ペンギンおすすめアニメランキング 35

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94.7 1 ペンギンアニメランキング1位
宇宙よりも遠い場所(TVアニメ動画)

2018年冬アニメ
★★★★★ 4.2 (2700)
9323人が棚に入れました
いつだってボクらの一歩は好奇心から始まった。
見たことのない風景を、
聞いたことのない音を、
嗅いだことのない香りを、
触れたことのない質感を、
味わったことのない食物を、
そして感じたことのない胸の高鳴りを、
いつの間にか忘れてしまった欠片を、
置き去りにしてきた感動を拾い集める旅。
そこにたどり着いたとき、
ボクたちは何を思うのだろう。
吠える40度、狂う50度、叫ぶ60度、
荒れる海原を超えた先にある原生地域。
地球の天辺にある文明を遠く離れた遥か南の果て。
これは《南極》[宇宙よりも遠い場所]に向かう
4人の女の子たちの旅の物語。
ボクらは彼女たちを通して、
明日を生きるキラメキを思い出す。

声優・キャラクター
水瀬いのり、花澤香菜、井口裕香、早見沙織、能登麻美子、日笠陽子、Lynn、金元寿子、本渡楓、大原さやか
ネタバレ

でこぽん さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

見たことのない風景を見るために…

この物語は、4人の女の子が「宇宙よりも遠い場所」に行く物語。

彼女たちは旅に出る。見たことのない風景を見るために…
怖いけど、やめちゃいたいけど、意味のないことかもしれないけど、
でも…この旅が終わるころには、彼女たちはきっと成長しているでしょう。

この物語の特徴として、主人公の玉木まり(キマリ)のたくさんの心の声が、あたかもナレーターのような話し方で、ゆっくりと力強く表現されています。
その言葉が心に響きます。その響きが感動を呼びます。

そして、挿入歌の『ハルカトオク』が心地よく物語を彩ります。
主張しすぎず、控えめな音量で「あくまでも主役は物語だよ」と、示唆するように…

だから、まるで心地よい音楽を聴いているように、多くの人がこの物語に引き寄せられたのではないでしょうか?
{netabare}
第一話 青春しゃくまんえん
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あらすじ(私の思いが含まれています)
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キマリは、ごく普通の高校二年生。
やりたいことがあるのに、ぎりぎりになるといつも怖くなり、結局何もできない。
そんな情けない自分を変えたいとキマリは願っていました。
でも、自分の性格を変えることは、なかなかできません。

ある日、偶然キマリは小淵沢報瀬(こぶちざわ しらせ)が落とした百万円を拾います。
その百万円はしらせが南極に行くためにアルバイトをして貯めたお金でした。
百万円をしらせに返す際、しらせから南極の素晴らしさを知らされます。

しらせの母が書いた南極の本には、水平線を転がる太陽、夜空に花のように美しく咲き誇るオーロラなど、キマリがまだ見たことのない風景が写っていました。

「しらせと一緒に南極に行きたい。」キマリの思いは膨らみます。
「でも、怖い。すごーく怖い。」それも事実です。キマリは悩みます。
でも、このままだと、今までと同じで何も変わらない。それは嫌だ。
「今度こそ情けない自分を変えよう。」そう決意して、キマリはしらせと一緒に、砕氷艦しらせの下見に広島まで行きます。

彼女は勇気を振り絞り、今、一歩を踏み出しました。 
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感想
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キマリの友達の高橋めぐみちゃんがすごく良い感じ。
彼女はいつも、どんなことがあってもキマリを応援する。背中を押してくれる。そして情けないキマリを叱ってくれる。
こんな友達がいるキマリは幸せだと思う。

そしてしらせの母親は、どんな思いで子供に報瀬(しらせ)と名付けたのでしょうか。
南極観測隊が乗船する砕氷艦と同じ名前。
きっとしらせの母親は、娘も南極を好きになるよう願っていたのでしょうね。(^_^)
   {/netabare}

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第二話 歌舞伎町フリーマントル
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あらすじ(私の思いが含まれています)
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フリーマントルはオーストラリアにある港町の名前。
砕氷艦しらせへ観測隊が乗船する場所です。
そこに行く旅費を稼ぐために、キマリはコンビニでバイトします。
そのバイト先で働いていた三宅 日向(みやけ ひなた)と意気投合し、ひなたも南極に行く仲間に加わります。
しらせとキマリとひなたは、砕氷艦に乗り込むための行動を新宿の歌舞伎町で起こしますが、あまりにもずさんな作戦のために、もろくも失敗します。
しかも、以前も観測隊員の人から南極行きをしらせが断られていた経緯を、キマリやひなたは知ります。
   {/netabare}
感想
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ひなたはとっても明るい女の子。だけどその明るさは、何か無理をして明るくふるまっているような気がします。

学校に行かずバイトをしている16歳の女の子。
きっと何かの事情があるのでしょう。
同じ年頃の人たちが高校へ通うのを仕事場で見ながら、彼女はどんな思いをしているのでしょうか?
苦しいことや悔しいことが、きっとあるに違いありません。
私にはそう思えます。

だから、ひなたはキマリと出会えて良かった。そう思いたいです。
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第三話 フォローバックが止まらない
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あらすじ(私の思いが含まれています)
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しらせたちのもとへ白石結月(しらいしゆづき)がやってきます。
結月は南極行きが決まっている女性芸能人でした。
そして、「私の代わりに南極へ行ってほしい」と、しらせへ頼みます。
結月が南極に行きたくない理由は、友達がいないためでした。

結月の母親から結月を説得するようにキマリ達は頼まれます。
だが、結月の行きたくない理由を知ったキマリたちは、
結月の意思を尊重して、決して無理強いをしません。
それどころか、結月が寂しくならないように気を使います。

その優しさに結月は大泣きしてしまい、キマリたち3人と一緒ならば南極へ行くと決断します。
   {/netabare}
感想
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今回はとても笑い、とても暖かい気持ちになりました。
孤高の少女しらせのおバカなところが十分に味わえただけでなく、
結月の心の叫び、ひなたの社会人としての立派さ、キマリの優しさが心に染み入ります。

結月は芸能活動が忙しく、今まで友達ができなかった女の子。
多くの人は芸能人に憧れ、芸能人をうらやましがるでしょう。
でも、芸能人である結月は、人気よりも友達をつくりたいと願ってました。

どんな人にでも悩みはあるのです。
目に映る情報だけで人をうらやましがるのは、やめた方が良いですね。


結月は、友達ってどんなものかがわからない女の子。
だけど、キマリたちを見ていると、結月の心が和みます。
そして、キマリたちと一緒の時間を過ごしたいと思うようになります。

友達や恋人って、そんなものだと思います。
一緒の時間を過ごしたい。単純なことですが、それが最も大切なことです。

顔が綺麗とかカッコいいとかは、最初のうちだけです。
付き合っていれば、そんなのは、どうでもよくなりますよ。
   {/netabare}
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第四話 四匹のイモムシ
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あらすじ(私の思いが含まれています)
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キマリたちが夏季訓練のため、山で合宿します。

学校のみんなは、まだキマリたちが南極に行くのを知らないので、キマリたちの行動をあざ笑います。
多くの人たちは、相変わらずしらせやキマリの行動を『無駄なこと』だと感じています。

「笑いたい人には笑わせとけばいい。その代わり、南極に着いてから言うの。
『ざまーみろ、ざまーみろ、ざまーみろ』って…」
それがしらせの考えでした。

四人は真面目に訓練します。
それは、学校では決して教わらない、南極で生き抜くための訓練でした。
速さを競うわけでもなく、時間を競うわけでもない。
自分たちがいる位置を正確に導き出す訓練でした。
   {/netabare}
感想
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自分のいる場所を正確に把握することは、人生においてとても大切なことです。
例えば、勉強の際、どの分野のどのレベルの問題で自分が躓いているのか。
仕事の際は、自分の立ち位置がどこで、どの問題に直面しているのか。
を正確に把握しないと、対応方法が違ってきます。

ゴールは見えているのだけど、自分の居場所がわからない…。
そうならないように頑張りましょう。

四人の実施訓練は山でのテント生活です。
まわりには灯が全くないため、夜空が綺麗です。
満点の星空に天の川。都会では決して見ることのできない光景です。
そして、山での日の出の瞬間、それは最も美しい光景でした。
   {/netabare}
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第五話 Dear my friend
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あらすじ(私の思いが含まれています)
  {netabare}
キマリたちが南極に行くのを、全校の生徒が知ることになります。
しらせやキマリを見る皆の目が変わってきます。
その中で唯一、キマリの親友の高橋めぐみは、複雑な心境でした。

キマリと一緒にいると、めぐみはお姉ちゃんになったような気がして嬉しかった。
だけど、キマリは一人で前に進みだした。
今までのおどおどした態度も、今のキマリには見られない。
それが寂しかった。それが悔しかった。無性に腹が立った。

やっかみだった。
自分で自分を情けなく感じていた。
だからめぐみは、自分の愚かな行為を正直に告白して謝り、キマリに絶交宣言をします。

そんなめぐみに対して、キマリは温かい言葉をかけます。
   {/netabare}
感想
  {netabare}
今回はめぐみの気持ちが心に響きました。

キマリがいつも頼りにしている大親友のめぐみ。
どこから見ても欠点など見当たらないめぐみでしたが、
そんなめぐみも、普通の少女でした。

めぐみが涙を流しながら告白した内容は、忘れられません。
     {netabare}
最初キマリが南極に行くって言った時、なんでこんなに腹が立つんだと思った。
昔からキマリが何かするときは、私に絶対相談してたのにって…
昨日、キマリに言われて、やっと気づいた。
くっついて歩いているのはキマリじゃなくて私なんだって…
キマリに頼られて、相談されて、あきれて面倒見るようなふりして、偉そうな態度とって…
そうしていないと、何もなかったんだよ。私には…
自分に何もなかったから、キマリにも何にも持たせたくなかったんだ。

だめなのはキマリじゃない。私なんだ
ここじゃないところに向かわなければならないのは、私なんだよ。
     {/netabare}
こんなにも悩んだめぐみは、これからもキマリの大切な友達でい続けるでしょう。

そして、このシーンで使用された挿入歌が sayaが歌う「またね」
陰気で寂しい歌です。
通常であれば、こんな寂しい歌は多くの人が敬遠します。
でも、この歌があるからこそ、このシーンが感動を呼ぶのです。
多数の方が、このシーンで涙を流されたのではないでしょうか。
私は、このシーンだけで既に6回も見ました。

   {/netabare}
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第六話 ようこそドリアンショーへ
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あらすじ(私の思いが含まれています)
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キマリたちは日本を出ます。
最初の宿泊地はシンガポール。アジアにおける海の交差点です。
シンガポールはいつの間にか、アジアにおける空の交差点にもなっています。

結月はいつの間にかひなたから「ゆず」と呼ばれるようになりました。
愛称で呼ぶのは友達だから。結月はそう呼ばれるのがとても嬉しそうです。

ところが、ここでひなたがパスポートを失くします。
外国でパスポートを失くしたら、旅行どころではありません。
何をしても楽しめません。おそらくひなたもそうだったはずです。

みんなは、パスポートを失くしたひなたに気を使い、優しくします。
でも、パスポートが再発行されるまで滞在すると、航空券が使えなくなる。
それは、南極へ行く船に乗れなくなることを意味しています。

みんなに迷惑をかけたくないので、3人で先に行くようにとひなたが告げます。
ひなたは南極に行くのを諦めます。

そんなひなたに対して、しらせは意地を貫き、ある行動に出ます。
今まで苦労して貯めた百万円を使って航空券を買います。
それは、しらせの信念でした。
   {/netabare}
感想
  {netabare}
ここではしらせの成長を見ることができます。
孤高の少女しらせが、いつの間にか仲間を大切にし、それが最も大切なことだと言い切るようになりました。

しらせがひなたに言い切った言葉が痛快です。
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意地になって何が悪いの。
私はそうやって生きてきた。
意地張ってバカにされて、嫌な思いして、それでも意地張ってきた。
間違ってないから。

気を使うなって言うならはっきり言う。
気にするなって言われて、気にしないバカにはなりたくない。
先に行けって言われて、先に行く白状にはなりたくない。
四人で行くって言ったのに、あっさり諦める根性無しにはなりたくない。
四人で行くの。この四人で。それが最優先だから。
      {/netabare}
ここまで大切に思われたひなたは、とても幸せを感じたことでしょう。
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第七話 宇宙を見る船
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あらすじ(私の思いが含まれています)
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今回はしらせのお母さんの話が、いたるところに出てきます。

キマリたちは乗船します。
船の中はあわただしく、人員が不足しているようです。
しらせのお母さんが亡くなったのが原因で、3年間南極への観測は延期され、スポンサーも少なくなった。
予算削減のため、みんなが作業を多くこなしているようです。

しらせが船室のベッドで横になったとき、天井には蓄光塗料で星々が描かれていました。
これはきっとしらせのお母さんが描いたのだろう。みんながそう言います。そしてしらせもそう信じます。
かつて母が寝泊まりしていた場所で寝る。これはしらせにとって感無量でした。

そして、観測隊の南極での最終目的をしらせたちは知ります。
民間として南極に天文台をつくる。
10年かかろうが20年かかろうが構わない 南極でまだ知られていない星を見つける。
それが隊長の藤堂吟(とうどうぎん)、副隊長の前川かなえ、そしてしらせのお母さんである小淵沢貴子の目標でした。
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感想
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結月はプロのリポーターです。それに対してしらせはポンコツリポーター。
でも、ひなたのファインプレーで、しらせは度胸をつけます。
「皆さん一緒に南極に行きましょう!」と叫び、拳を高々と振り上げます。
たったそれだけのことですが、赤面症のしらせにとっては大きな一歩でした。
それはとても素晴らしいことです。
授業では決して教わらないことでした。

これからもしらせは仲間に助けられて成長してゆくでしょう。


そして観測隊の最終目的、「南極で誰も知らない星を見つける」
とてもステキです。
こうやって地道に頑張っている人たちのおかげで、今の科学技術が出来上がっているのですね(^_^)
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第八話 吠えて、狂って、絶叫して
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あらすじ(私の思いが含まれています)
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キマリたちの乗った船が出港します。
キマリたちは元気いっぱいで乗組員のリポートをします。
しらせは少しづつリポートの仕事に慣れてきました。

でも、南極に近づくにつれて、波は荒くなり船の揺れも大きくなります。
寝ている最中に体が宙を浮くこともあります。
それほど激しい揺れなのです。
キマリたちは船酔いしてグロッキーになります。

食べる元気もない。運動する元気もない。
このままだと、南極に着いても役に立つ自信が全くない。

でも、自分たちが選んだ旅だから。
ここに来ると決めたのは自分だから。
だから頑張れる。

キマリたちは体力をつけるために、何度吐き気がしてゲロを吐こうが、
頑張って食事します。頑張って運動して少しずつ体力をつけます。

そして、久しぶりに晴れた日。甲板から遥か彼方の水平線を見ると、流氷が浮かんでいました。

キマリたちは南極の入り口に到着したのです。
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感想
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今回は何か大きな出来事があるわけでもないのに、不思議と感動します。
キマリの声が、静かに、力強く、胸に響きます。

結月が船酔いで寝込んで落ち込んだとき、
しらせは、「頑張るしかないでしょう。ほかに選択肢なんてないから」と言い、結月を励まします。

それに対してキマリは、「そうじゃないよ。選択肢はずっとあったよ。でも選んだんだよ。ここを。選んだんだよ、自分で」と言います。
このときのキマリの言葉は、結月やひなたやしらせ、そしてキマリ自身をも、力強く励ましたようです。

さらに船の揺れでみんなが一斉に転んだときでも、キマリは「楽しい」と言い放ちます。
このときのキマリは未来を見すえていました。
この旅が終わったとき、今日の苦しかった出来事は、きっと楽しい思い出に変わっているはず…。そうキマリは確信しています。

実に素晴らしい考え方です。
こんなキマリの考え方ならば、どんな困難にでも打ち勝つことができるでしょう。


そして、キマリの心の声が語る南氷洋の景色が感動します。
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雲もなく、鳥の姿もなく、視界全てが一面の青。
どんなに目をこらしても、見渡す限りの水平線。

確かに船の音は聞こえているはずなのに…
その圧倒的な景色が、音を消していた。
そこにあるのは、宇宙を思わせる無音の世界

そのとき、確信した。
この向こうに、本当にあるんだ。南極が…
       {/netabare}
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第九話 南極恋物語
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あらすじ(私の思いが含まれています)
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今回は、隊長である藤堂吟としらせとの過去を垣間見ることができます。

吟としらせとは10年前からの知り合いです。
そして、不思議と二人は、お互い口下手で、性格が似ています。

そして吟は、しらせが自分を憎んでいると思っている。母親の捜索を打ち切った自分を許していないと思っていました。
でも、それは誤解でした。しらせは吟を憎んではいません。
南極観測には危険があることを、しらせは母から何度も聞かされていました。


やがてキマリたちの乗った砕氷船が、南極大陸の間近までやって来ます。
氷にぶつかり、氷を砕き、少しずつ進んでゆきます。
何度も何度も挑戦して、ほんのわずかずつ前進します。

そしてキマリたちは、ついに南極大陸に上陸しました。
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感想
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母親が亡くなった後も、しらせは母親が生きているときと同じ生活をしています。
しらせは今でも母親へメールを送っています。
決して届くはずのないメールだとわかっていながら、送り続けています。

そんな自分を変えなければ…と、しらせは感じていました。
だからしらせは、南極に行って自分を変えたかったのです。


南極大陸に初めて上陸する際、キマリたちはしらせを最初に上陸させようと気配りします。
それに対してしらせは、四人で手をつなぎ、同時に上陸するように提案しました。

その出来事だけでも、しらせが少しずつ変わってきている、少しずつ成長しているのがわかります。
この旅は、四人を確実に成長させています。


ただ、最後が良くなかった。
南極大陸上陸してのしらせの第一声が「ざまーみろ!」。これは正直冷めました。
どうしても言いたかったら心の中で言えばいい。口に出した途端、人間が小さく見えてしまいます。

しらせがどんなに口下手でも、ここは三人に「ありがとう。キマリとひなたと結月がいてくれたから南極に来ることができた。」と言ってほしかった。
せっかく四人で手をつないで上陸したのに、感動が覚めてしまいました。

そして、船のみんなが吟の掛け声で「ざまーみろ」と一斉にいうシーン。
これはあり得ません。こんなことを言ったらスポンサーは皆、降りてしまいます。
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第十話 パーシャル友情
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あらすじ(私の思いが含まれています)
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キマリたちは昭和基地に着きました。

結月は南極から帰った後のことを心配し始めます。
そのときは今までどおり皆と会えないことに不安を感じます。
だから友達契約書をつくり、キマリたちにサインしてほしいと頼みます。

こんな契約書には意味がないというしらせ。 
そのとき、キマリが泣きながら、
「ごめんね。ごめん。わかんないんだよね。わかないんだもんね。」
と言って、結月を抱きしめます。

なぜキマリが泣いているのか…。
結月には、それがわかりません。逆に怒っていると勘違いします。

後で結月に対して三人が、友達ってどんなものかをそれぞれ説明します。
そして結月は、ようやく友達の意味を理解します。

そして結月は三人からバースディケーキをプレゼントされて、誕生日を祝ってもらいます。
結月にとって友達から誕生日を祝ってもらうのは、生まれて初めてのことです。
嬉しくて、嬉しくて…。結月は、またしても大泣きしてしまいます。
 {/netabare}
感想
  {netabare}
友達ってどんなものかを説明するのは、簡単なようで難しいですよね。
三人の説明は、それぞれの個性を感じます。

ひなたの説明:{netabare}
ゆずがキマリのこと好きだとする。
そのときキマリが「言葉じゃわからないので書いてくれ」といわれたら嫌だろう? {/netabare}

ひなたの説明を聞き、確かにそうだと結月は納得しますが、まだキマリが泣いた理由がわかりません。

しらせの説明:{netabare}
友達とは言葉じゃない。形も言葉も何もない。
いつ消えても誰も責任を負ったりしない。
だから自由で、だから一緒にいられると思う。 {/netabare}

しらせの説明は正論です。確かにそうだと結月は理解しますが、心はまだモヤモヤしています。

キマリの説明:{netabare}
キマリはめぐみとのラインのやり取りを見せながら説明します。

既読サインのタイミングで、今寝てたんだなーとか、今学校なんだなーとか、返事しようかと迷ったのかなーとか…。
わかるんだよー。そのときどんな顔してるかも…。変だよね?
でも、私にとって友達って、多分そんな感じ。
全然はっきりしていないけど、多分そんな感じ。 {/netabare}

キマリの説明はとりとめもないことですが、不思議と今の結月にはしっくり来たようです。

結月はキマリが泣いた理由がわかったようです。自分のために泣いてくれたことがわかったようです。
キマリは友達思いのとても優しい女の子です。

そして、生まれて初めて誕生日を祝ってもらったこと。
誕生日を祝ってもらうのは誰にとっても嬉しいことです。

今日は結月にとって感慨深い一日でした。そして嬉しい一日でした。
だって三人が結月のために多くの時間を使ってくれたのです。

結月は今日のこの日を一生忘れないでしょう。
 {/netabare}
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第十一話 ドラム缶でぶっ飛ばせ!
{netabare}
あらすじ(私の思いが含まれています)
  {netabare}
三宅ひなたが高校の頃に所属していた陸上部の友達が、南極との中継に参加していました。
だが、三宅ひなたには苦い思い出しかありません。
テスト中継のとき、ひなたは足がつったふりをして彼女らとの会話を避けます。
そして外に飛び出して、雪山にパンチやキックを浴びせます。ストレスを発散します。
過去によほど嫌なことがあったのでしょう。

そんなひなたの様子を見たしらせは、ひなたを心配します。
何も話してくれないひなたの力になりたいと思います。


高校の頃、ひなたは陸上部に所属しており、先輩よりも良い記録を出して代表選手に選ばれました。
同級生の友達は、力を出しきらないとかえって先輩に失礼だと言って、ひなたを褒めたのですが…、
いざ、先輩の前では自分の主張を述べることなく、ひなたを裏切ります。
それを知ったひなたは、部で孤立します。
そして、何もかもが嫌になり、陸上部を退部して高校も中退しました。


高校のときの友達は、あのときひなたを守ってあげることができなかったことを悔いていました。
だから、ひなたにお詫びのメールを送り、テスト中継に参加したのです。

だけど、ひなたは過去を思い出したくなかった。もうかかわりたくなかった。

しらせは考えます。
自分がひなたと同じ立場だったらどうだろう? もう取り返しつかないのに平気で謝ってきて…と…。

そんなしらせにひなたは感謝します。
「心配してくれてありがとう。南極に連れてきてくれてありがとう。」と、自分の気持ちを素直に述べます。


中継の本番直前に、「許したら楽になるかな?」と、ひなたはしらせに相談します。
「だけど許して、ホッとするあいつらの顔を見ると腹が立つ」とも、ひなたは言います。
本心は「ふざけるな! いまさら」と、言いたいのです。

人間が小さいと自分自身恥じています。でも、まだどうすることもできません。
そんなひなたの心を知ったしらせは、ある行動に出ます。
   {/netabare}
感想
   {netabare}
人間誰でも思い出したくない嫌なことの一つや二つはあります。
心に思った正しい解決方法と、自分のふるまいとにギャップを感じることが、やはりあります。
人間は弱い生き物です。

今回は、感動したことと嫌だったことがありました。

■感動したこと
しらせは、いつも友達を大切にするようになりました。
以前の孤立したしらせの姿はどこにもありません。
しらせは、いつもひなたを守っています。
そんなしらせを、ひなたは全面的に信頼しています。

■嫌だったこと
しらせがひなたの心を代弁して、陸上部の人たちに語ったこと
      {netabare}
三宅ひなたにかかわらないでいただけますか。
あなたたちはひなたが学校をやめて、辛くて、苦しくて、貴方たちのことを恨んでいると思ったかもしれない。
毎日、部活のことを思い出して泣いていると思ってたかもしれない。
けど、けど…、
(けど、そんなことないから。
ひなたちゃんは今、私たちと最高に楽しくて超充実した、そこにいたら絶対にできないような旅をしているの。)
ひなたは、もうとっくに前を向いて、とっくに歩き出しているから。私たちと一緒に踏み出しているから。

あなたたちは、そのままモヤモヤした気持ちをひきずって生きていきなよ。
人を傷つけて苦しめたんだよ。そのくらい抱えて生きていきなよ。
それが人を傷つけた代償だよ。私の友達を傷つけた代償だよ。

いまさら何よ、ざけんなよ。
       {/netabare}
確かに、今のひなたは、まだ当時の仲間を許していません。
でも、それは時が解決してくれることを、しらせもひなたも知りません。
あんな厳しい言い方でなく、
「もうしばらく、ひなたをそっとしてあげてほしい。もうしばらく会わないでほしい。いつかきっとあなたたちの気持ちが伝わるから…」
と、言ってほしかった。

人間は、誰しも過ちを犯すものです。
しかも、怖い先輩たちに逆らって自分の意見をはっきり述べきれる勇気ある下級生など、ほんのわずかしかいません。
彼女らは、その場の体裁を整えるために言ったにすぎず、ひなたの前で酷いことを言ったわけではないのです。
しかも、ひなたを孤立させたことを彼女らは悔いており、謝っています。

許すという行為は、非常に大切なものです。
それができないと、友達はどんどん少なくなっていきます。


会社勤めをすると、上司や取引先のお客様から理不尽なことをいろいろと言われます。
殴ってやりたいと思うことも、たまにはあります。
でも、そのたびに怒っていたのでは、家族を養えません。
聞き流すという技術や、謝っている人を許すという技術は、生きていくうえで大切なものです。

ついでにもう一つ。
しらせが言った「いまさら何よ、ざけんなよ。」はNGワードです。
普通だったら即、担当業務から外される行為です。

なぜならば、これはしらせと陸上部の女の子たちとの会話ではなく、
日本へのテレビ放送をするための作業です。重要な仕事です。
何も知らない人がしらせの言葉を聞き、嫌な思いをしたと苦情を述べたら、スポンサーは間違いなく減り、南極観測ができなくなります。

仕事で南極に来たのだから、個人の意見と仕事での話し方とは区別しなければなりません。
 {/netabare}
{/netabare}

第十二話 宇宙よりも遠い場所
{netabare}
あらすじ(私の思いが含まれています)
  {netabare}
観測所へ一緒に行かないかと、しらせ達は誘われます。
観測所は、しらせのお母さんが亡くなった場所。
キマリたちは喜びますが、しらせは迷います。ためらいます。

南極まで来た目的を、しらせはわかっています。
それは、母が亡くなったことを胸に刻むため。
未だに母へメールを送り続けている自分を変えるために、ここに来ました。

でも、そこへ行って、もし何も変わらなかったら…。
そう思うと、しらせは、ためらいます。

でも、キマリたちから励まされて、隊長から励まされて、勇気を出して行くことを決意します。

基地から遠く離れた山の上にある観測所。
そこへ行く途中で、ブリザードが吹き荒れます。
ロープを手放すと瞬く間に遭難する自然の非情さ。
「母が亡くなったときも、こんなブリザードが吹き荒れていたのか…」と、しらせは思います。

その夜、母が間近にいるような気がして、しらせは寝付けません。
そんなときに、キマリが「連れて来てくれて、ありがとう」と、しらせに感謝します。

それを聞いて、しらせは母に最後のメールを送ります。

そして、ついに、雪上車は観測所に着きます。
この観測所は、やがて『小淵沢天文台』になります。
しらせの母の苗字がついた天文台になるのです。

ここでキマリたちは、しらせの母の遺品を探します。しらせのために思い出になるものを懸命に探すのです。

そんなみんなの行動に申し訳なさを感じたしらせは、ここに来れただけで十分だと言います。
しかし、キマリは「そんなの良くない!」と言い放ち、探し続けます。
ひなたも結月も、懸命に探し続けます。

そして、ついに、しらせの母が使用していたノートパソコンを見つけました。
   {/netabare}
感想
   {netabare}
この回は、間違いなくしらせが主人公でした。
とても感動する内容です。
何度も何度も見直したくなる、そんな話でした。

しらせが母へ送った最後のメール。
それは、しらせの成長を表していました。
そして、母への思いの深さを表していました。
     {netabare}
Dear お母さん
友達ができました。
ずっと一人で良いと思っていた私に、友達ができました。
ちょっぴり変で、ちょっぴり面倒で、ちょっぴりダメな人たちだけど…
一緒に南極まで旅してくれる友達が…
ケンカしたり、泣いたり、困ったりして 
それでもお母さんのいたこの場所に、こんな遠くまで一緒に旅してくれました。
私は、みんなが一緒だったから、ここまで来れました。

おかあさん。
そこから何が見えますか?
お母さんが見たのと同じ景色が、私にも見えますか?
もうすぐ着きます。
お母さんがいる その場所に。
     {/netabare}

そして、しらせの母親が使っていたノートパソコン。
ログインパスワードは、しらせの誕生日。11月01日でした。
それだけでしらせは母から愛されていることを感じたはずです。

ログインすると、しらせからのメールが次々と受信されます。
その数は、やがて1000通を超えました。
こんなにたくさん、こんなに長い期間、しらせは母にメールを送り続けていたのです。
おそらく、毎日メールを送り続けていたようです。
しらせは、母が大好きで大好きで、母が亡くなったことなんて信じたくなかったのかもしれません。

でも、このときしらせは、母が亡くなったことをはっきりと認識し、声を上げて泣きだします。
「お母さん、お母さん…」
もう二度と会えない最愛の人を呼び続けて泣くのです。
母の葬式のときにも泣かなかったしらせが、今、ここで初めて泣くのです。

部屋の外では、キマリたちが声を出すのを必死にこらえて泣いていました。
しらせは、本当に良い友達ができました。
 {/netabare}
{/netabare}

第十三話 きっとまた旅に出る
{netabare}
あらすじ(私の思いが含まれています)
  {netabare}
キマリたちは、南極での仕事に慣れてきたようです。
帰るまであと3日となったとき、まだオーロラを見ていないことに気づきます。
でも今は白夜、夜が来ないのでオーロラは見ることができません。
夜が来る季節までいたら高校を留年することになります。

そこでキマリは、また四人で旅をしようと呼びかけます。
結月はもちろん大賛成です。ひなたも賛成してくれました。
しらせは、もう一度南極へ来たいと思っていたので、もちろん賛成です。
キマリはいつの間にか、しらせに全く遠慮なく、対等に話せる仲になっていました。

南極を離れる日、しらせは母のノートパソコンを隊長の吟に渡します。
いつの間にか、しらせと吟は仲が良くなっていました。

南極を離れたその夜、久しぶりに見た夜空に、なんとオーロラが姿を見せます。
皆で船の甲板にあおむけになり、手をつなぎながらオーロラを見上げます。

そのとき南極では隊長の吟が、ノートパソコンに未送信のメールがあることに気づきます。貴子から娘のしらせへ送ろうとしていたメールでした。

しらせは母親からの最後のメールを受け取るのです。
   {/netabare}
感想
   {netabare}
この旅で一番成長したのは、しらせでしょう。
第一話でのしらせと今のしらせとでは、雲泥の差です。
友達なんていらないと言い切っていたあの頃のしらせが嘘のようです。

しらせは、キマリたちに出会えて本当に良かったと思います。

それとは逆に、ひなたはみんなの中で一番成長が感じられませんでした。
もちろん、ひなたが最初から最も良識ある行動をしていたため、そう感じる部分も多いのですが…、
日本に帰ったら、陸上部の友達と仲直りしてほしい。そう願わずにはいられません。

結月は、キマリたちと出会えて本当に良かったと感じています。
彼女がこれからも芸能活動を続けていくのであれば、この数ヶ月間の出来事は、一生の宝物として心の中に残るでしょう。
その宝物は、決して奪われることも無くなることもありません。
いつまでも素敵な思い出として、心の本棚に大切に保管されるでしょう。

そしてキマリ。
キマリはしらせの両頬を引っ張ることができるほど強くなりました。
そして三人は、キマリのことが大好きで大好きでしかたありません。
だってキマリは誰よりも優しく、友達のために泣くことができるお人よしです。

キマリがみんなに言った言葉
「一緒にいられなくても一緒にいられる。だってもう、私たちは私たちだもん。」
キマリを知らない人だと、全くの意味不明な言葉にしか聞こえません。
でも、キマリと親しい人が聞くと、とても感動を呼ぶ言葉に聞こえてしまいます。

キマリは説明が上手なわけでも洞察力が鋭いわけでもないのに、不思議と、相手を説得するのに長けています。
それは、キマリの心がとても美しいから、そうさせているのでしょうね。
 {/netabare}
{/netabare}

実生活で必ず役に立つお話
{netabare}
第一話:
・現金は持ち歩かず、預金しましょう。(^_^)
・新幹線に乗る10分前にはコンビニで弁当とお茶を買っておきましょう。
 安く旅をするための基本です。ヾ(・ω・*)
・新幹線の中で富士山の写真を撮る際は、窓際の人に素直にお願いしましょう。(。>人<。)

第二話:
・16歳の女の子が歌舞伎町を夜歩くのはやめた方が良いです。
 特に地方から初めて来た人は、目の動きや歩き方や挙動で、すぐに初めてだとわかります。だから絶好の標的にされます。
 アニメの中では楽しそうですが、現実はアニメとは違います。

第三話:
・人を説得する際は、まずは相手の話を十分に聞いてあげましょう。
 口は一つしかないけど、耳は二つあります。
 自分が話す2倍の量を聞けるように、神様が人間をつくったようです。

第四話:
・北極星のように有名ではありませんが、南極星もあります。
 南極星は北極星ほど明るくはありません。
 それに地球の歳差運動により天の南極が移動するため、
 南極星の役割を果たす星は変わっていき、約25,800年で一巡します。

第五話:
・言葉は力です。人を感動させることもできれば、
 人を怒らせることもできますし、人を悲しませることもできます。
 言葉で人を喜ばせ、感動させることができたら…世界が変わるでしょう。

第六話:
・パスポートは必ずセイフティボックスに預けましょう。
 パスポートを失くしたら、楽しいはずの旅が辛い旅に急変しますよ。
・ドリアンは美味しいですよ。
 風土や慣習の違いで食べ物が口に合わないことは確かにあります。
 例えば納豆は、一部の西洋人には腐った食べ物のように感じられます。
 だから自分の口に合わないものを悪く言うのはやめた方が良いです。

第七話:
・蓄光塗料とは、光を蓄えて発光する塗料のことです。
 蓄えた光のエネルギーが切れると光らなくなります。
 昔の夜光塗料には放射性物質が使用されていました。
 それだと危険ということで、今ではほとんど蓄光塗料に変わっています。

第八話:
・船が激しく揺れる夜は甲板に出てはいけません。アニメなので無事でしたが、
 これが現実ならば、四人とも波に攫われて水死していたでしょう。

第九話:
・南極には2020年時点で65の観測基地がありますが、うち17は南半球の国の基地です。
 南半球の国々は早くから観測基地を建てていました。
 その後、第二次世界大戦で勝利した国々が基地を建て始めました。
 そして日本が基地を立てたのは1957年です。
 その後、各国が基地を立てるようになりました。
 温暖化の影響で基地を建て易くなったので、今後は争いの火種になるかもしれません。

第十話:
・南極観測隊は一年分のゴミを焼却して持って帰ってるそうです。
 自然保護活動のために陰で随分と努力されているのですね!

第十一話:
・南極にも人工衛星の目印を設置する箇所はたくさんあります。
 ここでの作業は宇宙開発にもつながっているのですね。
 宇宙と南極。全く関係ない場所のようですが、密接な関係のようです。

第十二話:
・オゾン層の観測は、ああやってやるのですね。
 日本から14,000Kmも離れた場所で頑張っている人達がいるからこそ、
 今の文明社会が成り立っています。とても立派な仕事だと思います。
・太陽柱(サンピラー)とは、大気光学現象の一種で、日の出または
 日没時に地平線に対して垂直方向へ、太陽から炎のような形の光芒が
 見られる現象です。

第十三話:
・成長しようと思ったら旅に出てください。そして思いっきり恥ずかしいことをしたり、
 恥をかいたりしてください。ことわざでも『旅の恥はかき捨て』といっています。
 モーツアルトは、人生の約1/3の時間を旅していました。
 あなたも長い長い人生旅行の旅の途中です。思いっきり恥をかいてください。
 そうすれば、きっと強くなります。きっと成長しますよ。
 
ひなたの名言集:
  {netabare}
・引き返せるうちは旅ではない。引き返せなくなったときに、初めてそれは旅になる。
・思いの強さと我儘とは紙一重である。
・空にある星がすべてと思うなかれ。
・悪意に悪意で向き合うな。胸を張れ。
・時計の針を一番進めるものは忙しさである。
・友達って多分ひらがな一文字だ(これはキマリの迷言 なんとなくわかります)
・何かをするのが思いやりではない。何もしないのも思いやりである。
 {/netabare}
{/netabare} 
{/netabare}

さらに、エンディングへの入り方が絶妙でした。
楽しい終了のときには「ここから、ここから」が物語の続きのように優しく響きます。
そして、第十二話の感慨深い終了のときは、「またね」が余韻を残すように静かに歌われました。 


行動力のしらせ、優しさのキマリ、思慮分別のあるひなた、大人を動かす力のある結月、これら四人が一人でも欠けていたら、この旅は実現できなかったでしょう。

投稿 : 2023/06/03
♥ : 126
ネタバレ

sinnsi さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

老若男女に勧めたい、誠実な友情アニメ

【無料第1話(公式チャンネル)】
https://www.nicovideo.jp/watch/1514789907
(未視聴者はこんな拙レビューなんて読まず、取りあえず第1話だけでも真剣に観てほしい。)
(何かを感じ取ったら、ぜひ全話を観ていただきたい。)

【(非ネタバレ)老若男女に勧めたい、誠実な友情アニメ】
これまでに「友情」をサブテーマの一要素に加えていた作品はいくつもあったが、
下記のような疑問点が、どれかは付いて回っていたように思える。
・記号的で絶対的な絆が、根底にあるのみ。
・命を賭した戦いだとかが付いて回り、現実感が薄い。
・距離感が近すぎたり、けんかをしても痴話げんか的だったりして、同性愛的な観点でも見られる作りになっている。

しかし筆者としては、本作に上記のような疑問点はなく、
全13話で非常に生き生きとした、「友情」をメインテーマに据え、非常に完成度の高い作品となっている。
「友情」というのは人生の一因であるので、登場人物の人生を見つめるつもりで、真剣に視聴していただきたい。
登場人物が感じる喜怒哀楽は、視聴者も感じられ、涙するだろう。

物語・登場人物(キャラ)が素晴らしいのは無論、登場人物もメイン4人組からサブキャラも個性的で、掘り下げて描かれており、
作画においても空気感のある人物の表情や、背景の描写も素晴らしく、
声優の演技においても中堅声優の地力があり、あふれんばかりの感情がむき出しになっている。
音楽においては、BGMがシーンの要所々々の空気感に非常にマッチしている他、物語がピークとなるシーンでは、ほぼ毎話挿入歌が流れるのだが、
女性アーティストの優しくも繊細な歌声やメロディーが、繊細な感情が揺れ動くシーンに非常にマッチしている。
以上の事から、全評価において5.0を文句なしに付けられる。

ながら見等で見た事はあるけれど、ピンとこなかったという方がいれば、第1話だけでも真剣に観直していただきたい。

【(非ネタバレ)どういう話なのか】
本作は南極(日本からの距離14000km)に向かう女子高校生4人組の話であり、(宇宙は上空100km)
「宇宙よりも遠い場所」というタイトルは、そこから由来している。

女子高校生が南極という熾烈な環境に向かうのは、ファンタジーであるのだが、丁寧にその過程を描いている。
4人組は元々縁もゆかりもなく、ほとんどが孤立して負け組の人生を歩んでいたのだが、そこで4人にしかない友情を育み始めるのである。

あらゆる物語において、ある人物が存在しなければ、物語が成立していなかったという作品は山ほどあるが、
超人的な能力・技能が前提となっている場合が多く、物語において絶対的な象徴の大道具となっているケースが多い。
そうでない等身大の日常を送る物語においても、その場に集まった人間らの物語という気がして、そこに集まらなくとも幸せに過ごしているんだろうな、という人物は存外多かったりする。
本作においては、この4人全員がそろわなければ、南極へ臨むという物語自体が成り立たず、4人はその後の人生において、それ以上の偉業に臨もうとする事が決してないであろう事は、想像に難くない。
それぐらい、4人全員が互いを強く支え合い、信頼し合っているんだという事が感じ取れるのだ。
またそれは押しつけがましい物ではなく、しっかりと距離を保ち、価値観を尊重するという部分も大きい。

この作品は、4人全員が主人公であり、それぞれが人生を生きる青春群像劇である。

【(ネタバレ)「友達って○○だ!」というセリフの説得力の強さ】
(第{netabare}10{/netabare}話のセリフ)
{netabare}友達とは何なのか、そんな問いに対する普遍的な答えは絶対に出せない。
方程式のような厳密さがある訳でも、友達誓約書のような取り決めがある事はありえない。
しかし、キマリの「友達って多分ひらがな1文字だ!」という、半ば感覚的なこのセリフがスッと入ってきて、非常に共感できるのは、偉人の言葉のように「重なるかもしれない」という部分があるだけでなく、
4人組がそれだけで思いをくみ取り、意思疎通が可能である間柄である事に、非常に説得力があるからだ。この第10話まで(それ以降も)の積み重ねは、非常に説得力があるのだ。
これは本作を一番象徴するセリフであると私は思うし、友達という定義への一つの答えでもある気がしてならない。{/netabare}

【(ネタバレ)全13話を振り返って】
(従来は総括してのレビューにとどめているが、全話が神回であり、大切な友情の軌跡なので、あえて書いた。)
{netabare}
キマリは女子高校生2年生になっても、何も成し遂げて来なかったと自負していた上、
変えたいと思っても変えられない自分に、自己嫌悪まで覚え、第1話の序盤ではそんな挫折・甘えをまざまざと見せつけてくる。
「昨日言ったよね? 部屋片づけるって」

そんな中、見知らぬ同学年女性の報瀬が、目の前で現金100万円の茶封筒を落としたのを拾い、校内で探して届けるところから、物語は大きく動く。
聞けば、南極観測で失踪したお母さんを探すため、バイトで貯めた金だと言う。(校内社会を犠牲にし、孤立までしていると旧友であるめぐみから知る。)
「私は行く。絶対に行って、無理だって言った全員にざまあみろって言ってやる。受験終わって高校入った時に、そう決めたの」

何も成し遂げてこなかったキマリと、堅固な意志を持って成し遂げようとする報瀬。
そんな報瀬に強く感銘を受けたキマリは、数度にわたってやり取りを行う。その内に南極行きに誘われ、キマリは葛藤を重ねる。

後日早朝、キマリは家から駆け出す。
家族がキマリの部屋に訪れると、そこはきれいに整っていた。もう彼女は、甘えていた少女ではない。
一方的に決めた待ち合わせ場所(の道のり)で、キマリを目にした報瀬は、満面の笑みを持ってキマリを迎え入れる。南極への同行者、そして未来の親友を得た瞬間だ。
冒頭からここまでのキマリの葛藤・「来る訳がない」という報瀬の諦めが、アニメ上の全演出(物語・作画・声優・音楽・キャラ)でよく描かれていて、
報瀬が笑顔で迎え入れた瞬間、全てのカタルシスが解放され、第1話なのに最終話のような感動がやってくる。

第2話では、同い年女性の日向が加わり、3人組となる。
高校中退者(志望大学A判定)で、同様に何かを成し遂げたいと思っていたようだ。

その後、民間南極観測隊員になるため、 報瀬がポンコツ計画を立案し、男性隊員への人心掌握(色仕掛け)を行おうとするのだが、
実行以前で、残念でもなく当然に計画は失敗し、お母さん関係でつながりのあった女性隊員から追いかけられ、逃走する。
その際、夜の歌舞伎町という暗澹たるネオンの海を走っているのに、走りが非常に疾走感・躍動感があり、ネオンの光が煌々と青春を照らし付けているようで、非常にエネルギッシュだ。

程なくして、女性隊員に捕まる。
改めて直談判を行い、100万円の茶封筒を突きつけるが、何も進展はせず、ただただ報瀬のポンコツぶりが露呈しただけだった。
帰りの電車、当初からの流れで暗黙のリーダーとなっていた報瀬は、数秒のやり取りだけでリーダーを解任される。(明るい雰囲気で半ばふざけた感じで)
ただのギャグシーンのようだが、これは失敗をとがめる訳でもなく、全員の関係性を対等な物にしているのだ。

そこから第3話になり、タレントという立場で南極行きが内定していた、女子高校生1年の結月が、報瀬ら3人の事を耳にして、その地元を訪ねる。
興味がないので権利をお譲りします、とは言うがマネージャー兼母親に間もなくバレ、当然認められる由もなく連れ戻されるのだが、
結月が軟化する事はなかったため、母は一人で報瀬まで出向き、結月本人が行くように説得をすれば、観測隊への推薦を持ちかけると告げる。

後日、3人組はファミレスで勉強する結月に対し、比較的落ち着いた空気の中で理由を尋ねる。
重い口を開き、始まったばかりの校内社会・同級生を優先したい、タレントの仕事で今まで友達がいなかったという旨の事情を話す。報瀬とは完全に対照的であるが、孤立していたのは同じだ。
その不安に対し、キマリは強い共感を覚えて結月を抱きしめるが、「分からないですよ!」「だってみなさん、親友同士じゃないですか!」と、結月は強く拒絶する。
だが3人組はあっけらかんとした物で、まだ出会って1ヵ月未満な上、遊びに行った事もない。ただ南極に向かおうとしているだけ、今のところは。ね? ね。 ねー。 と口ぶりが一致していた。しかし親友未満であっても、大きな関係性になっていた事は相違ないだろう。
このやり取りをもって、結月はまた帰路に着く。結局は説得以前に、ただ会話を重ねただけであった。

その夜、結月は滞在先のホテルで不思議な体験をする。
抱きしめられるというボディコミュニケーションを初めて受けた事に対し、気持ちの整理が付かない中、
窓に異音を感じて開けると、高層階まではしごを掛けた3人組がいて、キマリが「南極に行こう!」と結月に手を伸ばしていた。
返事もできずに戸惑う中、何かインスピレーションを感じた結月が手を伸ばすと、そのままはしごが倒れ、窓の外へ転倒する……が、実際に転倒したのはベッドの上からで、異音からのくだりは夢であったのだ。
広すぎる個室で一人取り残された結月は、スマホでトークアプリを開く。優先したかったはずの同級生二人は、仕事が落ち着かない結月にしびれを切らし、 グループチャットから退室していた。
朝の静寂と、鳥のさえずりがこだまする。ベッドに腰掛ける結月は、広すぎる個室で、ただ一人だった。

その時、部屋の扉のノックが鳴る。
今度は現実世界で、キマリら3人組が結月の仕事に際して一緒に行こうと、わざわざ迎えにきたのだ。
結月は、無償の好意を受ける。そして結月は、一人ではなかった。感極まり、号泣する始末だった。
突然泣き出す結月に3人組は戸惑うが、一方的に世界で一番不幸な自分でいて、一方的に心が解される描写を、ここまで丁寧に描いたのは見事だ。過剰なところがなく、ニュートラルに描かれている。
(この時に流れる挿入歌の「ハルカトオク」が、良い意味で非常にズルい)

「だから、3人と一緒なら行くって言ってるの! 一緒じゃなかったら行かないから!」
電話でお母さんにそう告げる。南極行きが現実の物となり、3人組は4人組となったのだった。

第4話・第5話では、南極行きのための訓練・準備を、大人たちを交えて行い続け、南極に向かう意義を確認し合う日々を4人組は重ねる。
しかし、第1話から登場していた旧友のめぐみは、4人組で南極へ向けてがんばるキマリや報瀬を見て、嫉妬心のような物を抱くようになり、
これまでのあらゆる出来事について、あることないことのうわさをずっと吹聴し、実害が被るように仕向けていた。しかし直接的な描写は一切なく、4人組(+視聴者)は、誰がうわさを流したのかは気がつかない。
無論キマリも、これまでと同様に旧友として、出発前日の壮行会でめぐみに対して懇意に接し続ける。そして帰り道、キマリと別れためぐみの後ろ姿は、どこか物悲しげだった。

「絶交しに来た」
出発日早朝のキマリ宅前、めぐみはキマリにそう告げ、自分がうわさを流した張本人だと告白した。キマリはどうしてそんな事をしたのかと、困惑する。
南極に向けて突き進むキマリらに対し、自分は醜い感情しか湧かない、醜い心の持ち主だとも告白する。

「ダメなのはキマリじゃない……私だ! ここじゃないところに向かわなきゃいけないのは……私なんだよ!」
二人は、ただただ泣きじゃくっていた。めぐみの行いには何一つとして褒める事はできない。
めぐみは、背を向けて離れようとする。キマリは呼び止めるが、決して、顔を合わせてはくれない。

「絶交無効」
背後からめぐみを抱きしめ、耳元で優しくそうささやくと、キマリは返事も聞かずに空港へと駆け出した。
どうするのが正解か、と言う事はない。
キマリがめぐみだからこそ、友達として向き合い、無償の愛をもってめぐみを許したのだ。

(よどんだ水がたまっている。それが一気に流れていくのが好きだった。)
(決壊し、解放され、走りだす。)
(よどみの中で蓄えた力が爆発して、全てが、動き出す!)
(全てが動き出す!)
第1話冒頭でも流れた、キマリのナレーションが再び流れ、同様に幼少期のめぐみとの、砂場水遊び回想シーンも流れる。
二人の関係性は、雨降って地固まる。この物語は、めぐみの物語でもあるのだ。

第6話からは、いよいよ渡航が始まる。
Aパートでは乗り換え地のシンガポールでただただ観光しているだけなのだが、
背景美術が見事で、シンガポールの空気を感じられる他、4人組が楽しい時間を過ごしているのが、ありありと感じられる。
言葉で確かめずとも、4人はもう相当親しくなっていたという事を、背景美術も相まってリアルに感じ取れるのだ。

その夜、どこか心ここにあらずの日向に対し、「何か隠してますよね?」と結月が詰め寄ると、パスポートを紛失していた事実が判明する。ベッドの上に日向の全荷物を並べても、見つからない。
日向は3人だけで先に行け、間に合ったら追いかけると、ホテルで相部屋の報瀬に告げる。人間関係で割を食い、高校を中退した経験もあって、気を遣わせたくないのだ。
更に、私が計画に乗るよりも前からやりたいと思っていた事なんだから、何よりも優先しろ、そっちの方が気持ちがいいとまで言う。

翌日、しびれを切らした報瀬は、第1話・第2話でも活躍(?)した、現金100万円の茶封筒を空港窓口で叩きつけ、後日便への振替を強く要望する。
何を意地になる、日向がそう言い切るよりも前に、報瀬は私はここまで意地で生きてきたと言う。
続けて、目的は南極に行く事ではない、4人で南極に行く事が一番の目的なんだと告げる。二人は向かい合い、互いに涙をこぼしていた。
報瀬の中で南極に対する向き合い方は、既に大きく変わっていたのだろう。それ程までに、この4人組が大きくなっていたのだ。

割高のビジネスクラスのチケットを手にした4人組。
犠牲はあったが、それより大切な物を守れた……と、報瀬が貴重品ポーチにしまおうとした時、日向のパスポートがそこにはあった。
そして報瀬は思い出す、前日に日向の不適切なパスポートの扱い方を見て、一方的に貴重品ポーチにしまっていた事を。
報瀬は慌てふためき、明らかに挙動不審となるが、「何か隠してますよね?」とまた結月に悟られる。

かくして二転三転の末、無事にビジネスクラスをキャンセルし、通常日程で行く事になったのだが、
報瀬と日向は報いの罰ゲームとして、シンガポールの名産品、ドリアン(腐敗臭がひどい)を食べるショーが、屋外イートインスペース開かれ、絶叫したのだった。(Aパートでも、キマリらがうっかり食べてしまう伏線がある。)
構造としては上げて下げて上げてのギャグ回なのだが、互いの絆を強く確かめる回でもあり、雨降って地固まるのは第5話と同じだ。
友人同士のトラブルを、ここまで後腐れなくスッキリ上手に描写するのは、実に見事である。

第7話ではついに砕氷船に乗り込み、大人の観測隊員もレギュラーとなって、隊員・南極・想いが掘り下げられ、
第8話ではいよいよ出港し、本格的に南極へ向かうが、訓練・海流(船揺れ)は激しく、この回で4人組はひたすら疲労困憊・船酔いで打ちのめされ、寝込み続ける。
船揺れも心労もピークに達した就寝時間中、結月は大人たちに着いていけるのかとぼやいてしまう。
だがキマリは、選択肢はずっとあったけど、選んだのは自分! と勇気づけると、結月は何か感銘を受ける。
またしばらくして、この旅が終わった時にはきっと楽しいと思ってる、とのキマリの発言を受け、結月は突拍子もなく甲板に出てみたいと言い、日向も賛同する。
夜の甲板は真っ暗な上、現在は海流が激しい場所なので非常に危険なのだが、ハンドレールに捕まりながら波を一身に浴び、4人組は陸上では決して体験できないアトラクションに、笑い合ったのだった。
(非常に賛否両論のあるシーンだが、子供は危険認識や危険認知力が弱い上、集団心理も働いていただろうし、このあと大人たちにメチャクチャに怒られたんだと解釈する事も可能だが、前後を描くには全13話という尺には限りがある。またこれを描かなければ、第8話が非常に地味な回であったと思うし、全言動が理路整然としていなければならないとするのは、キャラクター性を求めすぎているように思う。)

第9話は報瀬のお母さん、懇意だった吟隊長、報瀬との間柄について、過去回想も交えて主に掘り下げられ、
過去から現在への、それぞれの南極観測への想いを再確認し合う中、ラストシーンでは、とうとう南極へ到着する。
4人組がタラップを降り、上陸まで数歩になった時、3人は報瀬が先に上陸するように促すが、報瀬は手を取り合い、4人とともに上陸したのだった。

「ざまあみろ……ざまあみろ! ざまあみろ! ざまあみろ! アンタたちがバカにして鼻で笑っても私は信じた! 絶対無理だって裏切られても私は諦めなかった! その結果がこれよ!」
報瀬は感情を爆発させる。ようやく、夢を実現させたのだ。
「ざまあみろ!」のコールは4人組にも伝播し、4人組と同等かそれ以上に苦労した大人たちにも伝播すると、「ざまあみろ!」の大合唱が起こる。
ざまあみろ! でここまで感動的なシーンが描ける作品を、私は知らない。
(母への想いが行動原理にあった上での「ざまあみろ!」ではあるが、直接的に母への想いを吐露しなかった理由は、第12話で明かされる。)

第10話となり、いよいよ本格的に南極観測が始まり、あらゆる場所に駆り出される4人組。この話以降でも南極の背景美術は見事で、透明感が見受けられ、リアリティに重みが増す。
そんな中、結月が日本へ帰還後、大きな仕事(朝ドラ)が入る事が分かるのだが、当人は一緒にいられる時間が減るのが嫌だと言う。

「いいじゃん、もうみんな親友なんだし」
「え? 親友……? 親友なんですか?」
キマリは直接会わなくても心が通じ合っている旨を伝えるが、結月はそれに対して疑問を投げかける。
ここまでずっと濃密な時間を共有してきた仲間は、もはや「親友」と言い表す以外ないのだが、
本当に友達がいなかった結月は、どこからが親友なのか、まるで分からないようだ。
(筆者も「本当の友達って何?」と10代の頃に思った事があるので、半ば共感できる部分はある。)

観測隊員の手伝いを重ねる内、結月は隠れ(?)ファンに気がつき、仕事を受ける事を決意したのだが、その際、結月は斜め上の行動を起こす。
細かい文字を並べた、仰々しい手作りの「友達誓約書」を取り出し、これにサインしてほしいと言う。
あきれ返る報瀬と日向、そしてキマリは「分かんないんだもんね……」と感極まって泣き出し、結月に抱きつく始末だった。

食事時間になり、どうしたら友達なのかと、飲み込めずにいる結月に対し、報瀬はご飯粒を顔に付けたまま、持論を展開する。
「多分、形も言葉も、何もない。友達なんて、親子とも夫婦とも違う、ぼんやりした物だし、いつ消えても誰も責任を負ったりしない。少なくとも私はそう。でも、だから自由で、だから一緒にいられる気がする」

結月は釈然としないまま、個室で一人になる。
キマリにトークアプリで謝罪を行っても返事が来ないので、怒っているんじゃないかと気も滅入ってしまう。
そんな中、個室にキマリが訪ねる。キマリはめぐみから絶交宣言を受けてもなお、トークアプリで会話を続けている事を明かす。
既読マークの付くタイミングが不定であるだけの事で、相手の事をなんとなく想像できる。そんな関係性が私にとっての友達であると告げる。
間もなく、個室に報瀬と日向がサプライズでやってきた。過去に船酔いで祝いそびれた誕生日を、手作りのホールケーキで改めて祝うのだと言う。
友達から祝われるのは初めてだと、結月は泣き出す。普段はクールな結月も、第3話から分かるように、感情の落差には非常に弱いのだろう。

翌日、結月はお礼のメッセージを、改めてトークアプリでキマリに送ろうとする。
かしこまったメッセージを打っては消し、打っては消しを繰り返すが、結月はメッセージを2回に分けて送り、茶目っ気を出す。

<ありがと
<ね

「分かった! 友達って多分ひらがな1文字だ!」
キマリはそのメッセージを見て、端的に友達について言い表す。

ね>

<ね

再び1文字のメッセージを送り合い、思いを交わし、この話は終わる。

そして再度になってしまうが、先の記載を再引用する。
> 【(ネタバレ)「友達って○○だ!」というセリフの説得力の強さ】
> 友達とは何なのか、そんな問いに対する普遍的な答えは絶対に出せない。
> 方程式のような厳密さがある訳でも、友達誓約書のような取り決めがある事はありえない。
> しかし、キマリの「友達って多分ひらがな1文字だ!」という、半ば感覚的なこのセリフがスッと入ってきて、非常に共感できるのは、偉人の言葉のように「重なるかもしれない」という部分があるだけでなく、
> 4人組がそれだけで思いをくみ取り、意思疎通が可能である間柄である事に、非常に説得力があるからだ。この第10話まで(それ以降も)の積み重ねは、非常に説得力があるのだ。
> これは本作を一番象徴するセリフであると私は思うし、友達という定義への一つの答えでもある気がしてならない。

第11話では、南極と日本の中継をするリハーサルで、日向は高校を中退する原因となった、在学中の頃の友達3人を目にしてしまう。
後に日向は一人で激高するも、みんなの前では平静を装って抱え込もうとしたが、報瀬がずっと気にかけるのに根負けし、南極の親友らに対して理由を明かす。
その溝は深く、日向は高校をやめてしまっているので、割り切って許せる物でもない。

中継本番前、日向は許してしまえば気が楽になるんじゃないかと、思い始めるものの、
報瀬はそれを認めようとせず、日本に向け、もう日向に関わるなと言い放つが、続く言葉は詰まって、たどたどしい。
そこでキマリが、「そこにいたら絶対できないような旅をしてるの!」と助け船を出すと、報瀬は勢いを得て、相手に反論の余裕すらも与えずにまくし立てる。
「今更何よ、ざけんなよ!」

日向は憑き物が落ちたように、ただただ泣き倒れたのだった。

第5話の許されためぐみとは対照的な第11話だが、めぐみは日本を発たれて手遅れになる前に懺悔を行い、責任を取って一度は絶交を選ぼうとしたが、
今回のテレビ中継に訪れた3人は、問題を一向に解決しようとする事はなく、時間が日向を傷つけ続けた上、
3人組あろう事か、時間が解決してくれたとでも思ったのか、中継に出演したのだ。厚顔無恥にも程があるだろう。

第12話。
事実上の最終回であり、報瀬とお母さんの物語が終わる。
報瀬は、南極に着けば夢から覚め、お母さんの死に初めて向き合えると思っていたのだが、そうではなかった。
だからこそ出た言葉が「ざまあみろ!」だったのだ。ある意味で、虚勢も入り交じっていたのだと分かる。
「私ね、南極来たら泣くんじゃないかってずっと思ってた。これがお母さんが見た景色なんだ。(中略)。何見ても写真と一緒だ、くらいで……」
「確かに、到着したとき最初に言ったのはざまあみろだったもんな」
「え? そうだっけ?」
「忘れてるんですか?」

また報瀬は、隊員から誘われてもなお、お母さんが行方不明となった地に向かうべきか、ずっと悩み続けるのだった。
「でも、そこに着いたらもう先はない。終わりなの。もし行って、何も変わらなかったら、私はきっと、一生今の気持ちのままなんだって……」

それでも吟隊長の想いを聞き、報瀬は現金100万円を1枚ずつ、個室の床一面に並べながら、これまでの苦労の道のりを振り返る。
翌日、決意は固まり、雪上車に乗り込んだのだった。3週間の旅が、始まる。

あくる夜、報瀬はキマリに対して南極が好きか尋ねる。もちろんキマリは好きだと言う。
当初、報瀬以外は南極観測に絶対的な動機があった訳でもない。だけど、既にそれはもう絶対的な絆で根付いていた。
「でもね、一人だったら好きだったか分からなかったかも」
「そうなの?」
「みんなと一緒だから。みんなと一緒だったら、北極でも同じだったかも。……ねぇ報瀬ちゃん? 連れてきてくれてありがとう。報瀬ちゃんのおかげで私、青春できた」

雪上車での長い道のりに耐え、お母さんが行方不明となった地へたどり着いた4人組ら。
そこで涙をこぼす吟隊長を見てもなお、報瀬は「思い出してるんだろうね。お母さんと見た時の事」と、どこか冷め切っていた。
ようやくたどり着いた地であるはずなのに、それでも報瀬の中で何かが変わる事はなかった。

親友は、奔走する。
お母さんが南極にいた証を見つけるため、付近の施設内を奔走する。
そんな親友らを目にしてもなお、報瀬は立ち尽くすばかりか、「見つからないよ」と否定的な言葉を投げかけるだけだった。
もしそれがあったとして、実際に目にし、何にも向き合えなかったらどうなるのだろうか。南極への軌跡、何もかもが否定されるようで、この上ない恐怖でしかない。

だけど親友は、お母さんのノートパソコンを見つける。
以降、報瀬は一人個室でノートパソコンを操り、映像上では挿入歌「またね」だけが流れ、呼吸音・ノートパソコンの打音だけが流れる。

ログインのパスワード入力画面で、試しにお母さんの誕生日「0417」を打つが、失敗する。
ふと、自身の誕生日である「1101」を打てば、今度は成功する。

メーラーを開くと、未読メールが0件の中、新たにメールの受信が始まる。
差出人は「小淵沢報瀬」で、件名は「Dear お母さん」だ。
これはお母さんの失踪を告げられた3年前のその日にも送信され、第1話からも合間のシーンで、セリフはなくとも何度も送信されていた。

未読メールの件数は、あっという間に2桁になり、程なくして3桁となって、やがて4桁になった。

宇宙よりも遠い場所で、一人娘のメールを開かない母親なんて、いるだろうか。
絶対に、いない。もう、いないのだ。
(というような事を言葉を交えず、映像だけで語るのがすごい高度であり、何度見ても涙を禁じ得ない。)

「お母さん! お母さん!!」
報瀬は初めて死に向き合い、むき出しの慟哭がほとばしる。
親友らも、個室の前でともに泣いていたのだった。
(アフレコ前の練習時に、報瀬の声優自身(花澤香菜)も、泣いてセリフが言えなかった程(ラジオ12回目 12分36秒~)に受け止めたからこその、純粋な慟哭だ。)
(他の声優も、そういった場面がよくあったようである。)

挿入歌とともに、EDへとつながる。
その最中、白夜だった南極が夜になり、報瀬の止まっていた時間が動き出す。
同時に、夏隊(4人組)の旅も、終わりを迎えようとしていたのだった。


第13話は、まるごとエピローグである。
4人組は南極生活にも順応し、あっちこっち駆け巡る中、キマリは帰るのが惜しくなるが、無論ありえない話である。だからキマリは、「また来てくれる?」と確認を取る。
親友らは誰もためらう事なく了承するが、キマリは軽いと思ったのか、報瀬と向かい合って再確認をした。
「本気で聞いてる」
「本気で答えてる」
「ならよし!」

後日、報瀬は「なんか切りたくなった」と言いだし、ロングヘアから一転、ショートヘアにする。
自身の中で、向き合い方に変化が生じたのだろう。吟隊長は「やっぱり親子ね、笑ったところがそっくり」と感無量だ。
報瀬が、お母さんの死を乗り越えた象徴でもある。

そして夏隊の帰還式典で報瀬は代表として、南極についてのスピーチをする。
南極と仲間の意義を力説し、また上陸する事を誓ったのだった。
「(前略)。ここは全てがむき出しの場所です。(中略)。母がここを愛したのは、この景色と、この空と、この風と、同じくらいに、仲間と一緒に乗り越えられる、その時間を愛したのだと。何にも邪魔されず、仲間だけで乗り越えていくしかないこの空間が大好きだったんだと。私はここが大好きです。越冬がんばってください、必ずまた来ます。ここに」

越冬隊から見送りを受ける中、副隊長から南極観測が中止になりそうであった事実が明かされる。
第9話の上陸時に、大人たちも言った「ざまあみろ!」に、様々な想いが内包されていて、重みが増す。
そして4人組の想いが、大人たちに届き、南極観測を実現させたのだ。

ヘリコプターに乗り込む前、報瀬は吟隊長にお母さんのノートパソコンを預ける。
「私はもう、なくても平気ですから」
もう報瀬は、未来に向かって歩き出している。

帰りの道中、これまでの話で何度も見たいと言っていた、オーロラを目にする4人組。
感嘆する中、報瀬のスマホにメールが届いた。差出人は「お母さん」で、件名は「本物はこの一万倍綺麗だよ」だ。
吟隊長は、ノートパソコンの送信トレイの中に残っていた、メールを送信していた。

メールを開くと、一面にオーロラの写真が広がる。
報瀬は「ふふっ、知ってる」と満面の笑みで、お母さんからの想いをまっすぐ受け止めていた。

空港に帰国した4人組。
キマリは「ここで別れよ」「一緒にいられなくても、一緒にいられる。だって、もう私たちは私たちだもん」と告げる。
強くつながった心は、決してもう離れない。今は本来の暮らし(復学・仕事)に向けての準備や、帰国を待ち望んでいる家族・仲間の元へ駆けつけようという事だ。

4人は、再び4人で旅に出る事を誓い合う。そんな中、報瀬は告白する。
「あれ(100万円)はもうない」「置いてきたの! 宇宙よりも遠い場所に!」
一同は驚く。第13話序盤の「本気で答えてる」は口だけで言ったつもりではない、スピーチだって、優等生ぶって言った訳でもない。
お母さんの死を乗り越えてもなお、本気で報瀬は南極の地を再び踏む事を決意していた。

ラストシーン。
キマリはトークアプリでめぐみに「帰ったよー」と送るものの、返ってきたのは「残念だったな」と要領を得ない返事だった。
すると続けて、自身の写真とともに「私は今、北極だ」と送ってきたのだった。
よく見れば、写真のめぐみの髪は切りそろえられてある。彼女もまた、何かを決意して北極へと向かったのだろう。
彼女もまた、キマリと本当の親友になれるに違いない。
(めぐみの北極行きを暗示する伏線自体は、第10話の18分後半の映像で出ている。)

そして本当のラスト数秒で、第13話サブタイトルの「きっとまた旅に出る」が全面出て、本作はこの上なく心地良い余韻の中、終わりを迎える。{/netabare}

本作に携わった全ての関係者に、心より称賛と感謝の意を表したい。
このアニメに出会うため、私はアニメと対峙し続けていたのだろう。

{netabare}「きっとまた旅に出る」{/netabare}

投稿 : 2023/06/03
♥ : 19
ネタバレ

ヲリノコトリ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

浮き沈みはあったが高クオリティな感動+笑い!

【あらすじ】
何かを求める少女たちが、補い合って南極を目指すお話。

【成分表】
笑い★★★☆☆ ゆる★★★☆☆
恋愛☆☆☆☆☆ 感動★★★★☆
頭脳☆☆☆☆☆ 深い★★☆☆☆

【ジャンル】
感動、笑い、勝利、友情、包み隠さない

【こういう人におすすめ】
踏み出す元気が欲しい人とか。YouTuberを目指す中高生とか好きそう。

【あにこれ評価(おおよそ)】
67.6点。おそらく上昇途中。

【個人的評価】
全体的にクオリティが高く、感動系なのに笑いも多いのでおすすめ。個人的に評価がガクンと落ちる回があり、手放しでは褒められない。しかし今期一番注目し続けたアニメだったのは間違いない。
『おすすめしたい作品』

【他なんか書きたかったこと】
{netabare}
 すごいよかった!すごい良かったんだけど……

 5,6,11話が個人的にピンとこなかった。詳しくは下に。
 ただ最終話が終わってみると「やっぱいいなあ」、と思うし、評価が難しい作品でした。多分今後リピートして観るときは5,6,11、あと12話を抜いて観ます(笑)

 やっぱ私は感動系より笑い重視です!血も涙もないのです!
 ……citrusのレビューで血涙を流しましたが、混じってたらセーフなのです。

 1~4話のスタートダッシュが最高すぎて今期圧倒的覇権かなあと思いましたが、最終的には他作品と接戦でした。褒める点はだいたい↓で言いつくしましたが、あと、「南極あるあるネタ」みたいなのが割と少なくて、そこが個人的には良かった!取材が足りなかったとかかもしれないけど、結果オーライです!アレ系、あんまり要りません!

 あと、これの放送と同時期にイッテQのイモトさんも南極行ってて、ものすごいタイムリーな感じでした(笑)


1話
{netabare}  とりあえず100万円を持ち歩くな(笑)

 感動系は苦手なので切るはずだったが「涙の100万頭突きトイレ事件」(頭とは限らないだろ)でちょっと笑ったのと、1話ラスト付近の「前にも何人かそういうこと言ってくれる人がいた」発言で継続を決意。

 そうだよね!

 「私、応援するよ」「何か手伝えることある?」なんて。さも自分だけがこの子の味方のように。それだけでこの子が泣き出して「ありがとう。わたしずっと一人で心細くて……」とでも言うと思ったか!
 南極に行きたいという少女。そのために100万ためた少女。誰に後ろ指刺されても胸を張って前を見る少女。しかし襲い来る幾多の困難(たとえば100万落とす)。見てしまった涙。
 そんな子の味方が自分だけなわけあるか!
 「前にも何人か」、否、何人もいるに決まってる!
 その何人もいた「君と同じような」味方が消えていくほどに、彼女の夢は望み薄なのだと!それに気づいてからが彼女に寄り添えるスタートラインなのだと!

 と、勝手にアツくなる意外とちょろい私。

 課題を突き付けられて多分「自分を変えたい」というのとは別に「なめんなよ!私は行くぞ!」っていう意地が主人公の女の子に出てきたと思う。その辺の気持ちがすごいわかった。

 南極いけるのか。行けたとしてどうなるのか。そして最重要、私が再び笑えるコメディパートはあるのか。その辺注目です。
{/netabare}

5話後
{netabare}
 5話目で結構ぴょんっと話飛びましたね。南極出発前夜の感じでした。もうちょっと資金とかで揉めるかと思ったんですが。ということは行ってからが大変なのかな。「お母さん探し」とか「南極生活あるある」とか「大自然の危険」とか別に入れてもいいけど、コメディパート減らないでくれ頼む!
 親友メガネちゃんの話はいつか来るだろう、来たら嫌な感じになるだろうとは思いましたが、割と早めに来ましたねー。でもついていかないという決断をしたメガネちゃんはえらい。……とはいえ主人公たちも視聴者も後ろを振り返っている場合ではないのです!アディオスめがね!最終話で会おう!

 さて、このアニメ、メインキャラクター4人が魅力的ですね。
 デザイン的にも設定的にも無駄がなくてイイ。あと声優のチカラというのを目の当たりにしました。私が今期トップクラスに笑えてるのは多分声優さんのおかげ!私が気になった声はだいたい花澤さんがやってるので花澤さんは知ってましたが、今後は他の三人も注目したい!

 そして「全員が中心」って感じもいい。
 全員が中心って矛盾してますが、一人一人がほかの3人をまとめている一面があって、だから4人がギュッと集まってる感じというか。
 まず「南極にいく」っていうのは結局のところシラセの夢で、他の3人は「それについていきたい」というのが行動原理です。シラセが「北極に行きたい」としたら3人は北極についていくでしょう。だからシラセがこのアニメの「原動力」です。
 次にキマリ。一番「使えない」やつですが、私が一番必要としている人材でもあり、つまりはこのアニメ全体に流れる「あたたかい笑い」の発信基地になっているのが彼女です。他の3人だけだったらものすごく冷静な単なる「南極隊」になってたか、そもそも集まらなかったと思います。
 次にヒナタ。一番「便乗してる」のが彼女で、個人的にはメンバー入ってきたとき「ん?不安材料?」と思いましたが、全く違いました。彼女がこのチームのブレイン。頭がいい上にびっくりするほど大人なので、他の3人の引率者的存在になってます。他の3人の誰にでも合わせることができ、キマリの生み出す「あたたかい笑い」を増幅させるのも、冷静さを取り戻させるのも彼女です。
 そしてユヅキ。言うまでもなく彼女がいないと南極に行けないので人材としては最重要で、替えがききません。精神面では一人だけ高校1年ということもあり若干浮いていますが、他の3人のあたたかさに支えられてだんだんと馴染んできてます。

 ドライブに例えると、シラセが「車」、ヒナタが「運転手」、ユヅキが「免許証」で、キマリが「ラジオから流れる陽気な音楽」って感じ。ぽつんとあった車のラジオが突然ついて陽気な音楽が流れだし、それに誘われて運転手が乗り込んで……おっと免許証忘れてた、みたいな(笑) そら走り出しますわ。
{/netabare}

6話後
{netabare} 5話目以降失速ぎみ。2、3話が良すぎたのか。
特に今回のエピソードは練られてなさすぎ。はよ言えよ、探せよ、気づけよ、謝れよ、「なんだよぉ」じゃねえよ。セリフ思い付かんかったんならエピソードごと消せ。一番本心偽ってんのはおめぇだよ!
「ヒナタとシラセを仲良くするエピソードはさんどかね?」「おkおk。この辺で適当に入れとくわ」臭がパネぇ!2、3話はまぐれか!?次はキマリユヅキか!?それともシラセユヅキか!?そのあとヒナタユヅキか!!小手先でこちゃこちゃやんねーと12話持たねえのか!?
このエピソードの主体がキマリならわかるよ?なんでよりによってここまで行動決断パーフェクトだったヒナタを6話だけアホアホに描いたんだよ!「なるほどー、自分が一つミスっちゃうと連鎖的にダメになる人かー。いるいる」というとでも思ったか!あのタイミングで問題放置をするキャラじゃないだろ!

あれ、やんわり軌道修正を求めようと思って書き始めたはずが、やけにエクスクラメーションマークが多い文章に。失礼しました。とりあえず6話ストーリーがダメダメすぎてコメディも白けてしまったので巻き返し期待です。ヒナタの過去を小出しにしたところで感動はしないのではやめにさらっと出してコメディパートに戻ってくださいあなかしこ。 {/netabare}

10話後
{netabare}
 やっぱキマリユヅキきたな(笑)

 でもそんな些細なことで勝ち誇りたくてレビュー更新したわけではないのです!そんな小さな人間に見えますか私が!
 ……見えますか。あれですよ、遠近法ですよそれ。

 そうじゃなくて、むしろ6話の失敗を7話以降少しずつ回復していき、私が再び心を乱されることなく楽しめる4話らへんの状態に戻ってきてくれたって話なのです!ありがと!ね!

 脚本家さんは知らない人でした。登場人物のセリフを文章としてみたときに分かるように、そこまで「卓越したセンス」とか「文章構成力」とか「言葉にできない感情を描出する表現力」とかを持ってるわけではないんですが、それでも出来る範囲で丁寧に誠実にストーリーを紡いでいる感じ。
 その「小さいけど形のいい素材」を元に優秀な周りの作画、音楽、声優などのスタッフが世界観を広げていく。結果として、芯があってふわふわしたスポンジボールみたいな作品になって私が心地いい、と。

 逆に6話の急落は何だったんですかねー。私が「忘れ物に強いぼっち」だったから共感できなかったのか?ユヅキの葛藤は「めんどくせっ」って思いつつも割とあたたかい目で見ていられるんですが、あの時のヒナタわっけ分かんなかったんだよなあ。
 むしろ平常時のヒナタに共感しまくっていたから、自分ならしないミスを彼女が犯すストーリー展開にプッチン来ちゃったのかもしれません。器ちっせ私。


 唐突にどうでもいい、忘れ物対策コーナー!ドンドンパフパフー{netabare}
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 私が意識してること。早めに気づいて自分の行動を逆再生する。それでもないなら周囲の人を巻き込んで逆再生する。これで失せものは大体見つかります。「なくして1か月後に気づく」とかだとこの方法は無理ですが、その場合は忘れ物うんぬんの問題ではなく、普段の「使わない物品の管理」の問題ですのでそちらを見直しましょう。

 6話のヒナタちゃんの場合。まず気づいた瞬間に行動に移しましょう。ヒナタちゃんが隠蔽したあのタイミングなら「パスポートないいいいい!!」の叫びで全てが好転します。

 そして同じ道をたどって空港に戻ります。空港を出られたということは、間違いなくそのタイミングまでは所持していたということで、何者かの悪意が働かない限り、空港までの道中に必ずあります。
 そして、歩いてる途中にポトリ、というのは失せものではレアケース。手に持ったりポケットに入れているものならありえなくはないですが、今回のように鞄に入れていたものだと道に落ちることはないと思っていい。

 だから立ち寄った場所、さらにいえば鞄を開けた場所のどこかにある可能性が高い。今回のケースなら途中のクレープ屋だかアイスクリーム屋だかが怪しいです。もしくは空港内が怪しい。

 しかしない。

 ここで他人と行動を照らし合わせます。「あたしあの時何してた?」とか「諸君、初めから事件を整理してみよう」とか。こういう会話の中で「そういえばあの時一瞬渡したような……?」みたいな話が出れば、今回の場合みつかります。

 あ、気づいてすぐ「誰かもってない?」という話題が出ればすぐ発見ですが、最初から他人を疑うのもねぇ。確信があるなら「なくした」なんて言わずとも「あ、そういえばパスポート渡してたよね」で済みますし。

 という風に、失せもの探しってなんか謎解きみたいで楽しくないですか?私は心の中で「神様からの挑戦状」って呼んでたり呼ばなかったりそんな余裕なかったり。私の神様はしょっちゅうスマホをお隠し遊ばれますが、いままで見つけられなかったことないです(笑)
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{/netabare}
{/netabare}

11話後
{netabare}
 うーん、やっぱりヒナタ関連のエピソードは個人的に「うーん……」って感じになりますね。

 南極来た時の「ざまーみろ」の大合唱でもそうだったんですが、なんか器ちっさいというか。自分たちが軽蔑している人々にリベンジして吠え面かかせたいという思いが、逆に自分たちを同じ土俵に立たせちゃってるような。

 ああいう、半沢直樹の感じ?(あのドラマ観てないけど)

 2件とも直接的にはシラセの行動ですが、作中の人物全員もれなく同調しちゃってるんで、それが脚本家のメッセージだと思われます。しかし「私に(私の友達に)仇なしたものなんて、一生苦しめ!私たちは清々しいけど、お前らは苦しめ!ざまーみろ!」っていうメッセージに対して「おお!良いこと言うぜ!」と思う人間になりたくない。個人的に。

 頑張って頑張って後ろ指刺されても負けないでたどり着いた憧れの地、南極。そこで1番に思うことが「綺麗」でも「お母さんの場所」でもなく、「後ろ指刺されたことあったなあ!あいつらめ!ざまーみろ!」って。

 3番目くらいにしようよ。

 むしろ「ざまーみろって言ってやるんじゃなかったっけ?」「うーん、なんかどうでもよくなっちゃった」みたいな会話のほうが好きだし、そういう人間のほうが好き。で、最後に布団の中で、誰にも聞こえないようにボソッと「あ、そういえば。……ざまーみろ。あはは」くらいのほうが。

 チームメイトの件に関しても、面と向かって「お前らのことなんてなんとも思ってないんだよ!」みたいなこと言ってましたけど、それを面と向かって言うことが「なんとも思って無くない」ことの証明なんですよね。それを聞いて泣き出すのも、「良いこと言うぜ」みたいな感じで見てるのも。

 モヤモヤしていたとしても「あ、来たんだ。でももうあたしはあんたらの友達じゃないからな。言いふらすなよ。まあでもせっかく来たんだし、見てったら?」みたいな感じであとは南極を楽しめば、主人公たち4人の仲の良さをみた陸上部たちが、(ああ、あの子はもう歩き出してて、私たちは自分たちが許されたいためだけにここに来てたんだな)って自分たちで気づく。そういう展開のほうが好き。
 ついでに陸上部たちが帰り道で「私たち、なんかかっこ悪いね」「……うん。ほんとうに馬鹿なことしたって思う」「……」「……あー、いいなあ、南極」みたいな会話してたらもっと好きだし、そのほうが清々しいし、その時こそ、やさしく「ざまーみろ」って言えるタイミングだと思う。

 南極に来ている時点で主人公たちは完全勝利しているのに、そのうえで自分たちが打ち負かしたものに対して「やーい、負けてやんの、バーカバーカ」みたいな感じで追撃するのが「清々しいこと」とは思わない。お前たちが脇目も振らず目指していたのはそういう場所なのか?そこに到達したときに後ろを振り返って「ざまーみろ」と言って届くほど低い地点なのか?振り返ったところで、豆粒のように見えるその他大勢に、「今更言い返すのも馬鹿らしい」と思えるほどの高みを目指していたんじゃないのか。

 少なくとも私はそういう場所に行ってほしかった。
 主人公たちも、脚本家も。

 あと、「敵役」のキャラ作りが浅い。記号としてイイ感じにボコボコにできる「標的」を用意しただけのように感じる。例えば「陸上部の子たちはなぜ先輩とヒナタに別のことを言ったのか。なにか理由があったんじゃないか」などということは全く触れない。「なぜ仲間を売ったのか」「ヒナタがいなくなった後どう過ごしたのか」「何を思ってあそこに来たのか」みたいなことはすべて「想像にお任せします。まあとにかく一番いやな感じです。こいつらは本当に最悪なんです。でも大丈夫。今からボコボコにしますから見ててください。一緒に清々しい気分になりましょう」と言われたように感じた。

 まあ、まとめると、私はああいう加害者にも、かといって復讐者にもなりたくない。「ホントあいつ最悪だったよー。まあでも話したらスッキリした!今日は飲もう!明日は頑張ろう!」みたいな人が好きだし、自分もそうなりたい。
{/netabare}
{/netabare}

投稿 : 2023/06/03
♥ : 60

83.1 2 ペンギンアニメランキング2位
輪るピングドラム(TVアニメ動画)

2011年夏アニメ
★★★★☆ 3.8 (2073)
10469人が棚に入れました
双子の高校生・冠葉と晶馬、そして妹・陽鞠は三人で暮らしている。余命いくばくもない陽鞠を連れて、ある日水族館を訪れた兄弟たち。楽しく過ごす中、倒れた陽鞠はそのまま息絶えてしまう。霊安室で絶望する冠葉と晶馬だったが、死んだはずの陽鞠が、突如ペンギンの帽子を被り起き上がり叫んだ! 「生存戦略!」「妾はこの娘の余命を伸ばすことにした」。だが、被っていた帽子が落ちると、いつもの陽鞠に戻っているのだった――。不思議なペンギン帽子のおかげで、
陽鞠の余命は少し伸びたのだ。ペンギン帽子を被った陽鞠が再び、冠葉と晶馬に命ずる。「ピングドラムを手に入れろ!」ピングドラムとは何か。そのカギを握るのが、女子高生・苹果という人物と解り、探り始める冠葉と晶馬。ある偶然から陽鞠と苹果が仲良くなったことから、苹果が高倉家に出入りするようになり……!?

声優・キャラクター
木村昴、木村良平、荒川美穂、三宅麻理恵、石田彰、能登麻美子、堀江由衣
ネタバレ

TAKARU1996 さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

同世代透明存在の独白

2019年3月30日 初稿
2019年(令和元年)5月1日 追記
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リサ「うーん、幸福ってなに?」
マナブ「またすごい質問だなあ」
リサ「なんだと思うの?」
マナブ「そうだなあ、わからないけど、なんとなく、今思ってるものだけどいい?」
リサ「うん、なに?」
マナブ「ガラクタ」
リサ「えー、幸福はガラクタなの?」
マナブ「気に入らなかったら、違うのもある」
リサ「なに」
マナブ「ほら、マンガとかでさあ、馬の頭に釣竿つけて、先っぽにニンジンつるすでしょ。馬はそれを追いかけてずっと走るって」
リサ「うん」
マナブ「あのニンジン」

『CARNIVAL』SINARIO3「TRAUMEREI」より抜粋
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1.同世代透明存在の独白
平成が、終わった。
振り返ってみると、どんな時代だったか……?
そう考えてしまう日も、近頃多かったな。
悪い事ばっかだったと思うけど、良かった事もあった気がする。
現在を生きているから、現在を客観視出来ない。
悲しき現状、生者全てが辿り着く真理

そんなどうにもならない上記踏まえて個人的見解、嫌な事ばかりだった。
辛く苦しい悲しみの時代
アイ(愛、I)を喪失した時代
平成不況、失われた10年、大災害勃発、猟奇事件頻発
そんな中で生を受け成長した俺達は、多くが「きっと何者にもなれない」と言う漠然とした確信を抱えていたと思う。
断定出来ない、自分だけかもしれない、でも俺はそう感じてた。
「頑張れば『生きる意味』が見出せる」社会はもう無くて。
「頑張ったって『生きるだけの意味』は見つからない」のが俺の社会になった。

この『輪るピングドラム』と言うアニメは、そんな呪縛が「自分だけのモノじゃなかった」と実感した作品だ。
無宗教無信仰な人間に齎された「赦しの寓話」
自らの価値観に強く根付かれた「人生の物語」
そんな個人的解釈が、今日になっても生き続けている。

別の言葉で語るなら、本作は俺に「生きるだけの意味」を与えてくれたんだ。
上手く生きられない俺の欲しかったメッセージ
口下手な俺が心中にて思い描いていた理想世界
俺の代わりに伝えてくれた叫び、信念の媒体物
「『輪るピングドラム』は『俺』の想いの『代替物』だ」
視聴時に思ってしまった事は、今でも記憶に新しい。

宗教は自分の人生に「意味」を植え付けるモノだと、何かで読んだ記憶がある。
神様の存在は、自らの実存を肯定してくれる。
神様の存在は、自身の死をも肯定してくれる。
宗教とは、人生を全肯定してくれる概念、人民にとっての「縋り」
でも、神はもういない。
一部の層には未だにいるが、普通の人にはもういない。
それは、人間が考える頭を持ってしまった故の結果
宗教学より哲学こそ隆盛を誇ってしまった故の結末
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冠葉「神様なんて、いないんだろ?」

『輪るピングドラム』第1話
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それはつまり、人生の意味を与えてくれる存在が消失したと言う事
勿論、宗教に依存せず、新たな意味も見つけられるだろう、人間そんなに弱くない。
でも、だったら次はどこに頼ればいい?
社会、仕事、恋愛、趣味、家族、友人、多くある。
でも、俺の生まれた時代から頼りになる概念はどんどん少なくなっていく。
消失の一途、次第に減少していく「意味」
世間的に「まだまだ」の若輩者でさえ、既に多くを失くしている。
これら全てを失くしたら、いよいよどうやって生きていけば良いんだろう。


生きていく「意味」が、分からない。


『輪るピングドラム』はそんな奴等に向けられた物語だ。
「物語」を無くした人に向けられた、新たなる『物語』
宗教、社会、仕事、恋愛、趣味、家族、友人
これらに続く新たなる依存先『輪るピングドラム』
永遠にして不変なる依存対象『輪るピングドラム』
本作は「人生」を無くした人に「意味」を与える『物語』
観終わった今、以上の様に思う。



視聴前、難解だ難解だ難解に次ぐ難解だと、耳にたこが出来る程言われた。
相手の口に酸味成分100%で告げられた故「どんだけこの作品難しいんだよ」
少しばかり身構えて観た事を憶えている。
しかし、個人的見解から語るに、本作はそんな難しい話じゃない。
「ピングドラム 考察」で検索すると、出るわ出るわ数多の解釈
物事を深く考え過ぎているんだろう、THE 日本人
演出それぞれに明確な意図があると思い込む、言わば考察の蟻地獄だ。

この暗喩が○○の事件に関係している。
ここの演出は○○を意図した描写だよ。
ああ、そういう考察も間違いじゃないと思う。
色々解釈を与える為、敢えて本作の如き作風にしているのは、全話観たなら火を見るより明らか
ただ、それはこの作品の理解に必ずしも必要って訳じゃない。
そこはあくまで、メッセージを伝える為の一土台に過ぎない。
大事なのは、この作品が伝えたかった事を「感じられる」かどうかだ。
沢山考えて良い、色々思い浮かべて構わない。
でも、最後のメッセージはどうか「感じて」観て欲しい。
その時こそ「観て良かった」と、明確に思える作品になる筈だ。

「『輪るピングドラム』は賛否両論の評価を生み出した難解作品」
そう捉えられた事に、安堵と恐怖を同時に感じた。
安堵したのは何故か?
この内容を1回観ただけで分かってしまう世界は、悲しすぎるから。
恐怖したのは何故か?
この内容を1回観ただけで理解してしまう人が、一定数いる証明だから。
分からなかった「お前達」が、がっかりする事は無い。
本作が分からないのは、今が幸せな証明だ。

俺は思う。
本作をはっきり「つまらない」と断罪する人
本作を単純に「おもしろい」と断言出来る人
それはなんて幸せな事なんだろうなって。
幸せに生きている事を、自覚していない幸福者
そして、それはとても素晴らしい事だ。
知らない方が良い、分からなくても良い事というのは世の中、確かにある、あってしまう。
出来るのであれば、そういった概念こそ無くなって欲しい。
けど無くならない、それが現実
だからこそ上記のような方には、知らない分からない状態がこれから末永く続く事を祈るんだ。
出来るだけ永く「幸福」であり続ける為に……

その理論で言えば、俺は絶対「幸福」になれないだろう。
俺は2度と本作を忘れる事は無い。
俺は2度と本作から逃れられない。
だから、せめていつか、この作品を真の意味で肯定出来れば良い。
俺はまだ「ピングドラム」を手に入れていないから。
俺はまだ「輪るピングドラム」に辿り着いていないから。
本作を観て、止まらない涙を得ながら強く思えた、それが今現在俺の近況です。
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リサ「ねえ、ニンジンを追いかけちゃだめかな?」
マナブ「あれは、どうやっても届かない仕組みになってるんだよ」
リサ「うん、わかってる。いいんだ、なんか、一生懸命走りたいの。後悔したくない」
マナブ「それなら、しかたないね」
リサ「しかたないなあ」

『CARNIVAL』SINARIO3「TRAUMEREI」より抜粋
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2.『輪るピングドラム』完全理解へと至る個人的解釈
正直、書かなくて良いと思った。
なぜなら『輪るピングドラム』は、自分自身で観て「感じる」作品だから。
本作を1番理解したのは「意味不明だけど涙が出てきた人」
暗喩表現で支配された作品には、視聴者の数だけ答えがある。
そんな概念に確定的解答を植えつける事こそ、正しく傲慢の表れだろう。

初見なら考察サイトは観ない方が良い。
自らの想いのまま、心に響いて、胸が痛くなった箇所だけを大切にすべきだから。
色々な言葉があって、表現があって、どれが耳に残って離れないかは人それぞれだから。
出来るのであれば、それをずっと憶えていて欲しい。
そして、余裕があったのなら、手前の頭で考えるんだ。
それが、本作を観た人間にとって「大切な一部」となる。
観終わった時、貴方が感じていた事、考えていた事
それが、貴方にとっての正解だ。

だから、以降の内容はこの批評を読んでいる読者様の自己判断に任せようと思う。
自分が辿り着いた「感覚」を、喪失させたくないなら絶対に見るな。
どうしても分からない、でも拠所となる何かしらの答えを知りたい。
そんな「生きる」覚悟をどうしても忘れられないなら、持っているなら……
確定事項でない事のみ念頭において、どうか読んで欲しく思う。




①『銀河鉄道の夜』と『輪るピングドラム』
{netabare}
第1話で小学生男子2人が語っていたのは『銀河鉄道の夜』
本作は、著者の宮沢賢治が亡き妹トシの想いを胸に、幾度も推敲を重ねて作った作品
その為、途中のストーリーに形態毎、大幅な加筆・変更が多く発生している。

「『輪るピングドラム』は『銀河鉄道の夜』に関係している!」

これは正しいんだけれど、正しくない。
どのヴァージョンに準えて『輪るピングドラム』は作られたのか。
考察するとしたら、そこまで言及しないと不完全と言えるだろう。
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[『銀河鉄道の夜』の違い]
【第1次稿】(「九、ジョバンニの切符」孔雀のシーン「そしてあの青い橄欖の森が~」から現存)
・「青年」と共に登場している人物は「三人姉妹」と「男の子」(【第2次稿】も同様)
・「琴の宿のお姫様」←カムパネルラがうっとり見ていた(恋慕)
・ブルカニロ博士登場(【第3次稿】まで同様)


【第2次稿】(「九、ジョバンニの切符」冒頭から現存)
・苹果がジョバンニとカムパネルラに渡されない
(長姉が「苹果」を5個所持→2人の妹、男の子、青年に1個ずつ渡す)


【第3次稿】(「四、ケンタウル祭の夜」から始まる)
・父親がラッコ密漁に伴う他人への殺傷→監獄へ収監
・「青年」と共に登場する人物が「女の子」と「男の子」(姉弟)へ変更(【第4次稿】も同様)
・燈台守が初登場
・苹果がジョバンニとカムパネルラに渡される(【第4次稿】も同様)
(燈台守が「苹果」を所持(個数不明)→姉弟、青年、ジョバンニとカムパネルラに渡される)


【第4次稿】(後期形。現在一般的に流布されている『銀河鉄道の夜』)
・午后の授業より始まる
・父親が監獄へ収監されていない
・ブルカニロ博士消失
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と、一部を一覧にしただけでここまで分かれる。
そして『輪るピングドラム』とこれら4つのヴァージョンの適合性を検証してみると、実に面白い事が分かった次第
『輪るピングドラム』は『銀河鉄道の夜』全Verを参考にして作られた作品だった。
しかし、余りにも膨大な情報量故、全て書き上げるのは不可能と判断
参考にしたサイトのURLを貼った上で、纏める形と相成った事、ご了承願いたい。

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[『銀河鉄道の夜』と『輪るピングドラム』]
◎『銀河鉄道の夜』におけるトシのイメージ的存在
○2人の場合(【第1次稿】【第2次稿】)
・「琴の宿のお姫様」……宮沢賢治の妹に対する恋慕表現(カムパネルラがうっとり見ていた)
・「青年」と共に登場する「三人姉妹」の長女
               ↓
冠葉によるお姫様「陽毬」と「プリンセス・オブ・ザ・クリスタル」への愛情描写


○1人の場合(【第3次稿】【第4次稿】)
・「女の子」(「姉」)

《参照URL》
http://oryzajpn.com/archives/7077627.html
http://oryzajpn.com/archives/7273171.html
http://oryzajpn.com/archives/7643255.html
http://oryzajpn.com/archives/8224312.html



◎「三人姉妹」【第3次稿】にて統合・分離→トリプルHの原型?



◎ひかり=エネルギー=生命(【第3次稿】)
         ↓
冠葉「晶馬、俺は手に入れたよ、本当の光を」
by 『輪るピングドラム』第24話より

《参照URL》
http://oryzajpn.com/archives/3257542.html
http://oryzajpn.com/archives/3430391.html



◎宮沢賢治の父政次郎の二面性(【第3次稿】【第4次稿】)
・家業が質屋→宮沢賢治に「社会的被告」としての側面在り(犠牲を糧に生きる罪人)
・ジョバンニ父とカムパネルラ父が融合した存在=政次郎
・ジョバンニ父=「犯罪者」として収監(【第3次稿】のみ)
 カムパネルラ父=倫理的な威厳のある父
            ↓
高倉剣山の二面性……事件を引き起こした「犯罪者」←世間から見た評価
          威厳のある理想的な父親←家族から見た視点
          冠葉から見た父、晶馬から見た父の違いも示唆?

《参照URL》
http://oryzajpn.com/archives/8490780.html


◎プレシオスの鎖を解く=家族間の絆を解く(【第1次稿】~【第3次稿】)
               ↓
『輪るピングドラム』第24話 家族決別=「みんなの幸」へ至る

《参照URL》
http://oryzajpn.com/archives/11518358.html

◎ブルカニロ博士の言葉→『輪るピングドラム』第24話へ至る
どんな正しさを選んだとしても、それが自分で選んだモノなら。
どれもが皆「ほんたうのさいはひ」になる。

相手との違い(精神的決別)を実感しても、人間は受け入れる。
受け入れた上で、前に進む事が出来る。
それぞれ進む道は違っても、互いに進む姿は同じだ。

寂しかったり、悲しかったり、辛かったりするだろう。
けれど、自分で選んだ道なら、全部含めて前へ進むんだ。
その姿がいずれ「ほんたうのさいはひ」になる。
世界は繋がり、またいつか、きっと会える日が来るだろう。
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{/netabare}




②「ピングドラム」の意味、「輪るピングドラム」の意味
{netabare}
「ピングドラム」
(1)「愛」って意味だよ。
A.
「ピングドラム」を輪すと言う行為に、付加価値的な「愛」が発生する。
「苹果」を渡すという行為に、付加価値的な「愛」が発生する。
したがって「ピングドラム」(ついでに「苹果」)自体は愛ではない。


(2)「永遠なる生命」って意味だよ。
A.
『銀河鉄道の夜』において「苹果」(ピングォ」は多くを暗喩している。
その中の1つが「永遠なる生命」
「こっちの世界」(現世)と「あっちの世界」(来世)を繋ぐ存在
要するに、1つの世界に捉われず生き続ける「生命」の事
「苹果」=「ピングォ」=「永遠なる生命」
しかし、これだと「ドラム」の意味が入っていない、惜しいけど却下


(3)「永遠なる生命の躍動」って意味だよ。
A.
(2)に「ドラム」の意味を追加した。
「ドラム」とは楽器のドラムが示す如く、動物が鳴き声以外の方法で音を立てる動作を指す。
ゴリラが両腕で胸を叩いたり、キツツキが木の幹を突いたり、他の鳥が翼や尾羽で音を奏でたりもする。
「ドラミング」って聞いた事あるだろう。

ビートを奏でる、それはつまり、自らの存在を証明する行為に他ならない。
自己を主張する鼓動及び躍動の言語化


プリンセス・オブ・クリスタル「荻野目苹果がピングドラムを持っている……多分な」
苹果は多蕗に、自らを覚えてくれるよう行動していた。
苹果は愛に従って生きる、事件と関わりのある人間
以上の点から、プリンセス・オブ・クリスタルが推察

しかし、彼女は多蕗への「ピングドラム」を持っていない。
異常でも妄執でも執念でも、彼女自身の生命の躍動が齎す「愛」なら良かった。
けれど、苹果が多蕗に抱いていた愛?は、桃果が「運命日記」に記載していた内容から解釈して作り上げたもの
桃果と一つになって、家族を元へ戻す為の偽愛
もしこれを「愛」と称するなら、桃果が多蕗に抱いていたものであって、苹果が多蕗に抱いていたものじゃない。

したがって、苹果は多蕗を愛していない。
だから「ピングドラム」も持っていない。
彼女自身の想いが紡いだ「生命の躍動」じゃないから。


要するに。
『ピングドラムを手に入れるのだ!」の意味は。

「永遠なる生命の躍動を手に入れるのだ!」
         ↓
「自分が死んでも生き続ける、命の鼓動を植えつけろ!」
         ↓
  「大スキだよ!! お兄ちゃんより」
改変世界にて、いなくなった自らを「愛」と言う形で主張したメッセージ


第17話某シーンの意味は。
冠葉
「俺じゃ、ダメなんだろ。もう……俺には陽毬を救う事は出来ないんだろ?」

プリンセス・オブ・クリスタル
「お前には出来る」
「わらわには、それがわかる」
「なぜならピングドラムとは、それはお前の……」以下想像文
(陽毬を想って行動する結果だ)

冠葉
「俺には……無理だ」(陽毬を大切に想う「生命の躍動」に、彼女自身が気付かないから)
←前話にて冠葉と陽毬は口論&陽毬は眞悧を好き?と冠葉が勘違い
                 ↓
陽毬が冠葉の「生命の躍動」を真に実感した時、冠葉はピングドラムを手に入れ、輪る。


上記が分かれば「輪るピングドラム」の意味は簡単だろう。
「永遠なる生命」を、植えつける行為が輪っていく。
誰かの存在は他者へと宿り、それが「愛」となって昇華する。
植え付けられた相手もまた誰かに、自身の存在与えて「愛」となる。
世界は、そうして輪っていく。
だからこそ、人は「運命の果実を一緒に食べ合う」
「苹果譲渡」(ピンガァドゥラム)が輪る。
それは、繋がりを保った永遠なる世界
相手が死んでも己の中で生きる、終わる事なき永遠なる世界だ。

「運命の果実を一緒に食べ合う」
連続していけば、彼等にまたいつかきっと会える。
そこに「愛」があるなら……
「愛している」という言葉があるなら……
世界は、永遠に繋がり続ける。
いつか出会える「運命」なんだ。
{/netabare}




③最終話を理解する
本作をきちんと観る上で、唯一躓きそうなのが第24話だと思うので、いくつかの解釈だけ載せておこうと思う。
{netabare}
(1)ペンギンマークの檻に入っていた冠葉・晶馬の意味
千江美「晶馬と冠葉君は、私達が知らない間に仲良しになっていたんだもの」→仲良しになった顛末の暗喩=檻での会話
・企鵝の会(KIGA)の印=両親が幹部=世界の全て(冠葉・晶馬にとって)
 晶馬……父親の演説を余り聞かずに逃避
 冠葉……父親の演説を素直に聞いて順応
               ↓
KIGA(企鵝)の組織(大人の世界)から逃れられない子供の世界=檻(≒卵 by『デミアン』)


・企鵝→飢餓=愛情に飢えている暗喩
 冠葉父→冠葉「お前を選ぶんじゃなかった。私は家族に失敗したよ」
 Q.何故、冠葉に苹果は渡っていたか?
 A.両親に愛されなくとも、真砂子には愛されていたから。
 
 晶馬には両親がいる→KIGA(企鵝)の活動に没頭→愛されている感覚が当時は不足していた……?


そして、飢餓状態から脱する為、冠葉は晶馬に苹果を分け与える→「愛」となる



(2)兄2人消失の解釈
「プレシオスの鎖を解く」「ブルカニロ博士の言葉」参照



(3)冠葉のペンギン型「赤い何か」が出て行く描写
・企鵝(飢餓)が失われていく→愛されていると実感していく冠葉の描写
 冠葉の慟哭は、自らが愛されていなかった事を再度実感した故の叫び
                ↓
だから、ペンギン型の「赤い何か」は「苹果」に変わる=「永遠なる生命」に溢れている=自分を憶えていてくれる→「愛」の充満



(4)「生存戦略」とは……?
生きる為の戦略→「何か」を獲得する為の行為全般を指す
「生存戦略しましょうか!」
第1話
冠葉の「苹果」を「プリンセス・オブ・ザ・クリスタル」が頂く行為

第2話以降
「苹果」→「ピングドラム」を手に入れろと言う言葉にシフト
両者の意味・違いは②にて解説

第24話
冠葉へ苹果(「永遠なる生命」)を分け与える陽毬(「愛」)→「運命の果実(苹果)を一緒に食べる」→運命は乗り換わり、自身も「生きる」を獲得=「生存戦略」達成!



(5)「花婿は誰か?」
第9話
ペンギン帽子=運命の花嫁に捧げる花冠
陽毬「誰の花嫁になるの?」
眞悧「多分、その答えは運命の至る場所にある」


では「花婿」は誰か?
それは、以下に注目すればわかる。
・変身バンクシーンにおける兄弟の違い
・第12話における冠葉の病院道中、病院内での回想
・第17話、多蕗は陽毬を離さない冠葉に何を見たか?
・第20話における陽毬と眞悧の恋愛議論と最終話の対比
・第24話、最後の生存戦略


そもそも、最初の変身バンクから待遇は明らかだった。
晶馬はボッシュートで、冠葉はそのまま。
それは、冠葉の苹果(陽毬を想う「永遠なる生命」)が陽毬に渡った事で、彼の覚悟自体をプリンセス・オブ・クリスタルは理解していたから。


そして第12話以降、プリンセス・オブ・クリスタルの真似をする陽毬の姿が回想や描写でちょくちょく描かれる。
プリンセス・オブ・クリスタルの一面が芽生えていく証明?
また、命を明け渡そうとする冠葉の手を押し戻す所からも、プリンセス・オブ・クリスタルの冠葉に対する優しさ、愛が分かる。
プリンセス・オブ・クリスタル=陽毬の失くしてた意識の側面


第17話で多蕗は高倉家に復讐しようとしたが、冠葉の陽毬を離さない行動に桃果を見出して止める。
これは「今」陽毬を真の意味で救おうとしているのが「冠葉」だと気付いたから。
「昔」は晶馬だった、しかし「今」は冠葉である。
多蕗は、自らが桃果に救われた時と同じ行動を、加害者家族の冠葉から見たんだ。


第20話、陽毬は眞悧と恋愛議論を交わす。
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眞悧
「さて、今日はある恋のお話です」
「追えば逃げ、逃げると追われる」
「あれほどうまくいっていたのに、ある日突然そっけない」
「逃げられた!」
「さあ、キミならどうする?」

陽毬「私だったら追いかけない」

眞悧「なぜ?」

陽毬「疲れちゃうし」

眞悧
「う~ん……確かに」
「そういうタイプの人もいるね」
「つまりキミは“逃げる役目しかやらない”と宣言するわけだ」

陽毬「うん……どういう意味?」

眞悧
「両方が逃げるんだから、それはお互いが“私からは近づきませんよ”と相手に言うのと同じってことさ」

陽毬「つまり……?」

眞悧「その恋は実らない」

陽毬「それでいいよ。私恋なんかしないもん」

(中略)

陽毬「例えばだけど……」

眞悧「うん」

陽毬
「相手が逃げたら、私は追えばいいの?」
「それで恋は実るの?」

眞悧「実る場合もある」

陽毬
「そうかな?」
「そういう相手は逃げ続けて、絶対こっちには実りの果実を与えないんじゃないかな?」

眞悧
「鋭いね。そう、逃げる者は追う者に決して果実を与えない」
「それをすると、楽ちんなゲームが終わるからね」

陽毬「ひどい……」
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上記の会話を踏まえた上で、最終話を観て欲しい。
陽毬は「追いかける」「果実を与える」
「疲れた」って良かった。
そして何より、逃げる者(=冠葉)を「ひどい……」とは思わない。


第12話
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冠葉「帰るって、どこにだよ」

プリンセス・オブ・クリスタル「それは、運命の至る場所」
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「運命の至る場所」……第23話、第24話の電車内
              ↓
第24話の生存戦略=プリンセス・オブ・クリスタルと陽毬が真に合一
そして、冠葉を追いかける。
プリンセス・オブ・クリスタルが気にかけていた存在は誰か?
陽毬が最終話へ至るまでの間に、理解した想いは誰のものか?

それは冠葉、冠葉の陽毬を想う「生命の躍動」
自分の事だけを考えてくれていた「愛の証明」
それを、最後にして彼女は否定する事無く、受け入れる。
              ↓
陽毬が冠葉の「生命の躍動」を真に実感した時、冠葉はピングドラムを手に入れ、輪る。


結婚式ってあるだろ?
参加した事ある人は分かると思うけど、あれって新郎が新婦を待つ構成になってる。
新郎が先に辿り着き、新婦がヴァージンロードを渡って新婦へ追いつく。
そして、2人は愛を誓う。
これってまんま、最終話の冠葉と陽毬なんだ。

では、晶馬の立ち位置は何か。
晶馬は、花嫁と共に道を歩む「父」
選んだのは晶馬、見つけたのは晶馬
だから、晶馬が元々、父親として「家族」を維持するべきだった。
しかし、彼にそれは出来ず、晶馬から冠葉へ父親の役割は代わる。
そんな「父親代わり」は、最後にして晶馬へと戻り、彼は見届ける。
花嫁の進むヴァージンロードの行き先を、ピングドラムの結末を。

簡単に言うなら……
自分を選んでくれた「お父さんと結婚する!」と言っていた少女が、自分が選びたい人を見つけて「花嫁」になるのが「運命の至る場所」での顛末

大切な人=運命の人≠花婿
苹果を貰った事で、陽毬が思い出したのは「愛を貰った」事
晶馬に、愛された事を思い出す。
だから、晶馬=大切な人=運命の人
そして、その「愛」(=「苹果」)を誰かに与えたいと思う=花嫁となった証
それを踏まえて、愛そうと思ったのは冠葉

愛を貰ってばかりだった女の子が、初めて愛を与えた相手
愛を頂いてばかりだった少女が、花嫁として愛を与える。
その相手は、最初に晶馬へ「愛」を分け与えた冠葉
「愛」は、絶対に戻ってくる。
大切な人に与えた分だけ、他の大切な人から戻ってくる。

「愛」の永劫流転

冠葉が最初に愛を与えたのは、晶馬
晶馬が、冠葉との約束を叶える為に愛を与えたのは、陽毬
彼女が最後に愛を与えたのは、冠葉

つまり、花婿=冠葉
{/netabare}










3.同世代透明存在の独白・後記
冠葉に感情移入し過ぎてしょうがなかった。
男だったら、こいつの気持ちにかなり共感するんじゃねえかと思う。
何しているか分からない兄貴の事を、分からないまま馬鹿にしたり、批判したりの弟妹
でも、彼が1番、この「家」を「家族」を、支えていた。
勿論、守ってやってる見返りなんて求めていない。
冠葉は、誰かに褒めてもらいたいから、関係を維持させていたんじゃない。
「俺」が支えたいから、自分の意志で「家族」を守ってる。
それは、父親との約束により生まれた思想

通り過ぎない嵐なんかどこにもない。
でも通り過ぎるのを待っていたら、大切な人は守れない。

そして彼は、父になった。
どのように金を稼いでいるか、生活を維持させているか、決して話さずに、耐え抜いていく。
そういうのって男なら日常茶飯事、俺も耐え忍んで生きている。
心を固く冷たく強くして、少しでも早く大人にならなきゃいけないから。
全てを犠牲にしても、守りたいモノって確かにあるし。
だから、俺の事なんてどうでも良い、二の次だ。

しょうがない。
しょうがない。
しょうがない。

でもさ、やっぱり、辛いんだよ。
しょうがないって思っていても、辛いものは辛いんだよ。
1人だけ蚊帳の外で、矢印の方向が違うから、理解されない。
大っぴらに語れない事ばかりなんだから、愛される訳もない。

途中の展開が、悔しくてしょうがなかった。
なぜなら、冠葉の状態が続くと苹果は獲得出来ないから。
自分の存在を、他者へと委ねられないから。
誰かに植え付ける行為を、行う事すら出来ないから。
死んだらそれっきり、眞悧のように呪って終わり。

だから、普通は変わらないといけないんだと思う。
平成が終わった今、変わらないといけないんだと思う。
多くの事件に事故、事象や事案の余波は未だ健在
正直今も、生きる事すら、ままならない。
でも、だからこそ、変わらないといけないんだと思う。
俺は今、間違いなく眞悧であり、冠葉だから。

まだ、俺は何も手に入れていない。
夢に生きてた頃、想い出せない。
輝いていた頃、記憶にない。
恋に落ちてた頃、そもそもない。
愛し合ってた頃、ある訳ない。

だけど、最期に、ある言葉は伝えたいと思えた。
「運命」って言葉は大嫌いだけど。
本作と巡り会えた『運命』には感謝したい。
最期に言いたい言葉を『輪るピングドラム』は教えてくれたから。

いつか、最後の日に、その言葉を言えたら良い。
それはきっと、俺が人生を「幸福」に終えられた証だから。
本当の光を手に入れたら、絶対笑顔で言ってやるんだ。

「ありがとう、愛してる」って。
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小さな頃に見ていたものは、まだ何も知らなかった時代のまぼろしなんかではなくて、いまでも見ることが出来るずっとそこにある変わらないものだった。
辛くなるからって無理に忘れてしまわなくても良かったんだ。
僕は気がつくのが遅すぎた。
必要なものを、自分で隠していたんだ。
でも、こんな僕でもまだ全てを失ったわけではなかった。

世界は残酷で恐ろしいものかもしれないけれど、とても美しい。
思えば、そんなこと、僕らは最初から知っていた筈なんだ。

時間が過ぎて、僕のことは忘れてしまっても構わないけれど、僕が今ここに書いている言葉のいくつかをときどき思い出してくれるなら、それより嬉しいことはない。

追伸。
今までありがとう。
出来ることならば、誰も憎まないで生きてください。

『CARNIVAL』小説版 PROLOGUEより抜粋
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{netabare}
☆『輪るピングドラム』を紡いだ物語・出来事
【銀河鉄道の夜】
上記で紹介した通り、宮沢賢治稀代の傑作
著者の妹トシに向けた鎮魂小説もとい、生者(自身)へ手向けた慰めの物語


【かえるくん、東京を救う】
村上春樹の小説『神の子どもたちはみな踊る』にある短編の1つ
第9話において、同作者の小説『スプートニクの恋人』が登場するのは、作中の「理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない」という言葉が、両方の物語に登場するから。
『神の子どもたちはみな踊る』は、1995年を軸に描かれた短編集
95年を境に、生きる意味を失う前の想い、失った後の不満、再生、失敗、絶望、希望を主人公達を通して描いている。
主人公は、大きな事を何も出来ない=きっと何者にもなれないお前達の1人
そんなささやかさの中で、かえるくんは東京を救う。
何者にもなれない人間が背中を押すことで、かえるくんは東京を救うのだ。
「かえるくん、東京を救う」は、掻い摘んで言うとそんな物語

また、同作者の『アンダーグラウンド』と『約束された場所で』は地下鉄サリン事件を紐解いたノンフィクション
因みに私は、村上春樹なら『神の子どもたちはみな踊る』が1番スキ


【地下鉄サリン事件】
作中における「あの事件」
情報量が多い故、詳細はググって調べるべし。
陽毬が学校へ行けなくなったのも、父母が犯罪者であった為、学校にいられなくなった→辞めさせられたんだろう
これを見ると、地下鉄サリン事件の前に起きた「松本サリン事件」で、加害者と疑われていた河野さんの子供に向けた学校の対応は、間違ってなかったんだろうな(=冠葉・晶馬のいる高校がそれか)


【透明な存在】
「神戸連続児童殺傷事件」(酒鬼薔薇聖斗事件)において、犯人である酒鬼薔薇聖斗が残した言葉
事件の詳しい内容はhttps://www.nagaitoshiya.com/ja/1999/sakakibara/#comment-163を参照。

この事件を詳しく紐解くと、本作が「神戸連続児童殺傷事件」とも深い関わりを持っているとわかる。
・透明な存在→愛されなかった子供と、愛されず成長した大人、両方を指す

・「世界でただ一人ぼくと同じ透明な存在である友人」=バモイドオキ神=眞悧
「みじめでなく価値ある復讐をしたいのであれば、君の趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある殺人を交えて復讐をゲームとして楽しみ、君の趣味を殺人から復讐へと変えていけばいいのですよ、そうすればうるものも失うものもなく、それ以上でもなければそれ以下でもない君だけの新しい世界をつくっていけると思いますよ」
                ↓
             冠葉の行動へ至る

・酒鬼薔薇聖斗の描いた絵=光と影の世界
 バモイドオキ神=眞悧は2つの世界を超越
真砂子
「明るい場所と暗い場所は共存しなくてはならないの」
「すべてを明るい光で照らしてしまうと、必ずその反動で、暗い場所が明るい場所を攻撃するのよ」
                ↓
             冠葉の行動へ至る

・かえるくん、酒鬼薔薇を救えない
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初めて勃起したのは小学5年生で、カエルを解剖した時です。
中学一年では人間を解剖し、はらわたを貪り食う自分を想像して、オナニーしました。

一橋文哉:酒鬼薔薇は治っていない!
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酒鬼薔薇聖斗にとって、自分を救ってくれるかえるくんはいなかった(「かえるくん、東京を救う」参照)
かえるくんは死に、不安と不穏に包まれ、彼の世界は透明のまま終わる。


【余談】作品を示唆する予言
『輪るピングドラム』が世に登場する前、某サイトでこのようなコメントがあったので、ここに引用する。
彼か彼女か、いずれにせよこの人もまた、透明な存在だったんだと思う。

以下、引用
28 林檎 投稿:2008年3月31日 @11:19 AM
酒鬼薔薇聖斗様があの時に行った行動を、今現在の大人たちが忘れているとしたら、それは彼の悪行が無駄になったということになると思うんですね。
あんなに残酷なことが出来ますか。
出来ないでしょう。
大人でもためらうほどの残酷な行動を、当時の日本は彼にさせたのではないですか。
子供は誰しも、犯罪を犯すために生まれてきたわけじゃない。
子供の世界は小さい。
だからそれゆえに簡単に壊れる。
大人のように世間をよく知って、それなりに自分のその中での生き方を得ているわけではないから、子供は簡単に途方にくれる。
そのときに救いの手が一つだけでもあったなら、彼は変わっていたかもしれない。
周りの大人たちが、異常だ、理解できないなどと遠巻きにしなければ、彼は犯罪者としてのレッテルを張られなかったのかもしれない。
ま、想像ですけどね。
いつも彼は一人だったと思います。
だからこそ自分の中で想像上の友達を創り上げ、自分が生きる意味を示すバモイドオキ神様を遂行し、殺人を自分が生きる目的だと思った。
そうするしかなかったんじゃないですかね、やっぱり。
今の時代も、酒鬼薔薇聖斗様は子供の心の片隅に棲んでいますよ。
頭角を現さないだけで、ひっそりと息を潜めているんです。
今の世間はどうですか。
子供も簡単に犯罪を犯す。人を殺し、騙し、陥れる。
全ては大人がしていることです。ニュースを見て、報道されている内容をしってアホらしくなります。
今のご時世、大人も犯罪を犯しているのですから、子供が人を殺すのは当然ですね。
私は私で、彼を尊敬し、敬っています。
彼は当時の腐った日本に大きな打撃を与えてくれた方ですから。
でも、今はどうなんでしょう。世の中の人みんな、彼を覚えているでしょうか。
忘れているとしたら、なんと悲しいことでしょう。
彼の悲痛な悲鳴があの事件にはあったはずなのに、ニュースで多くの報道がされるように、事件は新たな事件に押しつぶされ、殺されて行く。
この世界が悲しくてなりません。
でも、私は彼を永遠に忘れないでしょう。私に、希望を与えてくれた人だから。墓場まで持っていくつもりです。
それだけを言いたかったんです。失礼します。

https://www.nagaitoshiya.com/ja/1999/sakakibara/#comment-163
{/netabare}

投稿 : 2023/06/03
♥ : 13
ネタバレ

さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

考察

陽毬はリスカ少女に似ている
{netabare}
この物語は、ある家族(冠葉、晶馬、陽毬)の崩壊の話だと思う。

端からみれば、この家族はすでに崩壊していると言えるかもしれない。
この家族には大人がいない。両親は世間を敵にして消えた。
この3人の子供に血縁関係はない。
幼少期にそれぞれに傷を受けて、この世から消えそうになっていた。

それでも3人は、お互いに寄り添うことで何とか生きている。

しかし陽毬は難病を抱え、死の間際にいる。
冠葉と晶馬にとってこれは全く受け入れ難いことだろう。
この3人が寄り添うことで、何とか生きている存在なのだから。
陽毬の不在は、家族の崩壊であり、冠葉と晶馬にとって心の拠り所を失ってしまうことを意味する。
なので、冠葉と晶馬は純粋に陽毬への愛情から陽毬の命を救おうとしているのではなく、実は自分の存在を守るために、陽毬を救おうとしている、という側面がある。
しかし2人は、純粋に陽毬救いたいんだ、と思い込んでいるし、そうありたいと もがいている。
このような綻びが物語を通して大きなテーマになっているように思う。

そして、
この物語は、それらを1つずつ乗り越えていく話かと思いきや、
だんだん崩壊に向かっていく。

終盤で陽毬は、この家族に自分の居場所がないような感覚に囚われる。
物語を通してこの3人は本当に、ありえないくらい、お互いを想いやっている家族のように描かれている。
が、なぜか陽毬はそこで自分が透明になっていくかのような感覚を持ってしまう。
陽毬は、3人のお互いへの愛情が空回りしていて、実はお互いを無視してすれ違っている、という本質的な問題に感づいてしまう。
そこにこの家族を巡るもう一つの破綻の原因を、サネトシの促しによって陽毬は気づいてしまう。
陽毬は晶馬を恋しており、晶馬はそれには答えられない。
冠葉は陽毬を恋しており、陽毬はそれには答えられない。
という、三角関係。

ペンギン帽子をかぶった陽毬は、別の人格に乗っ取られた、というように描かれているが、
見方を変えると、陽毬の秘められたもう一つの人格、家族をつなぎとめるために演じているいい子ちゃんな自分の反動、という風にもみることができる。
ペンギン帽子の陽毬は、2人に無理難題を迫る。
晶馬は早々に不満を漏らし、理不尽を正そうとする。だけどそれでは陽毬は救えない。なので脱落する。
冠葉は陽毬のために何でもしてやろうとする、しかし冠葉は常に「してやろうと」するだけで、冠葉の愛は悪く言えば自分の都合のいい押し付けの愛になってしまう。

陽毬が冠葉に近づくとなぜか裸になる。たぶん冠葉にとっての陽毬は性愛の対象として見てしまう、ということを表していると思う。
このシーンは実に悲劇的である。
裸の陽毬を前にして冠葉はなす術なく膝をつく。
家族としての愛情を求められる陽毬に対してどうしても女として見てしまうこと、
自分の恋心は陽毬に受け入れられないこと。
そして自分の愛の示し方、「なんでも俺がやってやる」というような愛(サソリの炎とは、このような愛の形を言っているのではないかと思う)では、陽毬を救えないこと。
で、やはり俺ではダメなんだ、という絶望的な嘆きになる。
これに対する陽毬は冷たい視線のまま、だけれど抱擁している。
ここに陽毬の悲劇があるように思う。
陽毬の恋は晶馬には受け入れられない。なので冠葉の受け入れられない(自分に対する)恋の辛さが痛いほどわかる。

この三角関係が、
3人のお互いを非常に想いやっているはずの家族の崩壊の大きな要因になっているのだと思う。

そして、お互いの愛がなぜか、お互いを苦しめることになっている。
冠葉は陽毬のために何でする(ただし自分一人を犠牲にして)。
しかし他人を犠牲にするような方法で陽毬を救ったとして、陽毬は幸せにはなれない。陽毬はそういうことを望んでいるわけではなない。冠葉の愛は自分勝手な愛に向かっていく。
陽毬は冠葉を救うために、自分の命を投げ出すと決意する。
しかし陽毬が死ぬ、ということは冠葉にって自身の死より苦しい仕打ちになるだろう。陽毬の献身的な愛もまた、自分勝手な愛情に向かってしまう。
晶馬に関しては、ひたすら受動的である。そして自分によって誰かが傷つくことを非常に恐れている。苹果を避けようとしたり、陽毬をおじさんの家に行かせようとしたり。冠葉と同じように陽毬を想っている(家族愛として)が、人が傷を負うことを恐るために、何も救えない愛でしかない。

つまり、
この家族の崩壊の原因は、
呪いをかけられたから、親が犯罪者だから、冠葉が親と同じ犯罪を犯そうとしているから、サネトシの思惑の犠牲になって、ということは本質的な問題ではなく、
3人のそれぞれの愛が、3人を崩壊させていく、
という愛の残酷な皮肉、なのであり、これが物語の大きなテーマになっているんだと思う。

サネトシという存在は、そのような愛の側面に絶望した人間。
サネトシが3人を破滅させている、というよりは、
このような、愛が破滅に向かう摂理について、モモカに証明しようとし、
モモカは逆の形で、愛が破滅を救えるということを証明しようとして苹果に日記を託した
という風に見えます。

ピングドラムを見つけて運命を変える
というのはこのような愛のための崩壊を救う「何か」を見つけ出せ、ということだと思う。


最終話
晶馬はペンギン帽子に「冠葉と晶馬で運命を変えろ」と言われます。
冠葉を妄信から救え、とか、事件を防げ、ではなく、
これから対峙しないといけないはずの「冠葉と一緒に」です。
晶馬はこの時点でまだ何をすればいいのかわからなかったはずです。

冠葉と対峙して晶馬が言ったことは「陽毬を返せ」であり、
それに冠葉が答えた言葉は「お前には陽毬を救えない」です。
到底2人で何か救えそうにありません。
そして、陽毬は死んだまま(自分を消滅させることで冠葉を救おうとしている)、
これもまた2人を救えそうにありません。

この時点で3人の家族は完全に崩壊に向かっています。
サネトシはモモカに「破滅を見せてあげる」と言います。

そこに苹果が現れます。
苹果はその前に「陽毬の命を救う」というセリフのもと、この3人の元に駆けつけます。
でもたぶん、苹果が救おうとしたのは陽毬の命ではなく、想い合うことで破滅しようとしている3人の運命であり、晶馬の心を救おうとしたのだと思います。
なので、そのために自分が燃えても構わない、という愛を示せたのでしょう。

苹果の愛を示されたことで、晶馬は冠葉と対立ではなく向き合おうとすることができます。
晶馬が冠葉と向き合おうとしたことで、陽毬が単なる自己献身ではなく、冠葉に愛情を示そうと立ち上がることができます。

ここに1話でペンギン帽子が言った「ピングドラムは苹果が持っている」の伏線が回収された、と見ます。
ピングドラムは晶馬の心から出てきたように描かれていますが、それは苹果の愛をもって初めて見出せたもの、なのでしょう。

陽毬は傷だらけになりなが冠葉の元に進みます。
その際に自分が家族でいることで、実は苦しんでいたことを告白します。
してもらってばかりで「そんなことを言う資格はない」と、いい子ちゃんで通していた、自分の殻を破って、本音で向き合おうとして はじめて冠葉の心までたどり着くことができた、んだろうと思います。

ここでもやはり陽毬は裸になります。冠葉はまだ苦しんだままです。
そして晶馬も、やり方の違う冠葉への反発、自分の血縁によって冠葉や陽毬を苦しめたくない、という愛への消極的な姿勢を捨てて、冠葉に歩み寄ります。
そうしてやっとピングドラムが生まれる。

3人はお互いを「自分の都合」という色眼鏡でみることをやめ、本音で寄り添える本当の愛を持てた。
自分の苦しみを相手にも分け与える覚悟ができたため、本当の彼らを直視できるようになった。
というところに運命の乗り換えが起きた。救いが生まれた、ということだと思う。

晶馬がピングドラムを陽毬に渡す時、陽毬はやはり裸だけど、幼児の姿になっています。
これは晶馬にとっての陽毬があくまで「妹」である、
また陽毬は「妹」としての晶馬の愛情を、恋の苦しみを超えて心から受け取れた、ということを示していると思います。

その後晶馬は燃え尽きてしまおうとしていた、苹果に「愛してる」という言うことで苹果を救います。
苹果はまったく見返りを期待しない愛を自ら選びました。
しかし、どんなに純粋に愛を持っても、まったっく見返りがない、ということは自身が燃え尽きてしまう、ということを表していると思います。
これは、冠葉が見返りのない愛を陽毬に注ぎ消耗していくのに似ています。冠葉は見返りがない愛ために、燃え尽き、どんどん自分勝手な愛に変質していったのでしょう。
晶馬の「愛してる」には、もう一つ意味があるように思います。
それは、陽毬の前ではっきり口にすること、陽毬の恋心を傷つける恐れをちゃんと乗り越えた、ということが込められているように思います。

晶馬の愛の過ちというのが少しわかりにくいのですが、
冠葉が押し付けてでも「してあげる」愛が実は相手を傷つける、というところの対照的なものであり、自分の愛が人を傷つけることを恐るあまり、何物も救えない、というところにあるのかな、と思います。

えーっと、
次に、サネトシが冠葉に「お前たちは呪われている、いずれまた破滅するだろう」みたいな捨て台詞を吐きます。
この「呪い」は「愛」のことだと思います。「愛」というものは今は大丈夫でもいずれ破滅をもたらす「呪い」なのだ、とサネトシは言いたいのだろう。

遡りますが、苹果が運命を変えようと電車に乗り込む前に、苹果はいろんな人から想いを託されています(小さなピングドラムとでもいうべきか)
ひとつは、モモカからの日記
ひとつは、ユリから。ユリはタブキに救われました。タブキは陽毬と冠葉に(ゴンドラの出来事で)救われました。それが回り回って苹果に託されています。
またもう一つ、ダブルHから陽毬へのプレゼントという形で託されています。このダブルHにマフラーという形の陽毬の愛を届けたのがサネトシなんですよね。陽毬が想いを届けることを自分で断絶したマフラーをサネトシが拾ったことで、苹果の呪文となって回ってきています。
この辺りが面白いですね。

陽毬が何か見失ってしまいそうになって図書館でリンゴ(晶馬からもらった)を置いていきそうになるのを止めるのもサネトシですね。

最後の最後、

陽毬は命を救われます。これは冠葉と晶馬が共に運命を変えた、真実の愛を見つけたことの恩賞でしょうか。ピングドラムを見つけたら陽毬の命も救われる、のペンギン帽子の予言が果たされている。
しかし陽毬の家で冠葉と晶馬はいなかったことになっている。
冠葉と晶馬は陽毬の命を救った。だけどその代償として冠葉・晶馬から陽毬は失われてしまった、ということしょうかね。
ここが重要だと思います。冠葉と晶馬は、自分に都合の良い愛ではなく、自身から失われてもいいので相手を救いたい、という本当の意味での自己犠牲の愛を成就できた、ということなんだろうと思います。なのでラストシーンでこの3人が一緒にいちゃダメなんです。
そして冠葉晶馬は、子供になっています。なぜか?大人の姿のまま陽毬の家をすれ違うシーンであったら、どうしても冠葉・晶馬がいずれまた陽毬と出会うことを見ている側が想像してしまうから、それを避けたかったんじゃないかな、と、思います。

このラストで、登場人物は皆、一番大切な人を失っています。
晶馬は、陽毬・リンゴ
リンゴは、晶馬
冠葉は、陽毬
マサコは、冠葉
ユリとタブキは、モモカ。

これは、愛の喪失を乗り越える、ということの物語でもあるように思います。
ユリとタブキが象徴的ですが、愛するモモカを失って、
・他人を犠牲にしてもモモカを取り戻す
・モモカの復讐をする
いずれも愛がなせることでしょうが、この愛は破滅をもたらします。
そうではなく、愛する(愛される)ことができたから、喪失を破滅を乗り越えられる、というメッセージ(タブキが語っていますが)が、それぞれの試練として課せられた(乗り越えられた)、ということを意味していると思います。

また、冠葉・晶馬が兄弟のように並んで歩いている、という点について。
冠葉・晶馬が、本当の意味で兄弟(あるいはそのような愛情)になれたことを示していると思います。
物語を通して、冠葉・晶馬は、陽毬がいることで兄弟として成立しているようなところがあります。
2人の仲が悪いように見えませんが、性格が反対なので、別の方向を見ているようなところがあります。
冠葉は兄である俺がダーティなことは全部引き受けるので、お前は陽毬の前で笑っていろ(主に陽毬の気持ちを考えてことだと思う)、というようなスタンスです。
晶馬は終盤までその冠葉のスタンスにただぶら下がっているような状態です。
だけど真実の部分を話し合った結果二人は決別することになります。
つまりお互い真に語り合うことをしないために、家族としての体裁を保てていた、ということだと思います。
(また一人の妹想う2人の同じように強い想いが、意見のすれ違いによって争いになってしまう、という皮肉)
単に冠葉と陽毬、晶馬と陽毬が、寄り添うだけでなく、冠葉と晶馬が寄り添って分かち合うところにピングドラムがあった訳です。そこに内実は崩壊していた3人の家族が、本当に家族として暮らせる 何か を見つけられた、ということでしょう。
なので、陽毬を失ったあとに、この2人が一緒にいれるのだと思います。
だし、陽毬の想い。自分が失われるとした場合に、2人に本当に望むこと。私がいなくても家族でいて欲しい、という願いが叶った形なのかもしれません。

***
こどもブロイラーとキガの会を巡る愛の残酷な皮肉

晶馬は直接的に親に捨てられた、という描写はありませんが、晶馬としては幼少期に親の愛をえられなかった、という思いがあると思います。
キガの会というのは、愛の皮肉の例だと思います。
キガの会は子供ブロイラーがあるような社会を変革する、と、言います。
しかしキガの会が革命のために話をしている、そのすぐ側で一人の女の子が親に捨てられ子供ブロイラーに送られようとしています。キガの会には、このような小さな存在、実際の被害に対して目が向かないのです。
晶馬や冠葉も恐らく、親から目が向けられなかった子供だったのでしょう。
晶馬や冠葉は子供ブロイラーに送られることはなかったですが、それと同等の檻の中で飢えていました。
キガの会は愛のためにこの世を救おうとしているはずですが、目の下の自身の子供への愛も注げないでいるのです。
これも残酷な皮肉だと思います。

***
個人的に、

陽毬がリスカ少女のように見えます。
陽毬の呪いとは身体の病気ではなく精神的な病気だったんじゃないか。
幼少期に陽毬は心に大きな傷を負っています。
そのことが呪いとなって、自分を絶対的に愛してくれている2人の兄を前にしても、
自らを消し去ろうとしてしまう。
絶対的に愛している体(てい)の欺瞞に、あまりに敏感に気づいてしまう。なのでサネトシと近い。

あまりにも愛情に溢れた家族の「体(てい)」の中での自分を演じてしまう。
そのことに綻びがある。
あきらかに自分のために奔走している兄たちに、何をしているのか、問い正すこともできず傍観してしまう。
あきらかに自分のために傷ついている兄たちのために、自分を滅することでの救いをもたらそうとしてしまう。
実際、物語の中で陽毬は脇に置かれたまま。陽毬はただ天使のように置かれた人形のような存在であるようにも見える。
そのように演じてしまう。

そして、陽毬と同じように大きな傷を抱えたままの2人の兄(だけ)では妹を救えなかった。
この3人は、3人では破滅を逃れられなかった。

なぜ苹果が必要だったのか?
苹果は登場人物中、唯一と言っていいほど、親に愛された幼少期を過ごしたから、かな。
苹果も序盤では親の愛を疑い、独善的なやり方でそれを取り戻そうとしますが、
そもそも愛を失っていなかった、ということに気づくのだと思います。
どうしても人は100の愛を得ようとしてしまいますが、100も愛を施せることは通常ありえない。
普通、親から100の愛情を受けることはないと思います。
だけど、100無い、ということは、0ではない。
そこに気づけた。100ではない愛情でもちゃんと愛を感じられた、というところに苹果の成長があったように思う。

だから苹果は、陽毬を、3人の家族を救う鍵になれた。
最後に到るまでの陽毬・冠葉・晶馬3人の愛は、未熟な愛だった、あるいは消耗して磨り減った愛だった、と言えるかもしれません。
気持ちだけではどうにもならない、
本当の意味で成長し、別の誰かから小さくとも愛を受け取ることで、誰かを救えるようになったんじゃないかな、と思います。


{/netabare}

投稿 : 2023/06/03
♥ : 8
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

ウテナから来ました

 第一話視聴後のレビューです。全話完走予定。ウテナが面白かったので監督つながりで視聴を開始しました。このレビューは自分の考えを整理するためにメモ、みたいなものです。完走後に追記するかは未定です(多分しない)。第一話のネタバレがありますのでご注意を。評価点は完走後に付けます。<追記しました>


子供たちの会話と銀河鉄道の夜:{netabare}
 この作品は、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜(以下『銀河』)』をベースにしているようです。子供たちの会話を抜粋します。表記は『銀河』準拠。
 <前段>
  「苹果(リンゴ)は宇宙そのものなんだよ。手のひらに乗る宇宙。」
  「この世界とあっちの世界をつなぐもの。」
  「(あっちの世界とは)カムパネルラや他の乗客が向かっている世界だよ。」
  「苹果は愛による死を自ら選択したものへのご褒美でもあるんだよ。」
 <後段>
  「(死んだら全部)お仕舞じゃないよ。むしろそこから始まるって賢治は言いたいんだ。」
  「愛の話なんだよ。」

 『銀河』の概略はこんな感じです。
 「孤独な主人公ジョバンニ。父が行方不明で、母が病床のため、働かなければならず、学業にも身が入らない。学校ではいじめられ、職場ではからかわれ、親友のカムパネルラと話す機会も減った。親友のカンパネルラはみんなの人気者。
 二人は、銀河鉄道に乗り込む。様々な人と触れ合うことで、ジョバンニは、「ほんとうの幸」という生きる目的を得た。気が付くと、車中からカンパネルラの姿が消えてしまっていた。
 ジョバンニは目を覚ました。丘の上で寝てしまっていたのだ。丘から下りると川の近くに人だかりがあった。カンパネルラはいじめっ子のザネリを救うため、川に飛び込み命を落としていた。」

 『銀河』における銀河鉄道とは、この世界と死後の世界をつなぐもので、苹果は、死を象徴するものとして出てきます。子供たちの会話の前段部分は『銀河』を説明したもので、後段部分はその解釈です。
{/netabare}

第一話の構造:
 第一話は、子供たちの会話だけで成立しています。
 第一話の前半が『銀河』の世界を再現する<前段>部分で、後半が『ピンドラ』の世界を描き始める<後段>部分に該当します。これが第一話の構造です。


<前段>とTSM荻窪線:{netabare}
 『ピンドラ』が本当に『銀河』の世界観を引用するのかどうか、という疑念を確信に変えてくれるのが「TSM荻窪線」です。

 「TSM荻窪線」は東京メトロ丸ノ内線がモデルですが、荻窪から池袋に行く際に、丸ノ内線の始発駅から終点駅という行き方はあまり考えられません。少なくとも途中での乗り換えが一般的です。それにも関わらず、三人は「TSM荻窪線」のみで池袋まで到達しています。

 このような経路の選択をしたのはなぜなのか。
 「他の路線がないため選択肢がなかった」のであるなら、それはそういう世界を作った「監督の意向」です。「他の路線があるのに使わなかった」のであるなら、それは「三人の意向」です。
 いずれにしても、誰かの意図で始発から終点まで電車に乗っていた、ということです。

 さらに重要なことは、終点で起こった「ヒマリの死」です。つまり、始発から乗り、終点に到達すると死が訪れる、という『銀河』の世界が露骨に描かれているのです。始発から乗る以上、引き返すか途中下車するか乗り換えるかしない限り、死へと到達してしまう世界です。

 以上のことから、意図的に『銀河』の世界が踏襲されており、事実再現されている、と言えます。主人公の男の子達の名前もショウマとカンバですから、ジョバンニとカムパネルラに同一視されます。ヒマリは、「自ら死を選択」していないからご褒美の苹果がないのです。
 ここまでが第一話の前半で描かれている<前段>部分、『銀河』の世界です。
{/netabare}

<後段>と「輪る」「ピングドラム」:{netabare}
 第一話の後半で描かれているのが<後段>部分、『ピンドラ』の世界です。終点での出来事のあとから第一話のエンディングまでに該当します。
 「(死んだら全部)お仕舞じゃないよ。むしろそこから始まる」「愛の話なんだよ。」
 死んで始まると言いたいのは、賢治ではなくて幾原監督です。『ピンドラ』の物語は、死んで初めて始まるのです。愛の話だからキスシーンで終わるのです。第一話というのは、子供たちの会話を映像化しているだけです。
 『ピンドラ』が「愛の話」だと宣言されているわけですから、「ピングドラム」は十中八九「愛」のことでしょう。

 で、問題は「輪る」の意味するところ。

 最初は輪廻観かと思ったのですが、転生ではなく蘇生ですからちょっとロジックが足りないです。山手線が採用されていないのもダメ押しですね。三人の親や子も登場しそうにないので、世代を超えた円環構造もなさそうです。

 となると、横のつながりが「輪る」ですかね。男女の三角関係ならグルッと「愛」を回せそうな気もします。または、男から女へ、そしてその女から元の男へ、の循環ですかね。
 この辺は第一話だけでは情報不足かもしれません。
{/netabare}

 『銀河』自体は、様々な解釈がされています。これに対して幾原監督の解釈を提示した上で、その土俵の上で描かれたのが『ピンドラ』の世界なんじゃないのかな、と思っています。

 ここからはテーマを探ってみます。『銀河』のテーマに幾原監督の「愛」が乗っかったのが、おそらく『ピンドラ』のテーマになるでしょう。

『銀河』のほんとうの幸:{netabare}
 ジョバンニは蝎(サソリ)のようになりたい、と願います。
 「蝎は虫を殺して食べて生きていた。ある時イタチに見つかって食べられそうになった。一生懸命逃げたけど、いよいよ捕まりそうになってしまった。その時井戸に落ちて、溺れてしまった。蝎はイタチに食べられなかったことを後悔した。どうせ死ぬのなら、イタチに食べられていたら彼を一日生かすことができたのに。神様お願いします。むなしく死ぬくらいなら、まことのみんなの幸のためにこの体を使ってください。すると蝎は真っ赤なうつくしい火となって、闇を照らし続けた。」

 賢治の宗教観は、(たぶん)キリスト教と仏教のハイブリッドです。無意な死である自殺を否定しながらも、自己犠牲は肯定しているのです。ただ、推奨はしていません。蝎が虫を食べていたように、蝎がイタチに食べられるのが「自然だ」と主張しているのです。
 これは食物連鎖に限った事ではなくて、人が一人で生きるのではなくて、みんなと助け合うのが「自然だ」と言っているのです(この助け合いの連鎖が「輪る」?)。

 ジョバンニは「みんなのほんとうの幸」のためなら「自己犠牲」も厭わないと生き方を決めました。ですが、「みんなのほんとうの幸」が何なのかが分かりませんでした。そこで「みんなのほんとうの幸」を探すことを決めたのです。

 これに対する幾原監督の解答が「愛の話なんだよ。」ということです。みんながそれぞれ「愛」を得られるような世界が「みんなのほんとうの幸」につながるのでしょう。
{/netabare}

愛の話:{netabare}
 幾原監督の「愛」は既にウテナで描かれており、その「愛」観は特徴的な二元論から成立しています。特異な主張を持つ作家は、やすやすと自分の意見を変えませんので、今作でも大きくは変わっていないはずです。彼の主張は、男女のそれぞれに二元論を用意して、その組み合わせで「愛」に関する二元論を作り出す、というものです。

 女性には、お姫様と魔女がいます。王子様に選ばれて守ってもらえるのがお姫様で、選ばれなければ必然的に魔女化してしまいます。魔女は王子様をたぶらかそうとします。
 男性には、特定の女性に愛を向ける本物の王子様と、不特定多数の女性に愛を向ける偽りの王子様がいます。
 本物の王子様が、魔女にたぶらかされずに正しくお姫様を選び、それにお姫様が応えること。これが幾原監督の言う「ほんとうの幸」である「真実の愛」です。これ以外の愛の形は「偽りの愛」になります。
(この「選び」「応える」構造が「輪る」?)
{/netabare}

プリンセス・オブ・ザ・クリスタル:{netabare}
 で、プリンセス・オブ・ザ・クリスタルと彼女がやったこと。
 ヒマリは、プリンセス~略~、つまりお姫様に変身していますので、最終的には、王子様に選ばれるお姫様になることは間違いないでしょう。ヒロインポジションだし。

 問題はカンバ。カンバは多数の女の子と関係を持っていることから、「偽りの王子様」に該当します。ですが、最後にはヒマリへの愛に向き合う「本物の王子様」の側になりました。この転換の契機となっているのは、プリンセス~略~がカンバの身体から抜き取ったものが関係していそうです。

 彼女が抜きとったのは、苹果ではない赤いもの、「まっ赤なうつくしい火(=蝎)」なのではないでしょうか。そもそもカムパネルラと蝎は、「自己犠牲」という点では共通しますが、結果は大きく異なるものです。カムパネルラは「一対一」の犠牲であり、蝎は「一対全」の犠牲です。
 「一対一」こそが本物の王子様とお姫様による「真実の愛」の形です。カンバは蝎のもつ不特定多数への愛を奪われたことで「本物の王子様」に立ち返ったと考えるとしっくりきます。「真実の愛」ではないけれど、一応は愛なのでヒマリの「一時的な延命」が可能になるのでしょう。

 ショウマは、何も問題なしです。カンバの女好きを非難していますから、「本物の王子様」の素養があります。または、まだ愛を知らない可能性もあります。どちらにせよ、プリンセス~略~に何もされずにさようなら、というわけです。

 ちなみにですが、「一対全」の愛が「偽りの愛」だと言いたいわけではないですよ。「真実の愛」「偽りの愛」というのはウテナから感じた私の感想であって、重要なのは、「目指す愛」と「目指さない愛」という二元論を用意することです。この二元論を「唯一の愛」と「普遍的な愛」としても、「一対一の愛」と「一対全の愛」としても構いません。
{/netabare}

テーマまとめ:{netabare}
 ショウマとカンバ、つまり、ジョバンニとカムパネルラの別形態による『銀河』ifストーリーが『ピンドラ』である、というのは間違いないでしょう。察するに、カムパネルラ役の男の子の「自己犠牲」を描いた上で、誰かが「真実の愛」に到達する、みたいな構造を持ちそうです。遅かれ早かれザネリの代替キャラも登場するでしょう。

 蝎の話は「死に方」に関するものです。ジョバンニは「死に方」を考えることで「生き方」を獲得しました。「どう死ぬか」は「どう生きるか」に転換できるということです。おそらくこれを端的に述べたのが「生存戦略」というキーワードでしょう。生きることは「真実の愛」を探すことですから、「ピングドラムを探すこと」自体が「生存戦略」でもあります。

 『銀河』をやる上で、唯一足りてないのが苹果です。この「欠けたものを探すこと」が「ピングドラムを探すこと」になります。ピングドラムは絶対に苹果の形をしているはずです。今まで書いてきた事柄を整理するとこうなります。
  苹果=死=どう死ぬか
  どう死ぬか⇔どう生きるか
  どう生きるか=生きる目的=ほんとうの幸=真実の愛=ピングドラム
 結果、苹果=ピングドラムなんですけど、これを繋ぐためには生存戦略が不可欠なわけです。
{/netabare}

 第一話のレビューとしてはこんなところでしょうか。第二話以降を気楽に見るために二回も見ちゃいましたよw それでは第二話以降に行ってきます。

★★完走後の追記★★{netabare}
①愛の二元論(上記の修正込)
 ピングドラムは、「愛による死を自ら選択したものへのご褒美」、つまり、「自己を犠牲にして誰かを生かしたときに生まれる愛」のことでした。
 で、修正したいこと。この作品の世界は、「愛のある世界」と「愛のない世界」で成立していて、この愛の中には「恋<一対一の愛<一対全の愛」という上下関係が成立しているというものでした。愛の中で二元論を作っているわけではありませんでした。プリンセンス~略~が最初にカンバから抜き取ったのは、「恋」でした。

 作品の世界は、「TSM荻窪線」のある「愛のない世界」です。「氷の世界」「美しい棺」と称される「子供ブロイラー」が存在するような世界です。カンバとショウマは、自己を犠牲にすることで、「愛のない世界」を「愛のある世界」へと変換しました。これが「運命の乗り換え」です。これにより、ヒマリと苹果ちゃんは、突如として別世界の電車の中に現れました。「命⇔蝎の炎」の路線です。

②運命の果実を一緒に食べよう
 「一対一の愛」を実現するためには、「選び」「選ばれる」ことが必要です。男女を限定しなくなっていますが、幾原監督の王子様とお姫様理論ですね。この選択と被選択のいずれもが達成されないと、その人は「何者にもなれないお前たち」と呼ばれてしまいます。
 この「選び」「選ばれる」ことが「運命の果実を一緒に食べよう」というセリフに表れています。ピングドラム(苹果)を「分け与え」「受け取ってもらう」ことです。ピングドラムは、カンバ→ショウマ→ヒマリ→カンバとまわりました。これが「輪る」「ピングドラム」ですね。

③取り残されたタブキとユリ
 愛が「輪る」構造は、世代間にもあるのでしょう。タブキとユリは「愛のない世界」に取り残されしまった、愛を知った夫婦です。彼らは子供を産み、「蝎の炎」に頼らずともその子供に愛を与えることが出来るのでしょう。
 登場人物たちは総じて親子間に問題がありましたが、愛を知る親が「愛のない世界」に残された、ということです。カンバとショウマ以外の希望のかたちでしょう。

④サリン事件
 首謀者残党である企鵝の会。彼らは別に悪者ではないような気がします。
 彼らはこの世界を壊したがっていました。彼らの言う「聖なる炎」は「蝎の炎」のことでしょうから、愛のある世界を作りたかったのです。手段についてはさておいて。

 この事件の採用は、社会風刺ありき、ではないと思います。『銀河』の世界を再現するためのものでしょう。『銀河』には、船舶事故の犠牲者が出てきます。この船舶事故とは、タイタニック号の事故であると言われています。これを現代と地下鉄に置き換えたのが「サリン事件」だったのだと思われます。

⑤サネトシ
 この人がザネリです。「空の穴分室」にいましたが、「空の穴」というのは『銀河』に出てくる言葉です。彼の言う「呪い」は、他人を犠牲にして生き残ること、すなわちザネリの生のことでしょう。「罪」も同様の概念でしょう。

⑥苹果ちゃん。
 表記も『銀河』準拠だし、果実の苹果が出てくる前に登場したこともあって、レビューを盛大にやらかしたかと不安にさせてくれました。無事に果実の苹果が出てきて良かったです(笑)。
 彼女はずっと運命に縛られていました。でも、最後は死に至る電車を乗り換える「運命の乗り換え」を実行してくれましたね。ヒマリたちが表の主人公だとしたら、苹果ちゃんは裏の主人公でした。

 エンディングを見る限り、ショウマとカンバは銀河鉄道の旅を続けるんですかね?乗り換えをしながら愛のある世界を作り続けるのでしょうか?「ほんとうの幸」を作る側ではなく、いつか味わう側に成れるのでしょうか??
{/netabare}★★追記ここまで★★

投稿 : 2023/06/03
♥ : 12

75.4 3 ペンギンアニメランキング3位
ペンギン・ハイウェイ(アニメ映画)

2018年8月17日
★★★★☆ 3.8 (249)
1160人が棚に入れました
小学四年生の少年アオヤマ君は、一日一日、世界について学び、学んだことをノートに記録する。利口な上、毎日努力を怠らず勉強するので、大人になったときにどれほど偉くなっているか、見当もつかない。そんなアオヤマ君は、通っている歯科医院の“お姉さん”と仲がよく、“お姉さん”はオトナびた賢いアオヤマ君を、ちょっと生意気なところも含めかわいがっていた。ある日、アオヤマ君の住む郊外の街にペンギンが出現する。海のない住宅地に突如現れ、そして消えたペンギンたちは、いったいどこから来てどこへ行ったのか…。アオヤマ君はペンギンの謎を解くべく研究をはじめるのだった。そしてアオヤマ君は、“お姉さん”が投げたコーラの缶が、ペンギンに変身するのを目撃する。ポカンとするアオヤマ君に、笑顔のお姉さんが言った。「この謎を解いてごらん。どうだ、君にはできるか?」“お姉さん”とペンギンの関係とは? そしてこの謎は解けるのか?少し不思議で、一生忘れない、あの夏の物語。

声優・キャラクター
北香那、蒼井優、釘宮理恵、潘めぐみ、福井美樹、能登麻美子、久野美咲、西島秀俊、竹中直人
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1

この小四男子が大人になるのが楽しみでなりません

原作SF小説は劇場鑑賞後に購読。

ボクは大人になったら保母さんと結婚するんだ。
或いは先生と、或いは看護婦さんとか……。

幼少期の園児、児童の中には、時折、
こうした未来を語るナマイキな小僧がおりますがw
あれは果たしてどういった心情なのでしょうか?

年上の女性に甘えているようで母性依存とは少し違う。
だからと言って恋愛のいろはを知っているわけでもない。
大人になってから初恋の相手は先生だったなどと吹かす人もいますが、
あれは恐らく初恋の域には達していなかったと見るのが妥当でしょう。

そして、思春期を経て、恋を知っていく中で
母性依存以上、初恋未満の経験は、いつの間にか霧散してしまう。
その時、少年の心や周囲に何が起こったのか?
についてはあまり語られることもありません。


本作はそんな幼少期から思春期に差し掛かる少年と年上お姉さんの青春を
生命進化史や宇宙観に絡めたジュブナイルSF作品。

歯科医院に勤務するお姉さんを結婚相手に決めている主人公少年。
彼がまた只者ではありません。

“人類代表”就任を企てる少年の野望は、
夢物語にとどまらず、形にすべく既に計画的に動き出している。

ノートに自身の課題と研究テーマを列記。
(しかもジャポニカ学習帳などのお子様向け文具ではない。
論理的思考やスケジューリングに最適な大人向けの外国製方眼ノート)
解決のためのPDCAサイクルを回して、
日々、着実に“エラく”なっている自負を得ているのです。

けれど、宇宙物理学の知見に触れたり、
一流のビジネスマン、研究者に匹敵する
メソッドを体現した天才児をもってしても、
ようやく知りつつある恋の甘酸っぱさについては、認識しきれない。

知識だけでは感じ切れない。
成長や性徴を経ねば分らない感情が確かにある。
少年の知的生活を強調することで
浮かび上がって来る青春という構図が誠にこそばゆいです。


鑑賞された方の中には、というより多くの方が、
こんなすました主人公少年なんているわけないだろうw
と思われたのではないでしょうか。

ただ、私の場合は、自分も幼少期、ろくに方程式も解けないクセに、
舌で乳歯をグラつかせつつ、
NHKでアインシュタインの業績を優しく解説する番組などを見て、
宇宙の真理を知った気になっていたナマイキなガキだったのでw
本作の主人公少年の言動には共感できる点も多々ありました。
(但し私も流石に、{netabare} 怒りの感情を和らげるために、おっぱいを妄想して幸せになる{/netabare}
などということはなかったと弁明はしておきますw)

SF展開も私好みで思索も捗り、久々に幼少期に戻った気分になりました。
嬉しさの余り……また、劇場版の説明だけでは納得できないこともあって、
鑑賞後、原作購入して延々と考察に耽っている内に、
この夏も終ろうとしていますがw後悔などは全くありません。
脳に清々しい汗をかくこともできた素敵な夏でした。


それにしても、この主人公少年は
これからまさに恋を知り、青春を知ることになるのでしょうが、
別次元とも言える思春期の純情を経た時、さらに大人になった時、
この夏の思い出はどう自己解釈されるでしょうか?
未熟だった自分にのたうちまわったりもするのでしょうか?
今から反応が楽しみでなりませんw


その他、主人公少年だけでなく、同級生の男子一名と女子一名もまた、
初めて知ってしまった恋の感覚に戸惑いながらも成長していく。
三者三様の青春も実にくすぐったかった。良作青春SF映画でした。


以下、ネタバレかつ超絶ロングな考察。

一応ノート形式を気取ってはいます。
眺めていても大した「エウレカ!」も来ない半端な代物ですがw
鑑賞後の思索等にお役立て頂ければ幸いです。

{netabare}
□ブラックホールとワームホール仮説と“世界の果て”

劇場版では、“世界の果て”は遠い宇宙の外ではなく、内側にあるかもしれない。
と示唆された程度でしたが、原作では、かなり多岐に亘る思索があります。

例えば、恒星が死を迎える際に重力で自壊するなどして
空間に穿たれるブラックホール。
光も音も時間や空間さえも飲み込まれ押し潰されると言うこの穴については、
その出口が別の宇宙へ通じているという仮説が提唱されています。

この場合“世界の果て”は外側の辺境ではなく、
内側のブラックホールに存在することになるのです。


□始まりと終わりを繰り返す万物

無から生じた宇宙の膨張と収縮。
混沌と秩序、生と死、進化と絶滅、眩しい朝昼と静寂とした夜、
輝かしい夏も四季が巡れば秋を経て、命が眠る寂れた冬を迎える。

全ては始まり、やがて終わり、また混沌とした始まりへと回帰していく。
本作では盛衰を繰り返す森羅万象という宇宙観が、
少年が知覚する周囲のあらゆる事物、体験にあてはめられます。


□宇宙と海の共通点

原作では海の神秘についても、さらなる言及があります。
深海に至っては並の探査船は圧壊する程の高水圧。まるでブラックホール。
そこにすら棲息する生命体は、宇宙のエイリアンを思わせるグロテクスクな外観。

光や音が地上と異なる性質を見せる水中においては、
さながら宇宙空間を想起させる不思議な非日常的な環境を与えてくれます。
宇宙飛行士も水中で訓練に励むのです。

劇場版では、さらりと流されたプールのシーン。
あのカットだけだと全裸で女子の前に浮上する
少年の奇行を強調するだけのネタシーンと化していますがw
原作だと、あの場面に宇宙と海をつなぎ合わせる感覚を読者と共有する、
貴重な水中体験の描写があります。

後で原作を読んでいて、一番これは映像化して欲しかったなと思ったシーンです。


□コーラと多元宇宙論

お姉さんが投じたコーラからペンギンが発生する。これも含蓄に富んだ表現です。

原始の海から発生した生命が鳥類まで到達する生命進化史の早回しとも解釈できますし、
私の場合は幼少の頃見た多次元宇宙論の泡宇宙のイメージ映像を思い浮かべました。

宇宙は単一ではなく、無数に存在していて、炭酸の泡の如く生まれては消えている……。
コーラの漆黒の液体に泡立つそれらがペンギンへと到達し、また元のコーラ缶に回帰していく……。
一連の描写は宇宙の性質も示唆しているように感じました。

いずれにせよ、ペンギンの発生と消滅もまた、万物の盛衰を暗示しているものと思われます。


□<海>とは何か?

ハマモトさんが発見した膨張と収縮を繰り返す不思議な浮遊球体<海>
この世界に開いた塞ぐべき“穴”との指摘からも、
また上記の考察からも、ブラックホール?と推測したい所ですが、
重力による星の潰滅に由来しないためか、万物を吸い込み圧壊する性質はない模様。

一方でワームホールの如き異次元空間への転移機能は有していて、
<海>の中では物理法則や時空も混沌としています。
劇場版でも“世界の果て”と形容された<海>
原作では加えて「カンブリア紀」の海とも再三強調されています。
多種多様な海洋生物が爆発的進化を遂げては消えていった……。
地球生命史でもっとも多くの可能性が繚乱した時期。

<海>はかの時代の如き混沌への回帰をもたらすのです。


□ペンギンの役割

ペンギンと言う鳥類はまさに生命進化史の天邪鬼。
海の生命が数億年かけて上陸を果たし、翼を獲得し、大空に羽ばたいた……。
その進化に逆行するようにペンギンは、空を飛ぶことをやめ、
翼をフリッパーに変え、生命の故郷である海に舞い戻り、生き生きと泳ぎ回る。
そのクセ、かつての陸棲から海の主と化したシロナガスクジラと異なり、
ペンギンは完全に海棲生物にはならない。
「ペンギン・ハイウェイ」と呼ばれるルートを通って
彼らは海から陸の浜辺へ帰って行くのです。

お姉さんが出すペンギンたちもまた、混沌たる<海>と呼応しながら、
完全に混沌に回帰することはない。
それどころか混沌を振りまく<海>を、
残された鳥類としてのアイデンティティたるくちばしで突いて消してしまうのです。

混沌に最接近しながら、秩序へ舞い戻って来る。
「ペンギン・ハイウェイ」は混沌に背を向ける者たちの進路でもあるのです。


□ジャバウォックの役割

……これには参りました。なにぶん『鏡の国のアリス』の記憶がないものでして……。
こんなキメラみたいな怪物いましたっけ?

で、結局、ウィキペディアなどを当てにする羽目になったわけですがw

その中で使えそうかな?と思ったのはジャバウォック退治が、
「言語の存立」を脅かす混沌を両断する比喩であるとの解釈。

陸に出張って来たクジラの如き風貌のそれは、
混沌から秩序を構築する営みを妨害する<海>からの使者。
混沌の穴を塞ぐペンギンにとっては
やはり天敵となる存在だと思われます。


□少年の成長に待ったをかける、混沌回帰の誘惑

少年はお姉さんを未来の結婚相手と決めている。
けれどそれは恋慕の感情を理解できていない、
母性依存以上、初恋未満の幼少期の未熟である。
少年が幼少期を脱し恋とは何かを知れば、
お姉さんとの関係は成立し得ない幼少期の夢想として霧散する運命にある。

生まれて成長していっても、人はやがては死に絶える。
万物はどーせ原始の混沌に戻っていくと言うのに、
遠くの海辺の街など目指す必要はあるのだろうか?

このまま成長もせず、恋も知らず、
将来お姉さんと結婚すると無邪気に思えていた頃の
甘い夢に溺れていても良いのではないか?

混沌への退行という誘惑は、
成長し恋を認識しつつある少年を惑わせ続けます。


□新興住宅街と子供のセカイとお姉さん&ペンギンの行動可能範囲

原作では、主人公たちが暮らす新興住宅地についても多くの言及があります。
少年が引っ越して来た時は、誕生直後の宇宙や原始の地球の如き静けさだった街が、
人口増加と共に活気を得ていく……。

星や銀河が繁栄した宇宙史や、多様な進化が花開いた生命史と重ね合わされた、
ビッグバンのようなエネルギーで膨張を続けるこの街には
お姉さんが出すペンギンの素材ともなり得る特別な力が宿っているのです。

さらに“世界の果て”は内側にあるかもしれないという論理は、
子供たちが行動し、探検できる範囲内に
“世界の果て”はあるという幼少期にありがちな夢想とリンクします。

海辺の街を目指すためにはこの住宅街を、子供のセカイを出て、
外に踏み出さねばならない。

そして奇しくも子供のセカイはお姉さんやペンギンたちが存在できるエリア。
ペンギン・エネルギーが届く範囲ともリンクするのです。



□それでも少年は海辺の街を目指す

混沌への退行という誘惑を振り切って、
少年は秩序を阻害する<海>を終らせる決断をします。

それは恋と知ってしまったお姉さんとの関係。
でも現状では叶わない子供と大人の関係。
それらを一度精算する辛い判断でもあります。

例え、万物がやがて無に帰すものであっても、
少年は進化を続ける存在として、成長を選択し、
内側の“世界の果て”に籠もるより、遠く外側にある“世界の果て”を目指すのです。
子供のセカイを出て、海辺の街へ……。

幼少期を脱して思春期へと、街の安泰と共に、
少年の成長は健全性を取り戻すのです。


□お姉さんの体調と<海>の膨張・収縮とハマモトさん

<海>の拡大と相関関係にあるお姉さんの体調。

加えて私には少年と同級の少女ハマモトさんとの関係も
関連しているように思えます。

ハマモトさんは少年に思春期の健全な恋を体験させるキーになる登場人物。
ハマモトさんと<海>の研究を開始する前は拡大期にあったと言う<海>。
お姉さんも割と元気でした。

この辺りにの関連性についてもデータを整理すれば面白いのでは?と感じています。


□お姉さんの正体と役割

結局、私にとっては、これが一番の謎として残りました。

物体からペンギンを生成する人知を越えた存在であったお姉さん。

世界が混沌に飲み込まれるのを防ぐため生まれた異次元人か?
はたまた、主人公少年がお姉さんと結婚するという夢想が、
夏の終わりに彼女の引っ越しにより霧散する……。
という現実がまずあって、
そこからSFファンタジー方面へ派生した幻想がペンギンを出すお姉さんだったのか?
なかなか明確な答えが見出せません。

ただ、一つ思うのは、お姉さんは素敵な女性であったということ。
幼児、児童の結婚願望を向けられて、
軽くあしらうでもなく、中途半端に悪ノリするわけでもなく、
論理的に思考し研究する少年の可能性にかけて、
自身の謎を課題として提示するという形で、
少年が自力で思春期への成長へ踏み出す契機を与えた。

私は彼女の言動を好意的に受け止めています。{/netabare}

投稿 : 2023/06/03
♥ : 32
ネタバレ

四畳半愛好家 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

世界は研究すべき”不思議”で満ちている!

原作:「ペンギン・ハイウェイ」既読
 著:森見登美彦
  (代表作「夜は短し歩けよ乙女」「四畳半神話大系」「有頂天家族」等々)

『他人に負けるのは恥ずかしいことではないが、昨日の自分に負けるのは恥ずかしいことである。一日一日、ぼくは世界について学んで、昨日の自分よりもえらくなる。…今日計算してみたら、ぼくが二十歳になるまで、三千と八百八十八日かかることがわかった。そうするとぼくは三千と八百八十八日分えらくなるわけだ。…えらくなりすぎてタイヘンである。…結婚してほしいと言ってくる女の人もたくさんいるかもしれない。けれどもぼくはもう相手を決めてしまったので、結婚してあげるわけにはいかないのである。
 もうしわけないと思うけれども、こればかりはしょうがない。』(原作抜粋)

毎日学ぶことをモットーに、日々ノートを片手に世界に対する研究を重ねている優秀だけどちょっとスケベな愛すべき阿呆小学生の主人公と、謎多きお姉さんを中心に据えた、不思議なファンタジーSF作品。

森見作品にあるまじき優秀な小学生が主人公であるが、内在する阿呆さは”らしい”主人公でもある。美しい「お姉さん」の不思議な力に関する研究を進めていく中で生まれた謎が謎を呼ぶ作品であり、青春を感じさせる爽やかな作品でもあった。

途中冗長気味で、退屈に感じられる部分もあったが、総じて森見さんの描き難いオリジナリティーあふれる不思議な世界観を、精一杯うまく映像化していることに大変満足できた作品であり、面白さ、熱さ、美しさ、そして切なさが見事に融合された良作であったと思われる。
(ちなみに自分は泣きました。アオヤマくんは泣かないことにしているのに…。)

森見ファンはもちろん、ちょっと変わったアニメ映画が観たいなら、ぜひともチャレンジしてみてほしい作品である!

以下項目別ネタバレ付き感想
{netabare}
物語:4.5
 森見×上田誠は心配の必要なし。
 謎が謎のまま残ったことを残念に思う意見が散見されるし、その意見には大いに共感できるが、この不思議な世界を説明するのに十分な言葉はこの世に存在しないと思うし、誰もが納得する答えはきっとない。
 世界に空いた穴である<海>”広がる世界の果て”を埋めるためのペンギンであり、そのペンギンを生むお姉さんはきっと人間ではなかった。<海>がなくなれば<海>エネルギーで存在しているペンギンやお姉さんは消えてしまう…。主人公が立てた仮説はこんなところであろう。そして、主人公以上にお姉さんの真理に近づいた人間もまたこの世にはいない、とどまるところ現状人知では手には負えない問題なのである。
 これらは原作において”素敵な”父の言う「解決しないほうがいい問題」であり「理不尽なこと」であった。

 ただし、ぼくは決してあきらめていない。

『ぼくは世界の果てまでたいへん速く走るだろう。みんなびっくりして、とても追いつけないぐらいの速さで走るつもりだ。世界の果てに通じている道はペンギン・ハイウェイである。その道をたどっていけば、もう一度お姉さんに会うことができるとぼくは信じるものだ。これは仮説ではない。個人的な信念である。』

声優:3.5
主人公「アオヤマくん」を演じたのが北香那。演技がぶれずに想像以上にフィットしたキャスティングであった。
お姉さんは蒼井優。こちらは評価が分かれるかもしれない。演技力は流石であったが、アニメ声に毒された自分には、もう少し綺麗な声であててほしかった気がする…。
ウチダくんは釘宮であったこともあり、可愛すぎかよ!もしかしてヒロインよりも…なんて思ってしまったり。
その他お父さんを演じたのが西島秀俊…!棒演技ではあったものの、暖かい声はやはり素敵であった。

キャラ:4.0
アオヤマくんとお姉さんは安定として、脇を固めるキャラ達も素敵であった。ハマモトさんなんて可愛いじゃないか!
個人的には原作からお父さんがお気に入りだったりする。
いじめっ子のスズキくんと一緒に遊べるようになったのも良かった。

作画:4.5
素晴らしい。難しい世界観を見事に映像化しているし、演出も申し分なし。

音楽:4.5
主題歌は宇多田ヒカルの「Good Night」。最高にマッチしていて、エンディング中に席を立つ人が極端に少なかったように感じた。

最後にぼくとお姉さんに明るい未来があることを祈って、原作の最後の素敵すぎる文を引用したい。

『ぼくらは今度こそ電車に乗って海辺の街に行くだろう。
 電車の中でぼくはお姉さんにいろいろなことを教えてあげるつもりである。ぼくはどのようにしてペンギン・ハイウェイを走ったか。ぼくがこれからの人生で冒険する場所や、ぼくが出会う人たちのこと、ぼくがこの目で見るすべてのこと、ぼくが自分で考えるすべてのこと。つまりぼくがふたたびお姉さんに会うまでに、どれぐらい大人になったかということ。
 そして、ぼくがどれだけお姉さんを大好きだったかということ。
 どれだけ、もう一度会いたかったかということ。』

{/netabare}

投稿 : 2023/06/03
♥ : 17

YwJje43950 さんの感想・評価

★★★★★ 4.7

ペンギン・ハイウェイ

監督:石田祐康
キャラクターデザイン:新井陽次郎
脚本:上田誠
アニメ制作:スタジオコロリド
原作:森見登美彦


ペンギン・ハイウェイのレビュー欄に醜いものをみた。
子供に対し、持つべき人格を許さない人々だ。
彼らが子供に求めるのは、彼らが一方的に抱く子供的イメージ。
”女は弱いもの。男に頼らなねば生きていけない”的な考え方に近いものを感じる。子供は子供らしく振る舞えとは、ずいぶんである。
アオヤマ君は実在しないかと言われれば否だ。若くして立派な研究者であったり、或いはクリエイターであったりすることは、現実に珍しくはあってもファンタジーでない。ここに納得できないなら、もっと見聞を広げたほうが良い。アニメ観てる場合じゃない。
”アオヤマ君が人として嫌いだ”というなら、映画を視聴したうえでの”感想”として認められるが、映画鑑賞中、アオヤマ君に対する違和感に終始していたなら、上に描いたとおりだ。アニメ観てる場合じゃないぞ。
私には新作映画が公開して数日の内に鑑賞できた場合にルーティンと化した趣味がある。公開して数日しか経っていないのに軽薄に内容を叩く馬鹿によるアリガタイ感想文を拝読することだ。例えば、森見ワールドというフレーズを使う割には、今更アオヤマ君の性格に噛み付くような、高瀬川の如き底の浅さを見せる面白感想文など。満載である。
これは下手なシューティングゲームより楽しいものだ。”軽薄”が頑張って書いた感想文を瞬く間に論破、論破、論破。非常に爽快であるから、みんなもやってみたら良い。公開後数日限定の楽しみである。
原作小説を読めば簡単に涙してしまう私は相当にこのアニメ映画を気に入った。アニメ化に際する、その解釈やストーリーの纏め方に私は非の打ち所がないようにすら思えた。脚本、上田誠 氏に圧倒的感謝である。全体通して、原作を読んでいないような全くの初見さんに対して不親切な演出もなくはないが、整っていたと思う。アニメーションに関しても非常に楽しく観られた。人やペンギンの動きが良かった。お姉さんのおっぱいは常に、健全なままにエロかった。スタジオコロリド、石田祐康監督、その今後にも注目したい。
アオヤマ君、お姉さん、ハマモトさんまで含め、期待通りのキャラクターデザインで嬉しかった。いや、アオヤマ君とお姉さんは、既に小説の表紙に見せていた姿からギャップが無かったからともかく、ハマモトさんのがもう特に、私のイメージに合っていたのが喜ばしい。キャラクターデザインは新井陽次郎 氏。なんでも、専門学校卒業後ジブリに入社し、『借りぐらしのアリエッティ』や『風立ちぬ』等の制作に参加してきた人物だそうだ。ナイスジョブと言わざるを得ない。

「謎が謎のまま終わった」
「よく分からなかった」
とのレビューを見かけるけど、原作を読んだ、故にストーリー展開に対してある程度余裕を持ってついていけた者から言わせていただくと、本作は起こることに対しいろいろと説明はされていたよ。だから何回か観れば分かると思う。
アニメ版『打ち上げ花火〜』みたいな、何度観てもふわふわなもんではない。
まぁ、あらゆるモノが何故ペンギンに変わるのか、その原理を本作に求めてるのならば、その限りでない。

ちなみに、本作におけるアオヤマ君は小学4年生である。が、実は小学校3年生のアオヤマ君について書かれた『郵便少年』という短編、いわば前日譚が存在する。『ペンギン・ハイウェイ 公式読本』にも収録されるようである。
『ひとなつの。 真夏に読みたい五つの物語 (角川文庫)』にも収録されており、『郵便少年』だけが目当てであれば、こちらが安い。原作とあわせて、未読の方は是非。

…そういえば、ウチダ君独自の死生観が披露されることは無かったな。あれも印象深いから、そこはもう、原作で。ということです。

取り急ぎ、ここまで。

追記:アオヤマ君の部屋の机の左側には壁に取り付けられた棚がある。これの一番上には、かつて使っていたはずの郵便カバンと郵便帽が置かれている。短編を読んだうえでチェックしたい。

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それにしても2018年。
2016年には『君の名は。』『聲の形』『この世界の片隅に』
2017年には『夜明け告げるルーのうた』『夜は短し歩けよ乙女』(湯浅祭である。)
なかなか印象深いアニメ映画が毎年現れているが、今年、『リズと青い鳥』に加え、『ペンギン・ハイウェイ』が傑作アニメ映画郡に名を連ねた感がある。
いやま、私も網羅的に観てるわけじゃないからね、これらがすべて、ということではないけれども。
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○参考まで
「ペンギン・ハイウェイ」原作者・森見登美彦×石田祐康監督対談 一度断ったアニメ化オファーをOKした理由とは
https://s.animeanime.jp/article/2018/08/15/39478.amp.html

投稿 : 2023/06/03
♥ : 9

90.3 4 ペンギンアニメランキング4位
新世紀エヴァンゲリオン(TVアニメ動画)

1995年秋アニメ
★★★★★ 4.1 (6223)
25081人が棚に入れました
西暦2015年。15年前に起こった大災害・セカンドインパクトで総人口の半数近くを失った人類は、使徒と呼ばれる新たな脅威にさらされていた。国連直属の非公開組織である特務機関NERV(ネルフ)は、汎用人型決戦兵器 人造人間エヴァンゲリオン (EVA) を極秘に開発し、予測されていた使徒の襲来に備えていた。そのパイロットに選ばれたのは、わずか14歳の少年少女たちだった。
 主人公である「碇シンジ」は、他人との接触を好まない内向的な少年だが、ネルフの総司令である父親ゲンドウによって、EVA初号機のパイロットに突如選任される。こうしてシンジらEVAのパイロットたちは、世界の命運を託され、命をかけて戦う過酷な状況に追い込まれる。セカンドインパクトの真相や襲来する使徒の正体、そして秘密裏に進められる「人類補完計画」など数多くの謎と共に、主人公シンジの成長と挫折を織り交ぜながら物語は進んでいく。

声優・キャラクター
緒方恵美、三石琴乃、山口由里子、林原めぐみ、宮村優子、立木文彦、石田彰、清川元夢、優希比呂、長沢美樹、子安武人、関智一、岩永哲哉、岩男潤子、麦人
ネタバレ

renton000 さんの感想・評価

★★★★★ 4.9

懐かしのテレビ版(ちょっと改定)

 全26話。このレビューではテレビ版のみを対象とします。(他のレビューとのバランスを取るために、エンディングのみやや改定)

 エヴァの良さはいろいろあると思うのですが、私にはやっぱり見ていて楽しいというのが大きいですね。派手なアクションと演出、先の読めない展開に引き込まれていきます。
 その派手さに目を奪われて、奇抜なことばかり行われているようにも見えてしまうかもしれませんが、その実かなり基本に忠実な作品だと私は思います。その忠実さとは、映像作品における「向きの原理」への忠実さです。構図がはっきりしているということ。
 このレビューでは「向きの原理」に関する概略から入って、エヴァの構図について具体的に見ていきます。


「向きの原理」:{netabare}
 映像作品(アニメ、映画、マンガ、舞台等ひっくるめて)には、作品内における一貫した「向き」があります。この「向き」というのは、その作品が文字通り画面の右に向かって進むのか左に向かって進むのか、という作品としての進行方向を意味します。

 例えば、日本のマンガは、縦書き文字を右から左に読み進めていきます。したがって、ストーリーも左側に向かって進みます。左進行←ですね。これがマンガの基本形です。これはマンガ内の至る所で確認できます。

 主人公が目的地に向かっているときは、<←主>のように左に進行しているはずです。戻りが<主→>。
 主人公が敵と対峙するシーンは<敵→←主>という形になっているはずです。主人公が右配置で左向き。左に進行する主人公の進行を阻むように敵が配置されます。奇襲が<←主←敵>で、ピンチや敗北が<主→←敵>。その時の強者が右にいる、ということでもあります。
 実際にバトルが始まると、カメラ演出や視線誘導の影響を受けてコロコロと向きが変わりますが、始まりや終わりはこの形に収れんすることが多いです。

 これはマンガだけではなく、マンガ原作のアニメや映画でも同じです。アニメは一般的に左進行←で作られている。あくまでも「一般的に」ですから、常に成立しているわけではありませんけどね。

 なお、欧米のマンガは、横書き文字のため左から右へと進行します。右進行→ですね。今は違いますが、昔は日本のマンガを翻訳する際は、絵を反転させて左開きに作っていたそうです。文字の向きに物語の進行方向が合わないためですね。『寄生獣』の右手の寄生人であるミギーが、英訳版ではレフティーと呼ばれていた、というのは有名です。
{/netabare}

エヴァにおける「向きの原理」:
 では、具体的にエヴァで実例を確認してみます。エヴァも左進行←の作品です。バトルと心情表現に分けて要所だけを確認していきます。主人公側の配置や向きとストーリーの展開に注目。

バトル編前半:{netabare}
 第1・2話のサキエル。目がかわいいやつ。サキエル登場時は国連軍とバトル。<国連→←サキエル>の構造で、サキエルが強者のポジション。主人公が乗る初号機とのバトルが始まると<サキエル→←初>になる。初号機が行動不能に陥る攻撃を受けたときは<サキエル→→初号機>となって、初号機は後方に押しやられる。進行方向から遠ざかるのは押されてるパターンの一つ。最後は初号機暴走から<サキエル←←初>で圧勝。

 第3話のシャムシエル戦。虫みたいなやつ。フィニッシュは<シャムシエル→←初>でブスリ。
 第6話のラミエル戦。青い四角いやつ。初戦は初号機が左から右向きで登場して一撃負け。その後は<ラミエル→←初>で撃ち合って勝利。右向きで負け、左向きで勝ち、というのが一番分かりやすい回。
 第7話のジェットアローン。カッコよすぎるロボ。逃げるJAを初号機が追う展開に。<←JA←初>。
 第8話のガギエル。アスカが初登場したときの魚。起動した二号機は左に向かってジャンプ。<←弐>でアスカが主人公ポジション。アスカかっこいい。ガギエルを最初に迎え撃つときは<弐→←ガギエル>。敗北の構図だからそのまま海中に引きずり込まれる。戦艦の協力によって勝利した時は、<ガギエル→←弐>。

 第9話のイスラフェル。分裂するやつ。初戦はどっちつかずの<弐→←敵・敵→←初>の構図で敗北。特訓を経てからの再選では<イスラフェル→←初・弐>でシンクロフィニッシュ。
 第10話のサンダルフォン。マグマのやつ。左上から迫るサンダルフォンを弐号機が右側で迎え撃つ。
 第11話のマトリエル。クモみたいなやつ。ストーリー上の都合で下から上へ攻撃。構図よりもストーリーや場面設定が優先されるのは当たり前。目的地へ向かって通気口内を進んでいるときはちゃんと左進行←してる。
 第12話のサハクィエル。空から落ちてきた目。こちらもストーリー優先で上下の構図。でも落下ポイントに向かって走っているときは、初号機だけ左向き。仲間の全員が左に向けないときは主人公が優先。主人公の特権。

 勝利のシーンでは、上下という特例を除いて、主人公側が右にいるのが分かると思います。左進行←作品において勝者が右側(左向き)という原則に忠実ですね。ここまでは作風が明るい、というのにも注目してください。
{/netabare}

バトル編後半:{netabare}
 第13話のイロウル。コンピューターウイルスみたいなやつ。構図なんか関係ないかと思いきやちゃんとある。マギは左下へと押されていく。<マギ←←イロウル>で大ピンチ。勝利じゃなくて、ピンチの演出が優先されてる回。この回から、<味方→←敵>という左配置(右向き)のパターンが増えてくる。ストーリー的には陰謀と不吉の始まり。
 第16話のレリエル。空に浮かぶ白黒マーブル。ユーアーナンバーワンに調子に乗ったシンジくん。調子に乗りすぎて左から登場しちゃった。<初→←レリエル>の構図を作っちゃう。影に飲み込まれて敗北。
 第17・18話のバルディエル。エヴァ3号機に粘着ストーキング。<バルディエル→←初>でスタートするも、首を掴まれて反転させられる。<初→←バルディエル>になって攻守交代。ダミーシステム起動で首投げの仕返し。同じことをやり返すとかダミーは性格悪い。再度<バルディエル→←初>の構図に戻して勝利確定。攻撃側が右にいて左を向くのというのが一番分かりやすい回。

 第19話のゼルエル。最強の拒絶タイプ。迎え撃つアスカは<弐→←ゼルエル>。構図的には勝てない。敗北。零号機は右から登場するも自爆して敗北。弐号機と同じ構図を続けられないだけかもしれないけど、上げて落とす絶望演出の一部かもしれない。ラストバトルは<ゼルエル→←初>からの暴走で勝利。
 第22話のアラエル。成層圏の鳥。迎え撃つアスカは<弐→←アラエル>。また左から登場しちゃう。敗北。同じ失敗を繰り返すアホの子。かわいい。零号機登場で<零→←アラエル>。目標の位置が固定されていると構図は変えられないという好例。成層圏にいるのに、同じところから登場して逆側に配置はできない、とも言える。
 第23話のアルミサエル。レイに寄生するひも。<零→←アルミサエル>からアルミサエルの侵入開始。最終的に零号機は右向きで自爆。レイの向きについては心情表現の方で補足。
 第24話のタブリス。カヲルくん。初号機はまず弐号機とバトル。<弐→←初>で勝利。そのあとは、逃げるカヲルに追うシンジ。<←カヲル←初>。最後は<カヲル→←初>で沈黙後エンド。

 前半と違って、主人公たちが左配置(右向き)になっていることが多くなっていますね。負けが込んでくるし、謎が前面に出てきて陰鬱なストーリー展開が多くなります。左進行←の特性自体を演出に取り込んでいるのが分かります。ストーリー展開と構図がきちんと連動してるってことです。派手なアクションがあっても基本が崩れないから見やすいわけです。
{/netabare}

心情表現編:{netabare}
 「向き」は心情表現にも大きな影響を与えます。キャラの顔の向きと立ち位置を見ます。
 左進行←の作品では、作品の方向と同じ左向き(右配置)が「肯定・前向き」などのプラスの表現で、反対の右向き(左配置)が「否定・後ろ向き」などのマイナスの表現です。
 エヴァから全シーンを拾うのはキツイので、目についたところだけピックアップします。

 第1話の「逃げちゃダメだ」。本当は逃げたいから右向き。連呼した後、正面向いて「やります」。
 第4話のシンジ逃亡後の連れ戻し。立ち位置は<シンジ―ミサト>で、照明は<影―光>になってる。シンジのネガティブ発言連呼から、ミサトの「嫌なら出ていけ」。駅のホームに残ったシンジは左を向いてミサトに「ただいま」。
 第6話の敗北後の病院。戦いたくないとレイにごねるシンジ。右向き。
 第9話のシンジとアスカの二人きりの一夜。<シンジ―アスカ>で寝てる。シンジは左から右向きでキスを試みるも、「ママ」と「涙」に撃沈。
 第15話。パーティー終了後、ミサトとカジは右方向へ進行。これは心情表現ではなく帰宅だから。二人の会話中は、弱音を吐くミサトが左側にいて右向き。カジの腕に絡むアスカ。右向きから「ラベンダーの香りがする」とボソリ。

 第17話のトウジ四人目選出。決意のシーンはバスケのゴールにシュート。ゴールは左、トウジは右にいて左向き。
 第19話のスイカ畑で<シンジ―カジ>。諭されてるシンジが右向きで、諭すカジが左向き。
 第21話のテーブルでカジの留守電を聞いているミサト。右向き。
 第23話のアルミサエル戦のレイ。レイは、右を向いたり左を向いたりしてる。浸食に抵抗しているときは左向き。涙を流すときは右向き。「イカリくんと一緒になりたい?―ダメ」のときは右向き。本意本音が左向きで、それに気付かない・反するが右向きだと思う。
 第24話。カヲルとの初対面は<カヲル―シンジ>でシンジは左向き。風呂もベッドも一緒。シンジとカヲルの関係は、初号機がカヲルを握るまで同じ構図で描かれる。最後までシンジはカヲルを好きなまま。撃破後は水辺に移って<シンジ―ミサト>でシンジは左側に。「カヲルくんが生き残るべきだった」「冷たいね、ミサトさん」で右向きシンジのアップ。

 というわけで、<←ポジティブ・ネガティブ→>が分かると思います。バトルだけじゃなくて、心情表現でも配置に気を使っているっぽいですよね。適当に作っていたらここまで徹底できないと思います。


 勘違いしてほしくないのですが、否定のときにはいつでも左にいて右を見ているってわけではないです。シチュエーション的に仕方ないときや、飽きさせないカメラワークをする必要があるからです。注目しなければいけないのは、どちらでもいい状況のときにどちらを向いているか、本来左向きのときになぜ右を向いているのか、ということです。

 例えば、恋人同士が向かい合って座っていれば、必然的に<恋人→←主人公>という配置になります。だからといって、恋人が否定的な立ち位置にいるわけではありません。向かい合せというシチュエーションに縛られているだけです。
 一方で、同じ状況でも<主→←恋>の場合は、意味を持たせて配置されている可能性があります。このときは恋人が主体であるとか、恋人に主導権があるとかです。もしかしたら、主人公は乗り気じゃないかもしれません。
{/netabare}

エンディング:{netabare}
 読み直してみたら、こんな話をエヴァでやる必要があるのかな? という素朴過ぎる疑問が生まれてしまったので、エンディングについても申し訳程度に書いておきます。

 エンディングの内容は、「シンジが決めつけていた世界」を崩壊させ、「新たな世界」を創造する、というものです。つまり、この世界に居場所のないと思い込んでいたシンジが自分の居場所を獲得する、という自己実現の話です。
 これを世界そのものから描いたのが旧劇場版ですが、アニメ版は心情内だけで完結させています。これが「心の補完」というやつですね。エヴァという作品は少年シンジの成長譚なんですよ、と明かされました。
 
エヴァのざっくりとした話の流れ:{netabare}
 エンディングまでをシンジの成長譚として整理すると、こんな感じになっています。「エヴァがないときはダメでした」→「エヴァがあれば何とかなりました」→「エヴァがあってもやっぱりダメでした」という流れです。

 そして、エンディング。上記の流れの中で、シンジは「エヴァがあっても無くてもやっぱりダメだった」「ダメなのは僕なんだ」と考えてしまった。これに対して、周囲の人々が「エヴァの有無は関係ないよ」「まずはその考え方を捨てようよ」「エヴァだけが存在意義なんてことはないんだから」と諭し、これによりシンジは「エヴァが無くても僕はここに居ていいんだ」と気付きます。

 シンジはこの気付きを得て、何かに立脚して自分の存在意義を語るのをやめます。だから、自分が拠り所にしていたゲンドウ(父親)とエヴァ(母親)に「ありがとう」と「さようなら」を言い、シンジの自立が達成されるのです。これは、思春期の少年における子供時代との別れと同時に、大人時代の開幕を言います。シンジの「新世紀」が始まったんだ、ということですね。

 さらに、子供から大人へ成長をもって自己実現を達成することは、シンジ特有のものではないですから、「全てのチルドレンにおめでとう」になるのです。
{/netabare}

メタフィクション:{netabare}
 エヴァでは、「シンジが決めつけていた世界」の崩壊と「新たな世界」の創造が、「アニメの世界」の崩壊と「現実の世界」への転換というメタフィクションとして描かれています。

 シンジの思い込みが崩れるに連れ、通常のアニメの絵が、マーカーのような絵になって、線画になります。これが「アニメの世界」の崩壊の過程ですね。そして、「アニメの世界」を「現実の世界」の台本に押し込むことで、その崩壊が決定的になりました。実写を挟んでいるのは、「アニメの世界」から「現実の世界」への転換を描くためですね。

 「新たな世界」が「現実の世界」であることを確定させることで、視聴者へ「居心地のいい世界から脱して、現実へ立ち返れ」というメッセージを送っていました。シンジの自己実現と同じように、「子供から大人になれ」ということです。

 物語の最後をメタフィクションで終える作品は多いですが、エヴァはその中でもかなり露骨な方だと思います。さりげなくメタフィクションをする作品ばかりですから。実写を交えることも含めてエヴァの特殊性に挙がるところだと思います。
{/netabare}

 エヴァは、第24話まではストーリーの中で論理性を積み上げていました。「居場所がない」→「成功体験(ヤシマ作戦)」→「自信の積み上げ」→「過信による失敗(白黒マーブル戦)」→「トウジ・カヲルという大きな挫折」。そして、メタフィクションを通して「居場所の獲得」へとつながります。
 最後の二話は、意外なエンディングであって支離滅裂とは違うと思います。理論の先に理論を積上げたものが順当なエンディングで、理論の先に理論を変えるのが意外なエンディングです。どちらも理論を積上げないと到達できないものです。支離滅裂というのは、最初から最後まで理論がないことです。


 余談ですが、テーマ自体は新劇場版でも今のところ同じだと思います。{netabare}エヴァってなんだよ不安だわー、というのが序。エヴァがあれば何とかなるっぽい気がしてきたのが破。エヴァがあってもダメでしたがQ。Qのラストはエヴァが無い状態での徒歩でしたから、その先の展開はエヴァが無くても大丈夫だ、になると思います。次作でもエヴァ自体には乗るかもしれませんが、心の拠り所じゃなくて、単なるツールとして活用した後に放棄するんじゃないのかな。{/netabare}

 謎にはまっていくのもいいですけど、一人の少年が自立するまでの過程としての、成長譚としてのエヴァという視点を忘れてはいけないようにも思います。庵野監督はそこをテーマに描いていますからね。
 エヴァには中身がないなんて意見もありますが、何をもってそう指摘しているのかは私にはちょっと分かりかねます。一人の少年の成長譚としての構成は、十分すぎるほど確立されていると思います。謎が解き明かされていないことには同意しますが、それ自体はテーマの有無とは関係ないことですからね。
{/netabare}

雑記:{netabare}
 DVDで最後の数話を流しながら、フィルムブック片手にこのレビューを書いていたんですが、ビデオ版(テレビ放映版?)とDVD版は結構変わっているところがあるんですね。知りませんでした。DVDを買っていたのに、ビデオ版しか見たことなかったんだと今更ながら知りました。

 左進行←の特性について散々述べてきましたが、実際に作品を見る際に気にする必要があるかと聞かれたら、あまりないと答えると思います。ほとんどの作品がきちんと作られていますから。エヴァについても、「こんなことやっててすごい」というのではなくて、「奇抜なのではなくて、普通にちゃんと作られてますよ」ってだけですから。そこを気にして見るくらいなら、テーマを探ることに注力した方が断然価値があります。
 私は丸々一部屋をマンガの収納に使っているくらいかなりマンガを読むのですが、面白いマンガなのにどうにも気持ちが乗っていかないという残念な作品があります。そんなときに駄作判定で使ってるくらいですかね。

 既視聴の作品の再周回時に注目する、というのなら賛成です。読み切れなかった作者の意図が、構図として表に出てきていることはありますからね。左右の選択自体を演出として組み込んだ「おおかみこどもの雨と雪」という作品もありますから、知っていて損はないのかな、とも思います。shirobakoのような作品もありますし、作品の作り方を知ることで読み方を知る、というのも少なからずあると思います。{/netabare}

投稿 : 2023/06/03
♥ : 10

みかみ(みみかき) さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

エヴァは何を救ったのか

(エヴァ評 その1:承認欲求編)

 エヴァについて書くのは恥ずかしいことだ。
 そう思っている。
 間違いなく、これは90年代最大のインパクトを誇った物語だ。それゆえ、包括的に書くことは難しい。どう書いても、誰かに何か言われるだろう。「わたしにとっては、そういうものではなかった」と。
 だから、とりあえず、まずは個人的な雑感を――とりわけ人の承認欲求にかかわるものとしてのエヴァについての話を――すこしまとめておきたい ※1。

■「立派になりたいとすら思わないわたし」の居場所

 当時、内向的な性格だった私自身も、ご他聞にもれず、たいへんハマッた。
 そのこと自体が恥ずかしいといえば、恥ずかしい過去でもある。しかしながら、それは一方で、わたしにとっての大事な過去でもある。
 ハマッた当時、シンジくんに、ベタに感情移入しながら見ていた。
 これは、シンジくんに感情移入できるかどうか、でまったく観方が変わる。
 だから、ここからの記述は15年前にシンジくんに感情移入できた側の人間の書いたものだと思ってもらいたい。
 当時のわたしにとっては、エヴァは「内気なわたし」に何か希望をあたえてくれるもの、でもあった。

 その理由は主に二つある。
 一つには、「どこにでもいるしょぼい私が、一足とびに世界の救済にかかわる」はなし、だったことだ(※2)。
 シンジくんが世界の救済にかかわりえた要因ははっきりといえば偶然に与えられていた資質でしかない(※3)。だが、「偶然」ではなく、多くのスポーツマンガにあるような「能力もある人間が努力によって、世界をすくうヒーロー」の話よりも、偶然によって世界を救う、という話は多くの凡庸な人々に希望をあたえる。たいした能力もなければ、努力をすることもできない。そういう人間に希望を与える話だ。
 もっとも、「どこにでもいる凡庸なわたし」が見出され、肯定される話は、少年少女向けの話ではよくある。
 「クラス一の人気者の彼に、ワタシなんかが告白されるだなんて…!」的な少女マンガのお約束展開でもある。肯定されるべき本人の自己評価の低さ、の種類はいろいろとある。少女漫画の場合は、多くの場合「ドジなわたし」「普通のわたし」だ(※4)。だけれども、多くのマンガやアニメでは、最初はドジで凡庸なわたし、が次第に精神的に成長し、努力家になったり、こころに余裕が出てきて周囲に配慮のできる人間になっていったりする。
 「努力」や「成長」によって、ヒーローになる話というのは「立派な人物」を称える話だ(※5)。
 「立派で善良な人物」を褒め称える話では、わたしは救われない。
 そういうことを思う人は、たくさんいただろう。全く立派ではないわたし、が生きていくしるべがあるのなら。それを見てみたい。立派ではないわたしが「いけない」ものではない、ということ。それをどうにかして肯定することができるのならば、その形を見たい。
 そう思っている立派ではない少年少女。そもそも「立派になりたい」とすら思うことのできない少年少女は、全国に何万、何十万といただろう。
 立派ではないわたし、が何がしか、世界にいていいのだ、と思わせてくれる。そういう物語がある。そして、その「立派ではない」わたしの、立派でなさ加減たるや、だいぶ徹底して救いがたい。そういう人間に救いがあるような世界観を提示してみせたこと。それだけで、エヴァは救いだったと思う。

■人を肯定してみせることの「闇」

 「あなたは、何も恥じることはない」
 そのことを強く感じさせてくれる経験は、強い力をもっている。
 だからこそ、実は、この経験は危うい力としても用いられる。
 うがった言い方をすれば、エヴァの熱狂は新興宗教の教義があたえる熱狂と同類のものである、というように言ってみせるひともいた。それもそうだと思う。当時で言えば、「オウム真理教にハマる若者」と、「エヴァへの熱狂」が同類のものだ、という評論家は、決して少なくなかった。
 自分なんて生きていていいのだろうか、という自分への自信のなさ。
 同時に、世界の役に立ちたいという底なしにピュアな善意。
 その二つを同時に兼ね備えた若者というのは、そこらじゅうに転がっている。そうして、どうやって世界と関わっていけばいいのか、その関わり方がわからなくなる。それは「若い」ということのもっているそもそもの性質なのだ、とわたしは思う。※6

 そういう若さ。
 それは「<しょぼいわたし>が、いきなり<世界の革命>に関わることができる」というストーリーに惹かれやすい。
 オウムが信者向けに用意していた話も、そういうものだった。
 オウムの信者と、シンジくんとほとんど同じじゃないか。そういう批判は、実際あった。※7

 こういう話は、いつしか定番のパターンとなり、二〇〇〇年代にはセカイ系、と呼ばれるようになった。
 こうしたお話、が新興宗教と類似の性質をもっていること。それはそのとおりだと、わたしも思う。
 だから、「エヴァなんて駄目だ」という人は、たとえば次のようなことを言う。
 「こんな浮世離れした話をみていないで、仕事で成功して、自分の自信をつけなさい」
 「こんなウジウジしたものを見て救われてないで、地元に親しい友達を見つけて、友達から認めてもらいなさい」
 と。

 それは、それで、そのとおりだということは、ある。
 その説教も、意味がある、と思う。この作品のラスト自体をそういうメッセージだと見て取るひともいる。
 
 一方で、その説教によってはやはり救われない人もいる。それもまた、もう一つの事実だ。
 仕事にも、友人にも、勉強にも、どう頑張れば、自らの居場所を得ることができるのかわからない。
 そういう少年少女は、溢れかえっている。そういう気分になっている人に、「あなたを肯定する物語」を与えることは、決して意味のないことではない、とわたしは思う。「新興宗教と同類の欲望を与えているのが事実だとしても、アニメという代理のもので欲望を昇華しえているのだから、問題はない」と、そう言うこともできる。

 一方で、
 「おまえらはみんな乱暴なんだ!おまえらは、ぼくのことなんか、ぜんぜんわかってないんだ!!」
 そう言い続ける人は、いる。
 そう言い続けたい人のための、免罪符として、エヴァのような物語があることにすがる人もいる。
 「ダメな自分」をいつまでも肯定し続けるためだけの装置になってしまっていたことも、もちろんあっただろう。
 そういうことの道具としてエヴァのような物語が使われたら、それはやっぱり不幸なことだと思う。

 エヴァはその意味で、危険な物語である。

■危険であり、重要な承認でもあるということ

 そういう、危険な物語。そういう未熟な人間のための物語に、ハマったということ。
 それは、今の視点でどう考えるにせよ、十代中盤の中学生のときのわたしが、どハマリした事実は、恥ずかしながら、素直に書けば承認欲求の問題だ。
 それは恥ずかしいとも思っているし、それは大事な「思い出」だとも思っている。
 この手の、そういう承認欲求の問題は、
 未熟なものとして否定してもいいし、
 しかしながら普遍的な悩みとしてもちあげてもいい。
 その二面性をもっている。

 未熟者を釣り上げるだけの話だといえば、「コンプレックス商法乙」という批判もでてくる。センチメンタルな表現による無内容な自己肯定とも言っていい。悩める日々を美しく描くことで、未熟さにとりあえず「青春」とか「思春期」とかいう名前をつけて肯定してみせる。そいういうやり方で、それは一部の新興宗教の与える物語とも実は近しい。
 普遍的な悩みなのだと言えば、「少年少女の繊細で、重要な問題の表現」になる。それは、実際、どこにでも転がっている凡庸な悩みでありながら、どこにでも転がっている凡庸んな悩みだからこそ、きちんと取り扱われることを要求する問題だ。


 わたしは、ダメで苦しい自分でしかいられないのか。もっと、立派でラクな自分になれるのか。
 そういうことは、人生のいつまで経ってもわからないけれども、
 若ければ、若いほどにそういうことは全くわからない。

 人生を少し生きていくと、「ああ、わたしはこういう自分でもありえたのか」と納得することもあれば
 「ああ、わたしにはこれが限界なんだなあ」ということをしみじみと思うこともある。
 若いということは、その範囲がまったくわからない。
 「自分」についての不安が、とても、とても大きい。

 だからこそ、「立派なわたしになる」ためのヒーローものや、成長物語が希望を与え、
 同時に、エヴァのような「立派ではないわたし」の抱える不安の物語も、一種の安堵を与える。

 どちらかの視点だけを強力に打ち出してくるようなタイプの考えは、わたしは非力だと思っている。
 どちらかが、完全に消去されることはない。
 そこのところのややこしさはある。
 立派であることを諦めるばかりでは、未成熟なまますぎるし、
 立派になれないことがある、ということを理解できないのも阿呆すぎる。
 自分ではなく、他人に対して「おまえも、もっと立派になれよ」としか言わない人間だったりすれば、それは無神経すぎる。
 何かに「立ち向かうこと」と、何かから「逃げること」との価値は紙一重だ。
 そのバランスが難しい。
 どうしても傷が深い人間には立ち向かえないことはあるし,
 だからといって逃げてばかりいてはいけない。
 そのバランスが難しいからこそ、いつまでも、人は脳天気に悩みから解放されない。
 「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ!」
 というシンジくんのテンプレートは、まさしく、そのバランスの難しさに直面した人間のそれだ。

 エヴァは、何かから「逃げるかどうかを迷う」話である。
 立ち向かってばかりいる人には「逃げる」ことの感覚を思い出す話は、それはそれで貴重なものだし、
 「逃げている人」には、世の中に数少ない(※8)何かから「逃げるかどうかを迷う話」は貴重だろう。
 迷っていい。

■沈黙のわからなくなってしまったわたしにとっての価値

 シンジくんは、基本、とってもウジウジとしていて煮え切らない。
 「凡庸」というよりも、もっといえば、自己評価が低すぎる人間、だといったほうがいいだろう。

 「自分など、生まれなかった方がよかったのではないか」
 そういうことを、思春期のときは何度も思った。
 自己評価の低さにあえぐ日々を送る人間にとっては、この人物描写はやっぱり深刻なものがあった。
 エレベータのなかで訪れる長い沈黙など、どうしようもなく、ささった。
 エレベータの「沈黙」や、綾波が雑巾を絞っているのを遠くから見つめている風景や、カヲルくんをエヴァから握り締めてながく沈黙する、あの沈黙の間の表現は、ひどく印象にのこっている。
 わたしは、この場にいて、何をすればいいのだろうか?
 そうやって、うろたえることが、わたしの昔の日常だった。

 わたしは大人になってから、
 「何をやっている人間なのか」を宣言することができる何者か、になった。
 何かの専門家であったり、何かの職業の人間だったり、会社の人間だったり、
 そういうものになった、ということだ。
 それはそれで辛いことは、もちろんあるけれども、
 行く先々で、わたしが何を期待されているのかが、だいたいは、わかるようになった。
 会議があれば、会議の時間で、わたしがひっそりと沈黙しなければいけないことはなくなった
 そうすると、不思議とこういった少しの沈黙や、人の微妙な言葉遣いなどがほとんど気にならなくなった。
 今はこういう沈黙の「重さ」がほとんど感覚的にはわからない。
 
 だけれども、かつてのわたしにとっては、こういう「沈黙」の重みこそが、切実な日常だった。
 こうした、きわめて自己評価の低い人間であっても、なにがしかの形で肯定されえたり、とんでもなく重要な問題の中心に置かれたりすることを描く。
 それだけで、これは、わたしにとっては、これがとても重要な物語たりえた。
 

 三〇を過ぎて、
 今になってみると、シンジくんに感情移入ができるかどうかは不安だ。
 いま、見たら、まったく違う感覚で見るしかないだろう、と思う。
 エヴァを見ることは、今のわたしにとっては、そのときの感覚を思い出すことになるかもしれない。
 それならば、それはそれで、今のわたしにとって貴重な物語だ。


 むろん、エヴァの全体のこうしたエポックメイキングな方向性は、描写の細やかさや、作話、作画の水準などの高さに支えられているのはいうまでもない。


 

■■■■注■■■■■

※1 なお、別途、エヴァの「解釈論」にかかわる感想を、「新世紀エヴァンゲリオン Air/まごころを、君に」のほうのレビューで書きました。「エヴァの「難解さ」ははっきり言って、ただのフェイクである」という一般に言われていることを全面的に肯定しますが、そのフェイクがどうして、機能したのか、ということのほうについての話です。

※2 いわゆる「セカイ系」
※3 シンジくんが、乗ったのは「必然」だったんじゃないか、というツッコミをいただきましたが、物語の受容のされ方によっては、そう感じられる、というのは確かにそうだと思います。なので、はじめの書き方だと、言葉遣いが適切でなかったかも…と思い、少し言い方を変えました。
 わたしがここで案に前提としている対比は次のようなものですたい
A:努力によって能力を得た人が必然的に選ばれる物語
B:たまたまの才能や、ほんとにただの偶然によって選ばれる物語
 との対比です。

 その人の自己評価などをめぐるさる社会調査で、努力・才能・運を分けて議論している話がありましたが、この三つは、それぞれ
・努力:後天的で、コントロール・選択可能なもの
・才能:先天的で、コントロール・選択不可能
・運:後天的だが、コントロール・選択不可能
 という分け方になります。(シンジ君は、デザイナーベビー的な側面がありますから、先天的にコントロールされた存在…とも言えますが)。要するに、ここでわたしが書いた「偶然」というのは、「運」という意味ではなく、本人によってコントロール・選択不可能な要因によって、エヴァにのるわけで、その意味で「偶然」と申し上げました。
 まあ、「努力する才能をどう考えるか」とか突っ込まれると、話がさらに混沌としていくというか、ディフェンスをするためにもってまわった言い方が必要になってくるわけですが、そこまで配慮した書き方をしようとすると、言葉の定義や選択をゼロから述べていく学術論文みたいな記述になってくるので、この程度の説明で許してつかぁさい。

※4 さらに言えば、シンジくんと、当時のわたしは、他のマンガなどで表現されている人格なんかよりも、だいぶ性格的にも近しかった。あそこまでいじけていたかどうかは、さておき、人の多い場所が慣れなかったり、会話に入れなかったりするコミュニケーションに対する自信のなさ、というのはだいぶ似ていたように思う。

※5 こういうものは、いまや誰もが古臭いと認める高度成長期的な価値観を、再強化するものでもある。その意味で、ヒーローの話しか存在しない世界と比べれば、こういう偶然性によって個々の人間の固有性を肯定する、という話の存在は、相対的には歓迎してもいいものだろう。(このような擁護の論理自体、ふるくさい)。こうした「高度成長期」の価値観への批判というのは、もう何週もしてしまって、賞味期限切れではあるけれども、一応、定番ものとしては見田宗介の時代区分「理想」の時代→「夢」の時代→「虚構」の時代あたりは、なんのかんのいいつつ何度も参照されるので、まあ一応、前提として確認しておきます、ということで。現代においても、「理想」を前提とする価値観こそを高尚なものと考える素朴な議論はあとをたたないですし。

※6 2012年現在においては、こういう「高度成長経済のメンタリティ」とからめてセカイ系を論じるという議論設定そのものがもはやきわめて古臭いわけだ。…が、いずれにせよ、こうした「高度成長」「バブル」の物語のあとにくる承認欲求物語はまったく空白だった、ということを論じていたのが、80年代後半~90年代の論壇だった。
 ある種の論壇人とかは、こういうタイプの「高度成長」「バブル」後の空白を埋める物語として、エヴァが機能した、というようなことをよく言っていて、それはまあ、確かにそうだといえばそうだろうということは、わたしも思っている。

※7 少年少女が、どのように世界と関わっていけばわからなくなる瞬間というのは、何度も訪れる
 青少年にむけて、こういった公共的な物語の空白というのは、90年代においてはじめて現れたものではなく、戦後1950年代~60年ぐらいの間にも存在していたものでもある、わけで。戦争のあとの空白感たるや、それはすごいに違いない。
 そういうのは繰り返す。
 最近だと、いまさらハルヒがそういう欲望を代替していた、と論じる人がけっこういっぱいいるけれども、こういうのは繰り返すものだから今だと確かにハルヒなのかもね。わたしがハルヒを見たときは、もうすでに承認欲求をめぐる問題からは、ほとんど自由だったので、ハルヒの中のそういう要素に対してはまったく反応できなくなっていたのだけれども。

※8 正確には、ジュヴィナイル小説だとか、青少年向けコンテンツに数が少ないだけで、純文学系だと腐るほどあって、それはそれでうんざりするような気分になることすらあるのだけれども…

投稿 : 2023/06/03
♥ : 44
ネタバレ

ピピン林檎 さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

改めてじっくり視聴してみると、思っていた以上に個々のキャラの《感情描写》が確りしている点に驚きました

※2019.2.11 制作情報を追記&各話評価を更新。

◆《感動》は余りしないが、《物凄く面白い》ことは認めざるを得ない、今も色褪せない名作

『フルーツバスケット』という少し古い作品を視聴していて、その終盤で作品から軽い「精神攻撃」を受けてしまい、そういえば、『エヴァンゲリオン』(TV版および旧劇場版)の衝撃ってこの比ではなかったな、と思って、同作のTV版の方を、飛び飛びですが久し振りに視聴してみました。

やっぱり本作は、見始めると惹き込まれてしまいますね。
タイトルに書いたように、私個人は本作には余り感動するということはありませんが、何度見ても物凄く面白い、と感じてしまうことは認めざるを得ません。
(※因みに私は、自分が思いがけず“深く感動させられた”作品には、総合点数に4.6以上を付けることにしています)

それで、本作(エヴァンゲリオンTV版)の総合点数をどう付けようか?と少し迷いましたが、私が本作と同じく「余り感動しないが、面白さは認めざるを得ない」と評価している『化物語』よりも明らかに面白いと思うので、とりあえず同作と同様の4.5としました。

※以下、TV版を各話毎に評価し、併せて旧劇場版&新劇場版も評価します。
(ただし、TV版の総集編+第25話途中までの内容の『新世紀エヴェンゲリオン劇場版 シト新生』は省略)


◆制作情報
{netabare}
原作         GAINAX
監督         庵野秀明
副監督        摩砂雪、鶴巻和哉
脚本         庵野秀明、榎戸洋司、薩川昭夫、磯光雄、山口宏、樋口真嗣
キャラクターデザイン 貞本義行
メカニックデザイン  山下いくと、庵野秀明
音楽         鷺巣詩郎
アニメーション制作  タツノコプロ、GAINAX{/netabare}


◆視聴メモ
{netabare}
・第6話視聴終了時点
序盤の山場であり、初の★★(優秀回)。
・第12話視聴終了時点
冒頭でセカンドインパクト当時のミサト(NERV戦闘指揮官)の記憶が描出される点に注目。
・第13話視聴終了時点
前話のミサトに続いて、同僚のNERV技術部主任リツコの心情が描出される回
・第16話視聴終了時点
シンジの内面世界の動揺が初めて描かれると共に彼の亡母(ユイ)とレイの類似が暗示される注目回。
・第19話視聴終了時点
エヴァ初号機覚醒を描いた★★★(神回)であり、本作が本格的に面白くなるのはここから。
・第24話視聴終了時点
コマ数は明らかに少ないのだが、心に迫ってくるものがあるカヲル回(2度目の★★★(神回))。
そして次回予告が「第25話 Air」になっている点にも注目。{/netabare}



◆各話タイトル&評価

★が多いほど個人的に高評価した回(最高で星3つ)
☆は並みの出来と感じた回
×は脚本に余り納得のいかなかった疑問回

========= 新世紀エヴェンゲリオン (1995年10月-1996年3月) ========
{netabare}
第1話 使徒、襲来 ★ 15年ぶりの使徒出現、碇シンジNERV召喚、エヴァ初号機出撃
第2話 見知らぬ、天井 ★ 続き、葛城ミサトとの共同生活開始、初号機暴走・第3使徒自爆
第3話 鳴らない、電話 ☆ 転入先の学園生活、クラスメートとの交流、第4使徒撃滅
第4話 雨、逃げ出した後 ★ シンジ家出・保護・パイロット登録抹消、思いとどまり ※戦闘なしの日常回
第5話 レイ、心のむこうに ★ 零号機暴走事故、レイ宅へのお遣い、第5使徒襲来
第6話 決戦、第3新東京市 ★★ NERV本部の危機、ヤシマ作戦(レイと初のコンビ戦闘、第5使徒撃滅)
第7話 人の造りしもの ☆ 日本重化学工業開発メカ暴走、ミサトの決死行、反応炉停止(加持暗躍)
第8話 アスカ、来日 ★ UN太平洋艦隊訪問、アスカ登場、エヴァ弐号機出撃、第6使徒撃滅、アダム到着
第9話 瞬間、心、重ねて ★ 初号機(シンジ)&弐号機(アスカ)ユニゾン作戦、第7使徒撃滅
第10話 マグマダイバー ☆ 浅間噴火口突入(弐号機)、第8使徒撃滅、シンジのアスカ救助
第11話 静止した闇の中で ☆ 第3新東京市電源喪失、3機同時出撃、第9使徒撃滅
第12話 奇跡の価値は ★ ミサト三佐昇進、巨大使徒落下(3機共同作戦)、第10使徒撃滅、父の誉め言葉
第13話 使徒、侵入 ☆ 自己進化型使徒の人工知能MAGI侵入、第11使徒撃滅(リツコ奮闘)
第14話 ゼーレ、魂の座 ☆ 人類補完計画進行とそれぞれの思惑 ※前半は登場キャラ達の回想による総集編・後半も使いまわしシーン多い点は×
第15話 嘘と沈黙 ★ それぞれの休日(知人の結婚披露宴、シンジの墓参、ミサト不在の晩)、大深度地下の秘密(第1使徒アダム?)
第16話 死に至る病、そして ★ ディラックの海、初号機サルベージ作戦とエヴァ暴走(第12使徒撃滅)
第17話 四人目の適格者 ☆ 在米NERV第2支部消滅、4人目のパイロット決定(鈴原トウジ)
第18話 命の選択を ★ 使徒のエヴァ3号機乗っ取り、松代爆発事故、シンジ戦闘拒絶・ダミープラグ機動、第13使徒撃滅・トウジ重傷
第19話 男の戰い ★★★ シンジの暴走未遂・エヴァ搭乗拒絶、最強の使徒襲来、サードインパクトの危機、初号機覚醒・第14使徒撃滅
第20話 心のかたち 人のかたち ☆ シンジ・サルベージ作戦
第21話 ネルフ、誕生  ★ ※西暦1999年以降の出来事が述べられる回(南極事故、碇司令&冬月副司令の過去、エヴァ開発とユイ消失、NERV発足etc.)、加持抹殺
第22話 せめて、人間らしく ★ アスカの過去・使徒の精神攻撃、第15使徒撃滅(ロンギヌスの槍)
第23話 涙 ★★ 使徒のレイ浸食、零号機自爆(第16使徒撃滅)、3人のレイ(レイの秘密・素体破壊)
第24話 最後のシ者 ★★★ ゼーレからの使者(5th C.渚カヲル)、第2使徒リリスとの接触回避、第17使徒扼殺
第25話 終わる世界 × ※シンジ他の精神世界を描出する異色回だが脚本散漫で残念
第26話 世界の中心でアイを叫んだけもの × ※同上{/netabare}
-------------------------------------------------------------
★★★(神回)2、★★(優秀回)2、★(良回)12、☆(並回)8、×(疑問回)2 ※個人評価 ★★ 4.5

OP「残酷な天使のテーゼ」
ED「FLY ME TO THE MOON」


※このように第17話までは割とよくあるメカ系バトルもの(エヴァはメカではありませんが)に見えますが、そこまでに実は綿密に貼られていた伏線が、第18-19話を境にして終盤どんどん回収されていき、ストーリーは第23-24話に向けて急上昇していきます(ただしそこがピークでラスト2話で急下降してしまう)。
※TV版ラスト2話(第25-26話)が何故こんなガッカリする内容になってしまったのか、は諸説ありますが、制作スケジュールが苦しくなって当初の脚本(下記の旧劇場版に近いもの)を、より制作が楽なものに差し替えた、という説が信憑性が高いと思います。
※いずれにせよ、このラスト2話は下記の旧劇場版で完全に補完されているので、本作に興味を持った方は旧劇場版は必見です。


===== 新世紀エヴェンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に (1997年7月) ====

第25話 Air ★★ {netabare}ゼーレのNERV強襲(戦略自衛隊侵攻・撃退、アスカ復活・奮闘、S2機関搭載ダミータイプ投入){/netabare} ※約46分
第26話 まごころを、君に ★ {netabare}人類補完計画発動(初号機依り代化、アダムとリリスの融合、黒き月出現・サードインパクト、残された二人){/netabare} ※約40分、ラスト15分前(実写パート)以降は残念な出来×
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★★★(神回)0、★★(優秀回)1、★(良回)1、☆(並回)0、×(疑問回)0 ※個人評価 ★ 4.2


※以下は、2000年代後半から制作・公開が続いているアナザー・ストーリー(並行世界、または、どこかの時点からループしている設定らしい。※『Q』のカヲル君のセリフから)


===== ヱヴェンゲリヲン新劇場版 ====================================

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 (2007年9月) ★ {netabare}第1~6話を新規作画で再構成、一部新規シーン{/netabare} ※約98分
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 (2009年6月) ★★ {netabare}第8~19話を下敷きとしたアナザーストーリー、なお新パイロット(真希波・マリ・イラストリアス)登場{/netabare} ※約108分
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q (2012年11月) ★ {netabare}「破」から14年後の完全新規シナリオだが、第24話の展開を最大のモチーフとしている。{/netabare} ※約95分
シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| (未定)
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★★★(神回)0、★★(優秀回)1、★(良回)2、☆(並回)0、×(疑問回)0 ※個人評価 ★ 4.3


◆総評

エヴァンゲリオンは、2000年代後半から制作・公開が続いている新劇場版も十分に面白いと思うのですが、それでも、やはり旧作の方の、TV版のラスト少し前の第24話({netabare}カヲル回{/netabare})が、私は素晴らしい《神回》だと思っていますし、そこに至るまでの流れ(特に第19話から後の流れ)が、実に説得力に富んでいて見事だと思っています。

新劇場版第2作『破』の面白さも、TV版第19話({netabare}最強の使徒ゼルエル回{/netabare})を視聴者が予(あらかじ)め知っているからこそ生まれる部分が多いのではないか、と思いますし、第3作『Q』などは、前記のTV版第24話をベースにして、様々なエピソードを付け加えて、90分を超える1本の映画に引き延ばした感さえあるくらいです。

要するに、新劇場版は、当然ながら、旧作(TV版+旧劇場版)を「本家取り」しており、本家との違いを楽しむ部分が大きい、と私個人は思っていて、そういう意味で「本家」を未視聴の方には是非とも一度視聴をお勧めしたいです。

投稿 : 2023/06/03
♥ : 59

82.9 5 ペンギンアニメランキング5位
けものフレンズ(TVアニメ動画)

2017年冬アニメ
★★★★☆ 3.7 (1199)
4619人が棚に入れました
この世界のどこかにつくられた超巨大総合動物園「ジャパリパーク」。
そこでは神秘の物質「サンドスター」の力で「アニマルガール」へと変身した動物と、訪れた人間たちが賑やかに楽しんでいました。
しかし、時の流れは残酷なもの。数年前の事件をきっかけに 、今では訪れる人もいなくなってしまいました・・・。
そんなパークに、ひょんなことから迷い込んだ主人公“かばん”。
帰路を目指すための旅路が、アニマルガール達も関わって、大冒険になっちゃった!?

声優・キャラクター
尾崎由香、本宮佳奈、小野早稀、内田彩、佐々木未来、根本流風、田村響華、相羽あいな、築田行子、近藤玲奈、津田美波、藤井ゆきよ
ネタバレ

ブリキ男 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

古めのRPGを髣髴させる、かばんちゃんとサーバルちゃんのロードムービー

動物を擬人化した外見を持つ※1フレンズと呼ばれる少女たちの住む「ジャパリパーク」。そこに迷い込んだのが(多分)人間の"かばんちゃん"。どうやってそこに着たのか自分が何者なのかも分からない様子。

かばんちゃんはジャパリパークで初めて出会った"フレンズ"サーバルちゃんと共に"図書館"を目指します。

原作ゲームはバトル成分多めのステージクリア型ゲーム。漫画版は奈々という主人公が飼育員として「ジャパリパーク」で働く日常もの。アニメ版では世界観のみを継承し、両者とは違うオリジナルシナリオが展開される様です。

アニメでもバトルものの要素が一話にほんのちょっとだけありましたが、セルリアンという危険生物の紹介程度の意味合いで、前面に持ってくる意図は全く無い様です。作品形態はサファリパークを思わせる大自然の中を急がず焦らずのんびりと色々と見物しながら目的地に向かうロードムービーの趣です。何でもない所で立ち止まって休んだり遊んだりする光景が描かれるのはBBCの※2テレタビーズみたいな幼児向け番組を思わせてちょっと和みます。

ポリゴンモデルのキャラ表現が気になる人はいると思いますが、私は見てる内に慣れちゃいました。むしろ気になるのはフレンズの着る服のデザイン‥誰が何処で仕立ててるんだろう? ケモノっぽさはあるものの普通の萌えキャラの着る様な服でした。気にしちゃいけない点かも知れませんね(笑)

1~2話の感想
{netabare}
かばんちゃんの、非力ながら思考して、物を作ってフレンズを助けるという設定はとても良かったのですが、1話の紙飛行機のおとりはまだしも、2話のサファリバスの片割れを※橋の残骸とツタを編んで作ったロープを使って川越えさせる方法など(途中までわくわくして見てたんですが)は必然性があまり感じられず、結局はフレンズの力に頼ってしまっている印象が強かったので、もうちょっと工夫が欲しかったです。

※サーバルちゃんの怪力で車体を担ぎ上げ、川に浮かべたいくつかの足場を連続ジャンプで渡ってしまうという超力技(笑)
{/netabare}
3話の感想
{netabare}
山頂のカフェにてサファリバスのバッテリーを充電すべくロープウェイ乗り場に辿り着いたかばんちゃんとサーバルちゃん。そこでトキさんとの出会いがあり、山頂ではアルパカさんがお出迎え。

終始和やかな雰囲気で歌ったりお喋りしたり、フレンズはみんな仲良しなんですね~。静かな声で話す(歌う時以外は)ちょっと傷付きやすいトキさんにも、のんびりとしたおばあちゃん口調のアルパカさんにもそこはかとな~く癒されました(笑)

カフェに向かう道すがら(空中だけど)トキさんの話していた「この羽は動物だった頃より便利‥」という言葉は気になります。フレンズは元々ただの動物だったという解釈が出来そうですが、サンドスターの噴出とともにフレンズは生まれるのだとしたら、火山の火口とかに人類滅亡?前に建設された研究所か何かがあったりして(汗)アルパカさんにお茶の入れ方を教えた"ハカセ"という存在もその辺に係わりがある可能性が濃厚‥。

カフェに着いて、バッテリーの充電が終わるまでは、かばんちゃんの謎の思い付きでみんなで草むしり。充電が滞りなく終わって一安心したら、今度は和やかにティータイム。かばんちゃんのアドバイスとアルパカさんのハーブティーのおかげで綺麗な声が出せる様になったトキさんもご満悦。草むしりの努力が早くも実ってカフェに新しいお客さんがやって来てアルパカさんも大喜び。あれやこれやと丸く収まって良かったですね(笑)

次のシーン‥ボスがバスを急発進させてサーバルさんに追突したシーンにはゾッとさせられました。ボス、フレンズを動物としてしか認識していない様ですが、ガイドロボの行動だとしてもこれはちょっと酷い。壊れているんでしょうか?

そして終幕、短い間ですが前回から同行者として旅の仲間に加わっていたジャガーさんとコツメカワウソさんに別れを告げ、一行は砂漠エリアへと向かいます。

ロードムービー+廃墟探索アドベンチャーと言いましょうか、ゲーム好きの私は着々と旅の行程を消化していき、振り返ると広大な景色が見下ろせる様な、山登りを思わせる作風にのめり込むたちなので、1話で受けた絵柄に対する抵抗や2話のサーバルジャンプ(笑)にもものともせず、今回も楽しんで視聴させて頂きました。キッズ向けアニメの雰囲気だけど、このアニメなんかいい‥。
{/netabare}
4話の感想
{netabare}
今回はタイトル通り砂漠地方のお話。

砂漠地方では熱しやすく覚めやすい体と好奇心を持つスナネコさんが登場。移り気で一見捉えどころの無いフレンズですが、やはりそこはかとなく親切。砂漠の暑さに悩むかばんちゃんとサーバルちゃんを我が家に案内、砂から掘り出したジャパリまんを振舞ってくれました。

このジャパリまん、かばんちゃん(あるいはトキさん?)も持ってましたが、フレンズ間では周知の食料の様です。ボスの存在が広く知られている点もそうですが、私たち(視聴者)と作中キャラ(主にフレンズ)たちの間には、叙述トリックよろしく表面化されていない認識の齟齬がいくつもあります。視聴者がかばんちゃん視点ですらこの世界を見る事が出来ていないのだとしたら、不気味ながらも面白い描き方ですね。

前回のジャパリバス追突シーンも一見危険なシーンですが、フレンズの頑丈さが人間のそれとは比べ物にならないから、笑い話で済まされたという事が何となく分かりましたし、ボス(ラッキービースト)がどのエリアのフレンズにも知られている事からはボスは複数体存在するのでは?とも思われました。パークの広大さからしても、前回のボスの台詞「ぼくら」からも、1体のみ存在する訳ではないという事も推察されます。一見何の変哲も無い描写の中にも隠された謎がまだまだたくさんあるのかも知れませんね。

次のシーン、スナネコさんのお家の奥のトンネルを進んで行くと、ジャパリパークに併設された遊園地内のアトラクションの一つ「地下迷宮」に辿り着きました。

そこにもまたフレンズの姿が。未確認生物なだけに? 姿を見られるのを嫌い、コミュ障気味なツチノコさんに出会います。ぶっきらぼうな態度ですがフレンズなだけにやはり優しい‥。迷路の道案内役になってくれました。※ピット器官による赤外線感知能力あり。

終幕近くのツチノコさんの台詞からは、今回もまた人類絶滅が仄めかされました。話の流れからサンドスターの噴出とともに生まれたと思われていたかばんちゃんでしたが、フレンズが"異変"と呼ぶ災厄を何らかの理由で免れた人類の生き残りなのかも知れません。

終幕後にいつも描かれるフェネックとアライグマ=あらいさんコンビの追跡行も、台詞を繋ぎ合わせると、何者か(ハカセ?)の支持でパークに危機をもたらすかばんちゃんを捕らえる事が目的らしいという事が段々と分かってきました。ハカセの目的って人間のいないフレンズだけが住む、争いの無い世界を作ろうとする事だったのかも知れませんね。とするとセルリアンはフレンズを駆逐する為に放たれた人類の尖兵だったりして‥。「ヒトは死の先触れなり」って、洋画「猿の惑星」に出てくる物騒な台詞を思い出しちゃいました(汗)

※:ハブ、マムシ、ガラガラヘビなどのクサリヘビ科マムシ亜科のヘビたちの上唇辺りに付いている小さな穴みたいな赤外線感知器官。サーモグラフィーと同じ働きがあり、闇夜でもあれこれ見えるらしい。
{/netabare}
5話の感想
{netabare}
ビーバーさんとプレーリードッグさんが登場するお話。

ビーバーが木や小枝、泥などを使って※aダムやトンネル付きの家を作ったりする習性は良く知られていますが、フレンズのビーバーさんが設計したのは丸太を組んで作るログハウス風。川の中州に建て、床下には陸地から続くトンネルの出口があるという変り種。

ビーバーさんとプレーリーさん、片や慎重派、片や行動派、どちらも一人での家作りは難しい様子。

そこでかばんちゃんの「二人一緒に作ったらどうでしょう?」というアドバイス。得手不得手を互いに補い合うかたちで、ビーバーさんは良く考え、プレーリーさんは良く動き、あっという間に立派な家が一件出来てしまいました。丸太を組むやり方は※bハンドアックスログハウスと同じやり方みたいでした。読んで字の如く熟練の人だと手斧一本で造ってしまえる家だそうです。プレーリーさんは前歯だけ‥凄腕建築家ですね(笑)

ジャパリまん=通貨の様なものと前回のツチノコさんの台詞の中でも触れられていましたが、今回のビーバーさんの台詞の中にもハカセとの取引の未払い分として"ジャパリまん3ヶ月分"という言葉が出てきました。‥。そもそもこの"ジャパリまん"はどこで入手するのでしょう。ハカセが作っているわけでは無いとしたら火山の火口に制御不能の完全オートメーション化した工場があるとか?

フェネックさん&あらいさんパートでは"おたから"というまたもや意味深な言葉が‥。どうやらかばんちゃん(の帽子の飾り?)を指すらしいのですが、それがパークの存亡とも関係が有る様子。かばんちゃんがトリガーとなって起動するボスみたいな機械がどこかにあるのかも知れません。この二人、使命らしきものを帯びている様子がフレンズにしては異質なので、謎の存在"ハカセ"の支持で行動しているのではと思っていましたが、もしかしたらジャパリ図書館で得た何らかの情報に従って行動してるのかもしれませんね。

次回も楽しみです。

※a:2011年までに確認されている世界最大のビーバーのダムはカナダ・アルバータ州のウッド・バッファロー国立公園内で発見されたものだそうで、全長850mもあるのだという。

※b:丸太の両端近くを半月形にえぐり、同じものをタテヨコタテヨコと次々と積み重ねて造る小屋の事。
{/netabare}
6話の感想
{netabare}
今回は戦争のお話、ではなくて戦争ごっこのお話。

動物で戦争らしきものをするのは人間を除いてはチンパンジーくらいのもの。フレンズ間の戦争はそのどちらよりも平和的に行なわれました(笑)

相手に怪我人が出るかも知れない事を心配して組織立った戦いを仕掛けるというのは、戦争ではなくスポーツの領域かも知れません。

戦争の話からは少し外れますが、オオカミなんかも群れのボスを決める為に儀礼的な戦いをする事があります。その場合はあくまでも1対1が基本で、ドッグファイトという言葉がある様に、※お互いに相手のしっぽ目掛けてぐるぐる回り、相手を組み伏せた方(弱点である首筋を捕らえた方)が勝者という暗黙の了解がある様で、殺し合いにまでには発展しないと言われてます。オオカミの様に強力な牙や爪を持つ動物は自分の持っている武器の強力さを自覚していて手加減する事を心得ているそうです。(鶏とか鳩とか鳥類の地位争いやいじめは殺すまで容赦せず凄惨なものだという。でもそれも飼育小屋とかの狭い環境に押し込められているストレスが主な原因らしい。)

私はこれと同じ事をねこの中にも見た事があります。ねこはちょっと怒って引っかいたり噛み付いたりする時にはちゃんと手加減してくれ2割も力を出して無いんじゃないかなって思います。恐怖を感じた時にのみ恐るべき顎と四肢の力を開放するのです。病院に連れてって注射打たれそうになる時とかそうなってしまってました(汗)

人間にも他生物を思いやる気持ちはありますが、本能というよりは理性で闘争相手を殺してしまえます。殺人や戦争や害獣(虫)駆除は動物的な欲求がそうさせるのではなく、打算に基づいている面が強いからです。

その点フレンズは相手に怪我をさせちゃうかも知れないと心配する辺りが上述の様に動物的です。かばんちゃんはそれに更にルールを与えて、戦いをより安全なスポーツに変えてくれました。元々大した事の無い小競り合いだったんですけどね(笑)

それにしても今回のお話の舞台について、何故にジャパリパークにお城?とか思ってましたが、ちょっと昔、京都に「伏見桃山城キャッスルランド(2003年閉園)」という遊園地があったそうで、園内には日本のお城の他にジェットコースターもあり、ゴーカート乗り場やプールも併設されていたとの事‥。西洋のお城のある遊園地ならあれこれありますが、日本のお城というのが中々カオスですね(笑)

物語全体の動きとしては、前々回のツチノコさんに続いてハシビロコウさんがかばんちゃんの正体に気付いたくらいで物足りない印象を残しましたが、中休みと軽く見流し次回に期待したいと思います。

追記:あらいさんかばんちゃんの帽子に付いてるみたいな羽持ってましたね。どこで手に入れたんだろう? 謎です。

※:コンラート・ローレンツ先生の「ソロモンの指輪」参照。
{/netabare}
7話の感想
{netabare}
ナゾナゾが書いてある立て札が行く先々にある森を抜けてかばんちゃんとサーバルちゃんはついにジャパリ図書館に到着。

謎の存在"ハカセ"の正体は図書館の主でフレンズのアフリカオオコノハズクさんでヒトではありませんでした。助手はワシミミズクさん。

二人の新しいフレンズに料理を作ってあげて、代わりに自分の正体を教えてもらったかばんちゃん。

作中では語られませんでしたが、ジャパリまんの材料は調達出来るのに、ジャパリまんをハカセが欲しがる(ビーバーさんの話によれば)のは、料理が出来ないという事はもちろんですが、調理済みのものはより手に入り辛いという事なのでしょう‥。にしてもフレンズたち、どこからとも無くジャパリまん取り出して毎話の様にモグモグやってます‥入手先が未だ謎です。

OPムービーも新しくなり物語はちょうど折り返し点? 図書館で自分の正体を知るというかばんちゃんの当初の目的は無事果たされ、次の目的は同族探しという事に。

よくよく考えてみるとフレンズたちにはそれぞれの同族が登場していません。つがいならばノアの箱舟の話の様な滅亡と再生の物語を想像出来ますが‥偶然とは遠い人為的あるいは作為的な原因がある様です。

ハカセにもらったPPP(ペパプ)復活祭のチケットと謎の小箱を手に、かばんちゃんとサーバルちゃん(とボス)の旅は続きます。
{/netabare}
8話の感想
{netabare}
ペンギンフレンズの5人組アイドル"ペパプ"ライブ回。

これまでのお話では、一見無力に見えるかばんちゃんが知恵を使ってフレンズを助け、かばんちゃんおよび視聴者が自分(ヒト)の価値を再確認するというのが大まかな流れになっていたと思いますが、今回活躍したのはヒトであるかばんちゃんではなく、むしろ声マネでプリンセスの背中を押してあげたマーゲイさんでした。

お話の内容についても、アイドルとかファンとか内輪もめとか、フレンズの嗜好や行動がヒトそのものだったので、両者の境界が曖昧になっている印象を受けました。6話の戦争ごっこでも顕著でしたが、こういう強い社会性を匂わせる描写を見せられると、フレンズたちの思考形態が、動物本来のものとはかけ離れている事がはっきりと分かります。動物達はフレンズ化によって姿形だけでなく(に付随して)心もヒトのそれに近くなってしまった様です。

本筋について、プリンセス(ロイヤルペンギン)によれば人の姿が最後に見られたのは港なのだという。生き残りの人々がいる可能性が見えてきました。

今回はありがちなアイドルアニメみたいで、私的にはあまり楽しめませんでした(汗)次回に期待したいと思います。
{/netabare}
9話の感想
{netabare}
ボスから発せられたみらいともう一人の声について

「こんなかわいらしいフレンズさん」と言う言葉を発するみらいさんはフレンズであるわけは無いので、ヒトかあるいはボスの様なロボットと思われます。もう一人の声の主はサーバルちゃんの聞き覚えのある声の様でしたので、単純に考えてフレンズか、1話の巨大セルリアン登場時の悲鳴の主なんでしょうね。

みらいさんはセルリアンの調査をしていると言う事なので、前々回にあったヒトとセルリアンは一緒にいる事が多いとは、この事なのかも‥。

追跡者パートではサンドスターが動物か"動物だったもの"に当たるとフレンズ化するというペパプの説明がありましたが、後者はどういう意味なのでしょう? ジャイアントペンギンがその類のフレンズらしいのですが‥。動物だったもの? 動物なのに? 謎です。

初回近くにちょっと気になっていたフレンズの服の事、観客にウィンクする類の描写だと思っていたので、本編中で言及されるとは驚きでした。フレンズたちが服とは知らずにそれを着用してた事にも(笑)
{/netabare}
10話の感想
{netabare}
今回のお話では人の姿をしたセルリアンがいるという事、同じ種類のフレンズがいるという事、サンドスターが複数種存在する事が明かされました。

動物をフレンズ化させたり、気候をコントロールしたり、単一の物体が多様な働きをする事についてかねがね疑問を持っていたのでサンドスターに関しては妥当な設定と感じました。

多分サンドスターはナノマシンの様なもの。これまでにお話で触れられたのは次の4種類だと思います。

1.動物をフレンズに変化させる。
2.動物だったものをフレンズに変化させる。
3.気候を制御する。
4.無機物をセルリアンにする。

2の解釈の1つは死体や化石をフレンズにするというもの(他の方のレビューを参照)これに該当するのがジャイアントペンギンさん。この場合DNAから生体を復元するので記憶の引継ぎは無い筈ですね。かばんちゃんは1話で紙飛行機を折っているので、これに該当しないと思います。

2のもう一つの解釈は動物だったもの=フレンズを別の?フレンズに変化させると言うもの。"動物だったもの"という表現が敢えて用いられているので考えづらい気はします‥。かばんちゃんと一緒にいるサーバルちゃんがみらいさんと一緒にいたサーバルと同一個体なら一度セルリアンに食べられて動物に戻り、その後にサンドスターでもう一度フレンズになった姿なのかも‥。

4については、特定の無機物という解釈で良いと思います。セルリアンの正体はラッキービーストではないでしょーか? フレンズ化をリセットする安全装置的な存在かも知れません。

かばんちゃんの正体について

1.ヒトのフレンズ
2.ヒトのフレンズであるみらいさんがセルリアンに飲み込まれてただのヒトに戻った姿
3.ヒト型セルリアン

という3つの可能性があります。

かばんちゃんはあらゆる点で人間そのものに見えますし、身体能力の低さからしてもフレンズらしくないので1ではない気はします。

2は音声記録からみらいさんはセルリアンと戦う力を持っている様に見受けられ、かばんちゃんにはそれが無いというところから。

3はみらいさんがヒト型のガイドロボットだとすればですが、かばんちゃんにはセルリアンらしい特徴が1つも無いのでやはり違う気がします。

前回の台詞が引っかかりますが、2が一番それらしい気はします。全くの別人と言う可能性も残ったままですけど‥。

今回はおばけ屋敷を舞台にしたミステリー風味でとても楽しめました。終幕近くには港にて船を発見という場面があり、行動範囲が一気に拡大する様は古典RPGの中盤以降の展開を思わせわくわくさせられました。

次回にも期待したいと思います。
{/netabare}
11話の感想
{netabare}
船旅は持ち越しで、黒いセルリアンとの戦いのお話。

フレンズたちが協力して敵と立ち向かう姿にはバトルものの色が濃く感じられました。フレンズとセルリアンが直接戦う描写は1話以来ですね。危難の描写の少ないアニメだけに黒いセルリアンの巨大さと不気味な造形がより一層恐怖を煽ります。

サンドスターを噴出する山の山頂にかばんちゃんとサーバルちゃん辿り着いた所で、フェネックさん&アライさんの追跡者コンビがとうとう2人に追い付きます。帽子泥棒とかばんちゃんに食って掛かるアライさんでしたが、これまでにフレンズづてに聞き及んできたかばんちゃんの足跡を思い出し、いくつかの問答を経て和解(笑)晴れてフレンズとなりました。

山頂にはテクノロジーの名残があり、複数種のサンドスターを放出している模様。その中の1種が黒いセルリアンにエネルギーを供給している様ですが、何故動物をヒト化(フレンズ化)するサンドスターとフレンズの天敵であるセルリアンを作ったり力を与えたりするサンドスターが一所から噴出されるのかが不明。

フレンズが動物のヒト化した姿という部分を切り取れば、サンドスターを発明、製造したのは人類である事はほぼ間違いなく、それを食べる(実際はフレンズの体内にあるサンドスターだけ)セルリアンもまたそうであるのが自然な解釈だと思います。

山頂で何らかの事故が起きた為にサンドスターの噴出を制御出来なくなり、フレンズを作るサンドスターと、それをリセットする(元の姿に戻す)セルリアンを作るサンドスターが同時に放出される様になってしまったとも考えられます。火口を覆うフィルターは応急処置で、元々はサンドスターの噴出は種類毎に完全に制御されていたのではないでしょうか?

サンドスターがジャパリパークと言う場所を、環境を、フレンズを、明確にデザインする為に作られたナノマシンなら、その環境を元に戻す手段も用意してある可能性は高く、それがセルリアンなのかも知れません。

だとしたら人類は動物をおもちゃにしている(強制的に改造をしたり元に戻したりしている)も同然なので、セルリアンの暴走によりパークを放棄せざるを得なくなった事など相応の報いを受けたとも取れます。かと言ってその様な人類の暴挙がなければ、かばんちゃんとフレンズ達の出会いもあり得ず、これまでの冒険も無く、そこに愛も友情も生まれなかったわけで、そう考えるとちょっとやるせない気持ちになりますね。
{/netabare}
12話の感想
{netabare}
みらいさんの落とした帽子に付着していた髪の毛から復元及び変化させられたフレンズがかばんちゃんだったと言うのは、ジャイアントペンギンさんが(恐らく)化石から復元されたという事に繋がりますが、かばんちゃんの身体能力が他のフレンズと比べて大きく劣っている事(確かにヒトは大きさの割に非力ですが)と記憶を失っているにも係わらず日本語を読解出来る事と紙飛行機の折り方を知っていたと言う点には矛盾がある様に思えました。(こういうのは学習するものなので)

セルリアンの正体は?とか、髪の毛一本からフレンズが生成されるのだったら、ジャパリパークがフレンズだらけで大変な事になりはしないかな?とか、みらいさんといたサーバルのフレンズと"サーバルちゃん"は同一個体なのか?とか、結局サンドスターとは何だったのか?とか、みらいさんはどこに帰ったの?とか色々な疑問(多すぎて済みません)が残りましたが、続編で解決出来れば良い問題が半分ですし、まぁ些細な事ですね。あれこれと考察し甲斐があり、最後まで全く飽きさせないアニメでした。

黒いセルリアンとの戦いの最終局面におけるフレンズ大集合のシーンとボスの自我の目覚め?のシーンには長い旅の道程が一度に思い返される様で涙腺が緩んでしまいましたね‥。こういうのには慣れっこになっている筈なんですが(笑)無駄に長い回想シーンを差し挟む演出とかよりも、ずっと鮮烈で心に響きました。
{/netabare}
ケモ耳キャラって髪で耳の辺りが隠れている事が多いので、耳が2つなのか4つなのかあやふやだったんですが、この作品ではちゃんと?4つありました。コスプレじゃないなら2つで十分だと思います(笑)

ゲーム版のキャッチコピーは「あなたは、けものがお好きですか?!」というものだそうですが、フレンズの見てくれは明らかにコスプレした人。ケモ耳少女好きならもちろんですが、けもの好きにも割とお勧め出来るアニメの様です。

謎の生命体?セルリアンとか、2話のジャングル内のエピソード、川を隔てて運転席部分と客席部分に切り離されて放棄されていたサファリバス、かばんちゃんにしか話しかけず反応しない正体不明のロボ"ボス"(ラッキービースト:声優さんは???)の謎が気になりますので最後まで見てみたいと思います。

最後まで観終えて

舞台を変えず一所にこもりがちで、主要キャラが定められ、狭い世界で起こる事件だけを描くアニメと違って、未踏の地を旅し、出会いと別れを経て、より広い世界を知り、成長し、成すべき事を獲得していくと言う、冒険物語として堅実でオーソドックスな構成ではありますが、昨今では隅に追いやられがちな正統派、古典的手法の魅力を十二分に伝えてくれるアニメでした。アニメを通してかばんちゃんとサーバルちゃんと共に旅をして、旅を終えた時に現実に戻って来るという、正にゆきてかえりし物語ですね。私たちのいる世界とアニメで描かれる世界の繋がりが強過ぎると、こういう旅は成立し辛くなるものです。

絵柄がコミカルなので子供向けに見られがちですが(笑)提示したルールをないがしろにせず、SFとしての義務をよく守っている点、製作者本位のご都合超能力とかを登場させず、全ての問題をかばんちゃんとフレンズの頭と手で解決させている点も高く評価したいです。

多くの謎を残したまま第一章?の幕引きとなりましたが、かばんちゃんとサーバルちゃんとラッキーさんの旅は続きます。

いつか3人の旅の行く末を最後まで見届けたいですね。

優しさと謎に溢れた心から楽しめるアニメでした。


※1:動物の力を宿したケモ耳少女、得意な事も苦手な事もだいたい本物の動物の特徴通り。それぞれ何らかの"技"を持っているとの事。ゲームっぽい表現ですね(笑)

※2:赤ちゃんみたいなモンキーみたいな4人の仲良しテレタビーズが、うさぎがぴょんぴょん跳ねる緑の丘やお家の中で遊ぶだけの子供向け番組。初見ではテレタビーズの奇妙な外見に戸惑う事うけあいですが、見ている内に段々と親しみが湧いてくるから不思議。

投稿 : 2023/06/03
♥ : 78
ネタバレ

「ひろ。」 さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

やっと最終決着がついたようで何より。改めて1つのアニメが作られる”奇跡”を思い知らされました。

ゲームアプリ未プレイ。漫画版未読です。

>3話まで視聴して
全然見てなかったのですが
最近話題?のようなので、お試し視聴してみた結果・・

あら。これはいいものですね^^。
主に3Dで低予算?(勝手な想像)で作られていそうな作品ですね。
以前にも他に3Dで作られたショートアニメっぽいものが記憶にありますが
それらにはイマイチハマれなかったのに対して
本作は不思議な魅力に溢れてますね!!。

なんかお気楽に頭空っぽで観れそうな雰囲気でありながら
ちょっと前に放送されていたplanetarianのような
もの悲しさみたいなものも同時に溢れている。
今日急速に発達しつつあるAIへの警鐘のようにも感じられます。

3Dで描かれることによって全てにおいて”かわいさ”があるのですが
逆に”生身感”を失っているところが本作の真骨頂のようにも感じてしまいます。

最近、ちょっと”かわいい”満載のアニメだと
すぐに「〇〇動物園」・・みたいに表現されてしまうことが多々あるかと思いますが
本作は最初から、まんま、どうぶつえんですよねw。
種が絶滅してしまった世界なのでは・・という危機感も心のどこかに・・。

本作中では今のところ、とことん「やさしい世界」が描かれていて
それはそれで自分自身の幼児期への逆行体験のような錯覚を覚えるところがあったり
日常に疲れた自分自身にとっては、すごく癒しになってたりもするのですが
心のどこかで「それでいいのかな?」って感じさせてくれてるのも
面白いところだと思います。

余談ですが、3話でのアルパカさんのボイスに
思わずこっち世界に引きずり込まれそうになってしまいましたw。

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>5話まで視聴して
何気にちょっとした中毒状態に陥ってます。
1話~5話をリピート視聴するまでに^^。

4話では、声聞いただけであの方とわかる声優さんが出てきましたね!。
うれしいと思うのと同時に、いっそこの作品長寿アニメ化して
世の中のすべての声優さんに出演してもらったらどうだろう・・という妄想がw。

1回目の視聴では見落としてましたが
4話ED手前で、けっこう大事なこと発言してましたよね。。

3話で出演された金田朋子さんて、実はそれまであまり良い印象もってなかったし
これまで出演された役等もほとんど知らなかったのですが
本作で好感度がとても上昇しました!。いい演技される方だったのですね。
織田信奈の五右衛門も、いつか再視聴してみたいと思いました。

5話はいろいろ攻めてきてましたね!。
秋山殿のフレンズですか?。それと某番組チックな展開とBGM♪。

あとから見ると4話の某状況がAngel Beatsの某シーンでの絶望感を彷彿させられたり
砂漠地方でのバス移動がP5のアレとカブって見えたり
考えすぎで心配性なビーバーさんが自分自身と重なって見えたり
予想外にいろいろ楽しめる要素ある作品だなって、今は夢中になってます^^。

★の評価、若干UP↑しました。

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>6話まで視聴して
毎回キャラが増えて、思わぬロケーションと思わぬ方向に話が進んでいくので
毎回新鮮で飽きないです^^。

ラストでは、視聴者が一番気になっている核心部分?にちょっと触れましたね♪。
せっかくここまで意味深にうまく興味をひいてくれたのですから
まさかオチはSAOのような「電脳世界ダイブでした~」みたいなのじゃなく
シリアス寄りな現実世界であることを期待します!。

また1話からリピートしてしまうほどハマっちゃってる自分ですが
今現在の素直な気持ちとして
自分の中では本作はまさかの今期1位もしくは2位ポジションにいます^^。

何がそんなに惹きつけるんだろうと、ちょっと考えてみましたが
例えとしては
”昔のファミコンゲームのドットゲームならではの魅力”
・・に、近いモノがあるのかもしれません。

近年、超絶神作画のアニメ(たとえばユーフォ)とかだと
画面からの情報量が豊かすぎて、視聴者は(ある程度)考える努力をしなくても
それらがいやがおうにも伝わってしまう(それはそれでもちろん絶賛!)のに対して
本作は、適度に絶妙にデフォルメされた少ない情報量の作画であるため
ストーリー表現が限りなくシンプルになり
視聴者に想像する楽しみをかなり多く与えてくれているのではないかと思います。

自分はプレイしたことないですが、マインクラフトみたいなゲームが
近年でもなお多くの人を魅了しているのも、そういった要素があるからではないでしょうか?。

あと、”けものならではの動作表現”もいいですね♪。
・・といっても単純にサーバルちゃんのいわゆる”ねこパンチ”みたいなことなんですが。
人間が手を自由に使えることの素晴らしさを再認識させられるのと同時に
今まであまり気にしてなかった”けもの達の動作のかわいさ”
に改めて気づかせてくれる喜び・・でしょうか?。


いきものフレンズではなく
どうぶつフレンズでもなく
けものフレンズ・・としてるところも興味深いですね。
確かに今まで登場してるどうぶつ達は、いちおうケモノ分類でOKなものばかりなのかな?・・。
おさかなフレンズでもなく
けもの限定?・・なところも絶妙な設定なのかもしれません。

あと、4話ラストで我々のことを心配してくれての某有名声優さん演じる某けものの発言ですが
本当に存在してるかどうかもわからないあのキャラが
私たちのことを心配してくれてるっていうのも、なんか感慨深いですw。

あと、本作の影響で動物園に行く〇○が増えているという各種報道・ニュース等を見かけましたが
いや、実際自分も行きたくなりました!!!。
「会いにいけるアイドル」・・じゃないですけど
リアルに現実世界に今同じ時間を生きているいろんなけもの達について再認識させてくれて
そのかわいさを知ってしまったわたしたちは・・
はい。現実とリンクして楽しめるって、自分がアニメに求める醍醐味の1つですわw。

★の評価、さらにUP↑しました。

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>7話まで視聴して
今回も話の展開の持って行き方が上手かったと思います!。
かなり重要な核心に迫りつつあるけれども
まだまだ真相は見えてきませんね。ニクい演出です^^。
フレンズ達の現段階での認識は明らかになりましたが
それが真相かどうかはまた別の話ですもんね。
一部ネットで見かけた「サービス終了した〇〇説」の
現実味が濃くなってきた気がしますが
でもそれだけだとまだまだ説明つかないことも多いですよね。

ちょっと前に本作が急激に注目度が上がった際の
制作サイドが出した?安全宣言的なコメント?
あれは出さないでほしかったなーw。
それとも、あえて逆を言ってるのかな??。

ここに来て1話からのあらいさんの言動が気になって再確認。
P5でも重要なキーワードだった〇〇〇〇ですか!?。
あと、セルリアンとラッキーさんの真の役割も気になります。


あ、作画についてですが
SHIROBAKOでも、某話で動物を描く難しさが語られてましたよね
それを考えると、〇〇化されてる分、動物そのままではないですが
動物個々の特徴や動きを見事にとらえて
動きやキャラデザに昇華されていると思います。

最近PS4のSTEEPで雪山にハマったこともあり
オープンワールドで緻密な自然が描かれた世界に非常に惹かれています。
本作の山々の景色を見る時も、なんとなくそれに近い感覚があり
できれば本作での全く新しいオープンワールドゲームが作られて
フレンズ達や、フレンズ好きなフレンズ達(私たち)と
まったり同じ時間を過ごせたらなあって思っています。

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>8話まで視聴して
この1週間、待つのはホント長かった・・。楽しみで仕方なかった^^。
・・で、待ちに待ってた最新話ですが、今回はちょっと違和感が。。

まず、細かいところなんですが、今回のメインキャラ達のセリフで
「すっげー〇〇だな」とか「〇○前で」とかの発言でまず違和感w。
フレンズが〇〇化した世界であることが前提の世界だから???。

あと、あれだけ毎回特別枠?で扱ってきた今回のメインキャラ達が
やっと出た重要な回のハズなのに
あんまり物語やこの世界との関連性を感じさせない扱いに違和感。。

個々のキャラも衣装が同じ?ため自分の中で何が特徴なのか全く見えず
どれも同じに見えてしまう・・。
あえて違いを感じれたのは、口調の違いによる性格的な違い程度?。
でも個々の種類の違いは全く頭に入って来ず・・。
この作品はいつも、その動物独特の特徴や動きなどを
的確にとらえてるところが素晴らしいのに、今回は・・・。

率直に言うと、彼女たちのセリフそのままに
彼女たちは〇〇にしか見えない><。

今回に限って話の展開がちょっと強引で
なんか理由づけというか動機というか・・
今回のメインキャラの心情に同意できない・・。

うーん、これってなんか後付け設定なんじゃないのかって考えてしまう><。
まさかとは思いますが、SHIROBAKOで某〇〇さんが言ってた
〇○的〇○〇○〇○〇??。
最初からそれありきでぶち込んできている感が・・。
次回あたりで、そうじゃないという逆転弾を打ち込んでほしいです!。


あ、今回の別の新キャラ見てたら
ツチノコさんが歌ってる某別作品を再視聴したくなり再視聴開始^^。

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>山田玲司のヤングサンデー第63回を視聴して
https://www.youtube.com/watch?v=dEyc2eUHvfE

何気にyou tubeで”けものフレンズ”関係探してたら
山田玲次先生のこんな番組見つけてしまいましたw。
こんな番組されてたのですね!。
うーれしーい!!。
(←このセリフはレビューでは書くまいとずっと封印してきてたのですが
 番組中での山田玲次先生がハマりすぎて解禁です♪。)

そういえば、けものフレンズ視聴していくうちに
なんとなく無意識に脳内でBバージンの秋くん思い出してました(ホントだよ)。
作中で炸裂する山田玲次先生の動物愛&いきもの愛!。
崩したオタクキャラの絶妙のくねくね具合。
短編集で顕著だった怖いくらいの絶望感や破滅願望といった一面。
ゼブラーマンも1話チラ読みして、続きを読もう読もうと思ってますが
なんかまどマギと通ずる不穏な空気を感じて、なかなか読み出せずにいます><。
たしかに”けものフレンズ”と山田玲次先生は
共鳴しあう部分が大きいんじゃないかな?。

とにかく”けものフレンズ”視聴中の方もそうでない方も
山田玲次先生のこの番組は必見だと思います!!。
いろんな事が語られていて、すごく胸に届きました!。
you tubeでは1時間だけど、ニコニコで続きがあるのかな?。
あとで確認してみます。⇒続きは有料だったのでやめましたw。

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>9話まで視聴して
本編に戻ってきた感が顕著でしたね^^。
文句なしに満足させてもらった回でした!。

今回はやはりあの2人の声の主が気になります。
←サーバルちゃんは何かに気付いてましたね。
 サーバルちゃんが聞き覚えのある声といえば
 そういえば1話のあの声って回収されてない気が・・。

ラッキーさんの再生音は
〇〇〇〇〇〇〇紹介ポイントで発動?、それともかばんちゃんとの通信?。
過去のものなのか、リアルタイムのものなのか?。

なぜフレンズになる必要があったのか?。
なぜかつてそこにいた〇〇が今はいないのか?
いられなくなったのか?、去っていったのか?。
なぜいまかばんちゃんがここにいるのか?。記憶がないのか?。
フレンズ化してるのか、していないのか?。

いろいろ新事実が出てきたけど
え?、この世界のどこかに素の動物っているの?。
パークの外ってこと??。
じゃあそこに〇〇もいるのでは?。

フレンズは〇〇が着脱可能という事実が判明したが
え?。今までトイレってどうしてたの???。
トイレの必要のない世界?。やっぱゲーム内世界なの??。
単に〇〇に食べられたらゲームオーバーでパーク退場ってこと?。

ジャパリパークは何のための施設なのか?。
種の保存・保護・補完目的?(トキの歌の歌詞がココロにひっかかってる)
異種間コミュニケーション施設?
研究施設?、それとも単なる〇〇のための娯楽施設?

いろいろ好き勝手妄想させてもらってる
視聴者自身の今この瞬間が一番楽しいのかもです♪。
いろいろheavyな想像もさせてもらえますよね^^。
箱舟的な想像だったり、宇宙船妄想だったり
Angel Beats!のあの世界だったりしたら
ありえなさすぎて逆にうれしいかも?w。

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>10話まで視聴して
9話ラストの引きがあまりに気になりすぎて
10話を待つこの1週間がとてつもなく長く感じて
苦痛とも言えるこの1週間を乗り切って、やっとたどり着いた先で
また新たな苦痛の始まりが待っていました~♪(褒め言葉)。

2話続けての神回&神引きラストでした^^。

あれ?。この作品って1クール?。11話まで?12話まで?。
なんか、ここまで見事に謎を引きずってくれると
冬アニメで終わってしまう?なんてことをすっかり忘れさせられていました。

ちょっと今から真剣に
いつか確実にやってくる”けもフレロス”が怖すぎます・・・。
グッズでもイベントでもゲーム化でもなんでもいいので
コンテンツは継続してほしいな~。

あ、10話本編についてですが
σ(o・ω・o)的に気になったのは
やっぱ〇〇ちゃんの、あのシーンです。〇〇〇。
「たぶん私は〇人目だと思うから・・」的なセリフが
今後来ちゃうのかも・・なんて妄想だけで、ビール3杯いけます!。

あと、露伴先生??・・と、〇〇〇の孤島回??。

あらいさんとフェネックの扱いが絶妙ですね~♪。心地良すぎます。

〇〇〇ちゃんと〇〇〇さんの共通点といえば、
やっぱアレを付けたアレをかぶっていることと
傍に〇〇ちゃんがいることですよね。
やっぱ〇〇〇の世界なのかな?。ここは。
〇〇〇ちゃんって実はナビゲーター的な存在??。

あと気になってるのが、ここ2話ほど連続して
ゲームって単語をあえてわざわざ2回印象的に使ってるのが気になる。
ゲームって言葉入れることで現実世界感を出してるけど実は逆とか・・。

まあ何はともあれ、視聴期間中のこの満足感・・は突出しています!。
★の評価、文句なしに全5までUPしました。

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>11話まで視聴して
文句なしですね!。どっぷり惹きこまれます!!。
また新たな苦行の1週間の始まりですっ♪。
・・というか、どうしてくれるんですか、この1週間www。

あらいさんパートの扱いが絶妙ですねー^^。
フェネックさんとの掛け合いが心地良すぎます!!。
←・・って、10話レビューと全く同じ文面になってるw。
でも、先週より何倍も何倍もパワーアップしています!。

もう後はラスト1話なのかな?。
結局もってここがどういう世界なのか未だに全く予想できません。
でもやっぱ現実ではない何かの異世界もしくは仮想世界な気が・・。
でもこの世界に生きているフレンズ達は、やっぱ生きてる実感を感じるし
フレンズ達の持っている感情はホンモノであってほしい!。

もう後は、OP曲の歌詞にある
「ホントの愛はココにある」を信じて待つのみです!!!。

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>12話まで視聴して
{netabare} ・・これホントに最終回なんでしょうか??。
なんか今までの丁寧な作りと比べてしまうせいか
・・すごくすごく雑な気が。。

前半は、どこかの消費アニメのような
テンプレ感ありありの安易な展開・・・。

ラストも、とにかく終止感が全く得られない・・><。

”ひろげた風呂敷そこらへんに転がしたまんまEND”でした。。


最終回でのこの感覚は
”クラウズ1期”で感じたものと非常に近いです・・。

1話から最終話までのσ(o・ω・o)のテンションでいうと
「→↑↑↑↑↓」です。

やっぱ「終わりよければ・・」の逆パターンは
”がっくり具合”が3倍増しですね・・><。
(ちなみにサムメンコの時の1話から最終話までのσ(o・ω・o)のテンションは
 「↑↑↓↓↑↑」で、終わり良しでした)


・・ということで一気に熱が冷めてしまったため
「けもフレロス」は発生しませんでした。


幸い予約してた1巻も、納期延期のお知らせがきてるので
いっそキャンセルしようか考えているところです。

某サイトで公開されてた「妄想END」の方がしっくりきたので
また再度そちらを読ませてもらうつもりです♪。

最終的に★の評価リセットせざるをえませんでした><。{/netabare}


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最終話でσ(o・ω・o)が感じていた違和感の正体は
ひょっとしたら今現在(2017.9.27)の事態の前触れだったのかも・・?
と、今になって感じています。

明らかに死に絶えてしまっていた本コンテンツを
奇跡的な手腕によって蘇らせてくれたのは、間違いなくこのアニメ1期です!!。

アニメ1期に込められたさまざまな製作者様方のそれぞれの想いと、途方もない努力と愛情。
それらなくしてこの奇跡はありえなかったと思います。

自分が魅せられたのは
そういった「作り手の魂が感じられる過程」であり
放送終了後にも絶えず提供してくれたサービス精神その他もろもろです。

残念ながら本作は放送されていた途中において
まったく予想していなかった大反響となり
販売戦略が大きく見直されてしまったのではないか?と、自分は勝手に想像してしまっています。

1期ラストで、本来ならばしっかりとした終止感ある1作品として
終わる予定だったのではないかと思いますが
途中で方向転換の指示?がかかり、やむなく2期制作もあるかも的な
うやむやな終止にせざるをえなかったのではないでしょうか?
(えらいひとのしじによって)

そこまではまだ良しとします。

どうしてこのタイミングで
本作をここまで立て直してくれたクリエイターの方々や関連会社さん
また、ひょっとすると担当声優さんに至るまで
切り捨ててしまう・・なんていう判断がくだされたのですか???。

現状では真実は闇のままですが

なんかこの闇は、本作で描かれていた不穏感そのものですねw。

まさかこんなカタチで本作が幕を閉じてしまうことになろうとは、思ってもみませんでした><。
・・リアルはフィクションよりも〇〇ってことですか??。

もう本日現時点以降の、いかなる新たなけものフレンズコンテンツも
自分にとってはとても受け入れ難いものとなってしまいました・・><。

非常に残念です。。。。

ということで、アニメ1期はもともとつけていた★5評価に戻させていただきます。
(期待を込めてあえて下げていましたが、もうそうする意味もなくなってしまったので・・)

某監督はもちろんのこと1期のスタッフ様方やキャスト様方抜きのアニメ2期であるならば、それが永遠に制作されないことを切に願います・・><。


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>新たな動きで感じたこと
まず、岡田〇〇〇さんの動画を拝見しての感想です。
基本的に「トップをねらえ!」でスゴくスゴく尊敬している方ですが
いろんなスキャンダル報道もある方ですよね~><。
もちろん語られていたすべてを鵜呑みにするワケではないですが
とても「なるほど~」と思ったり「そういう側面があるのか~」と参考になりました。

やっぱ「金のなる木」問題といった側面もあるでしょうね。。
さらに大きな「金のなる木」にするのか
もしくは今のサイズの「金のなる木」で地道に続けるか。
とても興味深いテーマでした。
たしかにガンダムなんかは、当時続編に絶対否定的だった自分でしたが
後々振り返ってみると、そういうので得られた意外性の産物って
そういった判断が下されなかったら生まれなかったわけで
ベースとなるアニメ1期がが売れた現在、さらに多くの人の手にゆだねてみるのも
ありといえばありなのかもしれないですね・・。

でも、本作に限って考えてみると
σ(o・ω・o)は、本作はそういった展開は似合わない作品だと思います!!。

細々とクリエイターさんが地道に頑張ってるのを
かげながら応援させてもらってる的な満足感というか
メジャーじゃないからこそ好きっていう優越感というか
放送が終わってからも意外なもの(自主制作的なものだったりコラボだったり)
で、終わらないコンテンツ化してくれていた某監督の功績は
ほんっっっっっっっっっっっっっっとに計り知れないと感じています!!。
(メジャーになりすぎると逆に冷めてしまう可能性大です)

ゆえに、現在の流れのままに
違った監督の手によって大々的に大きな予算と体制で2期が制作されたとしても
それが現在のファン層には、とうてい受け入れられないものになってしまうでしょうね。
(そこは明白だと思います)

さすがにこの点においては某KAD〇〇〇〇〇さんも声明?発表に至りましたね・・。
願わくばいろんな関係者がうまく和解してくれて
制作者様側、キャスト様側、版権者様側、視聴者側、すべてがwin-win-winに到達する未来を希望します。


某監督のあの例の引き金ツイートは
一般的に考えると、社会的マナー?から若干逸脱してるのかもしれませんが
自分にとっては、とても勇気付けられたツイートでした。
おかげで自分が望む未来へのわずかな希望が残されたわけですから。

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>2017年、年末を越えて

もう何というか、ある意味本作ほど現実世界とリンクした作品って・・ない!と思いました。
やはりヒトはフレンズにはなり得ない存在だということが証明されてしまった気分です・・><。
これでもまだアニメ2期に期待したり、新規アプリ等を楽しめるファンがいると
本っ当に思っているのでしょうか??。

新規アプリはまた過去の産物に逆戻りするようですね・・><。

少なくとも今までの自分は
メディアミックス展開される作品は
アニメはアニメ、漫画はマンガ、ゲームはゲームと
それぞれがそれぞれの独自の味のある
”同じ作品名だけど全くの別作品”だと思っていましたが

本作に関しては、「それが許されない」ようですね・・・・(絶句)。

他の別作品でも2期を切望してる作品があるのですが

こういうのを目の当たりにすると

1つアニメが作られるのは

いろんなもろもろのタイミングが偶然一致した

ほんと、奇跡のカケラみたいなモノなのかもしれないですね。

・・しみじみ実感させられました。


ってことで、けもフレアニメは自分の中では1期で完全に完結してしまいました><。

投稿 : 2023/06/03
♥ : 56
ネタバレ

pister さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

受け過ぎちゃって困るの

2話まで視聴。
{netabare}これは…外の世界はどうなってるんだ?そもそもジャパリパークとはなんなんだ?という、世界の謎に迫る作品だったりするのかな?
のんびりした教育系アニメに見せかけ、ディストピア方向に話が進んだら化ける…かも?
ってか、1話最後に出てた追跡してたっぽいヤツの出番ナシって、忘れてしまいそうだ。
ってか1話で2度目のセルリアン登場前に「きゃー」って言ってたのは誰だったんだ?どうなった…?


…。
まぁそんなことよりヤツデの話をしよう。
自称園芸ヲタ(面倒だからそう略してるだけで実際はニワカ)による、本編とは恐らく全く関係ない園芸ウンチクをば。

2話で熱帯雨林ゾーンに入った際、ボスの説明でここは樹木が層になっていて、ツル植物のように他の木を利用するのも多いみたいなことを説明してるシーン。
その時画面にはある植物がアップで映ってるのだけど…。
ツル植物のことを話してるのに、また熱帯植物でなくてはならないハズなのに、

どこからどう見てもヤツデ

場面的に考えたら難しく考えないでポトスでもモダマでもいいのに、何故にヤツデ?
あ、けしからんと怒ってるのではないです、むしろクスっと笑ってしまいました。
ひょっとしたらスタッフは天才なのかも知れない、もしくは外国人?

というのも、ヤツデってのは日本なら裏庭や神社など、そうでなくてもどこかに勝手に生えてるほどお馴染みの植物で、見たことがない人ってのはそうそう居ないかと。
それだけ身近な植物のせいかあまり注目されてないけど、実は海外では結構人気のある植物らしい。
冬に雪が降るような寒い地方でも、あれだけ大きな葉っぱで常緑のまま過ごす植物ってのは貴重らしい。
また、Fatsia japonica(ヤツデの学名)で動画検索すると面白い生の声も聞けたり。
カナダのハーディネスゾーン8a(北関東以北の低地部と大体同じ寒さ)の地域に住んでて、庭をサブトロピカルガーデン(南国風庭園)造りしてる方が複数の動画をアップしてるのだけど、
そこでヤツデをベタ褒めしてます。
(日本ではあまり馴染がないけど、海外では南国風庭園って珍しいものでもないっぽい)
英語殆ど分からないけど褒めてるというのは分かる、ベリービューティホーとかベリートロピカルルッキングくらいは聞き取れるので。
要はヤツデを南国っぽい見た目(それでいて寒さに強い植物)として重宝してる。
仕立て方も日本とは違って、日本では大体背丈を抑える方向に剪定するものを、トロピカルガーデンではむしろグネグネと丈を伸ばし、いかにもシュラブって感じに作ってます。
こんな仕立て方があるのか、とちょっとビックリ。
それ以前に日陰を好む特性上、最後まで雪が残るような場所に生えてるヤツデを普段から見てた自分としては、南国風と捉える発想自体がビックリでして。
確かにヤトロファやヤツデアオギリとか本物の南国植物でヤツデと似た葉をした植物はあるけど…言われてみれば、へーえなる程ねぇ、いい勉強になった。

で、そんなリアル海外事情を知った上で話をけものフレンズに戻すと、クスっとこないかな?
アニメーターもそういう海外事情知ってて敢えてヤツデを充てた?そもそも担当が外国人とか?独創であのシーンにヤツデを充てたとするならかなり優れた発想力の持ち主かと。
まぁ「ここに熱帯の植物のアップ描いといて」って指定されたのが回ってきて、妥当な資料が無くてどうしようどうしよう慌てふためいて、たまたま近くに生えてたヤツデを使っただけなのかも知れない、日本ならアニメスタジオの裏に生えててもおかしくないので。
またはひょっとしてひょっとして、ジャパリパークの所在地が実は…っていう伏線だったりして!?(さすがに分かりにくいって)
と、なかなか想像が捗ります。

たった1カットの画像だけで何言ってんだ?
と自己ツッコミも一応しておこう。
ちと縁あって去年から育ててるってこともあるかな、まだ発芽したばかりの小さい苗だけど。{/netabare}

5話までの感想、ってか考察?
(ゼーガペインとDTエイトロンのネタバレもあるので一応注意)
{netabare}あの世界はDTエイトロンとゼーガペインを足したような感じじゃなかろうかと予想。
量子コンピュータなりで動物のデータを保存してあって、けどコンピュータの仕様の問題でプログラムは常に実行し続けてなくてはならない、とか。
で、その実行方法は幻体にループさせときゃいいってのではなく、エイトロンのような水素結合体だか珪素だかなんだか、少なくともなんらかの実体を持ったフレンズという形態が必要。
原則一体のフレンズに何百個体分のデータが詰まってる。
ってかスタッフは結構動物について詳しいみたいだし、50・500測(あーもうググってちょ)は知ってると思う。
ということで50個体以上の情報の詰まったフレンズは目にハイライトがあって、50を切ってる・またはスキャンではなく手打ちで組んだ幻体プログラム(架空の生物など)はハイライトなし。
セルリアンはDT保有者を探してる?もしくは全てのDTが集まって元の動物に戻すために回収してるとか。
って感じじゃないかなー、と考察してみたり。

けど、あんまり深く考えるのはやめといたほうがいいかな?
ちょっと話が逸れますが…
今まで他のアニメで感じたことがあるのだけど、主人公とその周辺だけしか人物が画面に映ることはなく、それでいながらやれ戦争だやれ世界を守るだのやられると「盛り上がってるのは主人公と周辺だけでそれ以外は滅亡してんじゃね?」と思ってしまうことがしばしば。
自分があにこれでそれを書いたのでいえばアンジュヴィエルジュやイリアドライ、感想を書いてない作品でもそう思ってしまうのは多数あります。
またはもうちょい深刻なものでは幸せのパンのように「実は主人公は死んでて(幸せな世界に飛ばされたけど)気付いてないだけなんじゃ?」と思ってしまうようなものまであったり。
要は戦争や世界の危機を謳っておきながらそこに住んでるハズの一般人=守るべき対象(文民でも家族でも国土でも)が不在だと、個人的にはすっごく気持ち悪く感じてしまうんですよね。
まぁこれは単に予算の問題で群衆を描いてなんかいられないって事情があるんでしょう。
(もうひと言、主人公周辺のみという狭いコミュで偏った価値観に支配されて全員が右向け右するのも気持ち悪く感じる。ワザとそうしてるのならいいけど作ってる側もそれに染まってるように思えるやつはちょっと…)

で、けものフレンズに話を移すと──
「低予算で作るとそういう印象を持たれてしまう作品になりやすいというなら、いっそその通りの話にしてしまえ」という逆転の発想で作ったのではなかろうか?
もうちょい言い方を変えると、滅茶苦茶予算が少なく、そんな中で「どうにか形になる話を考えたらこんなのになっちゃいました」って感じではなかろうか。
「描くのが面倒なのはフレームアウトさせて映さない」とか、顔の3Dモデリングの…えっと雛形っていうの?テクスチャ剥がしたワイヤーフレーム状態はgdgd妖精から流用してる?とか、2話のフレンズ紹介は止め絵に留めて口パクすらさせないとか、とにかく予算が無い感じはひしひしと伝わる。
そんな中でよくアニメ化にゴーサイン出したものだと呆れる一方、大変な中作ってるスタッフは報われて欲しい=作品が成功して欲しいと判官贔屓してしまう側面もあると思います。

ただねぇ、あくまで低予算で作れる話を作っただけで、そこまでヒットを狙ったワケでもないだろうってことも思ったり。
作った側自身が今後期待に沿える展開になってるかどうかヒヤヒヤしてるんじゃないかなぁ?
ってことで期待はしてるけどそこまで過剰ってほどではありません。
ってことで考察も程々にしてあります。
琴浦さんみたいなことにならないよう願うばかり…(琴浦さんが悪いって訳ではなく、加熱っぷりが、ね)。


ところで吉崎観音といえばメルティーのゲーメスト(新声社)は、後期にはサントラをCDではなく書籍扱いとして販売してました。
けものフレンズも円盤はガイドブックの付録ってことで書籍扱いらしい。
吉崎観音本人のせいではないだろうけど、妙な販売手順を踏むコンテンツに縁がありますなぁ。{/netabare}

全話見終わっての感想
{netabare}放送中の一番の懸念材料は、ヒットはしたものの作ってる側がどこがどうヒットしたのか理解してないのではないか、いつ“ウケてたポイント”を外してしまうのではないか、とヒヤヒヤしてたのですが大きく外すことなく最後までやりきってホっとひと安心。
他の回に比べ評判の悪い8話(PPPの回)も、「フレンズの体は集合データ体で本物の動物のソレとは根本的に違う?」と疑ってたヒネクレ者の自分としては「マーゲイの鼻血」によってその可能性を否定してくれた重要な回だったり(流血すら擬態の可能性はあるけど)。
なによりその8話、観客の描きこみが雑で(ついでに何度も登場した木は枝垂れ柳っだと思うのだけど、それすらも雑)、人手や予算的にもうこれが精一杯といわんばかりでした。
おかげで11話を終えての最終回の予想時、全員集合の案は浮かびはしたものの手間的に無理じゃね?として早々に予想から除外してました。
そこへ全員集合を持ってきたのは、ベタではあるけど素直に驚くことができました。
これ計算じゃないよねー?たまたまだよね?

さて、肝心のウケた部分だけど、この作品の系統としては一応“白人酋長モノ”になるのかな?
かくいう自分も最近この言葉を知ったのだけど、要は文明の劣る蛮族の中へ文明が上な現代人を放り込んで凄い凄いと褒め称えられる系…詳しく書くともっと細かいんだろうけど、詳しくはググってちょ。
まぁ大抵の異世界転生モノがコレ。
ただ、よく見かけるラノベ系の異世界転生モノだと蛮族共はあくまで下の存在で、そこへ放り込まれた主人公の立場は絶対に上で、対等の関係ではないし教えることはあっても教わることはない(無双系なんかもこれに当たりますね)、といったものが多い気がします。
他者を下に敷くこと──これまた最近知った言葉だけどマウントを取ることに必死。
で、けものフレンズはそれとは違って、相手には対等に接し教えもすれば教えられることもある。
ぶっちゃけ、他の作品でマウント取るのに疲れたor飽きたところにこの作品がポーンと飛び込んできてヒットしたんじゃないかなーと思ってます。
感情移入するのは主人公だけって人ならまだしも、なんだかんだで蛮族側にも多少なり感情移入してしまうのが普通だと思うので、マウント取ってばかりなのは息苦しく感じてしまう人も多いんじゃないかなー?と。
ここの成分タグにもある「やさしい世界」ってのはそれを指してるのではなかろうかと。
また、酋長たる主人公は基本作家以上に賢くは描けないため、それより下な蛮族をあり得ないくらいアホに書かれるとウンザリするものだけど、そこを「元は動物」ということで気にならない作りだった点も大きいかも?

それと、これって全12話って範囲からは外れるけど名目上監督の趣味として投稿された12.1話、こりゃ凄いや。
いやね、今まで他のアニメ見てて思ってたのだけど、円盤の最終巻売り切るまでは忘れられないようになにか“繋ぎ”をした方がいいんじゃないかーってね。
やってるのもあるけど大抵はネットラジオも終わらせて、あっという間に記憶から消え失せてしまうのって勿体ないなーと思ってたんですよ。
ってかこの作品も最初はそうだったと思うんだけどね…そこはそれ、低予算・少人数制作による強み、フットワークの軽さを目一杯生かしているかと。
先にも書いた通り、何がウケたか理解してなくてそのうちポイントを外してしまうんじゃないか?という点を懸念してたのだけど、どうやら“強み”はしっかり理解してるみたいだし、今後もし続編やるとしても心配しなくて平気かな。


さて、褒めるのは以上で、以下はツッコミ。

最終回にボスがフレンズと会話しなかった理由で「生態系の維持」と言ってたが、ここでいう生態系とはなんぞや?
ボスがセルリアン退治に協力したのはあくまでヒトであるかばんちゃんを救うためだったり指示がそうであったから。
かばんちゃんが関わってない場所ではフレンズがいくらセルリアンに襲われようがボスは手出ししてないと思います。
つまりは、「サンドスターの影響で起きた現象はフレンズだろうがセルリアンだろうが分け隔てなく」生態系として捉えてた、と。
これって外部に人間が居て、サンドスターでどんなことが起きるのか“観察”してるんじゃなかろうか…実験観察みたいな感じで。
そういう方向で、サンドスターの謎に迫る話を(もし続編があるなら)続けてくれたら自分好みではあるのだけど…SFに寄り過ぎかな?{/netabare}

園芸ネタ
{netabare}ここではないどこかの感想でカレーの件、スパイスの材料を収穫するのは大変なのにという意見を見たことがあるのですが、それに突っ込んでる人は甘口カレー。
1話、例のキノヴォリのシーンで登ってた木、バオバブですが、それがあれだけ巨大に育つには数百年~千年以上かかります。
舞台の島で元から生えてた(その場合あの島はマダガスカル島になる)としても他の気候の樹木だって数十年かかるものはあるし、やはりここはサンドスターでどうにかなったと考えるのが妥当かと。
で、そこまでサンドスターでどうとでもなるのであれば、香辛料の栽培・収穫なんて容易いもんです。
むしろね、畑がとんな気候になってるのか、どんな景観をしてるのか見てみたい…けど描いたらボロが出そうなので描かない方が良いのは必定。

1話でサーバルが寝てた木は多分アカシア、種小名までは不明。
4話で出たサボテンが柱ではなくウチワだったのに拘りを感じる…って、監督関西の人なのか、それでか?{/netabare}


2017、9月26日追記・二期に向けての動き
{netabare}昨日、監督のたつき氏のツイッターで二期から外された報告が出され、現在ファンの間で混乱が起きてる模様。
自分もグッズを買ったり動物園に行ったりはしてないが、死に体のプロジェクトを復活させ、続々とイベントや商品展開やコラボ、更には二期決定などの躍進を眺めて他人事ながら目を細めていました。
で、そんな中冷や水をぶっかけるようなこの事態、そりゃあファンが混乱するのも当然だわ。

一方で自分個人は残念ではあるけど「まぁこんなもんでしょ」と思ってたり。
こんなの書く場所間違えるとやれ業者の消火だ対立煽りだ言われそうなのでここに書くことにしますが──
たつきを弾いたのは角川側らしい。
で、けもフレのヒットを受けての再放送したりゲーム化だったりを見てて、ちょーっと不穏な気分はありました。
二期決定は嬉しいけど、キッズ向け…というか長期コンテンツ化を目指しちゃうんじゃなかろうか?と。
酷い例を挙げれば、毎回新しいフレンズと出会ってその紹介をちょろっとやって事務的にセルリアンを倒す、のテンプレ化。
「あの世界の謎」に追及(縦の広がり)することなく、フレンズのストックだけは膨大にあるのでそれのキャラ推し(横の広がり)しかやらない、とか。
角川側がそっちを指示してたつきが首を横に振ったって感じじゃないのかな~、と思ったり。

いやぁこれって角川は前例があるので…。
ストライクウィッチーズ、あれなんかそうじゃない?
{netabare}一期で提示した謎「人型ネウロイの登場で人類と意思疎通ができて将来武力以外の解決の道が開けるかも?」っていうのを二期でまるっと投げ捨て、ただ単にネウロイを事務的に倒すだけの展開にしてくれました。
二期はまだギリギリキャラ人気で持ったけど、その後のブレパンではそれも限界が来て別部隊メインにして、しかも501ゲストにしてももうボロボロという、そんな前例があるじゃな~い?
そこまでなっても相変わらず「ネウロイって何やねん」「戦争を終わらせる」っていう根本解決・縦方向へ話が進まない辺りどこまで続けるんだ?と呆れるレベルなんだけど、けもフレもそっち方向に向かわせる気なんじゃないかなー、と。
(ってことを考えると高村監督もかなり断腸の思いで二期やブレパンの監督やってたのかなぁ、と思えてきたり。ビビオペは知らん){/netabare}

自分的には横ばっかりに話が広がっても付いていけなくなります、ってか飽きる。
やっぱり根本解決…すぐさま解決しないでも縦方向への広がり(謎を解いても新たな謎を設置する)が無いとどうにも楽しめない。
もっと欲を言えば「完結しちゃって絶対続編は出せません」ってくらいの作品を見せてもらいたい。
で、けもフレは酷い言い方をしてしまうと受け過ぎた。
ギリギリ二期やれるかやれないか、コケても別にいいやって位が丁度良かったんだけど…。
で、もし長期化キャラ推し世界観掘り下げナシ展開であるなら、たつき続投でも多分大して面白い作品にはならないと思います。
だったらもう降りるのもひとつの手かなぁ、と。

いやぁ…根っからのファンには申し訳ないですが色んな意味で二期が楽しみになってきました。
ホントにキャラ推しするだけだったら見るの止めます、ストパンで懲りた。{/netabare}

2019、2月10日追記
一度ちゃんと考えをどこかにまとめておいた方がいいかなぁ、と思い、この場にて追記。
けもフレ放送以降の騒動と、けもフレ2とケムリクサの両方に対するスタンスといいますか。{netabare}

まずけもフレ1は個人的に評価は高いけど、もしかしたら世間の多くの方が評価してるのとはポイントがズレてるのかも知れない。
で、そんな自分が評価してるポイントは「薄氷の上のユートピア(それってディストピア)感」。
これはどこで書いたっけかなぁ、異世界転生系で多いけど主人公ageするために現地人無能化が行き過ぎて、主人公登場してご高説垂れるまでどうやって生きてきたのか不思議に感じてしまう作品、自分はそういうのがどうにもダメで。
でもってけもフレも、一見するとフレンズ達は狂気レベルで頭お花畑で「どうやって今まで生きてこれたんんだよ?」とツッコミたくなるところを、ちゃんとそれの理由が明かされてる。
サンドスターによって強靭な肉体を持ち、糧は無条件でラッキービーストがじゃぱりまんを配給してくれる。
生物として一番重要な繁殖をオミットし、今以上に快適な生活を得ようという欲求(あいつより良い生活がしたい→略奪)も薄い。
ただひたすら与えられるものに胡坐をかき、退屈で退屈で娯楽に飢えてるのであれだけ優しく接することができる。
物凄い悪い言い方をしてしまうと「ラッキービーストに管理されてる・飼われてる」世界であり、フレンズがそれに気付くか気付かないかギリギリのところを踏み止まってる「あやうさ」にこの作品の魅力を感じたのです。
(だってねぇ、ラッキービーストがじゃぱりまんの配給止めたらどうなる?殺して奪い合う殺伐とした世界しか思い浮かばないぞ。
またはじゃぱりまんを独占することに娯楽を感じるフレンズがいつ現れるか分かったもんじゃない。
もしくはそういう世界のバランスを崩すフレンズを処分するためにセルリアンは存在してたりして?とか、考え出したらそりゃあ考察が捗る)
なので最終回でクマが博士に指示されて屋台開いてるシーンでは「あ、略奪と身分格差の生まれる前触れか?」と不穏なものを感じてたり。
ポスアカ要素はあくまで「ラッキーに飼われてる」って条件を作るための装置であってそれがメインじゃない…というか、ポスアカとディストピアのバランスの絶妙さが素晴らしいワケで。

ふと思ったけどこの世界設定は“祝福のカンパネラ”が似てるかな?他にもあるんだろうけど。
{netabare}一見人々は豊かで穏やかな暮らしをしてるように見えて、実はそれを支えてるのはロストテクノロジーのマナ発生装置のお陰で、今や誰も修理できないそれにガタが来始めてるっていう設定。{/netabare}
自分こういうの好きみたい。

そして気になるのは、この「ポスアカとディストピアの絶妙なバランス」は偶然なのか実力(狙ってやったもの)なのかという点。
たつき降板による騒動はそんなに気にしてない、前にも書いたけど仮に続投したところで周囲からの注文が煩くてロクなもんにはならなかっただろうと思ってるので。
なにより10年だか100年だか続くコンテンツとか言ってて、完結させる気が無い作品はもう見たくないなーとも思ってて。
ここら辺で「たつき続投だったら100年続く名作になりえたのに」と言う方とは意見が合わない。
ってか「IQ溶かしてたーのしー言ってるのが楽しい」って方とも合わないし、やっぱ自分はポイントがズレてるのかなぁ?
(合わないだけでその方々の意見を否定する気はないです、むしろそういった幅広い層にウケたのが凄い。あ、でも「完結して欲しくない(すぐに続編続編騒ぐ)」って人はちょっと…)

そんな中、幸か不幸かケムリクサとけもフレ2とで分かれてアニメが作られることとなり、じゃあどっちが自分が評価した部分を踏襲してくれるかなーと注目してます。
どちらか片方を贔屓するってことは無いし、ひょっとしたらどっちも自分の評価ポイントとは別な部分推しになる可能性も…。{/netabare}

投稿 : 2023/06/03
♥ : 35

75.2 6 ペンギンアニメランキング6位
白い砂のアクアトープ(TVアニメ動画)

2021年夏アニメ
★★★★☆ 3.6 (421)
1254人が棚に入れました
「――見えた?」くくるは、そっと、がまがま水族館のヒミツを教える。「ここではときどき、『不思議なもの』が見えることがある」夏の日差しが降り注ぐ、沖縄。那覇市内からバスに乗り1時間あまり揺られた先に、その水族館はある。沖縄本島南部、美しいビーチのすぐ脇にある、ちいさな、すこしさびれた「がまがま水族館」。18歳の女子高生・海咲野くくるは、そこでまっすぐ、ひたむきに仕事をしていた。祖父に替わって「館長」を名乗るほど、誰よりもこの水族館を愛している。ある日くくるは、水槽の前で長い髪を揺らしながら大粒の涙をこぼしていた女の子・宮沢風花と出逢う。風花は夢だったアイドルを諦め、あてもない逃避行の先に、東京から沖縄へやってきたのだ。がまがま水族館に流れる、ゆっくりとした、やさしい時間。居場所を求めていた風花は、「水族館で働きたい」と頼み込む。出会うはずのなかったふたりの日常は、こうして動き始めた。しかし、がまがま水族館は、「不思議」と一緒に、「閉館の危機」という大きな問題を抱えてもいた。迫りくるタイムリミットを前に、ふたりは立て直しを目指して動き始める。かけがえのない場所を、あたたかな寄る辺を、守るために。

声優・キャラクター
伊藤美来、逢田梨香子
ネタバレ

やぎゃあ さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0

テーマ(コンセプト)がやや迷子

【作画(キャラデザ、背景など)の評価】
私はP.A.worksの作画の虜で、同社の作品は内容に関わらず視聴することにしています。

本作も作画は大満足。特に海を見ていると沖縄行きたくなりました。
キャラデザも女性は可愛く、男性はかっこよく描かれていたので満足です。


【物語のざっくり評価】
要所要所では明るい展開がありますが、大部分はわりと重苦しいです。なんとなくスッキリしない展開がずっと続いていた印象を受けました。P.A.Worksの十八番の「お仕事アニメ」と思って手を出すには・・・お眼鏡にかなわないかも?

全体的に『厳しい現実を味わうのも一興』ということを描いている作品でしたね。


【キャラの評価】
キャラクターの深堀が物足りない部分が多かった印象です。おそらく尺が足りなかったんでしょうかね・・・。せっかくの個性が埋没しちゃっているキャラが多かったように思います。

例えば {netabare}おじぃに関しては、個性的で好きなキャラではありましたが、その伝説っぷりは全然伝わってこなかったです。空也にしても、なぜあんなにも女性嫌いになり、なぜ夏凛さんだけには少し気を許せるのか・・・もう一捻りドラマを描けたのでは。味のある個性を持っていたのに活かしきれていないのが惜しかったですね。{/netabare}

あと私の価値観と相容れないキャラや、人としてどうかと思うキャラがいたのは残念でした(後述)。

ちなみに、外見はみんな甲乙つけがたいですが、内面で見るなら、観光協会の夏凛さんと定食屋のうどんちゃんがお気に入りです。

頑張り屋だけどちょっと空回りしている くくるも好きですし、面倒見のいい風花も悪くはなかったんですが・・・、くくると風花の関係性が終始気持ち悪く感じてしまいました。くくる単体、風花単体でなら何ともないんですが、この2人が揃うと・・・何とも言えない気分に。


【物語の総評】
描こうとしているテーマ(コンセプト)がやや迷子になっていたように感じました。特に1クール目と2クール目では、別作品でも見ているのかと感じたほどに。

純粋な恋愛観を描きたいのか、複雑な恋愛観を描きたいのか、青春を描きたいのか、仕事観を描きたいのか、人生観を描きたいのか、ファンタジーを描きたいのか・・・。すべてを良いとこ取りしようとした結果、すべてが中途半端になってしまっていたように感じました。

中途半端なままだと「その要素入れる必要あった??」という印象で終わってしまいます。いろんな要素を取り入れるからには、そこに「明確な意図」があってほしい・・・かな。

P.A.Works作品の中で、
複雑な恋愛観なら「凪のあすから」、
青春(努力&友情)なら「TARI TARI」、
青春(恋愛)なら「色づく世界の明日から」、
仕事観なら「SHIROBAKO」「サクラクエスト」「花咲くいろは」など、

とパッと形容できますが、本作は何と形容していいものか・・・。

心温まる話、グッとくる話、クスッとくる話など・・・要所要所では楽しめたエピソードはちゃんとありました。ただ、ややコンセプトが迷走ぎみなせいで、全体的に見ると「何を伝えたいのだろう?」と感じてしまう部分が多かった・・・かな。

あと私が一番引っかかったのは、この作品は全体的に「不可解な価値観」が漂っているように感じた点ですね。(詳細は2クール目以降のレビューにて)


【作者に対して一言】
{netabare}くくるの人生を決めるのは「くくる自身」じゃないでしょうか。周りの大人たちが「くくるにはこれが必要だ」「くくるにはこういうことをやらせたい」と、くくるの成長像を勝手に描くのはやや傲慢だと感じました。

もちろん、自分の人生の進路が「希望通りにならない」のは仕方のないことだと思います。くくるの希望はともかく、くくるの適性から必然的にマッチングされた配属であれば、何も問題ないです。すべてが思い通りにいくわけではないことも含めて人生ですし。

ただし「くくるが望んでもいないこと」を「くくるの適性も考慮せず」、「第三者の思惑」で押し付けるのは傲慢じゃないでしょうか。くくるが最終的にどう思うかは、ただの「結果論」です。その過程が傲慢だと感じました。

ちなみに、おじぃとティンガーラ館長の思惑(意図)をもう少し詳しく描いて欲しかったです。尺の都合だと思いますが。{/netabare}


(以降、各話視聴時の不定期レビューです)

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<10話視聴時点の感想>

正直 今の所は盛り上がりに欠けるなぁと感じています。ただ10話視聴した時点で2クール目があると知ったので・・・最終評価は先送りします。おそらく劇的に展開するのは2クール目からでしょうから。

{netabare}1クール目はおそらく『のれんに腕押し』という状態を描いているのでしょうね。くくるがあれこれ試行錯誤しようが『がまがま閉館』という絶対的な未来は揺るがない、と。鳴かず飛ばず、打てども響かず。

ただ見方を変えると、ここまでの話で『明確な山場』が無いような気がするんですよね・・・。くくるが「手痛い失敗」をするわけでもないので、挫折や後悔や反省をするわけでもなく、故に壁を乗り越えて「成長する」という展開もない。

何かを試してはカレンダーと睨めっこし、また何かを試す・・・。ただひたすらに『何をやっても、何も起きない』という展開で悶々とするだけ・・・。たぶんこれが盛り上がりに欠ける理由なのかなぁ、と。

おそらく、すべては1クール目のラストで絶望を突きつけるためのお膳立てなのでしょうね。なので1クール目は終始スッキリしない展開が続きそう。たぶん劇的な展開は全部2クール目に回しているのかな?と予想してます。{/netabare}

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<1クール目ラストと2クール目予想>

まだ残り何話か残っているでしょうが先の予想を少し・・・。

{netabare}製作スタッフのプロジェクト名が、2クール目の展開を示唆している気がします。

アニメの制作チームが『Project ティンガーラ』を名乗っていて、作中で新しく建設中の水族館の名前も『アクアリウム・ティンガーラ』って言ってましたからね。喧嘩別れしたティンガーラの研修生とそれっきりなんてのも不自然ですし・・・本作の本当の舞台はそっちなんでしょうね。

ということは、『がまがま水族館はもう・・・』ってのが1クール目までの話なのかな?{/netabare}

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<11〜12話/13〜17話の感想>

{netabare}やはり がまがまは閉館する運命だったんですね。ずっとモヤモヤする物語でしたが、くくるがそれを受け入れる過程はグッとくるものがありました。

2クール目があると知った時点で、1クール目は『視聴者にとって我慢の時』なんだろうなぁと受け止めていましたが、ようやく新しい風が吹き、重かった空気が流れて行くのを感じました。

そして、2クール目からの展開が予想外すぎて笑ってしまいました。嫌味な意味ではなく「なるほど〜、そうきたかぁ〜w」的な感じで。舞台がアクアリウム・ティンガーラに移るとは予想していましたが、まさか飼育員ではなく企画の仕事だったとはw ストーリー展開もだいぶSHIROBAKO路線になりましたね。P.A.Worksの十八番と言ったところでしょうか?w

1クール目とは打って変わり、物語がテンポよく動いていてます。今の所は好印象です。

がまがまで出会った研修生との再会、彼女との衝突と和解、新しい職場での奮闘・・・テンポ良すぎて私が予想していた内容はあっという間に消化してしまい、もうこの先どういう展開になるのか読めませんw {/netabare}

先の展開が楽しみです。

ただ余計な一言を付け加えると、1クール目と2クール目は別物のアニメを見ているような印象を受けていますw

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<ストーリー全体で気がかりな点>

まだ2クール目中盤ですが、一旦この作品の気がかりな点をまとめておきます。

(※長文注意)
{netabare}私は “自分の人生の進路を他人に委ねる考え方” が好きではないので、登場人物の『進路の動機』は気に入らないです。この点は一貫して残念なアニメ。

仮に、夫婦や、きっと将来を添い遂げるんだろうなと想像できるほどの関係など、「自分の人生を委ねるに値する人間関係」において委ねることは、何も違和感は感じないですが・・・。

例えば、カイは {netabare}恋わずらいで くくると同じティンガーラに就職先を決めた点。バイト時代はまだわかります。しかし『人生の進路』ともなれば話は別です。“あの子と離れたくないからついて行こ〜”って考え方が本気で苦手。

特にカイは漁師の息子で、釣りも好きで、海も好き・・・であれば『恋わずらい』という要素を抜きにすれば漁師を継ぐのが自然。でも水族館に就職した。なぜ?それは『恋わずらい』のせい。

潔く告白はできないくせに、勝手に『くくると人生を共に歩む』という願望を抱き、就職先にまでくっついて行くという粘着さが気味が悪い。いや、その重大決心ができるならせめて告白せぇよ!w 話はそれからでしょ。就職先が同じじゃなきゃ恋愛できないなんて世界じゃないでしょうに・・・。婚約者どころかまだ恋人ですらないのに、自分の人生を「くくる基準」で決めているところがキツイ・・・。

ならば、もしも カイの知らぬ間にくくるが別の人と恋をし結婚してしまったら、『カイの人生って何なの?何でお前ここにいるの?』ってなっちゃうじゃないですか。

こういう「恋愛観」と「人生の進路」を結びつける動機は苦手。{/netabare}

あとは、風花も同様です。というか風花の方が極めて重症。ことさらに {netabare}「くくるのため」「くくるが心配」「くくると一緒なら」という感情で行動し、きわめつけは“くくるがティンガーラに行くって言った時から決めていたんだ”は寒気がしました。

ならば、もしも くくるが企画の仕事にうんざりして仕事辞めると言い出したら、風花もまた辞めると言い出すんですか?・・・そこまで行くともう気持ち悪いですよ。これもやはり『風花の人生って何なの?』案件です。

あと全然しっくりくる理由もなく くくると風花が物語冒頭からひかれあっていることに、百合っぽさが感じられて嫌です。特に2クール目で、おじぃからくくるの住所を聞き出して「隣の部屋に黙って引っ越してきた」のはもはや鳥肌もの・・・。

例えば「社員寮でたまたま隣室になった」という設定だって、同じ展開は描けたであろうに・・・。むしろ社員寮という設定の方が、仕事の合間にみんなで集まるという展開にも綺麗に筋が通るでしょうに。私は戦慄しましたが、作者としてはそこに強いこだわりがあったのでしょうね・・・。

例の母子手帳が登場した時に『あ!もしかして二人がひかれ合っている理由は、生き別れの姉妹なのか?』と期待しましたが、あれは普通に死産した双子の姉らしいですからねぇ・・・。なら なおさら二人の意味深なひかれ合いは何なのよ?って。『百合要素を入れたかった』以外での説明がつかなくなってませんか?w{/netabare}

率直に言って、こういう人たちの『人生観』は私の肌には合いません。いや、特殊な価値観(百合)については別に棚上げしても構わないですが、『恋愛観と人生観を直結させるストーリー』は苦手です。特に青春ラブストーリーでは『好きな人と同じ学校に行きた〜い!』という動機で描く作品がありふれてはいますが、正直 私の性に合わないです。

恋愛にしろ友情にしろ特殊な価値観にしろ、『自分の人生の進路』を他人を基準にして決めてしまう人には共感できません・・・。それが他人ではなく、『将来を誓い合った間柄』か『それに相当する強い関係性』であれば許容しますけど。

ちなみに異性愛だろうと同性愛だろうとそこは構いません。私にとっては『ちゃんとお互いの人生の責任を持てる関係性か』が重要なんです。それであれば、お互いを基準にして進路を考えるのは構わないです。

そういう展開を描きたいなら、その展開を迎える前に『そういう関係性をちゃんと築いてくれ!』って言いたいんです。設定上そうなんです、じゃ通らないです。視聴者がそれを受け入れるようにストーリーを描いてもらわないと・・・。

ちなみに、夏凛さんや うどんちゃんの『人生観』は好きです。

夏凛さんは{netabare}最初から水族館で働きたい想いを持っていたけど、いろんな事情があって諦めてしまったものの、移動水族館を手伝ったのをキッカケにその想いが再燃し、一大決心してティンガーラに転職したってのは共感できます。この動機なら応援したくなります。{/netabare}

うどんちゃんも{netabare}『料理の腕を磨いて自分の店を持つ』という目標に向かい、実家?の店を飛び出して新天地で様々な料理を覚えようと努力している姿勢は応援したくなります。{/netabare}

2クール目から明確に「お仕事アニメ」路線に舵を切ったと感じていますが、お仕事アニメに必要なのは夏凛さんや うどんちゃんのような人。カイと風花の設定は足かせになっている気がします。

あとは『進路』の話からは脱線しますが、知夢さんの設定はちょっと苦しい・・・。現実的に考えてしまうと、{netabare}『子供がいることを隠して働いている』方がよっぽど職場に迷惑をかけると思います。・・・現にそういう脚本に仕立て上げてますし。

この流れは『くくると知夢を喧嘩させたい』という結果(結論)から作り始めてしまった『逆算式シナリオ(結論ありき)』に見えましたね。だいたい『逆算式』で脚本を作ると、設定やそこに至る過程が強引になりがちです。

特に『自分の上司にだけ打ち明けている』って状況がよくわかりませんでした。上司がそれを受け入れてくれている前提があるなら、なおさら職場全体で共有した方が良いかと・・・。みんなでフォローするように指示を出すのも、角が立たないように職場を上手く回すのも上司(管理職)の役目でしょ。

知夢さんは過去の職場運に恵まれなかったことが「トラウマ」になっていたことは描かれましたが、だからってシングルマザーを隠す理由にはならないかと。それに、今の職場も以前と同様にギスギスしているって状況ならまだしも、今の職場は嫌味な上司でもなかったですし、嫌味な同僚でもなかったので、余計にしっくりこなかったんですよね・・・。

同僚視点で「理由のわからない仕事拒否」「何でか知らんけど特別扱いされている」なんて人がいれば、それを快く思わない人が出てきてしまうのはそりゃ当然でしょう・・・そう、くくるのように。くくるだって理由を知ってれば噛み付いたりしなかったでしょう。

トラウマを理由に隠したところで状況が好転するわけもなく、隠したがっていた動機には釈然としませんでした。喧嘩する理由を無理やり作ったように見えました。

喧嘩前後のシナリオは腑に落ちなかったですが、シングルマザーの設定が明るみになった以上は、ここから良い感じのキャラに育って欲しい。{/netabare}
{/netabare}

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<18話〜最終話の感想>

2クール目から雰囲気変わっておもしろくなり始めたと感じましたが・・・ちょっと期待しすぎたかな。

(※長文注意)
{netabare}要所要所で感慨深かったり微笑ましくなれる話もありましたが、要所要所で気持ち悪いと感じる展開が出てくるんですよね・・・。2クール目に流れ変わったと思いましたが、明るい雰囲気だったのは最初だけで、やはり大部分は重苦しい感じでしたね。

18話で朱里(バイトちゃん)の心境の変化を描いたり、19話で風花の心境の変化を描いたのは、キャラクターの深堀になっていて良かったと思います。

ただそれ以降が・・・。

心が折れて働けなくなってしまう人の気持ちはわかります。だからくくるが がまがまの最後を見届けることができず、そうまでして没頭した仕事もうまくいかず、心が折れて失踪する展開はまだ理解できます。

風花がくくるを親友として心配する気持ちもわかります。

ただ、うみやんからくくるの居場所を聞いた途端に、風花まで仕事を休んで飛び出す展開がやはり気持ち悪い・・・。うみやんの奧さんに保護されて民宿で羽を休めていると知って「ちゃんと安否確認できた」のに、自分の仕事を放り出す意味がわからないです。

それはそれで「風花の仕事に対する責任感」はどうなってんのよって・・・。これが『目撃情報のみで未だ保護されておらず、その後の行方もまたわからない」って状況が続いてたのなら、わからんでもないですが。

風花は序盤からここまでかけて「生き物の命」「生き物との関わり方」を学んできたはずなのに、突発的にシフトに穴開けるほどの事態ですかって・・・。何でちゃんとシフトを調整して有休とってから迎えに行かないのでしょうか。「生き物の命」と「くくるに “今すぐ” 会いに向かう」ってのを天秤にかけるのはおかしくないですかね?・・・もうその感情は「友情」ではなく「依存」じゃないでしょうか。

そしてUSTDプロジェクトの応募前は「くくると2年間も離れたくないからUSTDに応募できない!」、でも意を決して応募したのに、合格したらしたで「くくると2年間も離れたくないからやっぱり断る!」・・・もうどこまで気持ち悪いキャラとして描けば気がすむのでしょうか。

ここまでいくとさすがに、よくある友情や恋愛からは『逸脱しすぎた心理』ではないでしょうか?このアニメ、『強烈な共依存関係』を描きすぎですよ・・・。風花というキャラクターは、決して悪い人ではないのはわかりますが、この重度の依存関係がとにかく気持ち悪かったです。


あと最後の最後で唐突ですが、『副館長もとにかく嫌い』ということを書き忘れてました。このキャラは論外すぎて今まで触れるのを忘れてましたw

仕事に対して厳しい上司は嫌いじゃないです。むしろ「正しい厳しさ」を持ったキャラなら大好物です。ただ部下をプランクトン呼びするのは「厳しさ」ではなく「侮蔑(ぶべつ)」です。相手を見下す行為であり、上司である以前に人として失礼にもほどがあります。後から銀行員時代がどうのこうのと深堀しようとも、失礼すぎて関わりたくないです。

くくるのウェディングプランが一蹴されてしまった時に「これは想定内だ」と言いましたが、あれこそが「正しい厳しさ」でしょう。

あの言葉の真意は「相手からの厳しい指摘や要望を受けて初めて、自分のプランの見通しの甘さに気づくものだ。だから最初は一蹴されて当然だ。それを受けてお互いが納得いくプランを練り上げれば良い」という意図でしょうからね。

副館長はプランの落ち度に気づいていて黙っていたのではなく、副館長自身もどこにダメ出しされるかなんてわからんでしょうからね。「相手の話を踏まえて、お互いが納得のいくプランを練り直す・・・それが企画の仕事だ。落ち込んでいる場合ではない」と教えてくれているだけで。

この一幕で「副館長の良さ」が表現できるはずだったのに、それ以前のプランクトン呼びで全てを台無しにしてたように感じました。


あと空也とおじぃはもっと魅力的なエピソードが欲しかったなぁ・・・。すごく勿体無い。空也の立ち回りは割と気に入っていたんですが、全然活躍の場がなかったですね。ビーチフラッグの話しかまともにスポット当たらなかったのが残念。おじぃも結局何がそんなに「伝説の飼育員」たらしめていたのか深堀が不十分かと・・・。


と、ここまで結構な酷評をしてしまいましたが、夏凛さんと うどんちゃんの夢が結実したのは良かったです。そっちの展開をもっと厚く・熱く描いて欲しかったです。

特に夏凛さんは、飼育員に空いた1枠を巡り、元来飼育員だったくくるにその席を譲りかけそうになるも、意を決してちゃんと名乗りを挙げた流れはすごく良かったです。ちゃんと「譲れないもの」のために筋を通したのは格好良かったです。

くくるも、結婚式の企画成功を経て企画の仕事に魅力を感じ始め、後ろ向きではなく前向きな想いで企画の仕事を続けると言ったのは、すごく良かったです。ここはくくるの成長が表れていてグッときました。

ちなみにまた小言になっちゃいますが、おじぃとティンガーラ館長が、くくるの希望や適性をそっちのけで「企画」の仕事を経験させようとした意図を、もっとちゃんと深掘りして欲しかったです。飲み屋でのちょっとした会話だけじ物足りなかったです。

飼育員の経験を長く培ったくくるを差し置いて、夏休みにバイトしてただけのカイや風花を飼育員にするなんて、「第三者の意図」が無ければおかしいですからね・・・。おじぃと館長の話をもっと聞きたかったです。
{/netabare}

投稿 : 2023/06/03
♥ : 15
ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6

最終話の話を2クール目全体で描くべきだったと思います。

 最終話の話を2クール目全体で描くべきだったと思います。2人の成長や魚の搬入とか水族館の裏側を含め、このアニメに期待していたテーマは23,24話だと思います。

 本アニメの企画やテーマは良かったと思います。やっぱり物語として焦点の当て方と構成が好みではない感じでした。ただ、これは私の好みとしての話です。

 2クールのアニメを完結させたのは良かったと思いますし、沖縄の風景が最終話はなかなか良かったとは思います。とても綺麗な絵だったと思います。

 少し辛辣な批評をしてきましたが、考えてみれば最後まで見れたのはキャラ、特にダブルヒロインに魅力があったからでしょう。とにかく、オリジナルアニメにチャレンジすること、完結したこと、綺麗な作画については敬意を表したいと思います。

 ということで最終話は良かったと思いますので、終わりよければすべて良し、で評価を上げておきます。


追記 題名は本当に「白い砂のアクアトープ」で良かったでしょうか。キャッチ―でいいフレーズだと思いますが、本作をとことんまで煮詰めて行くとこの題名になりますか?
 この題名ありきだから、テーマがぶれたのかなあ…あるいは読み取れなかったのかなあという気がします。23話の時も描きましたが、言葉やセリフをもう少し丁寧に扱ったほうが良い気がします。




23話 キャラの言動に行間がなくて、奥行きが無さすぎます。

 なんていうか…これほど言葉だけで解決するストーリー展開も珍しいですね。週刊連載のマンガが打ち切りになる前に物語をバタバタ畳んだような終わり方ですねえ…アイドルの子の成長は2クール目では描かれなかったのに突然覚醒って…

 ダブルヒロインの物語として、本来この2クール目って、1クール目と2クール目の間になきゃいけない話だと思うんです。アイドルの子は目標に目覚めて海の勉強がしたくてアイドルを止めるであるべきだと思うし、くるるの世間が広がる過程とか…それが前提になってそこから先を描き切ることで成長が描けると思うんです。なんか本作は2人とも流されてその場の思いつきになっちゃってますよね。

 ですので、ここで言っている環境は、テーマ性ではなくてギミックの類ですね。ヒロインの行動の理由にしかなっておらず「環境」は他の理由に置換可能です。ですので、水族館も沖縄も何より環境も全然感情に染み込んできません。あるいは引っ掛かりがありません。アニメを使ってテーマを語る意味は、これが大事だと思います。
 
 ところが全部セリフで済ませてしまっている…あの子供とのやり取りも数話かけて話でやるべき内容を、数分の問答でごまかしているだけというか…イルカやウミガメが困ってるのを見て、なんとかしなきゃって…

 本当にここの制作会社の脚本は弱いですね。1クール目との連続性もないし構成も悪いし。
 なによりキャラの言動です。セリフと行動の「行間」がないですね。全部言葉通りです。表現されていないが故に内面の気持ちが更に浮かび上がって来て感動する、みたいなシーンが一つもありません。奥行きが無さすぎです。

 お話のためのお話かなあ…映像も1クール目ほどの感動もないしなあ…




22話 制作会社が好みに合わない気がします。もう好きにしてください…

 なんといいますか、2クールで本作を作成した意味をちょっと本気で考察する必要がありそうです。正直いえば私には面白さが全くわかりません。特に2クール目です。理由はいままで書いた通りです。もちろん最終回の確認はしますけど…。

 1話1話のエピソードありきで22話まで来てしまいました。本筋がなく、テーマがなく(あるいはくるるの成長のみ)、ウンチクがなくですね。そして、アイドルの子の悩みや解決すべき筋がないのはなぜ?だったら1クール目の意味は?と思うのです…いや、本気でわかりません。

 脚本の時点でこれでゴーを出した人の意図が全く理解できません。

 ただ、私はSHIROBAKOは確か2話くらいで切っていると思います。そういえば、P.A.WORKSのアニメで面白かったのが、アナザーしかなくてこれは原作付でした。かろうじてシャーロットかなあ…ただ、あれもなあ…あとは面白いと思ったことがないですね。ハルチカとかも原作付ですがそもそもアニメ化するような内容じゃないですし…神様になった日とか、ウマ娘とか…うーん合いませんね。

 SHIROBAKOの評判から言って好みの問題かなあ…今度からこの制作会社はフィルターの対象になるかもしれません。本作のラストを先に確認しますが。



18話 最後まで見守ろうとしましたが、18話最後で展開の予感があったのでレビューです。

 本作のテーマは?と聞かれた時にくくるの苦労と成長というのはあるかもしれません。1クール目でかき氷イベントしかできなかったくくるが、ウミウシをやったり、コスプレをやったりできるようになりました。
 ただ、成長としてはあまりに浅いですよね。確かに新入社員と入社1年目の差くらいはあるかもしれませんがこれは業務スキル、対人スキルの初歩の初歩です。成長を描くなら5年とか10年後を描かないと。そうしないのは、くくるがティーンじゃなくなるから?

 今時部下をプランクトンとか呼んだら、悪意が無くても懲戒ものです。愛情の問題でなくパワハラは受け取る人の問題です。下手すれば懲戒解雇ですけど、どういう時代の職場なんでしょうか?そもそも入社1年程度の責任と裁量権と業務量が常軌を逸しています。
 べつにモラル警察というわけでなく、単純にくくるへの苦労と教育の意図を分かりやすくしたかったから?だとすれば演出としてあまりにお寒いというか…

 水族館の裏がわがテーマになっているわけでもなし、赤ちゃんと女性としての苦労みたいなものも全然伝わってこないし、自然環境の破壊みたいなものも、沖縄の歴史と海のつながりみたいなものもないし…アイドルの女の子の内面がどこかに行ってしまいましたし…

 つまり、テーマ性を意図したアニメとしては今のところ大失敗だといえると思います。そして何よりつまらないし。


 で、今後の妄想です。全然私の予想があたらないので、「期待」としておきましょうか。一番最後に出てきた{netabare} 来年の春くくるが任される新しいエリアというのが{/netabare}がまがまが別館になってたら笑いますよね。それでアクアトープというシステムを使って自然と一体になった試みとか。
 で、くくるはもともと水族館の経営をわからせるためワザと修行のため営業を経験させましたとか…もう、それくらい気が狂った展開にしたほうがいいかもしれません。キジムナーとか幻の水槽とか出てきて、あー沖縄最高!水族館最高!
 あのアイドルの子が、それでやっぱり女優になる!みたいな。

 とにかく、このままダラダラエピソードを重ねるより、それくらいしてくれたほうがましです。テーマがないなら面白くしてほしいと思います。




 17話 2クール目13話以降の感想です。この話をやるなら1クール目要らなかった気がします。ただ、まだ1クール目のほうが沖縄感もあったし、不思議な感じとかで見られました。
 話が完全に分断しています。アイドルの女の子は2クール目は必要ないくらいです。

 最後に伏線を回収するならいいのですが。今のところくくるの苦労が、水族館職員としての大変さ、ではなく、職場の雰囲気と社会人のルールに不慣れな事、理不尽なイジメ的な雰囲気です。

 実はくくるは、おじいちゃんから鍛えてくれという感じで預かったという話だとしても、社会の苦労というのは水族館じゃなくても起きます。 
 この話なら学園ものでも、アイドル物でも、異世界ものでもなんでもいいでしょう。
 それにお客さん優先とか、魚優先とか、赤ちゃん優先とか、軸がぶれすぎで、何が言いたいのかさっぱりわかりません。
 女性キャラたちも物語に与える影響が狂言回しなので、髪型と色が違うだけで、誰が誰だかどうでも良くなってきました。

 沖縄感も消えています。ウミウシの話とかで一応海にはでましたが…。

 うーん。なんかくくるの苦労話ばっかりになるのが一番嫌だなあ、と思っていた展開の更に下という感じです。重ねて言いますが、くくるの苦労に意味が見出せません。
 テーマ性が「職場の苦労」だったらNHKの教育番組の30分くらいの話で十分です。たとえ、この後、1クール目とつなげたたとしても、果たしてテーマ性を見出せるか疑問です。

 そして何より、面白くないです。そう、言いたいのはそこです。なんとなく気になる話なので、チェックは続けてますが苦痛になるレベルでつまらないです。話が。どうしちゃったんでしょう。この感じ。

 さて、このあと、この酷評を裏切ってくれる沖縄と1クール目の意味を活かした展開になってくれるか。
 


 12話見ました。{netabare} 間違いました。アイドルちゃんは実家ですか。この子はやりたい事を見つけられませんでしたね。アイドルを止めた原因や今回諦めた原因の深掘りは欲しかったかなあ。結局流されて終わりのような…。

 夢をあきらめたとき、一人にならないと泣けないのが分かっているなら、一人で泣かせてやったほうが、いいんじゃないのかと思いますが、どうでしょう。これがアイドルちゃんの行動の甘さのような気もします。

 このアイドルちゃんですが、アイドル設定はそうなるとどう活きるんでしょうか?そこが不思議です。この後就職や勉強?だったら初めからスポーツとか部活とかで夢を無くした女子高生で良かった気もします。
 そもそもアイドルは夢じゃなかったっていうのが今回映画を諦めた意味なんですよね?一人でなると泣けないというのは、お前のはJK館長とちがって夢諦めたんじゃなくて挫折したときの涙だろうという気もします。こうなるともう今後芸能関係の仕事に行くのは不自然なので、こっちの子が海洋学の勉強するとかになるんでしょうか。
 お話だから美少女という設定でアイドルでもいいんですけど、伏線が浅すぎてちょっと残念な気もします。

 そして、幻の設定は双子のお姉ちゃんでした。まあ、謎は解けましたが、これは何に活きてくる話なんでしょうか?まあ、今後待ちですが…

 アイドル設定と母子手帳・幻設定などの伏線らしきものが全部なかったことになった12話のような気もします。リセット状態に近い気が…だったらこれから始まる1クールでいいんじゃね、になりませんか?夢探し、自分探しこれからなら1クール目を導入部活かせますか?大丈夫でしょうか。今後どうなるんでしょうか?
 
 いい話だなあと思うと、ブレブレになったりなんだかよくわかりません。まあ、また、数話みたら感想書くかもしれません。{/netabare}


 11話見ました。{netabare} ちょっと気にはなっていたんですが、EDの入りで靴の形をした石が出てきます。ハイヒールですね。これはシンデレラの時間が終わる=水族館が終わるという意味なのか、大人の靴=進むべき道を見つけるということなのかなのでしょう。EDの2人のヒロインは裸足ですよね。つまりこれから靴を履くわけです。だから1クールで水族館は閉館するのかなあと思っていました。
 それに2人が深海=暗闇に落ちて行くときに光が見えますが遠ざかって行きます。でも、2人は宝石のような輝くものを見付けます。

 情報通り2クールだとしたら、2人は、今後、自分の進む道を見つけることでしょう。アイドルあるいは女優として、そしてくるるは勉強でしょうね。まあ、琉球大学か東海大学かもしれませんが単純に水族館に就職ではない気がします。この狭き門の説明のために10話があったのような気がします。

 アクアトープという名称とキジムナーがどうかかわるかですよね。あと将来が見える幻の設定は捨てるにはおしいですよね。まあ、新しくできた水族館の工事現場は巨大で禍々しい感じがします。魚のための水族館ではないという事になるのでしょうか。
 がまがまの跡地に、自然に根差した水族館か海浜公園を作って魚と自然を救うという方向性でしょうか。そこに風花が女優として世論を動かすとか、オーナーになっちゃうとか。まあ、私の妄想なので全然違うでしょう。

 とにかく水族館が閉まる。2人のヒロインが自分の道を歩みだす、という展開はいい1クール目の締めだと思います。

 ここまでの総評としては、話の展開が読める=演出も脚本もちゃんとそれが読み取れる水準でレベルが高かったんだと思います。作画もキャラデザもいいですし。何より沖縄感が良かったと思います。

 2話3話4話7話8話をカットして1クールあるいは変則で20話くらいで何とかしたほうが良かったという気もしますが、JK館長の諦めの時間ということである程度は必要だったのかもしれません。だったら、もう少し水族館ネタとか沖縄ネタに絡めて、純粋に知識とかウンチクの回を入れたほうが良かったかもしれません。
 あるいはヒロインがアイドルを諦める葛藤がもう少しあったほうが良かったかもしれません。

 ですが、11話まで見た感じでは今後の展開が期待できそうです。{/netabare}


以下 8話までのレビューです。

{netabare} 8話まで。さすがに飽きてきました。同じ葛藤を繰り返し見せられても…。しばらく休んで評判よければ再視聴します。または、癒されたくなったら見るかもしれません。

7話まで。水着回でした。海の中のシーンが止め絵ばっかりでした。女の子の膝の色がちょっと気になりました。確かに膝は色が濃いですが、配色は考えすぎではないでしょうか。紫色の空と海は良かったと思います。

6話です。メシテロでした。居酒屋のメニュー見るだけで涎がでそうです。ラフテ―はこっちで食べると高級食材ですね。で、景色も戦争も夜空も沖縄でしたね。非常に良かったと思います。

 JK館長がやってることは学芸会じみています。確証はありませんが、これは彼女の力ではもう水族館は存続できない、という表現のような気がしてきました。大人たちは諦めています。それは過去にいろんなものを諦めたからでしょう。それを表現するために、JK館長を空回りさせているということでしょうか?となると2話、3話の出来が悪いと思った部分も違う見方ができるかもしれません。物悲しい演出も多い気がします。

 というよりむしろ、この回を見て水族館は存続しないで終わりをちゃんと表現してもらいたくなりました。終わりを表現できないアニメが増えてきています。その意味で今回の話をみて、多分水族館は終わるんだろうなあ、終わって欲しいなあ、と思いました。そうしないと2人のヒロインの未来が見えませんし。

 話の展開からいって、1クールくらいで水族館が閉館して、その先何年か後の話になるのでしょうか?なんかJK館長は未来の自分を見ていた気がしましたが。

5話までです。いいですね。沖縄してました。親の問題も片付きました。これくらい感情的に落ち着いて話が進むと見やすいです。水族館のウンチクもでてきました。
 今更ですけど、アクアトープって言葉調べたら登録商標なんですね。大成建設の。浄化システムらしいのですが、話に関係するんでしょうか。解決が地域の自然に根差した新しい水族館作るとか、安価なシステムで水族館が存続できますじゃないですよね?

4話までみました。こんな感じでいいんじゃないですかね。無理に破水とかの事件作らなくても。アニメのレベルは高いので、水族館業務を一生懸命やりつつ、沖縄の景色ということで。jk館長の不自然な元アイドルへの関心の低さへの指摘やアイドル設定と親問題もでてきて、やっと本筋になってきました。キジムナーが毎回の楽しみです。

 3話目を見ました。破水でそんなに慌てなくていいよ、という感じはあります。妊婦なら一人で対処できますし、せいぜい一人サポートすれば十分です。閉館なんてする必要もありません。また本当に慌てる破水ならその辺水浸しになります。それでもできることは病院に電話して、タクシーを呼ぶしかありません。
 そもそも、こんなのは大人の獣医の先生の責任です。自分で状況を判断して、電話で答えればいいだけの話です。予定日を過ぎてあの行動は何がしたいのでしょう。普通、歩けとは言われるでしょうが、出かけろとはいわれないと思います。(追記;そういえば獣医の先生なら専門家じゃないですか。何を考えているんでしょうか。)

 じいさんが、怒るにしても館長への報告が先だという部分はわからなくはないですが、獣医の先生に対する責任はJK館長にはないでしょう。もし獣医の先生が破水しなくても同じように怒ったでしょうか。結果論から怒っているだけの気がします。
 それに、獣医との人間関係で先に獣医に相談するのがそんなにいけない事なのかもわかりません。前回から気になっているのですが、教えていないこと指示していないことで失敗して、いきなり怒るという構図が多すぎませんか。

 揚げ足をとりたくて書いているわけでなく、エピソードのためのエピソードで尺を稼いでいるように見えると言いたいわけです。JK館長の行動が奇異な上に、感情的で、余りにトラブルメーカー過ぎて、人が描けているように見えません。
 そのほかの人もあなた達、感情ありますかという感じでできの悪いロールプレイングを見せられているみたいです。
 そもそも、職業物というシリーズなのかもしれませんが、本当に大人の世界を知って、脚本を書いていますか?とちょっと疑いたくなります。水族館の関心するようなウンチクがあるわけでもないし。

 以前でてきた母子手帳の話に絡めてゆくんでしょうが、なんとなく薄い話で3話は終わっちゃったなあ、という感じでした。
 母子手帳の件は実は昔、母親が妊娠して流産したか、死んでしまったということはわかります。あのキジムナーと関係あるんでしょうか?樹の精霊らしいですけど。

 あと、2話くらい見て判断しましょうかね。

 1話目は沖縄の開放的で能天気な雰囲気とキジムナーの不思議な感じとか、結構良かったですね。あの占い師のおばさん(お姉さん?)が微笑ましかったです。ヒロインのアイドルの女の子の行動も1話目はなかなか心情的に理解できました。
 ですが、2話目にして、現実感が強くなりすぎました。金貸しとかセンターを譲った話とか、エピソードも取って付けたような感じですし。いくら追い詰められているとはいえ、初めてのエサやりで失敗したからといってあの怒り方は理不尽です。
 ファンタジーと沖縄の美ら海と美少女2人とでもうちょっと幻想的な展開を期待していました。このまま行くと、1話の雰囲気倒れの気がします。判断はまだ早いですが、今回のエピソードで見る限り脚本家のレベルがちょっと心配です。

 油壷マリンパークも9月末で閉館ということで、水族館好きとしては、思うところはあります。

{/netabare}

投稿 : 2023/06/03
♥ : 34

ヘラチオ さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

お仕事シリーズ第4弾

サブタイトルはThe two girls met in the ruins of damaged dream
物語の主題を的確に表しているように思われる。

沖縄が舞台。南城市。キジムナーが優しく見守る世界。

前半クールでは閉館が決まった水族館がまがまが舞台
岩手出身東京でアイドルしてた風花がなんとか閉館を免れようと奮闘する館長の孫娘くくると出会ったことがきっかけでアルバイト。

後半クールは新しくできた水族館ティンガーラが舞台。


伊藤美来さんと逢田梨香子さんの演技良かったと思う。

2人の物語で勿論逃避したり、無断欠勤したり、立てこもったりの彼女たちの圧倒的成長を見るのは楽しかったが、2年後には他の皆さんもしっかり成長してらして良かった。

環境問題がどうとか着地するのに少し時間かかって不完全燃焼な感じは否めないが、シングルマザーのこととか本来はやりたくなかった仕事でも実は向いているかもしれないとか。そういった描き方は好きだった。
シングルマザーは大変だよね。子供を一人で見なきゃいけないことも多いし、働きにくくて給料低いことも多い。特に沖縄だと賃金も安いだろうし。若いときに避妊に失敗してできちゃったとはいえ、子供には罪ないわけだし、子供だけでもしっかり守るそんな社会になればいいよね。個人的には孕ませるだけで何もしない糞な男にペナルティあっても良いのでは?とすら思うときもある。

副館長はパワハラ気味ぽいけどな。あだ名を社員を呼ぶのはコンプライアンス的には危ういのでは?
経験あるとはいえ、その場所では新人なのだから教育など徹底すべきでは?
正直、社会人ってそんなもんだよと言うのは簡単で改善していくのは非常に手間で面倒だが、時代の流れもあるし、変えていかないとね。

あとは美術さんが良い仕事しているのか背景だったり、魚だったりが綺麗だった。それだけを楽しむのも良いかと。


OP
たゆたえ、七色 ARCANA PROJECT
とめどない潮騒に僕たちは何を歌うだろうか ARCANA PROJECT
ED
月海の揺り籠 Mia REGINA
新月のダ・カーポ 相沢梨紗
ARCANA PROJECTの楽曲を久しぶりに聴いたが、海をモチーフにした作品にぴったりな楽曲。映像も綺麗で良い。


以下はアマゾンプライムから引用のあらすじ。
沈む夢、漂う夢、動きだす夢©projectティンガーラ


第1話 熱帯魚、逃げた
海の生き物が大好きな女子高生・海咲野くくる。彼女の頭の中は、館長代理を務める「がまがま水族館」のことでいっぱい。閉館の危機にある水族館を守るために、夏休み中も仕事に励んでいた。一方、アイドルを辞めた宮沢風花は、あてもなく沖縄へとやってきたが、偶然通りかかった観光協会の久高夏凛に「がまがま水族館」へと案内してもらう。水槽の前で不思議な体験をした風花は、「今、見えてた?」とくくるから声を掛けられる。

第2話 濡れるのも仕事のうち
「がまがま水族館」で働くことなった風花は、くくるのおじいとおばあに迎えられ、海咲野家に身を寄せることに。閉館が迫る水族館を立て直すため、夏休みが最後の勝負とより一層仕事へのやる気を見せるくくる。翌日、風花はくくるから水族館の仕事の厳しさを教わりながらも、2人でペンギンのエサやりショーを行うが…!?

第3話 いのちは、海から
お互いのことを知り少しずつ打ち解けてきたくくると風花。出張でおじいが不在のこの日は、2人でペンギンの体重測定をすることに。風花はエサやり時の失敗を感じさせないほど手際よく仕事をこなしていく。一方くくるは1羽のペンギンの異変に気がつく。命を預かることの重責から不安になった彼女はおじいの帰りを待てず産休中の獣医・竹下に相談するが……。

第4話 長靴をはいた熱帯魚
来場者が海の生き物と直接触れ合えるタッチプールの実施が決まった「がまがま水族館」。夏休みの目玉イベント開催に向けてはりきるくくるは、飼育員の屋嘉間志空也や幼なじみの仲村櫂にも手伝ってもらいテキパキと指示を出していく。一方、案内係を任された風花は、人前に立つことを不安に感じつつも懸命に準備をする。そんな時、風花が元アイドルだと知る飼育員・貝殿轟介が休暇から復帰してきて……?

第5話 母の来訪
「がまがま水族館」に娘を連れ戻しにやってきた風花の母・絵里。しかし、まだ帰りたくない風花はくくるの手助けによって母から逃げることに。再び行く当てがなくなった風花は、ふらりと立ち寄った、くくるの友達である照屋月美が手伝うごはん屋「カメ-」である人物と再会する。一方、残されたくくるは、絵里を足止めするために様々な作戦を実行していた。

第6話 スイーツラプソディ
「がまがま水族館」の閉館が8月末に迫り焦るくくる。なんとか状況を変えるべく必死に集客方法を考えるがどれもピンと来ない。そんな時、風花の言葉がきっかけでオリジナルスイーツ作りに挑戦することに。月美の力も借りて、3人は「がまがま水族館」の新たな名物開発に励む。その後、無事メニューも決まり、オリジナルスイーツ作りは順調かに思われたが……。

第7話 アイスで乾杯
くくるたちの努力の甲斐もあり、来場者数が増えてきた「がまがま水族館」。結果が出て喜ぶくくるは、閉館阻止に向けてより一層はりきる。だが無茶な提案をしたことで、空也と揉めてしまう。その様子を見かねたおじいは、飼育員たちに息抜きのための休暇を与える。翌日、夏凛や月美も加えて海にやってきた一同。バーベキューや海の遊びで休みを満喫するくくるだったがそこにもう一人加わって……?

第8話 crab crisis
夏凛の尽力で生き物を連れて出張をする「移動水族館」の開催が決まった「がまがま水族館」。当日、会場となる病院で準備を進める飼育員たち。その途中、看護師長・金城の元に挨拶に向かうくくると夏凛。だが金城の言葉がきっかけで2人は気まずい雰囲気に。一方、準備を進める風花は持ち込みを禁止されたカニが水槽内に紛れ込んでいることに気が付く。病院の関係者に見つかる前に隠そうとするが!?

第9話 刺客のシンデレラ
建設中の水族館「アクアリウム・ティンガーラ」から研修のためにやってきた新人飼育員・南風原知夢(はえばるちゆ)。おじいの指示で彼女の教育係を任されたくくる。だが新たな水族館を認められないくくるは知夢をライバル視し、試すような態度ばかりとってしまう。その後も打ち解けられずギクシャクする2人は、風花と一緒にペンギンのお散歩を始めるが……?

第10話 置き去りの幻
閉館の時が迫り、一発形勢逆転のアイデアを探すくくる。以前、風花も目にした水槽の幻を宣伝しようと提案する。だが、夏凛たちから不確かなものは宣伝できないと反対されてしまう。それでも諦めきれないくくるは、幻が確実に見える方法を探し始める。一方、風花は自身に映画主演のオファーがきていることを知り悩んでいた……。

第11話 籠城の果て
南城市に台風が迫る8月のある日。閉館反対を訴えるため、くくるは1人で「がまがま水族館」に立て籠もってしまう。彼女を心配した風花が駆けつけ一緒に立て籠もる。だが、進路に悩む風花に対して、くくるは素直になれずそっけない態度をとってしまう。そんな中、激しさを増す台風によって停電する水族館。2人は水槽や生き物に異常がないか見て回る。

第12話 私たちの海は終わらない
営業最終日、「がまがま水族館」には多くの客が訪れていた。その様子に満足げなくくるたちは、最後の思い出を作りつつ今日も仕事に励んでいた。たくさんの人の笑顔と賑わいの中、ちいさな水族館は閉館する。その日の夜、お互いの進路について話すくくると風花。彼女たちの決断とは……?

第13話 海の遙かなティンガーラ
「がまがま水族館」の閉館から月日は流れ、翌年の春。高校を卒業したくくるは「アクアリウム・ティンガーラ」に就職する。新たな職場でも飼育員を希望するくくるだったが、なぜか営業部に配属されてしまう。気持ちの整理ができないまま、配属先に向かったくくるを待っていたのは、副館長・諏訪哲司だった。さらにかつて「がまがま水族館」に研修で来ていた知夢と再会して……。

第14話 ペンギンチェイサー
仕事が上手くいかず落ち込むくくるに声をかけたのは、沖縄に帰ってきた風花だった。諏訪からバックヤードツアーの準備を任されたくくるは、1週間後の開催に向けて知夢や同僚の島袋薫たち飼育員に協力をお願いして回る。一方、くくると同じく「アクアリウム・ティンガーラ」に就職した風花は、「がまがま水族館」での経験からペンギンの飼育を担当することに。そこでチーフの知夢からテストを出される。

第15話 ウミウシ大論争
期間限定の展示でウミウシを。偏食だから飼育が大変なようで無給餌でお客さんに見せるかどうか揉めるぞ。水族館は人間のエゴもあるなあと納得。

第16話 傷だらけの君にエールを
ペンギンの卵の孵化が近づく「アクアリウム・ティンガーラ」。新たな命の誕生を見守るため、泊まり込みで孵化を見守ることになった風花たちペンギン担当の飼育員。だがなぜか、知夢だけは泊まりのシフトを免除される。知夢だけ特別扱いされていることが納得できないくくる。しかし、飼育部長・雅藍洞凡人から知夢が周囲に隠しているある事情を聞いてしまい!?

第17話 くつろぎ処 海月風
久しぶりに休みが揃ったくくると風花と月美は、「アクアリウム・ティンガーラ」の職員たちとの親睦会を開催することに。やってきたアルバイトの真栄田朱里や、飼育員の米倉マリナに料理をふるまい、もてなすくくるたち。その後、勤務明けの知夢や薫も合流し、さらに空也、櫂、同僚の比嘉瑛士も加わり、賑やかな休日を楽しむ。

第18話 あかりの灯るとき
朱里が発案した職員たちが海の生き物に関するコスプレをして接客する「コスプレイベント」の実施が決まった。しかし諏訪の判断で、アルバイトである朱里に代わりくくると夏凛が準備を任される。くくるは朱里にも水族館の生き物たちを好きになってもらおうとするが、朱里は今一つ興味を持てないでいた。そんな中、イベント開催前日の夜、配付予定の魚のシールが発注されていないことが判明して!?

第19話 さよならハイヒール
ペンギンの雛の密着ドキュメンタリーの撮影が決まった「アクアリウム・ティンガーラ」。撮影前日、下見のために番組撮影クルーと風花のアイドル時代の後輩・城居ルカがやってくる。後輩との再会を喜ぶ風花だったが、その場にいたディレクターの提案で、ルカと共にレポーターとして番組に出演する流れに。断ろうとする風花だったが、どこか不安げな様子のルカを見て……。

第20話 迷子のプランクトン
新エリアオープンにむけて、膨大な量の仕事に追われるくくる。そんな中、空也から近くの海岸に野生のイルカが迷い込んだことを聞く。早速、様子を見に行くと、同じくイルカを見に来ていたおじいと鉢合わせる。その場で、もうすぐ「がまがま水族館」の解体工事が始まることを聞き、ショックを受けるくくる。しかし、気持ちの整理をする間もなく、諏訪から新たな企画を任されてしまい……!?

第21話 ブルー・タートルの夢
仕事が上手くいかず、さらに解体された「がまがま水族館」を目にしてショックを受けるくくる。翌日、無断で仕事を休み離島へと足を運ぶ。そこでウミガメの研究と保護活動をする轟介の妻・具殿岬と出会ったくくる。岬の仕事を手伝いながら、ウミガメの孵化を見守ることにする。一方、くくるのことが心配で仕事に集中できない風花。そんな中、飼育担当のケープペンギンたちに異変が起こり……。

第22話 覚悟の帰還
ウミガメの孵化を見届けたくくるは、気持ちを新たに「アクアリウム・ティンガーラ」へと戻る。そんな彼女を夏凛と朱里は温かく向かえ、諏訪は引き続き、新エリアを使った結婚式の企画を任せる。結婚式にふさわしいアイデア出しに悩むくくるは、知夢たちにも協力してもらい、ついに企画書を完成させる。そして、向かえたウエディングプランナー・三浦へのプレゼン当日。果たして、くくるの企画は通るのか!?

第23話 水族館の未来
星野から、海洋生物の研究や環境問題に取り組む大型プロジェクトが発表される。以前、岬から環境汚染が原因でたくさんのウミガメが命を落としていることを聞いた風花は、強く心を惹かれる。だが、参加条件がハワイでの2年間の研修と言われ、くくると離れたくない風花は参加するか悩む。一方、飼育部への移動について、星野と面談をするくくる。その場で諏訪の過去を聞いて……?

第24話 白い砂のアクアトープ
くくるが企画した結婚式と新エリアのプレオープンを目前に控え、準備に励む「アクアリウム・ティンガーラ」の職員たち。一丸となって準備した甲斐があり当日、会場は新郎新婦や来場者の笑顔が溢れる。無事、大きな企画を終えてここで一度、別々の道へと歩むことになるくくると風花。新たな道へと踏み出す2人に再び、優しい奇蹟が起きる……。

投稿 : 2023/06/03
♥ : 11

72.0 7 ペンギンアニメランキング7位
映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ(アニメ映画)

2019年11月8日
★★★★☆ 3.8 (56)
225人が棚に入れました
ある日の午後、お気に入りの喫茶店「喫茶すみっコ」へとやってきたすみっコたち。おなかをすかせて注文した料理を待っていると、突然、地下室から物音が。 「地下室のすみっこに誰かいる・・・?」 みんなで中に入って行くと、そこには一冊のとびだす絵本。ひどくボロボロで、ページの大事なところがなくなっている。桃太郎のお話のページには背景があるだけで、おじいさんもおばあさんもいない。すると突然、大きな影が現れて、えびふらいのしっぽが絵本にすいこまれてしまう! すみっコたちがおっこちた物語の世界にいたのは・・・新しいすみっコ?

声優・キャラクター
ナレーション:井ノ原快彦
ナレーション:本上まなみ

ようす さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7

すみっこが落ち着くキャラクター達の、絵本の中での出会いと大冒険♪

2019年公開の劇場版作品。
公開当時、評価がとても高いことを知って驚いていました。

すみっコぐらしというキャラクターがいることは知っていて、
人気があることも知っていて、
一応何匹かは覚えもしていたのだけれど、

果たしてキャラクターが先行している作品の、
しかも劇場版を面白いと思えるのか、
観る直前まで疑いを持っていました。笑

短い内容ではあるけれど、
見終わった今、すっかりすみっコ達にメロメロです。笑

60分ほどの作品です。


● ストーリー
すみっこが落ち着く仲間たち、すみっコ。

今日はみんなでご飯を食べに、
喫茶「すみっこ」へ。

料理を待っていると、
地下から大きな音が。

行ってみた地下室で、
絵本の中に吸い込まれてしまう。

絵本の中で出会ったのは、
ひとりぼっちのひよこ。

みんなでひよこのおうちを探してあげることにする。


絵本の中には世界のいろんな物語が集まっている。

桃太郎、マッチ売りの少女、人魚姫…。

物語の登場人物になりながら、
迷子のひよこのおうちと仲間を探すお話です。

押し付けられて戸惑いながら役をするキャラもいれば、
ノリノリなキャラもいる温度差に笑う。笑

キャラクターの意思を無視したナレーターの強制進行にも笑えましたw

この劇場版の素晴らしいところは、
開始5分のキャラクター説明がわかりやすいところ。

すみっコ(と、みにっコ)と呼ばれるキャラクターはたくさんいて、
これまで私も覚えようとしながら覚えきれずにいたのですが、

この5分の説明ですっと覚えられました。
今までの苦労は一体…。笑

今までキャラクターの設定は一切知らずにいたのですが、
それも説明してくれるので、初見の大人にも超優しいw

こうしてキャラクターの設定を聞くと、
見た目+ネガティブな設定の可愛さにハマりましたw

なるほど、これは人気になるわけだ…。


ストーリーは子ども向けだろうと思っていましたが、そんなふうになめてかかってそうな大人の鼻を明かすミスリードもあったりで、

思っていたよりもちゃんとしていました。
というか、キャラが可愛いからそれだけで楽しめる。

キャラクターがしゃべるセリフはなく、基本的にはナレーター(V6の井ノ原快彦さん&本上まなみさん)の進行。

キャラクターのセリフはすべて字幕(ひらがな)です。

ナレーターがしゃべりすぎてうるさいなと感じるシーンもありましたが、

大事な山場の感動シーンはキャラクターの表情のみで進行し、
余計なナレーションが入らなかったので、そこはポイント高かったです。

言葉がなくても感じ取れることがたくさんで、
子どもの情操教育に最適すぎないかと感心していました。

もちろん、私も感動していました。
優しくて、あったかい世界でした(*´ω`*)


● キャラクター
すみっこが落ち着く、すみっコ達。

“しろくま”や“ねこ”といった、動物モチーフのキャラもいれば、
“とんかつ”や“えびふらいのしっぽ”という食べ物モチーフのキャラ、
“ぺんぎん?”や“にせつむり”といった、正体が怪しいキャラまでww

設定を聞いているだけで楽しかったです。笑

今回は絵本の登場人物になるということで、
各キャラコスプレモード。

これはグッズの需要も高かっただろうし、
作りがいがあっただろうな…。笑

ちなみに私はエンドロールの全員ひよこ化が一番好きでした(*´Д`)


● 音楽
【 主題歌「冬のこもりうた」/ 原田知世 】

優しい歌です(*´ω`*)

ほっこりしたエンドからのこの歌への流れは、
雰囲気を壊さなくて素晴らしいです^^


● まとめ
あったかくて優しくて、いい世界でした(*´ω`*)

すっかりキャラの可愛さと優しさに魅せられました。

すでに私は他の劇場版も観たくなっている。笑
グッズも欲しくなっている。笑

文句なく親子で楽しめる、
素晴らしい作品だと思いました^^

投稿 : 2023/06/03
♥ : 8
ネタバレ

ハウトゥーバトル さんの感想・評価

★★★★★ 4.5

寂しいからみんなで過ごそう

視聴前 さて

視聴後 ..

このお話はすみっこたちがとある絵本を見つける話
ジャンルはほのぼの・ファンタジー・童話

まだ見てない方へ
この作品がものすごく高評価だと聞いた方は期待しないでください。なめてかかりましょう

見た方へ
{netabare}正直舐めてました。私は友達(非オタ)から「私すみっこでないちゃった」と聞き、まさかwwと笑って流してましたが、本当に評判がいいので私も見に行きました(私も非オタですけどね)。
この際、はっきり言いましょう。私はなけませんでした。おそらく感動ポイントはみつけたのですが、ウルっときませんでした。
しかし、勘違いしないでいただきたいのはこの作品は良い作品である、ということです。すみっこぐらし、というものを耳にしたことはあるものの一体それが何なのかを当日まで知らなかった私が隅っこたちを理解できましたし、何よりも「やさしさ」を感じました。
さて内容です。序盤はキャラ説明と導入。ナレーションにまかせっきりなところもありますが、正直これが後で効きます。中盤は展開もありますがシリアスシーンも意味も少ないです。重要なのは終盤です。この終盤で感動する人は感動するでしょう。評判に期待しすぎた私には泣けませんでした。しかしとても素晴らしいラストではありました。序盤中盤を含めた今までを丁寧に着地させたものです。もともと勢いのある作品ではないのでゆっくりとした展開に更に慎重なラストとなり、かなりほんわかとした「やさしさ」を感じました。
この作品で伝えたかったのは「やさしさ」「思いやり」ではないかと思っています。みなさんは今も思いやりを持って生きていますか。もちろん非道の精神を貫いている人はいないでしょうが、いまも子供の頃の純粋な優しさや思いやりは今でも残っているでしょうか。無条件で人を助け可愛そうだと思ったらすぐ手を差し伸べる、今の私には正直できません。というか忘れてました。年を重ねるたびに幼い声ころの純粋な心を忘れてしまって「じぶんにのことは自分でなんとかする社会」というものを受け入れてしまっているような気がします。そんな忘れてしまった童心を思い出させてくれるのがこの作品です。なんの見返りもなく仲間を思って行動できる。そんな信念をわすれずにこれからの人生を生きていきたいと思います
〇〇さんのナレーションとすみっこたちの身振り手振りで表現されます。これはキャラがしゃべり自然とキャラ説明」してくれるより方法的にはかんたんですがその文話を面白くするのが難しかったりします(その後もナレーションをうまく使わないと手抜きとバレルからね)。しかしこの作品は丁寧なナレーションとわかりやすい動きで物語を早く理解することができました。素晴らしいですね
キャラはかなり好みです。初めて見たキャラですがかなり多くのこと(性格や大体の思考パターン)を理解できるキャラ説明は素晴らしいですね

原作はよこみぞゆりさん。
監督はまんきゅうさん。ガンダムさんや弱酸性ミリオンアーサーの監督をされた方ですね
シリーズ構成は角田貴志さん。
キャラデザは横溝友里さん。
劇判は羽深由理さん。
アニメ制作はファンワークスさん。やわらか戦車などを制作してるところですね

作画は悪くなく丁寧な動きがありびっくりしました
主題歌は高橋久美子さん作詞、伊藤ゴローさん作編曲、原田知世さん歌唱の「冬のこもりうた」
{/netabare}


総合評価 みるべき

投稿 : 2023/06/03
♥ : 5
ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

自分らしさの檻の中でもがいてるなら♪……おいでよ すみっコへ

「すみっコぐらし」というキャラクターコンテンツについては、
私は名前を知っている程度。

ただ、サンエックスが生み出す不可思議生物?については、
昔ちょっとハマっていた「たれぱんだ」等、
何だか大人の心にも引っ掛かる物を感じていて……。

本劇場版でサンエックスの最新成果&集大成の一端を確認したい。
という気持ちはありましたが、映画館までわざわざ足を運ぶ程では……
と部屋の片隅で躊躇していたわけですがw

本作の反響ホント凄いですね(驚)
せいぜい傍流で細々と語られる程度の映画かと高をくくっていたら、
いつの間にか、この秋冬のアニメ映画では、
『アナ雪2』に次ぐ位の勢いで、エンタメニュースのド真ん中で持て囃されている。

押し出されるように私もいつの間にか、お子様連れのママさんに混じって、
映画館のド真ん中に座っていましたよw


滑り出しの感触は簡素なキャラクターアニメ。
隅っこで落ち着いている、各種“すみっコ”にも声はなく、
セリフは、無言のキャラたち仕草等を補完する
井ノ原快彦さん&本上まなみさんのナレーションのみで、淡々と場面が進んで行きます。

序盤は部屋の隅に落ち着くまでの来歴等
“すみっコ”の生態紹介にゆる~く費やされ、
これは初心者にも優しい間口の広いお子様向け映画かな?

……と油断してたら、“すみっコ”たちが、
おとぎの国々の各登場人物に落とし込まれる“本番”以降、俄に高度化。

この“すみっコ”……そのキャラで、あんな役とか務まらないだろうw
というツッコミ待ち等、ハイレベルなキャラ芸も次々と繰り出されるので、
最初の方でしっかりとキャラを把握しておくことをオススメします。

いつの間にか、作画も音響も簡素な中に力強さがあることも分かり、
これは単純にアニメ映画としても侮れない出来と、
“すみっコ”ワールドに没入させられて行きます。


「号泣した!」、“すみっコ”好きの男性のための限定上映会開催!
との評やニュースも耳にしていた本作。

皆、各々、社会の役割を演じる中で、俺はちゃんとこなせていない、
こんな端役は俺の役割じゃない、自分らしさを見失ったなどと、
精神を磨り減らしている。

いや……もはや、自分らしくなければ幸せじゃない!
と自分を探すよう脅迫する言説にすらゲンナリしてしまっている。

本当の自分だろうが、偽物だろうが、
今、自分がここで落ち着けるなら、それで良いじゃない?

こんな感じで、“すみっコ”たちに世の大人たちの涙腺は
突き崩されて行くのでしょうか?


私は号泣!までは行かず、涙が氾濫しそうになる程度でしたが、
本作がブームになるなんて……世の中まだまだ荒んでるんだなぁ~と、
むしろ、そちらの方にも泣けてきますw

但し、終盤の{netabare}鬼の助太刀{/netabare}には、
ベタですが、私の涙腺も一部決壊しましたね……。あれはズルいw


自分の役割に囚われず手を差し伸べられる人間に私はなりたい。


心に養分を補給され、再び社会の隅っこに戻っていく私なのでした……。

投稿 : 2023/06/03
♥ : 14

79.2 8 ペンギンアニメランキング8位
ウィッチクラフトワークス(TVアニメ動画)

2014年冬アニメ
★★★★☆ 3.7 (1449)
8698人が棚に入れました
平凡なスクールライフを送る男子高校生・多華宮仄と、文武両道、容姿端麗で絶大な人気を誇る学園のマドンナ・火々里綾火。クラスメイトながら住む世界が違うふたりであったが、仄に隠されたある秘密から、主従関係を結ぶことになる。仄は姫として、綾火は彼を護る炎の魔女として――。仄の「白いアレ」を巡り繰り広げられる、魔法少女たちの可憐で壮大なバトルの火蓋が今、切って落とされる!

声優・キャラクター
小林裕介、瀬戸麻沙美、茅野愛衣、川澄綾子、釘宮理恵、井澤詩織、夏川椎菜、麻倉もも、日岡なつみ、飯田友子、大原さやか、大地葉、阿澄佳奈、又吉愛、白石真梨、黒田友佳、平野綾
ネタバレ

dolcetto さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

もっと気楽に見なよー

ファンタジーを主軸としたドタバタコメディ。

主人公は”白いアレ”を持っているだけの凡人以下の天然良い人キャラであり、周りのぶっ飛んだ個性豊かなキャラで笑いをとっていくスタイルだと思います。

登場人物が増えていく中盤がコメディとして楽しめるはずです。
4話を見て面白いと感じたのであれば、6話は必見です。

ストーリーが進むにつれイメージが変わってくると思います。

ちなみに終盤に向けて、謎だった部分を少しずつ明らかにしていくようなシリアスな展開になります。
物語としてはそれで良いんじゃないかなと思います。

王道バトルもの?
ヒロインの強さがチート級なので基本戦闘シーンはあっさりしてます。4話で妹がプロレスしてますが、原作ではワンパンです。終盤は苦戦する展開はありますが・・・

ラブコメ?
塔の魔女は主人公の中の”白いアレ”を狙っているだけであり、ヒロインと妹が取り合う程度です。そもそもヒロインが無表情なので恋愛感情を持っているのかどうか謎。使命感で守っている感じ。

学園もの?
と言うよりは日常系だと思います。ただそこに工房があるだけです。授業,部活,行事等で何かしらのストーリーが展開される要素は少ないです。

個人的には妹が一番面白いキャラだと思います。
おそらく6巻までの内容となるので少し残念です。
声優としてはケモミミこと倉石たんぽぽ(CV:井澤詩織さん)は癖になる声ではまり役だと思います。

1話~8話おさらい
{netabare}1話
多華宮君が塔の魔女ケモミミとエンカウントし、姫様が助けに入る。
隠す必要がなくなったので、姫様の密着始まる。KMM団全員集合。

2話
KMM団相手に姫様が圧倒的な戦力差を見せつける。多華宮君の弟子入り志願とその準備。
黒幕存在の予感。塔の魔女星組とエンカウント。これからの危険諭す。
一方、お祭り大好きくぎゅノワール様が町にやってきて、工房長に挨拶。

3話
くぎゅノワール様とエンカウント。白いアレの封印を解くキーアイテムを貰う。
弟子として修行開始。ローブと箒の使い方を覚える。

4話
Q.姫様がいない時は誰が守ってくれているのか?
A.妹登場。ぬいぐるみプロレスで遊びだす。

5話
姫様との同棲生活が始まろうとした矢先、脱走したメデューサ様とエンカウント。
絶体絶命のピンチに陥り、キーアイテムを使用。白い能登さん召喚。

6話
ジョジョ先生に白い能登さん事件がバレる。その秘密が工房長にバレるとヤバいと諭される。
それを知った妹が多華宮君を守る?為に拉致する。茶番は姫様の圧勝で終わる。

7話
KMM団のせいで姫様が理事長と戦う事になりあっさり敗北。
工房長は拷問を楽しむ為にメデューサ様をお持ち帰り。
刺青の姉妹がナイスタイミングで回収しに現れ、秘密はバレずに助かる。

8話
姫様とその付き人の昔話と言う夢を見た。
姫様による多華宮君の地位を確立させる為の根回しにより、学園が世紀末化する。
この日はくぎゅノワール様が一日理事長を務め、カオスを楽しむ。

9話
黒幕登場
{/netabare}

6話を見終えて
{netabare}空中戦は迫力があったのですが、コメディとしては漫画の方が好きです。原作を読んでない方もこの6話でヒロインと妹のキャラの異常性に気付いたはずです。7話以降もコメディとして楽しめると思います。キャラとしては妹の師匠の登場が楽しみです。師匠だと分かるのは終盤ですが・・・{/netabare}

7話を見終えて
{netabare}やっぱり、コメディとしては漫画の方が好きです。アニメはこれはこれでテンポが良くて悪くないと思います。来週はヒロインの過去回で、脇役としては1話で主人公に理不尽な制裁を行っていた親衛隊のリーダーと元副生徒会長の副副生徒会長がどんなキャラなのかが分かるはずです。あと主人公の決闘編もあるのかな?{/netabare}

8話を見終えて
{netabare}原作ではあった台詞等が大幅にカットされてますが、それでアニメとしては上手くまとめていたと思います。熊殺しさんの迫力はイマイチでした。漫画では額の傷から血を流しながら凄まじい形相になります。ちなみに最後に元生徒会長が説明していますが、決闘の結末は根回しのイレギュラーな展開なので、ケモミミを囮に姫様の不意打ちが炸裂しています。そのシーンで察しの良い方は気付いているとは思いますが、熊殺しさんの正体は・・・来週かな?そして、ガチで白いアレを取りに来る魔女が現れます。{/netabare}

9話を見終えて
{netabare}原作の3話分を1話に詰め込んだせいか、かなりカットされた場面があります。残りの話もそんな感じになりそうです。来週からはシリアスな感じになりますが、KMM団や姫様が普段通りそれなりにやらかしてくれるはずです。{/netabare}

10,11話を見終えて
{netabare}ここでまたオリジナルのぬいぐるみ戦を入れてくるとは思わなかった。残りの話が多くてギュウギュウなはずなんだけど・・・。残り2話だけど、+1話かオリジナル展開があるのかな?最後は丁寧に仕上げたいが為に余裕を持たせたのかな?スイッチを押されてバッドエンド。それを救うのは?そして、その代償とは?{/netabare}

最終回を見終えて
{netabare}原作にはなかったオリジナル展開?が加えられてました。最後はKMM団が再登場して、姫様に返り討ちEDになってましたが、原作ではメデューサ様に拉致られた後、KMM団再結成されるまでにたんぽぽの多華宮家ペット生活が描かれています。アニメの終わり方を見る限り、何話か省いて2期が始まるか、また1話目から作り直されるかのどちらかかな?どちらにしろ2期は何年も先の話になると思います。残念ですが2期の期待はしない方がいいかも・・・{/netabare}

私は主人公みたいなキャラ嫌いじゃないですね。天然で良い人で恋愛には奥手なところはブレない。草食系なところは情けないですが、主人公キャラとしては寧ろありきたりではない。人間味のある主人公とロボットみたいな姫様、結構相性良いと思うよ。最後まで姫様に守って貰う系なのか?それとも、立場が逆転しちゃうのか?少しずつ超人化していく主人公の今後の展開が楽しみになってきます。

続きは原作でね・・・

投稿 : 2023/06/03
♥ : 24

コマキノ さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

バトル系コメディーアニメの【隠れた名作】

かなりの長文になります
アニメの細かな内容については極力抑えました

【前置き】
J.C.STAFFの作るアニメは数々の名作タイトルが並びつつも、あまりに酷い原作レ○プに悶えた「夢喰いメリー」以来どうにも拒否反応が出てしまい、当時はさっぱり見る気になれませんでした。
そんなJ.C.を見直すきっかけとなった作品がコレ
バトル系コメディーアニメとしては【名作】と呼んで疑いません(パチスロは糞台)

レビューの前に私事(というか蛇足)ですが、私は基本的にいかにも典型的な「ラノベ!」といった作風のものが好きではありません。ラノベ主人公特有の寒いノリに可愛らしい女の子を数人添えてどこか見たことのあるようなストーリー。3話あたりで付いて行けなくなってしまいます
しかしラノベ的なノリを含みつつもそんな概念を払拭してしまうほどの魅力が、このアニメにはあります


【あらすじや登場人物をざっくり説明】

主人公の多華宮仄はどこにでもいる平凡な男子高校生というお決まりのアレ。しかし彼の体内には白姫と呼ばれる魔女が封印されており、その強大な力を手に入れようと彼のもとに次々と魔の手が襲いかかります。
温厚で正義感の強い性格ですが魔法の使えない一般市民であるため本作では弱小ポジション
本作のお姫様系主人公

ヒロインは仄のクラスメイトで学園のマドンナの火ヶ里綾火。
彼女は仄を愛して止まない炎を操る魔女であり、本作では仄の内に眠る白姫の力を利用することで最強クラスの戦闘力を保持し、仄を魔の手から守ります
全ては仄のため。仄Love。クールで常に真顔
本作の王子様系ヒロイン

この作品の世界には工房の魔女と塔の魔女という2つの魔女の派閥が存在し、綾火は前者に属します。仄以外の登場人物のほとんどはこのどちらかに属する魔女です。が、数が多すぎるためここでの細かな紹介は割愛します

主に仄の内に眠る白姫の力を奪いに迫る塔の魔女の手から仄を守るため、綾火が返り討ちにするというものがストーリーの大部分を占めます


【コメディー要素とシリアス要素の飽和】
ここが一番長いです。
この作品に登場する魔女たちはそれぞれが強烈な個性を持っており、良い意味で常識がありません。(恋愛)コメディー要素はほとんどがギャグであり、ヒロイン共々ぶっ飛んでいます
特に主人公とヒロインの掛け合いは、他噛ませキャラの存在も相まって非常に見応えのあるものになっています

しかし、バトルになると話は別
バトルシーンは誰か死んでしまうのではないかと思ってしまうほど迫力満点であり、シリアスなシーンも多々見られます。正直殺し合いに近いです。

ただ、ウィッチクラフトワークスというアニメには、滅裂なバトルが初回から最終回まで続こうとも誰一人として死人は愚か怪我人も出ないし、誰一人として不幸せな結末を辿ったキャラもいません。町が滅茶滅茶になろうとも魔法の力で元通りという有り様

それでも彼女らはごっこ遊びをしているのではなく、ホンマもんの闘争をしています。ただホンマもんの闘争をしつつも、どことなく悲惨な結末にならない【安心感】や最後まで安心して見られる事への作品に対する【信頼感】が本作には存在するのです

まとめると、誰も死なないという安心感や信頼感とその気持ちを持ってもなおのめり込める白熱したバトルシーンやシリアスシーン、そしてバトルの合間合間に差し込まれるコメディー要素。
これらが【黄金比的バランス】で飽和しているが故に、どんなにハチャメチャな展開になろうと最初から最後まで気持ち良く視聴でき、見る者に飽きや不快感を与えないのです。
このアニメの最大の魅力はそこにあります


【ストーリーの纏まりと奥深い世界観】
詳しい内容はここでは割愛しますが、これも重要。
この作品は最初から最後まで、ストーリー、演出、作画と非常に丁寧に作り込まれている印象を受けました

ストーリー展開はやや早めですが、最後まで非常によく纏まっており、悪い意味で気になった点はほぼありませんでした。
原作漫画を読めば、この作品は世界観やキャラクター設定が非常に奥深く、年密に組まれていることが伺えます。アニメでも視聴者に考察を迫られるシーンが幾つも見え隠れしますが、豊富な設定が考察の価値を高めているようにも思えました


【総評】
コメディー要素とシリアス要素の見事な飽和、また悲惨な結末になることはないという安心感に浸ることで最後まで満足して見ることができます
そして非常に丁寧なストーリー設計と豊富な世界観やキャラ設定、高度な演出と作画も合間見え、非常にレベルの高い作品であると評価しています。
私の最もオススメするアニメの内の1本です。暇潰しにどうぞ

投稿 : 2023/06/03
♥ : 6

ようす さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9

「私が多華宮君を守るから。多華宮君は私のお姫様だから。」

タイトルに”ウィッチ”がついていることからも想像できるように、

魔女さんがメインのお話です。

主人公の男の子がそれはそれは見事なヒロインなので、

男キャラに男らしさを求めている人は気を付けてくださいね(笑)

全12話です。


● ストーリー
何の特徴もない、真面目で平凡な高校生・多華宮仄(たかみや ほのか)。

突然校舎が空から降ってきて…!

それを助けてくれたのは、学校一の有名人・火々里綾火(かがり あやか)。

彼女は”炎の魔女”であり、多華宮君を守る使命があるという。

秘密の力を持っている多華宮君を魔女たちが取り合う、ファンタジー作品。


ストーリーのテンポは独特でした。

多華宮君を守るという点では、真面目でシリアスなストーリー。

なのですが、合間で挟まるのは
緊張感のないキャラ達によるお笑いパート。

急に挟まれる力の抜ける笑いパートによって、見事にテンポがずらされるw

まるでシリアスとギャグの不協和音だと思いながら観ていました。

このテンポ、はまる人には「新しい!」となるだろうし、

テンポのずれを不快に思う人には「邪魔!」となるでしょうね。

私はシリアスとギャグ、どっちつかずな印象を受けました。

シリアスなストーリーは真剣に観たいし、
ゆるい話は力を抜いて楽しみたいので^^;


また、
魔女に襲われる

多華宮君が守られる

火々里さんがピンチになる

多華宮君がべそをかく

ピンチを乗り越える

という似たストーリー展開が多いです。

いや、ちょっとずつ多華宮君や火々里さんの秘密が
明らかになる点では進展があるんですけどね。

シリアスパートについて言えば、

ラストのウィークエンド編が楽しめたぐらいで、

他のバトルシーンについては早々に飽きてしまいました^^;

火々里さん強すぎるから見せ場は一瞬で終わるしなww


● キャラクター
主人公、多華宮君。

男の子なんだけど、見事なヒロインキャラです(笑)

そんなかわいすぎる多華宮君に私はもうメロメロ。

・お姫様だっこ(される側)が似合いすぎる。か、かわいい…。
・つっこんでいるのか、ボケているのか。切れ味の鈍いつっこみがたまらんw
・と思ったら、「んなわけねーだろ!」とつっこまずにはいられない
 本気の天然ボケww
・ペンギンが大好き。部屋はペンギングッズだらけ。何これ萌えるww
・純情。恥じらうところがかわいすぎる。
 観ているこっちが興奮してしまうww
・いい息子、いいお兄ちゃん。
 妹の暴走に対する「お兄ちゃん怒るよ。」のセリフは破壊力抜群でした。
 このセリフで私の中の未知なる扉が2つほど開かれました…。

箇条書きにしただけでこんなにもw

妹の霞(かすみ)ちゃんも大好きでした♪

私が火々里さんや周囲に言いたい文句を霞ちゃんが全部言ってくれましたww


日常・ギャグパートの多華宮君は最高でしたが、

シリアスパートの多華宮君についてはいまひとつ好きになれませんでした。


守りたいものがあるのに、力がないから何もできない。

そんな無力さがたまらなく悔しくて、守りたいものを守れる力が欲しくて、
私は今の仕事を選びました。

力がないのに何もかもきれいに守ろうなんて無理がある。

自分の力と守れるものをちゃんと把握しなさい、

自分があれこれしようとするんじゃなくて、

自分にできること、1番守りたいものを考えるところから始めなさいって
真面目に説教したくなりましたw

でもなんだかんだ、
うまく守れちゃうところに複雑な気持ちを持ってしまったりね。


とりあえず、多華宮君の魅力に(*´Д`)ハァハァするなら、日常パートがベスト。笑

多華宮君、将来はペンギンを飼いたいそうですが、
ペンギンに似ていると言われる私を飼うのはいかが(ry


● 音楽

【 OP「divine intervention」/fhána 】

この曲大好き♪お気に入りです♪

fhánaは今気になっているグループですし^^

それに歌詞がいい!この作品にぴったり♪

「身を焦がし 君のため戦おう」のフレーズは
現在私のスローガンとなっております。笑


【 ED「ウィッチ☆アクティビティ」/KMM団(作中に登場する5人組) 】

曲も悪くないですが、なんせアニメーションがインパクトあったww

まさかの拷問コレクションww


● まとめ
ギャグとシリアスの不協和音が独特な作品でした。

特別おもしろかったわけではないけれど、

それなりには楽しめた作品でした。

私は多華宮君に出会えたので満足していますww

投稿 : 2023/06/03
♥ : 44

86.7 9 ペンギンアニメランキング9位
オーバーロード II(TVアニメ動画)

2018年冬アニメ
★★★★☆ 3.8 (1051)
5501人が棚に入れました
如異世界に転移して以来、アインズはナザリック地下大墳墓の主として、守護者たちの偉大なる支配者として振る舞う日々を送っていた。一方で、情報収集と資金獲得のため、冒険者モモンとしてエ・ランテルを拠点に活躍。ギガントバジリスクの討伐など、アダマンタイト級冒険者に相応しいとされる実績を積み重ねていく。そんな中、ナザリックへ帰還したアインズは、守護者を統括するアルベドと人間界で得た情報を含めた現状の報告会を執り行う。

声優・キャラクター
日野聡、原由実、上坂すみれ、加藤英美里、内山夕実、加藤将之、三宅健太、千葉繁、沼倉愛美、東地宏樹、楠見尚己、雨宮天、石井康嗣、安野希世乃、逢坂良太
ネタバレ

Dkn さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

デミ(ウルゴス)ちゃんは語りたい!“versionⅡ”

何やら色々書いたんですが、(数千文字くらい)最終回観てどうでもよくなった。

っしゃぁ!!

『ナザリックに栄光あれ!!!!』



リザードマン編と王国編の2部構成でやったオーバーロードⅡ。作画は同社マッドハウスで同時進行の『宇宙よりも遠い場所』『カードキャプターさくら-クリアカード編-』に作画班のリソースを割かれたのかと思うほど悪い回はとことん悪い。無駄な伏線を張りすぎて中だるみしそうな構成も視聴中はイマイチだと感じたものの、最終回ラストに速報で流れたオーバーロードⅢの制作決定を聞き、ある程度納得しました。部分的に淡白で全体的に詰め込んだ印象ですがナザリックの面々が登場している時は概ね好評だったようです。作品の性質上海外のアニメファンにかなり人気らしく国外での評は箔が付きますね。個人的には何度見返しても面白いアニメになりました。


【↓雑記:長文注意】
{netabare}
レビューという名のメモ書きを置いておきます。(タイトル通りデミウルゴスくらいナザリック贔屓で進行。)

至高の御方のひとり、アルベド他数名のNPCを作った「タブラ・スマラグディナ」は、宝物庫に〈エメラルド・タブレット”=古代エジプトで存在したらしい錬金術のノウハウが描かれたエメラルド板〉から引用した――

「かくて汝、全世界の栄光を我がものとし、暗きものは全て汝より離れるだろう」

…の、長ったらしいパスワードを採用したプレイヤーで、アインズをして「設定厨」と称される人。OVERLORDは作者の「丸山くがね」先生自体が設定厨で、鬼のような設定で有名な「TYPE-MOON」の、「月姫」ファンディスクでシナリオ担当をしただけあります。ちなみにこの時、奈須きのこさんの文才を感じ、自分には向いてないと悟り業界を諦めたそうです。その後サラリーマンを経て趣味で投稿していたオーバーロードは趣味と割り切ったからこそかもしれませんが、世界の細部まで作り込み、余白に想像が膨むファンにとって楽しい時間を与えてくれます。掘り下げていくと、書籍版・Web版・※隠し番外編にも作中の情報が散りばめられており、最早宝探しゲームの気分です。

(※“隠し番外編”は、作者がweb版の感想掲示板に読者への返信と共に少しだけ書いたIFストーリーや物語の裏話)

先にも触れましたが、不安材料だったリザードマン編を制作側がやると決めたものの1巻分で1クールやるわけにはいかず、王国編まで終わらせることに。主人公側の活躍を楽しみにしていたアニメ視聴者から非難の声も出ましたが丸々リザードマン編を省略するのは確実にファンから苦言を呈されたと断言できます。制作側の試行錯誤がしっかり見えたと感じたのは一番危惧されていたリザードマン編全編カットor1クール丸々リザードマン編という暴挙に出なかったことで、正直作品の鮮度や制作資金も考えるとこれ以上の構成は無かったし、これがBetterだった訳です。アニメで入った方、もしくは内容が理解できない箇所があったという方はどんな観方をしていたか気になる所で、各シーンや本編感想の前にステータス設定の基本をおさらいしてみます。↓
{netabare}
OVERLORDにはアニメで語られない設定がいくつかあり、ナザリック地下大墳墓は元々が体感型のオンラインゲーム“ユグドラシル”にあった為、ゲーム内のステータス設定に“カルマ値”というステータスが存在し、NPC達の性格付けに大きく関わっています。カルマ値とは「ゲーム内で善行や罪を犯すことで±される数値」で、ユグドラシルではキャラクター制作時に±500で決定されます。人間種・亜人種に当てはまらない“異業種”で構成されるギルド「アインズ・ウール・ゴウン」では、多くのNPCキャラクターが【カルマ値】マイナス…つまり悪性の【属性】ばかりで守護者に至っては極悪も存在します。

ナザリックの面々を悪性順で並べると―――

アインズ・ウール・ゴウン【極悪】【-500】(モモンガ、漆黒の英雄モモン、本作の主人公、萌えキャラ)
アルベド【極悪】【-500】(ヒドイン、守護者統括、モモンガを愛している、書籍版で追加されたヒロイン)
デミウルゴス【極悪】【-500】(守護者一の知恵者、忠義心のお化け、悪魔、仲間に優しいインテリヤ◯ザ)
シャルティア・ブラッドフォールン【邪悪~極悪】【-450】(パッド入り吸血鬼、エロゲ要素満載の変態)
ナーベラル・ガンマ【邪悪】【-400】(モモンの相棒、虫博士、ドッペルゲンガー、ポンコツ、棚ぼたナーベ)
ソリュシャン・イプシロン【邪悪】【-400】(有能ショゴスメイド、たまに太る、人を体の中で溶かすのが好き)
ルプスレギナ・ベータ【凶悪】【-200】(ワーウルフの赤髪メイド、サディスト、三歩で忘れる通称:駄◯。)
アウラ・ベラ・フィオーラ【中立~悪】【-100】(ダークエルフ、双子の姉、シャルティアやユリと仲良し)
マーレ・ベロ・フィオーレ【中立~悪】【-100】(双子の弟、男の娘、心も女の子寄り疑惑?、天然鬼畜)
エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ【中立~悪】【-100】(擬態した蟲メイド、…はぁ…エントマちゃんかわゆ…)
ハムスケ【中立】【0】(ジャンガリアンハムスター、モモンの乗り物、♀、婚活中、デスナイトと仲良し)
コキュートス【中立】【+50】(武人、氷属性の蟲、バトルマニア、武器マニア、デミウルゴスと仲が良い)
ザリュース・シャシャ【中立~善】【+100】(トカゲの戦士、旅人、飼っているヒュドラの名前はロロロ)
シズ・デルタ【中立~善】【+100】(自動人形メイド、可愛い物好き、あと数回変形を残しているロボ(嘘))
ユリ・アルファ【善】【+150】(プレアデス副リーダー、デュラハン、お姉さん、メガネっ娘&ボクっ娘)
セバス・チャン【極善】【+300】(プレアデスリーダー、竜人、チバスチャン、紳士、Web版ではハーレム王)

創造主に作られたNPC達は善悪の基準や“そうあれ”と定められた設定の中で“ロールプレイ”をしています。ゲームらしい面白い点ですし、実はユグドラシルがサービスを終了する前から意識が有りプレイヤー達の会話を聞いていたらしく、その時に自由に動き言葉を発することは出来なかったものの記憶にあるらしいです。喋らないNPCを設定する時にはわからなかった、性格付けと設定が乖離し相反する場合も多く、作中ではギャップになっていて魅力になっています。例えばシャルティアは江戸時代に遊女が使っていた“廓詞(くるわことば)”「~ありんす」などを語尾につけて喋りますが素は普通に喋りますし、アルベドはサキュバスで処女。プレアデスのメガネをかけたメイドのユリは、教師である「やまいこ」に創造され、規律正しい姉的な立ち位置と裏腹に“ボクっ娘”であり普段は恥ずかしいので私と言う…など。(やまいこの一人称も僕)ちなみに王都で活躍するセバスとソリュシャンの2人は極善と邪悪のコンビで、ソリュシャンの残虐性をセバスが窘めている構図でした。行動原理をこれらのステータス設定で考えると他の場面やキャラクター達に対しても合点がいき面白いかもしれません。
{/netabare}

《ネタバレ有り感想》

原作を読んでないと気づかない部分も含めのネタバレですが、この先3期が有れば明らかになる謎も多いので、1シーンで完結している情報だけ載せます。

まずはリザードマン編。
{netabare}
前作のラスト、洗脳されたシャルティアとの戦闘から間もない時分、プレイヤーの存在などを考慮し行動するナザリックの面々に新キャラクターが登場します。1話冒頭から犬のメイド長やら“ぷっちょ”みたいな頭をしたバーテンダーに執事助手の弱っちぃペンギンなどファンからすると最高のファンサービスで、とても嬉しい第一話でしたしワクワクもしましたが伏線にしかならないキャラクター達をこんなに登場させて話がまとまるのかと心配な部分でも有りました。(今考えればⅢ期あったからなのですね)原作ファン以外にはわからない部分も多そうで伏線として覚えていられるかはどれだけ本作を真剣に観ているかで変わります。アルベドさんは相変わらず病んでいます。最後に5話までメインとなるリザードマンの長と戦士ザリュースの顔見せをして1話は終わりです。

その後、各集落へと赴き共同戦線を築こうとするリザードマン達とナザリックの面々が交互に登場。この戦いに赴くコキュートスは前述の通りカルマ値が中立の善寄りの為、虐殺や蹂躙といった思考で無く武人として敬意を払い戦いを仕掛けます。これがデミウルゴスやシャルティアなら嬲り殺しでしょう。このオーバーロードⅡでは前半が“善寄り”のコキュートスとセバスが主役のために悪のギルドらしからぬフェアプレイを行うことが多かったですね。なんだかんだ有り、リザードマンが団結しナザリックの新キャラクター達の紹介も終わりました。

5話(笑)シャルティアへの罰(ご褒美)の“アインズの椅子になる”変態プレイと“トカゲックス”というファンの間で作られた新語に笑わせてもらいました。お茶の間に悪影響しか及ぼさない展開目白押しのTHE深夜枠アニメオーバーロードⅡ。その後もシャルティアへの罰を見て歯ぎしりをし壁を壊すアルベドとは対照的に、デミウルゴスの『守護者に座するとは!!』の嬉しそうな声と顔には笑わせてもらいました。アルベドが遠隔視の鏡<ミラー・オブ・リモート・ビューイング>でクルシュ達を見てボソッと一言「羨ましい…」とサキュバスの本能を見せ、閨を共にしてくれないアインズ様とあんなことがしたいと妄想しています。本能だから仕方ないので、アインズ様はいつか男を見せて下さい。(身体無いけど)

ここでも前回の失敗から得たユグドラシルプレイヤーの存在を考慮して動いていて、この先アインズの行動には全て当てはまると考えて良いでしょうね。『氷結の武神』の格好いいサブタイトル通り、死闘(コールドゲーム)を終えた後、コキュートスの進言から己の意志で判断し成長する余地を感じたアインズは喜びます。アインズやギルドメンバーが苦労して制作したNPCたちに対し自分たちの子供であるように接していて、この辺りから守護者に対し成長を促すよう積極的に取り組み始めます。守護者他NPCたちも至高の御方々を神(創造主)や親として崇拝し信頼(信仰)を寄せているので親子のやりとりを見ているようで物騒な話をしていても和みますね。

死から復活した後の朦朧とし舌が回らないザリュースの演技が絶妙で評判が良かったようです。東地宏樹さんはラジオにゲストとして来てらっしゃいましたが、リスペクトを持って演技をしてくださっていたらしく、本作の役者さんはOVERLORDを愛してくれる方が多くて嬉しい。ドラマCDから声優変更が無い珍しいパターンで、付き合いの長くなったレギュラー陣は特に思い入れが強いようです。そしてリザードマン編が終わり次の章へ……カットされていた見せ場など多くありますが構成的にここらで終幕にしないといけません。{/netabare}

ここからは王国編です。
{netabare}
王国編のスタートは、ナザリックの執事『セバス』と、プレアデスのメイド、『ソリュシャン』が活躍します。娼館で奴隷として扱われていた少女をセバスが拾い滞在する屋敷へと連れ帰ります。その後ソリュシャンに彼女の介抱を任せますが、アニメではあえてボカしたシーンがありました。少女(ツアレ)がかかった梅毒や性病、骨折や切られた腱などの傷を癒やしたソリュシャンでしたが、この時ツアレに向かって三日月型の異業種らしい笑みを浮かべ意味深な台詞を言います。

「まずは食べてしまうとしますか」

セバスに“彼女を元の状態に戻すこと”を強調して確認したソリュシャンには狙いが有りました。それはツアレ自身も知らない“お腹にいる胎児を食らうこと”。ソリュシャンはモンスターですが人型なので、下手をすると倫理規定に触れる危険性と、いつ出来た子供なのか娼館であった出来事も連想してしまうのは想像に難くなく、人食が好きな異業種(ショゴス)の描写を察しのいい人と原作既読組が気づく程度にしていました。アニメ版では残酷描写や発言がソフトになっている事が多く、本来なら拷問や人間の使い道と成れの果てまで細かく描写する上、Web版では捕らえた人間を性奴隷として扱うことも当たり前なので、アニメは地上波用の「ダーク(50%)ファンタジー」として作られています。…ですが、これでも顔を歪ませている視聴者は多かったようです。

王都での守護者各員が集まった、報告の義務を怠ったセバスへの糾弾のシーン。これもわかりにくかったですね。アニメからの方はほとんど「?」だったかと。アインズをはじめ守護者各員が集う中、御方への忠義心を試すため、この場でツアレを殺せと言われるセバス。忠義に一点の曇りも無いセバスに選択肢は1つしか無く、自身が招いた最悪の結果に苦しみながら拳を振るいます。これはデミウルゴスが仕掛けたテストでナザリックへの忠義心を試すものでした。創造主である「たっち・みー」と「ウルベルト」の仲が悪かったことや「正義」と「悪」の両極であるセバスとデミウルゴスは反発しあう水と油の性格であることも関係していたようです。ツアレも死なずセバスへの疑いも晴れ、アインズがガルガンチュアを抱えナザリックに戻るシーンで、

「グレーター↓・・テレポーテ~↑ションッ!!」

普段と違うテンションで数人が訝しげな顔に…。実は裏切りの可能性があるセバスの前にナザリックの代表が顔を出すのは如何なものかと、影武者を立てています。影武者CV:宮野真守の能面の彼で、変身能力を持つパンドラズ・アクター。アインズに作られたドッペルゲンガーで〈変身能力〉のあるパンドラズ・アクターはアインズの影武者でもあります。その後、本物が転移してくるというシーンでした。

セバスと行動を共にしているソリュシャンはプレアデスの中でもかなり優秀で、アインズに報告を怠るセバスに心中かなり不満を持っており、彼女はそれでもセバスの言を守り我慢してギリギリまでアインズへ報告をしません。その上で、問題が起きると躊躇いなく裏切りの報告をする有能メイド。事が収束してからの小麦の買い付けで仕事を終え嬉しそうなソリュシャンの顔は密かに好きな部分だったりします。ドラマCDで先行してやったところがいくつかアニメ化したひとつで、出稼ぎに出ているモモンが必要な物が多く出費がかさんで仕方ないと愚痴ります。この資金不足は最終回のゲヘナ作戦において人間から金品を大量に奪い当面の解決に至ります。※ここから王国の人々が出てきますがデミウルゴスちゃんが語っているので人間側には触れません。(嘘です。Ⅲ期への伏線が多くあって、どこが使われるか使われないか不明のためネタバレ防止として触れられませんのであしからず。)

ついにエントマの本性がでました。この戦いは原作から楽しみにしていて、番外編の「ぷれぷれプレアデス」の1期のエンディングテーマ「L L L」をプレアデス達が歌う回(特別編)で少しだけ本性が漏れ出ていました。プレアデスで大きく活躍するのはソリュシャンとエントマですが、他のメイドたちも一期より活躍が多かったかもしれません。丸山くがね書きおろしドラマCDではプレアデスや守護者客員も大活躍なのですが、閑話休題の話ばかりなので大筋にはあまり出てきません。たまに見かける意見で日常系のような回をもっとやってくれという意見も多いようで、だからこそオマケとして存在するファンサービス「ぷれぷれプレアデス」なのでしょう。

最終話直前で姫の狂気を表す作画がイマイチだなと思っていたのですが、12話の最後に出た姫の表情は良かったです。この辺まで来ると特に人間側は3期+その後への伏線が多くなるので感想はやめにしておきます。{/netabare}

【:余談】
{netabare}
東映作品に関わっていた時の“作画は3000枚まで”の制限が役立ったと監督がインタビューで仰ってました。その記事では、「250カットを止められれば50カットをフルで動かすことで躍動感のあるアニメーションが作れるのではないか」という低予算での苦肉の策であり作品をより良い物にしようと思う熱意が語られていました。原作が面白くても、アニメでは全く別の神経をつかうでしょうからアニメが面白くなったのはスタッフ陣の力も大きいのでしょう。次回予告やネット限定配信など、自由度の高さと作品への愛情がよくわかります。オーバーロードに思うことは原作ファンに優しく、ターゲットを限定的な場所へと置いていると感じるところ。興味を持てば持つほど楽しくなっていく作品なので、作品のことを考えている時間が長ければ長いほど印象に残っていく感覚が過去に夢中になったアニメと重なるのだと思います。

前回と同じくラジオもやっていて、2期が決まった時も復活したラジオで初出しでした。情報源や裏話として大活躍しているコンテンツなので興味ある方は聞いてみて下さい。知っている方はOVERLORDにドップリはまっている人でしょうね。仲間です。

そんなラジオでデミウルゴス役の「加藤将之」さんがゲストで来た回はコラボしたメイド喫茶に日野さん含め男3人で行っていました。加藤将之さんはTwitterなどでも作品愛を語っていて原作も熟読しているので理解が深く嬉しい限り。この熱意はオーディオコメンタリーやⅢ期のラジオで再びゲストとして登場した回に聞けますし、もしかするとまた来てくださる気がしますね。間違いなくキャスト陣一番の〈OVERLORD知恵者〉加藤将之さんの話も聞ける「~ナザリック地下大墳墓 定例報告会~」をよろしくお願いします。

同時進行していた「ぷれぷれプレアデス2」も最後まで緩く、原作ファンが喜ぶ設定など入れ込んでいて大いに楽しんでいました。ネットで公開されていた次回予告のノーマルバージョンとスペシャルバージョンも、本編で活躍のあまり無いキャラクターが出演するなど嬉しいものでした。
{/netabare}
最終話:感想
{netabare}
最低の作戦、英雄と崇められる者が実は極悪人というマッチポンプはお見事です。流石のカルマ値【-500】【極悪】ヤルダバオト(デミウルゴス)。ここでは作戦名「ゲヘナ」において使われる魔像や作戦概要などを説明した後、王国側の戦力と適当に戦います。人類にとって強大な戦力かつ重要人物であるイビルアイは、アダマンタイト級冒険者チーム〈蒼の薔薇〉の一員で種族はヴァンパイア。彼女の知識は長寿の為にOVERLORDの根幹を暴いてしまうキャラクターらしく、書籍でも多くは語られていません。作中屈指の人気であり人気投票4位!アニメでも結構活躍しました。Ⅰ期Ⅱ期Ⅲ期と人気投票上位の特に目立ったサブヒロイン達がいて、Ⅰ期がクレマンティーヌ、Ⅱ期はイビルアイ、Ⅲ期は「―――」(お楽しみに~)

打ち合わせ通りの戦いが始まり、メイドのユリとシズが共闘しイビルアイと戦いますが、二人相手にも結構いい勝負をしするイビルアイ。エントマはイビルアイが使う殺虫スプレーのような魔法への相性が最悪だった為大きく不利な状況でしたが、肉弾戦を得意とし防御魔法も貫通させるユリと、銃火器での援護が出来るシズはイビルアイと相性が良い組み合わせでした。ナーベラル曰く、相性が良くても一対一だとユリとシズよりイビルアイが上まわる可能性が高いようです。激戦が繰り広げられる横では戦っているはずのメイド達とナーベラルが仲睦まじく歓談をしており微笑ましい。「人間の名前を記憶できる?」なんて話をしていました。彼女たちは姉妹として作られていて、全員同じ部屋で暮らす仲良し姉妹だそうです。英雄モモンとイビルアイが初めて対面する時、エントマを戦闘不能にしたイビルアイにナーベラルが怒りを隠しきれなかったのは“家族”を殺されたかもしれないと思ったからで、もしヤルダバオトが間に入らずイビルアイがエントマを殺していたなら、ナーベラルが飛び出す前にアインズがイビルアイを殺していたかもしれません。勿論状況把握や利用価値も考え短絡的にならないようにする可能性もありますが、アインズには自分たちが作り上げたNPCに対してそれほど愛情があり、NPCたちもそれぞれ絆の深い者がいます。ユグドラシル(ゲーム)運営が作ったNPCとは思い入れが違うのは理解できますし、ましてや体感型だった所から現実世界になった上、この世界で唯一の仲間(家族)たちなので、考えてみれば当たり前かもしれません。

ヤルダバオトとの戦闘時モモンが使ったのは魔法ではなく魔法力を持った槍と剣でサブウェポン。剣士状態(漆黒の英雄モモン)の時は魔法が使えないため、補助の属性攻撃として携帯しているアイテムでした。この時使った氷の剣“フロストペイン”はザリュースのものではなく、模倣した結果本家の性能を超えた自作物。ヤルダバオトが驚愕に慄いているのは演技ではなく本気でこの剣の存在を知らなかったようです。書籍ではもう少し戦うのですが尺の都合上コンパクトになっています。Ⅰ期の時にハムスケとの戦闘が劇場版で追加されることもあったので、もしまた期間が開いてⅣ期をやるなんてことになったら補完のために劇場版を作って欲しいですね。劇場行きます!!{/netabare}

これにて最悪最低のマッチポンプも終わり続章へと進んでいきます。
{/netabare}
そして――2018年7月から3期がスタート!!

今度はナザリック陣営も大活躍!!!


刮目して待て!!! わたし!(・∀・)←

投稿 : 2023/06/03
♥ : 39

TAMA さんの感想・評価

★★★★★ 5.0

偉大なる御方に、忠誠を…。2期は守護者達の成長とマッチポンプ、そしてある種は傅き、ある種は野心を覗かせる…

物語には全て面白いと言う事は無いと思う。
この2期は次への準備、料理で例えると食材を集めて調理をしているって言う感じでしょうか。
この作品だけでも目を惹く物はありました。勿論1期を観てないと『?』となりますが。


原作(ラノベ・Web版)・未読。
マンガ・1〜10巻まで。
アニメ・全話視聴。(全13話・30分アニメ)


原作を見てる方から少し表現が足りない場所があると聞かされましたが、それでも楽しめました。
ま、私がこの作品が好きだからフィルターがかかってると思います。なので変な感想になるだろうなと最初に謝っておきます。


■…さぁ、統治の実験だ。と+α。(リザードマン編・♯1〜♯5)

NPCだったキャラが自らの思案を巡らせる…。
経験で戦術や戦略を得られる→成長の可能性→成長は変化→さて、絶対的な忠誠は…?

リザードマン編はコキュートスの変化がとても楽しめました。それどころか、リザードマン達の設定も良く出来ていて入りやすかったと思います。
よそ者を嫌い閉鎖的な社会で階級社会。部族間でも交流は盛んでは無い。
アニメを観た感じではザリュース(リザードマン)以外に農耕や畜産などの技術は無かった様に見受けられた。ザリュースのみ養殖の技術がある。
ザリュースは旅人なので『よそ者』に入る。なので周りの風当たりも強い。
簡単にここまでにしておきます。

いやー…色々と妄想を膨らませてくれました。
勿論ナザリックの為の行動もね。
コキュートスの武人としての心構え、戦うとなったリザードマン達の繋がり、需要があるのかな?リザードマンの☓☓☓、ある意味ご褒美のシャルティアさん!(笑)、と、これ以外にもありますがやはり根幹の設定が良いのかな?存分に陶酔する事ができました。

コキュートスの成長、失敗、機転の効いた判断などもうNPCでは無いと…。その後のコキュートスのアメとムチとは果たして…。そしてコキュートスはどう罪を払拭するのか…。
…普通に観ると主人公ポジションがリザードマンになる不思議(笑)


■…情報収集、のち奴隷と出逢う。その後王国にヤルダバオト降臨!…と言う名の…。(王国編・♯6〜♯13。♯6からOPに多少の変化あり)

セバス無双!むっちゃカッコええ!
こーゆー紳士に憧れる!
セバスフェーズ後、王国サイドに事件発生。

■…まず『セバスサイド』から。
「誰かが困っていたら助けるのは当たり前!」、セバスの『親』と言うか産み出した『たっち・みー』の言葉。愚かな行為と分かっていながらも助けてしまったセバス。親と同じその言葉、その行動に「呪いなのか」と苦悩する。
しかしこの行動がある出来事に巻き込まれる火種となり…
と、こんなとこでしょうか。

この作品は色は『黒』と表現するのが1番合うと思いますが、やはり表現出来ない部分とかあるのでしょうね。ソリュシャンの「食べてしまう…」の意味が分からない人も居たと思います。
『ツアレ』がどんな境遇でどんな酷い事をされたのか、そしてソリュシャンは第1期で人間をどうしたのか、そこら辺から考察すると分かりやすいかもしれません。

そして『ツアレ』のフルネームは…
1期に…

しかしソリュシャンはかなり分かりやすかったですがナザリックの住人は(モモンガ除く?)人間に対して嫌悪感を抱いてるのが多いですね。
だから余計にセバスは自身の行動に苦悩するのでしょう。奴隷以外にも助けたり教えたり…セバスはナザリックでは珍しく『弱者救済』を備えてる様に私は感じました。
セバスのこの行動がソリュシャンの「セバス様に…」の発言に繋がるのでしょう。

NPCでは考えられない行動を取ったセバス。(目立たない様に行動しろと命令されていた)
しかしアインズへの忠誠は確か。セバスは如何に自分の失敗を結果で示したのか…、41人に従う犬か、己の意志を正しいとする者か…さぁ、セバスはどうする?

…グレーターテレポーテーション♪!
ア、アインズ様?どうしたの?って最初は思いました。アレでは分からないよ(汗)
私も教えて貰ってあの行動の意味が分かりました。
アインズ様が作った…(以下略)


■…錯綜する智略・謀略。裏側で蠢くものは…。(王国編・王国サイド)

うわー…、いい顔するわぁ。ラナー王女様。
その顔は麗しき顔か…はたまた化物か…。

…六腕、ギャグか?お前ら。

そして『アルベド』の言葉の意味とは?


…『王国サイド』。
貴族達は派閥争いや帝国の進行の話や自分が得をする様な話ばかりの中、王国の裏側で暗躍する『八本指』。これを放置すれば王国が内部から崩壊すると危惧する『ラナー王女』。
ラナー王女にはチカラが無いが『蒼の薔薇』や『クライム』が協力し事にあたることに…
しかし、八本指以外にも厄介な出来事が発生!
さて、王国はどう動く?


これを初めて観た時、「ラナー王女って怖いな」ってのが第一印象です。確かにそーゆー『顔』をするけどあの『智略』がですね。
ラナー王女が見ている『もの』は一体何なのか、本当に『王国』の為?の考えなのか、今後開示されていくのでしょうね。楽しみで仕方ないです!

しかし『ラキュース』、「キャッ」じゃないよ。
中二患ってらっしゃるのか?と、もしくは至高の御方に作られた設定…なわきゃないか(笑)
最終話近くに『恋する少女』も出てくるなぁ。シリアス展開なのに若干笑わせて貰いました。

『ゲヘナ』部分はかなりのネタバレになるのでここでは書かないようにします。どう書いても私の語彙力では表現不足やかなりのネタバレを踏んでしまうので。

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2期で1番気になったキャラはやはり『ラナー王女』。最後までいい顔をなさる。

『ガゼフ』と『ブレイン』が名前で呼び合ったり、『ブレイン』があるキャラの爪を切ったとこも人間パートとしては良かった。

ストーリーはやはり『セバス』ですね。
王国編の時も良かったですがエピローグ部分も中々…フフッ。結婚退し…あ、ワン☆(ネタです)

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オススメするかどうかは私からは何も言えません。
好きな作品なのでちゃんと評価出来てるとは全く思ってないので。
ダークヒーローや1期が面白く続きが観たい方には良いと思います。ストーリーに好みがあると思いますが。

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この作品ってOP, ED曲も結構作り込んでますね。
OP曲は特にストーリーに関わるキャラが出現するので、原作をまだ見てない私はそこで色々と想像して楽しみました。
後は『歌詞』ですかね。両曲共『心情』を表してるのかな?と思いました。
OPは『アインズ様(モモンガ)』で、EDは『アルベド』かな?って。間違ってたらごめんなさい。

コミケでも感じたんですが海外の人(特にアメリカとかヨーロッパ系)は結構この作品を好きな方が多かったですね。
2期1話のED曲後の原作者『丸山くがね先生』の
お礼文も国内外に向けてでしたし海外人気の方が高いのかな?と感じました。

さて、締めもアニメ版のネタで…


『…喝采せよ!』

『…我が至高なるチカラ(3期)に』

『喝采せよ!!』

(2期13話終了後より拝借)

投稿 : 2023/06/03
♥ : 14

ヘラチオ さんの感想・評価

★★★★★ 4.3

1期よりも面白い

デミウルゴス察しが良すぎて勝手に都合よく解釈してくれるのは相変わらず草
アルベドもやっぱり最高だ
モモンとしての活動量も増えてプレアデスのメンバーたちの活躍見られて最高です。

セバスが紳士的で非常にカッコイイなとしみじみ

2期のおかげで3期が非常に楽しみになったのであった

OP
GO CRY GO OxT
ED
HYDRA MYTH & ROID


以下はアマゾンプライムから引用のあらすじ。
1. 絶望の幕開け
突如異世界に転移して以来、アインズはナザリック地下大墳墓の主として、守護者たちの偉大なる支配者として振る舞う日々を送っていた。一方で、情報収集と資金獲得のため、冒険者モモンとしてエ・ランテルを拠点に活躍。ギガントバジリスクの討伐など、アダマンタイト級冒険者に相応しいとされる実績を積み重ねていく。そんな中、ナザリックへ帰還したアインズは、守護者を統括するアルベドと人間界で得た情報を含めた現状の報告会を執り行う。

2. 旅立ち
黒雲のモンスターに死を宣告された《緑爪(グリーン・クロー)》。彼我の戦力差は非常に大きいと理解しつつも、ザリュースの進言により戦うことを決意。こちらの戦力を見極めているであろう相手の計算を狂わせる為の策として、過去に壮絶な争いを繰り広げた他部族との同盟を提案する。シャースーリューから許可を得たザリュースは、無事に同盟関係を結んで帰ってくることを誓い、相棒のヒドラ・ロロロとともに《朱の瞳(レッド・アイ)》族の村へと向かう。

3. 集う、蜥蜴人
リザードマンの中で最も屈強な《竜牙(ドラゴン・タスク)》族。その族長ゼンベルは、同盟を求めるザリュースに対して一対一の戦いを求める。戦いに応じたザリュースは、なんとか勝利を収め、心強い味方を得る。そしてすぐにゼンベル、クルシュとともに“一番目の死の供物”に指定された《鋭い尻尾(レイザー・テイル)》族の村へ向かう。そこには、すでにシャースーリューをはじめ、各部族のリザードマンたちが集結していた。

4. 死の軍勢
勝利を収めたことに歓喜するリザードマンたち。敗退したことを深く悔いるコキュートスだが、アインズは敗退そのものを余り気に留めておらず、守護者が戦いから”学び”を得たことに喜ぶ。しかし、敗退した事実に対する罰は必要だとしてリザードマンの殲滅を命じるが、コキュートスの提案とデミウルゴスの助言により、将来的な他種族の統治を視野に入れ、その足掛かりとして支配を目的とした実験を行うべく、再びリザードマン達の元へ行軍を開始する。

5. 氷結の武神
決戦の夕刻、スケルトンの群れからコキュートスが姿を現す。その圧倒的な力を感じながらも、リザードマンたちは意を決して対峙。種の存続を賭けた戦いが開幕する。しかし、想像を絶する守護者の力の前に為す術なく倒されていくリザードマンたち。族長達が放つ渾身の攻撃も、コキュートスには傷一つ負わせることができず、次々に倒されていく。最後の力を振り絞り、シャースーリューとザリュースは一矢報いようとするが……。

6. 拾う者、拾われる者
リ・エスティーゼ王国の王都に滞在し、情報収集を行っているセバスとソリュシャン。ある日、スクロールを購入した帰りに街中を探索していたセバスは裏路地に入り込む。そこで、人目をはばかるように奇妙な布袋が捨てられるのを目にする。その中に詰められていたのは、痛々しい姿の女性だった。救いを求める声に応えたセバスは彼女を屋敷に連れ帰り、ソリュシャンに治療を命ずる。

7. 蒼の薔薇
まだ日も昇らない早朝。ロ・レンテ城内の訓練場でラナー王女付きの兵士・クライムは一人で鍛錬に励んでいた。剣の才能がないクライムだったが、忠誠を捧げる王女ラナーを守る力を得るため、ただ愚直に限界まで剣を振るう。そしてラナーは、親友であり《蒼の薔薇》のリーダー・ラキュースの協力を得て、王国を蝕む裏組織《八本指》に対策を講じようとしていた。

8. 少年の思い
ラナーに命じられ、ラキュースの伝言を届けるべく、《蒼の薔薇》のメンバー・ガガーランとイビルアイのもとへ向かったクライム。ガガーランたちからさまざまなアドバイスを受け、それを胸に刻み込む。その帰路でクライムは、大通りに人だかりができているのを見つける。人混みの先には、暴漢に囲まれたセバスの姿があった。助けに入ろうとするクライムだったが、セバスは一瞬で暴漢を倒してしまう。

9. 舞い上がる火の粉
ツアレを守るため、セバスは犯罪組織《八本指》が経営する娼館へ突入を決意する。協力を申し出たブレインとクライムは、セバスが正面から乗り込み敵を撹乱している間に裏口から侵入することに。裏口の近くで待機するクライムの前に、異変を察して隠し通路から逃げてきたコッコドールが現れる。その護衛は、凄腕が集められた《六腕》の一人“幻魔”のサキュロント。クライムは、彼らの逃亡を防ぐべくサキュロントと対峙する。

10. 王都動乱序章
ソリュシャンの報告を受け、アインズと守護者たちがセバスの屋敷に姿を現す。守護者たちが警戒して見守る中、セバスはツアレに関する報告を上げなかった責を問われる。さらに、ツアレがアインズの前に引き出された。アインズはセバスに対して寛容な態度を見せるが、失態を行動で償うよう告げる。死を悟ったツアレは覚悟を決めて目を閉じる。そしてセバスは--。

11. ヤルダバオト
アインズ・ウール・ゴウンに盾突く行動をした《八本指》を誅殺すべく、ナザリックの精鋭部隊が王都に集結した。指揮官のデミウルゴスの指示のもと、《八本指》の拠点を襲撃する。時を同じくして、ラナーたちも動きはじめていた。レエブン候やザナックの協力も受け、集められた冒険者や兵士たちを編成し、《八本指》の拠点を制圧しようとする。ブレインや冒険者たちとともにそのひとつに向かったクライムは、セバスと遭遇。再びセバスと共闘することに。

12. 動乱最終決戦
イビルアイとヤルダバオトが対峙する中、突如空から降り立ったモモン。イビルアイの求めに応じ、ヤルダバオトに剣を向ける。その圧倒的な強さにイビルアイは衝撃を受け……。一方、セバスたちが乗り込んだ《八本指》の拠点では、クライムたちがツアレを見つけて脱出しようとしていた。しかし、彼らの前に《八本指》警備部門の長であり、《六腕》最強の存在・ゼロが立ちはだかる。ゼロはブレインを強者と認め、一対一の戦いが始まるが……。

13. 最強最高の切り札
悪魔ヤルダバオトによる未曽有の危機。ラキュースや冒険者たちは、次々と現れる恐ろしい悪魔たちに奮戦し、クライムたちは悪魔に捕らわれているであろう人々を助けるべく炎の壁奥深くに潜入していた。そして、人々すべての希望を背負ったモモンが、ナーベとイビルアイを率いてヤルダバオトと対峙する! 激戦の中、建物の陰に移動するモモンとヤルダバオト。モモンは早速ヤルダバオト--デミウルゴスに計画の意図を問いただす。

投稿 : 2023/06/03
♥ : 7

81.1 10 ペンギンアニメランキング10位
カードキャプターさくら さくらカード編(TVアニメ動画)

1999年夏アニメ
★★★★★ 4.1 (711)
4397人が棚に入れました
木之本桜は友枝小学校5年生の元気だけが取り柄の女の子。そして魔術師クロウ・リードが創ったクロウカードの主である。今日から2学期、さくらのクラスに転校生の少年・エリオルが紹介された。さくらは彼になんとなく懐かしいような印象をもつ。「初めて会った気がしないなぁ」そうつぶやいたとき、「僕もですよ」と言いながらエリオルが現れた。それをイライラしながら見ている小狼と、楽しそうにビデオ撮影している知世。クロウカードが集まって平穏な日常が戻ったかに見えたが・・・。 ある日、友枝町に不思議な雨が降った。さくらはクロウカードでこの雨を静めようとしたが、なぜか封印の鍵が杖に変わらない!
ネタバレ

ピピン林檎 さんの感想・評価

★★★★★ 4.8

ぜったい大丈夫だよ、の魔法

ここのところしばらく、少女マンガ原作の長編「変身(魔法)少女」アニメのレビューばかり集中的に上げていましたが、その打ち止めとして、2018年1月から新章-クリアカード編-の放送が始まった本作のレビューを更新しておきます。

・・・って、好きすぎてレビュー書けないな、これ。
仕方ないので、以前書いた「クロウカード編」のレビューを手直しして、各話評価部分だけ更新します。

この機会に、一人でも多くの方が、本作を見始められることを願って。
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◆魔法少女のフォーマットを借りた古典的な初恋ストーリー

プラチナ(第3期OP)を聴くだけで泣けてくる伝説の名作アニメ。
超絶可愛い主人公「木之本桜」の活躍を描くだけではなく、むしろ、さくらとクロウカードを集めるライバルだったはずの「李小狼」君が次第にさくらに惹かれていく過程を細かく描き出している点が、隠れた鑑賞ポイントです。
全3期70話+映画2本(但し李君の実家のある香港に行く映画はストーリーの本筋には関係なし)


◆制作情報
{netabare}
原作マンガ       CLAMP(『なかよし』1996年6月-2000年8月連載)
監督           浅香守生
シリーズ構成      大川七瀬(CLAMP)
キャラクターデザイン CLAMP(原案)、高橋久美子
音楽           根岸貴幸
アニメーション制作  マッドハウス{/netabare}


◆作品別評価

(1) 第1期(クロウカード編Ⅰ) ★★ 4.6 (全35話) 1998年4-12月     
(2) 第2期(クロウカード編Ⅱ) ★★ 4.6 (全11話) 1999年4-6月      
(3) 劇場版(無印)         ★  4.2        1999年8月
(4) 第3期(さくらカード編)   ★★ 4.8 (全24話)  1999年9月-2000年3月
(5) 劇場版(封印されたカード) ★  4.3        2000年7月
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総合                ★★ 4.7 (全70話)+(劇場版2本)

※なお、原作マンガ       ★ 4.4


◆各話タイトル&評価

★が多いほど個人的に高評価した回(最高で星3つ)
☆は並みの出来と感じた回
×は脚本に余り納得できなかった疑問回
※各話の右端は登場するカード(「*小狼」表記は小狼がGETしたもの)

※なお、アニメに登場するクロウカード(のち、さくらカード)の総数は、トランプと同じ53枚(劇場版第2作に登場する「NOTHING(無)」のカードも含めて)。但し、WAVE(波)・THROUGH(抜)・LIBRA(秤)の3つは名前が呼ばれるだけで実際に使われるシーンはない。

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  ※小学4年の1学期~2学期の出来事

===== カードキャプターさくら(第1期) クロウカード編Ⅰ (1998年4-12月) =====
{netabare}
第1話 さくらと不思議な魔法の本 ★ 桜の季節、カードキャプター誕生 WINDY(風),FLY(翔)
第2話 さくらのすてきなお友達 ★ 一番の親友(知世) SHADOW(影)
第3話 さくらのドキドキ初デート ★  兄の親友・さくらの憧れの人(雪兎) WATERY(水)
第4話 さくらのくたくた日曜日 ☆ お留守番 WOOD(樹),RAIN(雨)
第5話 さくらとパンダとかわいいお店 ☆ 縫い包み店ツインベル JUMP(跳) ※挿入歌「夜の歌」
第6話 さくらとお母さんの思い出 ★ 母の幻と兄・桃矢の秘密 ILLUSION(幻)
第7話 さくらの怪盗初挑戦!? ☆ 美術館、ラストで小狼初登場 SILENT(黙)
第8話 さくらのライバル登場! ★ 香港からの転校生、李家の魔法 THUNDER(雷) 
第9話 さくらとふしぎなブローチ ★★ 大人っぽい同級生(利佳) SWORD(剣)  ※相手の気持ちを察する描写が◎
第10話 さくらと花の運動会 ★★ 知世の母(園美)とさくらの両親(撫子・藤隆)の縁 FLOWER(花)
第11話 さくらと知世の大きな家 ★ 知世の困り事、さくらのブーケ SHIELD(盾) 
第12話 さくらの終わらない一日 ★ ※珍しいループ回 TIME(時)*小狼 
第13話 さくらとゾウの力比べ ★ 動物園見学 ※小狼の意外な一面が描かれる回 POWER(力)
第14話 さくらと桃矢とシンデレラ ★ 星條高校学園祭 ※同上 MIST(霧)
第15話 さくらとケロの大げんか ★ STORM(嵐)*小狼、FLOAT(浮)
第16話 さくらと思い出の虹 ★★★ 夏休み、高原の別荘地での老人との出遭い ※第1期で一番印象的な回
第17話 さくらのこわーいきもだめし ★ 臨海学校 ERASE(消)
第18話 さくらと雪兎と夏祭り ★ 予知夢、月峰神社の蛍 GLOW(灯)
第19話 さくらと夏休みの宿題 ☆ 図書館、小狼宅へ、ラストに苺鈴登場 MOVE(移)
第20話 さくらと闘う転校生 ★ 2学期開始、苺鈴転入 FIGHT(闘)
第21話 さくらのながーいマラソン大会 ★ ※さくら・小狼・苺鈴が友情を深める回 LOOP(輪)
第22話 さくらとやさしいお父さん ★ 父(藤隆)の大学訪問 SLEEP(眠)
第23話 さくらと知世とすてきな歌 ★ 音楽室の謎の歌声 SONG(歌) ※挿入歌「夜の歌」
第24話 さくらの小さな大冒険 ☆ 『アリス』モチーフ回 LITTLE(小)
第25話 さくらともう一人のさくら ★★ カードの災い、ラスト観月先生登場 MIRROR(鏡)
第26話 さくらと不思議な先生 ☆ 観月先生転任 MAZE(迷)
第27話 さくらと思い出の神社 ★ 桃矢と観月の過去 RETURN(戻)*小狼
第28話 さくらとおまじないカード ★ 危険な攻撃カード SHOT(撃)
第29話 さくらのあまーいクッキング ★ 学校でケーキ作り SWEET(甘)
第30話 さくらとケガをしたカード ★★ 6年生の陸上少女、チアリーディング DASH(駆)*小狼
第31話 さくらと名前のない本 ☆ さくらvs.怪獣 BIG(大)、CREATE(創)
第32話 さくらとケロと小狼と ★ 小狼とケロちゃん入替り回 CHANGE(替)
第33話 さくらのさむーいアイススケート ★ FREEZE(凍)*小狼
第34話 さくらと雪兎と昼の月 ★ 友枝町クイズラリー、満月の夜の災い ※挿入歌「ヒトリジメ」
第35話 さくらのすてきなクリスマス ★★ 遊園地デート FIRERY(火){/netabare}
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★★★(神回)1、★★(優秀回)5、★(良回)22、☆(並回)7、×(疑問回)0 ※個人評価 ★★ 4.6

OP 「Catch You Catch Me」
ED 「Groovy!」


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  ※小学5年の1学期の出来事

===== カードキャプターさくら(第2期) クロウカード編Ⅱ (1999年4-6月) ======
{netabare}
第36話 さくらと雪の新学期 ☆ 進級、新担任(観月先生) SNOW(雪)
第37話 さくらと消えた知世の声 ★★ コーラス部発表会 VOICE(声) ※挿入歌「友へ」「しあわせの魔法」「やさしさの種子」
第38話 さくらの楽しいいちご狩り ★ 遠足回 LOCK(錠) ※挿入歌「プリズム」
第39話 さくらのふらふら熱曜日 ★★ さくらの風邪 ※ミラー再登場回 CLOUD(雲)
第40話 さくらと夢の中のさくら ★★★ 4人の休日デート、東京タワーと予知夢 DREAM(夢)*小狼 ※挿入歌「ヒトリジメ」
第41話 さくらと小狼と砂の海 ★ 学芸会稽古 SAND(砂)*小狼
第42話 さくらのまっくら学芸会 ★★ 学芸会当日、さくらの心の中にいたカード DARK(闇)、LIGHT(光)
第43話 さくらのさよなら苺鈴 ★ 苺鈴と小狼の過去、苺鈴香港帰国 TWIN(双)
第44話 さくらとケロと不思議な先生 ☆ 弓道大会、もう一人の守護者(ユエ)、この世の災い? EARTHY(地)
第45話 さくらと最後のクロウカード ★ 最後のカード封印、選定者ケルベロス&審判者ユエ、最後の審判
第46話 さくらと最後の審判 ★ 続き、この世の災い、月の鈴、星の杖、クロウ・リード ※脚本・演出の古さは残念{/netabare}
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★★★(神回)1、★★(優秀回)3、★(良回)5、☆(並回)2、×(疑問回)0 ※個人評価 ★★ 4.6

OP 「扉をあけて」
ED 「Honey」


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  ※小学4年の冬休み(第1期と第2期の間)の出来事

============ 劇場版カードキャプターさくら (1999年8月) =========

全1話 ★ 4.2 {netabare}香港渡航編 ARROW(矢){/netabare} ※1時間22分

主題歌「遠いこの街で」


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  ※小学5年の2学期~3学期の出来事

=== カードキャプターさくら(第3期) さくらカード編 (1999年9月-2000年3月) ===
{netabare}
第47話 さくらとふしぎな転校生 ★ エリオル君転入、カードの異変
第48話 さくらとめざめた星の鍵 ☆ 続き、星の力、さくらカード FIRERY(火)
第49話 さくらとキケンなピアノ ★ さくらのお見舞い SONG(歌) ※挿入歌「やさしさの種子」
第50話 さくらと小狼とみえない糸 ☆ 縫いぐるみキット購入、エリオルと仲間達 SWORD(剣)
第51話 さくらと大きなぬいぐるみ ★ 手作りくまさんの渡し先 JUNP(跳)、FLY(翔)
第52話 さくらのひつじ注意報?! ★ 知世の新携帯とアドバイス ERASE(消)、POWER(力)
第53話 さくらとパニック自転車 ★ さくらとカードの絆 DASH(駆)他9枚
第54話 さくらと思い出のカレンダー ★ 母の花のプレゼント、父と曽祖父の和解 FLOWER(花)
第55話 さくらと不思議の国のさくら ★ 『アリス』モチーフ回2 BIG(大)、LITTLE(小)
第56話 さくらとケロのお菓子な出会い?? ☆ 友枝小バザー騒動 SLEEP(眠)
第57話 さくらと小狼とエレベーター ★★ テディ・ベア展(4人デート回) FLOAT(浮) ※挿入歌「気になるアイツ」
第58話 さくらと二人の大ピンチ ☆ 仮の姿に戻れない守護者達 BUBBLE(泡)、SHIELD(盾)
第59話 さくらと知世とボールの罠 ★★ エリオル&知世のアドバイス SHADOW(影) ※挿入歌「夜の歌」
第60話 さくらと大切なお友達 ★★ 小狼と苺鈴の約束 FREEZE(凍)
第61話 さくらとカードとプレゼント ★★ カード達への感謝 ※ミラー再々登場回 MIRROR(鏡)、MIST(霧)他4枚
第62話 さくらと不思議なおみくじ ★ 月峰神社(初詣、予知夢) DREAM(夢)
第63話 さくらとプールと大きな波 ☆ 室内プール騒動 WATERY(水)
第64話 さくらと吹雪のスキー教室 ★★ 雪山合宿、エリオル君の苦手なもの TIME(時)
第65話 さくらと雪兎と消えゆく力 ★ 映画撮影、桃矢の献身(ユエ回復)、さくらの決心
第66話 さくらの一番好きな人 ★★★ 星條高校文化祭、さくらの一番の人 MAZE(迷)、ILLUSION(幻)
第67話 さくらと小狼と月峰神社 ★★ 手作りマフラー、月峰神社の夜祭 WOOD(樹)、THUNDER(雷)、GLOW(灯)
第68話 さくらと過去とクロウ・リード ★ 桜の神木(過去遡行)、クロウとの会話、エリオルの正体 SNOW(雪)、RETURN(戻) ※挿入歌「見えない地図」
第69話 さくらと現れたクロウ・リード ★★ 最後の試練、告白 CLOUD(雲)他7枚
第70話 さくらと本当の想い ★★★ エリオルの意図と予想外の出来事、名前のないカード、空港での別れ{/netabare}
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★★★(神回)2、★★(優秀回)7、★(良回)10、☆(並回)5、×(疑問回)0 ※個人評価 ★★ 4.8

OP 「プラチナ」
ED 「FRUITS CANDY」


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  ※小学6年の夏休みの出来事

=== 劇場版カードキャプターさくら 封印されたカード (2000年7月) ===

全1話 ★ 4.3 {netabare}友枝町なでしこ祭、さくらの返事 NOTHING(無)のカード+名前のないカード=HOPE(希望){/netabare} ※1時間22分

主題歌「明日へのメロディー」

投稿 : 2023/06/03
♥ : 11

Ka-ZZ(★) さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0

突如現れた謎の転校生…めざめた星の鍵…再びさくらがカードキャプターとして出動する!

この物語は「カードキャプターさくら」の2期に位置する作品です。
物語の内容に繋がりがあるので、前期を未視聴の方はそちらからの視聴をお勧めします。

クロウカード編では、カード収集の長い道のりと最後の試練を乗り越えて、ようやくカードの主として認められるようになりました。

これまで身の回りで様々な超常現象が起こっていたのはクロウカードが世に放たれてしまっていたから…
だから、カードを全て回収した今、もう身の回りで不思議な事が起こる要因は排除された筈でした。
ところが、超常現象は全て収まっていた訳では無かったんです。
きっかけは友枝町に降り続いた長雨…
隣町では星が見える夜空であるにも関わらず、友枝町だけに雨雲が停滞して雨がやむ気配は一向にありません。
そう、この雨はとある人物によって仕組まれたことだったのです。

桜は、クロウカード収集時と同じようにカードで雨雲を晴らそうとしたのですが、クロウカードは桜に反応しなかったのです。
それはクロウ・リードが作り出したクロウカードだったから…
そう、正式なカードの主となった桜はクロウカードを使い続ける事ができなくなっていたのです。

クロウカード収集時の最後の試練で現れた桜の属性は星…
従って、クロウカードを自分の属性に合致させる必要があったのです。

「クロウの作りしカードよ 古き姿を捨て生まれ変われ 新たな主 さくらの名のもとに」

こうしてクロウカードをサクラカードに変えていく「サクラカード編」の物語が動いていきます。

このサクラカード編を視聴すると、最初に妙な違和感を感じると思います。
別に桜やリ・シャオランが手を抜いている訳ではありませんし、桜の周りの人もこれまで通り一生懸命桜を支えています。

それでも払拭できない違和感…一言でいうと、桜たちが対峙しているのは「理不尽」なんです。
クロウカードをサクラカードに変える…
言うのは簡単ですが、遂行し続けるのはとても難しいことです。
なぜなら、カードを変換するには自身の魔力を注入しなければいけなかったから…

小学校5年に進級したとはいえ、桜はまだまだ子供…
生成できる魔力、蓄積できる魔力は、例えばどんなに素質があったとしても限界があります。
更に悪循環の根源になっているのは、桜自身が自分の限界を知らないこと…

クロウカード編を視聴した人なら、きっとこれだけでピンとくると思います。
桜は頑張り屋さんなんです。
どんなに苦しくても人に笑顔を見せる女の子なんです。
だから誰かの為に自分を追い込むのは、彼女にとって造作もないこと…
誰かがセーブしなかったら、きっと自分の全てを投げ打つのも厭わない女の子なんです。
でもそんなの誰も望んでなんかいません。
だからこそ、もどかしさを感じるんですけどね…

クロウカードをサクラカードに変える…
桜は自分の魔力を代償に、少しずつ使えるカードが増えていくのは目標でもありますし、彼女にとってきっと良いこと…
ですがカードの性質そのものを変えることの代償…これを当事者が見抜くのはとても難しかったと思います。
何故なら、変化が目に見えないから…

AがBになる、或いは大きさが半分になる…
こうして見た目が大きく変わってしまったら絶対に気付いたと思います。
でも世の中の変化って、目に見えるものばかりではありません。

きっと最初に異変に気付いたのは本人…
でも何の確証も無いので、いたずらに人を心配させたくないから口をつぐむ…
そのうち異変に確証が持てても一度つぐんだ口が開くことはありません。
だって、自分の大切な人に自分の事で心配かけたくないじゃありませんか…

敏感な人ならここで異変に気付く人がいてもおかしくありません。
桜の周りに敏感な人が居なかった訳でもありません。
あともう一歩踏み込めば繋がるラインを徹底的に第3者から踏みにじられ続けましたから…
やっぱりここで感じるのも「理不尽」なんですよね。

でもこのサクラカード編はたくさんの理不尽でモヤモヤするだけの作品ではありません。
時間を積み重ねにより、これまで見えなかったモノが見えるようになって…
これまで気付けなかったことに気付けて…
自分の気持ちに嘘をつかず、ありのままを伝える事の大切さと勇気を知って…
この僅かな時間の中で、みんなの心の成長は著しかったのではないでしょうか。

これまでこの作品は圧倒的なまでに「桜推し」で視聴していました。
でも、このサクラーカード編を視聴して、私の中で桜の次点はリ・メイリンになりました。
彼女の真っ直ぐさはとても気持ちが良いです。
彼女が真っ直ぐでいられるのは自信があるから…
そしてその自信を持つための鍛錬を決して怠らないから…
何に対しても絶対に逃げない彼女…
自分の信念と信条と笑顔を貫き通して…それ故に溢れた涙が止められなかった知世の家での1シーンは私も思わず貰い泣きでした。

失ったモノはゼロではありません。
以前のカード収集時より崖っぷちに立たされた桜たち…
どんなに傷付いても、どれだけ痛みを伴っても…所期の目的を完遂させようと必死にもがく桜たち…
彼女たちの雄姿が気になる方は是非本編でご確認頂ければと思います。

2クール全24話の物語でした。
1期より物語自体はコンパクトになりましたが、全般的にとても丁寧に制作されていたと思います。
桜は1期以上に魅力を感じましたし、リ・シャオランだって随分格好良くなったと思います。
クリアカード編に突入する前に劇場版2作を視聴したいと思います。

投稿 : 2023/06/03
♥ : 15

ようす さんの感想・評価

★★★★★ 4.4

さくらと魔法と大切な人たち。

「カードキャプターさくら」は、
1期と2期にあたるのが「クロウカード編」、
3期にあたるのがこの「さくらカード編」になるようです。

なので「さくらカード編」を見る前に
「クロウカード編」の視聴は必須です。

子どもの頃に原作も「さくらカード編」までは読んでいました。
大好きな作品。

久しぶりにアニメで見返してみて、
作品としての完成度の高さに感服です。

少女漫画の名作だから全人類観て。笑

「さくらカード編」は全24話です。

※以下、「クロウカード編」のネタバレが少し含まれているので注意です。


● ストーリー
魔術師クロウ・リードが作った魔法のカードである“クロウ・カード”。

封印が解かれたことでバラバラになってしまったクロウ・カードもすべて集まり、新たな主として認められた小学生の木之本桜(きのもと さくら)。

平和な日常が続く中、
転校生・柊沢エリオル(ひいらぎざわ エリオル)がやってくる。

それと同時にさくらの周りで再び不思議なことが起こり始める。
しかし、なぜかクロウ・カードが使えない。

自分の魔力を使って新たな“さくらカード”に変えることでカードが使えるようになり、次々と起こる不思議な出来事を解決していく。


「クロウカード編」はクロウ・カードを集めることが目的でした。

そして「さくらカード編」は、クロウ・カードをさくらカードに変えながら不思議な出来事に立ち向かっていくお話となっています。

全体に大きな伏線や謎が張られていて、1話完結型のストーリーの中で伏線を回収していくストーリーの描き方がお見事。

カードを使う魔法少女。
とにかく今回もさくらの可愛さ爆発です。

「さくらカード編」の特徴のひとつとして、
恋のお話が動き出すところが見どころですかね。

さくらも、カード集めのときにはライバルだった李小狼(り しゃおらん)も、高校生の月城雪兎(つきしろ ゆきと)に恋していました。

さくらは変わらず雪兎に恋していて、
でも小狼は自分の雪兎への気持ちは恋とは違うと気づき、
そして気持ちはさくらへ…

という胸キュン爆発展開。笑

アニメオリジナルキャラの苺鈴(メイリン)は、
「クロウ・カード編」ではいまひとつ好きになれなかったのですが、

今回はものすごく好きなキャラになりました。
本当に小狼のことが大好きで、一途な気持ちに涙(´;ω;`)


最終話の展開は原作と少し違うなと感じたのですが、
どうも原作よりアニメの方が早く最終回を迎えてしまったためのようですね。

原作のラスト、大好きな名シーンだっただけに少し残念。


● キャラクター
ストーリーも面白いのですが、
やはりこの作品はキャラが完璧だなと思います。

主人公のさくらは、
いろんな影響を与えた文句なしの完璧主人公キャラ。

友だちも家族もカードたちも大好きな素直で優しい女の子、
めげそうになるけれど、周りに励まされてピンチを乗り越えていく心の強さ、
そして天才的な可愛さ。

もうひとつの特徴として、
さくらの衣装へのこだわりが挙げられます。

不思議な出来事に立ち向かう時には、
親友の知世(ともよ)ちゃん作成の衣装を着るのですが、
毎回デザインが違うんですよね。

しかも全部可愛いし、
どれもめちゃくちゃ似合ってる。

私服も毎回違っていて、
それもどれも可愛い。

何でも似合うさくらの可愛さは本当に天才的。

ふりふり衣装でもなんでも可愛く着こなせるのは、
小学生という設定の強みでもあると思います。


李小狼。

カード集めでも恋でもライバルであり、
時には助けてくれる心強い友だちでした。

「さくらカード編」ではさくらへの恋心を自覚し、
なんでもお見通しの知世ちゃんに背中を押されながら、
告白しようと頑張る小狼が可愛い(*´Д`)

さくらがピンチの時にはいつも支えて、
本気で心配してくれ、優しくてかっこよくてヒーローです。

一番好きなキャラを聞かれると、
私は小狼と答えるかなあ。


今回いろんな事件を引き起こす張本人であるエリオルも、
別に悪い人というわけではないし、

とにかくキャラ配置が完璧なのよね。
どのキャラも魅力的すぎる。


● 音楽
【 OP「プラチナ」/ 坂本真綾 】

名曲です。大好きです。

それ以上に言うことがありません。笑


【 ED「FRUITS CANDY」/ こじまめぐみ 】

曲も可愛くて好きなのですが、
何よりも映像が可愛くてセンスのかたまりすぎて大好き。


● まとめ
放送は1999年からなのでおよそ25年前の作品なのですが、
今見てもものすごく面白かったし、

キャラの言動が完璧で、少女漫画としての完成度も高くて、
あらゆる場面で原作者のCLAMPの天才っぷりを感じずにはいられませんでした。

何度も言うよ、本当に名作です。

私の中では「カードキャプターさくら」はここで完結なんだけど、
今は続編である「クリアカード編」があるんですよね。

さくらが中学生…うーん、小学生だからこその可愛さだと思ってしまっているところがあるから、そんな自分に受け入れられるかどうか…。

でも気になっているので、
そのうち続編も見てみたいと思います。

投稿 : 2023/06/03
♥ : 14