1988年秋(10月~12月)に放送されたアニメ映画一覧 4

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年代別アニメ一覧

65.1 1 1988年秋(10月~12月)アニメランキング1位
きまぐれオレンジ☆ロード あの日にかえりたい(アニメ映画)

1988年10月1日
★★★★☆ 3.7 (37)
155人が棚に入れました
 2月、春日恭介と鮎川まどかが二人で受験した大学の合格発表の日。 二人で会場に向かう途中、恭介はある言葉を聞きつけた。「私の出るお芝居、見に来てくださいね!」 それは去年の夏に、檜山ひかるが恭介に言った言葉と同じものだった。
 その言葉と共に、恭介の脳裏に去年の夏の光景が再び浮かび上がってきた。それは二度と戻らない夏の、そして苦い――まどかとひかると恭介たちの三角関係の終わりが来た夏の……。 ひかるは芝居の特別公演のオーディションに応募することを決め、一方恭介とまどかは大学受験の受験勉強の最中。 その間にもひかるは「恋人ぶり」を発揮してどんどん積極的になるし、まどかはその様子を見て恭介から離れて行こうとする。しかしある日、ひかるはまどかの恭介に対する気持ちに気付いてしまう。 その頃、恭介はある決意を決めていた。それから三人の関係はだんだん揺れていき……
ネタバレ

ossan_2014 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2

少年期の終わり

【2016/08/26 追記】


夏の終わりごろになると、ふと思い出されて見返したくなる。

思春期の終わりと一つの恋の終焉とが、夏の終わりと周到に重ねられて印象的だ。

三角関係の破綻と清算を丁寧に描く、というよりも、大仕掛けな物語を排してそれだけを追い続ける本作が、問答無用で二股恋愛への嫌悪をむき出しにする多くのアニメファンの感性にも関わらずあまり評判が高くないように見えるのは、原作やTVシリーズの世界観と断絶して感じられるからだろうか。

確かに、独立した映画作品であるという事を考えあわせても、同じタイトルを冠した「シリーズ」との不連続性はいささか行き過ぎている。
シリーズの締めくくりというよりも、「あり得たかもしれない物語」といったところだろうか。
しかし、この不整合は、製作者が原作やTVを蔑ろにして暴走したというよりも、主人公の春日恭介という「少年」に、むしろ深く愛着を覚えていたからではないか、と感じられる。


{netabare}原作を含めた「シリーズ」の世界観の中で「三角関係」を清算するとしたならば、おそらく「ひかる『が』恭介を振り、まどかを祝福する」といったあたりが落としどころとして妥当だろう。

これならば、少年マンガ的な、少年の自己愛的ユートピアを傷つけることはないからだ。

「罰」は、「罪」に対するペナルティであると同時に、それを受けることによって「罪」が贖われて「赦し」が与えられた、という事でもある。
少年のユートピアとして展開された「楽しい」三角関係は、少年の「罪」が「振られる」という「罰」を受けることで帳消しにされ、贖罪の済んだ安全なものとして解消されて、ユートピア性は少年の中に無傷で温存されるだろう。

だが、この「赦し」の先の未来に想像されるのは、自己愛的ユートピアを無傷で通過した、歳を重ね身長が伸びただけの「少年」に過ぎない。

少年マンガには相応しい「落としどころ」だが、製作者の恭介への過剰な愛着が、それを選ばせなかったのではないか。
「青年」として恋愛の官能を色鮮やかに生きる青春の黄金期を、恭介に与えてやりたいという思いが、本作の「逸脱」を決定づけているように思われる。


本作内で、仮想の「落としどころ」とは裏腹に、恭介には「罰」が与えられることはない。
製作者は「罰」という「赦し」を与えることなく、ただ自分の「罪」を噛みしめることしか恭介には出来ない。

自分が、言い訳も解消もしようのない「罪」を抱えているのだと骨の髄まで自覚し、もはや無垢の、「赦し」に浄化された「キレイな」少年ではないと思い知ること。
思春期の夢想的な恋を脱し、恋愛の恍惚を生きる青年へと至るための不可避の通過儀礼として、恭介の苦悩は描かれなければならなかった。
眼を背けたくなるほど無様に足掻く『ひかる』の失恋は、彼女にとっての通過儀礼であると同時に、何よりも恭介の「罪」を具体化するために、周到に配置されている。

製作者がここまで過酷にキャラクターを揺さぶる描写は、単に三角関係にオチを付けるだけにとどまらない意思を持っていたのだと思わされる。
三角関係は「いけないもの」だから解消させるという安直な規範意識では、一編の映画の半分以上も使って延々と恋の破綻を描写し続ける説明にはならない気が、どうしてもする。

そもそも近代的な情熱恋愛の観点からは、三角関係だろうが不倫だろうが否定されるものではない。
あらゆる規範や倫理に反していてもなお、とどめようもなく囚えられるのが近代的な恋愛というものだ。

だが、恋愛のプレイヤーとして恍惚と官能を生きる近代的恋愛の主体は、やはり大人でなければならないだろう。
たとえ三角関係であろうが、自らの選び取ったものだと倫理に背を向けて恋愛を生きるには、「自ら」を持つ成熟した内面が不可欠だ。
規範を知り「罪」を知ってなお、自らの恋愛を生きるためには。

少年マンガ的な自己愛のユートピアの住人には、それは不可能だ。
なし崩しに出来上がったユートピアに遊んでいる子供には。

「シリーズ」の整合性を超えて「ユートピア」の破壊とリセットを企図してしまったのは、製作者がキャラクターに、とりわけ恭介に接近して、子供の世界から先へ進ませたいと思うほどに愛着を抱いてしまった現れに思える。

あるいは、やはり本作はTVシリーズの影響下に構想された現れでもあるのか。

対象年齢の関係だろうか、アニメ作品の中の恋物語は、理念的な愛については語るが、恋愛の官能性にはまるで無関心であることが殆どだ。
(官能性は、単に性行為が描写されるかどうかという即物的なことではない)

記憶にある限りでは、官能性に自覚的な描写を意識していたのは冨野由悠季作品くらいだが、例外的に「TVシリーズ」では、物語の先に官能性をうっすらと予感させることがあった。
使用された数々の楽曲のイメージに影響されているのかもしれないが、この恋の「先」、加齢したキャラクターたちには次のステップがあると予感させるところが。


いずれにせよ、青年化と恋愛の官能は、製作者の中では結びついているようだ。

だからこそ、単に三角関係を解消するのではなく、思春期の終わりとして、青年期の第一歩として「罪」に慄く苦悩をキャラクターたちに科したのだ、とは牽強付会な妄想だろうが、今でも忘れがたく印象に残り続ける理由だと思う。

本作で恋愛の官能の入り口に立ったキャラクターたちは、もしかすると、いずれ三人での恋愛関係を結び直すかもしれない。
だがその時には、これが自分たちの選択であると、倫理規範など歯牙にもかけずに恋愛のプレイヤーとして恍惚を生きることができるだろう。
「自ら」の恍惚を。
少年期という夏の季節の終わりの物語は、そんな想像を膨らませてくれる。{/netabare}




シリーズ性を離れて、単体の作品として本作を振り返ると、脚本に力の入っていることが印象に残る。
活劇もなく日常描写に終始する映像は現代のアニメ表現力と比べるとかなりつらいのだが、脚本の力でストーリーを最後まで追わせることができる。特に、三角関係の破局が不意に到来するのではなく、時限爆弾がカウントダウンするように最初から破綻を内包しているのだと周到に構成されていて見事だ。
ひかるに「わたし、知ってたもん」というセリフを言わせるのは、何度観ても背筋を寒くさせる。


それにしても、メールもLINEもなく、公衆電話と親が取り次ぐ固定電話の距離感は、現代ではどう伝わるだろうか。
30年前の若者も、一生懸命恋愛していたのだ。


【追記】

上記の感想は、本作のテーマが原作およびTVシリーズよりも優れているという「評価」ではない。

原作の、大人になる直前に許された一瞬の「ユートピア」を切り取って作品世界として固定するというモチーフは別に悪いものではないし、劣っていると言われなければならないものでもない。
もしかすると、少年は社会規範の網の目に組み込まれた大人に「成長」しなければならない、という制度性への批判が「ユートピア」のモチーフを要請したのかもしれない。

本作と「シリーズ」と、一つのモチーフへの異なる方向からの愛着が、異なる物語を生み出したという事で、どちらが優れている/劣っているという話ではない。

投稿 : 2024/04/27
♥ : 3

計測不能 2 1988年秋(10月~12月)アニメランキング2位
ロジャー・ラビット(アニメ映画)

1988年12月3日
★★★★★ 4.6 (7)
26人が棚に入れました
全編に渡る実写とアニメの合成が話題になった超娯楽大作。アニメーションのキャラクターが現実世界の人間と共に生活を送る、47年のハリウッドを舞台に、彼らの住む漫画の町“トゥーン・タウン"の利権をめぐる殺人事件をミステリー・タッチで描いたコメディ作品。ストーリー自体も面白いが何と言っても合成技術の素晴らしさが目をみはる出来で、ドタバタコメディのスピーディさを維持した作りは圧巻! 登場する歴代アニメキャラクターの数もハンパじゃなく、ベティ・ブープからミッキーやドナルド、はたまた「ファンタジア」のカバのバレリーナまでと、どのシーンに誰が出てくるのか探すだけでも楽しめる。合成技術の成果は、アカデミー特殊効果賞・編集賞・音響効果賞、リチャード・ウィリアムズの特別賞受賞へと実を結んでいる。

たわし(爆豪) さんの感想・評価

★★★★★ 4.6

ミッキーとバックスバニーの共演

アメリカのカトゥーンのキャラクターたちと、「パルプマガジン」と呼ばれる1920年代から1950年代にかけて流行った「探偵もの」小説の実写化を融合したディズニーの実写+アニメ作品(配給はワーナー・ブラザーズ)

まずミッキーやバックスバニーが公式で共演しているという偉業だけでなく、アメリカンアニメーションの黄金期のキャラクターたちがかなり出てきたことでも話題を呼びました。

スティーブンスピルバーグやジョージルーカスの映画はインディージョーンズにしろ、スターウォーズにしろ全て実は元ネタがあり、

1920年代にアメリカで流行った「パルプマガジン」(クエンティン・タランティーノの「パルプフィクション」の元ネタでもある)に連載されていた三文小説から全て引用しているんですね。

「パルプマガジン」で連載されていた作品はスーパーマンやスパイダーマンなどのアメリカンコミックの原点とも言える小説で、SF、西部劇、ホラー、サスペンス、恋愛、社会派ドラマなどなど全てのジャンルを網羅する世界初の大衆向け雑誌だったのです。

現在におけるハリウッド映画や日本の娯楽作品全般はここから来ているといっても過言ではありません。

中でも1920年代当時はハードボイルド「探偵もの」小説や映画が大流行。フィルムノワール(暗く陰鬱な映画の総称)もこの時にできた言葉です。

この作品はそんな時代背景を舞台に公式でパロディ化した日本で言うところのギャグマンガみたいな作品です。

奇しくもこの映画が公開された1980年代当時の日本の空気感とソックリなので、そういう浮かれた気分で見る良作コメディ映画になっています。

投稿 : 2024/04/27
♥ : 4

計測不能 2 1988年秋(10月~12月)アニメランキング2位
陽あたり良好! KA・SU・MI 夢の中に君がいた(アニメ映画)

1988年10月1日
★★★★☆ 3.1 (9)
22人が棚に入れました
あだち充の大人気青春コミックスの劇場版アニメーション。テレビ版で描かれた世界の後日譚を描く。下宿屋・ひだまりに住む、岸本かすみや高杉勇作たちのさわやかな青春模様を描く。かすみは国際的なバイク・レーサーを目指す克彦という年上のボーイフレンドがいたが、同級生の勇作の存在も気になっていた。そんな中、克彦が「2年後、君と結婚するために帰ってくる」との言葉を残しアメリカへと旅立っていった。それから2年、克彦が、約束通り一流のバイク・レーサーになって帰国してきた……。森尾由美、三ツ矢雄二、井上和彦、塩沢兼人ら、大人気声優が多数出演。

計測不能 2 1988年秋(10月~12月)アニメランキング2位
怪盗ジゴマ 音楽篇(アニメ映画)

1988年11月12日
★★★★★ 5.0 (1)
7人が棚に入れました
個性的なイラストやエッセイで知られる才人・和田誠の手による劇場アニメ。舞台の幕が開くとそこに街角のオルガン演奏者が立っており、彼は噂の「怪盗ジゴマ」を主題にした楽曲を歌う。やがて幕が閉じて再び開いた時、そこにいるのは可憐な女性ともう一人の男性。女性はジゴマに「歌」を奪われた歌姫であり、男は探偵だった。名医の診察によると歌姫が奪われたのはただ一曲「心の歌」だが、そのために歌姫は「さみしい女」になっていた。探偵が必死にジゴマを捜す一方、ジゴマの方もどこに「心の歌」を隠そうかと考えあぐねていた。本作のもとは、1987年の広島アニメフェスティバルの招待作品として出品された自主制作アニメだったが、それを一般公開用に、作画、撮影とも大幅に改訂。和田の実写監督作品で小泉今日子主演の青春ミステリ映画『怪盗ルビイ』の併映として公開された。
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