ける目を見て、石田のことを少し攻撃的な目で見てんのかと思ったけど違うよね。
なんで勘違いしたんだろうと考えると、もしかしたらこれは石田の感情かも分からないね。ここの感想は、3周目には変わってるかもしれないし確信的になるかもしれないし、微妙なところ。でも西宮の表情を見て、何かしら思ったはず。
追記:別に攻撃的な目線だと思ったって事はないのでは。

もう一つ、他の場面の話。
今作の最後の、植野の西宮に対する”バカ”という手話が”ハカ”になってしまっていて〜、というのは有名な話だろうけども、確かに西宮の仕草はそれを教えようとしてるな〜と2周目で思った。
1周目なんかそんなん分からなかったけど、言われてみればそうだ。
西宮が伝えようとしている事を、私はキチンと受け止められてなかったわけで、これが作品のテーマであるコミュニケーションの難しさというものだろうと思われた。
この作品において西宮の心情や言いたい事を理解するのは難しく、しかし、だからこそリアルだ、というのは受け売りだけども、確かに。

植野について、まぁ別に嫌いだなぁと思ったなら嫌いでもいいけど、この作品において、それだけでは済まない重要人物だね。って思うんだけどうまく書けないなぁ。
例えば観覧車の中での会話なんかは、西宮が、『自分の事が嫌い』と言って、それで全て自己完結してしまって、植野の言いたい事が、耳の聞こえる聞こえないという問題でなく、伝わらない。
今作品において、重要なシーンじゃないかと思うんだよな。
そこに至るまでに西宮の持つ障害はおおいに関係してるだろうけど、ここ観覧車内ですれ違ってしまっている理由は彼女の持つ障害そのものでない。
ここにあるのはもっと人間の内的な部分の問題であって、またコミュニケーションの難しさなんだろう。
他のシーンでも語る事の多いキャラだと思うけどここでは上の例で終える。
自分の中で彼女についてまだ考えが纏まってない感もあるからね。
あと、植野って石田に好意持ってる?それは今も続いてる?微妙なところだ。
石田の自転車の後ろに突然乗ってきた植野。大きい道路を挟んで反対側に西宮を見つけて、その後の彼女の一連の行い。
どう見たって嫌な奴だけど、山田尚子監督の演出を手掛かりにその心情を読み取る必要があろうと思う。ここらへんは、3周目、4周目だなぁ。
個人的に、”たまこまーけっと”の、みどちゃんを思い出させるキャラだなと思う。声優が同じだったりするけども。
追記:この記事の最後に載せているインタビューを読んだんだけども、やはり好きなんだね。そう思うとやはり切ない人だよなぁ。まるでみどちゃんの様だという感想は、外れてないな。
植田の想いが通じる事はもう無いんだろうな。西宮さんとは今後、良き友になれるのかもしれない。
かつての石田と結絃の関係と、西宮と植田の関係は似ている、というのはどこかのブログで読んだことである。

作中で嫌いになるなら川井さんでねえの?と思いもした。しかし、多くの人が気付いただろう、彼女の態度こそ極一般的なものであるわけだ。
きっと小学生石田の言う通り、彼女も陰で悪口みたいな事を言っていたんだろう。でも川井さんの『私はそんなこと言ってない』も本当なんだろう。
イジメを見ても注意はしないし直接関わらない。表面上優しい。
それでも、無自覚の精神的暴力をふるい、そして差別している。私だって、正直な話、西宮の第一声にギョッとした。
その時感じた異物感こそ、イジメの種である事はお分かりでしょう。
追記:生き方の上手い人だよな、石田とか西宮とか、植野と比べて。

2周目が終わった時点で残った疑問は、西宮が自殺を決めたのはどのタイミングだったろうということだ。見逃してしまっているようである。
西宮母の誕生日以前のどこか?
花火大会での別れのときの西宮の手話が、『ありがとう』だったのが印象的だ。
追記:ばあちゃんが死ぬ前のシーンで、結絃は夢を見るよね。寝てるばあちゃんに引っ付いてる結絃が見た夢の中で、小学生時代?の西宮は苦しそうな顔で、結絃に対して何か手話をする。あれは、『死にたい』と言ってるんだね。気付いてみると、確かに劇中でこの手話に関して説明はあるんだね。具体的には、西宮が自殺を測ったシーンよりも後、結絃が部屋の写真を剥がしているシーン。
自殺を決意したタイミングを直接示すわけではないけど、この夢は西宮の心情を示唆してはいるよね。
西宮はこう思ったんだ。劇中でも西宮が言ってるとおりだけど、自分と居ることで石田は不幸になると。自分が石田と居ることで、石田は彼の周りの人間から拒絶されてしまうのだと。
西宮が見える範囲にいると、石田は、加害者として扱われてしまうからね。
そういう意味で、西宮は自身がいなくなれば、と考えてしまう。
西宮は、石田に連れられてデートしていたとき、どういう気持ちだったろう。
そういう事を考えながら本編を観ていると、やはり、花火大会の夜、病院での出来事、それぞれのシーンが、よりこちら側の心にくる。

蛇足ではあるけれども、これもまた強く印象に残っているので書いておく。
結絃は可愛いかったね最高に。
初めて制服姿を見たとき、いや、その場面での事情を考えれば、少し不謹慎ではあるんだけども、いやぁ、
あぁあぁあぁ〜〜〜〜〜〜って、なったんだ。
追記:西宮の妹だと発覚する直前くらいのシーン、石田が結絃に西宮の耳の件で拒絶されたとき、いつも人の顔にバツつけるのと同じように傘で結絃の顔が見えないように遮ったでしょ。
結絃がこの後、石田の言葉を受けて結絃のほうから傘を持ち上げて視線を合わせるわけだ。この一連のシーンは物語上においても重要なシーンだろうけど、それ以上に、持ち上げてこちらを覗き込む結絃の可愛さったらないでしょ。なかろうもん。

追記:バッハの練習曲インベンションが、映画最後の文化祭に入るシーンまでの各場面で少しずつ弾かれているらしい。"練習曲"であることがキモ。
インベンションもう少し聴き込んでから観ると、もう少しここらへんが体感できるかもな。

メモ:『聲の形』音楽・牛尾憲輔インタビュー
http://a.excite.co.jp/News/bit/20161008/E1475063249559.html

BGMの曲が特徴的な映画だったけども、作品のコンセプトに沿った作りなんだなぁ
メモ:牛尾憲輔インタビュー 山田尚子監督とのセッションが形づくる音楽
https://www.google.co.jp/amp/s/s.animeanime.jp/article/2016/09/16/30521_2.amp.html



=文章のリメイク=(改めて書いてみたもの。個人的な、文章を書く練習として。かといって文章として練ってあるかと言われればそんなことはない。文章を書ける人ってすごい。ここまで読んでくださった方々にはスルーを推奨。書きたいこと最後まで書いてないし。書きたいことの半分も書いてない気がする。あれ?なんだかこの作品についていくらでも書けるような気すらしてきたゾ?もう一回観たいなぁ聲の形。TVで放送しないかなぁ。WOWOWでは放送し始めてるんだよね。契約してないけど。地上波でそのうち来ませんかね?まぁ、どうしても辛抱たまらなくなったら、そのときはレンタルでもしますよ。えぇ。)

西宮の心情は彼女の周りにも、視聴者側にも伝わりにくい。
西宮は言葉を発さず手話を使う。手話を知らない私は、彼女の伝えたいことを明確につかめない。
なので、登場人物の中でも手話のわかる人、結絃とか石田を介して、初めて西宮の発するメッセージを理解することになる。
とはいえ、西宮のメッセージを直接受け取ってないから、視聴者からすれば、メッセージの鮮度が落ちる。
果たして、最低限でも劇中で使われる手話を知らないままに、西宮の心情を理解してやれるものだろうか。
映画そのもののゴールはわかりやすくハッピーエンド。
特に構えることなくこの映画に触れたひとは、観終わってそのまま満足してしまうかもしれない。
しかし、手話がわからないまま観終わってしまった人のこの作品に対する理解は、実は相当に抜けている。
なんだかんだ西宮の手話に関しては説明があるじゃない、という人もあろうと思う。たしかにそうだ。
しかし、1回観て満足してしまった人に、はたして細かな演出への理解があるだろうか。
例えば花火大会の夜、別れ際の手話の意味を知っているだろうか。
『またね』とか、『じゃあね』ではないのだ。
例えば本作の最後のほう、文化祭で、植野が西宮に対してバカと言った。口でも言ったが、同時に手話でもそう伝えようとしていた。この手話が正しく『バカ』と伝えることができていないということを、知っているだろうか。
手話がわからなければメッセージの意味合いも正しくつかめない。映画をひとつ鑑賞するのに、主要人物の心情をいまいち理解できないままに終えるのはあまりに面白くない。
2つ目の例に挙げたシーンにおいて、実はコミュニケーション上のすれ違いが起こっているのだ、という事実に気付くか否かで、そのシーンに対する印象もがらりと変わってしまう。
手話のわからない人間が、気軽に1回観て消化できる作品ではないのだ。
ここで肝要なのは、ストーリーそのものが難しいものである、と言いたいわけではないということだ。
ここにあるのは「コミュニケーションの難しさ」である。
気軽に1回観ただけでは消化できない作品となった要因はこれだ。より具体的に言えば、
「私たちと、西宮との間のコミュニケーションにこそ難しさがある」ということだ。
これがこの作品の理解をひとつ妨げる。そして、それこそがこの作品におけるひとつの重要なテーマであるとも思われた。
よくある演出として、登場人物が自身の心情をナレーションしたり、心の中でセリフを吐いたりすることがある。しかし、劇中、西宮の心の中の声を私たちが聞くことはない。あえて排しているのだろうと思う。これは先に挙げたテーマにも関係することだ。私たちは、西宮を実在の人物として相対する必要がある。
現実の人間とコミュニケーションをとるにあたっては、「喋ること」の占めるウエイトはとても大きい。それが所謂健常者の側に立つ私の中での常識である。
私たちの主なコミュニケーションの手段は喋ることである。言葉である。
私たちが西宮とのコミュニケーションを難しいと感じる理由は何か。私たちがいつも行うコミュニケーションの手段が通じない相手だからである。
私たちは普段喋ることでコミュニケーションをとる。対し、西宮は手話によってコミュニケーションをとる。
こういった関係性にあって、人はどうすべきか。別に、正解がこれということもないが、少なくとも西宮は歩み寄っていった。口で喋ることを、一度選んだのだ。印象的なのは、告白のシーンだ。好きだといった。そしたら?
石田には、月と言ったのかと勘違いされた。
逆に、『健常者』の側から歩み寄っていったのは誰だろう。それが石田である。植野もまた、そうだった。
『好き』と『月』のような、コミュニケーション上のすれ違いは、劇中、要所で起こる。先に挙げた、植野が手話で『バカ』と言った(つもりの)シーンだってそうだ。西宮は正しく『バカ』と伝えるための手話を教えようとするが、植野にはそこが伝わっていなかったりする。
付け焼刃の『バカ』だった。植野に西宮の手話がわかるかと言えば、分からないのだ。
視聴者の側から見て、互いに通い合ったかのようだったが、その実、最後まですれ違っている。
これもまた、『コミュニケーションの難しさ』というものが描かれている。
そしてそのまま、そのズレを許容するのであった。

 サンキュー(10)
2018.04.07 17:53 にゃん^^の評価 | 観終わった| 301が閲覧 ★★★★☆ 4.3 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 4.5  作画 : 4.5  声優 : 4.5  音楽 : 4.0  キャラ : 4.0

1人1人のみんなはふつうの人だけど集まったみんなは別の「人たち」

公式のあらすじ
{netabare}
“退屈すること”を何よりも嫌う少年、石田将也。
ガキ大将だった小学生の彼は、転校生の少女、西宮硝子へ無邪気な好奇心を持つ。
彼女が来たことを期に、少年は退屈から解放された日々を手に入れた。
しかし、硝子とのある出来事がきっかけで将也は周囲から孤立してしまう。

やがて五年の時を経て、別々の場所で高校生へと成長したふたり。
“ある出来事”以来、固く心を閉ざしていた将也は硝子の元を訪れる。
これはひとりの少年が、少女を、周りの人たちを、そして自分を受け入れようとする物語――。
{/netabare}

スタッフ{netabare}
原作:『聲の形』大今良時(講談社コミックス刊)
監督:山田尚子
脚本:吉田玲子
キャラクターデザイン:西屋太志
美術監督:篠原睦雄
色彩設計:石田奈央美
設定:秋竹斉一
撮影監督:髙尾一也
音響監督:鶴岡陽太
音楽:牛尾憲輔
音楽制作:ポニーキャニオン
アニメーション制作:京都アニメーション
製作:映画聲の形製作委員会(京都アニメーション/ポニーキャニオン/朝日放送/クオラス/松竹/講談社)
配給:松竹
{/netabare}
キャスト{netabare}
石田将也:入野自由
西宮硝子:早見沙織
西宮結絃:悠木碧
永束友宏:小野賢章
植野直花:金子有希
佐原みよこ:石川由依
川井みき:潘めぐみ
真柴智:豊永利行
石田将也:(小学生)松岡茉優
{/netabare}


感想のタイトルはにゃんがイジメられてたとき思ってたこと。。

にゃんは中学くらいのときかな?思ったけど
1対1だったらただのケンカでしばらく口をきかなくっても仲直りできるのに
みんなそんなふつうの人たちなのに集まるとおかしくなるみたい?って

でも、何かで見たら(たぶんTVのバラエティ)それってほんとで
集団心理とか群集心理ってゆうみたい

1人でコスプレは恥ずかしいけど
みんなでだったら恥ずかしくなくなるとか。。
みんなになると変わっちゃうみたい

感想
{netabare}

おはなしは
イジメ、恋愛、友だちとか家族かな?

おはなしを時間で分けると
はじめの30分くらいが小学校のおはなしでイジメ
次の30分くらいが高校で2人が再会して仲よくなってって
次の30分くらいで小学校の同級生のイジワル植野さんとあって
さいごはハッピーエンドな感じかな?



にゃんはすぐにイジメられる方だったからよく分かるけど
イジメのおはなしはすごく合っててその通りみたい


はじめは転校生の耳が聞こえない女の子に
みんな話しかけたりしてよかった。。って思ってたんだけど
だんだんみんなと合わなくなってきてイジメ。。イジメ。。イジメ。。
見はじめてすぐなみだが止まらなくなっちゃって見てるの苦しかった。。

見てて何となく分かるんだけど小学生の将也クンってツンデレ。。
って言っちゃうとかわいいキャラみたいだけど
ホントにいたらただのイジメっ子で近づきたくない。。


でも、将也クンが逆にいじめられはじめたところはかわいそうだった。。

友だちとか先生まで敵になっちゃって。。

でも、にゃんも先生にいじめられたことがあるから分かる気がする
先生に質問したらうまく伝わらなくってどなられて
ちがうって言っても聞いてもらえなくってプリントにまで書かれて。。

でも、その先生って理由は分からなかったけど
それからしばらくしてお休みして学校に帰ってこなかった。。
亡くなったってゆうお知らせもなかったから
今思うとヒステリーみたいでノイローゼか何かだったのかも。。


このおはなしの先生もいい先生じゃなかったけど
先生だってきっと幸せになりたいって思ってて
でも、思い通りにならなくって
そのイライラが弱い生徒のところに行ったのかも?

黒板ドン!したのってきっとパワハラだけど
となりにいたえらい先生も止めなかったんだから
先生だって大人だってたよりにならなくって
イジメられても大人にも相談できないよね。。

だから死にたくなるんだって思う。。


そのあとの高校編はいろいろあったけどしばらく楽しかった
2人が仲よくなって、親友ができて。。って

結絃クンはちょっとびっくりしたけどいい子だったよね^^


でも、後半に入って植野さんが出てきてから
またイジメにもどったみたい。。


だんだんおかしくなってきてイヤなことばっかりつづいて
硝子が飛び下りたところはほんとにショックだった。。

これで硝子が死んじゃったら将也クンはどうすればいいのって?
ほんとのほんとに心配だった。。


にゃんは硝子の気もちで見てて
死のうって考えた気もちが分かるから
にゃんでも死にたいって思うんじゃないかな?って思った

ただ、飛び下りとかリスカはこわいなぁ。。硝子は勇気あるなぁ。。って
あと、みんなにイヤな思いさせちゃうかな?とかって

にゃんが死ぬんだったら断食がいいかなって思う
1週間くらい何も食べなかったらおなかもすかなくなって
ずっと食べなくってもいいかな?ってなる

ただ、家にいたらできないけど。。


植野さんは観覧車で言い訳して硝子を責めてた「親にチクって。。」とか

でも、硝子はチクってないよね。。
チクってもみんなは自分のこと好きにならないって分かるし
かえってうらまれたりするだけだから。。

それでも小学校の時のことは硝子もちょっと悪かったのかもだけど
観覧車のときは別にきらいだったら近づかなかったらいいだけで
わざと近づいてあなたがきらいとかってゆうことないって思うし

将也クンがイジメられたのだって植野さんの方がわるいのに
ぜんぶあなたのせいだ。。みたく言って
硝子は自分が悪いってはじめからあやまってるのに
ぜんぜん聞いてないのは植野さんの方なのに。。

さいごは分かり合えたみたいだけど
自分のこと責めるより相手を責める植野さんはイジワルだなって思う


でも、にゃんだって植野さんみたく言われたら
やっぱり自分のせいなんだって
植野さんのゆうとおりにできない自分が悪いんだって思っちゃいそう。。

だから人から何か言われたらごめんなさいしか言えないって思う


なんだかさいごはみんな分かりあえてハッピーエンドでよかった。。

でも、ふつうはこんなおはなしみたいにうまくいかないよね。。
って思ったにゃんはイジワルなのかも?


植野さんとも分かり合えたかな?
これから友だちにもなれるかも?ってゆういいおわり方だった

でも、にゃんもそうゆう時ってあったけど
ちょっと仲良くなったって思ってよろこんだらまたきらわれたりして。。
またおちこんだり。。って


-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-


差別みたいなおはなしかな?って思ったけどそんな感じじゃなかったし
イジメはどうしたらなくなるか?みたいなおはなしでもなくって
なんとなーくハッピーエンドっぽく終わって
ホントによかったのかな?ってちょっと思った


将也クンと硝子は
死ぬほど苦しい思いしたんだからハッピーエンドでよかったんだけど
小学生でイジメたりしても高校生になったらハッピーエンド。。って
そんなかるーい感じでおわってもよかったのかな?って


イジワルなこと書いちゃってごめんなさい。。
でも{netabare}

麻薬をはじめた人がいて
その人が苦しんでるの知って
まわりの人がその人のこと分かってくれて協力してくれて
お友だちもできてさいごはハッピーエンド♪

だったらいいおはなしみたいだけど
ほんとにそれでいいのかな?って。。


別に死んで終わったら感動するとかじゃないけど
ほんとは自分もまわりの人もキズついて
さいごは不幸で終わることの方が多いみたいだから

麻薬を吸ったのにさいごはハッピーエンドになるんだったら

苦しい時は麻薬くらい吸っても
とちゅう死にたいくらいいろいろ苦しんでも
さいごはみんなが助けてくれて幸せになりますよって言ってるみたい。。
{/netabare}かな?って


あと、友だちって永束クンは変わらなくってさいごまでいい友だちだった☆
将也クンに何かしてもらおうなんてぜんぜん考えてなくって。。

でも、ほかの子はふつうの人だったみたい
将也クンだって悪いって思っててもモンク言ったりしてたから
言いわけとかモンクとか言っても友だちなのかな?

にゃんは友だちがいなかったからよく分からないけど
そうゆう相手はいたことあったけど友だちだったのかな?
イジメられたりきらわれたりしても友だちだったのかな?
やっぱり友だちってよく分からなくって。。

{/netabare}
でも、泣いたり楽しかったり心配したり考えたりって
見てよかったおはなしだった☆

おすすめだと思う☆彡

 サンキュー(73)
ネタバレ
2018.03.21 21:32 saihaの評価 | 観終わった| 39が閲覧 ★★★★☆ 4.3 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 5.0  作画 : 4.5  声優 : 5.0  音楽 : 3.5  キャラ : 3.5

メンタルが削られる

障碍者に対するいじめという非常にヘビーな描写があるため見ていて辛い。
主人公とヒロインの両方が自殺しかけてるし。
でも間違いなく見た後に心に残る作品だった。

最後はハッピーエンドなので安心してください

 サンキュー(7)
2018.03.21 17:15 ヴィノカカオの評価 | 観終わった| 46が閲覧 ★★★★☆ 4.6 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 4.5  作画 : 5.0  声優 : 5.0  音楽 : 4.5  キャラ : 4.0

さすが京アニ

日本では障がい者に対して、作品内のような対応になってしまう。
致し方ないことなのだと思います。
現実でもおこりうることだと思いました。

アニメ作品として素晴らしい作品でした。
小さいお子さんはもちろん、大人もみてほしいと思いました。

個人的な意見ですが、同時期に上映していた「君の名は。」より
よい作品でした。

ちょっとまじめに書いてしまいましたが、
西宮さんの声優、早見沙織さんの演技がすごい!!!

 サンキュー(9)
2018.03.18 23:51 雀犬の評価 | 観終わった| 105が閲覧 ★★★★☆ 4.6 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 5.0  作画 : 5.0  声優 : 5.0  音楽 : 4.0  キャラ : 4.0

心を開いて

2016年上映、少年マガジンで連載されていた漫画「聲の形」の劇場アニメ化作品です。
制作はお馴染み京都アニメーション。

聴覚障碍の少女、西宮硝子と小学校時代に彼女をいじめていた少年、石田将也が5年ぶりに再会し、
ぎこちなくも交流していく中で自分の罪や弱さと向き合って行く姿を描く青春ドラマ。
全7巻の内容を2時間の映画に収めているためいくつかのエピソードは削られており、
特に人間関係修復の鍵となる後半の「映画作り」の話を全面カットしているため、
アニメでは存在意義がよく分からないキャラクターもいますが
テーマはしっかりと押さえてあり、非常に濃密で、心に深く響く作品になっています。
声優さんの演技も素晴らしかったですね。

以下は視聴済みの方向け、ネタバレ全開の感想です。

●伝えること
{netabare}
西宮硝子は「言わざる者」です。

先天性聴覚障害の硝子はクラスに溶け込み友達を作ろうと努力するが失敗し、
煙たがられる存在となり、やがていじめを受けるようになります。
その結果、転校し特別支援学校に通うようになるのですがここでの学校生活も
実はそれ程楽しくなかったのではないかと思われます。
同じ難聴の子の友達は原作でも映画でも一切出てきません。

彼女は鯉に餌をやる。川にパンくずを落とすと、鯉が集まってくる。
この行為は人と繋がりたいという思い、そして寂しさを投影しています。
特別な学校に通うことで彼女は守られているともいえるし、
別の見方をすれば隔離されているともいえます。
おそらく彼女の本当の願いは難聴を治し、健聴者と一緒に普通の学園生活を送ることなのでしょう。

そんな彼女も元に、かつていじめの中心人物だった将也が訪れ、
かつて硝子が使い、そして自身で捨てた筆談ノートを手渡す。
ノートにはこう書いてある。
「わたしは皆さんとこのノートを通じて仲良くなりたいと思っています」と。
突然の将也の訪問という出来事は、全てを諦めてかけていた彼女の心に火を灯すことになる。
かくして将也の再起と硝子の再挑戦が始まるのですが、
被害者が簡単に加害者を許してしまい、それどころかというのはいかにもご都合主義であり
障碍者を感動の道具にしているという批判も時折見かけます。
しかし彼女は聴覚障碍者である以前に、17歳の年頃の女の子です。
友達とお喋りしたり、 帰りに寄り道したり、オシャレをしたり、そして恋をしたり…
そんな女子高生としての当たり前の生活に彼女は憧れていたのだと思います。
手話を覚えて自分に会いに来る同い年の男の子に恋愛感情を抱いてしまうのは、
果たして間違った行為なのでしょうか。
僕は、批判している人の方が障碍者を色眼鏡で見てしまっているように感じます。

さて、彼女は将也を通じて小学校時代の面々と再会するのですが再び大きな挫折を味わいます。
さらに医師からと難聴が治る見込みがないことを告げられ(右の補聴器をしなくなった理由)、
優しかった祖母が亡くなる・・・と不幸な出来事が重なり、絶望した西宮は自殺未遂を起こします。

「聲の形」は硝子に厳しい現実を突きつける。
硝子は引っ込み思案で、すぐ愛想笑いに逃げるところがあります。それが彼女の短所です。
誰とでも仲良くなりたいのであれば、その短所を克服しなければいけない。
障碍者だという「言い訳」を許さず、一人の人間として成長させるのが本作の大きな特徴だと思います。

西宮硝子に、本当の気持ちを伝える勇気を。
{/netabare}

●見ること
{netabare}
石田将也は「見ざる者」です。

そのことは、クラスメイトや小学校の同級生の顔に「バッテン」が貼られるという形で示されます。
硝子に代わって小中学校といじめのターゲットにされた彼は、
対人恐怖から人とまともに顔を合わせる事ができない。
贖罪のためバイトでお金を貯め、過去を清算した上で自ら命を立とうとする状況でこの話はスタートします。
母親の必死の説得もあり自殺は思い留まったものの、目標を失い、空っぽになってしまった将也。
すがるような気持ちで硝子の元を何度も訪れるが、
加害者がのこのこと会いに来ていいのだろうかと自問自答を繰り返します。

一方、硝子はすんなりと彼を受け入れ、
初めは将也を敵視していた妹の弓弦(ゆずる)も信頼を寄せるようになる。

しかし、当然のとこながら自殺する寸前まで追い込まれた人間がそうそう簡単に立ち直れるはずもなく、
いまだ罪悪感を拭えず、後悔と自己嫌悪に足を縛られている将也と
可憐な見かけによらず感情の揺れが大きく一度走り出したら止まらない性格の硝子は
皮肉な事に親しくなる程にすれ違ってしまう。

それは「好き」という硝子の告白を「月」と聞き間違えて僕たちを苦笑いさせる場面で
分かりやすく表現されているのだけれども、
この時猫カフェでもらったポーチのお礼に渡すプレゼントにも同様の意味があります。
将也は西宮からのプレゼントを何に使うものなのかよく分からないまま受け取ります。
この謎アイテムは後になってプランターの飾り、フラワーピックと呼ばれる物だったことが分かるのですが
男の子にプレゼントするなら説明が必要だし、将也もよく分からないなら尋ねるべきだった。
つまりこのフラワーピックは二人の心の距離を測るモノサシなんですね。
その後も二人の関係は一向に進展せず、旧友とよりを戻す機会が訪れますが自ら潰してしまいます。

将也の欠点はネガティブな思考でしょう。物事を悪い方へ悪い方へ考えてしまう。
そんな将也を好きな人はあまりいなさそうですが、彼には長所があると思います。
それは素直さと直向きさ。バイトで170万もの弁償代貯めるなんて、なかなかできることではありません。
彼の直向きさは、最初から備わっていたものではなく自分自身の罪と向き合った結果手にしたものです。
将也に必要なのは今の自分自身を信じることなのだと思います。
彼をどうしても許せないという人もいるのだけど、
話をいじめに限定しなければ誰しもが加害者の立場になる可能性はありますし、
ある程度客観的に彼を見ることでこの作品から得られるのがあるのではないかな。

石田将也に、真実の世界を見る自信を。
{/netabare}

●聞くこと
{netabare}
植野直花は「聞かざる者」です。

間違いなく本作のキーパーソンでしょう。
彼女は人間関係を一変させる触媒として働き、物語を大きく推進させる力を持ちます。
聲の形は彼女の存在によって作品が数段面白くなっているし、また深みのあるものになっていると思います。

植野は思っていることを遠慮なくズケズケ言ってしまう、
アニメではあまり見かけないけど現実にはよくいるタイプの人間ですね。
もちろん彼女は口が悪いだけではない。偽りのない言葉は鋭利でとても強い力を持っている。

この映画で一番の見所はどこかと聞かれると、僕は西宮と二人で観覧車に乗って話すシーケンスだと答えます。
印象的でかつ、作者の鬼才ぶりが一番感じられる場面だと思うのです。
「あんたのせいで私たちの関係が壊れた」と硝子を逆恨みする植野ですが、
実は彼女は硝子を障碍者というフィルターをかけず一人の女性として見ている唯一の人物なのです。
だからこそ、硝子の「人間的欠点」を指摘できる。
別に植野は良かれと思って言っているわけではなく、
むしろ悪意を込めてマウントポジションで一方的に言い放っているだけにすぎません。
二人の間で会話は成立していないし、この一言で硝子は深く傷ついたでしょう。
しかし、硝子が植野と再会しなければ自分自身の短所と向き合うこともなく、
内気で友達を作れないままだったというのもまた事実。

一方、植野は将也と島田との仲を修復させようと取り計らいますが、こちらは善意の行為にも拘らず失敗します。
植野の行動は将也の嫌な記憶を呼び起こし不快にさせると同時に、
西宮と友達になろうとした自分の行動とダブり、彼にブーメランとなって跳ね返ってくる。
「西宮も同じように自分を鬱陶しく感じているのではないか」と将也はますます自己嫌悪に陥ります。
容赦のない言葉がプラスに働くこともあれば、良かれと思った事がマイナスに働くこともある。
これが人間関係の面白さであり、難しさなのだと思います。

さて、植野は原作とアニメ版で設定も性格も微妙に異なるキャラであり、これでもアニメ版で丸くなっています。
原作はアニメよりも恋愛要素が強く、植野は「負けヒロイン」という位置づけでしたが
アニメ版の植野は将也への恋愛感情を抱いている描写はなく、
将也と硝子にとって「乗り越えなくてはいけない壁」として描かれています。
それは才色兼備でリーダーシップもある植野が、スクールカーストの最上位にいるからなんですね。
逆に永束が良き友人として将也のために動いても事態を変える力がないのはスクールカーストの底辺にいるからで、
つくづくこの作品は残酷だなと思います…
実際、硝子が一人ずつ会って会話するときも最後は植野だし、将也から見える「バッテン」が最後に外れるのも植野。
つまり平たく言うとこの映画で植野は"ラスボス"なのです。

そのラスボス攻略の決め手となるのは意外にも傘。
硝子が植野に傘を差し出すシーンは将也が弓弦に対して傘を差し出すシーンと完全な対になっています。
なぜこの行為が人の心を動かすのか。
誰であれ良心はあるし、人を邪険に扱う時は少なからず心が痛むもの。
だから人は嫌いな人と相対するとき、「相手も自分を嫌っているはずだ」と思って心のバランスを取ろうとします。
二人が傘を差し出す行為には「私は、あなたを嫌っていないよ」というメッセージが含まれています。
だから意固地になっている相手の気持ちは大きく揺らぐのです。これもひとつの「声の形」なんでしょうね。

そこから学園祭で植野が硝子に手話で「バ、カ」と言うシーンがあるのですが、これはアニメオリジナルです。
実は植野の手話は間違っていて濁点がなく「ハ、カ」になっています。
それに対して硝子が「バ、カ」とやり返す。ここでようやく二人の間に会話が成り立つ。

僕は植野が硝子に言い放ったことは正論だと思っています。
私たちは学校や親から教育を受け、障碍者には親切にしようという気持ちは備わっていますが、
わざわざ自分から積極的に友達になろうとは思わないのがむしろ一般的な感覚ではないか。
植野の主張は私たち健常者が決して口に出さない本音であり、サイレントマジョリティーなのだと思う。
でも実際のところ、聞こえないというハンディはあまりにも大きく完全に対等な関係を求めるのは無茶です。
健常者から歩み寄る思いやりがどうしても必要になる。それもまた現実。

何でも思っていることを口にしてしまう性格の植野。
それは長所でも短所でもあるけれど、人間関係がギクシャクする場面に出会うことも多いと思う。
この原作改変には「少しだけ優しくなれれば、あなたは上手くいく」という
アニメスタッフの思いが込められているように感じます。

植野直花に、他人の声を聞く優しさを。
{/netabare}

●開くこと
{netabare}
原作者の大今さんが度々語っている通り、本作のテーマは"ディスコミニケーション"です。
いじめや障碍はテーマを表現するための要素であってそれ自体がメインではなく、
人と人とが互いに気持ちを伝えることの難しさを描いた物語です。

なぜ、本作のキャラクター達のコミニケーションは上手くいかないのか?
きっと彼らは会話するとき、相手の前に閉ざされた扉があるような心境だったんじゃないだろうか。
相手の顔は見えないし、扉は鍵がかかっていて開かないし、不安ばかりが募る。
でも最後に気付くのです。
『鍵はかけられていたのではなく、自分自身でかけていた』のだと。
それは勇気だったり、自信だったり、優しさだったり。開けるための鍵は人それぞれ。
そのことに気付き、扉を開けてもう一度辺りを見渡した時、やっと世界は本当の姿を見せる。
そして世界はあなたが思うほど酷いものではなく、
自分から心を開けば、意外なほど優しく受け入れてくれるもの。
この話が伝えたいのはきっとそういうことなんじゃないかな。
漫画版の最終回は扉を開くコマで終わるのですが、コミュニケーションの本質を示しているように感じます。

人は集団で生活し互恵的な関係を求める社会的ないきものであり、
誰かとつながりたいという思いは人間なら誰しも生まれつき持っている本能的な希求。
「聲の形」は、そんな当たり前で忘れかけていることを教えてくれる作品だと思います。
{/netabare}

 サンキュー(31)
2018.03.18 20:20 えくいてぃの評価 | 観終わった| 35が閲覧 ★★★★★ 5.0 評価対象: 聲の形(アニメ映画) 物語 : 5.0  作画 : 5.0  声優 : 5.0  音楽 : 5.0  キャラ : 5.0

それぞれのキャラが立っていて、現実っぽくて、素直に感動しました!

小学6年生、やっぱりああいう雰囲気になることもあるのでしょうね。
そこで話が終わらずに、その後もちゃんと描いてるのが、
この作品のいいところなのかも?って思いました。

その後でもやっぱり性格はそんなに激しく変われるものでもなくて、
やっぱりもめちゃうこともあるけど、
変に飾らないで、素直に自分を出せるっていいね^^

 サンキュー(9)

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